たゆんたゆんでございます。
「……はっ! 別に見ていませんヨ!?」
「女の子は、男の子のそういう視線には敏感ですのよ?」
さてさて、女の子とはどこにいらっしゃいますのやら。
ちんまい子猫と、酒を心の友とする飲んだくれがお一人。
どこぞの紳士がおりました。カッコイイシルクハット。カッコイイスーツ。
ブラボー、ブラボー、そこのボニチーニャ。僕とお茶でもどうでっかい?
しかして、彼の守備範囲には毛駄物とロクデナシは入っておりませぬ。淑女に伸ばすべき手はポッケに入ったまま。
卍巴市、不思議町は足洗邸。田村・福太郎が会う初めての住人とあいなります。
「ふぅん、田村・福太郎?」
「あ、はい。田んぼのある村、福のある金太郎飴で田村・福太郎でおま」
「あらあら、そこまで耄碌してないわよ。ええと、金太郎さん?」
「いや、熊と相撲するつもりはないんで」
「あらあら、まあまあ」
さっむいさっむいボケを打ち鳴らすのは八雲・紫なりの処世術なのであろうか。
とにもかくにも愛想笑いを福太郎は一つ。飲んだくれに切れるカードは、テキトーに付き合う、これしかない。
テーブルの上には溢れん限りの酒瓶が並んでいる。付き合う程度にしか酒を嗜まない福太郎であっても見知った有名どころのオンパレードである。
しかして、ここでまたもや不思議に直面。彼女もまた、社会保障ナンバーをつけていない。
怪の者と少なくない交流を持ってきた福太郎を持ってしても、こうも常識外れの存在に続けて会うとは少々衝撃的であった。
「あ、鬼殺し」
「あら、知っているの?」
「や、マンガ本で見た事あるだけで、味はちょっと」
「それは残念ですわ……」
妙齢の女がワンカップの底を恨めしそうに見つめている。それはそれは残念な絵だ。
仕事帰りのおっさん共と、おでんに舌鼓を打っているのが彼女には合うような気がする。
それはそれは残念な話だ。
「ほら、紫。もう今日は寝とくニャ」
「おかしな話ね、こまちゃん。こんなにも明るいのに寝床に向かうなんて、お天道様が見逃してくれませんわ……」
「お天道様は今お隠れになってるニャ」
「空に岩戸はありませんわ~」
本日晴天なり、雲時々。いやんいやんとこまの小言に耳を貸さない紫。
毎度の事なのであろうか、こまの言葉はけだる気を帯びている。
立ち尽くすは福太郎。新居を前にして、彼はいつになっても通せん坊をされている。
これは紫の策略か。当初から姑にいびられてしまい、福太郎の心は今にでも千切れそうでございます。ああ、お母様。わてくしに新居の敷居をまたがせてくださいまし。
「あ、田村サン」
「は!? な、なんですか?」
「御覧の通りのありさまニャ。鍵を渡しとくから、先に荷物を置いてきてくれてかまわないニャ」
「はぁ」
器用に裾から鍵をとりだす猫又。おうおう時代劇で見申し上げたとちょっぴり感動する福太郎。
「田村さんは、七号室ニャ」
「二階、ですよね?」
「はいニャ」
ぽんと手渡される古臭い鍵。アクセントとして付属するキーホルダー。そーですそーです。例の光る骸骨キーホルダーです。これでもう無くさないでございましょう。光りますので。光りますので。
「はいはい紫。自分で片付けるニャ」
「私は要介護よ?」
「自分で行動する。自分で選択する事は脳味噌を活性化させるニャ。それと」
「何かしら?」
「毛駄物とふれあうのもいい傾向ニャ」
「あらあらまあまあ」
ふれあいハートフルホームシアターは絶賛放映中でございますが、いい加減福太郎のケツは限界である。そーですそーです。そろそろおけつ様の調子が悪いのです。
後々のために、管理人さんに箒を借りておこう。庭で跨って魔女っ子気分でレッツトライするのだ。さすれば、お隣様お住人方の憐みの視線を持っておけつ様のスキルアップを目指せるであろう。
「あー、ケツいったいわ」
さすりながら玄関戸の前に立つ。開く。閉める。取っ手付きの悪さは、築なん年の重みを教えてくれる。ただ単に欠陥住宅なのかもしれないが。
「あ、田村さん!」
「はい?」
紫の相手をしているのも関わらず、何かしらの急を要する件があったのだろう。こまの声が届く。何と住人思いな管理人でございましょうか!
そう思ったのも束の間のみである。
「誰も住んでないけど、二号室には入らない方がいいニャ」
「え?」
「ランダムででっけえー足が降りてきて、「洗えー、洗えー」って言うのニャ。三年前住んでた味野さんって人が踏みつぶされて死んだニャ」
「ははは……」
ケラケラ笑っている場合ではないでございますよ、足洗邸管理人様。福太郎殿。
ともあれ、高確率でそれが、足洗邸の由来であろう。そんな危険地域を居所にさせられるとは、味野とやらはよっぽど人に恨まれる質であるらしい。
よもや、ヒレンの如く踏みつぶされるのが今生の結末であるとは思いもしなかったに違いない。
俺たちはゴキブリじゃないぞ!
「まま、ゴキブリみたいに踏みつけられないよう、気を付けるニャ」
「ははは……」
「あ、でも味野さんはいい人だから安心ニャ」
お母様、どうやら味野さん(故)は『でる』そうで。
さてさて、恐らくは覗く事になるであろうと心中につけ加える福太郎。何時になっても人の話を聞かぬ冒険心を持つ事が、男の子には必要なのでございましょう。それで命をおとしてしまっては、糞の役にも立ちませんが。
「あ、それとニャ」
「ま、まだ何か?」
「許可もなしに、他の部屋にも入らない方がいいニャ」
「そりゃあもう重々承知してます」
味野さん(故)の境遇がマシに思えるほどの結末が待ち受けているに違いない。
二階にあがると、開放感のある大窓の桟に座り込んでいる真白の男が居た。無理矢理染めた風ではない。自然な髪質。
古を知る、といった風の昔ながらの日本家屋にぶちまけられました真っ白は、どうにも似つかわしくなかった。異物? はてさてそうは感じませんでした。
不思議に思えたのは、窓の向こう側、何処とも知れぬ場所に釣竿の糸を垂らしている事であろうか。庭に池などない。まさか、土の中に魚がいるわけでもあるまいし。蚯蚓に釣り針でも引っかけようと言うのか。確かに深海には似た輩もいるだろうが。
途端に興味心が湧いてきたのは職業病か。得体が知れないという事を、ヤドクガエルの攻撃色のようにびんびんに発している男にあえて近づいていく。
「よ、よろしゅう」
「あ?」
「自分、田村・福太郎言います」
煙草を咥えた男がこちらに顔を向ける。
ギラギラとした、獣のような瞳をもつ男だった。髪の毛と同じ真白のシャツを気だるげに身につけている。はだけた胸元には数珠らしきものがチャリチャリワルツを踊っていた。
「あー……こまが言ってた新しい住人ってやつか」
「そうっス。所で……何してんスか?」
「見てわかんねえのか?」
釣り竿を持つ男。
釣り。しかし、それを言うのは思いっきり憚れた。
ここは海でも湖でもない。
「……自分は鯛が好きです」
「はぁ?」
窓の外に体を乗り出してみると、文字通り、地獄に向かって蜘蛛の糸が伸びていた。
暗黒に沈む井戸に向かって、釣り糸。草むらに隠れていたが、あんなものがあったのか。
所が、井戸のくせにそいつは惰眠を貪っていた。水を汲むための桶などどこにもないし、どうやら疾うの昔に枯れてしまっているらしい。
……否否、おかしくありませんでございましょうか? 枯れ井戸に糸を垂らした所で、何が釣れるというのでしょう。せいぜい、間抜けにも落っこちた泥棒が関の山だ。
「ん」
すると、釣竿が揺れた。何者かが、何某かが擬似餌にだまくらされたのだ。
「よっ!」
グイィと引き上げられる獲物。哀れ、魚であれ、何であれどうであれ、彼の者にはもはやどこぞの腹に収まる結末しか残されていない。
そういう常識に縛られた世界であったならば、「大召喚」など起きなかったでございましょうに。
「なんだ味野か、オメーじゃねえよ」
「うおっ!」
引き上げられたのは骸骨だった。死体である。
味野さんである。
所々に付着した肉片がなんとも現実味を帯びていた。とーきょーわんに打ち捨てられた死体の方がもっと綺麗な処置を施されているに違いない。何せ、あちらはトランク詰めだ。
ここの管理人は何ともバイオレンスである。死体ぐらいちゃんと埋葬してやってもよいのではないか。何も、井戸に捨てる必要もあるまいに。
もしかしなくても、不幸な事故がこの身に起きれば、葬送の場はここになるのでござい?
福太郎をしても笑えない冗談である。死ぬのは何時でもよい訳ではあるが、後始末に関しては丁重な措置である事をお願いしたいと遺言状に書き添える事に致しましょう。
「あの井戸は地獄に繋がってるから、落ちない方がいいニャ」
「ははは、面白い冗談ですね」
紫の処理が終わったのか、管理人がいそいそと階段をかけあがってきた。目下、福太郎にとっての危険人物であらせられるお方である。猫缶の一つや二つ、賄賂を送っておいた方がよいかもしれない。
「ん、何だ、お前人間?」
「? そうっスけど?」
ふと気付いたように、男が声をあげる。その思わせぶりな言い方に、うすうすと福太郎はお分かりの御様子。お分かりのとおりである。残念ながら。
「人間のくせにココに住むたぁ――変わりもんだね」
「……はぁ…………」
口ぶりからして、白男も妖怪なのであろう。それを理解した福太郎は、差しだされた煙草にやっとこさ火をつけるのが精いっぱいであった。弟よ、後は頼んだ。福太郎はいばらの道を進む。
「五号室の義鷹ニャ。探偵の人ニャ」
遅れたように、こまからの自己紹介。しかして福太郎による実況見分を鑑みるに、浮気調査やペット探しとはどうにもこの男は無縁である。
実力行使で依頼を完了する無頼漢のようにも思えるのだが、気のせいなのでしょうねえ。福太郎はそういう事にしておいた。
「あれ、もしかして、さっきの三号室の人も……」
「紫ニャ」
「そうそう、紫サン。もしかして……」
ニンマリ。
耳にまで届きそうなほど破顔するおこまさま。義鷹さま。
そう言う事なのでございましょうねえ。
拝啓おじいさんおばあさん、わてくしは本格的に妖怪邸に迷い込んでしまったようでございます。私物は焼却処分で構いません。福太郎の心中は汗だくである。
にたにたとこちらをからかう義鷹一行にとって、八雲・紫は最高のスパイスだ。
「下手したら、くわちまうかもしれねえな。お前」
「そんなご無体な」
麗人によって一噛み二噛み。も一つ噛み噛み。
人はみかけによらぬといえど、酔っ払いノンベエが牙を立てたるシーンはいまいち沸いてこない。化け猫と白髪による惨劇といったほうが、まだ想像に難くないことだ。
「下に霊の通り道があって、北に火葬場、東に病院、西に寺と無縁墓地、南に自殺の名所があるんよ」
「ほ~~~~~、オモチロイっスねぇ。もっと聞かせてくださいな」
やせ我慢。やせ我慢である。思わず福太郎は煙草を落として火の海にしかかった。
よくもまあそこまで物件におけるマイナスを大盛りにしたものだ。安いのも頷ける。ご近所がこの世の方ではございませんとはどういった了見だ。
つまらない物を送る必要はないご様子で、経済的には万々歳であるが。さてさて、おこまさまの人を小馬鹿にしたような笑い声はいっそ愉快でござりまする。
福太郎の運命とは、かくもまあ辺鄙な所に向かっていくようだ。螺子を一つや二つどこかに落としてしまったのか。
行く末を危惧する輩を有する一行の談笑に、ドタドタ誰ぞが階段を上る音が加わる。
「ちーっす」
「お」
「六号の望月っすー。コンチャー」
いつの間にか住人が返ってきたらしい。眼鏡をかけた金黒メッシュ女の御帰宅だ。
見知らぬ靴を玄関口に見かけての口ぶりだろう。
「あ、田村っス。よろしゅうに」
「んあ、玉兎ニャ」
たまの言葉を察するに、望月・玉兎サンという女性であるようだ。
「新しい人? んじゃあ、もしかして七号室?」
「はい。どうぞ、よしなに」
と、玉兎サンが突然思案顔に陥った。どこかにおいていったパズルピースを拾い上げに。
何かを忘れているのでございましょうか、はてさて、玉兎サンはとうとう思いいたった。
「アレ? でも七号って、『お仙が殺された』部屋じゃ……」
ぽかんとした新入りを置き去りにする住人たち。
そして、ニンマリ。
耳にまで届きそうなほど破顔するおこまさま、義鷹さま、望月さま。
そういう事なのでございましょうねえ。
福太郎殿は、不良物件の極みにぶちあったったわけでごじゃった。
じいいいいいいいいいい。
いいいいいいいいいいじ。
じいいいいいいいいいい。
いいいいいいいいいいじ。
鏡もかくやというつるっぱげに出くわいまして。
思わず手が出て、ペシンと叩きたくなってしまうのも御愛嬌でごじゃりまする。
福太郎が足洗邸に辿りついて、初めての夜が訪れた。
特にする事もない。画材を買いにいくのは身の周りを整理してからもいいだろう。ケツも痛い事であるし、本日の課題はさっさと寝くさる事である。
じいいいいいいいいいい。
いいいいいいいいいいじ。
じいいいいいいいいいい。
布団を敷いて、掛け布団。
はてさて、後は眠るだけだと電気を落とした。
横たわる。
「………………」
じいいいいいいいいいい。
いいいいいいいいいいじ。
いる。
「…………」
女が。ここに。
こちらを。
見ている。
天井から、逆さまに、顔をちょこんと出して、泣きながら。
前情報から鑑みるに、この子がお仙というお方であろう。
こうも恨みがましく見られては、寝られたものではない。
じいいいいいいいいいい。
「…………」
眼があう。
じいいいいいいいいい。
こっちを見ている。見ている。見ている見ている見ている……。
じいいいいいいいいい。
いや、見てるだけかいな。
日本妖怪特有の奥ゆかしさは、刺激求める青少年には似つかわしくないものである。
ぶっちゃけ言うと、つまらんのでございます。
「よっと」
「っだい!」
「あ、触れるのね」
長い長いポニーテールが丁度いい所に垂れてきていたので掴むと、実体であった。
手を見ると、何本か引っこ抜いてしまったらしい。キューティクル劣化! キューティクル劣化! ととりあえず相手側に責任逃れしておく。
少女の叫び声が夜に木霊する。
「!呪 !呪」
「ああ、スマンスマン!」
先にもまして涙に顔をはらす少女に、早くも謝罪をする福太郎。
女の涙に男が弱いのは、いつの時代も男の性でありまして。
ぶらんぶらんと髪をゆらして怒りを表現する少女を片手でおがむ。
「俺、今日越してきた田村言いま。よろしゅうに。恨みごとの一つや二つ、聞いたるから、そう怒りなや」
「!」
長年天井にぶらさがっていては、話し相手の一つや二つ欲しくなるものであろう。
案の定、少女の体がするりするりと天井から降りてくる。どこぞの制服なのであろうか、胸元には『笠森』のプレートが光っていた。
あべこべの天井の主であるが、さすがに服まではそうはいかなかったらしい。スカートを抑える手がいやに扇情的だ。
「?のんれくてい聞にトンホ 。仙・森笠、私……」
「ああ、聞いたる聞いたる。意思の疎通が出来る妖怪やったら怖わないからね」
「?のるすうど、らたきてっ言てっいさだくてせさべ食をタナア」
「そ、そいつはかなわんなぁ……」
「あなかうおらもてせわ言、言み恨、ま」
とはいえ、真に恐怖するのはこちらの言葉を理解せず、理解するつもりもない存在であるのは確かだ。命乞いさえ通じぬと来ては刃も立たぬ。
さてさて、理解しあえる相手、笠森・仙の話はとんでもないものだった。
いきなり天井から入ってきたストーカーに襲われ、天井に死体を隠されていたせいで、先日妖怪化したとの事。
「最悪やなぁ」
「にトンホ、やい」
テンジョウクダリ。天井下。恐らくは、彼女はその部類のあやかしなのだろう。ここまでピンポイントの妖怪もそうはいまい。垢舐めさんとも会いたいものだ。
「うげぇ」
「? ?のたしかーど」
「いや、ちょっとな……」
天井にぶら下がっている彼女と会話するに、嫌がおうにも上を向くことになるのだが、これが、首が痛い痛い。
どなたか、どなたか! 誰かある! ぐきぃっとなった福太郎の首の音を誰ぞ聞きましたでしょうや!
となれば、彼女との彼我を近づけるのが一番だ。
そういうわけで管理人室にわざわざ出向いた訳だが、夜はやはり、あやかしの時間である。
『こまニャ』
『ひい』
一体、何を食っていたのやら。おこまさま。口から血が滴っておりますよ。おこまさま。部屋の中からする奇妙な鳴き声はなんぞなもし?
「れそ何、かて ?のたしうど、りかえお、あ」
「いや、何でもない……」
ガチャガチャとはしごを組み立てるのをじぃっと見つめているお仙。
組み立て終わった梯子を数段上り、腰かけ、天井からぶら下がった電灯に体重を預ける。
「な、この方が話しやすいやろ」
「!―ネルヤ」
「んで、さっきの話の続きやけど……」
するするする。
お仙の体が再び天井から出てくる。どんどん。どんどん。
ふくらはぎほどまで現出しただろうか、そのままお仙は腰を折り、尻を梯子の頂点に置いた。
梯子に座り込んで、足だけが天井に残っている状態である。その過程にて肘をぶつけてきよったのは、福太郎にとって大いに誤算であったが。
ともあれ、これにて天井下はさかさまの存在ではなくなった。
「えっと……」
「…………」
「何の話……だっけ?」
「いや…………あー、犯人、捕まったんかなて」
「ああ、それ」
お仙の声は冷え切っていた。それはもう、興味が失せているようであった。
復讐心とか、怒りとか、そういった感情はのっていなかった。
顛末を聞いた福太郎は、その理由に納得させられた。
「むこうどなりの探偵さんに頼んだの、そしたら、自殺してた」
「そか……」
それで話は終わりである。続きはない。もし続きがありましたなら、お仙はどんな顔つきでコレを語っていたでしょうか。話は詰んでいるのだから、想像さえも難しい。
その犯人がどうであれ、何であれ、もはやお仙には関係ない話だ。
「ふぅん。ホントに探偵サンなんや。そーいや……」
そこから長らくお話をする事となった。
福太郎にとって、天井下の彼女の話は随分と楽しい物であった。
誰彼かまわず『タタル』霊もいれば、こーゆう霊もいるのだなと楽しくお思いになったようでございます。
お仙は何と十年来の古株であるらしかった。この十年の間、何度か七号室が埋まる事もあったが、すぐに出ていってしまったらしい。
「へえ、お仙の姿を見たら逃げたんか?」
「そうそう」
人の姿をしているだけわりかしマシな部類であろうに。
そう福太郎が思わずにいられぬほど、この世界は魔を内在している。否、もはや魔と同化している。癒着してしまったソレは、もはや誰にも元に戻せない。
コーヒーにぶちまけられ溶けだした砂糖を一粒子に至るまで、あまねく取り除く事が出来るであろうか。もはや諦めて飲みこむしかない。世界はこの現状に慣れてしまったのだから。
さて、お仙によると、足洗邸の住人は福太郎の来訪によってあと一部屋を残すばかりだという。
管理人室 竜造寺・こま
壱号室 メフィスト先生
弐号室 味野さん(故)。徘徊癖あり。
参号室 八雲・紫
肆号室 欠番
伍号室 義鷹
陸号室 望月・玉兎
染号室 田村・福太郎with笠森・仙
捌号室 なし
「はて……」
「んー?」
一つ話題にケリがついた所にあって。
ふと、福太郎が息をついた。
「ちょっと、俺うつった方がええんかもな」
「何で?」
たまらず口をとがらせるお仙。
楽しいお話に水を差す様なものである。
一晩中語り尽くすつもりであったお仙からしてみれば尚更だ。
「ここにはお仙がおるからなー。せっかく一部屋空いてるんやし」
「えー? 私は別にいいよー?」
ノン、ノンと首を振る福太郎。
そうは言われましても、紳士淑女の味方と謳われる福太郎サンからしてみると、女性と同じ部屋というのもどうにも居心地が悪かったのだ。
彼女にもぷらいべーとがあるのでございまするに。住人にはぷらいべーとが保障されているわけでございますに。
そうともなると彼の行動は早かった。
「ちょっと管理人さんトコ行ってくるわ」
「ちょっとー?」
「ははは、待てと言おうが手を伸ばそうが、お仙さんはそこから動けんのやね! HAHAHA!」
「ぬおー!?」
どたばたどたばたあはんうふん。
辛くも笠森・仙の魔の手から抜け出した福太郎は、今更ながらに静かに足を進めた。夜があやかしの本領とはいえ、迷惑には違いない。
大窓からは、月がこちらを見つめていた。夜の監視者。ランプにガス灯、電灯に、どれだけ地表に光があふれても、月の見事さには敵わない。
しかし、見惚れている場合ではなかった。
二階から一階へ。
と、そこへ。
「お……?」
「あら……」
「どもっス」
そこで飲んだくれと再会申し上げる。今のところは、しらふであるらしかった。
八雲・紫は邸の中だというのに、車いすに乗っている。ばりあふりーの整備のないここではさぞ苦しいものだと思うが。そうまでして動きたくないのか。この飲んだくれめは。
ナイトウェアがいやに扇情的である。ムハー! である。
「これから本領発揮ですか」
「そういうわけでもないの。ふと起きてみただけですわ。人界との交流も増えたし……それに、昔よりも、眠らなくなりましたの」
「それはどういう……」
「一昔前は、そうね、一日の大半は眠っておりましたわ」
「ははー、そりゃあ長いですね!」
熊みたいに冬眠しそうな勢いである。最も、八雲・紫が春先までのために腹をぱんぱんに膨らませているのは想像しにくい物があるが。
「ん……?」
さてさて所で、車椅子を推したる人、それは福太郎の見知らぬ人物だった。
メフィスト先生、であろうか。この邸の住人で顔をまだ合わせていないのは先生なる人物のみである。
味野さん、も範疇に入るのであろうが、少なくともそこにいるは肉つきのよい女性であり、骸骨などではない。
果たして、真相はまったく違った。
その人物は――たわわに生えた尻尾を持っている。
その人物は――金色に輝く、おっぽを持っている。
その人物は――都合九本の尻尾を持っている。
耳の形合わせた帽子。ゆったりとしたフォルムの服は母性を内包しているように見える。
しかし、しかししかししかし。
それを着こなす人物の目は死んでいる。
死を身に宿している。
ここまで人は、妖なる者は、生きた風を感じさせぬ表情を出来るものなのか?
それは、本当に、生きているのか。
無機質な瞳に、イキモノといった評価は決して与えられない。
「あの、そちらさんは……?」
福太郎の問いに、八雲・紫は明瞭な声で答えた。
「これは――人形ですわ」
「人形……?」
人形。
「そう、人形。姿かたちは同じだけれども、それだけ」
紫の後ろに控えるそれは、何も言わない。
「喋れない。何も考えられない。記憶は持たない」
紫の後ろに控えるそれは、突っ立っている。
「私の記憶の中にのみ住みつく残骸の、模倣」
紫の物言いは酷く凍てついたものであった。
冷たい。凍えるようだ。凍てついている。
福太郎は寒気を覚えた。紫に、どこに目を向けているのかも分からぬ従者に。
「それだけ。それだけですわ……」
「…………」
「大召喚」で被害を受けたのは、決して人間のみではない。
確かに、福太郎の中に潜む恨み、つらみ、憎しみ、怒り、絶望は、ああ、ああ、誰かれに同情など受けたくもない!
己が「大召喚」でもっと苦しみを受けた!
つらかった!
苦しかった!
……そう言うのは簡単な事だ。本当に、簡単な事だ。
自分を世界の中心に据え置けば、全ては都合のいいように回る。
脇役どもが、己に口出すことはない。
しかし、違うのだ。違うの、だろう……。
「その……」
「何かしら?」
「それ、ああいや、その人」
「これがどうしたの?」
これ、それ。
ああ、何と似つかわしくない響きでございましょう。それは、確かに人の形をしている。それは、確かに人の形を模しておりますのに。
だというのに、何とぞんざいに扱われる存在でありましょう。科学の日進月歩によって打ち捨てられる機械が夜な夜な泣くように、機会があれば、機会があれば、この人形風情はどこぞに追いやられてしまうのでしょうか。
それは、悲しい事にございまする。
少なくとも、福太郎そう思ったらしい。
「そんな、邪険にあつかわんでやってください」
そんな事を言う立場に福太郎はいない。
「どういう事なのかしら?」
「その……人の形しているのが、あんまり邪険にされとんのは……寂しいじゃないですか」
「…………」
何の許可持って、そんな事を言う資格が福太郎にあるのか。
「……寂しい……」
ぽつんと呟きまするは、大妖怪、八雲・紫。
彼女にしてみれば、田村・福太郎など子どもと大差ございません。この戯れ、月下における彼との邂逅に、重みなんぞがありやしょうか。
しかしてしかして、その言葉は、紫の心に深く突き刺さったのであります。
「いや、そんな事言う道理なんてありゃしないんですけどね、はは、ははは……」
福太郎は、そそくさと管理人室に向かっていった。
カラカラカラ……
外は風が吹いている。
月が紫を見つめている。
「ねえ藍……」
藍は答えない。
「外は寒いわね……」
藍は答えない。
「私の可愛い娘……」
藍は答えない。
「寂しいわね……」
藍は答えない。
「寂しい……」
藍は答えない。
「寂しいから、『あなた』はここにいるのよね。そうね…………忘れて、いましたわ」
藍は答えない。
藍は答えない。
藍は答えない。
藍は答えない。
八雲・藍はどこにもいない。
閉じた楽園は開きたり。
彼女の愛した桃源郷は、今やいづこに?
笠森・仙の台詞に関しまして原作を尊重しましたが、見辛かったらご報告ください。