桜の舞う季節もとうとう終わりの時を迎え、陽炎の立つ厳しい季節が幻想郷にも訪れようとしていた。
ここ、妖怪の山は季節の変化が顕著に表れる場所だ。
春には山全体に桜が満開し、夏には青々しい緑と虫たちの楽園と化す。
そんな妖怪の山で河城にとりは実にすがすがしい笑顔を振りまきながら川沿いを歩いていた。
「カッパッパ~♪ キュウリを巻いて~♪」
にとりが上機嫌で歩いていると、少し開けた場所に出た。
そこにはいくつかのビニールハウスが立ち並び、何かの野菜を育てていると言うのが分かる。
ここは河の水源を利用したにとりの菜園だ。中にはもうすぐ収穫されるであろうキュウリが山のように並べられていた。
ここ妖怪の山の土は非常に高品質であり、水源の確保も容易で、太陽の日差しも強い。キュウリを育てる環境としてはもってこいの場所だったのだ。
にとりはその内の一室に入り、中の様子を観察していた。
「ウホッ! もうこんなに大きくなってるッ! 収穫ももうすぐだねッ楽しみだなぁ。」
ビニールハウスの中の特有の臭気と暑苦しさは少々不快ではあるものの、瑞々しく育っているキュウリを前にすれば全く気にならない。
にとりは、キュウリの放つ青臭い香りに誘惑されながら、少しだけつまみ食いしてしまおうかと思ったが何とか手を止める事が出来た。
立派なキュウリがもうすぐ出来るかと思いながら、にとりは満面の笑みでビニールハウスの中から出てきた。
嬉しい事がこの先待っている。そしてそれを待つと言うのも実に楽しい事だ。
実に幸せな気分をにとりは感じていた。そしてこの幸せを他者にも分けてやりたいと。具体的にはキュウリのおそそわけになるのだが、今回のキュウリならきっとみんな喜んでくれると、そう思っていた。
そんな幸せなにとりが帰路である河沿いを歩いている途中、彼女は見覚えのある人影を見た。
真っ赤なドレスのようなデザインにたくさんのフリルを付けた可愛らしい服を着こんで、人形を思わせるような端麗の顔立ちをしている。にとりの友人の一人、鍵山雛だ。
「あ、あれは雛だ。お~い! 雛~!!」
友人の姿を見て、にとりは駆け足で近付いて行った。
そして、雛の方もにとりに気付いた。だが満面の笑みで駆け寄って来るにとりとは反対に、雛の顔には余裕と言う物は無く、とても焦ったような顔をしながら叫んだ。
「駄目ッにとりッ! 私に近づかないでッ!」
「ひゅいッ!?」
突然、にとりの足が大きめの石を踏んだ。
いかにも形の整っていない石を踏みつけたにとりは足を挫いて、大きくバランスを崩した。真っ直ぐ立つ事の出来ないにとりの足は、河の方へと向かってしまい、河と河沿いの高低差はさらににとりのバランスを崩した。
結果、にとりは河へ落ちる形でとダイブする事になってしまった。
だがそれだけでは終わらない。
にとりが落ちた河は非常に浅く、しかも落ちた先には大きな岩があった。にとりはその岩に後頭部をダイレクトに激突してしまい、完全に意識を失う事になった。
意識を失う狭間に雛の叫びを聞いた気がするが、にとりは彼女がなんと言ったのかハッキリせずに深い闇へと意識を沈めていった。
「――う……ん……?」
目が覚めたにとりが最初に感じたのは、後頭部に残る鈍い痛みと、それを包み込むような柔らかな感触。そして優しい匂い。
にとりは目を開けようかとしたが、外の明るさにまだ目が慣れてなく、眩しくて開けられずにいた。だがそんなにとりの顔に影が重なった。良い具合に暗くなり恐る恐ると目を開けてみれば、そこには雛が自分の顔を覗き込んでいた。
「おわッ! ひ、雛ッ!?」
友人の余りにも近い顔を見てしまったにとりは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
雛もにとりの声に少々驚きはしたが、すぐに安堵したような顔に戻った。
「良かった。にとり……本当に良かった……」
「これは……いたたたッ!」
起き上がろうとした瞬間、にとりの頭部に激痛が走った。
そしてにとりは全てを思い出した。足を挫らせ、河に落ちて、岩に頭をぶつけた事に。
「駄目! にとり、動かないで!」
起き上がろうとしたにとりを抑えこみ、雛は無理矢理に近い形でにとりの頭を膝の上に乗せた。
そしてにとりも気付いた。さっきから後頭部に在る柔らかな感触は雛の膝の感触であると言う事に。
にとりは雛の膝枕に気恥しさと、もう少しこの膝枕を堪能したいと言う煩悩で頭が沸騰しそうになっていた。
だが顔を赤く染めているにとりに対し、雛の顔は優れない。今にも泣きそうな顔を雛はしていたのだ。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……にとり……」
本当に……雛は今にも泣きそうで辛そうな顔だった。
何で彼女がこんなに謝っているのか、にとりは理解できなかった。
「な、何謝ってんのさ?――これは私がドジっただけなんだよ?雛が謝る必要なんか……」
「違うの……そうじゃないの……にとり……本当に……ごめんなさい!」
にとりが雛を諌めても彼女は謝るのを止めない。
泣きそうで今にも崩れそうな彼女に、にとりは説明を求めた
「雛、本当にどうしたのさ?何でそんなに謝るの?私には分からないよ」
「それは……さっき、にとりが頭を打ったのはきっと……私のせいだから……」
「ひゅい?」
雛は説明した。原因の全てを……
結論から言って、雛の『厄を溜めこむ程度の能力』がすべての原因だ。
雛は厄払いで払われた厄を自分の周りに集めて、人間に戻らないようにしている。彼女は集めた厄を自身の回りに集めているため、彼女の近くにいると人間も妖怪も不幸な目に遭う。
だがそれは雛を知る者たちならば誰もが知っている事だ。にとりだって当然知っている。彼女の近くにいれば不幸な目に遭うと。にとりは知っていて今まで交流を交わしているのだ。
それは彼女の人格と言うか神格による所が大きい。にとりは妖怪の山の住人には珍しく、人間を盟友と呼んでしたっている。同じように雛もまた人間想いの神様だ。その上神様にありがちな強気な性格も持ち合わせておらず、むしろ温和な性格の持ち主である。そんな二人だ。彼女たちが出会って友人になるのに、あまり時間はかからなかった。
だから雛の説明を受けた時は、にとりは鼻で笑ったように茶化した。
「あはは。何言ってんのさ。雛の近くにいれば不幸な目に遭うって勿論知ってるさ。でもさっきのは雛とは絶対に無関係だよ。私が気を付けていれば防げた事故さ」
実際、今まで雛と交流を続けてきたにとりだからこそ言えるセリフだ。
雛の近くにいれば不幸な目に遭うと言うが、それは誇張表現もいい所だとにとりは思っている。実際は足が躓いたり、鳥に落し物をされたり、動物の糞を踏みつけてしまう………ちょっとアレだけど、少し注意していれば十分に回避できるような小さな不幸。
そりゃ、落し物を喰らったり糞を踏んだりするのは嫌だけど、そんな事で雛の事を嫌いになれるはずもない。にとりは雛を一人の神様として尊敬してるし、友人としても雛の事が大好きだ。
だが雛の表情は明るくはならない。それどころか、雛の頬には一筋の涙が流れていた。
「ち、違うの……そうじゃないのよ……にとり……」
「え? ひ、雛?」
「……うぅ……えぐ………」
友人の、雛のここまで崩れる姿は今まで見た事がなかった。
事情をいまいち把握できないにとりはただうろたえる事しか出来なかった。
「な、何が違うってのさ……雛……泣いてたら分からないよ」
「に、にとり……」
「ほら……涙を拭いて、落ち着いて……」
にとりは起き上がって、雛の頭を撫でるように落ち着かせた。雛も最初は振りほどこうとしたが、にとりにがっちりと頭を捕まり、そのまま頭を撫でられる事になった。
だが不思議な事に、雛はにとりに頭を撫でられる事に深い安心感を覚えつつあった。
そしてしばらく時間が経過し、雛の方もようやく落ち着きを見せるようになった。
「落ち着いた?雛」
「え、ええ……ありがとう……にとり」
「それで一体、何があったのさ」
「それは……」
雛はグスっと鼻をすすって落ち着きながら言った。
「私……もう厄を溜めこむ事が出来なくなったの」
「――ひゅい?」
完結目指してがんばります。感想もよろしければお願いします。