この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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紅魔の里編
1話


 昔々のお話。

 

 曰く、空から流星群を落として天変地異を起こし、

 曰く、大声で笑い続ける山のような大入道を従え、

 曰く、魔王よりも恐ろしい存在を召喚してしまう。

 

 優秀な魔法使いを輩出する里でも知り得ぬ力を持った黒髪黒目の勇者がいた。

 各地を流離っていた勇者は里で奉られるご神体にいたく感銘を受けて、この地に永住すると決める。

 やがて冒険者稼業を引退した彼はその神社の神主に立候補し、里の女性と結ばれ、子を儲けた。

 そして、自らの子に勇者は女神より授かったと言われる失われた古代呪文を伝授したそうだ。

 それから子孫の神主はこの勇者の血を引くものにしか使えない魔法を受け継いでいき……

 

 

 ♢♢♢

 

 

 頭がおかしいが生まれながら高い知性と魔力を持ち、子供を除けば全員が魔法使い職の最上職であるアークウィザードの反則集団。

 その気になれば世界征服しかねない、魔王軍ですら恐れる、それが紅魔の里。

 内情はとにかく、小さな農村のような集落である里には、

 邪神の墓をどこから移してきて再封印しちゃったり、鍛冶屋が岩に聖剣を刺して伝説っぽい設定を作ってたり、この里らしいロマンを追求した観光名所が多々あるが、その中にひとつ、謎のご神体を祀る猫耳神社なるものがある。

 

 その昔、モンスターに襲われていたところを助けたご先祖様に、旅人が『俺にとって、命よりも大切なものなんだ』といってお礼にくれたご神体。

 何の神様かは知られていないが、何かのご利益があるかもと神社という施設を作り、祀ってみたところ、里を訪れた勇者がご神体を見て滂沱の涙を流したそうだからとてもすごい神様なのだろう。

 

 私からすれば猫耳をつけた女の子の人形にしか見えないけれど……

 

 そんなことを言ったらまた里の皆に変わり者扱いされるだろうから言わないけど。

 そもそもこの『神社』というのも、ご神体をくれた旅人の話から試しにそれっぽいの造ってみたものらしく、里の中でもよくわかってない。たぶん、教会のような施設なんだろうとは思う。

 ご神体の前に置かれた『お賽銭箱』という箱に金銭を供物してからお祈りすると願いが叶うらしい。

 

(お願いが、叶う……)

 

 エリス硬貨を握り締める少女。

 芯が強そうながらもどことなく大人しめの顔立ちの、かなりの美少女である。

 それなりに育ちが良さそうで、セミロングの髪を束ねる、優等生といった感じの女の子は、きょろきょろと仕切りに辺りを確認しながら、意を決して、賽銭箱の前に立った。

 目が真っ赤で、顔も赤い。

 このご神体の前に立つのがどうも恥ずかしく、だけど、どうしてもそこに立たねばならない。一時の恥を忍んでも叶えたい願いがある。

 お賽銭箱に硬貨を投げ入れ、それからぎゅっと両手を組んで、少女は叫ぶように想いを打ち明けた。

 

 

「お、お友達ができますようにっ!」

 

 

 願い事は胸の内に秘めるものであって、別に口に出して言う必要はないのだが、そのあたりの作法は適当。あくまでここは神社っぽい施設である。

 

 世間から変わり者ばかりと評価される紅魔族で、唯一普通の感性(センス)を持ってしまったこの少女は、一族独特の挨拶も恥ずかしがって満足にできず、そのために周りから浮いてしまって、ぼっち生活を送っている。

 もうこのままいくとこのご神体のスクール水着の猫耳少女を腹話術で一人会話しちゃう電波の入った感じになりそうで、

 そんな不憫な状況から打開しようと藁にも縋る気持ちで、この猫耳神社へ神頼みしに来たのだ。

 

 

「その願い、叶えて進ぜよう!」

 

 

「っ!?」

 

 30秒じっくりとお祈りしてた少女はびっくりして、腰を抜かしてしまった。

 え、誰? 近くに人がいないってことは確認してたのに!?

 人の目に敏感なぼっちセンサーでも感知できなかった。これはひょっとしてご神体が……!?

 でも、今の声は高かったけど、たぶん変声期途中の少年のやや低めな声だった。

 あわあわとご神体を見上げたそのとき、バーンッ! と勢いよく猫耳神社の扉が開かれた。

 

 

「我が名はとんぬら! 紅魔族随一の神主代行にして、一子相伝の古代呪文を受け継ぐ者!」

 

 

 そこにいたのは、ツンツンとはねた黒髪に、猫耳を生やした少年。

 多分少女と同年代。里の皆が愛用する黒色のマントではなく、水色の袴衣装を着て、よく見ればお尻のあたりに髪と猫耳と同じ黒色の尻尾が伸びている。そして手にはバッと開いた鉄扇を構えていて、大見得でも切るように彼は現れた。

 でも、そんな張り切った紅魔族流の登場に肝心の観客は見ておらず。

 

「わわわわわわわわ!」

 

「ちょっと大丈夫かあんた」

 

 パニくってる。ものすごくパニくってる。

 ぼっちは、他人にぼっちだと思われたくない。そして高レベルぼっちでとても繊細な少女は心の叫びをこの少年に聞かれてしまった。思いっきり聞かれてしまった。

 今の赤目を潤ませる少女は表面張力でぎりぎりいっぱいに保ってるコップの水も同じ。

 そこへ、神主の少年は手を出しだそうと近づいて――視界に入る。

 

「あ、白」

 

 ぽつりと零れた言葉。それは色を意味するものだが、何故それが出てきたのか。

 少女は気づく。動揺しても賢い紅魔族の知性はすぐにピンときた。

 吃驚して、腰を抜かし、尻餅をついた自分は思い切りスカートが捲れてしまっていることに。

 そして、今日の身につけた下着の色は――

 

「忘れてぇぇーーーっ!?!?!?」

 

「あ、おい待て」

 

 少女は風のように走り去った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 魔王軍ですら恐れる紅魔の里。

 周辺に生息しているモンスターは並の冒険者では倒すどころか逃げるのも難しい危険性が高いのばかりだが、それでも里に近づくのは避ける。

 だから、森に入っても奥深くまで立ち入らなければモンスターとは遭遇しない。

 

 ただし絶対ではない。

 

 もうとにかく赤っ恥をかいた少女はとにかく人目のつかない方へつかない方へと逃げに逃げて、行き着いたのは、泣き面に蜂というのにこの上なくピッタリな状況であった。

 

「……う、ウソでしょ」

 

 走るのに疲れて、森を歩いていたら、くまさんに出会った。

 

 後ろから、ずずーんと重い地響きが轟いた。

 恐る恐る振り向くと、目と鼻の先の距離に、小山のような影が蹲っていた。

 毛の一本一本が針のように太い、黒色の毛皮。真っ赤に輝く二つの目玉。口からはみ出した、凶悪な牙。ダガー並みに巨大な爪が生えた、丸太の如く逞しい四肢。その前肢から繰り出される一撃は、人の頭など一発で刈り取る威力を誇り、それを由来としてこのモンスターは一撃熊などと呼ばれている。

 

「ギュゴロロロ……」

 

 唸り声を漏らした一撃熊は、伏せていた体をゆっくりと直立させた。

 どこまでも持ち上がっていく体躯が木漏れ日を遮り、少女の周囲を暗闇に変える。漆黒の影の上部で爛々と輝く両眼の高さは、大の大人が二人肩車しても届かないだろう。

 でかい。たぶん、普通の一撃熊よりも大きい。この頭のおかしい里の近くにまでやってきてるのだから、主クラスに強いモンスターなのかもしれない。

 

「きゃああああっ!?」

 

 悲鳴を上げて、来た道を引き返す少女。

 紅魔族は、全員が上級魔法を操るアークウィザードだ。ただし、それは学校を卒業した大人の話。まだ魔法を覚えるだけのスキルポイントが足りていない子供に、モンスターと戦う力なんてないのだ。

 そして、走って20mほど離れたところで睥睨していた一撃熊は、ゆっくりと動き始めた。

 最初は悠然とした四足歩行だったが、ある瞬間、いきなりスイッチが入ったかのように突進し始める。鈍重に見えるのは見た目だけ。一歩で少女の五倍以上の距離を踏破する巨体が、大地を揺るがしながら突っ込んでくる様には恐怖するしかない。

 

「だ、誰か……っ! たすけ……っ!」

 

 懸命に走る少女。真っ直ぐに進むのではなく、木々を回り込んだり、突進の軌道から逃れようとするが、やはりモンスターも首を曲げて追従してくる。

 しかし魔法が使えずとも高い知性を持った紅魔族。飛び掛かる寸前、がっしりとした巨木を前にした少女は横っ飛びで緊急回避。

 

 大木に頭から激突すれば、何秒か動きが止まるはず。そんな期待をした少女の口から出たのは――安堵の息ではなく、驚愕の叫びであった。

 

「うっそぉっ!」

 

 一撃熊は、こちらの目論見通りまったくスピードを緩めず大木に衝突したのだが、額がまるで巨人のハンマーででもあるかのように、太い幹を粉々に打ち砕いてしまったのだ。

 幸いそこで突進は止まったが、ゆっくりと傾いていく巨木の向こうで、主クラスの一撃熊は凄まじい咆哮を轟かせた。

 

「ギャズゴロアアアアッ!!」

 

 耳がキーンとなるほどの大音量に襲われ、少女はぺたんと座り込んでしまう。

 もうダメ。

 これ以上、走れない。

 座り込んで首を垂れる少女。――ひゅん、と風切り音が背後より通り抜けた。

 

「『花鳥風月』!」

 

 旋回して飛来する物体からは、勢いよく水を噴いており、それが推進力に加算されている。まるでねずみ花火のように投擲されたその鉄扇は、モンスターの黒い鼻筋を強かに打つ。獲物を喰らう寸前の、気の抜けた無防備のところをやられたのだろう。それも最も硬い額の頭蓋ではなく、最も熊の神経の集まっている鼻面を。

 

「ズギャルオン!!」

 

 熊の巨体が大きく仰け反り、甲高い叫び声をあげた。

 そして、少女の俯きっぱなし頭を叱咤する声が森中に響いた。

 

 

「こっちだ、デカグマ!」

 

 

 ハッと先ほど耳にしたその声に顔を持ち上げ、聴こえてきた方向に振り向けば、そこには先ほどの少年がいた。息を切らしていて、目が赤く光っている。逃げた自分をわざわざ追いかけたのだろう。

 紅魔族らしい口上もなく、余裕がないみたいだけど、それでも先ほど投げた鉄扇に続いて、その辺に転がっていた石ころを拾って、一撃熊へ投げて挑発する。

 

「何やってんだ、早く逃げろ!」

 

 執拗に鼻面めがけて投石してくる少年に、一撃熊は両眼を紅く輝かせ、『ギュルフ……』と唸った。不意打ちに怯んだのも最初だけ。立ち直った一撃熊は四足歩行で少年へ移動し始めようとし、頭をまだその場に座ってる少女へ向け直した。

 

「ご、ごめんなさい……っ! 立てないの……っ!」

 

 腰を抜かして、少年が自らの身を危険にさらして作ってくれた、逃げられるチャンスを逃してしまった。そのことにいたく責任を感じた少女は、今も一撃熊に石を投げてどうにかこちらへ気を逸らそうとしている少年へ叫んだ。

 

「逃げて! わ、私のことはいいから!」

 

 その言葉に、少年は石を投げるのをやめた。

 

「……の……ろぅ……!」

 

 そして。

 大きく息を吸って、

 

 

「―――そんなの、できるかっ!」

 

 

 唸り声を上げるモンスターも圧すほどの大声が、森の木々を揺らし、葉を散らす。

 

「だ、だめ! 早く逃げないと、あなたまで……!」

 

「うるさい! あんたは俺が神主をやって初めての参拝者なんだ! 願いを叶えてやる前におっちんじまったら、猫耳神社にケチがついちまうだろ!」

 

「え、ええっ!? 私を助けてくれるのってそんな理由なの!?」

 

「そうだ悪いか! 猫耳神社を、手始めにアクシズ教に負けない立派なお社にするのが神主としての目標! だから、なにがなんでも最初の参拝者の願いを叶えて、布教活動の足掛かりにするんだ!」

 

 昔から強い勇者たちの血を取り入れてきたこの国の王族は、勇者候補にしか扱えない神具が使えるという。

 そして、ここにいるのは、女神より失われた古代呪文を授かった勇者の血を取り入れた最強の魔導士の一族。

 練り上げる魔力。そして、紡ぎ出される魔法の言葉に応じるように、森の空気がざわつき始める。

 その一句一句、族長の娘として呪文を予習復習していた少女には初耳で、未知の現象だった。

 魔力操作がまだ上手ではなく微量に漏れ出した魔力が静電気のように弾けているが、それでもしっかりと少年の手中に、虹色の煌きが集い始めている。

 

「ギュォォ――ッッ!」

 

 異様な雰囲気を察知したか、小石を無視していた一撃熊は、爛々と赤く目を輝かせる少年を見た。

 取るに足らない雑魚ではなく、命を脅かす敵として。

 

 

「我が名はとんぬら! 勇者の末裔にして、奇跡魔法を操りし者!」

 

 

 ダッ! と光り輝く拳を一撃熊に向けて少年とんぬらは唱えた。

 

 

「『パルプンテ』―――ッッッ!!!」

 

 

 放たれた力の波動が拡散し、一撃熊は、一歩も動けなくなった。

 そう、この一瞬で凍り付いた足に、踏み出すことも、後退ることもできない。

 モンスターの周囲だけ地面が白い霜で覆われ、そこだけ季節が違っていた。

 白い霧は、一撃熊を呑み込んで渦を巻く。

 この冷気の霧は、徐々に凍り付いた地面と接する足元から、徐々に這い上がっていく。巨大なモンスターを、身体の芯まで冷気が食い込む。

 

「運が悪かったなあんた。どうやら、(あたり)みたいだ」

 

 そして、一撃熊は霜で覆われた彫像と化して、傾き、頽れた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 生まれつき高い知力と魔力を持つ紅魔族では、里の子供たちを12歳になったら学校に通わせるという義務教育制度がある。

 そこで一般的な知識を身につけ、『アークウィザード』と呼ばれる魔法使いの上級職として一人前になるために修行を始めるのだ。

 そして、魔法を覚えれば卒業する。

 より強力な魔法であるほど習得に必要なスキルポイントは多くなるが、大抵、生徒達は上級魔法――魔法使いならば誰もが憧れる強力な魔法の数々――を使えるようになるスキルを覚えようとする。それは大変なのだ。

 初期スキルポイント量には個人差があり、最初から多くのポイントを保有している子供いるだろうが、上級魔法を習得するのに必要なスキルポイントは、30。これはそう簡単には集められない数である。

 ようは、まだ魔法が使えない子供たちのために、自分が使いたい魔法を習得するまでのスキルポイント稼ぎに里の大人たちが協力してくれるのである。

 

『そうそう、一昨日から転送屋で男の子がひとり帰ってきてるんだ』

 

 今朝のこと。朝食の席で紅魔族の族長である父が言う。

 

 猫耳神社に祀られる正体不明のご神体。その謎を解き明かそうと里を出て大陸を探検する一家があり、そのひとり息子が、学校に通い始める12歳になったので里に帰らせたそうだ。

 幼いころから里を出ているが、里の者であることには変わりない。ただ、子供のころから里で暮らしてないから、里の常識があんまり身についてないだろう。

 

『学校では男女クラスは別になるだろうけど、里の生活に不慣れだろうから、しっかり族長の娘として紅魔族のお手本を見せてあげなさい。うん、もしかしたら友達になってくれるかもしれないぞ』

 

 余計なお世話だよっ!

 

 ……でも、これは、チャンスなのかもしれない。

 初対面の人だけでも何を話していいのかわからないのに、それも男の子だし、接するなんてもうとんでもない難易度。

 ただ、その子はまだ里の風習に染まってないかもしれない、この里で変わり者とされる少女ともお付き合いができるのかもしれない、という淡い期待がある。

 

(もしかして、これは願いが叶ったの、かな?)

 

 里唯一の神社にお参りしに行った昨日。

 色々とあっていっぱいいっぱいだったのか、一撃熊が倒されたのを見て、安堵してしまったのか、ふっと意識が切れてしまった。目を覚ませば家の自分の部屋のベッドだった。何でも里の神主が気絶した自分をわざわざ自宅まで運んできてくれたそうだ。思い出すだけで赤面物の失態を見られた相手だけど、今日の学校帰りにでも神社へ助けてくれたお礼を言いに行くべきだろう。

 

『それと実は彼、族長(わたし)を含めて里の誰にも扱えない古代呪文を使えるんだけど……』

 

 

 ♢♢♢

 

 

 朝、学校に登校すると、校庭で人だかりができていた。

 

「ね、ねぇ、もう一回! お金払うから、もう一回さっきの見せて!」

「じゃあ、あたしは弁当! 好きなおかずをあげる!」

「ふん、そんな子供騙しの芸でこの私の目を欺こうなど……なに、その小さな箱から、箱よりも大きなネロイドを出してみせると? そんなの物理的にありえませ――ええっ!?」

 

 大変な騒ぎの中心には、そこには昨日の少年。

 猫耳や尻尾がなく、皆と同じ学校の制服を着ているが、確かにあのツンツンと髪が跳ねてる頭は神主の少年だ。

 

(え、もしかして、彼が、転校生なの……?)

 

 少女が入る余地がないほどに盛り上がる場を転校生とんぬらは手をあげて制して、

 

「おひねりなど不要。芸は、請われてやる物ではないんだ。それに俺の芸はあくまで神様に奉じるための芸能。これでお金や物を受け取るわけにはいかない。

 でも、我が里唯一の猫耳神社の布教活動に協力してくれるなら、とっておきを皆様にご覧に入れようじゃないか!」

 

 ばばっ! と鉄扇を開いて、『メイク・ザ・ミラクル』と達筆で書かれた面をみんなに見えるように掲げる少年は、その手の七色の光を集わせる。『まさか魔法!?』というざわめきを耳が拾った。魔法が使えなくとも、そこに膨大な魔力が渦巻いてるのが感覚でわかるのだろう。

 それは、昨日、一撃熊を凍らせたときと同じで、

 

「さあ、猫神様、ここに奇跡を――『パルプンテ』!」

 

 

 

 パキン。

 どこかで何かが壊れた音がした。

 

 

 

「………え、今何が起こったの?」

「ガラスが割れたような音が聴こえたけど、何かあったのかな?」

 

 しばらく待っても何もない。

 静かになってしまった空気の中、少年はさも何事もなかったように鉄扇を裏返し『ワンモア』と書かれた面を見せ、

 

「『パルプンテ』!」

 

 

 

 ……パルプンテ!

 …………パルプンテ!

 ………………パルプンテ!

 

 呪文の詠唱が山彦となって木霊した。

 

 

 

 静けさが、段々と白けた空気に。

 居た堪れない中、神主の少年はゆっくりと鉄扇を閉じて、

 

「……うん。どうやら、外れ(スカ)だったみたいだ」

 

 こうして、転校初日で人気者になったかと思えば、最後に盛大にこけてしまったとんぬらは、猫耳神社の布教活動第一歩目を踏み外した。

 

 すでに魔法を覚えているのに、転校生が学校に通わなければならない理由は、魔法が使えても、その魔法があまり使えないからだ。

 女神や悪魔でさえ何が起こるかは予測不能の奇跡魔法『パルプンテ』。

 天変地異を起こすとも言われるほどに上級魔法以上に強力な効果を発揮することもあるのだが、術者でさえ何が起こるかわからない極めてギャンブル性の高くて、大抵がスカ。

 使い手が神主一族に限定されて少数なので、世間ではあまり知られていないが里の中では爆裂魔法に並ぶネタ魔法とされている。

 でも、この奇跡魔法はいわば伝統芸能のようなもので、神主一族の長子は、先祖の勇者から脈々と受け継いできているのだ。

 

「くっ、俺の奉納が足りなかったばっかりに……!」

 

 もうすぐ登校時間ということもあってか、一気に騒いでいた生徒たちはいなくなった。

 とんぬらは校庭の地面に四つん這いとなっている。普通の芸だけで打ち切りにしてればいい感じにしめられたかもしれなかったが、それでも伝統芸能な奇跡魔法を扱うものとしてこのトリだけは変えられなかった。それが彼の絶対不変のルールである。

 

「そ、その……あの……昨日は助けてくれて……」

 

 遠巻きから見てた少女が恐る恐る声をかけようとする。

 落ち込んでる人になんて言葉をかけていいかわからないけど、命の恩人でもあるわけだしほっとけないのだ。

 でも、じれったいぼっちの少女は最初の一声がかけられず、あうあう、と口を開いたり閉じたりと言葉にならない声を漏らして、結局、少年から話しかけた。

 

「おや、あんたは、昨日、猫耳神社の信者である氏子になった……」

 

「ええ!? 私いつのまにそんなのになってるの?」

 

「ほら、ちょうど布教用にかばんに入ってるのがある。この氏子の証である猫耳をつけるといい」

 

「いらないから! 私入った憶えないし、そんなヘンテコなのつけたくないわよ!」

 

「なにおう! 猫耳は猫耳神社のご神体にあやかったありがたいものなんだぞ! だいたい願いを叶えたら信者になるのが流れじゃないのか?」

 

「なにそのアクシズ教みたいな勧誘」

 

「なっ!? 願いを叶えたのにその態度……しかも言うに事欠いてアクシズ教と同じだと……! なんて無礼な! 猫神様がお怒りになるぞ! 今すぐ氏子として猫耳を付け、『ニャン』と語尾につけないと大変なことになる」

 

「ええっ!?」

 

 『天罰』と書かれた鉄扇の面を少女に向けて、もう片手に取り出した猫耳カチューシャを掲げて荒ぶるポーズをとるとんぬら。転校生だけど、自分よりも紅魔族っぽい少年に迫られ、けれど、そんな罰ゲーム並みに羞恥ものは常識的にしたくない。

 

「さっきあなた対価はいらないみたいなこと言ってなかった?」

 

「あれは猫神様に捧げる奉納だから。願いを叶えるのとは違う」

 

 きっぱりとそれはそれ、これはこれというとんぬら。別料金だと言われると真面目な彼女は弱い。

 もうこんな話をしたいわけじゃなかったのに……普通にお礼が言えたらそれでよかったのに……一体どうしてこうなったと頭を抱えたくなる少女。しかし、すぐハッと盲点に気付く。

 

「じゃあ無効よ無効。だって、わ、私、まだ友達いないし……」

 

「それは自分で言って悲しくならないか?」

 

「だったら言わないでよ!」

 

「うん、なんかごめん」

 

「謝らないで!」

 

 ぐいぐいと押してたのに、一気にテンション下げられて、気まずい空気になる。それを変えようととんぬらは幾分か柔らかい声で訊ねる。

 

「そういえば、名前を聞いてなかったな。族長の娘だとは知ってるが。うん、ここは本場の挨拶のやり方というのを学ばせてもらおうじゃないか」

 

 ビシッと閉じた鉄扇をこちらに指して、自己紹介のハードルを上げてくれる。

 ノリのいい紅魔族はそれでやる気を出してくれるだろうが、生憎と少女は変わり者(常識人)で、ぼっちのあがり症だ。

 けど一応、族長である父から里の作法を教えてやってくれと頼まれてるわけだし、うー、と唸ったあと、期待に応えるとした。

 

 

「わ、我が名はゆんゆん……やがては紅魔族の長となる者……」

 

 

 消え入りそうな声で、申し訳程度に小さくポーズをとる少女ゆんゆん。

 その紅魔族らしからぬ対応に、大まかに事情を悟ったとんぬらは、うんうん、と頷いて、任せろと言わんばかりに胸を叩く。

 

「あいわかった。ゆんゆんよ、紅魔族随一の神主代行として汝の友達作りに協力しようではないか。それで友達を作れたら、猫耳をつけて氏子になるということでいいな?」

 

「絶対いらない!」

 

「何、友達はいらないというのか?」

 

「違うから! 友達じゃなくて、その猫耳のことよ!」

 

「安心しろ。ちゃんとゆんゆんに似合う猫耳を見繕ってやるから」

 

「お願いだから話を聞いてぇぇっ!!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 校庭でぐっとサインを送る神主代行と神主代行に泣きつく族長の娘。

 その様子を教室の窓から見るひとりの少女。

 

「ほう、あれがこの紅魔の里で最終兵器と謳われた奇跡魔法の伝道者ですか……」

 

 少女――紅魔族随一の天才の双眸が、赤く灯る。


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