これは、遺書である。
既に二日は歩いただろうか。未だ目的地は視えてこない。
目が掠れ、喉が渇き、足はもはや棒のよう。
私はここで果てる運命にあったらしい。
誰か、誰かの元にこれが届く事を願って。ここに記す。
ここで私は命を落とす。
しかし、私は自分の行いを悔いてはいないのだ。
人間とは、前に進んでこそ、人間であるのだから。
「……いまいちだな」
霧雨・魔理沙はそれまで書き綴っていた遺書モドキを破り捨てた。
どこに不備があったのでありましょう、彼女の現状を正確に描写したものでございましたのに。
散り散りになって床に四散した紙切れを苛立ちと共に踏みつぶす魔理沙。くしゃりくしゃり。
命への渇望はあったものの、彼女の命が蜻蛉のように儚げである事に変わりはありますまい。
さてさて、現在彼女がおりまするは、卍巴市不思議町、足洗邸でございます。
もし、もしも聡明な方々が彼女を見かけたならば、その状況にはてな、と首を傾げたことにありましょう。
何せ、彼女は足洗邸の住人ではございやせん。部屋は全て埋まっとりやす。
ではでは、なぜなに、霧雨・魔理沙はそんなバケモノ邸に?
「……ふーむ」
答えは、そりゃあもう明瞭で。泥棒でございます。それはもう、常習犯でございまして。
メフィスト・ヘレスの部屋に忍び込んだのは、はてさてこれで何度目やら。
霧雨・魔理沙は手癖が悪く、更には足癖も悪い事はその手の業界では有名な事でありまして、彼女の知人の店持ちなどは、その事について苦々しい思いばかりしていた。
とはいえ、その知人の忠告を彼女が易々と聞きいれる筈も無く。今日も今日とて、彼女はメフィストコレクションに手を伸ばすのだ。
それが彼女の持ち合わせた蒐集癖によるものか、はたまた魔法探究の一環によるものなのかまでは常人には判断できない所でございます。
薄暗い一号室。彼女は訳のわからないものたちに囲まれている。侵入時の窓など、疾うの昔に見えなくなってしまっていた。
前回の成功に味をしめたるは、霧雨・魔理沙。
再びの侵入を果たした彼女であったが、遂にメフィストの堪忍袋は爆発したのでありましょうか。先の言葉の通り、優しくない室内に魔理沙はがりがり頭を掻いた。
元々数々の曰くつきコレクションを蒐集するため異空間化と繋がり、拡張を施されている一号室。
メフィストは件のコソ泥めに天罰を加える為か、今回ばかりは徹底的な整理整頓《ごちゃまぜ》を行ったらしい。
ありとあらゆる所に前回の面影はなく、魔理沙はほとほと困り果てていた。
無論、もはや彼女に打開策が一つも残っていない、というわけではないだろう。
所が、彼女なりのエスケープを行うにはメフィスト・ヘレスの住居は貴重すぎたのだ。
右の方に目を向けておくんなまし。今度は左の方に目を向けておくんなまし。
ガラク――いえいえ、そのような事はありますまい。
見る人が見る人でありましたならば、それらが内に秘める神秘性、胡散臭さ、並びに魅力に気付いたことでありましょう。
つまり、魔理沙がこの場を打開《必殺技をぶっ放す》しようとすると、必然的にこれら貴重なアイテムが被害を受けるわけだ。それが魔理沙の決意をひるませていた。
盗人の癖に、住居者の所有物を心配するとは、何とまあ良心を持ち合わせたものだ。
それが日頃の行いに向けばなおよいのだが。
云々と頭を悩ませていた魔理沙が、遂に懐に手を伸ばす。
いい加減この場を抜け出したいという思いに変わりはなく。
その手が切り札《八卦炉》に。もはや魔理沙の決意の止める者はいない。
二日の漂流が、ついに彼女に決意を呼びこんだのだ。
だというのに。それまでの長い長い逡巡を小馬鹿にするように。
悪魔が助け船を寄こしたのは、それはそれは腹立たしい事であったに違いない。
「お?」
「はぁ……」
「溜息とはいい挨拶だな。こちとらお前と会える事を楽しみにしてたんだぜ?」
「まーた忍びこんだの? 馬鹿じゃないの? 死ねばいいんじゃないの? んん?」
「辛辣だな……」
泥棒に対する発言であるのだから、適当ではある。
さて、魔理沙の前に現れたそれは燃えるような赤い髪生やしておりやす。
それは黒い翼を持ち合わせております。
えーえー、そーですそーです。
それは悪魔でございます。
小うるさい話ばかりするもんですから、魔理沙はそれを『小悪魔』と呼んどりました。
あんまりと言えばあんまりな小悪魔の罵詈雑言に、魔理沙は屈せずに応酬。
「お前、昔っからそんな口調なのか? だから背が伸びねえんだよ」
「関っ係ないわ。昔は昔、今は今。前ン時は羽伸ばせなかったし? メフィスト様には恩があるし? 貴方を血祭りにあげて、その首野晒しにしてやろうか?」
「おーおー、やってみるか? 平・正盛よろしく首だけで飛んでやるぜ」
「するわけないじゃない。馬鹿? 馬鹿は死ねば? ここで貴方を殺したら、その血でメフィスト様のコレクションが汚れるじゃない。そんぐらい考える頭を持ちなさいよ」
「へーへー。で? 二日もさまよった泥棒めの前に、今になって現れたのはなんでなんだ?」
一通りのコントを終えた後に魔理沙がそう問うと、小悪魔はこれでもかと渋い顔を見せた。
苦虫を口いっぱいに詰められたみたいな顔だ。滅多に見られたものではない。
カメラがあったならば、一枚ばかりその珍妙な顔を捉えていた事だろう。
悪魔も写真に魂を吸われるのか? などという下らない考えをなさっていた魔理沙に、小悪魔の何とか絞り切った声が届いた。
「……ある程度、こらしめたら、出してやれって」
「ほー? あのオッサンに好かれているとは。日頃の行いって奴だな」
「もう……何を考えているんだか」
小悪魔の鋭い眼光に、魔理沙様はどこぞを見ているのやら。ぴゅーぴゅー、口笛をふきまして、泥棒は釈放も間近となって上機嫌だ。
目を飛ばす小悪魔だが、やがて嘆息ともに肩を下ろす。
メフィスト・ヘレスが何を考えているのかなど、下々の者にはさっぱり見当が付かぬ事で、もはやそれに思案を向けるのも馬鹿らしくなってしまったのだ。
小悪魔はそうそうに諦めを付けると、踵を返す。
「それじゃあ、付いてきて」
「道順を教えてくれれば、十分だけどな?」
「……帰宅出来るだけ、良しとしときなさい。まだ何か盗むおつもりですか?」
「おっと、バレてたか」
大方の御期待通り、道順さえ知る事が出来れば、魔理沙はさっさと一人きりで帰るつもりであった。
箒をもちいまして。あ、フルスピードで宙を駆けまして。小悪魔を置き去りにぶっちぎりまして。その目の届かぬ内に何某を懐に忍ばせるつもりであったらしい。
今回ばかりはそいつもご破算のようである。目論見を見破られ、魔理沙はくつくつ笑っている。
小悪魔といえば、それはもう白けていて、気だるげな手招きにそれは現れていた。
「ほら、こっち」
「へーへー」
「と、その前に」
「げっ」
「げじゃない」
既に懐に忍ばせていたメフィストコレクションを回収され幾分残念そうな魔理沙を尻目に、小悪魔は足を進める。
ぴったりと付いていくその間にも、魔理沙は右に左に堆く積まれた摩訶不思議コレクションを物欲しげに見つめていらっしゃる。
どいつもこいつも、面白そうな面々ばかりでござる。お母たま、ショーウインドウのトランペットを買ってちょうだい。
赤ん坊よろしく指をくわえそうな勢いの魔理沙に対し、小悪魔の苛立ちは最高潮に達しておりました。
メフィスト子飼いの悪魔は他にもいるのだが、何故だかコソ泥《霧雨・魔理沙》の相手はいつも自分なのである。腹が立つに決まっている。
心なしか床を踏みつける勢いもお強い様子で、ともすればそのまま踏みぬいてしまいそうであった。
そこで不意に、これでもかと眉尻をあげていた小悪魔の顔が緩まる。
とはいっても、別に魔理沙に対する怒りが氷解したわけではございませぬ。
さてさて、お二方はそろそろ出口にご到着、つまりは、目と鼻の先に『壱号室』と刻まれた扉があるわけでごぜーやす。
だというのに、その場で立ち止まってしまう小悪魔嬢。
不審に思った魔理沙嬢は、身を乗り出しました。
「いきなり止まって、どうした?」
「あれ……」
「アレ?」
あれ。
小悪魔嬢が指さす方向。出入り口。扉。
その近くに、ぽつんと一人立っている誰かがいるのでごじゃりまする。
とはいっても、それは人というにはあんまりに小さすぎる。ちんまいちんまいと言われ慣れた小悪魔と比べても、まだまだ小さい。
やがて見当のついた魔理沙が言葉を紡ぐ。
「自動人形《オートマータ》? それとも付喪神? どっちにしろ、変なモンばっかり持ってんな」
魔理沙にとっては知らぬ存ぜぬといった所であるが、それはつい先日メフィストによって持ち込まれたモノであった。
大きさは、せいぜい腹話術用の人形ぐらいと言った所か。頭部に植え付けられた人工毛に、可愛らしくリボンが括りつけられている。
加えて首元にもリボンがありまして、これがまた可愛らしさを演出していた。
「変ね、動く気配なんて感じなかったんだけど。もしかして、ここ《一号室》の魔力に中てられた……?」
口元に手をやって思案に耽る小悪魔。
搬送作業を手伝った彼女には当然、あの人形について見覚えがある。後々に調べるというメフィストの言葉から、扉の近くに放置されていた代物だ。
その時は確かに瞳を閉じ切っていて、微動だにさえしていなかった。
事実、人形と同じく搬送された他の物《楯、トランペット、ヴァイオリンなど》に動きだす気配はない。
小悪魔に違和感が付きまとうが、人形は、動いている。それが現実だ。
魔理沙が小悪魔を放置して、足を進めているのも、また現実。
「おっす。何やってんだ?」
「あ、ちょっと」
箒を片手に進、進、進。
小悪魔の制止も聞かずに魔理沙が足を動かすと、それに人形の方が反応した。
スムーズに魔理沙の方を向く首からは、それが人形であると察する事は出来ない。
「聞いてんのか?」
「ね、え、ね、え?」
「あー?」
起動して間もないのか、ぎこちない口の動き。
それも次第に矯正されていき、始めは耳に大きなワッカを作っていた魔理沙も、その言葉を聞き取れるようになっていった。
人形が、言葉を。
スー。
「スーさん、知ら、ない?」
「スー? 誰だそいつ」
「スーさん、知らない?」
「残念ながら、私にはさっぱりだな」
両手を上に上げた魔理沙のジェスチャーを、人形はお気に召さなかったらしい。
残念そうに眉尻を下げると、遂には俯いてしまう人形。
魔理沙は膝を折ってそれを覗きこもうとしたが、それよりも早く、人形が満面の笑みを浮かべながら顔をあげた。
「じゃあ、死んで?」
「あ?」
眉をひそめる魔法使いよりも先行して、人形が腕をあげて、手を広げて。
そして。
「…………あれ?」
何も起こりやせん。
首を傾げる人形。不思議そうに己の手の平に目を向ける。関節の継ぎ目がうっすらと見えて、彼女自身の素材を見え透かせる。
しばらくしてから、魔理沙の方にもう一度手を。
ぱっ。
も一つおまけに、ぱっ。
ぱっ。
「…………あれ?」
「おーおー。言ってくれたな。仏の顔は三度まで。魔理沙様の御尊顔は一度も許さねえぜ」
「いたたたた。痛い痛い」
拳骨を人形の頭部横に据えて、ぐりぐりぐりぐり。母ちゃん、許しておくれよ。
脳味噌をすりつぶす勢いの魔理沙を、追いついてきた小悪魔が諭す。
メフィスト様の私有物を、盗まれるのはまだしも壊される訳にはいかないからだ。
「ちょっとちょっと、それは貴方の物じゃないのよ」
「ちーとばかし鉄拳教育を施してるだけだから、心配すんな」
「いたたたたた。ぎぶぎぶ」
「ほら、痛がってじゃない」
「……私にもそんぐらいの優しさを見せてくれよ」
興が削がれたのか、魔法使いはぱっと手を放す。
涙が出る筈も無いのに、人形の顔はくしゃくしゃに歪んでいて、解放された勢いそのまま、小悪魔の胸元に飛び込んだ。
目をまんまるにしてそれを受け止める小悪魔。
「あら」
「ふえええ、やっぱ人間はゴミクズだー」
「懲りてねえな、こいつ」
「よしよし、悪い魔法使いはもういませんよ」
「……お前な」
呆れかえったという風の魔理沙は、完全にその場から疎外されていた。
小悪魔自身、前の契約では良い様にしてやられてしまったので、何処となく同情を覚えたのだろう。
胸元に吸いついて離れない人形の頭を優しく撫で撫で。魔理沙様はそれを、それはもう白けた目で見つめていらしゃった。頭の後ろで腕を組んで、暇そうに足でリズムを打つ。
「ふええええええ」
「よしよし」
「あー、もう。勝手にしてくれ。私は出るからな」
この茶番にも飽き飽きしてきたのだろう。
叫びっぱなしの腹の虫を抑えつけるためにも、魔理沙は一刻も早くこの場を抜け出す必要があった。
幸い、小うるさい悪魔は人形をなだめるのに夢中だ。この隙に、扉を開けてしまいやしょう。
しかし、扉に向かうその足が不意に止まる。一寸の合間を縫って、とたくらんでいた魔理沙に目ざとく気付いたのは意外な事にも人形の方であった。
小悪魔の懐に沈んでいた小さな体躯が、魔理沙の方に。
まだ体に不備があるのであろうか、止まる事も知らずにその背中にぶつかった。
「あう」
「お? いきなりぶつかってくるんじゃ……!?」
必然的に、前に一歩踏み出す格好になった少女が、蔓延し始めた違和感に気付く。
違和感の正体は、下から、地面から、床から。
床をよく見ると、自分を囲むようにして、木目を無視するようにして、何らかの線が円状に刻まれている。
円の内部にも線が走っていて、それを表現するならば、幾何学的な、あるいはでたらめな。
さて、この場におりまするは、霧雨・魔理沙。
彼女であるから、いや彼女だからこそ、その線の意味を理解できたのだ。
自分を囲むように描かれていた陣が光を発し始めると同時に、彼女は人形の手を掴むと箒を用いて宙に飛翔した。
「……地獄送りの魔法陣か」
辛くも罠から脱した魔理沙の顎を伝って、汗が垂れ落ちる。
発動した陣からは床を浸食するように、黒い、淀んだ何かが溢れている。零れ落ちた雫は何処とも言えぬ場所へと旅立っていった。
恐らくは、メフィスト自慢の防犯装置といった所であろう。さすがの魔理沙様でも、地獄では腰の落ち着けようがあるまい。
冷や汗をかきっぱなしの少女に続いて届きますは、小悪魔めの、それはそれは残念そうな溜息と舌打ち。
「ちっ」
「随分殊勝な態度で道案内を買って出たと思ったら、こういう事かよ」
「いえいえ、別に悔しいなどと。ツマラナイなどと思ってもませんよ? もしまんまと嵌ってくれれば、事故として処理出来るだなんて。 あ、メフィスト様のコレクションを拾ってくださってありがとうございます」
「はいはい。おい、大丈夫か?」
「うん」
ふよふよふよ。
着地するお二方。
目前の人形を小悪魔の手先であると断じるのは至極簡単な事であったが、きょとんと状況を今一つ分かっていない御様子を見ていると、魔法使いはその可能性を模索するのを止めた。
知能不足、経験不足。まるで人間のようだ、とも言える。実働期間があまりにも少ないため、己の行動、あるいは他人の行動による結果にまで視野を広げるに至っていないのだろう。
ただ生きているだけの無気力人間とは違い、あくまで純粋なのではあろうが。
咄嗟に手を掴んだのは、霧雨・魔理沙の持ち合わせてしまった性格か。いやいや、単に目ざめが悪くなると思った程度なのかもしれやせん。
魔理沙が帽子をかぶり直している間、人形は救い主にじっと視線を送っていた。
瞬きもしないというのが実に気色悪い処でありまして。
思わず声をかけてしまうというのも、また人間の性と言った所でありましょう。
「……何だよ」
「人間」
「何だよ」
「スーさん、探してくれる?」
「探さない。それに、私には霧雨・魔理沙っていう素敵な名前があるんだよ」
「スーさんはスーさんよ。そんなのも分からないんだ」
「あのな……」
人形に小馬鹿にされたとあっちゃ、女が廃る。
とはいえ、逼迫する魔理沙が、たかが人形風情に意地を張るというのも、またおかしな話じゃありませんか。
ぐうぐうぐう、腹が減っておりまする。ここで話しに乗るのは間尺に合わない。
平静を顔に貼りつけた魔法使いは、お得意の箒にさっさと跨ってしまえばよかったのだ。
そうすれば、人の話も聞かず、魔法陣にも我関せず、さっさとこの場を抜け出せたに違わない。さっさとそうしてしまえば、小悪魔が加勢として現れる事もなかったに違いない。
「ちょっとちょっと、手伝ってくれてもいいじゃない。貴方がここで餓死しないで済むのは誰のお陰ですか?」
「ついさっき死にそうになったのはお前のせいだけどな」
「またまた」
口裂け女もかくやと言った風に笑う悪魔風情に、魔理沙は溜息を一つ。
これだから、これだから悪魔という輩は。この度は、どういった理由で人形の加勢を買って出たのか。事態をさっぱり分かっていない癖して、ここぞとばかりに声をあげる人形。
「そうだそうだ。手伝え手伝え」
「……あーもう、分かった。分かったよ」
さすがの魔理沙さまも、二人同時に責め立てられてはお手上げといった所である。
自分の矜持のためにも云々と我ながらうまい言い訳を立てながら、魔理沙はとりあえずの強力を示す事にした。
「で、そのスーってのは……嫌、駄目か。いいか、私がテキトーにそこらから見繕ってくるから、そん中から見つけろ、いいな?」
分かっていると思うけど、盗まないように。
小悪魔からの小言を受け取った魔理沙はふわりふわりと箒で宙に浮かぶと、出入り口が見える範囲からテキトーに見繕う事にした。
大小色彩それこそ様々な物をいくつか人形の前に置くと、魔理沙は一つ一つそれらを指さしていく。
「これは?」
「これはトランペット」
「これは?」
「これはヴァイオリン」
「……これは?」
「これが何なのかは分からないけど、スーさんではないね。どうしてそんな事も分からないのよ」
「…………」
これが外れも外れ。さっぱり。
尽くが人形のお目当てではならず、さらに駄目押し。鼻で笑われる魔理沙の心情は如何に。
はてさて、自分はなーんのためにこんな事をしてるのかねい。魔理沙は不意に思う。
決して、決して、自分に対して死ねなどという言葉を吐いてきた相手のリクエストに答える為でもないし、また我慢する為でもない。
もう一度拳骨で頭をすり潰してやろうと思うにも、小悪魔がさっと間に入ってくる。
やり場のない苛立ち。腹も減っている。
結局魔理沙の怒りは外に吐き出される訳だが、それは目前の人形でも悪魔にでもなかった。
つい先ほどまで、その貴重性から扱いに難儀していた筈のメフィストコレクションに対してである。丁度手頃な所にあった異国風木製品に蹴りを一発お見舞いする。
「ちょっと! いきなり何してんのよ!」
「少しばかりスッキリしたぜ」
「貴方の気分なんて聞いてないってのに……。貴重な文化財なのに……」
悲嘆に明け暮れる小悪魔を余所に、魔理沙は少しばかり晴れやかな顔つきをなさっている。
ここにメフィストが居ましたならば、そのあんまりな扱いに卒倒してしまったやもしれませぬ。
小悪魔が心なしか陰鬱な面持ちで、蹴りを喰らわされて床を転がったそれに近づく。
よくもまあこんな物に蹴りを入れられたものだ。それは異様な面持ちを放っていて、表面に刻まれた顔とも取れる文様は、心なしか不埒者に目を向けているようにも思える。
内側をくり抜かれたそれは、さながら楯のよう。
「貴重な文化財ね、見たトコ、東南アジア系の……?」
魔理沙が言葉を切るよりも、小悪魔の動きの方が早い。
恐る恐る楯に近づいていたその身が一瞬にして翻り、距離をとる。
何故。
小悪魔の顔つきは真剣そのもので、それは主の所有物に対して向けられるべきの感情は一切見当たらない。
どちらかと言えば、驚きに目を見開いていると言った方が正確のように思えた。その反応もまた当然であるだろう。
誰が、それまでただの無機物に過ぎなかった筈の木製楯が蠢くと考えるであろうか。動く人形を見かけたばかりのお二人でも、それには驚きを隠せなかった。
「わわっ。なんだこいつ!」
楯の内側にて蹲るようにして、何かが蠢いている。集中力に欠けた魔理沙に認識できるのはその程度であったが、やがて、その認識を改める必要が出てくる。
何か、ではないのでございます。
大きな、大きな、蛇。
どこから現出したのであろうか、とぐろを巻いた蛇。何匹も、絡み合っている。
次の瞬間には、その一匹が口を大きく開き、魔理沙に向かって襲いかかっていた。
「良くは分からんが、売られた喧嘩は買うぜ!」
体よく反応した魔法使いは、刺し穿つ勢いで迫ってくる蛇頭に箒を叩きつける。
思わぬ反撃に目を白黒とさせた蛇は、進行方向を変更。元居た場所に顔を向けた。
渦巻く、渦巻く、蛇。一匹どころではない。数えられるだけでも十は超える。
腹の減り具合もこの時ばかりは無視をしまして、戦闘態勢をとる魔理沙。
「あんなの、早苗の専門だぜ。私はリッチだからな。調合に使う事はあっても、食おうとは思わん」
「出来るだけ傷つけたくはないのだけれど……」
「はっ。振りかかる火の粉は尽く払いのけるってな」
「貴方が先に手を出したんじゃ?」
「さて、何の事だか」
戦闘態勢に移行した魔理沙は、愛用の箒を構えて、相手側《蛇》の動向を見つめている。
渦巻く蛇。興味深げに声をあげたのは小悪魔だった。
「あら……あの蛇、人を模しているのね」
蠢く大蛇達が、顔が、少しずつ、見慣れた形へと変化していく。ぐにゅりぐにゅり。絡み合う蛇はある一定の形へと。
それは、ヒトガタ。
絡み合う蛇同士が同化し、肉を模す。そこにいたのはもはや人間と言っても差し支えないものであった。
体中に入れられた墨。褐色の上半身を晒し、鋭い眼光で魔法使い達を貫く。
小悪魔には詳細は分からない。霧雨・魔理沙にも分からない。人形については語るまでもない。それを知る人物は、ここにはいない。
アンノウンが、先と同じように、それまでの自分の所在地たる楯を捨て、再び駆けだす。
伸びるは拳。五指を丸めこんだそれは必殺となりて、魔法使いに襲来する。
「また、私の方かよ!」
箒の柄を、飛来する勢いの拳と重ねる。
拳、箒、拳、箒。拳拳拳。
乱れ飛ぶアンノウンの拳を辛くも防ぐ魔理沙であるが、その勢いに押されに押され、徐々に後退していく。
魔理沙の懸念は壁にまで追いやられてしまう事であった。おまけに、現在地《一号室》は散らかり放題で、思わず足元をすくわれかねない。
魔理沙を尻目に、一転して観客となった人形の囃し声が響く。
「ひゅーひゅー! いいぞいいぞ! やっちまいなぁ!」
「そこの、腐れ人形、後で、必ず、ぶっ飛ばす!」
一瞬でも気を反らしたのが間違いであったのか。
上段に構えていた魔理沙に対し、アンノウンが身を低くして突撃してきた。
咄嗟に防ごうとするが、間に合う筈も無く。繰り出された蹴りに土手っ腹を捉えられた少女の体は簡単に吹き飛んでしまう。
喉を昇ってくる嘔吐感。一瞬訪れた暗転から回復した魔理沙が辺りを見渡すと、堆く積まれたメフィストコレクションに着の身着のまま突撃してしまったらしい。
一息つく暇もないままに再来するアンノウン。
魔理沙の決断は、怒りに塗れていた。
「いい加減、に、しろ!」
選択は、単純なる、突撃。
箒に跨り、そのまま全力前進。魔力を推進力に換え、ゼロタイムでトップスピードに。
正に飛びかかってくる寸前であったアンノウン目がけて箒の先端を激突させたのである。
その勢いで、先端にアンノウンを捉えたままで、直進直進直進。
行き先は、一号室の扉。それは、団欒する住人達へと伸びる扉。
激突。
「な、何やねん!」
初めに声を上げたのは、リビングにて花札に興じていた田村・福太郎であった。
声を上げてしまうのも無理はないだろう。轟音と共に、突然一号室の扉が破砕。そこから何かが飛び出してきたのだから。
飛び出してきたソレは、箒と、アンノウン。
乗り手をいつの間にか失くした箒であったが、その勢いはとどまる所を知らず、とうとう二階付近の壁面に突き刺さった。磔にされる褐色の何某。福太郎はそこからさっと視線をそらす。
さて、突然出てきたと思ったら、突然磔に。どうなったんじゃいこの状況。誰か教えておくんなまし。
しばらくしてから飛び散った破片を押しのけて、一号室からどなたかが出てくる。
霧雨・魔理沙だ。
「お? おー……おっす福太郎。久しぶりだな」
「あ、うん。ども」
挨拶などしている場合ではない。
「や、そうやなくて。何しとるんよ」
「見ての通りだよ」
見ても分からないから聞いていると言うのに。福太郎の気持ちを代弁するならばこのようなものであろうか。
魔理沙といえば、恐らくは一号室の扉に激突した際のものだろう、どこかを痛めたのか顔を僅かに歪めている。激突時の衝撃に耐え切れず、箒からも手を放してしまったようだった。
所で、福太郎の以外の邸住人の方々はこれいって表情を崩している風もありやせんでした。
「おい、次、お前の番だぞ」
「え? まぁ、それはそうなんやけど」
特に気にした風もなく、福太郎の対戦相手須美津・義鷹は催促をする。
それほど、霧雨・魔理沙の横暴は日常茶飯事と言ったところなのでしょうか。
同じくソファに腰を落ちつけている面々といえば、一瞥さえも送らない八雲・紫、新聞に変わらぬ視線を送る味野・娯楽。いやいや、これはこのお三方が特殊なんやねん。
聞こえてきますは。
ドタドタドタ、こちらは二階にいらっしゃった笠森・仙と望月・玉兎、遅れてメフィスト・ヘレス。
チャカチャカチャカ、こちらは管理人室にいらっしゃった竜造寺・こまのもの。
三者三様の反応をお見せすることになる住人たちであるが、とりわけ大きな反応をしめしたのは、一号室住人のメフィストであった。
「んん!? ミーの部屋が!?」
頭を抱えて驚きを表現するメフィスト。彼の視線が見つめる先には、哀れ砕かれた扉の残骸。一体どーして、こんな事に!?
しばらく状況判断に苦心していた悪魔であったが、見慣れた白黒魔法使いを見かけて得心がいく。
またまた忍びこんだのだろう、それを理解した彼は顔を引きつらせながらその名を呼んだ。
「魔理沙サーン?」
「何の話だか。あ、私にも茶ァくれ」
「俺に言われてもなぁ……」
「ニャ! これは一体どういうことニャ!?」
「おっすこま。お茶くれ」
管理人室から遅れてはせ参じたこまも、同じように驚きを口にする。
住居不法侵入など諸々の罪でしょっぴかれてもおかしくない魔理沙は、そんな嫌疑もなんのその、まるで私物のようにソファに深く座り込んだ。この娘、ただの鼠じゃございやせん。それまで福太郎の座っていた場所を、我が物顔で占領している。
「ちなみに言わせてもらうと、私は腹も減ってる」
「その、魔法で料理を出せたりせんの? ほら、テーブルクロスから……」
「お前は魔法を何だと思ってるんだ?」
魔法と秘密道具をごっちゃにしとる福太郎に、魔理沙が眉をひそめていたのも一瞬の事であった。先の標的が再びリングに上がってきたのである。
胸に刺さっていた箒を抜き取ったアンノウンが、床に着地。
深々と胸に突き刺さっていた筈だが、褐色何某から血液が零れたような様子はない。
「んー? アレ、誰と誰?」
「泥棒と泥棒じゃん?」
笠森・仙と望月・玉兎が観客に成り下がっているが、魔理沙にとっては関係ない。
アチラが再び襲ってくるなら、何時でも反撃する体勢にいた。
所がアンノウンは着地後、動きを見せる事もない。その視線は右往左往。
まるで、己の現在地を確認しているようにも見えた。
「ガ、ガガ……」
その口から零れたのは、およそ人語とは思えぬもの。
しかして、何時の間にこの土地の言葉を獲得したのか。次に口を開いた時には、秀真国の言葉を使っていた。
「こコハ……ドコダ? お前達ハ? そノ恰好モ、この景色モ、一度も見た事ガナイ……」
その物言いからして、混乱は見受けられるものの、知能レベル自体は水準以上と思われた。少なくとも、口も聞けぬバケモノどもよりはよっぽどマシだ。
恐らくは先の魔理沙に対する襲撃は、覚醒時における突発的行動であったのだろう。何かしらの衝撃を受けてから気を失った場合における、人間にもよくある部類の行動だ。
さて、アンノウンの言葉に正しい答えを出せる人物は、足洗邸には一人しかいなかった。
魔理沙ではない、福太郎でもない。紫でも娯楽でも義鷹でも、こまでもお仙でも玉兎でもない。
メフィスト・ヘレスが口を開く。
「お前は、あの楯に籠っていた神格か」
「私《コレ》の問イに答エロ!」
「ああ、答えてやるとも。ここはお前のいたニューギニアから遠く離れた秀真国。そしてお前が流れに流れここに居ると言う事は、『大召喚』の折りにお前の守っていた土地も氏族も滅んだと見てよいだろうな」
いつものメフィストからは考えられないような口調による、答え。
それは本来のメフィストを見え透かせる物言いであったが、一部の者を除けば、そんな違いには気付かない。
メフィストの言葉に己の全てを揺さぶられたアンノウン――楯霊《マサライ》――は膝を落とす。
「ナ……ソレナラ、私《コレ》ハドウスる……! ソウとモ知ラず、ノウノうト生キサラバえル私は……」
マサライの意識は途中で途切れている。
アレは、祭りの最中であった。
伝統ある、古より脈々と受け継がれてきた、人々と神の到達点。
人々の信仰を糧に、神は人々を守る。
マサライにとっては、あの祭りは数分前の出来事だ。
確か、あの時、何かが。
それで。
「ま、私にはどーでもいい話だな……」
「ドうデモイイだト!?」
己の記憶をさかのぼっていたマサライが、その言葉に激昂する。
霧雨・魔理沙は福太郎からお茶をかっぱらってずずずと飲んでいた。
ごくりと喉を鳴らし口元を拭ってから、魔理沙はマサライに相対する。
「ああ、そうだ。どーでもいい。本当にどーでもいい。実際、私には関係ないしな。それに、生きるっつーのは、前に進むためにあるもんだ。いじいじいじけてる暇があったら、私は空を飛ぶぜ!」
「黙レ! そノ血肉、我が民がタメニ引き裂いテクレる!」
「はっ! 言っただろ? 売られた喧嘩は買うってな!」
マサライが行動に移る。一瞬の跳躍によって、魔理沙の元に。
しかして、今、この時より起こりたるは魔法使いの仕業なり。
魔理沙が大きく腕を広げる。すると、頭上にて光る球体が次々と発生していくではないか。
「マジックミサイル、発射!」
彼女が指を指し示した方向に向かって、次々と球体が飛来する。星の光を伴いながら。
腕を交差させて致命的な打撃を防いだマサライであったが、魔法攻撃《マジックミサイル》の煽りを受けて、後方に着陸。しかして、魔法使いの攻撃はそこで終わらなかった。
「確変突入!」
その言葉を合図にして、役目を終えた筈の閃光が再び力を得る。
マサライの腕に付着していた魔力の残滓が光を放ちはじめ、そして。
爆発。
「グッ!?」
爆風がマサライの視界を潰す。
更に後方に下がったマサライを待っていたのは、先ほどうち捨てた筈の箒であった。乗り手はおらず、自動で迫ってくる。
眼前に襲いかかってきたそれを寸での所で回避するが、通り過ぎていった箒はUターンをし、再びマサライの方へ。
回避を断念した楯霊は振り返ると、迫りくる箒の先端を両の手で掴みとった。
しかし、数歩分の後ずさりと共に追撃を止めたように見えたのは、戦闘を見慣れていない者達のみ。
停止した箒、その本来の使い方、掃除をするための、その毛先。
その毛先が本体からぶつりぶつりと分断していき、これまた宙に浮かぶと、針のごとくマサライの体に突き刺さっていくのである。
「ナニ!?」
「ハッハァ! そいつは間違った判断って奴だ!」
再び魔理沙が腕を広げる。登場する光球。
バチバチ、と先の魔法弾よりも強く光を明滅させている。
「お次は電撃弾としゃれこもうぜ!」
にんやり笑みの魔法使いは、これでお終いにする腹積もりであるらしい。マサライはといえば、箒の対処に苦慮するばかりで、魔理沙の方に気を配っていられない。
さて、神格たるマサライがこうまでしてやられるには理由があった。
彼が現在居りまするは、故郷より遠く離れた秀真国。
ここにはマサライの名を知る者も少なく、信仰の話になると、もはや天を仰ぎ見たくなるほど絶望的だ。人々からの信仰を得られない以上、マサライが本来の力を出せないのも頷ける。
土地神との対話を済ませていない以上、その場しのぎの力さえ捻出できない。
ふわりふわりと浮いていたマジックミサイルが、明確な意思を持って標的に襲いかかろうとした、正にその時。
声が。
「ちょー! ストップストップ!」
福太郎。
これまたタイミングの悪い悪い。突然かかった声に、思わずそちらの方を振り向いてしまう魔理沙。そんでま、ついつい、一つばかりミサイルをぶっ放してしまった。
「しびびびびびびびびびびび!」
ものの見事にマジックミサイルに直撃する福太郎。
床に倒れ伏した福太郎に、心配そうにお仙が駆けよる。
身動き出来ない福太郎へ、これまた冷たいお言葉が彼の上から。
「福太郎お前……馬鹿だろ? いや、馬鹿だな。それもそんじょそこらの馬鹿じゃあない。天下一品の馬鹿だ。私が一瞬早く気付いて出力を下げなかったら、黒コゲだぜ?」
やる気が殺がれたのか、残って浮遊中であった魔法弾が掻き消える。
ついでに、マサライに襲いかかっていた箒さえも攻撃性を無くし、ふわりふわりと魔理沙の手元に戻っていった。
自由の身となったマサライであったが、突然の闖入者にはやはり驚いたのであろう、魔理沙に駆けだす事も無く、呆気にとられた様子だ。
心配そうなお仙を手で制すると福太郎はゆっくりと立ち上がる。
「ははは……」
「笑ってる場合かよ」
「その、な。もー、そこまででええんやないか」
「何で」
売られた喧嘩に水をさされた形の魔理沙はたいそう機嫌の悪そうに唇を尖らせた。
並大抵の言い訳では、彼女の御機嫌伺いをする事は出来ないであろう。
福太郎自身、己の突発的な行動を、はてさて何と説明するべきかを苦心していた。頭をぼりぼり掻きまして、あーでもない、こーでもない。
彼が答えに苦労しているのは、所詮霧雨・魔理沙は『大召喚』後生まれであるから、というのもあるに違いない。
しばらくの間二人には嫌な空気が流れていたが、やがて魔理沙の表情がふっと和らぐ。
「ま、別にいいか。そーまでして止めたって事は、お前にも譲れない何かがあるって事だろ? それに免じて、な」
「はは、おおきに」
竹を割ったような性格の少女に救われたといった風で、福太郎は感謝のことばを口にした。
さて、残るはマサライである。
妙な形で闘いは中断されてしまい、敵対者と言えば既にやる気をなくし、蔓延する空気は再開を阻んでいる。マサライのみが、この世界の部外者だ。
そんな中、楯霊が思わず驚きを見せるほど大きな声をかけたのは、竜造寺・こま。
「足洗邸にようこそニャー!」
「ア……「アシアライヤシキ」?」
首を傾げながら反芻するマサライ。
それを待ってましたとばかりに、こまは『新たな住人』にこの地の説明をする。
「そうニャ。この場所は人生の変更点ニャ。色々の事から足を洗ってぇー、0からやり直せる場所ニャ。黒は白へ。死は生へ。悪人は善人に。無から有を作りだす諸国民の家! それがこの場所! 足洗邸ニャ!」
ぽんと、猫球が優しくマサライに触れた。
「だから、キミはここにいるのニャ」
マサライはあたりを見渡す。
自分がかつていた場所とは、百八十度まるで違う。窓から見える景色には、緑が生い茂っていた。類似点はそれだけだった。
それでいて、何故か懐かしかった。何かに優しく包まれている様な、そんな気さえしてくる。
悲しみに包まれた自分が、思わず、心地よいと思うほどに。
「オイ」
ともすれば煙が昇りそうな福太郎に向かって、マサライが口を開く。
その表情は、どことなく穏やかになっていた。
「オマエはウケナくテイイ痛ミを私ノ代ワリニウケテくレタナ。私ハ今カラオマエの痛ミをウケル「楯」トナル」
その話は結構な事であるが、そんな大仰な物言いをされるほど福太郎は出来た人間でもない。
福太郎は少しばかりの訂正を促した。
「いやいや、守ってくれんねやったら、ココにおるみんなも一緒にたのむわ」
「?」
「みんなオレと一緒で、足洗邸に生きるモノやから……」
「……ワカッた」
マサライが微かに笑みを見せる。
ここに、楯は新たに守るモノを得たり。
事の発端の魔理沙はそれを面白そうに見つめ、それから踵を返す。
「さーて、良い話で終わりそうな所だし、私は帰らせてもらおうかな」
さてさて、そうは問屋が下ろさないのが現実の厳しい処と言ったところでしょうか。
待った待ったちょっと待ていと口を開く邸住人達。
事の始めは斯くの如し。竜造寺・こまのお言葉から始まります。
「魔理沙。三日代」
「魔理沙サン。壱号室の修理費」
「お前ハ此処の住人デハナいヨウダナ」
「世知辛い奴らだぜ、まったく。おい福太郎。さっきみたいに私のことも助けてくれよ」
「ははは……」
さすがの魔理沙さまも三人に責め立てられてはお手上げといった所でございます。苦笑いを返す事しか、福太郎には出来ません。
喧嘩もお終い、面白い催しもこいつで打ち止め。つまらなそうに二階に帰っていく玉兎。仕事の最中であったのだろう、次に何かが催されたとしても、そうそう降りてこないと思われる。
お仙は暇潰しの対象を福太郎に移したようだ。構え構えと福太郎に抱きつく。
義鷹はさっさとしろと再申請。
どわわわっと福太郎が、何とかお仙を引きはがそうとしていると、トコトコと、再び何者かが壱号室から出てきた。
「ンー? これは確か……」
それの詳細を知るのは、メフィストのみ。
現れたのはいつぞやの人形であった。小悪魔は付いてきておらず、たった一人で居間に。
トコトコトコ。その歩みは、何故であろうか、福太郎に向かっている。
「貴方、人間?」
「ん? まあそうなるわね」
何とまあ不思議にも思わず対話に応じる物だ。いい加減、福太郎も毒されてきている。
お仙を引きはがした福太郎が見つめる先にいるのは、ちんまいちんまい人形。
マサライさんのお仲間さん? イエイエ、そちらの方に視線を移しても特に反応を示した様子はございません。
人形がスカートを摘まんで御挨拶。
「私、メディスン・メランコリー」
「あ、これはどうも。自分、田村・福太郎いいます」
「フクタロウ、キンタロウ、モモタロウ?」
「や、別に友達でもないんよ」
「ふーん。ねえねえ、聞いて聞いて」
「わわっ。どーしたん」
羨ましそうに声をあげるお仙を差し置いて、ぎゅっと福太郎の足に抱きつくメディスン。
福太郎は動く人形に、人懐っこいイメージを持ち始めていた。
二三度、まるで猫のように顔を擦りつけたメディスンは、しばらくしてから顔を大きく上に上げる。そうでもせんと、福太郎の顔はまず拝めない。
それから、にっこり笑み。福太郎も、笑みを返す。
メディスンはそこで、口を開き、行動に移った。
それは、異変に気付いたマサライが動き出すよりも、絶望的なまでに速い。
マサライの叫び声に掻き消されながらも、確かに福太郎に届いたメディスンの台詞は。
――毒を出せるようにな――
「福太郎! そいツから離れロ!」
ぽしゅ。
そんなチープな音が聞こえた。
そう認識した頃には、福太郎は再び、力なく、倒れ伏して。
「福ちゃん!? どうしたの!?」
「いや、何でも、な……」
駆けよってきたお仙に対して、先ほどのように手で制し、無事である事を示そうと、体に力を込めるが。
上がらない。地面に対してピンと張った腕が力なく崩れる。
「福ちゃん!」
「はぁ……何や、力が抜けるゆーか……あかん、立たれへん」
「オマエ! 何をした!」
お仙が詰め寄るが、人形はきょとんとしている。
何故自分が責め立てられているのかが分かっていない。
彼女に出来る事と言えば、今しがたやった事を説明する程度の事である。
「何って、毒を吐いただけだけど」
「毒!?」
「どうしてそんな顔して怒るのよ。だって、『大召喚』でたくさん人間が死んだんだし、今更百が百一になっても、百二になっても変わらないって」
メディスン・メランコリーには夢がある。
かつて己ら《人形達》を捨てた人間達に対する、復讐。人形解放運動。
しかして、その達成にはいくつもの難があるといえた。己の目的に、他の人形が賛同してくれるかどうかもわからず、また知能不足のメディスンには扇動家のまねごとをする事も出来ない。
そうして彼女が行き着いた、手っ取り早い手段がこれまた単純で、人間を殺す事である。
人が人形を捨てる→人を殺せば人形は捨てられない→人形は幸せになる。
致命的な欠陥を抱えた三段論法であったが、彼女はそれに気付かない。
そして哀れにも、その第一号に選ばれたのが、田村・福太郎。
「福太郎、オメー、何死にかけてんだ?」
「いやな、嘘みたいに足が動かんのよ。ちょっと見ま?」
体に染みわたる毒のせいで思うように動けないというのに、義鷹に対するはまるで何事もないかのような福太郎の言葉。
隣では、お仙が人形の首元を掴みあげていたが、人形に責任感は皆無。
「――ま、打ち捨てられた人形の恨みって奴だよね。運が悪かったという事で、潔く死んでよ」
投げ捨ててしまいたい衝動に駆られたお仙であったが、そんなモノより今重要なのは田村・福太郎という『住人』である。
駆けよった先の福太郎は、正に虫の息といえた。浅い呼吸。神経系を犯す毒。くらむ視界。
もはや福太郎の目には、眼前のそれ《お仙》がそう《お仙》で在る事さえ判別できない。
このままでは。
田村は死ぬ。
福太郎は死ぬ。
八号室住人は死ぬ?
本当に死ぬ?
本当に死んでしまうのなら、何故福太郎はこんなにも安らかな笑みを浮かべているのか?
にわかに喧騒を帯び始めた住人達の間に、新たな人物が。
「けほ、こほこほ」
「おや」
メフィストが声をあげる。先ほどまでメディスンに付き添っていた筈の小悪魔が、遅れに遅れて一号室からやってきた。
心なしかその足つきは鈍く、いささか苦しそうに咳をしている。
「その子、毒吐き人形だったようでして。私もやられてしまいました。悪魔の私も結構キてるんで、人間が食らったらまず間違いなく死にますね」
それは正に、田村・福太郎に対する死刑宣告に等しかった。
宣告を聞かされたお仙は、力を失った福太郎の手を握りながら、助け舟を求める。
邸の管理人は『彼女』にとって最も信用できる人物であった。
「こまニャー! 福ちゃんを助けてあげてよ!」
「ニャ……」
しかして、信頼信用のみで実績が作られる筈がない。それだけは絶対にあり得ない。結局モノを言うのは能力と才能。
お仙→こまの救助要請は、渡りに渡って、この邸において一二を争うほど信用できない人物に。
どことなく困った風の顔を浮かべながら、こまは彼女の名前を呼んだ。
「紫……」
紫の視線は、奇しくも義鷹と同様のもので、地に伏せるそれをじっと見つめていた。
そこには死に臨む福太郎。
奇妙な事に、ああ本当に奇妙な話でございます、普通の人間であるならば、いくら体が衰弱しているとはいえ、もう少しばかり狼狽を見せてもよろしいのに。
福太郎からは一種の余裕のような物が見受けられる。
さて、自殺願望を持つ人物と言えば、かつて八雲・紫が好んで食らった部類だ。
曰く、居なくなっても誰にも気にされない者。無縁仏に知らず知らずに運ばれる者。
二十年前の彼女にとって、波風を立てぬそういった人物は大いに都合が良かったのだ。
福太郎がかつてのそれらと全く同じであったならば、八雲・紫は失望を覚えたであろう。
しかし、田村・福太郎はそこらの自殺願望者とは、ちょいと違うようにも思えたのであります。
一つの恐怖も覚えずに死に向おうとしている。大抵の人間であるならば、たとえ死を望んだ所で怯み震える事は間違いない。
八雲・紫の長い生において、こんな奇妙な人間と出会った事は、初めてであった。
「…………邪魔するのも悪いけど、こまちゃんのお願い、ですし、ね」
ゆったりとした動きで福太郎に近づいていく紫。
その一歩一歩をお仙は今か今かと待ちわびていて、ともすれば怒りを伴った声をあげてしまいそうになった。遅い、遅い、逸る思いが、お仙を焦らせる。
ようやく辿り着いた紫は福太郎の傍で腰を折る。すると、何のためにか一度お仙の方に目を向けてから笑みを作った。
「ごめんなさいね、お仙ちゃん」
「へ?」
八雲・紫は、福太郎に口付けした。
「は? …………………………は? はぁ!?」
突然目の前で起こった訳のわからんキテレツ展開に、お仙は大きな声を上げた。
キス。マウストゥーマウス。フレンチ? ディープ? イエイエ、唇に触れる程度。
「ちょっと紫さんんんんんんん!?」
「あら、まだ済ませてなかったの?」
「そういう問題じゃ……! って福ちゃん! 大丈夫なの!?」
それまで死に瀕していた筈の福太郎が、何事も無かったかのように上半身を起こす。
福太郎自身、どうにも自分に何が起こったのかどうかを理解できていないようであった。
はてな、と紫に事情を尋ねようとした福太郎に先んじて、信じられないといった風のメディスンの口から涙声。
「ふええええええ、どうして死なないの!?」
「んー、何でかな。生き残ってしもたね」
「スーさん、もう一回やっちまいなぁ! ……ってスーさんいないんだった。ふえええええええ!」
やっと復活した毒機能であるからして、よほど衝撃であったのだろう。
メディスンは顔を覆い隠しながら、一号室に走り去っていった。彼女はここでも魔理沙に感謝することになる。あの勢いでは、まず間違いなく防犯装置に引っかかって地獄送りであった筈だ。
あからさまに異様な雰囲気を醸し出している発動中の魔法陣を回避して、彼女は迷い路へ。
「あの人形、とっちめる!」
「やめとけやめとけ。一度迷ったらもう出れねーぞ」
追跡を試みようとしたお仙を寸での所で義鷹が食いとめる。
ぎゃぎゃー小うるさい七号室住人は放っておきまして。福太郎はと言いますと、もはや体のほうに不備はないようにみえた。手の平を意味も無くぐっぱ、ぐっぱ。
乙女の口付けには神秘の力が込められているとでもゆーのか。
「吸ってあげましたの。もう体の方は大丈夫のようね」
「す、吸う?」
福太郎のドギマギハートを一つばかり残して、毒人形による異変はここに終わりを告げた。
いやいや、も一つばかり邸にゃ異物が。白黒泥棒でありんす。
「所で、魔理沙サン?」
「あんだよ」
「一号室の修理費を再度お願いしたいのデスが?」
「あー、分かった分かった。今履いてるパンツやるから。これで勘弁してくれ」
「ンン、仕方ありませんネ」
こまによる更なる追求を回避するため、霧雨・魔理沙はさっさと邸から退去した。