極彩色の女神が、朝陽を浴びて聖堂内を照らす。一枚の硝子に閉じ込められた楽園と女神は、祈りにきた子羊たちへ微笑みかける。彼女から放たれる淡い陽光は、まるで神の導きを表しているようだ。
長椅子の端に腰掛けた私は、ただただそのステンドグラスを見上げていた。私が教会や聖堂の類に足を運ぶのは、祈りを捧ぐでも感謝を示すでもなく、こうして何も考えず心身を休めるため。
神の御許はいつだって静かで、休むには絶好の場だ。朝ということもあって、参拝者が出入りする足音が聖堂内によく響く。けれどこれくらいの雑音は、子守歌にちょうどよい。
重い瞼が下りてきて、視界が狭まっていく。
…………ああ、眠い。
「エクソシスト様、こんなところにおられましたか」
若い男の声にハッとして、閉じかけた目を開く。
薄汚れた白いローブの男、
「もう汽車が出ます。急がないと、また乗り遅れますよ」
「そうだったな……。やれやれ、昨晩はアクマのせいでろくに眠れていないというのに」
「汽車の中でたっぷり寝てください。さあお早く」
促され、私は眠い目を擦りながら教会を出て、駅へ向かう。
急かされながら歩いたのだが、どうやら私の脳は半分寝ていたようで、ふたたび座るまでの記憶がない。
気づくと、すでに私は汽車の中にいた。
例に漏れず個室席で、よく沈む座席と起毛の絨毯、華やかな装飾はもう見慣れたもの。
私は編んだ髪を前にもってきて、団服のフードを被る。
「降車予定の駅に着いたら……起こしてくれ……」
「はい。なにかありましたらお声をおかけください」
ファインダーは窓上の網棚に荷物をのせて、個室を出た。
彼が扉を閉めると、ちょうど汽車が動き始める。
窓へ目を向ければ、ゆっくりと駅の様子が後ろへ流れていく。寒いなか厚いコートを着込んだ大人たち、なかなかない遠出にはしゃぐ子どもとそれをたしなめる親、旅行にでも行くのか楽しそうに言葉を交わし汽車へ乗り込む者たち……。慌ただしくも生き生きとした、人々の景色。
アクマも戦争も血なまぐさいものなど何一つ感じさせない風景に、私はほっと胸をなで下ろす。こう平和なものを見ていると、連日のアクマの急襲によって緊張しっぱなしだった精神が、
私はそのまま、まどろむように目を閉じた。
「……、……ル……ク……」
すぐ近くで、誰かの声がする。寝ぼけた私には、その言葉は不明瞭過ぎて聞き取れない。
「……ト……ク…………アルト……」
よく聞けば、声は私の名を呼んでいた。
いったい誰なのだろう。どうして私の名を呼んでいるのか。
「アルト……ク、じあいと…………じょの、相反する、……ログ……を……、……んし……」
女性の声。知らない声。
誰だ。貴女は私に、何を伝えんとしているのだ。
「人を、愛し……人と、共に……」
なぜ貴女は、いつもそう仰るのですか。私になにをせよと言うのですか。私になにを求めておられるのですか。その言葉だけでは、私にはわからない。
貴女は、いったい誰なのですか……!
「エクソシスト様」
はっきりとした男の声。私はそれで目を覚ました。
ぱちりと目を開ければ、ファインダーが曇った表情で私の顔をのぞきこんでいた。けれど私と目が合うと、途端にその曇りも晴れる。
「よかった。なかなかお目覚めになられないもので、どうしようかと……」
長く眠った実感はない。あの夢を見たせいもあるが、疲れがまだ体に残っている気がする。
「それはすまなかった、フィル。心配をかけた。もう着いたのか?」
「いいえ、まだ三駅ほど進んだところです。実はこの先の線路が土砂崩れにより塞がれてしまっているらしく、汽車はこの町から動かないそうで」
彼の言葉を聞きながら、窓を見やる。
乗った街ほど大きくはない、しかし村と呼ぶほどには小さくない町だ。背の低い煉瓦造りの家々が、雑多にひしめく。
のどかな町並みを見ながら席を立ち、私は大きくため息をこぼした。
「はあ、昨日の汽車に何が何でも乗るべきだったな…………。線路復旧にどれほどかかる? あまりかかるようなら、次の町まで迂回することも考えなければ」
「最低でも三日かかるそうです。先ほど本部に指示を仰いだところ、この町で待機し、汽車が動き次第帰還せよとのことです」
「ふむ?」
私は荷棚から鞄を下ろし、首を傾げた。
「なかなか珍しいこともあるものだな、あの上層部が待機などと」
意外だった。常なら、汽車がないなら歩いてでも即刻帰還し、一刻も早く次の任務へ向かえと上層部は言うものだ。それが待機だなどと、いったいどんな風の吹き回しか。
本部の予想外の指示に驚きはしたが、従わない理由もない。
とりあえず客室を出るが、私を悶々とさせるには、本部の指示は十分に不自然なものだった。
いったい本部はなにを考えているのだろう。神の使徒に選ばれたことは名誉なことなのだ、だから休むことなく世界のため神のために働けと声高らかに叫ぶ彼らが、その使徒に油を売らす指示を下す。不可解極まりないし、実はこのあとに過労死するほどの任務がどっさり与えられるのではと、深読みしてしまう。
客車内を移動しながら私が変な顔で考え込んでいたのを見てか、フィリップも眉根を寄せた。
「どうかされましたか」
「いやな、あの、人を人とも思わぬ上層部が三日もエクソシストを遊ばせておくなど、空寒いものを感じずにはいられなくてな」
「同感です」
私が言うと、教団でこき使われるという意味では同じである彼も同意してくれる。
「だろう? なにか裏がありそうで、後が恐ろしい」
わざとらしく体を震わせてみれば、フィリップは可笑しそうに笑いをこぼす。
「フィル、お前も私も、このあと生き長らえるとよいな。過労で殉職だなど神に仕える身としては名誉かもしれんが、人としては、な」
「そうですね。アクマに殺されるのはもちろん嫌ですが、過労死というのはなんとも」
他の客はすでに降りたのか静かな客車内で、軽口を交わしつつ降車口へむかう。
「ああそうだ、伝え忘れておりました。本部長からの伝言です。『長期任務お疲れさまでした。十分に体を休めるように』と」
「それは、」
私は口ばかりか、足まで止まってしまった。衝撃的過ぎたのだ。
「出世にしか目のないあの本部長が、人を労るだと……? 私に、次の任務で過労死せよという暗喩か……??」
ぎょっと目をむいた私を見て、フィリップは苦笑いを浮かべる。そして、首を振った。
「そうではありません。どうやらひと月ほど前に本部長が代わったようでして」
「代わった?」
「はい、この伝言は新任の本部長、コムイ・リー本部長からです」
名前からして、アジア系出身だろう。いや、そんなことはどうでもいい。
「はあ、変わったものだな。エクソシストをやっていて、お疲れ様だなんて言われたのは初めてだ」
自分で言っていてなかなかに狂った内容だとは分かっていたが、言わずにはいられなかった。
黒の教団とはそういう場所だ。神の使徒と崇めても、それを人として敬い行いを労る場所ではない。教団にとってあくまでも使徒とは、戦争のための兵隊なのだから。
「新しい本部長はお優しい方のようですよ」
「ああ、そう願わずにはいられん」
そんなことを言いながら、私たちは汽車を降りた。
小さな駅は予期せぬ足止めに困惑する人でいっぱいだった。本来ならこの町はあまり人が出入りするわけではないのか、駅員が慣れぬ様子で誘導している。
この様子では、町の宿屋も似たようなものだろう。もたもたしていると、どこも満室という事態になりそうだ。さすがに、せっかくの休日三日間を路肩で過ごしたくはない。
「宿がとれるといいが」
そんな心配をしながら駅を出ようと歩き始めた、そのときだ。
「きゃあああ!」
雑踏と混雑の中、わずかに耳に届いた女性の悲鳴。
ハッと足を止めて、声のほうを見る。
喧騒が大きいせいか、悲鳴を聞きつけ足を止める者は少なかった。人々がホームを変わらず流れていく。
「エクソシスト様? どうかなされましたか?」
フィリップの声が遠く聞こえる。
彼に応えることはせず、私は目に映る者を見定める。視界に入る全ての人間を、一瞬一瞬で見極め、弾く。
違う。
違う。
あれも、違う。
とくに違和感のない景色に、首を傾げかけた。今の悲鳴は、空耳だったのだろうか。
しかしそのとき視界の端で、人混みを掻き分け進む男を見つけた。考える間もなく私は男へ足早に迫り、その腕を掴む。
男はびくりと震えて、私を見る。にへらと、男が笑った。
「なっなんだよ、神父さんよぉ」
彼はおそらく私の団服を見てそう言った。銀で過剰に装飾されたこの服は一見派手だが、胸に掲げられた
ただ、私が神父であろうが悪魔祓いであろうが、今は関係ない。
「ソレは、お前のものか?」
私は示すように、男が抱えていたものへ視線を落とす。
骨張ったごつい男には不似合いな、女性物の愛らしい鞄。
「あ、ああ、そうだよ。それだけかい? 離してくれよ……」
「嘘偽りは、それそのものが罪」
「は? なに言ってんだよ、おい早く離せって」
男のへつらうような笑みに、苛立ちが混じる。
しかし、睨まれようが噛みつかれようが、私に男を離す気はなかった。見え見えの嘘を、どうして信じてやれるものか。
答えずへらへらする男にこちらもつい苛立ってしまい、手に力が込もる。男の骨が軋んだのがわかった。
男の笑みが、痛みのために歪む。
「嘘を、
白状させようと徐々に力を強めていけば、布越しに掌に伝わってくる軋みも、だんだんと悲痛なものへ変わっていく。
男が叫んだ。
「まっ、離せ! 離してくれッ、腕が折れちまう!」
男が本気で痛がっていることに気づいて、私は力を緩めた。さすがに、折るわけにいかない。
そのときだ。
「そいつを捕まえて! 私の鞄を盗ったのよっ!」
確かに聞こえた声。見れば、女性がこちらに駆けてくる。
「どけッ!!」
それに気をとられた私は、男に突き飛ばされてしまった。咄嗟のことに対処しきれず、煉瓦の石畳に尻餅をつく。
男を見れば、彼は人混みのなかへ紛れようとしている。
「くっ、待て……!」
追いかけようと、慌てて立ち上がる。しかし、私の目の前をなにかが横切った。
「わっ」
ぶつかりかけて、思わず身を引く。しかしそのときには、なにかはどこかへ消えてしまっている。
気のせいか?と考えていると、フィリップが駆け寄ってきた。
「エクソシスト様、お怪我はありませんか」
「平気だ。それよりさっきの男を」
早口で言いながら、男のほうを見る。私はそのまま数秒、固まってしまった。
雑踏に紛れかける男、その頭上には、女の子。
リボンのように二本の黒髪が弧を描き、彼女の纏う白い布が、まるで羽ばたく翼のようにひろがる。
そして、宙でくるりと回った彼女の脚が、男の頭に振り下ろされた。
「がっ…!」
少女の蹴りに、男はあっけなく倒れた。
綿のようにしなやかに降り立った少女は、男の手から鞄を拾い上げる。
いつの間にか、スリの男とそれを倒した少女は衆目を集めていたらしい、周りから喝采があがった。遅れて少女のもとに鞄の持ち主が駆けつけ、礼を告げる。鞄を渡した少女は照れたように笑っている。
「あの子は……」
まさに、「天使のように」と表現するのが相応しいだろう。宙を舞い、愛らしく笑う。
彼女は恥ずかしいのか、喝采から逃げるようにその場を離れる。
なぜか、彼女が逃げてきた先は私のもと。
彼女は私を見上げ、ぺこりと頭を下げる。
そこで、ようやく私は、先ほど横切ったものが彼女だと察せた。ちょうど同じ大きさなのだ。
「ありがとうございました」
彼女は年相応の愛らしい声を奏でる。
思わず頬が緩みそうになるが、そういうわけにもいかない。私は彼女になにかしたわけではないのだ、礼を言われる理由がわからない。
「よく……わからないな。私はなにかしたかな、お嬢ちゃん」
「え? えっと、あなたがあの人を引き留めてくれていなかったら、私でも追いつけなかったから……。だから、ありがとうございます」
再び、ぺこりとお辞儀をする。愛らしい。
元の位置に戻ってきた彼女の頭を、髪型が崩れないように優しく撫でる。
驚いたのか反射的に目を瞑る彼女は、私に仔猫を連想させた。チャイニーズらしい顔つきがそうさせる。
ただ、その愛らしい顔は傷だらけで、頬には大きなガーゼがあてられていた。彼女が幼く愛らしいだけに、まだ新しい擦り傷やそこから滲む赤は、痛々しい。
ああ、とため息がこぼれそうになるのを、なんとかすんでのところで飲み込んだ。
「私ではあの男を捕まえられなかっただろう。礼を言うのはこちらのほうだ。ありがとう、お嬢ちゃん」
そう言えば、彼女は喝采を浴びていたときと同じく照れくさそうにころころ笑うから、こちらも釣られて笑顔になってしまう。
私がおもむろに手を引っ込めると、彼女は大きな瞳をキョトキョトさせて、私の姿を確認した。やがてその目が、胸の十字にたどり着き、パチパチと瞬きをする。
そんな彼女を尻目に、私は軽く辺りを見渡した。
スリ男を蹴り倒した彼女にはいまだに衆目が注がれているのか、駅を流れゆく人々は少なからずこちらを見ている。しかし、こちらを見る者はあれど、近寄ってくる者はいない。
「お嬢ちゃん。ところで君は一人なのかな?」
彼女の付き添いの人間は、この中にはいないようだった。
私が尋ねると、彼女は無邪気に答える。
「前の駅に置いてきちゃった」
すぐさま脳内に、駅でファインダーたちが慌てている様子が浮かぶ。
「そうか。それは困ったな」
少女はよくわかっていないのか、私の困ったという言葉を不思議そうにしていた。
「エクソシスト様、どうされましょう?」
後ろに控えていたフィリップが彼女には聞こえぬよう、私に耳打ちする。
「どうと言われてもな……」
目の前の少女は防寒のために白いケープを被っているが、身じろぎするたび、その下に着ている団服がちらちらとのぞく。
彼女もまた私と同じ、エクソシストなのだ。なんらかの任務を与えられ、ここへやってきたのだろう。
「うむ……」
ただの迷子ならいざ知らず、エクソシストの迷子か。
そう思った私がまず心配したのは、彼女についていたファインダーのことだ。
ともにいた使徒様、それもこんな子どもの使徒様が行方不明になってしまっただなんて、あの上層部に知れてみろ。どんな処分が待っていることか、少なくとも彼らの逆鱗に触れるのは間違いない。たとえ無事に保護されたとなっても、上層部は大切な兵士にみすみす「逃げられる」ような人材は、容赦なく処分するだろう。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。アーメン……。
神よ、どうかそのファインダーにご慈悲を。
とそんなふざけたことを頭の隅で思いながら、私はフィリップに尋ねた。
「この近くの地域に派遣されている他のエクソシストのことは、連絡にはあがってこなかったのか」
「ええ、特には……」
きゅるきゅるきゅる。
ふと、不思議な音が聞こえてくる。
見下ろすと、少女がお腹を撫でている。彼女は顔を上げて、不安そうな目でこちらを見た。
「…………」
「……とも、かく……飯にするか」
私が言えば、彼女はぱあっと笑顔を咲かせた。
エタる(飽きる)前に一区切りまで書き切るのが目標です。
拙い処女作ですが、お付き合いいただけたら幸いです。
書き終わったあとに、ロリナリーちゃんは天使じゃなくてちょうちょじゃね?と思ったけどでもやっぱり天使だよねっていう持論にたどり着きました、以上。