この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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114話 +IF

「『セイクリッド・ハイネス・エクソシズム』――!」

「ピャアアアアアー!」

 

 狂犬女神が遭遇して即悪魔祓いを放ち、ペンギンみたいな着ぐるみが店の床にパサリと落ち、その中身は滅された。普段がアレだからつい忘れがちになるが、高位悪魔をワンターンキルさせることは人間技ではないし、女神級の実力があるのだ。頭は残念極まっているけど。

 

「愛らしい姿に騙されかけたけど、嫌な予感がしたから何となく魔法を撃ってみたわ」

 

「お、お前、容赦ないな……。コイツあれだ、シルフィーナの薬の材料集めに爪を貰いに行った、何たら公とか言う悪魔だよ。……もう死んじゃったみたいだけど」

 

「なるほど、ダクネスやゆんゆんを苛めてくれた悪魔ね。ならちょうど良かったわ。カズマたちから話を聞いて、その内ぶっ飛ばしに行こうと思ってたもの」

 

「あ、アクア、一応、ゼーレシルト伯はこの『ベルゼルグ』の貴族だと話さなかったか!?」

 

 ダクネスが慌てた声を上げると、バニルがつかつかと空になった着ぐるみの傍まで歩み、溜息を吐きつつもこの同族へ応急処置を施す。

 着ぐるみの背中にあるチャックを開けて、中へ何かを囁くと、封せんでも膨らませるようにモコモコと内側から押し上げられる。ある程度大きくなったところで、チャックを閉めたら、ガバッと着ぐるみは復活した。

 

「この忌々しいクソ女め、貴様は顔を合わせるたびに、我輩へ何か嫌がらせをせねば気が済まぬのか!」

「ハッ!?」

 

「へぇ、自分の残機を分けてそこのぺんぺんを復活させたのね。それじゃあ……『セイクリッド・ハイネス――」

「おいやめてやれ、また中身がなくなるだろ。ほら、めっちゃ怖がってるじゃないか」

 

 宿敵(バニル)の残機が引かれると気付くや、また容赦なく浄化しようとしたアクアを今度は止めるカズマ。

 悪魔を見つければ噛みつかずにいられないのが女神の性分なのだと把握したが、話が進まない。めぐみんにこのウィズ魔道具店へ連れてこられたのは、ここに別の問題があるからだ。

 

「アクア、私からも頼む。ゼーレシルト伯は悪魔とはいえ、別段悪いことなどはしない方なのだ」

 

 ダクネスからもそう言われて、アクアは額に手をかざすポーズを解いた。とりあえず浄化は考え直してくれたが、コイツ絶対人気のないところでばったり出会ったら反射的にやるに違いない。それが着ぐるみにもわかっているのか、バニルの傍を離れようとしない。

 さて。

 店に入ってからもう袖を引っ張り続けるめぐみんにも無視できなくなったし、いやもう視界の端に視覚化された桃色空気がチラついてはいる。これまでの経験上、直視する前に気付けにブラックコーヒーを注文しておきたい。もちろん、砂糖は不要だ。

 

 

「その……とんぬらは私のことどう思ってる? 私なんて別に可愛くないし、性格も人見知りで迷惑かけて……」

「ゆんゆんは可愛いよ! それにすごく頑張ってるよ!」

「とんぬら……!?」

「でもやっぱりゆんゆんのどこが好きかなんて決められない。だって自分に自信がなくて控えめなところも人付き合いが下手なところもみんなゆんゆんなんだから。そうだね、俺がゆんゆんのことをどれだけ好きか見せてあげる」

「とんぬら、何する気?」

「私、とんぬらはゆんゆんが大好きだぁーッ!! 紅魔族随一ゆんゆんが大好きだぁ!!」

「と、ととととんぬらぁ!?!?」

 

 

 ………………今では彼女()持ちで、しかもモテ期が到来して二人の女性から取り合いになるラブコメ主人公になって、イチャイチャした他人の色恋にも寛容になれたと思う。リア充爆発しろとかそういうのは過去だ。しかしこれはイラっと来るのではなく、『あいたたた』と目を背けたくなるような感じなのである。聴いてるこっちが恥ずかしくなるのだ。

 ゆんゆんをぎゅっと抱きしめながら、ご近所迷惑だとかそんな枠など超えて街中に聞こえそうな大声で大好き宣言。明日の噂は独り占めだ。

 なるほど、これはいつものとんぬらじゃないな。ダクネスもこの余波を食らって何とも言えずに顔を赤らめており、爆心地の腕の中にいたゆんゆんはもうクラクラと熱中症状態である。

 それで、めぐみんはわなわなと震えを禁じ得ない様子で嘆願する。

 

「お願いです。とんぬらを元に戻してください。なんかもう見ていられません……!」

 

「お、おう、そうだな……なんとかしないと」

 

 こんなめぐみんは、ちょっと成金になってからアクアとセレブごっこをしていた時以来、いやそれ以上だ。背中がムズ痒くてしょうがないのだろう。カズマもだ。

 早急に治してやりたい。これ以上絶賛黒歴史量産させてしまうのは忍びない。

 

「ウィズ! あなたが持ってるその魔本がとんぬらをあーぱーにした原因なのでしょう!」

 

「は、はいぃ……この『甘えん坊辞典』をとんぬら君に読ませたら、その……思った以上に影響が凄くて……」

 

 めぐみんが肩を掴んでガクガクして詰問されたウィズが持ってる本、ふざけた名前をしているがふざけた効果である。毎度おなじみの問題作品なのだろう。

 

「うむ。『甘えん坊辞典』は普段我慢しているものほど効果が出る魔本でな。衝動を押し込めている人間のたかが外れた時の反動は凄まじいものなのだ。我輩好みの悪感情を曝け出せる代物ではないが、希少な効果ゆえにコレクションにしていた」

 

 そこで、ウィズから説明を引き継ぐのは着ぐるみだ。どうやら、あれは元貴族の家なき子な高位悪魔の所持品だったようだ。

 

「つまり、そこのぺんぺんが私の可愛い信者()に変なことをしたってことね。やっぱり浄化するわ!」

 

「ピャアアアアア――!」

 

 アクアがまた着ぐるみに飛び掛かる。着ぐるみは必死に抵抗するのだが、強引にちょっと開けたチャックの中へ、プーと息を吹き込まれたら悲鳴を上げて転げ回る。女神の吐息でも悪魔には効果抜群のようだ。

 

「あ、アクア様! これは私が無闇におすすめしてしまったからなので、バニルさんの知り合いを浄化するのはやめてあげてください」

 

 庇うウィズ。責任感を覚えているんだろう。カズマとしても、あの着ぐるみは前回ラスボスみたいな立ち位置にいた高位悪魔と同一人物なのだろうかと疑ってしまうくらい、哀れに見えてきた。

 

「それでアクア様、差し出がましいようですがどうかお願いします。魔本の解除法はわからないのですが、それが魔法の効果によるものであるのならアクア様の回復魔法でとんぬら君は戻ると思うんです」

 

 腰を九十度に曲げて頭を下げるウィズ。ウィズのいつになく真剣な懇願に対し、アクアは腕を組みながら悩ましい声を上げる。

 

「うーん、でも、アクシズ教徒としては自分を隠さず主張できるようになったのは良い事なのよね」

 

「お願いしますよアクア。とんぬらに回復魔法をかけてあげてください。たかが外れっ放しだと本当にいくところまでいってしまいそうで」

 

「そうね。この年で子供は早いものね。真面目なアクシズ教徒として、一線は守るようにしてあげないと」

 

 めぐみんから乞われては、アクアも首を縦に振る。アクシズ教は真面目に不真面目な輩だと思うが、機嫌を損ねられてもめんどうなのでカズマは口にしなかった。

 とそこで、

 

「え……ぅ」

 

 ゆんゆんが一瞬、声を上げかけて、すぐ口を閉ざす。

 これはゆんゆんにとっては、残念なのだろう。話に聞くにあの『甘えん坊辞典』とやらは我慢しているものほど効果がある。……つまり、この状態は魔本が蓋を外したことがきっかけにしても、とんぬらがウィズらの想定以上に感情を抑え込んでいたということになる。何かと不屈の鋼の精神と称えられるが、当然、何とも思わなかったわけではないのだ。色々と迷惑をかけている身としては、反動の甘えん坊状態に責任を覚えてしまうところもある。

 そんな普段は見れないとんぬらを、思う存分に甘えさせてあげられる機会が去ってしまうのを、ゆんゆんは心寂しく、また残念に思ってしまう。それでも、やっぱりこのままではダメなんだという理性も働いて、止めるのを堪えんと下唇を小さく噛むように口を噤ませる。

 わかっている。わかっているけど、もうちょっとだけ彼を素直でいさせてあげたい……

 

「………」

 

 して――

 

 

「さあ、この女神の最強の癒し魔法で、元の敬虔なるアクシズ教の信者に戻りなさい! 『セイクリッド・ハイネスヒール』!」

 

 

 アクアの状態異常も治してしまう完全回復魔法がとんぬらにかけられた。

 

 ………

 ………

 ………

 

「――ゆんゆん、良い匂いがするー」

 

「きゃ、くすぐったい、――って、とんぬらっ!?」

 

 が、とんぬらは変わらず、後ろから抱き着いたゆんゆんの首筋に頬擦りして甘える。甘えん坊状態が解けていなかった。

 

「こうなれば荒療治です。とんぬらをこちらに預けなさいゆんゆん、爆裂魔法で脅しかければ正気に戻るでしょう!」

 

「っ、だめっ! そんなのは絶対に許さないわめぐみん!」

 

 めぐみんがショック療法に踏み切ろうとするのも、それは流石にゆんゆんも断った。

 バチバチと赤目の視線をぶつけ、睨み合う両者だが、ここはカズマもめぐみんを下がらせる。

 

「落ち着けめぐみん。そんなことしたら危ないだろ。頭に血が昇り過ぎた」

 

「うぅ~、ですが……」

 

「しかし、アクアの回復魔法はちゃんとかけられたはず。なのに、元に戻らないとは……」

 

 ダクネスが口元に手を添えて考え込む。これは、あの『エルロード』で掛けられた呪いのようにアクアでは治し切れない類いなのだろうか?

 アクアもまた首を傾げ、

 

「あ、あれ……? おかしいわね、ちゃんととびっきりの回復魔法かけてあげたのに……」

 

「……わかりました! こうなったら私が手を尽くしてとんぬら君を元に戻す魔道具を見つけてみせます!」

 

 ウィズがそう一大決心をした――ところで、店内に大笑いが響いた。

 

 

「フハーッハハハハハハッ!! ひっ、ヒーヒーっ、これは溜まらんッ!! 筆舌に尽くしがたいっ!!」

 

 

 こんな時に周りの空気や人目など一切気にせず大爆笑できるものなんてひとりしかいない。

 室内の空気が揺れ動いて見えるほど徹底的に邪悪な笑い声を反響させて、両手で腹を、ではなく本体である仮面を抱え込むように押さえて床に蹲るバニル。見るからに苦しげだが、それは過呼吸になるほど笑い過ぎてのものだ。これほどコケにされたとあっては、温厚なウィズもあまり面白い顔はせず。

 

「何ですかバニルさん! 笑うなんて酷いですよ! 何がそんなにおかしいんですか?」

 

「いやなに……――うむ、そうだな、そこの自信満々だった自称女神の期待外れっぷりがあまりに面白おかしくてな! つい我慢できなくなってしまったのだ!」

 

「なんですってぇぇぇ!」

 

「いやあすまない。駆け出しの、プリーストにしては頑張った方だとは思うが! フハハハハハハッ! 大変チョロいハーレム小僧にすら相手にされないハズレ女の、唯一取り柄だった魔法も不発とは我輩も笑うしかあるまいて! フハハハハハハッ!」

「『セイクリッド・エクソシズム』!」

「華麗に脱皮!」

「え、バニル様――ピギャアアア!」

 

 挑発にキレた女神(アクア)と高笑いが止まらない悪魔(バニル)が乱闘を始め、着ぐるみは慌てて逃げるが応酬のテンポについていけず巻き込まれてまた中身が消失。とんぬらの正気を取り戻すどころでなくなった来たのだが、アクアの浄化魔法を回避しながらバニルが言う。

 

「心配するな、残念店主よ。我輩のすべてを見通す目で見たところ、その魔本は一晩経てば効果が切れる。竜の小僧は明日には元に戻ろう」

 

「え、そうなんですか、バニルさん」

 

「それより汝がまた変な魔道具を使っておかしくなる方が困ることになる」

 

 余計な一言を付け加えて、ウィズの機嫌も損ねさせるバニルだったが、すべてを見通す悪魔の保証付きとなれば、安心できるか?

 

「避けるんじゃないわよ! せめてもの慈悲であんたの残機をゼロにしても、次に生まれ変わるのは悪魔ではなくせめてゾウリムシになりますように、って祈ってあげるから!」

 

「おいバニル、その話は本当なのか?」

 

「我輩は食事に関わる以外のことではウソは吐かん主義だ。だから――おっと!」

「ちっ、こうなったら、もう容赦しないわ!」

「こ、こらっ、我輩に攻撃を加える程度ならいつでも受けて立つが、店の商品を水に変えようとするのはやめろというのに! 保護者の小僧よ、これ以上邪魔……店内を荒らされてはかなわんし、ゼーレシルトも復活させてやらねばならんから、そこの女神、失礼、人間の駆け出しプリーストを引っ張って帰るが良い」

 

 そう思うんならいちいち挑発すんなよ。引っ張っていくこっちが大変になんだぞ。

 

「待ちなさい! ではそれまでとんぬらはどうするんですか?」

 

 とまだ問屋は降ろさないとめぐみんが鋭い声を飛ばせば、カズマとダクネスがアクアを両脇から捕まえて、余裕ができたバニルは着ぐるみにまた残機を分けてやりながら、

 

「どう、って、そこに面倒見る者はついているではないか? 甘えん坊な、竜の小僧も、小娘の対応に満足している様である」

 

「よぉし、よぉぉし! ――うん! めぐみん、とんぬらは任せて、私、頑張るから!」

 

 ぱんぱんっと頬を叩いて、顔を引き締めたゆんゆんが力強くそう言うのだが、めぐみんはそれにも納得しない、むしろ余計に不安がったように顰めた表情で、

 

「ゆんゆんの気合が入り過ぎて逆に心配になるんですが」

 

「なに、一晩の過ちを犯したところで、将来有望なご飯製造機が増えるだけのこと。我輩は何も困らん。むしろ盛大に言祝してやろうではないか!」

 

「カズマ! 今日はあの二人も屋敷へ一緒に連れて行きましょう! 目を離していると先を越されかねません!」

 

 めぐみんまでバニルのからかいを真に受けてアクアみたいに猪突猛進になったので、首根っこの襟元を捕まえ阻む。まあ、めぐみんの心配もわからないでもないが、隣には常識のあるウィズがいるんだし、ゆんゆんも今のとんぬらの介抱を優先するだろう。変なことは起こらない……はずだ多分。

 

(それに、正気に戻った時にあまり周りに人がいるととんぬらもつらいだろうしなぁ)

 

 “甘えん坊”が治った途端に、仕出かしたあまりの黒歴史にとんぬらがうっかり死のうとしないか目を光らせておく必要があるだろうが、ゆんゆんが付いていればそれも問題ない。

 うん、しばらく自宅療養させて、外に出た時は今回のことは何も聞かなかったことにしておいてやろう。それがきっとベストな対応だ。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「(ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!)」

 

 がばごぼがばっ! とあぶくが弾ける。とんぬらは熱い湯の張った浴槽に顔を突っ込んで生涯で五本の指に入るほど最大級の叫び声をあげた。

 水の中で声を上げたため浴室から外に聞こえることはない。

 しかし、とんぬらにはがたがたと崩れる音が聴こえる。そう、自我とか自尊心とか世間体とか、そういう大人の所持品が片っ端から崩壊していく残響だ。

 

「はぁ……はぁ……――っ」

 

 ざぱぁん! と湯船から顔を上げたとんぬらは荒い息を吐きながら首を振る。水気を飛ばすためだが、いっそのことこの黒歴史を頭から飛ばしてくれないかとも望んで。

 

 カズマが危惧した通り、とんぬらは“甘えん坊”状態の黒歴史をきっちり覚えていた。

 しかしそれだけではない。それだけであれば、“あれは正気ではなかった”と自分で自分に言い訳することができる。

 

「…………くぅぅぅぅ~~~っ」

 

 身も世もない叫び声で出し切れなかった声の欠片が漏れ出る。

 ああ、そうだ。あのとき、思考がふわふわとしながらも、ゆんゆんが残念そうにしたのを見た。見てしまった。それで…………つい、甘えた。

 アクア様の回復魔法がちゃんと効いて正気に戻りながらも、あともう少しだけ、ととんぬら自身にはうまく説明できぬ衝動、一種の気の迷いで甘えん坊を演じてしまった。

 

(くっ……! マネージャーめ、あれ絶対に勘付いていた、いや、この展開を予見()たな!)

 

 でなければ、あんな都合よく説明してやるはずがない。ちょっとでも演技に不審を抱いて追及すればバレるはずだったのに、あそこで庇った。そう、仮面の悪魔は美味しい悪感情の為なら平然とウソをつけるのだ。

 “甘えん坊”状態では平気だった精神でも、素面のままでは理性が麻痺していない。そして、自ら及んだ行為なのだから言い訳もできない。

 この時の内心の動態、激動とも言っても過言ではない感情のふり幅から生じた瑞々しくも新鮮な羞恥心の味がどれだけ極上であったかは、感想を訊くまでもなかろう。めぐみんらを帰らした後も、非常にご機嫌であったし。

 

(うん……めぐみんがいなくなってからはもうゆんゆんも『存分に甘えてね!』と何かとあれこれ構うようになって、それで俺も“明日までは”演技を中断できないから不自然ないように甘えて……~~~~~っ!)」

 

 また水の中に顔を突っ込んで叫ぶ。ダメだ。今のとんぬらのメンタルではこれ以上の甘々は耐えられない。食事の時もすべて、ふーふー、してからの、あーん、で通してくるゆんゆんのだだ甘な世話焼き女房っぷりが半端ないのもあるが、それに断ることもできないのでノーガードで乗らざるを得ないというか乗ってしまったとんぬら自身も……こんなの思い返すだけで叫びたくなるに決まっている。あれからようやくひとりになれたところで、こうして人知れず(お隣の悪魔にはバレてるだろうが)発散しているがそれでも解消し切れない。これは風呂を出たら、赤子のようにもう眠いと訴えてさっさと床につこう。そうだ、それがいい。

 何度となく熱い湯水に顔を突っ込んでは叫び、そして、息継ぎして……を繰り返しながら思考する。

 そう方針を決めて、それから明日のことはもう何も考えずに、とんぬらは行動に移ろうとした……その時に、ようやく気付いた。浴室に隣接した更衣室より、布ずれ音、人の気配がすることに。

 

 え……まさか……――!!?

 

「とんぬらー? 私も一緒に、お風呂、入っていい?」

 

 言いながらも、タオルで大事な部分だけを隠した……隠し切れていない感もあるが湯気でカバーされたゆんゆんが浴室へ入ってきた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――っ!」

 

 反射的にタオルでこちらの局部を隠し、顔を反対に背けた。

 一瞬……いや見入って三秒ほどか。視界に飛び込んできたのは、元々の下地に備わっていた可愛さと恋をする乙女特有の綺麗さ、そして蕾が花開くように妖艶さが入り始めている。唇を噛んだ恥ずかしげな表情も、ほんのりと桜色に染まった肌もどれもすべてが艶っぽくて、途轍もなく抗い難い魅力。跳ね上がった鼓動は、浴室の熱気のせいだけではないはずだ。

 いっそ理性の緩い“甘えん坊”のままであれたら素直に喜べただろうが、今のとんぬらは気恥ずかしさが半端ないし、同時にオスとしての本能の絞めつけに苦心する。こんな状態でもとんぬらは、朗らかに声を上げた。

 

「わ、わーい! ゆんゆんと一緒にお風呂に入れてうれしいなー!」

 

 とある小説に、身体は子供、頭脳は大人の名探偵がお姉さんになってしまった幼馴染と一緒に風呂に入ることになって、慌てふためく場面があったような気がするが、今のとんぬらその逆バージョン。身体は大人、頭脳は子供のフリをし続けなければならない。何故ならば、もしここで自分がとっくに正気に戻っているとわかれば、流石にゆんゆんも恥じる。それはもう恥ずかしがる。

 今回ご馳走されたことは自業自得と収めているが、そこで、ゆんゆんまで巻き添えにして羞恥の悪感情を頂かせるのは看過できない。事穏便に、彼女に何かしら達成感を与えて満足させ、このイベントを終わらせるのだ。そのためにもまず目的を探る。もはやどれだけ己に羞恥を煽る話題(めしのたね)が増えようが構うまい。

 内心やけっぱちに甘えん坊のフリをしながらとんぬらは訊ねた。

 

「でも、急にゆんゆんどうしたのー?」

 

「えっとね、この前、風邪ひいた時のお礼で、今度は私がとんぬらのお背中とか洗ってあげようかなって」

 

 ……本当にサービス精神旺盛である。

 存分に甘えているせいか、ゆんゆんの方もたかが外れていないだろうか? ちょっとこれ以上雰囲気に乗せられるのはマズいような気がしなくもないような。しかし鏡に映る彼女の顔を見るに真剣で、自分を想いやっている。当然、恥ずかしさに顔を朱にしているのも見間違うわけがない。それでもとんぬらのいる浴室に踏み入ったゆんゆんに、どう引き返せと言えようか。

 葛藤の末、とんぬらは絞り出すような声で、

 

「…………~~~~っ、うん、ありがとー、ゆんゆん。すごく助かるよ!」

 

 もう一緒に風呂に入った経験もあるし、背中を洗ってもらったのも経験済みだ。つまり、耐性ができているはずである。やれる。心はアダマンタイト級の硬さだと自負している。

 

「……じゃあ、始めるね」

 

 背後へ移動したゆんゆんは、浴室の床に乙女座りで腰を下ろした

 そしてスポンジに液体のボディソープを染み込ませると、緊張した面持ちで、とんぬらの背中を洗い始めた。

 とんぬらの身体には背に大きな、死に瀕した時の古傷があって、それ以外にも修行や戦闘の過程で負った大小様々な古い傷があちこちにある。それを丁寧に、また感慨深げになぞるように肌を擦る。そのスポンジ越しの指先の動きがこそばゆく背筋や脇がひくつくのだが、とんぬら堪える。

 

「……とんぬら、痛い?」

 

「え? あ、ううん、全然痛くないよー、ゆんゆん」

 

「そう……」

 

 手が止まる。スポンジの感触も離れる。

 

 ん? これで終わったのか? 前よりも早いけど、手際が良かったし……

 首を傾げかけたとんぬらは、背中よりゴクリと鳴る喉を聴覚で捉えた。

 

 え?

 次に拾うのは、シュルっと解ける……ゆんゆんが巻いていたバスタオルの結び目を解いた音。これを問い質す――よりも速く、とんぬらの身体の前にゆんゆんの両手が回った。

 

 ……え?

 こちらの背中を洗っていたはずの手がなぜ前に来る――そう疑問が過った瞬間、とんぬらの背中へその身が寄せられた。最初に当たったのは、必然的にゆんゆんの躰で最も膨らんでいる部分。

 胸。

 

 っ? お、おいっ!?

 そして、一枚挟む布の感触が、ない。つまりは、後ろの彼女は全裸でいる!!?

 

 驚いて椅子から腰を浮かしたとんぬらを、回されたゆんゆんの腕が留める。

 

「お、男の人はこうして洗う方が嬉しいんでしょ?」

 

「ゆ、ゆんゆん、嬉しいけど、それは流石に……」

 

 あのエロ小説……官能小説から得た知識だろう。けれど、そんな無理してまで甘えさせようとは思わない。これは止めよう――

 

 

「お願い。……とんぬらの傷、覚えたいの」

 

 

 温かく柔らかく、そして傷一つない感触(はだ)が、この傷だらけの武骨な背中(はだ)に押し当てられる。別にそうしたところで、刻まれた傷のひとつが押し印(ハンコ)のように彼女の肌に移るわけがない。移せば治るとか言われる風邪ではないのだ。第一彼女に傷がつくのを、とんぬらは望まない。望まないが……

 

「訊いたって、全然痛いって言ってくれないから」

 

「………」

 

 辛かったことや苦しかったこと、今はもう自分でも忘れてしまったものを知ってもらいたいと思うのは、甘え、なのだろうか……?

 

「だから、お願い。じっとしてて、とんぬら」

 

 ………

 ………

 ………

 

 ――それはそれとしてだ。

 

「ん、っしょ……っ」

 

 薬用石鹸液の容器(ボトル)を手に取り、中身をその胸に多めに垂らしてたっぷりと泡立ててから、再び押し付けられる。そして、上下へと滑らせる。するとゆんゆんの豊かな胸は、ゆんゆんの動きと、当てているとんぬらの背中の筋肉の窪みに合わせて形を変えていく。それでまた、単調な――しかし過激な――刺激で飽きさせない――なんてたまらなく不要な――配慮か。回数を経るごとに行為に慣れてくると上下だけでなく、左右や円を描くように動かしたり、押し付ける位置や力に強弱をつけたりと試行錯誤しながら、その躰を余すところなく背中を洗っていく。

 

「……んっ、あ……」

 

 触れている体温がどんどん上がっていき、ゆんゆんの声がとろんと甘く濡れ始める。それから段々と主張するように硬く張り詰めていくものも、擦られる背中は察する。

 ――だがゆんゆんは、密着したとんぬらの背中から自分の身体を離さない。

 

 やばい……色々とヤバい……っ。

 “甘えん坊”の演技どうこうの問題じゃない。このままだとめぐみんが危惧した通りに本気で一線を越えかけない。しかしもう身体が理性の思うように抵抗してくれない。まさに骨抜きである。

 それに一生懸命で、若干、トランス状態に入ってるっぽいゆんゆんに今更正気に戻ったと訴えようが聞き入れてもらえるかあやしいところだ。

 これは、万事休すか――

 

(ん、鏡――?)

 

 反射して映る己の仮面(かお)、その奥の双眸…………そうだ!

 

(手も足も出ない。しかし目はある。自分で自分に催眠をかけて――)

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ……とんぬら……とんぬらぁ……っ。

 硬直した彼の上半身がのぼせたように真っ赤になっている。言葉は発してくれないけど、その身体は明らかに熱を帯びていて。間違いなく今、とんぬらはゆんゆんだけを意識してくれている。その事実に、ゆんゆんはこの上なく幸せを感じる。どこか誇らしいものも覚えてしまう。

 

 んっ……ふ、あ……んっ。

 いつしかゆんゆんは遠慮なく抱きつき、限界まで押し付けるようにして、夢中になって目の前の背中に、ひとつひとつの傷へ合わせて沿いながら自分の胸を滑らせていた。躰の奥から徐々に湧き上がってくるくすぐったいような甘い熱を彼の身体に伝え、また彼の熱に融け合わせたくなる、その衝動のままに。そうして動く度に、生まれた泡がいやらしい粘着質な音を響かせる。そして背中にあるすべての傷をなぞり、背中で触れてない場所がなくなった時、達成感か、それとも別のものか、ゆんゆんの心身はブルッと震えて、“ああ……”と恍惚とした熱い吐息を漏らした。

 

「……ね、ねぇ、私達、ふ、夫婦なんだからこれからも一緒にお風呂入らない?」

 

 なんて、これまでは思っても自分から誘うのははしたなくて口になんてできなかったことをつい言ってしまう。

 その時だった――とんぬらが突然、その場に立ち上がり――ゆんゆんの躰に熱い液体がかかった――。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「仮面の人間……大丈夫?」

 

 ――すごかった。

 とんぬら、急に立ち上がったかと思ったら、すごい勢いで鼻血を噴きながら倒れた。あとで洗うつもりだけど、今の風呂場は屠殺解体でもしたのかと思えるくらい血塗れの惨状で現場保存されている。これにはゆんゆんも熱に浮かれた気分なんて一気に冷めた。もう慌てて、ドランゴを呼んで気を失っているとんぬらの身柄を運んでもらい(着替えはゆんゆんがやった)、とりあえずベッドまで運んだけれど、その時のゆんゆんは冷静な判断ができずにどうしようどうしようと慌てふためいて……そんな時に来てくれた。

 

「大丈夫ですよ、とんぬら君は湯あたりしただけみたいですから。このまま休んでいれば問題ありません」

 

「ありがとうございます、ウィズさん」

 

「いえいえ、最初ゆんゆんさんが凄く慌てて驚きましたけど、何事もなくてよかったです」

 

 安心させるように微笑みかけるのは、ウィズ。

 今日のこともあって隣人の彼女が様子を見に来てくれたのだ。状況を見てすぐさま、普段ののほほんぶりがウソのように、テキパキと対応してくれたのは、流石は元凄腕冒険者『氷の魔女』である。

 

「しかし、とんぬら君が湯あたりしちゃうなんて……バニルさんが満月でもないのに高笑いを、というか笑い死にしそうなくらい悶えているのを見て妙な予感がしたんですが、様子を見に来てよかったです」

 

「はい……私も、いきなりのことで、本当に予想外で……」

 

 ……ゆんゆんも知らない事だが、彼女が浴室に入る前に何度も熱湯に顔を突っ込んで限界まで衝動のままに叫んだのがいけなかった。そして、

 

『冷静に……冷静に背中に意識を集中して……。いや違う。そうじゃない。そっちを意識しては余計に泥沼にはまる。そう、冷静にぱふぱふ――だから、そうじゃないだろとんぬら! ぱふぱふにぱふぱふで、ああもう! ぱふぱふにならないといけないのに、ゆんゆんのぱふぱふがぱふぱふして~~~っ!!』

 

 只管冷静になろうと『ゾーン必中』を狙った自己暗示なんかを試みたのだが……背中の感触に集中ができるはずもなく、

 

『ぱふぱふとは、深み……。深みとは、ぱふぱふ……。深みが、もたらすは『青春の一ページ』……。青春とは、知ること。真の大人とは、これを知り、乗り越えること。ああ、そうか、すべての起源(こたえ)は、ぱふぱふにあったのか……――ぷはっ!』

 

 むしろ気を取られ過ぎてせいで“そっち”の方向に悟りを開く、もとい妄想が膨らんでしまい、誤ってまったく逆効果な催眠にかかってしまった結果……溢れんばかりの衝動、『青春の一ページ』が鼻から噴出してしまった。

 つまり、とんぬらは策士策に溺れるが如く肉欲に溺れて自爆してしまったわけで、しかしながらそれが功を奏して状況は脱することができた。でも、起きた時に確実に落ちこむことになるだろう。機会があればしばらくダンジョンの深いところで己を見つめ直したいくらいに。

 それから羞恥心大好物な仮面の悪魔はこれをネタに最低一ヶ月は満足のいく食事をいただくつもりである。

 

 そんな事態の裏側を知らないし、知ることもない女性陣は神妙な顔で……ウィズはその指で前髪を払うよう仮面の額に冷えた掌を当てる。

 

「今日は、失敗しちゃいましたね。起きたら彼には謝らないといけません」

 

 この状況に、ウィズは懐かしむように目を細める。

 

「昔に、こうして看病してあげたことがあります。その時、私のことを勘違いして、“母さん”なんて呼ばれちゃったりしましたっけ」

 

 ああ、それでこの子は心が強いのだろうけど、だからって、何も平気なわけではない。普通の子供のようなことを当たり前に思うのだ。ただ、その情動を外へ発散できない、甘え下手な性格をしているから、色々と損してしまっている。

 ウィズは、“言い訳になっちゃいますけど”と前置きしてから、

 

「この子は私にはとても眩しい。私がふと落としてしまったものを、どれだけ苦難に見舞われても手放さない。ただそれはとても大変な事だから、ずっと張り詰め続けた私のようにならないよう、誰かに甘えられるようになって気を緩める休み方を覚えてほしかった」

 

「ウィズさん……」

 

「でも、そんな必要もなかったみたいですね。とんぬら君はもう、ちゃんと知っていたみたいです」

 

 す――っと、余分な熱だけを吸い取った手を離して、ウィズは席を立つ。

 

「じゃあ、ゆんゆんさん……とんぬら君のこと、よろしくお願いしますね」

 

「はい……っ」

 

 寄り添うゆんゆんへと深く頭を下げるとウィズは背を向けてそのまま振り向かず家を出て行った。

 とんぬらの寝顔は、とても安らかだった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

『我が名は、ぽかぱまず。紅魔族唯一の裏切り者にして、奇跡を捨てし者』

 

 

 それはふざけたヤツだった。

 侵攻するためだけでなく結界を維持するための人員であった、選ばれた上位者の席を賭けた果し合い。元々狙う相手がいたとはいえ、この機会をわざわざ逃してやる理由はなく、己もそこに参戦した。

 己の力に自信がある者らが集い、その力ある者こそが認められる栄光の座を巡り、闘技場で力をぶつけ相争う。

 あと一人倒せば――! と。

 この最後に相対する者を探そうと首を回らせたとき……名乗り上げと共に視界に飛び込んできたのは、鬼族の如き角を生やす兜を目深に被る、ビキニパンツ一丁姿の変態。

 

『――『花鳥風月・虎挟み』』

 

 いつ近づかれたのかすらわからなかった。気づいたら目の前にいた。そして不意打ちな接敵して三秒で足を千切られ、地面に這いつくばったところで頭を踏まれ泥沼に溺れさせる。あとはもう一方的な展開だった。

 後に回復が施されて、肉体の傷は癒えたが、千載一遇の機会を失い、卑怯千万な、それも変態な輩に惨めに敗北したというレッテルだけが残った……。

 

 あの屈辱を晴らすためにも、必ずや――!

 

 ………

 ………

 ………

 

「幼かったころから知る彼がもうこんな大人になって……。ふふっ、今日はなんだか少し飲みたくなってきちゃいますね。でも(いえ)はバニルさんがうるさく笑い悶えて(さわいで)ますからそういう気分になれませんし――そうです、初めて会った墓場でしんみりと思い返しながら……」

 

 夜中、ひとり街をうろついていたヤツを見つけ、覚悟を決めた。いつも遠巻きに観察していたが、今日はいつになく勝負を仕掛けたい気に逸らせる。

 不意打ちで何もさせずに仕留めてやることも一考によぎったが、俺はあの変態とは違う。断じてそれと同じやり方は取らないし、そんな手段に頼らずともこの実力でものにできる自信がある。

 

「でも、ああいうのを見ちゃいますと、あてられるというか私にもああいうお相手がそろそろ……い、いえ、私は二十歳です! だから、まだ出会いのチャンスがあるはず! そうです、この前、とんぬら君の目から隠れてコッソリ仕入れたこの出会いに恵まれるロザリオをつけていればきっと……!」

 

 人気のない路地へ差し掛かったところで、ヤツの前に立ちふさがった。

 

「え……? えと、私に何か……」

「俺の名はデューク。お前に会うために遥か遠い地からやってきたものだ……。何年もの間、お前のことを調べ続け、お前のことだけを考え続けた」

 

「ええっ!?」

 

 いきなりのことでヤツ――ウィズは驚く。だが、俺はここで勝負をかける。この意志の程を理解させてやらんと更に追い込むよう思いの丈をぶつけた。

 

「俺は、ただひたすらに自らを鍛え続けた。それが何故だかわかるか?」

 

「わ、わかりません!」

 

「お前を襲うために決まっているだろう!」

 

 さあ! いざ尋常に――

 

 

「きゃああああああ――っ!!」

 

 

 ……“証”を見せつけるに邪魔っけなローブを脱ぎ捨てたら、まるで生娘のような悲鳴を上げ、ウィズは逃げて行ってしまった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――ご馳走様だ、星五つの小僧よ。汝が醸す超極上な悪感情には我輩、一晩中笑い後転げて大変であったぞ」

 

 予想通り――未来視などなくても予定調和として、愉快犯の悪魔にそれはもう弄繰り回されたとんぬら。

 鼻血ブッパして貧血気味なのもあるが、あそこで気を失い着替え諸々の面倒までゆんゆんに見られて……までを、朝起きた時に回想して把握したとんぬらの内面はもう描写(ことば)にできない。

 とりあえず、昨日の“甘えん坊”状態は、ゆんゆんに『記憶にない』と頑としてそう言い聞かせて話を通させた。

 そんな今日一日、無断欠勤でもしたいくらい引き籠りたかったとんぬらであったが、こうも無理を押して悪魔の待つバイト先にやってきたのは、見事に黒歴史確定となった『甘えん坊辞典』を焚書したいからである。とんぬらとすれば即焼却したいところであるが、雇われバイトの身であるし、店長が内容はとにかく珍しい効果を持つ稀少な魔本である『甘えん坊辞典』を保管したいというのであれば厳重に封印を施しておきたい。

 ……なのだが、朝、訪れたらそのいるはずの店長が魔道具店にいなかった。

 

「なあ、ウィズ店長はどうしたんだ? 今日は早朝から仕入れがあると話を聞かされていたんだが」

 

「あの放蕩店主なら昨日隣人の小僧らの様子を見に行ったっきり帰って来ぬわ。アレで男っ気が一切なかったからな。どこぞの男と朝帰りとはいい傾向やもしれぬ」

 

 また思ってもみないことを。

 

「ええっ、そうなんですか!?」

 

「ゆんゆん、落ち着け。ウィズ店長は、お人好しな性格をしているけれど、王都で名を馳せた凄腕冒険者だぞ。この前の兄ちゃんを狙った冒険者のような挑戦者を一切寄せ付けなかったというし、そんじょそこらの男に言い寄られても軽くあしらう……」

 

 はずだ、たぶん――ととんぬらが言いかけた時だった。

 

 

「皆さん、助けてください! ストーカーが現れたんです!」

 

 

 ……その後、心配して朝一番にやってきためぐみん、それに引きずられるように他カズマパーティ御一行も集まって、急遽ウィズ店長のストーカー対処の会議が開かれた。

 ゆんゆんが出したお茶を飲んで落ち着いたウィズ店長が語ってくれた情報をまとめるに、それは人気のない暗がりでいきなり服を脱ぎだすストーリーキングなストーカーであり、索敵用に召喚したゴーストの多くを浄化してしまえる能力を持った相手……これだけならば、アクシズ教徒の可能性が高い。

 であるが、そのストーカーの現在地を探ろうとして失敗したバニルマネージャーが“見通す力をも遮断できるほどの強者である”との証言をした。

 こうなるととんぬらの想定するモデルケースとして、実力と変態のレベルが両方高い神聖魔法の使い手といえばまず真っ先にアクシズ教の最高司祭を務める人類最高の『アークプリースト』である変態(ゼスタ)師匠がまず思い浮かぶ。

 あんなド級危険人物はこの世に二人もいたとは考えたくもない話であるが、流石にウィズ店長では荷が重いかもしれない。

 

「行き遅れ店主よ、ここは逆に考えるのだ。汝をここまで思ってくれる物好きなどそうはおらぬぞ。相手のスペック次第では妥協しとくのも良いのではないか?」

 

「い、嫌ですよ、初対面でいきなり襲ってくる人だなんて! あと行き遅れ店主はやめてください!」

 

 ウィズ店長もいやがっている。

 

(相手がどれほどのレベルかは知らないが、浄化が使えるとなると神聖魔法……すなわち聖職者である可能性が高いわけだが)

 

 あの優しそうな女神エリス様も悪魔の類には徹底して容赦がない。それは神に仕える聖職者もまた同じだ。彼らは悪魔、そしてアンデッドを見かければ即浄化するほど情けがない。あの男殺しオークをも許容範囲だと豪語する変態師匠ですら、悪魔とアンデッドはストライクゾーン外だ。店長がリッチーで、マネージャーが悪魔のバイト先に務めていられる神主(とんぬら)の方が稀というかおかしい。それはとんぬら自身も自覚していることで、すなわちもし相手がウィズ店長の正体を知れれば破綻する可能性が極めて高いということ。

 

 そして、ウィズ店長はストーカーを怖がりながらも、性格上、好意を寄せてくれた相手だというのであれば真摯に応えようとするだろう。断るにしても、言い寄られた相手に正体を明かすかもしれない。

 そうして、『アンデッドとかふざけるな!』とかストーカーに走るほどの好意を反転されて嫌悪された挙句、逆上されて……これを返り討ちにできたのだとしても、きっと彼女の心に翳りが残る。

 ……それは、個人的にひどく歓迎できない結末だ。

 

 そんな想像をして曇らせたとんぬらの表情――それを目敏くこの心情を察したパートナー(ゆんゆん)がくいくいと袖を引いてから、そっと耳打ちして、

 

「(とんぬら、ウィズさんを助けてあげられないかしら?)」

 

 背中を押すように、お願いした。

 とんぬらは、数瞬目を見張ってから、ふっと苦笑し、それからゆんゆんへ感謝を示すよう視線を伏せるアイコンタクトで意思疎通をすると、前に出た。

 

「ウィズ店長、とりあえずその話は断る方向でいいんですね?」

 

 相手が、アクシズ教かまたはアクシズ教に匹敵する変態的な聖職者であるなら、不本意ながら対アクシズ教の専門家(スペシャリスト)な門外顧問の出番であろう。

 

「自分ひとりで決着をつけるつもりでしょうが、こういう場合、隣に相方がいた方が向こうから諦めて事が穏便に済ませられると思うんです。だから、俺も一緒についていきますよ、ウィズ店長」

 

「とんぬら君……」

 

 こうして、とんぬらはウィズとその想定変態師匠(ゼスタ)レベルのストーカーが手紙で指定した郊外の荒野へと赴いた――

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 ぽかぱまず:ドラクエⅢの主人公の父親オルテガのとある地方での呼び名。ゲーム中ではオープニングで魔物との対決の末火口に落ちたかと思えば、終盤の終盤に本人登場して、あっさり退場する。その後、裏ボス神龍の願いで蘇る。

 アベルの伝説では、行方不明かと思われたが、魔王軍に装着された『不幸(のろい)の兜』に操られており、ドラゴンライダーを率いて主人公を暗殺させようとする。主人公パーティはこれにあと一歩のところまで追い詰められることになる。

 ちなみに、ぽかぱまず(オルテガ)は、頭部装備にビキニパンツ姿一丁(よく言えばグラディエーター風)という設定が多い。

 

 

 ふと思いついためぐみんルート()

 

 

 人を好きになり、告白し、結ばれる。

 それはとても素晴らしい事だと誰もが言う。

 

 ――だが、それは間違いである!!

 

 恋人たちの間にも明確な力関係が存在する!

 搾取する側とされる側、尽くす側と尽くされる側! そう、勝者と敗者!!

 もし気高く生きたいというのであれば、何事にも徹底して勝者を目指すべきだ!!

 

 ――恋愛は戦!

 

 俗にいう、『惚れたら負け』というやつである。

 

 

 紅魔の里。

 住人全員が上位魔法職『アークウィザード』で、魔王軍にも恐れられる集落。

 彼らの強さは優秀な血統というだけではない。学校という育成機関を里独自に設けているのだ。

 そんな次世代の頂点に立つ者が、凡人であるはずがない。

 そして、今世代では、『紅魔族随一の天才』に値すると注目されるものが、二人いた。

 

 ――男子クラス首席、とんぬら。

 幼き頃より里の外へと武者修行に出された彼は、学校の卒業条件である魔法を習得している。また魔法だけに限らず、芸事、武芸、工作といずれの分野でも満点と評価される万能人。

 

 ――女子クラス首席、めぐみん。

 多才であるとんぬらとは違い、彼女は体を動かすことは苦手としており、また人並み以上に器用というわけではない。しかし、その秘めたる魔力量は群を抜いており、とんぬらすら超える。時に満点以上の百二十点と叩き出すこともある一点突破の爆発力を持つ。

 

 そんな教師陣や族長ら大人の選考を悩ます麒麟児たちは常に先を見通している。

 学校を卒業し、旅に出て、己が目的を果たし、歴史に名を遺す大魔導師となる。それから、将来、付き合う相手のことも――

 

 

 ♢♢♢

 

 

 つい先日、自称ライバルのゆんゆんに付き合って、穏やかな昼下がりを喫茶店で過ごした。

 そしたらボッチな娘は、『ねぇめぐみんって、好きな男の子とかいる?』とか訪ねて来た。どうにも恋バナというのに憧れているらしい。

 ちょうどその日のクラスで恋バナ……前世の恋人について話が盛り上がっていた。『前世で生まれ変わったら次も一緒になろうって誓い合った相手がいる』だの『運命の相手は最も深いダンジョンの底に封印されているイケメン』だのと喚いていたが、まったく幼稚な連中です。

 

 さて、この私、“暫定”などと今は余計なものがついていますが『紅魔族随一の天才』である私に付き合いに足る条件。それは、『甲斐性があって借金をするなんてもってのほか。気が多くもなく、浮気もしない。常に上を目指して日々努力を怠らない、そんな誠実で真面目な男性』……ですが、生憎とこの条件に該当するものは大人子供見渡しても里の中では、ひとり――“紅魔族二番手の秀才”が、ギリのギリギリ可能性がある程度です。

 もしも、向こうが跪き身も心も捧げ、あんなスカ魔法ではなく、爆裂道に共に歩むというなら、この私に見合う男に鍛えてあげなくもないでしょうね。

 まぁ、色恋沙汰なんて前世が破壊神の私にはこれっぽっちも興味はありませんが……。

 

「…………そろそろですか」

 

 きっちり数えて三秒後、学校までの通学路、その途上の分岐点にて、バッタリと()()にも遭遇した。

 

「おや、とんぬらですか。朝から会うなんて奇遇ですね」

 

「ああ、おはよう、めぐみん」

 

 挨拶をしてきたのは、“紅魔族二番手の秀才”こと男子クラス首席のとんぬらである。

 

「しかし、奇遇というが、ここのところ毎日顔を合わせるが、まさかあんた待ち伏せでもしているのか?」

 

「―――」

 

 はぁーーー??

 自意識過剰のいいとこですね。

 

「朝っぱらから何をバカげたことを言っているのですか。あなたの魔法のように滑ってますよその冗談」

 

 確かに似たようなことをしていたかもしれませんが、全然待ち伏せとかじゃありませんから。

 そうこれは、将来に向けてクエストで魔物の行動パターンを把握するために観察力を鍛えるためで、たまたまそれの対象にしたのがこの紅魔族の変異種というだけだったという話。

 

「おい、滑るとは何だ滑るとは。奇跡魔法の凄さが未だにわからんとは、あんたの方こそ冗談が下手ではないのか?」

 

「あなたこそいい加減に爆裂魔法の偉大さに気付くべきでは? 直接拝んでいないとはいえ、この私が何度もその素晴らしさを語っているというのに」

 

「あんな一発芸など話されたところで、右から左へ聞き流してしまっているが」

 

「なにおうっ!」

 

 まったく、私がこんなにも……! ええっ! 最初に爆裂魔法を放つシチュエーションが決まりましたよ。お姉さんがしてくれたように、この男のピンチに強大な敵を一掃してやりましょうとも! そうすれば爆裂道に目覚めてくれるはずですから!

 

 

 ♢♢♢

 

 

 幼いころに預けられたアクシズ教徒の修道院では、変態変人の魔窟、あらゆるフェチを持つ者が多種多様に存在した。

 その中には老若男女を問わないどころか男殺しのオークまで許容する、悪魔やアンデッドを除いてオールオーケーな我が師もいたが、俺の操はひとつ。

 神社に置かれている像のような、猫耳が似合う女性だ。

 猫耳は素晴らしいアイテム、動物会話もできるし、雀の涙程度に魔力も上がるおしゃれなアクセサリー。しかしこれは誰にでも装備できるが、猫耳の魅力を最大限に発揮するにはやはり人を選ぶ。世には猫耳のオークなんて存在するという話を聞くが、そんなのを直視したら俺は目を潰すかもしれん。

 とにかく、猫耳にこだわっているわけだが……しかし未だに己の中に明確な答え(モデル)があるというわけではない。あるとすれば、猫耳神とも謳われたウォルバク様だが、女神を対象とするのは不遜過ぎる。

 よって、身近な……そう、学校の女子クラスでイメージしてみた。単純な見た目だけでなく、その行動も猫に準じているかも考慮に入れて、最も似合うものは、まあ、爆裂狂なんて問題点があった。

 そして、気難しい。だがそれは俺にとっては猫要素なのでむしろ評価ポイントだ。

 さらに難易度があればあるほど、挑戦し甲斐があるものだ。

 猫耳フェチであり、如何なる猫を手懐けてきたものとして、“紅魔族随一の暫定猫耳の似合う女子”を我が猫耳神社の氏子にしてやろうではないか!

 

 まず、懐かせたいのなら、エサで釣る。

 先日、喫茶店へ行った対象が注文したメニューから好みは把握している。

 よって、バイト先でもある喫茶店のマスター監修のもと料理した『魔神に捧げられし仔羊肉のサンドイッチ』を持参し、昼休み、女子クラスへと訪れた。

 腹を空かしている子猫はきっとこれに食いつき、そしてありがたることだろう。そうやって餌付けしていったところで――

 

 

「……そうか、ゆんゆん、めぐみんと勝負して、弁当を取られたか。なら、俺のを分けてやろう」

 

「え、ええええっ!? い、いいのとんぬら!」

 

「多めに作ってきてしまったんだ。何、遠慮するな」

 

 想定外のことがあった。弁当を作る経済的余裕もないと思われたターゲットは、すでに別の女子生徒から弁当を強奪していた。

 お魚咥えたドラ猫か。なんて、猫っぽい奴なんだ!

 しかし、これでは被害に遭われた魚屋さんこと族長の娘のゆんゆんが可哀想である。

 

(それに見たところ、ゆんゆんが作ってきた弁当の方が美味しそうでバランスも良さそうだ。これでは俺がサンドイッチを出したところで、評価が下がってしまう、か……)

 

 これは思わぬ強敵だ。

 なので、『魔神に捧げられし仔羊肉のサンドイッチ』はゆんゆんに進呈することにした。

 友達に弁当を分けてもらうシチュエーションに憧れていた彼女はとても喜んでサンドイッチ弁当を受け取ってくれて、

 

「うんっ、美味しい! お店にも出せるじゃない!」

 

「たかがサンドイッチで大袈裟な、それにゆんゆんが作った弁当の方が――っ!」

 

 鋭い視線に気づく。こちらを射抜くように睨むのは、めぐみん! なんだあの軽蔑し切った目は……!

 

(そんなに……俺のサンドイッチはレベルが低いというのか……!)

 

 くっ……! この程度と思ってくれるな! 俺が二番煎じをするはずがなかろう! ただ模倣するだけでなく、そこにもう一工夫アレンジてきてこそエンターテイナーだ!

 

 特注の魔改造弁当箱に手を添え、魔力を流し込む。

 

「? とんぬら、この弁当箱って、何か普通のと違う?」

 

「ふっ、お目が高いなゆんゆん、これはトースターの魔道具を組み込んでみたものだ」

 

 問題作ばかり作るが、親猫……父親であるひょいざぶろーと話が合わせられるよう、魔道具開発にも力を入れている俺に死角はない!

 

 そして、魔力を篭めて加熱機能が働き、中のサンドイッチは、焼きサンドイッチに早変わりする。

 これはパンが焼かれて香ばしくなるだけでなく、中に挟んでいるチーズが融けて、また格別な味わいになる。

 

「ただトースターとして使えるだけでなく、保温にも使えるが……まあ、このサンドイッチをまずは食べてみてくれ。さっきのとは別物に化けているぞ」

 

 おあがりよ! と勧めれば、焼き上がりの食欲そそる匂いに鼻を鳴らしながら、ゆんゆんはぱくりと。

 

「んーー! すごっく美味しいとんぬら! とんぬらって本当に何でもできるのね」

 

「ははは、何、外の世界を見てきたものとして、他の人よりも経験があるだけだ」

 

 さあ、どうだめぐみん! 入れ物にまでこだわった俺の弁当に驚き――っ!!?

 

「………………」

 

 なっ……さらに軽蔑度が上がっている。瞳には赤信号が灯ってさえいるぞ!? 一体何故だ! 俺の作った弁当など食すに値しないゴミ以下だと言えるほどゆんゆんの作る弁当はレベルが高いというのか……!

 これ以上の持ちネタは用意していないし、あまりみじめを晒すわけにもいかない。ここはもう戦略的撤退するのが得策か。

 

「では、俺は別のクラスだし、もうお暇させてもらうよ」

 

「え――ああ!」

 

 そそくさと自分の分を片付けて女子クラスを退出する。

 結局、猫耳を勧めることはできなかった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……ゆんゆん、私はあなたを絶対に許しません。これはもう絶交ですね」

 

「えええええっ!!? いきなりどうしてめぐみん!? 私何かした!?」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 学校へ入学して、一月が経過した。

 その間、特に何も発展することはなく、そして、この何にもない期間の間に将来を見通す天才二人の思考は、『付き合ってやってもいい』から『どうやって爆裂道(猫耳教)を布教させるか』という思考へとシフトしていた。

 

 

 注)続きません。

 

 

 とんぬら、アクシズ教にやや汚染され、そして、中途入学ではなく同年代が学校入学するころに里へ帰らされているという設定。




誤字法報告してくださった方、ありがとうございます!

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