万魔殿学園。通称バンマ。秀真最大の異種族総合学園である。
他種族への偏見著しかった『大召喚』初期から存在する建物で、その名が示す通り、ありとあらゆる種族を受け入れている。
その性質上、何百年と生きている者が生徒としてまかり通っている場合も多々あり、授業自体を一つの道楽として捉えている者もいるようだ。
とはいえ、授業自体はそこらの普遍的な学校と何一つ変わらない。試験もあれば留年も存在し、勤勉に励む生徒には奨学金制度も設けている。
上池田・美奈歩もまた、万魔殿学園に通う一人の生徒だった。
溌剌さを絵に描いたような少女である。八重歯がきらりと光りを放つ物だから、輪にかけてそれが印象的だ。
学校指定のスカートの下にはスパッツを着込んでおり女らしさは一欠片も持ち合わせていないが、妙に他人に好感を抱かせる気概の持ち主であった。
恐らくは、裏表のない感情表現が人を引き寄せるのであろう。人によってはそれを直情バカとでも表現するのであろうが、昨今の人間種にしては奇特な性格の持ち主とも言える。
とはいえさすがの彼女も、己の人格がストーカーを引き寄せる程までに神格化されているとは流石に思い及ばなかったようだ。それも今回は、荒武者姿の大男の話ではない。
もっと陰湿で、質の悪い女仙人の話である。
「毎度の事だけど、私の可愛い子がお世話になっているようで……」
「あー、かまへんかまへん。ほっとけなかっただけっちゅー話や」
気だるそうに美奈歩が女の謝罪を遮る。女の不肖の子が騒動を引き起こすのは何時もの事で、謝罪と称して食事に連れ出されるのもお馴染みであった。
もらえるものはもらっとくと、当初は大阪人気質を爆発させた美奈歩であったが、こう何度も奢られてはさすがに申し訳なさが角を立てる。
美奈歩の対面に座る女性、霍・青娥は艶のある女性である。胸元を大きくはだけさせており、淫臭を殊更に放っているように思えた。
洋風の服装を着こなしているが、頭に突き刺さったかんざし代わりのノミのせいで妙にちぐはぐして見える。
他人の趣味にとやかく言う筋合いを美奈歩は持たない。とはいえ、最初期は周囲の目が気になったし、慣れを諦観と共に呑みこんだ今となっても、美奈歩は彼女との会合に気恥ずかしさを持ちこんでいた。
俗に言うならば、こないな所、万が一、億が一にも知り合いに見られたかないわ、という奴である。
一方青娥からしてみれば、その奇抜な服装は単なる嫌がらせに落ち着く。
時折赤みの差す美奈歩の表情を好意的に見つめては、その反応を面白がっているのである。
青娥は度々からかうような笑みを浮かべていたが、美奈歩がその真意に気付く事は終ぞなかった。
美奈歩は青娥の趣味に付き合わされる形でこじゃれた喫茶店の敷居を跨いでいた。青娥が紅茶に手をつけている間、小腹の好いていた美奈歩はサンドイッチを貪る。
店内を流れているのは、どこぞの異国のミュージックだ。耳慣れた曲調であったから、美奈歩自身どこかで聞いた覚えがあったが、彼女が思いだせるのはそこまでだった。
時折、BGMに混ざるようにしてズズズ、ズズズズズズとノズル音が聞こえてくる。
子供の頃に矯正されるであろうに、不埒なままに騒音を掻きならしているのは、青娥の傍らの少女に依った。
この少女、なんとも不可思議な恰好で飲み物に口をつけている。
仲間内が座っているにも関わらず、自分だけは相変らずに直立不動しており、往年の伝説的PVに出演を果たしたかのように二腕が伸びきって、手首から先がだらりと垂れている。
そんな少女に配慮するようにして、オレンジジュースは彼女の背に調整を施された小テーブルにちょこんと置かれていた。そこに犬のように顔を近づけては、ズズズ、ズズズとストローを啜っては啜る。
見れば顔色も青白く、額には特徴的な紋様が印象的なお札が張り付けられている。
美奈歩は少女を不快だとは思わなかった。下手人が小憎たらしい悪戯を図ったわけでも、青娥が教育を怠った訳でもなかったからである。文字通り、彼女の脳味噌は腐っているのだ。
それまでオレンジジュースに熱中していた宮古・芳香が、不意に顔を上げる。
「かまへんって何だ? 芳香は噛むぞ!」
「何でもあらへん、何でもあらへん」
「むう。美奈歩がそう言うならば、そうなのかもしれぬ」
「あー、それでやな、芳香。その、顔上げたんなら、そのままじぃーっとしとき。な?」
「何で動いちゃ駄目なんだ? ん?」
「だー! 動くなっちゅーに!!」
美奈歩が喚き始めた頃には全てが終わっていた。
凝り固まったまま微動だにしない芳香の二腕はキョンシーよろしく、いつも通り伸びきったままにされていた訳だが、芳香が不用意に動いたせいで、硬直しきった指指がグラスを揺らす。
倒れ込んだグラスはけたたましい音を立てて、衆目を買った。
「だから! 動くなっちゅーたんや!」
「怒るな怒るな。芳香も反省している」
「謝罪っちゅーんはもっと誠意が込もっとるもんや!」
「あー、ほんと芳香は馬鹿可愛いわねぇ。後で飴ちゃんあげるわ」
「飴! 青娥、飴何個くれるんだ?」
「んー? もしかして、三個も欲しいのかしら? いやしん坊ねぇ、ほんとに」
「こいつら……」
「あ、弁償は私がするから、美奈歩は気にしなくていいわよ」
床にぶちまけられた液体を尻目に繰り広げられる漫才に、美奈歩はいきり立つ怒りを止める事が出来なかった。
美奈歩と芳香の出会いは、半年ほど前に遡る。その頃学園をにわかに騒がせていた騒動に芳香が巻き込まれ、その第一発見者が美奈歩であったのだ。
発見時の芳香の状態は壮絶を極めた。当然死んでいるものだと思われたから、それが声を発した時にはさしもの美奈歩であっても悲鳴をあげそうになったものだ。
引き渡しに現れた青娥は、現在とは打って変わってごく一般的な服装を着込んでいたものだが、いつの頃からか芳香をダシに美奈歩を食事に誘うようになった。
扇情的な恰好を好むようになったのもこの頃からである。
それからというものの、時折こうした食事が設けられる事になったが、現在喫茶店を席巻する惨状は、毎度の事のように繰り返されてきた光景であるとも言えた。
宮古・芳香に学習能力は存在しない。キョンシーである訳だから、美奈歩にしても納得せざるを得ない理由である。
お陰で彼女は進級試験に何時に立っても合格出来ず、美奈歩の進学に合わせる事無く、中等部に留まり続いている。
噂によれば、初等部には留年し続ける伝説の魔法使いがいるらしいが、これはさすがに疑わしいと美奈歩は考えている。芳香ほどの馬鹿をこの目で見た事がないからだ。
とはいえ、芳香を疎ましく思った事は美奈歩にはなかった。元々子供が好きだった事もあるし、何より庇護欲に駆られる。
さすがに青娥ほど甘やかす気にはなれないが、四方を巡って世話を焼くくらいには、芳香に対して愛着を持っていた。
余談となるが、この手の話を聞くと彼女の実弟、上池田・実歩はいつも苦い顔を浮かべる。弟から姉へ送る言葉は『人の振りみて我が振り直せ』、だ。
美奈歩が申し訳なさげにウェイターを見送っていると、芳香の不始末に何一つアクションを起こさなかった女がようやく口を開いた。
「出るそうね」
「なんの話や?」
「超人大武闘会、よ」
「何や、もう伝わっとるんか」
帰り際のウェイターに頼み込んだグレープフルーツジュースが運ばれてくる。
食事代はいつものように青娥持ちであったが、だからといってメニュー欄を制覇するのはさすがに躊躇われた。
口をつける美奈歩に、青娥が語りかける。
「私としては、是非貴方に優勝してほしいわね」
「任しとき! 出るからには優勝せんとな」
美奈歩が浮かべるにこやかな笑みを、青娥はじっと見つめた。
青娥は強い人間が好きだった。
自覚してあえて改めようとしない性質であるが、昨今はとんと彼女の琴線に響く人間は少なくなった訳で、故に上池田・美奈歩の存在はとても好意的に映っている。
戯れで関わり始めたものの、今では青娥の方が固執しているかもしれない。
だからこそ、であろうか。青娥は刹那的感情に囚われる事が度々ある。
もし、この正義感の塊――美奈歩にこれを言えば、そこまで高尚なものではないと謙遜を口にするだろう――とも言うべき娘に己のこれまでの所業の一つでも語ってみたらどうなるであろうかと。
例えば、芳香を呪縛で括りつけている事。あるいはこれまでの人道から外れた行い。
無論青娥自身にとってこれまでの人生に対し、悔いは一つたりとて存在しない。
だが、それは世間一般的に見れば邪悪に満ちた道のり、であるのかもしれないと青娥は考えている。こう考えるようになったのは彼女自身驚くべき変化であると言えた。
これを美奈歩に感化されたと言うべきか、悪影響を受けたと採るべきかは青娥次第だが、今のところ、その結論を下すのはまだまだ先の事である。
そういった経緯も含めて、青娥は彼女に色々と目をかけていた。『強者』と定めるに必要なのは、何も持ち合わせた腕力ばかりではない。
そういった意味合いなら、この場においては誰よりも芳香が勝るし、戦闘においては、経験も兼ね備えた青娥が圧倒する。しかし、事はそう単純なものではあるまい。
正確性を求めるのであれば、青娥は上池田・美奈歩の魂の形そのものを買っていたのである。
であるからして、ついつい老婆心が出てしまうのも当然の成り行きであった。最も、当初は美奈歩もその忠告の意味を測りかねる事になる。
「危ない、っちゅうんか?」
美奈歩は青娥の言葉を聞いて、暫くの間首を傾げていた。
飲みほしたグラスの中で氷が踊る。口の中には甘酸っぱさが残っていて、彼女はどちらかと言えばそちらの感触を楽しむ方向性にシフトしていた。
「良くない気が集まっている、とでも言うのかしら」
言葉とは裏腹に、青娥の声色は深刻性を含んでいない。
彼女はおかわりのレモンティーを掻き混ぜて、期待に涎を垂らす芳香の前にそれを置いた。再び、ノズル音が店内に木霊する。
青娥は自分の意見が重用されるとはそれほど思っていなかった。
上池田・美奈歩という娘の人物像をそれなりに把握している訳だから、こういった発言は火に油を注ぐ事態にしかなり得ない。
とはいえ、そういった事態を青娥が望んでいなかったと言うには、些か早合点がすぎる。
「そないな事、分かるもんなん?」
「それなりに、だけどね。ここは少し、地霊の騒ぎ具合が酷すぎます」
「んー…………ま、確かに死ぬのはあかんわなァ。死ぬのは」
「あら、怖じ気づいた?」
「ハッ! ホンマにそう思っとるんか?」
「まさか」
陳腐な挑発に易々と乗ってくれた美奈歩に、青娥は思わずほくそえんだ。
青娥にとって、美奈歩はこれからが楽しみな逸材である。で、あるならば、超人大武闘会に漂う不穏な空気を如何にして彼女が乗り越えるのか、楽しみでない訳がない。
結論を下すのであれば、美奈歩の進退がどちらに転がったとしても、青娥には都合が良かったのだ。
「ンゴッ、ンゴゴ、ンゴンゴ」
「芳香! 飲んでんのに喋ろうとするのはやめえや!」
「はいはい、芳香は何を言いたいのかしら?」
青娥はハンカチを取り出すと、芳香の口元をぬぐう。芳香のワンピースは疾うの昔に濡れていたが、こんなものは日常茶飯事の範疇だ。
芳香は口元の異物感を嫌がったが、そのままなすがままにされていて、暫くしてからようやく解放された。
「それ、芳香も出れるのか?」
「最低限、鎮伏屋を営んでいないと出られないでしょうね。H・Nは……『霊幻道士《サモ・ハン・キンポー》』でどうかしら」
「おお、かっこいいなそれ」
「芳香も出場させるんか?」
「教育にはなりそうだけど、どうかしらね」
既に超人大武闘会でのルールは宣告済みである。
曰く、『バーリトゥード《何でもあり》』。極めて簡潔だ。
一応、大会中の殺人はご法度扱いされているが、この辺りは日夜開催されるファイターズ・ストリートとさして変わりはしない。勿論、それでも『不慮の事故』は起こってしまう訳だが。
問題は芳香を出場させた場合、誰彼構わず縊り殺してしまう可能性があった事だ。こればっかりは注意のしようがない。
芳香と実力が拮抗してくれるか、それこそ圧倒でもしくれなければ、この童形の怪物は会場を血に染め上げるに違いがなかった。
たちが悪い事に、青娥はそのような事態に陥った場合でも静観を決め込むであろう。何故なら、そちらの方が断然面白いからである。
青娥の邪な思惑とはうってかわって、美奈歩の野望は清廉潔白そのものだった。
戦闘狂と一笑に付すべきだったかもしれないが、この手の手合いにはよくある事で、若さと度胸の両立は人魔問わず訪れるものである。
「あっこの女が出てくるんゆーなら、ウチが出ない訳にはいかんやわなァ」
「『東方見聞録《マルコポーロ》』?」
「何やもう~~~! 何で知っとるんや? ウチとしてはな~、アレはこっ恥ずかしいさかい、あんまな、そのな」
「『浪速天使』と『シャーマンキング』が一戦交えたとなれば、それなりに話題にはなるもの」
まんまと目論見を見抜かれて、美奈歩は思わず赤面した。
つい先日戦端の開かれたファイターズ・ストリートは、日頃それを見聞きする者たちの間ではにわかに話題になりつつあった。
言わずもがな、鎮伏屋番付第七位『東方見聞録《マルコポーロ》』と『変身《カフカ》』のビッグマッチの事である。外区辺境で開かれた事を惜しむ声まで聞こえたという。
昨今は番付第三位『大イナル眠リ《チャンドラー》』がMIA判定された事もあり、人間種の活躍が見られる場面は中々に狭まりつつある。
そういった経緯も含めて、人間種同士の対決は一定の期待値を持ち合わせていたし、両者どちらともがビッグネームと来れば、野次馬どもの目が輝きを放つのも致し方のない事といえた。
さて結果に関して目を移せば、上池田・美奈歩の敗北という事で話の顛末がついている。
敗因はスタミナ切れだ。勝利を手にした博麗・霊夢はヒーローインタビューに対しこうコメントを残している。
「だってあいつ、暑苦しいじゃない?」
結局、霊夢はのらりくらりと美奈歩の攻撃を回避する事に終始していたのだった。
これに対し美奈歩は即座にリベンチマッチを予告したが、これも霊夢は拒否。
賭けの元締めからペイを受け取り、敗者から百二十円を頂戴すると、さっさとどこかへ飛び去ってしまった。
「ちゃっかりしおってからに……」
むかっ腹が立ってきたのか、美奈歩が悔しそうに拳を握り込む。
子供らしい感情表現を青娥は笑みと共に出迎えた。
「はいはい、どうどう。それにしても、マルコポーロが大会に出るなんて話、どこで聞いたのかしら」
「わざわざ缶ジュース代とってくほどの守銭奴が、鴨しょってきおった葱を見逃す道理はないやん?」
「なるほどね」
博麗・霊夢。それは青娥にしてみても聞き覚えのある人間だ。彼女は美奈歩より先に目をつけていた人間で、その興味は目下継続中であるが、いかんせん取りつく島がない。
それはそれで面白い話ではあるのだが、こうしたお茶会の一つにも誘えないのが難点であるといえた。
「ウチはちゃんと闘ったって気がせーへん。殆ど避けよったしなァ。そりゃー黒星は黒星やけど、もういっぺんやってもらわんと、ウチとしても何やモヤモヤしとるし、まぁ付き合わされる側としてはたまったもんやないかもしれんねんけど」
「個人的には応援させてもらうわ。私としても興味の惹かれる対決のようだし」
「おーきに」
さしもの霊夢であっても、トーナメント中にはちあう事になれば拒絶し続ける事は出来ないだろう。美奈歩との立会いを霊夢は受け入れざるをえない。
また、霊夢が勝ち星をあげ続け、美奈歩もこれに追随したとなれば、どの道彼女らは雌雄を決する事となる。どちらに転がっても面白くなりそうだと、青娥は思っていた。
所が、星の巡りとはちゃらんぽらんで千鳥足なものである。
再会の時は未だ遠方に位置している筈だったが、この度に至っては、美奈歩の幸運と霊夢の不運が上手い具合に相乗効果を引き起こす。宴もたけなわになりまして。店内には劇薬が投入されたのである。
店内に入ってきた客はどこか格好がおかしい。
せっかくの可愛らしい顔立ちを、上下不揃いのジャージが台無しにしている。おまけとばかりに、履き慣れた健康サンダルは女のそれが普段通りの格好である事を物語っていた。
一言で言えばダサいのである。年頃の娘がする格好ではない。そもそも常人であれば、店の景観にあまりに不釣り合いな恰好は慎むものである。
所で、美奈歩が注目したのはそんな部分ではなかった。
黒い長髪。当初こそ美奈歩は、娘の機微に触れては周囲に振りまかれるそれを何の気なしに見つめていたが、どうにも記憶を疼かせる。しばらく時を経てから、美奈歩は突然大声を上げた。
赤いリボンの髪止めで長い黒髪を束ねれば、それは博麗・霊夢そのものであったのだ。
「あーもう! うっさいわねえ、突然なによほんと!」
耳元を抑えた霊夢は、美奈歩の事を覚えていないようであった。半眼で美奈歩の方を睨みつける。
途端に窮地に追い込まれたのは美奈歩の方で、彼女はしまったと思わずにはいられなかった。
何が悲しくてコテコテ学園ラブコメの冒頭シーンを再現しなくてはいけなかったのか。
見れば、先ほどの失態もあってか、ウェイターの敵意のこもった視線は強いものになりつつある。美奈歩は立ち尽くしてしまっていた。
滝のように汗を流す美奈歩に助け船を出したのは、他でもない青娥である。
「とりあえず、こちらの方に座らない?」
「アンタは……何、これ、アンタの連れなの? 礼儀ぐらいちゃんと躾けときなさいよ」
引かれた椅子を霊夢はしばらく見つめていたが、大人しくそこに腰を落ち着かせると、警戒を露わにして崩さないウェイターを呼び付けた。
霊夢の目配せを受けて、青娥は快く快諾する。ここは一つそれで水に流してあげるわとばかりに、彼女は怒涛の勢いでメニュー欄に目を走らせ始めた。
こうなってくると、自分の行き場がないのは美奈歩だ。何せ、自分が放置されている間に『ナシ』がついてしまった訳だ。
こっそり尻の収め所を求める事になるのも致し方のない事である。
この辺りになってくると、霊夢の頭にもおぼろげな輪郭が、実体を帯びて現れ始めていた。
ちらりとメニュー欄から眼を外し、美奈歩を射抜く。何時だったか、そう、何時ぞやのファイターズ・ストリートの対戦相手だ。妙に汗をかく日であった事を覚えている。
とはいえ、霊夢は殊更美奈歩に関わろうとは思わなかった。今日はこじゃれた飯を食べに来たのであって、誰彼と馬鹿話をしに来た訳ではない。
「にしても、アンタとアンタが知り合いだったとはね。趣味悪いなぁ」
「つれないわね。また闘う事になるのかもしれないのに」
「闘う? 誰がコイツなんかともう一度……」
そこまで言って、唐突に思い当たる。それは態々カレンダーを持ちだしてまで目印をつけた予定である訳で、ずぼらな少女の記憶野にも強烈な印象を焼きつけていた。
「あー、天下一武道会?」
「超人大武闘会だぞ!」
「そうそう、それそれ」
キョンシーに訂正を促された事を、霊夢は特に気にした風ではなかった。
早々とウェイターを呼び付けて、パスタと食後のケーキセットを注文する。彼女の視線は矢継ぎ早に移り代わっていて、ウェイターが厨房に戻る頃には既に新たな獲物を探し始めていた。
その視線はメニュー欄に向けたまま、抑揚もそこそこに、
「で? そのー、超人、大武闘会、だっけ? 出んの? アンタ」
「そうや、今度ばかりは易々とやられはせんからな!」
「ふーん」
ようやく回ってきたおはちに、待ってましたとばかりに美奈歩は乗り込んだが、霊夢は素っ気ない対応を貫いた。
霊夢はこの女――結局名前は思い出せなかった――に対して特に思う事はない。
嫌悪は持ち合わせてないし、無論、好意を抱いている訳でもない。どこにでもいる、自分とは全く関わりのない人間の一人と考えている。
であるからこそ、大会に向けて妙な空気になりつつあるとか、人間がそこに赴けばぶっちゃけ死ぬ可能性があるとか、そういった類の忠告をくれてやるつもりはさらさらなかった。
ぶっちゃけた話、美奈歩が死のうが生きようが霊夢にはどうでもいいのだ。
「ま、出るなら出るで頑張れば? 勝つのは私だけどね」
「ハッ、言いよったなァ! 本番では覚悟しとれ!」
「口ではどうとでも言えるから、便利よね」
美奈歩は今すぐにでもファイターズ・ストリートのレフェリーを引っ張てきたい衝動に襲われたが、寸での所でその拳を収めた。
空を飛ぶのは卑怯であると、彼女は思わざるにはいられない。先のように、試合開始の合図を待たずに遠方へ逃走を図られれば、美奈歩には追う手立てがない。
この手の手合いは、美奈歩の最も苦手な部類に値するのかもしれない。喧騒に耳を傾けながら、たまたま同席を果たしていた閒神・栞はそう思う。
彼女はカウンターでマグカップを傾けて、それからこの度のお話を締めくくった。
「さて、どうなる事やら」
超人大武闘会開幕式が開かれるまでが平穏無事であったとは言い難い。
当日最初に行われたのは、事前に募集済みである今大会出場予定者のチェックである。
本会場の一つとして確保されたドーム球場にて、賞金一億円を手にするべく人々が勢ぞろいした訳だが、これが大いに遅延したのである。
何せ二百人超――改めて記しておくが、ベヘモット・G討伐戦の参加者は多くて百六十人ほどである――もの鎮伏屋が集ったのだ。全体を把握するのにはそれなりの時間が要る。
また出場資格もあってないようなものであったので、飛び入り参加者が続出した事も要因の一つとして上げられるだろう。
当然、球場出入り口は封鎖を余儀なくされ、出場者達はまるで牢獄に閉じ込められたかのような気持ちに駆られた。
チェックが無事に終了した後、次いでアガリアレプト大会企画委員長による開会の言葉が始まった。これが長い長い。
アガリアレプト本人の意向を反映させる事が可能であったならば、義務の塊でしかない恒例行事は出来るだけ短縮されていたであろうが、超人大武闘会が大規模に及んだのが彼や参加者達を不運に陥れた。
ビッグネームが一同に介する場でもあったから、当然カメラが回されており、中央としての面子は表舞台に引きずり出される事とあいなった。
「……で、あるからして……」
最初に博麗・霊夢が陥落した。番付順位への配慮から彼女は最前列にて整列していたが、アガリアレプトが宣誓を始めてから十数分足らずで泥船が出港。
アガリアレプトの眼光を気にも止めずにこっくりこっくり船を漕いだ彼女は、開会式中終ぞ目を開ける事がなかった。
次いで騒動を起こしたのが、ダグラス・ボイドを始めとする、全身の機械化を済ました者たちだ。
あんまりにもくそ長ったらしい演説に当てられて高まった負の感情が、神経系との接続回路に不具合を生じさせ、次々と機能不全を起こしつつあった。
ついに我慢の限界が天元突破した十六夜・咲夜なんぞは時を止めている間に会場を抜け出し、何時とも分からぬ開会式を時折覗きに来る事に終始した。能力の無駄遣いである。
さて、数々のいざこざを経てようやく苦行の終わりを得た選手たちを待っていたのは、二百人を優に超える人々による集団大移動だ。
何せ興行面から考えても、二百人を超える人々の戦いを一々テレビに映している暇はない。
自然、選手たちは本戦用の会場を離れて、それぞれの予選会場に分かれ、其処から再度一同に介する事となった。
本戦開始は明後日からで、今回本会場に全員が集められたのは開会式のためであり、大多数の選手とってはこれが最後の入場になりうる。
予選は熾烈を極めたが、何某が放った何気ない一言に事態は急展開を見せる事になる。
「これ、アレじゃね、ジャンプでやってた……」
この発言にやる気を削げられた幾人かは自ら辞退を申し出た。
辞退者の中には気の使い手や異界出身の者が多く含まれており、全員に共通していたのが鳥山・明の大ファンだったという事である。
「七十二番、本戦出場決定!」
「当然だぜ!」
日が傾きを覚え始めた頃になると、予選会場ではちらほらと本戦決定の声が聞かれるようになった。
本戦用トーナメント表に用意されていた空白が次々と埋まっていく。本戦での対戦相手は全ての本戦参加者が定まった時に発表される予定だ。
その最後の席を争う一戦は、予選会で最も白熱した激戦の一つに数えられる事になった。
「予選グループGィ、決、勝、戦! 両選手の入場と参りましょう!」
レフェリーの声に呼応し、特設会場に向けて二人の選手が歩む。
正方形に区切られたそれは神楽舞が行われる場に似ていたが、こちらの材質はコンクリートだ。また全長自体も比較的大きくある。
青龍の方角からは、上池田・美奈歩。H・Nは『変身《カフカ》』。
タンクトップの上にスカジャンをはおった少女は擦り傷だらけではあったが、体調は万全そのものである。その歩みに淀みはない。
白虎の方角からは、寅丸・星。H・Nは『山月記《ナカジマ》』。黄金色のメッシュが目を引く女である。
どことなく天女を彷彿とさせる格好ではあったが、往年の鬼っ娘ヒロインを思わせる寅縞のホットパンツがちぐはぐな印象を与えている。
「ウチは上池田・美奈歩っちゅーもんや」
「私は寅丸・星です。以後、お見知りおきを」
挨拶もそこそこにワンピーガワとツーピーガワはそれぞれの所定位置にて、開始の合図に備える。
だが、構えらしい構えを見せたのは美奈歩だけであった。彼女と同じく一見無手のように思える星は拳を握りしめる事もなく、合図を出迎えるようとしている。
「試合」
星が動きを見せたのはその時であった。ゆったりとした裾の膨らみに手を突っ込むと、そこから、球体に裳階をくっつけたような物体を取り出す。
「開始ィィィ!」
「喰らいなさい!」
先制攻撃は星によるものだ。一見、彼女には彼我の距離を即座に狭める術がないように思われる。
しかし、彼女の叫びに呼応するようにして、球体の表面が煌きを放ったかと思うと、そこから熱光線が放出されたのである。
これにはさすがの美奈歩も度肝を抜かされる事とあいなった。いや、それよりも早く身体が動いていた。即座に屈む。
それなりに積まれてきた戦闘経験が、星の取り出したる物体の危険度をいち早く察知したのである。
美奈歩の身体を捉えきれなかった熱光線はそのまま一直線に伸びていくと、会場の壁に衝突を果たした。
無論、この一連の結果を通してぞっとしない気持ちに駆られたのは美奈歩である。
バーリ・トゥードルールが適用されているとはいえ、ここまで規格外の武装とはち合わせたのは彼女自身初めての経験だった。
「けったいなこっちゃ……」
息を整える時間は美奈歩には与えられていない。星の持つ球体から熱光線が放たれる。美奈歩はこれを跳ねるようにして再度回避した。
かろうじて目で追える速度ではあったが、そこに反撃の機会は何一つ伺えなかった。
ステゴロの美奈歩と星とではあまりにリーチの差があり過ぎたのだ。それも、枕詞に絶望的なと付け加えて余りある程にである。
一方、事実これ一本のごり押しでここまで進出を果たした星は、容赦なく追撃を加え続ける。彼女には一切の慢心がなかった。
それというのも、彼女の決意は大会出場に至るまでの経緯に大いに由来する。その決意を十二分に理解するためには、彼女の過去から現在に至るまでを吟味せねばなるまい。
かつて、名もなき一頭の寅がいた。齢百年を優に超えており、妖怪と呼ばれるようになって久しい。
この寅、無暗に殺生を働く事なく、食らう時にだけ牙を剥き、生きる為のみに爪を研いだ。
この寅にやんごとなき理由から目をつけられたのが、伝説の僧侶が姉、聖・白蓮である。
仔細はあえて省くが、白蓮は妖怪の立場に立った人間であり、建立された寺までもが妖怪を敬ってのものだった。
さてこの白蓮、生来毘沙門天を信仰していたものだから、当然本殿には毘沙門天が居られるべきだと考える。
とはいえ、神が人と共に生きた時代の頃の話だ、毘沙門天は自身の業務に忙殺され、この寺を訪れる事は殆どなかった。
また、かの神があまりに偉大過ぎた事にもけちがつく。妖怪のために建てられたというのに、放たれる神の残り香は、こぞって妖怪達を恐怖に陥れた。
これに困った白蓮は、毘沙門天の代理人を立てる事にした。それも妖怪の代理人である。
妖怪を矢面に立てる事により、妖怪達の視線を逸らそうといった魂胆で、この時白羽の矢が立ったのが件の寅であり、後の寅丸・星であった。
これに快く応じた星は、業務を忠実にこなした。
なし崩し的に代理人を立てられた毘沙門天はこれを信用しておらず監視役を派遣したが、その監視役の目からしても星の業務は非のうちどころがなく、途端に肩すかしを喰らう羽目となった。
寅丸・星は優秀だった。あまりにも優秀過ぎた。
やがて人の身でありながら妖怪を敬い、人ならざる法力を身に付けた白蓮が人間による突きあげを受ける。
曰く、人の皮をかぶった悪魔。曰く、人外の化け物。人里と交流を保ちながら妖怪に手を差し伸べるというダブルスタンダードが常人の理解を得られなかったのは想像に難くない。
彼女はさしたる抵抗も見せずに捕縛されると、特大の法力を持つ大僧正達の前に突きだされ、異界への封印を施された。彼女の元に集った妖怪達も散り散りとなる。
その間、寅丸・星は黙々と毘沙門天の代理人で在り続けた。例の一件において寺と聖・白蓮は無関係と見なされ、打ちこわしの憂き目に遭う事もなかったからである。
星に思う所がなかったといえば嘘になるが、だからといって彼女が行動に移るわけにはいかなかった。
毘沙門天の加護を得て人の形を得た彼女にとって、本性が寅に過ぎない事は何にも勝る秘密であったし、また白蓮が残した寺を守り抜くためにも、星はこの事態を静観せざるを得なかった。
当然、白蓮を失った寺は荒廃した。人妖の来訪は絶え、庭の管理には手がつかなくなり、やがて人々の記憶からも喪われた。
それでも、星は毘沙門天の代理人を務め続けた。
その間、彼女に去来する思いはいかほどのものであったか。後悔はどれほどのものであったか。ともかく、星の苦悩はそれから数百年に至って続いた。
そのくびきを断ったのが、『大召喚』である。
『大召喚』による大混乱は、様々な人々を人魔問わず不幸に陥れた。
その不幸の落とし子の一つがダブルマンで、これは異界に通じる門が肉体に生じた事により、大召喚時の軸の重なりから、同座標に偶々立っていた者同士が合体を果たした存在だ。
一方が知能指数の低い場合、これは即座に混乱に陥り、文字通り自分を殺して自分も死ぬ。
その他にも多岐に渡る災禍が人々に降り注いだ訳だが、その渦中において、寅丸・星だけは『大召喚』を幸運の象徴として捉えた。
あまつさえ、奇跡と称して喜び狂った。人の皮を破り捨て、寅の姿に戻ってまでむせび泣いた。
『大召喚』によって世界の箍が外れ異世界の混入を許した訳だが、その中にはかつて白蓮が封印された異界も含まれていたのだ。
星はこれを喜んだ。無論負い目がなかった訳ではない。人魔が悲鳴の響き渡る世界において彼女は異端者そのものであったが、その時ばかりはさしもの星も代理人の立場を忘れた。
今思えば、これがけちのつけ始めであったのではないかと星は考えている。
数百年ぶりの邂逅を共に喜びあう時間は星には存在しなかった。事態を把握した白蓮は、再会から数日後には行方をくらましてしまったのである。
これには星も驚いた。申し訳ばかりの書き置きは残されていたものの、彼女は呆然に囚われて微動だにせず、日が暮れるのをただ見つめる羽目になった。
試合に話を戻そう。
「ハッハッハッハァ! 勝てばよかろうなのだ!」
断続的な熱光線が、執拗に美奈歩をつけ狙う。だが、それが捉えるのは美奈歩の残滓ばかりだ。屈み、跳び、後退し、美奈歩は回避に終始する。
皆々様がご周知の通り、星は今回の大会に並々ならぬ決意をもって臨んでいた。
賞金が手に入れば、錆びれ荒廃しきった寺を再建する事が出来る。お題目に白蓮の名を冠し、信者を得る事が出来れば、彼女も戻ってくるかもしれない。
後悔と自責の念に囚われた寅は、妄執的な信仰心と強固な強迫観念に駆られていた。二度までも、二度までも手元からすり抜けてしまった。その思いが寅を突き動かしている。
決勝戦は美奈歩の防戦一方で展開した。手も足もでない状況に、美奈歩の顎を伝って汗が垂れる。絶望的だ。
「よっ、ほっ、はっ」
「どうしました。逃げているばかりでは勝てませんよ」
「んー、どーしたもんかなー。どうにも近づけんわなァ」
問答を繰り広げている最中も執拗な攻撃は続く。しかし、またもやその一撃は回避されて、熱光線はバトルフィールドを穿った。コンクリート片が礫となって巻き上げられる。
ようやく美奈歩の出番が回ってきた瞬間だった。宙に舞ったそれを、思いきり力を込めて蹴りあげる。
それなりの威力をもって飛来するそれを星は払いのけた。
こればかりは熱光線の役目ではない。一定の等間隔をもって出力を捻出する訳だから、礫に狙いを定めてわざわざ攻撃の一手を失う必要性はあまり存在しない。
「せい! せいせいせいせい、せい!」
しかし、その選択は煩わしさを伴った。熱光線を回避しつつ、美奈歩が散乱した礫をこちらに投擲し始めたのだ。
払いのけても払いのけても弾は尽きる事を知らない。首謀者は素知らぬ顔で星の手の平に収まっているのだから、残弾が減らないのは当然の成り行きである。
こうなってくると、星の中に欲が生まれた。球体――宝塔と呼ばれるそれに力を込め、出力を増大させて一気にカタをつけてしまおうと彼女は画策したのである。
しかし、ここにはリスクが存在する。大いなる一撃には、大いなる隙が伴うのだ。溜めは大きく、発射した光線に阻まれて視界は明快さを失う。
その一撃までもが回避された場合、当然対戦相手は事前に接近している訳だから、その拳の侵入を許す事になる。
星は二者択一を迫られた。相手のスタミナ切れを待つか、自分から打って出るのか。
当然、リスクマネージメントを図るのであれば前者を選ぶ事になるのは確定的だ。
賭けに出る必要性は全く存在しない。しかし、それを採決するのは星自身どうにも気が進まなかった。
星は、この対戦相手を面倒くさいと思っていた。それは感情の発露とも言うべきである。
彼女はかつて感情を抑制した事によって、後々に至るまでの後悔を背負う事となった。
もしあの時、白蓮を助けに行っていれば。もしあの時、自分の正体が露見する事も厭わず、大僧正どもの前に躍り出ていたならば。未来は変わっていたかもしれない。
星は感情に嘘をつきたくはないと思うようになっていた。寺院に末席を置く立場としてはあるまじき思いではあるが、欲に正直に生きたかったのである。
だからこそ、彼女は決断を下した。
「次で、必ず貴方を倒します。勝つのは、私です」
無論、光線の嵐がなりを潜めたのを黙っている美奈歩ではない。横っ跳びで崩した体勢を即座に正すと、星に向かって突進を敢行した。
宝塔の輝きが一層強くなる。しかし、美奈歩は躊躇を持たなかった。前に進めば道は必ず開かれる。開かぬ扉があるならば、無理矢理錠前を壊すまでだ。
美奈歩の視界が光に包まれる。熱光線の放たれる直前の兆候だ。幅広に放たれるであろうそれを回避する術はもはや存在しないし、回避する気は毛頭ない。
最早突っ走るだけだ。美奈歩は叫び声を上げる。
「勝つのは、ウチや! 絶対に、かぁぁぁぁぁぁぁぁつッッッッ!」
上池田・美奈歩が奥義、音声変換拳。彼女の口から言霊となって吐かれたそれは、具現化を成すと、始めに縁取りを得た。続いて文字媒体を手に入れ、受肉を果たす。
まるで漫画の台詞欄のようなそれは声の壁と言っても差し支えなく、果たして放たれた特大の熱光線との激突を行った。
これをまさかといった表情で見つめる事になったのは星だ。毘沙門天より授かりし宝塔光線が、何だかよく分からないものによって防がれている。
未知とは興味を覚えさせるが、同時に恐怖を振りまく。星が後ずさりするのも致し方のない事であった。
この女は馬鹿正直な事に真正面から対抗してきたのだと星がようやく悟った時、光線を圧倒する勢いで音壁が彼女に向かって急速な勢いで接近してきた。そのまま、頭部に激突。
彼女の手元を宝塔が離れ、変わらず出力し続けていた光線が掻き消える。
「くっ」
ふらつく視界の中で星は見た。立ち消えになった音壁の向こうで、美奈歩が額から血を流している。
彼女は自ら音壁に頭突きを喰らわせると、その勢いを維持したまま、間接的に星との激突を果たしたのである。
馬鹿だ、と星は思った。それと同時に美奈歩の事をとても好ましく思った。
成程、白蓮とは正反対の人間ではあるが、中々に良い面構えをしている。どれほど時が移ろうとも、魅力的な人間が時折現れるのはいつの世も変わらぬらしい。
「お見事」
星の鳩尾に拳が沈む。彼女は笑みを持って美奈歩の勝利を称え、それから意識を手放した。
そしてこれにより、ついに本戦出場者が勢揃いする事になる。
第一回戦は全て抽選によって選ばれた。結果は以下の通りである。
一回戦第五試合、霧雨・魔理沙。H・N『星ノ切符《アクショーノフ》』VSボーイズ・レオニドヴィッチ・パステルナーク。H・N『真夏ノ夜ノ夢《シェイクスピア》』。
第六試合、十六夜・咲夜。H・N『砂時計ノ書《ユンガー》』VSダグラス・ボイド。H・N『野獣の街《エルモア》』。
第十試合、鳥ジャガーⅣ世。H・N『超男性《ジャリ》』VS物部・布都。H・N『日ハマタ昇ル《ヘミングウェイ》』。
第十三試合、博麗・霊夢。H・N『東方見聞録《マルコポーロ》』VS星熊・勇儀。H・N『居酒屋《ゾラ》』。
第十五試合、上池田・美奈歩。H・N『変身《カフカ》』VS古明地・こいし。H・N『恐ルベキ子供タチ《コクトー》』。
舞台はここに全て整った。
後はそう、無粋で不気味な乱入者の登場を待つばかりである。
黒い霧が形を成す。それはおぼろげではあるが人の形をとりつつある。