「…………まいったなぁ」
エンネアは困った様に、指先で頭を掻きながら呟いた。
―――彼女は、それを知らない筈だ。
私とアルが戦う者だと云うことは、既に知られている。
私とアルが正義の味方の真似事をしていることも話した。
……けれど、
「何で、知っているの……エンネア」
私の問いに、気まずそうな表情を浮かべるエンネア。
……その表情が、言葉よりも雄弁に物語っていた。
「嘘……なのね……?」
あの、悪戯心に満ちた眼差しも
あの、屈託のない無邪気な表情も
あの、寒さに震える捨て猫の様な儚げな雰囲気も
……
ややあって彼女は、決心したかのように私を真っ直ぐ見つめ―――
「……ごめん」
肯定の意を込めて、そう言った。
「…………どうして?」
何故? ……分からない。
どうして? ……分からない。
私とアルの正体を知っていた彼女は何者なのか。
どうして記憶喪失なんて嘘を吐いてまで、私たちに近付いてきたのか。
偽りを剥がされた彼女が今、何を考えているのか。
……何一つ、分からない。
「うーん……何から話せば良いかな」
思案顔をするエンネア。
私たちを欺いていたことがバレたにも拘わらず、その様子は平静そのものだった。
……もしかして、嘘を見抜いて欲しかったのではないだろうか?
彼女の態度は、そんな愚にも付かぬ事を私に考えさせる。
また同時に、そんな愚にも付かぬ事を考える程、私は混乱していた。
(………………)
自らを落ち着かせる為、深く瞼を閉じる。
彼女の話を聞く為、先程までの思考を頭の端に追い遣る。
とりあえず、深呼吸を一つ。
……これで最低限、話を聞ける状態にはなっただろう。
私はゆっくりと瞼を開く。
「――――――」
視線の先には、エンネア。
此方が落ち着くのを待ってくれていたのか、深く神秘的な彩を湛えた紫水晶の瞳が私を見つめている。
そして、彼女が口を開―――こうとした、そのとき。
(…………?)
巨大な影が、私たちが着くテーブルを覆った。
影の大本を見遣れば其処には―――2メートル近い大男が立っていた。
筋骨隆々な肉体を覆う、左右で色が分けられた奇怪なスーツ。
その上に纏った、黒いラインの入った灰色のガウン。
極め付けには、まるで髑髏の様な覆面で顔を覆っている。
更にその後ろには、目の前の大男とは対照的に小柄な少年が立っている。
通りでよく見る若者の様な格好―――所謂ストリートファッションだ。
見て呉れだけなら若者と呼ぶには少々幼く見えるが、実際のところは不明。
目の周りに施された紫のフェイスペイントが、異彩を放っている。
そんな奇妙な二人組だが……当然知り合いなどではないし、絡まれる様な理由に心当たりもない。
「お、お客様……?」
先程私たちの注文の品を運んでいたウェイトレスさんが、当惑しながらも二人組に話しかける。
しかし二人組は、一切の反応を返さない。
店内のざわつきも、ウェイトレスさんの困惑の視線も無視し―――ただ、私たちを舐めるように見回している。
余りに露骨で不躾な視線に、私は思わず立ち上がる。
「アンタ達みたいな知り合いはいないハズだけど……何か用でも?」
エンネアの言葉を遮られた形になったこともあり、私は苛立っていた。
言葉に明確な怒気を乗せつつ、二人組を睨み付ける。
二人組が、行動を起こした私の方を向く。
やがて、その不愉快な視線を引っ込め―――ニタリ、と笑った。
「――――――ッ!?」
凄まじい悪寒が、背筋を走り抜ける。
激しい危機感に、全身が総毛立つ。
此処で事を起こせば、間違い無く周囲の人たちに危害が及ぶだろう。
しかし此処から離れようとすれば、僅かな時間とは云え二人組に無防備な背中を向けることになる。
私は刹那の時間で思考し―――迷わず離脱を選択した。
「アルッ!!」
「っ!」
瞬時にマギウス・スタイルを纏い、即座にエンネアを抱える。
そして
(これで奴等は、私たちを追って―――!?)
……恐らく狙いであろう私たちが離脱すれば、少なくともあの喫茶店に被害は及ばないだろう―――そんな甘い考えは、突如背後で生じた大爆発によって吹き飛ばされた。
《―――何が原因で、あなた方の間に戦いや争いが起こるのでしょう。あなた方の躰の中で、争う欲望が原因ではありませんか》
「ぐっ―――!」
爆風と爆炎に煽られ、空中でバランスを崩す。
抱えたエンネアを庇う様に黒翼を広げ、地面へと落下した。
「ッ――――――痛ぅぅッ……!」
衝撃に何度かバウンドしながら、地面を転がる。
ややあって、漸く勢いが止まった。
「だ、大丈夫……エンネア?」
「う……うん」
どうやら彼女に怪我は無い様だ。
彼女を包み込むようにしていた黒翼を戻し、起き上がる。
そうして視界に入ってきたのは……喫茶店
「………………」
肌を焼く熱い空気と、何かが燃える音。
周囲に漂う、ナニカが焼ける様な不快な匂い。
ふと視線を動かせば、無造作に転がるナニカのパーツ。
丁寧な装飾が施されていたであろうメニュー表を持ったままの
つい先程まで五体満足で言葉を発していた筈の
あのウェイトレスさんの
「――――――ッ!!」
ギリッ! と、奥歯を砕かんばかりに噛み締める。
(……やりやがった)
私たちからすれば、あの場に居た人たちを巻き込まないようにするのは当然だ。
だが、あの二人組からすれば、そんなことは微塵も関係が無い―――甘かった、甘過ぎた。
(奴等……
最早見る影も無い店舗跡地。
燃え盛る炎の中から、ゆっくりと二人組が姿を現す。
「アンタたちッ……!!」
「落ち着け、九淨! 冷静さを欠いて勝てる相手ではないぞ!」
「っ……!」
逸る気を静め、抑える。
……アルの言う通りだ。
解放されたプレッシャーと凶悪な
「……少なくとも、あんな事を平然と出来る奴等がマトモなワケないわね」
「うむ。恐らくはブラックロッジ、そして魔を振るう者となれば―――」
「「アンチクロス」」
「イエ―――ッ! イエ―――スッ!」
私とアルの推測を、少年―――クソガキが肯定する。
「ボクはクラウディウス! ブラックロッジでアンチクロスやってんで、ヨロシクゥ! そして―――」
軽い調子で自己紹介を始めるクソガキ―――クラウディウスが、突如両腕を振るった。
「ッ!?」
唐突に生じた危機感に、エンネアを抱えてクラウディウスの
紙一重で、何かが真横を通り過ぎる。
その何かは、そのまま直進し―――紅い雨を降らせた。
「なっ―――!?」
空に舞うヒトのパーツ。
路上を赤く赤く染め上げる、紅い血の雨。
偶々そこに居合わせただけの通行人たちは、何も分からぬままモノ言わぬ死体へと変えられてしまった。
「コレがボクの魔導書“セラエノ断章”!」
そう言ったクラウディウスは、いつの間にか一冊の書物を手にしていた。
二つ折判で、頑丈そうな錠が付けられた冊子。
見たところ、膨大な年数は感じさせない―――恐らく五十年と経過していないだろう―――かなり新しめの魔導書だ。
だが、内包された強大な魔力が、力有る魔導書である事を証明している。
「あの禍々しき“風”は……ハスターの力か!」
命を刈り取る鎌鼬―――
先程のアレも、自己紹介の一環だとでもいうのだろうか……巫山戯るなッ!
「“名づけられざるもの”“星間宇宙の帝王”“邪悪の皇太子”風の神性たる旧支配者!」
「その通り! けど、別に覚えてくれなくてもイイぜ? どうせ其処のインスタント魔術師は、ボクとカリグラに
「チッ……!」
奴等の狙いは“アル・アジフ”か。
けれど、相手がアンチクロス2人だからといってアルを渡す気は欠片も無いし、連中に殺されてやる気も更々ない。
だが、腕の中のエンネアを庇いながら戦うのは無理があるだろう。
どうにかして彼女を逃がさなくては―――そう考えていると、カリグラ―――という名前らしい―――が聞き捨てならない事を言った。
「まて、最優先事項は奴等ではナい。不測の事態が起こる前に、対象を確保するべきダ」
(……何ですって?)
“アル・アジフ”―――と、序に私―――を狙ってきたのに、最優先は“アル・アジフ”じゃない?
それは一体どういう……
(……まさか!?)
そこで気付いた。
この場に居るのは、私とアルと……もう一人。
―――エンネアだ。
「オイオイ、まさかビビってんのか? 弱りきった女一人、ボク等の相手にもなんねーだろーに」
―――弱りきった女一人。
その言葉に、私の頭の中でこれまでの出来事が繋がってゆく。
あの日路地裏で、襤褸一枚で豪雨に打たれ震えていたエンネア。
彼女の肌に幾重にも刻まれた、拘束や虐待の傷痕。
殺害された多数の“ブラックロッジ”構成員。
態々記憶喪失なんて嘘をついたエンネア。
目の前に現れた、アンチクロス二人組。
……そこまで来て、疑問が浮かぶ。
(連中の狙いがエンネアだとして……アンチクロス二人を差し向ける程の理由って何?)
「油断するナと言いたいだけダ。仮にも
「ハッ! ブルっちまったのかよ木偶の坊が。だったら大人しく隅っこでガタガタ震えてな」
「貴様……」
「あ? ヤんのか? ヤっちゃうんですカァ? あァ!?」
私が思考していると、奴等は何故か言い争いを始めた。
どうやら、両方とも気の短い質らしい。
……行動するなら今だろう。
(理由はこの際後回しよ。何にしても、連中にエンネアを渡すワケにはいかない!)
腕の中のエンネアを解放し、彼女に語り掛ける。
「……少し走れば、適当なシェルターがあるはずよ。其処に逃げ込みなさい」
「九淨?」
「アナタは私たちを騙していたけれど、それには理由があるんでしょ? ならアナタには、私たちにその理由を聞かせる義務がある。その義務を果たすまで、勝手に死ぬことも消えることも許さないわ」
「汝……」
此方の勝手な理屈だけど……これで良い。
今は、これで良いのだ。
戦力差は大きい。
勝ち目は少ない。
けれど私は、敢えて軽口を叩く。
「さっさとあの二人をブッ倒して帰ってくるから―――アナタはシェルターの中で、私たちに話す内容でも纏めてなさい」
※セラエノ断章
ケレーノ断章とも。因みにセラエノは英語読み。今回出てきたのは所謂写本で、原典は某大図書館に所蔵されている、壊れかけの巨大な石版。黄金の蜂蜜酒の製法やバイアキーの召喚法、ハスター等の神々についての記述がされている。……実はクトゥグアについての記述もあるとかないとか。
※ハスター
“名づけられざるもの”→“名状しがたいもの”
“星間宇宙の帝王”→“星間宇宙を歩むもの”
セラエノ断章より黄衣の王の方がハスターに近いと思うっていうのは間違い無く野暮。
あれ、そういえばカリグラさん自己紹介してないような……まあ、いっか。