この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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116話

 断たれた身体の欠損が瞬時に復元する。これが、『不死』の権能。

 しかしこれは完全に元に戻る復元には非ず。『不死と災いを司る太古の神』へ願ったのは、災禍の化身へと変じる事。

 

 『女神の果実』の魔力が満ち満ちて、その姿は変貌する。

 

 毒虫の体液と毒草の苦汁を練り混ぜた塗料を塗りたくったような、毒々しい濃緑の皮膚。

 より長くそして刺々しく変成した手足、指先には黒々としたナイフのような鋭い爪。

 顔面には天を衝くよう捻じれた角、そして、身体からは魔獣のような尾。背中から生えて広がる翼は、鳥類のような羽毛は抜け落ちており、代わりに眼球のような紋様が浮かび描かれている。

 全体的な身の丈も一回り以上は増長しており、しかし器が拡大されても身の裡の魔力は薄まらずより濃密に。あまりに膨大過ぎて留めきれない魔力が、暗緑色の噴煙となって溢れ出している有様だ。

 そんな見目麗しい中性的な天使の頃の面影を完全に脱ぎ捨てた堕天使は、悪魔よりも悪魔らしい姿であった。

 しかし、感じるその神性は、澱んでいるものの天使の位からは逸脱し、『怠惰と暴虐を司る女神』の半身と同等以上に思える。

 

 つまり、今も神格の呪詛に身動き縛られたままのとんぬらには非常に抗い難い相手へと成ってしまった。女神の過剰な呪いじみた加護を受けているせいか、神格に過敏になってしまう体質持ちには、この手の輩は鬼門である。堕ちた天使程度であれば欠片の斟酌もなく斬り捨てられたものの、ここまで神族の領域に近い上位存在ともなれば、刃を向けるのにも相当な精神力を要する動作となってしまう。

 

 それで、だ。

 こんな不自由過ぎるハンデを負って敵う相手でないのは、そこらの童でもわかる計算だ。

 とんぬらがまだこうして思案できているのはひとえに、向こうもこの急激な変化に意識が追い付いていないからである。

 

「あ、ああ、あああがががががががぎゃぎゃぎゃぐぐああああ!」

 

 異形と成り果てた堕天使が、体の内側からの(くら)い圧力に苛まれるように、醜悪に面相を歪ませ、叫ぶ。

 聞くだけで、骨をヤスリで擦り上げられるような痛みを想像する、途轍もない絶叫であった。しかし、やがて運命はその代償もまた、この堕ちた天使に与えた。

 

「こ……これ、が」

 

 理性と狂気の狭間で、堕天使が言う。

 

「ゴハッ……! 湧き上がる魔力の、何と凄まじいこと……。ああ、この身、流れる血潮が全て溶岩に変わるように、体が熱い……! 焼かれながらより上位の存在に成り代わっていくのがわかる! ゼナリス……『不死と災いを司る太古の神』……! 俺が侮蔑した『力』を、我が物に……!」

 

 歓喜と嫌悪とが、ないまぜになった叫び。

 ぶつぶつと、肌が粟立つ。

 ぐつぐつと、血が沸騰する。

 そして、刹那――

 ごお、と壮絶たる火炎が共同墓場の空間を吼え猛った。

 

「ふははははは――っ! 凄まじい! 凄まじい力だ! 今の俺は世界すら制することができる!」

 

 圧倒的な力。かつて己の上に在った超常の域に、今の自分はある。その快感と恍惚に打ち震え、堕天使はひたすらに酔い痴れた。

 

「……っ!」

 

 炎の雨を受けたような、何百という灯火に囲まれていた。

 まるで吊り下げ照明(シャンデリア)の中に飛び込んだようだった。一瞬で、辺りに無数の火が燃え始めていた。

 

 神気解放した水の女神が大気中の水が凝集するよう、到来した冬の化身が天候を猛吹雪に急変させるよう、今の堕天使の魔力は魔法を介さずに自然発火現象が起こしてしまえる。

 この一事をとっても、格が神族に近づいたことがわかろう。

 この『災い』の権能を具現化した業火。触れれば、四肢の一本は燃え尽きるだろう。着ている和装『白波の装』は炎熱系に耐性のある防具だが、まともに食らえば命の保証はできない。下手をすれば“燃やす”という過程を飛ばして“蒸発”しかねない領域だ。

 そんな炎に目前に迫っていることを認識しながら、仮面の奥の目は瞑ることはなかった。眼球の湿気さえ奪われて、目がちかちかするが、それでも閉じない。

 依然と神の呪いに逆らえず身動きできず、満足に魔力も練れない。

 だが、とんぬらはこれでは死なないという妙な確信が、彼にはあった。

 実際、それは的中した。

 

 

「――『セイクリッド・クリエイト・ウォーター』!」

 

 

 凄絶たる炎をも、鎮圧する大量の水は、まさしく女神級に相応しい魔法。そう、成り上がり者の堕天使ではなく、この世界に存在が認められる正式な女神二柱のうちの水の女神の眷属招来。その力は、かほどに凄まじい堕天使の炎さえ押し流す。

 墓場全体に燃え広がった炎は、一気に半分を鎮火されたのだ。

 

(助かったけど、今の俺はこの滝行じみた状況に抗えないんだが!!?)

「とんぬらー!」

 

 が、真上から瀑布の如く降り落ちて、それを躱すこともままならない。災火に呑まれなかったが代わりに洪水に呑まれてとんぬらの身柄は流されるのだった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 河童の川流れ。

 どんなに水練が達者であっても、指先ひとつ動けない状態ではカナヅチと変わらない。

 とんぬらがアクアの呼び出した水害じみた魔法に巻き込まれてしまい、それを見たゆんゆんが慌てて追いかける。

 普段であればもっと味方への被害を抑えろとしかっただろうが、今回ばかりはファインプレイだ。行動不能状態のとんぬらを避難させることができたのだから。

 ……うん、溺れてはいないはずだ多分。

 とにかく、今此方はそっちに気にかけてやれる余裕はない。

 

「俺の炎を消しただと……! 一体何者が……!?」

 

「神に逆らう愚か者が思い上がるんじゃないわよっ!」

 

 意気揚々と飛び出したのはアクア、それに続いてダクネスも全身鎧を展開しての戦闘態勢で現れる。

 

「お前は、朝までミュルミュル貝について語り合った友! それに、ダスティネスの娘まで……」

 

 文字通り真剣勝負に水を差してくれた輩の正体に、驚きで目を見開くデューク。

 

「ともにアンデッドや悪魔はおろか、女神エリスの悪口で盛り上がれる気の合う仲間だと思っていたが、その恰好は聖職者だったのか! いや、先の力はまるで……」

 

「私の名はアクア! 全国二千万の信者を持つ、アクシズ教徒の御神体! 女神アクアその人よ!」

 

「な……っ! ――なんだ、ただの痛い女か……」

 

「はあっ!?」

 

 ハッと見開いたかと思えば、シラケた目をされたアクア。

 

「あんたちょっと頭に乗り過ぎじゃない。どこの神の天使(もの)だったか知らないけど教育がなってみたいねー! 堕ちてグレるだけじゃなくてこの神々しい気配に気づかないなんて……! ほら早く不遜を働いたことを土下座で謝りなさい!」

 

「ふざけるな! 何故己よりも下等な存在に頭を下げなくてはならないのだ! 今の俺は神と同じ、いいや、神以上の格に至っていると言っても過言ではない!」

 

 ギャーギャーと騒ぐ女神と堕天使。

 よし、無駄にうるさいアクアが騒いでくれてるおかげでこちらへの注意は逸れている。

 

「(カズマ、今ならいけるんじゃないんですか!)」

 

「(よーし、じゃあバレないようにちびっとずつ……『マホトラ』っ!)」

 

 カズマが即興で組み立てたとんぬら救出兼魔王軍堕天使撃退作戦はこうだ。

 厳しい夢想演武の末、この緑玉の魔導石(グリーンオーブ)を触媒とすることで、遠隔で可能となった『ドレインタッチ』。

 まずこれで相手から力を頂いて弱らせる。ある程度まで奪ったら『スタン』で動きを停めさせて、その間に、アクアとダクネスは避難(その際とんぬらの身柄を奪還する手筈だったが、アクアの魔法でうまい具合に流された)。

 最後、一緒に『潜伏』しながら詠唱して待機しているめぐみんが一撃必殺の爆裂魔法でとどめを刺す。

 以上だ。

 先ほどの決闘、堕天使の攻撃は殺気が先走り過ぎていて、とんぬらは余裕をもって応対していたけれど、今さっきの業火、それにこの素人でもわかるプレッシャーから正攻法は回避した方がいいと判断した。

 

「(ある程度弱らせる前に力を奪っていると気付かれたらヤバいからな。慎重に慎重に……でも、吸ってる感じ思った以上にありそう……)」

 

 アクアとダクネスがなるべく長く時間を稼いでもらいたい。

 

「デュークと言ったか。先程の話は本当か?」

 

「先程の話とは何のことだ?」

 

「シルフィーナに……子供たちに『コロリン病』を罹らせたことだ」

 

 堕天使の増長した態度に腹を立て今にも殴りかかりそうな狂犬女神様(アクア)を、いったん下がらせたダクネスが、シリアスに絞めた顔つきを浮かべている。これには同じくアクアの挑発に気が立っていたデュークも無視はできなかったようで、先と同じ返答をしてくれた。

 

「ああ、そうだ。ゼナリス……俺が仕えていた元神、『不死と災いを司る太古の神』の神格は病魔を流行らせることもできる。そういえば、あの小娘、貴族と思しき金髪をしていたが、愚かにも我が魔王軍に楯突くダスティネスの関係者であったのか? それなら重畳だ」

 

「貴様ぁ……っ!」

 

「今の俺は『災い』の権能そのものが振るえる。前の実験以上に俺はこの街の住人を病魔の呪詛を感染させることができよう。汚らわしき高位悪魔の爪を必要とする特効薬を用意できる術などそうないし、あったとしても多く用意することはできまい」

 

「そうはさせるか! ここで剣の錆にして成敗してくれる!」

 

 ダクネス、落ち着け! お前が戦っても勝てる相手じゃない! 娘同然な従妹を害されたことにキレるのはわかるが作戦通りに我慢してくれ!

 カズマは剣を構えるダクネスに制してくれるよう念じる。

 

「そうか。この前の商売女のフリをして近づいてきたのは、『仮面の紅魔族』と魔王軍の策謀を探っていたのか。ああも間抜けな演技で俺を油断させてくれようとは一杯食わされたぞ。ククク、流石は腹に一物を抱える貴族といったところだな」

 

「あ、ああ、そうだ! こないだのアレは怪しいお前を試すという名目でのナンパだったのだ。私を軽い女だと勘違いされては困るぞ!」

 

 おい、ダクネス。あんな盛大に失敗しておいて策士アピールはないだろ。

 いやまあ、向こうが勝手に勘違いしてるだけでこっちが何か困るわけでもないし、別にいいっちゃいいんだけど。

 それにこれで少し調子を崩してくれたおかげで、ダクネスは逸る気を抑えられたようだ。

 

「(カズマ、まだですか!)」

「(もう結構満タンまで吸ってるんだけど全然堪えてねぇ! コイツの魔力は底なしか!?)」

 

 めぐみんが急かすが、こっちだっておすし(落ち着いて・素早く・静かに)でやっている。だが全く堪えた様子がない。ちっともふらつきやしないのだ。

 そして、パワーアップした弊害で堕天使はこちらを大した脅威とは見なしていないが、殺すべき相手を忘れているわけではない。

 

「そこをどけ。雑魚にかまけていられない。俺は『仮面の紅魔族』を見つけ出してその首を取り、その魂を煉獄の炎で滅してやらねばならん。それまでは貴様らを生き永らえさせてやろう」

 

 軽く手を振るだけで、炎柱が次々と立ち上がった。

 詠唱もいらない。杖もいらない。魔道具もいらない。

 ただ、念じればいい。

 それだけで、『災い』の炎が堕天使に従う。

 もはや魔法ではない。

 人間が世界へ働き掛ける理ではなく、理屈も理由もなく発現する災厄の類――

 

 視界が、赤く染まった。

 文字通り、燎原の火の如く。

 街外れの墓所を赤く赤く染めて――猛烈な炎が、世界を席巻する。

 

 ――しかし、一応は、あそこにいるのも理屈や理由もなく奇跡を起こせる女神様である。

 

「だから、何度も言わせないでちょうだい! 女神よりも優れた天使、それも堕天使なんて存在しないの!」

 

 アクアの身体を中心として、霧が噴き出す。

 この不思議な濃霧が呼び水となったかのように雨を降らせて、狐の嫁入りの如くに雲もないのに天より降り注ぐ無数の雫が、炎の勢いを縮小させていく。

 これに今更になって、堕天使も怯んだか。

 

「まさか、本当に……っ、いや! 今の俺は神をも超えた破壊の化身! ――我が『災い』の権能よ、あの自称女神に病魔を振りかからせろ!」

 

 指を突きつけ、先程のとんぬらにしたように神格の呪詛を放つ。

 のだが、アクアはけろりとしている。神器の羽衣は状態異常(バッドステータス)を一切遮断するというし、ああも変身しても元天使よりも女神の方が、神格が上なのだろう。……アクアがエリス様と並ぶこの世界の正式な女神様だというのは未だに信じられないんだけど。

 なん、だと……!? と動揺がさらにひどくなるデューク。

 

「どうやら、私との格の差というのをようやく理解できたみたいね!」

 

 そして、ふふんと胸を張ってドヤ顔するアクア。

 おお、なんか珍しくアクアが押しているのを見た気がする。前にウォルバクと対峙した時もそうだが、こういう元同業者に対しては強気である。

 よし、火に対して水が有利なのは鉄板のお約束。これでアクアが相手の炎を相殺してくれて、そして、ダクネスがそれをフォローするよう壁役になれば交戦に突入しても時間は引き延ばせそうだ。

 その間に『マホトラ』で破産に追い込んで――

 

「くっ、そういえば予言者様が、この辺境の地に大いなる光を視たというがまさか――!?」

 

「ほら、早く土下座をしなさい。悔い改めるの。女神様に楯突いて御免なさいって! そうしたら、めぐみんの爆裂魔法を食らわせるのは考えてあげなくもないけど?」

 

 あ。

 

「爆裂魔法、だと? ――っ! ここにウォルバク様を屠った爆裂魔法を使う紅魔族の小娘がいるのか!」

 

 あんの駄女神っ! 調子に乗るとコケるのはお約束なのか!

 

 アクアの余計な一言で、向こうが勘づきそうだ。やばい。押せ押せだったけど、アクアもダクネスもあの堕天使を仕留めるだけの火力はないのだ。ダクネスは剣が当たらないだろうし、アクアもアンデッドと悪魔以外では攻撃魔法もないし雑魚モンスターのカエルにあっさり負ける。

 だから、トドメを刺せるのはめぐみんの爆裂魔法くらいしかない。あの二人はその機会を整えるための時間稼ぎが役目なのだ。

 

「挑戦者共がサトウカズマは『盗賊』スキルを習得していると調べたが、『潜伏』か」

 

 やばいやばい! こっちの作戦が暴かれていく!

 これにアクアもヘマしたことを察して、慌てて挽回を計る。

 

「いいえ、めぐみんはここにはいないわよ! もう家に帰って寝てるんじゃないかしら!」

 

「………」

 

 とちらちらとしきりにこちらの方へ視線を振りながら、弁明。なんてあからさまな反応なんだ。これもうバレバレ過ぎて、逆に疑いにかかるレベルだ。しかし、一緒に飲み明かしてその残念な知能指数の程を知れているのだろう。

 デュークの視線がこちらの方へ向けられて、

 

「そうか。あのあたりに隠れているわけだな!」

 

 ちょっとでも見直してアクアに期待した俺がバカだった!

 

 アクアの間抜けでおおよその目処が立てられたところで目を細めたデュークは『潜伏』スキルを見破ったのか、こちらの方へと跳ねた。

 

「行かせん! 『デコイ』!」

「ちっ! 邪魔だダスティネス!」

 

 すぐさま進路を塞ぐよう『クルセイダー』の『囮』スキルを発動させるダクネス。

 そこへ容赦なく振るわれる超高速連打。宙を飛べる堕天使には地に足をつけて行動する必要性が無いため、時に両足でも鮮やかな弧を描く。手だけではなく足も自在に振るう、単純な手数の倍、拳蹴四撃を刹那に――そんな視認できないほどの猛攻に滅多打ちされる。

 

「くぅ……!」

 

 ごおっ。

 熱い風が、肩当てを突いた。

 拳だ。それを認識する間も与えず今度は脇腹。蹴りだ。

 鎧装甲の上からでも強か打っては鈍い音を響かす、それは単純な肉体の技に非ず、その手足には壮絶な魔力が篭っているのだ。――それでも、防御力だけは『ベルゼルグ』一硬い女騎士だ。サンドバックにされようが耐える。そこらの冒険者では一発だけでも数mは吹っ飛ばされただろうが、断固として退かず。

 

「なんて重い女だ! これが『盾の一族』か、面倒な!」

 

「重い女というな! 軽い女ではないが、重い女ではないからな! そう、これは重い鎧を着ているから踏ん張れているのだ!」

 

 ダクネスの鉄壁はそう簡単には崩せない。回復サポートにアクアをつけているからそれはもうしつこいはずだ。

 

「これ以上隠れたってしょうがねぇ! 全力の――『マホトラ』ーっ!」

 

「っ! 何、俺の、『女神の果実』の魔力を……!」

 

 バレないように少しずつ奪っていたが、アクアがネタバレしてくれたので隠れたままじゃ効率が悪い。ここは居場所を晒してでも一気に勝負をかける!

 

「貴様……っ! サトウカズマ、またも俺から『世界樹』を奪おうというのか!!」

 

 思った以上に激昂する堕天使。

 どうやら魔力をちょうだいする『マホトラ』はかなりの嫌がらせになっているようだ。

 そして、ダクネス越し、間人一人を挟んでも、吹き付けてくる強烈な念にカズマの体中の肌が粟立った。

 

「雑魚は後回しで構わないと思ったが、気が変わった」

 

 ごおおおっ、とそれまでに倍して炎が、溶岩流が噴き出し、生き物の如くに蠢く。

 

「『カースド・ラーヴァ・スワンプ』!」

 

 それはダクネスとアクアの周囲八方から噴出しており、そして、中心の二人を逃さずに一息で呑み込む。そう、溶岩流が集束して檻のように。

 ただ魔力を振るうのではなく、魔法を行使した。

 その力は流石のアクアも瞬時に打ち消せぬのか。火炎の牢獄に囚われる。

 それで邪魔者を除けた堕天使は、業火を背景に飛び掛かってきた――!

 

「来ましたよカズマ!」

「わかってるよ!」

 

 このパーティは前衛のダクネスがやられれば脆い。

 攻撃力の大部分は『アークウィザード』のめぐみんに頼っているが、防御の要は間違いなく『クルセイダー』のダクネスだ。『アークプリースト』のアクアまで抜かれたとなってはもう悲惨だ。回避(にげ)に特化したスキル構成、ひとりでならカズマも逃げられるが、めぐみんを連れてはいくら『逃走』スキルがあっても無理がある。

 

「喰らえ! 『スタン』――!」

 

 だから、ここは『魔弾銃』の出番だ。

 『スタン』で動きを停めてから、めぐみんを連れて一旦離脱する。もしくは『金縛り』と『マホトラ』の鬼畜コンボで――

 

 

「貴様の攻撃法は既に見ている。その魔道具もな! ――『リフレクト』!」

 

 

 んなっ!? と魔弾がカズマの頬すれすれを過った。

 見事に的中させたかに見えた金縛りの呪い付きの魔弾が、堕天使の目前に展開された反射魔法に跳ね返されたのだ。『モンク』の『自動回避』スキルが働かなかったら、直撃していた。

 

「あぐっ――」

「めぐみんっ!?」

 

 が、カズマの背後にいためぐみんに当たってしまう。『スタン』にかかってしまっためぐみんは体が硬直してこちらの背中に寄りかかるよう力なく倒れ掛かる。爆裂魔法で魔力を使い果たした時の状況とほぼ同じ。

 

「まずはひとり」

 

 もう遠距離武器に頼る間合いは通過され、魔王軍の堕天使は鋭い爪先をこちらに向けて揃えて伸ばすよう、手刀を構える。

 魔法でトドメを刺す必要性すら感じていないようだ。これだけ接近されれば、『自動回避』が通用するかも怪しいし、背にはめぐみんもいる。そして、あれだけダクネスをボコボコにした攻撃をカズマは捌けない。

 

 どうする?

 どうする?

 どうする?

 

 頭に浮かんだ選択肢は三つ。

 ひとつ、めぐみんともども仲良く殺される。

 このまま抵抗しなければ確実にその未来になる。

 

 ふたつ、アクアが炎を破ってダクネスが助けに駆け付けてくれる。

 いやこれはない。いくら突破しえてもあそこから三秒で割って入れるには重い(鎧を着た)ダクネスでは支援魔法をかけられても無理がある。

 

 みっつ、重荷となった仲間を捨てて逃げる。

 自分だけなら逃げられるかもしれない――

 

「カズマ」

 

 三つ目の選択肢がカズマの脳裏に過ったちょうどその時、背中のめぐみんが囁いた。

 

「足手まといになるのは…ごめんです。ですから、私を……」

 

 置いて逃げてください――

 この文句は、三つ目の後押しになってくれた。――昔なら。

 

 ――くそぉっ! しょうがねぇな!

 

 夢の中だけど、クマに追われて運んでいた岩よりも軽い。

 というか、自分のミスで麻痺させた仲間を囮にして逃げるとか後味が悪すぎるし、なんだかんだで長い時間を共に過ごし、そして、仲間以上恋人未満とはいえ仲のいい女の子を見捨ててというのはどんな鬼畜だって御免被る。

 

「カズマ――!?」

 

 最弱職の冒険者は、仲間を背負い直した。これに少女は驚いた声を上げる。でも、新聞にも書かれていたが、こういう“荷物持ち”とやらは上級職揃いパーティの中でただひとりの最弱職(カズマ)の役目なんだろう?

 

 膝は震える。腰も引いて及び腰。でも、小太刀を抜いた。

 

「ほう」

 

 これに堕天使は少々感心する声を漏らした。そう“感心する”だ。明らかに此方を格下と見ている態度。ありありと余裕が見える。圧倒的弱者なムシケラが反抗したことに興味を引いただけなのだ。

 

 剣を向ける覚悟は良い。けれど、構えがまるでド素人。

 剣士の冒険者から『片手剣』スキルを教えてもらっているが、幸運補正など働かないこのスキルでは力いっぱいに振ってもすっぽりと剣を手放さない程度の効力だ。何か必殺剣が使えるとかそういうのはないのだ。それに所詮、魔法使いの少女(めぐみん)よりも力のない最弱職。精々、油断している相手でも刃を当てることしかできない。斬るなんて無理難題。

 まさに、蟷螂(ムシケラ)の斧。

 

「『ウインドブレス』!」

 

 小太刀を手にした右手とは逆の手に隠し掴んで(もって)いた砂を初級風魔法で飛ばす。目潰し。この前の挑戦者相手には見せなかったこの十八番に少し目を瞑るデューク。

 そこへすかさずカズマは小太刀を振るう。

 だが目を瞑っても回避できよう。何といっても素の能力が非常に低いのだから。

 

(ふん。小賢しいが、冥途への土産だ。その覚悟に免じて一太刀くらいは受けてやろう――)

 

 ――だが、『一寸の虫にも五分の魂』なんて格言が前の世界(にほん)にはあった。

 

「ダメだったら五千万エリスを半額に値切ってもらうからなとんぬら!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

『兄ちゃんは、切り裂き魔の話を知っているか?』

 

 なんだそれ? 物騒な話っぽい感じだけど。

 

『女子に襲い掛かっては、誰一人としてその肌を傷つけずに服だけ切り裂いていくという昔有名だった犯罪者の話だ』

 

 はあ。なにそれ普通に変態野郎じゃん。

 でも、服のみを切り裂くなんて中々できることじゃない。というか、達人の腕前なんじゃないか。

 それほどの能力をセクハラに使うとはすごいがっかりだ。

 

『それはあまり兄ちゃんが言えるセリフじゃないと思うが。まあ、でもその切り裂き魔は兄ちゃんが思うような達人というわけでもなかった。むしろ素人で、だから、服しか斬れなかったというのが説明としては正しいのかもな』

 

 ?? わけがわからない。何か仕掛けがあるのは察するが、その種は何なんだ?

 

『種明かしをするとだな。昔に俺がギルドから鑑定依頼されたとある物品、それが切り裂き魔の使った刃物――『切り裂きシャックの妖刀』でな。それが単なる刃物ではなく、魔道具として特殊な効果のあるアイテムだった』

 

 

 ♢♢♢

 

 

 とんぬらが修行の後に用意してくれたのは、魔導石と魔弾銃、そして、魔法剣として錬金処理が施された相棒『ちゅんちゅん丸』だった。

 

 その効果は、切り裂き魔の妖刀と同じで、“魔力で物を断つ”というもの。

 言ってしまえば、『理力の杖』と似たようなもの。

 しかし、派手な魔力を放出する“疑似ライト・オブ・セイバー”の杖とは違って、光らないし、目立たない。射程は小太刀から伸びはしないが、不意打ちには絶好な、隠密性に優れた特性がある。

 

『しかし、魔力で断つというのは相当大変だ。普段の兄ちゃんの魔力では切り裂き魔と同じように精々服くらいしか斬れないセクハラ仕様なナマクラにしかならない』

 

 剣士職が振るっても『切り裂きシャックの妖刀』はコボルトすら斬り倒せない。

 ――だけどもしもめぐみんくらいの魔力をすべて費やせれば、魔剣使いミツルギの『グラム』が放つ必殺剣『ルーン・オブ・セイバー』に匹敵する威力を出すだろう。

 

 魔法剣、否、“妖刀”となった『ちゅんちゅん丸』は、技でも力でもなく、魔力で“物を断つ”。そう、『マホトラ』と組み合わせれば、()()()()()()()()()()()でも十分に切れる。

 

 挑戦を受ける前の練習の際、試しに軽く当てただけで巨大ゴーレムを真っ二つにした、斬鉄剣の如き切れ味だった。

 対人戦で挑戦者への使用を控えるほどの危険な切り札である。

 

 

「なん、だと――」

 

 小太刀が当たった肩から斜めにズバッ――と袈裟懸けに堕天使は断たれた。

 ローブは脱ぎ捨てられ、ほぼ裸身となった肌へ直に触れた刃は、凄まじいキレ味を発揮して、両断したのである。

 手応えを感じ取ったカズマは勢い余ってデュークの脇を通り抜け、頭から地面にダイブする形でもつれ転んだ。

 

「お、おおおおっ! これぞ必殺剣! 『全方位型回転バッソー』だ!」

 

 地面を転がったカズマは、すぐに立ち上がると思い知ったかとポーズを取った。

 それを間近で見ていためぐみんには、その強がった態度、ハッタリな音頭はバレバレであったが、何も大げさには不思議と思わない。他力本願に寄り過ぎるようにも思えるが、足りないものを他者の協力で補うのは至極当然な事。

 油断大敵。相手は、勝てないと知りつつ挑む覚悟のあった『最強の最弱職』を侮った。ならば、この結果は必然である。

 大切なのは勝算ではない。

 遥かに劣ると自覚しつつ、その高みに手を伸ばす愚者が、奇跡を積み上げることで英雄となる。勝てる戦いに勝利したところで名声には程遠く、なればこそ勝算の低い戦いに挑む者には敬意を篭めてその生き方を評価するのが正しい。

 なんだかんだでやってくれるのではないかと仄かな期待を寄せていた男が、なんやかんや逃げずに勝ち目のない戦いをひっくり返した。

 そういえば、アイリスに、一体どういうところであの男を気に入ったのですか? と訊ねたときも、『お兄様のそう言うところが気に入った』なんて答えてくれたことがあったけど、今改めてそれを理解した気分だ。

 

 とりあえず今くらいはよいしょしてあげましょうか。

 

「カズ――」

 

 そう、めぐみんが声をかけようとした時だった。

 斜めに断たれたはずの躰が動き出す。倒したことに一安心ついたカズマへとボディブローを繰り出し、それが鳩尾へと沈む。

 

「カズマっ!!?」

 

 不意を打たれ返されたカズマの体は数m吹っ飛ばされた。ほとんど腕だけの力の手打ちだったのに、呼吸と血液が乱れ、意識が飛びかける、なんて理不尽な力の差。何度もえづいて、打たれた胸を押さえるカズマ。とても立ち上がれそうになく――そして、動き出した死体はカッと光る。

 

 

「俺が……こんなコボルトにすら殺される雑魚に、『不死』の権能に頼らされるとは……!」

 

 

 数瞬後、そこに皮膚に無数の血管を浮かび上がらせた異形の堕天使が、復活していた。

 暗い色に染まった瞳。並びの良かった白い歯が剥き出しになり、ダラダラと涎を流している。

 めぐみんは、両手で握った杖を身に寄せる。何か考えてのことではなく、本能的なもの。眩しいものを見たら目を閉じる、熱いものに触れたら手を引く、そして、危険なものを見たら離れる。それと同じ。

 より変貌した堕天使が発する異常な迫力と、その暗い眼差しにめぐみんは呑まれた。

 

「この破壊の化身に傷をつけるとは、その罪、万死に値す――っ!」

 

 カズマに向けて止めを刺すための火炎を放とうとしたデュークは、不意に飛びずさった。

 この反応に何かと訝しめば、

 

「フハハハハハハッ! フハハハハハハッ!」

 

 その時、空気をまるで読まない邪悪と傲慢さを兼ね備えた高笑いが場を呑んだ。

 一体いつの間にそこにいたのか、墓地の中の一際高くなった場所に立っているのは、パリッとしたタキシードに身を包み仮面で顔を覆い隠した大男。

 

「このような辺境の街へようこそ、汝、身の程知らずに魔王軍幹部を欲する者よ」

 

 見通す悪魔こと地獄の公爵、大悪魔バニルである。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「元から忌むべき神のパシリが、堕天したことにより滑稽になっておるな! フハハハ分不相応に力を欲したせいか、自らが忌み嫌うアンデッドのように成り果てているとは無様極まる! フハハハハ、一体どこまで身の程知らずなのだ汝は!」

 

 デュークを指差して憚らずに大笑いするバニル。

 魔王軍幹部であったバニルを知っているデュークは表情を険しくしながら、元は同じ所属だった穢らわしき悪魔へと棘のある言葉で牽制する。

 

「違います、バニル殿。これは『不死』の権能、不浄なアンデッドとは比べるも烏滸がましい別次元の存在。元魔王軍幹部とはいえ、手出しをするようなら容赦しません」

 

「力に呑まれていることにすら気づかぬ分際でよくここまで思い上がったものだ。汝は、魔王軍幹部としても、敵対者である神族としても、我輩と肩を並べるに値せぬ」

 

 見下す態度を変えようとしないバニルにデュークは魔力をざわつかせる。

 だがそれ以上の睨み合いは叶わなかった。

 何故ならば、先程サトウカズマにトドメを刺すのを中断させられた気配が現れたのだから。

 

 

「デュークさん……これは、どういうことなんですか?」

 

 

 のんびりとした問いかけとは対照的に、デュークに向けられたその気迫は氷の刃そのものだった。

 眉間や左胸に何が突き付けられているわけでもない。だが迂闊に動けばバッサリやられる。むやみやたら振り撒くのではない、一点に絞り込んで、しかも警告程度に抑えられるくらい殺気を研いだ猛者。

 元幹部だったバニルとは違い、(なんちゃってだが)現幹部であるリッチー――ウィズが墓所に現れていた。

 

「ふっ……ようやく来たか。待ちわびたぞ」

 

 ウィズは体が麻痺しているめぐみん、未だに苦しげに悶えるカズマ、それから、溶岩流の牢獄を破ってすすだらけのアクアとダクネスを見やってから、視線を、姿が変わり果てたデュークへ戻す。

 それから、もう一度訪ねる。

 

「……騙したんですか?」

 

「何をだ。貴様は俺と魔王軍幹部の座を巡り、決闘を受け入れたのだろう。元は『氷の魔女』と呼ばれ、至高の冒険者パーティを導いた者よ。今となってはアンデッドに成り下がり、それでもなお魔導の真髄を追い求めたものよ。さあ、覚悟を決めるがいい!」

 

 また荒ぶる魔力が墓地に火炎の渦を巻き起こして士気を高めていくデュークに対して、ウィズは俯いたまま顔を上げず。

 

「………プロポーズだと思ってたのに………生まれて初めての告白をされたんだと………

でも、もう長い付き合いになる、変わり者の友人との約束があるから断ろうと決めて………それでもすごく悩んで………なのに……! ――許せない! こんな屈辱初めてですよ

! まだ私が人間だったころ、バニルさんとやり合って散々おちょくられたとき以上に屈辱です! そんなに行き遅れのリッチーの心を弄んで楽しいんですか!」

 

 傍で見ているめぐみんでも背筋が凍るような寒気を覚えるが、デュークはそんなことお構いなしに盛り上がっていた。

 

「今日この時、俺は証明しよう。俺は貴様以上に魔王軍幹部に相応しく、そして、アンデッドの王リッチーである貴様以上の力を持つ災厄の化身と成ったことを!」

 

「私だって好きで魔王軍の幹部をやってるわけじゃありませんよ! 魔王さんの結界の維持をできるほど強い魔力を持つ人が他にいないから、どうしてもって頼まれているから仕方なく……!」

 

「ならば、大人しくその座を明け渡すことだ。そうすれば、俺が貴様の代わりに、貴様以上の災厄をこの魔王軍の最重要攻略地点に指定された辺境の地にもたらしてやろう!」

 

 

 不敵な笑みで宣誓したデュークは――決闘の開始を告げようとして、勢い良く弾き飛ばされた。

 

 

 おお……っ!

 弾き飛ばされたデュークが墓石のひとつにぶち当たる。そして、無詠唱の魔法を放ったと思われるウィズを見れば、そのデュークの方へと手のひらを向けていた。

 

「この街が最重要攻略拠点に? ……ここが襲われる?」

 

 冷たい印象を与える静かな声、これまで耳にした事がないウィズの声音。

 

「確か、私が中立でいる条件、魔王軍の肩に手を出さない条件は、冒険者や騎士など、戦闘に携わる者以外の人間を殺さない方に限る、そう幹部を引き受ける際に話をしたはずですよね?」

 

 それは、普段の温厚な印象を一切感じさせることもなく、最強のアンデッド、リッチーに相応しい貫録を見せつけていた。

 

「冒険者が戦闘で命を落とすのは仕方がないことです。彼らだって、日夜モンスターの命を奪い、それで生計を立てていますから、自らも逆に狩られる覚悟は持つべきです。そして、騎士もそうです。彼らは税を取り、その代価として住民を守っている。対価を得ているのですから、命のやり取りも仕方ありません」

 

 初めて目の当たりにする、ウィズの嘆きと怒り。めぐみん、それにカズマ、ダクネスとアクアも押し黙る。

 

「ですが、この街の人々にどんな罪があるというのですか」

 

「ここまで腑抜けているとは! やはり貴様は魔王軍幹部に相応しくはない!」

 

 再びデュークへとウィズから不可視の魔力塊が撃たれるも、今度は躱された。

 

「怠惰な罪を抱いて焼かれるがいい、リッチー!」

 

 空へ飛翔していた堕天使の瞳が変じていく。

 暴走しているか定かではなかった朧な瞳から――力に呑まれたものの瞳へと。それにつれて、身体に纏っていた魔力にも別の成分が混じっていた。

 殺気である。

 べろりと唇を舐めあげ、完全に破壊の化身へと成り果てた顔で嗤う。途端、墓所のあちらこちらに火の手が上がった。墓場どころか街全体の気温が急上昇していく。

 そして墓地は炎の膜に覆われていく。真紅に燃え盛る炎のドームが被せられた。そんな視界一面、炎に染められた中空にあるその姿も炎に溶け込むよう。

 ゆるゆると

 ゆらゆらと。

 業火に揺れて、火の粉を弾いて。

 

 金縛りが解けて駆け付けためぐみんに支えられながら空を見上げるカズマは感想を抱く。

 罪深き街ソドムとゴモラを灼いた、天空の火。前の世界に広まっていた聖書に記された災厄とはこんな光景だったのかと。

 

「『ファイアー・レジスト』! 『フリーズ・バインド』!」

 

 そんな二人を耐火の支援魔法と氷結の拘束魔法、その加減した応用した熱冷ましで空気を冷却。さながら即興の防火服を魔力で編んだようにさらっと仕立ててみせる。おかげで呼吸するのが楽になり、また落ち着いた。

 そうだ、こっちには不死王の『氷の魔女』ウィズがついている。

 

「余所見をしている余裕があるのか! ――『カースド・インフェルノ』ー!」

 

「『ウインドカーテン』!」

 

 真上から雪崩れ込む漆黒の業火だったが、ウィズに直撃せず堰き止められた。不可視の壁に阻まれているかのような幻想的な光景に、カズマも唾を飲み込んだ。

 

 これは、空気の断層を作ったのか!?

 魔法瓶と同じ理屈。如何なる高熱でも、その熱を伝える媒介がなければ無意味だ。堕天使が振るった灼熱さえもほとんど打ち消している。その真空を発生させるほどの現象を旋風魔法で起こしてみせるウィズ。一つの魔法をとっても技量が卓越しているのがよくわかる。

 攻撃魔法しか行使しないデュークと比べ、この魔法全般の使い方がウィズの方が巧いし、格上だ。どれだけ魔力が増したところでその差は、覆りはしないだろう。

 

「小賢しい! ならばこれを防げるか! ――『カースド・ラーヴァ・スワンプ』!」

 

 焼けた大地を突き破って現れたのは紅蓮の大渦だった。

 先ほど一時とはいえ水の女神さえ閉じ込めたあの魔法だ。

 中心のウィズは八方に配置された炎色の光に照らされて、影が落ちる場もなく、猛り狂う溶岩流に炙られていた。まるで人間を焼く天罰、永劫の業火の中に囚われるよう。

 

 そして、一気に火妖の朱に爆発する――前にかき消された。

 

「『マジック・キャンセラー』」

 

 アクアも手古摺った魔法をも解いてみせるウィズ。そして、天上に向けて手をかざし、

 

「『カースド・クリスタルプリズン』」

 

 空を飛ぶ堕天使を、瞬間的に氷の牢獄に閉じ込めてしまった。

 全身ではなく体の上半身だけだが、業火に炙られても融解しないほどの強度を誇る枷。それでも地上へ二度も落とされてたまるかと堕天使は意地でも上空を陣取ろうとする――がそんなのお構いなしに。

 

 

「『エクスプロージョン』!!」

 

 

 上級魔法から連発して、爆裂魔法を解き放った――!

 

 

 ♢♢♢

 

 

 人類最大火力の魔法の余波、強烈な爆風でもって、真っ赤に輝く炎のドームすら薙ぎ払ってみせる。

 夜中だけれど晴れやかになったところで、アクアが嬉々としてウィズに駆け寄った。

 

「やったわねウィズ! フラれたことへの腹いせに、木端微塵に吹き飛ばすだなんてやるじゃない!」

 

「待ってくださいアクア様、フラれた腹いせであんなことをしたんじゃありませんよ!」

 

 アクアの身も蓋もない言い分に、デュークへ虚ろな視線を向けていたウィズは涙目を浮かべて抗議する。その普段通りに戻ってくれた様を見て、カズマは胸を撫で下ろすよう長く息を吐く。跡形もなく吹き飛ばしたんだ。いくら不死身だからって流石にあれは……

 

「ま、これでもうおしまいよね。いくら不死だからって、爆裂魔法で吹っ飛ばされたら再生してこないわよ。さあ、帰ってお酒でも飲みましょうか! 今日は特別にフラれたウィズを慰めてあげるわ!」

 

 あのバカッ、何であいつはそうお約束が好きなんだよ! そんなフラグになるようなことを口走ったら……!

 

 

「――油断したなウィズ。俺の権能は、貴様(リッチー)以上の不死性だ」

 

 

 がしっ、と後ろからウィズの首元を掴む何か。

 見れば、光の粒子が集って再生したデュークがいた。まだ指先まで完全に復元し切っていない堕天使の手が、ウィズの首を掴んでいた。

 

「っ、ふん――!」

 

 リッチーは触れた相手に状態異常を引き起こす。それを警戒してか、反応される前にウィズの体を真横へ放り投げた。人間離れした膂力で投げ飛ばされたウィズの体がアクアに当たって巻き込むようもつれ転ぶ。

 

「『女神の果実』で得た魔力が尽きぬ限り、俺を殺すことは誰にもできない。そして、ウィズよ。俺が何の考えなしにこの墓地を指定したと思うまいな!」

 

 導火線に一斉に火をつけたように、地表に焼き焦げの跡が一気に広がる。それは魔法陣。かつてこの地に描かれたものを()()()()した魔法陣。

 

「『セイクリッド・サンクチュアリ』!」

 

「きゃあああああ!」

 

 墓地を包み込むほどの大きさの、聖なる魔法陣。

 一切の不浄を許さない上位神聖魔法は、リッチーであるウィズには防ぎようのないモノ。それも……

 

「ククク、雑に消されていたが、この墓所には一切の亡霊の立ち入りを拒絶する結界が張られていたようだ。この街を調査している時にこの痕跡を見つけた俺は、ここでリッチーである『氷の魔女』を討つと決めた。そう、この凄まじく強力な女神級の結界を再生利用してな!」

 

 一切の亡霊の立ち入りを拒絶する結界……。

 どうしよう、非っ常に心当たりがある。そうだ、この街の共同墓地は、かつてアクアが神聖属性の巨大な結界を張っていた。ウィズから墓地の迷える霊を定期的に成仏させてほしいと頼まれて、でも、しょっちゅう墓地まで行くのって面倒くさいから、いっそ墓場に例の住み場所を無くしてしまえば、そのうち自然消滅してくれるんじゃないか、と

 それで今住んでいる屋敷に行き場を失った悪霊が住み着いて……――

 

「あ、これって私が描いた魔法陣に上書きしているの!?」

 

 ちゃんと手抜きせずに消せよ! 利用されるような痕跡を残してんじゃねーよ、アクア!

 これはもう後で説教だ。おかげでウィズが大ピンチだし、というか早く救出しないと危ないんじゃないか。もう若干透けているし。

 

「カズマ、マズいですよ。いくらウィズでも爆裂魔法を放った直後に、浄化されてはひとたまりもありません!」

 

 焦った声を上げるめぐみん。わかっている。今すぐにウィズをこの結界の張られた墓所から離した方がいいことは。

 だけど、それにはまず邪魔してくるだろうデュークをどうにかしなければならない。あの堕天使を相手できるのは――

 

「なあ、バニル! 手を貸してくれないか!」

 

「ふむ。だが、小僧よ、対価を支払う余裕はあるのか?」

 

「はあ?」

 

「悪魔はタダ働きはせん。動かしたければ相応の代価を支払うがいい」

 

「ウィズが危ないんだぞ! あのままじゃ本気で成仏するかもしれない」

 

「ならばそれまでということ。油断したとはいえあの程度の小物にやられるとは我輩もがっかりだ」

 

 あのデュークに対抗できそうなバニルへの協力を取り付けようとしたが、あっけなく断られた。

 いやそもそもバニルなら先の展開を予想できただろうし、なのにウィズの危険を回避させようとしなかった。コイツ、そんな血も涙もないような悪魔だったのか――!

 

 そんな此方の会話を拾ったのか、デュークはまるで物怖じしない物言いでバニルへ言う。

 

「手を出しても別に構わないぞ。元幹部ということで見逃そうかと思っていたが、所詮、認めていたそのリッチーもこの通り、俺の敵ではなかった。つまり、ここで地獄の公爵も始末しておくのも大した労ではないということだ」

 

「は!」

 

 これに対し、バニルは大きく口を開けて、

 

「フハ!「フハハ!「フハハハ!「フハハハハ!「フハハハハハ!「フハ八八ノ\ノ\ノ\ッッッ!」

 

 大いに笑う。呵々大笑。堕天使の挑発に、仮面の悪魔はその土塊でできた人形が崩れんばかりに、笑って笑って笑って笑い尽し――

 

「思い上がりもここまでくると笑えなくなってくるな」

 

 と。

 呆気からんと笑みを消して、両手を万歳の形に上げた。肩透かしを食らったようにぽかんと口を開ける堕天使だったが、そんな向こうの視線など一顧だにせず、大袈裟に溜息を吐く始末。

 

「まったく、まだ決着をつけていない相手がいるだろうに」

 

 と誰も見ていないその方角へと視線を振る。

 

「竜の小僧が前座を引き受けている時点で我輩が手を出すまでもない」

 

 その先より現れたのは、仮面。

 

「むしろここで獲物を横取りなんてして、すべてを見通す目にも予測不能な奇想天外に巻き込まれることになるのは真っ平ごめんである」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 堕天使もまたその気配に気づく。

 だが、さほど慌てることもない。先は追い詰められたが、今はもう違う。圧倒的な力を得た。そして、知った。この人間には逆らい難いものがあるのだと。

 

「『仮面の紅魔族』、今更出しゃばってきたところで、先の反応で貴様の弱点はとうに知れた」

 

 だが、『仮面の紅魔族』は構わず歩いてくる。目を瞑ったまま。

 幼い頃より闇に慣れた彼は無明の中でも足取りに乱れはない。

 しかしだ。目前の敵を見もせず、散歩するように気負いのない、自然な足取り。これに違和感を覚えるが、あまりに舐めた態度に腹が立つ激情が上回る。

 

 デュークはとんぬらへ指を突きつけ、高らかに宣告する。

 

「よかろう。そこまで死を望むのであれば望み通りにしてやろう。――我が『災い』の権能よ! この愚かな人間に破滅の災いを!」

 

 『仮面の紅魔族』がまるで抵抗できなかった神格の呪詛。それも先程よりも強力で凶悪な。

 

 ――カッ、と仮面の奥の双眸が開く。

 瞬間、もし目に見える呪縛であったのなら、振りかかった神格になど秒で蒸発した様が見えたことだろう。

 

 露わになった彼の両目には明瞭な激情と、言い難い冷徹さが同居して帯びていた。

 そう、“目が血走る”なんて言葉を表しているかのように瞳孔が開いた赫怒の瞳には隠そうともしない感情が篭められていた。

 

 堕天使は戦意からではなく、ただ純粋に、畏れから『仮面の紅魔族』を殺さなければと直感した。

 目と目が合った瞬間に悟った。

 あの眼光は、本物の狂戦士のものだ。あれは一切の容赦をしない。野生の獣――なんて次元をはるかに超越した、無慈悲そのものの体現者。

 

「ぐぅっ!!? しまっ……」

 

 神格の呪詛が、()()()()。制約として、その反動でデュークの体は硬直した。動けない。逃げられない――!

 

 とんっ。

 力を篭めるでもない。『仮面の紅魔族』は、軽く、地面を踏んだだけ――それだけで、次の瞬間には、両者の間合いが詰まっていた。

 

 ドッ!! と鞭のようにしなった右足が、一直線に堕天使のこめかみへと迫った。

 半身になってそらす。こともできない。

 この上ない上段蹴り。ハイキック。あまりの冴えに、時間が一瞬止まったかという錯覚さえ与える一撃だった。

 その衝撃で堕天使の体が地面の上で回転して吹き飛ぶ。ゴルフボールのピンのように。

 そう、ヘッドショットに薙ぎ払われた頭蓋は、角を蹴り砕かれて、彼方へと飛んでいってしまった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――『アース・シェイカー』!」

 

 堕天使が倒された直後、声高らかな詠唱と共に墓地が揺らぐ。

 焼き印されて火を消しても焦げ跡が残っていた魔法陣が、地盤ごと割られ、意味をなさなくなる。

 

「ウィズさん、大丈夫ですか!」

 

 この大地に干渉する上級魔法を行使したのは、やはりゆんゆん。

 聖域を破壊するために、力技で墓地全体の地表を荒らすとは流石は紅魔族。

 そうして、術者が倒され、魔法陣も崩されたことで対アンデッドに強力な浄化の光も消え去った。やや薄まっているがウィズも無事だ。

 それよりも――

 

「ゆんゆん。とんぬらはどうなっているのだ?」

 

 共にウィズの体を支えるダクネスに問われて、ゆんゆんは少しだけ表情を曇らせる反応をするが、答えてくれた。

 

「今のとんぬらは、『本能回帰』しています。あまり近づかないでください。その……危険ですから」

 

 ――『本能回帰』。

 『竜言語魔法』の中でも最も危険な魔法。

 肉体の強化でも耐性やブレスの威力を高めるものでもなく、パスを繋いだ(もの)の“心”に働く。

 その厳重に理性という封で押さえられた本能を、その凶暴性を解放する。

 

 それは、とんぬらにとっては特に急激な変動を及ぼす。

 鋼の精神とも称されるとんぬらは、感情を抑え込むのが得意だが、感情を露にするに不慣れである。普段、常人なら力に呑まれるドラゴンの暴威を御している自制心、それを無くすのが『本能回帰』ともなれば、魔本『甘えん坊辞典』を読んだ時とは比にならない、剥き出しの激情が解き放たれる。

 

「私達は、この『本能回帰』を使うことがあっても全開になんてできていません。精々半分……でも、あの堕天使に抗うには、とんぬらのままではダメなんです。だから、今のとんぬらは、“とんぬらでいられる”ギリギリなんです」

 

 人間よりもドラゴンに心を傾けたことで、神格に遠慮がなくなった。

 神気の類に服従してしまう性質から、非常に弱かったが、今はそれを無視できるほどに、()()()()している――

 

 

「ばか……な……!? 神をも超える力を手に入れたこの私が……貴様に……人間如きに圧されるというのか……!? ――っ! ありえん!」

 

 再生する身体。しかし、向こうは敵ひとりを滅ぼすまで血の気が収まらない。今も起き上がるのを視認するや、デュークに呪文詠唱させる間も与えんと牽制の炎を突き切って一直線で迫る。

 

「はっ! 俺を魔法だけだと思ったか!」

 

 堕天使は『クルセイダー』に浴びせたのと同じ超高速連打を実行する。

 『女神の果実』でもって進化した肉体。素手でも人間を屠れる自信があった。

 そのダクネスを滅多打ちにした以上の速度で飛ぶ凶打が、驚くほど優しく、(たなごころ)に受け止められた。まるで手ごたえを感じない。綿に包まれたような感触だった。

 そんな感想を抱く前にすでに。直角に堕天使の体が地面に落ちた。背中から。

 血飛沫を噴き上げるデュークを投げた姿勢のまま、『仮面の紅魔族』は見下ろす。

 

「ナっ……メ、た真似をおおお!!」

 

 デュークが直上に振り上げた拳を、また受け止められた。『龍脈』スキルを作用させて魔力放出を具現化させた“爪”と共に握り潰し、肘まで“爪”が噛み千(ねじり)切り、その手を堕天使の鳩尾目掛けて打ち下ろす。

 貫通して、地面まで。

 

「げほっ……! よくもや」

 

 杭打ちした拳を引き抜き、そのまま鳩尾から拳一つ分左斜め、心臓に近い場所を再び地面まで打ち貫いた。

 

 コイツ、躊躇なく急所を……!!?

 狂化していても、その技能の冴えは失われていない。

 今はそれまではなかった底知れぬ殺意が目に宿っている。それでいて、魔獣のように吠え立てることもなく、無言のまま獲物(おのれ)を睨み据える。

 

 『不死』の権能で魔力がある限り、肉体は復元する。たとえ爆裂魔法を食らったところで再生する。

 しかし、赫灼と輝く目は“殺し切るまで殺す”と宣告していた。

 

 ――そして、それが可能だった。

 『本能回帰』した『仮面の紅魔族』はドラゴンの特性が常以上に活発となっている。

 元々、『仮面の紅魔族』は総魔力量の素質においては、紅魔族随一の天才には劣るが、紅魔族の優秀な遺伝素養のひとつである、魔力回復速度はその天才を上回っていた。奇跡魔法という外れ(スカ)を引こうが上級魔法分の魔力消費をするのに連続行使できるのは、これが要因。

 それが、周囲から魔力を取り込むドラゴンの優れた自然回復力の特性でさらに増強されているのだ。クローンズヒュドラは眠りについた際に周辺の大地から魔力を吸い上げるが、とんぬらは固有スキル『全てを吸い込む』……『本能回帰』されて人よりも竜側に傾き拡大解釈された効能も相俟ってか、呼吸と共に大気中に残存する魔力をも吸収している。この非常に効率性の高い魔力吸収及び回復能力は永久機関に等しいレベルで魔力切れを起こす心配が皆無になった。

 たとえ『龍脈』スキルで放出する“爪”に膨大な魔力を垂れ流しにしていようが、その無駄な余剰分は『全てを吸い込む』で回収してしまえるのだから、通常では瞬間的なものであっても常時展開を可能とする。

 

「ぐおおおおっ!! 『カースド・ラーヴァ・スワンプ』ーッ!!」

 

 ますます加速して八つ裂きにされる。

 永劫に蹂躙される展開が目に見えた恐怖となったことで、堕天使は自らの体を滅多打ち貫かれながら叫んだ。

 自らを巻き込む形で灼熱地獄の牢獄を行使。たとえ自滅しようとも、形振り構わず始末に走る。『不死』の権能があるからこその自爆戦術だ。

 

 だが、ドラゴン時とは違い、姿形は魔法使い(にんげん)のままであるのはつまり――

 

 

「『エボルモシャサス』」

 

 

 ――竜変身時にはできなかった魔法の行使すら可能とする。

 一帯の気象を“冬”に塗り替えてしまう存在感を有する化身、『冬将軍』を模した全身鎧を纏うように究極変化魔法でもって具象化。

 

 八方より集束するマグマの奔流が背中に降りかかるが、氷の装甲は融解すること叶わず。逆に溶岩流が凍てついてしまう。

 

 己の魔法がまるで通用しない様に、より上位に進化したはずの堕天使は絶望さえ感じ始めていた。

 そうだ。真に極まったドラゴンは、神々すら恐れる怪物。

 

「このバケモノがああああああああ!」

 

 ギチギチと。噛み合わせて慣れるよう五指を開閉する動作。鎧籠手と一体となるように氷結してより凶悪になった“爪”が再び頭を食い潰さんと腕を振り上げるその前動作を見て、デュークは溜まらず直視が憚れる恐怖に目を瞑る――

 

 

 ♢♢♢

 

 

 頭の中に強烈に吹き荒れるのは、世界が赤く染まって見えるほどの破壊衝動。

 ああ、壊したい、目の前の獲物を嬲りたい。圧倒的な力でひれ伏させ、絶望した顔を見てみたい。

 殺す――許さない――許さない――大切な――大事な――許さない――殺す――壊す――引き裂き――八つ裂きにし――許さない――許さない――許さない――許せない――!!

 

 視界が赤く染まるごとに身体に力が漲ってくる。

 

 まだだ……まだ出せる……我慢などする必要などない……より深く、より強く……もっともっと……力を引き出せるッ!!

 

 捉えた獲物、殺すたびに経験値と共に絞り出るのは、『女神の果実』の魔力。息を吸うごとに残滓と漂うそれを消え去る前に掻き集め、躰を賦活してより一層バケモノへ――

 

 

「――――――いや、違う」

 

 

 頭蓋を。

 手で掴み。

 砕――かず、堕天使の身柄を後ろ手で無造作に放り投げた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「とんぬら!」

 

 身動きできない状態で大量の水に流され、溺れて、意識を失った。

 声に反応して目を開ければ、地面の上で大の字に倒れていた。

 

「……ゆんゆん」

 

 そして、彼女が胸に抱き着いている。この胸に顔を埋めるようにして抱き着く。その少女の肩は震えていて、泣いているようだった。

 

「俺は何ともない。ただ、堕天使の呪いは弱点のようで、思うように抵抗できないだけだ」

 

 冷静に己の状態を述べても、ゆんゆんは離れようとしない。困って、その頭を撫でようと思ったのだが、相変わらず体は動いてくれなくて余計に己の不甲斐なさに呆れる。

 

 ……やはり、これを破るには、それしかないのか。

 五感は働いているので、耳で状況は終わっていないと悟る。己が立たねば。ああ、だけどそのためには彼女に枷を外してもらわなければならない。

 きっと後をついてきて様子を見ているくらいとっくに承知済み。予言ができる悪魔よりもわかった気になる彼女のことだから。

 だから、反対されるだろうなとも承知する。

 もうずっと抱き着いたまま動かないゆんゆんに。

 まだ泣いている。そんなに心配させてしまった。

 この胸を濡らす涙を感じていると、周囲の何も気にならなくなってくる。

 自分を心配して、彼女は泣いている。自分の生存を喜び、彼女は泣いている。自分は泣き方が下手なせいか、それがより尊いものに思える。九死に一生を得る体験を幾度もして摩耗してしまっているが、彼女の泣き様からそのありがたみをよく理解する。そして、その度に胸が痛い。この涙がもたらす痛悔は一滴たりとも忘れたことはない。

 

 だけど、やっぱり状況は終わっていないみたいで――自分は立たないといけない。彼女の涙を拭うことも敵わないとは男として情けないに尽きるのだから。だから、無理してでも立ち上がりたいのだ。まったく己の在り方は頑固に変わっちゃくれないものだとつい嘆息が出てしまう。

 

「頼みがある、ゆんゆん」

 

 でも、せめて今日はもう泣かさせない――

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ああ、そうだ――泣き顔もまた可愛いんだが、あまり見たいと思えるもんじゃないからな。こんなヒロイックな味、俺にはどんなコーヒーよりも苦い」

 

 “爪”は消えている。『冬将軍』の模造鎧(レプリカ)も融かす。

 

 

「どうしたの? もっとめたんめたんに泣かせてやりなさいな! 私の眷属たる守護竜として、女神よりも偉いだとか抜かす堕天使に身の程を弁えらせてやるのよ!」

「煽るなアクア。外野から余計な野次を入れるんじゃない」

「なあカズマ、ここは『クルセイダー』の私が暴走しているとんぬらを抑え込んでやった方がいいのではないか」

「止めろダクネス。心配しているのもわかるが半分趣味に走ろうとしてんだろ」

「カズマ、私としては抱きしめられている状態も悪くはありませんが、そろそろ解放してくれませんか。今日私まだ爆裂魔法撃っていないんです」

「ダメだめぐみん。今自由にしたら空気読まずにトドメ刺すだろ。ていうか、撃ったらとんぬらも巻き込むじゃねーか! 絶対やめろ!」

「もうさっきからあんぽんたんはグダグダと文句ばかりね。チャンスなんだからみんなで袋叩きにするのが一番手っ取り早いじゃない。そしたらあの子も落ち着くんだろうし。もしかしてビビってるのかしら?」

「は、はあ! ビビッてねぇよ! 俺だってやる時はやる男なんだぞ。でもほら、正気に戻りかけてるっぽいし、ここはそぉっと様子を見てだな……おう、俺はとんぬらはしっかりやる奴だってわかってるから。いざとなれば、こう……どうにかするけどな! うん、どうにか」

 

 

 なんかこんな時でもいつも通りな面子……あんまり『本能回帰(これ)』を怖がっていないというか、自分を敬遠する様子が見られないことに、肩透かしを食らうというか肩を落としてしまうというか。

 

(恐れを知らぬ勇敢なのか、俺のことを信頼してくれているのか、それとも考えなしの無謀なのか判断に迷うところだが、安心してしまうな)

 

 そうして、肩が下がれば自然と肩にかけて背負っていた重荷がずり落ちて降ろしてしまうことになるほどに脱力してから、とんぬらは叫んだ。

 いくら世界が真っ赤に染まって見えようとも、消え去ることなく繋がっていた赤い糸の先へと。

 

「ゆんゆん!」

「――『ニャルプンテ』!」

 

 パートナーが、こちらの望む通り、こちらに向けて、その魔法を行使する。

 相手を妨害する効果を発揮する亜種奇跡魔法。それは元々、『怠惰と暴虐を司る女神』の、行き過ぎた“暴力”を眠りにつかせた“堕落”の効能を組み込んでおり、『本能回帰』に対する鎮静剤(セーフティ)として開発したもの。

 昂る攻撃性(テンション)を一段と下げたとんぬらへ、蹂躙から解放されたデュークは震える声で問う。

 

「何故だ……。何故自ら力を捨てるような真似をする……!」

 

「決まっている。心は人間だからだ」

 

 それが、尊敬する者たちの志。

 

「それに、女を泣かせるのは男のすることじゃない」

 

 それに加えて、反省から胸に刻んでいる訓戒。

 力を求め暴走する堕天使には理解できないかもしれないが、それは自我を失おうが譲れない一線だ。

 

「帰ると約束しているのだから、帰れなくなるほど力にうつつを抜かしては、浮気判定にされる。俺の嫁は可愛いが、おっかないからな。まあ、怒る顔も可愛いんだが」

 

 そして、惚気るように杖代わりの鉄扇を取り出して、

 

「だから、心まで呑むような力はいらない。望んでこの“大凶”を引き当てよう。――厄落としのご祈祷だ、『パルプンテ』!」

 

 ――瞳が赫色に点滅している、正気を取り戻しているこの機を無駄にせず、大外れの奇跡を引き寄せる。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 天界から堕ちて、魔道へ堕ちて、そして、力に堕ちた天使は、更に堕とされた。

 

「お、お、おおおお、おれの……ちから、が……!!?」

 

 圧倒的な全能感という酔いから、醒まされる。

 この身体に満ち満ちていたものが、消えた。

 神族の領域、更なるその先へと高みに至らせてくれた魔力が、喪失していた。

 

 ありえない。こんなことはありえるはずがない!

 俺は確かに、力を掴んだのだ! 絶対的な力をこの手に……!

 

「ない。俺も、お前も、魔力は帳消しにされた」

 

 あっさりと通告する『仮面の紅魔族』は、まるで未練がないようだ。

 だからって、受け入れられるはずがない。

 

「お互いに魔法使い、魔力がないのは結構な痛手を被ることになってしまった。だけど、魔力がある限り倒せぬというのであれば、まずはその魔力を無くすのが先決だろう?」

 

 奇跡魔法の確変がひとつ、『ミラクルゾーン』、結界内の魔力消費が無制限となる現象――それとは、真逆の現象が起こった。

 すなわち、効果範囲内にいる対象すべての魔力を、消失(0に)するというもの

 普段であれば逆に劣勢下に追い込んでしまう類の大外れであったが、この時はそれを望んだ。

 

「ありえない。『女神の果実』の魔力を、女神に等しきあの魔力を消滅させるなど、ありえるがずがない……!」

 

「そのありえない奇跡を起こしてみせるのが、我が『奇跡魔法(パルプンテ)』なわけだが。ご理解いただけたかな?」

 

 とんぬらの破壊衝動を触発させるドラゴンの魔力だけでなく、堕天使デュークの尽きるとは思えぬほど膨大な『世界樹』の魔力さえも、完全消失してしまった。

 

 

「じゃあ、厄落としも済んだことだし――今度は、落とし前をつけさせてもらおうか」

 

 

 杖代わりの鉄扇をしまい、抜いたのは太刀、それから、彼女から預かっている短刀。

 二刀流を構える魔法使いらしからぬ戦闘姿勢。赤くも青くも点らない、ただ己が意志の光のみを宿した純黒の眼差しが向けられている。それだけでこの男が現状を受け入れ、激情に左右されることのない透徹とした精神状態であるのだとわかろう。

 

「言っておくが、今回は、斬り捨てる」

 

 そんな、まるで前は手加減したと言わんばかりの物言いを、デュークは挑発と受け取った。

 

「魔力がなかろうとも、俺は神を超えた破壊の化身だ!」

 

 堕天使は右手の爪でもって自らの左腕を切断する。

 これは正気を失ったからではない。条件(にえ)を整えるため。

 

「腕一本を犠牲にするが、それでも『仮面の紅魔族』を焼き滅ぼせるのなら安いものだろう!!」

 

 『不死と災いを司る太古の神』の権能を発動するために、片腕を供物にする。一切魔力を消費せずとも、生贄を差し出せば彼の権能は応えてくれる。

 頭上へと放られた左腕を基軸に発生した炎が激しく荒れ狂う。

 そう、太陽のフレアさえ思わせる、見る者の眼球さえ焼け爛らせる火炎の渦。先程に増して、猛烈な熱が墓地を席巻する。

 

「破壊の化身が放つ冥土への土産だ!! 『バーニング・クリメイション』!!」

 

 

「―――」

 

 目を閉じる。意識して気息を整える。

 墓所を幾度となく焼いた火炎で熱せられた夜気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 己の魔力も空っぽとなったのは本当。自然回復力を働かせようとも、この瞬時に魔力を消耗する上級魔法級の大技はできない。奇跡魔法に頼れない。

 

 だが、だったら、力だけでなく頭と技をももってして、その災厄を覆すとしよう。

 

「ならばこちらも、貴様の手向けに、今宵の決着に相応しい一芸を披露しよう」

 

 曰く、剣の達人は剣を抜いた時点で、殺し殺されることを当然のように受け入れたという。それは剣士としての心構えからではない。剣の柄を握った瞬間に、彼らは覚醒する。

 殺し合うためだけの肉体、生き残るためだけの頭脳に。

 試合の前に気を引き締める、などというレベルの話ではない。彼らは剣を抜くことで脳の機能を切り替える。肉体を戦闘用に切り替えるのではない。脳が、肉体を戦闘用に作り変えるのだ。

 

「宴会芸がひとつ『物真似』スキル、『まねまね(コピーキャット)』――」

 

 二刀の構えからの自己暗示による、魔法使いから剣士への変態。

 何者かに憑依されたかのように、体の機能が剣を振るう部品にすべて切り替える。

 

 紅魔族の記憶能力で保存されていたその動作を深く思い出し、宴会芸『物真似』スキルに変化魔法『モシャス』を合わせた『まねまね(コピーキャット)』――一度その身に受けたことのある一撃を鏡の如き再現度で模倣演武する。

 そう、経験値として――かつて斬り取った相手の魂の残滓から拾い上げるかのように。

 

 火が爆ぜる音を、とんぬらは遠く聞いた。

 この墓所で今にも弾けんとする、派手な異音であるというのに、瞳は小揺るぎもしなかった。

 すでに、意識がこの再演へと集中しているのだ。外界の必要ない情報は全て意識外で処理されている。自らの思う通り、世界を変容させるほどの集中。

 そして、この極限の集中を賭したとんぬらの構えに、思わず彼女は瞠目した。

 

「これは名を借りた男の技だ」

 

 魔力を扱う才能がなかった男が極めたのは、魔法に比する剣技を振るう『剣豪(ソード・マスター)

 大小二本の刀剣を手足の延長のように操る剣鬼だから成し得る無双の奥義を、太刀と短刀で再現する。

 

 あれは……! ブラッドさんの『紅蓮の構え』……!

 

 勘違いであったとはいえ、ひとりの女性をかけて始まった決闘の幕引きに選んだのは、元剣豪の妖剣士が振るった、火で焼き斬り、また、火を斬り裂く、火を制する秘剣。

 それはかつて、至高の冒険者パーティで『氷の魔女』と共に戦った剣豪の業である。

 

 

「腕一本を賭した小火など、この全てを賭した男の魂、その一片よりも(ぬる)いと知れ!!」

 

 

 カズマパーティが見守る、それにゆんゆんが身体を支えるウィズが瞬きを忘れるほど見入る中で、とんぬらが二刀流で繰り出した十文字の剣閃は、デュークの業火球を見事に四分割した。

 そして――

 

「――『紅蓮十文字斬り』!!」

 

 ズッパァァァン!! という風切り音と共に、堕天使の体は斬り伏せられた。

 それが、すべての決着を締め括った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「フワーッハッハッハッハッハッッ! フワハハハハハハハハッ! 極上だ! 小僧に続いて、またもや超極上の悪感情! これは甲乙つけがたし! どちらも美味である! 美味である!! フワーッッッッッ!」

 

「うう、皆さんがいなくなってから急にバニルさんがサプライズだと衣装を用意して、『見通す悪魔が宣言しよう! 今宵に汝が男の想いに応える時。これ以上にない至上の歓喜と幸福を享受する者が生まれるであろう!』って言っていましたけど、それって、バニルさんが私の悪感情を食べたいがための後押しだったんですね!!」

 

「行き遅れに焦る店主よ、二度しか会っていないのにいきなり求婚だと思うのは勘違い甚だしくはあるまいか? ああ、それとひとつ教えてやろう。堕天するような下っ端の天使族は、悪魔と同じく性別というものが決まっていないぞ」

 

「うううううぅ~っ! ――いいえっ、今回は勘違いでしたけど、私は歳を取りませんからね! 不老不死のリッチーですから。つまり老化に焦る必要もなければ相手に妥協する必要もありません!」

 

「老化しないだけで、戸籍上の年齢はちゃんと増え続けているがな」

 

「わあああああっ! 必死に自分の中で折り合いをつけようとしているのに、酷いです、あんまりですうううううう!」

 

 あの時、マネージャーが店長を共同墓地へと行かせたのは、盛大に恥をかかせるため。つまり、悪感情(ごはん)のためだという。

 実際、あの時、ピンチであったのでウィズ店長の参戦には助かったのだが、こんがらがった勘違いに気付いて事態を密かに解決しようと画策した身としては、何だか色々とままならないものである。あれからさめざめと泣き続けるウィズ店長と、実に艶々としていて幸せそうなバニルマネージャーを見てると“あれ? なんか最近の俺ってマネージャーの喜ぶことばかりしていないか?”なんてことを思ってしまう。

 

『今度からはきちんと報告・連絡・相談(ホウレンソウ)することですよ、とんぬら君』

 

 あの決闘の後、とんぬらは少ししかられた。

 と言っても、何かを問い質されたわけでもない。ただしばらく無言でジッと見つめられ、最後にそう言われただけ。決闘で無茶したことは“それはもうゆんゆんさんにお任せしていますから”と。

 妖剣士ブラッドの一件を言及されなかったのは、とんぬらとしては心中複雑なものがある。

 

「ええい、いつまでピーピーと泣いているのだ失恋店主め! いい加減泣き止むがいい! 我輩との約束を果たすのだろう? いつかダンジョンが完成し冒険者に討ち取られるその日まで、せめて我輩が構ってやるから機嫌を直すがいい、我が友人よ」

 

「……つまり、ダンジョンがいつまでも完成しなければ、バニルさんはずっと一緒にいてくれるということですか?」

 

「よし、当面の目標としては貴様から経営権を奪うことだな。いいだろう、あの程度の相手にやられるとは戦闘勘が鈍っているのだろう。久しぶりに相手をしてくれるわ!」

 

「待ってくださいバニルさん、今のはちょっと言ってみただけです! すいません、ごめんなさい! 私、頑張ります! 頑張りますから許してください!」

 

 “地獄の公爵と不死王が喧嘩する”という文面だけなら世にも恐ろしい出来事だが、この魔道具店ではわりと日常茶飯事である。

 一応、(商品に)気を遣って店の外へ出てはくれたが、店の責任者がいなくなった店内にはバイトしかいない。これも平常運転である。

 

「しかし、営業中だというのに店前で暴れられては店に客が入ってこれなくなるのだが」

 

「と、とんぬら。私……」

 

 こうして二人きりになったところで、急にもじもじとし出したゆんゆんに、店番のカウンターに立ちながらとんぬらは応じる。

 

「うん? どうしたゆんゆん」

 

「ポーションを作ってみたんだけど、ただ、ウィズさんのと比べると、その、不安があってね……」

 

 ことり、とカウンターに、二つの瓶が並ぶ。

 

「片方は、ウィズさんが作った、この店に並べてるポーション。でも、もう片方は、私が作った、ポーションよ」

 

「なるほど」

 

「これをとんぬらに味見――じゃなくて、売り物として出せるか、審査してほしいの」

 

 うん、展開は読めてきた。

 つまり商品云々は理由付けで、“どっちが私の手作りか当ててほしい!”という話なのだろう。

 とんぬらなら私のをわかってくれるはず! みたいなキラキラとした期待の眼差しを向けられれば、どんな鈍感でも言葉の裏が読めよう。

 

「そうか……」

 

 しかし、だ。

 そんな彼女の期待を裏切ってしまうようで何だが、ぶっちゃけて、見分けがつかない。どちらも透き通った綺麗なポーションに見える。

 

「確認するが、片方は店で売りに出しているものなんだよな?」

 

「うん。ウィズさんが作ったポーションよ」

 

 ウィズ店長のポーション(爆発ポーションシリーズは除く)は、この『アクセル』に多くいる駆け出し冒険者たちの懐が痛まないよう、なるべく安価で売ろうと材料費を節約したものだ。

 仕入れてくる無駄に高額で無駄に効能の高い魔道具よりは、費用対効果を考えられたものである。と言っても儲け度外視のお値段で売りに出しているけれど。

 昔は無料配布なんてことをしていたが、そこは金勘定の煩いマネージャーがやってきてからはなしになっている。

 

「でももう片方は、私が、とんぬらとウィズさんがダンジョンに行ってから毎日ずっと練習して、頑張って、材料集めから頑張って、色々なレシピ本を読んで自分でも研究を頑張って、連れていかれたとんぬらのことを考えながら頑張って、大変な目に遭っていないかと心配して作業に手がつかなくなりそうながらも頑――張って、もうとにかくとんぬらのためにってすごくすごーく頑張って勉強して作ったポーションよ!」

 

 はは、ものすごーいプレッシャーである。

 拳をぎゅっと手に汗握るよう作ってぶんぶん振りながらゆんゆんはグイグイと押してくる。もう隠す気はないようなのでとんぬらも突っ込んだ。

 

「結局、ゆんゆんの本音はどっちが自分の作ったポーションなのか当ててほしい……つまり俺を試しているわけだな?」

 

「べ、別に試すとかそんなつもりじゃなくてね、これくらいはわかってくれたらうれしいなぁってだけで」

 

 指摘されると再びもじもじと指を突き合わせるゆんゆん。控えめな性格は変わらないけれど、やや積極的にアピールするようになってきている今日この頃。

 さて、Aの薬か、Bの薬か。

 再三見比べるが、見分けはつけられない。どちらも見た目普通のポーションだ。

 これでも物の鑑定眼は養われていると自負していたがこれは流石に……

 

「えーっと……飲んでもいいんだよな?」

 

「え……?」

 

 瞳に点っていた赤い光の明度が若干落ちた。

 

「見ても、わからないの? ヒント、出すべきだった?」

 

「いやゆんゆん、まず見た目を審査したが店の棚に並べられそうなレベルなのはわかった。うん、見た目は及第点だ。でもな、ポーションというのは見るものではない、飲むものだろ?

肝心なのは飲んだ時の実感なわけだ。俺はそこのところも厳正に査定するべきだと思う」

 

 とんぬらは早口で自論を述べれば、ゆんゆんもこくんと頷いて、

 

「なるほどね。そういうことならわかったわ」

 

「理解してくれて何より。よし、俺は目を瞑るから、口に含ませてほしい」

 

「わかった。じゃあ、これが、Aのポーションね」

 

 歯に当たらぬようそっと、冷たい感触の瓶の口が触れて、飲みやすいよう少し傾けられる。

 舌に垂れてきたのは、砂糖水のような液体。

 とんぬらは苦笑が漏れそうになる。

 ああそうだ、昔、風邪で看病されていた時に飲まされたポーション、あの薬の味が苦くて少し顔を顰めてしまったのを見てか、以降、小児用みたいにほんのり甘めに味づけがされるようになったのだ。

 

「それで……これが、Bのポーション」

 

 答えはもうわかったが、出題の趣旨を考えて、真面目に応対する。とんぬらは軽く水で口の中をすすいで、それから先と同じように口を半分ほど開ける。

 とんぬらとウィズ……魔道具店の販売物の生産をしている二人がいない間、ポーションづくりを練習したパートナーの成果を味わおうと……

 

(う゛っ……苦い。良薬口苦しを地で行く苦さだ。それに、なんか鉄っぽい風味がするというか……)

 

 とんぬらは顔を顰めそうになるのを頑張って堪える。

 ああそうだ、学校で授業を真面目に受けていた優等生だというのは知っている。魔道具店でポーションやら聖水を作っているのはウィズととんぬらで、ゆんゆんは品出しとか在庫管理、帳簿をまとめる書記や会計系な仕事をまかされていた。今では『テレポート』で紅魔の里との流通を取り仕切っている。

 料理上手なのも知っているが、薬の調合は分野が違うし、学校を卒業してからは勉強していないのだ。

 だから、言い難いが、まだ改善の余地が多数にあるとも言える次第。

 しかしとりあえずまずは正解を当てておこう。

 

「ゆんゆんが作ったのは、Bのポーションだ」

 

「うんっ、正解とんぬら!」

 

 よし、パートナーとして面目を保てた。

 

「それで、味……じゃなくて、お店に出せそう?」

 

「あー……」

 

 ゆんゆん的にはそこは重要なポイントなのだろう。とんぬらは言い難そうにしながらも答えた。

 

「それは、許可を出せないな」

 

「え……えと、あまり美味しくなかった?」

 

「定番のミソスープとは違って、ポーションの味にこだわる必要性はそんなにないと思うんだが」

 

「でも……」

 

 正直な感想に落胆するよう項垂れるゆんゆん。

 これにとんぬらは、ふぅっ、と息を吐いてから、

 

「とにかく、店の棚には並べずに、非売品してくれないと困るな」

 

「え、そ、そんなにダメなのとんぬら!?」

 

「違う。ゆんゆんの想いが隠し味のポーションは俺が独占したいということだ」

 

 甘えん坊になった際に存分に甘えさせてもらったのだから、その返礼的なもので甘く囁いてみた。

 とんぬら自身でもわけがわからない理由だと思うが、あれからコッソリとゆんゆんの棚にある官能小説で勉強して把握した、彼女好みなフォローを入れてみると、すぐにこのチョロい娘はふにゃふにゃと蕩けた喜びようを顔に浮かべてくれるのでよしとした。

 

「うんっ、じゃあ、とんぬらにだけポーション作るから! だから、とんぬらも……残さず飲んでくれると嬉しいかも」

 

 うん、まあ、この甘い空気の中でなら、苦いポーションも合うことだろう。

 とんぬらはBのポーションの残りを頂くことにした。

 

 

(…………しかし、な)

 

 苦いポーションを舌の上で転がすように口に含みながら、とんぬらは思考を沈める。

 今回の一件、あのデュークの証言が確かであるのなら、『アクセル』の攻略に魔王軍の企てが本格的になってきたのが判明した。そして、自分の父親が、新たな魔王軍幹部になったという……。

 信じたくはない。何かの間違いであるか、それともこちらの動揺を誘うための相手の戯言か。

 だが、ここで引っかかってくるのは、母の突然の来訪。

 もしかすると、この事を伝えるのが本来の用件であったかもしれない、ととんぬらは思えてしまう。となると、邂逅できなかったことが今になって悔やまれる。堕天使よりも詳細な情報が得られただろうに。

 たとえその情報が真実だとしても、そうせざるを得ない事情があるのだと縋るような気持ちがとんぬらの胸中に渦巻いている。

 

(ゆんゆんは、族長の娘だ。そして、里の次期族長を目指している。……たとえ今はまだ知られていないにしても、父が里を裏切った俺が傍にいるのは……その夢を妨げてしまうかもしれない)

 

 常に最悪を想定してしまう己の思考では、後ろ向きな方へと傾いてしまう。

 

「――ん?」

 

 考え事に没頭していたとんぬらはそこで気づく。

 じーっとこちらを見ているゆんゆんに。ポーションは既に飲み切っているから、そのことではないのだろう。

 どうした? ととんぬらが問う前に、ゆんゆんは口を開いた。

 

「私、あまり人の相談に乗れるとか自信ないけど、話を聞くことくらいはできるから! だから、とんぬら……すごく悩んでるみたいだから、その……私に言いたいことって、ある?」

 

 自信なさげながらもそう訴えるよう、訊ねてくるゆんゆん。

 仮面に徹するよう顔には出さないように努めていたが、お見通しのようだ。昨日今日で女性には隠し事は通用しないのだとよくよくとんぬらは思い知らされている。

 

「……、」

 

 とんぬらは口を開きかけて、彼女の目を見た途端に閉じた。

 考えずに心配をかけまいと否定しようとしたが、とんぬらは考え直す。

 でも、だからって何を言えばいいのか。

 彼女にどう答えるのが正しいのか……それを導き出したとんぬらは、行動を起こす。とんぬらはカウンター越しでこちらを窺うゆんゆんへと手を伸ばし、卓の上に身を乗り出させるほど少し強引に抱き寄せた。

 

「俺はゆんゆんを頼りないなどとは思ったことは、一度もないぞ」

 

 彼女の肩に顎を乗せるよう抱きしめながら、まず己の本心を囁く。それから肌に伝わる音を聴き入るようしばらく視線を伏せる。

 赤ん坊は心臓の鼓動で落ち着くそうだが、どうやらすでに親の情を置いてきた自分にも効果はあるみたいだ。

 その間、されるがままの少女は頬を赤いバラ色に染めて大変だったが。

 やがて、数秒ほどのためを置いてから、とんぬらは再び口を開く。

 

「ゆんゆん、実は……」

 

 重荷となるようなことかもしれない。だけれど、あの魔本を読んでからか、それともそれ以前にか、あの師匠との対決で涙を見られてしまった彼女にだけは、自分も甘えられ――

 

 

「俺の」

「――お邪魔しますよ」

 

 

 ととんぬらが胸中渦巻くものを吐露しようとしたとき、二人きりの空間に閉ざしていた店の扉が開いた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「とんぬら、ゆんゆん、ちょっと話が……――って、あなたたち何をしてるんですか?」

 

 店に入ってきたのは、めぐみんである。

 めぐみんは中へ入って、真っ先に視界に入ったカウンターを挟んで抱き締め合う同郷の少年少女を見やり、思いっきり溜息を吐いた。もはや目を紅く輝かせるまでもないと言わんばかりに。

 

「め、めめめめぐみん!!?」

 

「またですか? 二人とも労働中くらいは乳繰り合うのを我慢できないんですか? ずっとくっついていたいくらいベタベタなバカップルなんですか?」

 

「ああ、いや、これは……すまない」

 

 空気をぶち壊されてしまったが、しかしめぐみんが言うのは正論なのでとんぬらも文句が言いづらい。

 

「あなたたちはいつかその場の勢い任せで、いくところまでいきそうですね」

 

「流石にそれは……ないと、思うぞ。俺も……一線は引いているから、うん……」

 

 これまでの過去のやらかしを顧みたら、応答の調子が尻下がりになってしまうとんぬら。

 そんな“ああ、やはりこれは私が目を光らせてあげないとなりませんね”とやれやれ顔なめぐみんに、とんぬらは場の空気を濁すよう話題を振る。

 

「そんなことより、何の用だめぐみん。何か俺達に用件があるのだろう?」

 

「はい、実はですね……」

 

 めぐみん曰く、今朝、屋敷へ実家から手紙が届いたのだそうだ。

 そこには、万能介護ロボット・エリーに遺跡で発掘された巨大ロボット・デンドロメイデンとの変形合体サージタウス――の機能を取り付けたいがために、実家の工房を一時拡大する必要があり、そのためしばらく家は子供が住まうには危険な状態になるという。

 

「変形合体の案は前々から聞かされていたんだが、これは相当熱を入れ込んでいるっぽいなひょいざぶろーさん」

 

「ええ、ロマンのために一切妥協しないとは、流石は私の父です」

 

「………」

 

「? どうしたんですか、とんぬら?」

 

「ああ、いや、何でもない。なるほど、それで、しばらくこめっこをめぐみんの住んでる屋敷で預かることになったと」

 

「ふうん、こめっこちゃんが『アクセル』にやってくるのね。いつ来るのめぐみん?」

 

 つまり、めぐみんは同じ紅魔族であるこちらにも同郷のものとしてよろしくお願いしに話をつけに来たということかととんぬらとゆんゆんは納得する。

 

「魔王軍に狙われているとか物騒な話が出てきているが、この『アクセル』は基本的に安全な街だ。しかし、万が一がないよう俺もより注意して気にかけておく」

 

「いえ、私が二人に言いたいのはそうではなくてですね。もちろんその心配もありますが、明日来ることになっているこめっこには私がついています」

 

 爆裂魔法しか使えないめぐみんはあまり護衛するには向いていないというか、かえって危険な気がしなくもないが、姉としての立場があるので流すとする。

 

「……ゆんゆん、とんぬら、あなたたちは『銀髪盗賊団』を支援する盗賊団の団員ですよね?」

 

「え、ええ、うん……そうね、とんぬらは……」

 

 ちょっとこれにゆんゆんが微妙な反応をするが、とんぬらは首をふるふる振るのを見て、口を閉ざす。

 

「私は以前、紅魔の里にも入団希望者を募った募集をかけたことがありまして」

 

「何それ俺初耳なんだけど」

 

「ええ、その時はとんぬらもいませんでしたから」

 

「ええとね、とんぬら。セシリーさんやアイリスちゃんも仲間集めして、騎士の人とかアクシズ教徒からも団員になりたい人が殺到していて、名簿がたくさん集まっているの」

 

 めぐみん発足のファンクラブは一体どういう方向に突き進んでいくんだろうか。

 

「なあ、一応、義賊の支援団体なんだよな? 盗賊団にしては面子が戦闘員というか傭兵団向きな気がするんだが」

 

「私もわかっていますよ。ですから、きちんと盗賊職のクリスにも我が盗賊団の一員に勧誘しました」

 

「ああ、先輩まで……なんかもう……」

 

 とんぬら、仮面の額に手をやり天井を仰ぐ。

 

「それでですね……手紙にこめっこが是非、『銀髪盗賊団』に会いたいと書いていまして。盗賊団にファンレターを手渡ししたことのあるお姉ちゃんならきっと会わせてくれる、と……」

 

 妹からのお願いに、大変弱った様子の姉は、同士たちへお願いする。

 

「盗賊団を作っておいてなんですが、私と彼らに繋がりがあるわけではありません。ですが、こめっこをがっかりさせたくもありません。そこで、どうやったら『銀髪盗賊団』とコンタクトを取れるのかを団員であるあなた達にも考えてほしいのです」

 

「……なあ、めぐみん、一応聞くけどこれは俺をからかうための冗談じゃないんだよな?」

 

「何を言っているのですかとんぬら。私は真剣ですよ!」

 

 それはわかっているのだが、しかしどうしても確認したくなる。

 とんぬらは天井を仰ぐよう上向いていた頭を下げて、卓の上に肘をついた両手の上に額を乗せるよう項垂れて、

 

「ああ、うん。わかったわかった。そうだな、多分大丈夫なんじゃないか? 義賊は子供の夢を壊すようなことはしないだろうから」

 

「それくらい私にもちゃんとわかってますよ。ですが、『銀髪盗賊団』は皆の幸せを守るために陰ながら戦っています。そんな多忙を極める彼らにこう個人的なお願いをするのは憚れまして」

 

「そうかー……めぐみんでもそう遠慮することがあるのか」

 

「さっきから何なんですかとんぬらは。私をからかっているんですか? もっと真剣に考えてください! まったく下っ端として、団長である私への敬いが足りませんよ」

 

「めぐみん、もうやめてあげて! とんぬら、すごく反応に困っているから!」

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 カースド・ラーヴァ・スワンプ:モデルは、ドラクエ漫画ダイの大冒険に登場する殺し屋の『ダイヤの9』。周囲八か所から魔界の炎が飛び出し、真ん中に集束する設置型(トラップ)。魔法以外の干渉は受け付けない性質で、その火力も主人公パーティの大魔導師の氷魔法でも押さえるのがやっと。

 

 切り裂きシャックの妖刀:このすばの漫画版を参照。女性の衣服を狙う切り裂き魔が使っていた刀。技でも力でもなく、魔力で物を断つという効果。漫画ではめぐみんが持った妖刀が適当に当たった机が両断され、鎖をも断ち切った(ただしそれ相応に魔力は消費した)。

 作中では、ギルドから鑑定依頼を受けてその魔法剣の構造を把握していたとんぬらが、『ちゅんちゅん丸』に錬金術でもって妖刀効果を付加した。

 『マホトラ』と組み合わせると、ドラクエのトルネコのダンジョンシリーズに登場する特殊な剣『ライフドレイン(基本攻撃力は1だが相手のHPを一撃で1にする)』みたいな威力を発揮する。

 

 バーニング・クリメイション:ドラクエ漫画ダイの大冒険に登場する殺し屋の最強技。マグマと同じ成分の血液が流れている体の一部(左腕)から大火球を作り出す。トラップ謀略を仕掛けるのを得意とする殺し屋の、唯一の真っ向勝負で、追い込まれない限りは使用しない奥の手。

 ちなみに“クリメイション”とは、“火葬”を意味するもので、技名を直訳すると『燃える火葬』となる。

 作中では、デュークが不死と災いを司るゼナリスの権能へ片腕を差し出して放つ最後の手段。

 

 まねまね:ドラクエに登場する特技。受けた相手の技をやり返す。ポケモン風に言えばオウム返し。

 とんぬらは、剣士として自己暗示をかけ、さらに一度喰らったことのある妖剣士ブラッドの剣技を“深く思い出す”ことで、再現した。

 

 奇跡魔法の新効果。

 敵味方の魔力(MP)をゼロにする:パルプンテを唱えられる魔法使いにとっては自爆に等しい外れ。




誤字報告してくださった方、この一年間、ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。

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