この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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127話

「『フローミ』」

 

 壁に手を当てて、呪文を唱える。書き写すための魔法紙こそ用意していないが、脳裏に図面が浮かぶ。

 この世界のウィズから宝物庫の位置は聞いている。地形知覚の魔法でダンジョンのような複雑に入り組んでいる城の内部構造を把握し、その宝物庫までの道筋を決める。

 至高のパーティを導いた凄腕冒険者『氷の魔女』と、最果てのダンジョンで探検した経験がある者とすれば、目的地がわかっていれば辿り着くのはそれほど難しいことではない。

 

(さっきゾクリと悪寒が走ったんだが、慎重に……)

 

 道に迷うことはないが、敵感知系のスキルや魔法に頼れないのが不安。もっと注文を付ければ、罠感知系のスキルや魔法ができるサポートが欲しい。

 しかし単独行動に出ておいて、そんな贅沢を言える立場ではない。警戒を強め、神経を尖らせて進む。

 

(この辺りは敵がいない。おそらく一階部分にいた魔族は、さっきの戦闘で吹っ飛ばされたな――ん?)

 

 立ち止まる。感じる。自分に近づく気配を。

 振り向き視線を背後に巡らせるも、誰もいない――ように見えるが、いる。

 

「……そこか」

 

「ッ!」

 

 息を呑むような音と共に、何かがズサッと後退る。

 だが、逃がさない。すかさずダッシュを切り、間合いを詰めた。

 

 光の屈折魔法『ライト・オブ・リフレクション』は、術者の指定した人や物の、数m内に結界を張り、その結界内を周囲から見えなくする魔法。だから、ある程度まで近づけば、見えるのだ。

 

 そうして、目でも捉えたところで、その人物を母猫が子猫の首根っこを捕まえるよう、襟首を掴まえて持ち上げる。

 

「まったく……」

 

 それは、思った通りの人物。というよりも、あの面子の中で姿を消せる屈折魔法を使えるのはひとりしかいない。

 

「どうして、ゆんゆんがここにいる?」

 

「ご、ごめんなさい! 迷惑でしたよね。私なんかがついてきても邪魔になるだけで」

「いや、別に咎めているわけではないからな。ただ理由を聞いただけだぞ」

 

 引っ込み思案か奥ゆかしいと捉えるかは人それぞれだが、初対面で“彼女”に逃げられたのだと思い返せば、こういう態度を取られるのを懐かしさすら覚える。そして、二度目の対応ともなれば、失敗はするまい。

 

「それは、そのっ! えとっ!」

 

「……落ち着け。一応、ここは魔王城の中だがこの階層に魔物の気配はないようだ。深呼吸するくらいの余裕はあるだろう」

 

 襟首からつり上げていたゆんゆんを下ろし、そっと両肩に手を置きながら、目を見てゆっくりと話す。

 それから彼女の口から言葉が出るのをじっと待つ。

 真っ直ぐに見つめられて、あわあわとしていたゆんゆんだったが、十秒ほどかけて視線に慣れて、それから三度ほど胸が上下に揺れるくらい大きな深呼吸を繰り返してから、彼の鳴くような小声で、

 

「あなたのことを、手伝いに……」

 

「なるほど。……それで、俺に追いついたはいいが、何と声をかければいいのかわからず、隠れていたと」

 

 こくこくと頷かれる。

 ストーカーか、とツッコみかけたが呑み込んだ。言ったら、更に距離を取られるだろうから。

 

「わかったわかった」

 

 状況は把握した。それで、他についてきている者がいない以上、これはゆんゆん個人の考えなのだろう。どういった理由で彼女がそんな行動を取ったのかはわからないが、呆れてしまう。そんなことでつい嬉しいと思ってしまう自分自身に。

 

「ありがとう、ゆんゆん」

 

 肩から腕へ手を滑らし、彼女の手を取って挟み握りながら、心からの礼を述べる。

 ひどく素直に笑いながら謝意を示せば、また忙しなく視線を左右に振りながら照れたように俯くゆんゆん。

 

「ああああの、それで……」

 

 そして、彼女の思うことを予想して――一線を引くよう――こちらから名乗り上げる。再び被り直したその“仮面”で。

 

「俺の名前は、トール。そう呼んでくれ。見たところ同年代のようだし、さん付けもいらないぞ」

 

「いきなり呼び捨てだなんてそんな……!?」

 

「うん、じゃあ、慣れてきたらそうしてくれ」

 

 ああもう、初々しいのだが、免疫がなさ過ぎて心配になってくるというか、お節介の虫が騒ぐというか。この世界にのめり込まないよう、特にゆんゆんとは距離を置いておきたいのに、しかしゆんゆんはこちらから多少強引なくらい距離を詰めていかないとまともにコミュニケーションが取れないという。忘れていたわけではないのだが、ゆんゆんは有体に言えば面倒な娘であった。今の自分には鬼門である。

 で、またスーハーと大きく深呼吸をして気を取り直してから、一歩下がり、

 

「えと、それじゃあ今度は私から……――我が名はゆんゆん! 『アークウィザード』にして、上級魔法を操る者。紅魔族随一の魔法の使い手にして、やがて紅魔族の長となる者!」

 

 バッとマントを翻すと、真面目な顔でワンドを構えてポーズを取り、紅魔族の正式な名乗り上げをするゆんゆん。

 

「ああ、よろしくゆんゆん。めぐみんからゆんゆんの話は聞いてる」

 

 ……と、普通に応えたつもりなのだが、ゆんゆんは不思議そうに、おずおずとしながら尋ねてくる。

 

「……え、えと? その、トール……さん。私の名前を聞いても笑わないんですか……?」

 

「紅魔族の名前については良く知っている。それをネタにして辱める気は俺にはないし、ゆんゆんもそう恥ずかしがるのは気にし過ぎだ」

 

「で、でも……やっぱり変だと思うし」

 

「ゆんゆんはもっと自信を持つべきだ。他人の反応を気にしたところで恥が恥でなくなるわけでもない。それを恥と思うのは自分で気後れしているからだ。だから、自分自身を信じてみるんだ。実際、あの魔王軍との戦いを見ていたが、“ゆんゆん”なる人物は見た目とても可愛い女の子なのに、大人顔負けのすごい魔法使いなんだから、もっと胸を張ってその名に誇りを持つといい」

 

 そう、真剣さを伝えるようしっかりと目を見つめながら、励ます調子で、彼女に足りないところを説法したのだが、たちまち白い頬が面白いほどに赤く火照る。長い睫毛が、瞳の赤い光を含んで震える。そして、やや上擦った声で、

 

「わ、私が可愛い……!? ほ、本当ですか?」

 

 え、そこ?

 君は見かけに寄らず卓越した『アークウィザード』だと褒めたつもりだったのだが、でもウソを言ったつもりはないし。

 

「ああ、本当だ。ゆんゆんは魅力的だ。俺が保証する」

 

「そんな、私……一緒にいてもつまらない……と思うんですけど……」

 

 いかん。なんか変な方向に転がりそうな気がする。いやしかし、ここで否定してしまうと、彼女は凹むだろうから。

 

「そんなことはない。精一杯な人間は、君も含めてみんな輝いているように俺には見えるし、可愛い娘は傍にいるだけで励まされるよ」

 

「―――」

 

 いかんいかん。何だか口説いてるみたいになってしまったが、距離を取らないと……!

 

「あー、それにおかしいというのなら、仮面をつけているこちらもそうだろう? ゆんゆんは笑わないのか?」

 

「いえ! 格好良いですその仮面!」

 

「……そうか、ありがとう」

 

 いかんいかんいかん。俺が口説かれかけてどうする。だが、ゆんゆんに褒められるとどうしても弱い。

 

「あっ、それから、これ、めぐみんから」

 

 そうして、ここが敵地の真っただ中だと忘れてしまいかけたやり取りを終えたところで、ゆんゆんが差し出したのは、石――最高品質のマナタイト結晶。

 

「大切に使うようにって。これがあればいざというとき、『テレポート』で避難できます」

 

「そうか……」

 

 そういえば、元の世界で『怠惰と暴虐を司る女神』との対決に赴く際、めぐみんに最高品質のマナタイト結晶を使ったことがあったが、こんな形で貸し借りが巡ってくるとは。関係はないはずなのに因果を覚えてしまい、ついクスッと笑ってしまう。

 

「それは、大切にしないとな」

 

 ………

 ………

 ………

 

 屈折魔法、それに敵探知と罠探知のサーチ系の魔法が使える『アークウィザード』のゆんゆんが加入してくれたおかげで、何度か魔族と遭遇することがあっても戦闘を回避してスムーズに移動できた。

 それで到着した宝物庫の入口に、好都合なことに見張りはいない。視認できるほど強力な魔力結界と錠前があるが、『結界殺し』の術式が内蔵されている太刀で破り、ゆんゆんの『アンロック』で解く。

 

 中に入ると整然と財宝の数々が積まれていて、それらを、目を凝らしながら視線を走らせ――ついに目当てのモノを見つけた。

 

 あった!

 あれから時間が経過して記憶が雑になっているのか、意匠が若干異なるように見えるが、小箱の魔道具を発見した。箱を開けて見なければ発動しないタイプだが、魔道具屋で培ってきた審美眼でこれが転移する魔道具だとわかった。

 それで反応が顔に出たのだろう。

 道中、透明化する屈折範囲をギリギリにまで絞るためピタリと寄り添うくらい隣についていたゆんゆんが斜め下から見上げながら訊ねる。

 

「あの、それは……? 指輪とかが入りそうな小箱ですけど……」

 

「悪いが中を開けて見せられないぞ? ただ……これは、俺のわがままだ。どうしても手に入れたくて、あると話に聞いた魔王城へとやってきた。それが、この旅の理由になるな」

 

 慎重に警報の類を太刀で裂いてから、箱を取り上げて腰の道具袋へしまう。

 

「じゃあ、これでトールさんが魔王城に留まる理由はないんですね?」

 

「いや――ある」

 

 揺るがない声で、言い切る。

 目的を果たしたのならば、撤退をするべきなのだろう。寄り道などせず真っ直ぐに帰るのが賢い選択だ。それはこの旅の間考えさせられたし、既に結論を出してある。

 

「わかっているよ。無謀なことも。カズマたちの撤退は冷静で正しい判断だ。そして、俺にとってはこの先が寄り道に過ぎないことも」

 

「それなら……」

 

「でも、綺麗だと眺めていた景色を荒そうとするものが視界を過れば足を止めてしまうし、それを除かないと帰れない。それは正しいからでも、格好良いからでもない。ただ、見過ごしては置けない、と気になってしまったから、やるんだ。たとえ鏡に映った己の姿がどれだけ滑稽な道化であろうとも、そう決めたからにはやり通さなければならない。それが俺の決めていることだ」

 

 口から零れ出たのは、そんな心の真ん中で固まった意思。

 それを言葉にして再確認してから、ゆんゆんへ向く。

 

「だから……」

 

 これ以上のわがままに付き合わなくていい。もう十分助けられた。何も知らない彼女には些細なことかもしれないが、こうして同じ“彼女”と行動を共にできて、夢のようだが、本当に満たされた時間だった。

 

「だから……」

 

 そして、異なる世界の自分の隣は、どうしても、相応しい立ち位置ではないのだろう。

 

「トールさん?」

 

 もし魔王に挑むことがあったとしても、彼女は彼女の世界の皆と一緒であるべきだ。

 

「だから……っ」

 

 ――ゆんゆんは皆のいる街へ帰るんだ。そう、三度目の正直で、別れを切り出そうとしたときだった。

 

 

「――紅魔族、ほほにいるのねええええっ!!!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 『敵感知』スキルがなくてもわかる、ビクッと肌に静電気が走るような怖気。

 この宝物庫は袋小路の立地条件で追い詰められるのはまずい。対峙を回避せねばと思うが、もう部屋の外に出る時間的な余裕もない。出ればそこで行き会う確率が極めて高いと予想できる。人二人が隠れる場所を急ぎ探す。

 

(そして、こう気配が真っ直ぐ向かってくるのを推察するに感知系のスキルが働いている……っ!)

 

 先の自分のように気配な敏感な相手に、姿を視えなくした程度では誤魔化し切れないし、接近されればおしまいだ。このままではバレる可能性が高い。

 反射的に状況を整理して、瞬時に逃げ場がないと判断を下して、刹那の内に百術千慮を終えた青年は、彼女を呼び――

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ふしゅるるう――っ! ふしゅるるるるううぅぅ――っ!!」

 

 宝物庫に飛び込んできたのは、悍ましい存在だった。

 無数の顔が体表を埋め尽くしている百頭の怪物。そのすべての顔、くしゃくしゃに潰れた目がギョロギョロと蠢く。

 

 剣、槍、盾、鎧、兜、宝玉、指輪に金銀財宝を詰め込んだ宝箱。

 ここにある財宝や装備は魔王軍に挑み、そして散っていった冒険者たちの武具などもまた立ち並んでいる。中には迂闊に触れると魔性の肌には火傷するような清浄な物まで揃っているので注意は払わなければならないが。

 ――この部屋にいるのを感じる。オスを察知する感覚が満場一致で示す。取り込んだ百頭(メス)の本能が、異口同音に訴えている。

 物凄く強い、素晴らしく優秀な子種をもったオスがいるのを。魔王城に侵入してきた3人の中でも素質が飛び抜けている逸材だろう。

 

「どこにひるの? 出てらっしゃ~い?」

 

 煽るよう、調子はずれな猫撫で声で呼びかける。

 数多くの宝物があるが、人が隠れられるだけの場所は少ない。

 

 ふふっ……!

 

 整然と整理された宝物庫内だからこそ、それは目立つ。

 乱雑に床へばら撒かれた金貨宝石――その近くには、閉じた大きな宝箱。

 中を空にすれば人一人、無理に詰めれば二人分くらいは入りそうなサイズの箱。

 

 ここだ。

 ここにいる!

 

「慌へへ隠れようとひたのだろうけどこんなに散らかしちゃって、カワイイわねぇ」

 

 じらすよう、ゆっくりと追い詰めてやろうその大きな宝箱を手で押さえながら周りを歩く。もう気配で近くまで来ているとわかるだろうが、蓋の上を手で圧しているため出られない。

 

「うひゅひゅっ! 悲鳴をあへないなんて頑張り屋ひゃん――だ・け・ど、無駄な抵抗ひょ!」

 

 バキッ! と握力で留め具を壊してしまうほど一気に箱の蓋を開ける。

 

 ・

 ・

 ・

 

 が、中は空っぽで誰もいない。

 

「へ……?」

 

 いると確信していた。ここにしか隠れられる場所がない。

 それにこんな財宝が散らばるようなのを管理する魔族が放って……いや。

 

 魔王城を何度も揺さぶり、ついに結界が破られた。それは封印されていた魔界にも届いたほどの激震。

 これまでにない事態で、城内の魔族兵らは“外に魔王がいる”など(あと内に怪物が手当たり次第に男を襲っている)と騒ぎ立ててパニックとなっていて……城から逃げ出そうとした軟弱者まで出てくる始末(本命前のおやつ代わりにいただいて、そのおかげで今、ある程度理性を得た賢者になっている)。

 だから、これは警備している宝物庫から火事場泥棒を働いた魔族もいたのだって考えられない事ではない。つまりは、どさくさに紛れて持てるだけ宝を持っていった痕跡がこれ。

 

「チィッ、小物が……っ」

 

 愉しい気分だったのに、興が醒める想像に舌打ちする。

 そんな頭に上っていた血が下がったときだった。

 ドタバタと騒がしく、魔族兵らの焦りの声が、

 

『応援だ、応援を呼べ!』

『上層の連中も、下に降りて来い! 侵入者達が暴れてやがる! 結界を破った連中が、どんどん登って来ているらしいぜ!』

『お前ら、聞けえ! 先日、大軍を率いて行った魔王様のご息女が、王都での戦いで互角以上の戦果を収めたそうだ! 決着は付けられなかったものの、今回の遠征は我らの勝利と言っても良いそうだ! 本日中にも魔王様のご息女が凱旋なされる! その際に、城を預かる我らが侵入者などに手古摺っていたとなれば、責任問題となるぞ! 命が惜しくば、侵入者を探し出し八つ裂きにせよ!』

 

 ……どうやら別の場所で、激しい戦闘が起こっているようだ。

 特に強いオスに敏感な『敵感知』スキルもそちらの方に反応を示している。

 

(……でも、ここにも見逃せないとびっきりの気配がしたのだけど……『テレポート』で逃げたのかしら?)

 

 逃げ場はない。しかし見つからない。潜伏しようとも集中した己の五感は誤魔化せないし、光を屈折させて透明になろうとも目を凝らせば違和感は覚る。

 転移魔法で逃げられた、事もありえる話。

 

「残念ね。……ほれに、元幹部の側近のあいひゅが魔王様のお側についへいるほはいえ、幹部をまとめる魔王の娘(かのじょ)が帰っへひゅるとなれば、遊んでいる余裕はにゃい」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 隠れるに隠れられたが、一度でも目を付けられたら、覚悟を決めるしかない。

 だから、如何にも人が入れそうな大きな宝箱の中身を空にしておいた。

 目立つものがあるとそちらに気を取られて他のことが目に入らなくなってしまう……手品でよく利用する、生物的な習性を刺激して視線を誘導する小技だったが、どうやら上手に作用してくれたみたいだ。

 

『『モシャス』――ッ!』

 

 無いのなら自分で作る、が紅魔族の考え方。

 隠れる場所がないのなら、隠れる場所に化ける。

 この宝物庫にあっても目立たずに紛れられるものに。森の中に木が一本増えたところで気づくものなんてそうそういない。それと同じように宝物庫の中にもう一つ宝があっても違和感は覚り難い。

 

 怪物の気配が遠ざかったのを察してから、念のために注意深く息を潜めて十秒を数え、変身を解く。

 化けていたのは、鎧。

 継ぎ目のひとつも見当たらない、完成度の高い、芸術品とも展示できるような白銀の鎧。自分もお世話になった(閉じ込められた)あの聖鎧がモデルだ。

 

「何だあの怪物は……オーク、みたいだが、あそこまでのは……魔王はあんなのも城内に解き放っているのか?」

 

 恐ろしい、と顎の下を拭う。

 魔王軍幹部からの情報・助言で魔王討伐するには、暗殺が最適、配下のひとりに化けて接近し、混乱に乗じて仕留める斬首戦術を考えていたが、どうやら一筋縄ではいかないようだ。

 

(それに……)

 

 とそこで、腕の中で震える存在に気が向く。

 

「………………」

 

 ゆんゆんである。

 抱き締める形で変化して、鎧の中に潜ませた。で、変身を解いた後も抱きっぱなしだった。

 それで腕の中に震えるその顔が、(オークの集合体(キメラ)の後だけあって)先程より眩く綺麗に見えて、しかも、こちらの様子を恥ずかしそうにチラチラと窺う上目遣いのおまけ付き。その仕草のあまりの破壊力に鋼の自制心も高揚感に弾けて……つい衝動的に、震える手を彼女の頬へ伸ばす。

 

「……“ゆんゆん”」

 

「っ!?」

 

 指先に確かな体温を感じ、万感の思いを篭め、“彼女”の名を呼ぶ。

 口に出した途端、想いのたがが緩んでしまい、堪え切れず留めておけず、さらに手が伸びる。柔らかな頬を滑り、滑らかな髪に指を通して透かす。手はそのまま後頭部に添えられる。

 勝手にではなく自ら抱きしめているのだと自覚して、彼女の身体から体温と鼓動を強く感じる。熱く、強く。これが幻ではない。それを確認して、安堵し……

 そして、ぼーっと潤んだ瞳で、夢見心地のようにされるがままで無防備だった彼女の薄桃色の唇が、期待しているかのように少しだけ開いた。

 これにまた抗いきれない甘い香りに引き寄せられてしまうように、“彼女”の唇と合わせ――るその直前で覚醒。

 

「――って、お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛っ!? 違ああああああああああうっ!?」

 

「キャっ!?」

 

 即座にオートリザレクションされた理性が急制動の指令を発し、慌てて感情的な行動を阻む。そして、唇を噛みながら、未練を無理やりに引き千切るよう、肩に手を置いて、身体を離す。

 心の高揚は一変して動揺へと変わり、まるで全力疾走をしたかのように脂汗が額に噴き出て、呼吸が激しく乱れる。

 軽く呼吸困難に陥ってしまい、胸を右手で押さえ、早鐘をバクバクと打つ鼓動を感じながら、心を必死に落ち着かせていきたいところだが、そんな余裕はない。そうだ。まず自分のことよりも彼女――こちらを正視している目が赤い。轟々と燃えるようにすごく真っ赤に光ってる。うわぁ……。

 咄嗟のこととはいえ胸に顔を押し付けるくらいキツく抱きしめてしまったのは強引過ぎた。

 それで、あの悍ましいものを目撃した直後だけあって精神的に(まい)っていた……と言い訳できるかもしれないが、だとしても、その後に迫ったのは大問題だ。展開に流されてとんでもないことをするところだった。

 

「すまない」

 

「え?」

 

 頭を下げて謝る。反応が薄いが、赤目なのは興奮しているサイン。温厚な彼女がそれほど、沸点に達するほど怒っ(キレ)ている。本来であれば瞳の明度が落ち付くまで文句を吐き出させて、セクハラを働いてしまったことへの不平不満を甘んじて受けてやりたいが、状況は許してくれない。

 

「先延ばしにするのは本意ではないが、一刻を争う事態のようだ。だから、(苦言を)消化し切れなくていいから今はいったん呑み込んでおいてくれ。(批難の)続きは後に、きちんと(謝罪)責任を取れるようになってからしよう」

 

「えっ、あっ! う、うん……」

 

 ほっと胸をなでおろす。ゆんゆんの理解力が高くて助かった。でも、いつまでも助けられてばかりはいられない。

 それで言っておいてなんだが、自然と心が落ち着いても今度は心苦しさが喉を詰まらせるくらい満ちて、また謝罪を吐いてしまう。

 

「君の許可なくいきなり抱きしめて、本当にすまなかった。今後、あのようなことがないよう己を戒める」

 

「い、いえ……わ、私は……べ、別に……い、嫌じゃありませんし……だ、だから……そ、その……(今度から断ってくれるならこっちももっと心の準備とか……え、ええっと……続きは後……責任……それって、つまり……~~~っ!!?)」

 

 するとゆんゆんは紅く染めた顔を俯かし、両人差し指を胸の前で突き合わせて弄びながら小さくもにょもにょと何事かを呟いた。

 

 

(切り替えない、とな)

 

 都合がいいことにまだゆんゆんと一緒にいられることに気持ち浮かれかけるが、状況は歓迎できるものではない。

 真っ向からの戦闘は避けて暗殺の機会を狙っていたのだが、あまり騒ぎを大きくされてしまい警戒されている以上、この案は選べなくなった。

 爆裂魔法で圧倒したが、それでも戦力比は圧倒的に魔王側の方が上。出払っていた大軍も半日以内に帰還するというし、時間がない。あちらと合流しても確実に不利を強いられる戦いになる。

 だからって、立ち止まるわけにはいかないが。

 

(せめて、博打に出る前に、もう一手、武器になるものがあれば……)

 

 冷静に状況を想定して戦略を組み上げていく、その思索に割って入る声があった。

 

 

《ねぇ、あなた、さっき変身した鎧に見覚えがあるんだけど、あいつの知り合いなの?》

 

 

 それは空気を振動して伝わるのではなく、頭の中に直接響くような念話。

 自分だけでなく、ゆんゆんにも聴こえたようで、互いに顔を見合わせるが、どちらの声でもないのはわかっている。

 

《こっちよこっち。さっきからいちゃついてるんだから、これ以上見つめ合わないでちょうだい》

 

「そっ、そんな、トールさんとイチャイチャだなんて……っ!?」

 

 おい、そんな揶揄ってゆんゆんが腹の底に沈めてくれた怒りを起こしてくれるな。

 で、今のでわかった。紅魔族で神職の、神聖な魔力に反応のいい勘が示した先にあったのは、盾。黄金の装飾が施され、蒼い宝玉が埋め込まれた白銀の盾だ。そこから、覚えているのとよく似た波動を覚る。

 

 神器。それも自意識で喋ってくるとなると上位神器なのかこの盾は――そこまで推理するや頭の中で閃くものがあった。

 

「っ! まさか……『イージス』なのか?」

 

 彼の上位神器、この世で最も頑強で、身に付けたものに勝利を約束する聖鎧(せいがい)『アイギス』は、聖盾(せいじゅん)とセットであったとクリス先輩より話を聞いている。

 

《そうよ、あたしは聖盾『イージス』。喋って歌えるハイブリッドな神器よ。愛称はイージスお姉さんでよろしくね》

 

 ああ、間違いない。こちらは女性型のようだけど、このノリはあのふざけた神器と通じるものがある。同類だ。

 

「た、盾が喋ってる!? トールさん、これって本当に神器なんですか?」

 

「そのようだ。この事例は俺も見たことがある」

 

「で、でも、ミツルギさんの魔剣『グラム』は全然そんなことしませんでしたよ?」

 

《それはその魔剣が坊やだからよお嬢ちゃん。人間だって、赤ん坊のころにお話しできないでしょ? そ・れ・で、このあたしのように洒落たトークの出来るトップ神器を知っているあなたは?》

 

「思っている通り、あんたの連れと面識があるが」

 

《連れだなんてやめてちょうだい。あいつとは主義主張の違いで絶縁中なんだから》

 

 本当にこの手の神器は人間臭いな。

 

《いい? この『イージス』お姉さんは、ガチガチ受け専門の鎧野郎とは違うの。魔性を祓う力を持ち、呪いや魔法を倍にして跳ね返すイケイケ攻め専門の盾姉様よ! だけど最低限、ご主人様が神聖魔法を使えないと使いこなせない神器ってこと! わかった?》

 

「わかったわかった。それで、スタイルが良くて、美人よりも可愛い女性、ただし子供はNGで前衛の剣士系、あと注文を付けるのなら鎧の下は薄着なご主人様を希望した『アイギス』とはそりが合わないんだな?」

 

 あの美女コンテスト中、装着した状態で興奮して喚かれたからいやでも好みが記憶に残っている。

 

《そうよ。あたしは、プリースト系男子を希望していたのに、『アイギス』の奴は剣士系女子がいいって譲らないのよ! 前回は剣士系だったから順番的に今度は、あたしのプリースト系をご主人様に選ぶのが道理じゃない? だというのに、『汗まみれになった野郎なんて包み込む俺の気持ちを考えろよ!』ってほんっとうに愚痴愚痴うるさい奴なのよ! あたしだって益荒男の逞しい腕の中に抱かれたいっての! ね、お嬢ちゃんもあたしの気持ちがわかるわよね?》

 

「え、えと、その…………は、はぃ」

 

 チラチラとこちらを目配せして窺いながら、聖盾にこくんと頷くゆんゆん。

 そんな無理に合わせなくても、盾の気持ちなんてわからないで良いと思うのだが、律儀である。おそらくはこの世界でも植物(サボテン)が友達とか言い張っていそうだから、こういうふざけた神器相手にも心が広いのだろう。

 で、賛同者を得られて気を良くした聖盾。

 

《ね? ほら、もう別れるしかないでしょ?》

 

 どうして神様は神器にこんな性格付けをしたのだろうか。何か深い考えがあるのだと信じたいが、未熟な人間である自分にはその深謀深慮は理解できない。

 それで先程、鎧に変化して百頭の怪物をやり過ごした際に、沈黙してくれた手前、時間が許す限りお喋り(愚痴)くらいは付き合ってやりたいが、その余裕にも限度がある。

 

「それで、用件は何なんだ? 生憎とこっちは切迫した状況で、盾のお姉さんとお喋りしている暇はあまりないのだが」

 

《そう急がないで、せっかちなのはモテないわよ。それで、あたしは足のある全身鎧(あいつ)とは違って自分では動けない。盾だからね。だから、こんな辛気臭い部屋に放置されっ放しで埃をかぶってたんだけど……さっきの甘酸っぱいオーラに覚醒して若返っちゃったわ! ほら、このハリを見て! ピチピチになってるでしょ!》

 

 ピカピカと盾の表面が光る。確かに艶が出ていそうだ。だが、喋りはおばさん臭い気がする。

 

《仮面で隠れてるけど顔の造形はAランク、イケてる魂の波長からしてきっと職業適性もAランク、そして、そのお嬢ちゃんを抱きしめていた時の頼もしい二の腕Aランク! ゴツく太くなく、しなやかに引き締まった細マッチョな二の腕はど真ん中ストライクです! この盾姉様も抱かれたい! そんな総評AAA(トリプルエー)男前であるあなたに、『イージス』お姉さんはビビっとときめきました!》

 

 なんというか。

 紅魔族的に、もっと伝説の武具と言うのなら、岩から剣を引き抜くようなドラマチックな展開を望みたいのだが、これじゃあナンパのようである。

 そうして、あらゆる災厄を跳ね除ける上位神器・聖盾『イージス』は、言った。

 

《ご主人様になって、ここから連れ出してくれないかしら? あたし、すっごく力になるわよ》

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 イージス:様々なゲームにも登場する定番な女神の盾。星のドラクエに登場する『イージスの盾』をデザインに参照。『この素晴らしい世界に祝福を!』の八巻に登場する『アイギス』とセットになる上位神器で、原作では未登場。

 作中での設定では、魔王城の宝物庫にあった聖盾で、厄介な上位神器を魔王軍が倒した勇者から女神(てん)に回収されないように奪った。あらゆる攻撃が通じない全身鎧に対し、あらゆる攻撃を倍にして反射するという性能。ただしそのため、魔法が使える素養がないと真価を発揮できない(神に仕える戦士として、堅い守りと神聖魔法が使える『クルセイダー』であれば鎧と盾と両方を使えるという具合)。性格はアイギスの女性版。腕につく盾だから、腕にこだわりあり。

 ちなみに、サマルトリアの王国は、伝説の勇者の盾を国宝としている(ただし、王子には装備できないみたいだが)。


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