不思議町の不思議な住人たち。   作:赤目のカワズ

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足洗邸の絵描きたち。

「七千七百廿六圓に成り〼」

 

「はい」

 

先日鳴屋《ヤナリ》より財布を賜わった田村・福太郎は、商店街の方に赴いていた。

本屋においては、社会登録ナンバーが刻まれた右手のひらを店員に見せる。

紙袋にどっさりと入れられた漫画本。大人買い、などというものを生まれてこの方経験した事のない福太郎は、ずっしりとした重みを持つ紙媒体に不思議な感覚を持った。

女主人に軽く礼をしてから店の外に出ますれば、左に怪の者、右に魔の者。さあご覧あれ、ここにあるは狂った世界《大召喚を経た世界》。

かつてと変わらぬ姿を晒しているのは、てっぺんにて燦々と輝きますお天道様でござりまする。とはいえ、その眩しさに憧憬を抱いている場合ではない。

どでけー通行人がよくよく通るもんですから、福太郎は目ン玉見開いて前を見ておかなければならぬ。

さて、煙草をプカプカ吹かしまして、紫煙を置き去りにしまして。書店にて笠森・仙に対する贈り物を買いそろえ終えた福太郎は、てこてこと帰路を歩んでいたが、その視線の先に大きな人だかりが見え始めたではありませぬか。

多種多様な種属が入り乱れますこの世界。それぞれの価値観に見合うような事柄は滅多に起きんっつーのに、ざわざわざわざわと興奮の入り混じった喧騒が発生している。

 

「お」

 

物珍しさからか、彼もまた、野次馬の一員に加わる事を選択する。

人だかりの中心、野次馬たちの酒の肴は、ファイターズ・ストリートでござい。アンドロイドレフェリーと、対戦者《ワンピーガワ》が中心点にて佇んでいる。

どこの世界におけましても賭け事は無類の好き者を呼ぶもので、気の早い輩はまだ試合も始まっていないというのに、懐からくたびれた紙幣を取りだしておりました。ちょいとちょいと、あんさん、これでどんだけ負け越しとるか、数えてみ?

さて、これより行われるのが雑多な、肥やしにもならない糞試合であったならば、福太郎の目を奪う事もなかっただろう。またそれは他の野次馬たちにも言える事で、閑古鳥が鳴いていた筈だ。

とはいえ、始まらずとも予想は出来るというもの。

未だ矛を交えていておらず、挑戦者さえも現れていないというのに、ワンピーの一種異様とも取れる雰囲気は、あらゆる人種を引き寄せていた。

赤服をはためかせる対戦者は、周囲の期待に気を配るわけでもなく、つまらなそうに遠くの方を見やる。

所で、レフェリーが声を張り上げたのは十二分に人だかりが出来たのを見計らっての事。福太郎もその範疇に含まれており、場の行く末を見守っている。

 

「サァア! 誰かないか誰かないか挑戦者《ツーピーガワ》! 誰かないかァ―! 鎮伏業獲得賞金番付第七位! 対戦者《ワンピーガワ》! 『東方見聞録《マルコポーロ》』博麗・霊夢に挑戦するヤツはいないか――ッ!」

 

レフェリーの視線は、野次馬どもに向けられている。

さあさあ、どいつだどいつだ! ここに開かれるは、馬鹿どもの馬鹿試合! さっさと名乗りを上げてみろ!

レフェリーのそんな思いが通じたのか、野次馬どもの中心点から大きく離れた場所から、一つばかりの挙手。そして、大きな声が聞こえてくるではありませぬか。

 

「はいはーい! ウチがやるウチがぁー!!」

 

どけいどけいと野次馬をかき分けまして、名乗りをあげた少女が最前線にご登場。

あんまりにも堂々とした態度を見せるものだから、気をてらった訳でもないのに、彼女には自然と注目が集まった。

一斉に集まる視線をものともせず、傍観者と当事者とを隔てる柵を乗り越えまして、少女は戦場《バトルフィールド》に立つ。

年頃の少女が身につけるには幾分地味な格好は、この地区の少年少女が毎日のように着る、つまりは学生服と呼ばれる代物であった。

本来の機能をないがしろにされ空しさと共に佇む二つボタン、そして大きく胸をひらけた少女。Yシャツを押しのけるようにして、双丘が自身を大きく主張していた。

さて、遅れまして、少年が姿を現す。人間種にしちゃあ珍しいレッドアイ、おまけに白髪ときますれば、少年がアルビノ気質を持ち合わせている事はすぐに判断出来るものだ。

同輩、先輩、後輩、いずれかの部類に当たるのだろう、準備運動を軽くすました少女はそちらの方を振り向く。

 

「な! ええやんなッ! 実歩!」

 

「前に出てからきかんといてくれや……」

 

付き添いの白髪少年《実歩》は溜息をついたが、よくよくこういった事態に陥るのだろう。しばらく悩ましげに目を伏せていたが諦めがついた御様子で、少女と同じく柵を通り越した。

先ほど鞄を強引に押し付けられたように、今度はたたんだ上着が実歩に渡される。

ネクタイをゆるめて戦闘態勢に移行しようとする少女に、祭り囃しのレフェリーは声を弾ませた。

 

「なッ、何ァんと! 皆さんご覧ください! 『変身《カフカ》』の上池田・美奈歩! 通称『浪速天使』だァァァアアアアア! こいつは凄いぞ! 人間種の二枚看板が遂に激突! このカードは見逃せない――ッ!」

 

対戦者=博麗・霊夢。H・N『東方見聞録《マルコポーロ》』、F・N『アウトバーン』。

挑戦者=上池田・美奈歩。H・N『変身《カフカ》』、F・N『浪速天使』。

 

ここに両者はそろい踏み。囃し声に混じるように、公然と賭け試合を進行させる輩達。

とまあ、そんな下賤な連中は上池田・美奈歩にゃ関係ございやせん。人間種最強と謳われる女と戦える、その思いが美奈歩を猛らせていた。

美奈歩の戦闘方法は、特殊な物だ。武器こそ持たないが、何するものぞと判断するにゃあまだ早い。

かつて師より賜わった音声変換拳《言霊と体術の合わせ技》によって、彼女は数々の対敵を打ち倒してきたのだ。んでんで、こいつがまたすげーすげー。目ン玉かっぽじって、よーく聞きやがれい。

思いこみやプラシーボ効果を遥かに凌駕する、言霊による身体強化。またこれは対敵に対しても有効的であり、脆弱な魂を一発で慄かせる。

強化にも一定の限度があるなど欠点もままあるが、鎮伏業における彼女の実力は折り紙つきといえた。無手と侮ってかかれば痛い目を見るのは必至だ。

所が、所が、でござる。対戦者として立ちふさがりまする赤女を見れば、緊張感もなく暇そうにあくびを一つ。番付の順位に傘をきたわけではございますまい。ただ、そう、美奈歩に興味がないのだ。

彼女に代わって始まりの詔を上げるは挑戦者。いざいざ、今こそは瞪目奮臂時《おおみえをきるとき》。美奈歩はビシッと決めポーズ。

狼煙を上げんとする血気盛んな美奈歩に、ようやく赤女が視線を向ける。

 

「バトろか、ウチと!」

 

「あー、別に誰だっていいのよね、相手は」

 

首を傾げる美奈歩を余所に、霊夢は懐から取り出した札束を、賭けのまとめ役に手渡す。

なーんてこたぁない。彼女は、美奈歩の事を金ヅルとしか見ていなかったのだ。

 

「私、自分の勝ちに全賭けしてんの。さっさとやられてよね」

 

突きつけられた数々の言葉に、さすがの美奈歩も顔を顰めたが、すぐに気を取り直す。

そう、なーんてこたぁない。相手が見くびってくるというのなら、拳で。

下に見られていると言うのなら、これまた拳で。己の実力を見せつけてやればいい。

そして、その手の事に関してなら、美奈歩にとっちゃお茶の子さいさいというものである。

バトルマニアの誹りを受けようと構わない。美奈歩の笑みは自然と深い物となっていった。

 

「ハッ! 人間種最強ゆーその実力! ウチが確かめたる!」

 

遂にストリート・ファイト《暇人どもの馬鹿騒ぎ》が開始される。

美奈歩の初手は、拳を握りしめる事ではない。また、駆けだす事でもございやせん。

言葉を紡ぐ事から始まるのでございます。

 

「私ノ固武士《コブシ》ハ十万馬力!」

 

原子力ロボットもかくやという言霊は、美奈歩自身を昇華させる。イメージが、実像を持ち始める。突き出された拳をくらえば、さしもの霊夢もただでは済まない。

無論、これは実際に拳が接触した場合による。

美奈歩の拳を難なく回避し続ける霊夢。左に打ち込まれた拳を右に避け、降り下ろされた日にゃバックバックバック。

埒を開けるべく前方に詰め寄った美奈歩は、先制の拳を打ち込んでから、

 

「私ノ切駆《キック》ハ天ニ轟ク!」

 

言霊による祝福を受けた左足を横なぶりに繰りだす。しかし、これもまた回避される。

半身を翻した美奈歩に対し、好機を捉えたとしてここぞとばかりに巫女が詰め寄る。

それを、美奈歩は笑みと共に迎えた。

 

「なんでやねん!」

 

関西人なら誰もが持つとゆー、必殺の裏拳。相手の不意を突くそれは、無手勝流が故に予想が困難なものだ。これまでの美奈歩の戦績を鑑みれば、そうゆう判断を下せる。

しかして、またもや美奈歩が手ごたえを掴む事はなかった。横一線の軌道は霊夢に接触する事無く、空振り。捉えるべく相手を、美奈歩は一瞬見失ってしまう。

彼女が対敵を視線に捉えたのは、上方にて。

 

「ななっ!?」

 

こいつぁ驚いた。浮いてやがるぜ別嬪さん。

迫りくる裏拳を、空に浮かぶ事によって緊急回避した赤女。確かにそれなら、既に前進を選択していた足に構う事なく、美奈歩の一撃を避けれるっちゃあ避けれる。

とはいえ人間種が空を飛ぶのは、非常識なんじゃねえかい。美奈歩自身、そういった思いに蓋をしている事はすぐに出来なくなった。

吠える。

 

「さっさと降りや!」

 

「はいはい」

 

降りてきた霊夢には至極当然、追撃が行われた。

言霊強化を付与された拳が放、放。左拳が顔へ、右拳が腹へ。同時に。

顔面に拳が来たとなっちゃ無意識にもそちらに気が向くもんだが、土手っ腹にも迫りつつある拳ともども、霊夢は正確に事態を把握していた。防御ではなく、またもや回避。後方に一歩下がってから、遂に彼女は攻撃に移る。

懐から取り出したるは、小さな球体。黒色白色をない交ぜにした小さなそれを、指で弾いた。宙に放たれた球体は、突然巨大化。美奈歩を呑み込む勢いでそのまま突撃する。

近接する球体に対し、寸での所で手の平を伸ばした美奈歩。しかし徐々に追いやられ、足が大地を滑っていく。

その背後には戦闘区画を制限するための柵が迫りつつあるが、球体は柵もろとも美奈歩を彼方まで押しやるだろう。つまり、このままでは美奈歩は場外負けを宣告されてしまう。

最も、『噂に聞いた凄い奴《浪速天使》』はこんな所じゃ終わらん、終わらん、終わらんのであります。ああ、聞こえまするは、耳をつんざくでっけぇ雄叫び。

 

「ばうあああああああああああ!」

 

気合い一発。

眦を決すると、美奈歩はあえて腕に力を込めるのやめた。そのまま思いっきり上半身を反らしまして。

結果、顔を掠めるようにして通り過ぎた球体は、そのまま後方の柵に激突しなさった。

勢いをつけて体勢を戻す美奈歩。対戦者による追撃はない。挑戦者は、自分を包む高揚感に酔いはじめていた。呵呵大笑。赤い気炎は、こんな所じゃあ消えやしない。

額から垂れる汗をぬぐってから、

 

「燃える!」

 

「私も汗かいてきたし、あとで飲み物奢ってよね」

 

「ウチに勝ってから言いや!」

 

さて、幕を引かんとばかりに再び駆けだした美奈歩の事は少し置いときまして。

福太郎はと言いますれば、試合が始まったと思いきや、そそくさと帰路に舞い戻ってしまった。

野次馬どもの波をかき分けて進んだわけでありまして、興奮気味の観客達は無表情を張り付けた福太郎を疑問に思った筈だ。とはいえ、ノリの悪い男の事など、すぐに忘れてしまったに違いあるまい。

福太郎は、ぼんやりとした視線を前方に向けたままにしていた。両隣を、通行人が通り過ぎていく。彼ら、あるいは彼女らは、福太郎に奇異の視線を送った。

商店街には、喧騒が渦巻いている。お天道様が大手を振っている事もあってか、暗がりに足を突っ込んだ人々は少ない。

だからこそ、だからこそでありやしょう。田村・福太郎は、孤独だった。隔てられていた。

さて、歓声が聞こえなくなるほど足を進めた頃合いで、せっかくの前進を、福太郎は再び止める事になる。

その背に、声がかけられたためだ。

 

「田村さん?」

 

福太郎が振り向くと、何時ぞやの人物がそこにいた。

短く切りそろえられた髪に、青を基調とする服。頭にちょこんと、そこらじゃ見かけない特徴的な帽子を置きまして。

そこな人物、上白沢・慧音とは福太郎にとって――今より六ヶ月前、竜造寺・こまの依頼から訪れた相手である。

ちょいとばかし記憶の彼方に追いやられていた人物像を福太郎は必死になってかき集めていたが、その一方で慧音の記憶力は特筆すべきものといえた。彼女はほがらかな笑みを作って、

 

「今日は、如何様な理由でこちらに」

 

「……知人に贈り物などを」

 

上白沢・慧音は、今時にしては珍しく生一本な性格を持ち合わせていて、その笑みは、見る人をはればれにさせるものであった。

とはいえ、お節介であるというのは、人によっては困りものだ。丁重にお断りしたものの、わざわざ食事を作ってもらった事を福太郎はよく覚えている。

顔に優しい笑みを浮かべて好印象を振りまいているものだから、何とも断り辛い雰囲気を醸し出すものでして。

例えば、それは次のような言葉からも見え透けるのでございます。

 

「その、何だ、まだ昼食は済ましていないのかな」

 

「そこらへんで腹ごしらえでもしようかなと、考えとったトコです」

 

「ならどうだろう、実は穴場を知っていてな。ここで会ったのも何かの縁とゆう奴だ」

 

不意なお誘いにより至る逡巡。福太郎はそれを断ろうか否か考えあぐねていた。

あくまで善意からくるものであり、むやみに彼女の笑みを曇らせる必要もあるまい。

とはいえ、こうも突然に。そうは思いもしたものの、結局福太郎は、彼女のお誘いを受けることにした。

 

「あー…………それじゃあ、御同伴させていただきマス」

 

よほど嬉しかったのであろうか、慧音はどことなく先の笑みを三割増しにしたものを見せた。

踵を返して歩き始めたその後ろ姿を追っていると、珍奇な専門店などを通り過ぎまして、昔ながらの日本家屋に辿り着く。手打ち蕎麦うどんを冠したのれんが掛かっており、彼女が目指した穴場とやらはここである事に相違はなかった。

だが、福太郎がその光景に首を傾げたくなるのも、まぁ仕方のねえ事案ってやつでありやす。恐る恐る人差し指が伸びて。

 

「ココって……灯り、ついてませんよ?」

 

「ああ、それは別にいいんだ」

 

福太郎の言葉に、慧音は軽くこの店の説明を行う。

曰く、無燈蕎麦という代物らしく、福太郎と同様の感想を持つ輩が多いために、美味さと集客率が反比例しているとのこと。せっせと働く店主人としちゃあ、そいつは割に合わねえ事じゃありますまいか。とはいえ、道楽主人であるというのならば、それもまたむべなるかな。

慧音と福太郎は店ののれんをくぐろうとしたが、それは店内より響いてきた声によって妨げられる。

 

「さっさと出しなさい!」

 

切羽詰まった余裕のない金切り声に、福太郎と慧音は思わず顔を見合わせた。

絶叫にも似たそれのせいで、戸に掛かっていた筈の手は目的を失い一人佇んでいる。

どちらからというわけでもなく、福太郎が口を開く。

 

「何ですん? 今の……」

 

「さあ……」

 

声は再び、店内から。

漏れ聞こえる声からして、その主は自身を失っているようにも思えた。

 

「貴方は店の主人でしょう! 客が腹をすかせているのだから、さっさと料理を出すのが筋ではないのですか!? こちとら、休暇は全然ないんですよ!? たまの余暇に美味しいと噂される場所を訪れた私の身の上を考えた事がありますか!? こちとら毎日毎日仕事仕事仕事! 一に仕事に二も仕事! 三、四も仕事で五も仕事なんですよ!? 上司はごちゃごちゃ言って何時まで経っても事態は好転しない!」

 

「クーレムちゃうんかな」

 

「クレ……! そ、そうですね。私ともあろうものが、確かに冷静さを無くしていました。謝罪させていただきましょう。しかし、しかしですよ? 店の主人たる貴方は客を喜ばすことに鋭意努力すべきであり、そのあたりは白黒はっきりさせるべきだと思うのですが? また、立地的に恵まれていない事も含め、貴方が真っ先に成すべきなのは、客に奉仕する心から始まり」

 

「お客様(笑)ちゃうんかな。ワシは知らんけど」

 

「な……!」

 

カラカラカラ。

少々無粋でありますが少しばかり戸を開け放ちまして、冷やかしの視線を送る。

古びた店内には、これまた古風な風景が広がっていた。大将と声をかければ、歴史を顔に刻んだ職人が出てきそうな、そんな雰囲気を保っている。

故に、ぽつぽつと散見される奇妙な点があんまりにも店の雰囲気とかけ離れていて、それらはより一層の違和感を放っていた。

まず、主人。いかにも人肉を好みそうな奇っ怪な顔をなさっていて、およそ客寄せをできそうな顔つきではない。

次にメニュー。壁に貼られた紙には、それはもう目を疑いたくなるようなお品書きばかり。ダイナマイトだのがっかりだの即死だの地獄だの。およそ料理名を飾り付けるにはふさわしくない言葉だらけである。

さて、客席には緑髪の女性が座っていた。先ほど達弁を振るっていた女性だ。

よくよく見ると、女性はまなこの下に真っ黒な隈をつくっていた。寝不足からくる精神圧迫が、彼女の怒気をより強い物にしているのだろう。

慧音と福太郎の存在を目に入れる事もなく、彼女は引き続き口角泡を飛ばす。

 

「ガミガミガミ」

 

「お客様(笑)」

 

「!? ガミガミガミガミ!」

 

クレームは更に熱を増していくのだが、これがまた多角的な視線から行われるものだから達が悪い。

無駄に雄大で、無駄に語彙に富み、そして無駄に長い。光焔万丈な口ぶりをのらりくらりと避ける主人は、ある意味において大物だ。

カラカラカラ。店内のお二人に気付かれないよう、再び戸が閉められる。

慧音と福太郎の間にはどうも如何しがたい空気が流れ、なんとか言葉を吐きだしたのは、女のほうから。

 

「……落ちついて食べる雰囲気ではないな。すまない、せっかく連れてきたのに……」

 

殊更に残念そうな口ぶりの慧音。

このまま解散、というのが福太郎にとってしてみれば最も良い選択といえた。

とはいえ、目の前でこうも伏し目を作られてしまうと、彼にとっても目覚めが悪い物があるのでしょう。

一礼をして踵を返せば、慧音が見るに忍びない態度のもとに笑みを作るのが、ありありと浮かんだのだ。

福太郎の高校時代の先輩がここに居りましたなら、女の笑みのために奔走したのかしらん。

空きはじめた小腹を埋めるという名目で、彼は一つの提案をした。

 

「それなら、どうでしょう。今度は、自分のお勧めに向かうんゆーのは」

 

慧音はこの提案を快く受け入れた。行き先は、望月・玉兎と共に赴いてから先、度々利用するようになった喫茶店である。

えー、この度は福太郎を先頭としまして、てくてく、とことこ、すたこらさっさのレレレノレ。

見えてきますは、中華と洋風がごっちゃになった、えてしてこの世界にお似合いの店内模様。

お二方は腰を落ち着かせると、縦横無尽に歩きまわっていたウェイトレスに声をかけた。

 

「御注文は?」

 

チャイナ娘はやはり特殊な存在であったのか。この度福太郎の注文を承ったのは、灰色耳で一本尻尾を持ち合わせた毛駄物でありやして。

二つばかりの水を乗せたプレートを、これまた器用に尻尾の上に乗せてバランスをとっておりやす。

グラスをテーブルに置き、一通りの注文を取り終えると、毛駄物は厨房に戻っていく。

 

「注文入……ご主人、ラベルをよく見るといい。それは砂糖だぞ」

 

「おや」

 

客身分からしてみれば、まことに不穏な響きじゃあございませんか。

さて、しばらく経っての事。出てきた料理は依然通った時と変わらぬ美味しさを発揮していた。料理に舌鼓を打つ二人。他愛もない雑談。

男と女が会食しているにしちゃー、色気のねぇ話ばかりなのは、どうして何でしょうねい。

ふと、話題は田村・福太郎の身の上に向かった。

 

「田村さんは、絵描きをしているのか」

 

「まー、そんな一々言いふらすようなもんでもないんですけどね」

 

「未だ師事を受けている身だが、いずれは私も絵描きとしての道を進みたいと思っている。田村さんは、どんな絵を書くのだろうか。是非、聞かせてほしい」

 

同郷の身を見つけたように、途端に慧音の瞳が輝きだした。

福太郎自身、よもやこのような所で絵描きの知人を得るとは思いもしなかったのであろう。彼はグラスに手を伸ばす。ごくり、ごくりごくり。

喉は潤おしてから、ようやく福太郎は二の言葉を絞り出した。

 

「主に、風景画ですかね」

 

「人物画は?」

 

「写真とおんなじで、人物画は魂が籠りやすいですからね。それに……後で見んのがつらいトコです」

 

「そうか。私はその逆といった所だな。私は、この世界に生きる全ての人々を克明に描写したい。人の表情とゆうモノには、それまで生きてきた歴史が映る。私は、それを一枚の絵に仕立て上げたいんだ」

 

慧音の言葉には、その節々にある種の執念が含まれているようだった。とはいえ、彼女自身その事には気付いていないのだろう。

またそれは、赤の他人の福太郎にとっても同じ事で、僅かな違和感が霞みのように浮かんだに過ぎませぬ。

若干尻すぼみになりながらも会話を弾ませた二人は、気付けば出された料理を綺麗にたいらげていた。

勘定を願い出ようとした時であったか、遅れて慧音が立ち上がり、声をあげる。

 

「あ、ここは私に持たせてくれないか?」

 

困ったような顔つきを見せるしかねえのは福太郎。

特に恩を売った覚えもない彼からしてみれば、その申し出は受けがたいものがあるのだろう。

妙な人間、変人として邸住人に認識されつつある男とて、その程度の一般常識は弁えているものである。先に食事を作ってもらった事もあった負い目もあり、彼はぽりぽり頭を掻き掻き。言葉を選びながら、

 

「……その、ですね。あんま、気ぃー使ってもらわんでも、大丈夫ですよ」

 

「そ、そうか」

 

福太郎の言葉を受け取ってからというものの、彼女の表情は一歩一歩暗がりに進んでいった。萎みゆく風船。この言葉ほど嵌った表現はありますまい。

男女の間に生まれつつある微妙な空気に関わり合いなく、別々に勘定を払い終えてしまえば、もはや男女を繋ぎとめるものなどありはしないのでして。後はお決まりの解散を告げるのみ。

とはいえ、なんとなく、なんとなく言葉を出し辛くなってしまった福太郎。喫茶店からしばらく手持無沙汰に歩いていると、慧音がおずおず、

 

「その、田村さん」

 

「なんでしょう」

 

「……私は、人との付き合い方とゆうものが、いまいち分からなくてな。恐らく、先日会った時にも不快な目に合わせたのだと思う。謝罪させてくれ」

 

殊のほか、慧音は先ほどの会話を重大に受け止めてしまったらしい。

貰えるもんは、貰っとけ。福太郎が業突張りであったならば、このような事態にもならなかったのかもしれない。

罪悪感が忍び足でひたひた、ひたひたと近づいてくるような、そんなうすら寒さを感じ始めた福太郎はあわててあわてて、さて、それからどーした。

彼の口から出てくるのは、その場しのぎの弁解でございます。

 

「や、そんな大げさな……」

 

しかして、不明瞭な彼の言葉は、そこで途切れる事になる。

えてして勘の鈍い人間種とて理解できるほどの、重く、ねめつくような視線に貫かれている事を、彼は悟ったからであった。

視線は、男女お二方の前方より来訪。その主は、女は、背景に人っ子一人おらぬ孤独を纏って、徐々に徐々に、福太郎たちの方に近づいてくる。まるで親の仇を見る様な瞳じゃあありませんか。

女はどことなく秀真風の服装を身に着けていたが、両手に嵌めた真っ黒のグローブのせいでちぐはぐなイメージを周囲に振りまいている。

福太郎の目前までやってきた所で、視線の主は足を止める。福太郎に比べちまえば矮駆な少女に過ぎないというのに、瞳に籠った感情が、やけにその存在を大きくせしめた。

福太郎が不思議そうにそれを見つめ返していると、彼女は開口一番、

 

「……誰だアンタ」

 

「えっと……」

 

どう返答したものかと、福太郎はその突飛な物言いに戸惑いを覚えているようだった。

しかして、眼を白黒とさせているのは福太郎ばかり。知己の間柄であるのだろうか、それまでの陰鬱たる表情から血相を変えて、傍らの少女《慧音》は闖入者の名を呼ぶ。

 

「こら、妹紅、そんな言い方」

 

「慧音はちょっと黙ってろ……で?」

 

有無を言わさぬ態度で慧音を黙らせた少女は、変わらぬ視線を福太郎に送っていた。鋭い目つきは、福太郎の一挙一等足を監視している。

慧音といえば、両者の間に視線を右往左往させていて、心細そうに胸に手を。世の男どもの庇護心を掻き立てる有様を晒しておりまして。

福太郎はと言うと、突然の出現、突然の敵意。ここまでくれば当然の帰結。頭の中にゃあはてなまーくがそこらじゅうに散らばっております。

疑問の一つくれえ言葉にしたい所でありましたが、少女がそれさえも許さないであろう事は、現状が物語る。

彼女が求めているのは一つだった。たった一つの答えだけだ。同時に、それは福太郎の運命さえも決定づける重要なものである。

 

「……田村・福太郎ッス」

 

「田村? ああ、アンタが…………ちょっと、こっちに来てくれ。あ、慧音はそこで待ってろ。動くなよ」

 

妹紅の反応は、福太郎の予想だにしないものであった。言われるがままに彼女に連れられ、福太郎はその後方を歩みゆく。

慧音の手がそれを追うように伸びたが、その五指はどなたの裾を掴む事もなく、空空と空を切った。

妹紅なる人物と福太郎は、しばらくしてから足をとめる。

状況把握には材料が不足に不足、そんな福太郎を置き去りにして、少女は再び疑惑の視線を向ける。

 

「田村・福太郎だっけ」

 

振り返った少女の視線は、未だ懐疑的なものだ。しかし先ほどに比べてみれば、その瞳からは鬼気迫るといった緊迫感は消え失せていた。

どうやら,田村・福太郎という名は、ある種の鎮静作用を発したらしい。とはいえ、一方的に名を知られているという奇妙な感覚に、福太郎は愛想笑いを浮かべている。

少女がその愛想笑いをも鑑定に入れ、どれほど時間が経っただろうか。険しい目つきであった少女が、ふっと表情を和らげる。

判定、敵性ナシ。妹紅の目には、福太郎が眉間の延びた間抜けな男にでも見えたのだろう。

 

「……悪かったな。変に問い詰めて」

 

それまでの疑惑を氷解させて、妹紅なる人物は謝罪の言葉を口にした。

彼女はポッケから煙草とライター一式を取りだすやいなや、さっそく火をつける。

煙草を咥え、そこで思いだしたかのように、チラリと福太郎の方に視線を。

 

「いる?」

 

「や、手前のがあるんで」

 

ゆらめく炎。

立ち上り始める紫煙。

彼女の立ち振る舞いは、一見傲岸そのものにしか見えなかった。

一服してから、彼女は身の上を語り始める。

 

「私は藤原・妹紅。中央で働いてる。H・N『霊魂論《アリストテレス》』で通ってるから、まあ何か困ったことがあったら連絡してくれ。さっきの、謝罪も込めてな」

 

「あ、これはどもども」

 

「で? 田村は慧音と何やってたんだ?」

 

斯く斯く云々。要約するなら、たまたま会って、飯食った。そんだけ。

話を聞いていくうちに妹紅の表情は、ばつの悪そうなものへと変わっていった。客観的に見ちまえば、妹紅は知己の友人付き合いにケチをつけにいったようなものだからだ。

横暴な振る舞いを見せたと思えば、今度は罪悪感に苛まれている。不思議の一言で済ましては、妹紅という人物を正しく表現する事は出来ないであろう。

さて、とうとう苦虫を噛み潰すに至る妹紅は、これでもかと顔を歪ませた。

 

「あー……そうだったのか。何か、心配して損した気分だ」

 

「えーっと、藤原さんは、上白沢さんとはお友達なんですよね」

 

「まあ…………うん、そうなるかな」

 

先ほどと違いやけに歯切れの悪い妹紅はともかく。

彼女が異様にまで敵意を見せていたのは、上白沢・慧音に近づいた何某のためであったようだ。友人思いからの、行きすぎた暴走と言った所か。

無論、田村・福太郎なる人物の特徴はおおよそ聞きかじっていた筈なのだが、慧音の語る人物像と実像は大いに違ったものであったらしい。

さて、誤解が解けたとなると、福太郎にとって藤原・妹紅は気の良い人物であるといえた。また、慧音の事となると別だが顔つきには落ち着きがあって、年不相応の深みを感じさせる。

妹紅にしてみても、敵性ナシの判断を導いた慧音談もあってか、福太郎に対してある程度の興味を覚えているようだった。

不意に彼女の視線が、忠実に命令を守っている慧音のほうへ向けられる。慧音の方もその視線に気付いたようで、男女の会話がどのような方向に向かっているのかが気がかりのようであった。

 

「その……私がいうのも変な話なんだけど、慧音とは仲良くしてやってほしい。迷惑をかける事もあるかもしれないが、それは、ただ友人が欲しいからなんだ」

 

「……?」

 

「慧音は、その………………あー、私が言う事じゃないな」

 

妹紅なる人物は慧音の話題になると、途端に歯切れが悪くなる。

彼女自身それを自覚しているのであろう、悩ましげに頬を掻き、煙草をスパスパ。

さしもの慧音も堪えがきかなくなってきた事もあってか、二人は再び彼女の方に赴く事になった。

男女横になって歩いていた所、隣の男に向かって、妹紅の笑い声が届く。

 

「……それにしても、お前が田村か。そうかそうか」

 

「あのー、その笑みにはどーゆう意味が込められているんですかね?」

 

「ちょっと前に、慧音からその名前を聞いてたんだ。……何か、懐かしい匂いがするって言ってたな」

 

福太郎がそれを問いだたそうとした頃には、二人は慧音と合流していた。待ちきれなくなった慧音の方が、おそるおそる歩みよってきたことにもよる。

慧音の瞳には、心配ごとに対する感情が溢れていた。

 

「妹紅? 田村さんに失礼はなかったか?」

 

「ははは。慧音はうるさいなぁ。皺が増えるぞ」

 

「なっ……!」

 

先とは違う意味で血相を変える慧音。とはいえ、ケタケタと笑う妹紅には柳に風と言った所か。

しばらく三者三様の反応による会話は続く。妹紅の登場は、先の萎みがちであった慧音と福太郎の空気を一転させていた。

萎んだ風船であった慧音も、今となっては平常と変わらぬ笑みを見せている。

さて、話題も尽き慧音の友人が来た事もあり、福太郎はようやく、言いたかった言葉を口に。

 

「そんじゃま、俺はここで」

 

「ああ」

 

さよならを告げる福太郎であったが、先ほど妹紅に言われた事を思い出したのだろう。

踵を返して、

 

「その……管理人ちゃんからの言伝に来る事もあるんやろうし、今度こそは、上白沢さんのお勧めに行きましょう」

 

「ああ……また、な」

 

慧音は、笑みを見せた。

福太郎にとってみてもそれは、心地の良い物であった。

 

 

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