この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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108話

「これが……カエルか……はじめて…見た……。ピョコピョコ……してるな……」

 

 

 人間より野生に生き、自然と身近な魔獣の方が環境に敏感だ。

 デュラハンの到来を逸早く察知したジャイアントトードが地中に潜んで冬眠が長くなるように、ここのところめっきりと出現率が減った駆け出し冒険者御用達のカエルモンスターは何かを暗示しているやもしれぬ。

 

 近頃のモンスターの大量発生がどうにも気にかかる。

 隣国に潜んでいた諜報部(スパイ)に“仮面の紅魔族は死んだ”と誤報を流させ、帰ってからはしばらく雪山に篭り消息を絶ってみせた。

 こちらの存在を魔王軍が警戒していたのならば、何かしらことを起こす可能性がある、と予想して。

 

 しかし、だ。『アクセル』には、己よりも危惧するべき彼女がいる。

 バイト先の店長にして、魔王軍幹部であり、最上級アンデッドのリッチー・ウィズだ。

 単騎で魔王城の結界を破って、魔王軍幹部を三体も圧倒してみせたその脅威。

 一応元幹部がもうひとり『アクセル』にいるが、魔王にも手の付けられぬ愉快犯はあてにはならない。ウィズもまた魔王攻勢に力を貸してくれるかと言えばあまり期待できないのだが、街を、冒険者ではない無辜の人々に手をかけるものなら彼女も黙っていない。それが『氷の魔女』が魔王と結んだ契約にして、彼女の信条。

 だから、派手な侵攻はないはず。一度、幹部のベルディアが軍を率いてこの『アクセル』までやってきたが、その時も最初はこの街を襲う気配はなく、近くの無人の廃墟となっていた古城を占拠し、派遣された目的――ミツルギ曰く“魔王軍の予言者が視た駆け出し冒険者の街に舞い降りた大きな光”――の調査していた。めぐみんが連日爆裂魔法を城にぶっ放さなければ、ウィズがいるとされる街まで出向くのは極力控えていただろう。

 

 であるから、警戒する相手(ウィズ)に気取られず密やかに外堀を埋めていく、“安易にレベル上げできる駆け出し冒険者たちの狩場環境を脅かす”侵攻が、この魔獣の大量発生かもしれない、と疑っている。

 この最近の魔物の大量発生は自然にか、それとも何者かが意図してのものか。存在感だけで魔物の群れを誘導してみせた上級悪魔アーネスの例があるのだ。もしかすると、『アクセル』にすでに幹部級の大物が潜伏しているかもしれぬ。

 

(というわけで、こうして死んだフリを止めて目立つ真似をしているわけだが)

 

 黒幕がいるのなら、こうして“死んだ”とされていたはずの仮面の紅魔族(とんぬら)が盛んにクエストに出ていれば、少しは動揺してくれる、また警戒を強めるだろう。

 『悟りの書』に記されていた『死んだ孔明、生ける仲達を走らす』とはやや違うがそれと似たような効果を狙ってみた。

 

(でもまあ、バイトを休んでクエストに出ているのは単にバイト先で顔合わせるかもしれぬ……というのも多少は理由に含んでいたりする)

 

 はぁ~~っ、ととんぬらは目の前を真っ白に曇らすほどなが~く息を吐き出す。

 現在、別居中……同郷のめぐみんより話に聞くところ働き者の彼女は、屋敷では主にアクアの小間使いのようなことをして、望めば際限なく甘やかしてしまうせいでいつも以上にだらけ切って困っていると愚痴られた。早くよりを戻しなさいと説教されたのだが、とんぬらとしても考えがあるのだ。

 確かに大泣きされたのは困り果てて弱ったが、しかしだ。一晩経って冷静になってみたが、ああも“浮気者”と叫ばれる筋合いはないはず。とんぬらも甘やかしすぎたかもしれぬが、だいたい最初はゆんゆんも親の顔さえ知らぬドランゴにとても同情的で励ましていたりもしたのだ。なのに、ああも手の平を返したように過敏になられては筋が通らぬ話ではないのか。……それに、これで謝ったりなんかしたらまるで自分が浮気をしたと認めたようで非っ常に癪だ。

 

(あー、でも、ちゃんと顔を合わせて話し合うべきだよな……しかし、何か向こうも避けているのかすれ違いばっかりで……めぐみんに場を設けてもらいたいが、十中八九めぐみんはそういうのを認めない、自分でやれと言われるだろうし……――はぁぁぁぁ~~~っ」

 

 と幸運も吐き出すかのような溜息が増えてきたとんぬらは、そこでいったん気持ちに切り替えるように頬を叩く。

 

「変異種の初心者殺しに新種の精霊と言い、ワシも含めて主は稀有なものばかり縁があるのう。ああも幼いのに人に懐くドラゴンとは珍しいわい」

 

 横で呆れを通り越して感心するかのような声を上げたのは、ゆるきゃらな牛顔悪魔。プオーンである。このクエストはここのところご無沙汰だった元大悪魔の経験値稼ぎも兼ねて連れてきている。

 

「まあ、竜使いと喧嘩別れしているドラゴンと言うのは初めて見るがな」

 

「余計な心配だ。破局なんてしてないしするつもりもないからな。それでだ。もう一度確認するが、留守中に不穏な気配は覚えなかったんだな?」

 

 とんぬらがその話題を避けるように強引に打ち切って問いを投げかければ、同じ答えが投げ返された。

 

「覚えぬ。ワシは主の家と魔道具店の狭い範囲にしか行き来しておらぬがな。しかし、街で強大な力を発せればその余波は感じ取れよう」

 

 それとなくプオーンに留守中の様子を探らせていた。

 正直、未だに素のステータスは低く、現状、低位悪魔以上高位悪魔未満の中堅どころ(当悪魔曰くレベルが50以上になってからが成長期本番)が、これでも元は準公爵級の大魔獣だった。強者の気配に敏いはずだ。

 

「プオーンが覚れぬという事は、街にはいないのかそれとも息を潜めているのか」

 

「少なくとも主の家の近くには来ておらんであろうな。力を抑えていようが直に視れば今のワシにもわかる」

 

「そうか」

 

 これ以上は材料が足りない。あまり憶測ばかりしてはかえって泥沼にはまってしまう

“向こうの出方を待つしかない”ととんぬらは結論付けて……といったんキリをつけてしまうと、思考がまた一周回って――

 

「……なあ、一応は当社に恋愛担当の神様として祀っていたんだから、現状打開するための助言とかないか?」

 

「そんなの主らが勝手に押し付けたもんだろう。人間の色恋沙汰など知らんわ。ただまあ、ワシを使役した初代は、連れに刺されて刃傷沙汰になったことがあった」

 

 それは不穏な未来を暗示するかのような託宣だ。

 『女と言うのは須らくパルプンテである』……『悟りの書』にも記されている。

 

 

 ――気を取り直して、クエスト。

 冒険者の気構えとして、モンスターを目前にして余計な事に気を囚われないように努める。とんぬらは意識を切り替えた。

 街から離れた草原には、中型の草食モンスターが多く生息している。

 ここに来るまでたった一匹しか遭遇しなかった通り、カエルが冬眠してあまりいないこの季節はこの草原地帯でのレベル上げが基本とされていた。

 もっともとんぬら以外に同業者と思しき人影はとんと見かけず、代わりに闊歩する牛と山羊を足したモンスターが視界を占領している。

 

「ビッグホーンが、『アクセル』の近郊にまで来ているとは珍しい」

 

 大きな巻き角を持つ草食獣は、食欲旺盛で、畑の作物も雑草も何もかも生えている物は根こそぎ食い荒らし、果ては植物系モンスターまで噛み毟る。そして、群れで行動し、その勢力は肉食の初心者殺しでも不用意に近づかないほど。

 

「でも、肉は旨い。経験値もそこそこ取れるし、シロガネ山では結構お世話になったな」

 

 このまま貪欲な装飾中の団体の侵攻を許せば、農家がビニールハウスを張って育てている作物にかなりの被害が出るだろう。それを阻止し、かつ、食料を確保するためにも、狩猟する。

 研ぎ直した刃先より冴えた光を放つバトルアックス。それをドランゴは構え、

 

「仮面の人間……あいつらを……狩るのか?」

 

「ああ。でも、ビッグホーンはおばけキノコも食らうせいか、その甘い吐息には催眠作用がある。ドラゴンと言えど不用意に吸うなよ。あの群れの中で寝落ちすればまず間違いなく助からんからな」

 

「……わかった」

 

 指示を出せば、短い、囁きのような声で応答、そして、とんぬらの横を突風が吹き抜けていった。

 まるで流星のように緑色の光の尾を引いて、斧持ちのドラゴンは草食魔獣の群れへと突貫する。

 

「駆け出し冒険者が相手するには強敵だが、やはり百獣の王たるドラゴンには敵わない」

 

 とんぬらの視界に映っているのは、竜の剛腕でもって振り切られた鉞の一薙ぎで、まず先頭の大羊牛の首を落とした光景だった。

 幼いとはいえドラゴン。ヒエラルキー的に下位になる草食獣では真正面からではまず太刀打ちできない。

 ドランゴに対し、ビッグホーンは集団で甘い息を吐き散らして、眠りに落とそうとするも、その吐息を上回る速度で走り抜ける。300mほどを瞬きの間に駆け抜け、跳躍。大羊牛の頭上へと回り込み、そして兜割りで両手斧を振り下ろして一刀両断。

 

「ほれ、早く行かないとドランゴだけに獲物を狩り尽されるぞ」

 

「わかっておるわい。新入りにデカい顔をさせんぞ、年季の違いというのを見せてやろう」

 

 そうして、プオーンを反対側より回り込むように参入させ、さながら牧羊犬で追い立てるかの如く、群れを無闇に散らさず逃がさず、ひとつにまとめるよう指揮しながらも、鉄扇を構えたとんぬらが、

 

「――『花鳥風月・水神の竜巻』!」

 

 芭蕉扇の如き蒼色の神風を扇ぎ放つ。風の精霊『春一番』を取り込んだ神業な水芸でもって、辺りに充満していた甘い息を一掃。激しく大気が攪拌されてしまっては、吐息の濃度も自然と稀釈される。これでは眠りに落とせそうにない。これにさらに間合いを詰められるようになった二体の魔獣が大羊牛の群体を更に一ヵ所に絞り上げ――

 そして、モンスターを上級魔法で一網打尽にする機会が整った。

 

「よし、ゆんゆん――」

 

 指示を出しかけて、とんぬら、歯噛みする。

 もはや共闘するのが当たり前となってしまったせいか、つい、口に出てしまった

 何を甘ったれているんだ自分は! ――そう内心、己を叱咤し、この好機を不意にしてしまう前にとんぬらは再度鉄扇を振るう。

 

「――『パルプンテ』!」

 

 虹色の波動が解き放たれて――パルプンテ……パルプンテ……パルプンテ……――と山彦が空しく響き渡った。

 

「ギルル…ル?」

 

 清々しいほどのハズレっぷりに、キョトンとしてしまうドランゴ。

 その残響を耳にしながら、振り切った姿勢のまま固まるとんぬら。……あれから、どうしても“雑念”が混じってしまうせいか、奇跡魔法が絶賛スランプに陥っていたりする。

 

「……ああもうっ! お前ら! 競争だ! 誰が一番狩れるか勝負するぞ!」

 

「主はもっとスマートじゃなかったのか!?」

 

「ムシャクシャして頭が思うように回らん! こういう時は体を動かすのが一番だ!」

 

 杖代わりの鉄扇を懐に仕舞って、腰に佩いた鞘から大太刀を抜き放つ。

 して、『アクセル』のエースは、魔法使いながらモンスターの群れに突っ込み狂戦士ばりの強硬策でもって、ビッグホーンの群れを狩り尽すのだった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「どうぞっ! ジャイアントトードの唐揚げとシュワシュワです」

 

「待ってました! もうお腹ぺこぺこで死ぬかと思ったわよ。というわけで、あーん」

 

「はい、どうぞ。あーん」

 

「あむあむあむ、ゆんゆんはあれね? 食べさせ方も天才的ね」

 

「ありがとうございます! ささ、シュワシュワもどうぞ」

 

「それにこのキンキンに冷えてるグラス!」

 

「はい、ちゃんとジョッキをあらかじめ魔法で凍らせておいてます」

 

「くうう! 毎度のことながらゆんゆんが注いでくれる冷えたシュワシュワが信じられないくらい美味しいわ! 細やかな心配りだけでなく、注ぐのにも匠のこだわりが光ってる! 手つきも慣れてるし」

 

「泡3のシュワシュワ7が黄金比率なんですよね。最近、晩酌したりするから覚えて……――はい! こちらもどうぞ!」

 

「唐揚げ! 外はサクサクで中はジューシー! これぞ至高の一品! 昨日の魚の塩焼きも絶品だったけど、ゆんゆんってすごく料理上手よね!」

 

「アクアさん、他にして欲しいことがあったら遠慮せずに言ってくださいね」

 

「そうね、じゃあ次はサラダをもらおうかしら」

 

「はい、どんどん食べてください。あっ、頬っぺたにソースが付いちゃいましたから、拭き取りますね」

 

「あ~、極楽極楽。もうこのまま一生甘やかされて生きていきたい~」

 

 ……見事なまでに甘やかしてくれていますね。

 めぐみん、目の前の光景に頭を抱えるように眉間を揉む。

 この状況はなんとしてでも打開せねばなるまい。しかし楽しそうである。ただただ締まりがないだけのダメ人間の見本であるアクアは言わずもがな、ゆんゆんも必要とされていて嬉しそうだ。

 甘えたがりのアクアに、世話好きのゆんゆんの相性はいいのだろう

 といっても、めぐみんからすればゆんゆんの喜びように染みのように滲む翳りがあるのが見て取れる。

 アクアに振る舞っているそれを本来、一体誰のために上達したのかは言うまでもない。

 なのでとっとと元鞘に納めてやりたいのだが、この面倒くさい娘は、『私がいなくても大丈夫よ。とんぬらにはドランゴがいるし!』とツンツン拗ねたり、『それにとんぬらに浮気者なんて(あんなこと)言っちゃったし……』とうじうじ後悔したり、と寂しかったり仲直りしたかったりするのにどうしようもない。まったくもって面倒くさいのである。

 

 それでとんぬらの方も、変に理論武装しているせいで、せっつこうにも『俺は悪くない。ゆんゆんは感情的過ぎる。頭を冷やしてから出ないとこっちの言い分は聞き入れてもらえん』と意固地になっている。泣かれたときは一番感情的に動揺したくせに。これまた面倒くさい男である。

 

『ねぇ、とんぬら、元気そう? 顔色、悪かったりしてない? ――もう、めぐみんったら、とんぬらの顔は仮面だけどちゃんと見ればわかるわよそれくらい。それで、ちゃんと野菜も食べてるかなぁ。あ、ほら、とんぬらって放っておくと肉ばっかり食べるから……面倒だけど、それとなく、とんぬらの食事状況を聞き出せないかしらめぐみん?』

 

『それで、めぐみん。ゆんゆんは屋敷ではどうなんだ? 友人の家だからって変に緊張して縮こまったりしてないか? ――ああ、うん。でもそれだけ一生懸命なんだよ。だから、こう、ひとりでやるのを見守っているけどいざというときはすぐ助けに入れる、……面倒な注文だが、そんな一歩離れたような立ち位置でフォローしてやってほしい』

 

 それでいて二人ともこっちに互いの近況を訊いてくるのだから、ああもう面倒くさいバカップルだ! そんなに気になるのなら自分たちで確かめ合えばいいのに!

 

 そして、ゆんゆんは客人であるのに只管働く。おかげでどんなに散らかそうが素早く片付けしてくれるので屋敷にゴミひとつ落ちておらず……で、アクアがこうもダメダメになってしまっている。そう、今のゆんゆんはダメ人間製造機である。

 

(同じバイト先の店で鉢合わせるかと思っていたのですが、互いの行動パターンを熟知し、位置を把握し合っているとんぬらとゆんゆんが両者ともに距離を取ろうと動いているせいか、相方が出勤する五分前に退勤しているというこれまた絶妙にすれ違っているとウィズも苦笑いしていましたね)

 

 まるで時計の秒針が二つあって、それらが異なる位置で同じ速度で進むので、追い越すことも追い抜かれることもなく、つかず離れず、重なり合うことがない。どちらかが立ち止まることがない限りは……

 

(もういっそ、別居中のゆんゆんを屋敷から追い出した方がいいかもしれませんね。そうすればとんぬらのいる家に帰るしかなくなる……いや、『テレポート』を紅魔の里に登録しているゆんゆんの事ですから、実家の方に行く可能性もありますね。そうなったらますます距離が……――ああっ! もう、面倒くさい! お互いにもっと素直になればいいんですよ!)

 

「――ったく、アクアもいい加減にしろよ。ゆんゆんは客人なんだぞ」

 

 こうなったらもう強引にでも……! とめぐみんが頭の中で強硬策を検案していたので気づくのに遅れてしまったが、どうやら同じく“このままではダメになる”と危うんだカズマとダクネスが、アクアとゆんゆんの前に立っていた。

 

「え~、もっともっと奉仕されたい! もっともっともっと甘やかされたい!」

 

「カズマさん、私は別に気にしてませんよ、アクアさんがご不満でなければこのままでも……」

 

「大満足も大満足、超満足よ! このまま一生を終えても悔いはないわ」

 

「いや、魔王を倒すのが目的なのだろう? ここで終えてどうする」

 

 ダクネスがたまらずツッコむも、アクアに小首を傾げられる。

 

「魔王? 誰それ?」

 

 うわー、ダメだ。もう女神の立場に戻る気すら無くしてるじゃないか……

 これにはカズマも軽く呆れる。というか、そもそもゆんゆんが別居してしまっているのも、アクアが余計なお世話をしてしまったからだ。いやこれでも最初は何かと――泣き目だったり荒ぶったりして常時目が赤かったのをビビりながらも――ゆんゆんに構って気持ちを盛り上げようとしてたみたいなのだが、いつの間にやらこうなっている。

 ゆんゆんからしても、動いて気を紛らわそうと夢中に働いているのだろう。で、それにアクアが甘えて駄女神となっているのが今の構図。

 

 これについにダクネスが、ひくひくと頬を引き攣らせるとおつまみの盛り合わせとジョッキが置かれたテーブルにバンと手を叩きつけた。

 

「アクアはあの手紙を見て何も思わなかったのか!」

 

 ダクネスが持ちだしたのは、王城に居付いていた時にもらった手紙。子供たちからのファンレターだ。

 

 『サトウカズマ様へ。僕は大きくなったら、魔剣の勇者様や宮廷道化師様、ジャティス王子様ではなく、サトウ様のようになりたいです。お母さんが、サトウ様は最弱職なのに、悪いやつらをたくさんやっつけた凄いお人だって言ってました。僕もサトウ様みたいになりたいです』

 

 『サトウ様へ。お父さんが新聞を読んでくれました。そこには、サトウ様のおかげでアイリス様が助かったと書いてありました。私の大好きなアイリス様を助けてくれてどうもありがとう。大きくなったらサトウ様のお嫁さんにしてください』

 

 『サトウ様へ。サトウ様はとっても弱いと聞きました。お父さんもお母さんもそう言ってました。でも、とっても弱いのに魔王の幹部をやっつける、不思議な人だとも言ってました。私は難しいことはよくわからないけど、サトウ様は弱いのにたくさん頑張ったんだから、もうゆっくり休めばいいと思います。どうか、お体に気を付けて長生きしてください。アイリス様を助けてくれてありがとうございました』

 

 拙い字ながらも胸にじんわりと染み入るメッセージ。これに心を打たれて、ダラダラと過ごしていたぬるま湯な日常から再起し、一冒険者として魔王軍との戦いに身を投じる事を決意した――まあ、その後すぐにカズマは王女に乞われてあっさり手の平返してくれたが。

 

 でも、あの時感動したのは本当だ。アクアもカズマも。今も印象に残る、子供たちの想いが詰まったファンレターの話を持ち出してダクネスは懸命に訴えかける。

 

「今やお前は子供たちの憧れなのだぞ!? なのにこうもだらけ切っては幻滅されてしまわないか? カズマもだ! 最近のお前も腑抜けている!」

 

「俺も!? 待てダクネスこれでも俺はスキルアップしようと気合いが入ってた、んだが……海での修行と同じようにレベルダウンでスキルポイント荒稼ぎするにはとんぬらがいないとできないし。でもほら、頼みづらくってさ」

 

 彼女と喧嘩別れさせてしまっているのに面倒をかけるのは流石のカズマも慎む。

 で時間が空いてくるとだんだん情熱も冷めてくる。『鉄は熱いうちに打て!』とはよく言ったものである。

 

 とカズマが言い訳を述べると、アクアもそれに便乗して、

 

「私だって理由があるわよ。ダクネスが来ないで見せてくれた手紙にはカズマのことしか褒めてなかったし。ねぇ、私宛のファンレターってなかったの?」

 

「ああもう、わかった! そういうなら今度はアクアのを私がもらってきてやる! だから……」

 

 

 ――今、ダクネスが聞き捨てならないことを口にした。

 

 

「……おい。お前今なんつった?」

 

 ぴくんとカズマが反応し、しまったと自らの口元を両手で押さえるダクネスに追求の眼差しを向ける。

 

「今、“今度はアクアのを私がもらってきてやる”って言ったか? ……おいコラダクネス、あの時の手紙ってお前が子供に頼んで書いてもらったんだろ。あ?」

 

 最初は黙秘権を行使しようとしたダクネスだが、流石にこの失言してからは逃れられず、やや逆ギレ気味に言い返す。

 

「それがどうした! ああ、子供たちにわざわざ金を払って書いてもらったのだ! だが仕方ないだろう、あの時のお前は帰る気配すら見せなかったのだから!」

 

「お前、なに開き直ってんだよ! 俺は初めてのファンレターだと思って、あの手紙を今も大事に取ってあるんだぞ!」

 

「そ、それほど嬉しかったのか? その事に関しては悪かったと思うが……」

 

 流石に悪いと思ったのか言葉を濁すダクネス。アクアのダメっぷりを、それからゆんゆんの現状をどうにかしようとしたはずなのに、それどころではなくなっている。

 

「こいつ、いつの間にやらどんどん貴族様らしい性格に……! 昔は家の権力を使うことすら嫌がってた実直なバカだったクセに、ここのところは小賢しい知恵をつけやがって! 最近は権力を使うことに躊躇いもないし、色仕掛けしたり脅したり、しまいにはこんなことまで……!」

「そ、それもこれも誰のせいだと思っている! ああそうだ、すべてはお前に影響を受けたおかげだ。私がこんなに汚れてしまったのは全部お前が悪いのだ!」

「最後には俺のせいかよ! ふざけんなよクソ女、お前の性根は最初会った時からだいたいこんなもんだった!」

「謝って! 最初にあの手紙を読んだ時、私とっても感動したのに! カズマだけじゃなく私にもちゃんと謝って!」

 

 もはや収拾をつけるどころではなくカオスという言葉が相応しいこの状況。

 

「あ、あの……皆さん喧嘩はよくないですよ……っ」

 

 ですっかり蚊帳の外になったゆんゆん。部外者が踏み込むに気遅れる言い合いにか細い声ながら仲裁を試みようとしているが、3人に聴こえているかも怪しい。まあこのくらいの応酬は日常茶飯事であるのでこちらは慣れた感じで見守れているが。

 “でもちょうどいい。頃合いですね”とめぐみんは声をかけた。無責任だが今の彼女にはこのくらいの荒療治が必要だ。

 

「というわけでいつまでもあなたに構っていられる余裕は私達にはないようなので、今日中に荷物をまとめて屋敷を出なさい、ゆんゆん」

 

「めぐみん……でも、」

 

「でもじゃありません。“喧嘩はよくない”のでしょう? いい加減にあなたの家に帰るんです」

 

 『人の振り見て我が振り直せ』というと自分のパーティを反面教師にしたみたいであれだが、揚げ足を取って反論を封じてやれば、ぁぅ、と口を噤むゆんゆん。

 

「そうだ、ゆんゆんにも渡すものがある」

 

 ――そこへ、カズマとアクアを一時引き剥がしてこちらに顔を向けたダクネスが、ゆんゆんへ手紙の束を渡す。

 

「これは書かせたものじゃないぞ。本当だ。まあ、信じてもらえんかもしれないが……あー、ほら、あの子たちが最近のとんぬらを見かねてな。渡してほしいと頼まれたのだ」

 

「そうなんですか……」

 

 若干言葉を濁すダクネス。同じパーティである自分(めぐみん)にはその反応の意図は掴めず、しかし何故だかゆんゆんには理解が共有できたようで、こくん、と頷く。

 

(……これはこちらも追及に回らなければならないようですね)

 

 この前うやむやになったが、めぐみんとしても隠し事をされるのはあまり気持ちよくないわけで。けど、言いたいことを代わりに言ってくれているのに免じて、今は空気を読んでいったん懐に呑み込み我慢しておく。

 

「つまり、子供たちに心配されるくらいなわけだ」

 

「ぁ……」

 

 魔王軍の幹部やら諜報部(スパイ)にも不敵なポーカーフェイスで謀ったとんぬらが、子供の目から見てもあからさまなくらいバレバレというのなら、それはもう絶不調に違いない。

 

「ねぇダクネス、本当に私のはないの? 私宛のファンレターってヒキニートと同じで催促しないとダメなの!?」

「おいコラ! 人のことをヒキニートっつうが、だらけ切っているお前にだけは言われたくないわ駄女神!」

 

「すまないが、この通り、私は自分のパーティのことでていっぱいだから」

 

 ダクネスは堪え性がなくギャーギャーと騒ぎだす仲間に苦笑いし……それから、ふっと息を吐いて、

 

「……そうだな、私も他人のことを言えない。とんぬらには大分色々と頼らせてもらっているからな。だから、ゆんゆんが支えになってやってくれないか?」

 

「ダクネスさん、でも……」

 

 ――ああもう、答えなんてわかり切っているのにほんっとうに面倒くさい娘ですね!

 またうじうじとネガティブに落ち込みかけたので、尻でも……いや、その胸――依然と成長停まらずたわわに育って膨らんでいるのが、尚更ムカッとなったので――でも引っ叩いてやろうとした、そのときだった。

 

 

『緊急! 緊急! 今冒険者の各員は、装備を整えて冒険者ギルドに集まってください。繰り返します。全冒険者の各員は、装備を整えて集まってください』

 

 

 それは久しぶりに聞く冒険者ギルドのアナウンス。

 これに思わず騒がしかったカズマたちも口を止めて、互いの顔を見合わせる。

 

「この季節に緊急警報とは珍しいですね。キャベツの時季ではないはずですし、何か大物賞金首が接近しているのでしょうか?」

 

「うん……。きっと、……もいるはず。でも、だから、私が行かないと……! だって、私はパートナーなんだから……!」

 

 手紙の束を大事そうにしまい込み――その顔つきが変わったゆんゆん。

 

 はぁ、ようやく、ですか……。

 こんな土壇場にならないと吹っ切れないとは世話が焼ける。しかしぼっちで精神力が鍛えられているゆんゆんは、追い込まれてからの方が、力を発揮するタイプだ。ある意味この状況がお似合いなのだろう。逆境に強いとかいう紅魔族の変異種もしかり。

 めぐみんがこれで肩の荷を下ろせそうだと深く息を吐いた……――のだが、ダクネスが意味深にポツリと。

 

「ああ、しまった……そう言えば、今日だったか」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ご飯……あんま、美味しくない」

 

 狩った大羊牛の肉を齧りながら、そんなことをいうドラゴン。

 白毛牛の霜降り肉のような高級食材ではないが、それにはない野趣味がある。

 

「ゆんゆんが……作る方が……ご馳走」

 

「そりゃあ、単に焼いて塩コショウだけで味付けして上手に焼いたのよりも、丁寧に仕込んだ手料理の方が美味いに決まっているだろ」

 

「むぅ……」

 

 ちょっと前まで野生だったのに、もう餌付けされて舌が肥えている。これを成長というのか、贅沢というのか。いずれにしても、とんぬらでは期待に応えられそうにない。ゆんゆんの料理の腕にはかないっこないのだから。

 

「私のせいで……ゆんゆん、帰らない?」

 

 なんてことをこの子供のように純粋な幼いドラゴンにポツリと言われ、とんぬらは、茫洋とした目で焚き火を見つめながら、

 

「……いや、これは俺のせいだ」

 

 くっ……! と小さく笑みを零す。苦笑するように、また自嘲するように。

 

「何が感情的だ。一足先に大人になったから、頭ごなしに言い聞かそうとした俺の方がガキだ。同年代で一年もない誕生日差なんてあってないようなものだというのに。一緒に大人になろうと約束しておきながらこんな勇み足を踏んでしまうとは……本当、格好悪いな、俺……」

 

 そういって、マグカップに淹れた真っ黒いコーヒーを口に含む。苦い。

 『恋人はお互いを見て、夫婦は同じものを見る』なんて言葉が、隠すのが下手なゆんゆんが置いた雑誌に書かれていたがその通りなのだろう。お互いのことなら未来のことまで予想がつくくらい見ているが、共に大人になりたいのであればもっと同じものを見る努力もすべきだった。

 “自分が彼女を引っ張らねば!”と逸り、変に背伸びして爪先立ちするような真似はせず、地に足つけて、ちゃんと考える……と気づけたはいいがだからこそ余計に己を恥じてしまい、反省会してから先が踏み出せずに、足踏みをしてしまっているのが今のとんぬら。

 

「……どうしたら、私……ゆんゆんに……認められる?」

 

 堂々巡りする思考にふけ込もうとしたとんぬらへ、ドランゴが問う。気を遣われているなと感じるのだが、それが今のとんぬらには追い打ちをかけられたようで、頭を掻いてしまう。でもしっかりと応える。一応、自分のことに悩みつつも、ドランゴのことについては考えている。

 

「そうだな。まず、服だ」

 

「……だめ?」

 

「別にファッションはその者の個性だ。それぞれでいい。でもだからといって、『人化の術ができるようになったお祝いに!』とゆんゆんが買ってきた服に端からそっぽを向いてしまうのは良くない。……あれでも、“誰かの洋服を選ぶ”というシチュエーションに憧れてたりするんだ。めぐみんは美人なくせにそういうお洒落っ気にはあまりこだわらん奴だからその機会がなかなか訪れなかっただけで。もちろんドランゴなりに価値観はあるのはわかっている。唯々諾々と着せ替え人形を甘んじて受けろとは言わん。でも、袖を通すくらいの意は酌んでやらないと失礼になる。相手に認められたいのなら、まず相手を認めることから始めねばな」

 

 最後の台詞が若干ブーメランで突き刺さったが、とんぬらは相槌を打つドランゴへ続けて、

 

「それから、認められたいのならそれだけの働きをする」

 

「働き……モンスターを、倒せばいいのか?」

 

「いや、人の営みというのは単純な強さだけが全てじゃない。そうだな……孤児院通いの子供の送迎をやってみないか? 道中、子供の警護をするんだ」

 

「子供を……守る?」

 

「そうだ」

 

 冒険者が請け負うほどの仕事ではないし、街の警備も彼らの仕事がある。お金を払える余裕もないため、バニルマネージャーがボランティアしているくらいだ。つまり人材が不足している。

 

「私……子供…好き。でも……怖がられる……かな」

 

「きちんと人化の術をしていれば問題ないさ。地獄の公爵だって人気者になれているみたいなんだからな」

 

「そう…なのか。……ドラゴンよりすごい大悪魔も……」

 

 考え込む様子のドランゴ。

 

「でも……やっぱり……だめ」

 

「どうしてだ?」

 

「私……卵、割った。……だから、子供たち……守るの……逆に危ない」

 

 ホブゴブリンに盾にされた卵を、血が昇ったドランゴは叩き切ってしまった。それを気に病んでいる。

 

「そうだったな。これは無遠慮なことを言った。許してくれ」

 

 そうは言うがとんぬらは承知していた。けれど、心情を察しつつも提案してみたのである。これまでの付き合いでドランゴが純粋であるのはわかった、そして、克服できなければ先へは進めないことも。だから、この送迎の仕事が自信に繋がればと思い、勧めた。

 しかし、これは繊細な問題であるため、無理強いはできない。

 

「……けど」

 

「ん?」

 

「とんぬらが……私に、できる仕事なら……やってみたい。……ギルル…ル」

 

「そうか。じゃあ……慣れるまでは俺がフォローにつくから、送迎、やってみるかドランゴ」

 

 こ、くん……と遠慮がちに頷く。

 このドランゴの挑戦に、とんぬらの“足踏み”も止まった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 食事が終わり、残った――子供たちの手土産に分けた――大羊牛を予め用意しておいた馬車サイズの荷車に乗せて、ドランゴと一緒に運搬。

 アクセルの街門を潜ろうとしたとき、門番のおじさんに声を掛けられた。

 

「おお、流石はエース様、こりゃまた大量だな。っと、ついさっき緊急の呼び出しがかかった。何かあったみたいだぞ、冒険者ギルドへ行ってくれ」

 

 

 この街の中心にある、街を危機にさらすような大規模戦闘における管制塔であり、情報が集う冒険者たちの砦。

 プオーンにバイト先の魔道具店へと連絡を頼み、それから大羊牛はドランゴに解体を請け負っている肉屋にまで運ぶよう指示を出すと、とんぬらは単身でこの最も信頼を寄せるべき場所へと赴いた。

 すると、

 

「さあ冒険者の皆さん、こちらに並んでくださいね。緊急です。緊急のお呼び出しです。申し訳ありません冒険者の皆様方」

 

 受付嬢の花形であるルナの声掛けで、集った冒険者たちを整列している。

 けれど、緊急クエストだと聞かされながら、どうにも危機感というのが希薄のように覚えられる。緊急時だというのに、こんな人を並ばせる余裕はあるものなのか?

 それに、ギルド職員、それから街の公務員と思われる人たちが冒険者たちを囲うよう自らをバリケードにしてずらりと並ぶ。まるで一人たりとも逃さないように。

 

 この時とんぬらは視線こそ巡らして状況を把握していたものの、それは主に知り合い――というか、ゆんゆんの姿を探すことに意識を割いていたため、このキナ臭い雰囲気を察知するのが遅れていた。

 しかし、気が抜けていても仕方がないこと。

 冒険者ギルドは、冒険者を支援するために作られた国の機関。

 冒険者はギルドより受注するクエストを誠実にこなし、ギルドもまた冒険者が困った時は助けになった。

 敵対する理由がないし、そう気を張って警戒する場所ではないのだ。

 

「皆さんに、緊急のお願いがございます。そう、緊急のクエストです。というのも、本日で年度末からちょうど一ヶ月となりました。……そう、今日が納税の最終日です」

 

 ギルドの前に並ぶ冒険者達、それと一番前で相対する看板受付嬢のお姉さんがにこやかに――宣告した。

 

 

「この冒険者の中に、まだ税金を納めていない人がいます」

 

 

 途端、冒険者一同、顔を引き攣らせる。

 

「どど、どういうこった? どういうこった! おいアクア、これって何が……!」

「おおおお、落ち着いて! カズマ、落ち着いて! 落ち着くの! ほら、今お姉さんが何か言うわよ!」

 

 この声はあちらから……!

 しかし気配は覚えども、流石にとんぬらもここにきてはルナから目を逸らすわけにはいくまい。

 そして、この宣告に、冒険者たちが一目散に逃げようとするも、壁のように周囲を取り囲んでいるギルド職員と公務員たちに押し止められる。

 泣いたりキレたり阿鼻叫喚。ここにいる冒険者たちの九割が悲鳴を上げたことだろう。

 

「ええ、もちろん今までは、こんなことはお願いしてきてはおりませんでした。当然です。冒険者の皆様は、基本的に貧乏です。ええ、ですので、今までは免除、ではなく、温情、という形で見逃してきただけなんです」

 

 ギルド職員に代わって、今度は公務員の男が淡々と説明する。

 

「この冒険者ギルドは、もちろんこの街の皆様の血税で賄われております。そして、そのギルドから出る報酬も。モンスターを退治しているからと言って、本来は特別扱いはなされません。それでも温情として見逃されていたのです。そんな中、今年度は皆様には大きな収入があったはずです。……そう、大物賞金首の賞金です。……今までは、温情で税金を見逃してきてもらったのですから、大金が転がり込んだ時ぐらいはきちんと義務を果たしませんか?」

 

 筋の通った話に、冒険者たちも一定の理解はあった。抵抗が弱まり、文句も押し黙る。

 この話を初めて聞かされたのだろう。むしろ今までが特別扱いで、税金を見逃してもらっていたのだ。

 しかし冒険者もまたこの街の住人であることに代わりはないのだからきちんと義務は果たすべき。

 

 だ、が。

 話に筋は通っていたが、とんぬらはこの話をそう簡単に受け入れられなかった。何故ならば――

 

「えっと、税金っていくらぐらい取られるんスか?」

 

 ある一人の冒険者の質問に、先程の公務員が丁寧にお答えした。

 

 

「収入が一千万以上の方は、今年度までに得た収入の半額が税金と――」

 

 

 ――一斉に、冒険者全員逃げ出した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「アクア、どうすりゃいい!? 半額だとか馬鹿言ってんじゃねぇって感じだぞ! 俺、何億税金取られるかわかんねぇ!」

「私なんてもうお金ないわよ、だって全部使っちゃったもの! 税金の場合、自己破産も通用しないわ! 私、また借金を背負うだなんて絶対嫌よ! 逃げましょう! カズマ、遠くに逃げるの! この世界の税の方式は単純でね、毎年三月末日が年度末。そして、毎年三月までに得た収入から税金が算出されて、その額を四月の終わりまでに払わなきゃいけないのよ!」

「分かり易いな! ていうか、四月の最終日って今日じゃねぇか! で、逃げてどうする。今日中にそれを払わなかったらどうなるんだ」

「税金は免除よ。四月の最終日、それも、役所の営業時間を過ぎたらそれまでの税は免除されるわ! この世界の法律を作った貴族が、自分たちに都合の良いように法律を作ってるのよ! 低所得の庶民なんかは旅行に行って逃げたりするより、払った方が安上がりな額だから、わざわざ逃げもせずに真面目に支払うわ。でも、大金持ちや貴族たちは毎年四月になれば旅行に行くのよ。そして、月が変わったら帰ってくるの」

「なんて肥え太ったブタなんだ貴族って連中は! ズルい! 俺達だって同じことしてやる!」

「ま、待て……! その、中には善良な貴族もいるんだ、みんな一緒にしないでくれ……!」

 

 相変わらず混雑した状況の中でも目立つ二人だ。おかげでこちらも合流する目印がついた。

 

「ゆんゆんっ!」

「とんぬらぁ!」

 

 カズマパーティの近くにいたパートナー・ゆんゆんを見つけ、とんぬらは急ぎ駆け付ける。

 

「緊急事態だゆんゆん。色々と話したいことがあるが、それらはいったん置いておくことにするぞ。構わないな?」

「うん、そうね一時休戦としましょとんぬら。貯金があるから自己破産にならないけど、収入の半分も納めたら式の費用が全部……――そんなの絶対嫌よ!」

 

 基本的に法を守り、真面目なゆんゆんでも流石にこれは従いたくない。合法的とはいえ脱税も辞さない。

 何故なら、これまでコツコツとまめに収入の半分――奇遇にもちょうど税金の額――を貯金に回していたのは、将来のため。そして、“夢”を叶えるためだ。

 それをあと少しで十五歳になるというところで梯子を外される。計画を大幅に修正せざるを得なくなる。というか収入の中には国からの軽く一千万以上の賠償金も含んでいるわけだがそれすらもブン獲ろうというのは殺生だろう。

 

 

「はい、めぐみんさんですね。ええっと、どれどれ……。めぐみんさんは所得が非常に少ないので、税は免除ですね。ご協力感謝します!」

 

 

 とこちらを他所に、同郷の天才様は、いち早く納税の手続きを済ませていた。

 とんぬら達の方を見やりながらふんと鼻を鳴らす……どこか勝ち誇ったようなドヤ顔をしてくるめぐみんに、ゆんゆんがむっとしたがこの非常時にそう挑発には乗らない。

 

 

「…………お前は何やってんの」

 

 

 ガチャッと金属音がした方に首を傾けると、カズマがどういうわけかダクネスに手錠を掛けられていた。

 そして、きっぱりと――この街を治める領主の娘である彼女は言う。

 

「納税は市民の義務だ。さあ行こうか、高額所得冒険者よ」

 

「いやあああああー! ダクネスお願い、見逃して! カズマさーん! カズマさーん! 何とかしてー、何とかしてー!」

 

 兄ちゃんはもうダメだな。いや切り抜けられることを祈っていよう。一緒にとっ捕まってる水の女神様が泣き喚いているのに後ろ髪が引かれるところだが、こちらにも他者を庇える余裕もない。

 いくら何でもギルド職員らを怪我はさせてはならないので手荒に力尽くで押し通るわけにはいかないのだ。

 

「ゆんゆん、頼む」

「わかったわ、『テレポー」

 

 人混みに化けられる変身魔法があるが、ここはやはり緊急避難の鉄板である転移魔法の出番だ。

 ――しかし、ダクネスがワンマークで押さえるカズマたちをも上回るこの街一番の稼ぎ頭の冒険者ペアに、何の刺客が送り込まれないはずがない。

 

 

「おっと逃がさないよ、『スキルバインド』!」

「きゃぁっ!?」

 

 

 紅魔の里に避難しようとした空間転移が失敗。妨害したのは、銀髪の『盗賊』――

 

徴収(そちら)側ですか、先輩……」

 

「ダクネスに頼まれちゃってね。後輩君たちを捕まえてほしいって」

 

 現れた刺客は、里から旅立ってからこの街について初めて一緒にクエストをこなした先輩冒険者であり、そして、ダクネスの親友でもあるクリス。妙に逆らい難いオーラを放っている先輩相手に、とんぬらは苦虫を噛むような表情を浮かべ、

 

「……正直、これは理不尽過ぎると思うんですが、先輩」

 

「うん。ダクネスも後輩君には冤罪で酷い目に遭った国からの賠償金もあるから“きっと恨まれてもしょうがない”ってすごく気に病んでいたんだけどね。でも、残念だけど特別扱いはできないかな」

 

「たくさん働いたのに、稼いだお金(エリス)は離れていくことになるとか、どうやら俺はつくづくエリス様に嫌われてるんですね」

 

「ちょっとその嘆き方はやめてよ! そんなことないから! あたしだって後輩君に悪いと思ってるんだよ!」

 

 通貨(エリス)の単位にもなっている幸運の女神様のことを持ち出すと過敏に反応するエリス教信者の義賊先輩だったが、ゆんゆんにかけたスキル封じを解かないという事は、宣言通り任された仕事は果たす気でいるようだ。

 

 

「お願いです見逃してくださいクリスさん! 貯めていたお金は結婚資金なんです!」

 

 

 追い詰められた状況に、ゆんゆんが悲痛な声でぶっちゃけた。

 これにクリスはますますやり難そうに頬を掻き、

 

「それもダクネスから話を聞かされてて……応援したいし、配慮してあげたいんだよ? ……私も祝福した手前、こんな妨害に回るのは本当に心苦しいんですけど」

「――何をしているのですか、クリス。脱税をしようとする輩に情けなど無用ですよ」

 

 そこでクリスとは反対側、とんぬら達の背後を塞ぎ立つ少女。めぐみんだ。手続きをサッと終わらせてきたこの同郷は、なんと徴収側に回った。

 これにゆんゆんは、“裏切られた!?”とありありと顔に出して、

 

「どうして、めぐみんまで……!」

 

「若いうちはもっと苦労を買うがいいです。ええ、自称ライバルとはいえゆんゆんに先を越されると思うと、やはり私も看過できませんね!」

 

「そんなあ!?」

 

 ああ、なるほどゆんゆんの“結婚資金”発言に負けず嫌いを働かせて参戦したのか。それも刺激したのはこのライバルだけでなく、ギルド職員の――彼女の前で結婚関連の発言は禁句とされている――ルナも、ニコニコとこちらにターゲットロックしていた。

 

 前門のクリス、後門のめぐみん。

 この『アクセル』の中でもレベルの高い冒険者に挟まれてとんぬらは――

 

「よし、穴はめぐみんだ!」

 

 体の向きを反転――クリスからめぐみん側へ切り替えた。

 

「わ、私を穴呼ばわりですか、とんぬら!」

 

「だって街中で爆裂魔法なんて使えるわけがないだろ。そんな真似をちょっとでもすればあんたが職員に取っ捕まるぞ」

 

 魔法が使えない魔法使いに壁役など務まるはずがない。

 そして、この発言にカチンと。

 

「ほ、ほう! ここまでコケにしてくるとはいい度胸ですよとんぬら! この私が爆裂魔法を撃つことを怖気づくと、本気で思ってるんですね! いいでしょう、いいでしょう! その挑戦を受けましょう!!」

 

「止めてください! 張り切るのはいいですがめぐみんさん、本気で止めて!」

「税金徴収どころじゃなくなりますから! 捕まりますよ、冗談じゃありませんから!」

「街中での攻撃魔法の使用は厳禁です! 特に爆裂魔法なんて絶対ダメ!」

 

 しかし、詠唱をする前に慌てた職員らに抑えられた。何としてでも撃たせぬとめぐみんにしがみついて、押し倒す。

 

「ほら、言った通り。そして、思った通りだ。まあ、包囲網に穴を開けてくれて感謝する」

 

「ま、まさか、私を嵌めたんですかとんぬら!」

 

「簡単に口車に乗せられるな。魔法使いならもっと冷静な状況判断ができないとダメだぞ、めぐみん」

 

 先に挑発してきたのはめぐみんだ。心は痛まない。それより、めぐみんを抑えるのに飛び出した職員分だけ崩れた包囲網が立て直される前に逃げたい……ところだったが、もうひとりいる。

 

「だったら、後輩君もあたしのことを忘れたらダメなんじゃない?」

 

 動くのはやはりクリス。

 しかしとんぬらは忘れてなんかいない。最も警戒するクリスへ背を向けたのは、この発動を覚らせないため。

 雪山にて数多の冒険者を沈めてきたこの、氷河の眼差し――

 

「先輩相手にこういう手段は使いたくなかったんですが!」

 

 とんぬらの非暴力鎮圧手段『妖しい瞳』。振り向きざまに真紅に輝かせた瞳が、銀髪の義賊を射抜き――

 

 

「…………え、なに?」

 

 

 スカした。

 普通に、“目を紅くした紅魔族”に警戒はされても、それまで。眠くなったとかそういうウトウトした気配はない。お目目パッチリだ。

 

「えと、後輩君、今何かしたの?」

 

 ……芸人にとって、最もつらいリアクションというのは、“今何をしたのか理解されなかった”ことだろう。手品のように観客に気付かれずにトリックを仕掛けるのではなく、『あれ? 今なんかあったの?』と不発する、大変困る反応……。

 クリス先輩は無自覚だったのだが、これは結構精神的ダメージが大きかった。むしろ純粋な問いかけだからこそ余計に、つらい。いたたまれない。それで一から芸の説明を求められてはもう目も当てられない哀れさだ。先輩は不発した種明かしをご要望だったが、とんぬらは頑なに口を開かなかった。

 

 とんぬらの意識の高い芸人魂に、クリスは思わぬ(または幸運にも)会心の一撃(クリティカル)を与えた。

 

「とんぬら……」

 

「あー、ゆんゆん、そんな目で見ないでくれ。こたえる」

 

 気遣ってくるパートナーを手で制して、仮面の眉間部に指を当てるとんぬら。

 あれ? パルプンテがスランプなのが、他の技にも影響が出ちゃったのか?

 いくらなんでもそれはない。我が催眠術の手腕(目力)を疑うことはない。でも真の芸人と称したこの技の失敗に少し、いや結構、自信を無くす。

 いや割と会心の眼光を放てたと思うのに、それで平気な先輩の方がおかしいのだ。

 “まさかこれは”と推理ポーズを解いたとんぬらが、控えめがちに抑えた声で、

 

「……先輩って、もしかして悪魔だったりします?」

 

「あ゛あ゛ん」

 

 凄くいい笑顔で、ブチギレられた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 とんぬらがついこんな質問をしたのにも理由はある。

 この手の状態異常が通じず、かつ人の姿を取っている存在として、答えが最も思い浮かぶであろうものが、悪魔なのだ。

 現世に本体を連れてくる輩もいるが、地獄に本体を置いたまま仮初の肉体を現世で動かす悪魔もいる。代表的な例を挙げれば、バニルだ。

 そして、仮初の肉体であるために、普通の状態異常が効かないのだ。

 なので、つい言ってしまった。

 かつて“女悪魔”と誤報されていたのも印象があったのだろう。同時に悪魔というのをクリスがどれだけ嫌悪しているのかを重々理解したというのに。

 

 けど、これはまったくの的外れというわけでもない。

 彼女もまた“仮初の肉体”で地上へ下りているのだから。

 ただし、“悪魔以外にもいる超常的存在”は畏れ多くて思いつかなかった。無意識に省いてしまい、それで回答を狭めてしまった。消去法で、踏んではならぬものを踏み抜いてしまったという。

 

 

「ふ、フフ……これはちょーっと、後輩君に先輩が何なのかを教えてあげないとねぇ?」

 

 まずった。失言で先輩から心理的な枷となっていた容赦が消えた。

 思わず平伏したくなるほど、オーラの圧が跳ね上がってしまっている。クリスにとんぬらだけでなくゆんゆん、あとギルド職員らもたじろいだ。一般人にもわかるくらい、素が出掛かっているのかもしれない。

 

「そうだね。ただふん縛っただけでは後輩君は完ぺきに抑えられないから、ここは“物質(ものじち)”を奪おうかな」

 

 ゆらり、と手を構えたクリス、それを見てハッとしたとんぬらが、強張りも解けるほどの悪寒より、その行動の意図を先読みして叫んだ。

 

「先輩! 後輩のパンツを盗む気ですか!」

「しないよ! あたしのはそんなセクハラ仕様じゃないから! もう! ――『スティール』!」

 

 幸運と不幸の天と地ほどの運差で、クリティカルに必中であるクリスの『スティール』が、とんぬらを襲う。もう『エルロード』での一件で、この『窃盗』スキルにはトラウマしかない。

 

 そして――――盗まれた。

 まずとんぬらは反射的に(ズボン)の上から下着の感触(あつみ)を確かめ……ほっと胸を撫で下ろす。

 が、次にクリスが手にした“戦果”を見た瞬間、とんぬらは仮面の不敵なポーカーフェイスも崩れるほど唖然とした。

 

 あれは!? 道具袋の中で一番奥にしまっていた……!

 サッとゆんゆんの方をチラ見してしまう。まずい。彼女がいる場であれを晒されるのは、避けたい。

 

「これは、スクロール……?」

 

 クリスが手にしていたのは、巻き物だ。義賊として数多の神器を見定めてきたクリスの目利きは確かであろうが、魔道具となれば実際に中を覗いてみないとわからない。

 ……いや、あれは特別()()()()()()()()()のだが。しかしとんぬらとしてもここで中身を確かめられるのは非常に困るわけで。

 でも引き留めたいが、それをこの場で――ゆんゆんがすぐ傍にいる状況で、明かすわけにもいかない。

 精一杯に振り絞った“暗喩”をとんぬらは唱えた。

 

「……それは、“パルプンテの巻き物”です」

 

「え?」

 

「封印してありますが、開けると何が起こるかわかりません。……その、先輩の幸運値からすると天変地異すら起こりえるかも」

 

 『パンドラの箱』とばかりに脅しかけ、クリスに確認させることを躊躇わせようとするとんぬら。しかしまた言葉の選択(チョイス)を誤っていた。

 

「うーん、後輩君が中身を見てほしくないのはわかったけど、ごめんね。特典……君の奇蹟魔法が関わっているとなると、ちょっとこれは確かめないと」

 

「ちょ」

 

 巻き物をまとめる紐をほどいてしまうクリス。

 

「待ってください! それは人の人生がかかっているものなんですよ先輩!」

 

「そ、そうなの?」

 

「はい、ですから、その“パルプンテの巻き物”はこちらに返却してもらえませんか?」

 

 とんぬらの慌てように、クリスも手を止める。ゆんゆんもいつになく焦る彼の様子に戸惑う。が、

 

 

「どうせアレですよ。また『えっちな本』と同じじゃないんですか」

 

 

 職員に抑え込まれていためぐみんが、名誉棄損なことをのたまってくれた。

 爆発魔法のプライドを逆手に取られて嵌めてくれた、その逆襲からか、その声音はいつになく刺々しく辛辣だ。

 

「とんぬらぁ……また、そんな不必要なもの、集めたの?」

 

 で、めぐみんの余計な台詞のおかげで、半端ない重圧が背中にかかる。そのまま背を丸めて深く頭を下げてしまいそうだ。

 

「そういうの見たいなら、私が、頑張るから! 今度は恥ずかしがったりせず、どんなのでも、ちゃんと要求に従う」

「いいやゆんゆん違うから。そういうのじゃない。推理力が絶妙に残念なめぐみんの戯言を真に受けるな!」

 

 くっ、周りからの視線が痛い。囲まれている状況であったので、今のゆんゆんの頑張る発言は変な誤解を招きそう。これでは自分が彼女に羞恥モノな辱めをさせているようではないか。いや、写真撮影で逃げられたのは事実だが、あれは変な要求はしていなかったはず。

 

「この紅魔族随一の天才に対し、絶妙に残念とは何ですかとんぬら!」

 

「言葉の通りだ、災難の方の紅魔族随一の天災め。このカオスをどうしてくれる!」

 

 天災児(誤字に非ず)が不平をぶうたれるが、『銀髪盗賊団』の支援団体に自分や先輩、それに兄ちゃんを勧誘した時点でお察しだろう。ただの残念ではなく、絶妙に残念で、それで大概、とんぬらが迷惑被る方向へ転がるのだ。

 それは現時点でもそう。めぐみんの言葉を発端にした誤解が加速して、その場で収拾つけるのはもはや不可能な有様だ。

 

「後輩君……。大丈夫だよ、あたしはちゃんと男の子のそういうのを分かってるから。隠そうとするだけ健全だよ」

 

 なんか母親みたいなことをクリス先輩から言われる始末に、とんぬら、天を仰ぐ。しかしながら、案外初心だと知っている耳年増な先輩よりそう言われるのはなんだか癪だが口にはしないでおく。口は禍の元だとつい先ほど学んだばかりだ。

 

「違いますから、先輩」

 

「はいはい。周りに見られないよう配慮してチラ見だから安心してね」

 

「ああっ」

 

 嘆願も空しく、ついに先輩に覗かれた。一気に全部開かず、自分の身体で隠しながら少しずつ……言った通りに配慮してくれているのが窺えるが、これから初々しい先輩の百面相が始まった。

 

「さあて、後輩君の秘密をご開帳♪」

 

 まずニヤニヤと悪戯っ子みたいな笑みを浮かべる。何だかんだで後輩弄りを楽しんでいるご様子。

 

「……?」

 

 で、すぐ訝しむ。思っていたのと違う、と片眉だけをピクリとあげる。

 

「………」

 

 パチパチと瞬きし、ちょくちょくと巻き物の先を開き……理解が追い付いた途端、クワッと目を見開き、

 

「ああっ、これってこ――はっ!」

 

 悲鳴。あわや暴露寸前に手で口を覆い塞いだが、巻き物から目を離して、こちらを……とんぬらとゆんゆんの間をしきりに視線を振って、やがてとんぬらに固定。明らかに何か反応を露にしてくれた。

 

「あー、あー……なるほどね……」

 

 なんだろう、とゆんゆんが首を捻り気になる素振りをするも、先輩は口を噤んでくれた。若干顔が赤い。というが、とんぬらの方は公開羞恥な状況に瞳を赤らんでいる。

 以上、正しく理解していただけたようなので、これ以上表沙汰になる前に、とんぬらはこの機に差し入れるように、再度、お願いする。

 

「……先輩、返してくれますね?」

 

「うん……ごめんね、真剣なのに面白がっちゃって、反省する」

 

「いえ……こちらも紛らわしい表現だったので、周囲に助長されたのもありますし」

 

「そう言ってくれるのは助かるけど、余計にいたたまれなくなっちゃった。後輩君の本気がわかったから、ああもう、思わぬ甘酸っぱいトラップにひっかかったせいで本当にやりにくいなあ……!」

 

 丁寧に“パルプンテの巻き物”を巻き取り、紐を結んで開かないようにまとめるクリス。これにめぐみんが、直球に疑問をぶつけた。

 

「どうしたのですか? 魔法のスクロールじゃないのは明白ですが、まさかクリスが躊躇うほどレベルの高い内容だったのですか?」

 

「いや、めぐみんが言ったのとは全然違う。後輩君は誠実で一本気……まあ、一途だしね。もっとも違い意味の“魔法”は篭っていたかもしれないけど」

 

「先輩……さっき“パルプンテの巻き物”と言った俺がツッコむのもアレですが、その表現の仕方は恥ずかしくないですか?」

 

「わかっているのなら言わないでよもう! 冷静に指摘されるとぶり返してすごく恥ずかしくなるから!」

 

 真面目になったり、茶化したり、叱ったりと喜怒哀楽忙しい。

 でも、その二人に理解が共有されている感があって、これに彼のことを一番知っていると自信のある少女は――そのやっぱり先輩後輩仲良さげな雰囲気に若干の嫉妬の後押しを受けて――普段の気弱さを上回った。

 

「じゃあ、その、一体とんぬらから何を盗ったんですかクリスさん?」

 

 ぱたぱたと火照った頬に手で扇ぐクリスへ、今度はゆんゆんが訊ねる。

 しかし、クリスは扇ぎ振っていた動作を止め、困ったように頬を掻く仕草をして、

 

「それは内緒かな。どうやら君にまだ秘密にしている様だし、あたしが明かしちゃうのは後輩君に悪い。それは流石にできないよ」

 

 義理堅く口堅い、少女が求める答えは得られない。一時休戦しているとはいえ喧嘩別れ中なのも相俟って、この隠し事にちょっと胸の奥にもやっとする。

 仄かに表情を曇らせるゆんゆんを見て、弁護するように、クリスが口を開く。

 

「でも、後輩君は決して無責任なことをするような子じゃないよ。そんなのあたしが言うまでもないよね?」

 

「はい、私、とんぬらの事疑ってません。今はちょっと、そのケンカしてますけど……誰よりも信じてますから!」

 

「うんうん。あたしも君たちのことを応援しているよ」

 

 そして、ゆんゆんからとんぬらに視線をスライドし、話を最初に戻した。

 

「改めて君たちが本気なのはわかった。この大事なものを返すよ。……だからさ、これはお願いなんだけど、せめてダクネスがこうした理由を考えてあげてほしい」

 

 それは理解力を求められているようで、裏を返せば理解してもらえると信じられている。

 

 この状況……正直、拘束されようとも力尽くで振り切れる自信はある。クリスが妨害しようとも止まらない。何か奥の手があるのであれば話は別だが、とんぬらに無視できない“パルプンテの巻き物”を物質(ものじち)に取らず返却されるのなら障害などないに等しい。

 

 されど先輩のお願いに非常に弱い、とんぬらは頭を回した。

 

 別に、この強引な税金徴収に裏があるのではないかと勘繰っていなかったわけじゃない。

 ただ収入の半分を持っていかれるのに、つい防衛反応が生じて、そこへの考察を後回しにして怠っただけ。まずギルドから離れて落ち着いた状況になれば考え直しただろう。

 

 まず、お金を集めるにはそれだけの理由がある。

 そうだ。ついこないだ隣国へと支援金をお願いして言った通り、今、国は魔王軍を打倒するために必要な資金が足りていない状況にある。隣国もスカルドラゴンの暴走で城が半壊近くの被害を被っており、それに復旧するために支援するのは遅れているという。だから、心苦しいが、厳しい財政を賄うために懐が潤っている冒険者から徴収しよう。と考えた可能性もある。

 それにこの最近、小金持ちになったせいで冒険者がクエストをサボっていることにギルド内に危機感が漂っていたのも忘れていない。だったら、戒めの意味合いも含めて税の優遇措置をやめ、その原因になっている小金持ちの状態を無くしてしまえばまた働きだすのでないかという荒療治も狙っていたかもしれない。

 

 国に貢献しているし、真面目にクエストをこなし続けている『アクセル』のエースはそれに巻き込まれた形になるのか。

 もしもエース個人だけを特別扱いで除外してしまえば、統治者としていらぬ反発を招く。きっと思うように税金徴収は進まなくなるだろう。これはダクネスとしても苦渋の決断であったに違いない。

 

 だが、でもこっちにもお金は必要だ。貴族が都合よく用意した裏道を活用できるのならそうしたい。元々、貧乏に苦しんだとんぬらとすれば、あまり面白いモノじゃないのは確かだ。

 将来の為にもお金は必要。そう、将来の為にも……

 

(いや、そういえば、前にイグニス様が……)

 

 

 ♢♢♢

 

 

 クリスから巻き物を返されて、とんぬらはしばしそのまま動かずに思索の海に深く潜り込もうよう、没頭した。

 ゆんゆんも良く知る、仮面の奥の瞳から焦点が失われたのがその証。

 これに声をかけるのも躊躇い、じっと待って見守る。ギルド職員らも一見この無防備な様子だが、飛びつくのは控えた。クリスが無言で、手で制したのもあるが、これまでの働きぶりからその気になれば絶対に止められないと思い知るエースだからこそそのような徒労に終わる愚は冒せない。それより思索を邪魔して反感を買うのは避けねばと判断を共有した。めぐみんも流石にここは空気を読んで沈黙する。

 

 そして――――目に光を戻したとんぬらは、まず問うた。分かち合っている己のパートナーへ確認する。

 

「……ゆんゆん、十五歳になったら、式を挙げたいか」

 

「うん。とんぬらと、結婚したい。将来も一緒に歩んでいきたい。だから、貯金してきたんだもの」

 

「そうだよな。聞くまでもないと思っていたが、答えてくれて感謝する」

 

「とんぬら」

 

「俺も、同じ気持ちだ」

 

 若さゆえの過ちを犯してまでも衝動のままに、女性の願いを無碍にせず応じる――それはある意味英雄的な行動なのだろう。

 不遇な彼女を仕えた王より奪った元宮廷魔導士の師しかり、

 自由になりたいと願った姫を攫った『ドラゴンナイト』しかり、

 それから、寂しいお姫様に乞われてあっさり寝返った『冒険者』――第一王子を演じていたとはいえ己に真っ向から思いの丈をぶつけてきたお兄ちゃんも一例に含んでもいいかもしれない。

 語り聴いて観てきた行動は、どれも似ている。彼らは報いてきた。

 

 ――だが、かつての先達者らとは違う道を選ぶと彼女にした宣言通りに己は、違うようだ。

 もしも英雄譚の物語であればヒロインのお願いに胸を打たれ盛り上がる場面であろう、熱くなるべき時だというのに、素直な欲求とは並列して、冷めた思考が計算している。

 

 若さゆえの過ちを犯さず、一時の衝動に駆られることなく、願いを、呑み込む。

 冷静に徹して考える。その場限りで満足せず、十年先、ずっと先も望む。それが根幹にあったから。“英雄”らとは違って立ち止まって最善策の方を見た。

 そう、先を見据えて、考え付いて――その結果に嘆いた。こうも梯子を外されるのは、不幸だなと。覚られぬよう目元を手で覆うも、しかしどうしてもやはり顔は天を仰いでしまう。

 

 そして、上向いた頭を項垂れて、彼女の前に深く下げた。

 

「すまない」

 

「え」

 

「俺はゆんゆんが見るのと同じものを見るように努めたい。そう、反省したばかりだが、俺はその願いから目を背ける」

 

 かつて神に誓って、大人になったらブーケだけでなく本番のドレスを着せる……その“予約”にして約束の延期をとんぬらは情けなくも申し出た。

 女子の憧れた夢を壊すのは半端なく心苦しい、頭を深く下げたのは今の彼女の顔を見られなかっただからもあろう。

 しかし、ちゃんとその罪をしかりと憶えておくためにも、とんぬらは甘えた己を叱咤して面を上げた。ゆんゆんを見つめてから、幻滅されることを覚悟の上で、切り出した。

 

 

「――ゆんゆん、()()税金を納めようと思う」

 

 つまり“式は延期する”という旨の言葉を聞いてしまった。避けたいけど、もはや彼の中では固まった言葉だった。

 だから、つい余計なことを言ってしまった。

 

「どうして……!」

 

「これは俺の勝手で独断だ。理解してほしいというのは……まあ、男のわがままか。まったく格好悪いな俺」

 

 魔法を封じられているゆんゆんでは職員らの包囲網は抜けられない。なによりも同じ夢を共有したはずのパートナーであるとんぬらが自首すると決めた。

 こちらを見る仮面(かお)にはありありと未練が色濃く出ているけど、瞳は固執せずに前を見ていた。

 

「そうだな。納得しないよな。でも、額が額なだけに時間がかかるし……色々と他に手続きもしておきたい。落ち着くにも時間は必要だと思う。だから、説明は明日する」

 

 ショックを受けて何とも言えずに呆然とするこちらにそう言うと、とんぬらはチラリとめぐみんの方へと目配せする。その意を汲み取っためぐみんは胸が膨らむくらい大きく息を吸ってから、鼻を思い切り鳴らす。

 

「ふんっ、わかりました。面倒くさいですが、ゆんゆんをもう一晩だけ預かってあげます」

 

「悪いな」

 

「そう思うんならさっさと引き取りに来てくださいよ」

 

 短く謝り、とんぬらはそのまま手続きの受付の方へ行ってしまう。

 一時休戦したけれど、そのまま停戦協定は結ばれず。仲直りすることなく、『アクセル』のエースは別れた。

 

 彼女に謝る。ただし道を誤るつもりはない。それがとんぬらの結論であった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「カズマが教えてくれた通り貯水池に夜まで沈んでいれば誰も手出しはできないわ。浄水場に早く――」

「いたぞ! あそこだ! 相手は自らを女神と称するようなアクシズ教の『アークプリースト』だ、何をしてくるかわからない! 人を呼べ、絶対逃がすな!」

「きゃー! 見つかっちゃった!?」

 

 

「どうした、ダクネス、走らないと高確率で下着を剥ぐ俺の『スティール』が炸裂するぞ。脅しじゃなくて本気で必要とあらば全裸に剥くまで辞めないのはこれまでの付き合いから分かってんだろ」

「ふう……ララティーナ、お嬢様だからもう歩けなーい」

「おいこら、お前は俺より体力がある鉄女だろうが。こんな程度でヘタれるわけないだろ、サッサと立てよ」

「誰が鉄女だ。私はダスティネス家の者としてカズマの引き止め役を請け負ったからには何としてでも足を引っ張らせてもらうぞ」

「だから、これまでの収入の半額なんて無理だっての! アクアの3000万エリスの借金の件もあったし、バニルに売れ残りを買い占めてやるって約束しちまったんだから、何が何でも税金を払うわけにはいかねー!」

「その時はまたあくせくみんなで稼げばいいさ、大金を持っている今よりも借金を背負っていたころのカズマの方が男前だあうっ!?」

「うるさい、余計なお世話だ。とっとと走らないとこの邪魔な手錠引っ張るぞ」

「……素直に立ってちゃんと走る。だから今の、鎖を思い切り引っ張って無理やり連れて行こうとするのをもう一度……。手枷が食い込んで、その……」

「お、お前ってやつはこんな時ですら……」

「い、いやそうじゃない! 私は覚悟を決めて望んだんだ。彼らにクリスをけしかけておいて、ここで身内とはいえカズマを取り逃がしては、顔向けできん! ……そ、それに、この公衆の面前でお前に剥かれてしまうかもとか想像したら、何だかそれも悪くない気がしてきた」

「真面目になったりダメになったり本当にどうしようもないな! ――っ! あそこにいるのは警察の婦警……! こうなったら……」

 

 

 街の冒険者たちと職員たちが鬼ごっこで追いかけまわる。

 そして、税金徴収の対象は何も冒険者たちに限った話ではない。

 今年、実は半額の強制徴収に引っかかるくらい、この駆け出し冒険者の街において一千万エリス以上の売り上げを出している魔道具店(高額の問題作品の仕入れで支出しているため収支はほとんどない)があるのだが、そこでも抵抗があった。

 衝撃を与えると爆発するポーションをわざと扉の前に置いて、来訪した公務員らを牽制(触れて爆発すれば、“高価な私財が被害を受けた”と逆に訴えると仮面のマネージャーが宣告する)。基本真面目である元凄腕冒険者の店長もまた店を破産させないと協力し、爆発ポーションの製造に勤しんでいる。

 なので、バイトを含めて従業員の総合戦闘能力的に裏ダンジョン並みに攻略至難な魔道具店は誰ひとりとして職員らも踏み入ることさえできない。

 

 

 しかし、こうも街中で大人たちが戦争もかくやと金銭が絡んだせめぎ合いをしているせいか――今日の送迎はほとんどいなかった。

 エリス教のプリーストらが手分けして子供たちと同行しているが、人手が足りない。途中までは付きそうが他の子たちの関係でどうしてもひとりで歩く時間が長くなる子もいた。

 

 シルフィーナもそのうちのひとりだ。

 街の中央通りにある領主の屋敷に住まわせてもらっている彼女は、住宅街区域に住まう子供らとはどうしても途中で別れてしまう。

 先日は、それで家庭教師も請け負っている師匠の青年が付き添っていたのだが、今日はギルドの突然の呼び出しだ。

 でもこれは前々から計画されていたこと。

 なので、途中からは彼女を邸宅から派遣された執事が迎えようとした……のだが、

 

『大丈夫です。そこまでなら私ひとりで帰れますから』

 

 と今朝、そうシルフィーナが断っていた。

 お師匠様の指導のおかげでここのところ身体の調子がいい。だから一人で帰れる。いいや、一人で帰ってみたい、のだと。

 実際、シルフィーナが元気になっているのは執事や領主も知るところ。ここで“ひとりで為し得た”というのが彼女の自信となるきっかけになるかもしれない。それに中央通りで、それなりに人が通っている街中まで来れば、魔物に襲われる心配もない。

 身体の弱いシルフィーナには過保護の姿勢を貫いていたが、彼女のやる気を買って、この小さな冒険を許した。

 

 ………

 ………

 ………

 

「シルフィーナちゃん、ここから本当に一人で帰れる?」

 

「はい、大丈夫です。道も憶えてますし、歩ける元気があります」

 

「そう……それじゃあ、気を付けてね。ちょっとでも辛くなったら、休憩して、それか周囲にいる大人たちにちゃんと言うようにね」

 

「はい」

 

 みんなと別れて、ひとりになった途端、隙間風のように冷たい寂しさを覚えたけど、シルフィーナは羽織っているマントのタイ紐を握ればすぐにへっちゃらになった。

 今日、着ているのはいつもの自分用ではなく、ベッドで敷いている“お下がり”。お師匠様を感じられるものが今の自分にはついている。

 もう自分の年頃には外の世界を旅していたお師匠様の弟子として、このちょっとの帰り道で臆するわけにはいかない。だから、大丈夫。

 シルフィーナはやや角張った、緊張した足取りではあるが、きちんと何度も道順を確かめながら――と目印を確かめようと余所見をした時だった。

 

「きゃ」

 

 ドン、とぶつかり、尻餅をつく。

 シルフィーナが転んだまま見上げるとそこに真っ黒なローブを着た人。フードを深く被っていて陰がかかっているけれど、下から見上げているシルフィーナからはその輪郭、女性と間違われてもおかしくないぐらいの、中性的な顔立ちが見える。

 

「ご、ごめんなさいっ! 私、その余所見をして……!」

 

「………」

 

 その男は謝るシルフィーナに何も言わず、また転んだシルフィーナに手を貸す素振りもなく、そのまま彼女を避けて、立ち去ろうとし、

 

 

「お前……その子に、何をした?」

 

 

 それを呼び止め、前に立ちはだかる、大斧担いだ、耳が猫の女性……獣人。

 冒険者、だろうか。この街の冒険者は他所とは違って、温厚だというのを引っ越す前から話を聞かされていた。だから、こういきなり喧嘩を吹っ掛けてくるようなことはないはずで、しかしその獣人の冒険者はローブの男を瞳孔が開くほど強く睨みつけている。

 これにはローブの男も足を止め、

 

「何を、とは? 言いがかりは止してくれ。確かに私はその子を転ばせたみたいだが、それは子供の前方不注意が問題で、私に落ち度は」

「違う。……お前、ぶつかったとき……その子に手を伸ばしたのが見えた」

 

 え?

 それはシルフィーナがまったく気づけなかった。前を見ていなかったのもあったけど、それよりも相手が驚くほど速く手を動かしたのか。そして、それを彼女は見逃さなかった――

 

「(まさか、この駆け出し冒険者の街で俺の動きが見えた奴がいたとはな……警戒が足りなかったか)」

 

 ちっ、と小さな舌打ちをローブの頭巾の奥からしたのをシルフィーナは耳にした。

 

「お前……言わないと……ギルルル」

 

 唸る獣人の冒険者。直接敵意をぶつけられていないシルフィーナも思わずびくっとするような物々しい雰囲気。

 ただそれを真っ向から受けても、黒ローブの男は平然としていた。臆することなどない、己の方が格上なのだからと見下し返す。

 

「亜人風情が。この俺に楯突くとは、舐められたものだな。良いだろう。それがどれほど高くつくかを、『氷の魔女』とやり合う前の肩慣らしに思い知らせて――」

 

「やめてください!」

 

 そこでようやくシルフィーナが立ち上がって声を出した。まだ足も喉も震えてるけど、自分のせいで喧嘩されるのは申し訳ない。

 これに、ハッとした獣人の冒険者は斧の柄に伸ばしかけた手を止め、戦意が失せたのを見て黒ローブの男も剣呑な空気をかき消した。

 

「待て……!」

 

 注目を集める前にそのまま足早に今度こそ立ち去った。黒ローブの男に制止を無視された獣人の冒険者は一歩踏み出して追いかけようとしたが、コホッ、とシルフィーナの口から洩れた咳に踏み止まった。きっと急に大声を上げたのが良くなかったのだろう。

 

「大丈夫…か? ……あいつに……何かされたせい?」

 

「い、いえ、それは……ない、と思います」

 

 自信なさげだけど、また喧嘩されると困るので関与は否定しておいた。

 ただ言われてみれば、何かチクッと刺されたような……いいや、この『アクセル』の冒険者は皆いい人だってママも言っていたし、きっと考え過ぎだ。

 

「私、体が弱いですから……時々、咳が出るんです。でもいつものことですから、平気ですよこれくらい」

 

「そう、か……」

 

 触れない程度に近寄り、心配する彼女にシルフィーナは儚げながら笑みを作ってみせる。それで、すんすんと鼻を鳴らして、獣人の冒険者は視点をこちらの顔色から、身につけているマントに注目を変えた。

 

「それから……仮面の人間の匂いが……する。ギルル…ル」

 

 仮面の人間?

 その特徴に真っ先に思い浮かんだのはひとり。

 

「あの、お師匠様の、知り合いですか?」

 

「お師匠様?」

 

「ああ、えと、とんぬら様の事です」

 

「うん。……知ってる。……仮面の人間の名前」

 

 話を聞くに、肉屋で用事を済ませた後、近くを覚えがある匂いが通りかかったのを気になって、さっき男とぶつかった時に目をそちらに向けていたそうだ。

 

「子供……守る……家までついていく」

 

「ありがとうございます、ドランゴさん」

 

 こうして、互いに共通知り合いがあったのをきっかけに打ち解けたドランゴ(自己紹介された)とシルフィーナは一緒に帰った。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 ビックホーン:ドラクエⅢより登場するモンスター。名前の由来は実在する同名の生物(オオツノヒツジ)。この系統のモンスターでは最上位種に該当する。氷に強く、寒冷地方によく出現する。鼻息の荒い凶暴な、雄牛と山羊を掛け合わせたような魔獣。

羊を数えて眠ろうとする人たちのために、胞子に催眠効果のあるおばけキノコをドカ食いしたからか、甘い息(催眠効果あり)を吐いてくる。

 web版のこのすばにチラと出てきた牛と羊を掛け合わせたモンスターに当てはめています。




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