アラカルト - どこまでも自由な短編集   作:バレッタを付けた猫

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恋することに恋した女の子のお話。


[恋愛]歪な恋のお話

 私の家は、裕福でもなく貧しくもなく、親と私がいるだけの面白くもない家族構成で、若干体の弱い私がわりを食う、そんな家だった。悲観的な物言いをしているように見えるかもしれないが、私はそれを気にしたことはなかったし、それを許容できる程度には大らかな自信も、慣れた自覚もあった。ただ考えるのが面倒なだけだったとも言えるが。いずれにしろ時折喘息で動けなくなるくらいなら、悩みの種ではないのだ。

 ただ、周りはそうもいかない。ちょっとせき込めば大袈裟に心配してきたし、寝ている間も様子を見に来たりもした。正直、煩わしいことこの上ない。死にそうならそうだと分かる苦しみ方をするから、いちいち騒ぎ立てるなと、何度言ったことだろう。

 だから私は、今いるこの小屋が気に入っている。山中にひっそりと佇むボロ屋だが、喘息にはいいし、かしましい人もいない。友達と話せないことと電波が入らないことを除けば最高の場所だと言える。縁側面の丸太で日向ぼっこも出来るのだから、生来ぐうたらな私には打って付けなのだ。

 がらり、と音がした。私は目の前の鍋から目を離さぬまま、おかえりと告げる。

「ただいま」

 足音から私の後ろに来たのだろうと察し、軽く振り向く。男は妙な顔をしていた。何か言いたいことでもあるのかと首を傾げれば。

「俺がやるのに」

 なんて言ってのける。最初に卵を消し炭にしたのは誰だったか思い出してみてほしいものだ。危なっかしくて見ていられたものじゃない。

 この男が、私の同居人だ。無精ひげに草臥れた作業着という冴えない出で立ちで、事実冴えない。家事一つ出来ないダメ男だ。いずれはウジ虫みたいなヒモ男か、家庭を顧みないダメ男になると私は踏んでいる。

 その彼の手にはビニール袋が握られていた。山を下りて買ってきたのであろう種々の食材が目に入る。どうせ山菜は多少なり採れるのだから、野菜はそんなにいらないだろうと常々思うのだが、彼にとっては違うらしい。

「使うか」

 語尾を上げながら尋ねてくるが、見れば分かるでしょ。今日は使わない。言えば悲しそうな顔をする。それを堪能したくて、フォローは止めた。その代わりだとばかりにシチューを皿によそって、二人で使うには少し小さいちゃぶ台へ運ぶ。なぜか人参が大好きな男とジャガイモが大好きな私と。具材は必然的に野菜中心になる。彼が野菜をたくさん買ってくる所以だったりするかと思ったのだが、葉物野菜まで大量に買ってくるのを見るに、そういうわけでもないだろう。

 秋の日は釣瓶落とし。九月を過ぎた空はすでに暗く、辺りは静寂に包まれている。時折虫が鳴いているが、それだけだ。

「人参くれ」

 ならジャガイモちょうだい?

「やらん」

 えー。

 いつもこんな調子だ。ここに来て半年になるが、慣れた頃には夫婦漫才まがいのものを繰り広げていた。気が合うと言えばそれまでで、しかしてそれだけで終わらせたくない気持ちもある。

 彼もそうだろうか。仏頂面は語らない。

 空になった食器は二人で洗う。家事はやると宣言したとき、全てやらせるのは申し訳ないからと彼が譲らなかった部分だ。電気もガスも──まず通っていることが奇跡的なのだが──節約する中で、水だけは贅沢に使える。曰く、地下水を汲み上げているのだとか。

 あ、ほら。洗い残し。私は話し、二人は話さない。またかと私は思う。見やれば思い詰めたような表情で思案する男がおり、その手はあくまで機械的に食器を洗っているのだ。少しだけ疎外感を感じながら、洗い残しのある皿を引ったくる。

「ああ、悪い」

 やっと気付いたらしい男が謝罪を放り投げてきた。わき腹を小突いて打ち返す。彼は背が高いから、とてもやりやすい。

 悪くはない沈黙が広がって、寒いね、と欠伸をかみ殺しながら破った。心地よい沈黙は好き。そうじゃなきゃ嫌。決して悪い静けさではなかったけど、今はきっと話している方が楽しいから。

 夏場は嬉しかった地下水の冷たさも今は恨めしい。悴んで震える手を見て。

「いいよ。やっとくから」

 そんな風に言われたら、悔しくて引かないって知ってるくせに。心の中で悪態を吐いてその場に留まる。彼は嘆息しながら、私の束から一枚食器を持っていった。

 ふと台所の隅を見る。何と言うのかは知らないが、お風呂を沸かすための火をおこす場所だ。薪をくべて風を送り、蓋を閉めてはまた開く。そんな旧式の火力調節でもって温められるお湯は、刻々とその温度を変える。変わる温度は誰かがそこにいる証拠。嫌いじゃない。

 そのお風呂用の薪が少なくなっていた。

「明日集めてくるよ」

 簡素だ。やっぱりそこで会話を終わらせたくなくて、暖炉の分もね、と言ってみる。嘆息されるだけで終わった。もう一度、ね?

「あれじゃ暖かくなんてならないだろ。小せえし」

 それでもいいじゃん。近くなら暖かいよ。見飽きた仏頂面に満面の笑みを投げつける。

「そうかい」

 仏頂面で、彼は笑った。

 その彼が温めてくれている湯船に、私は先に浸かる。男が先風呂に入ってどうする、というのがあちらの言い分だが、こちらからすれば泥だらけの体をまずどうにかしろと言うものだ。話は平行線をたどり、最終的に私が折れるという決着を見た。

「熱くないか」

 ちょっと温い。そう、本当はちょうどいいのに返してみれば、薄っぺらな壁の向こうから必死な息づかいが聞こえる。ガスなら楽なのに、と言いたげだが、その息づかいが私は好きなのだ。ご飯を作ってあげる分、少しは堪能させなさい。

 竹が鳴いている。虫が喚いている。少し熱くなったお湯が、壁面をしっとりと湿らせる。

 自宅のような利便性こそないが、どこまでも開放的なこの小屋は、どうも私の心の拠り所になっているらしい。ほっ、と吐いたため息は、存外静かで気持ちよかった。そんなことに今更気付いたのだと、私は私に気付く。今を生きるのに精一杯だったことに、今を往きながら気付く。何をするわけでもない日々が、何かをした日々に上書きされたと気付く。

 ぽたりぽたりと、低い天井から落ちる断続的な水滴は、蒸気になって減った湯船に再度還元され、いずれはまた蒸気となり、水滴として落ちるのだろう。そうして無制限に繰り返されそうな事象でも、男が保つ火に依存している。永遠など存在しない。薪がなくなるか、吹くのをやめるか。いずれにしても、有限だ。

 いつまでもこうしていたいと思いながら、心の底から不可能だと考えてやまない。阿呆だと我ながら思うが、現実問題この世の中はそうして回っている。これを言ったら、彼はどんな顔をするだろう。臆病者は聞けないでいる。

 いいお湯でした。

「そいつはよかった」

 温めようか?

「もう熱いくらいだろ」

 歩いていく優しい顔。それは変わらず仏頂面で、口角一つ上がらない。そんな優しい顔。

 小屋に布団は一つしかない。男はいつもそれを私に使わせて、自分は畳に寝そべる。もう一つ欲しいところだけど、胸を刺す温かみを感じていたい。私は我が儘だろうか。

 布団を敷く間考えた。これはいつまで続いてくれるだろう。布団を敷く時間。今日という時間。これから先、彼とここで過ごす時間。永遠がいい。瞬く間でいい。

「上がったぞ」

 やあい。鴉だ。短い入浴時間をからかう。

「別にいいだろ」

 なぜ短いのか私は知っている。彼がお風呂に入っている間、火を保つ人がいないからだ。やってあげたいけど、彼は頑として、布団を先に敷いてくれ、の一点張り。これも延々と平行線を辿った挙げ句、私が折れて決着した。不公平だ。

 この男はいつも何を考えているのだろう。ぐうたらと取り留めもない考えばかり巡らせる私と違って、何か有意義なことでも考えているのだろうか。この先について真剣に考察していたりするのだろうか。それらをかっこいいと思う反面、私と同じであって欲しいという思いもある。両方でもいいけれど。

 ねえ。明日の朝って、外に出る用ないでしょ?

「ああ」

 少し話さない?

「何を」

 何でもいいんだよ。彼は少し沈黙した後。

「考えとくよ」

 今ここで決めて欲しいなと思うのだが。いつもいつもこいつは決断が遅い。布団に入りながらむくれて反応を伺うが、すでに背を向けて寝始めていた。寒くないの?

「平気だ」

 予想通りで拍子抜けするような、むしろ安心するような。鼻をすすりながら言われても説得力に欠ける。優しさは時に鋭利な刃物となる。私は背を向けて、布団を持ち上げた。おいでよ。返されるであろう拒絶を先取りして、一緒に寝たい。いいでしょ?耳障りな静けさが場を満たす。

 私は知っている。あなたはこういう沈黙に耐えられない。

「分かったよ」

 狭い布団は背を密着させても鮨詰めで、三分の一くらい持って行かれた掛け布団から足がはみ出そうになる。端っこに追いやられた体が冷たくて、蝉みたいに張り付いた背中が温かい。露天風呂みたい。男は嘆息する。狭いね。男はまた、嘆息する。

「今度は出てけとでも」

 言わないよ。でも狭い。けらけら笑う私に、彼は再度、嘆息した。

 翌朝。小屋の周りには、大量の御用提灯が並んでいた。男は自嘲気味に鼻を鳴らす。

「見つかったか」

 ねえ。逃げようよ。私はその言葉を飲み込んだ。束子みたいに喉をひっかき回しながら胃袋に落っこちて、噴火するみたいにまた噴き上がってくる。

「ごめんな。付き合わせて」

 ぶんぶんと頭を振る私を、男は優しく撫でた。お別れだ。言葉に出されずとも物語る大きな手。嫌だ。行かないで。ここにいて。スチールウールを私は飲み込む。

 外からは拡声器の音が響いてくる。男に出て来いと促す声。そういえば男の名前を初めて聞いたのだと、驚きの中で気付かされる。すでに包囲されているとか、安っぽい刑事ドラマみたいな台詞が窓ガラスを突き破って、部屋の中で暴れ回った。

 永遠なんて存在しない。だから人は、永遠に憧れるんだ。場違いな思考が頭を満たす。

「じゃあな」

 バチン、と乾いた音が響いて、首筋が熱く痺れる。最後に感じた、背を支える腕と、額への熱く湿った柔らかさ。それが包容とキスだと気付いたのは数日後のことだった。

 誘拐から始まった半年間の共同生活は、こうして終わりを迎える。

 父さんも母さんも、半年ぶりに帰ってきた私に涙した。私も涙した。ここに男はいないのだ。あのゆるゆると温かに、どこまでも広がっていくような日々が、露と消えてしまったのだ。

 男にかけられていた容疑は、殺人と強盗、誘拐。怨恨から殺人を、貧困から強盗を、逃避行から誘拐を。そういえば最初はとても怖かったのだと、口をぽっかり開けながら思い出した。同時に、その間彼は謝罪ばかり繰り返していたと、当時は歯牙にもかけなかった光景が脳裏を埋め尽くした。

「どうしてこんな」

「嘘だ。そんなこと」

 謝りながら譫言のように繰り返していた言葉が、記憶の隙間を縫い止めるように駆け巡っては消えていく。あんな奴は極刑にでも処されればいい。喚く両親を前にして、臆病者は泣いている。

 

 トントンと包丁の音が響いている。なぜ。ここは俺しか来ないはずだ。あの日逃走用にと調達したスタンガンも持たない丸腰の俺は、警戒しつつ中に入る。街を変えた一年間から無視された山中の小屋。

 音を立てて開くことしか出来ない扉を抜け、鳴りながら歩かれる以外に能のない廊下を歩き、台所へと足を踏み入れた。当たり前のことだが気付かれる。

「お帰り。冤罪おめでとう」

 なぜここに。バカみたいな話だが、俺の声は上擦っていた。

「きっと来ると思ったから」

 俺は必死で謝罪の言葉を探した。逃げながら下した咄嗟の大間違いを、俺は何て詫びればいい。目は宙をさまよい、足は後ろへ一歩踏み出される。その一歩を彼女が詰める。

「謝らなかったら許してあげる。慌てん坊の誘拐犯さん」

 なら何を言えばいい。あれだけのことをした俺は、あんたに何を言えばいい。

「んー。少し話さない?」

 何を。

「何でもいいんだよ」

 人参たっぷりのシチューが、ポテトサラダを作り終えた彼女から差し出された。

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