この素晴らしい願い事に奇跡を! 作:赤福餅
すごろく盤の折り返しに入り、後半へ突入。
残りさいころは五個と半分を使い切ったところ。
チームも全員欠けることなく…………
――パシャアッ!
肩掛けを脱いだ仮面の少年が、思い切り冷水を頭から被った。
前回のマス。そこで起きたオークと押し相撲という密着状態から生還した彼は、その時の穢れを祓い清めるように、数度水を被り、水垢離を済ませると、どこか悟りの境地に至ったような、瞳に光のない芒とした目を開眼させ、
「……兄ちゃん。もうこの『すごろく場』は破壊した方が良いんじゃないかと思えてきた」
「そ、そうか……」
どうやら彼は、心にとてもとても深い傷ができたようだ。
光の届かない地下ダンジョンに一月篭っても、鉄の像で指一本も微動できない状態に陥っても、崩れなかったとんぬらの鉄の心が、ガタガタに弱っている。
無理もない。
あれは、ひどかった。同じ男として、心底同情する。
「リタイア宣言は定められたプレイヤーの権利だったはずだ。闇のゲームだろうと、『初代すごろく王』が決めた守られるべきルールを無視するのは許すまじ行為」
あんな治外法権な歴戦の
「めぐみん、覚悟は決まった。今日はあんたがすごろく魔王だ」
「ふっふっふ、ようやく私の出番ですか。前半は弱いと聞いていたので、とんぬらとカズマに露払いをさせましたが、ここから先は我が爆裂魔法のオンステージです!
♢♢♢
ギャラリーもつく後半の表舞台。
地下の前半部とは違い、マス部屋に区切りはなく、止まったマスに上から檻が落ちてくるコロシアム仕様。ここから先は、賞金やアイテムが出てくるマスもあるようだが、同時にすべてのマスにモンスターも一緒に出てくる。
それに、『観客らに見応えがある戦いを』と主催者の意向で出てくるモンスターのレベルは高くなっている。
賞金50万エリスの小切手があったマス。
そして、このマスという闘技会場に出てきたのは、凶暴ラットとジャイアントスネークという冒険者ギルドでは、その賞金額に見合うだけのモンスターだ。
しかも、二種。一種だけしか出なかった前半よりも難易度が上がっている。
「『エクスプロージョン』!」
それを一蹴する人類最強の攻撃手段こと爆裂魔法。巨大なネズミや蛇が木端微塵に吹っ飛ばされた。
♢♢♢
虹色さいころというプレイヤーの好きな目が出せるようになるさいころ追加マス。
そして、このマスのコロシアムに出されるのは、オーロラジェリーとアイスインプ。フィールドによっては、中ボス認定されても良いほどのモンスター。
それが一気に二
「『エクスプロージョン』――!」
爆裂魔法に瞬殺。
♢♢♢
次のマスは、賞金300万エリスの小切手。
待ち構えていたのは、トロールとオーガ。両方とも大の大人も軽々と見下ろせるほど巨大な体躯と、泣く子も失神する禍々しい形相。駆け出し冒険者でなくても震えあがる強力な看板モンスターがタッグを組み
「『エクスプロージョン』――ッッ!!」
爆裂に以下略。
♢♢♢
「――ジョン』!!」
疾風怒濤の大爆発が会場を震撼させる。
重厚な石畳に、さらに魔法を施した、城塞に匹敵するとても頑丈な造りをした会場に、破滅の光が迸り大きなクレーターを作った。
「今のは中々良かった。爆裂の衝撃波が、近くで大太鼓を叩かれたように腹に響く感じで、けど、さっきの方が迫力あったな。……80点。でもナイス爆裂だ」
「ぐっ! 厳しい採点ですが、妥当です。やはり爆裂ソムリエのカズマは誤魔化せませんか。精進します」
ギャラリーの観客らが歓声を上げることもできず、啞然としている。
凄まじいまでの轟音が鳴り止むと、そこには大量の石材が転がっていた。群れを成したゴーレム。マスに入ったそこが、モンスターハウスであったかのように石人形が敷き詰められていたが、それ以上に容赦ない開幕爆裂魔法。
『すごろく場』のスタッフが慌ただしくなってるようだが、どんな強敵を連れてこようが、爆裂魔法に耐えられるものなんてそうそういないのだ。
「どうした、めぐみん、もうバテてきたのか?」
とんぬらが、このマスにあった景品である飼い魔物用のしもふり肉を回収しながら、カズマの隣で倒れ伏すめぐみんに訊く。
「何を言いますかとんぬら! 爆裂魔法を連発し放題なんて夢のような経験は初めてですが、一発入魂で打ち込んでいますよ! ただ、物量作戦で来られたので集中がやや乱れただけです! まだまだいけます! あと十連発も問題ありません!」
爆裂魔法は、常識的に考えて覚えるものなどいないネタ魔法。
その理由は多々あるが、まず魔法を放つときの轟音で、周囲のモンスターを呼び寄せてしまう。
ただし、この『すごろく場』は普通のダンジョンではないし、また管理されてる場なので、爆発の衝撃に冬眠中のジャイアント・トードが目覚めたりするなど余計なモンスターを心配する必要もなく、一戦一戦目の前に全力集中できる。
また、地形を変えようが修繕は主催者側の負担と決まってるので問題はない。
そして、一番の問題とされる、どんなに膨大な魔力量を持ったものでも一発が限度の消費魔力の凄まじさ。
普通、こんなに連発できるはずがないのだ。が、
「ほら、人間マナタイト。早く魔力を充填させてください。これほどの経験値稼ぎができるシチュエーションはないんですから」
「この爆発ポーション娘。少しは奇跡魔法に感謝の言葉を送ったらどうなんだ」
レベルが上がっているからか、『錬金術』の魔力制御訓練のおかげか、成長しているとんぬらは、奇跡魔法の効果を少しだが意識して操作できるようになっている。
といっても、これまでシャッフルした山札から一枚のカードを取っていたところを、一回三枚引けてその中の一枚のカードを選択できるようになったという程度で、自由自在にとはまだ呼べない程度。
でも、パーティにそのカードの引きが凄まじい者がいて、それがパーティの総合運に引きが左右される『パルプンテ』を御し切ることができたら。
「じゃあ、兄ちゃん」
「わかった。……頼む、とんぬら、奇跡を見せてくれ!」
元いた世界でネットゲーム仲間から『レア運だけのカズマさん』や『ハイエナマスターカズマさん』などと異名で呼ばれていたカズマ。
それが指示を出すことで、この次回から出禁確定な極悪コンボが完成するのだ。
「あいよ――『パルプンテ』ッ!」
杖代わりの鉄扇に虹色の光が集い、波動に変わる。
それは、パーティ全員を体力魔力全快させる奇跡魔法の効果。
そう、爆裂魔法でガス欠だっためぐみんが、復活するのだ。
「よし、今度は一発で成功だ」
「ふっ……これで、また一度爆裂魔法が打ち込めますね」
時々、別の効果が出てしまうこともあるが、幸運値がチートしてるカズマがいる限り外れはないので、体力魔力全快が出るまで奇跡魔法を続行すればいい。
つまり、奇跡魔法との共演で連続開幕爆裂魔法というワンターンキルは実現する。
『おい、また復活しやがったぞあの爆裂魔法使い! 一体どれだけ魔力量がありやがるんだ! 底無しか!?』
『いや、あれは魔力を回復させてるんじゃないか? だが、爆裂魔法なんて馬鹿げた魔力消費を全快させるなんて、マナタイト結晶がいくつあっても足りないぞ!?』
『ゲームスタッフが慌てふためいてやがる。ありゃあ、仕方がねぇ。あそこまでワンターンキルで蹂躙されたのはこれまで見たことがねぇぞ!』
『しかも、さいころの出目はハイペースでゴールへ近づいてやがる。一体どこのパーティだ? なんであんなすごろく魔王が無名なんだよ!?』
そんな冒険者の観衆の畏れ入り混じる声を背に、カズマが投じたさいころの目は、六。これで残り二マスで、しかも出目を自由に選択できる虹色さいころがあるので、ここの課題をクリアすればゴールは確定。
『主催者側もすごろく魔王の快進撃を阻もうと形振り構わなくなってきやがる! ゴールボスモンスターまで出してきやがったぞ!』
そして、数千万エリスで取引される稀少なスキルアップポーションが用意されたマスで、出てくるのは、牛頭巨人の迷宮定番モンスターのミノタウロス!
「ブモオオオッ!」
頭の牛角を前に突き出して、詠唱などさせてやる間も与えず、フライングでタックルを仕掛けるミノタウロス。
「おい!? 卑怯だろ主催者! いったいこれのどこが駆け出し冒険者に合わせたモンスターだよ!?」
カズマが大騒ぎする最中、とんぬらが前に飛び出した。
魔法使いに似合わぬその剛力でもって、ミノタウロスの二本の角を両手で掌握し、抑える。1mほど足元を擦り削って押し切られるも、勢いを止めた。
「事前に、力を溜める奇跡魔法を引いておいて助かった……っ!」
「とんぬらっ!」
「問題ねぇよ、兄ちゃん。こんなの、さっきのオークと比べれば……っ」
「思い出すな! もうそれを思い出すんじゃない! 忘れるんだっ!」
トラウマに呻く少年だが、それでもがっちりとモンスターは押さえている。
「でも、どうするんです? あれではとんぬらがいて爆裂魔法が撃ち込めません。また、カズマの『ドレインタッチ』で倒すんですか?」
「いや、めぐみん。俺ごとやれ――『アストロン』ッ!」
その身を一塊の鉄と化すとんぬら。
それはあらゆる物理ダメージを通さず、そして、爆裂魔法にも耐えれるほど高い魔法防御力を持つ精霊の王『冬将軍』の加護を最大限に発揮させる絶対防御。
最初は、鉄像から元に戻れなくなる地雷魔法であったが、魔力制御を鍛えたとんぬらは、支援魔法効果が一定時間を過ぎると解凍される時間制限をつけれるようになった。
そして、このオリジナル魔法の効果を、魔力感知能力の高い紅魔族の少女は一目で悟る。
「これは、自分自身に『冬将軍』の加護を借り受ける支援魔法ですね……! ……なるほど、我が爆裂魔法に抗う手段を開発しているとは油断ならない、いえ、ここは、流石は我が好敵手と褒め称えておきましょう!」
双角を掴んだ相手が凍結していくように超重量の鉄像になってしまったせいで、頭を前に屈めた窮屈な姿勢から進むも退くも一歩も動くことのできないミノタウロス。
そこへ長杖の照準を合わせる、今もっともこの『すごろく場』を沸かせる『アークウィザード』。
「ここまで連発できたおかげでだいたいの制御は掴んできました。本来であればこのような手抜きは不本意ですが、いつもの半分程度の威力に加減してあげます――『エクスプロージョン』ッ!」
宣言通り、これまでよりも弱めの、けれど会場を震わす大爆発。
それは、直撃は避け、ミノタウロスより後方に離した位置座標で炸裂して、なお、強靭なモンスターの上半身を吹き飛ばすだけの威力があり、かつ、頭を押さえこんでいた鉄像に焦げ目を付かせながらも原型を留めさせている。
「大丈夫かっ!」
爆裂魔法を撃ち放った直後でグロッキーなめぐみんに肩を貸しながら、術が解けて鉄塊から元に戻り、ガクッと膝をついたとんぬらの下へ急ぐ。
「大丈夫、だ。が、流石に衝撃がきつかった。すまんが、少し休ませてほしい。『パルプンテ』は待ってくれ」
絶え絶えな息を整えるのに必死な様子のとんぬら。今回最も体を張ってくれている助っ人へ健闘を称えながら、水筒を渡す。
「全然構わないって。つか、すげぇよ。めぐみんの爆裂魔法に耐えるなんて」
「カズマカズマ、今のは全力ではありませんし、直撃から外していました。精々爆発魔法程度の威力です。我が同士なら、見ていてそれくらいわかるでしょう! あれで爆裂魔法に耐えきったなんて言わないでください! 何でしたら、次は全力を直撃させてやりますよ!」
「止めろバカ」
張り合おうとする爆裂狂を宥めすかし、一旦とんぬらが落ち着くまで休むことにする。後半はワンターンキルとハイペースで来てるから持ち時間には余裕があるし、もうゴールは目前に控えている。しばらく休憩していると、後ろが騒がしくなってきた。
「い、いいぞ! くっ、衆人環視の中、モンスターに絞められるとかどんなご褒美だ! ハアハア……。もっとだ。もっと私を絞めつけてみせろラミア……!」
熱の篭った悲鳴、非常に頭が痛くなってくるその変態の声は、おそらく三マス分後方、ゴールまであと五マスのところから聞こえる。
そして、そちらを見やったその時、
「『ライト・オブ・セイバー』ッッッッ!」
――『すごろく場』に、透き通った声が響いた。
被虐願望持ちの『クルセイダー』がその下半身の尾で巻きつけられながらも押さえているラミアの上半身に光の線がシュッと走る。
蛇女のモンスターの上半身を光が通り過ぎた後、一拍おいてラミアの身体が袈裟懸けに斬り捨てられていった。
「ふぅ……! ふぅ……! やっと、追いついたわよ、めぐみん!」
鬼気迫る勢いでモンスターを倒したのは、上級魔法スキルを習得した『アークウィザード』のゆんゆん。
彼女はワンドを片手に、もう片手にはひとつの石を握っている。
どうやら、ここに来るまで上級魔法を連発してきたようで、それを成したのが、手の内にあるマナタイト。
中に魔力が詰まった鉱石、その大きさと純度により、値段が跳ね上がっていく消費アイテムを惜しみなく使っているのだ。
「私は、絶対に、負けられないの! だって、勝たないと…………それで、ひとつ気になるんだけど、さっきから、爆裂魔法が連続して聴こえてたのって……」
「ええ、我が爆裂魔法が、モンスターたちをワンターンキルで連戦連勝しているんですよ」
「や、やっぱりそうなの。……でも、めぐみん、私みたいにマナタイト結晶なんて持ってないし、だいたい、爆裂魔法の魔力を肩代わりできるものなんて私だって買えないわよ」
「ふっ、わざわざそんな石に頼らなくとも、ここに人間マナタイトがいるではありませんか」
「え、とんぬらが……あ、まさか奇跡魔法で……」
ゆんゆんの目が、めぐみんから誘導されたとんぬらに向けられるが、それから逸らすように、顔を逸らされる。
「と、とんぬら……!? どうして私から目を逸らすの!?」
そっぽを向かれて、涙目になってしまうゆんゆんに、めぐみんが優し気な声で制してくれた。
「今はそっとしておいてあげてください。……とんぬらはさっき、オークに唾をつけられたんですよ」
「なっ!? 女騎士の天敵であるオークに行き合ったのか! 性欲絶倫で、女と見るや即座に襲い掛かるオークに……! なんて羨ましいんだとんぬら!」
さっきまでの自分と同じようにオスのオークが絶滅したと知らないと見るダクネスが悔しがっているようだが、オークと停戦協定を結んでいる紅魔族族長の娘は、今の発言に目から光が一気に消えた。
「私が族長になったら、オークを駆逐してやるわ」
おっと、互いに不可侵のご近所さん付き合いから、戦争勃発の引き金を引いてしまったか。
「とんぬらは、オークに穢されたんです。ぱふぱふを受けて、あわやノックダウンされそうに……」
「それ以上言うなめぐみんっ! 俺は穢されてない! そうだとしてもさっき水垢離で穢れは落とした!」
「と、ととんぬら、それじゃあわわ私が、ぱ、ぱぱぱふ……して、上書きを……っ!」
「ゆんゆんもそれ以上言うんじゃないっ! 今いるのが周りに観戦されてる場所だといい加減に理解しろ! 俺は大丈夫だから!」
妄想が加速して沸騰するゆんゆんに、消沈してる場合ではないと火消しに弁明するとんぬら。
そっとしておいてほしいと同じ男として思う。
「で、でも、どうしてとんぬらは、めぐみんに肩入れを……」
「どうやら、私たちととんぬらは相性が良いようでして。ゆんゆんと組むよりも遥かに成果を出していますよ。これは移籍するのが正解です」
「え……」
そのめぐみんの自信気な発言に、目を見開いたままゆんゆんは硬直。
「おい、それ本人は了承してないぞ」
「勝負を仕組んだんですから、これくらいは構わないでしょう?」
「あんたは俺を全力で追い詰める方向にしか頭を働かせてくれないのか。これでもひょいざぶろーさんの魔道具を買い取って、めぐみんの実家の家計には大きく貢献してるんだぞ。だいたい店長のせいだけど」
言い争いをする紅魔族男女クラスの双璧。
それを見て、『何だか仲が良さそう……』と思いつつ頭が再起動すると、ゆんゆんは少しずつ硬直状態から動き出し、口を開いていく。
そして一言声が漏れた。
「……ぜ」
「ぜ?」
「ぜぇっっったいに――負けないッ! どんなに勝ち目が低くたって、とんぬらは渡さないんだからああああッ!」
おおおおっ!? とどよめく会場。
叫んだ、ゆんゆんが叫んだっ!
かつて例を見ない声量で吼えたゆんゆんに、『あれ? この奪い合いされる状況……また俺、お姫様ポジションに入ってないか?』と紅魔族随一の勇者として物申したいとんぬらに、『え、修羅場か? 二股かあの坊主?』なんて声が観客席のあちこちから聞こえてくるよう。
「とんぬら、色々と気を回してもらって感謝してるが、浮気はよくない。またクリスに説教されるぞ」
「それは本当にやめてくださいダクネスさん! 俺、あの人にはどういうわけか頭が上がらないんですから!」
そんな燃え上がっちゃったゆんゆんは会場を大炎上にさせるだけでなく、チームメイトも触発させてしまったようで、いきなり真面目になるエリス教の聖騎士に、
「ええ、負けない! ここでカズマチームになんて負けられないわ」
そして、勝利の女神様も振り向いたか。
「ゴール前で休んでいていい気なものね! ウサギとカメって知らないのかしら、そこのヒキニートは」
「あのな、アクア、もうこっちはいつでもゴール確定なんだから。ルール上、与えられた持ち時間をフルに使っても構わないだろ。だいたいすごろくでこういう終盤になると振り出しに戻るとかそういうえげつないマスが用意されてたりするんだから、慎重に行くのは当然だろ」
「そんなのもうゴールはすぐそこなんだから、ここで五以上を出せばいいんでしょ! 私にはとっておきの秘策があるんだから! 『ブレッシング』!
「あっ! こいつ汚ねぇ!」
自らに支援魔法をかけるアクア。
それは、神の祝福を授ける魔法『ブレッシング』。個人差はあるが、一定時間、運が良くなる効果がある。
「運も実力の内って言うんだし、魔法の実力も運の内よね! さあいくわよ! ダイス、ロールっ!」
出た目は、五…………ではなく、六。
「じゃ、お先、ヒキニートのカズマさん! 私が先にラスボス倒して、すごろく女神になってくる……うぅぅ?」
こちらを追い抜き、一際大きなゴールステージにひとり先に踏み入ろうとするアクア。
けれど、ファンファーレはならず、最後の扉は開かない。鉄格子の門を全身の体重をかけて押すも、ピクリとも動かない。
「あれ? これどうなってるの? あ、もしかして引き戸なのかしら? ……違うわね。ちょっとどういうことスタッフ! この美しい女神なアクアチームをゴールさせなさいよ!」
これにさっそく痺れを切らして、ダンダンと扉を蹴る……そんな女神要素の欠片もない行為をしているアクアに言ってやる。
「すごろくのルールに従えよ、アクア」
「すごろくのルール? 何言ってんのカズマ、私がさっき出した目は六でしょ。それで、この五マス目で上がりでしょ」
案の定、知力が残念なプリーストは首を傾げ、こちらに胡乱な目を向けてくる。
「確かに出た目は六だ。でも、すごろくはゴールするのはピッタリじゃないといけない。そんで、こういう、賽の目通りに上がりにならない場合は、余り目の分だけ戻るのがルールだ。だから、お前が行くのは、五マス目のゴールからもう一マス戻ったとこだ」
仕方ないので、懇切丁寧に厳然たる事実を告げてやると、アクアは不満顔ながら、
「ふん、まあいいわ。次こそゴールぴったりにさいころの目を出せばいいんでしょ。まだ一個余分にあるし」
文句をぶうたれながらルールに従い、ゴールから一マス前のところに止まると――ガパッ、と床が開いた。
『え、ええええええええええええッ!?!?!?』
……どうやら、運が最低値な女神は、支援魔法をかけたぐらいじゃどうにもならなかったようだ。
ぬか喜びさせたところで、落とし穴のマス。まさに上げてから落とすで、前半の地下へと戻ってしまった、色々と台無しなアクアチームを見て、ひとつ心に決めた。
今後一切、アクアにギャンブルをさせないようにしようと。
♢♢♢
はっきり言って、とんぬらは欲しい。
あの不器用なダクネスも、とんぬらの支援魔法で攻撃が当たるようになる。
水で回復できる身体能力があるから、アクアとの組み合わせも良い。
何より、自分の幸運値を活かせる奇跡魔法が魅力だ。
この『すごろく場』で証明してみせてるが、めぐみんの爆裂魔法と連携すれば、凶悪なまでの威力を発揮する。魔王討伐も夢ではないかと思えるくらいに。
めぐみんが移籍の話を持ち出すのもよくわかる。
……だが、果たしてそれは良いのか。
(ベストなのは、ゆんゆんも一緒に来てくれることなんだが……)
休憩も終わり、奇跡魔法での回復にも成功。
あとはこの好きな目を選択できる虹色さいころを使えば、ゴールは確定。
そのボス戦に入る前に訊ねておく、
「いいのか、このままゴールしちまって?」
「勝負の話を持ち掛けたのは俺だ……余計なことをしたのはめぐみんだが」
「あのままだとゆんゆんの大人宣言をヘタレなとんぬらが撤回させそうだったので、私は背中を押してやったつもりですよ」
「崖っぷちの方向にな。もうすぐ14歳になるがそれでもまだ成人じゃないんだぞ。ったく……ここ最近、ゆんゆんはブレーキをどこかに置き忘れているかのように急ぎ過ぎているのもあるんだが、昔から家柄だけの子などと誰にも言わせないなどと“族長の娘”ということで特別扱いされていることを気にしている。どうも友達ができるようになってもその辺りは変わってないようでな」
ちらりとめぐみんを見て、
「唯一、それを解消させる自信付けに良さそうだったのが、紅魔族随一の天才という肩書だったんだが」
「譲りませんよ。私は絶対に紅魔族随一の天才という肩書を譲る気はありませんから」
「別に譲れなどとは言ってない。勝ち取ってほしいとは願ってたけど、手を抜かれてそれで満足するような娘じゃないだろうに。ゆんゆんひとりの力でめぐみんに勝たんと自信にはならんよきっと。もし同じチームであったら、何があっても俺のおかげで勝てたと思いそうだから、別々のチーム分けで行くのは都合が良かったとも言える」
とんぬらは苦笑しながら、
「ゆんゆんはやり方次第じゃ勝算は十分あるというのに、学校でも筆記試験を除けば、だいたい言い包められて負けてばっかりだった。それでもめぐみんと勝負しているときは、族長の娘だとかいう肩書を忘れてられていたようだからな。壁であってほしいと願っているよ」
で、そこから苦笑を乾かせた調子で、落とし穴の閉じた一マス前を見る。
「まあ、この展開は予想外だった」
改めて色々と台無しにしてくれた駄女神だ。
「だから、遠慮するな、兄ちゃん。ここまでだいぶ稼げたけど、それでも借金返済にはゴール賞金が欲しいだろう? それに、紅魔族は勝負事に手を抜かないし、ゆんゆんが凄いのをよくわかっているからこそ、俺は全力で勝ちに行くのが礼儀だと思ってる」
そこまで言われたからには、こっちも全力で勝ちに行くしかないだろう。
虹色さいころを使い、賽の目通りに上がりを達成。
……そして、念のために『潜伏』しながら踏み入ったゴールマスで、現れた『さいころ場』のボスは――亀の甲羅を持った黄金のドラゴン。
「ひいいいいっ!?」
マスの地面から現れたモンスターキングに絶句。
急いで、ワンターンキルで撃沈させようと我がパーティの最大火力に叫ぶ。
「めぐみん! このまま俺と『潜伏』しながら、爆裂魔法の詠唱だ! 一撃で沈めてやるんだ!」
じゃないと終わる。
相手が完全に身体が地面から出てくる前に蹴りをつけないと、この逃げ場のない状況では終わってしまう。
「わわわわ、分かりました……! なな、なに、ドドドドドラゴンごとき、我が爆裂魔法の前では、ただ、ただのカメと変わりなく……!」
しかし逆境に弱いめぐみんは激しく動揺していて、詠唱どころではなかった。
一方で否が応にも逆境に慣れてしまったとんぬらは興味深そうにその全容を観察し、
「あれは、まさか十年に一度地上のどこかに顔を出す宝島と呼ばれた幻の超級モンスター『玄武』の仔……もしくはその近しい派生なのか? それとも黄金竜と掛け合わせた合成魔物か?」
昔、宝島に出会い、そこで得た財産で『すごろく場』を創り上げた勇者候補……それが『初代すごろくキング』と呼ばれてる。
その子孫である運営者が用意した秘蔵のボスモンスターが、この『ガメゴンレジェンド』。火属性と爆発系の魔法属性に特に強く、爆発魔法では甲羅に傷ひとつつけられないという。
爆裂魔法でも倒せるかどうかは怪しいが……
「おい、めぐみん」
そろそろ武者震いは止まったか? ととんぬらは発破をかけようとめぐみんの方へ視線を戻し……そして、気づく。
本人も気づいてないようだがその微動の止まらない小顔に、鼻血が垂れていることに。
爆裂魔法を短時間に連発したせいか……っ?
元々無茶が過ぎる魔力消費の爆裂魔法だ。たとえ消耗が全快しようとも、その成長し切ってない身体では負担が大きかったのだろう。
これ以上、撃たせるのは控えるべきだ。だが、となるとこの集団監視の中で甲竜を仕留めるには……!
とんぬらは鉄扇を握り込み、手先を当てて押し払って――延長した。
「……いつも美味しいとこ取りをされてるからな、今日くらいは俺がやらせてもらう」
宴会芸の『南京玉すだれ』という大道芸をやるかのように器用に、鉄扇の短冊を解いて、扇状の横に広がるのではなく、重なり連ねて縦一直線に伸ばしたのだ。
釣り竿のような長物に変化した鉄扇を、長杖に見立ててから、仮面の少年もまた姿を変えた。
「『モシャス』!」
変化魔法で変身したのは、小柄な少女、めぐみん´だ。
『モシャス』は、身体能力だけでなく、その対象が習得したスキルもまた使用できる。
そして、詠唱も里を出てから長いことともに行動してきたのだ。当然、覚えている。
「黒より黒く闇より暗き漆黒に我が深紅の混淆を望みたもう」
ぐっ……! と心象内にてこの尋常じゃなく持ってかれる魔力消費に膝を屈しそうになる。
元の潜在能力でやや劣るにしても、レベル差もあるから魔力保有量でめぐみんに負けているつもりはない。
けれど、めぐみん´に化けた『モシャス』分の魔法消費している。それで全快の時でさえ一発で精も根も尽き果てる爆裂魔法の発現を賄えるか。
「覚醒の時来たれり。無謬の境界に落ちし理。無行の歪みとなりて現出せよ!」
それでも、とんぬらは初挑戦にして、人類最大威力の攻撃魔法たる破滅の光を杖先に集約することができた。
しかし、魔力感知に優れた紅魔族の直感で、覚る。
これではあの甲竜を、倒せない!
もうすでに『ガメゴンレジェンド』の全身は出た。先制攻撃で決められるチャンスはこの一回しかない。
爆裂魔法は撃ち込めば、体力も魔力も切れて、お荷物になる。そして、とんぬらが倒れてしまえば、奇跡魔法によるチャージを行うこともできない。
「踊れ踊れ踊れ、我が力の奔流に望むは崩壊なり。万象等しく灰燼に帰し、深淵より来たれ!」
さらなる魔力を篭めようとするも、発現させるまでですでに精一杯なのだ。
これ以上は、絞り出すことはできない。
「格好つけるのなら、最後までやってくださいっ!」
叱咤の声が頽れかける背中を叩いてきた。
そして、ぶつけられた背中に当てられる手のひら。瞬間、静電気でも弾けたような感触と共に膨大な裡に注ぎ込まれる。
「こんな真似をするなんて、本当、これっきりですよっ!」
その声の主は、めぐみんだ。
そして、背中に手を押し付けているのは、逆の手でめぐみんの手を握ったカズマ。
「こうなりゃ一蓮托生だ! 根こそぎ持っていけとんぬらっ!」
魔力と体力を吸収供給する『ドレインタッチ』を繋げる線とし、まるで直流電池のように『アークウィザード』の魔力が、破滅の光に注ぎ込まれる。
(めぐみん……兄ちゃん……)
この面子で冒険するのもいいかもしれない。とほんの少しだけ思った。
――紅に輝く瞳が、蒼の光に切り替わり、パーティの命運を預けられた紅魔族随一の勇者が、甲竜を怯ませんばかりの咆哮じみた大声で魔法を唱えた。
「『ミナ・エクスプロージョン』――ッッッ!!!!」
七色の爆光が炸裂する全爆裂魔法に、ボスモンスターもまたワンターンキルで決着がついた。
♢♢♢
『すごろく場』に伝説を作った結果、カズマチームは、『弁償しなくていいから、もう二度と来ないで!』と、めでたく出禁となった。
持って生まれた高い幸運値で、美味しい稼ぎができる場所であったが、仕方がない。
いくら運が良くても、巻き込まれ体質の貧弱冒険者が、ギャンブルで大勝ちなんてすれば、命を狙われることだってありうるのだ。
そして、こういったものはたまにやるから上手くいくのだ。
欲を出してずっと続けると大概ろくなことにならないと、予想がついてる。
だから、ここはめでたく目標に達したことで満足しよう。
「よっしゃああああ! 借金地獄もこれでおさらばだああああ!」
この『すごろく場』は、まずひとつの景品を用意して、プラスアルファで失敗した冒険者たちの参加費の半分が賞金に加算されていくシステムを昔からずっと採用しているようなのだが、この代の『すごろくマスター』となってからは数年間、誰もゴール達成はできなかった。負けず嫌いな現代の運営者は、意地でもゴールをさせまいと手を尽くしていたようで、このノーマークだった駆け出し冒険者のダークホースに破れるまでは不敗であった。
ので、賞金額は、数年分加算されたもので、助っ人たちの分け前で半分にしても十分、借金返済額に足りたのである。
(と言っても、借金返すだけでほぼ使い切るようなもんだから、今度は早いとこ馬小屋生活から抜け出すための資金繰りをしねーとな)
『すごろく場』から帰りは転送屋を頼って、『アクセル』へと帰還して、それぞれ解散した。
二名ほどグロッキー状態であるも、全員無事。落とし穴に落ちたアクアチームも特に問題はない。
そして、移籍を賭けた勝負の結果であるが……
『めぐみんでもなく、ゆんゆんでもなく、俺がゴールのボスモンスターを倒したわけだから、勝負は俺の勝ちってことで良いな』
とうやむやに終わった。
ゆんゆんは胸を撫で下ろして安堵の息を吐き、文句を言いそうだっためぐみんの方も『勝負に参加してないとんぬらがひとり勝ちというのは認められません!』と細かなところを突いてきたが無効試合というのには納得しているようであった。
一応訊ねてみたら『なんとなくこうなる予想はしていましたから』とのこと。
少し残念に思うも、これでいい。
それにどうせ、安定した住居さえ手に入れば、冒険なんて滅多にせず安定した生活を送ると決めているのだから。
「ねぇ、カズマ! 今日は大金が入ったんだし、久しぶりにぱぁーって飲んでも良いわよね!」
宿屋への帰り道、今日は馬小屋でなくてきちんとした部屋を取ろうかと考えてると、本日逆MVPのアクアがそんなことを催促してきた。
(そういや、とんぬらが『アクア様がついてる兄ちゃんらになら勧められる物件がある』とか言ってたな……)
『すごろく場』で最初から最後まで足を引っ張っていたであろう元水の女神が、いったい何の役に立つのか思いつかない。
だが、とんぬらの言うことに間違いはないはずだ。なので、少しくらいは優しくしてみようか。
「そうだなアクア。借金も返済できたんだし、ギルドでぱぁーっとやるか!」
朝になったら、財布の中身がすっからかんの無一文になっていた。
♢♢♢
今回のカズマパーティ一行と行った『すごろく場』で色々と大変な目に遭ったが、その甲斐はあった。
まず、賞金が手に入ったのも喜ばしいが、MVPだということで、ゴールの景品である『星降る腕輪』を自分がもらい受けることになった。
触った感じとても優秀な魔道具の腕輪で、おそらく装着者の素早さを格段に上げるものかと思われる。
そして、ボスモンスター『ガメゴンレジェンド』を倒した後、奇跡魔法の強化項目に『確変仕様・チャンス特技追加』が増えていて、魔王幹部を倒したり、亜神を倒したり、甲竜を倒したりとレベルアップを果たしていて溜まっていたスキルポイントを使って習得した。
これで、『パルプンテ』に新しい効果が発現するようになり、また一歩奇跡魔法の極みに近づく。
……もしかすると、この奇跡魔法のチャンススキルで、師匠を逝かせることができるかもしれない。
「それから留守番してるゲレゲレにしもふり肉のお土産もあるし、今日は収穫が大量だな」
「大量だな、じゃないわよもう!」
今日一日を振り返っていたら、早速すぐ隣から苦情が入った。それとは反対方向に向きつつ、だが向こうも顔を遠ざけた分だけ、眉根を寄せたその童顔を、ズイと近づける。
「ああ、ゆんゆんは手持ちのマナタイト結晶をほとんど使い切ったんだったな」
「別にそれはいいわよ。今日分けてもらえた賞金でウィズさんからまた買い直せばいいんだし。それより、とんぬら、オリジナル魔法を思いついた際、私に言わなかったっけ」
「うーん。何をだ? オリジナル魔法の開発は大変だったから、ウィズ店長に相談したけど、ゆんゆんにも何か訊いてたか?」
しれっとそんなことをいうと、視界の端に映る彼女のこめかみがひくつく。
「へー! めぐみんの爆裂魔法に対抗するなんて馬鹿なことはしないって言ってた気がするんだけど、これって私の記憶違いなのかな!」
このプレッシャーから距離を取りたいところだが、今日は限界以上の爆裂魔法をぶっ放した結果、疲労困憊。それにもうゆんゆんに片腕を捕られているので、逃げようがない。
「あ、ああ、確かに言ったな! うん、ゆんゆんの記憶の通りだ。でも、物事というのは臨機応変に対応していかなければならないんだ。奇跡魔法のランダム性からもアドリブでやっていかないといけない事態が多々あるだろう」
「へええええええ! それで鉄塊になって戻り方を忘れてた自爆魔法を使っちゃうんだ!?」
「い、いや、あれからちゃんと改善したから元に戻れなくなるなんてことはないぞ!? 本当だ! だから、そう至近距離に顔を近づけるな、身体をあまりくっつけるな、ゆんゆん!?」
家までの帰り道。
ふらふらであるも、どうにか自力で歩けるまで回復したとんぬらであるも、それを見逃すパートナーではなかった。
強引に肩を貸しつけさせ、横にぴったりと二人三脚でもないのにくっついている。加えて、説教で火が点いてるゆんゆんは顔もとんぬらの肩に預けるように近づけさせる。おかげで、周りからの視線が痛い。
「どうしてそんなに嫌がるのよ……私はあなたのことを心配してるのに……」
とあまりのこちらの抵抗ぶりに気を落としてしまう。
この娘は自身の身体がどれだけ凶器なのか自覚がないのだろうか。本当に、改めて見て、そして柔らかな感触を抱いて、しみじみと実感する。
そう、実用的な意味で凶器なボディを体感してからは特に。
「……ゆんゆんって、綺麗な顔をしてるよなあ」
つい口から洩れてしまった言葉に、少女は固まった。
「ど、どうしたのとんぬら! そんな、いきなり……も、もしかして、適当に私を褒め千切れば説教がなくなるとか考えてるのかしら!」
きっとそうでしょ! と決めつけにかかりながら、頬を赤くさせながらオロオロとするゆんゆん。
そんな胸にくる恥ずかしがり屋な彼女の反応と、今日一番、記憶に残っている、押し相撲しながら、オークのキラースマイルと目の当たりにした光景とが重なり、とんぬらはふいっと顔を逸らす。
「ゆんゆんって、本当、すごく美少女だよなあ。おかげで、直視できないよ」
「……ッッッッ~~~~ッ!」
赤くなって俯くゆんゆん。
それから、仲良さげに肩を組みながらも、互いに反対方向を向いて歩くようになり。
そして、とんぬらはしみじみと今日、オークに押し倒されそうになりながらも無事に生還できたことに喜びを噛みしめたのであった。
♢♢♢
「――浮気はよくないよ、とんぬら君」
「いえ、まだ誰ともお付き合いしてませんが、浮気なんて滅相もありません」
翌日。
しもふり肉をエサに、ゲレゲレに『マーシャルニャーツ』を仕込んでいたら呼び出しを受けたとんぬらは、この『アクセル』の街の外れにある、こぢんまりとした喫茶店へとやってきた。
隠れ家的な店で、ここにいる二人以外に客はいないし、店員もカウンターにいるひとりのみ。それも新聞を広げて、こちらに視線をやることもない。
「……ダクネスからの話だと、キミはオークから迫られるというまったく羨まけしからん体験をして、最初は抵抗したけどオークのすんごい攻めに身体を弄ばれついには心まで屈服したって聞いてるよ?」
「いったいどんな伝言ゲームしたんですか!? 真実が屈折しまくっていますよ!」
「だよね。やっぱり、ダクネスの嗜好が入っちゃってたか」
とんぬらが釈明する相手は、大きな借りができてしまった相手のクリス。
彼女は苦笑しながら頬の傷跡をボリボリと掻いて、
「もし本当にそうだったらどうしようかと困ってたからよかったよ」
「安堵するまでもないでしょうに。常識的にオークに堕ちるなんて考えられるはずがないでしょうっ! 何ですかそのオークに攻められて羨まけしからんというのは! 俺はトラウマを作りましたけど!」
「あはは……ま、人の趣味は人それぞれだよね」
とりあえず説教は回避できたので、とんぬらはミルクを飲み干すと。
「……そういえば、クリスさんに訊きたいことが」
「クリスさん?」
「クリス先輩に、お訊ねしたいことがあるんですが」
「なにかな?」
この前の先輩呼びが妙に気に入られた。そう呼べとは直接口にしないが、暗に態度で訴えてくる。この前、いつも先輩の尻拭いをしているとか言ってたから、こういう先輩風でも吹かしたかったのだろうか。
「貴族の情報に詳しいですよね?」
「まあ、自然そういう情報ばかり集めちゃうから……で、それはどういうことなのかな?」
「あ、いえ、実はひとり探している人物がいるんです。それは、隣国のですが元貴族の方だと聞いたので」
「なるほどね。うーん、あたしの情報網は国内が主だからなあ」
「そうですか」
「あ、それなら、ひとついい案があるよ」
面白いことを思いついた、というような、にしし、と笑みを浮かべるクリス先輩。
口調だけは厳かな風を装って、
「でも、後輩君がそれをするには、ひとつ試験を受けてもらわなくちゃいけない」
「……何ですか、クリス先輩」
ここで、面倒ごとになりそうなのでお断りします、などと言っても無理だろう。それに、この人には逆らえた試しがない。
そして、彼女はテーブルにひとつの宝石のついたアクセサリを置く。
「これは、あたしが集めてるモノとは違うけど、エリック=フィランテ=エステロイドという人が持っていたブローチ、まあ、言うなれば『思い出のブローチ』かな」
「ん?」
と差し出された際に、ちょうど陽光に当たって宝石の面が反射して、像が見えた。それが何かと確かめる前に、クリスはブローチに手を被せて引っ込めてしまう。
気になり追求しようとするも口を開こうとする間も与えずに話は進んでいく。
「でも、これにはもうひとつ対なるブローチがあるはずなんだ。そして、それが王都のある王宮仕えの貴族の元にあるって情報がつい先日に入ったの」
そこは、貴族としての格は低いが、そこの娘が魔法使いとしての腕を買われて、王女様の付き人を任されるという大出世を果たしたそうだ。
で、この実は巷を騒がせる『銀髪の義賊』な先輩はこう仰ったのだ。
「だから、後輩君、ちょっとそこからもうひとつのブローチを盗ってきてよ」
誤字報告してくださった方、ありがとうございます。