魔法科転生NOCTURNE 作:人ちゅら
ということで。
――最も差別意識が強いのは、差別を受けている者である。とは言うけどな。
あなたの目の前で繰り広げられている光景からは、到底そんな風には考えられなかった。
「前を空けてよ、二科生」
前に集まる少数の二科生らに対し、遅れて来た一科生の集団が居丈高に
* * *
2095年4月9日。
入学式の翌日、あなたは1-Aの教室へ。
オリエンテーションを行う指導教官を待つ間、自分の机の専用端末を立ち上げ、IDカードを読み込ませてログイン。そのまま端末の使用者登録をするため、仮想キーボードを呼び出す。タッチパネルでも操作可能なのだが、なんとなくキーボードの方が馴染むのだ。三つ子の魂百までも、というやつだろうか。
使用者登録が終われば、これから卒業ないし退学になるまでの間、この端末があなた専用となる。モニタの歯車マークをタップし、自分が使いやすいように表示画面やメニュー、操作に関する設定をカスタマイズ。音声操作は使わないので全カット、仮想キーボードの呼び出しジェスチャーを設定した。
この手の要素は、たとえ必要がなかったとしても一度は見ておく癖がついている。これもまた前世からの習い性というやつだろう。
それが終わったら、モニタの右上でずっと明滅していたインフォメーションカードをタップし、新入生用のウィザードに沿って選択科目の受講登録を始める。一年時は、六つある選択科目のうちから、希望する科目二つを選択登録する。
あなたは第一選択科目に魔法構造学、第二選択科目に魔法史学を選んだ。魔法構造学は魔法薬学と悩んだものの、より原理的なものを優先することに。魔法史学は観察者として現状を俯瞰し、時流を把握するために不可欠なものだ。
登録が終わったので、今後一ヶ月の予定に関するドキュメントを軽く眺める。
今日はSHR(ショートホームルーム)のみ。来週一週間を授業のサイクルに慣れるための準備期間とし、翌17日(2095年は繰り越して18日)からの一週間は課外活動――いわゆる「部活動」――の勧誘期間として説明会、仮入部などが公式に認められるようになる。授業の様子を見ながら無理のない部活動を探し、新生活に慣れろということだろう。本格的な学生生活はそこがスタートラインということだ。
一通り読み終えて頭を上げ、軽く肩を回して周囲を見回す。やる気のある生徒は既に選択科目を決めていて、あなたと同じように端末を立ち上げ、さっさと受講科目の登録を済ませてしまう生徒も少なくない。残りの生徒は新しい友人らと相談して決めるようだ。この辺は今世紀初頭の感覚とあまり変わりがない。
教室内がわっとざわめく。顔をあげると総代を務めた女子が入ってきたところだった。司波深雪。長い黒髪に整った容姿、そして淑女然とした振る舞い。男子のみならず女子の中にも頬を染めている者が少なくない。マガツヒの保有量も他の生徒とは比べ物にならない。
だが、それよりも気になったことがあった。マガツヒの
あのボルテクス界で創世の巫女、祐子先生のコトワリならざる想いを守護した神の気配を、彼女は有している。
とはいえ実際に降臨しているわけでも、憑依しているわけでもなさそうだ。元より無力な神ではあるが、気配は本当にかすかで、それこそ排ガスまみれの大気に交じる野花の香りくらいのものでしかない――この例えが通じる人間も、もうほとんどいなくなってしまった。
それにしても、どういうことなのか? 強いマガツヒを持つ者に、悪魔が引き寄せられることはある。現界するためにも、力を蓄えるためにも、もちろんそれを揮うためにも、マガツヒは不可欠だ。何より力あるもののマガツヒはとても美味である。それはあなた自身、実感として知っている。
だが何故アラディアなのだ。ノアといい、何故かつてのコトワリの守護神たちの影がちらつくのか。
あなたは彼女のその向こう側へと眼差しを向けたまま、眉間に皺して一人思考の中に埋没していった。
次に気がついた時には、教壇に上がった神経質そうな指導教官が、流れるように、というより流すように「
生徒たちが頭を上げるよりも早く「自己紹介は各自でやっておくように」と機先を制すると、そのまま早速今日これからの予定について説明を始める。
今日はこのSHRの後、授業および校内施設のオリエンテーション。参加は自由で、担当教官による基礎魔法学、応用魔法学、魔法実技実習のガイダンスの他、二年生の授業を見学してもよいとのこと。また放課後には部活動の見学もできるようだ。
明日以降の予定については端末付属のドキュメントを読むようにと告げると、解散の一言もなく百舌谷教官は「次の授業がありますので」と教室を出て行ってしまった。再び教室はざわめき出す。既に自己紹介と、友人作りが始まっているようだ。
なし崩しにSHRは終了となり、校内施設のオリエンテーションへ。担当教官は基礎魔法学のガイダンスに向かったはずだが、あなたは工房へ足を運んだ。魔法工学Ⅱを見学するためだ。現代魔法の大きな特徴であるCADという装備に、あなたは強い関心があったから。
魔法技工実習室――通称「工房」――は現代魔法に欠かせないツール、CADを中心に取り扱う施設だ。見学は実際にCADの整備、調整をしている二年生の邪魔にならないよう、半階上の廊下からガラス窓を通じて行われる。
まだ進級四日目というのに、二年生は実習授業に勤しんでいた。指導教官の数が足りていないことは事実であり、また優秀な魔法師の育成は国家の急務である。学生とはいえ無駄にできる時間は無い。この国の勤労が即ちマンパワーの酷使であることは、残念ながら大戦を経ても変わらなかったようだ。
魔法工学Ⅱは基礎科目であり、見学自体は一科も二科も関係なく行うことができる。もちろん実際の授業を一科生と二科生が一緒に受けることはないが、機材の使用や端末を使った一括指導についての違いはない。なにより時間短縮のため、わざわざ見学時間を分けるようなことはしていない。結果としてその場には、一科と二科の生徒が混在することとなる。
もっとも、一科生の多くはクラス毎の担当教官のガイダンスに参加しているため、こちらに来ている生徒は数えるほどしか居ないようだが。
* * *
見学の生徒がある程度集まったところで、教室後方に立っていた職員が通路へと出てきた。挨拶を兼ねた自己紹介によると彼は正式な
「だいたい集まったようですね。それでは見学の手順を説明します。まずは基本的なカリキュラムの説明、オンライン授業の進行手順、機材の使用に関する手続き、注意点の順となります。質疑応答はその後で。それと、解説の最中にこちらから質問することもありますが、評価とは関係ありませんから、気楽に参加してください」
そこに遅れた一科生が現れ、冒頭につながる。というわけだ。
「前を空けてよ、二科生」
「二科生に個別指導の話とか関係ないだろ」
「そうそう。スペアなんだから大人しく隅にいってろ」
――随分とまあ威勢のいい連中もいるんだな。
国防の一端を担う魔法師は、早くから社会の役に立つことを求められるようになって久しい。
魔法師は若年層ほど成長著しく、また実践教育、実地訓練の速成効果を過大評価する現場人は少なくない。また統計的にも若いうちに作った子供の方が魔法師としての才能が継承されやすいというデータがある。それらの理屈が人手不足の社会と結びつくことで、彼らには十代のうちから成人と変わらぬ振る舞いを求められるようになった。付随する血統主義と、復活していた前時代的な家父長制度には、正直迷惑しているのだが。
なんにせよ、20世紀末から21世紀初頭あたりの、気楽な子供時代というものは大分遠くなってしまっている。
そんな社会の中、彼らのような連中がまだ生き残っていたことに、あなたは内心驚き、呆れつつも納得していた。
どれほど成長を促したところで、経験を伴わない内面の成熟など無理がある。周囲の要求に応えて振る舞った今生のあなたに、徐々に腫れ物に触るようになっていった大人たちを思い出し、あなたは小さく笑った。
周囲の生徒たちは無関心か、不快感を露わにするかの二通り。解説役の職員も、特に介入するつもりはないらしい。この程度のトラブルは学生同士で解決すべき、ということだろう。
不愉快ではある。だが当事者ではない。さて、どうするか。
だが、あなたが動くよりも前に、声を上げたものがいた。
「こういうのは早いもん勝ちなのよ」
「んだと!?」
どけと言われた二科生集団の中から、明るい髪の少女が正面から反論していた。木で鼻をくくったような表情で、遅れてきた一科生を正面から見据えている。少女の隣には、驚いて彼女を宥めようと「エリカちゃん」と小声で語りかける眼鏡の少女。今の御時世にわざわざ眼鏡とは。霊子放射光過敏症だろうか?
威勢よく怒鳴りつけた一科生も、エリカと呼ばれた少女の鋭い眼光に身じろいでしまった。大したものだと感心する。だが、これ以上放っておくのはまずそうだ。身じろいだことを恥とでも思ったのか、顔を赤くした一科の少年が掴みかかろうとする。面倒だが仕方がない――
――そこまでにしておけ。
あなたは伸びかかった少年の右手首を掴まえ、もう一方の手をその肩に添えた。
小さく首を振り、忠告する。
少年はすぐに逃れようとするが、掴まれた右手も、軽く手の置かれただけの肩も、微動だにさせない。声を上げようとしても、緊張のあまり喉は瞬時に渇いてしまって、掠れた音を出すばかり。
――すまなかったな。
身じろぐことすら出来ない一科生に代わり、あなたは小さく頭を下げた。
「別に構わないけど」
エリカと呼ばれた少女は、もう気にしていないと軽く手を振って答える。
あなたはただ頷き返した。
一瞬の沈黙の後、誰かが「へえ」と小さく呟いた。空気が弛緩して、方々から小さなざわめきが生まれる。
周囲の生徒たちから、さまざまな感情のこもった視線がシンに集まる。二科生からは感謝と感心。一科生からは驚きと妬み。職員だけはどこ吹く風よと手元の資料に目を向けていた。
これで収まってくれれば良いと考えたのだが、ざわめきの中から「二科に味方するのかよ」「いい子ぶりやがって」などという声が聞こえるに至り、このまま見学というわけにもいかない空気が醸成されてゆく。
溜息ひとつ。
あなたは職員と生徒らに一礼すると、手首を掴んだままの少年を連れ、その場を離れることにした。
真面目な学生に迷惑をかけるのは、あなたの本意ではない。
気勢を削がれる形になった遅刻組が、それについて離れてゆく。
「なんかちょっと、
エリカと呼ばれた少女の漏らした感想に、周囲の二科生らが納得したように頷いた。
(20170528)内容修正
上級生の始業日程の間違いを修正しました。