厄を溜めこむ事が出来ない。
雛は数日ほど前に、己の体に変調をきたしている事を感じた。最初のころは単なる体調不良か何かによる能力の低下だと思っていた。だが数日経っても能力が戻る傾向が現れなかった。
いよいよ危機感を感じた雛は独自に調べる事にした。そしてある事に気付いたのだ。
体に異常は無い。そして能力も正常に発動出来る。ただ厄が溜めこむ事が出来なくなっている事だと……。
もっと正確に言えば、厄を溜めこもうとすると自然と外に溢れだしてしまうのだ。
これが意味する所を想像するのは難しくは無い。厄を溜めこむ程度の能力に問題があったのではなく、自身の厄を内包出来る許容量が限界に来ていたのだ。今まで溜めてきた厄が雛の中で飽和状態を起こし、それ以上の厄を受け付けなくなってしまっている。
ある程度の説明を受けたにとりは確認のために、雛に追問した。
「――つまり雛の中で厄が一杯になっちゃって、それ以上溜めこむ事が出来なくなっちゃったって事なの?」
「……う、うん」
今を思えば、雛にも思う所があったのだ。
昨今、幻想郷の人間と妖怪の数は日に日に増加の一途をたどっている。
百年ほど前の『吸血鬼異変』以来、妖怪は人間を襲う事が無くなってしまった。天敵がいなくなった人間は、まるで鼠算のごとく増えに増えて行った。
そしてそれは妖怪の方も同じだ。人間を襲う事が無くなって、人間に討伐される事が少なくなった。人間と違って子を残すと言う事が少ない妖怪たちは、それ以上増える事は無いが、変わって寿命がとてつもなく長い。つまり増えもしないが減りもしないのだ。
元々幻想郷は妖怪たちの楽園だった。元々の数では人間よりも妖怪の方が多かったのだ。
さらには外からやって来る『外来人』と呼ばれる存在。次々に現れる封印されていた妖怪たち。つい最近では神霊と呼ばれる騒動でまた誰かの封印が解かれたと聞く。
そんな風に幻想郷は妖怪と人間で溢れかえっている。
数が多いと言う事はそれだけ発生する厄も多くなると言う事だ。
それだけでは無い。最近、博麗大結界の結界が弱まりつつあるために、外界の厄もまた幻想郷に流れ込む事もあった。
だからいつか……いつかはこうなる日が来るのではないかと。
厄を溜めこめなくなる日が来るのではないかと、そう雛は思っていたのだ。
「でもさ雛。それは何か問題でもあるのかい?」
「……え?」
「いやさ、私って雛の厄と言う奴をあまり理解していないからこんな事言えるんだろうけど……要は雛の回りに厄がより多く発生するって程度の事だろ?それだったら今までと何も変わらないような気がするんだけど」
雛の周りにいれば不幸な目に遭う。しかしそれは今までもそうだったのだ。厄が回りに漂うようになって何が変わるのか。
「にとり……貴女気が付かないの?」
「ひゅい?」
「貴女は死にかけたのよ?」
「はえ?」
余りにも大袈裟な例えににとりは目を点にしてしまった。
対し、雛の表情は真剣そのものだ。
「貴女は河の浅瀬に落ちて、岩に頭をぶつけたのよ?」
「お、オーバー過ぎるよ雛。確かに危ないとは言えるけど、タンコブが出来ただけだよ?それを死にかけただなんて……」
「人間にも同じ事が言える?」
「む……」
ここにきて、ようやくにとりは雛の言わんとする事が理解できた。
「にとりは体の頑丈な妖怪だからそんな風に言えるのよ。でももしも貴女が人間だったら? 頭に小さな怪我を負うだけで死んでしまうような脆弱な生き物だったら? 貴女は同じ事が言える?」
「それは………」
「今はまだこの程度の災難で済んでいるけど、時間が経つにつれて厄の規模は大きくなっていくわ。厄の大きさに比例して被害も大きくなる。そしたらきっと貴女だって……」
にとりは事の重大さにようやく気付いた。我ながら実にトンマであると思ったくらいだ。『程度』と言うのは人によって大きく変わるのだ。ある者にとっては大した事でなくても、他者には命にかかわるような重大な事だったりする。
ましてや、雛は人間想いの神様だ。自分のせいで誰かが傷つくなんてきっと凄く許せない事なのだろう。
「な、何か方法は無いのかい? 厄を消すとかさ……」
「……分からない。ある程度なら私の行動で厄を消費出来るんだけど。ほら、私の原動力も厄なわけだし……」
「それだったら、雛がたくさん動けば……」
「それが駄目なのよ。私の行動で消費される厄なんてたかが知れてるわ。消費した分、さらに厄が集まって来る。厄の集まりと消費がまるで釣り合ってないのよ」
「むむ~」
難しい問題だとにとりは顔をしかめていた。
雛は厄をエネルギーに変えて行動している。厄は雛の原動力だ。動けば当然消費されるが、溜めこんだ厄を消費できるほどのものではない。
だからといって、このままと言うわけにもいかない。雛からあふれ出た厄は時間が経つにつれて強力になって行く。その結果、雛の回りではこれまで以上の災厄が起きる事となるだろう。
「あれ?」
「どうしたの? にとり」
何か良い方法は無いかと模索している最中、にとりはある事に気が付いた。と言うよりも何で今まで気が付かなかったのだろうか。
「私って今こうして雛の近くにいて普通に会話をしてるけど、それって大丈夫なのかい?」
にとりが起きてからだいぶ時間が経つ。なのにそれと言って不幸な目にはあってはいない。
「ああ、それは大丈夫だと思う……多分」
「たぶんって……随分と曖昧だね。一応聞くけど、なんで?」
「『災難』と言うのは何かの行動が連鎖した先に起こるものだから。だからこうして何も無い所で何もしなければ何も起きないんじゃないかと……。それににとりをあのままにしておくわけにもいかなかったから……」
「あ、な、なるほど。ありがと」
あのままにとりをほったらかしにしていたら、にとりは気絶したまま河の中に沈んでいたのだ。あのままにしていたらどこまで流されるか知れたものではない。
「とにかく、こうして話してる分には問題ないわけだね?」
「分からないけど……多分。あ、でも厄が強くなるにつれてそれも危なくなってくるかも」
「そう……よし! だったら、こんな所でのんびり構えてられないね!」
そう言って、にとりは立ち上がり雛に手を差し伸べた。
「行こうよ雛ッ!」
「行こうって……どこに?」
雛の手を掴み、立ち上がらせて言った。
「守矢神社さ」
守矢神社は妖怪の山に建てられている神社だ。
妖怪の山と言う事で人間からの参拝は無いものの、そこに住んでいる風祝の地道な宗教勧誘で信仰自体は非常に高い。
また神様二柱と現人神一柱が居住しているために妖怪からの信仰もとんでもない事になっている。
にとりと雛はそこに訪れようとしていた。
そこにいる神様、八坂神奈子ならば雛の厄をどうにかする方法を知っているかもしれない。神様の事は神様に聞こうという結論に達した考えであった。
雛の方も自分ではどうしようもないと分かっていたためにこれと言って反対する理由は無かった。ただ、自分の厄が守矢神社の者たちに何かしらに危害を加えないかどうか………それだけが心配であった。
そしてそんな二人は、ようやく守矢神社上空まで到達した。
「ふうふう……よ、ようやく、ここまで来れたね雛……ふう……」
「はあ、はあ……え、ええ。そうね」
守矢神社に来る道中、どういうわけか二人に――
いや、二人と言うよりも、にとりに何故か多くの災難が付きまとった。
山を登るように歩いていると、通行路が山崩れを起こして通行止めになっているし、空を飛んで向かおうと思ったら、山を哨戒中の天狗たちに侵入者と間違われて迎撃されそうになったり。おかげで、ここまでたどり着くのに二人はかなりの時間と体力と精神力を消費していた。特に雛は自分のせいだと言う自責の念で余計に精神的に負担がかかっただろう。
「ご、ごめんね、にとり。私のせいで……」
「雛のせいなんかじゃないさ。ほら守矢神社に到着したし、中に入れてもらおう」
二人は守矢神社の玄関前に降りて玄関の戸を叩く。すると中からパタパタと軽い足音を立てながら玄関の戸を開けてくれた。
中から出てきたのは緑の髪をした長髪の少女だった。
「はーい。どなたさん……ってこれはこれは。にとりさん、それに雛様も……」
守矢神社の風祝、東風谷早苗である。
「やぁ、早苗」
「こんにちは、早苗ちゃん」
「こんにちは、お二方。――こんな所ではなんです。中へどうぞ」
「それじゃ邪魔するよ」
「お邪魔します」
手慣れたように早苗は二人を中に入れて案内した。
早苗たちの居住は本堂とは別にある。そこには早苗の部屋だけでは無く、八坂神奈子、洩矢諏訪子の部屋も存在している。神様が神社本堂では無く裏手の居住宅で寝泊まりするのは何となく違和感を感じるが、そこはさすが幻想郷の神様だと言うべきなのだろう。常識に捕らわれてはいけないのが幻想郷と言うモノだ。
「本日はどのような御用件で……?」
お茶を出しながら早苗は尋ねた。
お茶を受け取ったにとりは一口、口に含んだ後、事情の説明に入った。
「八坂様に相談があって来たんだけど、お目通し願えるかい?」
「神奈子様にですか? 残念ですが、神奈子様は只今留守にしておりまして……」
「留守?」
「はい。現在、神奈子様は山の大天狗たちとの会合に出席しているんです」
なるほど。と、にとりと雛は思った。
見張りの哨戒天狗の数がいつもよりも多かったのはそのためか。山の実力者と神が何かしらの会議を開いているのだ。そりゃ、見張りも多くなるわけだと二人は納得した。
「どれくらいで八坂様たちは帰って来るんだい?」
「そうですね……。もう間もなくだと思いますよ?そろそろ会合も終わってるでしょうし。何か急な用事なのでしょうか?」
「ま、まあ……そうだね。うん。急な話だと思う」
にとりと雛は互いに目配せした。言葉は交わしてはいないモノの、これからどうしよう、と思っている目なのは第三者から見ても明らかな物であった。
そのせいなのだろう。早苗が二人に興味を覚えたのは………
「もし宜しければ、私に事情をお聞かせ願えませんか? 何かのお役にたてるやもしれません」
二人が何かしら困っているのは明白だった。何かしらの力になれるかもしれない。神事に携わる早苗の善心からの言葉だった。
「雛……どうする?」
早苗に相談するかしないか………。にとりは雛に目配せしながら尋ねた。
東風谷早苗は人間でありながら神でもある現人神と呼ばれる存在だ。彼女に相談すると言うのもまた一つの手ではあるだろう。
だが厄を溜めこむ事が出来なくなったと言う問題は、出来るだけ秘密にしておきたいと言うのが雛の本音になのだろうとにとりは考えていた。厄神が厄を溜めこめなくなったなんて知れたら雛のメンツが立たなくなる。
神にとって他者の信仰とは、自身を存在させるための力の源。人心を掴めるかどうかは正に死活問題なのだ。そのために神はメンツを重んじる。
にとりにとって神とはそう言うものだと思っていた。メンツを何よりも大切にする者たちだと……。雛も例外ではないと思っていた。
だが、雛は何の躊躇いもなく言った。
「そうね。彼女にも聞いてもらいましょう」
「え? 良いのかい?」
何のためらいも無く言うモノだから、にとりは呆気に取られてしまった。
「彼女にも関係する事だもの。こうして私の側にいる時点で巻き込んでいるようなモノなのだから……」
「そ、そう……」
改めて、にとりは雛が変わった神様だと言う事を実感した。それと同時に感心もした。やはり雛は良い神様なのだと。
そして雛は早苗に全ての事情を説明しだした。