魔法科転生NOCTURNE 作:人ちゅら
「……アレは何だ……」
西暦2095年4月8日。
新入生総代となった司波深雪が、入学式の最終確認のために二時間早く登校するのに合わせ、兄の司波達也も一緒に家を出た。
だが二科生である彼には、式のリハーサルでやることなど無い。忙しなく働く教職員らにとっては単に邪魔になるだけだということで、彼は校舎の中庭のベンチで読書をしていた。
二、三年生らは二日早い4月6日から既に始業していた。
始業といっても入学式のようなセレモニーも無く、ただ先だって告知されていたクラスの教室へ向かい、指導教員の紹介を受けただけ。もちろん二科生にはそれすら無い。
それが終わったら早速履修科目の登録を行い、二時限目からは必修科目の授業が始まるのだ。
そんな中で一人、中庭で悠々と端末を片手に読書を楽しむ新入生を見かけたら……少々言葉にしづらい気分にもなるだろう。
達也は別に楽しんでいたわけではないし、彼にとってはまったく関係のないことだが、上級生らは前年度の成績と、それを基準にしたクラス分けという洗礼を受けていた。三年生は当然、二年生でも進路について意識せざるを得ない。もちろん彼らも少し考えれば、達也が入学式まで時間つぶしをしていることには思い当たるだろうが、それはそれとして目に入れば皮肉の一言も言いたくなるというものだ。
もっとも、当の達也はそうした気持ちを想像していなかったようだが。
「あの子ウィードじゃない?」
案の定、達也にも聞こえるように、そんなことを言った上級生が現れた。外廊下をショートカットしていたのだろう、三人の女子生徒たちだ。それぞれ手にしていた情報端末から目を上げ、達也にチラリと視線を向ける。すぐに視線を逸らしつつ、聞こえる程度の小声で会話を続けていた。
「こんなに早くから。補欠なのに、張り切っちゃって」
「所詮スペアなのにねえ」
隣のベンチに寝ていた男子が体を起こし、キョロキョロとあたりを見回していた。
彼に気付いたのか、上級生らがなにやらジェスチャーをして見せ、足早に去っていく。おおかた機嫌を損ねたとでも思ったのだろう。その男子の胸元には一科生の証、
そして何の気なしに【
そこにあったものは、達也の【眼】をもってしてもただ
* * *
「どうかなさいましたか、お兄様?」
帰宅後、達也は珍しく物思いにふけっていた。
もちろん深雪を疎かにするようなことはしない。兄としてガーディアンとして、達也にとって深雪という存在は全てに優先するのだから。だが普段よりほんの少しだけ、気遣いに欠けていたのかもしれない。あるいは深雪の鋭敏さが、兄の異変を余さず察知したということだろうか。
「なんでもないよ」
「そんなお顔で仰られても、深雪は騙されません」
達也は普段通り、深雪にしか見せない柔らかな笑顔で答えた。
だが、深雪は頬を赤らめそっぽを向きつつも、追求をやめようとはしない。
入学式が終わった後、エリカや美月らと話していたところを見咎められてから、深雪は少々情緒不安定になっている。達也はそう感じていた。あからさまに拗ねてみせたり、今のように問い詰めようとしたりと、
「入学式の時から、お顔の色が優れません。何か……あったのでしょうか?」
だが達也が考えていたより、深雪の目は鋭かったようだ。冗談交じりの
「すまないな、心配かけて」
「あ。いえ、そんな……」
達也は深雪の頭に手を乗せ、優しく髪を撫でると、深雪は照れくさそうに俯き、小声で応えた。
深雪はそれだけで、もう何も言えなくなってしまった。
可愛い妹がそうなる行動を、ほとんど考えること無く達也は実践している。そして深雪は敬愛する兄がそうする時、全てを委ねて間違いはないと信じていた。兄妹の間に積み重ねられた経験と信頼のなせる業であろう。それを見た他人がどう思うか、などという些事に興味はない。
「でも、そうだね。少し疲れたかもしれない。早めに休むことにするよ」
「わかりました。ではお兄様、お休みなさい」
* * *
自室に戻ってドアに鍵をかける。ベッドに横になり、達也は目を瞑って自分のエイドスにアクセスした。
達也の持つ固有魔法【再成】は、対象エイドスの情報を最大24時間まで遡ることを前提とする。【再成】は対象エイドスの時間を遡り、過去の一地点のエイドスの構造情報を取得。これを現在のエイドスに上書きすることで対象の状態を復旧する。これによって達也は現代魔法では不可能とされている
ただし【再成】によってエイドスの時間を遡る際、達也は擬似的にそのエイドスに反映された刺激をも知覚することとなる。エイドスを遡るためにかかる時間は非常に短いものだが、それは対象が感じていた苦痛を高圧縮した状態で知覚するということだ。強靭な精神力をもって特殊な耐性訓練をもクリアした達也をしてなお、このダメージを完全には無視することはできない。そのため達也はこの魔法の存在をひた隠しにしてきた。
そしてこのエイドスを遡る効果を応用することで、達也は24時間以内に自身の肉体が知覚した五感情報に限り、再び
【知覚遡行】を達也は、自分がまったく意識していなかった情報を知覚し直すことができるもの、と考えていた。喧騒の中で聴き逃していた小さな音、視界に入っていながら気付けなかった小さな物、鉄さびの臭いの中に混じった香水の香りなど、その時には
ただし自身の負傷を【再成】によって回復した場合、エイドスを上書きすることで
そのため達也はこの応用魔法を、一日で消えてしまう頼りないメモ帳程度のものと認識していた。彼は自身がこの魔法を無意識に、より有効に活用していることに全く気付いていない。
自身のエイドスに対して【知覚遡行】の魔法を発動すると、すぐに該当する時間のものまで遡ることができる。【精霊の眼】を使用した瞬間まで遡り、視界に入ったものへとピントを合わせる。
そして再度困惑する。その
「……何なんだコレは……」
その男子生徒のエイドスが有るはずの座標には、それをすっぽりと包み込んで余りある巨大なサイオンの塊が不気味に蠢いていた。魔法師としてずば抜けたサイオンを保有する達也をして、比較しようもない高密度、大質量のサイオンは、その中にあるはずのエイドスを視ようとする達也の【精霊の眼】を力強く阻んでいた。
ならばそのサイオン塊を解析しようと注視しても、あるものは瞬く間に消え去り、またあるものは次の瞬間には別の記号とすり替わっている始末で、何かしら意味のある集合体なのではないか? と見当をつけるのが精一杯という有様だ。
達也はそれをできる限り克明に記憶すると、時系列をわずかに進める。
その後に多少のやりとりをしたことは覚えていたが、具体的な内容については記憶していなかった。
改めてその時のやりとりを体験し直す。
達也のエイドスを読み取られてしまえば、自身の持つアドバンテージを失う可能性がある。そして万が一にもその特異性を知られてしまえば、達也自身に火の粉が降りかかるかもしれない。
達也はこの国秘蔵の
彼らが手段を選ばず達也を追い詰めにかかることは想像に難くない。
それはつまり、達也の秘密が万が一にも敵対組織に知られてしまえば、最愛の妹を巻き添えにしてしまう可能性も、また唯一の妹を守ってやれなくなる可能性をも孕んでいるということだ。看過できることではない。
最大の問題は、その能力が霊子放射光過敏症のように個人の特性ではなく、あくまで技能であるということだ。
現代魔法全盛の現代においてなお、古式魔法の使い手はそれなりの数存在する。現代魔法に適正がなくても古式魔法なら使える、という魔法師も少なくないのだ。もし彼らがあの男子生徒の言う能力を身に着けていて、それが自分の秘密を暴き立てる可能性を有するとすればどうか。あるいは将来的にその技能を多くの魔法師が身に着けたとしたらどうか。
そうなればもはや
それ次第で今後の立ち回りについても検討しなければならないだろう。
まずはその可能性、危険性について確認しておくべきだ。達也はそう判断した。
早い段階でバレてしまう危険性が高ければ、早急に
そうでなければ、情報を集めることだ。
次回も達也視点になります。
(20170529)誤字訂正
244様、誤字報告ありがとうございました。
(20170530)内容修正
日時の表記ゆれ、改行を修正しました。