この素晴らしい願い事に奇跡を! 作:赤福餅
突然の夜中のモンスター襲撃を凌いだ翌朝。
「……………もう、死にたい」
ガタガタと揺れる馬車の中で、夜襲での防衛線でMVPだったゆんゆんは体育座りで窓の外を見ていた。
昨日、ちやほやとしていた冒険者たちも今は彼女に話しかけず、そっとしている。
そんな今にも窓の外へ身投げしてしまいそうな少女の横で、席を変わっためぐみんはちょむすけを抱きかかえながら、何も言えずそれを見ている。
どうやらこの酒乱の気がある、めんどうくさい娘は、酔った時のことはきっちりと覚えている性質らしい。
紅魔族でも哀れむほどの黒歴史を作ってしまった族長の娘は、昨夜とは違う、死んだ目をしていた。そんな誰も話しかけられない中、
「ねー、お姉ちゃんって、お兄ちゃんの恋人なの?」
屈託のない顔で、向かいに仔豹を膝の上に乗せて座る女の子がそんなことを訪ねてきた。
無自覚にだろうが、それでも傷口に触れる言葉に、ゆんゆんの反応は劇的であった。どんな物理法則が働いたのかはわからぬが、椅子の上から50cmほど跳んで、それから慌てて女の子に手を振りながら、
「こ、ここここ恋人!? ち、違うわよ!?」
「でも、チューしたんでしょ?」
「あ、あれは救命行為で、そういうのじゃ……ないから」
いいながら、唇に触れてしまうめんどうくさい娘は手遅れだとめぐみんは呆れ果てる。
でも、いつまでもこう隣で落ち込まれるのは迷惑なので、ショック療法で立ち直ってもらいたい。
「じゃあ、どういう関係なのー?」
無垢な幼児は無敵だ。
魔性の妹こめっこを見ていて思うが、空気なんて読まないし、純粋な眼差しからされる追及に、黙秘権は通用しない。
「私ととんぬらは……………なんだろ? 友達にならない、って断られたし、旅に付き合ってくれるのも有り金全部あげたからで……」
「ゆんゆん、そういうととんぬらがとんでもない最低野郎になりますよ」
「ええ!?」
彼女?がいるにもかかわらず他の女に浮気するプレイボーイ。
なんて、ゆんゆん酒乱事件からそんな噂が立ち始めているというのに、それに加え、彼女と思しき少女とはただの遊び相手に過ぎない関係で、しかもチョロい娘を騙くらかして金ヅルにする……
事実、友達を断ったり、金銭もいただいたがそこまでの
「そんなんじゃないわ! とんぬらは、上位悪魔や魔王軍幹部にだって立ち向かえる勇気があって、それに頼り甲斐があっていつも私を助けてくれて、どんな話をしてもちゃんと聞いててくれる、とても優しい人で……」
弁護なのか惚気なのかもわからないのを語ってる内に頬の朱を段々と濃くして熱をあげるゆんゆんは言い切らず、弱く握った拳を口元に当てて、視線をそらし、途中で思い耽ってしまう。
それから、女の子がこてんと小首を傾げたのに反応し、ハッと再起動、
「ね、ねぇ、めぐみん、私ととんぬらってどういう関係なの!?」
尻を蹴っ飛ばしたくなったり、爆裂魔法をぶち込みたくなるような関係です――と見たままを語ればいいか。
もう付き合うのもめんどうくさいので、めぐみんは簡潔に一言。
「パートナー、なんじゃないんですか」
いろいろな意味で。
ただそのとき、昨日のことがあって、顔が合わせづらいと思われてる少年は、逆に、最後尾の馬車にいる人らは、昨日のことがあって、今は彼女に謝りに向こうへ行っているものだと思われている。
モンスターの夜襲でごたごたとあって商人も乗車確認は怠ってしまっており、今現在、乗客がひとり足りてないことに気付いたものはいなかった。
♢♢♢
――最後のゴブリンが地に倒れる。
「ふぅ……なんとかなりましたね。まあ、我々紅魔族にかかればこんなものでしょう」
「私と冒険者の人達で倒したのに、どうして一仕事終えたみたいな感じで言うの!?」
もうすぐ『アクセル』といったところで、なんと今旅三度目のモンスターの襲撃があった、
二度あることは三度ある、というがのんびり馬車の旅だと、高を括っていたものとしては予想外の一言に尽きた。
「旅をするのは初めてですか、こうもモンスターに襲われるものなのでしょうか」
「い、いえ、いつもはこんなのはないんですよ。一度でも珍しいのに……」
どうやらこれは商人にも思わぬ事態らしい。これだけの人数のいる商隊が昨日今日で三度も襲撃されるだなんて異常だ。
そして、異常と言えばもうひとつ、
「……めぐみん、とんぬらは見た? 私、さっきの戦闘じゃ見かけなかったんだけど」
「いえ……私もとんぬらは見ませんでしたね。戦闘には参加していなかったようです」
いくら顔を合わせづらいからと言って、襲撃があれば義務がなくともモンスターと戦闘に出てくるだろうと考えていたが、どうも当てが外れた。
それを、ゆんゆんは沈んだ面持ちで、
「私が、あんなことしちゃったから……」
「まだ寝てるんじゃないんですか。夜はアンデッドと徹夜すると言ってましたから。襲撃にも気づかないくらいぐっすりしてるんだと思いますよ」
これ以上落ち込むのか勘弁願いたい。
「うん……じゃあ、まだ声をかけるのは遠慮した方が良いわよね」
完全にではないがゆんゆんは納得してくれたところで、
「お姉ちゃん」
と、馬車の中に隠れていた女の子が、おばさんに連れられて顔をのぞかせる。
そして、ニコッと笑い、
「それと、お兄ちゃん達も……どうも、ありがとう」
ぺこり、と折り目正しく頭を下げる。
感謝の一言に、へたり込んでいた冒険者たちの顔にも笑みが浮かぶ。
三度もモンスターに襲撃されたが、この笑顔のためだと思えば文句を言えなくなってしまう。
「どういたしまして。この程度のモンスターぐらいなんてことないですよ」
「ねぇ、だから何もしていないめぐみんが、どうして一番仕事したような顔するの!? これまで何もしてないじゃないの!」
ほとんど魔力を使い果たしてへたり込みそうになるゆんゆんが、食ってかかる。
それを見て、冒険者や客たちの間に笑いが零れた――その時だった。
「『カースド・ライトニング』!」
甲高い女性の声が響き渡り、一筋の閃光が迸る。
空から放たれた暗黒色の閃光は、馬車に繋がれていた一頭の馬の頭を貫き、断末魔すら上げさせずに絶命させる。
上級魔法の不意打ちを受け、疲労困憊していた冒険者たちがすぐ臨戦態勢を取った。
そして、稲妻が放たれた先より、ローブを目深に被って角を隠そうともしない女悪魔が舞い降りる。
「フフッ、随分とお疲れのようだね。今度こそ、ウォルバク様を返してもらうよ」
背より翼を広げた上位悪魔アーネスが口元に薄い笑みを浮かべて、めぐみんらに宣告した。
♢♢♢
「もう諦めたのだと思ってましたが。こんなところにまで来るだなんて、お前も随分と慕われていますね」
めぐみんは、足元にいるちょむすけにぽつりと零すと、女悪魔へこれ見よがしにこの戦闘で役に立たない太々しい使い魔を抱え上げた。
しかしそれを盾のように掲げるのを見たアーネスの反応は思ったよりも薄く、むしろ余裕たっぷりに、見せつけるように広げた鉄扇で扇いでみせる。
隣でゆんゆんがギョッとした表情を浮かべた。
「もう降参するしかないよ。こんな場所に助けは来ない。紅魔の里の忌々しい連中はいないし、あの賢しい小僧だっていないんだ。詰んでるのよ、お前たちは」
「その鉄扇! とんぬらのでしょ! どうしてあなたが持ってるの! とんぬらがいないってどういうこと!」
ゆんゆんがアーネスに吠えたてたのを見て、すぐ気づいた。
今、女悪魔の手にあるのは、昨夜から姿を見ていない少年の『猫の手』という得物だ。
必死なゆんゆんに、その悪感情の味に舌鼓を打つアーネスは薄い笑みを大きくして、揶揄する。
「あらあ? まだ馬車にいないことに気付いてないのかしら?」
「なっ!?」
まさか、野営地を離れてひとりでいたときに上位悪魔に襲われ……!
「アイツは昨日のうちに始末したよ。ああ、殺しちゃいないさ。まあ、縛り上げてモンスターの巣に送ってやったけどね」
「―――」
絶句、する。
それでは、とんぬらはもう……
「ほら、小僧の形見くらいは届けてやろうかと持ってきてあげたよ」
アーネスはそういうと、鉄扇を……遺品を、膝をついたゆんゆんの前に無造作に放り投げる。
投げ捨てられた鉄扇を震える手で拾い上げたゆんゆんは今も微かに残るその彼の
「よくも! よくもっ! とんぬらを……! ――っ!?」
これまでにないほど目を赤くさせるゆんゆんが銀色のワンドを女悪魔に突き付けるが、魔力は収束せず、魔法は発動することなく拡散してしまう。
「歯軋りさせるほど悔しい顔、それに良い悪感情をありがとう。私好みの味だよ。でも、この中で最大戦力の紅魔族のお嬢ちゃんもガス欠なのはお見通しだ。つまり、お前らの中であたしに対抗できる奴はいないってことさ。他の冒険者も死にたくないなら邪魔するんじゃないよ! あたしの気分次第でここにいる全員は皆殺しになるんだ! 生かしてほしくば、とっととウォルバク様を引き渡しな!」
「舐めないでください。ゆんゆんが魔力切れだろうと、私の魔力はまだ有り余ってますよ。ゆんゆんにも、とんぬらにも勝った、紅魔族随一の天才である私が」
「見栄を張るな未熟な紅魔族」
………。
ライバルを亡き者にされ、激しい憤りを覚えていためぐみんであるも、今の発言はさすがに聞き流せないものだった。
「おい、未熟な紅魔族とは誰のことだか聞こうじゃないか」
「あんただよ。魔法が使えない『アークウィザード』なんだろ? あの賢しい小僧から確認は取ってあるよ。あたしがけしかけたモンスターに詠唱すらしないあんたは魔法が使えないんじゃないかって訊いたら、すぐに顔に出ちまってねぇ」
大所帯の商隊が三度もモンスターに襲撃されたのは、この女悪魔によるもの。
上位悪魔であれば、ちょっと魔力を篭めて威圧してやるだけで、弱いモンスター程度を追い立てることができる。
……は? とんぬらから私が未熟な紅魔族だと確認を取った?
戸惑いを覚えるめぐみん。
一目見たときからピンと来て、己が覚えようと望む魔法を察した、
まさか――と気づきかけたその時、『盗賊』の冒険者がアーネスに奇襲を仕掛けた。
今の今まで冒険者たちからも気配を覚らせない『潜伏』のスキルで上位悪魔に接近した冒険者はそのナイフを振り上げ、
「鬱陶しいっ!」
無造作に振られた腕をもらい、大きく弾き飛ばされた。
隙など、ない。
たとえあったのだとしても、ここにいる冒険者程度に突かれるものではない。
それほどに実力差は隔絶としているのだ。
地面を何度もバウンドして転がる『盗賊』は、その腕はありえない方向に曲がって、昏倒していた。その様に恐れを覚えないものはいない。重装備の『戦士』、冒険者たちのリーダーは、恐怖を振り払おうとして、震えた声で号令をあげる。
「この……っ! おい、お前ら! 取り囲め!」
冒険者たちは集団で一斉に女悪魔に襲い掛かるが、アーネスからすればそれは烏合の衆。
「――な、なんだコイツは、デタラメに強いぞ……! 何でこんなに強い大物の悪魔が、駆け出しの街近くにいるんだよっ!」
鎧袖一触。
魔法を使わせることもできず、二十人以上いた用心棒の冒険者たちは打ちのめされた。装備は砕かれ、中にはすぐに治療せねば危ういものまでいる。
馬車も走らせることはできず、乗客たちは怯えながらこの一方的に蹂躙される戦況を見ていることしかできない。
戦える者は、もう二人だけ……
「アーネス、勝負です! この私と勝負です! 我こそは、天才と呼ばれし者にして、紅魔族随一の魔法の使い手! あなたの目的はこのちょむすけでしょう! 私に勝った暁には、もれなくこの毛玉があなたの物に……いい加減話を聞いてください!」
めぐみんがお目当てのちょむすけをエサにするも、アーネスは全く目を向けない。弱者の戯言と相手にするまでもないのだろう。
「煩いよ! この口だけ一人前な紅魔族が。ウォルバク様を盾にしておいて、勝負しろだって? ハッ、笑わせてくれる。お前の相手は最後だよ。でも、ちゃあんと、全員仕留めたら賢しい小僧のところへ送ってやる」
「このおおおおおっ!!」
魔力が枯渇しているにもかかわらず、黒の漆塗りの
しかし、わざわざ近寄ってきてくれたことに感謝するようにアーネスはにんまりと口角を吊り上げ、
「『ライトニング』!」
「あがっ……!?」
魔法の電撃を打たれ、直前にしてゆんゆんは倒れ伏してしまった。
「短刀なんかで何をするつもりだったの? 魔法を使えない紅魔族なんて、これ以上にない役立たずじゃないか。……そこの、口だけは一人前の紅魔族のこともだけどね」
黄色い瞳を剣呑と輝かせ、アーネスは痺れて動けないゆんゆんをローブの襟元を摘み上げ、
「ゆんゆんっ!」
「ほうら。大事なお仲間がもうひとり死んじゃうかもしれないわよ。早くウォルバク様をお渡し!」
口元を歪ませ、悪魔の取引を持ち掛ける。
「ダメ……ちょむすけを、渡しちゃ……」
捕まったゆんゆんが、息も切れ切れに言う。
「お願い、めぐみん……私のことはいいから、とんぬらの仇を取って……」
「生意気言うんじゃないよガス欠の小娘が! ちょむすけではなく、ウォルバク様と言い! ――『ライトニング』ッ!」
再び雷撃が迸り、ゆんゆんの身体を打つ。
その痛ましい悲鳴にめぐみんは、ついに屈した。
「わかりました! わかりましたから! ゆんゆんを離してください! ちょむ、ウォルバク様を渡しますから!」
これ以上、人質交渉も無理だった。
「最初からそうすればいいんだ。でも、お前にはお金も奪われたからね。その利子も入れて、痛い目に遭ってもらおうか。そしたら、ここにいる全員の命は助けてあげる」
「っ、……わ、わかりました……」
挑発に乗って、捕まってしまった自分のせいで、ライバルが、自分よりも凄い魔法使いが負けを認めてしまった。
それを助けてくれる冒険者も全員倒された。上位悪魔の要求を呑もうとしてるめぐみん。
みんなを……助けて……
魔法使いの長杖から手を放すライバル――一番の親友を見て、少女は願う。
――助けて、とんぬら!!
――そのとき。
ドドドドドドドドドッ!!
地面に倒れ伏した冒険者たちだけでなく、誰もがこの地響きを覚えた。
そう、馬よりも、騎鳥よりも、騎竜よりも高速で駆けるものが、大量に押し寄せる気配。思わず、何かがやってくると察知した方角に視線をやれば。そこに。
「リザードランナー……!?」
馬車隊の天敵ともいえるモンスターの群れがあった。
先頭を行くのは、赤いメス、それも昨日ゆんゆんとめぐみんが見たものよりも一回りサイズのデカい。あれは、姫様ランナーだ。
リザードランナーは、危険度の低いモンスターとされているが、姫様ランナーと呼ばれる大きなメスの個体が生まれると、途端に厄介な生物に変貌する。
姫様ランサーとつがいになるべく、リザードランナーが続々とその後を追い、やがて群れを成し、そのどんどんと膨れ上がっていく集団がレースを行う。
なので、繁殖期に入ると毎回、ギルドでクエストが発注される。
「ちっ、面倒なのが来たか――失せなっ!」
これまで三度もモンスターの大軍に殺意を浴びせてけしかけた女悪魔。
上位悪魔アーネスは、軽く魔力を視線にこめて、睨む。
ドドドドドドドドドッ!!
だが、リザードランナーの群れは止まらない。
「失せろっ! 雑魚モンスター!」
上位悪魔アーネスが強めに威圧をかけるが、通じない。
ドドドドドドドドドッ!!
リザードランナーの群れは、真っ直ぐ、脇目もふらず、女悪魔を目指してくる。
「くそっ、こいつら……あたしは上位悪魔だぞ!」
ギリギリまで粘ってそこを動かなかったが。
弱いモンスターを散らすこともできないことにいたく悪魔のプライドが傷つけられたアーネスだが、リザードランナーになど付き合ってられるかと翼を羽ばたかせ、空を飛ぼうとする――それを逃さぬように、先頭の姫様ランナーが跳んだ。
疾走の勢いをつけて、ライダーキックをアーネスめがけて放った。
「なにぃ!?」
悪魔にも思いもよらぬ行動。一体何がそこまでアーネスに執着させるのか。
だが、それでも上位悪魔。
反射的に雷撃の魔法で的のデカい姫様ランナーを撃ち抜く――
「『モシャス』解除!」
狙い定めた途端、それは少年の身体に変化した。いや、戻った。
「とん、ぬら……!?」
先頭を走る姫様ランナーに化けていた仮面の少年は、この勢いのままに空を飛ぶ女悪魔の腕に捕まったゆんゆんを奪還し、転がるように着地する。
「貴様っ!? まさか生きて――」
驚いたのはアーネスもだったが、振り向く余裕はなかった。
そう、ピョンピョン姫様ランナーに続いて次々と跳ぶ……巣から誘導された、この魔物の中の王者ドラゴンだろうと蹴っ飛ばすリザードランナーの群れがアーネスに雪崩れ込んだのだ。
♢♢♢
「徹夜で夜通し走らされたというのに小休止もくれんとか、ちと無茶ぶりが過ぎるんじゃないかね」
不時着ながらも少女の身柄を胸の内に抱きかかえて守ってみせた仮面の少年は、今もまだ夢見てるように呆けてるゆんゆんへ、不敵に笑いながら冗談めかすように囁く。
「だがまぁ――攫いに来たぞ、お姫様」
♢♢♢
「とんぬらっ!!」
めぐみんの前で立ち上がったその仮面の少年はやはりあのライバルだ。
ゆんゆんが持っていた自分の鉄扇を手にし、こちらを振り返りもせず背中は語る。
「いつも美味しいとこ取りしてくれる紅魔族随一の天才の出番をこれから作ってやる。準備しておくんだな」
「この、……ええっ! わかってますよ! わかってましたよ! 我がライバルが悪魔になどやられないことは!」
目に力が戻っためぐみんに、ふっと笑みを漏らし、青く目を光らせるとんぬらは広げた鉄扇を頭上に掲げ、虹色の波動を拡散させる。
「『パルプンテ』――ッ!」
それは、水と温泉の都で『アークプリースト』の資質を開花させて、解放された奇跡魔法の新たな効果発現。
体力と魔力を全快にさせる回復の波動に、負傷していた冒険者たちは復活した。
「この……ここまで、コケにしてくれた小僧は、お前が初めてだよ」
「紅魔族は売られた喧嘩は買うのが掟でな。それに忠告したはずだ。二人に手を出すなら、許さんと」
リザードランナーに埋もれていたアーネスは、モンスターの身体を吹き飛ばし、そして、とんぬらは円周上に封鎖するように、冒険者たちが上位悪魔を包囲する場へ踏み出す。
「ゆんゆん!」
「『ウインドカーテン』ッ!」
抜けば玉散る氷の刃を成形し、風を纏う支援魔法を受けた仮面の少年が、上位悪魔へ切り込む。
「『雪月花・猫被り・猫足』」
自分を中心に逆巻く旋風に雪精の白霧を溶かし込み、その実体を温度差で発生する蜃気楼で揺るがし、かつ滑るようにほとんど体を動かさずに高速移動し、間合いを幻惑する。
「『ライトニング』ッ!」
「『ライトニング』ッ!」
アーネスが雷撃を放つも、同時、後衛のゆんゆんも銀色のワンドより電撃を放ち、相殺する。そして、攻防の一工程無駄撃ちにされた上位悪魔に滑り込んだとんぬらが一太刀を浴びせる。
悪魔の肌を焼く強力な聖水の威力に、女悪魔は顔を強張らせ。
「くぅ、この……!」
「どうした? 動きがトロいぞ。悪魔でも徹夜で働くのはお疲れなようか」
「舐めるな人間っ!」
空を飛んだアーネスが手を空に掲げ、巨大な火球を作り出す。
喰らえば、骨も残さず焼き尽くすほどの威力を前に、とんぬらは居合抜きするように氷の太刀を構える。
そして、
「『ファイアーボール』――ッ!!」
前衛が気を引いている間に準備した、渾身の、全力の魔力を篭めて放った族長の娘の中級魔法。
それは上位悪魔アーネスの、まだ力を集約させてる途中とはいえ大火球にも負けないほどの大きさの火球で、またも女悪魔の魔法は相殺される。
そこへ、すかさず。相殺されると信じていたように、鉄扇を振り切っていた。
「『花鳥風月・烏猫』――ッ!!」
真っ黒な氷彫刻の飛鳥が、空を飛ぶアーネスに直撃する。
「がっ――!?!?」
瞬間、アーネスに襲い掛かる酩酊感。
とても飛んでいられず地に墜落する。
喰らった傷口から、黒い瑕疵が急速に広がる。
これは、聖水じゃない。身を蝕んでいくこれは、毒だ。
「!? なな、なんだこれは……! 上位悪魔を……侵す、毒、だと……!?」
「驚いたか。まあ、これは魔王軍幹部から食らって、取り込んだ毒だ。オリジナルほど酷いものではないが、上位悪魔でもデッドリーポイズンスライムの変異種の猛毒は辛かろう」
水と温泉の都で、ドラゴンの固有スキルで魔王軍幹部ハンスの猛毒を取り込んだとんぬらだからこその、発展芸。聖水ではなく、上位悪魔にも通用する毒水。
元々、色付けして血糊ができたが、水芸はさらに変異的な発展を遂げていた。
「あなたは本当に紅魔族の変異種ですね」
「あまり言うな自覚はしてる――それじゃあ、あんたの出番だめぐみん」
「ええ、一発で決めてやりますとも!」
とんぬらは包囲陣を敷いていた冒険者たちと共に、ゆんゆんを連れて後退。そして、長杖を拾い上げためぐみんが、前に出た。
「……な、なな、なんだそれは……!?」
猛毒に魔力すら練ることができないアーネスに向けて杖を構えるめぐみん。詠唱と共に膨れ上がる暴力的な魔力の波動に、顔が一気に蒼褪めていく。
紅い魔石の先端部に集う、膨大な魔力が圧縮された白い光。
馬車の中から成り行きを見守っていた乗客たちに、冒険者までも息を飲んでその光を見守っている。
魔力のない人間にも、これが破滅の光だと本能的に理解させられる。
「……それは何の魔法だ?」
「爆裂魔法です」
めぐみんの即答に、アーネスはビクリと震えた。
上位悪魔を超える公爵級の最上位悪魔にさえダメージを与える、人類最強の攻撃魔法。それが爆裂魔法だ。
「お、お前、魔法が使えないんじゃ、なかったのか!?」
「だから、そんなこと一言も言ってないじゃないですか」
「俺も訊かれたが、何も言ってない。勝手にあんたが勘違いしただけだろう」
ふざけるな! と叫びたかった。
そんな馬鹿げた魔法を覚えていると知っていれば、真っ先にめぐみんを排除していただろうに。
「……わかった、今回は引き下がるよ紅魔族。未熟じゃない立派だよあんたは」
「別に謝らなくていいですよ。弁明も聴くつもりはありませんし。前回そこのとんぬらは見逃しましたが、本来、紅魔族は戦闘において容赦のない種族なのです。私はあれだけのことをしてくれたあなたをこのまま見逃すほど甘くないですよ?」
その宣告に、アーネスは毒に侵されながらも魔力を無理やり操り……!
「『カースド・ライト
「『エクスプロージョン』――ッッッ!!」
このチャンスを逃すことなく。
紅魔族随一の天才は放つ必殺魔法が、この日初めて駆け出し冒険者の街の空を揺るがした。
♢♢♢
上位悪魔アーネスを爆裂魔法で撃退し、それに奇跡魔法で冒険者の怪我を全快した紅魔族の男女首席は、昨日のゆんゆん以上の賛辞を浴びせられる。
けれど、爆裂魔法に魔力と体力をほぼ使い切っためぐみんに、オスのリザードランナーと長時間追いかけっこしてへとへとのとんぬらはそれを受け応えてやることはできない。
できたのは、たったひとり。
『凄い魔法使いのお姉ちゃん、お兄ちゃん。お母さんと、皆を助けてくれてありがとうね!』
それで、冒険者は十分満足してしまうのだった。
それから『アクセル』の街のとある宿に部屋を、上位悪魔を撃退してくれたお礼にと、商隊のリーダーが用意してくれた。魔力切れの状態が酷く体がだるいめぐみんをまだ体力的に余裕のあるゆんゆんに任せると、とんぬらは疲れた体を引き摺りながらも、早速、冒険者ギルドの方へ向かう。
「……ここに来るのも、久しぶりだな」
道行く冒険者たちの装備はまばらで、まともな鎧を着ていないものがほとんどだ。
パーティの攻勢を見るに、前衛後衛のバランスが取れていないのも多い。でもそれは当然だ。
ここは駆け出し冒険者の街、すべての冒険者のスタートラインと言える場所。
ここでとんぬらは再出発の第一歩を始めるのだ。
石造りの街並みを懐かしむように踏みしめていると、不意に声を掛けられた。
「すいませーん、ちょっといいか? 冒険者ギルド的なものがどこにあるか教えてほしいんですが……」
見慣れない服装をした茶髪の少年と、水色の髪をした綺麗な……どこか見覚えのある少女。
二人とも、見た目からしてとんぬらより少しだけ年上だろうか。でも、敬語は崩しても構わない程度の差だろう。
「ギルド? この街のギルドを知らないとは、ひょっとして他所から来たのか?」
応じると、少年は安心したように、ほっと息を吐いて、
「いやあ、ちょっと遠くから旅してきたもので。ついさっき、この街に着いたばかりなんですよ」
「そうか。奇遇だな。俺もついさっきやっとこの駆け出し冒険者の街に着て、ギルドへ行くところだったんだ。よかったら、案内するぞ」
「あ、本当か! よし、それじゃあよろしくお願いしようか! ……ほら、行くぞ」
茶髪の少年は、後ろの水色の髪の少女を促す。
それから少女と少年は内密に何やら話をしているが、ちらりと視線をやってその歩き方から察するに、少年の方はまったくの素人というのがわかった。逆に少女の方には、こう、胸の内が震えるような感覚に襲われるというか、畏怖を覚える。
一体ふたりはどういう関係なんだ……? と内心首を捻りながら、冒険者ギルドへ到着した。
――冒険者ギルド――
冒険者に仕事を斡旋したり、もしくは支援したりする場所。
酒場とも併設されていて、中には常に荒れくれ者たちの喧騒が聴こえ、香ばしい肉の匂いや昼間からアルコール臭がする、とても賑やかなところだ。
少し雰囲気に当てられて怖気づいた茶髪の少年だが、年下の男子であるとんぬらが普通に入るのを見て、続いていく。
「あ、いらっしゃいませー。お仕事案内なら奥のカウンターへ、お食事なら空いてるお席へどうぞー!」
短髪赤毛のウェイトレスのお姉さんが、愛想よく出迎えてくれた。
とりあえず、とんぬらが冒険者ギルドに来た目的は、情報だ。『アクセル』でよく遺跡調査のクエストが発注される『キールのダンジョン』について新しい情報が入ってないか確かめに来たのだ。
だが、どうにもこの二人の新参者を放置できない。
(ミツルギといい、よくよくこういう相手に縁があるのだろうか俺は?)
特に、水色の髪の少女の方は、女神様のように美しい容姿をしているのだ。当然、入ってすぐ注目される。
『ねぇねぇ、いやに見られてるんですけど。これってアレよ、きっと私から滲み出る神オーラで、女神だってバレてるんじゃないかしら』
『いいかアクア、登録すれば駆け出し冒険者が生活できるように色々とチュートリアルしてくれるのが冒険者ギルドだ。冒険支度金を貸してくれたり、駆け出しでも食っていける簡単なお仕事を紹介してくれ、オススメの宿も教えてくれるはず。ゲーム開始時は大概そんなもんだ。本来なら、この世界で最低限生活できるものを用意してくれるってお前の仕事だと思うんだけど……まあいい。今日は、ギルドへの登録と装備を揃えるための軍資金入手、そして泊まる所の確保まで進める』
『知らないわよそんなもの。私の仕事は、死んだ人をこの世界に送ることだもの。でも、わかったわ。ゲームは知らないけど、こういった世界での常識やお約束ってヤツね。私も冒険者として登録すればいいのね?』
『そういう事だ。よし、行こう』
また二人で作戦会議を始める。
それから、四人の受付の内、一番列の長く待たされる美人の受付嬢へ行く二人を見て、なんだか気を抜かれつつも、とんぬらは空いてる男性職員の方へさっさと冒険者カードの照会と更新された情報を聞きに行く。
「……おや、君は久しぶりに見る顔だ。紅魔族のとんぬらだね」
「どうも。今日からまた『アクセル』を拠点にするつもりなので、冒険者カードの照会とクエスト情報を見に来ました」
「そうか、よし、では拝見させてもらおう……おっ、おお!? レベルも中堅までいっていて、またステータスも段違いに成長してるね、流石は紅魔族だ。知力と魔力は凄い数値だが、器用度もずば抜けてる、筋力、敏捷性、生命力も前衛職で活躍できるほど高い……ただ、運のステータスだけは低いのは変わってないようだけど」
「それはわかってますから言わないでください」
「『アークウィザード』なのが勿体無いようなそうでないような……っと、犯罪歴もないようだし、カードも本物で間違いない。これでいつでもクエスト受注できるぞ。それでほしい情報は何だい?」
「はい、『キールのダンジョン』についてなんですけど……」
とんぬらがギルド受付から特にこれと言って変わった情報は入ってきてないと話を聞き終わったところで、ちょうど番が来たあの二人組が、美人受付嬢と何やら話をして、一旦離れた。それから、ちょうど暇になったとんぬらを見て、今度は水色の髪の少女の方が来た。
「そこのあなた、アクシズ教徒でしょ!」
「え゛……」
いきなりこの世界では無礼千万な言葉に、思い切り表情筋を引き攣らせるとんぬら。しかし、自分語りに入った彼女はこちらの変化に気付いてる様子はなく、
「私はアクア。そう、アクシズ教団の崇めるご神体、女神アクアよ! 汝、もし私の信者ならば……! ……お金を貸してくれると助かります」
上からなのか下からなのか、よくわからない態度でお金をせびってきた。
「…………ええ、まあ、師匠がアクシズ教団の次期最高司祭なんですが」
「本当! ほら、見なさいカズマ! この子、私の信者よ!」
「待って、ください! 俺はアクシズ教団じゃ、ないですから!」
神主としての職業意識からか、どうにもこの少女の放つ雰囲気がやりにくく逆らい難い、つい丁寧語で敬なければ、という気にさせるのだ。
「アクシズ教徒ではありませんが、水の女神アクアには恩……があり、とても感謝……をしています。先程から様子を窺う限り、手持ちがないようでしたら、5000エリスをお納めしますので、それで」
「ええ。奉納金受け取ってあげるわ! それであなた本当に私の信者じゃないの? 何なら今からアクシズ教に入信して」
「勘弁してください本当に! お金も返さなくて結構ですから!」
これ以上関わるとまずい。
とんぬらは一礼すると逃げるように冒険者ギルドを後にした。
♢♢♢
「まさか駆け出し冒険者の街にまで、女神と自称するほど熱心なアクシズ教徒がいたとは……あのアクアという人……なのか? 上位悪魔と対決したときよりも疲れた気がするぞ……」
とにかく、早く宿に帰ってもう寝よう。
そう決めて、何か適当に屋台でふたりの土産でも買ってくかと路地を歩いてると、また精神的に疲れそうな相手と遭遇する。
「――とんぬらっ!? とんぬらじゃないかっ! 君も『アクセル』に来てたのか!」
駆け出し冒険者などとうの昔に卒業したはずの魔剣使いの勇者候補・御剣響夜一行とばったりと鉢合わせ、
「ちょうど良かった! 一緒にエンシャントドラゴンを討伐しに」
「『雪月花・猫被り』」
どろん、と鉄扇より白煙を出して、とんぬらは雲隠れで即逃亡した。
誤字報告してくださった方、ありがとうございます。