この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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144話

 蹂躙、という言葉こそ相応しい。

 巨大な脚で呆気なくえぐり取られる地面、着地の衝撃で拉ぐ木々。高レベル冒険者の剣より迅い攻撃動作に、その後に追随して響き渡る破壊音。これらはすべて驚嘆すべき現実を物語っている。

 鷲獅子の外観から予想される以上の破壊をもたらす爪が、嘴が、次々と繰り出されていく。その勢いが萎える気配は微塵もない。

 それらの攻撃を縦横無尽に駆け巡りながら、豹獣は回避する。

 重い攻撃を、軽やかに跳んで回避。

 迅い攻撃を、鋭く切り返して回避。

 総合的に向こうが優に超すステータスだが、この超絶の駿足の一点だけは勝っていた。

 すべてを躱しながら、ゲレゲレの視野は一時も鷲頭獅身の捕食獣を外さない。視界の端であろうと油断なく攻撃を捉え続け“逃げ”に徹する。攻撃動作の癖だとか、連続する攻撃の合間の呼吸であるとか、そういった“間”を本能で嗅ぎ分ける。

 だが。砂漠に君臨していた空の王者は、高い知能を有しているようだ。

 飛行能力を活用し、立体的な軌道でもって全方位からの攻撃を、リズムを狂わせるように変則的に行ってくる。こちらが逃げの一手でいるのを理解した行動。反撃をする気がない、と大胆に攻める。

 牽制(フェイント)

 連撃の最中に無駄な行動をあえて挟む。木を根こそぎ掘り返して、足場を荒す。

 

「グル……ッ!」

 

 進路上へ倒れ掛かってきた樹木を飛び越えた、直後。

 これまでに一度も行われてなかった、四肢を用いた全速力での鷲獅子の突撃!

 既に跳躍した後。翼のない地上の獣に、中空からの回避行動は、不可能――

 

「――『リフレクト』」

 

 突如、現れる透明な障壁。これを壁蹴りしてゲレゲレは二段ジャンプを為す。

 鷲獅子は、突進で樹木のいくつかを砕きながら地面に押さえつけた後に、獲物を啄んでトドメを刺すことは考えていたが、予想外の事態。

 高々と常の倍に跳んだ豹獣は、ふわっと衝撃を殺すよう身体を浮かす方向に吹き上がった気流を受けて着地。風を纏うことで地面を蹴る反動を軽減。着地と同時に疾駆し、一気に広い間合いを取る。

 

 (おお)いなる怪物に相対するは、ゲレゲレだけではない。

 そのゲレゲレに乗るとんぬらとゆんゆんがサポートする。とんぬらが神聖魔法の障壁で足場を作り、ゆんゆんが初級風魔法『ウインドブレス』でもって疑似的な『ウインドカーテン』を展開して支援し、疾走をより身軽にする。

 

(時間を稼ぐ)

 

 ゆんゆんから作戦(はなし)を聞いた。

 里の紅魔族が『氷炎結界呪法』の起点となる双子塔を破壊する。そうすれば、ゆんゆんが『テレポート』による緊急脱出が可能となる。だから、それまでは逃げ回る。ゲレゲレ頼りになってしまうも、里の事態に直接介入させぬよう魔王の娘を相手しながら只管に逃走。つい先ほど、大きな地響きが聴こえた。おそらく塔のひとつが落ちたのだ。だから、残るはもうひとつ。

 

「……だが」

 

 短く、息を吐くとんぬら。

 

「ただ逃げの一手だけではどん詰まる。だから――」

 

 

 ――構えを、取る。

 

 

 腕を引き絞る弓のような構え。そして、“耳”を澄ませる。

 ゲレゲレに反撃する余裕はなくて、ゆんゆんもサポートに常時追い風を吹かせている。

 故にこそ、荒れ狂う暴風が如き、尋常ならざる獣へ、とんぬらが釘を刺す。向こうの果敢な狩りに対する姿勢を怯ませる牽制を放つ。

 言わずとも、前に跨るゆんゆんが縞々の絨毯のようなゲレゲレの背に伏せる態勢を取る。後ろの相方の射線を遮らぬように。

 

 『メヒャド』――!

 移動しながらの射。現在進行形の高速戦闘の最中で、激しく揺れる不安定な、しかし姿勢を微塵も揺らさず。反撃の一射は狩りする魔獣の攻め気を見抜いたかのように、飛び掛かる寸前のところをピンポイントで射抜いてきた。

 

「待て!」

 

 幉を取る相手が鷲獅子を急停止。

 変異種である鷲獅子は、魔導の岩人形(ゴーレム)を想起させる硬質な体躯なれども、あの初級魔法を合成させた一撃は岩石をも貫通し得るものだと目に焼き付けている。――とんぬらの方もまた相手にその威力を知られているのを承知で放った。

 外れる。それでも勢いを削いだ。それが目的。

 逃げに徹する。ただし、防戦一方ではなく、時に攻める。攻守の割合が1:9ほどの専守防衛でもって、この均衡を長引かせる。

 

 自らの身長を遥かに超えて、爪のひとつ、嘴のひとつが巨漢の戦士が振るう大剣や長槍よりも重く、鋭く、長い、怪物との凌ぎ合い。だが、そのような怪物との戦いには、覚えがある。

 旅をしてきて幾度も経験してきた。人に害を為すモンスターを悉く屠ってきた。

 だから、そう、戦い方は既知である。手元にある手札の数が少なく制限されていようとも、骨子たる心構えはできている。

 

「“鷲()()”などと呼ばれながら、猫耳を持たぬのがお前の欠点だ」

 

 “小癪な!”と唸り声をあげる熱砂の獅身獣。

 

 『猫耳バンド』――身包みを剥がされそうになりながらも隠し持っていた、とんぬらが今身に着けている魔道具は、(雀の涙程度に)魔力を増幅させて、“動物言語”を翻訳してくれる。モンスターとの意思疎通が行える便利な道具で、使いようによっては魔獣の攻め気を読むのに大変役に立つのだ。学校へ通う以前に、とんぬらはこの『猫耳バンド』でモンスターとの駆け引きを学んで経験値を積んでいたりする。

 

 ゲレゲレのスピードととんぬらのリード、それらを支えるゆんゆんのサポートで、『グリフィンクス』の猛攻から回避し続けているというのがこの逃走にして闘争の内容である。

 ……のだが、傍から見ると迷走しているように見えなくもなくて。ちょっぴり不安になったゆんゆんが振り返りはしないが、背後の相方へ問うた。

 

「……とんぬら、私達、真剣に()っているのよね?」

 

「なんだゆんゆん? この状況でふざけているように()えるのか?」

 

 うん、と頷きそうになったけど飲み込んだ。

 

 とんぬらはよく弁明するけど、時々趣味に走っているように思ってしまうようなことをやらかす。ドランゴの変化の術に猫耳要素を盛り込んじゃったり、めぐみんに女神様と相対するには氏子になるのが一番だって猫耳を勧めたり、と常識と言う枷に縛られない紅魔族らしい自由さがある。でもそれには一応は理由があってとんぬらには善意からの行動だ。決して彼自身の欲求を満たすためではない、とゆんゆんは信じている。

 たとえ、命懸けの戦闘中に、下着一枚で猫耳を生やし(バンドをつけて)(あと仮面)いても、とりあえずは作戦(りゆう)については説明がされているのだし、とんぬらが真剣なのは訊ねずともゆんゆんにわかってる。

 

「ほう、あの耳が妾の魔獣の思念を拾っているのか」

 

 それに、あの魔王の娘(オンナ)は裸に照れるくせに『猫耳バンド』に反応がない。魔族に獣耳なのは少なくないから違和感を覚えないのだろうのか。……なんだかここでゆんゆんが彼の真剣勝負に対する姿勢に突っ込んだら、劣っているような気分になるので非常に癪。

 うん。そうだ。別に私はたとえこれに無意識的に趣味が僅かでも盛り込んでいたのだとしても関係がないのだ。

 ゆんゆんは頷き、

 

「大丈夫! 私、とんぬらならどんな趣味でも受け入れられる自信があるから!」

 

「いきなり何をそんな気遣いをされるのかわからないのだが、ゆんゆん」

 

「でも、その下着一枚(すがた)でいる理由はちゃんと訊かせてもらうからね?」

 

「よし! 兎にも角にも集中しようゆんゆん! 他のことは棚に上げて目の前のことだけに集中しようではないか!」

 

 

 一方。

 魔王の娘も紅魔族(むこう)の狙いを覚っている。

 これが時間稼ぎ。向こうで『氷炎結界呪法』の一角を崩されたのに気づかないはずがなく、残りのひとつも落としにかかっているだろう。守備隊をつかせているとはいえ、紅魔族は侮れる相手ではない。この今更新を繰り返して奴らへの評価は高くなっている。たとえ上級魔法が禁じられようとも屈するような輩ではないと。

 だが、どうあっても抗いようのない“壁”を魔王の娘は置いている。『雷鳴轟く者』は指揮官であるこちらを抑え込めれば、とも考えていたようだが、甘い。それに時間をかければ、捜索に散らばっていた軍も早急に駆け付け、状況はよりこちらに有利に――向こうには不利になる。退き際を見誤った紅魔族は今度こそ逃げ場なく包囲されるであろう。

 

「しかし、この獲物は妾のものだ!」

 

 灼熱の火炎。

 破砕の大気。

 これらがかき混ざり生じる現象は、赤熱する砂塵が渦を巻く竜巻。砂漠の世界に君臨していた空の王者が渾身の羽ばたきで発生させる熱砂の嵐はもはや溶岩流と変わらない。

 

「やらせないっ! 『ウインドブレス』!」

 

 杖を突き付ける紅魔族の小娘(ゆんゆん)

 しかし、上級魔法に匹敵するマグマストーム。この勢いを阻むのに初級風魔法はあまりに足らない。過剰なほど魔力を篭めて起こした突風でも、焼けた石に水滴を垂らして蒸発するように、霧散してしまうに決まっている。

 

「『マジックゲイン』!」

 

 杖先の前方に設置されるのは、強化倍率を魔力暴走(クリティカル)を意図的に発生させるほどに高めた『暴走魔法陣』。しかし支援魔法で威力を跳ね上げようとも元が初級魔法はその抵抗もたかが知れる。

 

「今だゆんゆん! 思いっきり魔力を込めろ! 『リフレクト』!」

 

 反射障壁を張るか。だが、それすらも蒸散してくれよう! と『グリフィンクス』へ魔力を送ろうとした魔王の娘であったが、それは守りの為ではなく――

 

 とんぬらの前にかざした左手が手の内を丸める形に握られる。同時、反射障壁も形を変える。

 鉄扇(つえ)なしながらも、魔法を同時展開しながら、形質変化させる。それは右手と左手で別々の作業を並列して行うようなものだが、平然とこなす非凡なる器用さ。

 壁ではなく、筒状で、『暴走魔法陣(マジックゲイン)』のさらに前に座標固定。魔法陣を通過し爆発的に跳ね上げられる風力は、魔力を反射する“砲台”によって一点集中に絞り込まれた。

 

 旋風巻く大気、その渦中にある指揮棒(タクト)より閃き踊る赤光。

 超高圧に束ねられた気圧の弾丸が、轟然と迸る。固体も同然に凝縮された超突風は今こそ嵐さえ突き破る。

 一直前に疾風が突き抜けたその瞬間、竜巻には完全な穴が貫通していた。だが、それでも空から睥睨する鷲獅子の元まで届くころにはそよ風程度にまで減衰する。穿たれたとはいえ、穴は穴。すぐに埋まる綻びでしかなく。

 

「ゲレゲレ、『疾風突き』ッ!」

 

 しかしこれは竜巻を突き破る風の一撃だけに留まらない。

 大気中を物体が超高速で移動する際、正面の空気は引き裂かれ、逆に背後の空間には真空を残す。当然、その真空には周囲の大気が巻き込まれ、先行する通過物を後追いする気流を発生させる。

 とんぬらが増幅・集束させ、ゆんゆんが全力で魔力を篭めて放った疾風はその背後に真空を引き起こす、そこに熱砂の嵐を潜り抜ける突破口を築いたのである。

 そして、その逆巻く気流の直中へと躊躇うことなく飛び込むゲレゲレ。

 それは神速の機動力のみならず、主達との阿吽の呼吸の連携を持って為したロケットスタート。赤熱した竜巻を一跳びのうちに奔り抜けたゲレゲレの突進は、疾風さながらの勢いであった。そして、相手に何もさせる余裕も与えずに、前脚から伸びる猫科の隠し爪が、空の王者の身に届く。

 

 胴に、当たる。全身全霊の一撃を以てしても、岩石の如き硬い体質は、僅かに肉を抉るに留まる。それでも飛行の姿勢は揺らぐ。踏ん張りの効かない宙空で、体当たりも同然にぶつかって来られては、堪え切れない。

 その僅かな隙に、これを完成させる。

 

「僅かも目を離さず、刮目しろ。我が魔法は刹那の油断も許さぬ!」

 

 親指を除く両手の四指に、火、風、水、土、それぞれの魔力の光、それがまるで空中に見えないレールが敷かれているかのように、グルグルと高速回転。廻り廻り連環(えん)となってひとつに混ざる。最後、予め噛み切って血を出す親指。そこに宿す凍える魔力でまとめて握り込む。

 両手のひとつずつ掴んだ荒ぶる螺旋の大渦はスノードームのように極寒の吹雪を手のひらサイズに閉じ込(まとめ)めたよう。

 最後にギュッと力を入れた後、握り込んだ手を広げる。瞬間、両の掌に大玉の雪精。初級魔法五種を操り生み出す疑似雪精を、さらに膨大な魔力でもって巨大化した。そして、掌握したそれらが相手の頭上で二つ揃って重なる。

 

 この灼熱にも溶けぬ、吹雪の化身の如き巨大雪だるまが、『グリフィンクス』ごと魔王の娘を呑み込む――

 

「見事だ。『グリフィンクス』一体で貴様らを倒せると踏んだ妾が侮っていたと認めよう。……しかし、妾の護りはこの程度では破れぬぞ」

 

 姫――否、女帝の唇は歪む。

 赤い、三日月の形に。

 

 目視できるほどに濃密な魔力障壁に、雪だるまが弾かれて霧散。魔王の娘の肌に触れることすら叶わず。

 

 魔王の娘が両手五指に嵌めている指輪は、魔王が娘に授けた防護。そのひとつひとつからあらゆる属性耐性に万全な鉄壁の魔力障壁を張り巡らしており、魔王の娘は常時、城塞に守護されていると称しても過言ではない。

 魔王の娘に痛恨のダメージを与えるには、使い魔だけではなく、装備をも破らなければならないのだ。

 

「――ガウッ!」

「ゲレゲレ!?」

 

 ゆんゆんの気流操作で反動を軽減させながら着地する寸前、ゲレゲレが突如上体を跳ね上げて、とんぬら達を振り落とした。

 

 そして、突然、落とし穴の如く地盤がすり鉢状に陥没――罠に踏み込んだ獲物を逃さぬ流砂へ変貌する。

 

 もう一体の魔物……!?

 深く沈んだ起点から顔を出すのは、グロテスクな虫。顎の鋏をギチギチと音を立てて、哀れな馳走の到来を待ちわびる。巨大なアリジゴク。

 『ヒュージアントリオン』。砂漠に巣を作り、通りかかる生物を捕食する凶悪なモンスター。しかし、そこに気配は感じ取れなかった。

 

 これは今この瞬間に現れたのだ。

 魔王の娘の卓越した『魔獣使い』の能力は、ボードゲームに例えれば、強力な持ち駒一式を所持しており、いつでも盤上へ召喚できる。しかもその召喚速度は反則的で、相手が行動する手番(ターン)でもこの通りに巨大なアリジゴクを差し込めてしまえる。

 ゲレゲレが野生の本能で察知し咄嗟の判断で二人を振り落としてなければ、とんぬらとゆんゆんも流砂地獄に堕ちてしまっていただろう。

 そして、

 

「ガウガウッ!」

 

 ゲレゲレがアリジゴクのフィールドから脱出しようとするが、沈む。地面を蹴ろうにも流砂を散らすだけで、逆に体勢を崩す。もがけばもがくほど深みにはまっていく。

 

「ゲレゲレ、今助けるぞ!」

 

 とんぬらがワン・ツーと腕を振るい、アリジゴクの大口目掛けて魔力塊の弾丸を放つ。食らって上体を仰け反らせてところへ、すかさずおかわりの二連発目が追撃。ヘッドショットで怯ませて、ゲレゲレが持ち直すまでの時間を稼ごうとする。

 

 

「――『カースド・ストーンバインド』!」

 

 

 重みを感じるほどに力ある呪言と同時に、辺りに舞っていた砂埃がとんぬらへ凝集。攻撃を放った直後の、隙を晒すのを狙ったタイミング。

 この上級魔法を行使した魔王の娘は、視界にとんぬらへ重ねるよう眼前に翳した手をゆっくりと、一本一本指を折り込むようにして握り込む。

 

「つ・か・ま・え・た♪」

 

「なっ――」

「とんぬらっ!?」

 

 磁石が砂鉄を引き寄せるように全身に密着した土砂が、メキメキと鈍い音を立てて拘束。魔王の娘が一本指を折り込むごとに段階的に圧力は増す。最後の親指に至ると、肺から無理やりに呼吸を吐き出させ、窒息せんばかりに絞められる。やがて、いつぞや継ぎ目のない全身鎧(アイギス)に押し込まれたときのように、頭だけを出してとんぬらを覆い尽して固められた土は石化する。

 ロープで縛り上げるのと違って一切の隙間がない。流石にこれは『縄抜け』スキルの脱出は無理である。完全に、囚われた。

 

(一日に二度も取っ捕まるとは……!)

 

 強引に破ろうとするが、ビクともしない。一撃熊と相撲が取れるほどに力に自信があるとんぬらでも二割程度に抑え込まれてしまっている。魔王の娘の掌握から逃れられない。

 

「なら――『ブレイクスペル』!」

 

 神聖魔法の解呪魔法で拘束を解こうとしたが、詠唱しても何も発動しない。

 

「観念するのだな。何度抗おうとも妾の手からは逃れられんのだ。何をしようにも『氷炎結界呪法』から応用した、呪いの泥土に囚われてはあらゆる魔法もスキルも行使できない。そして、こうすればダーリンの裸体を直視することはない。――準備は万端に整った」

 

「だったら、私が! 『クリエイト・ウォーター』!」

 

 ゆんゆんが杖先から水流を迸らせる。でも、水を浴びせても石化した呪いの泥土は溶けず崩れない。

 

「無駄だ小娘。貴様程度に破れるような妾の力ではないわ! そこでダーリンと結ばれる様を目に焼き付けるがいい!」

 

「待っててねとんぬら! 今すぐその女の縛りから解放してあげるからっ!」

 

 とゆんゆん、愛用の短刀(ナイフ)を抜く。

 

「ちょちょっと、ゆんゆん!? ゆんゆんさん!? 背中をナイフでゴリゴリするのは泥土よりも俺の精神的にダメージが来るからやめて!」

 

 目を真っ赤にさせた少女に背中からゴリゴリと刺し抉りに来るという修羅場の疑似体験(シチュエーション)に溜まらずとんぬらも悲鳴を上げる。怖い。普通に怖い。魔王の娘に囚われた危機的状況よりも、相方の(一応)救助活動の方に震えが走る。その躊躇のない一突きごとに心臓がドキッと跳ねるのは、果たして吊り橋効果なのだろうか?

 第一印象が後押ししているのか、魔王の娘の挑発にやたら攻撃的で、当事者(とんぬら)以上に過敏なゆんゆん。それでも、ゆんゆんの制限されている腕力では石化した拘束は削り切ることなど欠片もできない。

 

 

「さあ、時間だ。――『星降りのオーブ』よ、今こそその魔力を解き放て!」

 

 

 外し、頭上に掲げる首飾りの魔石『星降りのオーブ』。魔王の娘の手の内に夜空の星をちりばめたような光がぐんにゃりと渦巻き、一点に集束。星屑の如き光の粉を纏う魔力が、解き放たれる。

 

『 ■■■

      ■■■■

            ■■■■■■■ッッッ!! 』

 

 その瞬間。

 声にもならぬ咆哮が、とんぬらの内側から迸った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

《――コウマゾク――護衛――マスターの命――》

 

 

 ♢♢♢

 

 

 他者の契約を奪う、絶対服従の魔力が、この身を蝕む。

 対抗するかのように裡にある存在が魔力を放出し、身を抑え固めていた拘束の半分以上を吹き飛ばす。簡易的ながらも禁呪で処理し切れぬ莫大な力の渦に当てられてか、空の王者の変異種が恐れをなして身を竦み、魔王の娘の影より控える魔物達まで怯んだかのように息を呑む音をもらす。魔王の娘にも、肌にビリビリとした痛いほどの錯覚が伝わっている。まるで間近で花火でも打ち上げられたような、腹の底に深く響く衝撃は、ほとんど透明な壁にも近い。

 それでも魔王の娘は魔導石に蓄積された魔力をねじ込み続けた。この人間が身の裡で飼っている魔獣は、ほんの僅かでも気を緩めれば逆にこちらがもっていかれると、女帝の心が自分でも抑えられないほどの警告を発している。こちらが尻尾を掴んだその気配はそれだけ、飼い慣らしている魔獣全てが小さく見えるほどの脅威を感じられた。

 

「このっ……! 妾の魔力に抗うか……!」

 

 魔導石の魔力は確実に捉えたはず。あとはこちらに釣り上げる作業なのに、魔王の娘は、肩から首筋にかけて筋肉が強張るのを自覚する。

 服従は絶対、しかし服従を拒否する。矛盾。絶対にさえ抗う、不可能さえ覆す、不撓不屈の精神。だから、『星降りのオーブ』に浸食されつつも整合できない、半端な拮抗へ至り――それは、暴走を招く。

 

「とんぬら!?」

 

 ゆんゆんが叫ぶと、とんぬらは辛うじて仮面の奥の瞼を開けた。しかし、意識が朦朧としているようだ。というより、ここでまだ自我を保てているのが奇跡的なのかもしれない。魔力の暴走。紅魔族なら一目で看破できる。それは最悪死ぬかもしれないものであることを。無理に抑え込んでいてはダメなのだ。

 だけど、無理やりでも彼はやり遂げようとする。そして、やり遂げてしまうのだ。

 

 ――この子は私にはとても眩しい。

   私がふと落としてしまったものを、どれだけ苦難に見舞われても手放さない。

   ただそれはとても大変な事だから、ずっと張り詰め続けた私のように、誰かに甘えられるようになって気を緩める休み方を覚えてほしかった。

 

 親に甘える当たり前の権利すらなかった幼少期。それが下地となって頑固に形成された自制心。なまじっか人に頼らずとも物事を解決し得るだけ優秀であることも拍車をかけた。

 だけど。

 そんな過去からとんぬらを見てきて心配する(ウィズ)は、こちらを見て、安堵した。

 

 ――嫁にする相手なんだから俺だって甘えたっていいだろ。

 

 そんな主張なんて素面じゃ滅多にしてくれない。人前で甘えるのを恥じる。

 でも、奇跡に頼らずとも己のワガママでモノにしてみせると宣言された(わたし)。数ある告白集をこの胸に閉じ込めて、一言一句だけに限らず言外な部分も余さず覚えている。残念ながらどんなに黒歴史であっても忘れたりはしない。

 だって、何度思い返したって言霊がじんわりと胸元に染み込む。とてもそれは温かくて、指先で触れると、力強い鼓動になって返してくれるような、ゆんゆんを前進させる原動力なのだから――

 

「だったら、お嫁さんにする私の前でそんな無茶を抱え込もうとする真似は反則のはずでしょ、とんぬら」

 

 左手を持ち上げる。

 一度祝福を授かった薬指に、か細い糸が結ばれた。

 奇しくも一族のイメージカラーと同じ紅い糸だった。どんな苦難も分かち合おうと誓いを篭めた絆――

 

 なにか……

 なにか少しでもいいから、支えになりたい……!

 

 

 そして、世界が、光に溢れた。

 

 

 ………

 ………

 ………

 

 光が止み、強制力から解放される。その場に集約していた莫大な力が、二分された。まるで引き千切ったかのように、“それ”は剥がれた。空気が飽和に近い砂糖水のように揺らいでいる。

 

 二分されたのは、力だけではない。

 

 パキン、と何かが壊れる音がした。

 

 間近から響いた異音の正体に、女帝は目を瞠った。

 『星降りのオーブ』に、罅が入っていた。それは、当事者(とんぬら)でさえ(スカ)したかと思った確認作業(パルプンテ)がきっかけであったがそんなことは誰も知る由がなく、今更気づいたところでどうにもならない。既に一条の瑕疵が刻まれていた宝玉は、莫大な力を御し切れずに割れてしまったのだから。二つに割れた魔導石に星々の煌きを封入したかのような輝きは失せている。

 これは、『星降りのオーブ』が――次期魔王の束縛が、弾かれたことを意味する。

 

 女帝の手から逃れられたのと同時、とんぬらは前のめりに倒れこむ。

 

「ぁ……ああっ!」

 

 懸命に顔を上げようとして、できず、地面に手をついてしまう。

 異常なほどの寒気。内臓という内臓を裏返しにされたような吐き気。

 それでも、身体は自らの意思に応じてくれる。自我は、束縛されていない。なら、これ以上情けない姿を晒して傍にいる彼女を心配させてはならない。

 痙攣する膝に力を込めて上半身を起こす。ぐらつく足を 咤して、地面を踏み締めんとする。

 二重三重に視界はブレていて、とてもまともな平衡感覚ではなかった――だから、状態と感覚の狂いを補正(アジャスト)するのが遅れていた。

 

「これは、一体どういうことだ……!?」

 

 魔王の娘は柳眉を不可解そうに顰め、己が引き金を引いた目前の出来事に驚嘆する。従属させる期待を裏切り、果てはこの奇々怪々な現象。魔王の娘に理解できなかった。

 

「とん、ぬら……?」

 

 息も絶え絶えにしながらも、彼の姿はどんなになっても見失わないよう前を向いていたゆんゆん。請け負おうとした暴走する魔力を半分といかずに屈してしまう自分が情けないやら悔しいやら感情が渦巻くも、そんなことよりもとんぬらの安否を確認するのだが……彼女もまたこのパルプンテっている状況にどう反応するべきか困ってしまう。

 

 そして、二人からの視線を一身に集めるとんぬら自身も笑いたいぐらい理解できていなかった。

 周りを見て、あらゆる景色が大きくなっていることに気付き、それから小さくなった自分の手を見る。次にその手で触れてさらに小さくなった顔の輪郭を確かめる。その際、指が当たった拍子に、カラン、と()()()()()()()()()()()仮面が、外れて落ちる。

 

 こんな時、ふと思い出す。

 そういえば、とんぬらの師匠にして紅魔族随一の占い師であるそけっとが予見していた。

 近々、とんぬらに良く似た稚児が現れる、と。

 

 予言の通り。それがとんぬらに瓜二つなのは当然。何故ならば、これはとんぬらであったのだから――

 

 

(これって、まさか――俺、子供になってるのか!?!?)

 

 

 精悍な青年が、紅顔の稚児に縮小していた。

 そして、その若返った差分を引かれた以上の凄まじい喪失感が、小童の内側を吹き抜ける。体中から“力”が抜けて、ただ虚脱感だけがとんぬらを打ちのめしていた。

 

(と……ととととんぬらが……子供に!? こめっこちゃんと同じ年くらいの見た目で……)

 

 事態は皆目見当がつかないものの、その幼いころの姿を知るゆんゆん。改めてじっくりと確認して、正体がとんぬらであると確信する。

 子供になってしまい、力衰えたとんぬら。

 これは、窮地を脱したものの状況は何も好転したわけではなく、むしろ悪化したと見るべきである。

 

 で。

 

(――か、かわいい!!)

 

 それはそれとして、やや無理のあった猫耳も紅顔の稚児にはピッタリ似合っているし、男物のステテコパンツもぶかぶかな短パンに見える。普段とのギャップも相俟ってか、非常に愛らしい。叶うのならお持ち帰りして存分に甘やかして可愛がりたいくらいだ。

 

「……一体全体どうしてこうなったのかは妾にもわからぬが、契約すら上書きする『星降りのオーブ』の魔力を弾くとは、どんな契約を交わしているのだ?」

 

「くっ、……立つことさえままならんとは……!」

「ダメよとんぬら無理しちゃ! 私が支えるから!」

「ゆんゆん……体を支えてくれるのはありがたいんだが、これ“抱っこ”と言うような態勢……普通に肩を貸してくれるとかでいいと思うんだが」

「この方がとんぬらも楽でしょ?」

「いや、確かに楽ではあるんだが、俺の身体を持ち上げるのって大変だろ? それに……顔に、ゆんゆんの胸が当たっているというか、埋まっているというか、とにかく密着具合が半端ないから」

「ふふ……ふふふふふ」

「ゆんゆん? いや、何でそこでギュッと抱く力を強くするんだ?」

「え、あ、う、うん、なんだかこの感覚すごく癖になりそうで……もう片時も離したくないくらいとんぬらを感じられてるっていうか。うん、うん、うん! そう! とんぬらは、私が、支える! 大丈夫心配しないで! 私、この状態の方が力出る気がするから!」

「色々と心配になってくるんだが、とにかく手加減してくれ!? これじゃ息苦しいから!?」

 

「貴様らぁぁ―――!! この次期魔王たる妾からの問答を無視して乳繰り合うとは、どういう神経をしている!? 何だ、それは紅魔族流の挑発だというのか!?」

 

「ええ、そうよ! 私ととんぬらは、紅魔族随一のバカップルって言われてるわ! 泥棒猫が割り込む余地なんてないんだから!」

「ゆんゆん、落ち着こう! その場の勢いで張り合うと後で黒歴史確定だからな。自称するのは“カップル”までに抑えよう、“バ”は余計だぞ、“バ”は」

 

「ふ、ふん、服従できなかったダーリンが小さくなった原因などどうでもいい! 何にしても見る限り、一番の脅威であったダーリンは戦力外となった。これで貴様らの相手はより容易くなったということであろう? であれば、容赦なく獲らせてもらおう!」

 

 魔王の娘が騎乗する『グリフィンクス』がその大きな翼を広げて浮遊し、流砂の領域を拡大させる『ヒュージアントリオン』。

 足掻いていたゲレゲレだけでなくとんぬらたちも蟻地獄に囚われてしまう。

 

「わぷっ!?」

「とんぬらっ」

 

 砂に溺れないようゆんゆんが背が縮んで力が衰えた相方を抱き上げる。しかし、脱出できない。ゲレゲレも態勢は持ち直しているもののこのさらさらと流れる足場ではモンスターの餌食となるのを逃れるのが精一杯で、とんぬら達をカバーする余裕がない。

 

 詰んだ。この状態で先の溶岩流を巻き起こす羽ばたきを繰り出されれば防ぎようがないし、回避できようもない。

 駄目だ……っ!

 ゆんゆんは、破滅の予感に固く目を瞑った。

 いや、瞑ろうとしたとき、爆炎が轟いた。

 この場に割って入った影が――軽量型の機体が、奇襲の爆撃を巨大アリジゴクへ撃ち放ったのだった。

 挨拶代わりの一発で無力化する威力、そして、この瞬間まで接近を勘付かせなかった機動力と隠密性、これらは総じて油断ならない脅威度を示す。

 無感情な音声が、通告する。

 

 

《コウマゾク確認――敵確認――爆殺処理をシッコウします――》

 

 

 『忍法・爆炎の術』。

 凶暴なモンスターでさえ一撃で仕留め得るほどの破壊力のある爆発系の魔法。『爆殺魔人』の十八番である。

 

「もぐにんにん!」

 

 好敵手(めぐみん)とよく似た響きの名前の忍者ロボットは、紅魔族の守り神『爆殺魔人もぐにんにん』。『ヒュージアントリオン』を一撃必殺で屠ると、『グリフィンクス』にも爆撃を見舞う。それは、魔王の娘が持つ護りによって防がれるも、その隙に身軽な機体はとんぬらを抱くゆんゆんを流砂から拾い上げる。ゲレゲレも頭部が吹き飛ばされて屍となったアリジゴクを足場に踏みつけて脱却。

 闇夜に紛れ、森の木々をすいすいと進んでいく機敏な逃げ足の速さにあっという間にその姿は視認できなくなった。

 

 

「この……絡繰りの分際で、よくも邪魔してくれたなァ! 妾から逃げ切れると思うな!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――巨大なロボットと巨大なモンスターが激しくぶつかり合う。

 

 紅魔族は本来の力を発揮できない。爆発ポーションも弾数は限られており、初級魔法に過剰に魔力を注ぎ込んで攻撃する戦法は消耗が激しい。『超激突マシン』も燃料切れで道半ばに停車。

 一方で最初の襲撃で混乱した魔王軍も立て直し、捜索に散らばっていた魔族兵団も集結、時間が経過するごとに彼我の戦力差は開いていく。苦しい戦況を打破するためにはやはり最後の塔を崩さなければならないが、最大戦力であった三位一体の変形合体機『サージタウス』も魔王軍の巨大な土竜『砂の王』に圧倒されてしまっている。

 

 ――そして、トドメの後押しが君臨する。

 

 

「狼狽えるな! たかが魔導ゴーレムが、妾が使役する『砂の王』に敵うわけがなかろう!」

 

 

 空から叩きつけてきたこの一喝に、ハッと真上を見上げる魔族兵。そこには威風堂々と熱砂の獅身獣に跨る魔王の娘。

 月を背負っていようがその魅力は陰ることのない、月よりも優美な支配者。これを乗せる空の王者が翼を羽ばたかせるたびに灼熱が迸り、世界を軋み上げさせる。その身の内を焦がす激情を表現する魔力の脈動が、真青な夜空に響き渡る。

 そして、これに発奮した『砂の王』が多少のダメージを厭わぬ苛烈な攻勢に出て、『サージタウス』が撃沈。ボディ部分のデンドロメイデンを『砂の王』の破城槌のような巨大な爪撃で穿たれて、大破した。変形合体が解かれ、元の万能介護ロボットに戻るエリー。戦線を瀬戸際で支えていた最大戦力が破れたのだ。

 

「おおおっ! 流石は姫様!」

「姫様が控えていらっしゃれば、魔王軍の勝利は間違いない!」

「紅魔族よ、調子付くのもここまでだ! これで貴様らは絶滅だ!」

 

 一気に士気を最高潮にまで高める魔王軍。

 これで戦場の大勢は決した。もはや形勢は逆転できないであろう。最後の『炎魔塔』の前を陣取る『砂の王』、そして、『氷炎結界呪法』を崩壊させる前に魔王の娘が参戦した以上、紅魔族に通用する手段など残っていない。

 だが、憤怒の女帝はわずかな希望の芽さえ潰さんと力を振るう。

 

 

「――出てこい」

 

 

 一言で、世界は更なる変貌を遂げる。

 その変化は緩やか。いいや、初めからそうであったかのように自然極まりなかった。

 魔王の娘から伸びる漆黒が、この夜闇と一体となったのである。

 影であった。

 全てを己が色に染め尽してしまう、漆黒の影であった。

 魔族は陽光を苦にする存在ではないが、その真価はやはり陰気溢れる夜にこそ発揮されるものであったか。

 圧倒的な個の存在が敷く領域に呑まれた里の各所に、影が盛り上がったかのように朧な獣影が立ち現れる。最初、蜃気楼のようなそれらは徐々に色と厚みを備えていき、実体化を果たす。

 

 まず、空の王者(グリフォン)にも劣らぬ大きさの三つ首犬(ケルベロス)が、口中に青い吐息を揺らめかせて、総力戦の狼煙(サイン)の遠吠えを上げた。次に、真紅の鎧甲冑と重厚な戦斧を携える牛頭獣人(ミノタウロス)が続く。それから続々と魔獣の軍勢は影から出てきて――

 

 それは盤上に空いたスペース全部を自軍の駒でもって埋め尽くすかのような所業。

 数えて百。百体のモンスター。どれもが選りすぐり。世に放てば高額賞金首に間違いなく指定されるであろうレベル。

 上級魔法が使えず、困憊気味な『アークウィザード』では一体相手取っても太刀打ちできない。

 

 

「――出てこい」

 

 

 同じ文句を復唱する。だが、その意味合いは異なる。

 これは自らの影に控える魔獣たちではない。女帝の手から一度ならず二度も逃げてくれた、だが必ずこの声が届く場所に潜んでいるであろう相手に呼び掛けている。

 

 

「――出てこい、雷鳴轟く者よ! ダーリンの身柄と、貴様の命を妾に寄越さねば、即刻ここにいる紅魔族は皆殺しにして魔獣たちの餌としてくれよう!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……私のせいで……皆がっ」

 

 ゆんゆんが、軽く二の腕をさする。

 これは夜の冷たさとは別のもので、ゾクゾクと体の芯を凍えさせるような錯覚がした。

 自分の認識が甘くて、だからこそ多くのものを失ってしまいそうになっている。巻き込んでいなければ助かったであろう皆を危険にしてしまっている。

 覚悟はしていたつもりだったけど、いざ直面すると目を逸らしたくなる。

 思考は空転する。空っぽの鍋を火にかけたように胸を炙られる。強張った心は鎖で縛りつけられたかに思えた。

 

「自棄に、なるな、ゆんゆん」

 

「……っ!」

 

 そんな今にも泣き出しそうな顔で思い詰める彼女へ、自らの心情を噛み砕いて呑み込みながら、とんぬらは口を開く。

 

「交渉なんて、互いに対等だと認め合える前提条件がないと話にならない。今のゆんゆんが行ったところで、族長たちが助かる保証なんてない。思考停止するな」

 

「でも……こんなの、どうすればいいっていうのよっ!」

 

 声を押し殺して、叫び返す。

 鉄仮面な彼に対し、くしゃくしゃに顔を歪めて訴える。

 陥った状況を自覚すればするほど、どうしてもほかの手段が浮かんでこない。このまま目を瞑り、耳を塞ぎ、何もかもが終わるまで閉じこもっていたかった。

 

「ねぇ、とんぬら……私に、何ができるの」

 

 少女の言葉に、反応が返るまで数秒かかった。

 

「……見ろ」

 

 幼くなった、しかしそれでも気丈に振る舞う彼の指が示す。

 包囲された皆の方を。

 ああやっぱり私は族長になっちゃダメだったんだ、と思った。

 自分を信じてくれるパートナーでさえ弁護できない有様なんだと。否が応でも自覚しろとあの光景は訴えているのだろうきっと――

 消沈するこちらに言葉をかけず、依然とそのポーズのまま指し示すパートナー。そんな時、ゆんゆんの顔をその方へ向けさせたのは、なんとも能天気な笑い声であった。

 

 

「――はっはっはっはっは!」

 

 

 牙を剥いた魔獣魔族に囲まれて、しかも疲労困憊。それでも快活に笑うのは、族長――ゆんゆんの父親であった。

 

「何がおかしい紅魔族?」

 

「我が娘、ゆんゆんは大したものだ! 何せ、次期魔王から男を奪い返したのだからな! これほど頼もしい次期族長はいない! 我が紅魔族の未来は安泰だ!」

 

 愉快気に、そして自慢気に言い放ってくれた親馬鹿な発言に、面子を潰されたように魔王の娘は顔を歪ませる。

 そして、その娘は、ぽかんと呆気にとられて顰めていた眉間の皴を緩め、目を丸くする。

 

「族長の言う通り、流石は紅魔族を率いる族長になる者だ。きっとゆんゆんなら里を導いてくれる」

「そうね。二人の子供の姿は予見できたのだから、紅魔族の血が絶えることはないでしょう」

「これは本当にゆんゆんととんぬらの子供は魔王を倒す者になり得るかもしれないね」

 

「わかったか魔王軍。愛する我が娘がいる限り、我々紅魔族は絶滅などしない!」

 

 紅魔族族長――父の()()は、この里中に響き渡り、娘を奮わせたのであった。

 

 

 そして。

 目の色が変わったパートナーを見つめ、族長より伝染したかのように紅魔族の最終兵器は不敵な笑みを復活させる。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 雪だるま:ドラクエシリーズに登場する状態異常系の特技。特定のボスモンスターが使ってくる固有特技のようなもの。相手を雪だるまにして一ターン休みにしてしまう。

 

 ヒュージアントリオン:戦闘員、派遣します! に登場するモンスター。砂漠に巣を張り、通りかかる生物を捕食する凶悪な魔獣。このすばにも名称は不明であるも蟻地獄モンスターは登場している。

 

 幼児化:ドラクエⅪの魔法使い女子(ベロニカ)の身に起こった現象。魔力を吸い取られまいと抵抗して年齢を奪われてしまう。魔力を取り返しても元の年齢に戻らなかったが、後に成長した姿が見られるイベントはある。




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