この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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17話

 座席が横に五つずつ並び、左右二列の大型の乗り合い馬車。

 それが十台編成で旅行するのが、今回の駆け出し冒険者の街『アクセル』行きの商隊である。旅行者は街々の商いの傍ら、空いた客席に乗せてもらう。

 

 旅行者以外にも商人が雇った用心棒の冒険者がおり、大所帯の隊商を前に弱いモンスターは勝手に逃げていく、安全で快適な旅が約束される。

 

 その十台編成の商隊の前から二番目の乗り合い馬車。

 

「あっ! リザードランナーです! 2匹のオスが、メスを取り合ってかけっこ勝負してますよ! どっちが勝つのか見物で……」

「ねぇ、私も見てみたいから、ちょっと変わってよめぐみん。ねぇー!」

 

 リザードランナーは、普段であれば特に危険のない、草食性の二足歩行のトカゲ。ただし、とてつもない速さで走る。足が速いほど優秀なリザードランナーの証明であり、同種族で並んで走って競い合うだけでは飽き足らず、他種族の足の速い生物を見つけては勝負を挑む。それが馬だろうがドラゴンだろうが物怖じせずに蹴って、そのまま逃走する。

 リザードランナーの蹴りは凄まじく、当たり所が悪ければ骨折程度では済まない。馬や騎竜、騎鳥などに乗ってる人たちにとっては厄介なモンスターである。

 

 でも、基本大人しく、メスとの競争に夢中になってるリザードランナーは、商隊には眼中にないようだ。

 

「ゲレゲレ、お座り、お手、伏せ……よしっ、食べていいぞ」

 

「しゃう」

 

 窓際を争うめぐみんとゆんゆんを他所に、旅慣れてるとんぬらは、最近餌付けしたモンスターの調教に励んでいる。

 首輪代わりにゆんゆんの予備のリボンが巻かれた変異種の仔豹は、猫耳神社の神官代行の手管にやられ、しっかりと躾けられている。今では簡単な芸くらいはできるだろう。

 

「わあ、お兄ちゃん。その仔、お兄ちゃんが飼ってるモンスターなの? 触っても良い?」

 

「そうだぞー。この子はゲレゲレ。勇敢そうな名前だろ。でも、ちゃんとゲレゲレは噛み癖を直したから、尻尾をぎゅっと掴まず、優しくなら触っても問題ない」

 

「うん、そーっと、だね」

 

 向かいに座る、小さな女の子とおばさん。ふさふさな逆立つ赤毛のモヒカンに女の子はぽんぽんと触れ、それから毛並みに沿って撫で始める。仔豹は大人しくしており、噛みついたりすることもない。

 

「顎の裏辺りを撫でてやると言い。そこがゲレゲレには気持ちいいポイントだ」

 

「うん。こしょこしょ」

 

 仔豹は目を瞑り、気持ち良さげに喉を鳴らす。

 

「よし、それじゃあおやつも上げてみるか」

 

「うん!」

 

 目をキラキラとさせる女の子はとんぬらの勧められるままに、渡された仔豹用のおやつを口元に差し出し、ぱくっと食べてくれたのにきゃいきゃいと喜ぶ。

 それを見て相好を崩すとんぬらは懐に忍ばせてるものを取り出し、

 

「よーし、それじゃあ、とっておき。猫とお話しできる猫耳バンドを付けて」

 

「とんぬら、あなたはこんな小さな子まで守備範囲なのですか?」

 

 いつの間にリザードランナーを見るのをやめていためぐみんとゆんゆんがこちらを見ていた。ジト目で。

 

「その、とんぬら? そんなに猫耳が見たいのなら、休憩の時、皆が見てないところでなら、私が付けてもいいから」

 

「おい。あんたら、俺を何だと思ってるんだ。仮にも俺は神職だぞ。そんな不埒な考えなどするはずがない。これは純粋な好意でやってる」

 

「ですが、あなたの師は、神職でありながら男性信者は子供に触れたら即通報されるアクシズ教徒の次期最高司祭ではないですか」

 

「だから、俺はアクシズ教徒じゃない! あんな変態師匠と一緒にしてくれるな」

 

 『アルカンレティア』であまりに教団に馴染んでいたせいか、めぐみんとゆんゆんからとんぬらはもう(ほぼ)アクシズ教徒扱いされている。

 

「フフッ……。3人とも、随分と仲良しなのねぇ」

 

 女の子の母親が微笑ましそうに目を細める。というより、この馬車にいる客全員から微笑ましい視線を送られていた。

 ゆんゆんは恥ずかしくなったのか顔を赤くして身を縮め、一方で、視線を集めたとんぬらは染みついた芸人の(さが)か鉄扇を取り出し、変異種の仔豹を肩に乗せる。

 

「よし、ゲレゲレ。少し皆さんに一芸を披露しよう。真の芸能者は鞄より初心者殺しを出し、自在に使役する」

 

 そして、とんぬらはゲレゲレと腕や鉄扇の上を走らせ、最後は背中に隠れたかと思えば顔を手で隠していたゆんゆんのローブの背中からぴょこんと顔を出させて二人羽檻を演じて、ウケを取ってみせた。

 

「お捻りは不要。これはただの挨拶ですので」

 

「ちょ……ゲレゲレ、くすぐったい!? ああ、耳舐めないで!? こんなの打ち合わせしてないわよとんぬら!」

 

「貴方の宴会芸スキルがいったいどの方向性を目指してるのは気になるんですけど」

 

 賑やかになる三人のやり取りに子供は笑い、おばさんは焼き菓子を差し出してくる。

 

「お捻りはいらないって言ったけど、お菓子なら受け取ってくれるかい。楽しませてくれたお礼をさせてちょうだいな」

 

「そこまで言われたら仕方ありませんね。頂きます」

 

「ちょっと! めぐみんは何もやってないじゃない!」

 

「せっかくのご厚意なんだから遠慮するなゆんゆん。では、俺も一つ失敬」

 

 遠慮なく受け取るめぐみんに即座にツッコむゆんゆん。それを宥めるとんぬら。おばさんはますますおかしそうに笑い、

 

「『アクセル』行きの馬車に乗っているってことは、三人とも冒険者志望かしら?」

 

「ええ、私は冒険者志望です。まずは『アクセル』にて仲間を募ろうかと思いまして……ええ、今は同行していますが、そこの紅魔族の変異種とんぬらとは相容れぬライバルですので」

 

「負けるつもりはないけどな暫定天才。それで、俺も冒険者志望になるのか。『アクセル』に行くのは捜し人をしてるのもあるけど、その近くにあるダンジョンを攻略するため」

 

「え、えっと……私はその……一人前になるために修行を……」

 

「あなた達、紅魔族なの。ええ、その紅い目は間違いないわよね。『アクセル』につけば、きっとみんな引っ張りだこよ。良い仲間に恵まれるといいわねぇ」

 

 おばさんの言葉に、馬車の中がざわつき始める。

 

「紅魔族? 紅魔族が三人も乗り合わせているのか!」

「この旅は安心だな。俺達の仕事もなさそうだ」

 

「ご安心を。この私は、紅魔族随一の天才と呼ばれた『アークウィザード』です。モンスターが襲ってきても、大船に乗ったつもりでいてもらえばいいですよ!」

「そして、この俺は『アークウィザード』でありながら『アークプリースト』の素質を持つ紅魔族随一の異才、踊って戦えるスーパースターな賢者! 夜中の警護は任せてくれ!」

 

「おおっ!」

「流石紅魔族!」

 

「ちょ、ちょっとちょっと、めぐみん、とんぬらも! 護衛の人たちがいるんだから任せておきなさいよ!」

 

 紅魔族の中で変わり者な常識人の少女は小声で注意してくるも、こういう時にアピールするのは紅魔族の流儀である。

 ――そのとき、とんぬらはすん、と鼻を鳴らした。

 

「………」

 

 ちょうどそこで外から影が差すが、とんぬらは席を移動してでも窓の外を見るようなことはしなかった。

 

「ねぇ、お兄ちゃん、この仔、私が抱っこしてても良い?」

 

「ああ、構わないよ。ゲレゲレ」

 

 向かいの席の女の子に仔豹を預けると、しばらくとんぬらは目を瞑ることにした。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 お昼過ぎとなり、商隊は馬を休ませるためにも休憩を挟んだ。

 『アルカンレティア』から『アクセル』まで、だだっ広い平野がずっと続く。そんな四方見渡す限りの大平原で、各々自由に寛ぐ。

 

「のどかだね……こんな景色を見てると、王都の方で魔王軍が暴れてるなんて話がウソみたいに思えてくるね……」

 

 芝生の上に横座りするゆんゆんは、どこまでも広がる景色に目を細める。

 その近くでめぐみんは食事をし、とんぬらは今のうちに寝溜めしようと腕を枕に昼寝をしてる。

 のどかな風景に、ゆんゆんは先を見通すように遠くを見ながら、

 

「ねぇ、とんぬら。『アクセル』にいる『ドラゴンナイト』ってどんな人なの?」

 

「実際に会ったことがないから、噂でしか知らない」

 

 そう前置きを入れて、目を閉じたままとんぬらは語る。

 

「王族や貴族社会では割と有名な話らしい。隣国の下級貴族の少年が、『ドラゴンナイト』と呼ばれる超レア職業に、しかも最年少で就いたそうだ。その少年は素晴らしい『ドラゴンナイト』の才を見せ、槍を持たせれば王国一、そして生まれながらにドラゴンに愛され、真面目で誠実で忍耐強く人柄も良い、騎士の鑑のような人物だそうだ」

 

「へぇ、英雄みたいな人なんだ。でも、どうしてそんな人が駆け出し冒険者の街にいるの?」

 

「最年少の『ドラゴンナイト』は、姫様の護衛を任されたんだが、若い女子の憧れの的のそいつに、年近い姫様は恋しちまったんだと。でも、王族だから当然姫様には許嫁がいるわけで、『ドラゴンナイト』に告白するわけにもいかない」

 

「うんうん。それで?」

 

「そして、最年少の『ドラゴンナイト』は姫様の想いに気付いていたのか、大問題になることを承知の上で、彼女をドラゴンの背に乗せて連れ去ったんだ。国を相手の逃避行をしたんだよ」

 

「キャー! 何それ、すごい! そ、それで?」

 

「国を挙げて捜索をしたが全く足取りの掴めなかった『ドラゴンナイト』と姫様は一週間後に城へ帰ってきたらしい。姫様の嘆願があったのか、処刑こそされなかったみたいだけど、護衛役なのに一国の姫様を攫った少年は『ドラゴンナイト』の資格は剥奪され、家も取り潰しになった」

 

「つまりはお姫様を拉致ってエリート街道を棒に振ったろくでなしなのですか? お姫様を攫うのは悪い魔法使いと魔王の仕事と決まってるのですが、人様の仕事を奪ってはいけませんよ」

 

 食事をしながらも話は聞いていためぐみんの感想は聞いてなかったように、感極まったゆんゆんは目を赤くする。

 

「つ、つまりその人は、国の英雄としての名誉やエリート街道も捨てて、そのお姫様の小さな願いを叶えてあげたのね……!?」

 

「ああ……ゆんゆんの思ってる通りで、それが許されざる悲恋の物語だとか美化されて上流階級のお嬢さん方の間で特に広まってるんだ。それで、すべてを失ったが、姫様の許されざる夢を叶えた少年は国を追われて、駆け出しの街で冒険者を始めた、と」

 

 その最年少の『ドラゴンナイト』にできれば相談を、それからこれは自身というより、『ドラゴン使い』として右も左もわからないゆんゆんの先生を引き受けてもらいたい。

 のだが。

 語り終わったとんぬらは、そこで訝し気に渋面を作り、

 

「ただなあ。真面目で誠実で忍耐強い、それでいて強くてイケメンの、そんな御伽噺にしかいなさそうな完璧超人なんて、本当に存在するのか?」

 

 とんぬらがこれまで外で見てきた中で、その人物に最も該当しそうなのは、あの坊ちゃんな魔剣使いの勇者であるも、あれは違うだろう。

 それと同じようなことをやってのけた自称悪い魔法使いのリッチー師匠を知ってるため、まったくあり得ない話だとは言い切れないが、どうにも美化され過ぎて、夢見がちな淑女たちの幻想的な存在になってると一男性の意見として思うわけで、

 

「いるわよっ!」

 

 大声でゆんゆんに断言され、びっくりして目を開けたとんぬらは、そこで真っ直ぐに彼女がこっちを見てることに気付く。

 

「だって、真面目で誠実で忍耐強くて、そして、強くて格好良い、とても優しい人……私ひとり知ってるもの」

 

「あ、ああ……」

 

 それはどこのどいつだと訊くまでもないくらいに、口よりも訴える赤く光る目が凝視している。

 

「……族長の娘って、里にしてみればお姫様のようなものですよね」

 

「お、おい」

 

 ぽつり、とめぐみんまでそんなことを言い始める。

 

「ねぇ、どう思いますか? 族長よりゆんゆんをよろしくとお願いされた護衛役なとんぬら。一男性の意見をお伺いしたいのですが、一国のお姫様と逃避行してしまいたいと思うものですか?」

 

 視界に入ってないので実際に見えてないが、きっとその表情はにやにやと面白がってるに違いない。

 

「ど、どうなの、とんぬら? 攫っていきたい……?」

 

 そして、その問いかけに触発されてか、より目の光が強まった。広げた鉄扇を目隠しにして遮ってやろうかと思うも、期待するような眼差しに身体は蛇睨みされたように動けず。とんぬらが回答に困り果てたその時だった。

 

 

「モンスターが出たぞーっ!!」

 

 

 平原に護衛の冒険者の大声が響き渡った。

 

 

「よし! お客さんだけど、一冒険者として、モンスターとの戦いに参加するのは当然だ! じゃ行ってくる」

 

 グッと跳ね起きたとんぬらは、傍に伏せていたゲレゲレを従え、すぐ駆けだす。

 商隊の護衛を請け負った冒険者たちが、雇い主や客を守ろうと臨戦態勢を取り始め、そのうちの一人がこちらに気付く。

 

「紅魔族の先生方! 本来お客さんであるあんた方にこんなこと頼むのは申し訳ないんだが、モンスターの数が多い! 助けてもらえないか!?」

 

「何を言うんだ。俺達は同じ冒険者じゃないか! 力を合わせてモンスターを倒すのは当たり前のことじゃないか!」

 

「おおっ! 年若いのに、こんなことを言ってくれるなんて……ああ、俺達は冒険者だ!」

 

 がしっと握手を交わし、盛り上がるやりとりを見て、二人も立ち上がった。

 

「行きますよゆんゆん! これ以上あのヘタレに独り占めさせてはいけません!」

 

「先生方ってのがめぐみんの琴線に触れたのはわかったけど、めぐみんの魔法じゃかえって被害を増やすんじゃないの!?」

 

 陽の光を浴びて輝く紅い宝石が先端につけられた長杖をひっさげ、めぐみんはとんぬらの後を追い、そのあとを腰後ろから銀色のワンド取り出しつつ心配そうなゆんゆん。

 

「ふははははは、我が名はめぐみん! 紅魔族随一の天才にして爆裂魔法を操りし者! この地に巨大なクレーターを作ってみせましょう!」

 

「いや、これは……二人は待機した方が良いぞ」

 

 自信ありげなめぐみんに、地面の匂いをしきりに嗅ぐ仔豹の様子から察したとんぬらが忠告を飛ばす。

 

「何を言いますかとんぬら! この戦闘には紅魔族の威厳がかかっているんです! 滑り芸でこけたら評判が地に落ちてしまいますよ!」

 

「あんたの一発芸をぶちかましたら敵味方関係なしにぶっ飛ぶぞこの破壊神! とそうじゃないんだ、こいつは」

 

 言い終わる前に、地面が爆発した。

 地中から土を撒き散らして、潜んでいたモンスターが顔を出す。

 それは太さ直径1m、体長が5mほどになる、肉食性の巨大ミミズ。

 

「雑魚モンスターだが、女性冒険者の間じゃ気持ち悪いと悪評持ちのジャイアント・アースウォームだ」

 

「「!?」」

 

 クパッと開くピンク色の先端部を向けられ、先ほどの威勢もどこへやら、めぐみんとそれにゆんゆんは絶句して固まってしまう。あちこちで聞こえる悲鳴や怒声にも反応を示さないことから、意識が涅槃に飛び駆けてるかもしれない。

 

「こいつらは、身体は柔らかいし、丸呑みされる以外は大して危険はない。デカくて、タフだが、その程度だ。ただ、音や振動に反応するから魔法の詠唱をする時は気を付けるんだ」

 

 声を潜めてけれどしかりと伝わる音質で、冒険初心者なふたりに簡単に説明を終えると、すでに芸達者の支援魔法を自身に掛け終えていたとんぬらは、鉄扇より抜けば玉散る氷の刃を造り上げ、使役する仔豹に指示を出す。

 

「ゲレゲレ。風の如く動け。動きを止めず、とにかく捕まるな」

 

 戦法はヒットアンドアウェイ。

 元来、初心者殺しと呼ばれるモンスターは、雑魚モンスターをエサに、駆け出し冒険者を誘い出そうとする狡猾な、つまりは賢い魔物だ。作戦を出せば、その命令を理解できるだけの知能を仔豹は有しているのだ。

 

 とんぬらの指示通りに、ゲレゲレは風を纏ってるような自慢の俊足を生かし、縦横無尽に疾駆し、ジャイアント・アースウォームに体当たりをしては離れ、盲目の巨大ミミズを攪乱。素早くかける仔豹に振り回されてるところへ、とんぬらが駆け抜け、氷の刃で切り刻む。そして、トドメを仔豹にやらせる。雑魚モンスターをあと少しのところまで弱らせ、かつ冷凍して動きを鈍らせたところで、息の根を仔豹の牙で突き立てて止める。

 一人と一匹は、順調に狩りを進める、その一方で……

 

「めぐみん待ってぇっ! 気持ちはわかるけど! 凄くわかるけど、これだけ人がいるのにあの魔法は止めて! 皆を巻き込んじゃう!」

「離してください! あのキモいのを消し飛ばしましょう! こっち見てます! 見てますってば!」

「わかるけど! 私だって近寄りたくないけど、何とかするから!」

 

 あいつらは……

 こっちの忠告を無視して大声で騒ぐめぐみんとゆんゆん。魔法の詠唱を始めたゆんゆんへとジャイアント・アースウォームは狙いを定める。

 

「こここ、こっち来ました! ゆんゆん! ゆんゆんっ!」

「やめて押さないでやめて! 今やっつけるから盾にしないでぇ!」

 

 涙目のゆんゆんは、顔を引き攣らせながらも魔法の詠唱を行うも、巨大ミミズに睨まれてまた固まってしまう。目もないはずだが顔を向けられるだけで全身の毛穴が粟立つ。

 

「『花鳥風月・海猫』!」

 

 鉄扇に連なる氷の刀身、その形を融かしながら迸る冷水。とんぬらが振り切りながら高圧放射した水鉄砲は、三日月状に氷結し、その鋭き切れ味を保ったまま、飛鳥の如く空を奔る。

 それはジャイアント・アースウォームを輪切りに割断。宴会芸スキルとは思えぬ威力。

 

「落ち着け。中級魔法でも、ゆんゆんの魔力で放てばこいつらは一撃でやれる。半年間の特訓で見てきた俺が保証する」

 

「うん――『ファイアーボール』ッッ!!」

 

 続けて襲い掛かった二匹目のジャイアント・アースウォームには、ゆんゆんが対応。魔力の高い紅魔族が放つ魔法は、そこらの魔法使いの者とは格が違う。

 放たれた中級魔法の火球は、轟音と共に巨大ミミズの上半身を消し飛ばした。

 

「い、一撃!? 凄ぇ、流石は紅魔族だ……!」

「生命力の高いジャイアント・アースウォームをあっさりと……!」

 

 そこかしこで驚嘆の声があがる。しかし、紅魔族のふたりから見れば、今のはいささかやり過ぎだ。ミミズに対する嫌悪感、または励まされて張り切り過ぎたのか、大量の魔力を注ぎ込んだのだろう。

 効率性を無視し、オーバーキルも良いところな一撃ではあったものの、今の派手な魔法は周囲の冒険者を活気付かせた。

 

「『ハッスルダンス』――からの、『パルプンテ』ッ!」

 

 芸達者の支援魔法で器用度が上昇してるとんぬらは、ステップを踏みながら、詠唱を行う並列作業を終える。踊りから放たれる回復魔法と同等の効能のある波動が冒険者全員に振り撒かれ、同時に、彼らの動きを身軽にする。

 奇跡魔法のハヤブサのように倍速で動けるようになる支援魔法効果を引いたのだ。

 

「よし! ――ゲレゲレはゆんゆんの周りで牽制! ゆんゆん、今度はもう少し軽くで十分だ! ゲレゲレが動きを止めたら落ち着いて魔法を叩き込んでくれ――めぐみんは馬車で客たちを頼む」

 

 そういって、とんぬらは滑るように高速移動して、空を切りながらミミズを斬る。

 体力が回復し、いつもよりも速く動けるようになった冒険者たちはさらに士気が上がった。

 

「これは、回復魔法!? すげぇ、傷が治っていくぞ!」

「しかも、支援魔法までかかってるのか!? 紅魔族って、『アークウィザード』じゃないのか!?」

 

 大軍とはいえ雑魚モンスター相手に過剰な援助であるも、一気呵成に戦闘は終了した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「いやー、流石は紅魔族だな! 本当に大したもんだよ! まさか、あれだけのジャイアント・アースウォームをあっさりと屠るだなんて!」

「まったくだぜ、紅魔族は優秀な魔法使いばかりだとは聞いてたけどよ、ここまでとは思わなかった!」

「しかも今の話じゃ、これでまだ半人前だって言うんだろ? 本当にすげーよなあ……!」

 

 先ほどの戦闘のMVPであるゆんゆんは、馬車の真ん中の席に座らされて、一般客や冒険者から賞賛を受けていた。

 真っ赤に俯く少女は、倍速の支援を受け早口で呪文詠唱を繰り出しては火の雨でも降らしたかのように、高火力の中級魔法で大量の巨大ミミズの群れをあっという間に焼き尽くしたのだ。おそらく半分以上はひとりで撃退しただろう。

 

「本当にあなたが乗り合わせていてくれて助かりましたよ。『アクセル』に着いたら、ぜひお礼させてください。本来なら護衛の依頼も受けていないのですから、せめて既定の護衛料だけでも払わせてください!」

 

「い……いえそんな……私は、大したことは何も……」

 

 褒めちぎられて恥ずかしがるゆんゆんは、ボソボソと小さな声ながらも受け答えは頑張ろうとする。時折、視線を後続の馬車の方へと向けたりもする。

 

「しかし、少年の方も凄かったな。支援や回復、それに援護したり斬り込んだりとありゃあ八面六臂だった」

「魔法使いなのにあれだけ魔法もなしに戦えるとは……本当に『アークウィザード』なのか?」

 

 とんぬらは、この馬車には乗ってない。

 回復したり、支援したり、援護したり、戦場を駆け抜けながら、でも派手な攻撃魔法を使わず、地味ながらも獅子奮迅の働きで、味方の被害を最小限に抑えた影のMVPは、その回復スキルを見た商人らに戦闘で負傷した冒険者たちの治療をしてくれと頼まれたのだ。

 生憎と今回の馬車に『プリースト』は乗り合わせていなかったらしく、とんぬらは自分の席に変異種の仔豹ゲレゲレだけ置いて、ケガ人が集められている最後尾の馬車へと移った。

 

 そして、馬車の護衛を任されためぐみんは……

 

「お姉ちゃんは、リボンのお姉ちゃんよりもっとすごいんでしょう? なら、もっともっと強いモンスターが来ても安心だね」

 

「……そうですね、もっと強いモンスターが出てきたときこそが私の出番ですから。その時はお姉ちゃんの必殺魔法を見せてあげますよ」

 

「楽しみにしてるね!」

 

 話題の人物ゆんゆんとは違い、先ほどと同じ端っこの席で、女の子に励まされていた。

 馬車や一般客も巻き込んでしまう、使いどころも難しい爆裂魔法はできない。なので、先の戦闘では、ミミズに、若干、パニックになった姿しか見せられなかった。

 

「しかし、あんたは普通の人みたいだな。謙虚で、真面目そうで。何だか紅魔族のイメージが変わったよ」

「最初は紅魔族が乗り合わせているって聞いて、ちょっとビクついたがそんなことなかったよな」

 

「そそ、そんなこと……私なんて、里では変わり者扱いでしたし……」

 

「ていうかあんた、半人前だとか言ってたけども、実は紅魔族の中でも一番手の実力者なんじゃないのか?」

「とても半人前だなんて信じられませんよ。これは紅魔族一の魔法の使い手とか名乗ってもいいんじゃないですか?」

 

 ぐぬぬぬ……!

 

「お姉ちゃん、どこか痛いの? さっきの戦闘で怪我でもした?」

 

 女子クラス首席にして里一番の天才少女は歯を食い縛ってるのを誤解されたか、向かいの女の子に心配された。

 

 

「――紅魔族一の魔法の使い手だってさ。何だか照れるよね……」

 

 ようやく解放されたゆんゆんは、席の上で寝ころんでいたゲレゲレを抱き上げると膝の腕に乗せてめぐみんの隣に座る。

 

「倒せたのは雑魚ばかりですからね、周囲に人がいなければ、私の魔法ならもっと大量のミミズを倒せたはずです! これで勝ったと思わない事ですね!」

 

「べ、別に勝っただなんて思ってないわよ! ただ……ちょ、ちょっと私の方がこの馬車の人達に認められてるってだけの話で……」

 

 ……イラッとした。

 照れながらも満更でもない様子に、めぐみんは外の様子を見ながら何気なく、

 

「最年少の『ドラゴンナイト』はモテモテだったそうですね」

 

「な、なによいきなり。そりゃ私も、ミミズを倒したくらいで、英雄とまで思い上がったりはしないわよ」

 

「そういえば、とんぬらが向かった馬車には女性冒険者が多かったようですが。やはりジャイアント・アースウォームの見た目は女性冒険者にも受け入れがたいものなんでしょう」

 

「え……」

 

 それまで弾んでいたゆんゆんの声のトーンが一気に落ちる。

 

「戦闘を俯瞰できるところにいましたからね。とんぬらが女性冒険者を何人も助けるのが良く見えましたとも。あれは結構なフラグが立ったのではないですか? 流石は紅魔族一のプレイボーイです」

 

 男子クラスの中では大人びていて紳士的である。その年代にしては背が高く、あのイケメンな魔剣使いの勇者のような優男とは違うタイプだが、顔立ちも整っている方だ。紅魔族の琴線を刺激する仮面を付けたときにはもう卒業してしまっていたが、女子クラスの中で人気が一番あっただろう。実際、女子クラスメイトが集まった送り出し会でも彼の出立を惜しむ声はちらほらと上がった。

 水と温泉の都でも、アクシズ教団の女性信者から結構な人気があったようだし、紅魔族随一のプレイボーイというのもあながち嘘ではない。

 

「次の休憩時間ではきっと女性冒険者からちやほやとされるとんぬらが見れ」

「しゃあ!?」

 

 猫の悲鳴に言葉を切って、外の景色を見ていためぐみんがそちらを見れば、焦点のない赤目で腰の上の仔豹をぎゅぅぅっと抱きしめるゆんゆん。

 仔豹はじたばたもがくが、思いっきり抱きしめてるゆんゆんはそれに気づかないようで、その目と合っためぐみんはビクッと震えが走った。

 

「ゆ、ゆんゆん! ゲレゲレを絞めてますよ! 早く解放してあげてください!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 すっかり日が暮れた頃。

 もうすぐ馬を走らせなくなる夜間になる前に、キャンプファイヤーのように焚き火を中心とし、円周の陣形で商隊の馬車をバリケードのように停める。大型馬車を野営のための風除け、またモンスター襲撃に備えて防御壁代わりにするのだ。

 

「先生、さあどうぞ! たくさん食べていただいて、少しでも、使った魔力を回復してくださいね!」

 

「どうもありがとうございます」

「………」

 

 隊商のリーダーより歓待をされ、ゆんゆんはそれをにこやかに受ける。でも、目は笑ってない。美味しそうに焼けたお肉やら飲み物を一番最初に渡されたのだが、手を付けず、じっと焚き火の向こう側を見ている。

 

 十体編成の馬車。野営は大きく二つに別れて、五体の馬車でひとつの大きな焚き火を囲う。それが繋がって∞な感じとなっている。

 そして、めぐみんとは別の野営では、ひとりの少年が芸を披露し、大盛り上がりだった。

 

「――さあ、シーサーの氷像が完成だ! これは聖水で造ったものだから魔除けにもなるぞ! 形は問わないけどな。よし! 他に見たいものがあったら何でも言ってくれ! 俺が知らないものでも形を教えてくれれば即興でやってみせようじゃないか!」

 

 あそこだけ雪祭りが行われてるよう。とんぬらが宴会芸の氷彫刻スキルで見事な氷像を造っていた。

 やんやと持て囃され、そして、女性たちからキャーキャーと騒がれてる。

 

一撃ウサギ(ラブリーラビット)! とんぬら君、一撃ウサギを造って!」

「お金払うから! だから、カモネギお願い!」

 

 もうその道で食っていけそうな職人芸だ。里でも人気だった。戦闘の時も助け回ってたみたいだし、感謝してるものも多いだろう。

 ……でも、早く、空気が徐々に凍り付いてきてるこっちに来てくださいよ。このめんどうくさい娘はあなたの担当でしょう?

 あのヘタレもそうだが、このゆんゆんもあるえやそけっとの時にあれだけ焦ったというのに、普段になると現状維持のままで満足してる。今はあっちが色々と周りからの圧力で追い詰められてるが、こっちも背中を後押ししないとならないだろう。

 見てるだけでじれったいのだ。そして、目を背けたくなるようなとんでもない目をしてるのだ。

 

 とんぬらは、この視線を感じてないのですか……?

 

 最初の方はゆんゆんを担いでいた連中も、今では遠巻きで見ている。魔法を発動せずとも漏れる魔力が静電気のようにバチバチと弾けており、傍にいるのはいつの間にかめぐみんだけだった。

 

「ねぇ、『アクセル』に行くってことは、パーティメンバーを探してるんでしょ? どう? 良かったら、私たちのパーティに……」

 

 ひとりの女性冒険者が誘いをかけた時だった。

 

 

 ガンッ!! と、大きな音が響いた。

 

 

 驚いてそちらを見れば、隣に座るゆんゆんが、ジョッキを椅子に叩きつけていた。

 目は爛々と攻撃色を放っており、頬も朱に染まってる赤ら顔。顔を引き攣らせるめぐみんは、嫌な予感を覚える。

 ぼそり、と夜気よりも冷えた声が零れる。

 

「……とんぬらは私の」

 

 ビクッとカモネギの氷像を作成中のとんぬらの身体が震える。

 手を止めて、キョロキョロと周りを警戒してるが、こちらに背を向けてる位置取りなので気づくのが遅れた。

 

「『ファイアボール』」

 

 放たれた火の球が、向こうの野営地までひゅーんと放物線を描いて、女性冒険者の注文した氷像に直撃。

 咄嗟に避けてみせたとんぬらだが、振り返って、ゆんゆんを見て、氷像の如く硬直した。

 

「お、おい、どうしたゆんゆん、さん? いきなり魔法ぶっ放されるようなことをされる身に覚えはないんだが……」

 

 と、異常を即察して、この荒御魂を宥めようと声をかけたとき

 

 

「とんぬらは、私のパートナーなんだから!!!!」

 

 

 とんぬらだけでなく、野営地にいた全員が唖然とした。

 目も顔も真っ赤っかなゆんゆんは、どしどしと肩を怒らせながら隣の野営地へお邪魔する。これは変だ。いつか思い詰めたらグサッてやっちゃいそうなくらい病みそうな娘だったけど、それでも人目があるところでは理性は働くはずだ。

 

「キスだってしたし、お風呂にだって入ったのよ!!! 猫耳付けてにゃんってお願いしたことだってあるんだからああああ!!!」

 

「待て!! 待って!! 待ってくれ!! いったん落ち着いて話し合おうか!! 色々と誤解してるのはわかったから!! だから今すぐその暴露話は止めるんだ!!」

 

 めぐみんは、そこでふとゆんゆんが椅子に叩きつけたジョッキを手に取り、チョンと指に付けて舐める。

 

(あ、これお酒です。しかも度数が相当……)

 

 13歳だけど身体は大人なゆんゆんに商人は一番のお酒を勧めてしまったらしい。それで、どうやら酔っ払っちゃっている。色々と鬱憤を溜め込んでいた奥手な、めんどうくさい娘は、やや千鳥足ながらも、担当者のもとへ向かっていく。

 とんぬらがこちらを見つけて、いったいこれはどうした!? とジェスチャーを送るが、

 

「どこ見てるのよとんぬら! ちゃんと私を見てってお願いしたでしょ!」

 

 ぐいっと彼女に遮られてしまった。

 

「なのに……ヒック……どうしてとんぬらは……ヒック……他の女の子に優しくして……まだ子供だけど、逃避行したいなら……ヒックヒック」

 

「ああ、もう。わかったわかった。ゆんゆん、落ち着け。酔ってるだろ。ほら、水用意したから。まずはそれを飲んでだな」

 

 段々と泣き上戸になってくるゆんゆんを介抱しつつ、肩を貸して野営地の外へ、ひとまず人の目のないところへと連れてこうとするとんぬら。

 それを見ながら、めぐみんはゆっくりと自分の食事を済ませてから行くと決めた。

 

 

「……おや、ゆんゆんに人前では出来なさそうなことに及んでいるのかと思ったのですが」

 

「ご期待に沿えなくて悪うございました、密告屋」

 

 肉をがっつりと頂いて、腹も膨れたところで様子を見に行ってみると、そこにカマクラのように氷で出来たテントに、その前で小さな焚き火をつけているとんぬらを見つけた。酔っ払い少女は、白の肩掛けを丸めたのを枕に、それから自身のローブマントを毛布にして眠ってる。酔い潰れてしまったんだろう。

 

「ちょうどいいからゆんゆんを向こうに運んでやってくれ」

 

「嫌ですよ、こんなめんどうくさい酒乱娘の介抱など真っ平ごめんです。責任者が管理するべきでしょう」

 

「それができたらやってやるんだが、生憎と俺は戻れん」

 

「あんなに暴露されましたからね」

 

「それもあるが、そうじゃない。外での夜は皆と離れたところにいなくちゃいけないんだよ」

 

 昼頃、時間があっては寝て、徹夜の準備をしていた少年は、疲れたような溜息をつきながら言う。

 

「水の女神アクアの洗礼を受けるとアンデッドに好かれやすくなる宣伝文句を聞いたことがあるだろう? あれは本当だ」

 

 宴会芸で氷像を量産していたのにはちゃんと理由がある。聖水で造った氷像は、魔除けにもなり、この一夜をアンデッドモンスターに近づけさせない効能があるのだ。

 

「魔除けの氷像を壊されちまったが、どっちにしろ俺は野営地から離れて眠らないとならんから、変わりない。みんなこっちに来ちまうだろうからなぁ。まあ、俺が誘き寄せちまうから申し訳なくて護衛も断った。これは隊商の人にも話はつけてあることだ」

 

「そういうことでしたか。とんぬらは、アンデッドにもモテモテなのですね」

 

「その言い方は甚だ遺憾なわけだが、理由はわかっただろ? この眠り姫の世話を頼むよ。アンデッドの相手は慣れっこで護衛も必要ないけど、人一人を庇いながらは流石に大変だからな」

 

 安らかに寝息を立てる少女の髪を擽るように撫でる彼を見て、めぐみんは大きく息を吐いて、

 

「はぁ、そういうことなら頼みごとを引き受けてあげましょう。貸し一ですよ」

 

「高くつきそうだけど、わかった。でも、ゆんゆんを背負えるか?」

 

「ふん。どうせ私は昼の戦闘ではてんで活躍しなくて力は有り余ってますから」

 

 わざと拗ねたようにいうと、とんぬらは焚き火の調子を見ながら、自分よりも体の大きなゆんゆんを背負おうとするめぐみんへ、

 

「焦るなよ。あんたにはあんたにしかできないことがあるんだ。きっと紅魔族随一の天才の出番はやってくるだろうさ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 真夜中。

 ところどころ腐った肉が崩れ落ちた、見るも悍ましい姿をしたメジャーアンデッドモンスターのゾンビが群れて迫る。

 その光景は冒険者でも悲鳴を禁じ得ないインパクトがあったが、少年にすればこれは見飽きたものだ。

 アンデッドを浄化する『アークプリースト』の師を持ち、そして、それと相反するノーライフキングのリッチーの師を持つ。さらに、暗いダンジョンで極限状態に陥って名前を付けそうになるくらいゾンビに親しみを覚えてるとんぬらだ。

 聖水で造った氷細工のカマクラに身を潜め、じっと鉄扇を地面に指したまま待ち構えていた。

 

「『花鳥風月・猫柳』」

 

 あらかじめ水芸で打ち水して水浸しの地面から、間欠泉でも噴き出したかのようにゾンビを浄化する聖水が迸った。

 足元から噴き上がる強力な聖水に、上から散布される清らかな雨は、ゾンビの群れを溶かすように浄化して、崩れ落し……

 

 

「『カースド・ライトニング』!」

 

 

 闇夜より迸る暗黒色の雷光。

 それは少年が守りを固めたカマクラを打ち砕いた。

 

「最も警戒した相手だったけど、ひとり野営地を離れるなんて愚かな人間ね。おかげで狩り易かったわ」

 

 バサッと翼を羽ばたかせ、砕けたカマクラを見下ろす女悪魔が地の降り立つ。

 上位悪魔アーネスは嘲笑いながら、忌々しい聖水の氷を蹴っ飛ばして――いないことに気付いた。

 

 

「『雪月花・猫又』」

 

 

 アーネスの背後にいるゾンビの一体に変化していたとんぬらが、鉄扇より抜けば玉散る氷の刃を素早く成形。

 ひたり、と女悪魔の首筋に当てた。

 

「っ、貴様!?」

 

「悪魔臭がプンプンするから釣りをしてみれば、簡単に引っかかるとは愚かな悪魔だな。まあ、狩り易い相手で助かったよ」

 

 カマクラにいたのは、氷彫像でできたとんぬらの像。罠を仕掛けたのは、ゾンビに対してだけでなく、この今日一日付け回してくれた女悪魔にもだった。

 

「ぶっころりーたちに随分と痛めつけられたかと思ったが、俺が与えた傷も癒えてるようだ。しかし、ちょむすけに義理立てして見逃したというのに逆襲してくるとはな」

 

「ウォルバク様だ! ちょむすけなどとふざけた名前で呼んでくれるな!」

 

「たとえそれがあんたらのかつての主君だったのだとしても、猫様はめぐみんのもとで安らかな猫生を過ごしてる。それを荒立てるのはあまり感心せん」

 

「ふざけるな! あの方は人間になど飼われる御方ではない! 今は記憶を忘れて野生に帰ってしまわれてるだけだ。思い出せばすぐに暴虐の半身としての力をお見せになるはずだ」

 

「ふぅ。それを聞くに、ますますあんたを放置できなくなったわけだが。この状況分かってるのか?」

 

 アーネスに首筋に当てた氷の刀身に力を入れるとんぬら。

 

「……一度、賢しい人間に嵌められたんだ。小僧などと侮っちゃいない。念のための保険も入れておいたさ」

 

 ――きゃああああ!!

 夜をつんざく悲鳴に、ハッととんぬらは野営地の方を向いてしまう。

 まさか、この女悪魔がモンスターたちを誘導して……!

 

「隙あり!」

 

 意識を逸らしたそこで、アーネスは氷の刀身を裏拳で殴りつけ弾く。そして、とんぬらへ手を向け、

 

「『パルプンテ』っ!」

 

 それよりも早くとんぬらは奇跡魔法を放つ。

 けれど、虹色の光は霧散して、なにも起こさない。外れを引いた。

 

「焦って、詠唱失敗しちまったかい! 間抜け!」

 

 そして、アーネスの拘束魔法がとんぬらに放たれた。

 

「『アンクルスネア』!」

 

 蛇のように巻き付く魔法のロープに身動きが封じられたとんぬらは、地面に転がる。

 手も足も出ない、芋虫なとんぬらを見下ろし、ニタニタと女悪魔は嗤う。

 

「フフッ、命までは獲らないで上げる。貴様には一度見逃された借りがあるからね」

 

「随分とお優しいことだな。だが、まだちょむすけにはゆんゆんとめぐみんがついてるぞ」

 

「はっ! 貴様を除けば、あの中級魔法を使える小娘が最大戦力になるが、それも魔力を使い果たしちまえば、役立たずになるだろう。もうひとりは、策を弄するまでもない」

 

「なに?」

 

「あれは、魔法が使えないんだろう。今日の戦闘で詠唱すらしないのを見てすぐにピンときたさ。確か聞いた話じゃあ、紅魔族は上級魔法を覚えてこそ一人前らしいね。だから、まだ上級魔法を習得するための、スキルポイントを貯めてる途中なんだろう。どうだい? 図星だろ」

 

「くっ!」

 

 顔を逸らすとんぬらに。アーネスは、自論に確証が得られて、高らかに笑う。

 

「ハハッ! いいねぇ、その顔! そうそう、そういう悔しげな顔が見たかったんだよ!」

 

「……ふたりに手を掛けたら、にゃん、と言っても許さん」

 

「おお、怖い怖い」

 

 とんぬらの脅し文句を、アーネスは鼻で笑い、ひとつのスクロールを取り出した。

 

「これは、使い捨ての『テレポート』のスクロール。ちょっとこの平原でリザードランナーの巣を見つけたんだけど、そこに登録した」

 

 蜜よりも甘い復讐の味に、女悪魔は陶酔しているかのように目を細めて語る。

 

「貴様には、借りがある。ええ、私も紅魔族のふざけた連中に追い回されたんだ。そのお礼に、縛った(この)ままリザードランナーの巣へとテレポートさせてやる」

 

 リザードランナーの蹴りはもらえば骨折もの。

 身動きが取れない状態で、リザードランナーの群れに遭遇すれば逃げるのは不可能で、巻き込まれ袋叩きにされれば、生き延びられる確率はほとんどないと言っても良い。

 

「くそっ」

 

「じゃあね。もう二度と会うことはないと思うけど、その悔し顔は覚えておいてあげる――『テレポート』!」

 

 スクロールの魔法が発動し、とんぬらは平原から姿を消した。




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