この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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31話

 

 

「この曲者ー! 出会え出会え! 皆、この屋敷に曲者よーっ!!」

 

 夕食を頂いて、お風呂にも入れさせてもらって、それから、ベッドに入る前にめぐみんと一緒にボードゲームしていたその時だった。

 『アークプリースト』アクアの声が屋敷に響いて、寝間着姿のまま、でも杖を持ちその方へ急いで駆け付けると、幼げで小柄な女の子……サキュバスがいた。

 

「実はこの屋敷には強力な結界を張ってるんだけどね? 結界に反応があったから来てみれば、このサキュバスが屋敷に入ろうとしてたみたいで、結界に引っかかって動けなくなっていたの! サキュバスは男を襲うから、きっとカズマを狙ってやってきたのね! でも、もう大丈夫よ。今、サクッと悪魔祓いしちゃうから!」

 

 その言葉を聞いて、素早くめぐみんとサキュバスを挟み打ちで退路を断つ。上位悪魔を相手に戦闘だってしたことがあるのだ。同じ悪魔でもさほど強くないサキュバスに怖気づくこともない。詠唱せずとも杖を突きつけ、威圧するだけで、ビクッと震え動きを止める。

 

「さあ、観念するのね! 今とびきり強力な対悪魔用の……。……? カズマ、男のあんたはこっちに来ない方が良いわよ? でないとサキュバスに操られて……」

 

 そこへアクアが飛び掛かり、取り押さえた。ところで、カズマが来た。きっと風呂の途中だったのだろう。腰にタオル一丁。彼はすぐこれはどういうことだと訊き、それにアクアがゆんゆんとめぐみんにしたのと同じ説明をする。

 途端、なんと彼はサキュバスの前に立ち、無言でファイティングポーズを取った。

 

「ちょ、ちょっとちょっと! カズマったらなにやってんの? その子は悪魔なの。カズマの精気を狙って襲いに来た、悪魔なのよ?」

 

「カズマ、一体何をトチ狂ったんですか? 可愛くても、それは悪魔、モンスターですよ?」

 

「しっかりしてください、それは倒すべき敵です。女悪魔と対峙したこともありますが、見かけによらず凶悪なんですよ?」

 

 各々説得を呼びかけるも、彼はそこをどかない。見れば、涙目のサキュバスがこちらには聞き取れないほど小声で何か囁いている。あれはきっと……

 

「ちょっと、いい加減にそこをどきなさい。仮にも女神な私としては、そこの悪魔を見逃すわけには行かないわよ? カズマ、袋叩きにされたくなかったら、そこを退きなさいよ!」

 

「アクアさん、今のカズマさんは、おそらくそのサキュバスに魅了され、操られてるのではないでしょうか? ほら、さっき何か彼に囁いてましたから、魔法をかけて……」

 

 そこで、ドタバタと大きな足音が。

 

「ああ、ゆんゆんの言う通り、カズマはサキュバスのチャームにかかってる! 先ほどから、カズマの様子がおかしかったのだ! 夢がどうとか設定がこうとか口走っていたから間違いない! おのれ、そこのサキュバスめ、よくもこの私に、あんな……、あんな辱めを……っ! ぶっ殺してやるっ!」

 

 現れたのは、ダクネス。また風呂上りなのだろうか、髪は濡れていて、寝間着姿で裸足のままサキュバスにえらく殺気立っている。

 今のダクネスなら、上級悪魔でも前に立ちたくないだろう。

 

「行け」

「お、お客さん!?」

 

 でも、カズマはその猛進を阻む。両腕を大きく広げ、女たちからサキュバスを守る壁になる。

 

「いいから、行くんだ」

 

 男性冒険者たちからの信頼。そして、この優しい悪魔。

 俺の背中には守らなくちゃいけないものがある、と力強く握るその拳に不退転の意は現れていた。

 この身を犠牲にしてでも、彼女だけは救ってみせる!

 『アークプリースト』、『アークウィザード』、『クルセイダー』という上級職メンバーに、最弱職の『冒険者』は一歩だって引かなかった。

 

「どうやら、カズマとはここで本気で決着をつけないといけないようね……! いいわ、掛かってらっしゃい! カズマをけちょんけちょんにした後、そこのサキュバスに引導を渡してあげるわ!」

 

「かかってこいやー!!」

 

 熱く、熱く、燃え上がるように熱く叫ぶカズマは、∞の軌跡に体を揺らすアクアのデンプシーロールへ真っ向から挑む。

 

「お、お客さーん!」

 

 その間、悲痛な声をあげながらも、決死の覚悟を見たサキュバスは瞳の滴を振り払って、屋敷から逃げようとする。

 アクアの連打を浴びながらも倒れず、ダクネスの突進も身を呈して遮り、隙をついて突破しようとするめぐみんも見逃さずに抑える。そして、外へ飛び立とうと窓枠にサキュバスは足をかけ、

 

「『ライトニング』!」

 

「きゃっ!?」

 

 ゆんゆんの稲妻に撃たれた。

 如何に奮闘しようとも三人で手一杯だったカズマには、客人の伏兵まで阻むことは叶わなかった。

 

「か、身体が痺れ……!? どうして……!?」

 

 しかも、今の雷撃は、本来ならば本体が別にあるので状態異常が通用しない悪魔族のサキュバスを麻痺させた。

 

「よくやったわ、ゆんゆん! 悪魔を痺れさせるなんてやるじゃない!」

 

「はい、この指輪のおかげです!」

 

 パートナーのとんぬらが贈った『雷の指輪』がゆんゆんの得意属性である電撃系の魔法を強化していた。

 予想外の事態であるも、でも、身を呈して庇ってくれるカズマの頑張りを無駄にはしないと奮起するサキュバスは、痺れる身体を動かし、翼を広げる。

 

「逃がしません! もう一度『ライト」

 

 しかし、容赦なくそこへもう一撃――!

 

「早く、とんぬらの下へ行くんだーっ!」

 

「ニン』んんっ!?!?」

 

 カズマのその発言に吃驚したゆんゆんは舌を噛んでしまい、詠唱中断。魔法は放たれず、サキュバスもこの隙に屋敷の外へと飛び立ってしまった……

 

 

「で、カズマ、どういうことなの?」

 

「………」

 

 数分後。

 仁王立ちするアクアの前に、装備品は腰タオルのみカズマが正座していた。背後をダクネス、右にめぐみん、左にゆんゆんと完全に女性陣に四方を包囲されている。

 

「さっきカズマはサキュバスに操られてた。そうなのよね? でもなら、どうしてそこでとんぬらの名前を口走ったのかしら? まさか、私のかわいい子を悪の道に唆してくれたのかしら?」

 

「………」

 

 口を固く閉ざし、黙秘権を行使するカズマは心の中で謝る。

 

 すまん、とんぬら……

 サキュバスの娘に雷を放とうとしたゆんゆんを止めるためとはいえ、無関係なお前を巻き込んでしまった。すまん……っ! でも、おかげで尊いものは守れた……っ!

 

 達成感はある。だがとても後ろめたい想いがあり、胸が痛んだ。

 

「カズマさん、どういうことなんですか?」

 

 ガッと左肩を掴まれる。

 揺さぶられるが、ちょっと状況的にそちらの方角は鬼門なので、反対側のめぐみんの方へ顔を向ける。

 

「正直に観念した方が良いですよ、カズマ。内なるデビルスレイヤーが目覚めてしまったゆんゆんには、私の声も聴こえませんから」

 

 めぐみんが自首を勧めるように、そして、冷たい目線で突き放すような声で言った。

 その視線もまた心に来るが、それでも反対側からくるプレッシャーよりはマシである。

 

「もしも、カズマさんが操られていて、それでとんぬらの方へ逃げろと言ってたなら……とんぬらも、すでにチャームに……」

 

 だが、このわなわなと震える声で推理というか想像が進んでいくゆんゆんに歯止めを掛けないと大変なことになりそうだ。

 ここは、あれは冗談だ、あのサキュバスから気を逸らすためについ言ってしまった方便だと言ってやりたいのだが、それだと今度はこっちが、あのとき理性があったということになり、

 

「カズマは、サキュバスに操られてたんだよな? さっきのお前は何だか強引で、ちょっと怖かったが……悪くはなかったな。物を知らない私に、好き勝手吹き込んでくれたのは頂けなかったが……で、でも、何にも覚えてないんだよな?」

 

「………」

 

 後ろから肩を掴んで揺さぶってくるダクネス。彼女にさっき夢だと思ってやったあれやこれを都合のいい解釈で処理してくれそうなのを覆してしまうことになる。

 

「じゃあ、無意識にとんぬらに助けを求めさせたということに……」

 

 ……いや、ここはそれを撤回してでも、弁護してやるべきだ。

 紅魔族で、アクシズ教徒(仮)だが、マイナスとマイナスを掛けたらプラスになるように、まともな人物。身近にいる希少な常識人で、大きな借りのある恩人を見捨ててなるものか!

 

 カズマは、先ほどサキュバスを庇った時の勇気を再起させ、必死に顔を逸らしていた左側へ向いて、

 

「ゆんゆん、あのな、さっきのことは」

 

「どうなんですか、カズマさん?」

 

「まったく何も覚えてないんだ」

 

 すまん……っ! 不甲斐ない兄ちゃんを許してくれ……っ!

 でも、この焦点のない赤い瞳に真正面から至近距離でガン見されるのは、もうホラーだよ。デュラハンより怖い。目を合わせちゃいけない。

 

「あー、でも、変なことを口走ったのかもしれないがそれは全部適当な戯言だと思うし、ほら、寝言と同じだ。だから、あんまり本気にするのは」

 

「行かなきゃ……早くとんぬらの目を覚まさせてあげないと……っ! ――すみません! 皆さん、私、もう帰りますっ!」

 

 ついに沸点に達した暴走列車娘は、こちらの声も耳に入ってないようで、今日泊まる予定だっためぐみんの部屋に荷物を取りに行ってしまった。

 うん。こうなったらあれだ。お前の嫁だ、何とかしてくれ。

 

「……はぁ、仕方ありませんね。今日は、ゆんゆんらの家に泊まらせてもらいます。今のあの子をひとりで放置するのは心配ですし……ええ、紅魔族の評判が悪くなってしまわないかという意味で、ですよ」

 

 勘違いしないようにと言い残し、めぐみんもその後を追っていった。

 カズマもまたそれに続こうとしたが、背後の『クルセイダー』に肩を押さえられて立てない。

 

「お、おい、ダクネス。いい加減に手を放してくれないか?」

 

「たとえ、記憶になかったとしてでもだな……やられた事実は変わらないんだし」

 

「そうね、サキュバスのチャームにやられてたんなら、ちゃんとお祓い(物理)をしておかないと」

 

 その後、アクアのサンドバックにされてしばかれた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

『なに……? 私が増援を寄越せと? ――ふざけるな! 一体誰がアイリス様のお側から離れろと言った! 今すぐ持ち場に戻れ! まだ賊は見つかっておらんわ!』

 

 玄関ホールへ向かった警護騎士たちは、第一王女の側近でありこの場における警備兵の総括であるクレアの一喝をもらい、急いで部屋に戻る途中、バッタリと同じ顔に行き合った。

 彼女はなんと第一王女を抱きかかえていて、こちらが口を開く前に、鬼気迫る形相で騎士らに叫んだ。

 

「おい、今ここに私がいなかったか!?」

 

「え、一体何を……?」

 

 口角泡を飛ばすクレアに戸惑う警護騎士。

 そんな如何にも遅れている反応に切れた彼女は、頭を引っ叩くような怒声を浴びせてくれた。

 

「バカもの! それが、カンダタだ! ヤツは、私に化けているんだ! これを見ろ! アイリス様が……!」

 

『なっ!?!?』

 

 胸元が見やすいように抱え直すと、ドレスが真っ赤になっているではないか。

 

「すぐ治療はした。このまま安静にしてれば問題ないだろう。しかし、ヤツはきっとこの私に化け、油断したところアイリス様を刺したに違いない! なんて卑劣な! 絶対に許せん!」

 

 そこまで言って、クレアは自身の顔を自らの爪で傷をつける。頬に傷痕ができ、これで見分けがつき易くなった。

 

「――屋敷にいる警護兵全員に伝えろ! 私のニセモノを何としてでも捕まえろと! ただし、殺すな! 奴には私が直々に剣をお見舞いしてやらんと気が済まん!」

 

『ッ、――ハッ!』

 

 先頭に立つ警護騎士に、血塗れな第一王女の身柄を預けると、クレアは率先してニセモノ退治せんと駆けだした。

 

 ………

 ………

 ………

 

『貴様ら、何故またここへ来ている! アイリス様のお側を絶対に』

『見つけたぞ! ヤツがニセモノのクレア様だ! 逃がすな! 囲んで捕まえるんだ!』

『な、なあっ!?』

 

 よし、これで本物の貴族騎士様へと注意がいった。

 殺気立つ彼女も警備兵たちを相手にしては満足に動けなくなるだろう。

 代わりに自由になったこちらはこのまま堂々と屋敷の正門を突破させて……

 

 

「行かせません、パノン殿、いえ、怪盗カンダタキッド」

 

 

 屋敷の周囲全体を結界で覆い、唯一の穴である正門前にひとり立ちはだかるのは、魔法使いの付き人にして、この屋敷の主人。

 杖を携える宮廷魔導士レインが、静かに怜悧な視線で差し止めるように退路を阻む。

 

「何を言ってるレイン! ニセモノは私ではなく」

 

「話はこちらまで聞いております。しかしクレア様ならば、あの状況では片時もアイリス様から離れないでしょう。つまり、ニセモノはあなたの方です」

 

 詠唱こそはしないが、先端に宝石のついた杖をこちらに向けている。

 通行手形として使わせてもらおうとしたクレアの変身を解くと、覆面黒装束姿へ戻る。

 

「はっはっはぁ、流石は宮廷魔導士殿!! 同僚のことをよくご在知のようだ!! 場に流されず、お役目を貫く姿勢も厄介ですな!! しかし、おひとりでこの怪盗カンダタキッドを捕まえられるおつもりですかな?」

 

「甘く見てるのはどちらですか? ここは私の屋敷、魔導士の工房に足を踏み入れておきながら、そう易々と帰れるおつもりで?」

 

「ほう。では、土産に、第一王女の指南役に抜擢される宮廷魔導士殿の魔法を見させてもらいましょうかな?」

 

「いいですよ。授業料は高くつくかと思いますが」

 

 だらりと腕を下げた受けの姿勢を取るカンダタ。

 それに、レインは動かず――彼女の周りの景色がざわりと蠢いた。

 風が吹いたのではない。夜闇の向こうから、いくつもの影が伸びあがったのだ。

 

「これは……植物型モンスターか」

 

「そうです。これらすべて屋敷に配置させた私の使い魔です」

 

 この世界の、野菜は自らの意思を持ち、動く。

 例えば、キャベツは飛ぶ。

 味が濃縮してきて収穫の時期が近づくと、簡単に食われてたまるかとばかりに、街や草原を疾走し、大陸を渡り、海を越え、最後には人知れぬ秘境の奥で、ひっそりと息を引き取る。

 

 また、植物型モンスターの『安楽少女』は、冒険者を騙せるほどの高い知能を有し、肉体の危険信号を麻痺させてしまう強力な麻酔効果のある実を生産する。

 

 そして、ここに現れた、『マタンゴ』、『オニオーン』、『ナスビーラ』、『ふゆうじゅ』、『どんぐりベビー』、『マンドラゴラ』……それぞれが異なる効能を発揮する毒性を秘めた植物型モンスターたちだ。

 

「……ここには多くの植物系の魔物が使役されています。それは彼らにかかる魔力が極めて低燃費に済むからです」

 

 少ない魔力を最も効率的に活用できるからこそ、ひとりでこれほどの数量を指揮できる。

 人海戦術に警備兵など必要ないのだ。

 範囲も密度も強大。この屋敷一帯を取り囲むこの箱庭そのものが、膨大な数の“圧”を放ち、全方位を埋め尽くす。

 

「これは、千客万来だ。しかし、私の身体は生憎とひとつしかないのでサイン会ならまた後日に」

 

「逃がしません! 『アンクルスネア』!」

 

 レインが、逃げ出そうとする怪盗へ足止めの魔法を唱える。

 庭の地面を突き破って、植物のツタが伸び、カンダタの足に絡みつく。

 動けなくなった怪盗へ、宮廷魔導士は最終通告を言い渡す。

 

「降参する気があるなら、その覆面を脱いで正体をさらしなさい。これを断るのならば、もう容赦はしません。この子たちの毒はとても強力で、たとえ高レベルの冒険者であっても危険なものです」

 

 問答無用で襲わせず、温情を見せたのは、少し欲が出てきたのだ。

 怪盗を名乗り、屋敷を混乱させてくれたが、あれほど第一王女を楽しませてくれた、そして、ワガママを言ってでも欲しがった人材だ。レインとすれば、欲しい。人の心に効く薬などありはしないのだから。

 

 だが、囚われ、包囲された怪盗は、この期に及んで、降参する意思がなかった。

 

「なるほど。使役した植物型モンスターの毒を材料に作ったものだからこそ、ここの秘薬は強力なのか」

 

 むしろ、感心したようにうんうんと頷いている。

 

「レインお嬢様が、第一王女の側近に抜擢された理由のひとつには、この家に研鑽されてきた薬剤への深い造詣を有することが挙げられるでしょう。あなたが専属医として傍についているだけで健康面は保証されていると言っても良い。娘の健やかな成長を願う国王陛下には喉から手が出るほどの人材です」

 

 突然、なにを……?

 急にこちらを称賛しだす怪盗を訝し気に見るレイン。まさか、私を褒め殺しにして温情を引き出そうとしているのだろうか。

 

「ですが、何も万能ではない。ここの評判を聴いたとある貴族の男性が身を蝕む病に当家に薬を求めましたが。延命は叶わず、亡くなってしまった」

 

「……あなたがいったい何を知っているかは知りませんが、ええ、薬とは万能ではありません」

 

「わかっています。一言断っておきますが、これはあなた方を責めているわけではありません。きっと真摯に全力を尽くしてくれたのでしょう。ただ、その頑張りを理解はできても納得のできなかった方がいる。

 そう、貴族の男性と許されざる隠し子を儲けてしまった母親のメイド……お嬢様の先代か先々代に、激しい恋に落ちた、愛する者への治療薬を作ってくれるよう求めた客人です」

 

 これは、駆け出し冒険者の街で知ってる人は知ってる話。

 とある貴族と使用人との間に子供ができてしまった。それはその貴族の一族には許されざるもの。何故なら貴族の男性には許嫁がいるのだ。貴族社会には、優秀な人物との間に子を儲けていくことで、血の力を強くしていくという思想を持つものが少なからずいる。

 

 なので、その事実を隠蔽しようと、その不倫は遊び半分であったと流布し、隠し子は街の郊外にある別荘に幽閉し、いなかったことにした。そして、母親のメイドは当然屋敷から追い出される。

 それを庇おうにももともと身体が弱かった貴族の男にはできなかった。どころか、幽閉された娘、追放されたメイドを何としてでも取り戻そうとし、それで無理が祟ってしまい体調を崩してしまう。

 そのことを、行方知れずとされながらも、常に気にかけていたメイドは風の便りで知ったのだろう。すぐ彼女は彼の病を治せる薬を求め、貴族社会で評判の屋敷へと訪れた……

 

「だが、貴族の男性を救うことは叶わなかった。まことに残念ながら。それは、その男性がその貴族の一族の意向に逆らったせいでもあった。跡継ぎの寿命が短いと判断したその貴族の人間が、時期を早めて許嫁をあてがったが、婚約者の娘を頑なに拒絶。貴族の人間が流した遊び人の噂を逆手に取って相手を怒らそうともしたそうです。だから、貴族の人間はあなた方の家から届けられた薬を使って、男を脅した。薬が欲しければ、病から助かりたくば、従えと。薬を毎月送っていたあなた方は男の下に実は薬が届けられていないことを知らなかったでしょう。そして、脅迫されても、男は断り続けていたことも。愛するのはただひとりだけだと。

 貴族の人間が愚かにも人の心を弄ぶような行いをつづけた結果、手遅れとなった一人息子は亡くなり、その一族は滅んだ」

 

「………」

 

「客人のメイドは悲嘆にくれたでしょう。どうして、彼を助けてくれなかったのかとあなた方を責めたかもしれない。そして、おそらくはこう頼んだのでしょう。『彼との思い出を残したまま生きることはできない。だからせめて、この記憶を消してほしい』……と。ここは、“人の記憶を奪う”秘薬を作れると私も聞いたことがあります。それを彼女に使った。彼女が生きていられるように――だから、彼女は父親と同じ病に罹った娘が両親の顔も知らずにひとり亡くなったことも知らない」

 

「それは……」

 

「貴族の人間が隠し子の情報を隠蔽していたのだから、あなた方が知らなかったことも無理はない。……ですが、マダム・オリビアに子供がいたことは知っていたのではないですか?」

 

 その追及に、無意識にレインは胸を抑えてしまう。知られたくない、知られてはならない過去を抱くように。

 

「私は、彼女が持っているブローチと対になるもうひとつの、貴族の男が所有していたブローチを見たことがある。チラリとしか見せてもらえなかったが、あれは魔力を篭めると写真が投影される魔道具だった。そして、今日、マダム・オリビアの持つブローチにも魔力を篭めれば、写真が映し出されたよ。まだ引き裂かれる前のほんの一時に撮った、赤ん坊の娘を抱いた親子三人の写真が。

 あれは仕組みも単純な魔道具。一般人にでも扱える。高名な魔導士一族であるあなた方がそれの扱いを知らないとは思えない。……考えられるのだとすれば、子供の存在が辛い記憶を呼び起こしてしまう要因となりうると判断した、と言ったところですか」

 

 そう、その通りだ。

 レインは知っている。

 まだ第一王女ほど幼き頃に、世話役の女性が大事にしてるブローチが魔道具で、記録された写真も見ていた。

 そして、それを師でもある父へ訊ねれば、記憶を失い、当てのない客人を、そのまま見捨てることはできず屋敷の使用人として迎え入れた出自を教えられ、彼女のためにも口封じをと頼まれた。

 

「ただ、娘の魂は未だこの世を彷徨っている。聞くところによると第一王女と同じように冒険者の冒険譚が好きなようです。そして、その話を聞かせてくれた方は、せめて成仏させるのなら、生前顔すら知ることのなかった親と会わせて、未練を解消させてあげたいと……」

 

 死者との会話など冗談も良いところだろうが、この者は、それを真に受けてこんな大胆な真似をしでかしたのだろうか。

 本当だとすれば、本当に大馬鹿者だ。が、悪人ではないのだろう。

 

「……あなたが騒ぎを起こした動機については、理解しました。ですが、アイリス様を混乱に巻き込んだ犯人を見逃すわけにはいきません。もう一度言います。投降してください。今の話を聞いて、情状酌量の余地はあると判断しています。私も弁護しますから」

 

「断る。浮気はできない性質なんでな」

 

 だったら、もう実力行使しかない!

 

「『マタンゴ』!」

 

 キノコの魔物、催眠香を出す植物型モンスターを差し向ける。笠を突き出して、体当たりを仕掛けてくる『マタンゴ』に、怪盗は手を突き出し、唱えた。

 

「『クリエイト・アース』!」

 

 長たらしい詠唱を必要としない無工程だが殺傷性皆無な初級魔法を。

 使い魔に目潰しでもする気か? とレインは思ったが、起こったのはその斜め上を行く現象であった。

 

 

 ぱんっ! と。

 まるで手品のように『マタンゴ』が、消失した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――えッ!?!?!?」

 

 驚く宮廷魔導士。

 大きく見開かれた目からは、一体何が起こったのか? と疑問に思ってるだろう。

 植物型モンスターは生命力がとても高く、それを無手で瞬殺させられる冒険者はそうそういない。これは護衛付き人のクレアであっても無理だ。

 でも、一撃。

 そう、どれほど数を揃えようが結局、植物は食物連鎖の下位なのだと、生態系の最上位の存在に踏み潰されてしまうような、簡単な動作。

 続けて、球根の形をしたモンスター『オニオーン』が飛び掛かるが、また土属性の初級魔法を唱えて、

 

 

 ぱんっ!! と。

 その土塗れの両手に挟まれた瞬間、『オニオーン』は毒粉を出す間もなく粉微塵に。

 

 

「話を聞いてもらったお礼に、こちらのマジックについて種明かしをしよう」

 

 とある『冒険者』の初級魔法の使い方を見て、1ポイント分余っていたので取得してみたが、それが面白い効果がつくようになっていた。そう、聖水が出たり、回復の波動を出したりする宴会芸スキルと同じように。

 

「まず、どうにも俺の初級魔法は普通のとは一味違うようでな」

 

 レインに向けて、立ててみせた四本の指より、ひとつひとつ解説しながら魔法を発動させる。

 

「『ティンダー』は、『ヘパイトスの火種』」

 

 人差し指の爪先に、線香花火のような火の珠。

 

「『クリエイト・ウォーター』は、『清めの水』、

 

 中指の爪先に、透明度の高い水の珠。

 

「『クリエイト・アース』は、『魔力の土』」

 

 薬指の爪先に、濃茶の土の珠。

 

「『ウインドブレス』は、『風切りの羽』が出る」

 

 最後の小指からは、半透明の羽根を含む風が逆巻く。

 

「宮廷魔導士殿はご在知でしょうが、何とこれ全部、『錬金術』の素材として使える」

 

 それから、ざっと植物型モンスターを見て、

 

「薬草の名門で丹念に育てられた、貴重な“素材”が選り取り見取りだ。他人の物を勝手に使ってしまうのは窃盗と変わらんのだが、つい食指が動いてしまう」

 

 ……つまり。

 彼は今、植物型モンスターと初級魔法で出した素材を“調合”したのか!?!?

 

「そんな!? 『錬金術』スキルで、モンスターを薬に作り替えたというんですか!?」

 

「うん、話を聞けば、原理は簡単だろ。種も仕掛けもちゃんとある。植物型モンスターはタフなのばかりだが、『錬金術』の原則は等価交換。スキルに適用され、素材にされたら“消費される(なくなる)”のが道理だ」

 

 別におかしなことではないとでも言いたげに軽く応えられる。

 

 彼の故郷は、高額賞金モンスターでさえ、ちょっとした小遣い感覚で狩る修羅の巣窟……というか、常識から外れているのだ。

 だから、その大人達と比較すれば、毒粉をばら撒いたり生命力はあっても戦闘力自体は低いモンスターを“素材”と見るくらい別段おかしな話ではないと。

 

 ――十分におかしいわよ!?

 

「そんな、まだ生きたまま、それも錬金釜や準備もなしにその場で『錬金術』は使えないはず!?」

 

「『野菜スティックの活け造り』という料理があるのに何を驚く? 『錬金術』も料理と同じ。魔道具の補助に頼っているけど、コツが掴めれば簡単な奴なら即興で手合わせ錬成できるぞ。『クリエイト・アース』と『クリエイト・ウォーター』」

 

 と、飛んで火にいる夏の虫な植物型モンスター『マンドラゴラ』を捕まえると、おにぎりの塩でもまぶすように『魔力の土』を掛け、それから手のひらを『清めの水』を濡らし、咀嚼するように両手の五指を噛み合わせながら、ぎゅっぎゅっと力を入れて握りこむ。

 そして、強力な回復薬の丸薬が錬成された。

 

 作業時間を短縮させる『星降る腕輪(まどうぐ)』の補助に、あとは合わせる素材を出せる初級魔法と併用し、『錬金術』を発動させて行われるこの手合わせ錬成。

 どれだけ大量のモンスターが襲い掛かっても、それが錬成素材用に調整された植物型モンスターでは、拍手するだけで終わってしまう。

 

 ――これが、どうにか零細魔道具店を盛り立てようと、必要に迫られて上達した! 早速人気になったチーズを大量生産するために1秒でも時間短縮を目指し、人間工場となった我が『錬金術』の冴えよ!

 

 売れば売るほど次の費用(レベル)のお高い“ボスキャラ”を連れてくる商才センスな店長の火の車な自転車操業を、なんとか黒字にしようと奮闘する哀しき勤労少年の業。

 彼の芸はいつも過酷な環境下で磨かれるのだ。

 

 怪盗は、一歩もそこを動くことなく、ぱんぱんぱんぱんっ!! と向かってくる植物型モンスターを錬金素材の『魔力の土』や『清めの水』と混ぜ合わせることで、シュレッダーにでもかけていくようにその悉くを無害な薬に変えていく。

 一匹ごとに拍手して、拝むようなその姿はその命に感謝を捧げているようで。

 そんな感謝の錬金術は、行使するほどに熟練度が増していき、つまりは作業速度を上げていく――!

 

「う、うそ……私の使い魔が……瞬く間に薬に……」

 

 そして、錬成された薬は、ちゃんと残さず消費される。

 流石に拍手させる間も与えず総出でかかれば捌き切れずに攻撃を受けることもあるが、それで受けたダメージも回復薬で治ってしまうし、状態異常も各種治療薬に快癒する。

 ダメだ。

 このレンキンスタイルにされるがままにしてたら、屋敷の使い魔が全滅しかねない。

 

「相手は、お師匠様と同じ宮廷魔導士だ! ならば、こっちも胸を借りるつもりでやろう! 遠慮なく全力で!」

 

 お願い、止めてっ!? ちょっと遠慮してっ!

 ウチはクレア様のシンフォニア家とは違い、大貴族ではない、下級貴族なのだ。そんな今や、ぱぱぱぱぱぱぱぱんっ!! とちょっと洒落にならない勢いで加速している手を止めないと本当に大変になる。宮廷魔導士は今とっても追い詰められているのだ。下手をすると、これなら普通に家の金庫を盗まれた方がマシなくらいに。

 

「下がりなさいっ!」

 

 使い魔を下がらせたレインは、宝石のついた長杖を振るい、渾身の得意魔法を放つ。

 

「『メイルストロム』――ッ!!」

 

 それは竜巻の如き水流を相手にぶつける上級魔法。

 ……なのだが、その激流葬を、深呼吸するように怪盗の口に大きく一気に吸い込まれた。

 

 はあっ!?!?!?

 いくらなんでもありえない!? その身体に入るような水量じゃないはず!? 何あの怪盗の胃袋は『テレポート』で異次元と繋がっているのか!?!?

 

「流石、宮廷魔導士。アクア様の次に美味しい魔法水だった。――では、次はこちらのターンだ」

 

 拘束魔法『アンクルスネア』の蔓から宴会芸スキル『縄抜け』で脱すると、カンダタは懐から小道具のひとつであるパピヨンマスクを取り出し、

 

「『ウインドブレス』――錬成!」

 

 まず『風切りの羽』を貼り付け、『風のブーメラン』に。

 

「『ティンダー』――錬成!」

 

 続けて、『ヘパイトスの火種』も握り込めるように合成させ、『炎のブーメラン』を完成させる。

 

「芸人とは時に火を吹き、時に火の輪をくぐり、時に火のついた棒を回して演舞をするもの! これが火を制する大道芸の奥義! 炎会芸『火車』――!」

 

 雑魚モンスターを融合させて強力なモンスターを呼び出すデュエリストの如く、初級魔法との錬成で、上級魔法にも匹敵する効果を起こす。

 

 旋回しながら焔を噴き上げるブーメランは、壁役の植物型モンスターを焼き払い、レインに迫る。慌てて横に飛んで『炎のブーメラン』を躱し――たが、帰ってきたブーメランは、ぐるんぐるんぐるんとレインの身体を軸に巡り――巻き付かれた。

 

「っ!? これは!?」

 

「派手な炎芸は前座。本命は、『斑蜘蛛の糸』に『清めの水』を錬成させた、その『雨露の糸』」

 

 糸の中を、尽きない水が流れる特殊な繊維。それは、絶対に焼け切れることない不燃性、そして、相当丈夫な『雨露の糸』。

 裁縫糸のように極細であるが、少なくとも魔法使いの筋力で敗れる拘束ではない。『炎のブーメラン』と凧の絃のように繋がっていた『雨露の糸』にレインは、蜘蛛の巣にかかった蝶のように身動きを封じられた。

 

「では、おやすみなさい、お嬢様」

 

「この、ちょ」

 

 先ほど『マタンゴ』の催眠粉を使った眠り薬を湿らせた布を口元に当てて、宮廷魔導士を昏倒。その胸元に、ひとつの住所を記したメモを、バッジのピンのように『風切りの羽』で刺してから、カンダタキッドはよっと立ち上がり、やれやれ今日の仕事はこれで終わりと一息ついた時、

 

 

「待て、怪盗カンダタキッド!」

 

 

 今度は、空気の読めない勇者様が現れた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 あんたはつくづく疲れる場面で出てきてくれるよなミツルギッ!?

 

 正門を目前に控え、魔剣の勇者ミツルギ=キョウヤが追い付いてしまった。

 レイン戦で『錬金術』を連発して魔力を消耗しており、また得物の鉄扇は置いてきている。たとえあっても、カンダタをしているときに同じ(スキル)はできない。

 

(お姫様とお嬢様の連戦がなければ、顔見知り(ミツルギ)なんて厄介な奴を相手にせず、もうとっくに屋敷を後にできてたのに……ああもう、なんだ? 今日は幸運の女神エリス様にそっぽでも向かれてるのか?)

 

「君にも色々と事情があるのかもしれないけど、まずは捕まえさせてから、話を聞かせてもらうよ!」

 

 完全武装の正義漢は、かつての敗北から反省したのか、相手の出方を待たずに果敢に迫る。

 得体のしれない相手であろうが、何もさせずに沈めれば問題ないという脳筋思考だろう。

 それでも、魔法を詠唱するだけの猶予はあった。

 

「『アクロバットスター』ッ!」

 

 グッと指を真上に指すポーズを決めて、『星降る腕輪』を核として宴会芸スキルを使ったオリジナル支援魔法を自らに施す。

 全身がミラーボールのようにキラキラと発光するカンダタに、驚きつつもミツルギの剣は唸りをあげる。

 

「ぬ!?」

 

 呻くミツルギ。

 『ソードマスター』の一刀がその身に直撃する寸前に、怪盗はいきなり信じがたいほどのスピードで疾駆し、横振りに迫る剣の下をかいくぐって躱すや、ミツルギの股の間をスライディングで滑り抜けたのである、

 どう考えても一般人が発揮しうる体術ではない。冒険者であっても、襲ってきた高レベルの『ソードマスター』の股下を滑り込むなんて芸当は無理だろう。

 

 魔剣を回避するためにカンダタが行使したのは、身体強化のような単純な支援魔法ではない。

 『星降る腕輪』は、“対象のかかる時間を短縮する”効果を持つ魔道具。素材に働きかけることで錬成の所要時間を極限まで短くすることもできるし、また自らの肉体に行使すれば反射速度を高速化する。そう、デュラハンが見せた『魔眼』のように、体内時間を一段階上の時間領域にギアを切り替える。簡単に言うと、テンポを倍速にしたのだ。

 ただし、加速の支援魔法は、疲労もまた倍以上に消耗するので、そう長時間の行使は無理だという難点がある。この身がドラゴンの特性を有していても、一分ごとに休まないと倒れてしまう。

 

「逃がさないっ!」

「このっ!」

 

 神器『グラム』の支援効果を発揮し、身体能力を上げているミツルギは、倍速状態のカンダタにも追いすがる。重装備で大剣を持ちながら、身軽な怪盗の倍速行動にすぐ間合いをアジャストするとは、流石魔剣の勇者。――それはこっちも織り込み済みだ。

 

「『ミラクルムーン』ッ!」

 

 宴会芸スキルの『機械運動』より、雑技団ばりの超人的な新体操を組み込んで『ハッスルダンス』をよりダイナミックに攻撃的な仕様にした一芸。カンダタの身体が地を蹴って反り返り、サマーサルトキックでミツルギの顎を蹴り上げる。相手の意識を一瞬飛ばした隙に、その勢いのままに、カンダタはスクリューのように猛然と倒立配転を繰り返し、一瞬のうちに10mあまりも離脱した。同時に消耗した体力もいくらか回復した。

 が、

 

「ミツルギ殿! それにレインまで!? くっ、怪盗カンダタめ、私を騙るだけでなくよくも二人を……!」

 

 屋敷での混乱を鎮めた護衛隊長な付き人様もいらっしゃった。

 クレアの指揮ですぐ包囲網が出来上がり、ミツルギの意識も回復した。

 

「次から次へと……人気者は辛いもんだ」

 

「クレアさん、気を付けて! 相手はかなり素早いです! 迂闊に攻め込むと反撃をもらいます!」

 

「ああ、わかったミツルギ殿、あのレインを倒すとは相当の手練れのようだ。まったくなぜ怪盗などやっている!」

 

 絶体絶命だ。

 油断も慢心もない騎士と剣士に挟まれ、そのまた周りを警備兵に囲まれるこの状況。どうしてこうなっているのか自分でも分からなくなる。

 いや、『じゃ、いってみよう!』と送り出したヤンチャな先輩が元凶なのだが、事情を悟り、やると決めたのは自分自身だ。

 

「まったく……これだけ全力で、芸能を奉じてきてきたんだ。そろそろ幸運の女神(エリス)様が振り向いてくれないとやってられないぞ」

 

 もう一度、状況を確認する。

 勇者ミツルギに側近クレア、それから警備兵。

 うん、間違いなく絶体絶命――だからこそ、『不幸(ハードラック)』な自分は逆境なほど強運になる。

 

 

「(『パルプンテ』)!」

 

 

 聞き取れないように小声で、でもしっかり力を篭めて、奇跡魔法を詠唱する。

 

「っ! 今までにない感覚……! そうか、これが確変――!!」

 

 英雄の如き比類なき会心の一撃を叩き出す『力がみなぎる』と二回同時行動を可能とするほど機動力をあげる『ハヤブサのように身軽に』が両方いっぺんに発現した。

 そして、それはもはや別物の効果へと昇華される。そう、『チャンス特技』へと――

 

「よし! 最後の大一番! 我が一族の十八番、受けて立つか魔剣の勇者よ!」

 

 ぐっと身体を沈めて、天高く跳躍。

 そして、人間のままドラゴンの力を発揮する。

 

 

「『ドラゴンソウル』――ッ!!!」

 

 

 それは、稲妻のように迸る青白い光の竜のオーラを纏いながら空を蹴り、流星の如き天空落し。

 そのスピードはまさに弾丸。通常であれば意識を失ってしまう、どころか、身体がバラバラになってしまってもおかしくない速度。『目にも留まらぬ』などという陳腐な比喩表現が、今まさに現実のものとなっていた。『ドラゴンソウル』を発動させたカンダタを捉える者など、そうは存在するまい。

 ――しかし。

 

「ああ、受けてたとう! 怪盗カンダタキッド! 僕の最強(グラム)が、君の最強を倒すっ!」

 

 挑戦を受けたミツルギは、大剣を横にして盾に構える。

 魔剣『グラム』の対竜属性。ドラゴンのブレスでさえ斬り裂いてしまう神器は、渾身の一撃にも耐えうる――そう、所有者ミツルギ=キョウヤは信じている。

 天と地に合い見える怪盗と勇者の天下分け目の一騎打ち。

 

「っ!? なんて力だ!? これが、ミツルギ殿の本気!?」

 

 それに、クレアら騎士たちは固唾を呑んで見守る中、両雄の力は最高潮に達し、

 

 

「うおおおおおっ!!」

「はあああああっ!!」

 

 

 ――決着は、ついた。

 

 

 立っていたのは………………勇者。

 

 

 そして。

 

 

 斜め()の方向へ飛んで行った怪盗。

 

 

「…………え?」

 

 その場にいた皆、ミツルギも、ぽかん、と口を開けて呆ける。

 『ドラゴンソウル』で『グラム』を盾にして防御姿勢を取る勇者へアタックするかと思われた怪盗は、斜め下へ強襲……ではなく、斜め上に空を蹴って、人間大砲のように彼方へと飛んで行ってしまった。門柵の上を軽々と超え、張られていた結界も破り、あっという間に屋敷から退散した。

 盛り上げに盛り上げられておいて、突然梯子を外されたミツルギは呆然と固まってしまい再起動するのにしばし時間を要する模様。また見事に場の空気に流されて敵前逃亡を許してしまったクレアは叫んだ。

 

 

「我がシンフォニア家の名にかけて、絶対に貴様を捕まえてやるからな、カンダタキッドオオオッ!!」

 

 

 これぞ紅魔族の十八番、ダイナミック肩透かし。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 投げっぱなしジャーマンの如く、天空に身を投げてしまったが、マントに『清めの水+風切りの羽』の錬成で創り出した『天使の羽』をまた錬成し、『風のマント』を作成。そのままムササビのように滑空しながら、着地に良さそうなポイントを見つけ、着地は『アストロン』。

 大脱出に成功したカンダタは変装を解いて、とんぬらに戻ると、待ち合わせ場所としても指定してある王都の転送屋へと走っていく。

 

「お、無事に帰ってきたね、後輩君」

 

 そちらも一仕事終えて、待っていてくれたのだろう。『盗賊』のクリスを見つけ、とんぬらはアクセルダッシュ。そして、ブレーキを掛けずにジャンプ。

 

「大変だったようだけど、キミなら帰って来るって信じ」

「天誅チョップ!」

「ふぎゃ!?」

 

 勢い付けたダンク手刀(シュートゥ)を額に叩き込んだ。

 鈍い音が響いて、ぷくぅっとタンコブが。あいたた、とクリスは涙目になるのを見て、畏れ多いと思いつつも、言ってやらんと気が済まない。そう、被害を被ったのは自分だけでないのだ。

 

「何するのさ!? あたし、キミに何かした!?」

 

「したでしょう。超特大の余計な世話。なに、屋敷に予告状を送ってるんですか?」

 

「そりゃ、怪盗なら予告状を送るのがマナーかなぁ、って気を効かせて送ってあげたんだけど」

 

「へぇ、あれが先輩なりに気遣いだったんですか。普通に後輩苛めかと思いましたが」

 

「えっ……、そ、そう? あたしの先輩がやってくれたことを参考にしてみたんだけど」

 

「あれのおかげで屋敷のお嬢様はストレスで体調崩しましたし、屋敷の警備員も増員、ただでさえ『派手にやれ』と注文つけて無茶ぶりなのに攻略難易度はぐぐんと上がりましたとも。第一王女、宮廷魔導士、勇者と三連戦ですよ。怪盗のすることじゃありません。本当、エリス様にそっぽを向かれてるかと心配になるくらい不幸具合でした」

 

「いや、ちゃんと見てた…と思うよ! 凄く波乱万丈な人生を送ってそうだなーとか思ってたんじゃないかな? でも、後輩君って、先…アクア様の加護が特に強い子だからさ、エリス様も手を出すのは控えちゃうんだよ」

 

「だとしても、反省してくださいクリス先輩。せめて予告状の件は事前に教えておいて欲しかった。心の準備をしておきたかったですしね。というわけで、さっきのチョップは理不尽な先輩に対する、いわば天罰です。きっとアクア様の後輩でもあるエリス様が、俺の苦労話を知れば、クリス先輩がたとえ敬虔なエリス教徒であろうと、心を鬼にして自らの信者に天誅をぶつけたに違いありません」

 

「ご、ごめんね! うん、反省する、すっごい反省するから! だから、ちょっとそういうのはやめてっ!」

 

 逆上することなく、普通にクリスに拝み謝られたのが、どうにもとんぬらはすごく安心してしまう。

 どうしてか、今自分はとんでもないことをしているんじゃないかと思ってるのだ。こんなにも先輩後輩の上下関係を絶対のものと深層意識で思っているのだろうか?

 

「それで、ちゃんと盗んでこれたのかな?」

 

 気を取り直して、片目を瞑り、訊ねるクリスに、迷うことなく。

 

「ええ、ちゃんと盗みませんでした」

 

「どうしてかな?」

 

「まず、盗ってきたお金を教会に寄付するような、信仰心溢れる清く正しい義賊が、自分のために泥棒をするとは思えなかったんですよね。クリス先輩が、特に理由もなく、ただテストのためだけに人のものを盗ませるなんて納得いきません。回収しておかねばならない危険な神器だからこそ盗んでいる――だから、最初に話を聞いた時点で裏があるとは思っていました」

 

「うん。それでそれで?」

 

 にこにこと笑いながら先を促す。

 ちゃんと出題者の趣旨を理解してもらえて嬉しいというような感じが目に見えてわかるくらいだ。

 

「これは、ただの盗みの腕試しじゃなかった、ということじゃないんですか」

 

 『思い出のブローチ』

 その正体は、魔力を篭めると唯一の集合写真が投影される魔道具。きっと別れ別れになった恋人同士が互いの、親子三人での再会を願い、心と祈りを込めて作り持っていたものなのだ。

 

「マダム・オリビアは記憶を失っていましたが、ブローチを大事にしていることは、見ればわかりました。彼女にとっては命よりも大切なものであるかもしれない。そんな大事な心を、どんなことがあろうと盗んではならない。そうじゃないんですかクリス先輩?」

 

 ブローチの持つ意味を見抜き、盗まない。

 このテストはどれだけ活動の意義を理解できるか……それを見定めるものだったのだ。それは、神器回収にも通じる大事なことだから。

 

「ミツルギを見ていて思いますが、勇者候補にとって神器はすごく大事なものだ。あれが神器の名の通り、“神から与えられた器”なのだとすれば、神器とは勇者候補にとって神様に与えられたもうひとつの命、とも言えるのかもしれない。だったら、回収するのは没した彼らの供養ともなるんでしょう。他人に悪用されているのであればなおさら、ね」

 

 しかし、不思議に思うが、よくこの先輩は『思い出のブローチ』なんて持っていたものだ。エリックの死後、供養したエリス教会に預けられていたのだとしても、それを勝手に持ち出せるとは普通はできないことだと思うのだが。

 盗んだ金銭を寄付しているわけだから、エリス様がお目こぼししてくれたのかもしれないし、エリス教会では顔が利くのかもしれない。

 

「それで、テストの結果はどうですかクリス先輩」

 

「うん、満点。ううん、アフタフォローもしてくれたみたいだし、満点以上かな」

 

 にかっと満面の笑みを浮かべる先輩。

 自信はあったが、そう言ってもらえて胸を撫で下ろす想いだ。

 

「やっぱりキミは見込んだ通りの子だ。その奇跡魔法は神器に等しきものだからそのための観察をしたかったのもあるけど、必要なかったね。むしろ、だからこそ、キミが神器を悪用しないと信じられるよ」

 

 そういって、クリス先輩は祈るようなポーズを取り、

 

「それで、もうお願いしなくても言いたいことはわかると思うんだけど……とんぬら君、神器の回収に協力してもらえませんか……?」

 

 それは、いつもとどこか違う雰囲気で。

 自然、頭を下げてしまいそうなくらいの嘆願で。

 そもそも、とんぬらはこの人に逆らうのは難しいというのに。ズルい真似をしてくれるものだ。

 

「……はぁ。わかりました。今は冒険者でも将来は実家の神職を継ぐ者です。遺品はきちんと供養しなければならない職業意識を持っています。それに、情報が集められる得もありますし……人手の足りないときの、臨時の手伝いなら、お引き受けします親分」

 

「うん、ありがとう!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 まだ調査をしておきたいというクリス先輩は王都に残るようなので別れ、ひとりとんぬらは転送屋で『アクセル』へと帰還する。

 

「結局、朝帰りとなってしまったが、まあ、ゆんゆんもまだ帰ってきてないだろ。きっとめぐみんと夜更かししただろうし」

 

 とにかく、余計な心配させないよう帰路を急ぐ。

 疚しいことはしてないのだが、パートナーにも言えない秘密ができてしまったわけで、それを気取られるのは困る。

 徹夜明けで疲労困憊してるが、彼女が帰ってくるまでに少し休めれば……と、家に入ったら、

 

 

「おかえりなさい、とんぬら」

 

 

 早朝の薄暗がりに芒と赤く浮かぶふたつの光点。

 いつぞやのように、ゆんゆんがいた。

 寝ずの番で待っていてくれたのがわかってしまう。思わず、頬が引き攣る。心なしか声も緊張で強張る。

 

「た、ただいまゆんゆん。随分と早いな。めぐみんたちのところにお泊りするんじゃなかったのか?」

 

「うんちょっと、ね? 向こうでいろいろとあって、ね? それで、心配なことができて、ね? 帰らせてもらったの」

 

「そ、そうか」

 

 なんだろうか。

 釈明があるなら今のうちにした方が良いわよと暗に告げているような疑問符の連発は。

 

「あと、めぐみんはそこにいるわよ」

 

「え、……うわぁ……」

 

 これまた、いつぞや見たゲレゲレと重なる光景だ。居間の奥でぐったりとゲレゲレと一緒に横倒れしている紅魔族随一の天才娘、なんとなくダイイングメッセージのように指を出したまま寝落ち?している。

 爆裂魔法並みに消耗してしまうほど、この心配性なパートナーを宥めていたのかもしれない――とめぐみんを感慨深く見つめてたその間、音もなくゆんゆんがこちらに接近。マジシャンもびっくりするほどミスディレクションっぷりで。一瞬で現れたかのように錯覚してしまって後退りかけたが、後退を許さんと服を掴まれた。グイッと引き寄せ、胸元にゆんゆんは顔をうずめる。

 

「なっ!? おい、いきなり何を」

「すんすん……………どうして、女の匂いがするのとんぬら?」

 

 もしかして心配で抱き着いてきたのかと思ったが違った。

 別の意味で心配されていたようだが、ドキッと心温まる彼女の匂いに心打たれるのではなく、こちらはゾッと胆が冷える。

 

「ねぇ、とんぬら。ミツルギさんといたのに、どうして、女の、匂いが、するの?」

 

 怖い。

 言葉を細かく単語単語で切ってくる彼女が怖いです。

 服についた匂いでわかってしまうことに色々とツッコミたいが追及したくないので、そこは置いておいて、そうだった。

 感激したクリス先輩に最後ハグされた。これまで独りで世界の平和を守るためにと陰で頑張ってきた彼女に応援ができたのだから嬉しかったのだろう。こちらも少し照れながらも微笑ましく頬を緩ませたものだ。

 今は、全然笑えないのだが。

 

「それは、だな……」

 

「本当のことを言って」

 

 抱き着かれたまま顔をやや上向きにしたゆんゆんに、睨まれる。

 でも、眼にはきちんと焦点が戻っていて、真っ直ぐに見つめるそれは、怖くはない。必死さが伝わって来て、でもむしろ、この触れることも躊躇ってしまうほど泣きそうな瞳の方が対処し難いもの。

 用意してあったのに言い訳もできず、おろおろと閉口してしまうとんぬらに、ゆんゆんは押し殺した声で言う。

 

「フィオさんとクレメアさんから話は聞いたわ。ミツルギさんは今王都にいるって……昨日は、第一王女と会食するんだって」

 

 帰ってきたら、家にはいない。

 まだ帰ってきてないだけなのかもしれないと、でも、待っているのはできないゆんゆんは迷惑を承知で、真夜中、冒険者も寝静まったころにフィオとクレメアたちの泊まる宿屋に押しかけ、彼女たちを起こしてまでお願いして、ミツルギがどこにいるかと訊いた。

 そしたら、とんぬらと一緒にいるであろうミツルギが、この駆け出し冒険者の街にいないことを教えられた。

 

「あー……そうだな、ミツルギがお姫様に冒険譚を話すというのは聞いてたよ」

 

「……じゃあ、とんぬらも一緒に会食に参加してたってこと?」

 

 確かにあの場にいて、魔剣の勇者の活躍ぶりを知らしめたが、会食に参加したわけではない。一緒に来てほしいとミツルギに持ちかけられたが丁重に辞退した。

 でも、ここで会食に参加していたと頷けば、ゆんゆんは安心してくれる。ミツルギには後で頼んで、話を合わせてもらえばいい。

 だけど、ここで『そうだ』の一言で彼女の心の安心が買えるのはわかっていたが、どうにも、これ以上ウソを言うのは躊躇われた。

 

「……いや、してない」

 

「なら、どこに行ってたの?」

 

 最終的に納得してくれたが、めぐみんが爆裂魔法を習得すると知った時とても反対したと聞いているゆんゆんだ。ここで正直に怪盗をしていましたと言えば泣きつかれるに違いなく。知ってしまえば、余計なものを彼女まで抱えることになる。そう思うだけで、口は重くなってしまうとんぬらは、こんなことしか言えなかった。

 

「ごめん。それは、言えない」

 

「どうしても……どうしても言えないのとんぬら?」

 

「言えない。ゆんゆんには、絶対」

 

 今さら誠実になど口が裂けても言えないが、きっぱりと目を見てこちらの意思を伝える。まるでその拒絶の言葉に押されたかのように、とんぬらから一歩下がったゆんゆん。キッとこちらを睨んで、

 

「実家に帰らせてもらいます!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「はぁ……ほんっとうに、どうしよう……」

 

 昨日のお泊りにまとめていた鞄を持って、ゆんゆんはさっさと家を出て行った。

 それを止める言葉も行動もできず出立を許してしまい、立ちぼうけるとんぬらは、紅魔族流ダイナミック大脱出を決められた勇者よりもマヌケな顔をしていただろう。とても、貴族を相手に大立ち回りを演じた怪盗カンダタキッドだとは思えない。

 

「本当に、どうするのですかとんぬら」

 

 今目覚めたわけではないのだろう。寝たふりをして話を聞いていた狸寝入り娘がゴロンと寝転がって、玄関に腰を下ろしたままがっくりと項垂れた頭を抱えるとんぬらを見る。

 それはこの無様を面白がったり、嘲笑ったりする目ではないのだが、厳しいものを感じる目で。

 

「どうすればいいのか、こっちが訊きたいなめぐみん」

 

「正直に言えば良かったんじゃないんですか? ゆんゆんは本気で心配していましたよ」

 

「……なあ、あんたらのとこで一体何があった? どうしてゆんゆんはお泊りを中断して帰ったんだ」

 

 そこは疑問だ。

 彼女は気合入り過ぎなくらい楽しみにしていたはずだ。なのに、どうしてそんな機会をふいにするような真似をしたのだ?

 

「昨日の夜に、屋敷にサキュバスが出たんですよ」

 

 めぐみんは淡々と教えてくれた。

 屋敷にサキュバスが出て、カズマがチャームにかかって操られたこと。そして、カズマがその時にとんぬらの名前を口にしたことを。

 

(あん)ちゃん……」

 

 より重くなった頭を支えながら、とんぬらは思い切り嘆息する。

 

「……でも、そんなに心配することなのか? 俺はそれほど信頼されてないのか?」

 

 少々裏切られた想いでそんなことを愚痴ってしまう。

 だって、だとすると、これは、ゆんゆんが居ぬ間に、サキュバスといかがわしいことをしていたなどと思われていたということになるのだ。

 いや、こちらは線引きを徹底して、直接的なことは言ってないし、してやらなかった。……でも、それでも信頼を勝ち取れてなかったことにがっくりと来てしまう。

 サキュバスのチャームにやられる程度の軟な精神構造をしていたら、もうとっくに一線など踏み越えていただろうに。

 

 そんなパートナーにふつふつと怒りを覚えてきたとんぬらは、続くめぐみんの呆れ果てた指摘に一気に頭を冷やされることになる。

 

「当然でしょう。あなたは二度も悪魔の手に落ちたのですから」

 

「あ」

 

 アーネスとホースト。

 これまでとんぬらは、女悪魔アーネスに闇討ちされてモンスターの巣に飛ばされ、邪神の片腕ホーストには鉄像になったところを攫われた……ゆんゆんの目の前で、だ。

 こんなヒロインがやるような展開を二度もしたのだ。なのに、逆切れなどもってのほかのお門違いだ。

 上位悪魔でなくてとも、悪魔のサキュバスに襲われたかもしれないというのはゆんゆんにとってみれば、心配して当然のこと。

 

「あなたは自分のことにわりと無頓着とはいえ、まさかそんなことも気づかなかったんですか?」

 

「ああ……そうか……そうだよな。……すまん、相当疲れてるみたいだ」

 

 ずーん、と落ち込むとんぬらに、めぐみんは半目になりながら、訊ねる。

 

「それで、とんぬらはどこで何をしてたんですか?」

 

「それは、言えない」

 

 きっぱりと一線は超えさせない。

 頑固な石頭だと言われようが、これだけはこっちも譲れないのだ。

 

「しょうがない人ですね、とんぬらは……いえ、しょうがないカップルですよあなたたちは」

 

 顔は見えないが、その声は心底呆れられたもの。

 さあ、これまで自分を追い詰めてきた彼女の口から一体どんな文句が飛び出るかと心の中で身構えたら、

 

 

「ま、いいんじゃないんですか、あのぼっちでちょろい少女と遠慮なく喧嘩ができるようになって」

 

 

 そんな、肩透かしされるようなことを言われてしまった。

 頭の上に乗せられていた重石が除かれたように、顔を上げたとんぬらはそちらへ向く。そこには、立ち上がっためぐみんがいて、

 

「ゆんゆんのことですから、きっと二人暮らしでのバイブルみたいな本で読んだことをそのまま言ってしまったんでしょう。けど引っ込みがつかなくなって、勢いのままに行くんじゃないかと」

 

「そんな本気でもないのに行き着くとこまで行っちゃう喧嘩別れは最悪なんだが。八つ当たりだろうが、それを書いた著者に説教してやりたい」

 

「それで、本当に里へ帰ったら、とんぬらは大変なことになりますね」

 

「勘弁してくれ……本当に」

 

 上級魔法を覚えた今のゆんゆんなら、紅魔の里までの道のりをひとりでも行けるだろうが、それでひとりで帰らせたら、娘を任された族長の反応が恐ろしい。下手すると魔王軍幹部でも相手にしたくない戦力が、この駆け出し冒険者の街へ向かってくるかもしれぬ。

 

「古来より、男女の喧嘩は、男の方が悪いと決まってますから。ウチの里の者たちは浮気者に容赦しないでしょう。どこまで逃げられるか見物ですね。ええ、きっと族長自ら指揮を執って娘を誑かした紅魔族随一のプレイボーイを捕まえに行きますよ」

 

 で、やっとこちらの不幸っぷりを面白おかしく笑い始めた里一番の天才に、とんぬらは体も向けて、姿勢を正す。

 

「頼みがある、めぐみん」

 

「何でしょうか、とんぬら」

 

 面白がるように聞き返すめぐみん。癪だが、非常事態だ。とんぬらは、見てくれもへったくれもなく、頭を下げる。

 

「今の俺の頭じゃゆんゆんに会っても、何を言えばいいかわからん。ぶっちゃけ休みたい。でもそうすると、ブレーキの壊れためんどうくさい娘はどこまで行ってしまうのかわからん。……だから、引き止めてくれないか?」

 

「なんとまあ、情けないことを言いますね」

 

 ふん、と鼻で鳴らし、

 

「……しかし、とんぬらが土下座するなど、一億エリスを積んでも見られないものです」

 

「十億エリスをくれたってやるものか」

 

「そうですか」

 

 貸しひとつですよ、と言って、軽く身支度を整えためぐみんは頭を床につけたままのとんぬらの横を通り過ぎ、それから、寝ていたゲレゲレもむくっと起き上がり、低頭な主人のつむじにすんと鼻をつけてから彼女の後に続く。

 そして、玄関の扉を閉じる際に、ポツリと呟かれる。

 

「その芸、私以外にはしないでくださいよ。あなたは私のライバルなんですから」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 めぐみんが去ってからもしばらく、ひとりになった家の中で頭をあげなかったとんぬらだが、ようやっと重い身体を起こす。

 

 めぐみんに、それからゲレゲレも探しに行ってくれた。本来ならば自分が行くべきなのだが、最低でも万全の状態にしておかないと、彼女の前に立てる気がしない。

 こんな疲労と眠気で回転の悪い頭では、また何も言えなくなるだろう。

 ここは甘えさせてもらって、三時間ほど、自室で眠らせてもらおう。

 

 

 でも、結局、とんぬらは床に就くことは叶わなかった。

 街中に、すべてをぶち壊すかのようなアナウンスが轟いてくれたせいで――

 

 

『デストロイヤー警報! デストロイヤー警報! 機動要塞『デストロイヤー』が、現在この街へ接近中です! 冒険者の皆様は、装備を整えて冒険者ギルドへ! そして、街の住人の皆様は、直ちに避難してくださーいっ!!』

 

 

 ……第一王女を負かしたり、怪盗をやって騒がしたり、先輩に脳天チョップを食らわせたりしたが、それほどバチ当たりなことをしてしまったのだろうか?

 

「……いや、したな」

 

 彼女に言えない秘密ができてしまった。

 そんな浮気者は災難に塗れるのがお似合いだろうと、少年は寝る寸前のベッドから名残惜しくも手を放し、立ち上がる。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ……ど、どうしよう……泣きたくなってきた。

 

 ついマニュアル本に載っていた台詞を言って、勢い余ってちょうど到着した集合馬車に飛び込み乗車してしまったけど、やっぱりひとりで帰るのはない……訂正、彼と離れるのはない。

 女神エリス様、お願いします仲直りをするチャンスがほしいです。彼を困らせるのは本意じゃないんです。めぐみんに言われなくたって、隠し事するのだって、きっと自分のためなんだなってわかっていたのに、衝動的にカッとなってしまった。あそこは一度時間をおいてからお互い冷静になってもう一度話し合うべきだったと今は反省してます……!

 と、横から突然声がかかった。

 

「ね、ねぇあなた、どうしたの? さっきから頭をぶんぶん振ったり挙動不審だけど、どこか具合でも悪いの?」

 

 安堵させるように柔らかく微笑みかけるのは、黄色い瞳が特徴的な、赤毛でショートカットのお姉さん。それで、どこか猫っぽくて……ちょっと彼に会わせたくない。

 でも、こういう頼れるお姉さんだったなら、彼も気を遣わずに話してくれただろうか……

 

 一方でこちらは、深く後悔するあまり、無意識に奇行に及んでいたらしい。

 顔が熱くなってきて、たぶん目も赤くなってる。何かで頭を覆い隠したくなる、いや自分のことよりも心配して声をかけてくれたお姉さんに手を振って、

 

「だ、大丈夫です、ちょっと色々悩んでいただけですから! すいません、変な行動とってすいません!」

 

「そう? 見たところ魔法使いさんみたいだけど……あら? あなたのその目って、紅魔族?」

 

「あっ、はいっ! 私は紅魔族の、その……わ、わ、我が名は……」

 

「い、いいのよ、言い辛かったら名乗らなくても! 紅魔族の名前が特殊だってのは知ってるから!」

 

 ……なんて良い人なんだろう。さっきちょっと嫉妬してしまったのが申し訳なくなってしまう。

 早朝始発の馬車だからなのか、お客は少なく、この集合馬車に乗ってるのは、自分とお姉さんの二人きり。

 

「ところで、一体何を悩んでいたの? 良かったら、お姉さんが相談に乗るわよ?」

 

「わ、私の悩み、ですか……。その、ちょっと情けないんですが……」

 

 初対面の相手だったけど、先ほどのことを打ち明ける。

 心配で家に帰ったら留守で、彼の出掛ける用事がウソだったこと。

 くたくたで朝帰りしてきて、すごく心配したこと。

 そして、本当の理由を訊ねても内緒にされて、どんなに追及しても答えてくれないこと。

 でも、それが自分のためだとわかっていたのに喧嘩別れしてしまい、どうやって関係を修復したらいいかわからないことを。

 それを聞いてくれたお姉さんは、しばらく目を瞑り。

 

「……そう。恋人と喧嘩別れしてしまったのね」

 

「こ、ここここ恋人ではありませんっ! パートナーですっ!」

 

「え? でも、今の話を聞いた感じだと男女のお付き合いをしてそうよね。二人一緒のところに暮らしてるんだし」

 

「ち、違います! パートナーなんですっ! ……色々な意味で」

 

「ああ、はいはい、わかったわ。パートナーということにしておきましょう」

 

 お姉さんに呆れられちゃった。でも、そう言われるのは恥ずかしいので訂正してもらえて助かる。

 

「パートナーの彼と喧嘩別れしてしまった。でも、もう頭は冷えたんでしょ。なら、会いに行きなさい」

 

「で、でも、どんな顔をして会ったらいいのかわからなくて……」

 

「だけど、すぐ会えるんでしょ? この世から去ってしまった私の部下たちとは違って」

 

 そういって、少し寂しそうに笑うお姉さん。

 きっと、このお姉さんも色々あったのだろう。

 

「それは……その、ご愁傷さまです……」

 

「ああ、ごめんね、大丈夫なのよ。しばらくのお別れってだけで、別にその子たちと二度と会えないわけじゃないからね? それより……。あなたは、ここで怠けていたら、二度と会えなくなるかもしれないのよ?」

 

 二度と、会えない……そんなのは、イヤ。想像だってしたくない。彼が傍にいてくれるのが当たり前になってて、それでかけがえのない大事な一時。それを失くしてしまうのは、絶対にイヤだ。

 

「ふふ。その様子だと、決まったようね」

 

「はい……ありがとうございます、お姉さん。背中を押してくれて」

 

「いいのよ別に。私は大したことしてないわ」

 

「で、でも、もう馬車は出ちゃいましたし、お姉さんに迷惑をかけるわけにはいきませんから、折り返しの馬車に乗り換えるまでは、一緒に乗っていても、いいですか?」

 

「気にしなくていいわよ。ゆっくり考える時間も必要でしょう。私は温泉に入りながらが一番だけど、こうしてぼんやり景色を見ながら考え事するのも――え?」

 

 車窓から遠い目をしたお姉さんが、何かに気付いたようにその目を大きく見開く。

 釣られてこちらも見てみるけど、流れゆく旅景色は変哲もないもの。三人で一緒に旅してた時は何もかもが華やかに色づいているようだったのに……

 それと、何かすごく遠くで土煙が舞っているような気がするだけで、これと言って特に驚くこともないような?

 

「どうしたんですか? 何が見えたんですかお姉さん」

 

「大変……っ! 『デストロイヤー』よ。あの進路だと『アクセル』の方へ向かっているわ!」

 

「え」

 

 車窓から身を乗り出して、遠方を見る。

 もうもうと舞う土煙、そこに薄らと見える黒いもの。この距離差でも見えるのだから、かなり巨大なものだ。それが、この乗合馬車よりも速く移動している。

 

「――止まってくださいっ!」

 

「え、嬢ちゃんいきなり止めたら危ないよ!?」

 

「いいから、止まってっ! すぐ引き返して! さもないと魔法を」

「落ち着きなさい。これ以上は事故になるわよ」

 

 前の御者台へ身を乗り出して、その縄をひったくろうとする。そこで、お姉さんに引き止められる。

 

「離、して……! 早く『アクセル』に帰らないと……! 『デストロイヤー』が……!」

 

 それが通った後にはアクシズ教徒以外、草も残らないと言われる、最悪の大物賞金首、それが機動要塞『デストロイヤー』だ。この蹂躙走破を止めたものは、これまでにひとりとして存在しない。

 その脅威に、駆け出しの街がさらされようとしているのだ。

 

「冷静になりなさい。今から馬車で引き返しても間に合わないわ」

 

 お姉さんの言う通りだ。

 『デストロイヤー』の速度は、馬と同じと言われている。馬車という重りを引いている馬では追いつけない。

 最低でも馬よりも速いものでないと駆けつけることなどできないのだ。

 

「そうだよ嬢ちゃん。『デストロイヤー』と戦うなんて無謀も良いとこだ。悪いことは言わねぇ。ここはとっとと避難しちまおう」

 

「そうね。それが賢明よ。あなたは特に魔力が高そうだけど、『デストロイヤー』には敵わない。あれは強力な魔力結界が張られていて、爆裂魔法でさえ防がれてしまうわ」

 

 騎手のおじさんと同乗客のお姉さんがこちらを諭すように言ってくる。

 

「でもっ!」

 

 それを振り払って、叫ぶ。

 

「あの街には大事な人たちがいるのっ!」

 

 ライバルのめぐみん、そのパーティのカズマさんにダクネスさんにアクアさん。それに店長のウィズさん、時々クエストに付き合ってくれるクレメアさんとフィオさん、他にも幹部討伐の祝勝会で称賛してくれた冒険者たち皆の顔を覚えている。

 そして、彼がいる。きっと、あの難攻不落の機動要塞に挑むであろう――

 

 

「我が名はゆんゆん! 紅魔族随一の勇者のパートナーにして、やがては紅魔族の長となる者!」

 

 

 大声での名乗り上げに、固まってしまう二人。自分の身体を抱き留めているお姉さんの腕を振り払い、赤々と燃えるように輝く目で真っ向から見つめながら、

 

「だから、行かせてくださいっ! 行かなくちゃ、ダメなんですっ!」

 

「あなた……」

「がうっがうっ!」

 

 そのとき、馬車の外から、鳴き声が。

 耳慣れたその音に、ハッとして反対側の車窓を覗く。するとそこに、一体の魔物がいた。

 

「うわっ!? なんだこのモンスター!?」

「ゲレゲレ!」

 

 漆黒の毛皮の通常種とは異なる黄色と黒紋の体毛、紅魔族の瞳と同じ燃えるように赤いタテガミを持った変異種で、それに首にお揃いのリボンをつけている豹モンスターは、ゆんゆんの知る限り一体しかいない。

 

「これは、初心者殺しの変異種……? でも、普通、人間に飼い慣らせるようなモンスターじゃないのに……」

 

 今や馬にも負けないほどの体躯に成長した飼い魔物は、楽々と馬車に並走していて、それから馬へ威嚇するように眼を飛ばし、臆した馬たちを止まらせる。

 そして、ゆんゆんは手荷物を持って、馬車から飛び降り、自身の匂いを辿り追ってきてくれたこの豹モンスターに抱き着く。

 

「来てくれたのねゲレゲレ!」

「ゴロゴロゴロゴロ……」

 

 走って乱れたタテガミを手で撫で梳いてやってから、目を見て、

 

「お願い、私をとんぬらの下へ連れてって」

「がうっ!」

 

 意を得たとばかりに一鳴き。

 頷いてゆんゆんはその背に跨り、馬車の騎手へ、頭を下げる。

 

「ここで降ります。料金は前払いでしたよね? お釣りもいりません。お騒がせしました」

 

「待ちなさい」

 

 と一緒に降りて来ていたお姉さんが、ゆんゆんを引き止める。

 

「なんですか? お話聞いてもらってありがとうございます! でも、私急いでるんです!」

 

「わかってるわ。だから、おまじないをかけてあげようかと思ってね。……いい子ね、ちょっとだけ大人しくしてくれるかしら」

 

 顎の下をくすぐり、気持ち良さげに目を細めるゲレゲレの額にお姉さんは手を置いて、ブツブツ唱える。

 途端、その周囲に空気抵抗を減らすよう風力の結界が張られる。次にゆんゆんの身体に手を当てて、またブツブツと別の詠唱を行う。すると今度は、ゆんゆん自身の身体が空気のように軽くなった。

 

「す、すごい……っ! こんな魔法初めて……」

 

「そう驚くことじゃないわ。あなたも『ウインドカーテン』が使えるなら同じことができるはずよ。さ、これなら追いつけるわよきっと」

 

「ありがとうございますっ!」

 

 

 そうして、途中下車したゆんゆんは風のように疾走するゲレゲレに乗り、『アクセル』へと急ぐ。

 その道中で、あることに気付いた。

 

「あ、お姉さんの名前、聞くのを忘れた!」




誤字報告してくださった方ありがとうございます。

ひとつ、『はかぶさの剣』についての指摘は、『はやぶさの剣』+『はかいの剣』のドラクエのバク技ネタです。ややこしくて申し訳ありません。

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