この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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10話

『私は、今でも心は人のままだと思っているよ』

 

 リッチーの師匠は言う。

 

『けどね、リッチーになってしまった時、張り詰めていたものがなくなってしまった』

 

 自分たちを殺そうとした王国兵らを簡単に退けられるほどの力を得たが、同時にその時までは確かに抱いていたはずの、王国兵らへの強い敵意や憎悪といった感情が薄れてしまった。

 

『ものの考え方が、人のままであったころと変わってしまったのかもしれない。そして、私はそれを幸か不幸かと思うこともない』

 

 アンデットの最高峰リッチー。

 魔法を究めた大魔法使いが、魔導の奥義により人の身体を捨て去った、ノーライフキングと呼ばれるアンデットの王。

 強い未練や恨みで自然にアンデッドになってしまったモンスターとは違い、自らの意思で自然の摂理を捻じ曲げて、神の敵対者になった存在。

 

 しかし、一国を滅ぼせるほどの力を得ても、王国に逆襲してやろうという気概は欠片も湧いてこなかった。

 

『だから、私は願うよ。私がお嬢様を想う気持ちまで失くしてしまう前に、この人の心を持ったまま逝けることを』

 

 だから、君も気を付けなさい、と。

 師匠は先達として、モンスターにも化けられる変化魔法を教えた自分へ忠告を送った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 めぐみんの家は貧乏で、子供が遊ぶような道具もない。

 なので幼いころ、邪神の墓にあったパズルで遊んでいたという。その後でおもちゃにしていたそれが邪神の封印を担う道具だったと知った。

 

 そして、今。

 ここのところ外で何をして遊んでいるのかと訊いた際、妹はこう答えた。

 

『おもちゃを見つけたから、それで遊んでる! 最近は新しいのも見つけた!』

 

 貧乏な家に、おもちゃなんてない。

 なのに、こめっこはおもちゃで遊んでいるという。

 魔性的な愛らしさの妹が、その辺の人におもちゃをもらったという線も捨てきれないが、一番予感を覚えるのは……

 

 

 ――里の外れにポツンと佇む邪神の墓。

 まだ陽は沈んでいないというのに薄暗く、不気味な印象を与えてくる。

 未だモンスターが空を飛び交う最中、何かを探してる様子のモンスターたちの目を避けながら、そこに辿り着くと、

 

「……居たな」

「……居たね」

「……居ましたね」

 

 茂みに身を潜めながら邪神の墓の様子を窺うと、石碑の前にこめっこが、パズルの欠片を両手に抱えて立ち尽くしていた。

 一体何の真似かは知らないが、それは封印の欠片であり、6体のモンスターに囲まれていた。

 

「……とんぬら、ゆんゆん。妹は無事なようです」

 

「どうしてそんなに落ち着いてるの!? 確かにそうだけど、凄い状況になってるよ!?」

 

 現在、里の人たちの方でもモンスターに応戦しているようで、先ほどから里の昼空に向かって、あちこちから色とりどりの魔法が花火のように打ち上げられている。

 でも、こちらからは遠く、助けに入れるのは自分たちしかいない。

 

「見た感じ、お墓から新手のモンスターが出てくる気配はありません。モンスターの発生が打ち止めになったのを確認後、駆除のために里中に散っていったのでしょう」

 

「となると、大人たちの応援はやっぱり期待できそうにない。でも、こっちにはあいつらのお目当てのものがある」

 

 とんぬらが首の後ろをつまんで持ち上げるクロ。

 あの邪神の下僕の可能性が高い悪魔が、めぐみん宅を襲撃したのは、おそらくこのクロと名付けられた毛玉であるととんぬらは睨む。

 というのも、学校の野外実習のとき、あの中級悪魔は、聖水という厄介なものを放ってくるとんぬらの牽制を無視してまでも、クロを連れていためぐみんたちを追った。

 ここ最近ちょくちょく出かけていた邪神を封印する欠片で遊んでいたこめっこが、このクロを連れて帰ってきた。

 それと時を同じくして、邪神の下僕が目撃されるようになり……

 

「ああっ、頭が痛い! 私の脳が、これ以上は考えるなと自己防衛を始めましたよ……!」

 

「認めろ首席。現実逃避するな。意外に逆境に弱いなあんた。とりあえず、今は冷静に打開策を考えるぞ」

 

 導き出される答えに頭を抱えるめぐみんをゆんゆんに任せ、とんぬらはこれらを踏まえて思いついた策を語る。

 

「まず、このクロがいれば、悪魔たちは襲ってこない。あいつらはクロを傷つけるようなことを恐れてるからな。あまり猫相手に言いたくないんだが、人質の盾になる」

 

「でも、向こうにもこめっこちゃんがいるのよ」

 

「それに気づかれたら膠着状態になるが、向こうの方が数は上で、強硬手段に出たら敵わない。だから、こめっこさえ取り戻せばいい。ここで俺が新しく覚えた変化魔法が役に立つ」

 

「変化魔法ですか。教科書に見たこともありませんが、あなたは本当に奇怪な魔法を覚えますね。そんなネタ魔法ばかり習得して芸人にでもなるつもりですか」

 

「爆裂魔法を覚えようとする一発屋に言われたくないぞ。で、俺がクロに化けて、邪神の墓へ向かう。悪魔たちはきっと丁重に扱うだろう。おそらく、人質のこめっこの傍に置いてひとまとめに管理できやすいようにするはずだ。その時に俺が変化を解いて、どうにかこめっこをそっちへ放る」

 

「なるほど。それで私たちはクロを盾としながらこめっこと墓から逃げろということですね」

 

「だっ、だめだよ! それじゃあ、とんぬらが危ないじゃない!」

 

 反対するゆんゆんに、とんぬらは落ち着いた声で、

 

「俺は、大丈夫だ。それより奇跡魔法の無差別効果に巻き込まれる方が大変だ。ご先祖様は天空から隕石を落として敵味方を瀕死にしたことがあるというが、そんなのを出したら、ゆんゆんたちも無事じゃすまない」

 

「でも、そんな運頼みで……」

 

「俺は『ハードラック』だ。こういった逆境であればあるほど強運になる。きっと大吉が出るさ」

 

 そう不敵に笑ってみせるが、ゆんゆんの顔は晴れない。

 もしもあの時のように『冬将軍』を召喚できれば、上級悪魔が来ようとも退治できるだろう。しかし、外れだったらおしまいだ。

 潤んだ瞳で見てくるゆんゆんに、とんぬらは困ったように視線を彷徨わせる。そこへ、めぐみんが、

 

「………分かりました。でも、絶対に無事でいてくださいよ。とんぬらを倒すのは私ですから」

 

「なあ。それ授業で言われた戦闘前に言ったらヤバいフラグが建っちゃうセリフみたいなんだけど。もしわざとやって、生存率を下げようとしてたんなら、俺、軽く人間不信になるぞ」

 

「何を言いますか。むしろこういう場面で言うからこそ、逆に生存率が上がるんです。ほら、ゆんゆんも言ってあげなさい」

 

「とんぬら、私、あなたに言いたいことがあるの。だから、ちゃんと無事に帰ってきてね」

 

「あの……俺、さっきは逆境に強いといったけど、普段の運のステータスは平均以下だからな? そう不吉な真似をされちゃうと、期待に応えちゃうんだぞ」

 

 今のやり取りで生存率がどう変動したかは判断できないが、やる気は出てきた。

 

「まあ、安心しろ、秘策はある」

 

 覚悟を決めたとんぬらが魔法を発動しようとしたその時、モンスターに囲まれたこめっこが、自分を大きく見せるように両手をあげて、威嚇の奇声を上げた。

 

 

「きしゃー!」

 

 

「――ねぇめぐみん、こめっこちゃんは色々と大丈夫なの!? あの子、あの数を相手に戦おうとしてるんだけど!」

 

「いったいあんたの家はどんな教育をしてるんだ? ちっとも怯えないで、むしろ悪魔たちの方が怯んでるぞアレ」

 

 本当にあれは大物になるかもしれない。

 だが、その行動のおかげで、悪魔たちとの距離が離れた。この好機に、咄嗟の判断でとんぬらは駆けだした。

 

「『雪月花』!」

 

 振り払った鉄扇より、白い冷気の突風が、濃霧のように邪神の墓に立ち込める。その中に紛れて、とんぬらはこめっこのもとへ、

 

「助けに来たぞ、こめっこ」

 

「あっ、神主の兄ちゃん! ねぇ、あれってとりにくっぽいよね。この前の親子丼みたいに食べられるかな?」

 

「食欲旺盛というか大した肝っ玉だな。助けに来てそう返されるとは俺も予想してなかったぞ」

 

 捕まえたこめっこをめぐみんとゆんゆんがいる方へと押し出す。

 先ほどの筋書きとは違うが、向こうもわかってるはず。

 悪魔たちは矛先を突然乱入してきたとんぬらに集め、その周りを包囲しようと距離を詰める。

 悪魔の一体が翼をはためかせて舞い上がり、空から襲撃を仕掛けようとしていた。

 

「『花鳥風月』!」

 

 それをとんぬらは悪魔に効果的な聖水の水芸を振り撒いて牽制する。

 悪魔の包囲に距離が出たところで、魔力制御に意識を集中する。

 これより起こすのは、とんぬらの切り札。

 奇跡と変化、その二つを同時に発動させる合体魔法――

 

 

「『ドラゴラム』――――ッ!!!」

 

 

 鉄扇の前に収束する虹色の魔力光は拡散せず、術者であるとんぬらの全身に浸透していき……

 

 突如、眩い光がとんぬらの頭上に降り注いだ。

 それは、まるで高望みした人間を誅する天罰の光のよう。

 

 そして、光が止んだ時に残っていたのは、無傷な悪魔たちと、地に頽れたとんぬらの姿だった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 突然の閃光にやられた視力が回復して、目の当たりにしたその光景。

 一気に顔が蒼褪めた。

 

 やった……

 本当に、洒落じゃすまない、大滑りをやってしまった。

 

 自滅。最悪の大凶を引いたのだ。

 

 まだ、息はあるようで、とんぬらの胸が上下している。

 でも立ち上がる気配がない。悪魔に囲まれてる状況で。早く助けに行かなければ!

 

「と、こうしてはいられません! ………この手だけは使いたくなかったのですが……」

 

 胸元から首に下げた切り札を取り出す。

 冒険者カード。爆裂魔法はあと1ポイント足りないが、上級魔法ならば覚えられる。

 背に腹は替えられない。

 なんだかんだで妹の恩人である彼の命と爆裂魔法。どちらが大事かと聞かれれば、その答えは決まってる。

 

(私ぐらいの天才になれば、ガンガンモンスターを狩って、ポイントぐらいまたすぐに貯められます。たとえどんなに時間がかかっても、それが何十年とかかっても、絶対に爆裂魔法を覚えてみせますから)

 

 ……と、心に決めるものの、なかなか踏ん切りはつかない。

 迷ってる間に、とんぬらが悪魔に襲われそうになっているというのに、冒険者カードを握り締める手が震える。

 

 子供のころからの夢なのだ。本当は、簡単に割り切れっこない。

 でも、他に彼を助ける方法なんてあるのか。

 そうだ、ここで爆裂魔法を諦めてもまたスキルポイントを溜めればいつかはまた習得できる。でも、ここでとんぬらを助けなければ絶対に死ぬまで後悔する。

 

 自分にそう言い聞かせて、めぐみんが冒険者カードを操作しようとする――そんな葛藤を呑み込む前に、とっくに行動を完了している者がいた。

 

 

「『ライトニング』――――ッ!!」

 

 

 中級魔法を覚えたゆんゆんの魔法が炸裂する。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 魔法を覚えた以上は、学校は卒業。

 これからもう、未熟な紅魔族に優遇して渡される稀少なスキルアップポーションはもらえない。今後、上級魔法を覚えようとするなら、モンスターとの戦闘を経てレベルを上げるしかない。

 中級魔法の習得に必要なスキルポイントは、10ポイント。その分を取り戻すには、ポイント分のレベル上げが必要になる。レベルというのは高くなればなるほど次に上がる経験値が増えていく。まだレベルの低い自分なら、レベルアップも早いだろう。

 でも、10以上のレベルを上げるとなると、どんなに早くても一年はかかる。

 つまり、今後一年は、上級魔法を覚えて卒業する紅魔族の中で、未熟者扱いされるだろう。族長の娘として努力を続け、ずっと優秀な成績を収めてきたにもかかわらず。

 

 でも。

 

 めぐみんもとんぬらも、夢と覚悟があってその魔法を覚えようとしている。

 それと比べれば、大した理由もなく、ただ通例だからと上級魔法を覚えようとしてる自分だ。そう考えれば、中級魔法にスキルポイントを使うことに躊躇はなかった。

 きっとこの選択を、自分は後悔したりはしないのだ。

 

「とんぬらは私が助けるわ! めぐみんはクロとこめっこを連れて、大人のとこに行って!」

 

 生き物を殺すことに抵抗があったけど、今は迷いはない。

 自分が戦わなければ、とんぬらが守れない。自分をこれまで守ってきてくれた彼に報いたい。そう思うだけで身の裡から魔力が溢れてくるよう、

 

「『ブレード・オブ・ウインド』ー!」

 

 詠唱と共に風を切る手刀が、空を断つ風の刃を生み出す。

 それは頭上を飛んでいた一匹の悪魔を斬り裂いた。

 普通であれば、ただの中級魔法でここまで致命傷を与えられるはずもないが、ゆんゆんの生まれ持った魔力が強いおかげで、悪魔を一撃で倒せるだけの威力を出せている。

 

「『フリーズガスト』ッ!」

 

 悪魔たちを白く霞む空気が取り巻く。

 冷気を伴った霧は、完全に凍結できずとも悪魔たちの動きを鈍らせ、そこへすかさず、

 

「『ファイアーボール』ーッッッ!!」

 

 ありったけの魔力を注ぎ込んで放った火球は、中級魔法ながら上級魔法に匹するだけの威力があった。爆発と共に一帯に轟音を響かせて、邪神の墓にいた悪魔たちを消し飛ばしてくれた。

 消滅した悪魔たちが黒い煙となって昇っていくのを見て、全滅を確認してから、ゆんゆんは、膝をついた。魔力をほとんど使い果たしてしまったのである。

 

「とん、ぬら……」

 

 でも、まだ。

 倒れてる彼を、大人たちのもとへ届けないと。

 初めて会った日、凶暴な一撃熊から守ってくれたときから多くのことを助けてもらったのに一度も何も返せてあげてない、だから、今度は自分が助けるんだ。そして、彼に――

 

 

「――こりゃなんだ? 里の方が騒がしいし、墓の周りが随分と荒れてるが……――てめぇ、何者だ」

 

 

 強大な何かが空から舞い降りてきた。

 金属のような光沢をもつ漆黒の肌。

 蝙蝠を思わせる巨大な羽。

 オーガですらねじ伏せそうな体躯を持ち、角と牙が禍々しさを際立たせている。

 どこからどう見ても最終ダンジョンに住んでそうなその怪物は、背後に多くの下級悪魔と中級悪魔を引き連れてる。

 

 上位悪魔。

 それもとびっきりの。

 

「はあ……はあ……! な、なんで……、こんなときに……!」

 

 垂れ流しにしてる存在感だけで、魔法使い見習いを卒業したばかりのゆんゆんは失神しそうになる。

 真っ黒で巨大な上位悪魔は厳めしい顔を歪ませ、鋭い眼光を放つ。

 ゆんゆんに――ではなく、その背後で起き上がる、“自分に匹敵する体躯の怪獣”に。

 

「クソッ、ドラゴンなんてバケモンがいるとは聞いてねぇぞ……!」

 

 え!? とゆんゆんの背中に感じる圧力。

 でも、後ろには瀕死の彼しかいないはず。

 ぐんなりとした声で小さくぼやく上級悪魔から、思い切って視線を外して振り向けば、そこに、

 

「グロロロロロ……ッッ!!」

 

 光り輝く竜がいた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 大事な自分の妹を助けるために悪魔の群れに飛び込んだとんぬら。

 未熟者と呼ばれる誹りを覚悟して中級魔法を習得したゆんゆん。

 二人のおかげで、自分は逃げることができている。

 あんなにもヘタレヘタレと言っていた彼らは、誰かを守れる場面では腹を括れるのだ。

 そんな、“ライバルたち”の姿が眩しくて……

 

「……? 姉ちゃん、どうした? 走るの疲れた?」

 

 それに対して、今のは自分は何だ。

 こんなに助けられて、それでも堂々と彼らのライバルだと張り合える資格はあるのか。

 

「喉乾いたの? これ飲む? まだ開けてないよ」

 

 心配そうに差し出してくる瓶を受け取りながら、めぐみんは我が妹に訊く。

 

「こめっこ。お姉ちゃんのことは好きですか?」

 

「好き!」

 

 笑顔で即答。

 

「……最強の魔法が使えなくてもですか? 最強のお姉ちゃんでなくてもですか?」

 

「私が代わりにさいきょうになるから大丈夫!」

 

 これでもまた笑顔で即答。

 しかもこの歳で最強を目指すとは、やはり将来大物になる。

 ぐび、と受け取った飲み物を煽ってから、

 

「……こめっこ。私はこれから二人を助けに行きます。なので、あなたは……んん? この味」

 

 一口飲んだこの飲み物は何か。

 水ではない。ポーション。それもよく舌に馴染みがあり、この味が浸透していくたびに何かが上がる不思議な感覚がある。

 そう、これは――

 

「スキルアップポーション!? え、何故、こめっこがこれを??」

 

 確かめてみれば、瓶に入ってる液体は、確かに教師から成績優秀者に渡されるスキルアップポーションである。

 

「さっき神主の兄ちゃんに遊びに、神社に行ったら、邪神の墓(あそこ)と似たような賽銭箱の鍵(パズル)があったから、解いてみた」

 

 そして、中に入っていた飲み物(ポーション)を戦利品としていただいた、と。

 エリス教のお供え物を頂く姉が言うのはどうかと思うが、妹の将来が不安になる。

 

「あれは昔に私も解いてみましたが、なかなか難しかったですよ。その時は中に何もありませんでしたが……こめっこ、一応、後でとんぬらに謝っておきなさい」

 

「あやまらない」

 

「こ、こめっこ!」

 

 うん、こうなれば自棄だ。

 どうせもう一回口付けたのだ。じゃあ全部飲んでも変わらない。……でも、勇者候補を降した相手だし、何されるかわからないので姉妹一緒に謝っておこう。

 

「……え、ええ、ゆんゆんに薬の材料を用意してくれたとんぬらのことです。きっと爆裂魔法を覚える私のために、何も言わずに察してくれた……ということにしておきましょう」

 

 そして、残りをめぐみんは一気に煽った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 痛みはない。

 ただ、内側で何かが作って壊される――作り替えられる。

 そう、これは身体が人間から己が思う最強のイメージに塗り潰されていく感覚であった。

 

 

 ドラゴン。

 それはこの世界において最もメジャーで、倒した者は『ドラゴンスレイヤー』と呼ばれる英雄と称される至高のモンスター。

 いわば最強であり、最高であり、最恐の存在。

 そして、その肉を食べれば一気にレベルは跳ね上がり、その血は稀少なポーションである、スキルアップポーションの材料にもなる。恐ろしく硬い角や鱗は最高品質の武具にも使われるなど、まさしく冒険者垂涎の高級素材を豊富に持った宝の山であるが、それを倒すのは極めて至難。対峙すれば、超一級の冒険者でも死を覚悟する。

 

「ハッハァ! この俺様と真っ向からぶつかってこれる奴はそういねぇぞ!」

 

 笑いながら、ドラゴンを迎え撃つは上級悪魔。

 

「グオオオオ――ッッ!!」

 

 光り輝く竜は、この前見た『冬将軍』の装甲のような真っ白な体をしていて、大太刀のように鋭い尾と、扇のような開閉式の翼を持っていた。なんというか、ドラゴンだけど、鎧のようなボディをしている。

 

 ドラゴンと上級悪魔は、互いの拳と拳を、体と体をぶつけ合う乱打戦を繰り広げており、衝突の余波で森の木々が根こそぎ吹き飛んでいく。

 とても魔法を覚えたばかりの魔法使いに立ち入れるレベルの争いではない。見るだけでも大変な戦いをゆんゆんは、目を赤らせながら見る。

 

 あのドラゴンって、やっぱりとんぬらなの……!?

 

 根拠はないし、実際に変化したところを見たわけではないが、彼しかいない。

 神様の奇跡級の魔法すらも実現するという彼の魔法は、まさか人間をドラゴンにしてしまえるものなのか。

 

「見たことねぇ新種だったが、しかし、俺様には敵わねぇな」

 

 だが、ドラゴンとなってまでも、上級悪魔には余裕があった。

 こうやって、肉弾戦に付き合ってやれるほどに。

 

「もしかして、こんな人里近くにいるから『ドラゴン使い』と契約してやがるのかと思ったが、そうでもないようだ」

 

 神や悪魔にさえもドラゴンが恐れられる理由は、その力を最大限に引き出す『ドラゴン使い』と組むからだ。

 上位悪魔からすれば、単なるドラゴンでは、最強種のモンスターという『モンスター』の枠組みに収まってるだけの存在に過ぎない。

 そして、目を赤々と滾らせ、獣のようにただその強大な力を暴れさせるドラゴンに、知性はなくこのままでは逆転の芽など出てくるはずがない。

 

「あばよ。ちったぁ、楽しかったぜ」

 

 ドガンッ! と巨体に似合わぬ素早さで一気に距離を詰めた上級悪魔の巨大な剛拳が、ドラゴンの顎をかち上げ、青天させる。

 

 まずい。このままじゃとんぬらがやられちゃう……!

 

 魔力が切れかかってるゆんゆんは、自身の冒険者カードを見る。

 中級魔法に10ポイントを使ってしまったが、元々上級魔法を覚えるつもりで28ポイントまで溜めていたスキルポイントはまだ余裕がある。ここで何か助けになるスキルを習得して……!

 

 ――冒険者カードの、あるひとつのスキル項目が点滅していた。

 

「これは、この前とんぬらに教えてもらった……」

 

 それは恋愛相談の一件が終わった後、雪見だいふくのような雪精が可愛くて、ゆんゆんにもできないかと訊いてみたら、彼が教えてくれた、『使い魔契約』のスキル。

 上級魔法を覚えた後にでも、取ってみようかと考えていたものだ。

 

 ドラゴンは単体では、あの魔王軍幹部級の上級悪魔に敵わない。

 

 だったら、人間と契約を結べれば……

 

 ゆんゆんはあとのことなど考えず、今、この状況を変えられる可能性のある『使い魔契約』のスキルを習得。

 しかし、『使い魔契約』は普通一方的にはできない。双方の合意があってこそ、強い結びつきができる。強力な存在であれば、強引に使い魔にできるかもしれないが、中級魔法を覚えたばかりの『アークウィザード』に、ドラゴンを力で認めさせることは無理だ。

 

「とんぬら……!」

 

 何でもいい……!

 とんぬらに声を届けられる手段があれば……!

 

 そこで、ゆんゆんはふとマントの内ポケットの中に入れていたものを思い出した。

 それは今日の実行していれば黒歴史となるはずだった告白で使おうか迷って、結局しまった……あるえから渡された、猫耳神社の猫耳バンド。

 確か、これには動物とも会話ができるというヘンテコな効果が備わっていた。

 

 ゆんゆんは、付けた。

 もう藁にも縋るような心境のゆんゆんに余裕はなくて、格好など気にしてなどいられない。

 

 そして、考える。

 暴走気味のドラゴン(とんぬら)と、一発で契約を結べるような、本能に訴えかける言葉はなんであるか。これまで過ごしてきた彼との思い出の中から検索し――ゆんゆんは、その答えに行き着いた。

 

 

 

「にゃ、私と契約してほしいにゃん……?」

 

 

 

 ドラゴンと上級悪魔の戦闘の最中、顔と目を真っ赤にしながらも可愛らしく猫ポーズを決めた少女がいた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「さあ、これでくたばりなッ! 『インフェルノ』!」

 

 以前、高レベル『アークウィザード』のぶっころりーがやった上級魔法の数十倍の威力がある地獄の業火が解き放たれる。

 ドラゴンを一息に焼き尽くそうとした焔は――しかし、ドラゴンの口腔へと大きく吸い込まれた。

 上級悪魔の上級魔法を、咀嚼して、ごっくんと余さず呑み込んでしまったのである。

 

「なにぃ!? 俺様の魔法を喰いやがっただとぉ!?」

 

 初めて目を剥いた上級悪魔は、そこでドラゴンの赤かった瞳が青に変わっていることに気付いた。

 そこに宿るのは暴力を振るう獣性ではない、知恵を働かせる賢しき理性だ。

 上級悪魔は、取るに足らないと無視していた……なんか今、真っ赤な顔を両手で隠して蒸気をあげてる少女を見て、

 

「なっ、あんた、ドラゴンと一発で契約を結びやがったのか!? 一体どんな呪文を使いやがった!」

 

 言えない。

 とても言えない。

 口が裂けても絶対に言えない。

 

 でもきっと、世界で一番、まぬけなドラゴンとの契約だったとは確信している。

 

「ちっ……流石は紅魔族か。頭はおかしいが、魔術の腕は長けてやがる」

 

 上級悪魔は、何も答えないゆんゆんを見て、これはきっと相当な秘呪を使ったのかと察する。

 それは違う、と叫びたかったゆんゆんだが、それを言うとじゃあ一体どうやって結んだのかを答えないといけないので何も言えなかった。

 

 将来、『ドラゴンロード』として歴史に載るようになる彼女のドラゴンとの契約方法は、誰にも知られることはなく、様々な憶測が飛び交うことになる。

 

『後ろ下がってろ、ゆんゆん!』

 

 動物会話を解する猫耳バンドを付けてるからか、それとも竜契約に成功した『ドラゴン使い』だからか、できれば後者であってほしいとお願いするゆんゆんは、彼の声に応じ、その背後の方へ下がる。

 

 扇形状の全開に広げられた翼が輝きだし、白きドラゴンの開かれた顎に光が収束し始める。

 それは、ドラゴンの最強の技である『ドラゴンブレス』。

 しかし、放つまでにタメがいるそれを回避できない上級悪魔ではない。

 

「はっ! とろくさい『ドラゴンブレス』なんざ喰らうかよ! 避けて次こそ……ちょ、テメェ、どこを見て――なっ!?!?」

 

 だが。

 ドラゴンの頭は。

 邪神の墓へと向けられていた。

 

「やめろおおおお――……!」

 

 反射的に飛び出した上級悪魔の叫びは、しかし途中で掻き消された。

 『冬将軍』の装甲を鎧し白きドラゴンの口から轟音を伴う閃光を解き放ったのだ。

 『ドラゴン使い』と契約し、理性を取り戻した最強のドラゴンが、モンスターであるのに聖属性を帯びたすべての魔性を薙ぎ払う退魔の咆哮。

 それは、邪神の墓を庇った、上級悪魔を、辺りもろとも一瞬で呑み込んだ。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「上級悪魔……倒し、ちゃったの……」

 

 呆然と呟くゆんゆん。

 視界に、あの巨大で真っ黒な上級悪魔の姿はなく、そして、魔力切れを起こしてドラゴンから元に戻った少年が突っ伏して倒れてる。

 やった。

 これで、私たちは助かった――と安堵するには早かった。

 

 上級悪魔は、悪魔の軍勢を引き連れていた。

 親玉を吹き飛ばされた悪魔たちは、畏れを抱くも、それ以上に怒りを、そして、力を使い果たした強敵のトドメを刺さんとゆんゆんたちへ一斉に襲い掛かろうとし、

 

 

「ライバルをやるのは私だと言っておいたはずでしょう!」

 

 

 絶体絶命の窮地。そこへ真打が参上する。

 

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の天才にして、爆裂魔法を操りし者! ひたすらに! ただひたすらに追い求め続け、やっと手にしたこの魔法! 私は、今日という日を忘れません! ……食らうがいいっ!!」

 

 

 その美味しい場面で現れた『アークウィザード』の少女の、

 

 

「『エクスプロージョン』――――ッッッッ!!」

 

 

 人類が行える中で最も威力のある攻撃手段。

 至難な爆発系の最上級であり、究極の攻撃魔法が、悪魔の軍勢に炸裂して、影も形も残さず消し飛ばした。

 

 

 そして、慌てて駆け付けた里の大人たちが、そこに発見したのは、元気そうにはしゃぐ黒猫を抱いた幼女と、力尽きて倒れた3人の少年少女だった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――数日後。

 

 色々とあったが、まず言えるのは事後処理が大変であった。

 里の近辺には、邪神の墓だけでなく、忘れられた女神の封印もあって、『エクスプロージョン』やら『ドラゴンブレス』やらの余波でそれが解けかかってしまったという。幸いにも、里の大人たちが総出で早急に再封印を取りかかったおかげで、被害が出るようなことはなかったが、封印が解かれた女神はいずこへと去ってしまったらしい。

 『これは封印が解かれた邪神が名も知れぬ女神を呼び起こし、戦いを挑んだ。そして、戦いには女神側が勝利し、邪神の下僕をあの爆発で一掃した後、ドラゴンに乗って、どこへともなく去っていったのだ』……という話に里の大人たちは落ち着いた。

 

 何故、邪神の墓にいたのかは、荒らされためぐみんの家からこめっこがいなくなったのに気づいて探しに行ったらあそこにいたと説明した。

 

 里の人たちも、まさか幼女のこめっこが邪神の封印を解いたとは思わず。

 そして、ドラゴンになったり、そのドラゴンと契約したり、また爆裂魔法なんてものを習得したことなど知りはしないのだ。

 一応、担任だけはめぐみんとゆんゆんがどの魔法を習得したのか知っているが、それは配慮して秘密にしてくれるそうだ。

 

 けれど、爆裂魔法を覚えてから、世界を爆焔で覆い尽さんと息巻いているめぐみんは内密にしてくれたにもかかわらず、里の近辺で爆裂魔法を使おうとするから禁止させるのが大変であった。

 

 ちなみに、悪魔たちが捜していた邪神(仮)なクロは、これまでと変わらずめぐみんの家で飼われ、こめっこの非常食として育てられている。名前もちょむすけという紅魔族センス溢れるのに改名された。

 

 そして、とんぬら、ゆんゆん、めぐみんは学校を卒業した……

 

 

 猫耳神社の境内。初めて互いに顔を合わせたときと同じ、賽銭箱を挟んだ立ち位置で、二人はいた。

 

「……とんぬら、あれから本当に何にもないの?」

 

 心配そうに容体を窺うゆんゆん。

 顔の上半分が白面で覆われたとんぬらは、何度も訊かれてもう数えるにも飽きたその問いかけに、嘆息を返す。

 

「問題ない。特別これを付けてても、紅魔族的にイメチェンで通用するからな」

 

 ドラゴンから戻った後に、とんぬらの顔には、『冬将軍』の総面を口元あたりの下半分を除いたような仮面が装着されていた。それは呪われた武具のように外すことができない。

 今のところ、これといった不調は起こっていないが、原因が不明で何を及ぼすかわからない。

 

「ねぇねぇ、本当に大丈夫なの? もしかして、私が『使い魔契約』しちゃったせいで」

 

「それはない。……しかし、そんなに気になるなら、誰かに相談すべきだが」

 

「訊けるはずないじゃない。里にドラゴンを使い魔にした人なんていないし、ドラゴンになった人なんていないんだから」

 

 とんぬらは、この竜の仮面を撫でながら、

 

「心当たりか……そうだな。水の都『アルカンレティア』に、変態的な意味でも、教団内で最もレベルの高い『アークプリースト』がいる。まあ、俺の師匠のひとりなんだが、変態師匠に解呪を頼むか。それから、駆け出しの街『アクセル』に最年少の『ドラゴンナイト』がいると耳にしたことがある」

 

「じゃあ、その人たちに会いに行けば……」

 

「まあ待て、さっきも言ったが呪いだと決まったわけじゃないし、そこまで行く旅費もない。めぐみんに金策となるはずだったスキルアップポーションを飲まれたからな」

 

 それに関してはあれから姉妹で謝りに来たし、とんぬらはもう許してる。賽銭箱を勝手に開けてくれたのは怒ったが、それでもあの時、こめっこからスキルアップポーションを飲んでめぐみんが爆裂魔法を取得したからこそ、とんぬらとゆんゆんは助かったのである。賽銭泥棒されたが、命の恩人である。それに自分が飲まないのにひとつ余計に稀少なスキルアップポーションをこっそり取ってあったことに、気が咎めるところもあった。

 

「それに、変態師匠に頭を下げるのは死ぬほど嫌だし、『ドラゴンナイト』も本当にいるのかわからないから、わざわざ」

 

 

「でも、あなたに何かあったら遅いじゃない!」

 

 

 ――話を遮ってゆんゆんが、真っ赤な潤んだ目で睨んでくる。

 それは、困る。目で訴えてくるのはとても困る。とんぬらは、これに非常に弱いのだ。

 

「とんぬらが嫌なら、私が、頭を下げるし、人を探すわよ……! それならいいんでしょ!」

 

「あ、いや、待てゆんゆん。俺は別にやらないとは言ってないぞ! それにだな、借りを感じてるのはこっちもなんだよ。俺を助けるために、中級魔法と使い魔契約にスキルポイントを使ったんだ。本当なら上級魔法を覚えて卒業するつもりだったのに……そうだな、ドラゴンになったことだし、ひょっとしたら俺の血もスキルアップポーションの材料になれたりしないか?」

 

「やめてよそれ!? とんぬらに血を流させるのは嫌よ私。スキルポイントなんてレベルをあげれば溜まっていくんだから、そんなに気を遣わなくてもいいわよ」

 

「だったら俺も気にしてくれるな。仮面なんて外れなくても日常生活に支障はない。なら、互いにこれでチャラとした方がよろしいだろう」

 

 むぅ~っ! と頬を膨らませ、ますます睨んでくるゆんゆんから視線を逸らす。とそれを追って真正面に立って睨んでくる。それをまた躱して、そしたらまた追って……としばらくヘンテコないたちごっこを繰り広げ、ついにぷくっと膨らみに膨らんだ頬が破裂せんかと心配するほどに達したとき、

 

「もうっ! とんぬらの頑固者! いいわよじゃあ、こうなったらこうしてやればいいんでしょ!」

 

 ゆんゆんは財布を取り出すと、口を開けてそのまま賽銭箱の上で逆さにし、有り金全部を奉納した。

 

「族長になるのを手伝って! 紅魔族の族長は代々世襲制だけど、それまでに私もいろいろな経験を積んでおきたいの! だから、とんぬらも付き合って! 『アルカンレティア』に『アクセル』に一緒に来て!」

 

 なんだか心配になるくらいのやけっぱち感だが、これ以上逃げると実力行使で飛び掛かってきそうだし、まあここまで願われたら神主代行としても応えないわけにはいかないので。

 

「わかったわかった。本当、目を離すのが心配になるなゆんゆんは」

 

 とんぬらは、頷いた。

 

「それじゃあ――」

 

「でも待て。事を急いては仕損じる。旅に出る前にドラゴンのことやゆんゆんとの『使い魔契約』について自分たちで調べられるだけ調べるんだ。そっちの方が効率がいいだろう。旅費を稼ぐまでの間は里にいよう」

 

「そうね。とんぬらの言うとおりね。焦ってたわ私……でも、旅費くらいなら私が出すけど」

 

「それは断る。男子の沽券にかかわるんでな。自費くらいバイトで稼がせてもらう」

 

 きっぱりと譲れない一線は譲らない。奉納金を有り金全部もらったわけだが、それでもヒモになるのだけはイヤなのだ。

 

「それに、あの上級悪魔は結局、倒せなかったみたいだしな」

 

 そう。冒険者カードを見たが、レベルが上がっていなかった。あれだけの上級悪魔を倒したのに、全く経験値が入らなかったということは、仕留めきれなかったということなんだろう。

 そして、上級悪魔がとんぬらとゆんゆんに復讐しに来れば今度こそどうなるかわからない。でも、この魔王軍すらも恐れる、里の大人全員が上級魔法を覚えてる『アークウィザード』集団・紅魔の里にいれば、安全だ。

 

「早急に戦い方を訓練する必要がある。あと、ドラゴンの力の使い方を、契約主のゆんゆんと練習しておきたい。ほら、里に出る前からやることはたくさんあるぞ」

 

「それじゃあ、ぶっころりーさんが結成した自警団に入る? この前、よかったら入らないかって誘われたんだけど……」

 

「『対魔王軍遊撃部隊(レッドアイ・デッドスレイヤー)』か……気が乗らないんだが、大人たちのサポートがある方が助かるしな」

 

 学校は卒業したが、遊んでる暇はない。

 そして、相談も終わったことだし、心配性な族長の娘を族長宅まで送ろうかと仮面神主が声をかけようとしたとき、急にゆんゆんがおずおずとし出した。

 グーにした右手を口元に当てながら、チラチラとこちらを見てくる。

 

「なんだ? まだ気になることがあるのか?」

 

「えっ……その、ほら、めぐみんから伝えてきたじゃない?」

 

「? なにをだ?」

 

「卒業するときに、わ、私に、言いたいことがあるって。だから、ゆんゆんから話しかけてくれないかって」

 

 あいつめ……

 本当に紅魔族随一の天才なのか? 割と彼女が考えた策で自分は不幸を被っているような気がするんだが、ひょっとしてそれはわざとなんだろうかと深読みしそうになる。

 でも、我ながらどうかと思うが、このめんどうくさい娘の期待を裏切ることはどうにもできない。

 しばらく、考える間を入れてから、とんぬらは空を見ながら、言った。

 

 

「パルプンテ

 

 

 

 …………を覚える気はないか」

 

 

 自分で言っておいて何だけどこれはないとすぐに思いました、とんぬら。

 

 シン……と空気が、沈黙する。こんな言葉でも真摯に受け止めた少女は、いったいどんな意味があるのかと考えてくれてるようで、とても申し訳ない。何でもいいからめぐみんのようにヘタレと言ってくれるツッコミが乱入してきてほしい。今なら上級悪魔だってかまわない。このいたたまれなさをどうにかしてくれ!

 

「……ごめんなさい、よくわからないけど、奇跡魔法を覚えるのにポイントも足りないし……」

 

「いや、そう気を遣わないでくれ。頼む……いつかちゃんとするから」

 

 とんぬらはひときしりゆんゆんに拝んでから、ふと思い出して、自分のワイシャツの第二ボタンを千切り取る。

 それを驚いた目でそれを見るゆんゆんへ放る。

 

「邪魔が入って中断したが、話はちゃんと聞くって約束しただろ」

 

「え、あ、と、とんぬら……!?」

 

「とにかく、これからもよろしくな、ゆんゆん」

 

「う、うん!」

 

 ボタンひとつを両手で包むように握って、胸に抱え込みながら頷くゆんゆん。

 こんなので満面の笑みを出してくれるなんて、まったく、チョロい娘である。でも、それで付き合ってしまう自分もまたチョロいんだろうなぁ、と感慨深げに思いつつ、とんぬらは彼女へ手を差し出した。

 

 きっと自分は、この心だけは失ったりはしない。




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