この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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102話

「弁明の余地は与えてはなりません。奴が武器を取る前に倒さねばやられるのはこちらの方ですよ!」

 

 『エルロード』の宰相ラグクラフトが臆する背中を叩くように 檄を飛ばせば、衛兵らは意を決して槍の切っ先を突き出さんとする。

 

「すまん、姫さん、兄ちゃん、下手を打った!」

 

 包囲されたとんぬらは、そうこちらに謝った。

 とんぬらが謝る……それは相当まずい状況なのだと反射的に理解できる。かといって、体の反応はそれに追いつくことはなく、とんぬらが得物を取り出す前に仕留めんと槍を突き出す衛兵らの動きをただ見てるしか――

 

 

「――道具など不要。真の芸人は眼で落とす!」

 

 

 仮面の奥よりその瞳が妖しく光る。

 真紅の眼光がカメラの連続フラッシュを焚くように一際眩しく瞬くや、それを直視した者たちがバタバタと倒れてしまう……微睡みに誘う眼飛ばし。

 

 ……おい! お前はバニルかとんぬら!

 目から怪閃光とかあのふざけた愉快犯の悪魔のような隠し芸とか、やっぱ人間辞めてるだろ。あとで原理を訊くに、“紅魔族固有の感情で荒ぶる眼光を制御し、瞬間に点滅させることで宴会芸スキルがひとつ『催眠術』のような効果をもたらした”と語ってくれたが、普通におかしい。あいつの芸はどこかズレているというか、消失マジックで本当にどこかへ消し飛ばしてしまうアクアといい、この世界の宴会芸スキルってどんだけこの世の法則を裏切っているんだよ!

 

 とにもかくにも、文字通り“目ばたきの間”に王城の兵士たちを無力化してみせた。けれど、状況は好転しない。

 すぐにまた増援が駆け付ける。

 そして、一を見て十を悟り百を導く電子演算的な頭脳を持つとんぬらでも、この事態は言葉で納得させる術はなかった。八方塞がりで詰みなのだ。

 こうしちゃいられねぇ……! 戦闘が不得手でも、嫌がらせなら……!

 これに、カズマも応援しようとしたその時、

 

「これは大問題です。『ベルゼルグ(あなたのくに)』の人間が、不届きにも我が国の王族を襲った。これは色々と付き合いを考え直さないといけませんねぇ? ――早く賊に襲われている友国の使いとして誠意ある対応をしてくださらないのですか?」

 

「なっ!?」

 

 重大な外交問題だと訴える宰相の視線が指すのは、こちら――カズマと、アイリス。

 宰相は、二人に“とんぬらを討て”と促しているのだ。明らかに反感を買う言動だが、向こうは理不尽な道理を突き立ててきた。

 

「おや、道化師と言えど配下として付き従えていた上位者として、こんな事をしでかした不届き者の斬れぬと申されるのですか」

 

「お前っ、いい加減にしろよ! とんぬらがおたくの王子に呪いを掛けたっつう証拠はあんのか!」

 

「あそこで倒れているレヴィ王子こそが何よりもその証ではありませんか。あの道化師が呪ったからああなったのです。お労しい……我々が助けに間に合っていなければどうなっていたことやら」

 

「だからとんぬらがそんなことするはずがないだろ!」

 

「そうです! お兄様の言う通りです! 彼は呪いを掛けるような真似はしません! それどころかレヴィ王子を助けようとして――」

 

「なるほど、これはそちらの意に沿う行為なのですか、ジャティス様、アイリス様?」

 

 こちらの主張に聞く耳もたない宰相はさらに脅しかける。

 

「これが『エルロード』に対するそちらの態度であったのなら、我が国とは戦争ですぞ! ええ、我々だけではありません、『ベルゼルグ』に支援している他の国々であって黙ってはいませんでしょう!」

 

「……ぁ……ぁぁ……」

 

 とんぬらひとりを逃せば、多くの血が流れる。

 『ベルゼルグ』の民の危険に晒すだけじゃない、『エルロード』や他の国々にだって戦争の火種が燃え移っていってしまうかもしれない。

 

「…………ああ、そう。そうだな。『ベルゼルグ』と『エルロード』……両国を天秤にかけるなら、大抵のことはそちらに傾くよな」

 

「おや、今更事の重大さを理解されたのですか」

 

「ああ、二人の手を煩わせることもない。……そちらの流儀に合わせようではないか」

 

 降参するよう両手を上げるとんぬら。

 宰相は目を凝らしそこに戦意がなくなったのを見取ってから、部下のひとりに杯を持ってくるよう指示する。

 

「王の間が賊の血で汚れるのも忍びない。かといって、わざわざ処刑場へ場所を移したり、牢に勾留するわけにもいきません。奇怪な技を使う道化師にあまり時間を与えては何をされるかわかりませんから。――さあ、気が変わらぬうちに、この杯を仰ぎなさい」

 

 宰相は、懐より取り出した黒い包みを杯へ注ぎ入れる。

 あれは、カズマに見覚えがあった。そう……クレアからの手紙に同梱されていた、“貴族が政敵を葬る際に使われる、ご禁制の劇薬”と同じ――!!

 

「……今更、悪足掻きをするつもりがないにしても、この判定に大いに不服なのだが。これが宰相殿の誤審であったのなら、如何なされる?」

 

「もし道化師が無実であるのなら、幸運の女神がお助けになり、奇跡的に助かるのではないでしょうか? ええ、そのようなことがあれば、私が誤っていたと認めましょうとも」

 

 欠片も信じていないように揶揄る宰相。

 なんて魔女裁判だよ。こんなの無効に決まっている!

 

「とんぬらっ! バカ、お前がそんなの飲む必要なんて――」

 

 しかし、止めようにも兵士らに阻まれる。

 王宮内での権限は王子よりも上とされる宰相の判断に、状況にうろたえつつも彼らは従っている。

 いいや、そんなことより、どうして大人しく従っているんだとんぬらは。アクアみたいに泣き叫んで命乞いするようなタマじゃないにしても、あれじゃあ自害も同然だ。

 

(――ん、とんぬらの唇が、動いて……)

 

 『千里眼』スキルで焦点を絞り、僅かな唇の動きを拾う。

 数多あるスキルのうちのひとつ、『読唇術』スキル。これは相手の口元を見つめるだけで大体の会話の内容が読み取れるスキル。暇を持て余して冒険者ギルドの連中の会話を盗み聞きでもしてやろうと大した意味もなく覚えてみた。

 スキルポイント大収穫な海合宿の考案者であったとんぬらにそのことを報告(はな)したら呆れられつつも、“兄ちゃんらしい”と納得されて……

 

 『これでいい。俺は、大丈夫だ』

 

 『読唇術』スキルで読み取れたのは、これ。

 何が大丈夫なんだと追及してやりたいが、言ってあの宰相に気付かせてやるわけにもいかない。カズマができたのは、剣を抜こうとするアイリスをそっと抑え、邪魔しないようにするだけだった。

 

「っ、お兄様! 見殺しにするのですか!」

 

「我慢しろアイリス、もしもの時はアクアの『リザレクション』があるから」

 

 とんぬら、本当に何とかするんだろうな……!

 

 そして、指先の感覚がなくなるほど拳を握り締め、恐々見守る中で……

 

 

「兄ちゃん、姫さん……あとのことは任せた。俺はこの表舞台から降りよう」

 

 

 そういって、とんぬらは杯を仰いだ――

 

 

「とんぬら!」

 

 とんぬらは、飲み切った杯をぽとりと落とし、それから口許に手をやったがその甲斐もなく、止め処なく口から吹き出る泡が指の隙間からぽたぽたと零れる。ぐしゃりと崩れ、手足が激しく痙攣し始めた。両眼なんて眼球が裏返ってるくらい白目で、最後、大きく身震いをした後、ぜーっと息を吐き尽し、ぐったりと静かになった。

 呆然とその苦しみ悶えた様を見やる他の人間を他所に、宰相がその放り出された手首を取って、冷淡に脈を測る。

 そして、宰相は、平静に、努めて平静に――笑みをこらえるのが大変であるのを表すよう、僅かに目元を痙攣させつつ――こちらへと向いて、

 

 

「うむ、脈が止まっている。どうやら、この者は神に見放された、つまりは罪人だったという事ですな」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――アクア! 早く蘇生魔法……『リザレクション』を頼む!!」

 

 一目散に宿へ戻り、ゆったりと寛いでいた一応水の女神な『アークプリースト』を呼びつける。カズマが背負う仮面の少年……の身体。接している背中からその拍動すら覚えない物言わぬ肉体を早く動かしてほしい。

 

「なあに、カズマ。いきなり呼びつけて」

「アクア様お願いします! 『リザレクション』をかけてください!」

 

 アイリスの必死な嘆願に、アクアも表情を変えた。

 そして、ピクリとも動かない――アクシズ教信者と認定している――とんぬらに気付き、はっと目を見開く。

 

「これって……」

 

「毒を呑まされたんだアクア! あの貴族御用達のご禁制のヤツを……」

「何っ! それは本当かカズマ! あの劇薬は、死して尚、体内に毒素が残留するから蘇生しても死に返ってしまう代物だぞ!」

 

 騒ぎを聞きつけたか、アクアの後ろについていたダクネスが驚いた声をあげる。

 あの宰相、何っつう極悪なものを……! そこまで徹底してとんぬらを葬り去りたいのか!

 

「じゃあ、アクア、先に回復魔法をかけて解毒してから、蘇生魔法だ。それなら……」

 

「いいえ、カズマ……とんぬらは一度死んでいるんです。ですから、『リザレクション』はできません」

 

 ダクネスに続いて、今度はめぐみん。

 めぐみんはひどく言い難そうにしながらも、そうこの世の法則を唱えた。

 天界規定で、蘇生魔法が許されるのは一度だけ。カズマ自身は何度となく甦らされているが、それはあくまでも例外なのだ。

 

 おい……それじゃあ、とんぬらはもう……

 

「私の……私のです……私があの時、もっと彼を庇っていれば……私が何もしなかったから……人に任せず、私がもっと自分で……っ!!」

 

 わっと手で顔を覆い、膝をついてしまうアイリスはあまりにも痛ましい。めぐみんも帽子を深く被ってその顔を見せないようにしているも奥歯を強く噛み締める音は聴こえているし、ダクネスも固く握り過ぎた拳からは赤いものが滴っている。

 彼女が責任を負うべきじゃない。しかしどの口が慰められる。あの時助けようと剣を抜こうとした。でも、カズマがそれを止めた。適当なことを言って……

 責められるべきは自分だ。だから、きっと最後まで諦めちゃいけないだろう。

 

「なあ、アクア、本当にどうにかならないのか?」

 

「残念だけどダクネス、『リザレクション』をしても無意味よ」

 

「それでもやってみないとわからないだろ! いいから頼むよアクア!」

 

 このままとんぬらが死んじまったら……と言いかけた口が止まった。

 めぐみんらとは別行動でどこかへ出かけていたのか、宿の玄関口を開けた少女。ゆんゆんだ。買い物袋を提げて、今日の献立を思案して楽しそうだった彼女……けど、その手料理を振舞う相手は、もう……

 

「あ、城から帰ってきたんですねカズマさん。どうだったんですか、王子との交渉……アイリスちゃん? それに皆さんも何か様子が……」

 

「ゆんゆん!? その、一旦、外へ出ましょう!」

 

「あれ、そこに寝てるのって……とんぬ、ら……」

 

 気配を察しためぐみんがすぐに、とんぬらを隠そうとゆんゆんの前に飛び出したが、間に合わなかった。

 生体活動を停止したかのように静かに、宿の玄関で横たわるその姿を視界に入れる。一目で生気が感じられないその気配を理解した瞬間、彼女の手から買い物袋が落とされた。

 彼と誓い合った将来を夢見た少女。

 しかしその幻想が潰えたのだと、否が応でも知らしめる現実がここに。

 

「え、え……?」

 

 わなわなと。わなわなと震えが止まらない。全身、零れる声、そして暗く点滅する赤い瞳孔まで。見るに耐えられない現実を前に、ついに少女は瞳の光を完全に落としてしまう。

 

「う、そでしょ……そんなっ……だめ……」

 

「っ、とんぬら! いつまで寝てるんですか! 爆裂魔法を食らっても大丈夫なあなたが毒なんかでくたばってどうするんですか! ふざけないでください」

 

 ゆんゆん、そしてゆんゆんの慟哭に触発され、めぐみんも抑えていた感情の蓋が外れて叫んだ。ダクネスはそれを傷ましそうに見つめるしかなく、そして、アイリスは無力感に打ちひしがれ……。

 その横で空気を読めないことに定評がある女神様がささっと回復魔法を施した。

 

 

「うん、でも動けないのは辛いわよね。回復魔法をかけてあげるわ。特別に最強の癒し魔法でね。『セイクリッド・ハイネスヒール』!」

 

 

 ピカーッと指先から眩しいライトアップを当てられたとんぬらの身体が、ピクっと動いた。

 

「え、今、動いたっ!?」

「と、とんぬらーっ!?」

 

 ぎこちなくも少しずつ、肩をゆっくり回し凝りを解しつつとんぬらの身体が稼働。熾火のように仄かに燻っていた活気も段々と表に浮上してくる。パチパチと目も開いて、赤い光が薄らとだが点灯する。

 …………えっと。

 呆然としている周囲の視線を浴びながら、アクアが褒めてと言わんばかりに自慢げに。

 

「麻痺よ! この子、仮死状態に陥るくらいもの凄い麻痺にかかっていたから、私の力でサクッと治療してあげたわ!」

「とんぬらぁ!」

 

 空気が読めない女神のおかげで金縛り状態から解けたとんぬらは、抱き着くゆんゆんをあやしつつもどこか気まずげに眉根を寄せる。一呼吸おいてから、“ドッキリ成功”とでも苦笑するようにやや稚気を覗かせる表情をこちらに見せて、

 

「あー……話は聴こえていたんだがな。とりあえず、そういうことだ」

 

「何がそういうことですか! ちゃんと説明してください!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 痛烈な赤光を目から迸らせるめぐみんに詰め寄られて、白状するようにとんぬらは説明する。

 

「まず、だが。めぐみんも知っての通り、俺の肉体は、デッドリーポイズンスライムの変異種ことハンスの毒を食らってから耐性ができていてな。耐毒のステータスが高いんだ。そんじょそこらの毒を飲んでも平気なくらいに」

 

「うん、それで?」

 

「だから、宰相が入れた毒にも当然気づいたが、あれくらいなら大丈夫だろうと踏んだ。それに念のために、口を押さえた時にウィズ店長が仕入れた解毒剤も飲んだわけだが……思いの外その副作用が強烈でな。アクア様の言うように最低限の生体活動しか無理なくらいに麻痺した」

 

 とんぬらが懐より取り出したるは、『どんな毒でも瞬時に解毒できる解毒剤(ただし解毒のために数時間、麻痺する)』の小瓶。

 効果は抜群だが、それを帳消しにするくらい副作用が自爆級な代物である。

 

「それで、最初は毒を飲んで苦しんだフリをしたわけだが」

 

「フリ? あれがフリだったのですかヤシチ?」

 

「うむ、姫さん、我ながら迫真の演技であったと自負している」

 

「宰相が脈が止まったって確認したけど?」

 

「宴会芸のネタのひとつに、脇を押して脈を止める手品があるんだ兄ちゃん。芸は身を助くというだろ?」

 

 幼少期からの不幸な体験からとんぬらの芸は磨かれている。本来は遊びに終わるものが災難の際に実用できるくらいに。

 

「……それで、途中から解毒薬の副作用で身体が麻痺して硬直した。本気で指一本、瞬きひとつもできなくて大変だったぞ。しかし事故だったんだがそのおかげでよりリアリティな死んだふりになったと思う」

 

「でも、自分ではどうしようもないくらいに身体が動かせなくなったんだな」

 

「はい、ダクネスさん、ウィズ店長の商才が反応するような代物ですからその辺りは覚悟していたんですが……正直、毒を煽った時よりもこっちの方が深刻でしたね。帰ったら、ウィズ店長に店の棚に並べるのは止めるよう進言しておきます。いやあ本当にアクア様には助かりましたよ。この麻痺を一発で治癒しちゃうなんて、流石です」

 

「でしょ。私の加護を受けてる信者が毒なんかでやられるわけがないと信じてたけど、リッチーが勧めるものなんて口に入れちゃダメよ。気を付けなさい」

 

「帰ったら、マイケルさんところのおすすめをお供えしますね」

 

「本当っ! ありがとう! やっぱちゃんとお礼を言える信者は良いわねー! 女神として冥利が尽きるわ!」

 

 明るい雰囲気で会話をする二人だが、一方でその他大勢は置いてけぼりにされてる感が漂っている。

 つまり、アクアが蘇生魔法を施しても意味がないと言っていたのは、最初から死んでいなかったから。

 

「し、死んでいないのなら死んでないと言いなさいよっ!! 心配して損しました!!」

 

 とんぬらとアクアへトレードマークの三角魔女帽子を投げつけるめぐみんが、全員の気持ちを代弁した。

 心なしか涙声であったが、目は真っ赤。とても興奮しているようだ。

 しかし、めぐみんよりも大変な娘がひとり。

 

「良がっだ! どんぬらが生ぎでで、良がっだあああああああああああああっ!!」

 

 さきほどからぎゅぅっと密着状態にあるゆんゆん。

 憚らずに流す涙でもうその可愛い顔をぐしゃぐしゃにしていて、とんぬらとしてもどう言葉をかけていいか降参するくらいなのだが、周りの心情はゆんゆん寄りであって、誰一人助けを差し伸べたりはしない。自分のせいだから自分で処理しろ、と口にせずとも共有された思念が目に篭っている。

 とんぬらからすれば、幼い子供のようにしゃくりあげる彼女には弱ったもの。運命の輪(ルーレット)を瞬時に読み解くよりも、少女にかける言葉選びに難攻してしまう。

 この子の涙がどうしたら止まるのか。こればかりは計算ができない。

 

「あー、ゆんゆん。俺は無事だから」

 

「うん」

 

「ちゃんと、生きてるからな」

 

「うんっ」

 

 わんわんと泣きじゃくるゆんゆんの頭を腫れ物のように優しく、いや、すぐ考え直し、実感伝わるようにやや強めに撫でる。

 周りの目など気に懸けず、無防備で、泣いているけどそれがどうにも可愛く見える。

 とんぬらはしばらく、自身のために夢中に泣くゆんゆんにされるがままにされることを選んだ。

 

 ………

 ………

 ………

 

 そうして、とりあえず空気が弛緩したところで、とんぬらはカズマに訊ねた。

 

「しかしだな兄ちゃん。“俺は大丈夫だ”ってサイン送ったんだけど、『読唇術』スキルで読み取れなかったのか?」

 

「いや見えたけど。普通に誤解するわあんなの。というか、なんでわざわざあんな死んだふりをしたんだよ。平気ならそんな必要ないだろ」

 

 むしろへっちゃらなところを見せつけて、あのいけ好かない宰相を凹ませてやればよかったのだ。そっちの方が、胸がすっとする。

 それに、あまり心配をかけさせるものじゃないだろう。

 

「んんぅ……すぅ、すぅ」

 

 とんぬらの胸に顔を埋めるように抱き着いていたゆんゆんがいつの間にか静かになっている。

 声をかけても反応はなく、軽く身体を揺すって見れば、寝息が返る。

 やけにだんまりだったと思えば、どうやら泣き疲れて眠ってしまったらしい。全身血の気の引くような心理状態からぬるま湯のような安堵感に包まれたとなってはそれも無理はない事。

 しかしながら腰に回されている腕の力は“もう絶対に離れるものか!”とばかりに隙間を空けることすら許さず、強く強くぎゅぅっとくっついている。

 この状態を許容しつつもとても恥ずかしそうにしながらとんぬらは、カズマの求める疑問に応じた。

 

「宰相を調子に乗らせるのは俺としても気分が良くないが……“俺が死んだ”と布石を打った方が向こうから警戒もされなくなるし、色々と好都合であるからな」

 

 とんぬらはさらりと何気なく、しかし冗談ではないことを言い切る。

 あまり余裕がない。宰相のことにかかずらっていられないほど優先すべきことができた。

 

 

「個人的な事情からではなく、奪取から破壊に切り替えてでも、指輪のことに専念したい。このままだとあの王子殿は死んでしまうからな」

 

 

 率直に――断定した。

 これにキリリと弛緩しかけた空気が再び引き締まる。

 ゴクリと息を呑んで、確認するよう一度だけ問う。

 

「死ぬって、……本気(マジ)?」

 

「本気だ。王子殿が付けていた指輪……あれ、王子殿の限界以上に魔力を吸い上げていたからな。めぐみんが爆裂魔法を撃ってほぼすっからかんになるよりも酷い」

 

「おい、何故私がそのようなもののたとえに出されるのですか!」

 

 ふむ。分かり易い説明だ。しかし、めぐみんがぶっ倒れるのを何度となくお世話している身としては、あまり危機感が湧いてこないのだが、そんな共有できないのを察してか、とんぬらが呆れたように付け加える。

 

「普通、魔法を放つのに魔力だけでなく体力まで使い果たすのはないからな。倒しても術者もぶっ倒れては決まるものも決まらないし」

 

「己のすべてを懸け必殺の一撃を放つ! 爆裂魔法の素晴らしい開放感の前では、そんなこと取るに足りない問題です!」

 

「うん、すごく大きな問題だからな。はっきりいって、生命力まで糧とするような魔法運用は危険すぎる。たとえば、もしも兄ちゃんが爆裂魔法を撃とうとすれば、消費魔力が足らず、呪文に精魂絞り切られて死ぬ」

 

 無駄死にかよ! どんだけ残念なんだよ。

 けれど、しょっちゅうめぐみんが爆裂魔法やっているから慣れていたが、あれが普通の『アークウィザード』じゃあないのだ。

 

「何を言いますか。この私から爆裂道の薫陶を受けているカズマはきっと爆裂魔法を撃ってから“我が生涯に悔いなし!”と華々しく散りますよ!」

 

「めぐみん、あんたが怒る点はそこなのか?」

 

 同郷の爆裂狂具合に額に手をやるとんぬら。

 結局死ぬのかよ。俺は別に爆裂狂に感染していないし、命懸けで爆裂魔法なんて自爆と変わらない。そんな特攻はやりたくもない。

 

「で、脱線しましたが、話を戻します。つまるところ、王子殿は魔力を消費、いや、徴収される魂食いに遭われている。それも自覚がない。場の側近らが右往左往としていたことから今日が初めての事態であったんだろうと推測しているが……あのとき、俺が魔力を分けていなければそのままぽっくりと果てていたほど命の危機に瀕していた。それは間違いない」

 

「そのような危険な代物、王族に装着させるものなのか?」

 

「普通はありえません。ダクネスさんはよくおわかりでしょうが、王族に献上される、特に身につけられる物は厳正な審査をされるはずです」

 

「うむ、当然だ。王族に万が一があってはならないからな」

 

 かつて『ベルゼルグ』でも、献上(おくり)主不明の神器のペンダントが届けられ、アイリスが身に着けていたことがあった。

 それは、“装着者と詠唱者の身体を入れ替える”という効果を王城の魔導師らに判明できず、“危険性はない”と無害だと判断(誤認)されていたから、また第一王女が“本来贈られる兄君・第一王子へ渡すまで預かっている”という体で期間限定に身につけていた。

 しかしそれは真実をも捻じ曲げるほどの干渉力が働いた例外であって、ひとつ間違えれば国を揺るがす大惨事となる可能性があった。

 

「それに、これまでにふと漏らした発言――『宰相が見つけてきた指輪』、『こっちだって全然外せない指輪に困っている』――より、現状、あの指輪をつけているのは王子殿も不本意であるのが窺える」

 

「あー、そういや言っていたなそんなこと」

 

 途中、声真似までして思い出しやすいようそレヴィ王子の愚痴を抜粋して再現するとんぬら。

 それ以外も色々と暗記していたがそれはとんぬらとしても大変不本意な事象に関わっているので意図的に省いている。

 

「以上より考えられるのだとすれば、あの指輪は王宮の魔導師の目を通さなくても済むような、しかも明らかな異常が見られるのに放置されているほど、保証されている……余程上から献上された品でなくてはありえません」

 

 それはもう答えを言っている。

 王族関連で情報操作ができる相手など、第一王子を差し置いて宮廷を掌握する宰相をおいて他にない。

 

「問題の指輪が、その装着者の意思を無視した起動条件、装着者の限界以上の、命を代償するほど魔力を徴収して何をせんとしているのかは、今のところ材料不足で推理ができませんが、当事者の王子もとい『エルロード』が望むような事態でないことは極めて可能性が高いでしょう」

 

 国中のパンツを我が手に! なんてロクでもない願いでないことを祈りたい……ととんぬらは話を締めくくってから、

 

「さあ、どうしますか」

 

 アイリスへ目を向けながらそう問いかけるのであった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 第一王女初めての外交は、もう泥沼の様相を呈している。

 状況が切迫してなければ、一人自室に篭り落ち込んでいたかもしれない。そんな気落ちしていたのが顔に出ていたのだろう。

 皆、こちらに水を向けられたのがわかっているだろうに各々が思うがままの意見を口にし出す。

 

「……そうですね。ここは一度城攻めをしてみてはいかがでしょうか。下っ端とはいえ私の仲間がバカにされたのです。ここで大人しくしている紅魔族ではありませんとも。……それとついでに、猫耳フェチの変態とはいえ同族の弔い合戦も兼ねられるでしょうし」

 

「俺は死んでないからな。それとめぐみんの中で俺の優先順位ってそんなに低いのか」

 

「それで力で相手を屈させた後でこちらから好き勝手に要求すればいいのです。うむ、まどろっこしいことがないですし、私個人としてもあのような豪勢な建造物に爆裂魔法をぶっ放すのはさぞ爽快だろうと想像するだけで滾ってきます」

 

「まったく前世が破壊神だとか知らんが、少しは紅魔族随一の天才と冠するに相応しいだけの智謀を披露してくれ。それじゃ弱肉強食の獣の理だろうに」

 

 まずは親方が、ヤシチがジト目で呆れるほどの暴論で口火を切った。

 そんなことをすれば、戦争になるのは間違いないだろうし、外交しに来たのに侵略したのであっては他の国交も断たれてしまうだろう。しかし、手っ取り早いのは確かである。

 

「いいや、それじゃあ被害がデカすぎるだろ。後々のことを考えて、めぐみんの案は却下だ」

 

 次に口を開いたのは、お兄様だ。

 

「私の爆裂魔法が邪魔だとでもいうのですか、カズマ!」

 

「そういきり立つなってめぐみん。時と場合……爆裂魔法は大半のケースでアウトになるが、使いどころがダメだって言うんだ。それよりもあの宰相がいなければ話はスムーズに進められるんだからさ。どうせ魔王軍と繋がってんだろアレ。城を巻き込む必要はない」

 

 バカと鋏はなんとやらだとお兄様は親方を諫めつつ、作戦を説明。

 

 街の外から魔法を放ち、混乱の最中に城に潜入。

 王子の寝室に侵入した後、枕元にナイフと手紙を置いていく。手紙にはこう書く。

 

「『愚かなる人間よ、中立を宣言したぐらいで見逃してもらえると思うなよ? 忌々しい『ベルゼルグ』が滅んだ後は、お前の番だ!』、って、俺達魔王軍には中立なんて通用しないぜという雰囲気を出させ、こちら側に付かせるんだ」

 

「本当に兄ちゃんは相手が嫌がるような狡い手を思いつくよな。いやこれは褒めてるんだが」

 

「もうすっかりお得意のマッチポンプだ。それで宰相が犯人だと臭わすような物的証拠も残せればなおのことよし。これで危機感を覚えてくれれば、あのクソガキな王子も俺達に協力してくれるって言う寸法だ」

 

「一歩間違えればテロリストだな。しかし残念だが、めぐみんが爆裂魔法を撃ってお咎めなしなんて『アクセル』くらいだからな。感覚が麻痺ってるけど、騒音騒ぎで警察にしょっ引かれても無理はないぞ兄ちゃん」

 

 うん、親方が私を外へ連れ出す際に合図と兼用して王都を混乱させるほどの爆裂魔法を空へ撃ち放つことがあるけど、レインとクレアの慌しい様子から現行犯逮捕されたらとても厳しい罰が与えられそうである。多少のリスクは負うけど、効果的である。

 ――けど、これでもない。

 

「アイリス様……」

 

 ララティーナがこちらに気遣わし気に声をかける。王女という立場上最も上でありながら、年功序列では最下位に責を負わすことに躊躇いがあるのだろう。けれどその発言は、“侮り”と取られるかもしれない。

 そんなどう接したらいいか惑うよう、こわごわと手を伸ばす。

 それを見て、つい胸の奥から込み上げるものを零すように吐いてしまう。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……けない……」

 

 ダクネスの発言の途中で俯いたアイリスが、ぽつりと呟く。

 “……アイリス様?”と様子をうかがうダクネスはいったん言葉を止める。すると、やや音量を上げて、王女の吐露が復唱される。

 

「……情けない」

 

 今度は、聞こえた。

 これにダクネスは、お姉さんのような気安い態度などこの時ばかりは奥にしまい込み、王族に仕える一貴族としての顔を前面に出して、アイリスの前に跪き、許しを乞うよう頭を平に下げる。

 

「申し訳ありませんアイリス様。勝手な事ばかり……」

「違うのです、ララティーナ」

 

 それをアイリスが手を出し遮る。

 そう、彼女が駆られているのは、自責の念。

 

「私は自分が情けないです。交渉ではほとんど何もできないまま、大半をお兄様に任せ……外交の戦略も最初から最後までヤシチが指揮していました。皆さんも頑張ってくれていたのに、私だけがまだ、何もしていません。本当なら、私がやるべきことなのに……」

 

 いや、アイリスは十分にやってる。とカズマは言ってやりたい。

 そもそもアイリスが強くなければ、小生意気な王子とのゲームが成立しなかっただろうし、あのイヤミったらしい宰相にも辛抱強く、めげずに交渉に臨んでくれていたからこそ、細い糸は繋がっているのだ。

 けれど、そんな内心を言葉にして伝えてやる前に、アイリスはふるふると首を振ってしまう。目を瞑って悔恨の言葉を紡ぐ。

 

「本来の仕事である追加の支援が難航しているのもですが、毎日顔を合わせていたレヴィ王子の不調に気づかず、また協力してくれた者の弁護もできず、部屋でメソメソと落ち込んでしまいそうな私とは違い、皆様は屈してなんかいませんでした」

 

 腰の剣の柄へ手をやり――――アイリスは眼を開いた。

 ダクネスらの背筋がぶるりと震え走ったくらいに力強く。

 その視線が向けられるは、先程問いかけを投げたとんぬら――

 

「あなたの考えを聞かせてください」

 

「上中下と三つあります」

 

 とんぬらがいつになく畏まった姿勢で応答する。

 

「これまで通り、継続して外交交渉を行い、レヴィ王子殿がこちらの信に折れるのを粘り強く待つ。これが中策。失手をしてしまった以上、慎重に信頼関係を結び直すのは間違ってはおりません。ただし、王子殿には期限が迫っており、長丁場はあまりに危険です。

 問答無用で武力でもって宰相を打ち倒し、真実を白状させ、『エルロード』の目を醒まさせる。これは下策。即効性はありますが、衝撃が大き過ぎる劇薬も同じ、いたずらに被害が酷くなるばかりでしょう。最悪、戦争の可能性すらあります」

 

「それで、肝心の上策は?」

 

「ここまで申し上げれば姫殿下はすでにおわかりでしょう。こちらから改めて申し上げるまでもありますまい」

 

 宮廷道化師との問答を経た第一王女は、未だ跪いたままのダクネスへ向き直り、その名を唱える。

 

「ダスティネス・フォード・ララティーナ。これより城に参ります。私と共に来なさい」

 

「ア、アイリス様?」

 

 驚いたように顔を上げたダクネスはそこで目を瞠った。

 視界に飛び込んできたのは、また一回り大きくなったように見える、堂々とした第一王女の立ち姿。

 これに自然、頬を紅潮させ、己に彼女の剣であり盾、すなわち騎士であることへの自覚が強く芽生える。

 ダクネスは片膝をつき、頭を下げた。先よりも深々と。今度のは謝罪ではなく、一臣下としての礼で。

 

「はっ! このララティーナ、どこへでもお供します、アイリス様」

 

 何故ならば、この少女は王であるから。

 誰よりもわがままで、誰よりも爛漫で、誰よりも気高く己を掲げる、人間の臨界を極めたるもの。その王気を浴びせられてしまっては、臣下は彼女を羨望し、魅せられるしかない。臣下でなくとも、彼の国民であるのなら、勇者の気質さえ受け継いだ青い瞳を向けられてしまえば、憧憬の火が灯ろう。そして、吹かれる威風がより燃え盛らせるのだ。

 

「勇者の末裔として名を馳せた、『ベルゼルグ』一族の名において。たとえどんな手段を用いたとしても、必ず無理を通してみせます!」

 

 無茶だろうが何だろうが、導く指針へ誰もが迷わず突き進む。

 今、この武闘派王女の目は戦いの予感を前に爛々と輝かせているのだから。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「『エクステリオン』!」

 

 第一王女はお供を連れ、無人の野を行くか如く、道行く人々が自然と道を空けていき、堅固な城門も阻むに能わず。問答無用で一刀のもとで断ち切って進む。

 王の行進を止められるものなど、ない。

 

「ここここ、こんな事をして、ど、どうなるかわかっているんだろうな!?」

 

 謁見の間まで前を阻まんとする衛兵らは剣の腹で打ち込みされて悉く倒して進み切ったアイリスを前に、失神から回復した王子が弱った体ながら精一杯の虚勢を張る。

 

「ラグクラフトから話はすべて聞いている。あの道化師――お前の……が亡くなってしまったが、俺のせいじゃない! 俺の命を狙い、『エルロード』に混乱をもたらしたからだ! ここでまたお前自身が重大な外交問題を起こせば、『ベルゼルグ』に支援している他の国々だって黙ってないぞ」

 

 自己弁護に走りながらも、しかし気にかかって走りながらも前を見ずに首を後ろに向けてしまうような、どこかアイリスに心を配るものが一抹含んでいそうな警告。

 だが、王子の後ろには、所詮は小娘と見下すような視線が隠し切れない宰相がついている。

 

「このような暴走を許す野蛮な人間とのお付き合いはやはり考え直すべきでしょう、レヴィ王子。国交を断絶することも視野に入れられては?」

「レヴィ王子」

 

 そんな囀りなど無視して、真っ直ぐにレヴィ王子を見つめるアイリス。

 距離とすれば宰相の方が王座に近いというのに、この一言で水を打ったように場を静かにさせる第一王女へと王子の意識は傾く。いや、持っていかれたのだ。

 

「私はあなたと会談がしたかっただけです。手荒な真似をしたのは謝りますが、しかし決してあなたに害しようなどと思った行為ではありません。私も、そして“彼”も、です」

 

「何を言うか。昨日、ああもレヴィ王子の身を危険に晒しながらそのような戯言がほざけるなど笑止千万! やはりあなたは現実を受け止めることができていない! まるで夢見る童女だ!」

 

 弱っている王子の代弁という建前で、厳しく非難する宰相。

 去れど、それに僅かも怯まず、言の刃を切り返す。

 

 

「でしたら、私の言葉が小娘の戯言などでないと腹を割って話しましょう」

 

 

 第一王女は、抜き身の剣を納めた鞘を隣についていたお兄様(カズマ)へ預けると、無防備なまま前に出る。

 そこへ、謁見の間に新たな闖入者がゾロゾロと現れた。

 

「アイリス様、お待たせしました」

 

 大貴族ダスティネス家の紋章を携えるダクネスが引き連れてきたのは、()()()()()()()たちだ。

 赤毛のポニーテールを揺らしダクネスと同行する、きっちりとした身なりの、いかにもキレ者ですと言わんばかりの整った顔立ちをした女性は、謁見の間にいた政治官僚らも知る顔だ。

 

「では、よろしく頼む」

 

「はい」

 

 女性検察官のテキパキとした指揮の下、看守たちがこの謁見の間に裁判時に施される、ウソ探知の魔道具を用いた結界を、アイリスを囲うように張る。

 

「なぜ、我が国の検察官がここに!? いったい何をする気だ!」

 

「私の言葉に、嘘偽りがないと第三者に証明してもらうためです。きっとこれからお話しすることは信じてもらえないかもしれません、ですからその判断の一助となるように」

 

「はい、レヴィ王子、ラグクラフト宰相、我々はこちらダスティネス家の依頼より、アイリス王女の発言の真偽を裁定しに参りました」

 

 そして、きちんと謁見の間に立ち入る許可も取ってある。

 

「ええ、よろしいではないですか、ラグクラフト宰相。かような王女に腹の探り合いなど無用でしょう」

 

 女性検察官の目配せに応じたのは政治官僚……先日、息子らを通じてコネを作った者たちだ。

 宰相の関知しえないことながら勝手に、独断で、彼らは“この程度のわがまま”と余裕で応じた。

 なぜなら、王女は第三者というが、検察団は、公正を意識しようにも『エルロード』側である。言ってしまえば、これは先日のこちら側にディーラーを取り込んだルーレットゲームと同じ。不利となるのは、あちらで、自らを追い込むような真似をしているに過ぎない……そう、判断したのである。

 

「……いいんじゃないか」

 

「レヴィ王子!」

 

 宰相が諫めようとするが構わず、レヴィ王子は深く椅子に座り直した。

 

「だが、魔道具のベルが一度でも鳴るようなことがあれば、俺はもう二度とお前の話を信じないぞ。……それでもいいのか?」

 

「はい!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ベルゼルグ・スタイリッシュ・ソード・アイリスが宣言します。我が国、『ベルゼルグ』は魔王城に攻め入る準備があります!」

 

 アイリスが力強く唱えた言葉に、謁見の間に騒めきが走った。

 しかしそれも火が点く前にすぐ鎮圧せんとするよう、失笑……いや、嘲りを称えながら、宰相が水をかける。

 

「はっ。何を仰るのやら。八大幹部を撃破しているようですが、『ベルゼルグ』が魔王軍を攻めあぐねているのもまた事実。魔王軍と貴国は膠着状態に陥っていることを我々は知っているのですよ」

 

「それは、魔王城を守る結界があるからです」

 

 魔王城にはあの機動要塞『デストロイヤー』の進撃を阻むほど強力な結界が張り巡らされている。これがこれまで魔王を打ち倒せなかった一因となっていたが、

 

「今、その結界を維持するための幹部は半数以下となり、強度が以前よりも格段に弱まっていると報告されています」

 

「ですが、それでも攻め入れられないでしょう。人間に破れるような結界ではありませんからね」

 

 期待の芽を容赦なく潰していくよう宰相が声高に非難する。

 

「でも、私達は、その結界を破る術を手に入れています」

 

「なんて大言壮語な……魔王城に許可なく踏み込めるものなどこの世に存在しえな――」

 

「それが、この『結界殺し』です!」

 

 アイリスが取り出したのは、ある魔道具。

 これの正体など分からぬ『エルロード』側の人間は訝しむが、例外として宰相一人が驚きに目を大きくして硬直した。

 

「これは、かつて紅魔の里に攻め入った魔王軍幹部シルビアを討伐した際に入手した魔道具……幹部自身が“神々の封印さえ破れる”と豪語していたもので、回収した紅魔族の方々はすでに術式構造の解析に成功しており、複製に着手しています。その成果のひとつがこれです」

 

 ベルを見る……しかし、『エルロード』の検察官らが設置した魔道具は依然と沈黙を貫いている。

 同じように宰相は、先程まで煩く喚いていた口を噤ませている。

 

「そして、『結界殺し』をより強力に改良すれば、幹部が減って弱まっている魔王城の結界に風穴を開けることも不可能ではないと報告が来ています! 我々に確かに勝ち目はあるんです!!」

 

 魔王城最前線にある『ベルゼルグ』の王族が語るこの魔王城攻略の秘中の策の一端。

 完成すれば前人未到(例外にひとりいるが)の魔王城近辺の領域に踏み入ることができる。人類の一筋の希望になる。そう段々と語勢を強めて、言い切った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ウソに反応してベルを鳴らす魔道具は、人がウソを吐く際の邪な気を感知する。

 つまるところ、本人が真実だと思い込んでいればそれはウソではない――と判断され、無反応なのだ。

 だから、自分には無理だが、この話を信じ込ませた相手は違う。

 

『実は、お姫さんと代わっていた時に議題に上った話ですが……』

 

 そう、サンマが畑から獲れることを知らない世間知らずなお姫様へ、即興で草案した“台本(ハッタリ)”を吹き込んだ。

 すべてがウソではないしありえなくはないが、ありえていない話。

 でも、これを信じた王女の口から語られれば、それは魔道具が反応する言霊(ウソ)ではなくなってしまう。

 そして、魔道具という“保証”によりその言葉の信用度は高まる。話を聞かされただけでは判断できない者も多い(なにせ、王族の第一王子(ジャティス)と平民の兄ちゃん(カズマ)を未だに勘違いしているくらい隣国の情報に暗い)だろうが、それでも『ベルが鳴らなければこの話は本当なんだ』と勝手に説得力が生まれる。『嘘八百だ!』と言おうにも、『ならなぜベルが鳴らない』と逆に非難できる材料になる。

 正しく、純真さを失わない彼女にしか任せられない弁論だ。

 

(まあ、“ウソも方便”というものだ。それに、“嘘から出た実”なんて言葉もあるしな)

 

 それでも、ああも魔道具(ベル)を黙らせて言い切れられるのは、それほどにこちらを信じているからに他ならない。

 

(“人を良く見られる”……当の姫さんはさして意識していないけどそこが、姫さんが王族と認められる点で、あの王子殿の目に眩く映る点なんだろうな)

 

 『エルロード』の王子がかける信頼は、安い。

 何故なら、レヴィ王子は“人を見る”ことに臆病である。

 信じることは美徳でも、だからこそ容易にはできないもの。何の根拠もなく簡単に信じるなど、その人物に対して無関心と同じ。建前の裏にある本音を見たくないために目を瞑って、丸投げしている王子殿はそれに当てはまっていた。

 

(よく見て、信頼を預けられると認めた相手であれば、賭けられる信頼は高い。また逆に、ギャンブルで様子見に大金を賭けられるようなものがいないように、王子殿は、他人に丸投げする信頼などはした金も同じだろう。そんなのは勝負に出ないと何ら変わらない)

 

 だから、負けない――そう、宣言できたのである。

 たとえディーラーと組んでいようとも、そのディーラーを心底から信じ切れてはいなかったのだから。

 もっとも、それは王子個人の性根の問題だけでなく、“バカ王子”などと陰口を叩かれる周囲の環境に捻くれてしまったせいでもあるだろう。

 

(だからこそ、王子殿をこちらに引き入れるには、今日までの外交で少しずつ積み重ねてきた姫さんにしかできない)

 

 

 王女の弁舌の掴みはバッチリだった。

 王子を含め謁見の間にいる『エルロード』の人間に動揺が広まるのが見えるが、それよりも宰相。

 これは魔王軍と繋がっている可能性が極めて高い宰相へ向けた牽制でもある。

 

 焦りよう。きっとすぐにでもこの魔王を陥れる情報を報告したいのだろうが、かといって今この謁見の間を離れることはできない。このまま王女を信じられてしまっては、話に乗られてしまう。それはなんとしてでも避けねばならない。だから、謁見の間を退場することができない。

 

 そんな浮足立っている宰相の様子に、目敏く気づくものがひとりいた。

 

「おや? 急に大人しくなりましたがどうしたのですか、宰相」

 

 その不自然さを追及したのは、先日まで宮廷道化師がついていたポジションに収まっていためぐみん。

 水を向けられ注目を集めた宰相だが、努めて冷静に言い返す。

 

「いきなりあのような()()を聞かされてしまっては、閉口しても仕方がないでしょう」

 

 呆れてものが言えないという態度をとる宰相に、めぐみんは詰ませていくように次の言葉を投げかける。

 

「どうして妄言などと言い切れるのですか?」

 

「決まっています。『結界殺し』に魔王城の結界を破れる力があるわけがないからです。手段が崩れれば連鎖的にその策全てが成り立たないことになるでしょう。所詮は机上の空論です」

 

「どうしてそう言い切れるのですか?」

 

「ですから――」

 

 しつこく食い下がる相手に苛立ちを隠さず宰相が大声を上げようとした、その文句を喉元に詰まらせる。我が里の天才の淡々と二度も繰り返した問いかけによって。

 

「どうして、あなたが断言できるんですか? この魔道具は元々魔族の間でしか扱われていない、紅魔族の手に渡ったのもこの最近の話です。そして、『ベルゼルグ』はこの突破口となる『結界殺し』の存在を外に漏らさぬよう厳重に秘匿してきたんですよ。なのに何故、()()()()()()()()あなたが、『結界殺し』が魔王城の結界を破れないと、断言することができるのですか?」

 

「っ」

 

 下唇を噛むが、遅い。もうその文句は舌から出てしまったのだから。

 これは『エルロード』を説得させるための方便であり、宰相への牽制(ジャブ)。まんまと話に乗せられた(つられた)ところに、ストレートを見舞う。めぐみんの役割は王女の弁論に対する補佐ではない。援護射撃などではなく、ターゲットを絞りその一挙一動に目敏く突いていく必殺の狙撃(スナイプ)である。

 

 さあ、どうする?

 黙秘権を行使しようか。だが、向こうの第一王女が正々堂々と交渉に臨んでいるのに対し、その態度は周囲にどう映るだろうか。

 第一王女の潔白であれば程、その黒に近い灰色な対応は疑惑が際立つ。

 

 ………

 ………

 ………

 

「ま……そうそううまい方向に転がらないだろうけど、腹を割って話せるまでの道筋を整えれば、あとはおまかせ。王道にあまりの小細工は不要、そして、王と王の問答に外野が割って入るなど無粋だ」

 

 ――と、謁見の間とは別の場所で、その様子を千里眼の如き智謀で察するとんぬら、今はヤシチ。

 覆面を被ったカンダタキッドスタイルで、密命を受ける『カザグルマのヤシチ』である。

 強行突破とド派手な登場に少女と思えぬ胆力からの爆弾発言で表舞台を独占する、“邪魔な部屋主”を引き付けてもらっている間、その裏で誰に気付かれることなく城の最奥のとある部屋へと侵入を成功させる。

 そう、“裏でコソコソ暗躍する”のがヤシチの仕事。

 それに今回は相方がひとりついている。

 

「――オシン、罠感知を頼む」

 

「わかったわ、とん…ヤシチ! 『トラップ・サーチ』」

 

 ヤシチと同じように、隠密トカゲの皮を使った頭隠して尻隠さずな覆面頭巾を装着する少女……カンダタキッドの怪盗弟子にしてパートナーという設定のカンダタハニーにして、王女様直々に命名されたコードネーム『カスミのオシン』……こと、ゆんゆんである。

 

「……うん、罠の反応はないけど、ここ結界が張られているみたい」

 

「そうみたいだな。だが、魔力による結界なら障害にならない」

 

 先日、“毒で処刑された”とんぬらと、“実は未だに宰相や王子を含め『エルロード』の官僚らとは対面していない”ゆんゆん。歓迎に開かれたパーティもずっと『ライト・オブ・リフレクション』で姿を隠し息を潜めていたゆんゆんは存在を一切関知されていなかった。

 演劇も舞台に立って目立っていたのは、アクア、めぐみん、ダクネス(あと怪人(やられ)役)で、声だけのナレーターは人々の記憶に対して残らなかったことだろう。

 だから、第一王女と共に謁見の間におらずとも不審がられず、ほとんど警戒されない。

 

「よし――オシン、解錠を頼む」

 

「『アンロック』」

 

 『結界殺し』と同じ魔術構造を取り込んでいる『退魔の太刀』で魔法の障害を破れば、物理的な錠を開けるのに魔法を活用。魔術的、物理的に二重の封も二人にかかればこの通り。

 難なくこの“宰相の自室”に施された厳重な防備は突破される。

 

 最初は、パートナーの同行を考えたヤシチではあったが、能力的に敵探知の『エネミー・サーチ』、罠感知の『トラップ・サーチ』、解錠の『アンロック』と盗賊並の働きができて、それから『潜伏』スキルこそないが透明にもなれる『ライト・オブ・リフレクション』がある。それにアイコンタクトやハンドサインで意思疎通ができるくらいに連携も全く問題がない。

 細かいところは盗賊の技能やら心構えを義賊の先輩から伝授されている自分がフォローすればいい。むしろ変装に奇術、それから地図作製が得意な怪盗なれど、基本的な盗賊としての鍵開けやら罠感知、気配遮断系の魔法・スキルは使えない身とすれば、パートナーの同行は非常に助かるのだ。

 それに、同行を志願した彼女自身も“とんぬらから目を離したくない!”と強く訴えられた。先日、心配させてしまったこともあって……今回はこちらが折れた。

 

「……にしても、今日が初めての怪盗体験だけど思ったよりも手際が良いな。『トラップ・サーチ』なんてあまり使わない非戦闘魔法の練習もしていたのか」

 

「うん、いつかとん…ヤシチに誘われてた時を想定して、力になれるよう訓練してたから」

 

 なるほど。めぐみんが立ち上げた下部組織な銀髪盗賊団の支援隊の一員であるからに、そのようなことも訓練しているのだろう。

 とはいえ、イメージトレーニングを重ねているのは長いぼっち歴の弊害か。この娘、キャンプを行く時を“想定して”美味しい魚の塩焼きの勉強していたり、まだ酒も飲めぬ年齢なのに宴会でお酌する時を“想定して”シュワシュワの泡と酒の3:7の黄金比率になるような注ぎ方をマスターしていたりと、頑張り屋なんだけど残念なことにその努力の成果が未発表なのが多かったりする。

 

「でも、実際にやるのとは違う。緊張しているのはわかってるから、あまり無理はするなよ。何かわからぬ点があれば遠慮なく聞いてくれ」

 

 そう、僅かに強張る彼女の気配を感じ取って諭せば……何故か、口元に手をやり視線を逸らされる。

 はて? なんだこの反応は?

 どうした? 何かおかしいことがあるか? と訊ねれば、ボソボソと小さく、

 

「う、うん……今、一緒に同じ覆面被ってるから、何だかペアルックしてるみたいで……」

 

「お揃いとは言え、お互い顔もわからぬ色気のない覆面頭巾で照れられるとこちらもどう反応すればいいか困るんだが」

 

 今度、お詫びに何か買おう。と決めたヤシチは、固く閉ざされていた宰相の部屋の扉を開ける――

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……それは、もちろん見たことがあるからですよ」

 

 ガリッ、と歯軋りが低く唸り、宰相は表情を一変させた。感情が抜け落ちた、仮面のような無表情。

 そして、感情を排した声音で言う。

 

 

「我が国は、魔王軍と取り引きをしているのです」

 

 

 宰相が放った爆弾発言は、一気に場を騒然とさせた。

 事情知らぬ検察官らは宰相の口から飛び出したこの暴露に目を剥き、また事情は違うが、宮廷の官僚らにもここで『エルロード』の秘中の秘を明かすことに驚きを禁じ得ない様子。

 

「ラグクラフト、お前……!」

 

 王子もまた大いに慌てるも、平然とした宰相はその制止を聞くことなく、

 

「我が国は、魔王軍との和平交渉を進めております」

 

 魔王軍がもし隣国『ベルゼルグ』に勝利しても、『エルロード』には関わらない。ただしその条件として、魔王軍と交戦中の『ベルゼルグ』への支援を打ち切ることを約束しなければならない……

 と、推測通り、悪い可能性が的中していた。

 これにはダクネスもカッと牙を剥いて、淡々と告げる宰相へ批難を飛ばす。

 

「貴様、魔王軍なぞの言葉を信用するのか! 人として恥ずかしいとは思わないのか!」

 

「ですが、貴国と魔王軍の戦況が膠着状態に陥っている。そこで、中立を保ってくれれば関与しないと言われれば、一国を預かる身として無下にするわけにもいきますまい」

 

 いつになく露にするダクネスの怒りを、表面上は気に病むふりをしながら受け流す宰相は、これを機にとばかりに言い募る。

 

「それにですね。実は、この交渉は私がまとめてきていますが、話した感じでは魔王様はとても気さくな方で、信用のおける魔族でした。どこかのアクシズ教団とやらが流した悪評はまったくの嘘です!」

 

 握り拳をグッと作って、力強く弁護主張する宰相。

 如何に交渉相手を庇いたい心情があると言えど、いささか傾倒し過ぎとも取れる態度。それを訝しまれる前に誤魔化すよう、元の調子に戻した宰相は続けて述べる。

 

「それでその際に、魔王様よりそちらのアイリス様が持つ『結界殺し』を見させてもらったことがあるのです。大変素晴らしい魔道具ではありますが、それにしても魔王城の結界を破るには力不足かと思われますね」

 

 

 ……さて、どうするんだ?

 

「それに魔王様よりも、『ベルゼルグ』の方が危険ではないのですか。我が『エルロード』の王子を害そうとする輩を召し抱えていたなど、これでは安心して背を預けられましょうか! それに城に爆裂魔法を放つと脅してくる紅魔族! 嘘八百を並べる変態集団アクシズ教徒を使者として送りつけてくる連中の言葉にどれほどの価値がありましょうか!」

 

「ぐっ!」

 

「魔王軍と組んでるクセになに偉そうなこと言ってんのあんた! そんな奴に私たちアクシズ教団をバカにするなんてできると思ってるの!」

 

「めぐみん、アクア、お願いだから向こうの挑発に乗らず堪えてくれ! あとアクシズ教云々に関しては否定できない!」

 

「ちょっとカズマまで何てこというのよ!?」

 

 アイリスから一歩離れた立ち位置から見守っていたカズマは、状況を整理する。これ、マズいんじゃないかと。

 表舞台から降りたとんぬらが出していた“台本(さく)”は、『結界殺し』で勝ち目があるとアピールするもの。

 それは最初こそ、“魔王を倒せるんじゃないか!”と思わせることができたみたいだけど、突然、これまで隠してきた“魔王軍との関係”を明かしてまで、この作戦を否定してきた。しかも開き直られて、先日の出来事を再燃されて形勢が逆転されようとしている。

 これに対する反論・対処策は――――教えてもらっていない。

 

『一から十まで整えられているよりも、筋書きのない物語(ドラマ)の方が見応えはなくはないか?』

 

 というか、そこまで考えていなかった。

 楽観的というか能天気というか、アクアの気楽(残念)さが感染してしまったのか。だとすれば、残念になる前に直ちに修正してやるべきだろう。

 

『隠し事がある王子殿には負い目がある。だから、必死にそれを隠そうとして、あの強がった態度に繋がっている。だから、素直になれない。元より自身がお飾りであることが上手く回る何よりの方針と考えている王子殿だ。王族であるのに王族らしい振る舞いを遠慮し、自身の意見を腹のうちに抱え込んでしまう性格なんだよ、兄ちゃん』

 

 “その意固地さを紐解く手伝いをすればいい”なんてことを語っていた。

 けど、この宰相が思った以上に厄介だ。これはカズマも何かフォローしてやりたいのだが……狂犬女神が噛みつこうとするのを抑えるので大変だ。

 おい、ちょっとはめぐみんを見習え! めぐみんはアイリスの迷惑にならないよう我慢してるんだぞ!

 

 と外野が喧々諤々とする中で、アイリスはひとり、大袈裟な身振り手振りで演説する宰相や暴動を起こすアクアやそれを止めるダクネスやカズマではなく、レヴィ王子を見つめていた。

 

 

「あの、レヴィ王子? 『エルロード』の事情は分かりました。魔王軍からは、『ベルゼルグ』が滅んだ後はそちらを攻撃する、それが嫌なら手を組め、と言われているんですね? それで、王子なりに考えて、生き残るためにそう決めたのなら私は何も言いません」

 

 ワガママを言えないほど遠慮しがちで、強くて優しい王女様は、こんな時でも相手に気遣うようにはにかんで、

 

「だから安心してください。今後もお互いの国の関係が悪くならないよう、お父様に取り成します」

 

「……そんなことを言ったって、こっちはもうお前の……お前の国の人間に手をかけたんだぞ。死なせたんだぞ。なのに、どうしてそんなことが言えるんだ!」

 

 でも、王子は唾を飛ばし激昂する。

 王子は真っ赤な顔を俯かせ、拳を微かに震わし――ふ、と力を抜いて、か細い声で訊ねた。

 

「なあ、あいつは……本当に俺を殺そうとしていたのか?」

 

「いいえ。彼は王子を手にかけようとなんてしていません。誰よりも真っ先に、王子のことを助けようとしていました」

 

 宰相から話を聞かされていたけれど、あの時、必死に自分を助けようとしたその姿を、おぼろげながら王子は覚えていた。王女の言葉にその記憶はより鮮明となる。

 けれど、それはますます王子を追い詰めてしまう返答であった。

 

「だったら、尚更……そんなことが言えるんだ……っ」

 

 それまでの傲慢な態度が見る影もなく萎れる王子へ、王女は自責の念に駆られる子供を慰めようとする優しい声で、

 

「私は人を見る目だけは長けているんですよ? 王子が、本当は私のことを嫌っていないことを、最初に会った時から何となくわかってました。うぬぼれじゃないですよ? なんとなくわかるんです」

 

「王子! 騙されてはなりません! その者は野蛮で暴力的、危険な『ベルゼルグ』の……」

 

 この時、騒がしかった謁見の間は静まり返っていた。

 王族二人の会話を邪魔しないよう、ただひとり宰相だけがそれに難癖をつけようとするも空振りに終わる。言わずとも圧される、周りからの“空気を読め”という視線に叱責されて、口が窄んでしまう。

 それほどに、アイリスの言葉には力があった。

 魔道具のベルが鳴らないくらいに、いいや、そんな小道具などなくとも邪念がないのが明白で、純真な言霊だけが王子へ届けられている。

 

「『ベルゼルグ』の王族は強いんです。たとえ支援がなくても魔王軍にだって負けません。だから……そんな辛そうな顔をしないでください」

 

 無邪気に笑って、主張を締め括った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 宰相の部屋を物色する

 魔王軍との繋がりを示す証拠もだが、何よりもレヴィ王子に嵌められた指輪に関する情報を得るために。

 何でもいい。どんな些細なものでも解析できるものを探す。

 

 一見、内政官のトップとして、書類が大量に保管されていた室内だったが、地形探査魔法『フローミ』でもって、隠し部屋……反応した地点に置かれている書斎机をどかし、絨毯を剥がして――地下へ続く階段を発見。

 

「……なんか、すごく深そうね、とんぬら」

 

「ああ」

 

 先が見通せぬほど暗く、深い、地の底にあるがらんとした空間。

 階段もきちんと補強はされていない土壁で、ダンジョンのようだ。

 ゆんゆんは敵探知・罠探知の魔法をより鋭敏に張り巡らすも、延々と下りていくこの狭苦しさと圧迫感は拭えず、いや増ししていく。

 

「『ティンダー』、『ウインドブレス』」

 

 とんぬらの指が動いて、初級魔法を唱えた。

 安心感を与える光に周囲が照らされ、ゆるりと風の通る感触が、肌に伝わる。どうやら入り口から新鮮な空気を循環させるべく、彼が風魔法を働かしてくれた。

 この些細な気遣いに、ゆんゆんはほっと表情を綻ばせる。

 

 ――大丈夫、とんぬらがいる。

 この手すりのない不安定な降り道を、ゆんゆんは頼れる彼の背に張り付いたまま階段を下りていく。

 そうして、この城の基盤よりも下、とても深い地下へと辿り着いた。

 

「足跡がある」

 

 火を灯す指先が示した足元、階段の終着地には何度も踏み固められた跡が生々しく残っていた。長い年月、ここを行き来していたと思しきその跡に、ゆんゆんは小さく喉を鳴らす。

 

「お天道様の目の届かぬ地下とは、如何にも謀を企み易い場所だな」

 

 その腹の底……どんな秘密があるか暴かせてもらおう!

 とんぬらは手元の火を地下天井へと投げるように飛ばし、照明(ランプ)代わりにこの地下空間を照らす。

 

 地下は地上よりも魔力が濃く、グレムリンなどの最下級の悪魔が湧いてくる。

 しかし、ここにあったのは違った。

 とんぬらが僅かに硬直するのが肌に伝わり、ゆんゆん自身も呻きを殺すのが精一杯だった。

 明るくなった視界に入ってきたのは、骨。この広い空間のそこら中に、大量の骨がばら撒かれていたのだ。

 それも一体や二体ではない。数十、数百にはなろうかという膨大な数の魔獣の骨。向こう先、見渡す限りに獣骨が転がり、足の踏み場さえない有様だった。

 

「……こんなものが城地下深くに眠っていたのか」

 

 と、とんぬらが低く呟いた。

 唾を飲み込んで、ゆっくりと瞳を動かし、とんぬらと同じ視線の先に合わせて見れば、そこには一際巨大な恐竜の骨――いいや、自身の気配を消せるくらいに大物が伏していた。

 

「嘘! あれって、まさか……!?」

 

「ちょっとこれは……洒落になってないな」

 

 まるで生きているかのように綺麗に残っている竜骨。けど、これは、みたいじゃなくて生きている。アンデッドモンスターにして、ドラゴンである大物。

 死竜のスカルドラゴン――!

 ゆんゆんが漏らした悲鳴をきっかけに、空間に異変が生じた。

 骨が揺れた。

 見えない糸に操られるかのように、それぞれが浮き上がり、竜骨へと張り付いていく。

 そうやって、次々と、肉付けしていくように寄り集まり、体積を増大させる。そして、頭蓋の奥で不気味な血の色のような赤い光点が点滅している。

 まずい。起きようとしている。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 死竜が完全に覚醒する前に早くここを避難しないと生き埋めになる。

 でもそれだけでなく、この事態を上に――謁見の間にいる人たちへ報せなくては巻き込まれてしまう。

 

 

 ――考えろ!

 一秒でも早く、この危機をあちらに伝えるには……!

 

 

 念話スキルなんて都合の良いものなんてない。この地下深くから叫んだって、声は届きやしない。なら、手紙でも飛ばしてみるか。いいや、配達員だってこんなところまでお世話しない。いや、ひとつだけ『テレポート』も使わず空間を超越する方法があった――

 

「くぅっ……! しかし藪を突いたのはこちらの責任だ! ――ゆんゆん! 頼みがある!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……俺は世間ではバカ王子と呼ばれているらしい。そうだな、俺は実にバカなことをしてしまった」

 

 謁見の間、王座に腰かけた王子が腹の底から吐露する。

 ……コイツはバカだが、どうやら本格的な悪人というわけでもないらしい。とんぬらが亡くなってしまったのを(普通に生還しているけど)真剣に悼んでいるのが見てわかる。

 王子とて男の子だ。とんぬらがアイリスとの立ち合いで実力を披露した時も唖然としながらも夢中になっていたように、“英雄”というのに憧れるし、崇拝するものだ。

 ふと王子は顔を上げ、

 

「政治にも関心を示さず、ギャンブルにばかり明け暮れているこのバカ王子を、あの道化師……お前の、宮廷道化師は助けようとした。……その借りを返すことはもうできないけど……」

 

 ぽかんとしている王女に、王子はようやく年相応の子供の顔で、ニカッと笑い、

 

「俺ともう一度ギャンブルで勝負をしないか? 今度はイカサマは抜きでな。その上で、この俺に勝つことができたなら……。俺は、『ベルゼルグ』が魔王を倒す方にベットしよう!」

 

「お、王子!?」

 

 宰相が悲痛な声をあげるが無視され、王子は散々苦汁を舐めさせられてきたカズマに見せつけるようにコインを取り出し、それを後ろ手に回し隠してみせた。

 そして、握った拳を突き出すと、

 

 

「――さあ、コインはどっちにある?」

 

 

 カズマは外す気がしなかった。

 迷わず、選んだ手を、開けばそこには、結構ノリのいい女神様を冠するコインがあって――――――――――――――――――ぽん、と(男性用)縞パンが現れた。

 

「は?」

「なあ!?」

 

 両国の友誼が固く結ばれた場面で、空気をぶち壊すぱんつ。

 王子も固まっているし、アイリスも何が何だかわからずじっと見ている。

 

「……? どうして、王子の手に下着が……もしかして、これは手品ですか?」

 

「い、いや! 違うこれは! 違うからな! 俺がやったんじゃないから!」

 

 アイリスの無垢な視線を向けられ、慌てふためくレヴィ王子。散々である。

 

(なんつうか……しまらねぇなオイ!)

 

 なんかもう申し訳なくなってきて、死んだフリした宮廷道化師(とんぬら)のことをネタ晴らししてやりたい衝動に駆られる。

 しかしよく見てみると、そのステテコパンツには、文字が書かれていた。

 

『ド  シ  ハ

 ラ  ロ  ヤ

 ゴ  ノ  ク

 ン  チ  ヒ

 デ  カ  ナ

 タ  ニ  ン』

 

 この中でただひとりカズマにだけわかる日本語のカタカナでそう書かれていた。

 

 

「ふんふん、『早く避難。城の地下にドラゴン出た』ね。なるほど………………――――って、ドラゴンが出るぞーーっ!!?」

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 あやしい瞳:ドラクエに登場する特技。主に敵専用技。神龍などが使ってくる。耐性や防護を無視して100%確実に眠り状態にする。

 

 カンダタハニー:ドラクエモンスターズより登場する三姉妹モンスターのうちの一体。カンダタの下で修業し、のれん分けしたという設定のカンダタレディースの中の次女。物騒なメイス二刀流で構える幼女な長女、内股のセーラー服姿のゴツい漢女な三女の姉妹の中で、鞭を持ったレオタードのセクシーな覆面の美女、と一番まともな容姿している。


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