「全員、弾幕を張って相殺しろッ! 一粒でも外に漏らすなよッ!」
神奈子が叫んだ。先ほどと同じ流れだ。色鮮やかな弾幕が雛の黒い弾幕とぶつかり合い、消えて行く。厄を含んだ弾幕は弾幕とぶつかり合う事で完全に相殺されている。妖怪の山は虹色の弾幕と黒い弾幕がせめぎ合う舞台となっていた。
厄は確実に消えていた。雛の弾幕を相殺し続ければ、いずれ厄は尽きるだろう。その時がにとりたちの勝利だ。
だが雛の弾幕の質量は凄まじいものだった。神奈子や魔理沙たちを始め、その場の全員が本気だった。本気で霊力や妖力を消費させながら弾幕を放っている。対する雛にはまだまだ余裕と言うのがありそうだ。こんな事を続けていたら、先に皆の方が参る事となるだろう。
「どうしたのかしら? 貴女達の力はそんな物なの? 私を助けると言っておきながら……期待はずれもいいところだわ!」
雛に似合わない軽い挑発だ。
だが、魔理沙はその言葉がカチンと来たようだ。後ろに乗っているにとりにしっかり掴まるよう指示をして、大きく叫んだ。
「はんッ調子に乗るんじゃねぇぜッ! そんな弾幕、私が一掃してやるッ! ――喰らえッ!『マスター・スパーク』ッ!」
魔理沙の極太のレーザーが目の前の雛の弾幕を一掃する。それと同時に魔理沙は雛本人も狙いに定めたようだ。魔理沙のマスタースパークが一直線に雛を襲う――筈だった。
マスタースパークがどれだけ強力な弾幕と言えど、弾幕は弾幕だ。弾幕はぶつかり合う事で相殺する事になる。雛の大質量の弾幕を多量に浴びたマスタースパークはみるみる内に、小さなレーザーになって行き、雛の所に行く頃には幼児のデコピン程度の威力にしかならなかった。
「うふふ。可愛い弾幕ね」
「うるせーッ!」
皆の前で赤っ恥をかかされた魔理沙はただひたすら弾幕を放って相殺する事に専念するのだった。
雛が弾幕を放ち始めてからどれだけ時間が経ったのか……皆の顔に疲労が見え始めてきた。対し、雛の弾幕は衰える事を知らない。それどころか、勢いが増しているような気すらしている。
「もう、そちらは後がないようね……これ以上は本当に危険よ? 負けを認めて早く消えたらどうなの?」
雛がそう通告した。だからと言って誰も引かないのは雛自身分かっている。ただの挑発のようなものだ。
そんな雛の問いににとりは大きな声で応えた。
「あははッ! 雛、厳しいのは君だって同じはずさッ! 厄は確実に減っている! 君の厄が切れた時が私たちの勝ちさッ!」
「うふふ……」
にとりの言う通りだ。どんな物にだって終わりはある。雛の厄とてそれは変わらない。
だがここで雛はさらに弾幕を増やした。
「何だとッ! さらに増えやがったッ!?」
魔理沙が叫んだ。魔理沙だけじゃない。あちこちで悲鳴が上がる。何人かやられてしまったのだろうか?
「確かに厄は減っているようだわ。でもだから何だと言うの? 厄はすぐに溜まる。今この間にもね。貴女達のしている事は無意味だわ」
「意味があるとか無いとかは私たちが決める事さッ! いいから雛は黙って弾幕を私たちにぶつければいいんだッ!」
にとりが叫んだ。いい加減、雛の方もイラつきが溜まって来ていた。当然だ。無意味だと分かっている事を繰り返し、いざ消えようと決意するも邪魔され、こうして勝手に傷つかれていく。
もう雛の堪忍袋も限界に近付いてきていた。
だが、にとりはそれでも叫び続ける。
「私も雛が分からないッ! なぜなんだい! なんで雛はそんなに消えたがるのッ! こうやって、厄を消していけばまた以前のように暮らせるのに……! 元通りになれるんだよッ! なのになんでッ!?」
なんで消えたがるか?
なぜそんな質問をするのか雛には理解できなかった。そして気付いた。彼女は何も気付いていないのだと。
「なんで消えたがるか……ですって? 貴女のせいよ……にとり」
「わ、私の……?」
雛はそう言った。にとりのせいだと。
どこか雛の顔は泣くのを我慢しているような辛い顔をしている。
にとりには心当たりがあった。あのキュウリ畑で酷い事を言ってしまった事なのか?
「雛ッ! あのキュウリ畑の時の事を言っているのかいッ!? あ、あれは本当に酷い事をしたと思ってる。それで雛を傷つけたんだとしたら……」
「違うッ!」
「ひ、雛……?」
「やはり気付いていないのね、にとり……」
雛は苦しそうな顔をしながら目を閉じた。
そうだとも、己を消したい理由……それは……。
◆
――生まれた瞬間から、私は孤独が常であった。目の前に映る物、流れる時間がただただ無価値でいて、それでいて厄神としての使命を胸の内に秘めていた。
今にしてみれば、なんと色の無い……灰色な世界であったのだろうと思う。
そこへ、ある時、一人の妖怪が現れた。
彼女は自分は河童であると、私の友達になりたいと言った。
側にいれば災厄に付きまとわれると警告したにも関わらず、友達になりたいだなどと……きっとその内、この子も汚物を見るかのように自分を嫌う事だろう。
そう考えていた。
そう考えていたのだが――。
どうした事か、彼女はいつも幸せそうな顔で笑って過ごして――。
私の世界に色を添えてくれたのだ。
その後、彼女とは常に共に在った。
そして人間や他の妖怪たちの嫌な視線から常に守ってくれた。
それどころか、彼女は様々な場所に連れて行ってくれて、さまざまな人たちに紹介させてくれて、私に関する考え方をも改めさせてくれた。
友達がたくさん出来た。山の神々と親交を深める事が出来た。そしてその巫女とも友人になれた。もう世界が灰色なんかに見える事は無かった。色鮮やかな世界に変わったのだ。
しかしそれでも――私は厄神だった。
側にいれば災難が降りかかる。不幸になる。それは絶対だ。だが、彼女はいつも笑顔で、不幸そうな雰囲気を一切見せなくて……だから、私が厄神だと言う事を忘れさせていた。
いつか、にとりを不幸にする――その可能性に気付きながらも、自分の都合の良いように否定し続けた。彼女なら大丈夫だと。不幸なんかにならないと……。
厄が大きくなれば、降りかかる災難も大きくなると言うのに……
だが、彼女なら大丈夫。今までだってそうだ。いつも笑ってくれているのだから。
でもそれは本当にそうなのか?
日に日に増大していく厄。昔とは比べ物にならないほどの存在に変わっている。
一緒にいたいと、共に生きたいと願ったとしても、たった一つの確実な未来を突き付ける。
共にいればいるほど、厄が増えれば増えるほど――。
いつか必ず、にとりを不幸に貶めるのだ。
ならば如何するべきか……分かってた。
最初から分かっていた事だ。彼女の前から離れる。それだけの話だった。
だが、この色鮮やかな世界で生きる事を知ってしまった私に、元の灰色の世界に戻る事はもう……。
厄が溜まり切って、もう溜めこむ事が出来なくなった後も、消える決意を見出す事が出来なかった。恐かったからだ。ずっとこの世界で生きていたいと願っていたのだから。
そしてそこへにとりが現れた。
彼女は厄が滞っている私を見てもいつもと変わらない笑顔を見せてくれた。
私はそんなにとりに甘えきっていた。彼女ならきっと、不幸や災難をものともせず、自分と付き合ってくれると……。
しかし、結果的に彼女に不幸が訪れた。
だからこれはきっと罰なのだろう。にとりがあの時、私を怨むような目で見たのは……。
とても痛かった、凄く痛かったのだ。彼女にあんな目で見られたのは。
だが、それ以上に――にとりの泣き叫ぶ姿の方が私の心を抉った。
彼女には笑っていて欲しい。この先もずっと……。
だからこそ、自分は消えるべきなのだ。
だと言うのに……。
◆
雛は目を開けた。
目の前には迫り狂う弾幕の嵐。自分は感極まって幻でも見ていたのだろうか?
とても懐かしい夢だった。だが、もう戻れない。
消えたい理由。これでハッキリした。
にとりを傷つけたくない。泣かせたくないのだ。
だから消えるのだ。
「にとり。全部貴女のせいよ。貴女が私の前に……あ、現れ無かったら私は――こ、こんな世界に夢を見なくても済んだのに……ッ!」
「ひ、雛……?」
雛はろれつが回っていなかった。
それもそのはずだ。彼女は顔を真っ赤にしながら大粒の涙を流していたのだ。
にとりは雛の泣き顔に動揺した。しかし状況はにとりが動揺しているほどのんびりと構えてはいなかった。
「きゃああああぁぁぁッッ!!!」
何処からかまた悲鳴が上がる。誰かがやられたのだろう。
雛が涙を流した瞬間、雛が纏っている厄の量が急激に増大したのだった。これまでとは比較にならないほどの弾幕が一斉ににとり達を襲う事となった。
「お、おい神奈子ッ! まだかッ? まだ厄は消えないのかッ!? もうみんな限界だぜッ!」
魔理沙が叫んだ。
もう魔理沙にもへらず口を叩いている余裕は何処にも無かった。それは魔理沙だけではない。他の皆も同様だった。
「おかしい……。これだけの量の弾幕だ。そろそろ切れてもおかしくない筈。なのになぜこんなにも厄が溢れるッ!?」
何故だ?
神奈子の頭にはそれしかなかった。もう十分すぎるほどの厄を消した筈だ。それだと言うのに雛からはまるで厄が消える気配が無い。
いかに大量の厄を溜めこもうが無限ではないのだ。使えば無くなるのが自明の理。それなのに何故か?
神奈子は焦っていた。こちらも余力はもう残ってはいない。
「――や、山の神ッ!」
後方から神奈子を呼ぶ声が聞こえてくる。その声は古明地さとりのだった。
さとりは燐に連れられて、神奈子の後ろにやって来た。
「さ、さとりか!? 無茶をするな! あれほどの厄の集合体を『視た』お前は……」
「わ、私なら大丈夫ですッ。――それよりもお伝えしなければならない事実があります」
「事実?」
「はい。あの厄神の減らない厄についての事ですッ!」
「何だとッ!? 本当か!? 何か分かったのかッッ!?」
「はい。――あれは……あの厄は、厄神が今まで溜めこんできた厄ではありません。厄神が自ら作り出している厄です」
「厄神が自ら……? どういう事だ?」
雛が自ら厄を発生させている。そうさとりは言った。
その事に神奈子はどういう事か分からないでいる。さとりは構わず言葉を続けた。
「私は厄神の心を視ました。あの方の心は非常に入り組んでいました。あの方は心の底から消えたくないと願っています! しかし、それ以上に我々を――特ににとりさんを傷つけたくないと思っているんです。消えたくない、しかし消えなければならない。この二つの相容れない感情が厄を作り出しているんです」
『厄』とは恨み、辛み、妬みと言った感情で発生する。その感情が強ければ強いほど厄は強くなる。詰まる所、厄とは想いの力でもある。
「にわかには信じがたいな……。いかに厄神が神の名を冠する存在と言えど、所詮は個人だ。個人の感情があれほどの厄を生み出すとは考えにくいが……」
「しかし事実です。私がこうして厄神を前にしても平気で居られるのは、すでに彼女が溜めこんでいた厄が全て消えているからなのです。今、厄神の回りの厄は全て彼女が発生させた物だけです」
「それが事実だとしたら、かなり厄介だぞ。厄神自身が厄を生み出しているのだとすれば、我々に勝機は無い」
雛が溜めこんできた厄はすでに切れている。だが、新たに雛自身が厄を生成している。言うなれば今の雛は厄の永久機関だ。
皆、本当に限界だ。これ以上時間はかける事は出来ない。
さとりもまた、平気を装っていたが、またもや厄に中てられたようだ。燐に連れられ、後方へと避難して行く。
「おい神奈子ッ! 一体、どうすればいいんだッ!? 何か手は無いのか!?」
魔理沙が叫んだ。
魔理沙も後ろに乗っているにとりも神奈子とさとりの会話を聞いていた。
神奈子は考えていた。
どうするべきか?撤退はありえない。ここで撤退したのならば全てが無駄。しかし雛自身が厄を発生させているとなると厄を消し切ると言うのは難しい。
そして神奈子は決断をした。
「と、当初の目的であった厄神が溜めこんでいる厄の除去には成功している。だから……厄神を何とかして止める。それこそ、気絶させてでもだ」
「お、おい! 神奈子それは……!」
意味がない。そう魔理沙は言おうとした。
この戦いは、確かに雛が溜めこんできた厄を吐き出させると言う目的だった。しかし、それと同じくらいに重大な事がある。それは雛を元に戻す事だ。能力云々では無い。雛が消えなくても良いよう彼女を諌める必要もあるのだ。
だが、彼女の気持ちも変えないままこの戦いを終わらせてしまったのならば、雛はまた消えようとするだろう。それじゃ意味がない。
「だったらどうすると言うのだ魔理沙。引くわけにもいかない。かといってこのままではジリ貧だ」
「そ、それは……そうだけど……で、でもどうやって雛の所まで行くんだ? あんな弾幕の渦の中心に誰が行くんだ? 近づく事すら出来ねえぜ?」
「そこなんだよ……普通の奴じゃ無理だし……唯一いけそうなのは八雲紫くらいだろうが、奴は脱落して行った者たちのカバーと博麗の巫女の護衛で手が一杯だ。やつの性格からして博麗の側から離れるとも思えないしな」
八雲紫の能力『隙間』を使えばすぐに雛の側まで接近できるだろう。
しかし紫は動けない。
脱落して行った者たちのカバーもあるが、一番の理由は博麗霊夢にある。勉強だとか言っているが、実際にダメージが発生する今回の弾幕ではいかに霊夢と言えど危険が大きい。そのため、いざという時の為に、紫は霊夢の側から離れない。博麗の巫女に万が一があったら今ある幻想郷のルールが崩壊してしまうからだ。そして彼女の性格からして、その役目を他者に譲るとも思えない。
いやそれ以前に……。
(八雲紫は信用が出来ない)
こんな状況で仲間を疑うのは、他の仲間の士気を下げてしまうが故に神奈子は口に出さなかった。
八雲紫は信用が出来ない。
彼女の腹の底が見えないと言うのが一番の理由ではあるが、この事態は彼女にとっても最悪の事態に間違いない。
厄神の暴走による幻想郷の危機。
彼女にしてみれば、危険極まりない厄神は消えてくれた方が良いと思っているに違いない。
想う所はあるのだろうが、マニュフェストに徹するならば、厄神は消えた方が良いのだ。
自分もそう思っていたのだから。
信用が出来ない。
それが八雲紫の力を最大限生かさず、霊夢の近くに居させている最大の理由。
「くっそぅ、咲夜が居ればな……! 時間を止めてそのまま雛を拉致って手段がとれるのにッ! なんで紅魔の連中は来ないんだよッ!」
「居ない者たちに期待しても無意味だろう? とにかく、厄神を止めない以上、我らも危険だ」
だがここで『誰が?』と言う問題が発生する。それが一番の問題だった。
そしてそんな時だ。
神奈子の策に志願する者が現れたのだった。
「――我々が行きましょう」
「お前は――白蓮!?」
声の主は聖白蓮だった。