この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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107話

「――めぐみん~~っ!」

 

 ある日、珍しくもひとりでゆんゆんが屋敷に訪れた。

 窓の向こうから見えるその姿は、肩をいからせ、歩く踏み足も強く高鳴らせ、それから目を紅く光らせているので大変荒ぶっていらっしゃるのがわかる。

 今日はクエストに行く気もなく、居間にパーティの面々が揃っており、お客人を歓迎するのは別に構わないが、ここはご指名が入っているゆんゆん担当の『アークウィザード』へと皆の視線が集まった。

 

「呼ばれてるぞーめぐみん。出てやらないのか」

 

「面倒な予感がしますのでこのまま居留守にしませんか」

 

「めぐみん~~っ! いるんでしょ、ちょっと話を聞いてよーー!」

 

 カズマ、アクア、ダクネスの無言の圧力を受けて、やれやれと立ち上がるめぐみん。

 

「わかりましたよ。未だにぼっちを拗らせている娘がこうも人の家に押しかけてくるのですから、どうせとんぬら絡みのことでしょう」

 

 以前に写真(グラビア)撮影に照れて避難した一例を思い浮かべば、その推理の説得力は増す。というかそれくらいしか考えられない。この手の相談が遠慮なくできる相手というのがめぐみんくらいなゆんゆんにとって、この屋敷は駆け込み寺みたいな感じになっている。

 

「おー、いらっしゃい、ゆんゆん」

 

「お邪魔します、皆さん。あの、これつまらないものですが皆さんでどうぞ」

 

 やや暴走がちのようだがそれでもしっかりと土産を欠かさず持参するのは律儀なのか遠慮なのかはさておき。

 籠一杯の果物の詰め合わせを渡されたところで、出迎えて案内しためぐみんが、ぶっきらぼうに、

 

「それで何ですかいきなり来て。こっちにも予定があったりするかもしれないんですから」

 

「そ、そうよね。友達の家に訊ねるときは三日前くらいから約束してないと……」

 

「いいからさっさと本題に入ってください」

 

 めぐみんが促せば、ゆんゆんはゴクリと息を呑む間をおいてから、胸に手を当てて大声で問うた。

 

 

「私! とんぬらのお嫁さんよね!」

 

 

 何を今更言っているんだろうこの娘? とその場の全員の思いが一致した。

 ぎゅっと拳を作っている仕草からもゆんゆんが精一杯に訊ねているのはわかる。でも、これまでのケースから渋いお茶が欲しくなる展開になりそうだ。お茶うけに甘菓子が出てくるわけでもないのに。

 して、学校時代からこの手の問題に付き合わされてきためぐみんはこの時点でジト目、今にも匙を投げたそうな面倒臭げな雰囲気を醸し出しているが、適当に相槌を打って、

 

「いえ、まだあなた達は結婚しているわけではありませんし、ゆんゆんは嫁ではないでしょう」

 

「そ、そうなの!?」

 

 ズバッと至極冷静に指摘した。

 おい、何でそこで否定しちゃうんだよお前は! もう確定済みなことなんだから肯定してやってもいいだろうが。じゃないと話が面倒な方向に転がるぞ。主にとんぬらが苦労する方向に。

 

「うん……でも、そうよね。指輪をもらって、許嫁として認められて、告白……プロポーズされたけど、籍に入ってるわけじゃないし、お嫁さんは早過ぎかしら……?」

 

「そうですよ。ゆんゆんはただでさえ重い女なのですから、そんな早とちりをされるととんぬらもプレッシャーを感じてしまいますよ」

 

「重い女!? えっ、私、そんな風に思われてるの!!?」

 

 ゆんゆんがこちらにも視線を振ってくるが、明確な発言はしないでおいた。が、同郷の親友に対し遠慮もなければ容赦もない里随一の天才はズバズバと言う。

 

「ええ、ゆんゆんは重いですよ。どこからどう見ても重い女です。ほら、ゆんゆん自身にも心当たりはあるでしょう?」

 

「えと、そんな催促はしてないつもりなんだけど……とんぬらが成人してから、それとなく部屋に結婚情報誌を置いてたりするのは……重い?」

 

 あー、それ重いなあ。男性的な意見からして、とんぬらに結構な圧力がかかっていると思うぞそれ。

 と口にはしないが顔には出てしまうカズマ。それをめぐみんが目敏く、

 

「ほら、カズマの引いた顔を見てみなさい。ゆんゆんのアプローチは男の目から見て重いんですよ」

 

「おいめぐみん……! い、いや、ゆんゆん、そのだな。とんぬらはちゃんと考えてると思うぞきっと」

 

「カズマ、この夢見がちな娘に慰めは不要です。だいたい、まだ若いんですから。仲間以上恋人未満の関係に落ち着くのが適切なお付き合いというものです」

 

 チラとこちら(カズマ)の方に一度目配せし、私情を入り混じりながらもゆんゆんに持論を説くめぐみん。

 しかしすでに恋人同士(バカップル)と『アクセル』で周知されているゆんゆんからすれば、そんなランクダウンは願い下げなんじゃないだろうか。

 この発言に当然不服ありなゆんゆんは、む、と眉を寄らせ、いつものライバルに張り合うような調子でこれまた持論を突き付ける。

 

「でも、十四歳からでも結婚できるし、私ももうすぐ十五歳になるんだから! ちゃんと結婚のためのお金だってとんぬらと二人で貯めているし!」

 

「……まあ、そうムキになるなゆんゆん。めぐみんの意見もあながち間違いではないはずだろう? 確かに十四からでも結婚できるが、成人してからすぐに結婚はいささか駆け足ではないのか。ここは少し落ち着いてだな」

 

 とそこで、ダクネスがめぐみん側に立って宥めようとする。……何だかその表情が微妙に目線を逸らし気後れがちになっているのが気にかかるが。

 

「なあ、ダクネス、お前って貴族的には行き遅れがちになってるから焦ってるの?」

 

「は、はあ!? いきなり何を言うんだカズマ! 私は別にそんなつもりじゃ……ちゃんと、ゆんゆんのことを考えてだな! ほ、本当だぞ! 本当だからな!」

 

 図星だったのか、しどろもどろになりながら弁明するダクネス。

 で、ここにきて、何やら考え事(どうせ深くもないだろうが)しているかのように、うんうん目を瞑りながら唸っていた水の女神様が口を開いた。

 

「私は、二人の気持ちさえあればそれで良いんじゃないかと思うわ」

 

「アクアさん!」

 

 悩める少女がやっと見つけた光、賛同者の到来にぱぁっと表情を明るくするゆんゆん。そんないたいけな少女に、アクアは厳かに、

 

「自分を抑えて型通りに生きても、明日のことはわからないんだから、やりたいと思ったことをやるべきなの。そう! 思い立ったら吉日よ!」

 

「アクアさん、ありがとうございます! 私、もっと自分に素直になりたいと思います!」

 

「でもね、やっぱり、夫婦になるなら宗派は同じにした方が上手くいくと思うの。人生の節目になる冠婚葬祭でとっても重要な事だしね。だから、ゆんゆんもアクシズ教に入らない?」

 

「おいバカ止めろ駄女神」

 

 引っ叩いた。

 

「何すんのよカズマ! 女神らしく迷える人の相談に乗ってあげてたのに!」

 

「チョロいゆんゆんを勧誘しようとしてただろお前」

 

 だいたい、とんぬらはアクシズ教じゃないと公言している。

 門外顧問と言う問題児集団処理係に任命されちゃっているとんぬらからすれば、ゆんゆんにアクシズ教に入られるのは大反対間違いなしだ。

 そんなアクアを叱るカズマを傍目で見やりながら、めぐみんはゆんゆんへ見せつけるよう溜息を吐いてから、

 

「訊かないと話が進まないみたいですね。それで、今回は一体何があったんです? あんなお嫁さん発言(バカげたこと)言っ()てくるのですから、何か原因(りゆう)があるのでしょう?」

 

「うん、めぐみん、実は……」

 

 とゆんゆんが打ち明ける前に、その“答え”の方からやってきた。

 

 

 ドンドンッ! と扉がノックされる。それは会話を中断させるほど大きなもので、手ではなくおおきづちでドアを叩いているのではないかと疑ったほど強い力。

 せっかく相談に乗ったのに説教されたアクアはいじけたようにゼル帝(ひよこ)に構い始め、ダクネスはさっきからグダグダと言い訳をしていてちょむすけぐらいしか聞いていない。めぐみんとゆんゆんは言わずもがな討論中だ。

 仕方がない。扉を壊されてはたまらないし、かといって他に出られる者がいなさそうだから、カズマが接待に応じることにした。

 

「はーい、どちら様ー?」

 

 鍵を開けると、そこには白髪ツインテールに、リボンのように猫耳が生えた――そして、背よりも大きなバトルアックスを持った――美少女がいた。

 最初、軽く首ちょんぱできそうな物騒な斧に目を奪われ腰引けたが、わずかに視線を逸らせば、この『アクセル』にてアイドルとして一世を風靡した獣耳娘である(格好は何故かサイズの合っていないぶかぶかな男物のシャツとズボンであるが)。そう――

 

「なんだとんぬらかよ。脅かすんじゃねーよ」

 

「ちがう」

 

 と思いきや、否定された。

 ……ああ、そうだった。首を捻りかけたが、この姿の時はちゃんと区別してやらないとならなかった。

 

「ヒミコ」

 

「ちがう」

 

 あれ?

 自信があった二度目の誰何も間違えた。これにはカズマも首を捻る。そもそも、だ。とんぬらは、あまりこの女装(すがた)をするのを好ましくないというか、散々職場の上司(マネージャー)に弄られたトラウマも相俟って精神的負担が半端ないはず。またここに来るまでそんな変装する必要性もない。

 

「私……ドランゴ……」

 

「何、新しいキャラづくりか?」

 

「ちがう。……仮面の人間が名付けてくれた。ギルルル」

 

 低く唸り、半目に眇められた瞳がギラついて物騒な光を放つ。

 カズマとしては特別馬鹿にしたつもりはなく質問だ。して、ここにきて、“え? これってとんぬらじゃないの?”と疑心を抱いた。かといって、状況を全部把握できたわけではない。

 

「あー!!」

 

 とそのとき、声が上がった。

 振り返れば、何か気になる気配を覚えたのか、様子を見に来たと思われるめぐみんたち。そして、ゆんゆんがこのドランゴ?を指差し、大声を上げていた。

 

「どうして、ドランゴがここにいるの? 私、出かける前にちゃんと家で留守番してるようにって」

 

「ゆんゆん……ごはん……お腹空いた」

 

「それはちゃんと作り置きしたのがあったでしょ」

 

「足らない……もっと、おかわり」

 

 そういや、そろそろ昼飯時だったっけ。

 なんて横道にそれるようなことをふと考えて、思いつく。何だかこれはもう無視できないところまで巻き込まれてるっぽい。

 それに、あのゆんゆんが、ああも強く出るというのも珍しくもあり、折角なので、

 

「なあ、昼飯作るがお前らも食ってかないか」

 

 

 ♢♢♢

 

 

『い、いいんですか!? でも家でご飯一緒に食べるとかもうそれって家族みたいなもんだし何だか悪い気がするって言うかこの子が催促したみたいで作ってもらうのは私が悪いですしカズマさんごめんなさい、でも友達の家にいきなり訪ねて来たのにご飯まで頂いちゃうなんて本当にいいのかなってあっでもいやとかそんなんじゃなくてもちろん凄く嬉しくて』

『うるさいですよ、たかがご飯食べるぐらいで何をそんなに興奮しているんですか!』

 

 早口でソワソワするいつものゆんゆんにめぐみんが叱る中で、土産もいただいから遠慮はするなと言い、台所へ。

 そうして、食事の席で自己紹介――

 

「私……ドラゴン」

 

「はい。この子はこの前のクエストで戦ったら、懐かれちゃったと言うか……」

 

 簡単にまとめると、ダストとリーンの急援で手伝ったクエストにて遭遇し、そのまま仲間にしたと。

 

「ドラゴンと言うがその姿は一体?」

 

「とんぬらが……人化の術……教えてくれた」

 

 曰く、ドラゴンは上位種となれば人化の術が使えるそうだ。

 ドラゴンのまま人通りを歩かれると大変なので、とんぬらが変身魔法の指導をし、魔法植物に詳しい宮廷魔導士レインの伝手で手に入れた『理性の種』を与えたところ、この人語は解するが若いドラゴンにも本来上位種しかできないはずの人化の術(どうやら獣人娘(これ)限定だが)ができるようになったという。

 

「あの猫耳フェチは……また所々に自分の趣味を入れてきますね」

 

 猫耳氏子をされた経験のあるめぐみんが、鼻を鳴らす。

 後に指導者(とんぬら)自身より言い訳として、『完全な人化の術よりもある程度獣性を残した獣人の方が修得させ易かった』と語られる。

 

「でも、変身はできてるみたいだけど、なんか格好が変じゃないか? ちぐはぐっつうかあってないというか」

「そうなんです! そこなんですよカズマさん!」

 

 ふとカズマが口に零した疑問にゆんゆんが食い気味に反応する。

 話を聞くところ、このドランゴは一応メス、女の子だ。でも、今、来ているのはスカートでもなく、シャツとズボン、それもおそらく男物でサイズもあっていないぶかぶかの物。服装のセンスは普通だと思うカズマにもこれは変に見える。

 

「とんぬらが人化の術を覚えさせられたから、今度は私がドランゴの服を買ったんです。ちゃんと女の子の。なのに……」

 

「こっちが……いい」

 

 ゆんゆんが見繕って購入した衣服はお気に召さなかったようで、それで着ているのは、男物。つまり――

 

「……小説で読んだのと同じ……私だって一回しか……我慢してたのに……! むむむ~~~っ!」

 

「この服……仮面の人間の……匂いがする。ギルル…ン♪」

 

「~~~っ!! 私だって、とんぬらの彼シャツしたことがあるから!」

 

 すんすんとぶかぶかなシャツの襟もとに鼻を近づけ嗅ぐドランゴに、ゆんゆん、おかんむり。

 どうやら、仮面の人間こととんぬらの服(着れなくなった古着)をドランゴは着ているようだ。

 

「とんぬらは『できる限り配慮すると言ったし、服くらいなら自由にしてもいいんじゃないか。どうせこれもう着れる大きさじゃないしな。こういうのも自我を育てる一因になるだろ』って許しちゃうし!」

 

「ま、まあ、ゆんゆん。服くらいでそういきり立つなって。確かにだらしない格好してるけどそれほど変なもんじゃないんだし」

 

「そういう問題じゃないんです!」

 

 ここは一男性としてとんぬらの側に立って兄ちゃん弁護してやろうとしたが、ゆんゆんの真っ赤な剣幕にあえなく口を閉ざす。

 ゆんゆんの主張もわからなくはないのかめぐみんやダクネスも頷きを見せている。

 

「とんぬらが許しちゃうから、ドランゴ――」

 

 お、おい!?

 いきなりゆんゆんがドランゴの背後に回るや、そのベルトもしていないゆるゆるなズボンを引き下げた。

 これに一応見た目は美少女であるから、カズマは慌てたのだが――目に飛び込んできたのは、ややがっかりするものだった。

 

「ぱ、ぱぱぱんつまで一緒に! これ、許せませんよね!」

 

「うん、これはあかん」

 

 女の子のパンツじゃない。最初は短パンかと思ったが、それはトランクス、男性用下着だった。

 

「とんぬらはぱんつまで許したのか?」

 

「違います。これはドランゴが勝手に!」

 

「仮面の人間……自分の服……着て良いって言った」

 

「だからって……! その気持ちはわかるけど……! ぱんつはダメよ!」

 

「わかるんですか。気持ちがわかるんですかゆんゆん。あなたも変な方向に行っちゃっていませんか?」

 

 ドランゴに羨ましそうにするゆんゆんに、めぐみんは珍しく心配を表に出す。

 しかしなるほど、ゆんゆんがこの屋敷に来た理由はこれなのか。とんぬらのを勝手に着ていくドランゴに、ゆんゆんは大いに不満。

 

「仮面の人間……私のもの。ゆんゆん……しつこい……ギルル」

 

「いいえそれは絶対に違うから! とんぬらは私のだから! この泥棒ドラゴン!」

 

 プイっと顔を背けるドランゴの態度に、目を真っ赤にしてカンカンのゆんゆん。

 すでにカズマたちは蚊帳の外。この修羅場を第三者に仲裁するのは無理だ。

 いくらなんでも流石に下着にまで手を出されるのは断るだろうし。

 

「……で、渦中のとんぬらはどこで何してんだ?」

 

「ああ、とんぬらなら今頃、仕事だろう」

 

 とダクネスが――

 

「て、何でダクネスがとんぬらの行動を把握してんだよ?」

 

「あ、それは……」

 

 言い難そうに口をもごもごさせるダクネス。

 ……え、何この反応。対岸の火事かと思ってたら、こっちにも火種があったのか!? 昼ドラのようなドロドロの展開が水面下で一体どれだけ繰り広げられているんだ!?

 

「これはショックだ。ダクネスともいい感じだと思ってたのに……」

 

 しかし何だこの興奮は。

 ひょっとして、これが寝取られ? まさかこんな属性を抱えていたなんて……

 

「まったくあの紅魔族随一のプレイボーイはこう問題を……これはいっぺん爆裂魔法をブッパなしてやりましょうか」

 

「いや、違うぞ!? 変な事じゃない! カズマもめぐみんも勘違いするな! とんぬらにはその、私から仕事を頼んでいてだな!?」

 

 とこちらにも飛び火して騒ぎが更に燃え上がろうとした時だった。

 

「人化の術……だるい……解いていい?」

 

 とドランゴがぽつり。

 変身に魔力を使うし、小さくなるのはどこかかったるい。人目がつくところでは人化を心掛けているが、どうやらここは家とかと同じでさほど気を遣わなくてもいい場所なのだとドランゴは判断した。

 なので、窮屈さから思いきり背伸びするような感じで――

 

 パンッ、と屋敷の居間に現れたのは、恐竜。その大斧に見合う2m級のドラゴンだ。

 正体を目の当たりにし、話の通りに本当にドラゴンだったことに、カズマたち一同驚愕。アクアが育ててるひよことは違う、本物のドラゴンだ。

 

「き、きつい……やぶれる……――あ……服が……」

 

 で、変身が解けた途端、二倍以上の体格に化け(もどっ)たせいで、身に着けていたぶかぶかのとんぬらの古着――その下着に至るまで――全部が弾け飛んだ。

 

「あ、これはまずいですよ」

 

 そして、ひらひらと舞い散る千切れた布切れを握り取った拳が、プルプル震えている、ゆんゆん。

 

「とんぬらの……ぱんつ…っ! 私が……洗濯した……ぱんつが……っ!」

 

 いち早く察知したのはめぐみんだったが、これはカズマにもわかる。あかん。普段大人しい人間ほどキレた時は凄まじい。

 

 

「もおおおおおお! 表に出てっ! どっちが上か決闘を挑むわ!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「では、いただきます」

『いただきます!』

 

 『アクセル』の街の外れにある小さな孤児院。

 その談話室で食器を並べて唱和する子供たちと、とんぬら。

 

 今日、魔法関連の特別講師として招かれたとんぬらは授業をし、そのままの流れで一緒に『給食』をいただいていた。

 エリス教徒らとともに用意したメニューは、パンにカエルの竜田揚げ、キャベツの千切りとそれからチーズ。高価な高経験値食材はないが、この駆け出し冒険者の街で採れてそこそこ経験値が取れる食べ物だ。

 そして、孤児院の子供たちだけでなく、普通の家庭から通っている子供たちも一緒。

 同じ釜の飯を食うのも良い経験になろう。好評であるなら続けたい。ただ今回は実験的な試食、授業の一環であるため食費を取らないが、続けるのなら親御さんたちからいくらか給食費をいただくつもりだ。それでも普通の昼食代よりは安くできるよう、エリス教徒のマリスやセリスさんたちと相談し、工面はするつもりだ。

 なので子供たちにはこの『給食』の評判を親たちにも話してもらいたいとも思っている。

 

「とんぬら先生、おかわりしてもいいですか!」

 

「ああ、構わないぞ。ただ数に限りがあるから、他に欲しい子がいるのならその子たちと相談して分けるんだ」

 

「はーい!」

 

早速自分の分を平らげた子供たちが余り物にわらわらと集まる最中、小さく、けど確かに掛けられた声。

 

「あの、お師、先生!」

 

 子供たちの中でひとり目立つ金髪の少女は、シルフィーナだ。彼女もまたこの孤児院の寺子屋へと通っている。貴族ではあるが、ダクネスの計らいで同じ年頃の子供たちと過ごせるようにと通っているのだ。

 

「どうしたシルフィーナ。あー、もしかして、舌が合わなかったか?」

 

「いえそんなことはありません! 『給食』美味しいです! こんなにたくさんの人、皆とご飯を食べるのは初めてで……」

 

「そうか。それはよかった」

 

 感想を伝えてくれる少女に微笑みかける。すると、シルフィーナを皮切りにして、他の子供たちも来ていた。そのうちのひとり――見れば孤児院の子――が、申し訳なさそうに、

 

「でも、こんなご飯、僕達が食べてもいいんですか? そのお金は……」

 

「何遠慮することはない。皆といっぱい食べて、いっぱい遊んで、いっぱい勉強して頑張ってもらわないとな。国の将来を担うのはここにいるお前たちなんだから」

 

 くしゃりとその子の頭を撫でる。

 

 子供、かぁ……。

 正直、とんぬらは自身が親からまともな子育てをされていないことを重々に承知しているため、接するに不安がある。だから、あまり自覚していなかったが、この最近教育に関心を持ち、こうして先生役を請け負っているのは、言っては何だが“練習”も兼ねているのかもしれない。

 

(まあと言っても、まだ大人になったばかりで子供と変わらないんだろうがな)

 

 く……っ! と思わず気が早い自分に苦笑するとんぬらは、なんだかんだでうまくやれていることに少し自信がつく。

 それもそのはずか。

 なんせここにいる子供たちよりもヤンチャな連中を面倒見てきたのだから――

 

 

「――さあ、可愛い可愛いロリっ子たち! アクシズ教プリースト、セシリーお姉ちゃんが来たわよー!」

 

 

 主にアクシズ教という集団の。

 

「また来たんですかあなたは! もうこの孤児院には来ないでくださいと何度言ったらわかるんですか!」

 

「エリス教徒め、こんな可愛いロリっ子たちを独占するとは大罪よ! 私だって愛でたい! ほら今日は『給食』っていうからアクシズ教も特産品『アクシズ教団のアレ』を差し入れしに来たの!」

 

「それはご禁制の品のところてんスライムじゃないですか!」

 

「おっと違うわよエリス教徒。これは愛と勇気の味方ホイミンマンが身を切って作ってるこれは安全基準を満たし、ご禁制ではなくなったの。しかも調理法も水に溶かすだけで、ちゅるんと元気百倍! とろとろでぬるぬるなのが子供たちの小さなお口に一杯に!」

 

「ダメです! とにかくダメです! あなた方アクシズ教が子供たちに関わるとどんな悪影響が出るかわかりません!」

 

 エリス教徒のセリスとマリスが子供たちの視線に触れないように立ち塞がるのだが、アクシズ教徒のアグレシッブさはその程度じゃ止められない

 

「それにエリス教が用意した食料じゃ子供たちは育たないわ! ほら、エリス教徒の出す食事じゃ、胸パッドプリーストのようにたんぱく質が足りなくて胸が大きくならなくなっちゃう!」

 

「お、おのれ、背教者め言わせておけば!」

 

 まったく。

 エリス教徒とアクシズ教徒は水と油。女神同士は先輩後輩の関係だと話に聞いているのに、信徒らは顔を合わせるとこうなる。

 喧嘩をし始めそうな両者の間に割って入り、とんぬらは嘆息して、注意する。

 

「食事中に騒ぐようなら廊下に立ってますか、聖職者の方々?」

 

 これにエリス教のプリースト二人セリスとマリスはアクシズ教のセシリーと同レベルに身を落としたのが恥ずかしくなったのか、カアッと顔を赤くする。子供たちの視線も集めていることもあって、穴があったら入りたい、むしろ進んで廊下に出たいくらいだろう。

 

「うっ……。は、はい。お騒がせしてご迷惑を。お恥ずかしいです……」

 

「やーい、怒られてやんの! エリス教徒に反省させるとは流石ぬら様です」

 

「セシリーさんにも叱ったつもりなんだが」

 

 トップの最高司祭が変態師匠(ああ)だからアクシズ教徒は信徒全員、反面教師にしかならないんだろうか。

 だがしかし、

 

「とりあえず、このところてんスライムは一品に加えても問題ないと思いますよ。デザートにちょうどいいんじゃないんですか」

 

「え……でも、ご禁制の品じゃ……」

 

「あなた方の気持ちもよくわかる。アクシズ教徒は悪影響を及ぼすんじゃないかと心配するのは当然だ」

 

「ぬら様!?」

 

「でも、アクシズ教の特産品の品質は確かだったりする。飲める洗剤だとか食べられる石鹸だとか、おかしなところにこだわりをみせているんだが、これは誤って口にした、子供たちの誤飲に配慮されてのことなんだ。そして、こうも子供の口に入るものとして勧めてくるんですから、安全に自信がありましょう」

 

 太鼓判を押せば、先程過度に反対していたエリス教側も矛先を収めるようひとつ頷いてくれた。

 さて、今度はアクシズ教側。

 説教しても反発して逆効果なアクシズ教徒を、問答無用で追い出そうとするのは二流である。

 一流はこう捌く。

 

「そして、こちらアクシズ教『アクセル』支部長は、いたいけな子供たちに配慮して、自らここに赴いている。ご在知かもしれませんが、アクシズ教の男性聖職者は子供への接触禁止令が出されているので。教団の戒めを遵守し、上に立つ者ながら労を惜しまず……その敬虔な姿勢、ちゃんとわかっていますとも」

 

「うん、そうよ! これっぽっちもロリっ子のポイント稼ぎを独占しようとだなんて思っちゃいないわぬら様!」

 

「――じゃあ皆も、このアクシズ教のプリースト……のセシリーお姉ちゃんにきちんと差し入れのお礼を言おうか」

 

 と、とんぬらはシルフィーナら子供たちへお手手を合わせるよう促して、

 

「セシリーお姉ちゃん、差し入れありがとうございます!」

『セシリーお姉ちゃん、差し入れありがとうございます!』

 

「あっ、ちょっと待ってぬら様、こんなロリっ子たちから一斉に真っ直ぐな目で見られるとお姉ちゃん、何だかアクア様に懺悔したい気分になってくるから!」

 

 シルフィーナたちからの無垢な視線を浴びたセシリーが、身を抱きしめながら悶え、それからこのくすぐったさに耐えきれなくなったのか、逃げるように孤児院から走り去っていった。

 

「とまあ、アクシズ教徒は子供たちから普通に感謝されれば満足して退散しますから。大人たちが対応するよりも効果的です」

 

「流石、アクシズ教の門外顧問……アクシズ教徒の扱いを熟知しているわね」

 

「ねぇ、やっぱり名誉エリス教徒の話受けないかしら? きっとエリス様も喜んでくれると思うわ」

 

「そんな揉め事処理屋は勘弁願いたいんですが」

 

 わりと真剣に勧誘されつつ、とんぬらは特別講師の任を全うして――

 

 ………

 ………

 ………

 

「――フハハハハハハ! わんぱくなガキどもよ、今日も健やかに励んでいたか? 我輩が迎えに来てやったぞ! さあ、我が仮面に触らせてほしいものはきちんと並び……。おや、今日は竜の小僧もいるではないか!」

 

 授業が終わり、軽く子供らと遊んでいると、高笑いと共にやってきたのは、白黒の仮面の大男。地獄の公爵にして元魔王軍幹部な、店長よりも実権を握っている魔道具店のマネージャー・バニルである。

 その職場の上司が、交流を経て360度隈なく幼子らに囲まれているとんぬらを見て、ニヤニヤと含む笑いを作り、

 

「モテモテであるな、竜の小僧よ。いつもは我先に寄ってくる我輩のファンを奪ってくれるとは。汝のような大人から子供まで、はてはドラゴンにまでコナをかけて誑し込むプレイボーイには、女難がお似合いである」

 

「おいやめろよあんた。そんな言い方されると勘違いされるだろ。これは純粋に慕われているだけだ」

 

 未来視もできる全てを見通す悪魔が言うと縁起でもない。ぜひそのような発言は慎んでほしい。

 ひょっこり腰回りに抱き着いているシルフィーナを撫でながら、とんぬらがそう反応すれば、あっさりとバニルは引いてみせる。

 

「ふっ、小僧がそういうのならそういうことにしておいてやろう。あの元カリスマ店主も周囲からの好感にとんと疎いヤツであったからな。今では売れ残り店主であるのを嘆いているがな」

 

「マネージャーの夢のダンジョン建設のために頑張っているウィズ店長を売れ残りとか呼んでやるなよ」

 

「おお、そうである。“売れ残り”とは縁起が悪い。ただでさえ売れん不良品ばかり仕入れるのであるからな! よし、行き遅れ店主としておこう!」

 

 違うが、もういい。このマネージャーの店長に対する遠慮のなさ、ブラックさは今に始まったことではない。

 

「それで、マネージャーは今日も通学の警護か。カジノ店も運営しているというのに、よくそんな余裕があるもんだ」

 

 魔道具店にカジノと二足草鞋ながら、ご近所付き合いも怠らない。カラススレイヤーとして奥様方には感謝されているし、時々、ギルドで相談屋している。それで通いの子供たち(将来のご飯製造機)のお守もしているのだから、勤勉だ。

 

「なに、これも竜の小僧のおかげよ。汝が我輩の絡繰りに必要な死竜の骨を狩ってきてくれたのだからな」

 

 かつて、水の女神がぶん殴って、壊してしまったカジノディーラを務める『ジャッジ』と言う魔界の魔道具。これの材料に死竜の骨が必要だったのだが、それがちょうど『エルロード』にて大量に狩猟できたのである。言わずもがな、あのスカルドラゴンだ。

 その竜種最硬であるブラックドラゴンの骨で修復された審判機械は、水の女神のワンパンチをも跳ね返す程にパワーアップしたという。

 

「それに、遺跡で見つけてきたという掘り出し物の絡繰りも中々に使える」

 

「ああ、メイドの……」

 

 クリス先輩と探掘したダンジョンで見つけた、メイドロボ(ドS仕様)……一応、魔道具店に持ち帰ったんだが、当然、売り物としておけるわけがない。そこで目を光らせたマネージャーが、“労働力として動かせるのならカジノ(こちら)でいただく”といい、今ではカジノの警備として納まっているのだそうだ。

 

「我輩のカジノで不正を働いた輩を、生かさず殺さずに、いい感じに辱めてくれるからな。ほとんどの攻撃技が必殺仕様の我輩ではこうも上手くはいかぬ」

 

 これは早まったか。この正真正銘悪魔であるマネージャーに渡さず、店の蔵にでも封印しておいた方がこの街も平和に――

 

「しかし、この街の男どもは、サキュバスに鍛えられているからな。中には我輩の好む悪感情(あじ)ではない喜びを出すのもいるのが少々残念である」

 

「なんかもう手遅れだな色々と」

 

 あわや調教されかけたとんぬらとしては、理解できない領域だ。どんだけアブノーマルなのだこの街は。前々から思っていたが、あのアクシズ教の総本山がある『アルカンレティア』にも負けないほど魔境なのかここ?

 

「そう言えば、竜の小僧、以前、我輩が言ったことを覚えているか?」

 

「色々とあるが、正直、マネージャーとの記憶(はなし)は一言一句あまり思い出したくないものばかりなんだが」

 

「かつて、貴様がバイトをサボり、牢屋に捕まっていた時、首輪(かせ)をしている姿は未来を暗示しているようだと言ったであろう」

 

「ああ、天気の話をすれば『今日も私は幸福です』としか返さない、相当追い込まれた――って、その話、冗談じゃなくて本気なのか!?」

 

「うむ、汝の嫁に絡繰りも真っ青な徹底管理されることになるかどうかは、竜の小僧の選択次第である。きちんと考えてやらねばそうなるやもしれんぞ」

 

 余計なお世話だと言ってやりたいが、このすべてを見通す悪魔の忠告ともなれば否が応にも注意せねばならない。

 

「我輩としても折角の星五つ認定の感情が摩耗されてしまうのは望まぬ。小僧にはこれからも我輩に美味しい新鮮なご飯を作ってもらうつもりであるからな! 実は汝ら紅魔族の中に悪魔使いの才能のある娘子に喚び出されそうな未来が視えたのだ。小僧とはご近所づきあいになりそうである!」

 

「なあっ……!?」

 

 なんてことだ。いずれは距離を置くことになるだろうと思っていたのに、まさか本当に“毎日お味噌汁(悪感情)を作る”ような破目になるのか!

 そちらの未来もぜひ回避できないかと検討したいところである。なんかもう手遅れな感が出てる気がしなくもないが……とにかく、悪魔使いに有望な紅魔族に、仮面の悪魔を召喚し得る触媒を持たせぬよう注意しておこう。

 

「おっと、そうだ、長い付き合いになることを祝してこれを授けよう」

 

 と望んでもない贈呈されたものは……この前のセール品、パンツだ。

 

「……おい、俺の長い堪忍袋にも限度があるからな。あまり弄ると竜の逆鱗に触れるのがどういうことか思い知らせてやることになるぞ」

 

「なに、これが今日のラッキーアイテムだ。隣国で面白愉快な呪いに見舞われて、それが解けたそうだが、しかしどうやら汝の運勢自体が相当破天荒である! フハハハハハハッ!」

 

 

 こうして、やけに強引にパンツを押し付けられたとんぬらが、バニルと手分けして通い子供たちを無事にそれぞれの家に送り届けてから我が家に帰ると……

 

「ダメッ! とんぬらのパンツは私のなんだからっ! 絶対に渡さないわっ!」

「ギルルル! ゆんゆん……けち……仮面の人間……私の!」

 

 自分の衣類を収納しているタンスの前でパートナーとドラゴンが睨み合う……なんか当人を差し置いて、家で争奪戦が発生していた。絵面からしてカオスである。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 翌日、とんぬらはめぐみんに屋敷(なんか庭の一部が焼け野原になっている)へ呼び出された。

 

「とんぬら、このぼっち娘はあなたのパートナーで、そこのドラゴンの飼い主はあなたです。何とかしなさい」

 

「何とかと言われてもだな」

 

「いいからするのです。じゃないと、喧嘩が勃発するたびにその周囲が大変な迷惑を被ることになります」

 

 確かに、この屋敷の庭や、結局破られた箪笥のパンツの残骸の山を見れば、めぐみんの危惧することもわかる。

 

「しかし、ちゃんと言ったぞ。別に俺の古着くらい好きにしても構わない。ただし、下着はやめてほしいと言い聞かせたぞ」

 

「ですが、そっちは納得していないのでしょう?」

 

「うん! 私が買ってきて用意した服があるんだからそっちを着るべきよ! わざわざとんぬらの古着をあげる必要はないわ!」

 

 気炎を上げるゆんゆん。どうやら昨日の一件でムキになってる感がある。

 “少しの譲歩もする気はない!”と目を真っ赤にした態度からもありありと伝わってくる。

 

「もう……破らないように……気を付ける」

 

「そうじゃないの、彼シャツはお嫁さんである私の特権なの!」

 

「ゆんゆん……嫁じゃ、ない」

 

 どうにかしろ、と同郷の少女(めぐみん)の口ほどに文句を言ってくる視線()が突き刺さる。

 とんぬらとしてもこうも両者が反発するとは想定外である。

 ドランゴに懐かれている……ダストのいう事じゃないが視線に熱っぽいのを感じることもある。ただまあ、オークとは違い積極的ではないので、身の危険までは覚えていない。そして、とんぬら自身に欠片もその気がなく、線引きはしている。いずれドランゴも自ずと理解して適切な距離感に落ち着くだろう。時間が解決すると構えているのである。

 ただし、ゆんゆんはそれが気に食わない。

 

 

「――わかったわ。ここは女神である私が公平に裁いてあげましょう!」

 

 

 とその時、困り果てた信者(とんぬら)を見かねて、声を上げたアクア。

 これに、一番付き合いの長いカズマ、それから同じパーティであるめぐみんとダクネスは眉を顰める。とんぬらもあまりいい予感は覚えない。だが、女神様は自信ありげに胸を張って、提案した。

 

「とんぬらの腕を一本ずつ持ち、それを引っ張り合いなさい! 勝った方の意見を認めるわ!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――大岡捌きかよ!

 この元日本担当の女神・アクアの提案に、カズマは内心ツッコんだ。

 こっちの世界じゃ知らないが有名な話だ。

 『私こそがこの子供の母親だ』という二人の母親が、子供を引っ張り合う。当然、引っ張られた子供はただでは済まない。たまらず『痛い、痛い!』と泣き叫ぶ。すると、その声を聴いて哀れに思ったか、片方の母親が手を離してしまう。

 引っ張り合いが終わって、勝った方の母親が意気揚々に“この子は自分の子供だ”と主張したのだが、そこで待ったをかける。

 『その子は手を離した方の母親のものである』、と。

 この判定に引っ張り合いに勝った母親は納得がいかず、食い下がるのだが、そこでこう言い返す。

 『私は“引き寄せた方が勝ち”などとは言っていない。それに本当の親ならば、子が痛がる行為をどうして続けられようか?』、と。

 これにぐうの音も出ず、一軒落着……とつまり、この展開に持っていきアクアは“なんて名裁きだ”と皆に言われて、ドヤ顔したいのだろう。

 すでにネタを知ってるカズマは、呆れ果てている。

 それに、だ。

 

「それじゃあ、私がよーい、ドン! って言ったら、スタートね! わかった?」

 

「いや、アクア様、これはいくら何でも……」

 

「大丈夫、心配しないで、私が名裁きと言うのを見せてあげるから!」

 

「とんぬら! 私、絶対に勝つから! 紅魔族の長となるものの力を示してみせるわ!」

 

「ギルル……ル」

 

「ふふっ、どっちも気合十分ね。でもこれは一筋縄じゃ行かないから! ――じゃあ、よーい、ドン!」

 

 して、アクアの合図に、(とんぬら)引きが開始――――早々に、宙を舞う。

 

「うおっ!?」 「きゃあっ!!?」

 

 そう。

 あの引っ張り合いは両者の力が拮抗していたから成り立った。

 だが、片方は超高レベルなれども非力な魔法使いであって、もう片方は人化の術で少女に化けているが正体は百(魔)獣の王たるドラゴン。

 純粋な力比べともなれば、結果なんてわかり切ったものだった。

 

「勝った……」

 

 ゆんゆんは根性でとんぬらの腕にしがみつくように抱き着いて離れなかったが、しかしその彼女ごと入れ食いで一本釣りしたドラゴン娘。こればかりは気合いでどうにかなるような力の差じゃなかった。

 

「あ、あれ……?」

 

「……それで、これはどうするのだ、アクア」

 

 見かねてダクネスが訊ねるが、なんか思っていたのと違うとアクアは二の句を継げずに戸惑っている。

 して、ゆんゆんから“子供(とんぬら)”を奪い取ったドランゴは、V字サインでピースして、

 

「これで……仮面の人間……私の」

 

「え、えっと、ちょっと待ちなさい! この勝負は、ゆんゆんの勝ちよ!」

 

「む……どうして?」

 

「それはね。引っ張られるとんぬらが痛いって叫んでるのに止めずに引っ張り切ったから」

「仮面の人間……痛いって言ってない」

 

 そりゃ、泣き叫ぶ間もなく決着がついたからな。

 

「で、でも、引っ張り合いになったら痛がるでしょ普通?」

 

「仮面の人間……丈夫……これぐらい平気」

 

 確かに、とんぬらは子供とは違って、ダクネスと我慢勝負で張り合えるくらいだ。

 

「そうですね。とんぬらの頑丈さは魔法使いなのにずば抜けていますから。この程度じゃ何とも思わないでしょう。それに、ゆんゆんも最後まで離しませんでしたし」

 

 めぐみんにも指摘されて、アクアは冷や汗がダラダラと。カズマ(こちら)に“フォローして!”と目配せされるが、こんなのどうしようもないだろう。

 

「えーっと、えーっと……ど、どうしようこれ」

 

 なんかもうグダグダ!

 『生兵法は大怪我の基』なんて言う格言があるがまさにその通り。駄女神は結局事態を余計にややこしく引っ掻き回しただけだった。

 して、勝利して大義名分を得てしまったドランゴ。

 

「じゃあ……ゆんゆん……仮面の人間から、離れて……」

 

「                        」

 

 ……こりゃ本格的にドラゴンステーキか? とカズマは遠い目。部屋でいきなりおっぱじめたら『逃走』スキルを働かせて屋敷を飛び出すけど、上級魔法で屋敷自体が全焼したらどうしよう、と。さりげなく距離を取りつつ不安げにゆんゆんの方へ、そっと視線を投げる。カズマだけでなく、めぐみんやダクネス、それからアクアも同じようにカズマに倣う形で視線を集めた。

 ゆんゆんは、唇を噛んで小刻みに震えている――が、予想外の展開が待っていた。

 

 

「ぐずっ……ひっく……」

「ゆんゆんっ!?」

 

 

 真っ先に異変に気付いたとんぬらが急ぎ駆け付ける。

 して、これにはめぐみんも唖然と言葉を失う。

 そう、泣いた。爆発しないで萎んでしまった。

 

「おい! これどうすんだよ駄女神?」

「これって私のせい……?」

「お前のせいだろ! よく考えないで変なこと提案したからカオスになってんだろ!」

「で、でも私そんなつもりじゃ……!? 本当よ、ちゃんと丸く収めるつもりだったの!」

 

 とんぬらにすら泣き顔を見られるのは癪なのか、ゆんゆんは両手で顔を覆ったまま蹲ってしまう。もう混乱は収まりようがなくて、ゆんゆんの口からは断片的な叫びが返される。

 

「もう、とんぬらが悪いッッッ!!」

「ええっ、俺が!?」

「とんぬらがあ!! だってとんぬらが今もおっ!!」

 

 ……今も。ちなみにこうしている今も(綱引き勝負からそのままなので)ドラゴン猫耳娘・ドランゴは勝利品たるとんぬらの腕を離すまじと引っ付いたままという意味なのだが、それで感極まって感情の制御を手放した。それもなんか結果的に綱引き勝負で負けてしまっているわけなので、気合い満々に勝利宣言したプライド的にどうしても注意できない。口にしたくない。しかしままならない乙女心は、八つ当たり気味にぶつけてしまう。

 

「とんぬらの浮気者!! わああーん!!」

 

 ……ということで、事態が収拾不能になったので、最も冷静なめぐみんの判断にて、ゆんゆんは落ち着くまでとんぬらから距離を置く、(アクアが引っ掻き回してくれた責任があるので)このまま屋敷でお世話することとなった。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 理性の種:ドラクエⅥに登場するアイテム。モンスターに化けてしまう男が、この種を薬にした事で変身能力を制御できるようになった。


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