不思議町の不思議な住人たち。   作:赤目のカワズ

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足洗邸を狩る者たち。 下

暗い。八雲・紫が得た第一印象だ。

視界は暗闇に覆われ、心なしか息苦しささえ感じる。

簒奪された空気が気泡となって上へ上へと昇っていく最中、彼女の身体は下へ下へと沈没していく。

心身の末端から少しずつ生気が喪失してゆく感覚は、彼女の自意識が消滅の憂き目にあったことによって、途端に途絶された。

沈んでいく。その身体も。その精神も。その意識さえも。

しかして、その沈没の途次において、しゃがれただみ声が彼女の耳朶を打つ。

暗闇の中にて、まるで同衾した思い人の囁き声のように響いたそれは、彼女の意識を覚醒させるには十分なものであった。

 

『――――さぁ行こうゼ。オレが、送って行ってやるゼ』

 

傍らに寄り添ってきたのは、塵埃を朋友とする妖精。

その接近に伴い見開かれた瞳は声の主を探り当て、自身にしがみついていた腕を握りつぶし、彼の者の頭部を圧死させた。肉つきの良いがしゃどくろは、ここで一回お休み。

次いで、覚醒を果たした紫が否応なく知覚することとなったのは、全身を苛む虚脱感と、杳として動こうとしない肉体による反逆だ。現状を正確に表すならば――――石の中にいる?

泥岩の詰まった密室空間は、上下左右の概念さえもが不確かと言えた。

空間の主を抹殺したとはいえ、長々と部外者が住みこむには適さない。文字通り、息がつまるのだ。

彼女がその能力を行使すれば、途端、開かれるスキマ、堰を割った様にしてそこに流れ込む土石流。

泥岩に包まれる形で窮地を脱した彼女が行き着く先は、勝手知る、いわば八雲・紫の根源とも取れる場所だ。

無量の闇が余すところなく遍在するそこ《スキマの内部》が、人界の瞳に蔽い尽くされていたのもはるか昔で、現在は無秩序に物物が浮かぶがままの暗黒空間となり果てている。

危機を脱したというもののそれは形ばかりであって、汚泥に塗れた彼女の表情が晴れ渡る事はなかった。彼女の現状は如実に物語る。

道すがらこびりついた泥岩、鼻腔に入りこむ土の臭い。赤い飛沫は、彼女の衣服を残骸にし尽くしていた。

たまたま紙形《媒体》を懐に仕舞っていなかった事だけが、奇跡として彼女の手元に残っている。泥砂の瀑布に身を放りだされていたならば、きっと一欠片さえ残らなかったであろう。

不意に、それまで彼女に執着を見せていた泥粒が、嘘のように剥がれおちていく。

皮膚との接着面、境界面ともいうべき位置に存在していた彼らが妄執を捨て去った結果、往来を渡り歩けるくらいには、彼女の身なりは回復を見せていた。

次いで無数の裂傷が消えゆき、頭部に広がった挫傷までもが瞬く間に修復を遂げる。

しかし、まだ完全ではない。彼女は万全の位置に達していない。八雲・紫の心中に深く刻まれた言霊は、未だ熟熟とした痛みを放っていた。

さて、神や仏や悪魔と相対するともなると話は変わってくるが、肉体面における屈強さは、妖怪全般にあげられる特徴だ。

こいつは『元』が虫であろうと鳥であろうとはたまた物であろうと共通した点であるが、何事もそう上手くいくわけではない。神が殺せる時代が到来するくらいなのだから、妖怪にも種々の弱点がある。

その最たるが、精神面における脆弱性だ。

言霊による否定、あるいはネガ的言動は妖怪達に深刻な悪影響を及ぼし、その末路は自己の消滅へと繋がっている。

人間種からしてみれば、一時の軽率な発言が『ツケ』となり、回り回って自身を滅ぼすことになるとは、どうにも理解しがたいものがあるだろう。

しかして皮肉なことながら、長生の大妖であればあるほど、この傾向は顕著なものへとなってゆく。自分でさえ気付けぬ心の傷が、因果となって自身の死に繋がる。

これが誰にも分かる形で露見したのが、近代の訪れだ。

例えば、ベトナム戦争やウォーターゲート事件がアメリカの威信を打ち砕いたとするならば、妖怪たちの権威は科学の信奉者たちによって尽く粉砕された。

あめつちを切り裂く雷神は、科学的根拠とゆう名の『俗説』によって封殺され、送り火はプラズマ効果の元に死んだ。

妖怪たちには総じて信憑性なるものが付きまとうようになり、人間種は森羅万象に対する畏れを失くした。

この恐怖は想像に絶するものと言えるであろう。何せ、かつて恐怖のどん底に陥れた筈の被支配者たちに反逆されるわけでも抵抗されるわけでもなく、ただただ、『否定』される。

この事実は妖怪たちの威信を大いに失墜させ、彼らの精神は尽く破砕された。

これが全ての発端である。これが事の始まりである。

白か黒か。居るのか、居ないのか。――――果たして、『神隠し』なるものは実在するのか?

その全てにおいて否定されたという覆しようのない事実は、一種の大規模な言霊となりて、妖怪たちの精神を揺さぶった。

無論、強大な力を持ち、なおかつ歴史的根拠の根差す土地に住まう者たちが微動だにしなかったのも事実である。しかしてほとんどの者たちにとって、近代の襲来とは正しく銀の弾丸だ。

マスメディアによって大々的に行われた陳腐な首実験は、科学とゆう名のバックボーンを得てからというものの絶大な信頼を手にし、妖怪達は次々と死に追いやられる事となった。

結果、存在を否定された妖怪たちの大半はその時点で死滅し、残った者たちは秘境に落ち延び、あるいは『時』を待つべく眠りにつくこととなる。

この際、以前より眠りについていたものがごくわずかながら存在していた事は、種族全体にとっての僥倖と言えただろう。屈辱の時代を実感せずに、『この類を見ぬ全盛期《大召喚以後》』を生きることが出来るのだから、彼らの当時の選択は最良であったと言える。

ともかく、妖怪たちほど近代による打撃を受けた存在はいない。廃仏毀釈を乗り越えた釈迦は元より、そもそもが異界に住まい信奉者を囲う神々にとって、人間種全体に蔓延しはじめた概念なんぞがさほど苦痛に感じなかった事は確かであるからだ。

その後、脆弱な妖怪たちは延命を果たすべく、山間に身を潜めることとなる。

彼らにとって幸いであったのは、山岳信仰以来、山間は異界に通じるという考えがあり、それが近代になっても僅かながら残っていたことだ。

無論、それが手繰り寄せるにはあまりにもか細く、脆いイメージであった事は明白である。しかして、かねてより山間の長として君臨していた八雲・紫にとってしてみれば、その程度の問題は想定内であった。

須美津・義鷹と袂を分かって以来独自に作り上げていた國、すなわち幻想の都の素地たるものを総べていた彼女は、僅かながらに残った観念を手繰り寄せ、手を加える事となる。

その施されたものこそが、『幻と実体の結界』と、言わずと知れた『博麗大結界』である。

迷信という名の世迷い事を流布され、その勢力を著しく弱体化させることとなった妖怪たちをその地に呼び寄せ、更には科学が跳梁跋扈する世界との完全隔離を目指す。

近代から大召喚以前に至るまでの妖怪たちは、このような経緯をもってして生き延びることとなった。

しかして所詮はそれが、その場しのぎの代替案であったことは否めない。

『迷信』によってその精神がおとしめられた都合上、『真実』を知る幻想郷内の人間たちを一掃するわけにもいかず、幻想の地における人食い、妖怪のルーツは極端に歪められた。妖怪が人を襲い、人が妖怪を退治するとゆう社会的ルールはその土台からして抹消されたのである。

妖怪の弱体化は収まる所を知らなかった。狭められた領地で得られるのは総じて既知の事実であり、関心や好奇心は失せていく。それは即ち、生への渇望を失くすことにも繋がっている。

とまあ現代史において最も傾注すべき出来事と言える大召喚、それに付随した形で妖怪史を語るのもこのへんでお開きにしたいと思います。

所で、八雲何某が奈落に呑み込まれている間、時間が停止するわけでもねえわけで。当然、足洗邸の情勢も刻々と変化する次第でございまする。

一旦スキマの内部から視線を外してみれば、足洗邸の庭では件の春妖精がふわりふわりと旋回しなさっていた。

桜花びら舞い散る最中、彼女は優雅に飛ぶ。彼女はあらゆる事態から自由であると言えた。

所詮彼女はとあるA地点より呼び出されたに過ぎない。これから起こる事象も、結果も、その責任さえも、全ては召喚士に一任されている。

だからこそ、リリーホワイトは春に酔いしれていた。

 

「春春ッ、春~~♪」

 

妖精の歌声が響く。

今しがたの光景を覚えている方々にしてみれば、彼女の現状は驚嘆に値するのではないでしょうか。

なんせ語るのも恐ろしい話ですが、彼女の腹部は、ぽっかりと穴があいたままなのであります。

真赤な、まるでサザンカのように赤い飛沫が洞穴の周辺部を蹂躙している。

お気に入りの一張羅は血によって汚され、液体の染み込んだ衣服は、吸いこまれるようにして彼女の皮膚に喰いつく。彼女の腹部は、向こう側の世界を見通す窓となっていた。

にもかかわらず、彼女は飛ぶ。その楽天さに呼応し、花びらが舞い、飛び、そして再び空に落ちる。小人たちは、姫と共に乱舞する。

不意に、浮遊する花びらたちが、突如として規律のとれた動きをし始めたかと思うと、その矛先を春妖精へと向けた。

一筋の奔流となりて春妖精の腹部に突撃する花びらの群体。洞穴になだれこんだ彼らは、そのままそこに居座る事を決め、周辺部位との同化を開始した。

気付いた頃には、かつての大穴も、真赤なしぶきも、その形さえもが消え失せていた。僅かながらも過去の残滓を見つけようとするならば、その一部を円形にくり抜かれた衣服ぐらいであろうか。

特異とも言えるこの現象は、妖怪全般に共通するものだ。

例えば、風の妖精が痛風に悩まされたとするならば。心地の良い風が吹き上げる峡谷にお連れしましょう。

例えば、土の妖精がへん平足に悩まされたとするならば、良い土壌を錬成する田畑へとお連れしましょう。

さすれば万事解決、諸々の不具合は瞬く間に修復を見せ、歪んだ相貌は、心地よさを思い出す。それぞれの妖精縁の土地、物質は、いわば彼ら専用の応急処置である。同質の現象、物質、概念。彼彼女らが自身の起源をいっしょくたにして取り込むことは、肉体の欠損をパテ埋めしていると言って差し支えない。

さて、桜吹雪が対敵を打ち倒したとなれば、バロネスの進出は如実に現実味を帯び始める。『YOSHITAKA』がこの場に居らぬ以上、残りの雑多な住人たちをほふる事は、彼にしてみれば造作もないことであったからだ。

しかして、時間とはこれまた融通の効かない概念でありまして。

関所の一つとて存在しない時の奔流を前に、選択肢は狭められ、自然と優先事項が顔を出してくる。

春妖精へと向けられるのは、壮年特有の気だるさを伴った、バロネスの視線である。

彼の二足はその場で立ち止まっている。誰に憚る必要のない立場を勝ち得たにも関わらず、だ。

男の視線の先には遊覧する春妖精。彼女に付随する形で花弁が歌う。

二の足を踏むバロネスに向かって届いたのは、痺れを切らしたマイアー・フェルスターの声だ。

『お預け』をくらった犬が如く、マイアーは唇を尖らせる。

彼の足元の地面は、苛立ちの波風を受け、えぐれていた。

 

「なぁ、一つ聞いていいか?」

 

「あー?」

 

「何時までそこに突っ立てるつもりだよ? お前がやるっていうから、俺は観戦してんだぞ?」

 

「俺の計画に口出しする筋合いが、オメーにあるのか? ねェだろ? それじゃあ、ちょっと黙ってな――――分かってるだろうが、邪魔立てすれば、俺はお前を殺す」

 

二人の男の間には、絶対的な壁が存在している。不思議な事に、それは両者の共通の認識によって塗り固められたものだ。即ち、互いが互いを信用していない。見下している。

困ったことに両人が両人とも相手方を見下しているものだから、氷解の兆候は一向に訪れそうになかった。バロネスは遂に一瞥もくれずに、マイアーを一蹴する。

男二人の間に吹き荒れる冷戦などおかまいもせずに、春妖精は浮遊を続けていたが、彼女は突如としてバロネスの方に振り向くと、結論を迫った。

 

「つまり、春というわけですか?」

 

脈絡もなく決断を強いるものだから、大抵の人間はただただ呆然とするばかりであっただろうが、バロネスはインディ・ジョーンズハットを深めにかぶり直してから、

 

「いや、やっぱり此処は、夏だった」

 

「えええ!?」

 

慈悲もへったくれもないその言葉に、驚きと悲壮感で顔を濡らす春妖精。

途端に羽ばたきは萎えを覚え、彼女の生気は見る見る内に消え始めた。

その痴態を思う存分に味わってから、バロネスは再び声をかける。

 

「いや、最終的には春かもしれねェ」

 

「どっちなんですか!?」

 

ここで重要な事実を申し上げるのであれば――バロネスは決して少児性愛者ではない。

無論皆様方は重々承知でございましょうが、えてして誤解とは簡単に生まれ出でてしまうもの。ここできっぱりはっきり、ええそれはもう確実に否定しておきましょう。

さて、そうなってくると益々バロネスの行動には不可解な点が伴ってくる。

ともすれば珍事と言い換えても差し支えない程であるから、バロネスの事を額縁通りにしか知らないピジョル・大石なんぞは、未だに塞がれたままの口をもごもごと懸命に動かしながら、依頼の完了を催促していた。

最も、大石の苛立ちなどバロネスにしてみれば歯牙にかけるにも値しない。

たとえ一連の行動が非難された所で、勝利への筋書きを画策する時点では何の障害でもないからだ――――唯一障害になり得るのは、直接的な関与のみだ。マイアー・フェルスターの大型銃は、安全装置を外されている。

男には全てが分かっていた。マイアーと大石は前提から間違っていた。

バロネスの視線が、数歩先の地面を射抜く。今となっては平然としているものの、たった数分前、そこには異界への扉が開いていた。

午後八時の『生首に血だらけの骨《ローヘッド・アンド・ブラディー・ボーンズ》』。泥砂の募る自己領域ごと彼を召喚した結果、八雲・紫はあっけなく地面へと呑みこまれた。

しかし、赤子の手を捻るが如く異界への門を開く事が可能であるバケモノが、あの程度の排出で破れるわけがないのだ。

戦闘に当たるにあたって、最も必要なのは観察と対処であり、最も廃絶するべきなのは慢心である。

バロネス・オルツィは微塵の油断をも持ち合わせていなかったし、そもそも、八雲・紫を異界へと叩きこんだ事でさえ、一つの段階に過ぎなかった。

既に発動している時計《媒体》に加え、懐から取り出した長方形の時計盤が光を放

ちだす。

 

「午後三時の『悪戯好きのわんぱく者《ナーティ・ウィキッド・ローグ》』」

 

さて、彼を指すものとして二、三度召喚士という言葉を用いましたが、何も彼と被召喚者との間に絶対的な上下関係があるわけではなく、長ったらしい契約書類が両者の間で介在しているわけでもありませぬ。

そも、召喚魔法といえばRPGにおける王道的技術ではありますが、実の所その実用性は乏しく、その場その場に限られた詠唱で逐一召喚を行うとゆうのは、即効性の面においても不便さが目立つ。

何せ、プログラミング化された世界において絶大な威力を発揮する存在とは違い、現実世界での被召喚者は確固とした自己を持っている。

召喚士の目的に対し、召喚された者たちが素直に話を聞いてくれるとは限らず、一度限りとなる交渉、再契約は必須のものとなってくる。

この際無防備に晒される召喚士を前に、対敵が悠長に構えている筈もなく、どれだけ技術が兼ね備わっていようと召喚魔法に致命的弱点が備わっているという事実はどうにも否めない。

そこで、召喚魔法の研究に着手し、かねてよりこの弱点を把握していたバロネスが最終的に思い立ったのは、『物体転移魔法』である。

A地点からB地点へ。つまりAの魔法陣内に置いた物をBの魔法陣内へと転移させる術。

通常召喚の場合は逐一の交渉と再契約が必須となってくるが、バロネスの考え付いたこの方法では交渉と契約が履行済みの召喚対象を、とある地点へと転移させるだけで済むこととなる。

この際、召喚対象側にも魔法陣を置く事により確実な実体化が可能となっているのも、バロネス・オルツィの天才的発想ならではといえるであろう。

次に召喚の対象になる存在の選定も重要だ。

魔界の住人にはクセ者が多い事もあり、より現実世界に近く、人間に近い存在である妖精種を対象にし、各地の伝承を頼りに旅をし、彼は各国に交渉に赴いた。

当然、各魔物によって様々な交渉法が必要になってくるが、そこは人間の知恵と話術で言いくるめる事となった。その後、召喚対象側にAの魔法陣を描き、来てほしい時間帯を伝えるのである。

なお、ごく一般に召喚呪文と呼ばれている二、三小節の言葉の連続は、俗的にTELと言い換える事も可能である。呪文の中に住む場所や、どういった輩であるのか、何をして欲しいのかを入れておけば呼ばれている側にとっても分かりやすい。

ここで『眠れる春の少女』、個体名リリーホワイトを例としてあげやしょう。春と共に生き、春の来訪を告げる事を生きがいとしている彼女には、召喚に応じる度、『場』を提供する事となっている。これが契約だ。

またリリーホワイトの場合、召喚後ある程度の間『場』に滞在させることも必要となってくる。これこそが、バロネスが悠長に構えている理由である。

『場』ともども彼女を満喫させる事は次なる召喚時への布石であり、手順を違えれば、彼女の機嫌を損ないかねない。

両者の関係は常に対等であった。バロネスは彼らの欲するものを用意し、その代わりに妖精たちは力を奮う。召喚呪文によって呼び出す際、居留守や断られたりする可能性もあるわけだから、バロネスの召喚魔法にとって最も重要な事実は、いかに召喚対象の機嫌をとるかであった。

とはいえ、バロネス側にある程度の含みがなかったわけでもない。

二十四個の時計で身を包み、その針を一刻ごとにずらし、何時であろうと指定の妖精を呼び出せるようにする。詰まる所詐欺行為であるわけだが、ごく一部の聡い者を除いてその事実には気付くこともなく、ある点においてバロネスの良いだしに使われている。

さて、傾聴して下さった方々には真に申し訳ないのだが、実の所、『悪戯好きのわんぱく者《ナーティ・ウィキッド・ローグ》』を召喚するにあたって、長々と前述した話の大部分は、ほとんど関係ない。

重要なのは、実質的にはバロネスの召喚魔術が、物体転移魔法の体を成していることである。

詰まる所、召喚対象側にA魔法陣が存在し、なおかつ召喚呪文によって魔法陣が解放状態になるという事は、そこに意図があろうがなかろうと、転移可能状態になっている魔法陣に何某が立ち入った場合、B魔法陣の場所へと強制的に飛ばされる事になるのだ。

これは世に数ある召喚魔法におきましてもかなり異質な例であり、バロネスと妖精種との間に明確な契約が行われていない事が起因している。『鉄枷ジャック』がいい例であろう。

上記の事からも分かるように、バロネスの召喚魔法は少なからずいい加減な部分を内包しており、『悪戯好きのわんぱく者《ナーティ・ウィキッド・ローグ》』はその性質における利便性を抽出したような存在だ。

即ち、『ある特定の場所に住まう、似通った性質を持つ妖精たちを、一つの呪文によって同時に展開する』。

この荒唐無稽かつ非現実的な計画は意外な事に成果を見せ、この度におきましても、足洗邸には三人からなる妖精軍団が召喚されることとなる。

彼女らは順に、サニーミルク、スターサファイア、ルナチャイルドと名乗った。

 

「私は、貴方が下剤入りのケーキを食べる事を要求するわ」

 

一人目は語る。朗らかな笑みを携えた少女だ。赤を基調とした服装で、黄金色の髪が揺れるたびに、その融和の高さが自然と目に見えてくる。

彼女は着の身着のままでお茶会から抜け出してきたようないでたちであった。事実、彼女の両手は大切そうに、一切れのケーキが載った皿を握っている。

 

「私は、貴方がこのハバネロを食べることを望むわ」

 

二人目は語る。深い青色の衣装が映える、黒髪のロングの少女だ。

先の妖精と同じく、幼さの残る顔立ちであるというのに、その手に握られた果実は凶悪な攻撃色を振りまいている。

 

「私は、貴方とのお茶会を希望するわ。御コーヒーでね」

 

三人目は語る。非凡なロールヘアをふわりとたなびかせる少女だ。

どことなく嗜虐心を覗かせる笑みを浮かべているものの、先の二人に比べてみればその要求は微々たるものと言えた。

さて、三者三様の要求に対し、バロネスの対応は酷とゆうものである。

三人の注意を反らしている間に、先ず彼はケーキをひったくり彼方へと投げ込む。次いで真赤な果実を受け取ると、これもまた一瞬の隙を狙い、春妖精の口に押し込む。

ここまでくれば、最後の要求がその道半ばで頓挫する事は目に見えている。

 

「茶受けがなくなっちまったからな」

 

「んー、それは貴方が悪いんじゃないの? やや、サニーが悪いのかしら?」

 

「そんな事どうでもいいのよルナ! さて、私たちの悪戯を容易く乗り越えた教授殿! 御用は何かしら!」

 

三妖精との悶着を含みで、八雲・紫の一時退場には理由があった。

悪戯を先に済ませた上でとゆう契約条件であるから、彼女らを召喚する際には若干の猶予期間が必要となってくる。このため、戦闘中に彼女たちを召喚することはなかなかにリスキーだ。またこれは、バロネス・オルツィと契約中の『無表情なトム《トム・ポーカー》』、『超自然の妖術使い《グルガアッハ》』にも言えることでもある。

 

「いつも通りだ、サニーミルク。この意味分かるか?」

 

「OK! 心得た!」

 

閑話休題。ところで。

舞い散る桜の花びらはとどまる所を知らず、春をなぞらえた邸庭からは、冬景色の一欠片に至るまでが廃絶されている。

足洗邸の面々は、錯綜する季節を思い思いに楽しんでいた。

味気のない煎餅を啄みながら、味野・娯楽は無味無臭の液体を啜る。

男の視線の先には竜造寺・こまがいた。彼女こそが味野に液体を持ってきた人物でもある。これがまた朗らかな笑みを浮かべているものだから、五感に支障を抱えているにも関わらず、彼はその御茶を美味いと感じていた。

これに応じるようにして望月・玉兎、笠森・仙までもが、喉に伝わる熱を楽しみながら、渋みの効いたお茶を嗜む。

メディスン・メランコリーといえば、その光景に対し指をくわえ、ともすれば歯軋りをして見守っていた。

 

「熱いのは嫌いよ」

 

「麦茶もあるニャ」

 

「こまの麦茶は美味しいわ!」

 

和気あいあいとした団欒の最中、晴れ渡らない顔をしているのが田村・福太郎とマサライだ。

彼らの視線はバロネスに向けられている。

 

「福ちゃんもお茶飲むニャ?」

 

「あ、これはどうも…………ってちゃうちゃう。ちゃうねん」

 

「?」

 

「やー、そんな顔されても、な」

 

はてな、とさも不思議そうに首を傾げるこま。まるでバロネスとは違う世界に立っているかのようだ。

見知った管理人と視線が交差する間も、福太郎の意識はちらりちらりと外界へ。

こまと福太郎には齟齬が見受けられた。それは即ち、八雲・紫の理解度へと繋がっている。

福太郎の意識は両者に割かれていたため、彼は玉兎の声に反応するのが一瞬遅れてしまった。

 

「紫の事なら心配ないわよ。あのぐらいで死ぬタマじゃないし」

 

「そりゃー長い付き合いの玉兎サンからしてみればそーなんやろうけど……」

 

「言っとくけど、私の方が若いからね」

 

「傍目から見ると大して変わらんけどな」

 

「あぁ!?」

 

半眼で睨む玉兎をいなしつつも、しかし福太郎の思考が明瞭さを得る事はなかった。実際、彼女はこの場にいない。消失という事実のみが確立している。

枯れ草の端々に至るまで生気が満ち溢れているというのに、福太郎の視線は死を伴っていた。

彼女が呑みこまれた場所は、今となっては平然と草木が生い茂っているものの、未だに死の陰が漂っているかのように感じる。福太郎の視線は、次第にそこへと傾倒されていった。

こまの呼びかけに福太郎が気付いたのは、彼女が不安そうに眉を下げ始めた頃だ。お盆にのった陶器から昇る湯気が寂しげに漂う。笑みを取りつくろった福太郎が失態を犯したのは当然の結果と言えた。

慌てて手に取った湯呑みからは、必然的に熱湯が跳ね上がり、彼の指を突き刺す事となる。

ゆったりとした動作で地面へと落ちていく湯呑みが印象的であった。

 

「あつっ」

 

「大丈夫ニャ!?」

 

指を咥えた福太郎に、こまの心配そうな声が飛ぶ。それに釣られるようにして、邸住人の各々が福太郎へと視線を向かわせる。

下手くそな笑みを再度浮かべて首を振った福太郎は、次いで違和感を得た。足元の指指は、熱を感じ取ることもなく平然と立ち尽くしている。そもそも、前提からして間違っている。

地へと落ちていった筈の湯呑みは幾度探せど、どこにも見当たらない。

 

「お気をつけて、田村さん」

 

下へ下へと傾倒していった視線が、不意に届いた声によって再浮上する。

声の主は悠然として、部屋中央のソファに居座っていた。八雲・紫である。彼女の手には、先ほど別離を果たした筈の湯呑みが握られている。

呑み口を傾けた彼女は、渋みの効いた液体に喉を鳴らした。

 

「あら美味しい」

 

彼女は随分と様変わりした姿で、邸住人たちの前に再度現れた。

見知った一張羅とは打って変わって、青を基調とした和服を着ている。

お馴染みの帽子までもが払拭されているものだから、その神出鬼没さも相まって、福太郎は声をかけることに躊躇いを覚えた。僅か一年にも満たない付き合いも起因しているかもしれない。

彼の躊躇を踏み越える形で、玉兎が口を開く。

 

「大丈夫?」

 

「ええ、それなりに」

 

「ふーん? で、次はどうすんの? アイツ、けっこー」

 

そこで玉兎は一旦言葉を止めた。湯呑みから伝わる熱気が、不意に途絶する。視界が狭くなってゆく。感覚が冷たくなっていく。

玉兎は、全ての感覚が一点へと統一されてゆく気がした。彼女の視線は、八雲・紫にのみ注がれている。

突如として、彼女は正に薄氷を踏むかのような面持ちで臨むことになっていた。無論、その原因は八雲・紫である。

彼女はその表面こそ平然を維持しているものの、その裏側には煮えたぎるような怒気が募っていたのだ。自然とその事実に気付いてしまった玉兎は、言葉を区切らざるをえない。

しばらくして我に返った彼女は、がしがしと頭を掻きながら、乱暴な言葉遣いで、

 

「あーもう…………言いだしっぺなんだから、ちゃんとしてよね!」

 

「それはもう。言われるまでもないわ」

 

確かな足取りで、八雲・紫は邸住人たちを通り過ぎていく。彼女の耳は、正常に働いていない。彼女の意識が、他に視線を向けることを阻害している。こまの呼びかけは空しく響くだけだ。

さしもの福太郎であっても彼女の異変には気付いていたが、その違和感を払拭させ得る言霊が易々と浮かぶ筈もなく、その背中を見送るに終わってしまった。

そんな中ただ一人、考えなしの、無垢で無邪気な人形が紫に歩み寄る。

あんまりにも突拍子な行動であったものだから、訳知り顔の玉兎は眼を見開くばかりで、言葉の一つ発せやしない。

 

「紫っ」

 

「何?」

 

「せっかくだからね。貴方にもこま印の麦茶をあげる! どう? 嬉しい?」

 

ある意味で、メディスンは春妖精と同じような立場であると言えた。彼女は孤立している。

それは、自我が確立されたといってもメディスンの精神年齢は十にも満たないからであった。

故に、彼女に物語の背景を追えだとか、場の空気を読めだとかいう無理難題を送り付けた所で意味は成さない。メディスンの視界に、紫の纏う圧倒的な怒気が見える筈もなかった。

これに肝を冷やしたのが玉兎だ。

感情の表露を滅多に表沙汰にしない紫が、福太郎にまで悟られるほど、無様に箍を外している。怒りを放出している。

そんな中、メディスンは諸々の事情に一切視線を向けず、あまつさえ火中へと着の身着のままで特攻したものだから、玉兎の意識には惨状が浮かび上がっていた。大妖怪のかいなが奮いたてば、脆弱な人形は一瞬にして骸に帰す。

しかして、玉兎の予想は大きく外れる事となる。紫が笑う。

 

「どうかしたの?」

 

「いえ。なんだか気が抜けてしまったわ。それ、いただける?」

 

「勿論よ!」

 

鏡に映し出された自己に、内省を促されるようなものであった。

人形の瞳はどこまでも透き通っていて、そもそも、邸を包む異変にさえ気付いていないのだ。そんな瞳に見据えられたものだから、紫は一人上気していくのが馬鹿らしくなってしまっていた。

知ったかぶった顔を覗かせるメディスンに、呆れた風で玉兎がごちる。

 

「……アンタって、意外と大物かもね」

 

「それほどでもないけどね」

 

「褒めてないっての」

 

さて、バロネスをほったらかしまして。

手渡された麦茶を飲みほした紫は、ここでお一つ背伸びをなさる。

 

「さて、どうしようかしら」

 

冷静さを取り戻した所で、八雲・紫は現状を再確認した。

まず、増えた不逞の輩。三人。巡行する花弁。平然とした春妖精。

バロネス・オルツィは、泰然としてそこに立つ。

バロネスの諫言は効力を発揮しているようで、観客方が手を出してくる様子はない。少なくとも、男の指は引き金に掛かりっぱなしであるが。

ここで珍しく、紫が他人の意見を請う。先ず白羽の矢で穿たれたのは玉兎だ。

 

「玉兎。貴方なら、どうするのかしら?」

 

「いきなり何なのよ」

 

それはもう平時におきましては滅多に起きない事でございましたから、不意を突かれた形となった玉兎は、思わず聞き返す。

すると紫は、若干粗暴な物言いにも決して苛立ちを見せず、あくまで優雅な笑みを携えながら返答を促した。

 

「別に。ただのきまぐれよ。そうね、義鷹ならって条件でどうかしら」

 

「義鷹で? そりゃあー、完勝じゃない?」

 

「それじゃあ、次にお仙ちゃん」

 

続いて、その視線は笠森・仙へ。

お仙といえば、その視線を驚きと共に迎えていた。当然の反応だ。そも、前提条件からして彼女は躓いている。

指を唇にあてがいながら、彼女はどことなく不満そうに呟く。その視線はあらぬ方向へ。

 

「私? うーん、そもそもお外に出られないしー?」

 

「それもそうね。それじゃあ、メディスン」

 

次いで、その質問はメディスンへと向けられる。

この時点で、人形を除く住人たちには、ある共通の感情が芽生えつつあった。味野・娯楽なんぞは、苛立ちを募らせて鼻を鳴らしている。

要するに、紫は相手側に答えを求めているわけではなかった。それは、年端もいかないわらしべに問いかけている時点で明らかである。

大方の予想通り、メディスンの返答は単純明快を地で行っており意味を成さない。

 

「勿論、殺すわよ」

 

「あら可愛らしい」

 

メディスンの頭部に置かれた手が、優しげな動作で撫でつける。それは紫の感情の表露ともいえた。

次いで、またもや彼女の視線が住人たちをまさぐる。

そこに不快さを感じ取った味野がそそくさと退散する中、マサライ、こまへと揺れ動いた彼女の視線は、最終的に田村・福太郎へと行き着いた。

そこで、しばらくの沈黙。悩ましげに口を蔽い隠し、同様の質問を何時何時投げかけようかと彼女が思案するその時間は同時に、福太郎に苦笑いを象らせていた。

 

「それじゃあ――――そうね、田村さんなら、どうする?」

 

「……そうですね、まあ、餅は餅屋にって所ですかね。他力本願って言われたらそこまでなんやけど」

 

「あらあら、そう悲観する必要もうないですわ」

 

意外な評価に福太郎の戸惑いは増すばかりだが、実際の所、人間種田村・福太郎に出来る事は何一つないのだ。手段を持ち得ていないという点では、笠森・仙やメディスン・メランコリーと似た立場なのかもしれない。

 

「あ、その際、『らしさ』を要求するってんでどないでしょう?」

 

どうにも不明瞭なその物言いに、紫の眉尻がぴくりと持ちあがる。

 

「らしさ?」

 

「そう、らしさ。義鷹なら、義鷹らしさ。紫サンなら、紫サンらしさ。その状況を打開するのに、最もその人らしい、らしさを要求する」

 

「人任せもここまでくるといっそ清々しいわね。それじゃあ、田村さんは私に、どんな『らしさ』を要求しているのかしら?」

 

「いやいや、そんな具体的なもんやないですよ。それこそ勝手な想像、勝手な押し

付けに過ぎない訳ですし。紫サンが何をしようと、紫サンの自由やないですか」

 

さて、この田村・福太郎なる人間種。雑多で煩雑、その数だけが取り柄の種族にしては珍しく、聡い発言をしてみせる時があります。

普段はとぼけた表情をしている方が多い物だから、時折姿を見せる彼の真意は、住人たちの度肝を抜く事もあるほどでして。

しかして今宵に限っては、紫に向けられた彼の発言に、何かしらの意図があるわけではなかった。そも、深謀遠慮著しい八雲・紫が虚を突かれるという事態、滅多にないことだ。

検討するに、普段おっ被り続けている飲んだくれとゆう名の仮面が剥がれおちている今だからこそ、その何てことのない一言が彼女に届いたのであろう。

八雲・紫が笑う。それこそ、狂ったように。

 

「ふ――ふふ、ふふふふふ」

 

「紫さん?」

 

「ふふふ、ふふふふ。げほ、げほげほ、ごまぢゃん、お水もらえる?」

 

「はいニャ」

 

福太郎の声が契機となった。

今更のように道化を演じはじめた紫が、咳こみながらもこまに飲み物を催促する。

予定調和の失態も忘れていなかったようで、彼女は当然の如く口に含んだそれを噴き出した。

 

「ぶふっ」

 

「あのー…………紫さん? ダイジョーブですか?」

 

「ええ、もう大丈夫。不意を突かれたから思わず、ね。ふふふ、それにしても自由、自由ね。面白い事を言うのね、貴方。ふふ、ふふふ」

 

「……そんなに面白かったスか?」

 

「ええ、それはもう。十二分に。ふふふ」

 

彼女の、人が変わったかのような笑みが印象的であった。

これに困ったような視線を向けたのは福太郎だ。一端を担っているというのに、根本的な原因には手が届かない。

ついと両隣に目を向けるも、人のよさそうな笑みを浮かべているこまと、これまた目を驚きに固めている玉兎にぶつけるばかり。

両手の花の手助けが望めないともなれば、彼は再び視線を紫に戻す事となる。

その眼差しを、紫は優しげな笑みで迎えた。

 

「それじゃあ、一つ見せてあげようかしら。貴方の勝手な想像を大きく飛び越えた、私の自由を。貴方の見た事のない、私らしさを」

 

彼女からは、既存の感情が刈り取られていた。即ち、バロネスへの怒りと、メディスンが促した自省の二つである。

今そこから伺えるのは、まるでうら若い少女のような純粋さに他ならない。対処への苦慮を住民たちへの置き土産にして、彼女は再度バロネスの前に立つ。

第一声は、男への謝罪から始まった。

 

「待たせたわね」

 

無論、バロネスが待機の姿勢を貫いていたのは、彼自身の個人的理由に拠る。『YUKARI』に匹敵する度合いで、足洗邸そのものに対する情報量が不足している事もその一端を担っているだろう。

男の視線が、紫を貫く。女は、その視線を泰然として受け止めた。

 

「あー……大したモンだなァ。俺の目が確かであれば、それこそ無数の傷跡が残っていた筈なんだが。ホント、人間様にゃ――到底真似できね――――イカレタ再生能力だ」

 

「ふふふ、おあいにく様。残念だけど、『内』にも『外』にも、もう残っていないわ」

 

嵐の前の静けさ。

両者の語り合いを表するに、これほど的を射ている表現もない。

片や、笑みを絶やさぬ女と。

片や、鋭い眼光をもって睨みつける男。

それからしばし沈黙の時を得た彼らであったが、遂にバロネスが口を開く。

 

「あー…………それじゃあ、これが最後になるだろうから、もう一回だけ聞かせてくれよ、ティンダロスガール」

 

男は視線で、一指で、そして足先でそれを指し示す。

男の傾注は全て己の足元へと向いていた。何ら変哲もない、しかしそれでいて、幾度となく異界とのパイプライン代わりとなった場所だ。

男の意図は一つしかなかった。それは当然の疑惑であり、当然の帰結でもある。

 

「何故、お前は『スキマ《それ》』を開かない?」

 

どこからともなく響き渡る針の音。

どれだけ場が騒然としようとも、どれだけ場が乱痴気騒ぎに陥ろうとも。その音は響いている。

バロネスの物言いは尤もであった。スキマの利便性は一目見れば、すぐにでもその異常性を把握出来る。ともすれば、神と称される存在に匹敵するほどの馬鹿げた、あらゆる状況に対して都合よく話を進める事の出来る能力だ。

だからこそ、分からない。不明のままでその疑問が残り続ける。

脈々と続く針の音に重なるようにして、紫は答えを返した。

 

「最後になるだろうから教えてあげる、タイムウォッチャー」

 

五指を握りこむ紫。再び開かれた時、手の平には五百円玉硬貨が載せられている。

バロネスの視線がその一点に向かう只中にあって、彼女はそれを人差し指と親指を持ってして折り曲げて見せる。

 

「あー…………貨幣損傷等取締法で死刑」

 

「あらあら、ノリが悪いんだから」

 

バロネスが皮肉を返す暇は存在しなかった。

空気を切り裂き彼の耳筋を掠める様にして、紫の指先から放たれた硬貨が飛来したのである。

一瞬硬直した身体が振り向いた先には、顔面をえぐられた鳳山時計が存在する。

 

「人間と妖怪の間には大きな差があるわ。貴方は、目が悪く、動きが悪く、鼻が悪く、耳が悪い。口は――まあ、及第点かしらね」

 

再度呟かれた紫の言葉を皮きりに、妖精たちとバロネスは臨戦態勢に移行する。

 

「所詮は芸舞なのよ。貴方と私との。だから、弱くて儚い貴方の為に――否、私の為に。手加減を施すのは、当然の流れでしょう?」

 

それが真意であれ何であれ、バロネスの激昂を導いたのは確かであった。

 

「あ~~~~~~! いるよ―――――なァ。こーゆう、どこまでも人を舐め腐る輩ってのは、よ」

 

「しょうがないわ、だって、性分だもの」

 

「だったら、もう一度お前をひざまづかせてやるよ。オレがやるよ。オレがコイツをこの世の時間軸から消し去ってやるよ」

 

機能面での問題は零であった。その事が、バロネスの言葉を勢いづかせる。

遂に、第二幕の幕が上がった。

 

「午前十時の『黒い犬《モーザ・ドゥーグ》』!」

 

腰に巻かれた時計から、巨躯の犬が現れ出でる。

毛むくじゃらの化け物に声援が掛かったのは、その時だった。

 

「サニー、ルナ」

 

男の号令が妖精たちに伝わる。

三妖精が一人、サニーミルクの能力は光の屈折率を操るものだ。街灯と、月と、その他諸々の光線が織りなす世界を恣意的に手繰り、特定の一帯への光線反射を遮断する。

三妖精が一人、ルナチャイルドは場にある特定の音を取り除く事が出来る。

必然的に場に名乗りを上げる事となる、黒犬の踏み込み、駆動、鼻息、その息遣いに至るまで、その妖精が生みだすあらゆる音を取り除いた。

出番のないルビーサファイアが寂しげに囃したてる中、不可視の状態となった犬が走る。

その姿はどこにも見えず、当然、その両顎を紫が回避する事は出来ない。

そそり立つ大牙が、彼女の肉体を貫く。

 

「捕まえた」

 

紫が呟く。

無論、『黒い犬《モーザ・ドゥーグ》』の存在は、彼女の眼からは、衆目から眼からも立証のしようがない。視覚から零れ落ち、更には聴覚をも欺いた妖精の姿は、この世のどこにも存在しない。

しかし、八雲・紫だけは違った。彼女だけが、この場の異端であった。その肉体が、確かな痛みと共に黒犬の存在を認識している。

彼女だけが捉えていた。その音を。その視線を。腸を切り裂かんと大きく開かれた犬の口も。殺気を伴った犬の吐息も。

空想上の顎へと手を伸ばせば、そこには確かな質量を感じ取れる。黒犬が危機を察知した所で、もはや何もかもが遅い。

彼女はそのまま力任せに引き裂くと、透明な赤を全身に浴びた。

 

「なっ……」

 

放たれた妖精の死を、召喚士がようやく知覚したのもその時であった。

それまでは知覚外で行われていた紫と黒犬の戦いは途端に現実を侵略し、その証左をバロネスへと届ける。被契約者の一時的な死は、男の腰に巻かれた時計を粉々に叩き割った。

だが、認識を超える事態が起こったからといって、バロネスの動きが止まることはない。

左腹横部に装着された時計が、光をともす。

 

「午前九時の! 『水に棲む馬《カーヴァル・ウシュタ》』!」

 

身体の節々に魚のようなヒレをつけた馬が召喚に導かれる。もはや妖精への号令は必要ない。姿を消し、その痕跡までもを抹消された怪馬が再度紫へと向けられる。

彼女に向かって、激突する怪馬。だが女は、倒れ伏しはしなかった。

額を打ち付ける怪馬の足をネジ切り、空想上の喉を引き裂く。

肉を切らせて骨を断った動きと時計の崩壊が、バロネスを思わず後ずさりさせていた。

 

「懐かしいわね」

 

あっという間に二兵を抹殺してみせた紫が、一人呟く。

彼女がここまで見せた動きは、以前と比べてみればスマートさに欠けるものだ。知性の欠片も存在せず、また彼女自身が持つ能力の一端さえも垣間見せない。

どこまでも泥臭い戦い方だ。しかし、彼女はそこにある種の満足感を得ていた。

 

「何の責務もなく、何の束縛もなく、何の力もなく、ただただ一個の妖怪として。貪り、啜り、這い、闘い、生き、そして喰らう」

 

彼女の胸中に去来するは、懐かしき日々だ。

妖怪としての牙を持ち、妖怪としての爪を持ち、妖怪の根源に従い、人を喰らう。

歴史もなく、今のような力もなく、地位もなく、泥水を啜り、ただただ生きていた、そんな時代が確かに彼女にもあったのだ。

そして、その時代、彼女は間違いなく自由であった。

幻想郷に君臨していた頃よりも遥か昔、スキマを手繰るようになったよりも、もっと昔。

いつの間にか忘却の彼方に忘れ去られ、彼女自身見せなくなっていった振る舞い。

有り余る力を無遠慮に使い、自我の赴くままにそれを奮う。

不意に、紫が笑みを作る。

ぎらぎらと輝く、獣のような歯が垣間見えた。

 

「ふふふふふ。笑いなさいな、タイムウォッチャー。自由な私が、貴方に有利な『場』を何時までも残しておくと思う?」

 

真赤に濡れたバケモノがバロネスに歩み寄る。

紫は当初より、『場』に仕掛けられたからくりに勘付いていた。

無作為な私刑を装ってはいたものの、男の宣言と共にころころとその位置を変える大型の針。それが発する違和感を彼女が見逃す筈がなかった。

鳳山時計。番付十四位のなれの果て。但しこの場に限っては、それは単なる置物というわけではない。

時計塔に課された役目は、召喚呪文を短縮するための結界を張る要石であった。大型時計との連動による革命的な時間短縮は、戦闘における不可避のタイムロスの更なる削減を可能にする。この発見があってからというものの、バロネスの戦歴はますます輝かしいものになりつつある。

とはいえ今回ばかりは、対戦相手との相性は最悪と呼べるものであった。時計塔との連動という事実はなるたけ察知されない事が前提条件になってくるわけだが――――元より境界を統べる八雲・紫に露見しないというのは、万に一つもないことだったからである。

ここまでは、彼女が鳳山時計に手をだすという事はなかった。しかし、ただ今からは、先の硬貨に見る通り、バロネスのアドバンテージは決して保障されていない。

紫が、跳ぶ。楽しげに。

 

「リリー!」

 

「ひゃ、ひゃるでしゅよ!?」

 

唇を真赤に染め上げた妖精が立ちはだかる。

花びらが収束するよりも先に接近を果たした紫に、春妖精は正々堂々と肉弾戦を申し込んだ。

殺到する膝蹴りに、交差する妖精の腕。いとも簡単に防御を崩すと、紫はその顔面に拳を叩きこむ。

吹っ飛ばされた幼駆は、鎮座する時計塔へ。

再度跳躍を果たした紫は、手持無沙汰そうにそっぽを向いていたスターサファイアの喉元を掴みこみ、バロネスに向かって投擲した。

寸での所で回避行動に移るバロネス。そこを通り過ぎたスターサファイアは二、三度地面を跳ねると、その勢いで観客席へと向かっていった。

 

「さあ、人間。時間をあげる。蛇には酒。吸血鬼には杭。口裂け女にはポマード。さて、私を退治するには何が必要なのかしら?」

 

此処に来てパッシブな所作を取りやめた紫は、誰の目にも分かる形で、自主性に輝いていた。

例えば、彼女は子飼いの式神を放つ事が出来る。例えば、彼女は今までのようにスキマを開き、収納物を手繰る事が出来る。

しかして、今の彼女がそれらを策として披露するとはとても思えない。

彼女はあくまで、自分の手で、自分の牙で、自分の爪をもってしてバロネスと対峙する腹積もりなのであった。

このようなアクティブな意図を覗かせるのは殊のほか珍しい事であったので、長らくの知己の方々でさえも固唾を呑んで彼女の事を見守っている。

さて、沈黙に最初に耐え切れなくなったのは、やはりと言うべきか福太郎であった。

 

「えーっと…………玉兎サン?」

 

「私に聞かれたって分かんないわよ。あんなに派手に動き回ってる紫、初めて見るし。まぁ――? 全面的に福太郎が原因だって事は分かるけど――?」

 

「んー、手厳しいなぁ。なんや含みがあって喋ったつもりはなかったんやけど……」

 

「そう深く考え込む必要はないわよ」

 

「どわぁ!? 紫さん、何やっとるんですか!?」

 

福太郎が驚くのも無理はない。

小さなスキマが目と鼻先にあるだけならまだしも、そこから唇だけがひょっこり顔を出しているのだ。もしやと一歩下がってみれば、障子宜しく耳までもが出場亀をしているのを見つけてしまう。

そこらの怪談話の種の一つや二つになってしまいそうな光景に、遅れて悲鳴を上げたのが笠森・仙だ。

 

「いやああああああ! 餓眠様の亜種!?」

 

「あんなのと同じにしないで欲しいわ」

 

「妖怪からしてみると、どうにも食指が伸びないのよねあの漫画」

 

無論、小休止の間、紫がバロネスの事を放っておく訳はない。

片側の耳と口以外は依然として男の方を向いており、戦力の半減したバロネスを油断のない瞳で見つめている。

彼女の瞳に映っているのは、全壊を遂げた鳳山時計、大石と激突を果たした妖精、未だ権勢を誇る二体の妖精だ。

彼女は思う存分にこの現状を愉しんでいた。

興奮。久方ぶりの感情である。足洗邸に押し込められ、早十数年。

こまとのふれあいでも、義鷹たちとの再会の際であっても覚えなかった感情に、彼女は一身を任せている。

唇が流暢な動きを見せる。

 

「どう? 貴方の想像上の私は、こんな動きをかつてしてみせた?」

 

「あー……完敗ですね、はい」

 

「それは重畳」

 

その言葉を最後に、スキマが消失する。バロネスの前に、再度前進する脅威が現れる。

「さあ、時間は十二分に与えた筈よ。私が襲い、そして勝つか。貴方が私を退治し、そして勝つのか。そろそろ終幕に入りましょうか」

三。

バロネスは意図的に後ずさりを行っていた。胸中を席巻するのは、焦りである。

戦力の減退は彼の計画を狂わせつつあった。情報不足であった点も否めないが、最も予想外であったのは紫の視野だ。

鳳山時計に課されていた役目は何も呪文短縮ばかりではない。無意識下に働きかけられる時計の音がある種の催眠状態を形成し、対敵の思考を鈍らせるという兼ね合いもあった。

二。

その目論見はもはやご破算である。

あと数秒もすれば、全身を躍動させるバケモノがバロネスに襲いかかる。いづれの対抗手段も講じ得なかった場合、そこには敗退の二文字がひっそりと忍びよってくる。

一。

紫と言えば、意外な事にその心中はバロネスへの感謝で一杯であった。

無為に終わっていたこれまでの日々が、一瞬で塗り替えられたような、そんな感動さえも覚えているほどだ。

だからこそ、全力で終わらせる。それがたむけとなるならば。

零。

立ち昇る光の壁が彼女の視界に入る。

 

「―――あれは」

 

視界の奥、バロネスらを飛び越えた先。

足洗邸の在る位置から遠く離れた場所を発端として、天にもとどかんばかりの光の壁がそそり立つ。

しかし、光の壁というのは所詮部外者らによる下馬評に過ぎない。

光の震源地における当事者は、三名。須美津・義鷹と射命丸・文。そして辻斬り。

辻斬りの刀身は光を帯び、これでもかと刀身を肥え太らせる。

圧倒的な光量を持って対敵を押しつぶすその一撃の名を――かつて誰かが、成仏得脱斬と名付けた。

あまたの視線を寄せ付ける多大な光量に釣られて、不思議な事が起こったのはその時だ。

この土壇場になって、八雲・紫がその動きを完全に止めたのである。

その視線は固定され、まるで身体から魂が抜けでたような、そんな雰囲気を漂わせる。

女の奇怪な行動を発端として船出するは、とある仮面男だ。ふがいない時計男に変わって、マイアー・フェルスター、『十二本の毒矢《アーチャー》』が名乗りをあげる。

 

「哀れだゼ子羊! 二人合わせてアーメン風にしてやるッ!」

 

男が構えたのは、河童印の大型銃だ。男の叫びに呼応してその機構を変化させ、格納されていた砲門が二、三その姿を現す。

十年分のローンを力に変えて、収束されていたエネルギーが発射される。

 

「シュート! シュートシュート! シュゥゥゥゥゥゥゥゥトォォォォォ!」

 

断続的に放たれたエネルギー弾が狙うのは何も個人ばかりではない。

呑気に観客然としていた野次馬どもにまで軍勢は殺到し、あわよくわ足洗邸を全焼させんとばかりに襲いかかる。

これを未然に防いだのが、ようやく我に立ち返った八雲・紫である。拳をもって、自身に向かってきたエネルギー弾を天に向かって弾き返すと、スキマを同時展開。残りのエネルギー弾を根こそぎ簒奪する。

直前になって目的地の変更を余儀なくされたエネルギー弾たちの結末は、主人への無自覚な反逆だ。マイアーの手元へと再度開かれたスキマから、エネルギー弾が再出する。

紙一重でその場を離れたマイアーであったが、その手が握っていた大型銃は無惨に破壊されることとなった。

 

「イヤーン! ま、まだローン残ってるのにッ!」

 

予想だにしなかった展開に驚愕の声をあげる仮面男。

マイアーには、紫による敵意の籠った視線が向けられていた。水をさされた形になったのだからその思いは十二分に理解できるが、未だ健在である対敵から眼を反らしてしまったことはいただけない。彼女の脇腹に痛みが広がる。身体がぐらつく。じわりと血が零れる。

腸から伝わってくる痛みに目を向けるも、そこに犯人は見当たらなかった。否、認識を阻害されている。

一瞬の隙を掻い潜っての一撃はサニーミルクの加護を賜わった投擲であった。不可視であるものだから、直接の下手人《凶器》が何であるのかは定かでない。そして、そこに思案を向ける暇は紫に存在しない。

 

「リリー!」

 

バロネスの鶴の一声が契機となった。

あらぬ方向へと配置転換を余儀なくされていた春妖精が再起を図り、その意思が、『春の足』を手繰る。不可視の衝撃は、上から。

しかして、何度も何度も同じ攻撃に手を焼く紫でもない。

 

「邪ッ!」

 

拳を振り上げ、圧倒的な一撃との対面を図る。幾度となく降りてくる春の足を、拳をもって相殺する。

馬鹿げた光景だ。先ほどまでであったならば、さしものバロネスであっても驚きに顔を濡らしていただろう。

しかし当のバロネスと言えば、彼はその光景に視線さえも向けていなかった。彼は走る。一路、男のもとへ。困惑の表情を露わとする男のもとへ。

マイアー・フェルスターは苦悶の表情を帯びている。

 

「何だ……!? こ、この、内から響いてくるこの『音』は!?」

 

汗を滝のように垂れ流しながら、マイアーは蹲る。すると、突如彼の意思に反するようにして、左腕があらぬ方向へと差しだされた。

その不可解な行動に殉じるようにして火をあげたのは、左手首に巻かれていたデジタル時計である。

月が最盛期を迎える只中にあってただ一人、その時計だけが昼間を指す。『十三時』と。

バロネスが吠える。

「バァ―――――――――――――――――――――――カがっ! 言ったよなァ!!!!!!! 仕事の邪魔すりゃ殺すってよォ!!!!」

 

マイアーの吐血が始まる。それだけで終わっていれば、彼にとってどれだけ幸いであったであろうか。

男の胸部が、膨れ上がっていく。

 

「ぎゃぁああああぁぁあああああぁぁぁああああ!!!!」

 

まるで、何かがそこに詰まっており。

まるで、何かがそこから出たがっているかのようであった。

膨れ上がり続けるマイアーの胸部。当然、彼の許容量には限界があり、そこを超えれば後は引き裂かれるしかない。

ポップコーンみたいに弾け飛んだ男の胸部から最初に顔を出したのはおどろおどろしい装飾を施された黒馬であった。続いて、そこに跨った黒衣の騎士が現れる。

 

「『欠落の時間』! 祝福受けし十三時の『ヘルラ王《キング・ヘルラ』! 『ヘルラ王』よ! 『時の剣』を我に授けよ!」

 

傍らに真っ黒な犬を侍らせた騎士が、バロネスの言葉に呼応する。

騎士の携えた二振りの黒剣が手渡されるのを、紫は黙って見守る事しか出来なかった。

 

「ク」

 

バロネスが笑う。

彼の手には特異な剣が握られていた。その先端が時計の針を彷彿とさせるのが特徴的だ。男は、菱形の柄に十指を滑り込ませる。

剣を譲渡し終えた黒騎士が霞みの向こう側へと消えゆき、生贄となったマイアーが枯れ草のように干からび頭を垂れる中、バロネスだけが生を訴え続けている。

先ほどとは打って変わって、その瞳には嬉々が満ち満ちていた。

 

「ククク……ヤベーくらい……ヤベーよなァ。オイ」

 

言うが早いか、男の周りに妖精が集う。

左から順に、リリーホワイト、サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア。

彼女らは今か今かと召喚士の言葉を待ちわびていた。

バロネスが、走る。

 

「トラップが成功して一発逆転の好機を得た時の気分ってのは――――サイコーだなッ!!!!!!」

 

その二足の駆動と共に、バロネスが声をあげた。

 

「春、太陽、月、そして星の妖精よ! 我に加護を授けよ!」

 

十、五、三.

バロネスと紫の距離が見る見る内に狭まっていく。

その歯牙が直接の対峙を迎える正にその直前、二人を包み込むようにして花びらが舞いはじめた。

ドーム状に形成された桜花弁が、内部における男女の視界を零にする。紫の動きを察知しては、微妙にその形を変える。

その只中にあって唯一、バロネスだけが正確性を携えて紫に攻撃を繰り返す。

剣が、血を纏う。切り裂く。

しかし、バロネスは加害者でありながら、無罪を主張し続けていた。事実、花びらのドームからは、彼の持つ凶器も、その息遣いも、その踏み込みに至るまで、彼がそこにいるという事実が抹消されている。

バロネスが盲目でありながらも殺意を継続し続けられたは、スターサファイアが起因していた。物体の動作を感知する能力が限定的に男と共有され、紫の姿を捉えている。バロネスが花弁ドームへの出入りを繰り返す度に、スターが紫の行動を言づける。

彼の存在根拠が立証されたのは数分後だ。

「午後九時の『ゴギー婆さん《オウド・ゴギー》』!!」

節足動物に老婆の顔を張り付けたような生物がどこからともなく飛び出してきたかと思うと、その長い肢体を紫の身体に巻きつける。

彼女はそれを力任せに引き千切ったものの、二腕が所動作に埋まった隙に、またもや不可視の刃が彼女を切り裂いていく。

 

「なるほど……それが時計塔の代わりというわけね」

 

彼女の見立て通り、バロネスの翳す黒剣こそが時計塔の代わりを担っていた。それそのものが結界を有するようになった結果、先の『ゴギー婆さん』に見る通り、再び呪文短縮が可能となっている。

それまで一方的に続いていた剣劇が止む。

 

「その通り。バカ一人の命を犠牲にして、『ヘルラ王』に『時の剣』をもってきてもらった――――もはや俺自身が、時計塔だ」

 

どこからともなく、音が響く。

花びらの揺れが生みだす音も、紫の息遣いも、バロネスの息遣いさえもが途絶された世界で、たった一つだけの音が響く。

バロネスが騙る。

 

「昔取った杵柄って所だなァ。大江や伊吹の鬼退治なんざ、例にあげるまでもねェ。しかし、一つ解せねェ事がある。オメー、言ったよなァ? 妖怪が人を襲い、人がそれを退治する。それが正しい理だとか」

 

二振りの黒剣には、時計塔の催眠効果までもが継承されている。

足洗邸には音が響く。

 

「それなら――――このクソったれた世界で十九年間、お前は一体何をやってたんだ? 怪異として世に名を馳せるわけでもねェ、F・Sで代用した形跡も見当たらねェ。事実、俺はこの依頼を受けるまで、テメーの名前なんぞこれっぽちも聞いたことがなかった」

 

「…………」

 

「オメーに自由なんて存在しねェ。なんせ、自分で自分自身を歪ませているんだからなァ」

 

紫の精神に土足で入り込む言霊。止まる、彼女の肉体。それを契機にして、再びバロネスの四肢は躍動を開始した。

凶行を覆い隠す花びらに紛れ、その二刀が差しだされる。『黒い犬《モーザ・ドゥーグ》』、『水に棲む馬《カーヴァル・ウシュタ》』の失敗を鑑み、その刀身は何時までも滞在するわけではない。

掠めるようにして通り過ぎていく斬撃。切り口を一つ作った頃には、既に彼の身体は一定の距離を作っている。

だが、いずれ潮時が来るのは必然だ。致命傷を負わせる必要性が出てくる。最終的な目的地は、既に彼の思考の中では決定付けられていた。

その意図を把握されぬように、狙いが四方へとそれていく。彼女の右腕を刻みこめば、次いで左腕。三度左足に傷跡を創造すれば、右足に剣を突きだす。

その瞬間はすぐにやってきた。

 

「午後五時の『長腕のネリー《ロング・アーム・ネリー》!』」

 

ルナチャイルドの能力を解除し早々と雄叫びをあげれば、右腕に装着した時計が透明の光を放つ。そこから飛び出してきた異形の腕は紫を掴みあげると、バロネスのもとへと引き寄せた。

そこには、上段と中段に剣を構えたバロネスが待つ。狙いは、脳と心臓だ。

成す術もなく、紫が貫かれる。

 

「終わりだッ!!!」

 

バロネスが勝利の雄叫びをあげるのも無理はなかった。

完全に貫通し、その刀身は半ばで止まっている。噴き出した血さえもが、今の彼には祝福の米雨に思える。その刀身を引き抜けば、彼は更なる歓喜の豪雨に包まれるであろう。

 

だからこそ、おかしいのだ――――確実に死んだ筈の女の顔が、笑みを浮かべる。

 

「ふふ、ふふふふふ」

 

バケモノが笑う。

咄嗟に剣を引きぬこうとしたバロネスの意図は、途端に挫かれた。頭部に突き刺さった剣にはバケモノの五指が添えられ、心の臓を打ち貫いた剣は筋肉の壁の前に抜け出せないでいる。

 

「ふふふふ、ふふふふふ。私が定義する限り、私は自由なのよ。たとえ今、この身がどんな地位に置かれていても、ね」

 

バロネスの失態は、当惑の襲来を感じ取った時点で剣を手放さなかった事だ。

息づかいが聞こえてくるほどまでに、紫が踏み込んでくる。刀身が、更なる深みに達する。

情愛に濡れた展開が両者の間に訪れないのは、誰の目にも明らかであった。

残った紫の指指が、バロネスの右肩へ向かう。触る。そのまま、ネジ切る。

男の悲鳴が響き渡った。

 

「――――あら、結構イケるわね」

 

紫が、喰らう。バロネスが、喰らわれる。

惨禍の中心人物と成り果てた右腕を啄み、噴き出したその血を啜る。真赤に濡れることなどお構いなしに、その生き血を糧とする。

ありあまる激痛と高まる現実感に打ちのめされたバロネスにとって、散々押し付けられたその光景は、幾ばくかの恐怖を覚えるには十分過ぎるものであった。

それでも逃路に一身を賭けなかったのは、彼の誇りであったのか。それとも、その全覚は摩耗しきってしまったのであろうか。残った一振りの力を借りて、彼は再度召喚を試みる。

 

「午後二時、の、『ペグ・パウラー』」

 

男の五指から、黒剣が零れ落ちていく。

切断面を蔽うようにして現れた妖精が泡を吐くと、男を苦しめていた痛みと出血が和らいでいった。それでも男の顔色は晴れないが、この際程度の差はあったとしても応急処置が出来ただけで良しとするべきである。何せここからは、四人の妖精の助力は請えない。

 

「お望み通りの展開をあなたに」

 

今更ながらに開かれたスキマが、彼の身体を奈落へと突き落とす。

断続的に訪れる浮遊感のみがそこにはあった。

 

「っ、植物と、豊穣と、生産の精霊王よ! 木の葉に囲まれた男の顔よ!」

 

彼にとって幸運であったのは、今いる場所が、外界との接触の完全に断たれた世界ではなかった事である。

暗闇の中にありながら光を放つ時計だけがバロネスの心の頼りだ。

 

「午後一時の『森のロビン《ロビン・オブ・ザ・ウッド》!』

 

肩口に寄り添う彫りの深い男の顔。その口から一斉に草草が吐き出される。

見るに、その効力は腕の再生に関連する事なのであろうが、残念ながらそれが完遂される見込みは薄かった。ここがバケモノの私領空間であるという事実が、バロネスの生存率をぐんと引き下げる。

落ちていく身体の制御は一向に効かない。その四肢は空に投げ出されたままだ。

男の下降に合わせる様にして、空間の主が降りてくる。途端に大地が形成されると、バロネスの二足だけが一時の安息を得る事となった。

目の前の女の顔には、未だ黒剣が刺さったままだ。

改めて男が辺りを見渡すと、世界には闇とゴミしか存在していなかった。無差別に遍在する日用品や何やらが、最期の決戦の地を台無しにしている。

 

「――――久方ぶりに楽しい思いをさせてくれたお礼をあげるわ。そのために、ここに招待したの」

 

男が後ずさる。女が前進する。

両者の間には絶対的な壁が存在していた。歩み寄りは決して訪れない。

紫が、バロネスを指さす。今ここに、彼女の能力の真価が発揮される事となる。

このために、このためだけに、彼女とバロネスはここに居る。

男に訪れた違和感は、当初は些細なものであった。しかしそれも、徐徐に色濃いものとなっていく。契機となったのは、男の毛髪がばさりと一気に抜け落ちた事だ。

 

「これ、は……!」

 

次いで、視界が霞み、腰が湾曲を覚え、足が萎えを知る。

右腕の切断面に貼りつけた木の葉が枯れていくのを見て、彼は自身の身体に何が起こり始めているのかを悟った。

 

「俺の、身体が、朽ちていく……!?」

 

狼狽するバロネスとは打って変わって、紫の視線は冷徹だ。指先は以前男を貫いている。

バロネスに起こった諸々の異変が、紫を元凶として起こった事はこの際言うまでもなかった。

そもそも、スキマを開く事は所詮、八雲・紫の能力に付随する副産物に過ぎない。彼女の真骨頂は、その程度で収まるものではない。

彼女の真の能力とは、それ即ち、概念を弄ぶ能力である。動と静を手繰り、夢と現を掻きわける――――生と死の境目さえ、彼女の前では無力に等しかった。

今、バロネスの栄華は地に落ち、その身は没落の一途を辿りつつある。

骨の軋む音が聞こえ出し、バロネスには死という名のリアリティが、大股で歩み寄ってきている。

恐怖が、男の心中に花を咲かせた。だからこそ、死に物狂いの次の一撃に、男は全てを賭ける。

ここに至るまでの八雲・紫の意図は以前不明のままだ。その顔には、剣が突き刺さっている。

 

「午後十一時の、『鉄枷ジャック』!!」

 

女から引き抜いた黒剣の力を借り、正真正銘最後の召喚を行う。左腕から現出した巨大な腕を女に向かって叩きつける。

しかし、そこまでしてなお、八雲・紫を倒すには足らなかった。

鉄枷ジャックを振るった反動で、ただでさえ朽ちはじめていた左腕がねじれ飛ぶ。

残ったのは、渇いた拍手だ。

 

「人間にしてはよくやったわ。これは本当よ――――――――だから、お前はここで殺す。それが妖怪としての礼儀だもの」

 

三。

虫の息の男に向かって、彼女の五指が伸びる。爪を立てたそれは一心に、バロネスの心の臓を狙う。

二。

バロネスの肉体の老朽化は著しく、遂に男は膝を折った。二足の骨が砕ける。

一。

その胸を貫く寸前になって、紫はその動きを止めた。男と視線が絡み合う。

バロネスは今際の際になっても、決して諦めることなく紫の事を睨みつけていた。

恐怖はある。しかし諦観はない。勝利への画策は既にない。だがそれを模索する心まで死んだわけではない。

そこにはバロネスの強さが垣間見えた。肉体では勝てず、知能でも勝てず、寿命も短く、すぐに生き急いで死に急ぐ哀れな種族。しかして、バロネスの意思は気高く、そして彼女にとって眩しいものであった。

気付いたのはもう二つ。彼女は前者を驚きと共に迎え、後者に笑みをこぼした。

 

「…………そう」

 

次いで、脳裏に田村・福太郎がよぎる。

彼の頼みごとに従う道理はどこにもない。元よりここには彼女とバロネスしかおらず、目撃者は根こそぎ排除されている。

それでも女が笑みを浮かべたのは、ここに至るまでの人間種への敬意であったのかもしれない。単なるきまぐれであったのかもしれない。真意は彼女だけが知ることだ。

スキマの内部にあって、境目が開かれる。それは、男女の下から。

 

「再び時間をあげる。だから――――また会いましょう?」

 

聞き覚えのある警告音と共に、等間隔で間を空けた二つの光が下から迫ってくる。

体中を錆びだらけにした電車は天へと昇る中途にて、男との激突を果たした。

 

「ぐおおおおおおおおおおおおッ!」

 

前部にバロネスを張り付けたまま、電車が猛進する。

猪突猛進する怪電車の行き先に割り込んだ切り込みは大きく広がり、そこに入りこんだ電車は外界へと飛び出た。

水面を飛び跳ねる水魚のように、足洗邸の空を電車が舞う。

途中バロネスを取りこぼし、それでもなお天を目指した廃電車であったが、その行き先には暗き穴が待っていた。

その後、大地へと落ちていく男を猛追するべく再度開かれたスキマからは、先の電車が降ってくる事となる。

再びの激突。割れるマスク。弾ける服。彼方へと飛んでいく帽子。

男と電車の最終目的地は、邸宅の庭にぽつんと存在する古井戸であった。

落ちていく。積まれた石垣をばらばらに砕きながら突入をはたした電車と男は、深い深い底へと消えていった。

これにて、全ては終局である。

事後報告はこちらにございますれば。

 

「…………紫」

 

「何かしら?」

 

「…………風呂入ってきたら?」

 

「…………そうね」

 

結局、足洗邸を襲った脅威は未然にして防がれる事となった。

後に残ったものといえば、体中を真赤に染めた妖怪と言った所である。

サニーミルクの能力が解除された後の紫は悲惨の一言に尽きた。脇腹に突き刺さった木の欠片はまだしも、頭からおっかぶった血液は可視化に入ると、彼女の美貌をずたずたに引き裂いたのであった。

 

「臭い! 臭いわ!」

 

歯に衣を着せぬ物言いを出来るのはメディスンの特権だ。だが、時として率直さは人の和を乱すこともある。メディスンが口を塞いだのは福太郎の英断であった。

こまからタオルを受け取った紫は、早々に邸に入りこむと風呂場へと直行する。

すると、何を思ったか血まみれの女は振り向いて、

 

「田村さん」

 

「はいな」

 

「――――殺してないわよ」

 

「んー…………」

 

玄関先に佇む福太郎の視線が、古井戸の残骸へと向けられる。

井戸先で呆然と立ち尽くす狂骨の後ろ姿がいっそ哀れであった。

血の気の引いた面持ちと共に、その視線が玉兎に移る。

 

「生きたまんま井戸に落っこったら、どうなんの?」

 

「さぁ?」

福太郎の問いかけに、意味ありげな笑みを浮かべながら玉兎が知らんぷりする。

傍らのお仙が声をあげたのは丁度その頃だ。

「あ」

 

「どーしたん?」

 

「義鷹が帰ってきた」

 

仙の言葉に従って門先に視線を向けると、中央の小男の不在の代わりに、須美津・義鷹が入ってくるのが見えた。

次いで、体中を黒コゲにした射命丸・文が連れ立つ。

足洗邸の現状を見た途端、義鷹は訝しげな表情を形どる事となった。

 

「……何かあったのか?」

 

「あややややや、桜満開ですねぇ」

 

その姿を認めるや、玉兎が声をかける。

所が、当の義鷹といえばまるで苦虫を噛み潰したような顔で、彼女の詰問から眼を反らす。

 

「義鷹―、焼き芋は?」

 

「…………失くした。あと、逃げられた」

 

「失くしたぁ!?」

 

賑やかさの噴出し始めた足洗邸住人達からは、既に大石への注意なんぞ蚊帳の外だ。

もしかしたら、バロネス・オルツィが残していった遺産も、それに関連しているのかもしれなかった。

右から、リリーホワイト、サニーミルク、スターサファイア、ルナチャイルド。

戦闘続行の意思を感じさせない彼女らは、邸の屋根に腰を下ろしていた。

 

「春ですよっ」

 

「これからどうする?」

 

「とりあえず休憩で」

 

「結構、ここも居心地いいもの」

 

バロネスのマスクから這い出た妖精は、草むらにてただ一人隠れている。

身勝手な四妖精に、エアリエルは呆れるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、足洗邸を離れ、遁走を果たす人影が一つある。

獣の下半身と、髷を結った特徴的なヘアスタイルともくれば、それがピジョル・大石であることは誰の目にも明らかであった。

 

(おのれェェェエ……。よもやハンターを使ってまでも失敗するとは。これではチャンスをいただいたカミオ長官に申し訳が立たん!)

 

失態が、男に誤解をもたらす。謝意が、男から真実を奪い去る。

長官カミオが大石の再派遣を決定したのは、何も大石の建前上の忠誠に感銘を持ったわけでも、本音たる復讐心を見込んだからでもなかった。

足洗邸に接触する上で好都合であった、ただ、それだけである。

末端たる大石がそれを知る事はついぞないであろう。元はといえば彼の突発的行動が経緯であるというのに、その張本人は中央の企みからは遠ざかれている。

不意に、男の口が開放感を得た。それまで形さえもが簒奪されていた彼の口が、定位置に舞い戻る。

役目を終えた妖精が、霞の向こうへと消えゆく。

 

「! 『口無し』の効果が切れたか!!」

 

だが、彼の災難はとどまる所を知らない。

それは、なし崩しに妖精の行方をうかがう事となった大石が、ようやく帰路に戻ろうとした時だ。

無人の路地に降ってわいたように、あの男が突如として現れる。

それは、人を食ったような笑みを浮かべながら大石に応対した。

 

「これはこれは『来訪者《ロアルド》のピジョル・大石殿。又、ミーの留守中に足洗邸の調査デスかな?」

 

「『蠅の王派』、『悪ノ華』のメフィストヘレス……!」

 

黒外套の悪魔を前にして、大石の緊張感が一気に増す。

何時何時と後退の機を窺う大石であったが、メフィストヘレスの行動の方が早かった。

その瞳に力が入り、彼我を中心として疑似結界が発生する。

 

「失礼ながら、後の方にいらして頂きたい」

 

「!?」

 

大石に起こった変化は、明らかにメフィストの言葉を契機としていた。

訃報が走ったわけでもないのに、大石の相貌から涙がこぼれる。

変化はそれだけでは収まらなかった。その鼻腔からも、その口内からも、男の意思を無視する形で液体が大量に排出され続ける。

無論、その奇妙な光景の首謀者は大石ではない。彼はただの仲介者だ。事実、その体は意識を手放し、ガクガクと不気味に揺れる。

異常な量を保ちながら吐き出された液体は重力から解放され、男の上空に球体を形作った。

その表面が鏡のようにきらめいたかと思うと、女の顔が映りこむ。

 

「貴方でしたか……七支柱第七軍団長、『水妖記《フーケー》』のヴェパール大公爵」

 

「……司令と違って、私には『目』が必要だからな」

 

女の顔に向かってまず飛んだのは、メフィストの厳しい詰問だ。

普段のしぐさからは打って変って、メフィストの表情には冷徹さが存在する。

 

「先にあった調査の件も兼ねて、お尋ね申し上げたい。中央は、何を焦っておられる?」

 

「……その口ぶりからして、お前は事態をよく把握しているようだな」

 

「何? ……いや、なるほど」

 

一人得心いった風の顔をするメフィストだから、女の顔は一層不愉快げに歪む。

その対応としてメフィストが浮かべたのは笑みだ。

 

「足を留め、手を煩わせてしまった事をお詫び申し上げる」

 

「……ふん」

 

「あ、それと一つ。ミーは別に『蠅ノ王派(紀源回帰派)』でも、『月ノ子派(千年王国派)』でもないのでお忘れなく」

 

「…………」

 

吐き出された液体が、大石の体に殺到し、吸い込まれる。

大石が我に立ち返った頃には、路地には人っ子一人見当たらなくなっていた。

 

 

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