この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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142話

 ――紅魔の里が魔王軍に占領された。

 

 

 侵攻してきたのは、魔王の娘が率いる魔王軍。以前に攻めてきた幹部シルビアのよりも精強で、魔王の娘は次期魔王とされる大物。

 激しい戦闘が予想され、こちらも里内で上級魔法を習得した者たちが前線に勢揃いし、射的圏内に入れば一斉に強力な上級魔法を開幕ぶっ放しようと詠唱準備していた。高額賞金首『グランドラゴーン』を圧倒した殲滅力でもって、一気に千を超える魔物の大群を蹴散らそうとしたのだ。

 だがしかし、軍の先頭に立つ魔王の娘が頭上に手を掲げる合図を挙げた途端、これまで通用していた先手必勝の策は引っ繰り返された。

 

 

『紅魔族よ、今日この日、貴様らは絶滅する――この『氷炎結界呪法』によってな!!!』

 

 

 反響する山彦。拡声機の魔道具を通された声明が聴こえ――

 突然、地震が起こったかと思えば凍てつかされた塔と炎が燃え上がる塔が里を挟む形で地面から突き出し、結界が展開された。

 

「『インフェル――のぉっ!?」

「『トルネー――どぉっ!?」

「『ライトニング・ストライ――くぅっ!?」

「『ライト・オブ・セイ――ばぁっ!?」

 

 同時、迎撃に出た紅魔族たちの身体がぐらりと揺れた。

 立ち眩みにあったように自らの身体を押さえ、蹲ったのである。

 

「く……おっ!」

 

 電流が走ったかのような一瞬であったが、身体が突然炎と化したかのような痛みに囚われ、ばかりか体中の神経が凍結された。突然の変調。生体活動をするための回路でさえも制限が課されたように息苦しい。抗することなどもできず、よろめき転ぶものまで出る。

 

『これが、妾が振るう最強の禁呪だ! もはやここは貴様らの死地となった! まったく打つ手もなく、なす術もなく、絶滅するしかなくなったのだ!!』

 

 総崩れになる様子に、魔王の娘は声高らかに開戦前で勝利を宣言した。

 

 

「くっ、『テレポー――とっ!!? ダメだ、魔法が使えない!?」

 

 そして、その宣言通り。それから紅魔族は、この一帯で上級魔法も転移魔法(テレポート)も使えなくなってしまった。上級魔法が使えない『アークウィザード』など、爪と牙を折って逃げ場を無くさせてから狩られる、紅魔族伝統の修行法『養殖』されるモンスターと変わらない。

 

 

 だが、紅魔の里には、魔法ならぬ特技系統を修め(上級魔法も転移魔法も修得していないけど)、魔法に頼らずとも一撃熊とも殴り合えるだけの身体能力を有した(魔法使いらしからぬ白兵戦を好む)紅魔族随一の勇者にして最終兵器の神主がいる。

 

 

「――ここは一時撤退するんだ。時間は俺が稼ごう!」

 

 唯一、戦えると判断したとんぬらが避難するまでの殿を務めると名乗りを上げた。

 紅魔族はその明晰な頭脳で自ずと悟る。『テレポート』で離脱できず、走って逃げるしかない状況。誰かが残って魔王軍の相手をしなければならない。だが、今、とんぬらと一緒に闘おうにも、上級魔法が使えないのでは足手纏いになってしまう。

 最良はなく、思い浮かぶのは次善の選択肢しかない。それ故に、決断が早かった。次に勝つために、可能な限り多くの手札を残す。だが、ここにいる誰もが割り切れているわけではない。

 まず、族長が口を開いた。

 

「とんぬら君、この戦いが終わったら、娘と結婚してもらうからね!」

 

「ええ、族長。あなたの娘をもらい受けます」

 

「とんぬら、帰ってきたらシュワシュワを飲みに行こうぜ!」

 

「お前の奢りだぞ、もょもと」

 

「弟子君、私が授けた賢王拳は、3倍以上は使ってはならないからね」

 

「そけっと師匠、そんな技は教わった覚えがありませんし、初耳なんですが」

 

「とんぬら君に任せて、僕は先に行くよ!」

 

「……ああ、早く行け、ぶっころりー」

 

「とんぬら」

 

「あるえ……なんだ?」

 

「時間稼ぎも良いけど、別に倒してしまっても構わないよ」

 

「おいしい場面なのはわかるが、こっちにフラグを立たせるようなセリフを代わりに言ってないで、とっとと逃げろ!」

 

 だが茶番のようでこれも紅魔族流の願掛けなのだ。フラグと言うのはやり過ぎると逆に折れてしまうものだ。

 ――しかし、ひとり、冷静に状況判断できながらも、とんぬらの傍をついて離れない者がいる。

 

「ゆんゆん」

 

 族長が、隣に立つゆんゆんの肩に手をかける。

 

「この状況、私たちがいては邪魔で、とんぬら君は存分に力を振るうことができない。違うかい?」

 

「………」

 

 ゆんゆんがこちらを見るが、とんぬらはそれには答えない。

 ゆんゆんは杖を握り締め、訴えるように、

 

「と……とんぬら、私も付き合うわ! 後ろで何か援護できるかもしれないし、きっと役に立つから! だから……!」

 

「それは現実的ではない。里には魔法も使えない子供たちもいる。ゆんゆんがすべきなのは、族長と共に里からの撤退をまとめるべきだ。違うか?」

 

 あの軍勢が総力を挙げて攻めてきて、無抵抗であれば紅魔の里は瞬く間に占領されてしまうだろう。だがら、一秒でも早い避難行動をしなければならない。里の総人口は300人ほど。魔法の使えない子供を含めて。そして、今ここにいる紅魔族の一軍部隊が50人、ふにふらやどどんこなどいざという時のために後衛にまだ上級魔法が使える者たちは控えているが、緊急避難(テレポート)が使えない。この混乱とする事態に逃げ遅れる者が出る可能性は高いのだ。身体的な不調を及ぼしているのなら尚更。だから、落ち着いて速やかな避難を呼びかけ、避難誘導を補佐する人員は一人でも多い方が良い。

 

「だって、とんぬらがひとりでなんて! 魔王軍があんなに……せめてとんぬらの近くで見守っていたい! それも……ダメなの……?」

 

 そういって、俯くゆんゆん。

 彼女のこちらを思いやってくれる心配は素直に嬉しいが、そのワガママは己の現実的な側面が認めておらず、しかし青白く強張った顔を見ているとこのままでは何だかおさまりが悪いとも思う。

 

「ゆんゆん」

「――とんぬら!?」

 

 声をかけて頭を上げさせたところで彼女の身体をこちらに抱き寄せ、頭を撫でる。

 慌てる彼女を押さえつけるように、しかし痛みにならない程度に力を加え、心地良さが最大限になるよう配慮する。

 ああして落ち込む彼女を見ると無性に抱きしめたくなるのはどうしてかな、と考えるまでもないことを少し真面目に考え込んで、

 

「心配するな。まさかゆんゆんは、俺がこの苦難を乗り越えられないとでも思っているのか?」

 

「ううん、そんなことない! とんぬらのこと信じてる。信じてるけど……!」

 

 行動だけでなく言葉にしてきちんと伝えなければ不安になる、ゆんゆんはそういう性質だ。

 だから安心させてやるように、大言壮語だろうが格好つけて宣言して彼女に誓う。

 

「ああ、俺は必ず戻る。だからゆんゆん――行け!」

 

 なおも縋りつこうとするゆんゆんの髪をもう一度優しく指で梳いて撫で、そして、肩を押して強く言い放つ。

 族長の方へ彼女の身柄を送り出す。

 そして、ゆんゆんが族長に連れられて行ったところで、強烈な圧力がすぐ前にまで迫っていた。

 

 ………

 ………

 ………

 

「――『フォルスファイア』!」

 

 花火のように打ち上げる青い炎は、注目を集めるにはうってつけな神聖魔法。

 その手応えにひとつとんぬらは息を吐いた。これは矢鱈滅多にモンスターからの敵意を向けられてしまうものだが、『クルセイダー』の『(デコイ)』スキルの代わりになる。つまりは、心象的に自分を倒さない限り、他へは意識を向けづらくなるよう強制誘導させる。

 

(あれが、魔王の娘か)

 

 大軍を率いる先頭に立つその影は里へ向かってきており、徐々にその姿が細部に見て取れるようになる。

 まず目についたのは角、禍々しく螺旋を描くように生えているその角は、それが魔族であることを象徴するかのようだった。

 だがそんな人でない要素を持ちながらその身体は人間そのものである。それも女魔族の外見は十代から二十代と言った若い女性のものだった。

 背は低く、華奢な体つき。髪はすらりと伸びており、雪花石膏(アラバスター)のように滑らかで美しい白だ。

 そしてこの世の醜いものをすべて削ぎ落したかのように整った顔立ちで、その金色に近い黄瞳は大きく、獲物を捕らえる蛇のように鋭い。

 彼女の人型としての外観の美しさと、人ならざる者の異様さはある種の美の帰結とも言えよう。

 その美を下品にならず飾り立てる装備もまた目を剥く程に鮮烈。胸元には大振りの宝石を用いた首飾り。指にも幾多の指輪を嵌めており、そのすべてを様々な色の宝石が彩っていた。いずれの宝石も、強力極まりない魔導石であると、瞬時に見抜けた。凄まじい魔力を感じ、長い年月を重ねて魔力が注ぎ込まれていることが窺える。そんな彼女自身から発せられる魔力量だけでも他の魔王軍とは格が違うというのに、身一つに備えた装飾品だけで、この女魔族は頑強なる城塞にも等しい守りが施されていると言っても過言ではなかった。

 

 そして、向こうもたった一人で入り口に立つこちらへゆっくりと視点を合わせる。

 その眼光が獲物を見つけた捕食者のように捉えた瞬間、驚いたような表情を彼女はみせた。

 それからその表情をすぐに引っ込めると、不敵な笑みをひとつ、彼女は浮かべ、口を開いた。

 

「一人残るとは、変質者共の里にも勇敢な戦士がいたものだな。しかしあまりに無謀よ」

 

 自然体(ナチュラル)にこちらを見下す傲岸不遜な振る舞いがこの上なく似合っている。

 あまりに堂々としたその姿は気品すら窺わせる。

 あれは支配者だ。

 天上の自信、豪奢な気品、圧倒的な威圧、見かけが少し年上にしか見えぬ女魔族から発せられるのは、そんな見かけ不相応の迫力であった。

 だがその雰囲気に気圧されてはならない。

 

「確かに無謀だ。だが、ここでこの首をくれてやるつもりはない。必ず戻ってくると誓ったのでな」

 

 この言い返しに、冷血な支配者はそのこちらに見せつける余裕たっぷりな笑みをより深く、より鋭利に尖らせた。

 

「ほう。では、その蛮勇、妾をどれだけ興じさせられるか楽しみだ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「行け」

 

 これを数に任せて蹂躙するのは詰まらぬと、一人残ったとんぬらへ小手調べとして、二体の魔獣を差し向ける。

 炎を吐き出す『爆炎トカゲ』と力が強い『一角獣鬼』、どちらも魔王領に生息する凶暴な魔物。魔王軍が引き連れるモンスターが主の命を受け、突撃。

 獰猛な肉食獣の雄叫びと共に、まず『一角獣鬼』が飛び掛かってきた。

 疾走の速度を乗せた剛腕が正面の空気を圧縮しながら叩きつけられる。しかし、それより一瞬早く、とんぬらの姿がゆらりと陽炎のように揺らぎかき消えた。

 見れば質感を思わせるほど鮮やかなる幻像。そして、その僅かな一瞬で幻影に視点()を奪うだけでなく、注目を集めるが故に視界()から逃れる術を知る舞踏を混ぜることで入れ替わり手品(トリック)を成す。

 

「!?」

 

 目標空振り。しかし、『一角獣鬼』の突撃を凌いで反撃をしようと扇を構えたとんぬらへ、もう一体の『爆炎トカゲ』が灼熱の炎を吐き出した。

 

「すぅぅぅ――」

 

 幻像で躱す余裕も与えぬ範囲攻撃――そのモンスターのブレスを吸い込む。口元から竜巻じみた巻き込みまでみせるほどの吸引力で余さずいただく。ドラゴン固有スキルの『全てを吸い込む』。そして、吸い込んだものは宴会芸の『火吹き芸』にして吐き出す。

 『爆炎トカゲ』の火炎を更に威力を加算されたとんぬらのブレスが、大振りした直後で隙を晒す格好の的の『一角獣鬼』へ吐き出し、焼き焦がす。

 そして、続けて細密に練られた凍気を乗せて鉄扇が大きく振り抜かれた。

 

「『風花雪月』!」

 

 灼熱のブレスによりこの一帯はそのブレスによって温度が上がっていた。

 だがそれだというのに扇が煽がれた瞬間、ありえないほどの冷気が空気を染め上げる。

 

 雪精舞う吹雪は、『爆炎トカゲ』を飲み込み、びっしりと溶岩の鱗を纏う全身を、尻尾の先から灼熱のブレスを吐き出す顎まで氷結させた。

 

 

 今の一戦で具合を確かめたが、芸はできる。それに『フォルスファイア』ができたことからおそらく神聖魔法も使える。それから、

 

「『クリエイト・ウォーター』」

 

 軽く腕を振るって、手から勢いよく噴射した水鉄砲で地面に線を引く。

 これよりこの先に踏み入るのなら、覚悟しろ――と威嚇をかますように。

 

 で、そんな魔王軍を怯ますパフォーマンスの裏で、初級魔法(みず)も出せるのも確認した。

 なるほど。今調べられる範疇でだが、どうやら結界の封印は『アークウィザード』、もっと言えば紅魔族が好む派手な上級魔法系統に限定されたもののようだと推定できた。

 回復ができるのは大きく、また得意な小技の攪乱もこなせる。そもそも端から上級魔法など習得していないとんぬらからすれば手札はあまり制限されたことにはならない。

 

(あとは、奇跡魔法はどうかな?)

 

 二匹のモンスターを軽く捻ったとんぬらに魔王軍が僅かに驚き、生じたその間に大仰に鉄扇を振りかざして唱えた。

 

「『パルプンテ』――!」

 

 

 

 パキン、とどこかで何かが壊れた音がした。

 

 

 

「……よし、使えるみたいだな」

 

 今のは一体? 魔力の波動を覚えたが魔法だったのか? と魔王軍でどよめき、怪しむ眼差しを向けられる中、とんぬらは微妙に目を逸らして、ぐっと拳を握る。

 ただし。

 とんぬらが『氷炎結界呪法』の影響を何も受けていないというわけではない。

 

「人間ひとりになに時間をかけてんだ。俺達は里を全滅させに来てんだろうが。どけ。俺が蹴散らせしてやる」

 

 ――地響き。

 

 それは、大きく重いものが動き出した音。

 指揮官である魔王の娘の斜め後方あたりに控えていた、それが前に出たのだ。

 それもとんぬらが引いた一線を踏み躙るような形で。

 最も警戒すべき魔王の娘はそれを静観。値踏みするようにこちらをただ見つめている。

 

(上位魔族か……)

 

 黒い光沢を放つ、硬質的な身体と特徴的な角を持つ人型の魔物。

 先程の『一角獣鬼』よりも一回り大きく、全身岩のような筋肉が盛り上がっている。強い重圧(プレッシャー)。バーバリアン、なんて呼び方が似合いそうだ。

 翼を広げるその威容は、蝙蝠の翼をもつ巨大な鬼。体格(サイズ)も近いとあって、あの好敵手であった上位悪魔ホーストと似ている。

 それが、片手に金属製の棍棒を肩に乗せて携えている。

 

「まさしく、鬼に金棒だな」

 

「とっとと死ね、人間。お前ら人間は、寿命は短いし簡単に死んじまうんだからここで死んでも大して変わらねぇだろ」

 

 言うや巨体に似合わぬ速さで襲いにかかる。どうっと巨体が大地を揺るがせ、翼を広げて垂直に飛ぶ。空中で体をぎりりと捻り、得物に威力を溜める。落下すると同時に、この蓄積したパワーを落雷の如く解き放たん!

 

「オラァ――!」

 

 欠片も遊びのない一撃必殺。手応えはない。圧し潰したのは幻影か。だが、それも承知の上だ。

 そのままの勢いで金棒は叩きつけられた。

 数mの直径で爆裂する大地。衝撃波に巻き込まれるか、吹き飛んだ破片ひとつに当たってもダメージを負うだろう。怯むだろう。そこを叩く。

 小賢しい小細工など力技で粉砕せんとした上位悪魔であったが、この幻像が霧散した爆心地付近に相手の姿はなかった。

 

 

「――どこを見ている?」

 

 

 その声は(うえ)から聞こえた。上位魔族の頭上が翳る。

 なんだと!?

 翼で空を飛ぶこちらよりも翼なき人間が高く跳んでいた。反射板を壁蹴りして、跳ね返す反発を推進力に加算させるよう計算された跳躍で上位悪魔の上を陣取ったとんぬらは、大地を上にして自らの鉄扇を叩きつける。

 咄嗟に頭部を庇った腕に、()()()()をぶつけたとんぬらだったが、渾身の一撃は硬質な音を立てて弾かれた。僅かに顔を顰めてよろめかせた上位魔族。その程度のダメージしか与えられない。

 

(っ、これで打ち倒せないとは、やはり筋力を何割か封じられている……!)

 

 禁呪結界による制限。先程のモンスターを相手した時も直接やり合うのを避けて臨んだが、力が衰えている。

 

「調子に乗るな人間っ! てめぇらの攻撃なんかでこの俺を倒せるとか思ってんじゃねぇ!」

 

 我武者羅に腕を振るい、とんぬらの身柄が下から上に打ち上げられた。

 高々とほぼ真上に掬い上げられて、そこからの落下を狙うよう上位魔族は金棒を構える。

 

「くっ! 『花鳥風月・猫車二輪』!」

 

 すかさずに牽制を放つとんぬら。打撃の衝撃で錐揉みに乱舞する態勢より、舌を舐めずって待ち構える上位魔族へ得物を二つに分けて、投擲する。水が噴出して高速回転し、円盤状と化した二つの扇は――上位魔族から外れてその左右へ散らばった。あんな激しくそれも複雑に回されている最中に正確な狙いなどつけられまい。

 防御の要でもあった鉄扇を投げ捨ててしまう行為に、『馬鹿め』と嘲り、無防備になった獲物へ今度こそ金棒で叩き砕かんとする――

 

「おっと」

「なっ!?」

 

 が空振った。標的が、轟! と風唸る金棒のアッパースイングから、突風に巻き上げられた木の葉のようにひらりと宙を舞ったせいで。

 神風が主の身柄を拾って、宙がえりさせる軽業的な技巧。翼もない人間が宙を舞ってみせるその技に意表を突かれ、眼を大きく見開く。そこで、中空で姿勢を安定させたとんぬらは手を突き出し、

 

「『クリエイト・アース』――『ウインドブレス』」

 

 初級魔法の目潰し。不意打ちな砂塵が眼に入り、一瞬動きを止めた上位魔族。ちょうどそのタイミングで、上位魔族の横を通り過ぎて外れた双扇が左右からそれぞれ内へ巻くように急速にカーブを描く。それは、一瞬で上位魔族を囲うミスリル銀の輪を作り出して、巻き付く。そして、緩く糸をかけるように3周程絡み付いて――絞められる。

 

「百連自得の我が芸は如何なる状況においても弛まぬ」

 

 ――ぎゅるんと分離した二つの扇を繋げている白銀(ミスリル)鋼糸(ワイヤー)が引き絞られた。

 

「!」

 

 打ち倒せなかった――だから、次の布石を打つ。頭も体も停滞することを厭う。奇跡魔法(パルプンテ)で予測できない事態への即興劇(エチュード)なんて実に手慣れたもので、外れ(スカ)からのアドリブなリカバリーへの反応など特筆して迅速だ。

 自ら武器を手放すなど自殺行為まがいであるも、それ以前に肉弾戦が絶不調となれば切り離しても大して問題とならない。そして、この鉄扇も、扇であり、芸の小道具であり、飛び道具(ブーメラン)であり、盾であり、杖であり、鏡であり、依代でありと状況に応じてカタチを変える十徳ナイフのような便利な相棒なのである。

 

 『盗賊』などが習得できる『投擲』スキルに似た宴会芸スキル『投扇興』。この器用補正で狙った地点に正確に飛来し、手元を離れた扇を『花鳥風月』の水芸を駆使して自在に操る。

 さらに主の魔力に反応して自在に伸縮する鋼糸細工(ギミック)を念動でもって遠隔作動させて引き合わせれば『拘束』スキルのように働き、鉄扇の短冊をその身に食い込ませて、上位魔族の動きを縛り上げる。――そして、凍てつく。

 

「『風花雪月・三味線』」

 

 それまで高速回転と共に激しく上げた水飛沫に濡らされていた、その体表についた水滴が、極温低下させた短冊によって氷のコーティングへと状態変化。締め上げてから、凍って固定。『バインド』に『フリーズガスト』を併せたようなこの二重の縛には上位魔族も完全に拘束される。

 

「ぐおおおおおおっ――ぬぐぅっ!!?」

 

 最後、ミスリルのお縄+聖水仕立ての氷の枷に身動きを絡めとられて木偶の坊と成り果てた相手の顔を土台に蹴って、とんぬらは距離を取る。

 

「この野郎、俺を踏み台に……雑魚のくせにふざけた真似しやがってっ! ――おい、ゴーレム!」

 

 号令。上位魔族の一声に控えていた2mを優に超える巨体に重量感のある石の肌を持つ、トン単位の重さは間違いなくありそうな人形。どれもが上位魔族に似た、劣化版であるよう。それが八体。

 

「はっ! 魔王軍随一の『クリエイター』である俺のゴーレムにテメェのちんけな初級魔法じゃ絶対に敵わねぇ!」

 

「そうフラグを立てられてしまうとこちらも応じたくなってしまう。――紅魔族の魔導が上級魔法ばかりだと思ってくれるな」

 

 右手に土、左手に水――『クリエイト・アース』と『クリエイト・ウォーター』――二つの魔法を重ね合わせて、両の掌で地面を叩く。

 

(上位魔法は封じられている。だが、上位魔法以外はできる。力は十全とはいかない。だが、魔力は扱える。多勢に無勢。――だが、俺は戦える!)

 

 刹那、地面から無数の鋭い刃が噴き上がる。

 地面を貫くのは、透明な刃。水晶。

 

 普通、土と水が混じれば、泥水となる。

 だが、相容れぬ火と氷の魔力を合成させて、消滅(ひかり)の矢を作り出すという前例がある。現象として起こる以前の、根本の魔力から練り合わせた合体魔法は、属性から逸脱し得る。

 さながら沼に咲く蓮華の如くに、新たな特質を秘めた水晶創出の魔力を開花させる。

 

 とんぬらの手が地面を叩いた音は波紋の如く広がり、さあと大地が波打って夥しい刃が辺り一面に咲き乱れる。このそそり立つ透き通った水晶は、外敵の突撃を刺し阻む逆茂木。

 数瞬で築き上げた鹿角砦に、命令のままに迫った八体の岩人形(ゴーレム)は各部位を貫かれ、刻まれ、断たれてしまう。

 そして、動きを串刺しに縫い留められたところで、次の矢を放つ。

 

「『メヒャド』!」

 

 右手に火、左手に氷――『ティンダー』と『フリーズ』――二つの魔法を融け合わせながら弓撃つように腕を引き絞って放つ。

 岩石の身体に貫通する消滅の魔力。敏なる魔力感知能力でゴーレムの急所(かく)を察知し、一筋の道をなぞるようその一点を狙い穿つ正確無比の光の矢。そうして、次々とゴーレムをただの岩塊としていき、

 

「おや? 初級魔法で傷物になるとは、魔王軍随一の『クリエイター』が手掛けた作品とやらは見た目を裏切って大分繊細なようだ」

 

「俺のゴーレムを初級魔法なんかで……! もう今からお前は、自分で喉にナイフ突き立てて死んだほうが、よほどマシだって目に遭わせてやる!」

 

「その前にあんたはまず自分のことを気にかけるべきだと思うがな」

 

 全身の筋肉を膨張させ、戒めを力ずくで破ろうとする上位魔族。肌を焼きながらも表面に凍てつく聖氷の枷に罅を入れ、大物魔獣すら縛り上げるミスリルワイヤーの拘束を徐々に押し上げる。だが、それでもすぐに脱出できない上位魔族へとんぬらは、光の矢を狙い定めた。

 変身パートでもないし、紅魔族の琴線に触れるような口上を述べられているわけでもない相手に対し、後がつかえているこちらは悠長に待ってやる義理はないのだ。

 なので、容赦なく。

 

「ぐおっ!?」

 

 自慢のゴーレムたちを射抜いた一矢。目の前で危険を思い知らされれば、射線を向けられた瞬間に上位魔族は飛び退く。だが、初級魔法なんかに逃げを打った、あまりに受け入れがたい様は、怒りで総身を震わすほど。

 

「この俺にここまで恥をかかせやがって人間がァ! 砕いてオーガの餌にしてやる!!」

「――阿呆。後方注意だ」

 

 二つのクリエイト系の初級魔法を合成させて創り出した水晶は、その物理的な強度こそ壁とするには不足なほど脆いが、鉄よりも硬く、透明で魔力を反射する性質を備えていた。

 消滅の魔力と言えど魔力。合成魔法の光の矢は上位魔族の斜め後方に突き出ていた水晶に反射。それが計算通りに回避した角度へ跳弾し、光の矢が上位悪魔の後ろからその足の膝から下のあたりを撃ち抜いた。

 

「くそっ! くそっ! くそっ……! てめぇっ……てめぇぇっ! よくも、よくも俺の脚ぃをおッ……!」

 

 上位魔族の足が潰され、姿勢が前へ傾く。身体が転倒する間際、その懐へ潜り込むよう果敢に踏み込むとんぬら。

 その両手に風を渦巻かせて。

 

「宣告通り。初級魔法も創意工夫次第で化けるモノだとその身をもって思い知らせよう!」

 

 同じ属性。合わせても特異な変化は生じようがないが、だが重ね方を工夫する。片手間でもできる初級風魔法(ウインドブレス)を、両手で同時に行い、さながら毛糸の玉でも紡ぎ上げるように二つの螺旋に廻る魔力を絡み合わせる。そして、激しく乱回転させる力を拡散させないよう、『真空波』で魔力塊を作り出す要領で、自らの魔力でもって球状に固めるように押さえこむ。

 

 一切の発散を許さず綺麗に手の内に留まるそれは旋風の防壁を造り上げる『ウインドカーテン』を、掌サイズにまで縮小されて収めたようなもの。壁にも盾にもなり得ない。

 しかし、怖気走る風切り音。それは尋常でない回転数を表す。矢など向かってくる飛び道具を弾き逸らすのではなく、触れた物体を削り切るほどの高速回転。空圧を高密度に握り込まれた魔力球は、喰らえば巌の如き屈強な肉体でもひとたまりもない。

 

 

「『デュアル・ウインドブレス』――!」

 

 

 魔法を合成、圧縮させることで、初級魔法を初級魔法にあらざる効力を叩き出す。

 炸裂させた胸部に渦紋状の傷を刻み込み、螺旋軌道を描いて巨体が吹っ飛ばされた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 とんぬらはワイヤーの拘束を一度緩めてから巻き直し、しゅるりと盗難(スティール)防止策として手首に巻き付けてあったワイヤーギミックへ引き寄せる形で手元に鉄扇を回収する。

 

 初級魔法で上位魔族が吹き飛ばされる予期せぬ結末に、場の空気は固まった。

 極度の緊張。重く長い一瞬。

 やがて――

 上位魔族が地面を削りながら吹き飛ばされる際に生じた土煙が流された後、目が覚めたように魔王軍からどよめきが聴こえ始める。

 

「――ガタルカンド様が、倒されるとは!」

「――紅魔族は姫の結界で弱っているのではないのか!?」

「――いや待て! あの仮面、ひょっとしてあれが『仮面の紅魔族』なんじゃ……!」

「――人間の王族(ベルゼルグ)に次ぐ賞金が掛けられている、あの……!」

 

 そんな動揺に一瞥もくれず、仮面の奥の眼差しが見据える先には、魔王の娘。

 こちらの第一の目的は、“時間稼ぎ”であるが、欲を言えば軍の指揮官を仕留めたい。これが叶えば、魔王軍は崩れる。この紅魔族の力を封じる結界も破れるはずだ。

 長期戦をすれば不利なのはこちらだ。多勢に無勢、いずれはこちらが先に底をつく。そうなる前に、最小限の消耗で敵軍を攪乱するには魔王の娘を落とすのが手っ取り早い。難易度は凄まじく高いが。

 

「この言を信じるかはさておき。試練明けで満足に休息を取れず、今の俺は我ながら消耗している。そして、そちらの『氷炎結界呪法』とやらが効いている。正直、力も大分制限されているようだ」

 

 わざとらしく一息ついてから、とんぬらは軽く肩を竦めて茶目っ気をみせる口振りで言った。

 

 向こうの結界の中で万全であると装い、相手方の予期せぬ異常を演出して、警戒されれば、()()()()()()手が出しにくくなるだろう。だがそうではない。それではいけない。わざわざ、アクシズ教固有の敵寄せの『フォルスファイア』までやったのは、神聖魔法が使用可能かを確認するためであるが、それ以上に己に相手を引き付けるため。

 ここで軍を分け、殿を避けさせるような真似に踏み切らせるわけにはいかない。故に他へ目を向けさせぬよう、あえて弱味をみせる。今の自身は万全ではなく本調子にも程遠いと自ら告発する。上位魔族を手玉に取った輩と対峙する脅威(リスク)の意識を下げ、その成功した時の手柄(リターン)の大きさを示す、挑発めいた行い。でも今のとんぬらの発言はまるっきり嘘ではないし、むしろ本音である。今ので狼狽えていた魔族らの目に再び血気逸る光が宿る。

 しかしながら、魔王の娘は僅かに目を細めて、まだ動く気配がない。依然と隙を見せない。用心深い相手だと頭の中のメモにチェックを書き加える。

 とんぬらが魔王の娘へ視線を向けていられたのはそこまでだった。

 

 

「ブチ殺してやるぜぇえッ――!! ――『クリエイト・アースゴレムズン』ッ!!」

 

 

 ごごごご!! と重低音が轟き、強大な魔力反応。

 見れば、まだ足を射抜かれ、鳩尾に強烈な一撃を見舞われながらも持ち前のタフさで倒し切れていなかった上位魔族の元に、同じく核を射抜かれ瓦礫と成り果てていたゴーレムの残骸が集う。そして、上位魔族の四肢、肩、胴、頭部に纏わりつき、鎧状に形が固まる。ただでさえ大きな身体が、重厚な岩石で補強されたことにより、巨人とも呼べるサイズ。はっきり言って総重量があり過ぎてまともに動かせないだろう脚部はオブジェのようなものだが、実質稼働できるのが上半身だけでもその腕の届く範囲は広い。

 岩人形を鎧化させた『クリエイター』の上位魔族は、血走った目でこちらを見下し、周りの魔族のことなどお構いなしに暴れ始める。

 

「オラ! オラ! オラァ!!」

 

 岩巨人が岩石塊となった拳を水晶の乱杭を叩き割る。さらに手振りをするたび、土砂に混じった大粒の砂利が、散弾銃か何かのように面で襲い掛かってくる。避けようがない。接近もできない。防ぐしかない。鉄扇を全開に広げ傘のように顔を隠すも、手の甲や首筋や、露出した部分の肌が瞬く間に破れて血を噴き出す。

 

「っ……」

 

 全身鋼化(アストロン)をするか? いや、相手の攻撃の源泉は地面。即ち無尽蔵。弾数に制限はない。耐え忍べてもいつまでも攻撃されてしまえば、地蔵も同然。さらに身動きが取れないと魔王軍の指揮官の魔王の娘に気取られてしまえば、里を襲われる。

 だが、そんな背後のことに意識を割いて我が身を守ることを躊躇したのがとんぬらに綻びを生じさせた。

 

「プチッと死にやがれェ!!」

 

 横殴りの土砂で視界が塞がれているために反応が遅れてしまう。瞬間的に片腕だけを肥大化し、直径3mにも至る巨塊の拳を振り回す。

 

(見誤ったか)

 

 ととんぬらは思った。

 

 ぐしゃり、と左腕が、ひしゃげた。

 

 咄嗟の武器鋼化(アストロン)を施した鉄扇を盾と構えて間に挟むも元よりそれごと貫くような威力の打撃。防ごうにも鍛え抜いた腕を尚微塵に砕くに足りた。骨が突き出し、血袋の如く爆ぜた肉は、自らの全身を赤く染める。

 

「ぐぅっ! 『ヒール』!」

 

 即座に回復魔法を施す。自らの自己治癒能力とも合わさって、悲惨な怪我の容体は見かけ上は取り繕うことができた。骨肉を紡ぎ直したが、出てしまった血液までは元通りとはいかない。

 

「……ここまでか」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――ここまで、か。

 

 真っ直ぐにこちらを見据えて我が魔王軍を一人で相手取ろうとした男が、ついに首を垂れる。

 

 この一帯に敷いた『氷炎結界呪法』の中では上級魔法も転移魔法も許されない。

 紅魔族が切り札とする上級魔法を封じられながらも、こちらの進撃を一時でも阻んだことは敵ながら天晴だと称賛した。

 そして、驚嘆する。

 この軍の中でも最も屈強な魔族を、()()()()()()()()()()()()()()はずなのに打撃でよろめかせた。つまりは、あれが禁呪の結界を張っておかなければ、初手の兜割りで戦闘不能に追いやられていた可能性が高いということだ。あれは本当に『アークウィザード』なのか?

 あの男――『仮面の紅魔族』が魔王軍内で高額の賞金がその首にかけられていることに納得した。

 

(それに、彼奴は、ただの人間ではない……)

 

 だが、それも終わったこと。

 先日、妾の使い魔を助け、そして、ああも妾を辱めてくれた奴には心中複雑なものがあったが、しかし結局、妾が手を下すまでもなかったということ。

 そして、斯様な戦士を捨て駒にするとは紅魔族も恐れるに足らず――

 

「なに、あの眼……蒼く光って――」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ここまでか――」

 

 ああ。できれば、魔王の娘の手の内を探りたかった。と己の高望みを鼻で笑ってしまう。

 

 だけど、退き際だけは見誤ってはならない。

 自分を大事にする。何故なら、自分のことを最も大切に想ってくれる大切な人と傍にいることを決めたのだから――

 

(時間稼ぎももう十分だろうし、あまりに事を欲張り、役目を見失うのは間抜けが過ぎる)

 

 自嘲して自重する。

 濁々と血を流してふらつくも、それで幾分か頭が冷静に働くようになったようだ。それでも自戒に、仮面へ拳を入れる。

 喝を入れ、項垂れた顔を上げると仮面の双眸から蒼い輝きが漏れていた。

 

 紅魔族が瞳を紅く光らせた時は興奮している攻撃色であり危険信号だと、人魔両方に知られるサインであったが、蒼く眼光炯々とする紅魔族は一体何であるのか?

 

「てめぇ……一体何を笑ってやがる。ぶっ叩かれて頭がいかれちまったのか?」

 

「そろそろ潮時だと思ってな……正直、あまりこの手には頼りたくはなかったんだが」

 

 ヘマをうったが、ただでは終わらせない。この多量の(おのれ)の出血は利用できる。それに、ありったけの高濃縮の白い粉末も全部――出血覚悟の大盤振る舞いだ。

 あと必要なのは、大仕掛けを準備するまでの時間。

 

「ハッ! なんだ奥の手があるのか? 紅魔族らしく大技の魔法を使ってくるのか?」

 

「そうだ」

 

「へぇ、そりゃ、『インフェルノ』か?」

 

「違う」

 

「『トルネード』か?」

 

「違う」

 

「『ライトニング・ストライク』か?」

 

「違う」

 

「『カースド・クリスタルプリズン』か?」

 

「違う」

 

「じゃあ、あれだな。紅魔族(てめぇら)の得意だっつう『ライト・オブ・セイバー』か! しかし残念! 姫の宣告を聴いていなかったのか? 今、ここで人間どもに上級魔法は使えねぇんだ! つまり、最後の奥の手も不発になるのが決まってんだよ!」

 

 もはや魔法に頼るしかない状況に追い込まれ、しかしその頼みの綱は役立たず――と上位魔族は嗤う。この嘲笑に釣られ、魔王軍もこちらをバカにする声が上がる。

 

「それも、見当外れだ」

 

「ちっ……気に入らねぇ目だ。もう終わりだというのにまだ身の程を弁えない。紅魔族は頭がいいって話に聴いていたんだが、なぁ!」

 

 最後に詠唱させて失敗した、その為す術なく絶望したところを叩き潰してやろうと思ったが気が変わった。

 

 岩石の巨腕を振り上げる。

 力で太刀打ちできない。威力のある上級魔法は使えない。阻みようのない一撃。しかし、ならば阻まなければいい。

 

 ――標的が、ブレる。

 二重に姿が重なったように像が揺らぐ。

 

「二度も同じ手が通用すると思われるとはなあ!」

 

 『一角獣鬼』を翻弄した幻像。舞と併用して鮮やかに回避する術。だが、既に一度見せた手だ。それに、この大量の土砂を巻き込んで飛び散らす攻撃は躱しようがない。

 しかし、これは身代わりとするためではなく。

 

 

「――『風姿花伝』から繋げて『ディフューズ・リフレクト』。――咲き誇れ、『百花繚乱』!」

 

 

 己の似姿を映す影の如き幻像を、広げて“鏡”の膜を張った扇で弾く。途端、幻像は弾けて灯篭の如く幽玄に朧揺らめく花弁へと化けた。

 そして、桃源郷へ誘うかのように華やかに舞い踊る花吹雪。扇を振り切った際の余風にひらりひらりと遊ばせて演出する、この儚くも美しい闘争を忘れさせる一幕が、上位悪魔の視界を張り付いたように塞ぐ。

 だが、岩巨人を破るには威力が不足している。

 所詮は小手先の小細工。

 圧倒的な力は、そんなものなど一切粉砕する。

 

「しゃらくせぇ! 今度こそ、プチッと潰れちまいな!」

 

 上位魔族の口元に嘲笑のゆがみが過り、一瞬視界を覆っていた靄を払うとそのまま巨塊の岩拳で逃げようとする『仮面の紅魔族』を叩き潰した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「見当外れだな、まったく」

 

 とんぬらは目前の有様に、呆れを零す。

 

「くそっ! コソコソと逃げやがって!」

 

 岩巨人が突如目の前にいるとんぬらを見失い、虚空を相手取って暴れ始めたのである。

 その被害は甚大。魔王軍側に。激しい地団駄に巻き込まれる魔族たちの阿鼻叫喚。

 

「観客に常に目新しい感動をもたらすために、手を変え品を変えて趣向を凝らし、日々研鑽を詰む我が芸能は一度で飽き飽きさせるほど安くはないぞ」

 

 幻像を鉄扇の面に張った万華鏡の反射壁に拡散するのは、幻像――すなわち、幻惑の魔力。

 岩石の四肢を我武者羅に振り回す。そこにとんぬらの姿はないのに。しかし芸に魅了された上位魔族には、己の残像が追加情報として五感に割り込まれている。

 いずれ醒めるであろうが、それまでの立て直すに時間がかかるだろう。前戯としてそれで十分だ。

 

「……変態師匠のお下がりの“これ”を大技の中核に据えるのは非っ常に不本意ではあるが。何物にも頼らず個人で女神の御業を再現しようなどと思い上がりはすまい」

 

 清らかな水を精製し、そして、水系統の魔力を増幅させる触媒ともなり得る『水精石』。この稀少鉱石でそれも超高純度の『水精石』が埋め込まれた『水のアミュレット』を右手で握り込む。

 それに伴い辺りに霧が漂い始め、そして、その霧が次々と水の球へと凝集されていき、そこへ己の血霞と白い粉末の煙幕を、轟々と大気が風切り音を立てて渦巻かせる勢いで攪拌し融和させる。

 

 

「空と大地を渡りしものよ。清き流れ揺蕩う水の女神の眷属よ。我が手に集いて力となれ」

 

 

 反面教師な変態師匠から譲られた経緯はとにかく、質だけは紛れもなく特一級の護符を触媒とし、文字通りの“神技”を自己流にアレンジしてとんぬらは行使する。

 

 

「――『セイクリッド・クリエイト・ウォータースライム』ッ!」

 

 

 『こう、ググッときてからドッシャアアッ! ってやんのよ!』と奉納した清酒をお酌してべろんべろんに酔って上機嫌なときに絡まれながらコツを教授してもらった女神(アクア)直伝の上級神聖魔法。これに自らのドラゴンとして固有スキルである『龍脈錬金術』を合わせた、超聖水流動体の大津波(スライムウェーブ)

 

「ちょ、おい、んなあっ!」

 

 不浄を祓い清める高純度の聖水で粘体(からだ)が出来上がったスライムが怒涛となって押し寄せる。

 岩巨人の上位魔族を飲み込むだけに留まらず、その後方にいた魔王軍まで被害は及ぶ。

 触れるだけで悪魔アンデッド魔族の肌を焼く聖水、それも水ではなくスライムとして体に付着するのだ。昨夜遭遇した氷狼『フェンリル』のように滑って粘ついてまともに動けなくなり、あんな“重石(ゴーレム)”などを装着している上位魔族にいたっては溺れかけている。

 

「うっ……うああああ――――っ!! あああああ!! わあああああああああっ!」

「鉄壁城塞が飲まれたぞ!? ヤバい、こっちに来るぞ! 早くあれから逃げ――!!」

「がばごぼごぼ!?」

 

 ただし、大惨事を引き起こすといえども、範囲が千もの魔王軍隊であるために被害は広く分散されて、倒し切るまではいかない。精々嫌がらせだ。

 だが、それでも時間は稼げる。

 剥がしたいけどべっとりと粘つき、それに触れるだけでダメージを受ける聖水スライムに囚われている間に、殿を離脱する――

 

(――なんだ、あれは?)

 

 それは、背を向ける直前、最も警戒すべき魔力反応(あいて)へ視線を振った時に気付いた。

 

 足元の影から生やす木々。

 葉っぱのないサボテンのような木の枝に魔王の娘は立ち、難を逃れていた。

 

「妾の影からこいつを出させるとは褒めてやろう」

 

 魔王の娘と言えど、浄化にはダメージを負う。高所にいるとはいえ、その足元は聖水スライムがいる。

 しかし、冷厳な支配者は全てを見下す。

 ――次の瞬間、スライムの液体(からだ)がみるみる干からびていく。

 魔法で蒸発させたのか? いやそんな詠唱の素振りはないし、これほどのギガサイズのスライムとなれば大抵の魔法は通用しない。

 これは、魔王の娘を中心とし……否、影より召喚されたあの“木”にスライムの粘体の9割以上を構成する水分が吸われていっているのだ。

 

(植物系モンスターで、スライムを吸い尽すつもりか? だが、これほどの量を吸収し切れるとは思えないが――)

 

 だが、大洪水並みの水量を貧血ギリギリの出血量でもって化けさせたスライムの縮小は止まらない。風呂の栓でも抜いたかのように瞬く間に目減りしていく。

 地表に出てないから見えないが、あの樹木型モンスターは、相当に根深く大地に根を張り巡らせているのだろうか。

 

「さあ、起きろ『砂の王』。汝にたらふく馳走をくれてやった者に挨拶してやると良い」

 

 魔王の娘の呼びかけに応じて、木々は盛り上がり、大地を掘り起こしてそれは顔を出す。

 とんぬらの予測は外れる。

 魔王の娘が喚び出したのは、樹に擬態した魔物ではない。背に木々を生やした巨大なモグラであった。

 それも先の岩巨人よりもデカい、大きな屋敷程のサイズの大魔獣――

 これが、次期魔王の手札の一枚。

 

「な、に……!?」

 

「『砂の王』。一体で国土を砂漠に変える魔獣だ。妾のお気に入りの一体である」

 

 災厄には災厄を。モンスターの範疇に収まりきらない、災厄クラス。これを召喚し、使役する魔王の娘。群を水浸しにする混乱を直ちに回復せしめるとちょうど目の前に膨らんだ木の実に手を伸ばし、ほうと感嘆を漏らした。

 

「『砂の王』の貯水機能である水の実は指で摘まめるくらいの大きさであっても、搾るとプール一杯分にもなる水分を蓄えている。取り込んだ水分を『砂の王』の魔力で覆って圧縮されているのだが……こうも手に余るほどのサイズとなる程の水量を召喚するとはな。大したものだ」

 

 とんぬらを称賛する。つまりは向こうにはそれだけの余裕があるということ。

 

「それに、汝からは、魔獣の気配がする。とびきり強いな。妾にはわかる。禁呪『氷炎結界呪法』――誰であれ妾の許可なくその力を十全に発揮することの叶わぬ結界の中でこれだけ動けることからも明らかだ。“混ざり者”であるが、そそられるな」

 

 魔獣蒐集家(コレクター)の顔を覗かせる次期魔王。

 入念に品定めし、追い込んだ獲物を大魔獣の肩の上から見下ろし、告げる。

 

「遍くモンスターは妾が求めれば、僕となり傅く。どうだ。飼ってやっても構わないぞ?」

 

 冷酷な眼差し。それが示すのは“この気まぐれを断れば、直ちに潰す”という最後通牒だ。

 それでも、魔王軍の首輪に繋がれてしまうなど論外。

 

「我が名はとんぬら。紅魔族随一の勇者にして!」

 

 『セイクリッド・クリエイト・ウォータースライム』は無理だ。二発目に注ぎ込む血が足らないし、二度も詠唱(ため)の時間を見逃してもらえるはずがない。そもそも、旱魃の大魔獣『砂の王』は相手では相性があまりに悪い天敵だ。

 であれば、とんぬらに残された起死回生の手段は――

 

「――奇跡魔法を操る者!」

 

 その誘いを力強く迸らせる眼光で跳ね除けた。

 詠唱など必要ないほどに極めた天災児(めぐみん)の爆裂魔法と同じ、詠唱省略して、あらゆる可能性を秘めた虹色の魔力を解き放つ。

 

 

「『パルプンテ』――――ッッッッッ!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――『氷炎呪法結界』

 この度魔王軍が仕掛けてきたこれには『マジックキャンセラー』や『スキル・バインド』といった封印系の類だと推定。ただし、効果の範囲と対象が極めて広大で全域に及び、起点はおそらくあの氷と焔の双子塔。

 魔法を禁止される以外に、格段に身体能力が落ちている。現状誰もが全身の動きに油を差し忘れた絡繰りのように軋み鈍くなっている感じがすると症状を申告している。感覚的に本来の二割にまで力が落ちこんでいると思われる。魔法使い職ながらも高レベルの紅魔族の大人たちは荒くれ者も素手で倒せるだけの力はあったが、これでは子供と大差ない。

 

 転移魔法が封じられ、力も低下している今、凶暴なモンスターが跋扈する周囲の森を抜けることは難しく、すぐ他所から応援を連れてくることもできない。

 それでも一先ず“安全な場所”に避難させることはできた。……彼以外の全員が。

 

「――よーし。外の様子を映し出したわよ」

 

 水晶玉を用いた遠視の魔法で行方を捜す。

 そけっとが手を翳すその円形の視界の中に、今の里の様子が俯瞰して映し出された。

 燃え盛る建物。散らばる瓦礫。そして、闊歩する魔王軍。

 

「っ」

 

 息を詰まらせ、里が焼き払われた光景を映し出す水晶玉から目を逸らしかける。

 

 ゆっくりと。

 細く、細く、長く。息を吐いた。

 思考を切り替える。

 彼が無事であることは視覚で確認する必要は無い。彼とはパスが繋がっているのだ。

 彼とのパスは今もしっかり繋がっている。つまり無事という事だ。

 

「ちゃんと、見ないと」

 

 ゆんゆんは低く、異様に低く、そう唱えた。

 殿を任せて……行方が不明になっているとんぬら。

 今の彼の現状はわからない。わからない以上、とんぬらを助ける方法は思いつかない。

 上位魔法が使えない。『テレポート』だって禁じられてしまっている。力も満足に発揮できない。それに自分だけでなく皆を巻き込むことになる。だから、より慎重な対応が求められている。

 奥歯を噛んでそう結論付けた。

 そう。自分たちは、これから現状を打破の足掛かりを模索するしかない。“ここ”から飛び出して、反撃の作戦もなく無策に駆け付ける真似は許されない。それはとんぬらの孤軍奮闘を無為にする行為だ。

 でも、それに何も感じていないなんてことはありえない。

 分かっていながら、呑み込むしかない。

 

 この現状を眺める役を全うするということは、当然現在魔王軍が行う“辛い眺め”から目を逸らさないということを意味する。だがそけっとがゆんゆんから水晶玉を遠ざけなかったのは、ゆんゆんの決意に対する敬意のひとつである。

 

「ゆんゆん……」

 

 族長が娘のゆんゆんへ何かを言いかけたが、それを飲み込んで口を閉じる。

 そんな気を遣う彼らへ脇目を振ることなく、ゆんゆんは水晶玉に意識を集中させた。

 

 

く……ぁ、は…………っ――――

 

 

「! 今、とんぬらの声が聴こえました!」

「何? それはどの方から?」

「私から見て前の方角だと思います!」

 

 水晶玉を通して聴こえた苦悶(こえ)

 里を荒らす魔王軍の享楽な雄叫びに紛れたその音をゆんゆんの意識(みみ)は拾った。

 定期的に漏れる、囁くような雑音だ。

 その声は苦しそう。

 

 

んっ――! くっ、はあ、あ、っ……!

 

 

 まさか魔王軍に掴まって拷問に合わされているんじゃ……!?

 そんな想像が過り、一瞬、ゆんゆんの視界がぐにゃりと歪みかけたが、持ち堪える。注文通りに視点操作される水晶玉の観察を続ける。

 今すぐとんぬらを助けに行きたい。でもダメ。このままでは助けられない。だから、見ていることしかできなくても、情報を集める。

 

 

『っ――――ぐ、ぁ――――』

 

 

 弱々しい響き。何かに耐えているのが目に見えなくても察せられる。

 声が聴こえるたびに、全ての前提条件をかなぐり捨てて怒鳴り散らしそうになる自分の心を、ゆんゆんは全力で抑えつける。

 誘き出すためにも捕虜は殺さない。公開処刑はないと希望的観測に縋りながら神に祈る。

 

 とんぬら……!

 ゆんゆんは自分の顔面の筋肉が、表面の皮膚がズタズタに裂けてしまうかと思った。涙腺が不気味に蠕動する。得体のしれない液体がボロボロと零れ落ちる。そうしながら、しかし、彼女は取り乱したり暴れたりしなかった。

 そして、その光景が映し出された。

 

 

『ほーれほれ、気持ちいいか、ダーリン♡ ふふっ、この前、いいように妾のことを弄んでくれたときの仕返しだ。我慢して呻いてないで、妾の愛撫に篭絡されるがいい♪』

 

『くぅぅ――!』

 

 

 雁字搦めに磔にされて猿轡まで噛まされているパートナーの青年に、とても綺麗なお姉さん(魔族)がべったりと身を寄せてイチャイチャしていた。

 

 ・

 ・

 ・

 

「―――」

 

 狙撃手の如く綺麗なまでに相方の身を案じていた乙女心のど真ん中を撃ち抜いてくれた状況に、会心の一撃(クリティカル)が決まった。

 一体どうなったらこんな展開になっているんだ?? と一同思ったが、とりあえず生存が確認。ホッと一息をつけるはずなのだが、素直に胸を撫で下ろせず、ゴクリと喉を鳴らしてしまう。なんというか、魔王軍が侵攻する事情は棚に上げてこの部分だけ切り取ってみると、浮気現場を目撃してしまった感じで非常に居た堪れない。

 この凄く反応に戸惑ってしまう、また困る事態に、『何か言って! 父親でしょ!』と周りからのアイコンタクトに受けた族長はコホンと咳払いし、固まったまま水晶玉を凝視するゆんゆんへ落ち着いた声で、色々な部分を省いた簡略的な事実を述べた。

 

「お、おー……う……うん、とんぬら君は無事なようだ」

「はぁぁ……ぁぁぁぁ……ぁぁぁぁ……」

 

 水晶玉を覗き込んで顔を俯かせたままのゆんゆんが、息をゆっくりと吸い込んでいる。

 深呼吸などではない。まるで深く何かを溜め込んでいるような。大泣きする直前の子供が、今から感情を爆発させようとする状態のような、前兆。

 

 

『くくっ、ここを弄られるのが弱いのか。可愛いなあ、ダーリンは。このまま妾の愛と美貌でメロメロに魅了してやろう。ダーリンは妾の虜なのだからな!』

 

 

 そんな見られていることなんか露知らずにあちらから♡マークが飛び交う情景がありありと思い浮かべるほど実に愉しげな声が上がっている。視聴していた一部の男性陣から、おおっ! と歓声がつい漏れた。ぶっころりーが『これはNTR展開!』と叫びそうになったがその前にそけっとがしばいた。

 

「お、落ち着こうゆんゆん。ほら、今彼動けないみたいだし、とんぬら君もやられたい放題なのは仕方がないんじゃないかなあ?」

はぁぁぁ……ぁぁぁぁ…………ぁぁぁぁ!

 

 捕虜の身な婿殿を庇おうとした族長(ちち)は説得を止めた。今の娘はちょっとの刺激で爆発してしまうとわかったのだ。何とか耐えようとプルプルと身を震わせるゆんゆんに、近くにいた人たちはそぉっと音を立てずに下がる。

 

「(なんだろう? とんぬらって紅魔族随一の勇者(ヒーロー)のはずなのに、よくこうお姫様(ヒロイン)みたいに攫われるよね。それが大変なのは理解してるし凄く心配するんだけど、なのに誘拐した相手とも仲良くなっちゃうというか、上位悪魔と目と目で通じ合うくらい二人の世界とか作っちゃうし、ちょっと私が目を離したら魔王軍の幹部と一緒にお風呂に入っててアプローチをかけられちゃってるし、それで今回はダーリン? ……――は?――……これって私も、もっとしっかり管理しないとダメなのかなぁ? もう誰にも邪魔されないよう私も“ああいう風”に……)」

 

 ぶつぶつと呟くゆんゆん。

 族長は『これは救助した後も心配だ』と将来の義理の息子を密かに案じた。

 

 

『ここでダーリンと式を挙げるとしようかのう! ここに式の準備が整っているし、ちょうどいい! 城に戻っても父上が五月蠅いだろうし、それに一刻も早く、その他のオンナの匂いがプンプンする“(かめん)”もこの絶対服従の儀で妾の色に染め上げてやりたいからなあ!』

 

 

 ガシィッ! とゆんゆんの手が映像を映す水晶玉を掴む。

 『しまった!』と族長ら紅魔族の大人たちは顔を背けた。そうである。ちょうど今夜の“祝宴”……族長認定祝いに結婚式的な要素を盛り込んだ催しを企画し準備していてそのままであった。あちらからすればなんて都合のいい展開なのだろうかと感激しているみたいだが、こちらは裏目に出てしまって大変気まずい。

 

「ちょ、ちょっとゆんゆん!? それ私の商売道具……――だったんだけど、そろそろ買い替えようかと思ってたんだっけ」

 

 ビキビキ、と篭められた握力に罅の入る水晶体。

 水晶玉のピンチに慌ててそけっとが止めに入ろうとしたが、すぐに思い直して、お好きにどうぞと引いた。

 この時の次期族長(ゆんゆん)は、この族長(ちち)の存在すら霞んでしまうほどの、誰も逆らえない貫禄があった。

 

 

『――それで、先程から()()()()()()な』

 

 

 ――遠視を気取られた!?

 元々望遠鏡の魔道具(バニルミルド)で覗かれたのを一端として紅魔の里へ侵攻してきたのだから、遠視への対策は備えていたのか。

 けれども、それがどこからなのか逆探知まではできていないようで、それに今は勘繰るよりも彼を自身に夢中にさせることに忙しい。

 

 

『ふん。まあ良い。妾は今すこぶる気分が良い。覗き魔共が何をしようが気にならないし、妾とダーリンの婚約は決定事項。今夜の式への参列は認めぬが、ダーリンの血族であることに免じて、遠巻きから窺うことだけは許してやろう!』

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 そうして、たっぷりと見せつけられたゆんゆんは俯かせていた顔を上げた。

 それはそれはいつになく朗らかな笑顔であったが、眼が笑っていない。それも瞳は光がないのに危険信号(レッドランプ)に染まっている。その場にいた全員が“マジでヤバい”と一目瞭然に悟る。

 

「…………お父さん、ありったけの『マナタイト結晶』を用意しておいて。ちょっと今から『アクセル』に『テレポート』して、頭のおかしい爆裂娘(めぐみん)を連れてくるから」

 

「ゆんゆん? 今、私達は『テレポート』が使えないからね? それにもし使えたとしてもめぐみんの爆裂魔法だととんぬら君も巻き込んでしまうよ!」

 

 フラグは立て過ぎれば折れてしまうのがお約束(セオリー)

 大変な役を任せる際には別れ際に各々フラグイベントをこなすのが紅魔族流の願掛けであったのだが、紅魔族随一期待に応える伊達男は、どうやら過剰に乱立されたフラグすら折らずに成立させてしまったようだった。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 氷炎結界呪法:ドラクエ漫画ダイの大冒険に登場する禁呪。幹部のひとりを核とし、作製した双子塔(『炎魔塔』と『氷魔塔』)で挟んだ地点に強力な結界を張る。

結界内では術者以外は魔法(魔道具も含む)を行使できなくなってしまい、力も1/5に下がってしまう(でも特技は使える)。これを解くには、双子塔を両方破壊しなければならない。

 作中では、紅魔族の主な攻撃手段である上級魔法(『テレポート』を含む)に対象を絞って封じる強力な『マジックキャンセラー』の大結界で、力も二割に抑えられてしまう。

 

 水晶:ドラクエのダンジョンシリーズにて登場するダンジョンのギミックオブジェ。飛来してきた魔法効果を反射する。

 作中ではとんぬらが『クリエイト・アース』と『クリエイト・ウォーター』の合体魔法で造成した。

 

 デュアル・ウインドブレス:ドラクエⅪのモンスターによる合わせ技で、二つの真空波が重なり全てを切り刻む『重ね真空波』。このすばの特典ゲーム版にも、『ウインドブレス』+『ウインドブレス』で『ウインドカーテン』が発生する応用技がある。とんぬらのは、それをより小さく圧縮したもので、某忍者漫画の力の形態制御を極めた必殺技と同じ。

 

 ゴレムズン:スライムもりもりドラゴンクエストシリーズに登場するゴーレム型の大戦車。二つ名は鉄壁城塞。

 作中ではゴーレムを鎧に纏う形のクリエイター系の魔法。

 

 百花繚乱:ドラクエⅩに登場する扇スキル。花を散らすエフェクト付きの範囲攻撃。必中補正があり、相手を幻惑にさせる。

 作中ではとんぬらが宴会芸と神聖魔法の合わせ技で使用。

 

 セイクリッド・クリエイト・ウォータースライム(スライムウィーブ):ドラクエモンスターズバトルロードシリーズの究極必殺技。画面いっぱいにスライムの大群が押し寄せ相手を飲み込む。

 

 砂の王:戦闘員、派遣します! に登場する大魔獣。正体は、巨大なモグラ。このすばの機動要塞『デストロイヤー』みたいな扱いで、魔王国側も手を焼いている。というより、国土を生息域としているために深刻な水不足に悩まされてそれで人間側へ侵攻しているという経緯があったりする。

 身体から葉のない木にも似た器官を生やしており、そこより吸収した水分を貯蓄したものを実らせていると思われる。その実はビー玉くらいのサイズでプール一個分の水分量が圧縮されている。


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