この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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128話

 先に突入したトールたちを追うよう魔王城へ。

 最も硬い『クルセイダー』のダクネスを先頭に、ミツルギ達が続く。それから、なんだかんだで親友(ゆんゆん)の動向が気になるのかめぐみんがダクネスの隣につくくらい前に出ている。

 それで、この数多のスキルを習得している『冒険者』。

 罠の発見も敵の感知もでき、暗視もこなせるし、気配遮断だってやれる自分(カズマ)なら、少しぐらい単独行動で深入りしても大丈夫のはずだ。

 ミツルギの仲間にも『盗賊』の女冒険者がいて、彼女はミツルギの傍から離れようとしない。であるのなら、いざというときの『逃走』スキルも覚えている自分が別行動した方が効率はいい。敵を察知したなら皆のところに逃げ帰れば問題ない。それにやっぱりトールらとの合流も早めに済ませておきたい。

 今の面子だと、自分以外の魔法を使える連中と言ったら、めぐみん(魔力(ガス)切れかつ危険)、アクア(アンデッド・悪魔特攻)で頼りにはできないし、他は剣士系と盗賊で魔法が使えない。脳筋アタックでは戦闘に不安が残る。

 

 それで、前から少し距離を置いた殿(しんがり)で、皆が見落としたところがないかと気を配りながら城内を進んでいたのだが、不思議なものが目についた。

 

 『押すな』と書かれた紙が貼ってある行き止まりの通路。

 張り紙の前には魔法陣が描かれており、その隣にはボタンがある。

 

 罠にしてもわかりやす過ぎる。『罠発見』スキルで試してみれば、案の定、これが罠である。しかし、これが一体どんな仕掛けなのかまでは不明。魔法系の知識があるのなら、その魔法陣からどんなものが施されているのか知れるだろうが、元日本人にそんな教養はない。

 一応『罠解除』スキルも修得しているが、あまり使用していないので成功率に不安がある。と思いつく。そうだ、今はコイツがいた。

 

「おいアクア。ちょっとこっちこっち」

 

「なによカズマさん」

 

 自分と同じように最後方にいたアクアを呼びつける。『アークプリースト』のアクアなら魔法的なものであれば除去できる解除魔法が使えるのだ。

 

 ――いや待てよ。

 アクアにその気になる罠の所在を示そうと指を指し向けたところで、ふと思った。これは本当に罠なのか? と。

 

 考えてみれば、こんな単純な罠に引っかかるバカはいないだろう。

 となると、これは何かを隠すためのカモフラージュではないのだろうか。

 

 そう、例えば魔王の部屋へと直通で行ける転移の魔法陣だとか。

 そして緊急時には、魔王の部屋から魔王城一階出入り口付近のここへ転送できるようになっている、とか。

 魔王といえど、仮にも王様。緊急時の脱出手段くらい用意してあって当然だろうし、魔王だって年がら年中城に引き篭もっているわけでもないはず。

 それで、城から出入りする度に、自室へ移動するのに迷路みたいなこの城を最上階まで登って行くというのは大変だ。自分の家でもあるんだから自分の都合のいいように改造したって文句はないだろう。確か魔王は結構な歳だと言っていたし、その辺のバリアフリーを部下たちも気を利かせて改築するんじゃないのか。

 

 『罠発見』で反応している以上、何かが仕掛けられているのは明らかで、しかしだ。スキルを過信するのは良くない。

 この旅の間、トールが実戦で稽古をつけてくれたけど、その際に、『自動回避』スキルを利用されてすっ転ばされたことがあったのだ。これと同じように相手のスキルを逆手に取る悪辣な罠があっても不思議ではない。ましてやここはRPGゲームでは終盤中の終盤なラスボス魔王の城である。

 

 つまりはだ。

 逆転の発想。盤面の向きを反対にし、相手側、魔王軍側に立って考えてみる。

 これが緊急離脱用の隠し通路のようなものだとすれば、侵入者にバレるのはまずい。だから、勘づかれたとしても、見逃させるよう意識を誘導させる。

 そう、『罠発見』スキルは在処を教えてくれるが、その詳細、危険性までは判断がつかない。命が関わるような罠でなくても反応してしまうため、転送先で黒板けしが降ってくるとかそんなコケ脅しでも働いてしまう。

 だから、その裏を読めば自ずと答えは出るのだ。

 

 ――確信する。

 これは、罠ではないと!

 

「そこらのボンクラの目は欺けても、この俺の目は騙せなかったようだな……」

 

「ねーねー、変な顔で笑ってないで説明しなさいよ。……? 何このボタン? 『押すな』、って張り紙があるけど……」

 

「ああ。だから、これは罠じゃない。あからさまに警告してあるなんて逆に怪しいだろ。だから」

「じゃあ――えいっ」

 

 途中で、アクアがぽちっとボタンを押した。

 押すな押すなと言われる通したくなる芸人根性を、この宴会芸の女神は発揮してしまったんだろう。大して考えず勝手に押されてしまった。

 だが、今の考えが正しければ一方通行なんてことはないはず。これは絶妙にカモフラージュされたショートカットなのだから。これで確認したら、すぐさま取って返して……――

 

 ・

 ・

 ・

 

 転移魔法陣で送られた先は、暗く湿った狭い部屋。

 気が付けば、幽霊か何かが住み着いていそうな空間へと目前の光景が一変していて……振り返るが、壁。魔法陣も何もない。帰り道がない一方通行で……

 

 ――しまった、罠だ!

 

「ちょ――!? カズマさん! 思いっきりはぐれちゃったんですけど! 帰れなくなっちゃってるんですけど! これって罠じゃなかったんじゃないの!?」

 

「そ――そう思わせて罠だって断言したかったんだよ! 裏の裏をかいた、人の心理の逆手を突いた罠なんだって! 大体押したのはアクアだろ!」

 

「そ、そ――そうね! 『押すな』って書かれちゃうと押したくなる心理を突いた、とても高度な罠だったわね! あれほど高度な罠なんだから、魔剣の人や他の皆もここに来るわ! ええっ、仮面の人だってきっとこの罠に嵌ってしまってるに違いないわね!」

 

 とりあえず、ここは魔王側が一枚上手だったと褒め称えて、責任の(なす)り付け合いは止すことにした。人、それを現実逃避と言うが、心細くなる状況ではとにかく精神安定が求められた。

 

 それで、他の連中が来るのをしばし待っていたのだが……来ない。

 途中、遭遇した見回りの魔族兵(彼ら曰く、その罠は『罠担当の連中が面白半分に作った、頭の悪い罠』だそうだ)をすったもんだの末に撃破してから、アクアと部屋の隅でしりとりしながら待っていたのだが、一向に来る気配が無い。

 

「どういう事だ。……アレか? あの高度な罠に、誰も引っ掛からなかったって言うのか? いやいや、そんな馬鹿な話が……」

 

「もしかすると、あの高度な罠自体を見つけられなかったのかも知れないわね。日がな一日、物を壊す事しか考えていないめぐみんと、物にぶつかる事しか考えていないダクネスが、そんなに注意深い子達とも思えないわ」

 

 アクアにしては珍しく納得できる意見だ。

 

「なんてこった。つまり、魔王退治だけじゃなく、現在迷子になっているあいつらもなんとか見付け出してやらないといけなくなったってわけか」

 

「そういう事ね。ちょっと目を離しただけであっという間に迷子になるなんて。まったく。私達がいないとこんなにダメな子達ばかりなのかしら。まったく!」

 

 とまあ、皆とはぐれ、迷子になってしまった自分たちは、この場にいない連中相手に好き放題を言っていた。

 けれど、いつまでもじっとしているわけにはいかない。

 帰りの転送魔法陣(テレポーター)がない以上は戻れず、皆と合流するには先へ行くしかない。

 この転送された現在地、おそらくは魔王の城の上層部より進むとなれば、本当に魔王と対峙することだってあり得る。

 

 それがわかって、臆病にもまた立ち止まってしまっていた。カメとの徒競走で期せずして一足跳び(ショートカット)に成功したウサギは道半ばで昼寝(らく)をしていたわけだが、前しか進むことしか知らない連中(カメ)はいずれこちらに追いつくだろうし、追い抜かれてしまう。

 ……最終戦なんだから、足並みくらいは揃えないとダメだろう。

 

(“『テレポート』で帰る”に再投票したいんだけどなあ……。めぐみんやダクネスが、大好きな俺の事を諦めて置いて帰るとも思えないし)

 

 何よりあの場で皆を一か八かの、人生を懸けた大博打に乗らせてしまった手前、“やっぱ魔王が怖いから帰ります”なんて言い出すのはあまりにも格好が悪い。石を投げられても文句は言えない。

 

 ――だから、いい加減に立て、サトウカズマ!

 と自分に、気合いというか喝を入れるよう頬を叩いて立ち上がる。

 

「…………じゃあ、そろそろ行くか。一応、俺に考えがあるんだ。この旅の間で伝授された、必殺技を披露してやるよ」

 

「必殺技って何かしら! ビーム? もしかしてビームなの? ……それともまさか、この私の宴会芸……!」

 

「なわけあるか。いいからお前も用意しろよ。ほら、芸達者になる魔法をかけてほしいんだ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 アクア様(とサトウカズマ)とはぐれてしまった!?

 これはきっと、こちらの戦力を分断しようとする魔王軍の策謀に違いない。

 いくらアクア様でもこの魔王城をお一人では危ない。だけど彼女は女神の使命を果たすべく足を止めたりはしないのだ。だから、僕達も急いで追いかける。

 しかしこの強行はフィオの『潜伏』でも庇い切れずに気配が露見してしまう。城中から魔族兵が立ちはだかってくる。

 けれど――!

 

「!? なっ……、お、俺の妖刀が……!?」

 

「この魔剣(グラム)は女神から賜った伝説の業物だ。斬れない物など何もないさ」

 

 神器『グラム』の一刀は、相手の剣を叩き折り、それから返す刀で魔族兵を斬り捨てた。

 魔王城を守護する連中だけあって、他の魔族よりもレベルが高い。だがそれでも、魔剣の敵ではない。

 

「こいつっヤベェ! おいひとりで当たるな! いっぺんに殺らないと……ッ!」

 

「『ルーン・オブ・セイバー』!」

 

 『ソードマスター』の必殺技が、一斉に襲い掛かってきた三体の魔族兵をまとめて横一文字に断ち切った。

 

 魔剣を振るって血路を開く。そして、後ろには背中を押してくれる仲間たちがいる。

 

「やっぱり、最後に頼りになるのはキョウヤね!」

「キョウヤさえいれば魔王だって倒せるわ!」

 

 フィオとクレメアは討ち漏らしがないか気を張りながらも、励ましてくれる。

 

「……カズマの方がずっと頼りになりますよ。何だかんだで最後の最後はやってくれますからね」

 

「まあ、めぐみん。ここまで一度も敵と当たっていないとなると任せきりなのも何だか悪いというか、あまりパーティとして機能できていないのは……正直、このまま魔王と当たるのは不安があるな。早く合流しないと」

 

 そして、今は二人以外に『アークウィザード』と『クルセイダー』と上級職の面子もいる。

 

「後ろはお任せします! 前は僕が道を切り開きますから!」

 

 行ける。

 一致団結すれば、どんな障害だって切り開ける!

 

「おっと、それまでにしてもらおうか、侵入者共」

 

 こうして、次々と魔族兵に襲い掛かられるが立ち止まることなく駆け抜けていくと魔王の間へと続く大広間へ辿り着いた。

 アクア様や、あのエルロードの王子とやらはおらず、そこで待ち構えていたのは、重々しい鎧を着た、これまで遭遇してきた魔族兵の中でも一際大柄な山羊頭の魔族。

 部屋には他にもトカゲ頭のモンスターや2mは優に超える巨体を誇る、額に二角を生やした赤銅色の鬼、それから朽ちたローブを着た半透明な幽霊のアンデッドモンスター・レイスなど単純な力押しだけでは倒すのが難しい相手がいる。

 そして、これら漆黒の鎧騎士の一体一体は雑魚ではない、一線を画す存在感(オーラ)がある。

 

「俺は、魔王城最上階層の近衛隊副長のマモンだ」

 

 最初に声をかけた、それらを率いるまとめ役と思われる山羊頭の魔族兵が代表して名乗る。

 

「僕はミツルギキョウヤ。これでもそこそこ名の知れた、魔剣使いの『ソードマスター』だ!」

 

 相手も魔王軍ながら騎士。流儀に合わせてこちらも魔剣を構えて名乗り返す。

 

「ほう。魔剣使いの噂は聞いている。随分と調子に乗ってくれたみたいだが、各地域の管理職クラスの連中と、魔王様の直属の近衛隊である俺達を一緒にしてくれるなよ。真正面からやり合えば、幹部連中にだって遅れを取るつもりはない」

 

 大柄な体を巨大な鎧で覆うマモンは、濁った黄色い山羊の目をギラつかせて、大剣を引き抜いた。

 

 大広間、騎士達の詰所の奥には、巨大な扉。

 このマモンが言うように、この先には魔王の間があるのだ。

 すなわち、ここは侵入者を迎え撃つための最終防衛線。

 何としてでも主人である魔王にその剣先を届かせんと壁として立ちはだかる近衛隊の気迫は、ゴクリとこちら全員の固い唾を嚥下させ喉を鳴らす。

 

(――気持ちで負けてたまるか!)

 

 女神に選ばれた勇者として、道を切り開いてみせる! と自らを鼓舞し、奮い立たせる。

 この魔剣『グラム』で、山羊の近衛隊副長を断ち切って、士気を挙げてみせる。劇的に、初撃で決めて、その勢いで一気に――!

 

 

「――イイ男、見ィつけたァ♪」

 

 

 お尻を撫で上げる、強烈な悪寒に、決闘する魔族兵を前に思わず振り向いてしまった。

 

「し、しししシルビア様!!?」

 

 マモンもまたそれが無視できなかった。ボス格として立ちはだかり、魔王軍幹部にも引けを取らないと自ら称していた実力者が顔を蒼褪めさせて慄いている。

 

 なんだ、こいつは……!!?

 絶句する。これほどに悍ましいモンスターは初めてだ。フィオとクレメアは互いに抱き合って悲鳴をあげる。百頭の怪物。その力はベテラン冒険者たちに怖気を走らせるほどに強大だ。

 

「さっ()は逃げられちゃってお預けを食らっ()ゃった()ど、今度は()てよかったわぁ」

 

 距離を置きたい。あれは近寄ってはならないものだと頭の中でけたたましく警鐘が鳴る。

 それでも、今ここで最も強いのは自分であるのだから、この怪物は自分が倒さなければならない――!

 後退りたくなった脚に喝を入れて、飛び掛かった。

 

「『ルーン・オブ・セイバー』!」

 

 ゆったりと動く怪物。魔族兵らまで怯んで動きが鈍い。チャンスだ。助けが入らないうちに一撃で奴を仕留める!

 

 呼び声に応え、燐光を放つ魔剣『グラム』。神器の力を解放し、『ソードマスター』の渾身の斬撃を放つ。

 エンシャントドラゴンをも切り裂いたミツルギキョウヤの必殺剣だった。

 

 パーティの二人(フィオとクレメア)はこのモーションに入った時に勝ちを確信する。

 臨時の二人(ダクネスとめぐみん)も目を瞠り、しかし警戒は解かない。

 

 身の丈より巨大な太鼓を思い切り叩くような轟音が炸裂し……怪物は動かない。

 そして、ミツルギも魔剣を振り切れずに食い込ませたまま止まっていた。

 

「―――」

 

 剣腕が、戦慄で凍りついた。

 これまで経験したことのない手応え。いや、一時魔剣を売り払われて元から離れていた際、別の剣を扱っていたことがあったが、その時に“切れ味が悪い”と魔物に試し斬りして抱いた感想――それを『グラム』を叩きつけた今、思っている。

 

 多数の優秀な遺伝子を取り込んできたオーク、その数多を取り込んだ『グロウキメラ』は、純粋な肉体のステータスは魔王軍の中でも最も高い。斬撃耐性のある遺伝子を取り込んだその皮膚は鋼鉄を上回る頑丈さで、魔剣の神器でも一刀両断をさせなかった。

 

(けど、斬った!)

 

 刃鳴(はな)が散り、血が飛沫いた。

 袈裟懸けに断ち切ったとまではいかないが、魔剣は確かに深く刻みつけた跡を残す。血も流れている。間違いなく傷ついている。ダメージは大きい、あるいは致命傷のはず――

 

 そんな甘い考えを嘲笑うよう、怪物はニタァと顔を歪め、目前の自分(ミツルギ)を見つめていた。

 

「……()い攻撃ね。以前のあた()ならやられていたわ。けど残念、()っかくの勇気も通用ひなかった。ご自慢の必殺技も、このあたひを殺し切ることはできない」

 

 肩口から胸辺りまで斬り込んだというに、まるで堪えた様子がない。むしろそれすら陶酔しているよう、痛覚を刺激する衝撃に生を実感し、圧倒的な己の強さに酔い痴れている。

 

「ひいわぁ。その絶望した顔、ゾクゾクとする。ああ、もう」

 

 攻撃したくてもできなかった、先程の一方的に集中砲火を食らった『預言者』の時とは違って、攻撃してもダメだった。

 自分(ミツルギ)の驚愕を浴びながら怪物は笑う。

 

「このまま、タべちゃいたいくらい」

 

 べろりと体表の顔のひとつから伸びてきた舌が魔剣を取る腕に巻き付くようねっとりとしゃぶり上げる。ひぃっ!? と生理的な嫌悪感から悲鳴を禁じ得ず、剣を抜いて飛びずさって距離を取る。

 

 途端に、始まる。

 

 みしみしみしぎしぎしぎし、と不気味に響く何かが軋む音。

 魔剣が刻みつけた、マグマのように輝く断裂が、地響きでも起こすかのように不気味に脈動を繰り返している。

 

 肉体の性能は、魔王軍幹部でも群を抜いている。それは単純な硬さだけでなく、生体としての自己治癒能力もそう。

 まるで熟し過ぎた柿のような薄気味悪い色の肉塊の断面が盛り上がる。出血が、止まる。致命傷に達したと思いたかった傷口は(せば)まり、塞がる。

 それは修復というよりは、過剰な再生。断たれた箇所が腫瘍のように膨らんで癒着する。

 

「危ないキョウヤ!?」

「キョウヤ逃げてっ!」

 

 この光景に瞠目する――魔剣の一撃が無駄に終わったという根底を揺るがすほどの衝撃に打ちのめされかけたその精神状態は隙だらけだった。

 

「お楽しみはまだ()れから。逃がひゃ()ないわよっ。――『バインド』!」

 

 しまったっ!

 射出された鎖が、身体に巻き付く。オークを吸収していても、元々のシルビアが有していた盗賊系のスキルを忘れていない。

 強力な『拘束』スキルでキツく結び付けられてしまった体勢から一気に倒そうと引っ張られたが、咄嗟に魔剣を床に刺して踏ん張る。

 だが、

 

()れ、邪魔ねぇ。――『スティール』!」

 

 支えにしていた魔剣が、手元から消失する。奪われた。

 

 かつて、手痛い敗北を喫した『スティール』対策として、盗まれていいものをたくさん持ち歩いていた。

 しかし、魔王城直前で馬が怯えてから自力で進まなくてはならなくなり、体力の消耗を抑えるためにもなるべく身軽に動けるよう、最低限の荷物だけを持って……馬車にその“余計なもの”を置いてきてしまった。

 そう、魔剣さえあれば大丈夫――そんな慢心で魔剣を再び手放してしまった。

 抵抗のため鞘に納めることも叶わず、あまりに無防備な魔剣は『窃盗』スキルで強奪された。そして、杖にしていたその魔剣が突然なくなり、前のめりに倒れ込む。

 

 体格に重量、腕力も圧倒的に片方が上の綱引き(チェーンデスマッチ)など結果は決まり切っている。所詮は人間、嘲笑う力の差。

 超高レベルの上級戦士職で筋力値には自信があったのに、まったく相手にならなかった。

 

「ぐおおおおお――っ!!」

 

()れじゃあ、いらっ()ゃい。鎧や服はスキルじゃなく手ずから剥いで上げる」

 

 ゆっくりと、引き寄せる。

 唇を舐める赤い舌。

 喜びに濁った目が、必死に抵抗する獲物を見つめている。

 

「キョウヤ今行くわ!」

「キョウヤはやらせない!」

 

 ミツルギの貞操のピンチについにフィオとクレメアが飛び出す。

 だが、それをシルビアは一瞥することなく、

 

「メスに興味はないわ。あなたたちが相手なさい。――お楽しみの真っ最中に邪魔が入れば、わかるわね?」

 

 今は冷静だが、気狂えば魔王様も狙う。だから、封印されていた。

 そんな『グロウキメラ・オーク』シルビアの不興を買えばどうなるかなど魔王軍は誰もが知っている。そう今だって気まぐれに食指が伸びることだってありうる。

 だけど、少なくとも、愚かにも挑んだ魔剣使いが餌食になっている間は保障されている。

 

 マモンら親衛隊の魔族騎士は欠片も油断なく、魔剣使いの勇者の救助を阻む。

 

「ノス、ロギア、ペイン、奴らを抜かせるな」

 

 ノスと呼ばれた騎士、ロギアと呼ばれた鬼、ペインと呼ばれたレイスが彼女たちの前に立ちはだかる。

 

「やぁッ!!」

 

 『ランサー』のクレメアが槍を思い切り突き放つが、ノスの漆黒の鎧装甲を穿てずに弾かれる。

 

「『バインド』ーっ!!」

 

 『盗賊』のフィオが腰のロープを投げ放ち拘束しようとするが、ロギアの鬼族の剛力はそれを容易く引き千切る。

 

「この程度か。魔王城に挑むには早過ぎたようだな」

 

「雑魚が。怖いのは魔剣使いだけのようだぞ」

 

 攻撃が通じない。ならば、素早さで翻弄する!

 『ランサー』専用装備の魔法効果が付与された高価な長槍『砂塵の槍』から砂塵の煙幕を起こすや、『盗賊』の『潜伏』スキルを発動させて相方に触れる。

 

「くっそ、この……っ!」

「小癪な真似しやがって……っ!」

 

 戦闘ではキョウヤに頼りきりだけど、自分たちだってベテラン冒険者として彼の力になれるよう連携を磨いてきたのだ。

 

「オレは目玉なんかに頼ってねぇからな! 『潜伏』しようがアンデッドの俺には効かねぇよ!」

 

 しかし、生気に反応するアンデッドモンスターに『潜伏』スキルの気配遮断は通用しない。

 レイスのペインがフィオとクレメアの前に回り込む。これにフィオが持っていたナイフを『投擲』スキルで投げ放って、クレメアが槍を振り回して薙ぎ払う。

 

「ヒャッハアーッ! オレに物理攻撃は効かねぇかんよー! 魔法の使えない前衛職なんて格好のカモだぜぇ!」

 

 だが、その一切は当てられずに通り抜けた。

 笑い叫びながらレイスのペインは、その幽体の腕を伸ばし、二人を捉える。

 

「食らいな! アンデッドの奥義、『ドレインタッチ』ー!」

 

「「きゃーっ!?」」

 

 相手から生命力と魔力を吸い取る魔性の手に捕まえられた彼女たちは力が抜けて、膝をついてしまう。

 このままレイスは『ドレインタッチ』で一気に絞り上げようとしたとき――その身を盾とするよう間に割って入る影。

 

「そうはさせん! 『デコイ』!」

 

「ひゃああああ!?」

 

 小娘どもを仕留めるはずだったのに、無視できないほど嗜虐心を煽ってくる『囮』スキルに反射的に引き寄せられてターゲットを変更させられ、『ドレインタッチ』の魔手がその身に触れるやペインは悲鳴を上げた。

 神の加護を受ける聖騎士の清い身体は、アンデッドには毒も同じで、レイスの天敵であった。

 そして、『クルセイダー』の前衛職の中で最も守護に秀でている。特にダクネスは国随一の頑健さを誇り、ダンジョン最深部で手に入れた『クルセイダー』専用の鎧に身を包んだ彼女は正しく鉄壁。

 

「下がっていろペイン! 相性が悪い!」

「コイツは俺達がやる!」

 

 漆黒騎士ノスの卓越した剣術が繰り出す魔剣の斬撃と鬼族ロギアの剛腕が叩き込む鉄槌が左右から挟み撃つコンビネーション。

 上位魔獣でも肉を断たれ骨が砕かれる、アダマンタイトすら粉々にする強烈な連携攻撃。これをまともに食らって、五体満足。それどころか女騎士は赤い顔でハアハアと荒い息を吐いている。

 

「くうっ……! 流石は魔王軍の精鋭、息の合った攻撃を繰り出してくるな……! だがお前達の攻撃など、私が全部受け止めてやる! さあ、お前達の猛り狂った荒ぶる攻撃を、すべて私にぶつけるがいい! 全員まとめて来ても全く構わんぞ! ほら、余所見をするなっ!」

 

 なんだコイツ! ヤベェ!!?

 攻撃が効かなかったのもあるが、まるで歓迎するように攻撃を煽ってくるその姿勢を、挑発か罠かと判断に迷う近衛隊が、警戒して身構える。

 そこへ、一石が投じられる。

 

「二人とも伏せなさい! ――劣化エクスプロージョン!」

 

 『アークウィザード』だが、爆裂魔法以外は使えないめぐみんが投げたのは、魔石。それは先程、魔力欠乏状態でふらついていたところに応急処置としてトールが握らせておいた『吸魔石』だ。

 魔力を溜め込み、いざというときの予備魔力(サブタンク)にする魔法使いの必需品。その間違った利用法で、過剰な魔力を注ぎ込んでやって、暴発爆発させる。

 膨大な魔力量を誇る紅魔族のめぐみんの魔力が注がれた魔石は、あっという間に黒くなり、すぐに赤黒く――そして、瞳の色と同じ色鮮やかな紅の光を点滅させたところで放った。

 

 ボンッ!! と大広間を爆炎と烈風が席巻する。

 吹き荒ぶ衝撃波に強かに打ち据えられた近衛隊に立っていられたものなどほとんどいない。襲い掛かっていた騎士も、鬼族も、幽霊もこの疑似爆破魔法攻撃にすぐ立ち上がって戦線復帰するのが無理なような小さくないダメージを負う。

 その中で、逆風を払い、仁王立ちする羊頭の魔族兵。近衛隊副長のマモンが血走った目で、滅茶苦茶にしてくれた『アークウィザード』を睨む。

 

「貴様ァ、よくもやってくれたな!」

 

 だが、その前を同じように、強烈な爆発に耐えたダクネスが遮る。剣を構え、マモンが大振りで叩き込む大剣を受ける。

 

「! 幹部級というのは伊達ではないようだな」

 

 防御した腕が痺れる。これほど苛烈で重い剣撃は、最初に対決した魔王軍幹部デュラハン・ベルディアにも劣らない。その剣捌きに滅多打ちにされたダクネスが思うのだ。間違いない。

 

 守りはダクネスが請け負う。ならばこちらも援護を……といきたいが、めぐみんの隠し玉はあれがひとつ

 こんな事ならもっと魔石をもらっておけばよかった、と愚痴を噛むも、そんな本来の利用法から外れた使い捨て戦法に、妙にお節介な仮面の王子は説教するだろう。

 

「うあああああっっ!!?」

『キョウヤーっ!?』

 

 残念なことに、互角に切り結んでいるように見えるが、ダクネスの剣は受けのみ。攻めれば外すし、それで隙を見せればマモンの大剣に吹っ飛ばされかねない。そんな防戦一方で、援護もできないとなればこの副長の絶対死守を崩すことは期待できない。

 

 そして、こちらが戦っているように向こうでも……勇者(ミツルギ)は懸命に守っていた。己の貞操を。

 

「さあ、あたひにあなたの魔剣を委ねなさい。すぐに天国へ逝かせてあげるわよ!」

 

 心の底からの凄まじい恐怖を覚え、魔剣使いの勇者は屈した。

 

「ぅぐォォォああああああああああああああああああ!? はあー、はあーっ!?」

 

 もはやこれ以上どう己を奮い立たせればいいのか。鎖で引き摺り寄せられて、思い切って拳を振り上げたがそれもあっさりと掴まれた。そのまま熱い抱擁を受け、体中を隈なく体表に浮き出てる豚面瘡(オーク)がおこぼれを預からんと伸ばす舌が這う。例えるなら賞味期限切れの腐臭漂う生クリームで全身パイ投げ食らうような、呼吸もままならない濃密極まる経験値。

 ハーレムにおしくらまんじゅうされるよう接吻(キス)抱擁(ハグ)が一編に味わえる、まさにこの世の生き地獄がここにあった。

 しかし、これは挨拶。まだフルコースの序盤の前菜。天国を騙った地獄の門の入口。

 ぶるぶるぶるぶるぶる……とマナーモードのようにミツルギが振動し始めた。この戦意が一発で挫けた勇者を、シルビアは慈愛の細めた眼差しを送り、

 

「もう果てちゃうなんて、こういうの初めてなのかしら? 意外ねぇ、でも、お姉さんが優しくリードしてあげる。病みつきになるくらい絶頂させてあげるから」

 

 フィオとクレメアが悲鳴を上げてその名を呼ぶが、ミツルギの意識は彼方、彼岸へと飛んでしまっていた。

 ダメだ。もう考えられない。

 アクア様、申し訳あり、ませ……――

 

 

「――お待ちになってください、シルビア様」

 

 

 地獄に仏だった。

 百頭の怪物(シルビア)に蹂躙された直後であって、それがミツルギには天使に見えた。

 しかし、それは違う。

 露出の多い煽情的な黒のボディスーツに身を包んだお姉さんは、何やら神々しい気配を漂わせる青髪の女性を首輪にかけ縄で引き連れている。

 ダクネスを一方的に嬲っていた近衛隊副長マモンも動きを止める。他の魔族兵も同様に、敵視していいものかと戸惑っているよう。

 そう、彼女は悪魔、最下級悪魔のサキュバスだった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……何? ()れからだというのに、お楽しみの邪魔をする気かしら? この獲物を横取りするというのなら、サキュバスのあなたも()ただいちゃうわよ」

 

「そんなつもりはございません、シルビア様、そのままミツ……勇者のサクランボを頂くのは勿体ありません。もっとめくるめく官能の世界に自ら踏み込ませるくらいに屈服させるべきです。よろしければ、そのお手伝いを私にもできないかとこうして提案した次第です」

 

 そういうとサキュバスは、(サキュバスに侮蔑の眼差しを向ける)青髪の女性に繋いでいる縄を引っ張り、ミツルギの前に立たせる。

 途端、朦朧としていたミツルギの意識が一気に浮上――憧れた女神が犬の散歩のように縄に繋がれた姿に覚醒を果たす。

 

「あ、アクア様っ!?」

 

「この通り、私が使えそうな人質を連れております」

 

「貴様っ、アクア様にいったい何をした!」

 

 精神が灰に燃え尽きようとしていた魔剣使いの勇者が必死に叫ぶ。それだけで、サキュバスが捕らえた――どこか見覚えのある――青髪の女性が大事なのだろう。

 これにシルビアはいったん手を止め、様子を見る。

 

「うふふっ、この女性がどうなるかは、今後のあなたの態度次第」

 

「くっ……」

 

 最下級悪魔とは思えない、悪辣な笑みだ。

 近衛隊も百頭の怪物(シルビア)の前に立つ度胸に、さらに勇者をどん底に突き落とそうとするサキュバスに“うわあ……悪女だ”と慄く。

 だがそれに魔剣使いの勇者は項垂れるしかない。サキュバスに逆らいたいが、大事な女性を人質に取られて逆らえない。この悔し気に歯噛みする表情を、シルビアはとても好物だった。

 

 何事も感情には鮮度がある。ほんの挨拶代わりの軽い責め苦で折れてしまうので、歯応えが少々物足りないと思っていたところだ。容姿が良くてもいきなり壊れてしまっては、お人形を相手しているのと変わらない。味気ないのだ。

 だが、サキュバスの煽りを受けて、完璧に打ちのめされたかと思われた抵抗する意思が起き上がってきてる。

 それならば、サキュバスに場を整えさせるのも一興かもしれない。

 

()いわ、試しに余興で盛り立ててごらんなさい。上手くいけば何か褒美をあげるわ」

 

「いいえ、そんなものはいりません。私は、サキュバス。シルビア様が発散する精気を頂ければそれだけで十分です」

 

 なるほど、そういう心算ね。

 サキュバスは悪魔族。悪感情をご飯にする。それで大量に精気がいただけそうな自分(シルビア)につこうというのだろう。あわよくば庇護下に入る。Win-winな関係だ。

 それにしても、中々に殊勝な奴ではある。頭も回りそうだし、直感的に気が合いそう。新たなに補佐としてつけるのもいいかもしれない。

 

「ほうら、そんな睨んでいいのかしら。大事な彼女が恐怖に怯えているわよ」

 

「あくびをしているように見えますが」

 

 外野の紅魔族と思しき少女が指摘をするが、サキュバスは無視した。

 

「っ、わ、わかった……。だが、僕にいったい何をさせるつもりだ」

 

「何もしなくていいわ。抵抗しないで、というのが私の注文よ」

 

 妖し気に笑いながら、サキュバスはミツルギに手を翳し、恐るべき宣告を言い放った。

 

 

「これから、私があなたに催眠をかける。――シルビア様が、そこの彼女と同じに見えてしまう幻覚をね!」

 

 

 なっ――と、ミツルギは言葉を失う。

 

「ねぇ、それはいくらなんでも無理がある設定じゃない。というかこの麗しい女神の肖像権は安く――い゛っ!? なにすんのよ!」

 

「黙りなさい! サキュバスはどんな夢でも見させられるの! 不可能なことなんてないの! あと夢だから肖像権とかいろんなものは問題ないの!」

 

 人質の女性が溜まらずいちゃもんをつけるがその首にかけた縄を思い切り引っ張り込んでサキュバスは黙らす。

 

「さあ、力を抜いて。ちょっとでも抵抗したり、術のかかりが甘いようなら……あなたの魔剣で彼女を斬ってしまうわよ」

 

 ほう、これは面白そうな展開になってきたわね。

 シルビアが盗んだ魔剣『グラム』をサキュバスが手にするやその刃先を人質の女性へ向ける。なんて鬼畜な脅迫。自分の想い人を、自分の得物で傷つけようなど、シルビアでも思いも寄らなかった発想だ。親衛隊もあまりの外道っぷりに引いている。最下級悪魔(サキュバス)ながら自分の副官に据えたいくらいだ。

 それで反骨精神を剥き出しにさせながらも挫かせた見事な手腕を持ったサキュバスは、いよいよその催眠の詠唱を唱え始めた。

 

「あなたはだんだん眠くなーる。あなたはだんだん眠くなーる……」

 

「う、ううっ……」

 

「ほーら、早く眠くならないと大変なことになーる」

 

「くっ……!」

 

 つい抵抗しているのか、術がかかりにくいようだが、やがて魔剣使いの勇者は屈するよう目を瞑り、

 

「はーい、それで……これから三つ数えたら……――」

 

 これを見て、サキュバスは何やら術をかけるよう自分(シルビア)の背後へそっと回り――

 

 

「サキュバスのお姉さんが、格好良い冒険者に見えてきます!」

 

 

 ポン、と旅の道中で教えてもらった変化魔法『モシャス』でサキュバスに化けていた変身を解くや、サトウカズマは手に持った魔剣『グラム』をシルビアの背中に突き刺した。


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