この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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22話

 ……どうしよう、本当に……

 

 あのお嬢様騎士に変化したことで良い感じにイメージが得られた絶対防御の鉄塊魔法『アストロン』。あらゆる魔法を弾き、アダマンタイト以上に全身を硬くするオリジナルの支援魔法だ。

 そう、あらゆる魔法を弾き、アダマンタイト以上に全身を硬くする……ので、指一本も動けないのである。

 

 ダンジョンで一ヶ月も結界の中に閉じ込められていたから、動かない事に関しては大丈夫。我慢できる。宴会芸にも石像のフリをする芸があるし。

 

 ただ、そこからどうやって戻ろうかというのが目下の悩みである。

 意識はあるのだが、声帯も動かないので術解除の詠唱も無理。かといって、外から解呪魔法をかけようにも、かの破壊兵器『デストロイヤー』を目指した魔法耐性は、あらゆる魔法を弾く仕様にしてるので女神級でもないと無理だろう。

 

(まったく、俺が考案したオリジナル魔法は恐ろしいな……)

 

 それから支援魔法をかけ続けて消費している魔力が底を尽きれば、勝手に術が解けてくれるかもしれないが、あいにくと優秀な紅魔族で保有する魔力には自信があり、それからドラゴンになった影響からか、こういう森のような自然の力が溢れてる場所では、怪我の治りを良くする自己治癒力が高まったり、消耗した体力魔力の回復は早くなる。

 つまり、こうして全く動かず森の中で休んでいると、支援魔法行使に消費する魔力量よりも、自然回復する魔力量が上回っているわけで……

 

(まったく、ドラゴンになれる俺の身体スペックは恐ろしいな……)

 

 自分の才能資質が恐ろしくなる。……本当、恐ろしくなっています!

 

(…………あれ? もしかして、俺、詰んでる?)

 

 このままだと、いつか、『そのうち、とんぬらは、考えるのをやめた』みたいな展開になってしまうのだろうか……いや、それよりも、だ。

 

(うおおおおお!?!? 自分の魔法に自爆するなんて、一発芸しかできない爆裂魔法使いよりもアホなんじゃないか!?!? オリジナル魔法開発に成功して最初嬉しかったけどそんな良い事尽くめのはずがないだろ!! 俺のバグった不幸ステータスを舐めてたああああっ!!!)

 

 ひとりの少女を守るために鉄塊の像となったとんぬらは、精神世界では、恐怖よりも羞恥に悶えていた。

 

 

「おいおい……本当、なんなんだコイツ……」

 

 光沢を放つ漆黒の巨大な体躯。

 背中に二枚ある蝙蝠の羽。

 禍々しさを感じさせる、印象的な角と牙。

 見間違えようなく、あの邪神の墓にいた上位悪魔だ。

 

 とんぬらの前には、『ドラゴンブレス』を喰らっても消滅せず、『エクスプロージョン』にすら耐えてしまいそうな、頑健な巨体を持つ鬼のような上位悪魔。前のアーネスよりも同じ上位悪魔だが格上で、おそらく魔王軍幹部級の実力者だろう。

 

「『人化』ができるかと思えば、こんな鉄の塊になっちまうなんて。俺様の上級魔法を防いだのは驚いたが、ヘンテコなドラゴンだなぁ……」

 

 凶悪な姿をしているくせに、何だかいやに味がある。

 それにこうして受け答えも、表情変化もしない鉄の塊に話しかけるなんて、わりと親身なのか。

 ガラス玉みたいな無機質な目が奥の方でチカチカと点滅し、今は興味津々というように細部まで視察している。

 

「しっかし、人間に化けれんなら、上位ドラゴンだ。それは間違いない」

 

 上位悪魔は警戒しているようだ。

 とんぬらもドラゴンの情報を集められるものは集めたから知っている。

 

 最強の魔獣の一角であるドラゴン。

 大きいものでは城ほどの大きさを誇る巨体。また個体により、様々な種類のブレスを操り、鉄よりも硬い鱗と、岩盤すらも易々と打ち砕く強力な爪牙を持つ。

 

 そして、悪魔族と同じようにドラゴン族も、大きく三つにランク分けされる。

 

 まず、卵から孵って100年しか生きていないのは、下位種。

 知能は動物並みで体もまだ小さい、けれど成長期ですぐに大きくなる。

 

 それから、100歳を超えたら、中位種。

 ここまで長生きすると、人語を解し、知恵もある。

 

 最後に、この中位種が更に幾星霜と時を重ね、完全に自我に目覚めたとき、そのドラゴンは上位種として認められる。

 そして、上位種となったドラゴンは、『人化』のスキルが使えるという。

 

 つまり、人の姿になれるドラゴンは、相当長い年月を生き抜いた上位種に限られる。上位ドラゴンは数少ないが、極めて強い。

 ドラゴン随一の凶暴性を誇るブラックドラゴンの上位種ともなれば、この上位悪魔でも全く相手にならないだろう。

 

「たしか、戦ってた時の姿は、ブラックドラゴンとは違う……かといって、色は白いが、ホワイトドラゴンでもねぇ……まったくの新種で、どのような固有能力を持ってるのかわからないが……しかし、長生きしてるはずの上位種でまさか新種を見かけるとは……」

 

 実際は、ドラゴンの姿になれる人間である。逆だ。

 上位悪魔の方はそれで警戒してくれてるようで、

 

「まあ、紅魔族に関わってるのとは、できればやり合いたくねぇ。……あのガキんちょが噛みついてきそうだし。ウォルバク様を連れてくれば、こいつは返してやるか」

 

 それから、またジロジロと観察を再開。

 小突いたり、殴ったり、投げたり、魔法を放ったり……あれ? 大事に扱うんじゃなかったのか?

 

 待ってる間の暇つぶしなんだろうが、段々と実験に遠慮がなくなってくる。

 人質交換を要求している悪魔の求める邪神の半身ちょむすけは、里にいる間は、魔性の妹こめっこに齧られたり、食い物にされかけたりと大変な目に遭ってたから文句を言い辛いけど、というか無抵抗で何も言えないけど、もっと丁重に扱ってほしい。

 

「うーん……そういや、『ドラゴン使い』と契約したドラゴンは首輪など従属してる証のようなものを身につけているもんだっけ? あと大概、額に契約印の紋章が浮かんでたりするんだが……

 この新種は、契約印こそ見つからねぇが、おそらくその仮面を『使い魔契約』の“鎖”としてんな。

 あと……『ドラゴン使い』も、普段制限させている力を解放させるための“鍵”を持ってるはずなんだろ? ドラゴンを連れて歩くときは形状を変化させたりして常に体の一部に身につけているはずなんだが、どうもあの娘は、前回のアレをつけてなかったな……

 もし、本能を解放されていれば、この俺様でも……」

 

 ぶつぶつと独り言をつぶやく上位悪魔より、とても興味深い話を聞いた。

 見た目が脳筋な木偶の坊みたいでも邪神の片腕を名乗るだけあって、知能は残念な感じがするが、知見が深いようだ。

 もっと話してくれないかな、と内心わくわくと悪魔の叡智とやらに拝聴していた、そのときだった。

 

 

「とんぬらを鉄塊にしてくれた上位悪魔め! 覚悟しろ! この魔剣『グラム』が貴様を斬る!」

 

 

 魔王軍から賞金首として手配されるほど危険視される、神々すら滅ぼせる魔剣使いが参上した。紅魔族の学校で教育をされたんじゃないかと思うほど格好いい感じに。

 だが、一方で、

 

「……なあ、俺様、そんなことしてないし、相手を鉄塊にする呪いなんてできないんだけど。こういうの濡れ衣って言うんじゃないか?」

 

(……なあ、俺って紅魔族随一の勇者を名乗ってるのに、勇者に救われる悪魔に呪いをかけられたお姫様ポジションに収まってない?)

 

 魔剣使いの勇者候補はそんな微妙な感じのする空気など読まず、果敢に上位悪魔へ挑んでいった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 あの上位悪魔の情報が報告されてから三日、ギルドはお通夜ムードとなっていた。

 それまで調査のため森への立ち入りにはレベル制限が設けられ、駆け出し冒険者たちは美味しい稼ぎ場を失った。

 最初は皆、大人しく平原でジャイアント・トードなどを狩っていた。

 が、血の気の多い冒険者たちがいつまでも大人しくしているわけがない。

 森へ入る許可はまだかとせっつかれたギルドは、上位悪魔の討伐を決め、レベル制限を緩め、討伐隊を募り始めたその時、

 森に入ることを許されていたかなり名の売れた冒険者グループ二組が、両方とも重傷を負わされ、悪魔討伐クエストを失敗してしまった報が入り、空気は一変した。

 

 魔剣を携えたイケメンが率いるパーティが一太刀を浴びせたようだが、文字通り“人質を盾にする”卑怯な戦法に、中核だった魔剣使いが怯んだところをやられた。

 それから“鉄の像にされた人質”を棍棒にする残虐非道な上位悪魔は、大剣使いレックスが率いる全員が前衛職のパーティを、一振りでかっ飛ばした。

 

 こんな『冒険者を鉄の塊にしてしまう呪いをかけてくるだけでなく、それを武器に使ってくる』という情報が広まり、稼ぎ場を奪われた鬱憤を晴らしてやると息巻いていた駆け出し冒険者のほとんどはクエスト受注を取り下げた。

 

 この魔王幹部級の上位悪魔は、駆け出し冒険者たちには荷が重い。ここは大人しく他の街からの高レベル冒険者の応援を待つとしよう、と。

 

 だが、応援要請は出していたが、今日未明にギルド本部に、急報が入った。

 魔王軍幹部デュラハンのベルディアが、大量のアンデッドを引き連れて、魔王城を出立したと。

 現在のところ、ベルディアの目的も行き先も不明。けれども、魔王城から最も離れた駆け出し冒険者の街『アクセル』は、戦略上重要でもないので襲われることはないと判断が下され、

 魔王軍幹部の件が片付くまで、他の街から援軍を出す余裕はない。悪魔騒動はこの街の駆け出し冒険者で対処してくれ、と。

 

 けれど、冒険者ギルドの職員が広めたのは、悪い報ばかりではない。

 つい先日冒険者登録をされた悪魔払いのエキスパート、レア職の『アークプリースト』が『アクセル』にいる。それも一部を除いたステータスが飛び抜けて高く、さらには全てのスキルを習得している超優秀な高位の聖職者……それから、女神の如き美貌を持つという。

 駆け出しの街の冒険者たちはその水色髪の女神様を誘いにギルドを出て、街を捜し回っているのだが……見つかるのは水色の髪の酔っぱらい芸人だけだという。

 

 そんな中で、受注を唯一撤回せず、超大型新人の『アークプリースト』を捜しにもいかない、あれから解禁されるまで、勝利のために感情全てを押し殺し、爪を研ぎ続けてきた少女は雌伏の時を終わらせようとしていた。

 

 

「さて、見ての通り、ギルドはもう頼りにならない状況です。それでも行きますかゆんゆん」

 

「……あと、一回だけ読ませてめぐみん」

 

 ボソリ、とした声で応答される。

 めぐみんがそちらを見ると、耳はこちらに向けているが目は手元、走り書きされた用紙の束に視線を走らせてゆんゆんが最後の確認作業をしていた。

 

「ドラゴンが傍にいる場合のみ、ドラゴンの力を一時的に宿し、強力な力を得る『竜言語魔法』……『ドラゴン使い』は、ドラゴンから力を借り受け、自身にその力を宿すことだけでなく、ドラゴンを強化し、その本来の力を引き出してやること……だから、『ドラゴン使い』とドラゴンは最強の組み合わせだとも言われる……ええ、絶対に悪魔に負けないんだから……」

 

 彼女が手に持っているのは、バイト(ボランティア)先の店長が仕入れてくれた、稀少な『ドラゴン使い』の教本。

 教本というより、走り書きのメモで、文字が汚く、魔導の秘伝書を読み解くのとは違う意味で読み取るのに難しいものだったが、知力の高い紅魔族の次期族長は、『竜言語魔法』がなんたるものかは理解した。そして、これまで上級魔法スキルをあと少しで習得できるだけ余裕のあったポイントを消費して、ここに記されたものは覚えた。

 そう、何回も、何十回何百回と、ひたすらに復習し、『アークウィザード』の大先輩である店長にも何度も頭を下げて理解できない部分の教えを乞うた。

 ペラ! ペラ! と、用紙束をめくる音にさえ殺意がこめられているように聞こえて、めぐみんはちょっと背筋に寒いものを感じた。まるで地獄の閻魔帳に記された殺害予告的なものを読み取ってるみたいだ。

 口にはしないが心の中で思う。

 や、ヤバい……これは後押ししない方が良かったかもしれない……

 

「(……この三日間、とんぬらが目の前で鉄の像にされ、攫われてから、ふつふつと溜め込んでいたのはわかってましたが……これがオーガも悪魔も裸足で逃げ出す、恋する乙女の恐ろしさで……)」

 

「めぐみん」

 

 ボソッとゆんゆんに言われ、小声を漏らしていた紅魔族随一の天才はビシィ!! と直立不動になった

 ゆんゆんは俯いたまま、表情の読めない顔でこう言った。

 

「大丈夫だよ、私は大丈夫だから――ちょっと、集中させてね?」

 

 のっぺりと、ものすごく平坦な声だった。

 言葉はそれっきりで、再びペラッペラッと『ドラゴン使い』の教本に目を通すゆんゆん。もうとっくに完全に暗記しているというのに、ぶつぶつと呪文の詠唱を口ずさみながら、頭の中に叩き込んでいく。

 あわわわわわわわーッ!! と周りにいた冒険者や職員までも口を閉ざし、震えあがる。めぐみんは心底から吐き出すように息を洩らした。

 解禁日の今日、飢えに飢えている狼のようにゆんゆんはとてもバイオレンスである。色々とあるんでしょうけど、めんどうくさい娘がブチコロシモードになっちゃってますから、上位悪魔には今のうちにご冥福を祈ってやった方が良いかもしれません、とめぐみんは腕の中に抱いてるちょむすけを見る。

 

(それだけ不安なのでしょう、ゆんゆんは)

 

 凄腕の魔法使いという魔道具店の店長とやらに確認してもらったし、効果は確かなのだろう。ただそれを覚えたと言っても、実際に試したことがないし、ぶっつけ本番になる。今は暴走気味でも事なかれ主義の小心者の彼女が不安でない筈がない。

 

(でも、ひとりではありませんよ)

 

 思わず、めぐみんは笑ってしまう。

 一年前まで、個人主義でドライな自分がこのようなことを思うとは。

 

 

 そして、少女ゆんゆんは立つ。

 やれることはすべてやる。雀の涙くらい魔力が上がるという、“これ”も持っていくことにする。

 ただ、自分は良いが……

 

「……めぐみんはいいの?」

 

「ええ、悪魔討伐に参加する理由は、報酬も美味しいですが、それだけではありません。考えてもみてください。有名な冒険者グループ二組が失敗したこの討伐で活躍すれば、自分からパーティに入れてと頼まなくても、他のパーティから引っ張りだこですよ。きっと、スカウトの嵐です」

 

 頼もしいライバルの発言に、少し張りつめ過ぎている気が緩んだ。

 

「しかし、ゆんゆんこそ、悪魔の取引に乗らなくていいのですか。とんぬらの身柄を、このちょむすけと交換だと向こうは言ってきたのでしょう?」

 

「当然でしょ。とんぬらに呪いをかけておいて、あんな悪魔の言葉は無視すればいいわ。相手は、とっても悪辣でずる賢くて、この世で最も信用しちゃいけない悪魔だもの。聞いたことぐらいあるでしょう? あの有名な、魂と引き換えに三つの願いを叶えるってヤツ! 何人もの魔法使いが、きちんと願いを叶えてもらうこともなく、魂だけ取り上げられたって話よ。そんな連中との約束だなんて、絶対に当てにならないわ。きっとちょむすけを引き渡しても、あっさり手のひら返されて、とんぬらを……ええ、噂ではとんぬらを武器にしてるとかふざけたことしてるみたいじゃない? 許せないわよね本当に。だから……」

 

「わかりました、ゆんゆん。そこまででいいです。あなたのヤる気は十分伝わりました」

 

 ちょっとめぐみんが顔を引き攣らせて、後退りしていた。腕の中のちょむすけもガクブルしている。足元のゲレゲレもブルブルだ。

 はて?

 世の中の一般常識を説いたつもりだが。

 

 ほら、今日、快く私たちのパーティに入ってくれた二人もきっと同じ意見で――

 

 

「悪魔殺すべし!」

「この街にのこのこと悪魔が来るとは、ぶっ殺してやるっ!」

 

 街の門の前で待っていてくれた『盗賊』のクリスさんに『クルセイダー』のダクネスさんも今にも森へ飛び出しそうなくらい意気込んでいる。待たせてしまったのが申し訳ない。でも、予習復習は万全にしておきたかった。確実に〇すためにも。

 

「ごめんね、とんぬら。三日間も待たせちゃって。でも、安心して……死ぬときは一緒だから……」

 

 結構絞まってきてる『願いが叶うチョーカー』に指に触れながら、ゆんゆんは覚悟を改めて刻む。

 

 ああ、箱入り娘が世間に出て変な色に染まってきてますね……と後ろでめぐみんが何故か嘆いていた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 神器の一刀を弾いた紅魔族随一の鉄塊こととんぬらです。

 ミツルギとの戦闘から、どうやら囚われのヒロインから、上位悪魔の棍棒兼盾な攻防備えた相棒に昇格しました。とんでもなく硬いところが気に入ってもらえたようです。

 おかげで扱いが、一気に、雑になった気がします。

 もうあまりに頑丈過ぎて守る必要性が皆無、人質交換まで丁重に扱う気も失せるというもの。それからクソ重いので、人質を手元に確保しながら戦闘するのが面倒、だったらいっそ得物にしてしまおうか、というノリで現状に甘んじてる。

 

 ……でも仕方ないんだ。

 

『キョウヤ! 勝てるのはあなたの『グラム』しかいないの!』

『そうよ躊躇っちゃダメ! 悪魔を倒すことだけ考えて!』

 

(こいつらあわよくば俺ごととか考えてねーよな!?)

 

 取り巻きに応援される坊ちゃん勇者は、苦悩しながらも、

 

『すまない、とんぬら! ……だが、君ならきっと……!』

 

(何浸ってるんだミツルギ! お前の俺への信頼度はどれだけ篤いんだ!)

 

 わかってくれるはずだ! みたいな空気を出して、全力解放はせずとも魔剣『グラム』で斬りかかってきた。火花を散らすほど激しくぶつかり合い切り結んでいたそのとき、身体だけでなく精神も鉄心だけど、かなりダークサイドに陥りかけた。容赦のなさもそうだが、その魔剣『グラム』はどうもドラゴン的に相性がよろしくなく、刃が肌を通らなくても怖いのだ。たぶん、このとき、自分は得物として上位悪魔ホーネスと一心同体の域に達したと思う。坊ちゃん勇者の鎧に、鋼鉄のヘッドバッドが決まったときはとてもスカッとした。

 きっとミツルギもわかってくれるはずだ。

 

『み、見つけたぞ悪魔! さあ人質を』

 

『シャラくせぇ! 行くぜ相棒!』

(おう!)

 

 そのあと上位悪魔ホーストは、もう一パーティを蹴散らしたが、それから武器(銘とんぬら)のポジションは悪魔の右手に収まった。

 

『お前、大丈夫か? 傷はついてないようだが……』

 

 と心配されたり、

 

『あの怪しげな魔剣と打ち合えるとはすごいなお前……』

 

 と褒めてくれたり、

 

『紅魔の里ではガキんちょが、こっちの思惑の斜め上なことばっかりするから大変でなぁ……』

 

 と幼児がベッドの中でヌイグルミに今日の出来事を語りかけるように、やけにフレンドリーに話しかけたり、

 

『おっと、土汚れがついてんな……』

 

 あと、意外に面倒見がいいのか時たま磨いてくれたり、

 

『へっ! ったく、しょうがねぇな』

 

(あんなにも俺を乱暴に扱ったり、盾にしてくれたりしたのに……なのに、どうして……こんなちょっと優しくされたくらいで……くっ)

 

 都合のいい扱いをされても、こう不意打ちのように大切にされてる感覚に、もう道具として冥利に尽きるというか……

 ――いや、ダメだ。ダンジョンでゾンビにどんな名前を付けようか悩んでた時と同じだこれ。落ちたらいけない方向に行ってしまいそうな気がする。

 でも、鉄塊になって三日間、話しかけてくれるのが悪魔しかいないから。今ならサボテンやマリモを友達としてしまう彼女の気持ちに非常に共感できる。

 一ヶ月くらいは自我を保てる自信はあるけど、そろそろ正気を維持したいし、人質としての扱いはどこ行ったんだと誰か突っ込んでほしい。

 

 

「――我が名はめぐみん! 紅魔族随一の天才にして、爆裂魔法を操る者!」

 

 

 高らかに名乗りを上げて現れたのは、めぐみんだ。

 その左右隣には、なんと常時アストロンなお嬢様騎士に逆らい難い銀髪の盗賊娘までいる。

 まさかこの三人で上位悪魔を倒そうというのか……!? 待て! 確かにめぐみんの爆裂魔法は強力だが、この相棒…じゃないホーストはその一発芸にも耐えてしまいそうな怪物だ。早く逃げろ!

 そして、上位悪魔は馬鹿をやってるあの天才の腕に抱かれた毛玉ちょむすけを見て、大声をあげた。

 

「おお! ウォルバク様ァァァァ! ……ああ、小さくなってしまわれてるが、この懐かしい匂いは間違いない。ということは、やっと交渉に来たってことか……って、あれ? 『ドラゴン使い』じゃないが……おいお前、どこかで見た顔だな。いや、誰かに似てるっていうか……」

 

 やはり、ホーストは邪神の配下、それも片腕であることは間違いないようだ。

 

「まあいい。よし、取引だ。ウォルバク様を引き渡せば、この上位ドラゴンは返すし、お前らにも危害を加えたりしねぇ。終わったら、俺様はとっととこの街からも去ってやる」

 

「悪魔の言うことを信じろって言うのかい?」

 

 『盗賊』の銀髪娘クリスさんが、これまでに見たことのないような冷たい目でホーストを睨む。

 

「まあ待てよ。俺達悪魔は、契約したことは破らない。これは悪魔としての絶対の掟であり決まり事だ。それに、俺様は街にまで出向いたりしなかったし、三日間も待った。極めて友好的に接してきたつもりだぜ? 怪しげな魔剣を持ってた兄ちゃんや襲ってきた冒険者どもには、ちょっとばかし痛い目を見てもらったが。降りかかる火の粉は払わせてもらうのは当然だろ。しかもあの兄ちゃんの方は俺達の間で手配されてるからな」

 

「人質のとんぬらをああして鉄の像のようにして、棍棒のように振るってたそうじゃないか! それは本当か!」

 

 ああ、突っ込んでほしいところを指摘してくれたのは、『クルセイダー』の金髪碧眼の貴族の令嬢ダクネスさんだ。

 

「いや、俺様はこいつを鉄の塊になんかするような呪いは掛けちゃいないぜ? 勝手になりやがったんだ。正直、こっちも訳わからん」

 

 すみません。俺の自爆です。濡れ衣を着せて申し訳ない。

 

「……だが、まあ、新種の上位ドラゴンだから興味本位でいろいろ試してみたり、思った以上に頑丈だから、つい、怪しげな魔剣を受けるのに使っちまったが」

 

 でもそれは反省してほしい。魔剣が当たるたびに精神力がゴリゴリ削れたから。

 

「武器扱いにされてると話には聞いていたが……くっ、私が変わってやりたいところだ!」

 

 おお、人質の身代わりを買って出てくるとは。何と自己犠牲も厭わない聖騎士だろうか。顔を真っ赤にして、頭に血が上るほど怒ってもらうのを見ていると、申し訳なくなってくる。

 

「身体を、鉄にされ、何もできないことを良い事にいったいどんなことをしたんだ! 武器にした以外にも色々とやったんだろ! 色々と! 一体、無抵抗な彼にどんな凄まじいハードコア変態プレイをやったんだっ! 是非、教えてくれ! 今後の参考にしたい!」

 

「……はっ?」

 

 最後の方は言い方がちょっと変だった気がするが、どうやらだいぶ心配させてしまったようだ。とても申し訳ない。こんな状態でもなかったら土下座したかったところだ。

 

 

 どんなこと、されたの……?

 

 

 ゾクリ、と無敵な鋼の肉体に走る怖気。どこからかとてつもなく恐ろしい物を察知したような。

 ただ、感じているのは俺だけなのか。上位悪魔の方は変わらず、動揺してるがそれは聖騎士の弾劾によるものだろう。

 

「待て待て! ちと人質にしては荒っぽい対応しちまったが、大事にしてたんだぜ。それに悪魔が人間に変態な意識するわけねーだろ!」

 

「くぅ、つまり、私達には言えないようなことを……とんぬら、うら――」

「ダクネスはちょっと黙ってようか」

 

 あまりに憤慨するダクネスさんを、クリスさんが抑えてくれた。

 そして、話はめぐみんへ戻る。

 

「とんぬらに呪いをかけたのをすっ呆けて、解く気がないことといい、人質の雑な扱いといい、随分と悪魔というのは交渉相手を無下にしてくれるものですね。信用できません。考え直す時間が必要ですね。ここは一度交渉をやめにしましょう。また人質交換は改めて……そうですね、このあなたが敬愛する毛玉をモヒカンヘアーにしてから、また」

 

「あ、おい、ちょ、待て!? だから扱い文句は謝るが、鉄になってるのは俺様のせいじゃないって言ってるだろうが!」

 

 そういって、めぐみんはくるりと背を向けて走って行ってしまった。クリスさんとダクネスさんもちょむすけを抱いためぐみんを追っていってしまう。

 

「あーっ! くそっ! ここに来て逃がすかよっ! ウォルバク様を変な髪形にさせてたまるか!」

 

 慌てるホーストは、迷ったものの、優先すべきものは決まってる。クソ重い、持っていては動きは鈍重になる。またああも指摘されればこれ以上乱暴に扱えない鉄塊(とんぬら)をそっと地面に置いて、追いかけた。

 

 

 そして、誰もいなくなり、森の中に放置されたとき、

 

 

「とんぬらっ!」

 

 

 ガバッと虎視眈々と息を押し殺しながら、光を屈折させる姿隠しが封じられた巻き物(スクロール)で透明になっていた、猫耳バンドを付けたゆんゆんが勢いよく鋼の肉体に抱き着いてきた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「てめぇら! ウォルバク様を返しやがれ、ゴラアアアアアア!!」

 

 怒りを露わにした上位悪魔が巨体に似合わぬ素早さでめぐみんたちを猛追する。

 腕利きのパーティを瞬殺したことからその一撃を受ければ終わり……のはずだったが、

 

「『デコイ』――ッ!!」

 

 これ以上先を行くことを許さぬ『囮』スキルを発動させ、仁王立ちする『クルセイダー』。

 邪魔だ! と前を塞いでくるこの障害物へ強めに力を入れて振られた上位悪魔の剛腕を、受け切られた。それも、殴ったこっちの手が痺れるほどの頑丈さ。

 

「なにぃ!?」

 

「この程度か! 全然物足りんぞ! さあ、もっとこい悪魔め! とんぬらにやったようなことを私にもやってみろ!」

 

「だから、話を聞けよテメェ! このアホみたいに堅い『クルセイダー』が!」

 

 ホーストは連打を叩き込むが、『クルセイダー』の護りは鉄壁。殴っても殴っても倒れない。むしろ、殴れば殴るほど、お嬢様騎士の顔は喜悦に満ちていく気味の悪さ。

 攻めあぐねたホーストはいったん距離を取り、大きく両手を振り上げて、

 

「くたばりやがれッ! ――「『スキル・バインド』ッ!」」

 

 だがそれを見越していたかのように、『潜伏』していた『盗賊』が上級魔法の行使を封じてしまう。さらに続けて、

 

「『バインド』ッ!」

 

 成功確率が術者の運に左右される『拘束』スキル。しかも使ったのはミスリル製の特注ワイヤーという上位悪魔にもそう簡単に破れぬもの。

 縛り上げたホーストは暴れるが、束縛は強い。

 

「――こんっのおおおおおお! クソがッ! レベル差で普通駆け出しの街にいるような奴の拘束なんざ失敗するっつうのに、どんだけ運が強いんだテメェ!」

 

「隙有りだっ!」

 

 クリスのスキルで動きが封じられたホーストにダクネスが身体ごと叩きつけるように大剣を――ホーストの右横数十cmにある樹木に叩きつけた。

 

「だ、ダクネス! もっと落ち着いて狙って!」

 

 動けない相手の距離の目測を見誤った聖騎士に、上位悪魔は一回深呼吸して、

 

「調子狂うなテメェらはああああッ!!

 

 

 ♢♢♢

 

 

 めぐみんの誘導でとんぬらから上位悪魔を離し、ダクネスとクリスに時間を稼いでもらう。そのおかげでゆんゆんは彼の前に立つことができた。

 

「……とんぬら、ごめんね」

 

 呪いを受けて、鉄の像になってしまったとんぬらに抱き着きながら、ゆんゆんは謝る。

 もしかしたら聴こえてるのかもしれないけど、だとしても、開口一番はそうしようと決めていた。

 

「……とんぬらは、凄いよね。あんな悪魔相手に、ひとりで立ち向かっちゃうんだもの。私は、ずっと怖がってて……とんぬらのことを、信じ切ることができなかった」

 

 もう、あんなのはイヤ。

 だから、変わるのだ。

 何もできない彼に、そう勝手に、また強引に、この願いを突き付ける。

 

 

「とんぬら。それでも、私はあなたのパートナーになりたいの」

 

 

 告白するように。

 ゆんゆんはもう一度、真剣な面持ちで繰り返した。

 

「私はあなたのパートナーにならせてほしい。いま、ここから」

 

 猫耳バンドを付けたゆんゆんは、腰に手を伸ばし、漆の短刀を取り出した。鉄像の前で、鞘を払い、刃を抜いた。

 木々の隙間から指す木漏れ日で煌く刀身。

 ゆんゆんは短刀を唇に寄せると、刃に口づけ、刃を滑らせた。

 

「……目は、閉じていて欲しかったけど」

 

 唇を血に濡らして、短刀を軽く血振りして鞘に戻す。

 見つめられる像に恥じるよう頬を染めるも、ふるふると睫毛を揺らし、赤く光る瞳で見つめ返す。そう、まるで甘噛みするような目で見つめ、

 

「ん……」

 

 背伸びして、彼の仮面の額へ、血で紅に染まった可憐な唇を寄せる。

 まったく微動だにしないこの鉄心の外面のわずか3cmにも満たない間合いを詰め、息がかかるほどの距離で、ゆんゆんの唇が静かに綻び、舌が、切り傷を舐める。

 血の付いた舌先を筆とし、眉間に当たる仮面の中央に当てる。

 今の見かけは鉄だけれど不思議と冷たくなく、熱のある表面に、全神経を集中しながら、ゆっくり慎重に動かし、舌先で紋様を描き始めた。

 少女が常につけている髪留めにある紅魔族の紋章と同じ、◇が三つ鎖のように重なり連なった印。

 息継ぎに幾度も温かな吐息をかけてしまうも、ゆんゆんは一度も舌を離さず、最後の菱形の囲いまでしっかりと閉じて、描き切って、そっと舌先を額から離す。

 血に混じる唾液が、間に細い筋を引く。気づいてゆんゆんは、顔中を真っ赤にして糸を拭い、それからまた一度、少し位置を下げて、今度は――

 

「これは、ノーカン、じゃないからね」

 

 途端、『願いが叶うチョーカー』が外れる。

 これは救命行為でも、契約行為でもなく、余計なもの。

 そう、でも、今度は、ちゃんと、したかった。

 

 終わって、一歩離れる。動悸は一向に収まらず、その顔をまともには見ることはできないが、小さく縮こまりながらも確認する。そして、仮面に描いた契約印は、剥がれ落ちることなく、染みに浸透してしまうように刻まれたのを見た。

 

 仮契約ではなく、真の契約で、認められた――

 

「とんぬら……」

 

 このとき、本当に、ゆんゆんは『ドラゴン使い』に――『アークウィザード』でありながら竜を使役する『ドラゴンロード』となった。

 

 これで、契約は完了した。

 ウィズ店長と相談し合って、ややオリジナルが入った契約手順を編んだが、成功した。

 そして、これから、だ。

 童話のお姫様のキスで元の姿に戻るジャイアント・トードの王子様のように、呪いを解くには、解くにはこれしかない。

 

 抑え込まれているドラゴン(とんぬら)の本能を解放させるのだ。

 

 

「――『本能回帰』、にゃん」

 

 

 ちょっと恥ずかし気ながらも、彼の本能を突き動かす文句を添えて、『ドラゴン使い』の呪文を詠唱した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 強い魔力抵抗を持つドラゴンの特性が、抑え込まれていた制限が外され、爆発したように高まる。鉄塊にする支援魔法(のろい)が掻き消された。

 

 

「グオオオオォッッ!!!!」

 

 

 裂帛の雄叫び。

 逆巻く魔力の光。

 爆裂する覇気。

 そのすべてを纏い、青目の輝く白き竜は復活する。

 

 扇状の双翼を展開し、こちらへ一気に迫ってくるこの強力な波動を、上位悪魔は察知するが、間に合わない。

 

「がっはああああっ!?」

 

 雪氷のように青白い重装甲に包まれた右拳に漆黒の巨体が吹っ飛ばされ、木々を巻き込む。

 頑丈な上位悪魔の体に凹んで、消えることのない拳の痕。物語るその威力に戦慄を抱くホーストだが、そこが頭打ちではない。

 

「おい、まさか――」

 

 ドラゴンの背より跳び下りたゆんゆんを見て、ホーストは肌寒い物を予感させられる。

 

 『竜言語魔法』。

 ドラゴンは、魔力の塊と言われるほどに高い魔力に溢れている。

 『竜言語魔法』は、契約を結んだドラゴンから魔力を引き出し、それで魔法を行使する『ドラゴン使い』の魔法だ。

 ゆんゆんは息を吸い込むと、輝く白き竜へ銀色のワンドをかざし、

 

「『速度増加』! 『筋力増加』! 『体力増加』! 『魔法抵抗力増加』!」

 

 早口で詠唱されるドラゴンを対象とした支援魔法に、輝く白き竜の身体、足、腕、胴、肩と各部位に赤い光が付加されていく。

 

 ヤバい。

 とんでもなくヤバい。

 相手が紅魔族に関わってるからと加減してる場合ではない。全力でやらねばこっちが狩られる。

 

「これ以上させるかッ! 『カースド・インフェルノ』――ッッッ!!!!」

 

 世界がオレンジ色に染まった。

 森の景色そのものが、まったく別のものへと転じていた。すべてはオレンジ色の光に包まれている。360度が地獄の業火に呑み込まれ――それを飲み込むドラゴン。

 

「クソッたれ! 何でもかんでも食い過ぎだこの悪食の新種が!」

 

 『すべてを吸い込む』というこのドラゴン固有のスキル。

 それは全ての攻撃を肩代わりしてしまうことなのだが、害のある魔法を無効化してしまう、高いドラゴン族の魔法抵抗力。『ドラゴン使い』の力で格段に跳ね上げられているのだから、上位悪魔の上級魔法であろうと、そうそうダメージが通るものではない。

 

「『皮膚強度増加』! 『感覚器増加』! 『状態異常耐性増加』! 『ブレス威力増加』!」

 

 そして、教本に記されていたすべてのドラゴン特化した支援魔法は掛け終わった。

 制限(くさり)が外れただけでなく、全支援を受けた光り輝く竜の戦闘力は――

 

『行くぞ、上位悪魔!』

 

 魔王幹部級の上位悪魔を圧倒する。

 まさしく『冬将軍』にも匹敵する超級の存在感。微細な六花を舞い散らす極寒のブリザードを纏い、地を滑るように滑空するドラゴンから、大太刀の如き尻尾を振り切られた。

 咄嗟に頭を下げたホーストだが、蝙蝠の翼がひとつ斬り飛ばされ、同時、切り口が凍てつかされる。

 

「ぎっ!? ……っがああああ! バケモンが! これだから、『ドラゴン使い』と組んだドラゴンは相手にしたくねぇんだよ!! おうッ、遠慮なんてできっか! ここで全力でぶちのめしてやる!」

 

 ブチ切れた上位悪魔がその漆黒の巨体をぶちかます。ホーストの体当たりを、鉄扇術で凌ぐように、ドラゴンの翼が盾となり、受ける。だが、まだ巨体の動きに慣れてないのか。うまく捌き切れず、よろめいたところにホーストはその燃え盛る剛拳を肩に叩き込む。直撃した青白い重装甲に蜘蛛の巣上のひび割れが発生した。続けて打ち込もうとしたホーストだったが、斜め下の死角から何かが迫ってくる気配を感じ、慌てて飛び退いた。目の前を通り過ぎたのは、もう一枚の鉄扇の如き大翼で、悪魔の肌を灼く強力な聖水の激流を迸らせ、大地を抉って水浸しにする。

 間一髪。

 バックジャンプで距離を取ったホーストだったが、驚きの声を洩らす。

 

「はぁっ……!?」

 

 扇翼から噴霧がドラゴンの巨体に降りかかり水浴びをしていると、ほんの数秒前に劫火の鉄拳をクリーンヒットさせた肩装甲のひび割れが、末端からじわじわと消えていく。しかも光り輝く竜の周囲を吹雪く冷気が苛烈となるほど、ひび割れの修復が勢いを増し、みるみる縮んで、なくなってしまった。低温環境であればあるほど効能が高まるこのドラゴン独自の自己治癒特性。

 損傷を受けても水をかけるだけで凍って治ってしまうという反則的な相手に悪魔は唖然としてしまったが、ドラゴンの方は容赦なく、二打目の渾身の拳撃を見舞う。

 

 アッパー気味に振るわれた一発に大きくかち上げられ、宙を飛んだ巨体が、墜落し、大地を激震させる。

 

 魔王軍幹部級の上位悪魔は牙がボロボロに砕けてる口元を拭いながら、君臨するドラゴンを見上げる。

 

「どうした? いきなり攻撃の手を休めやがって……! 俺様まだぴんぴんしてるぜ!」

 

『とんぬらだ』

 

「なに?」

 

『決着をつける前に、名前くらい知りたかっただろ。自分よりも強い相手との冥途の土産にはな』

 

「へっ! 言ってくれるじゃねぇか――俺様の名はホーストだ。これからテメェをぶっ潰す! よく覚えて逝きな」

 

『ああ、忘れない……ホースト、短い間だったが一緒に暴れ回った仲だ。そして、こうして本気で拳を交え合った。だから、わかっちまうんだ。あんたは悪魔だけど、そう悪い性格じゃないってのは』

 

「ドラゴン……そういうことか! ああして、鉄塊になったのは、この俺様を知るためだったのか!?」

 

『…………ああ、そうだ。万全を期して戦うためにも情報が必要。特にホーストは強いからな。この三日間であんたのクセは一通り見させてもらった』

 

「なんて、戦法を取ってくる奴だ。いつのまにか丸裸にされてたとは恐ろしいぜ」

 

『本当の戦いというのは戦う前に終わってる。臆病な奴ほど長生きするもんだ』

 

「ああそうだな……これは新種だからって、上位ドラゴンを侮り過ぎたか……!」

 

『悪魔顔で表情変化が少ないが、わりと満更でもないときは『へ! ったく、しょうがねぇな』と鼻下を擦るところまでばっちり観察した』

 

「お、おう……なんか恥ずいな」

 

『ああ、よくこめっこに尻に敷かれてた思い出話のときなんかによくしてたな』

 

「ちょ……そんなことねぇだろ! あれは俺様の苦労話でな!」

 

『そして、ミツルギの魔剣に何度となくぶつけ合った時は本気でコイツぶっ殺すと誓った。人質なのになに盾にしてんだと説教してやりたかった。思い切り殴った二発はその分だ。本当は魔剣とぶつけた分だけ殴ってやりたいところだがそれで勘弁してやる』

 

「本当、そりゃ悪かったって……! ドラゴンがすげぇ硬いから大丈夫だろって……」

 

『でも、勝ったときは達成感があった。なんというか、誇らしい気分だったよ。魔剣と打ち合えるって信頼されて、その期待に応えられたことが、そう、あんたの……いや、相棒のな』

 

「ドラゴン……いや、とんぬら」

 

 青い瞳と黄色い瞳が握手するかのように見つめ合う。

 ドラゴンと悪魔だが、そこには、確かな、時に相棒として、時に強敵として、戦いの中で育まれた絆というものがあった。こそばくなるような、そう、鼻下を擦りたくなってくるような、そんな空気が流れ、

 

『なあ、引かないかホースト。あんたが一度交わした契約は決して破らない悪魔だって信じてる。だから、もう手出ししないと不可侵を誓うのなら、俺はあんたを討ったりはしない』

 

「そいつぁ……約束できねぇ。今日のところは退いてもいいが。主従契約を結んだウォルバク様を諦めることはできねぇんだよ。……そんなこと、言わなくてもわかんだろ」

 

『ああ、わかってたさ。だが、ちょむすけ……ホーストの主は、今は穏やかな猫生を送ってる。幸せなんだ。だから』

 

 そっとしておいてはくれないか、と説得しようとしたとき、

 

 

「――ねぇ、なんでそんなに仲良さげなの、とんぬら?」

 

 

 やけに重みのある声が背中を叩いた。

 振り返らずともそれがパートナーのものであるのはわかっているのだが、どうしてだろう? 目の前の上位悪魔よりも恐ろしいと思ってしまうのは。

 

「とんぬらの、パートナーは、私でしょ?」

 

 いつもと変わらない音調であるのに、この支援魔法がかけられたドラゴンの身体で膝を屈してしまいそうな、半端ない圧力がかかってくる。

 ゴクリと喉を鳴らし、ゆっくりと振り向けば、

 

『そ、そうだぞゆんゆん』

 

 思わず、声が震えてしまう。

 あったのは、にっこりとした笑顔。童顔の、可愛らしい顔だ。だから、それ以上は、考えてはいけない。その笑ってない目の色とか、瞬きもせずじっと見てることとか気にしちゃいけない。すぐに忘れよう。

 そうだ、これは『ドラゴン使い』として貫禄が出てきたと思えばいい。

 

「なら、どうして、とんぬらのことを攫って、酷いことをした悪魔のことを相棒だとかいうの?」

 

『それは、色々と誤解……でもなく、気の迷いだな、うん』

 

 もしもドラゴンではなく、今のとんぬらが人型ならびっしょりと冷や汗をかいていた。

 

「……もしかして、とんぬら」

「これは、寝取られてしまいましたね、ゆんゆん」

 

 言葉を切り最悪の想像を具体化させる一歩前で踏み止まってくれる彼女の背中を、ズバリと後押しする天才少女。

 

「ほら、お姫様が、悪い魔法使いに攫われて、一緒の時間を過ごしてる内にコロッといってしまう展開ですよ。どうやらとんぬらも、悪魔の手に落ちてしまったようですね」

 

『あんたの推理力は毎度毎度俺を追い詰める方向に働くよな! 冗談だろ! つか、冗談じゃなかったら余計にたちが悪いからな!』

 

 そして、めぐみんの言葉に触発されて、他のパーティの二人も、

 

「とんぬら……うん、気持ちはわかるが、悪魔に屈服するのはダメだろ」

 

「とんぬら君? あとでいろいろとお話ししようか? エリス様のありがたい説法を聞かせてあげる」

 

 ダクネスとクリスまで。

 

 初めてアーネスと遭遇した時も思ったが、なんでこの気持ちはパーティに理解してもらえず、敵としか共感できないのだろうか。

 

 どうやら、身の潔白を証明するには、ひとつしかないようだ。

 

『すまん、パートナーには逆らえん』

 

「いいんだよこれで。俺様とお前は、敵同士、こうするのが正しい」

 

『残念だ』

 

 また別の出会い方をしていれば、ともに肩を並べることもあったのかもしれない。

 そして、

 

 

『それなら、最後に、驚天動地の吃驚芸を見せてやる――ッ!!』

 

 

 そのとき。

 上位悪魔を圧倒するほどに力強かった闘気が収縮する。立ち込める魔力光が弱まり、放たれる威圧感は一瞬消えてしまう。

 その変化に、戦いを目撃していた者は、力尽きてしまったのかと錯覚した。

 

 違う。

 弱まったのではなく、無駄に放出されていたすべての力を顎に圧縮されていくことで、ドラゴンの存在がまるで照明を落としたように思わされたのだ。

 この全身より放たれる眩く発光は、体内に抑えきれず外へ溢れ出てしまった余分な魔力。それを余さず、咆哮に収束させる――!

 

「だから、威力は極悪だが、トロくさい『ドラゴンブレス』なんか食らうか!」

 

 上位悪魔はすぐさま起き上がり、回避行動を取ろうとする。『ドラゴンブレス』を躱し、そして撃ち放った直後の大きな隙をすかさず――が、ドラゴンは顎に溜め込んだ全魔力を、ごっくん、と呑み込んでしまった。

 まるで消失マジックのように、ドラゴンの全魔力が消える。

 失敗したのか?

 違う。

 移動したのだ。

 

「ホースト! 『ドラゴンロード』として、上位悪魔のあなたに地獄の雷を見せてあげるわ!」

 

 主の持つ銀色のワンドへと。

 

「――っ! 娘の方か!?」

 

 『ドラゴン使い』は、契約したドラゴンを支援し、そして、その力の一部を借り受けるもの。つまり、『ドラゴン使い』とドラゴンのペアは、揃えばドラゴン二体を相手にするのと同じなのだ。

 溜めに時間のかかる『ドラゴンブレス』を、ドラゴンの顎からではなく、リンクしたもうひとつの砲台から発射することもできるのだ。

 

 

「『ジゴスパーク』――ッ!!!」

 

 

 ドラゴンの全魔力を受け取った銀色のワンドを高らかに掲げるゆんゆん。

 天上より蒼き稲妻が落ちる。

 分厚い雲を貫き、空から巨大な柱の如き雷光が上位悪魔を呑み込む。

 砲台の位置を勘違いしたホーストは避けることは叶わず。

 

 最初はただ、蒼の静寂が広がり、しかしすぐ、重々しい地の底からくるような地響きを伴う震動が発生し――そして、5秒ほどで天地雷鳴が収束した後、バチバチと弾ける音を立てて帯電してる上位悪魔は膝をついた。

 

「……ッ!?」

 

 今のドラゴンの魔力を使ったことで変質したのか、雷撃でこの仮初である悪魔の肉体を、痺れさせたのだ。

 

「この俺様をここまで追い詰めるとは、どんだけだよ『ドラゴンロード』! ああ、クソ……これで終わりかよ」

 

 先ほどの一撃が最後と言い切った。

 事実、咆哮の全魔力をマスターへ送った後、ドラゴンは仮面の少年に戻ってしまった。そして、一発限りの雷光魔法を少女は撃ち放った。

 

 時間稼ぎをしていた『クルセイダー』も『盗賊』もまだ健在だが、彼らには火力がない。この麻痺が回復するまでに倒し切るのは無理だろう。

 

「真打は最後の最後に美味しい場面を頂くものです」

 

 しかし、まだもうひとりいる。

 

「とんぬら、ゆんゆん、ライバルたちに負けていられません! さあいきますよ、我が必殺の、爆裂魔法!!」

 

 主の半身を抱く少女が掲げる長杖に収束する魔力光は、そう、片腕を名乗る側近として幾度となく見てきた“主と同じ”破滅の光だ。

 ホーストは、実に人間臭い仕草で深い溜息を吐き出す。悪魔顔に表情があるか識別できぬが、きっとそれは苦笑だったのだろう。

 

「『残機』がひとり、減っちまうなあ。ウォルバク様との契約も、強制解除で晴れてフリーか。……参ったな。この流れだと、いつか本当にあのガキんちょに喚び出されて、使役されちまいそうだ」

 

 口調は悪態だが、満更でもなさげな雰囲気で。

 

 

「――『エクスプロージョン』ッッッ!!」

 

「達者で、ウォルバク様――」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 邪神の片腕ホーストを撃破した後、

 とんぬら、ゆんゆん、めぐみん、と紅魔族三人衆は揃って魔力を使い果たして動けなくなり、臨時パーティを組んだダクネスとクリスにギルドまで運んでもらい、その途中、『アクセル』に赴任してきたアクシズ教団の『プリースト』セシリーが駆け付けてくれた。

 何でも水の女神様からの神託でやってきたところ、ちょうど森での上位悪魔との戦いを見ていたようで、とんぬらが光り輝く竜となっていたのも目撃した。

 

『凄かったわ! ええ、ドラゴンになれるなんて凄かったわよぬら様! これは、ゼスタ様にも報告しなくちゃね!!』

 

 結果、上位悪魔退治に大きく貢献したとんぬらに特別に『アクシズ教団の成功例』以外に、また新たな『アクアアイズ・ライトニングドラゴン』という異名がアクシズ教団より認可された。むろん、抗議の手紙を『アルカンレティア』に送ったが聞き届けてもらえるか期待薄だ。

 しかし、精神的に疲労の溜まることをしてくれたが、肉体的な損傷は回復魔法でしっかりと治療してもらえたのだ。

 そして、それから数日――

 

 

「ウィズ店長! どうしてまた奇天烈な魔道具を仕入れるんですか!」

 

 勤労少年とんぬらは、一難去ってまた一難な店の売り上げに悲鳴を上げていた。

 問題となっていた『願いが叶うチョーカー』は、意識が落ちたらすぐ絞め付きが弱まる(ただし外れない)ようセーフティが施され、用途は主にダイエットサポートとして売り出したら、死ぬ気で頑張れば痩せると女性に人気の商品となった。……あと、告白に踏ん切りのつかないときにこれをつければ、成功するなどというジンクスがまことしやかに噂され、仕入れた在庫の八割方を売り捌くことができた。

 

 そして、あの『ドラゴン使いの教本』は、ウィズ店長が仕入れたというより、この魔道具屋のポストに入れられてたものらしく、作者は不明。でも、これは最年少の『ドラゴンナイト』の仕業かもしれないと推理を働かせた結果、これまで通りクエストは行いながら、この魔道具屋でバイト(ボランティア)を頑張ろうという話になった。

 

 ……それで、とんぬらは最初、今の宿を引き払ってこの魔道具店で、住み込みで働かせてもらおうと提案したのだが、『それは迷惑だ』とゆんゆんに猛反対され、ホーストを倒した賞金も入ったことだし、これまで稼いだ報酬も合わせて、店と隣接した住居を一軒購入した。

 二人暮らし出来る安定した拠点を得られたことを含め、その住所情報を、(口封じする前に)紅魔族随一の天才が里へ報告(密告)してくれたようなので……これからは族長らから返事が届くようになった。どんな手紙が来るのか、あまり考えたくない。

 

 しかし、これもこの店が潰れたら本末転倒になるので。

 

「とんぬら君、これもきっといい掘り出し物なんです! この『仲良くなる水晶』! 熟達した魔法使いでないとうまく使えないものですが」

 

「その時点で需要が相当限定される上級者向けですよね。魔法使いがレアな職業なくらいウィズ店長は当然知ってるはずでしょう。それをこの前の売り上げ全部使って仕入れるなんて……埋め戻してしまいたいですね、その掘り出し物」

 

 誰でもいいからこの店長を制することができて、しっかりとした商売戦略が練られる者は来てくれないだろうか。せめてこの苦労を分かち合えるだけでもいいから。

 

「とんぬら、その、買わない? 『仲良くなる水晶』!」

 

 ……このチョロい娘は説明書を読む癖を反省してるのか。

 

「自分で買いたいのなら構わないけど、俺はやらんぞ」

 

「ええっ!?」

 

 ゆんゆんにきっぱりと断る。

 この魔道具は、上級者向けだが紅魔族の『アークウィザード』ならば扱えるだろう。

 だが、『仲良くなる水晶』の欠点は、それだけではないことをちゃんととんぬらは知ってる。

 

「とんぬらぁ……」

 

「わかったわかった……とでもいうと思ったか! 絶対にやらん!」

 

「ひどい! 一瞬期待させておいて断るなんて!」

 

 この魔力を篭めると発動する水晶型の魔道具は、使用者の恥ずかしい過去を投影する。それによりお互いの理解や情が深まるという大変徳の高い仕組みである。

 普通に羞恥物以外のなにものでもない。

 実際にやるまでもなく、やれば確実にこの恥ずかしがり屋なゆんゆんは落ち込むのはわかり切ってる。

 そのあたりのことをまるでわかっちゃいない、商品名にだけ釣られてるちょろくめんどうくさい娘だが、残念なことに、これがパートナーである。

 

「あのな……これ、必要あるか?」

 

「だって、とんぬらと」

 

「これ以上、仲良くなる必要はあるのか?」

 

 目下の悩みは、そろそろパートナーに自重を覚えてほしいところだ。

 

「そうだな。ここ最近、またひとりでパーティ探しを始め、少し疎遠となってるめぐみんとやってきたらどうだ? たまにはライバル同士、互いに理解を深め合うことが必要だろう」

 

 そのためには余計なことばかり吹き込んでぽいぽい燃料を投下してくるライバルをどうにかしないといけないだろう。素直に打ち明けたというのに、なにも遠慮してくれないのだから、こちらもささやかな仕返しがしたいと思うのは当然のことだ。

 

「う、うん、そうする……でも、それってつまり」

 

 これ以上突っ込まれる前に、話を切り替える。

 

「そういえば、明日のクエストだが、ミツルギからエンシャントドラゴンを狩りに行くから臨時でパーティに入ってくれないかというお誘いがあった。パーティで別々の場所で鍛え直す前に、あの二人と一緒にこのクエストを受けるそうだ」

 

「うん、お手伝いはいいけど……エンシャントドラゴン……なんだか強そう」

 

「名前は強そうだが、まだ百年と生きていない下級ドラゴンらしい。それでも本物のドラゴンだから手強いが、ミツルギの神器はドラゴンに特化した魔剣だ。強力なアタッカーがいるなら、あとは状況と作戦次第で討伐できるだろうな。援護射撃の出来る『アークウィザード』がいれば心強い。

 ……それに、ドラゴンの血は、スキルアップポーションの素材になるし、ドラゴンステーキは高い経験値が得られる食材。上級魔法習得に大きく近づくはずだ」

 

 最初はあまり乗り気ではなかったが、彼女に上級悪魔の件でまた余計なポイントを使わせてしまったことへの罪滅ぼしをしたい。ミツルギに臨時パーティに入る代わりに、素材を解体させてくれと頼もうかと考えてる。

 

「あとは……そうだな、めぐみんよりも先に『ドラゴンスレイヤー』の称号を取ってみないか?」

 

 そう誘い文句を言ったら、パートナーはクスリと笑い、

 

「そんなのいらないわよ。私は『ドラゴンロード』なんだから」




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