不思議町の不思議な住人たち。   作:赤目のカワズ

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番外編Ⅱ マルコシアス大公と酒に彩られた夜

行きつけと来れば、彼にとってはミスティア・ローレライの店が思い当たる。

夜な夜な開かれるこじんまりとした移動屋台。有り触れた雑多な屋台と思われがちではあるものの、そこな女将の品揃えは、そんじょそこらとは一線を画す。

まず目を引くのは、稀有な逸品である八目鰻であろうか。馴染みの常連にだけ提供されるという幻の酒であろうか。

度々その足を向ける事となっている彼でさえ、後者にはお目に掛かった事もない。日銭を荒稼ぎするための嘯きとの噂もある。

とはいえ、ごく一般のレパートリーも取り揃えており、日頃のストレスを酒とつまみで流し込むには十分なものだ。

マルコシアス中将は、今日も呑んだくれていた。

 

「何でオレのネームバリューは低いんだ?」

 

「…………あれ? お客さん、なんて名前だっけ?」

 

「だから、マルコシアスだってのによォ……」

 

鳥頭の女将に訂正を促すのはこれで何度目の事であったろうか。酒に溺れる脳味噌が迷妄を導きだしている内に、男はそれ以上の思案を止めた。面倒臭くなったのだ。

それなりに通い続けてはいるものの、この女将が明瞭とした声色でマルコシアスの名前を呼んだ事は一度とてない。

何せ字面を追いかけているだけで頭痛を訴えるほど残念な脳味噌をしているのだ。

彼女に対し客が求めるのは、一方的に語りかける戯言に、適当な頷きを返してくれる事だけである。高圧的な部下に苛まれる事も多いマルコシアスにとってしてみれば、それだけで充分とも取れるが。

 

「基本外回りの仕事だからよ、一般市民と出くわすのはそれなりに多い筈なんだ」

 

「…………あ、お客さんの名前って確か……」

 

「そりゃー名誉とか何だかとか、そんなんのためにやってるわけじゃないケドよ、それなりの知名度があっても良い筈じゃねーか?」

 

「マル、マル、マルコメ……」

 

泥酔の域に突入しているマルコシアスは、一向に噛み合わない会話であっても気にはしなかった。

前提条件からして目論見はご破算になっているというのに、一向に口の動きが止まる事はない。相当に酒がまわっているようだ。

齟齬を生んだ傍らの張本人といえば、口を阿呆のように開けて、男の方には視線さえ向けないでいる。

顔の赤らんだ獣面が突如として驚きに染まったのは、次なる客人の来訪によってだ。

 

「げっ、お前は『蠅ノ王《ゴールディング》派』の……」

 

「獣人化ウィルスの波はこんな所まで来ていたのね。獣臭くてたまらないわ」

 

ふわりとした緑のウェーブヘアを棚引かせるのは風見・幽香その人である。

彼女は辛辣な言葉をマルコシアスに浴びせると共に、ミスティアまでも恐怖に陥れた。

鳥頭著しい彼女の脳細胞が煌きを放つと、とんと御縁のなかった筈の礼儀作法が彼女に身に着く。空いた席が、彼女へと勧められる。

 

「あー、いらっしゃいー、幽香さん」

 

「あら、鳥頭が私の名前を覚えている。奇妙な事もあるものね」

 

空席に腰を据えると、彼女は女将に酒とつまみを催促した。

淑女然とした振る舞いのなかには何処となく威圧感が潜んでいるものだから、女将は震える手でまごつきながら、卵、大根、がんもなどを一つずつ。

女将が支度を済ましている最中、幽香は憐憫の視線を隣席に向ける。

 

「貴方も馬鹿ね。若いうちは何でもやれとは良く言うけれど、何もそんな物に手を出さなくてもいいじゃない」

 

「これは自前だっての……」

 

「あらそうなの。それじゃあ、抜け毛が入りこまないように、細心の注意を払ってくれる?」

 

「へいへい……」

 

とんだ邪魔がはいったと、マルコシアスは明瞭さを得た顔つきで感じていた。

酔いは一気に醒めてしまい、味覚は鈍化する。凝縮された旨味はこれでもかと表舞台に現出しているというのに、今の彼にはとてもじゃないが察知出来ない。

マルコシアスが一方的に苦手意識を幽香に抱いているのは、彼女がなし崩し的な形ではあるものの、現状その活動が確認できる唯一の十支王、ベルゼブル、『蠅ノ王《ゴールディング》』に加担しているためだ。

表面上の連立状態にはあるものの、ベルゼブルの意図は『中央』とは別路線を辿っており、協力関係にあるとは言い難い。

中央幹部であるマルコシアスとしても、他陣営の人物と無駄ないざこざを生じさせる事は得策とは言えず、こじんまりと背を丸めて酒に口をつける。

勝ち負け云々の話ではないのだ。

 

「それと、先ほどの聞き捨てならない言葉を否定しておくわ。別に私は、あの蠅男に恭順を示しているわけではないのです。おわかり?」

 

「へいへい……」

 

「お客さんー、どうぞー」

 

「いただくわ」

 

種々の具材が鎮座する受け皿が手渡される。

熱々に煮込まれた卵は出汁が染みいっている。大根には十字紋に切り込みが入っていて、その芯にまで味が沈殿していた。

咀嚼する度に流れ込む旨味が、彼女に想起された忌まわしい記憶を若干和らげる。

某学園の教師兼庭師などという地位に彼女が甘んじている訳は、ずばり学園の主、十支王その人との対決に敗れ去ったためである。

大召喚以前以後に関わらず、彼女の辞書に撤退という文字は存在しなかった。自分の尊厳が損なわれるというのであれば、その誇りを傷つけられるというのであれば、たとえ神であろうと牙をむく。それが彼女であった。

その結果敗退し、付け加えれば情けをもかけられたという事実が、彼女にしてみればとんだ誤算であったことは語るに及ばないが。

 

「ったく……酒が不味くなる一方だぜ」

 

「高級官僚には、こんな安酒は口に合わない?」

 

「んなこたねーがー……ってかアンタ、オレの事知って……」

 

「あら、珍しい事もあるものね。閻魔が呑んだくれている」

 

マルコシアスの驚きを尻目に、幽香は屋台へと迫る人影に目を細めた。

何処かからの梯子掛けなのであろうか、既に千鳥足の体で四季映姫が歩み寄ってくる。

酩酊状態が極限に達しているのは火を見るよりも明らかで、覚束無い足取りは幾度となく躓きながら、ようやく彼女を屋台へと導いた。

椅子に縋りつくような形で、その身体が崩れ落ちる。

 

「……これは、ひっく、……ごきげんうるわしゅう。……ひっく。取りあえず、一番強いの下さい」

 

「閻魔のォ、お通りよ~♪ ひれ伏せ、ひれ伏せ、笏が言う~♪ 騙り部の舌はひっこ抜かれた~♪」

 

「煩いです! 知っているんですよ、ここに雀酒がある事は!」

 

「誰だか知らないけど、飲みすぎよー?」

 

ミスティアの諫言も、今の彼女には糠に釘だ。それどころか、敏感に研ぎ澄まされた彼女の琴線が過敏に震えたかと思うと、激昂を導く始末。

赤らんだ顔と上下左右の見境を失くした視線に臆したのか、遂にミスティアは秘蔵の酒を取り出すのを余儀なくされた。

四季映姫は男女の間に割り込むようにしてその身体を落ち着かせると、恥も醜聞も気にせずに大きくゲップを一つ。

月の昇り具合からも分かるように、彼女の足はここに至るまでに、既に三軒は渡り歩いているようであった。

 

「それで、いいのです。物事は白黒はっきりされなければなりません。あるなら、出す。ないなら、出さない。それが真理です…………ひっく」

 

「触らぬ神に何とやらという話ね。ここは従っておいたほうがよさそうよ」

 

「そのとおりです!」

 

これが、かつて罪の有無を吟味し、その沙汰を厳粛に霊魂らに下していた女の末路であるかと思うと、同情を禁じ得ない。

しかして、幽香の心中には疑問が湧出していた。昼間見かける彼女といえば、酒を起因として表舞台に押し出された本音とは違い、対外的には仕事に忙殺されている風を装っていた筈である。

当然のように湧いてくる疑問に対し、四季映姫は事もなげに解答を告げた。

顔の紅潮は何も酒の効力ばかりではない。彼女の頬には、くっきりと涙の跡が見てとれる。

 

「そんなの、ひっく。嘘に決まっているじゃないですか。閻魔ともあろうものが……、昼間からそこらをブーラブラ、しているんですよ? テキトーに。理由つけないと……うう……お外なんて出歩けないじゃないですか」

 

「クビ?」

 

「違います! 二十年前からの問題が、一向に片付かないんです!」

 

「あ、おい! それオレの酒っ」

 

言うが早いか、もたもた遅々とする女将に業を煮やした四季映姫は、見知らぬ隣人から酒を奪い取る。

思わず席を立つ事となったマルコシアスを尻目に、彼女は喉をごくりと震わせ、並々と液体の注がれたコップを傾けた。

息継ぎなんぞは遥か彼方に追いやられたようで、彼女はそれを一気に飲み干す。

当然、その感極まった吐息にマルコシアスは食ってかかるも、それは直ぐに四季映姫の怒気に押しやれてしまった。

 

「糞ったれた大召喚なんかが起こったせいでですねぇ、人間の死生観がごっちゃごちゃになってしまって! 未だに二十年前の死者達の沙汰も下りてないのよ!? そのせいで私は、私は……! 私に仕事をよこしなさい!」

 

「わ、分かった分かった。オレが悪かった」

 

「それでいいのです!」

 

この世で最も無駄な事の一つは、飲んだくれに冷静さを求めることである。

それをようやく理解したマルコシアスが宥めにかかると、気を良くしたのであろうか、四季映姫はふんぞり返って胸を誇張した。

しかし、それも幾ばくかの間しか維持出来ず、涙で濡れた頬を覆い隠すようにして蹲る。

彼女の悩みの種はもっぱら、半ば放置された形にある、『大召喚』によって大量発生した死者への対処だ。

人間の死生観と言えば、死後の永生、死からの復活、輪廻転生などが上げられるが、『大召喚』による災禍はこのシステムまでも混乱に陥れていた。

隣り合う死生観によって齟齬が生じ、死者の行き先が不透明なものとなっているのだ。

この際最も問題とされたのが、個々人の宗教観念に関わらずその魂が、土地的死生観に引き寄せられてしまう事である。

例をあげるのであれば、敬虔なクリスチャンでありながら、秀真国で死去したばかりに、その魂は根の国にて安寧を得る事となってしまう。

死者の分配制度の点からしてこれは大いに問題であるわけだが、四季映姫の上司ともども、抜本的な解決策は未だに見出されていない。

ともなると、元はと言えば多忙極まる状況を打開するべく地蔵から閻魔へと成りあがった筈の四季映姫に仕事が回ってこなくなる訳であって、彼女自身、自分の存在意義に苦悩する事態となっていた。

享楽への更なる逃走を図るべく、彼女は勢いよく上半身を起こす。

女将の諫言など、今の彼女にはその意味さえも推し量れない。

 

「マスター! もう一杯下さい!」

 

「お客さん、飲みすぎじゃあ……」

 

「あ、口答えするんですか!? 有罪! 口答え罪で有罪です!」

 

「そんな罪存在しないんじゃあ……」

 

「ゆうざいゆうざいー!」

 

女将との悶着を続ける四季映姫を意に介さず、幽香は皿に乗せられたおでんをちまちま。酒をちびちび。

飲んだくれの対処に苦慮する女将もプロ根性を垣間見せ、虚しげに空を掴むマルコシアスの五指に、酒の入ったコップを滑り込ませた。

 

「ま、お詫びって事でひとつ。ご新規さんには親切にしなくちゃあ」

 

日頃同僚や上司や部下や何やらに悩まされる彼にとって、無邪気な笑みというものは殊のほか心中に響くものだ。その笑みが知己へと向けられるものであったならば、マルコシアスはもっと気前よくしたかもしれない。

とはいえ、酒気を帯びたことも合わさってか、彼の口元も自然と笑みを作る。

それまでは不快そうに顔を歪ませていたものだから、幽香が興味深げに問いかけた。

 

「どうかしたの?」

 

「何でもねえよ」

 

気恥ずかしさのせいもあるだろう、項垂れる四季映姫の頭越しに問いかけてきた女からはそっぽを向き、マルコシアスは飲み口を傾ける。

絡み酒の質でもあるのか男の対応が癇に障ったのかは定かではないが、幽香はそれでもなお会話を試みた。

 

「ねえ、ハエトリグサで殺せると思う?」

 

「いや、殺せねえだろ……。ってかオレは立場上そういう事は言えねーんだが」

 

「なるほど、殺せない」

 

「…………」

 

誘導尋問さながらの問いかけに引っ掛かったマルコシアスはせっかくの美酒が、またもや不純物を得るのを感じ取った。

この際、不純物という名の邪魔者が風見・幽香であった事は言うまでもない。

勝ち誇った笑みを浮かべる幽香からマルコシアスが目を反らしていると、突如として四季映姫が立ち上がる。

何故だか彼女は怒りで節々の血管を怒張させているのだから、他の面々は思わず顔を丸くさせることとなった。

いづれの接触が要因となったのかを皆々が察したのは、彼女のどなり声にて。

 

「頭ごなしにごちゃごちゃごちゃごちゃ変な話をしないでください! 死罪にしますよ!? ひっく!」

 

半眼でねめつけてくる四季映姫に対し、さして表情を変えることもなくそれをいなす幽香。

わざとらしく下手に出た彼女は、その怒りの矛先を別方向へと向かわせた。

満面の笑みの裏に謀略が潜んでいる事など、今の四季映姫に見透かせる筈もない。

 

「閻魔様はどうやらお怒りの御様子。そこのお方、宥める為にも何か隠し芸の一つでもお願い出来ます?」

 

「おいおい、まさかオレに言ってんのか!?」

 

分かりやすく狼狽を露わにするマルコシアスであったが、幽香にとってそれは既定路線であったらしい。まんまと七面倒臭い事態から抜け出して見せた彼女は事の成り行きを見守っている。

四季映姫にしてみても、既に幽香やミスティアなんぞは路傍の石ころも同然で、その双眸はマルコシアスの一挙一等足を監視していた。

どさりと勢いよく腰を下ろし、揺れる四足に身体を任せては今か今かと男の行動を待つ。

 

「…………」

 

遂に観念した男は腹部に力を込めて天を仰ぐと、誰彼の飛行の有無を確認してから、その口内から虹色炎を吐きだした。

さしもの飲んだくれであっても呆気にとられたようで、暫く彼女は一言も発さなかった。これは幽香やミスティアも同様である。

今、真夜中の町にあって君臨するのは月ばかりだ。太陽は地平線の向こう側に追いやられてしまっている。

だからこそ、太陽光の助力も得ずに現出する虹の姿形は、不思議な魅力を放ち続けていた。

 

「これで満足かよ?」

 

不躾なマルコシアスの言葉をもってして、彷徨する四季映姫の意識はようやく彼女の身体に舞い戻ってきた。

酒の勢いはめっきり影を潜め、盛大にこき下ろすといった思惑は完全に的を外れてしまったようである。

けしかけた張本人にあってもこの結果は想定外であったようで、飲み口を傾けてはいるものの、一向に喉元へと送り届けられる気配はない。

 

「お客さん凄いじゃん! 初っ端は金も持ってない獣人野郎が来やがったと思って中央に緊急連絡してやろうかと思ってたけど~」

 

堪らずミスティアの感嘆の声が漏れる。記憶力の芳しくない彼女の記憶にもこの衝撃は深く刻まれたようであって、これより以後はマルコシアスが不快さを感じ取る事も少なくなるであろう。

当然、ここまでくれば、元凶の性悪女でさえ白旗を上げざるをえなかった。渇いた拍手がマルコシアスに届く。

 

「私の完敗ね。よもやそんな隠し芸を持っていたなんて。素直に賞賛するしかないじゃないの」

 

「そ、そうか?」

 

「その小物っぽい態度さえなければ上出来だったのに」

 

「…………けっ」

 

最後の最後まで重箱の隅を突いてくるその性格に、マルコシアスはいい加減辟易としてきていた。一瞬でもぬか喜びしてしまった自身が馬鹿のように思えてくる。

不幸中の幸いは、激烈な感情を表発していた四季映姫が大人しくなった事であろうか。

身体的特徴と実年齢の間に矛盾が生じるのが大召喚以後の常ではあるが、案外虹に魅せられて黙りこむぐらいには、彼女の精神は幼いままに保たれているのかもしれない。無論、酒でやぶれかぶれになっていたからという可能性も否めないが。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

先ほどまでとは打って変わって、静寂が場に訪れた。

歌歌いの女将なんぞはどうにもこの空気が肌に合わず、今か今かと歌いだしそうになっていたが、鳥頭らしからぬ洞察力を珍しくも垣間見せ、ただただ女将としての実務に身を費やす。

場の空気が変わったのは、誰が先か、其処な人々が肌寒さを感じ取るようになった頃である。

始めは単なる違和感に終わったものの、次第にそれが如実に顔を見せ始めたため、遂に確信に終わる。

異変の元凶はふわりふわりと空を飛ぶ。ふわりふわりと彼らに近づく。

最初に話しかけられたのはマルコシアスであった。彼女は無邪気な笑みを浮かべ、腕で相図をする。

 

「よっ」

 

「フレルティ公の所のガキか」

 

「ガキじゃなくて、チルノって言うの!」

 

背中にある三対の氷の結晶体は、翼と見てとれる。

青髪、青リボン、青ワンピースと青尽くしが散りばめられた妖精チルノは、マルコシアスの言葉に訂正を促した。

くるりくるりと曲芸飛行を繰り返しながら、チルノが飛ぶ。

今度はマルコシアスの質問の番だ。

 

「こんな所で何してんだ?」

 

「忘れた!」

 

馬鹿が歩きまわるにしては、夜が老け過ぎている。

マルコシアスの問いかけは至極真っ当なものであったものだから、さしものチルノであっても答える事ができたが、その解答は単純明快を地で行きすぎていた。

なにゆえ彼女が真夜中を徘徊していたのかと言えば、中央秀真支部第四軍団長フレルティによる采配が大きな要素を占める訳だが、肝心肝要の部分をチルノ自身が忘れてしまっているため詳しくは不明なままだ。

しかし彼女にとっては、それまでの経緯など全く関係ない様子で、馬鹿が輪に掛けて馬鹿踊りするのは滑稽を通り越してもはや趣き深いものがあった。

普段フレルティの魔力を思う存分に吸いこんでいるため、彼女自身が影響されやすい妖精種という事もあってか、チルノの周囲は寒気を伴う事となる。

実力者三人、付け加えればミスティアにとってもさしたる被害がある訳ではないのだが、彼彼女らが嗜むおでんや酒は別だ。

無秩序に放出される寒気を制御する気がこれっぽちもない妖精を見て、幽香の辛辣な物言いが烈火の如く吐きだされる。。

 

「知り合いなら、さっさと追い出してくれる?」

 

「知り合いだから、無下に出来ねえんじゃねーか?」

 

「無下って何? あたいに教えて!」

 

「…………怒るのも阿呆らしくなってくるほどの無知加減ね」

 

もはや呆れるしかないといった有様で、幽香はそれ以上の追及を止めてしまった。

関わるのも嫌な様子で、既に視界からは氷妖精の姿は抹消されている。

所が、彼女の抵抗も虚しく、その視線は再びチルノに向けられる事となった。ぽちゃんという軽快な音が響き渡り、ミスティアの瞳が驚愕に染まる。

何を思ったのか突然、チルノは握りしめていた硬貨を投擲したのだ。吸い込まれるような放物線を描き、ぐつぐつとおでんが煮込まれていた屋台の本陣にそれらは落下した。

散弾の直撃を喰らったおでん本陣には、アルミや銅などの鉱物が浮かぶ。

 

「な、ななななななな」

 

「……最悪」

 

各々が感想を述べる中、ただ一人チルノだけが得心いったという顔つきを見せる。

 

「あ、あたい思い出した。フレルティにフィニッシングペーパー買ってくるように言われたんだった。それも千二百番。マルコシアス、お金貸してよ」

 

「…………弁償って、どんぐらいだ?」

 

「? 何の話してんの?」

 

途端に意気消沈する事となった三人に対し氷妖精といえば呑気なもので、堂々と手の平をマルコシアスに差し出す。

これに怒りを再燃したのが四季映姫である。

椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった彼女は、まるで泰山府君のような般若顔を形どると、どこからともなく取り出した笏をもってチルノを指さした。

 

「そう――――貴方は少し迷惑をかけすぎる。故に、その量刑は、死」

 

しかし、久方ぶりに閻魔様としての畏怖を取り戻したかのように思えたのも、一瞬でしかなかった。

端麗な眉がこれでもかと歪み、自然と口元に手が伸びる。その様を見て、よもやとチルノを除く各々に嫌な予感がよぎる。

顔面蒼白の彼女が周囲を騒然とさせたのは次の一言によってだ。

 

「…………キモチワルイ」

 

まず、風見・幽香が迅速な対応を取った。

懐から取り出した万札を台に叩きつけると、社会保障ナンバーを見せる事もなくそこから全速力で立ち去る。

 

「ごちそうさま。お釣りはいらないわ」

 

次に、ミスティア・ローレライ、マルコシアス――――両名を先んじる様にして、四季映姫。

前者の対応よりも、後者の我慢の限界の方がはるかに早かったのは悲劇でしかないであろう。隣席のマルコシアスは一層悲惨な目にあった。

ここまでくれば賠償の問題も後回しにして早々に帰宅したいものであるが、泣きついてきた氷妖精の懇願がマルコシアスを帰路の足を遅くする事となった。

 

「買ってきたか?」

 

「勿論!」

 

「所でマルコシアス、何でお前がここにいんだ?」

 

「お気になさらず」

 

「そうか。所でマルコシアス。お前、臭いぞ」

 

「……お気になさらず」

 

結局チルノがあのような行動をとった理由は不明なままだ。馬鹿は度し難い。

また、チルノの代わりにペーパーを買ったという事実をマルコシアスが言う事もなかった。

特に必要性を感じなかったし、また己の纏う臭気のこともあってか、さっさと自室に帰りたかったのである。

 

「うわっ、くっさ。どうなさったんですか?」

 

「何でもねぇよ」

 

軍団長室に帰ってみればみればで、副団長フェネクスの厳しい追及を喰らう事となった。

これを軽くあしらい、その疑惑の視線に後ろ髪を引かれる形でシャワー室に入りこんだ所で、彼はようやくしがみ付いてきていた倦怠感を取り除く事が出来た。

 

「あー……ろくでもねぇ目にあっちまった」

 

彼の災難はまだ終わったわけではない。手持ちの金では足らず、再度あの屋台に赴かなければならないというのも苦痛だ。普段鳥頭で呆けているというのに、金に関してだけはしっかりと記憶にとどめているようである。

備えづけの椅子に腰を下ろしていると、軍団長室の扉が開く。

 

「あれ? ほんとに団長が帰ってきてる」

 

「お前今日はもう帰ったんじゃ……」

 

「いい迷惑だよ。目が疲れてきたら一回死んでくればいいと思って、皆私の所に仕事押し付けてくるんだ。帰り際に急に頼んでくるなんてほんと酷い」

 

傍らにノートパソコンを携えた藤原・妹紅はそう言ってから着席する。

不恰好な黒縁眼鏡を掛けると、彼女は早速軽快な入力恩を叩きだし始めた。

 

「で? 団長は仕事終わってからどこに行ってたんだ? 副団長が言うには酒の臭いやら何やらを臭わせながら帰ってきたみたいだけど」

 

「そりゃあー……」

 

「ま、所詮外様の私には関係ない、か」

 

話を振っておきながら自分で結論づけるのだから、マルコシアスにとっては面白くない話である。

ここにフェネクスがいたならばもう少し話の輪も広がりそうなものだが、臭いを落としている間にどこかへ行ってしまったのかあいにく不在。第五軍団長室には無機質な入力音だけが響く。

さて、一平卒からのたたき上げの軍人であるマルコシアスは趣味と呼べるようなものを持ちあわせておらず、フレルティのような時間つぶしの術を持っている訳ではなかったため、手持無沙汰で仕方がない。

なんとなくぼんやり窓から月を眺めていると、またしても妹紅の方から話が回ってきた。

 

「そういえば、また月から来るんだって?」

 

「あー、その話か。まぁ司令と会談するだけで終わるんじゃねーか?」

 

「飽きもせずよく来るよな、ほんと」

 

「奴ら曰く、月は最後に残された楽園らしいしな。大召喚の影響が月に来ないか心配してんだろ」

 

「ふーん……」

 

再び会話が途切れかかった所で、フェネクスが帰ってくる。

妹紅は彼女に軽く会釈をすると、すぐに仕事に戻った。

 

「入り用で第四軍団長室の前を通りましたが、バカがわんわん泣いてましたよ、貴方の名前を叫びながら」

 

「どーゆう意味だそりゃ?」

 

「さぁ? 何でも、マルコシアスのバカのせいで云々と……まあ支離滅裂で意味は図りかねますが」

 

「まさかと思うが、後々フレルティ公に説明要求されないよな!? な!?」

 

「さぁ? どうでしょう。そもそも貴方、何かしでかしたんですか?」

 

「そーゆう訳じゃねえケドよ……」

 

ここまでの経緯を紐解いてみると、予備用のフィニッシングペーパー四百から二千番までのおつかいを頼まれたチルノが道中にてその内容をすっかり忘れてしまい、何とか思い出したものの結局は断片的な情報でしかなかったというものである。

この際、バカと誉れ高いチルノなんぞにおつかいを頼みこんだフレルティに監督責任があるような気がしないでもないが、真相は闇の中だ。

 

「だーかーらぁ! あたいは悪くないんだってばぁ!」

 

夜は更けていく。

 

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