この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

130 / 150
130話

 この騎士の詰所となっている大広間の奥には、巨大な扉がある。

 近衛隊副長のマモンが言っていた。“ここは魔王様への部屋に続く”と。

 魔族兵たちが屯していたこの場所は、侵入者を迎え討つ為の最後の関門。

 つまり、この先にはラスボスが待ち構えているということになる。

 すぐ隣で起きた喧騒だ。大立ち回りをしたこちらの気配を間違いなく気づいているだろう。

 

「カズマ、それからフィオ殿、察する気配の方角を指差してくれ」

 

 トールが簡単にだが床に書いた、この扉の先の部屋の間取り。『フローミ』という地形覚知魔法で把握したのだそうだ。それで左右の壁端に立たせた自分(カズマ)とミツルギパーティの『盗賊』――『敵感知』スキルを持った二人に、最も強い反応を感じ取った方向を示させると、床の間取り図に二つの直線を書き足して、それが交差する箇所に強く念押すよう丸点をつける。

 

「ふむ。だいたいわかった」

 

 ――魔王戦における作戦概要を説明する。

 まず現時点で知り得る魔王の情報は、高齢で最盛期ではない。ウィズやバニルが言うにはそろそろ世代交代をさせてやるべきお歳だそうだ。それで魔王としての力の大部分は幹部筆頭を務めている娘に移譲しており、だから、魔王個人の戦闘力は幹部と大差はない。

 しかし、魔王には、配下を強化する特殊能力がある。その力で魔王は貧弱なゴブリンでも中堅どころの冒険者グループと互角にやり合えるほど増強してしまえる。なので、魔王の部屋にいるであろう護衛は、魔王の近くにいる限り、その一人一人が幹部級の力を持っていると言っても過言ではない。

 

 これにこちらの陣営。

 即戦闘に当たる突入隊の前衛は『クルセイダー』のダクネス、それから『ソードマスター』のミツルギが主力で『アークプリースト』のアクアがその支援と回復を担当する。

 そして、戦況が不利となった時に備えて、後方でゆんゆんに『テレポート』を準備してもらい、今日限界近くまで魔法を撃ちまくっためぐみんも“最後の切り札”と(言い含め)()て最後尾で待機。それからその護衛に『ランサー』と『盗賊』のミツルギの取り巻き。彼女たちはミツルギのサポートについていきたそうだったが、全てが魔王軍幹部級の戦力に挑むには、この大広間の親衛隊でも相手にならなかった以上は力不足。足手纏いになると言われれば、噛みつきたそうにしながらも文句は出ずに引き下がった。

 『フィオ、クレメア。大丈夫だよ、心配ない。僕は負けない。魔王を倒して皆で帰ろう。もし誰かが死んでも、即座に撤退すれば大丈夫だ。僕達にはアクア様がついている。例え負けても、また強くなって来ればいい。だけどそのためには二人にすぐ撤退できるよう後方を確保してもらいたいんだ』とミツルギのフォローも入り、二人は喜んで引き下がってくれた。

 

 基本方針とすれば、ダクネスが守りを担当して、ミツルギの魔剣で攻撃を担当する。

 ――無論、こんなやり方で魔王を倒せるなどとは思っていない。まず魔王を暗殺できれば相手戦力は激減するのだ。遊撃担当の自分(カズマ)が、失敗こそしたが先程シルビアに仕掛けたように、突入隊が気を引いている間に奇襲上等(バックアタック)を敢行する。

 それから……

 

「……トールは、破天荒ですね。先の戦闘と言い、様式美(セオリー)というのをわかっていますか?」

 

「わかっているとも。だが、そんなお約束を守ることなどよりも、“全員無事で生還する”という約束の方を買う。それに、めぐみんもこの魔王城の最上階に爆裂魔法をぶっ放そうとしただろう」

 

 めぐみんに、トールがそう言い返せば、むぐぅと口を閉じる。

 様式美にこだわりたいめぐみんやミツルギもいるが、自分(カズマ)はトールの意見に賛成だ。

 

「扉の前に敵の反応が集中しているのを見るに、魔王が扉を開けて部屋に入るのを今か今か手ぐすねを引いて待ち構えているのは容易に想像がつく。パーティクラッカー代わりに上級魔法の嵐で歓迎されるだろう。であれば、こちらも歓待側が唖然とするくらいのサプライズな挨拶をしてみようではないか。何事も主導権を握るのは第一印象が強い方だからな」

 

 “上級魔法の嵐で歓迎”というところでダクネスが反応しかけたが、扉の前に行かないよう後ろ首をとっ掴まえた。相手のフィールドである死地に飛び込もうとするバカなんて、このドM騎士くらいだ。

 で、アクアの“安全第一”という支持する声が上がれば、ミツルギもそれに従う。ミツルギが従えばその取り巻き二人も頷く。めぐみんも理解を示す。

 

「それで、その一番肝心の“先制攻撃”が本当にできるんですか?」

 

「できる。あわよくばダクネスとミツルギ殿らが先陣を切らずとも終わらせるくらいの開幕ブッパを見舞ってやろうではないか」

 

 トールは結晶体を床に叩きつける。

 それは短時間だが微弱な結界を発生させる魔法結晶で、魔力の波動を外へ漏れにくくしてくれる。

 

「……ただ、それには協力者がいるわけだが」

 

 ・

 ・

 ・

 

 今日、初めて会ったというのに、魔法が射出されるタイミングを身体で覚えているかのように、トールは聖盾にジャストミートを決めてコントロールしていた。

 神器も凄いが、順応性も凄い。シルビアを相手した時のように時間をかけて観察するまでもなく、寸分狂わず完璧に息を合わせて連携をしていた。あそこまでは長い付き合いのめぐみんにだってできないかもしれない。

 そして……

 

「――と説明は以上だ。感覚的なものになるが、ゆんゆん、俺がリードする」

 

 トールは、ゆんゆんの対面に立ち、互いの杖とするステッキと鉄扇を合わせる。

 空いた利き腕の反対の手を重ね、ぴたりと触れ合う肌の感触と温かさ、それに魔力をひとつに溶け合わせていく共同作業……この慣れない感覚にひとりぼっちの少女は身悶えた。その腰砕きかねないくらいに震える様を見て、トールは、傲慢な振る舞いに自覚はあれどせめて誠実に彼女に当たろうと言葉を尽くす。のだが、

 

「……さっきはあんなことを言った直後だ。舌の根の乾かぬ内に俺に預けてくれというのは信用がなくて不安なのだろうが、俺には君が必要だ。どうかこの一時だけは」

「いえっ! 信じていますトールさんの事! 私の全部、委ねますから!」

 

 グイッと重ねた手を、指と指を間に入れるよう強く握り込んで訴えるゆんゆん。そして、証を示すように目を瞑る。

 

「そ、そうか。そこまで協力してくれるのはこちらも嬉しい限りだ。必ず、期待に応えよう」

 

 この全力姿勢にはトールも思わぬ反応だったようで、やや困ったようだがリードする腕により力を篭める。

 で、それを観させられているこちらもどう反応すべきか困っている。手を取り合い、目を瞑る少女とか何も知らずに見ていたからキスシーンかと勘違いする。なので、ツッコミを我慢している内にとっとと始めてもらいたい。

 

「トール、あなた、そこのチョロいぼっちを口説いていませんよね?」

 

「そんなつもりはないが、ウソは言っていない。これには腕の立つ上級魔法の出来る『アークウィザード』の援助が不可欠だ」

 

 “ゆんゆんに代わって不埒な真似をしないか私が見張る”とばかりに特に目を厳しくチェックするよう眇める――しかも若干赤らんでいる――めぐみんの熱視線に突かれたトールは、開戦の号砲を唱えた。

 

「『風花雪月』!」 「『インフェルノ』!」

 

 蒼と紅。相反する属性を合成し、生み出される対消滅の魔力の波動。

 魔王に感知されるのを警戒し魔力遮断の結界結晶の効果で外へ漏れださないようにされているが、その内側にいる自分たちには凄まじさが肌に伝わる。素人目であるが、めぐみんが爆裂魔法を放つ直前と遜色ない。

 めぐみんも光らせていた目を大きく見開かせる。

 

 そして、引っ張るトール、それに連れ添うゆんゆんの腕に連動し、光は照準を絞るように矢の形へと収縮し――解き放たれた!

 

 

「「『メドローア』――――ッッッッ!!!」」

 

 

 極大消滅魔法は、魔王の間へと続く分厚い門扉に大穴を刳り貫き、それでも極一点に集約させた貫通力は勢い衰えず、深く深くまで、一直線に突き抜けた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「よし! いくぞ――!」

 

 扉の貫通痕から中へ入れば、残っていたのは三体。

 『敵感知』ではおよそ十体分は気配を捉えていたが、前情報が正しいとすれば、一気に半数以上の七体の幹部級モンスターを消し飛ばした計算になる。凄まじい戦果だ。一撃必殺の貫通力を秘めた爆裂魔法級の脅威だと言えよう。その一発に渾身の魔力を篭めたゆんゆんは後の『テレポート』分を計算して前に出れないが、まだ余力のあるトールは突撃隊の後へ続く。

 

 それで残りも半身がない屈強な男性魔族と、部屋の隅に運良く躱せたと思われる黒魔導師風の魔族、そして、一番風格のある老魔族が、緊急回避した直後のように床に倒れ込んでいる。

 一見すると大柄な老人だ。白髪の間から二本の角が生えているが、パッと見は人間っぽい。でも、黒衣を身にまとったその姿は、誰が見てもこう思うはずだ。

 あれが、魔王だと。

 

「魔王! 覚悟――」

「ッ! ――『カースド・ライトニング』ッッ!」

 

 最も早くアクションに転じられた黒魔導師が闇色の雷光を放った。

 ドラゴンの腹に穴を開けられるほど強力な――魔王の力で強化されている――電撃上位魔法を、真っ先にど真ん中へ突っ込んだ先頭のダクネスが受けるや、ビクンと大きく身体を跳ねさせ、しかし鎧から黒煙を上げながらも耐えきった。

 

「おのれいきなりとんでもない魔法を撃ち込んでくるとはふざけた侵入者だ! 待ち構えていた此方が言えるセリフではなかろうが、容赦がなさ過ぎるぞ! もっとセオリーがあるだろう!」

 

 重々しい声を発する老魔族。やはり、あいつが魔王のようだ。

 魔王が魔族の力を増大できる特殊能力があろうとも、その人数の差を覆す程護衛の大半を初撃で仕留めることができた。

 まともに動けるのはあの黒魔導師だが、ダクネスが魔法攻撃を防ぎ、ミツルギが斬り込めば十分に倒せる。残りは避け切れずに半身だけの浅黒い肌の魔族のみだ。

 そして、魔王単体であれば、みんなで囲めば倒せるはず。

 これはいけるかもしれない――魔王討伐が机上の空論などではなく、実現可能なところまで来ている。

 見れば鎧もつけていないようだし、『潜伏』で息を潜め、残りの護衛二人をダクネスとミツルギらに引き付けてもらいながらあの老魔族の背後に回り、一刺しすれば倒せそう。

 

 ――そう、勝機が見えたはずだった。

 ――この側近が、幹部程度の障害であったならば。

 

 背後から戦慄に震える声が飛んだ。

 致命的な過ち。目前の好機に釣られて“死”が増大に膨らむのに気づかなかった――!!

 

 ピキ、と何かがひび割れる音が聴こえた。

 次の瞬間、なんと、男性魔族の断面が盛り上がって、欠けた半身が復元される。先程のシルビアと同じ超速の自己再生か。

 その筋肉質で背の高い、茶髪を短く切り揃えた浅黒い肌の男が五体修復された――のを見るや、魔王の間に声が響いた。

 

 

「今すぐ引き返せェェェェェェェェ――――!!」

 

 

 あの百頭の怪物(シルビア)を相手にしたときだって冷静沈着を崩さなかったトールが、驚愕が心臓から脳天まで貫いたような顔で撤退を呼び掛けた。なにが? と問いかける前にカズマの足は止まった。

 今の忠告の必死さが覚れぬほど愚かではない。トールが一目で危険を察知するほどのモノがある。

 だがしかし、突撃した先頭の二人は足を止めるというには無理なくらいに勢いづいてしまっていた。

 

 

「いいや、逃がさん。この魔王を前にそんな勝手が許されると思ったか」

 

 

 獅子のように鋭い歯を剥き出しながら、老獪な魔族は嘲笑う。

 自らの鬼札を誇る覇王のように笑い、その唇を鮫のように歪めて、告げる。

 

「“ハンス”よ、()()()姿()()()()()()()()()。――存分にやれ」

 

「了解しました、この愚かな人間どもを一人残らず始末いたしましょう魔王様!」

 

 魔王から命が下り、その魔王直属の()()()()()が、にぃっと笑う。

 爛々と目を輝かせて、殺意というには不純が混ざり過ぎる嗜虐な光を湛える魔族。放たれるその圧力の凄まじさ。見るだけで、びりびりと、肌が感電するようだった。

 

「そうはさせない! その前に僕が貴様を斬るッ!!

 

「やめろミツルギ! 引き返せ! お前には倒せない!」

 

 あれが皆を襲う脅威であるなら、それを真っ先に倒そう! 何もさせるまでもなく、神器の魔剣『グラム』で斬り捨てる!

 トールの制止で止まらぬ。猪武者の如く愚直に突貫するミツルギが、剣を振りかかって迫られてもなお余裕な態度を崩さぬ男性魔族――ハンスへと、『ソードマスター』渾身の一振りを見舞った。

 

「食らえ、『グラム』の力を! 『ルーン・オブ・セイバー』!」

 

 突入前にアクアから支援魔法を受けていたことで、先のシルビア戦に増して勢いのある一刀は、守りの構えすら取らないハンスを横一文字に斬り、抜けた――

 

 え……? なんだ、今のは?

 シルビアのように高密度の鋼のような肉体ではない。その逆。まるで抵抗がない。鍛え抜かれた外見に見える相手に対しその水を切るような手応え。

 それで、魔剣を振り切った。そう確かに斬ったはずなのに、斬られていない。この視覚情報を裏切る結果に、ミツルギは戸惑う。

 

「残念だったなぁ。俺に物理攻撃のほとんどは効果がない」

 

 斬り痕すらない相手に、ミツルギは“これはまさか幻なのか?”と疑うも、それは違う。

 確かに当たった。その証拠に、肉体を通過した魔剣が()()()()()

 

「な――」

 

 これに気づき、ミツルギが限界まで大きく見開いた。目を皿のようにして注視したが、それはあまりに受け入れがたい、否、受け入れられない光景。

 これまでは毀れることがなかった、ドラゴンの灼熱の炎さえ切り払ってみせた神器『グラム』の刃が、腐食し、融解していた。

 

 ウソ、だ……――

 魔剣使いの勇者は、この世界に来てから己が絶対の支柱としていたものの破損にたまらず放心してしまう。

 

「俺の名はハンス! 魔王様直属の近衛隊隊長、『デッドリーポイズンスライム』の変異種、ハンスだ!」

 

 名乗りを上げるや、その右腕の原形がどろりと溶ける。真っ黒いコールタールのような粘液上になり、それを頭が空白になったミツルギへとぶつけんとする。

 ――その前に、ダクネスが叫んだ。

 

「『デコイ』ッッ!!」

 

 『クルセイダー』の身代わりスキルに、意識が逸れる。ミツルギを狙ったドロドロの触手は、ダクネスの方へと放たれた。

 

 じゅうっ、と音がした。

 粘体となった腕で殴られた全身鎧が、汚染で蝕まれるよう退色される。また浸食時間が秒単位で経過するごとに、装甲の表面がぐずぐずに腐敗し、薄気味悪い紫色に変色されていく。

 最果てのダンジョンの最下層で入手した聖騎士専用の鎧武装。魔法物理あらゆる外部の干渉に対して高い防御力を有し、ダクネスの防護系スキルと合わせて、これまで鉄壁を誇る堅守――にも拘らず、それが瞬く間に融ける。

 そして、毒手はやがて鎧に覆われた肌まで浸透す(ふれ)る。

 

「う、ぅあああああああああ――――っっ!!?」

 

「ダクネスッ!?」

 

 あのめぐみんの爆裂魔法にも耐えきったことのあるダクネスが、悲鳴を上げた。あまりに鋭く、焼きつくような痛みが襲い掛かり、滅多打ちにする。

 無様なほどに絶叫するダクネスは、白目が見えるほど眼球が裏返る。常人ならば、一撫でされただけで発狂してショック死するレベルの激痛。

 これに驚いたように近衛隊隊長の魔族が笑う。

 

「俺の攻撃を受けて、原形を保てるとはここまで到達するだけのことはある。これは喰い応えがありそうだ」

「『風花雪月』!」

 

 雪精踊る凍てつく風に、ダクネスを捉えていた毒手が、一瞬で氷結した。

 右腕を凍らされたハンスが、そこで笑みを消した驚きを見せる。

 下手人の正体を確認するよりも早く、この機を逃さぬ指示(こえ)が飛んだ。

 

「カズマ、二人に『バインド』だ!」

「『バインド』っ!」

 

 『拘束』スキルのロープが、あのハンスという魔族にではなく、その傍にいたダクネスとミツルギに絡みつく。そして、二人と繋がった縄を、急いで駆け付けた声の主――トールへとバトンタッチする。

 

「捕まえた! 頼んだ、トール!!」

「おらあっっっ!!!」

 

 その魔法使い職らしからぬ馬鹿力で、二人を一気に引き寄せるトール。ハンスの手が届きうる危険地帯から脱出させるや、重体のダクネスをアクアへ預ける。

 

「アクア様、今すぐダクネスを!」

「わかってるわ! 最強の回復魔法ですぐに治してあげるから! ――『セイクリッド・ハイネス・ヒール』!」

 

 アクアがその状態異常を遮断するための神器である羽衣でもって、ダクネスに付着する毒液を拭いながら回復を施し、七転八倒するダクネスの容体を落ち着けさせる。だが、またすぐに戦える身体ではない。

 ミツルギも魔剣の刃が融けた精神的な衝撃から立ち直っておらず、未だに呆然としている。

 さらに、

 

「『カースド・ライトニング』!」

 

《ご主人様っ!》

 

 黒魔導師が掲げた杖より迸った漆黒の雷が、トールを襲う。

 聖盾が注意を喚起するも、ダクネスとミツルギを引き寄せた直後であって対応が間に合わず、右肩を撃ち抜かれてしまった。それで右手で持っていた得物の、今ハンスの片腕を凍結させてみせた鉄扇を落としこそはしなかったが、まともに振るえないだろう。

 トールはそんな自身の損傷に構わず叫んだ。

 

「撤退だ! 退くぞ!」

 

 歯を食いしばっての二度目の宣言に、否はない。

 『誰かが死んだら戦闘は中止して『テレポート』で撤退』というのが事前に取り決めたことで、ダクネスが戦闘不能になったのだ。ミツルギもトールもまともに戦える状態ではない。

 アクアと両サイドを挟む形で、包帯代わりに巻き付けた羽衣を引っ張ってダクネスを引き摺り、トールが無事な左手でミツルギの頬を引っ叩いて強引に目を覚まさせる。

 

「『インフェルノ』ーッ!!」

 

 そこへ今度はまとめて葬り去ろうと業火の上級魔法を黒魔導師が放つ。回避は間に合わない。負傷した腕で鉄扇(つえ)を振り抜く猶予もない。

 元よりトールに躱す気がなかった。

 二度も不意を打たれる愚は犯さない。相手の背中を追い打つことなど承知している。だから、取る対応(てふだ)は二つ。倍返しの反射をさせるか、『全てを吸い込む』か。こちらを焼き尽くさんとする火炎に後者を選択し――すうぅぅぅぅ……っ! と全て吸い込んだ。

 

 我が魔法をこんなやり方で防ぐとはこやつ人間か!?

 このあまりにふざけた出来事に目を剥く黒魔導師だったが、その動揺の間を与えずに火炎が火吹き芸の如く吐き返された。

 そこへさらに火の勢いを強める追い風が吹き荒ぶ。

 

「ゆんゆん! 私のライバルを名乗るのならあれくらいの魔法使いを倒してみせなさい!」

 

「『トルネード』!」

 

 めぐみんの激励を受けたゆんゆんが上級暴風魔法を繰り出し、それにトールのカウンターのブレスが合わさり炎の嵐と化す。これに黒魔導師は防ぐ統べなく呑まれた

 

 

 ――直後。

 

「隙ありよぉ!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 水と温泉の都へ到着する際に抱いた最悪の予感が的中した。

 

 『アルカンレティア』は、自分にとって幼いころの修行場であって、一度死んだ。――そして、“彼女”と師匠、二度も身近な人間を奪われかけた場所。

 その苦い思いをさせたのが、ハンス。『デッドリーポイズンスライム』の変異種にして、魔王軍幹部。人間を形作ってはいるがその本質は液体であるため物理攻撃が通じず、魔法にも強力な耐性を持ち、蘇生不能なほど獲物を消化し尽す悪食のスライム種で、その中でも触れただけで殺傷能力のある致死毒を有するのが『デッドリーポイズンスライム』であり、さらに街ひとつを汚染でき、しかも浄化するには高レベルの『アークプリースト』が複数がかりで数ヶ月を要する災厄レベルの猛毒を保有する変異種が、ハンスだった。

 倒していてもトラウマの残る相手だ。

 

 そのハンスが、この平行世界では、サトウカズマたちに撃破された魔王軍幹部に数えられていなかった。

 セレナより残りの魔王軍幹部の情報を引き出した時にもその名は挙げられてはいなかったが、まさか幹部ではなく、側近のひとりとして存在していたとは、予感はしていたはずなのに予想し切れていなかった。

 

(“俺”と同じようにこの世界に存在しないものだと決めつけた俺の想定の甘さに、軽く怒りが湧くほどに腹立たしい!)

 

 己に対する憤怒に、射抜かれた方に苛む激痛が噛み砕かれる。

 

 そして、自責の怒りと並行して、冷静に状況の計算をし直す。

 

 現状、ハンスを相手するのは無理だ。

 一度目は撃退し、二度目で撃破した相手だが、どちらもこちらの土俵で主導権を取れたからこその結果だろう。

 ここは魔王城。

 そして、ただでさえ幹部級の実力を持った『デッドリーポイズンスライム』の変異種が、魔王の特殊能力で強化されて、超級の存在と化している。

 ミツルギの神器の魔剣『グラム』すら融かし、己以上の防御力と耐久力を兼ね備えたダクネスをも一撃で瀕死の状態に追い込んでみせたハンスは、もはや幹部レベルに留まらない、最凶の災厄(タタリ)だ。

 

「俺の腕を凍らせるとは、ウィズ以来だ。――だが、魔王様から支援を受ける俺はこの程度では止まらん! そして、この最深部まで到達し得るほどの脅威を見逃す気はない!」

 

 氷漬けにした腕の氷結状態が紫色の煙を上げて解ける。

 

「本来の姿に戻ると本能の抑えが効かなくなるが、魔王様からお許しが出た。貴様らに真の絶望をみせてやろう――!!」

 

 そして、ここまで保っていた人形(ひとがた)から一気に膨れ上がった。

 数倍数十倍の体積へ凄まじい勢いで膨張された巨体。グミのようにプルンと丸まっているが、流動する粘液の中には捻じれた脊椎が通っており、不揃いで獰猛な牙を生やした悪食の顎が生えている。しかし、声帯器官はないのか、叫びも威嚇音もなく、ただ巨大な粘体をうねらせる。その光景は、無声映画(サイレント)にも似て悪夢じみていた。

 

 機動要塞『デストロイヤー』が破壊兵器ならば、魔王に増強された『デッドリーポイズンスライム』の変異種は生物兵器だろう。共に一国を滅ぼし得る災厄指定級の存在。

 視界に入れるだけで穢れてしまいそうな澱んだ魔力。ただ存在だけで環境を汚染し、人間を犯す毒素をまき散らすハンスに、これ以上ここに留まっているだけでも、刻一刻と全員の生存確率は目減りしていく。

 早くここを離れなければ――!

 一秒がやけに緩慢に感じられ――その緩慢さに、一層の焦りが募る。

 逃走はもはや決定事項。ここからどうにかして逃れて、立て直しのチャンスを掴み取る――しかし、その退路は握り潰されていた。

 

 

「――残念! 『テレポート』はさせないわぁ!」

 

 

 だいぶ痩せ細ったが、そのオークの肉体は、シルビア。

 残り一体分になるまで吸収したオークを切り離して生還を果たしていた『グロウキメラ』が、退路を確保していた面子を蹴散らしていた。

 

 倒し切れていなかったのか……!

 だが、それならどうして気配を覚れなかったんだ?

 

 連鎖する計算外。誤算だったのは、シルビアが最後の一体に残したオークが、『隠密トカゲ』という『敵感知』すらすり抜ける特性を持ったモンスターとの配合種だったこと。存在感凄まじい他の雑種(オーク)とひとつに混じり濁らされていたが、それも残機一つにまで絞り減らされた結果、ステルス特性を発揮できる状態になっていた。

 それで、『盗賊』の『潜伏』スキルまで行使されれば、感知系のスキルすらも掻い潜る。

 これでシルビアは、退路確保を任されていた彼女たちへ奇襲を仕掛けた。邪魔な『盗賊』のフィオをまず殴り飛ばし、続いてそれに驚いて反応が遅れた『ランサー』のクレメアを蹴散らした。

 

『思い出したわぁ! 紅魔の里ではよくも爆裂魔法をぶっ放してくれたわねぇ! ――『バインド』!』

『っ! めぐみん!』

 

 そして、一度殺されかけた爆裂魔法使いへと手が伸ばされたが、それに気づいたゆんゆんがめぐみんを押し飛ばして、代わりに捕まってしまった。

 高レベルの冒険者だが、魔法使い。両腕を鎖で拘束されてシルビアの膂力に抗えるはずがなく、おさげを引っ張られるその顔が悲痛に歪んだ。

 

 

 この事態を一目で推し量ったトールは、瞬時に戦局を打開する術を模索する。

 まずは可能な範囲の探りを入れようと手指の腱に力を篭めて、片側の不具合を確認。右肩負傷。握力はあるが満足に動かせる状態ではない。先の黒魔導師の業火を無理やりに吸い込んだ結果、口腔内を軽く火傷してまともに舌を動かせず、今すぐ呪文の詠唱をできるような状態ではない。数秒で回復させる自信はあるが、その数秒の余裕も許さぬ状況。背後には、最も驚異と判断されたこちらを食らわんと猛然と迫るハンス。

 この状況で、シルビアから解放させ、ゆんゆんを奪還するには――と考えるトールとは対照的に、シルビアは果断だった。というよりも、トールを追い詰めることしか頭にない。

 

「二度も同じ手は喰らわないわよ! 『スティール』!」

 

 先程魔剣の神器をミツルギから奪い取ったのと同じく。あの聖盾の神器『イージス』を取り上げんとして、左手でおさげを掴んで引き寄せた人質(ゆんゆん)の身を盾としながら、右手を突き出す。『盗賊』の『窃盗』スキルの構えだ。運ステータスの差でほぼ確実に強奪されてしまう『スティール』を、ゆんゆんを盾にされて判断に遅れたトールはまともに食らってしまった。

 

「これで、もう……――なに、これ?」

 

 シルビアの右手が掴み取ったのは、掌に収まるくらいの、小箱。あの仮面(トール)が所有するアイテムのひとつなのだろうが、シルビアには判断がつかない。疑問。それが生んだ一瞬の空白にトールは動いた。

 

 ――そこだ!

 僅かに空いた隙間、その一点へ集中して、足を振り抜いた。

 

 無詠唱速攻の『真空波』を手からではなく、足でやる『真空蹴り』。その長い脚からサッカーボールのように蹴り飛ばした不可視の魔力塊は、見事にシルビアの顎をかち上げるよう強かに撃ち抜いた。

 シルビアがその威力に脳天を揺らされて、力が緩み、おさげから手が離れた――ところへ飛び掛かった今度は直に肉体を蹴り抜く。

 

「ぶべらっ!!?」

 

 ――『雷鳴豪断脚』ッ!

 九十九のオークを切り離して体重が軽くなったシルビアは、その全身に魔力を浸透させた肉体強化でぶち抜いた蹴撃を食らい、大きく弾き飛ばされた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

『汝はこの先で二つの選択を迫られる。それはどちらを選んでも必ず後悔するであろう』

 

 そうして、仮面の悪魔に予言された選択を突き付けられる時が来た。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 目の前に、シルビアから解放されたゆんゆんが前のめりに倒れた。両腕を巻くよう身体に鎖が絡まっているせいでうまく起き上がれない。

 

 それから、もうひとつシルビアの手から離れたものがあった。

 箱。トールが、元の世界に帰還するために手に入れた――そして、シルビアに盗まれた――転移の魔道具。それが、ゆんゆんが右に転んだ方とは反対の左側へと転がり跳ねて遠ざかる。

 

 そして、もうすぐ背後に、神器を融解し、聖騎士を汚染する――万物に害する毒を持った

粘体の津波が迫っている。

 そのままでは、ゆんゆんと『異世界転移の箱』、どちらも呑まれる。

 

 両方の距離は離れている。――だから、駆け付けられるのは、片側だけ。

 右腕はまともに動かせない。――だから、この左手で掴めるモノは、ひとつだけ。

 己が選べるのはひとつ。――だから、もう一方は切り捨てなければならない。

 

 近くて、軽いものは、無事な左腕の方へと転がった箱だ。

 それに元の世界へ帰るための切符の方があれば、この状況からも脱することができる。これで彼女を助けられなくても、所詮は、他所の世界の悲劇、切り捨てても忘れてしまえばいい。生存本能を優先すれば、選択は決まっている。

 

 

 ――――――――――それがどうした!

 

 

 刹那の逡巡もなく、左手が掴んだのはゆんゆん。

 仮面の悪魔に予言されたが、今この瞬間に後悔はない。たった一度の機会を逃してしまうよりも、二度の失敗をする方がありえないのだから。

 世界が違っていようが関係ない。たった今――惚れた女が死にかかったんだ。

 一緒に歩んできた“彼女”ではないし、似ていても同じなのであってもやはり別人だと理解している。

 でも、ここにいるゆんゆんだって、本物だ。別物などと区別していいもんじゃない。なら、そこに助けに入るのに躊躇が入る余地などないに決まり切っていた。

 

 ああ、そうだ。

 俺は後悔するだろうさ。

 だけど、お師匠様を倒した時だって、後になって倒さずにすむ方法を百は考え悔やむが、倒すと決めた瞬間は、一つのことしか頭になかった。

 

 だから、あの『アルカンレティア』で、『ゆんゆんを、ハンスにやられた』というのに、こんな選択で迷う天才性などいるものか! ああ、バカで構わないとも!

 

 

 ♢♢♢

 

 

《躊躇わずに守り通すべきところに伸ばせるその腕にこそ、イージスお姉さんは、惚れたのよ、ご主人様》

 

 

 ♢♢♢

 

 

「トールさん!」

 

「悪いなゆんゆん。抱え方は雑になってしまうが不平は一切受け付けない。不満ならまた後日にお姫様抱っこをしても構わないから大人しくしててくれ」

 

 まだヒリヒリとするも火傷が収まりつつある口を軽く動かして、軽口を宣う。

 これに顔を赤らめるゆんゆんだったが、彼女も切迫した状況は承知している。

 

「魔王の特殊能力に範囲がある以上は、ハンスもそう魔王の傍から離れられない。おそらくは、今いる大広間の外まで出られれば、追ってはこないはず……!」

 

 希望的な観測だとはわかっているがそれでも口に出して、この先にゴールはあるのだと思い込ませる。

 他のメンバーも必死にハンスから逃げている。カズマとアクアは泣き叫びながらも支えるダクネスを見捨てることはせずに必死で、ミツルギも取り巻きの二人に励まされながらも懸命に走っている。

 

「ちょ、ハンス! あたしよ! シルビア! お願い食べな――ぎゃあああああ!!?」

 

 背後から悲鳴。

 蹴り飛ばされたシルビアがノックダウンから意識が醒めた時にはもう遅く、『デッドリーポイズンスライム』の変異種の身体に呑まれてしまった。

 

 スライムは、何でも食べる。それが本能。

 同じ魔王軍の仲間であろうとも、今の本来の姿に戻っている時には、悪食の本能を押さえる理性(ブレーキ)も働かない。おそらく魔王も細かな指示はできないものと思われる。

 

 だから、魔王の制止を振り切って、どこまでも(こちら)を追ってくる可能性もある。

 

「本当に最悪な予感ばかり的中するなあ!」

 

 ヌメヌメと蠢きながら追走する真っ黒なゼリー状の塊は、大広間を抜けてもなお止まらない。途中で魔族兵の死体が散乱していたがそれらも一瞬で消化してしまうため足止めにならない。

 

「トールさん! 私、自分で走れますから!」

 

「無理を言うな。そんな自分で起き上がれないくらい縛られてる状態ではピョンピョン跳ぶしかできないぞ」

 

「で、でも、このまま重荷になってたら追いつかれてしまいますよ……!」

 

「不平不満は受け付けんとさっき言ったはずだ」

 

 一歩でも前へ。只管に前へ進む。魔力が尽きかけて、体力の消耗も激しくても走るのを止めない。彼女を離さない。

 

 オオオオオオ――ッ!!

 精魂出し尽くさんと雄叫びをあげ、脚に力を入れる。

 だが、ハンスとの距離は開かず、逆に縮まる一方で、このまま徐々に追いつかれれば、捕まり喰われるのも時間の問題……だった。

 

 

《なら、あたしが離れ(おち)るわ》

 

 

 急に左腕が軽くなった。

 ゆんゆんを落としたからではない、装備された左腕より聖盾が勝手に落ちたのだ。

 

《足を止めないでそのまま行きなさい、ここで後戻りしてしまうのなら意味がなくなるでしょ、ご主人様》

 

 そういって、聖盾は、自らの大きさを変化させる。

 

 神器は、選ばれた所有者の体型体格に合わせて自らの大きさを変えるものだという。

 『イージス』にもその補正機能があり、それを応用解釈して、今、聖盾は、防壁のように聳え立つ。

 浄化の力も有する聖盾は、毒気に穢れたスライムを、じゅっと焼くように祓う。

 

《女の子を庇うのはイイ男、そのイイ男を守るのが盾姉様の役目。受けるのは鎧野郎の仕事だけれど、上位神器としての体裁は大事にしないとね。装備したご主人様をやられたとあっては聖盾の名折れ》

 

 “巨人の盾”とも称せるほどに巨大化した聖盾は、最凶の災厄の波の進行を阻む。

 その身を融かし、秘めた輝きを削りながらも……

 

「イージス!」

 

 いいから早く元の持ち運びやすいサイズに戻れと叫ぶ。

 いくら気に入られたからって、こんな、出会ったばかりの人間にそこまで体を張るのはおかしい。そこまでして守られる理由はない。

 

「どうして、そこまで……っ!」

 

《それはご主人様の二の腕に一目惚れしたからよ。ええ、今でも(はな)れるのは惜しいと思っているわ》

 

「こんな時まで寝惚けたことを抜かすな!」

 

 本当にもう少し空気を読める真面目な性格設定をしなかったのかと、製造元の神様に文句を言いたくなる。

 

《しょうがないじゃない。寝惚けてしまうくらい、良い夢が見られたのだから》

 

「夢、だと……?」

 

《ご主人様に出会わなかったら、死蔵されたまま何もかも忘れていたでしょう。そんな路傍の石ころのようなあたしの声を拾い上げて、真剣に耳を澄ましてくれた。道具ではなく、一個の人格を持ったものとして尊重してくれた。それって、ご主人様には何でもないようなことだけれど、あたしにとっては奇跡だったのよ?

 だから、神様が選んだんじゃなく、あたし自身で初めてご主人様だと決めたご主人様には、この身を差し出す価値がある。そして、そう見込んだあたしの目に曇りはなかった》

 

 だから一目惚れは本当よ、と嘯く念話を最後に、弾かれた。突き飛ばすように。

 

 ――その時、最凶の災厄を蒸発せんとする爆炎が飛来した。

 

 それは誰よりも急いでひとり距離を取って、詠唱の準備をしていためぐみんの爆裂魔法。

 皆を助けるために、禁を破った彼女は、聖盾が阻んで動きを止めたハンスへ渾身の魔法を撃ち放った。

 

 

「『エクスプロージョン』――ッッッッ!!!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 天井屋根が吹っ飛び、最上階が半壊するほどの衝撃。

 これに直撃した『デッドリーポイズンスライム』の変異種と言えどもただでは済まない。しかしそれでも完全に倒し切ることは叶わず、魔王からの魔力を受けてすぐにまた盛り上がり復元する。

 

 その余波に吹き飛ばされたトールは、腕に……錆びついたように黒ずんだ盾を抱えていた。

 

 めぐみんの判断に、間違いはない。

 放った直後にぶっ倒れるくらいの無茶をしたがあそこで、イージスが流れを止めたタイミングで爆裂魔法を撃たなければ状況を立て直すだけの機会は訪れずに全滅していたかもしれない。

 

《……ねぇ、ご主人様の力、こんなもんじゃないのでしょう? わかるわ。あなたの腕はとても重いものを持ってきた者の腕よ》

 

「違うっ! 俺は、そんな強く、ない……。もし本当にそうなら、イージスのことだって手放さなかったはずだ!」

 

 原形こそ保っているが、聖盾は、終わっていた。穢れ無き純白の装甲に輝かしい黄金の装飾もすべて黒ずみ、神器としての有様は見る影もない。

 カズマは、これにアクアへ目配せをするが、ふるふると首を横に振られる。もう修復できないほどの損傷を受けているのだ。

 

《ああもう、最初から危なっかしいのはピンとわかっていたけど、そういうところが庇護欲を誘うかしら?》

 

 盾だが、はあ、と溜息を吐いている顔がなんとなく浮かぶ。

 

《ねぇ、抱きしめて》

 

「なにを?」

 

《いいから、この盾姉様を果報物として報いたいと思うのなら抱き締めなさい!》

 

 いきなりの叱咤を受けてトールは戸惑ったものの、これで満足してくれるのならばと盾をしっかりと腕で抱く。

 

「これでいいか?」

 

《もっと強く!》

 

「しかし、あまり力を入れては壊れてしまう。今のあんたは」

 

()()()()()()()! 早くして……もう時間がないんだから》

 

 急かされるトールは、この行為にいったい何の意味があるのかと思いつつ、力を篭め――――パキン、と聖盾に罅が入る。

 

《放しちゃダメよご主人様》

 

「だが、イージス!」

 

《わかってるんでしょ、イージスお姉様は限界だって》

 

 パキンパキン、と乾いた音は止まらず、罅は大きくなる。

 

《この世界は、最後に活動を停止させたものへ最も多く存在の魂の記憶の一部が引き渡される。経験値、って奴ね。手放したくないと言ったんだから、ちゃんともらいなさいよ。こんな毒で果てるくらいなら、素敵な勇者の腕に抱かれた方が万倍幸せなんだから》

 

「イージス、何を考えて……」

 

《あたしの魂は、あたしを認めてくれた者の経験値(かて)でありたいわ》

 

「だからって……」

 

《それとも、こんなに汚れちゃった盾は抱けない?》

 

 バッカヤロウ――!! そう食い縛った歯の隙間から漏れたのが聴こえた。

 そして、その目の色が変わった。

 

「引導代わりに聴け! 汝を降す主の名は、とんぬら! 紅魔の血が流れる勇者の末裔にして、奇跡を起こす者だ!」

 

 トール――否、とんぬらは、抱いた。壊れてしまうくらいに強く――イージスに自らの腕でトドメを刺す。

 

《ふふっ。お姉さんは聖盾『イージス』、持ち主に勝利を呼び込む上位神器よ。だから》

 

「わかっているとも。聖盾を黒星などで汚させはしない。我が真名にかけて、この戦に勝利を約束する」

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 真空蹴り:ドラクエⅪに登場する格闘スキル。足でやる真空波。威力はそこそこのグループ攻撃で燃費もいい。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。