この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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143話

 ――この地域で最も天に近い場所。

 里を一望できる山脈『ドラゴンズピーク』。

 その霊峰にある全てを見通す展望台『バニルミルド』の、望遠鏡型魔道具が撤去された場所に突き立った十字架に、とんぬらは捕らえられていた。

 

 ……ああ、今回もなんか捕まってしまったなー……

 

 装備品に道具袋を取り上げられて、縛り上げられる。詠唱もできないよう猿轡を噛まされており、こうなれば魔法使いは何もできないことだろう。

 しかしとんぬらは落ち着いていた。

 幸か不幸か、経験豊富なのである。こんな誰も憧れない囚われのお姫様ポジションに、慣れたくはないが慣れている。

 それにどうやら命の心配はしないで済みそうではある。

 

(……いや、だからと言って決してこの現状に甘んじるつもりはないわけだが。ダクネスさんからはまた同情されそうだ。こういう捕まった時の話をするといつも『そのシチュエーション、私が代わってやれたら……! どうしてとんぬらばかりこんな目に遭うんだ!』と心配されるんだよなぁ)

 

 『セイクリッド・クリエイト・ウォータースライム』で魔力と体力()をかなり消耗しており、それに身体能力が通常の二割に抑えられている。これではあの大魔獣『砂の王』を倒すことはできないだろう。せめて『竜言語魔法』のサポートができるゆんゆんがついていなければ……とも考えたが、仕方がない。

 

 で、今、ゆんゆんが傍にいるとそれはそれで困る状態にいるわけで……

 

「ダーリン♪」

 

 声に反応するも、今は身動きが取れないことになっている状態。眼球運動のみで姿を確認すれば、あの冷厳な支配者の威風を放っていた指揮官は、ふやけていた。マタタビに頬擦りする猫な感じで囚われた捕虜にベタベタである。

 

 あの時、一か八かの『パルプンテ』を行使してみたら……それが『ラブラブになる』と言う両親の馴れ初めで話を聴かされていた効果を、あろうことか魔王の娘に的中させてしまった。人生はまったくもって奇想天外(パルプンテ)である。

 しかしこのおかげでか、とんぬらは“討伐”ではなく、“捕縛”へとこうして指令は急遽切り替えられた。

 当然これには魔王軍の中にも反対するものがいたのだが、次期魔王の強権でもってそれらを一蹴した。

 

『父上はかつて我らの城へ襲撃を仕掛けた『氷の魔女』をも配下に迎え入れたのだ。ならば妾が『仮面の紅魔族』を伴侶にしても構うまい』

 

 かつて魔王城へひとり乗り込んだ、今は(なんちゃって)魔王軍幹部ウィズと、魔王軍を一人で相手取ったとんぬらを重ねて、その雄姿と能力は魔王軍(こちら)側につかせれば多大な恩恵となると説いたのだ。

 とりあえず配下も魔王の功績を挙げられれば意見も出しづらいようでいったんはこちらの処遇を保留にして、紅魔の里を侵攻。そして、とんぬらのことは逃げ隠れた紅魔族を誘き寄せるための捕虜(エサ)だと見ることで納得したようだ。しかし中には捕虜の身分のクセにいきなり魔王の娘から寵愛を受けるこちらに嫉妬などの目を向ける者がいるので居心地が大変悪い。

 だが、この状況から脱するための無駄な抵抗はしない。

 

(……今のところは、現状維持、しかない。人質と言う枷になってしまっているが、それでも魔王の娘は、みんなの行動を邪魔させないよう、このまま意識をこちらに釘付けにしておくべき難敵(あいて)だ)

 

 今しばらく雌伏の時だととんぬらは定めた。

 相手の実力を知ってから“力を発揮できない相手の土俵でやり合うべきではない”と判断し、可能な限り手札を伏せたがそれでも本気で抗ってこうも捕まっている。戦闘力で言えばこれまで対峙してきた幹部の中でも最上級。魔王よりも強い地獄の公爵バニルに次ぎ、そして、おそらくはあのリッチー・ウィズにも引けを取らないだろう。この紅魔族の最も脅威である上級魔法を封じる『氷炎結界呪法』が彼女の企てであるといい、次期魔王は伊達ではない。単体で戦局に影響を及ぼし得る、万全を期して相対すべき存在だ。

 それにこの状況も冷静に考えれば最悪ではない。

 配下の意見を視線で黙らせ、群を抜いて君臨するトップの庇護下にある。

 言ってしまえば台風の目。

 魔王の娘に囚われているからこそ、魔王軍の只中に囲まれているにもかかわらず、一応は身の安全を得られているのだと言えよう。

 

 で、だ。

 内心で覚悟を決めているのは良いが、現状、とんぬらは美人なお姉さん魔族の抱き枕状態であって今も顎裏を人差し指の腹でつつーっと撫でられているという何ともしまらない有様である。

 ではあるものの、とんぬらの表向きの仮面(ポーカーフェイス)に動揺を走らせるほどではない。

 

 

「ふふっ、どうだ? 妾の手練手管は? たまらないであろう?」

 

 

 触れて、撫でて、くすぐる。

 さっきから頬染めるこの絶対的な女帝がこちらを篭絡しようとしている行為は、なんというか、動物に接するそれだ。接触しているがそれほどの刺激はないように注意している、愛玩動物を可愛がるときのソフトタッチである。

 それはそれでくすぐったいのだが、直前にゆんゆんと一線超えるまであと一歩のところまでお預けを食らわされたのと比べると、お子様と言うのか、大人な男女のレベルではない。

 ……試練後に、いつになく積極性をみせたゆんゆんとああも盛り上がってしまったおかげで、その反動からの冷却期間――賢者(クール)タイムと言うべきか、とんぬらはその手の魅了から常以上に冷静でいられることができた。

 むしろ、この状況に浮足立っているのは、あちらである。

 

「どうだどうだ? 声をあげても構わんぞ? ん? ん?」

 

 最初、得物の鉄扇、太刀、長杖、占札(タロット)だけでなく、辱めようと身包みも剝がされ素っ裸にひん剥かれそうになったのだが、こちらが上半身裸となったところで“待った”がかかった。露出された肌から、きゃ! と小さな悲鳴を上げて、顔を手で覆う(しかし指と指の隙間が大きく開いてる)魔王の娘。

 尖った耳たぶまで真っ赤にした次期魔王様は、『式も挙げてないのにまだ早い! これ! 早く服を着直せダーリン!』と衣類に手をかけた配下をしかりつけ、とんぬらは着替え直された。

 何だこの生娘みたいな反応は。

 

「む……む? なんだか、さっきから反応が鈍くなってるような。おかしい。妾の手に掛かれば(モンスターの)オスは尻尾を千切れんばかりに振って喜ぶというのに」

 

 と深く思考を沈めていたら、段々と不安がってきた魔王の娘。

 初対面時の支配者に相応しき威圧を醸す存在感はどこへやら、眼を潤ませてオロオロとしている彼女は、その見た目よりも幼い有様だ。

 

 ……なんだろう。徐々にこの魔王の娘から残念(チョロ)そうな気配が露わとなってきた。頑張って大人の色気をアピールしようとしているのだが、それが背伸びして余計に幼稚に見えるというようなポンコツ風味。

 攻略至難な強敵だと気を張っていたのに、至極あっさりと攻略してしまえそうな気がする。

 

「だが現状を見るに、これはまさかダーリンを満足させられずに飽きられているのか……!? し、しかし、殿方を相手にするなどこれが初めてで、拙いのは当然――いいや、そんなことはない! はっ! そうか! 視られていることを気にしておるのだな? 小五月蠅い配下たちは下がらせて二人きりだと言え、あの覗き魔共のせいで恥ずかしがっているのだなダーリン! ふっ……シャイなところもますます可愛らしいなあ!」

 

 明らかに涙を拭ったような痕を目元に腫らしながら、語気を上げてそう勝手に答えを出す魔王の娘。どこからどう見ても強がっているように見えるが、必死にそう思い込もうとしている雰囲気である。掘り返せば、残念なところが埋蔵金のようにザクザクと出てきそうだ。

 パルプンテの影響もあるのだろうが、次期魔王の脳内はその肩書を破算にするほどスイーツ脳っぽい。

 でも残念ながらとんぬらは今そんな追求ができる余裕もない状況下に追い込まれているのを忘れていない。よって、仕方がなく、この流れに乗るしかない。

 

「しかし、気にするでない。ダーリンよ、今は妾に耽溺しておればよい」

 

「く、……くぅっ!」

 

「うむ、そうだ! 素直になるのだ! なんせ妾に掛かれば、魔王である父上も肩を叩くだけで至福の一時だと絶賛するのであるからな!」

 

 その感情の荒ぶりに連動して蠢く足元の冥暗。

 機嫌を損ねると、その影に潜む魔獣共の餌になりかねない。

 今この周囲に、配下の魔族は見えないが、魔王の娘の傍には常に顎を開いた怪物が控えているも同然なのだ。

 

 とんぬらは、さわさわと胸元を撫でる相手の手つきに悶えるように呻く。演技である。実際こそばゆくてくすぐったいので難しくはなかった。

 そう。難しくはないが、できれば遠慮したい苦心の策である。

 

 ――今、とんぬらが望むことは、ふたつ。

 

(遠視、か。おそらくはそけっと師匠が探ってきたんだろうけど、今の状態をゆんゆんに見られていたら、たとえ、ここから生還できたとしても後が…………うん、大変だな)

 

 『せめてゆんゆんには見られていませんように』ととんぬらは天の神様に祈った。切実に。

 あはは……と幸運の女神エリス様の声に似た苦笑いが脳裏に過ってきたが、それは空耳だととんぬらは思うことにした。

 

「しかし、いくら妾の魅力に骨抜きにされようが、解放するのは儀式を終えてからだ、ダーリン」

 

 真っ赤にしていた顔から、スッと真剣な表情に切り替わる。

 シリアスな雰囲気が彼女を包み込む……込むのだが、いかんせん大してシリアスに感じないのも事実である。

 だが、この相手は確かにこちらに対して甘やかしながらも微塵も油断はしていなかった。

 

 魔王の娘はその首飾りの魔石へ、この最も天に近い地点よりさらに空からの光を集めるように頭上へ掲げて、

 

「妾が首に提げているこの首飾りの魔導石――『星降りのオーブ』は、『魔獣使い』の至宝。星のでる夜中でなければ使えぬが、その魔力はどんなモンスターでも支配下におき絶対服従とさせる。如何なる契約をしていようが、妾のものとして上書きされるであろう」

 

 ・

 ・

 ・

 

(……制限時間は、星が見えるまで、か)

 

 もうひとつのとんぬらの望み。

 それは里の皆を巻き込む前に、自力でこの窮地から脱す(かえ)ること。

 助けられたくはない。自分のために危ない橋を渡るような真似はして欲しくない。

 

(殿をやると決めたのは、俺だ。こうして人質になった時点で俺の責任で、俺の失態に里の皆を……ゆんゆんを巻き込みたくはない。それはあまりに格好がつかない)

 

 ここにはいないが、今ならば天災児(めぐみん)の爆裂魔法も一発くらいは“誤射”しても構わないとすらとんぬらは思う。

 

(……だが、何よりも格好悪いのは――)

 

 

 ――そして、陽はもうすぐに落ちようとしていた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――このままでいる気はない。

 

 危険なのは百も承知で、全力を尽くす。彼を失うのが怖い。奪われる瞬間を想像するだけで暴れ回りたくなる。世界を焦がすほどの烈火の如き愛慕がこの胸にある。

 だから、考えるのだ。可能か不可能かなんて一先ず横において、自分の持ち札だけではない、ここにある全部の手札を並べて、恋する彼のために何をすればいいのか考えた。

 

 そう。これはどれか一つの札に絞るという話ではない。

 選べるものと選べないものを仕分けた――この時点で、歯噛みしてしまった。だって、大切な人を助けるのに、自分の狭い殻の中で縮こまって、提案する前から勝手に身を引く弱気な自分がはっ倒したくなるくらい許せない。

 だから、もう一度シャッフルした。改めて全部広げて眺めた。

 

 ぼっちなことに嫌気がさし弱気な自分に怒りを覚えた自分が手を伸ばしたそれこそが、きっと一番“正しく”あれることなのだ。

 

 

「――魔王軍と戦います。紅魔の里総出で」

 

 

 静かな、しかし揺るがぬ“紅”に彩られた双眸を見開き、宣言する。

 試練を果たしたばかりの、次期族長の資格を得たに過ぎない小娘だというのは重々に自覚している。

 それでもなお、言う。

 だって、ここで“これまでできなかったことをやる”ことが、今の自分にとって正解なんだから。

 

「それは、命令なのかな?」

 

「……とんぬらは私の大切な人です。でもそれだけじゃありません」

 

 ここにいる全員の顔を、目を見据える。

 遠慮なんてせず、瞳を揺らがせるなんて真似は見せず。

 

「状況はわかってます」

 

 とんぬらを救い出すためには、相当の数を投入する必要がある。

 しかもそれは前提で魔法を万全に振るえる状況であればの話。上級魔法を禁ずる結界を破るため二箇所の要所を落とさなければならない。

 これは兵力の分散は避けられない。そして、個人(ぼっち)では土台無理な話。

 しかしだ。形はどうあれ、とんぬらは人質に取られている。向こうの誘い出しの意図が透けて見える。迂闊に魔王軍の思惑に乗ってしまうと、窮地に陥り、最悪、里を全滅させてしまうほどに被害を大きくしてしまうだけになることもありうる。

 それを踏まえた上で、言う。

 

「魔王軍は完全に待ち構えている。無駄に戦えば怪我人どころか死人だって出るかもしれません。それだけ相手は強大で、まともにやり合ったら被害も無視できない。

 それでも、助けます!

 だって、それが、私たち、紅魔族だから――!」

 

 紅魔族であることを恥ずかしがっていた。

 だけど、嫌いではない。魔法が滑っても、魔法ひとつに全てを注ぎ込んでも己が信じたロマンを貫くパートナーとライバル……この紅魔族らしくある彼らを私は心底から惚れ抜いていて、どんなへまを見せられたってずっと一途であれると言えるくらい大好きなのだ。

 だから、これは揺らぐことなき定義であると語れる。

 

「私達は他人に笑われても、自分の格好良いと信じた振る舞いをしてきました。誰にも負けない随一のものがあるんだって声高に謳ってきました。

 だったら、ここでとんぬらを見捨てて私達だけが生き延びるなんて、どう考えたって格好悪い真似をして割り切れますか? 勝ち目がないと見切りをつけたから逃げるんですか? 

 ううん、そうじゃない。今私達が考えるのは戦うかどうかではなく、勝つために何をすればいいのか。敵を倒さずやられっ放しで、胸を張って自分たちは格好良いんだってあなた達は名乗れるんですかッッ!!」

 

 戦わなくては、何も始まらない。自分たちの居場所を害する侵略者がいるのに、それから逃げる方法を考えてどうしようというのか!

 覚悟を決めるべきだ。絶対にこの勝負で敗北は許されないという、強い責任と信念。ただ闇雲に立ち向かうのではなく、持てる力を振り絞って知恵を捻り出し、自分だけでなく自分に関わる人たちの命運をもその手に握っていることを忘れずに、敵と戦う覚悟をここで決める。

 そう、ここで逃げればその時こそ、あの女の言った通り、“紅魔族は絶滅した”も同然だ。

 

 そして、ゆんゆんはもう一度、言う。

 

 

「紅魔族、次期長として命じます。総動員して、里の奪還及びとんぬらの救出に力を貸しなさい!」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「――族長! 族長!」

「族長! 族長!」

 

「ま、待って! まだ私は次期族長だから! お父さんが寂しそうにしてるから!」

 

 周囲の紅魔族に囃し立てられ、顔を赤くするゆんゆん。

 

 族長の娘ながら名乗り上げに未だに照れがあるゆんゆん。けれども、紅魔族的には“落ちこぼれ”やら残念がられている者はいずれ覚醒するものだと昔から相場が決まっている。

 自分に長としての才覚はないと気に病んでいた娘であるも、族長試練に立候補するものはゆんゆん以外いなかった。皆、期待していたのだ。応援しているのだ。ゆんゆんは自分のことに自信がないというか、無頓着であるから気づけていないが。

 前にあの堂々とした名乗りっぷりをしただけで大歓声が上がったのだから、紅魔族らしからぬ変わった感性の持ち主であるゆんゆんは、里の者たちに好かれている。

 そんなゆんゆんが我々『紅魔族』にかける想いを語ったのだ。

 これに盛り上がらない者たちはおるまい。

 うむ、やはり娘は旅に出てから頼もしく成長している。

 

 これはもう世代交代が近いのかもしれない、と族長はつい感慨深く微笑を見せる。気分はいつの間に巣立っていた小鳥の羽ばたきを見上げる親鳥である。

 そして、そんなまだまだ至らない娘を支えてくれる頼もしい義理の息子(とんぬら)を助け出したい、と拳を握る。

 

「それで、族長ゆんゆん! どう動くのか作戦は考えてあるのかい?」

 

「え、えと、大筋ですが、この…………を使って魔王軍に奇襲を仕掛けます。皆はこの結界の塔を破壊してください」

 

「わかった。ゆんゆんは?」

 

「私は――――あの女をヤります」

 

 再び芒と仄暗い紅色の瞳を灯して言い切る娘に、ちょっと族長の拳が震えた。感動でもない、武者震いでもない。

 とりあえず、『次期族長は頼もしいなあ……』と全員、当たり障りなくまとめた感想を共有したのであった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「そろそろだな――」

 

 仄暗くなっていく空に瞬く星々が顔を出す。ちょうど磔台の足元までが聳える山頂部からの陰で覆われており、夜になる直前の透明な光がこちらの影を長く淡く引き伸ばす。

 夕暮れと夜との境界線。黄昏時が、もうすぐ終わる。

 魔王の娘は、首飾りの魔導石に光が灯り始めたのを確認しようと、こちらから意識を外した。監視が緩んだその好機。

 ――この瞬間を逃さず、張り付けられた拘束を脱する。

 目で確認する必要などない。芸を嗜む者として視線と言うものに敏なる肌が脱出の好機を報せる。そして、如何なる状況からも縛りを抜け出す、宴会芸・手品の『縄抜け』スキル。器用度に速度が比例する早業で、ほんのわずか、相手が目を離したその隙に、とんぬらは見事に抜け出し、魔王の娘の影から離れた。

 

 

「――わかっていたぞ。このまま無抵抗のままでいるはずがないと。何せ、妾の伴侶として認めるに足るだけのオスだからな」

 

 

 しかし、逃げ切るにはあまりに不足。

 ただ視線を向けられただけなのに、肌が粟立つような戦慄が襲い掛かる。

 この場の絶対者は、この“悪足掻き”すら予見していて、それでいて尚、逃がさないと自信があった。そう、また捕まえればいいだけの話で、『仮面の紅魔族』は武器となる装備は持っていない。ならば、より容易く抵抗を抑え込めるのが道理。それが魔王の娘の余裕の源。

 

「だが、やめておけ、ダーリン。妾の愛を拒み、妾の元から離れようものなら、ここで殺さねばならん。それとも、ここで死ぬことで紅魔族(やつら)から人質と言う軛を解かせる気でいるのか?」

 

 警告を飛ばす。

 逃がすつもりはないが、それ以上に生かして帰すつもりはない。

 無論、執着はある。だがそれ以前に次期魔王としての自負がある。残念であるが、殺さねばならないときはその手を誤らないつもりだ。

 この魔王の娘から最後通牒に、とんぬらは猿轡を取り払って、

 

「ここで俺が死ぬ? バカを言え。そんなこと何も意味がない。こんなところで息絶えるなんて身勝手極まる自己犠牲、最低に格好悪い愛情表現だ。自分の愛する者が自分のせいで死んでしまうなんて、絶対に気に病ませるだろう、そんなひどい仕打ちをすることが格好良いと思うのか? ――俺はそうは思わん。だから、俺は決めている。何が何でも愛する者を守り抜く、そして、何が何でも愛する者の為に生き延びるとな! たとえ爆裂魔法をぶち込まれようともしぶとく生還してみせる!」

 

 思い寄らぬ苦難に見舞われようが只管に行動を停滞させず、常に如何なる状況をも念頭に置く。そんな不屈の意思が四肢を生やしたかのような男の瞳は“絶対に諦めてたまるか”と逆境さえ呑み込む意思が宿らす光を湛えている。

 

「これが甘ったれた戯言だと笑うのなら笑え――だが、俺は真剣だ」

 

「残念だ」

 

 冷酷なる支配者は、笑う。

 頬を紅潮させて、目の前のオスを熱く欲す(みつめ)る。醒めた殺意さえ覆す、百年ものの激情が、魔王の娘を滾らせる。

 

「ますますダーリンが欲しくなったぞ。必ず妾のものにしてくれる!」

 

 昂りに同調し、足元の影がざわつく。

 目の前の相手が爪も牙も持たなかろうが、全力で捕らえると滾るほどの熱視線を向ける魔王の娘。

 そして、これにとんぬらもまた全力で応じる。

 

「いいや、逃れる。何が何でもな――先に謝っておく。すまん――キャストオフ!」

 

 上着に手をかけ、一気に脱ぐ。変装も芸の一環であり、そのため早脱ぎも達者。『縄抜け』と同じで、それはそれは早業であった。

 そして、脱いだ和装は広げて風に流し、魔王の娘の視界隠しに。

 

「ふん」

 

 軽く腕を振るう。生じた念動力であっさりブラインドは払われた。

 そして、『仮面の紅魔族』はパンツ一丁となっていた。

 

「!?」

 

 露わとなった上半身。“益荒男”と言う単語が思い浮かぶ。魔法使いであるというのに、屈強な戦士のように鍛えこまれている。父上も老体ながらオークを片手で握り潰せるだけの力があるが、この男は徒手空拳で一撃熊を退治出来てしまえるだろう。直に肌を見ればわかる。細いが、あの筋肉繊維のひとつひとつ、血管を巡る血の一滴一滴に人並外れた体内魔力が満ち溢れている。そんな精気が圧縮されているかのように絞り込まれている上腕二頭筋を枕に添い寝されたら……とほんの一瞬だけそんな夢想が脳裏をよぎる。

 まあいい。そこまでは予想していた。

 こちらに服を放ったのだから、上半身裸になっているのは当たり前のことだ。

 

 だが、その下は何だ?

 どうしてズボンを穿いていない??

 じっくり観察してしまった後で視点を下にスライドしていったら、縞々(ストライプ)のパンツ。綺麗だ。丹念に洗濯されているのだろう。いや、そんな細部に至るまで観察眼を働かせている場合じゃない。だけど、常に生まれたままの姿である獣を眺めるのとは違う、男の身体。相手の実力を測り取ったからこそ、一挙一動を見逃さずに注視していたが故に、目の前に飛び込んできた情報量は色々と過剰であった。

 

「きゃ――きゃああああ! 何でいきなり服を脱いで!!? こここここ、これ! いくら妾の魅力に当てられたからと言って、婚前交渉はいかん! いかんぞ!」

 

 男ぶりが魔王の娘のところまで薫ってきそうな堂々とした脱ぎっぷり。

 この雄々しい薫風に煽られてしまっては、氷が赤熱した鉄板の上に落ちたように、相手を平伏せさせる冷厳な威圧感が蒸発してしまう。

 

 なんとまあ、期待以上に初々しい反応をしてくれる魔王の娘。たぶん怒り心頭に羞恥も入ってる感じで真っ赤になっている。期待通りではある。これまで観察していたが、この相手はこの手の行為に弱いようだ。

 とはいえ、推測出来ていてもその弱点を突くのはとんぬらとしても非常に悩ましかったところ。

 魔族と言えどもおそらくは清らかな純潔の乙女を辱めるなど不本意である。婦女子に痴漢(セクハラ)を働くことにかけて右に出る者がいないであろう変態師匠のようで、とんぬらも実行に移すか迷った。いくらノーパン経験があっても、事故ではなく故意にやるのには大いなる覚悟が求められた。それもこれはアクシズ教の最高司祭が代々跡継ぎと見込んだ直弟子へ伝えてきた秘伝の奥義(裸踊り)で、あの変態師匠に無理やりに教え込まれたものだ。できれば忘れたかったが、忘れさせてもらえないインパクト。

 だが、この状況、持ちうる手段が限られている中で、最も有効だと思われる手段(カード)を取らないわけにはいかなかった。それにこちらが攻撃しようとし、主人に危機が迫れば、あの影に潜む魔獣が自動で迎撃するだろう。だから、魔王の娘に危害を加えずに封殺する手段が望ましいのだ。

 ここで手を緩めない。ここからが本番。こうなれば自棄だととんぬらはパンツ一丁のまま突き進んだ。

 

 

「とくと拝むがいい。これぞ、無駄に洗練された無駄のない無駄な宴会芸――『ステテコダンス』!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 紅魔の里には、この世界背景にはそぐわない超文明の遺産がある。

 それが、地下格納庫に、それと隣接した謎施設。

 外観はコンクリート製の巨大な建物であり、『ノイズ開発局』と古代(ニホン)語で記された看板。この場所は永らく『小並コマンド(パスワード)』が判明せず、里の中にありながら未踏の地帯であった。

 しかし、サトウカズマがその魔法ならぬ封印を解いたのをきっかけに、その建物の管理を任されている猫耳神社神主を筆頭として猫をも殺す好奇心を持った紅魔族の発掘隊によってその内部は開拓されている。

 

 ――紅魔族は、この謎施設『ノイズ開発局』へ避難していた。

 

 魔法が使えなくても、魔法ならぬ、しかし途轍もなく頑丈な扉の施錠はパスワードがわかっていれば難なく開く。

 ただし、某有名ゲームメーカーの定番なパスワードなど知る由もない魔王軍にはここに踏み入ることは叶わず、調査する術もないのだ。建物も結構大きくて、300人程度は普通に入るくらいのスペースはあり、このような緊急避難場所にはうってつけである。

 この場所は当然怪しまれてはいながらも、入れず。里を占領した魔族たちはある程度入口の外に見張りは置き、他の場所への捜索へ隊を分けていた。

 

 分散されながらも兵力がそこへ固まっている。いざ魔王軍の侵入を阻んでいる扉を開ければ、突破を許すかもしれず、中にいる非戦闘民が危うい――だが、実は出入り口はそこだけではなかったりする。

 

 以前、魔王軍は里を攻めてきたとき、当時の幹部シルビアはこの地下格納庫へ閉じ込められてしまったことがあった。『魔術師殺し』を取り込んだ『グロウキメラ』のシルビアは地中に穴を掘って脱出する。

 この突破口の跡。

 それを“とある紅魔族随一の発明家”は、大人一人分くらいは通れそうな穴を塞がずに、むしろさらに魔法でもって掘削・拡張して、工房を改築している自宅へ繋げていたりする。そう、一度は作ってみたい秘密の地下通路である――

 

 

「うわっ! うわあああああああっ!!」

「姫! 姫ーっ!! 反撃が! 紅魔族が打って出てきました!」

「畜生っ、どうなってるんだ!? あの連中、この中じゃ手も足も出ないはずなのに……っ!」

 

 

 上級魔法禁止区域となった紅魔の里。

 大した反撃はないとたかをくくっている魔王軍。

 ――しかし、紅魔族は上級魔法だけではない。

 

 

「「「「「『ティンダー』!」」」」」

「「「「「『ウインドブレス』!」」」」」

 

 

 初級魔法。本来であれば日常生活にしか使えない魔法であるが、生まれながらにして上級魔法使い(アークウィザード)職となれるほど素質に改造された紅魔族の膨大な魔力を遠慮なく注ぎ篭めれば、中級魔法級の威力は叩き出せる。さらに、これに相性のいい二つの魔法を合わせて放てば、無視できない。さらにさらに、これが十人がかりで行ったとなれば、威力は上級魔法の域にまで達するだろう。

 大気を歪ます陽炎を生じるほどの熱風。これに炙られ火達磨となった魔王軍は悲鳴を上げる。

 

 そして、魔法だけではない。

 

「我が名は、もょもと! 紅魔族随一の鍛冶屋『ゴブリン殺し』のせがれにして、やがて紅魔族随一の鍛冶職人となる者! 鍛冶師として製作した我が自慢の魔法剣――灼熱剣『フレイムザッパー』と氷結剣『アイスベルグ』の錆となりたいものは誰だ!」

 

 魔法剣が閃く度に魔族兵たちは炎に包まれ、または氷漬けと化していく。

 

 紅魔の里の特産品。それは紅魔族の持つ高い魔力を活かした魔道具。生まれながらにして魔法使いのエキスパートたちが作るものは、最高品質のものばかり。

 魔法武器の他にもポーション製作している職人たちが、とある駆け出し冒険者の街の魔道具店よりよく発注が来る爆発ポーションシリーズを投擲して、魔王軍を吹き飛ばしていく。

 

「あんなただヘンテコな武器を振り回してるだけの、肝心の力がない雑魚にビビってんじゃねぇ!」

 

「うあああああ! 『フレイムザッパー』と『アイスベルグ』の初のお披露目だったのに握り潰された!? あまりの会心の出来だったから毎晩抱いて寝ていた二振りが……! くぅっ、皆、仇を取ってくれ!」

 

 魔法が使えないだけでなく、結界内では普段の二割しか力が発揮できない制限が掛けられている。それに(一部の例外はあるが)魔法使い職に剣の心得などあるわけがない。格好つけて振るっているが、それでも冷静に見れば無駄な動きの多い素人剣法。

 爆発ポーションだって山ほど用意されているわけではない。数に限りがある。

 

 こんな反撃などすぐに鎮圧できる――

 

 

「――良かろう! その無念、ワシが晴らして進ぜよう!」

 

 

 と、いきなり家が、爆発。

 自爆か? ――いや違う、これは演出だ。

 非戦闘民を匿う建物内へ通じる隠し通路を塞ぐ意味合いもあるが、何よりも注目を集めるため。

 一製作者として、この己のロマンの結晶の登場をド派手に決めたかった。だから、予定よりも爆発ポーションは奮発して多めに。おかげで被害は工房だけに留まらず、家屋も吹き飛んでしまったが致し方ない。

 

「あなた? ここまでやるとは聞いてなかったのですけど?」

 

 吹き飛ぶ我が家を背景に、そして、怖い笑顔な妻を背後に。バンカラな番長ルックな紅魔族随一の発明家()は、たらりと冷や汗を垂らしつつも振り返らず、この初お披露目となる力の名を呼ばわる。

 

 

「フハハハハハハッ! 『デンドロメイデン』のパワーと『デストロイヤー』のスピード、これらを統括する司令塔に据えるのは、塵一つ逃さない万能介護ロボット『エリー』! 今ここに爆誕した最強最大、三位一体の変形合体『サージタウス』が里を脅かす侵略者たちを一匹残らずお掃除してくれよう!!」

 

 

 巨大駆動兵器の巨人のような上半身、小型版機動要塞の多脚を用いた馬の如き下半身、そして、万能介護絡繰人形の頭脳――!

 巨大な人馬一体の機体『サージタウス』が、制作者である紅魔族随一の(奇天烈)職人ひょいざぶろーの声に応じて、腕に装備された飛び道具(ボウガン)で空を射抜くポーズを決めた。永久機関の実現を可能とする『コロナタイト』を心臓部に据え、燃え上がらんばかりの熱量を総身に行き渡らせたかのように、一つ目(モノアイ)から真紅の眼光を十字に迸らせる。

 

「何だコイツはああああ!? 紅魔族ってのはどんだけ頭がぶっ飛んでやがるんだよおおおお!?」

 

 一軍を任される上位魔族の目の前で、ゴーレムマスターである己が手掛けた岩巨人にブチかましを決めて瓦礫と化した。なんだあの巨体と進撃速度。あんな馬脚に蹴っ飛ばされれば大型モンスターでもひとたまりもない。さらにそのボディは魔導金属製で攻城兵器級の破壊力でもなければまともにダメージが入らない。しかも流鏑馬の如く移動しながら両腕に備えられた大型バリスタを、正確無比に撃ち込んでくる。

 蹂躙走破に機関掃射。

 これには魔王軍も流石に慌てて逃げ回る。

 

 そして、一気に総崩れとなった陣を突破する“牽引する馬のない馬車”――

 

「あはははは! あはははははは! 私は風よ! 風になってるわ!! ねぇこれって里の新たな観光名物(アトラクション)にしたらウケるんじゃない?」

 

「ねりまき、あまりはしゃぎすぎると落ちてしまうぞ」

 

「あ、あああるえ!? 本当にあんたに操縦任せて大丈夫なのよね!?」

 

「大丈夫、どどんこ。このゆんゆんからキーを預かった『超激突マシン』を運転するのは初めてだが、説明書は読んだし、イメージトレーニングもさっき済ませてきた」

 

「それってぶっつけ本番ってこと!?」

 

「ふにふらの言う通りで、正直想像していたのよりも五割増しでぶっ飛んでるけど、この“はんどる”という手綱をしっかりと握っていれば方向性は問題ないはずだ。あと、速度はこの“あくせる(ブレーキ)”を踏めば落ち着くはず――――おっと、加速してしまったぞ? 逆だったか?」

 

 合体ロボットに追い立てられて阿鼻叫喚の魔王軍を、甲高い悲鳴を喚き散らして突き進む『超激突マシン』。

 走行中は常時強力な魔力結界が展開されている機体は、無敵(スター)状態にあるが如くに障害やら相手やらを蹴散らしながらスピードを上げ――――先にあった凍てついた冷気を放つ『氷魔塔』へ追突。そして、突き抜けた。

 車体前方のドリル付きバンパーに根元を抉り込まれた塔は、積み木遊びのようにガラガラと倒壊された。

 

 紅魔族の反撃の狼煙を上げる奇襲、魔王軍の禁呪『氷炎結界呪法』を形成する双子塔の一角の破壊に成功する。

 

 残りは、あとひとつ――

 

 

 ♢♢♢

 

 

 里の方が騒がしい……?

 本来であれば逃げ出すことが叶わないはずのボス戦から、どうにか逃亡できたとんぬら。切り立った崖から飛び降り、我武者羅に山を駆け下り、里を目指す。

 だが、どうにも遠くから聴こえる喧噪から察するに、何やら混沌とした事態が発生している模様。そして、予想だにせぬ状況ともなれば、魔王軍よりは、紅魔族が起こしている方が考えやすい。つまりは、反撃に打って出ている可能性が高いということだ。

 

 でも、紅魔族が総力を挙げようにも、やはりこの上級魔法を封じている禁呪の結界を破らない限りは、あの魔王の娘を相手取ることはあまりに無謀。早急にあの双子塔を破壊してもらいたいが、そんな事態を次期魔王が黙ってみているわけがない。

 

 ……ここは、無理でも魔王の娘を足止めしておくべきだったか?

 里の様子はまだ把握できていけないが、魔王の娘が参戦するだけで一気に戦況は傾くのはわかる。どんなに有利に事を進めていようとも、彼女一人で引っ繰り返せてしまうだけの力がある。せめて塔が破壊されるまで時間を稼ぎたい。だが、自分ひとり……それもほとんど裸一貫な状態でどう立ち向かう? 再び囚われる覚悟を決めて立ち向かったとしても相手にならないことを承知したからこそこうして逃げることに全力を注いだのではないのか?

 

(くっ……! もっと状況を把握できていればよかったんだが。しかしあれ以上の引き止めは危険が過ぎた。それならば、こちらが人質から抜け出したことを皆に報せた方が、選択に幅ができて好転できるか……? 少なくとも見ての通り、ほぼ素寒貧な自分だけよりは……――)

 

 選び得られる行動からの展開予測を並列して思考し、最善手を模索する……その最中に、ふと、今の己の姿を見直して、頭の回転を一旦停止させてしまった。

 ああ、そうだった。

 ちょっと今は、魔王の娘もそうだが、相方(ゆんゆん)とも会いづらい。せめてお色直しをする余裕(じかん)が欲しい。

 

 しかし、天はそんなものを与えてはくれなかった。

 

 

「――ガウガウッ!」

 

 

 吹き抜ける突風とまがう影。それは成体となった豹獣(ねこか)のモンスター。反射的に身構えてしまったが、緊張も瞬で解ける。

 

「ゲレゲレか!」

 

 それは最初に仲間にしたモンスター。(つがい)の白豹チルロンと避難していたが、主たるとんぬらの危機を知るや、鋭敏な嗅覚でその位置を探り当てて、俊足を飛ばして馳せ参じてくれたのだ。これは助かる。

 うん。

 その背に彼女を乗せてなければとんぬらも万歳して素直に喜べたかもしれない。

 

 

「――とんぬらっ!」

 

 

 ゲレゲレから飛び降りて、とんぬらに飛びついてきたのは、ゆんゆん。

 

「ゆ、ゆんゆん!?」

 

 これは感極まったゆんゆんの、半ば衝動的な行動であろう。生きているとんぬらを見て、一にも二にもなく抱き着く。

 ぎゅううっ! と、密着して直に伝わる体温を、鼓動を確認するように、眼を閉じる。不安を、恐怖を打ち消せるまで、一心に彼を感じる。

 

「心配、かけさせてしまったな」

 

「そうよ! もう、すっごく心配したんだから! でも、よかった無事で……!」

 

 これに応じるようにとんぬらも腕を回せば、抱きしめる力は一層強くなる。もはや抱きしめているというより、縋るようにしがみついているという表現の方が適しているかもしれない。

 やっぱり己は死ぬに死ねない。それが無茶でも無理でも無謀でも何でも、彼女の元に帰ってくる誓いは果たさなければならないものだ。

 

 と、大事なことを見つめ直せたことは良いが、色々と見過ごせない問題もある。

 これを再確認する直前――

 

 

「――見つけたぞ、ダーリン!」

 

 

 飛来する、巨躯の気配。

 とんぬら反射的に、ゆんゆんの腰に腕を回し、ゲレゲレに飛び乗る。

 迎撃は考えず、彼女に対する万全の防護を最優先して危機回避を考えながら、仮面の双眸鋭く。声が聴こえて二秒と経たずに、視界に影が差す。明確に、『ドラゴンズピーク』頂上から弧を描いて飛来したであろう巨躯が、視界の先に着地する。

 翼を持つ巨大生物が、衝撃もなく優美に降り立っていた。

 速度と質量が、この切り立つ山肌と巨躯の双方へもたらすはずの致命的なエネルギー量を無視して、物理法則を逸脱し、騎乗する豹魔獣の髭をそよがせる程度の微風だけを周囲数十mにまき散らす。

 

 初めて見るモンスター。

 金色の岩壁を思わせる体表は石造りのゴーレムのよう。しかしそれは人型ではなく、身体は強靭な四肢を生やす百獣の王(ライオン)のもので、巨大な翼を羽ばたかせる。そして、鋭き嘴を備える鷲の貌に特徴的な頭巾(ネメス)を被っていた。

 空の王者たる『グリフォン』と近似している部分が多く、種族は同じに見えるが、体格は更に一回りも大きい。遠近感に狂いが生じて、尺度を見間違えているわけではない。ベテラン冒険者でも現実逃避がしたくなるような、圧倒的なまでの質量を備えた驚異の怪物。

 ――『グリフォン』が変異種、『グリフィンクス』。

 通常個体よりも強力とされる変異種の怪物は、竜族を除けば紛うことなき最上位に属するモンスター。

 王者の威厳を漂わせる静かな面持ちで、ゲレゲレに乗るとんぬらとゆんゆんを光のない双眸で見降ろしていた。だがしかし、吠えたてはしない。主を差し置いて勝手な振る舞いはしない。

 そして、この『グリフィンクス』を使役していることは、その背に跨っているのは、さっき逃げてきた魔王の娘で……几帳面にもわざわざ脱ぎ捨てた衣類を回収して抱えていらっしゃった。

 

 ああー……

 とんぬらはこの(おお)いなる怪物ではなく、次期魔王の持ち物から目を逸らしたくなった。

 そう、今のとんぬらは下着一枚(パンツだけ)しか装備していなかったりする。

 

 当然、ゆんゆんはその事に気付いているし、魔王の娘が持っている自分の衣装をじっと見つめて、

 

「……とんぬら、これはどういうことなの?」

 

 地獄の底で吹き荒ぶ冷たい風のような声が、重く低く囁かれる。無事な姿に安堵と共に零した声音にはあったはずの温かみがない。

 

「イロイロトアッテナ」

 

 とんぬらは乾いた声でそう応答するのが精いっぱいであった。

 

「とんぬら、あとでお話ししようね?」

 

「ハイ」

 

 明日の朝日を拝むためにクリアしなければならない問題が凄まじく難易度が高い。相方(ゆんゆん)に誤解させずにほぼ全裸でいる理由を説明するのは、オークに情操教育を施すくらいの難事だ。今日あまりに絶好調な己の強(凶)運っぷりに、ドデカいフラグな死兆(アカい)星が空にテカテカと輝いていたりしないか見上げて確認したくなるとんぬら。

 だがそんな視線を切る余裕はない。目を離すことを許さぬ重圧(プレッシャー)が叩きつけられている。

 

「おい、小娘。ダーリンから離れろ」

 

 魔王の娘の瞳には、醒めた殺意が篭っていた。

 当たり前の雑草を間引くような、その程度の意思で人を殺せる眼差しだ。

 

「嫌です。そちらこそ、()()とんぬらをダーリン呼ばわりするのをやめてもらえませんか? 不愉快です」

 

 しかし、そんなのを向けられるゆんゆんはキッパリと言い返す。

 さらには、とんぬらが前に腕を伸ばして身体を支える二人乗りの姿勢から、ゆんゆん半身捻り、とんぬらの首に腕を回し、ガッチリとホールド。染みついた他のメスの匂いを上書きせんばかりに、むにゅりと柔らかなものがすり寄せる。

 

 感触はとても素晴らしいが、この魔王の娘と言えども初対面の相手への刺々しい攻撃的な反応からして、遠見でゆんゆんに視られていたことがほぼ確定。そして、めぐみんとの勝負を例に挙げればわかりやすいが、こうも対抗心剥き出しとなった彼女の暴走はちょっとやそっとじゃ止められない。たとえ相手が女神様なお姉さん(ウォルバク)であろうと恐れない。ゆんゆんの爆発力はとんぬらの手に負えないほどパルプンテってて凄まじいのだ。

 大胆にも挑発的行為を添えてくる思わぬ言い返しに狼狽えてしまう魔王の娘。すぐうらやまけしからんとばかりに眦をつり上げ、

 

「なんて破廉恥な! そんなベタベタとくっつかれては騎乗しにくいであろう! 節度と言うのがないのか小娘!」

 

「私達はゲレゲレに二人乗りする時はいっつもこの態勢です。とんぬらが私のことをぎゅう~~っ! と抱きしめて離さないんです」

 

 じっとりとした声でしっかりと牽制(アピール)

 もう本当に、ぎゅううううっ! と首絞めんばかりに腕の力がこもっていて大変である。今のとんぬらは首は上下方向にしか動くことが許されていないであろう。いや、実際、安全面から相方の身体をしっかりと抱きしめているので事実ではあるが、バカップル的なことまでは意識していなかったはずで――

 

「……?」

 

 言葉にならない単音であったが、どんな真っ黒な法螺話でも漂白してしまえるだけの有無を言わせぬ力があった。中々すぐにうんと反応をしてくれなかったとんぬらは何度も首を縦に振る。話を向けられていないゲレゲレまで首振りに同調する勢いだ。女の争いに巻き込まれて板挟みとなってしまったゲレゲレには後で美味しいものをご馳走しようととんぬらは心にメモした。

 引っ込み思案な性格でありながら沸点を超える激情によって覚醒を果たしたスーパーハイテンションなダークネスモード。そんな嫉妬を露にしてくる彼女はぶっちゃけてそれはそれで可愛いなと思ってしまうくらいにとんぬらも首ったけなわけであるが、心赴くままにいちゃつける場合ではないのだ。

 

「あ、相乗りなら、妾の魔獣の方が凄いぞ! 空も飛べるし、並み居る障害なと容易く蹴散らしてくれる! どうだ、ダーリン! こっちへ移りたくなっては来ないか?」

 

 なんか幼稚な主張で張り合ってくる魔王の娘が対照的にほっこりと微笑ましくなってくる始末とか、ゆんゆん過ぎるぞゆんゆーーん!! 頼む、手加減してくれ!! 肝心の事態への対応に集中できなくなる。

 

 圧してしまっているが、この状況で魔王の娘を挑発する真似は命知らずのご法度である。

 関係とすればゆんゆんの主張が全面的に正しいわけだが、現在の力関係は二人がかりでも圧倒的に魔王の娘に軍配が上がる。

 

 努々忘れてはならない。

 目前の相手の本懐は、人類の敵対者であるということを。

 

 水晶玉の映像で見せられた時と同じように、そしてそれ以上により密着しているゆんゆん。言葉にせずとも明確に“(とんぬら)の隣は、私の定位置(ポジション)”だとその態度が物語っている

 これに魔王の娘は一度無感情(フラット)にまで落とした静かな表情を作る。嵐の前の凪のような前兆。

 

「小娘、名は何だ? 紅魔族(きさまら)お得意の名乗り上げを許してやろう」

 

「我が名はゆんゆん! 紅魔族の次期族長となる雷鳴轟く者にして、とんぬらのパートナーよ!」

 

 これに少し驚いたように目を大きくする魔王の娘。

 

「雷鳴轟く者が貴様……? それにやはり、ダーリンと契約を交わしているか。……そうかそうか――」

 

 敵、と目前の小娘(ゆんゆん)を認識。

 一転して獣の如く獰猛さに歯を剥き出しにして笑う魔王の娘。

 

「紅魔族、やはり貴様らは今日で全滅だ! 特に小娘は妾が手ずから縊り殺してくれよう!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 残りは、あとひとつ――

 

「ゆけい! 『サージタウス』よ! 最後のひとつをお前の手で砕くのだ!」

 

 轟々と燃え盛る『炎魔塔』へ巨大人馬型万能家事対応機動兵器が疾駆。

 紅魔族の魔法と力を封じ込める魔王軍の禁呪。その起点となる塔の破壊。そして、とんぬらの救助奪還に向かったゆんゆんがとんぬらを連れて、『テレポート』で戦線離脱する。

 奇襲を仕掛けて戦況をかき乱してからの電撃戦でもって『氷炎結界呪法』を破り、転移魔法と上級魔法が解放させて状況を立て直すのが、紅魔族の作戦。

 搭載していた矢は尽きてしまったが、それでもその馬力からの突進は、もうひとつの双子塔も壊すに十二分に足る威力がある――

 

 しかし、最後の塔には守護者が埋伏していた。

 

 

『ゼンポウにキョダイなセイタイハンノウをカクニン』

 

 

 それは『サージタウス』と互角以上の巨躯の土竜(モグラ)

 『砂の王』、出現。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 星降りのオーブ:ドラクエモンスターズシリーズに登場するアイテム。使うと完全にモンスターを懐かせて必ず仲間にさせる。ポケモンで言えばマスターボール。非売品だが、しかし一個だけとは限らず景品とかで手に入れることができる。

 ただし無理なものは無理。

 

 ステテコダンス:ドラクエシリーズに登場する特技。相手を一ターン休みにする効果で、明らかに下ネタな踊りであるが強力。Ⅶでは神様や英雄も使う。ステテコパンツ姿で踊るタイプとステテコパンツを手にしてフリフリ踊るタイプの二通りがある。

 

 灼熱剣フレイムザッパー・氷結剣アイスベルグ。

 戦闘員、派遣します! に登場するヒロインの女騎士の愛剣コレクション。結構なお値段がする魔法武器。ただし魔王幹部くらいの相手になると通用せず、よくポッキリと壊される。

 

 サージタウス:ドラクエモンスターズシリーズに登場するモンスター。ケンタウロス型の巨大ロボで、ボウガンを二つ装備しており、射手座をモチーフにしているものだと思われる。ギガサイズだが、行動が早い。

 作中では、エリー、デンドロメイデン、小型版デストロイヤーの合体機体。

 

 グリフィンクス:ドラクエシリーズに登場するモンスター。グリフォンにスフィンクスの特徴を掛け合わせたような姿で、モンスターズシリーズではギガサイズ(三体枠分)の大きさ。

 作中では、グリフォンの変異種。


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