この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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39話

 危険ではないが極悪なダンジョンギミックを突破して、とんぬらとゆんゆんは、最奥のボス部屋、その目前に到着した。

 分断された冒険者一団は来ていないようで、まだ仮面人形相手に攻略中なのか、それともリタイヤして一時撤退したのか。

 いずれにしても、待ち構えていたのはひとり。

 

「あれが……自爆モンスターのマスターなのか」

 

 二人の前には、リッチー・キールの部屋の前で、地べたに胡坐をかいて土を捏ね繰り回してせっせと仮面人形を作る、大男。

 暗い地の底には場違いな黒いタキシードに身を包み、白い手袋をつけている。それから、その人形と扉のマークにもあった白黒に左右半々に色分けされた仮面をつけており、どちらかといえば、あちらがオリジナルなのだろう。

 そして――やはり、()()。これまでで最も。

 それは相方にも感じ取れるほどのものであった。ゆんゆんは、銀色のワンドを警告なしにその仮面の大男へ突き付けた。

 

「悪魔……! 辺りに漂う邪悪な気配と怪しげなその仮面。絶対悪魔よ! それも感じられる魔力からして、上位悪魔のアーネスとホーストよりも上! おそらくは最上位クラスの大悪魔……!」

 

 一目で見抜いたこちらに思わず感心したように、または己が手掛けたダンジョンギミックを突破したことを称賛するように、人形作成の手を止めて、その最上位悪魔はニヤリと笑う。

 

「そちらは紅目の身体特徴から察して、名乗り通りにあのネタ種族のようだ。紅魔族ならば、悪魔であるのを見破るのも容易であろう」

 

 ギン! と仮面の目の部分から赤々とした眼光が灯される。紅魔族のよりも、血の色に近い不気味な輝きを双眸に宿らせながら、すくっと立ち上がった仮面の悪魔は、大袈裟に両腕を広げて、思い切り音を鳴らして手を合わせた。

 

「ご馳走様である! フハハハハハハ、とても美味なる悪感情をありがとう! 一ヶ月宝箱に篭ったのは失敗したが、今回のは大成功だ! まあ、最後は力尽くで破られたが、あのギミックは正式採用としよう! 汝らから湧き出る羞恥の感情は実に甘酸っぱくて美味であった!」

 

「え? え? ど、どういたしまして……?」

 

 身構えていたゆんゆんだが、折り目正しく一礼までされて、つい返事をしてしまう。

 それにとんぬらは嘆息する。

 どういたしまして、じゃない。あの極悪ギミックの仕掛け人はこいつだぞ。

 

「おっとまた悪感情をくれるとは初めての来訪者は随分と気前のいい! 今後もご贔屓にしてもらいたいものである!」

 

 ああ……そういえば、悪魔族は、人間の感情をご飯とするモンスター。

 例えばサキュバスは、男性の猥らな感情を活力源とする。それで、この仮面の悪魔はどうやら羞恥や嫌悪といった悪感情がお好みのようである。

 

「とてもイイ嗜好をしているようだが、こちらは遠慮したい。それで、その自爆人形を作製しているのを見ると、あんたが今回のモンスター騒ぎの元凶か」

 

「うむ。いかにも、我輩こそが諸悪の根源にして元凶! 魔王軍の幹部にして、悪魔達を率いる地獄の公爵! この世の全てを見通す大悪魔、バニルである!」

 

 これは予想していたものよりも遥か上の大物であった。が、納得した。

 感じる魔力の波動からして、魔王軍幹部のデュラハンや、そして、とんぬらの師匠であった元王国一の大魔導士のリッチーよりも上であるのは察知していた。

 

 しかも、『全てを見通す悪魔』だと……?

 

 里でも上位の実力を持つ超高レベル『アークウィザード』の占い師にして、とんぬらの師匠のひとり・そけっとが契約していると聞いたことがある。もしもそのほぼ百発百中の占いをこの仮面の悪魔の恩恵によるものだとすれば、その力は、予知か予言か。

 これは、こちらの繰り出す手はすべて先読みされていると考えた方が良い。ほとんどの奇策奇襲が通じない厄介な相手だ。

 

「まさかこんなところに魔王軍の幹部!? それも地獄の公爵クラスの最上位悪魔!?」

 

 そして、公爵級の悪魔と言えば、本来神々と世界の終末を賭けて争うクラスの大悪魔だ。

 魔王軍の幹部を名乗ったが、はっきり言って地上で人類と戦争している程度の魔王の部下をやるような存在ではない。が、

 

「どうやら、そのようだ。――しかし、悪いがゆんゆん。相手が誰であろうと、この場に居座るのであれば、俺はそう簡単に退く気はない」

 

 とんぬらは鉄扇を抜き放ち、構える。

 交戦も辞さない対応に、仮面の悪魔バニルは、面白そうに口元を歪める。

 

「ほう。この我輩に挑むと? 魔王よりも強いかもしれないバニルさんと評判の、この我輩を? しかし……。そこの娘に夜中に抱き着いた際、以前抱いた時よりもスタイルが成長していた実感にドギマギしていた坊主よ。それほど血の気が余っているのなら、我輩の配下のサキュバスを遣わせてやろうか。確か、この近くの駆け出し冒険者の街で店を構えていると聞いている」

 

「な……!? あ、あんた、いきなり何をふざけたことを! ゆんゆん、悪魔の囁きに耳を貸すな、これはこちらを惑わそうとする相手の作戦に違いない! 悪魔族は感情をご飯にするから、こいつもこうやって口撃して、活力源としようとしているんだ!」

 

「お、落ち着いて、わかったから、少し冷静になろ! とんぬら、目が真っ赤っかだよ!」

 

 口封じに飛び掛かっていきそうなとんぬらを後ろから腰にしがみついて抱き留めるゆんゆん。

 

「まあ落ち着くがいい。我輩は、別にお前たちと争うためにこの地へやって来たわけではない。魔王の奴に頼まれた、とある調査。そして、『アクセル』の街に住んでいる、働けば働くほど貧乏になるという不思議な特技を持つ、ぽんこつ店主に用があってここに来たのだ」

 

 とある調査?

 それと、働くほど赤字を生む貧乏店主……いや、思い当たるのがひとりしかいないのだが、まさか……

 

 とんぬらとゆんゆんは互いに一度目を合わせて、それから油断なく身構えながら話の先を促す。

 

「まず、魔王軍の幹部とはいっても、魔王の奴に頼まれて城の結界の維持をしているだけの、いわばなんちゃって幹部でな。そして我輩は、世間で言うところの悪魔族。そこの坊主の言う通り、悪魔の最高のご飯は汝ら人間が発する、嫌だなと思う悪感情だ。我輩たちにとって、汝ら人間は美味しいご飯製造機であり、それを壊したり傷つけたりするなどナンセンス。むしろ、人間がひとり生まれるたび、我は喜び庭駆け回るであろう」

 

 つまりは、付き合いを考えれば、良き隣人として人間と共生できる相手になれると。警戒は解かないが、かつての好敵手(ホースト)のこともあって、とんぬらは交渉の余地があるように思えてきた。

 

「しかし、悪魔それぞれに好みの感情が違うし、中にはサキュバスのように精気で満足するのもいるが、人間を魔物の巣に放り込んで悦に入るのもいる。あんたは人間に傷つかれちゃ困るというが、あんたの造った自爆人形がダンジョンからポコポコと出てきて、街の人達が困らされているのだが……。それも、食事の為か?」

 

「む? 我輩はこ奴らを使い、ダンジョン内のモンスターを駆除していたのだが、ふむ、ダンジョンの外に溢れ出しているということは、もうこのダンジョン内にはモンスターはおらぬようだな。わかった、バニル人形の量産は中止しよう」

 

 ぱちんと指を鳴らすと、同じポーズを取っていた仮面人形が土に還る。

 

「確かに人の恐怖や絶望が好きな悪魔もいるが、絶世の美女に化けて男に近づき、散々惚れさせてみた後で、『残念、実は我輩でした!』と言って相手に血の涙を流させるのが我輩の好物であるな。ああ、ダンジョンギミックでもって秘密を暴露したり、質問攻めしたりして生まれる羞恥の感情も大好物である!」

 

「人畜無害のようだが、やっぱりお付き合いは遠慮しておこうか」

 

 直感の通り、あの極悪なダンジョンギミックは、この仮面の悪魔の美味しいご飯を生み出すための、趣味に走ったモノであった。

 

「まあ、そう言ってくれるな。坊主もムラムラを我慢せず、我輩のように欲望のままに生きてみると良い。据え膳食わぬは男の恥であるぞ?」

 

「現在進行形であんたから赤っ恥を晒されているんだがっ!」

 

「とんぬら、落ち着いて! その、年頃の男の子なんだし、ちゃんと私は理解してるから……!」

 

「ほれ、さりげなくスリスリと身体を必要以上にくっつけている娘もあの夜から持て余していて、大変なようだ。いやはや、この年頃の女子にしては中々気合の入った勝負下着を用意しているな。サキュバスのあぶないコスチュームにも負けないエッチな下着とは」

 

「わあああああーっ!」

 

「ゆんゆん、落ち着け! その、今日のことはすぐ忘れるから!」

 

「うむうむ。何度味わっても飽きることのない初々しい悪感情! 実に美味! 汝らは我輩の友人以来の逸材であるな! 魔王城の部下でもこうはいかん。これは『勝手に城に居座って部下をいじめないで、たまには働いてくれないか……』と魔王の頼みを聞いて正解であったな」

 

 どうやら魔王でも手綱を握れないこの大悪魔は、おそらくはベルディアを倒した人間の調査に派遣されたのか。

 

「というか、今の状況から察するにあんた魔王の頼みをほっぽり出して寄り道してるよな? 悪魔だからって自由過ぎるだろ」

 

「まあもともとそれほど乗り気ではなかったのだ。『アクセル』にいる古い友人に会うついでにと思い、一応調査も請け負ったのだが」

 

「じゃあ、なんでここにいるんだよ」

 

「それを教えるにはまずは、我輩の悪魔としての大望を話さなくてはな。大人になったら裡に秘めた想いを娘に告白しようと決めている我慢強い坊主よ、我輩にも限りなく永く裡に抱えた夢があるのだ」

 

「だから、あんたはいちいち余計なことを口走らないとまともに話せないのか。……ゆんゆんももじもじ照れないでくれ。今日あったことは忘れよう」

 

「う、うん……」

 

「残念であるがそれは聞き入れられないようだぞ。この後、そこの娘は自身の日記に今日のことは事細かに書き記し、15歳になる年日にチェックを入れるつもりであるからな。そして、それが後に父親に見られ、記念日予定が早まるであろう」

 

「ゆんゆん?」

 

「と、とんぬら……その、やっぱりダメ……かしら」

 

「……せめて、族長に見られないよう胸の裡に仕舞っておいてくれ」

 

 さっきから顔を赤くしたり、目を赤くしたりと喜怒哀楽に忙しいゆんゆん。

 これはまた一度、宮廷魔導士の工房屋敷に忍び入って、門外不出の『記憶を忘れる秘薬』の錬金レシピを盗まなければならないのか。

 

「それで、その夢とは何だ? 差し支えなければ、とっとと教えてほしいのだが」

 

「フハハハッ、こうして正体を明かしても物怖じしない人間は珍しくてな。ついついお喋りに興が乗ってしまうのだ。まあ、許せ。我輩手製の、夜中に笑うバニル人形を詫びと馳走代(チップ)に送ろう」

 

「俺達は、あんたに美味しい食事をデリバリーしにわざわざこんなダンジョンの奥までやって来たわけじゃないんだぞ」

 

「では、語ろう。我輩の願望とは……ズバリ! 至高の悪感情を食した後、華々しく滅び去るというものだ」

 

「はあ? それって、破滅願望なのか?」

 

「うむ。……我輩は考えた。一体いつからそんなことを考え出したのかも思い出せないぐらいに、遠い昔から我輩はずっと考え続けた。どうすれば、我輩好みの嗜好の悪感情が食せるのか。そこで、思いついたのだ……」

 

 訝しむこちらへ、ニヤリと仮面の悪魔は笑い、

 

「まず、ダンジョンを手に入れる。そして、ダンジョンの各部屋には我が部下である悪魔たちを待機させ、苛烈な罠を仕掛けるのだ! 当然、汝らにテストしてもらったギミックも取り入れよう!」

 

「やめろ! あれはあんまりだぞ!」

 

「完成した我がダンジョンに歴戦の凄腕冒険者達を挑ませる! 何度も何度も挑戦し、やがていつかは最奥に辿り着くものが現れるだろう!」

 

 興奮する仮面の悪魔はこちらの切実な嘆願など聴きもせず、大きな身振り手振りを交えて熱弁を振るう。

 

「そしてダンジョンの奥で、最後に待ち受けるのはもちろん我輩! そこで言うのだ、『よくぞここまで来たな冒険者よ! さあ我を倒し、莫大な富をその手にせよ……!』と。そして始まる最後の戦い! 我輩は冒険者との激戦の末、とうとう打ち倒されてしまう。やがて地に崩れ落ちる我輩の背後には、厳重に封印された宝箱が現れる。意識が薄れゆく我輩の目の前で、苦戦を乗り越えた冒険者はそれを開け……!」

 

 その引き込まれる話しぶりに、ゆんゆんは手に汗握り固唾を呑み、

 

「…………箱の中にはスカと書かれた紙切れが。それを見て呆然とする冒険者たちを見ながら、我輩は滅びたい」

 

「止めなさいよ。本当に可哀そうだから、いくらなんでもそれは止めてよ……!」

 

「悪魔らしい願いというか、なんて悪辣な発想ばかり思いつくんだあんたは」

 

 その時の冒険者たちの想像図に貰い泣きしたように涙目になるゆんゆん。とんぬらも頭を抱えて呻き声を洩らす。

 

「我輩の友人は、この地で店を経営していてな。そこで働かせてもらい金を貯め、その資金を元に、友人の力で巨大ダンジョンを造ってもらうつもりだったのだ。だが、この近くを通りかかった時、懐かしい気配を覚えてな。それで立ち寄ってみれば主のいないダンジョンを見つけたので、これは幸いと勝手に住み着いたのだ」

 

「そんな適当な感じでこのダンジョンマスターになったのかあんたは……」

 

 もう項垂れたいくらいに重い溜息を吐く。

 この悪魔が、関わらなければ無害なのはわかった。これ以上自爆人形も製作しないだろう。お師匠様も自身が去った後のダンジョンがどう扱われようともあまり気にしないだろう。弟子として、せめて心の整理のためにも、49日ほど弔わせてもらいたいが――と、そのときだった。

 

 

「しかし、前の主も災難であったな。あ奴に目をつけられてしまうとは。正気を失うのも無理はない」

 

 

 同情の籠った声音をゆんゆんの耳が拾ってすぐ、隣の空気が急激に低下した。

 

 

「“あ奴”、とは誰の事だ?」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「おっと、口が滑り過ぎたか」

 

 お喋りな口の前に手を被せるポーズを取るが、時遅し。

 バニルは、竜の鬚を撫で、虎の尾を踏んでしまった。

 

「答えろ。すべてを見通す悪魔バニル」

 

 冷たく、それでいて鋭い目つき。

 その劇的な変化には、ゆんゆんも目を瞠り、押し黙ってしまう。

 まさしく青い炎を思わせる静謐に、しかし激情を秘めた雰囲気に、バニルはやれやれと肩を竦め、

 

「我輩に、同胞の情報を売れというのか?」

 

「『花鳥風月』」

 

 おどけるよう軽口を叩いてみせるバニルに、間髪入れずに悪魔特効の水芸が放たれた。

 咄嗟にその場を飛び退いて回避してみせたバニルは、瞳を妖しく光らせて、

 

「坊主はやけに眩しいから見づらいのだが、なるほど、前の主とは師弟関係であったか……しかし、やめておけ、関わらん方が身のためだ。これは汝の為を思って言っておるのだぞ」

 

「そうか。知っているんだな」

 

 フッと笑い、とんぬらを諫める。

 人の感情だけでなく過去未来も視てしまう千里眼で、こちらの過去を見通したようだ。そして、事情を知った上で、無理であると宣告する。

 

「女神に運勢を狂わされた不幸な坊主よ、同じ仮面をつけている誼で忠告してやろう。我輩と同じく地獄の公爵のひとりでありながら、あ奴の頭は赤子だ。だからこそ、癇癪など起こしたら、この我輩でも目も当てられん事態になろう……」

 

「いいから知っていること全てを吐け! さもなくば、強引にでも口を割らせてやる!」

 

 爛々と、滾るように揺らめく真紅の眼光。

 その視線だけで焼き焦げてしまいそうな憤怒に、仮面の悪魔は失笑してしまう。

 

「我輩は地獄の公爵。魔王よりも強いかもしれないバニルさんと呼ばれる者にして七大悪魔の第一席。この我輩を屈服できるのであれば、あ奴のことを教えても構わんだろうな」

 

「わかった――」

 

 

 『星降る腕輪』の魔法効果を発動。

 ギアを倍速にあげ、鉄扇の先より抜けば玉散る氷の刃を成形して斬りかかったとんぬら。だが、掠りもしない。その大柄な体躯に反して軽やかなステップを踏んで、悉く先読みして躱される。

 

「これはこれは、魔法使いながら噛みついてくるとはなんたる狂犬ぶり、いや、狂竜と言い換えた方が良いな」

 

「このっ!」

 

 戦闘が始まってしまった。遅ればせながら展開を理解したゆんゆんは、とにかくパートナーに向けてワンドを構え、『竜言語魔法』の支援魔法を行使。

 

「『速度増加』! 『筋力増加』! 『体力増加』! 『魔法抵抗力増加』! 『皮膚強度増加』! 『感覚器増加』! 『状態異常耐性増加』! 『ブレス威力増加』!」

 

 身体の各部が赤く輝き、とんぬらはさらに動きを加速させる。

 

「『花鳥風月・海猫返し』!」

 

 斬り下ろした聖水滴る氷の刀身を、瞬時に返して斬り上げ、ふたつ斬撃を飛ばす。三日月の如き円弧を描く二つの軌跡、しかしそれも、あえてV字の真ん中を抜けるようにして回避された。

 

「しかしどう躾けたものか。我輩の使う技の数々は、各種チート級の廃威力なものが多い。例えば、我がバニル式殺人光線。これは殺人光線なので、人間に当たれば死ぬ。当たらなくても死ぬ。他にもバニル式目ビームがあるが、これを使用すると我輩の目が焦げるという欠点があるので、未だ一度も試したことがない」

 

 先日のリッチー・キールとの戦闘で貯めていた魔道具の大半を使い切ってしまっていたとんぬらだが、ネタすべてが尽きたわけではない。

 道具袋から、視界に入れるだけでも刺激の強い真っ赤な色合いのチーズ『激辛チーズ』を取り出し、口へ放る。

 その火を吹くような辛さに、とんぬらは本当に灼熱を吐き出してみせる!

 

「ほほう。特製のマジックアイテムで己のドラゴンとしての資質を人間のまま引き出してみせるか」

 

「そうひゃ」

 

「ぶふっ! 自身の舌まで火傷する火吹き芸とは、面白いな。我輩を笑わせようとする策略か?」

 

「ひがうっ!」

 

 『ブレス威力増加』で強化されていたこともあってダンジョンの密閉空間を焼き焦がす灼熱の炎であったが、バニルの吹き出し笑いで、防がれてしまう。

 初級水魔法で口の中を濯いで、とんぬらは虹色の波動を放つ鉄扇を振りかざす。

 

「『パルプンテ』――ッ!」

 

 それは、すべてを見通す力でもってしても先の読めないランダムな性質を持った、天敵のような奇跡魔法。

 バニルはそこで初めて驚きに目を瞠り……でも、何も起こらない。

 

「……なに? 今、貴様からそこの傍迷惑な魔法陣と同じ気配がしたが……何をした?」

 

「『パルプンテ』――ッ!」

 

 気にせずリトライ。

 だが二発目の奇跡魔法が引き当てた効果に、フラフラッととんぬらは千鳥足に転ぶ。

 敵味方に無差別に働く幻惑に、術者のとんぬらまでも目を回して混乱してしまったのだ。

 

「フハハハッ、何だ今の事故ったのか? さっきの自爆技といい、シリアスな展開に持ち込みながら、自分ですっ転ぶとは、冒険者よりも芸人の方が大成するのではないか?」

 

 頭をふらつかせて立てなくなってしまったとんぬらを指差しバニルは笑う。

 

「そもそも地獄に本体がある悪魔に状態異常は効かん。だというのに、そんな女神臭い魔法に頼ろうなど……。……ッ!?」

 

 ふらりとバニルの身体が頼りなさげによろめく。

 

「奇跡魔法は、当たり外れはあるが、女神級の恩恵をもたらすもの。仮初の肉体であろうと問答無用。あんたの目が回っているところを見ると、賭けはこっちの勝ちのようだな」

 

 満足に動けないバニルに対し、とんぬらはすくっと立ち上がる。

 事前にゆんゆんより『状態異常耐性増加』の支援魔法を施されていたため、回復が早かった。

 

「『風花雪月』!」

 

 幻惑に魅せられ満足に動けぬバニルへ、雪精が踊る冬の風が襲う。同時、バニルの足元が眩い光を放つ。

 それは、激辛チーズを一緒に取り出し、ド派手な火吹き芸を見舞いしながら、指で弾いていた金貨。それがバニルを中心に据え、五芒星を描くように光の線を結んでいた。

 

「この『小さなメダル』は、変態だが俺の知る限り、人間の中では一番の『アークプリースト』が作製したものだ」

 

 アクア魔金貨を触媒とした氷の檻は、最上位悪魔の身動きを僅かな間だが硬直させるものであったか。

 

「見せてやる、唯一無二の変身剣を! ――『エボルシャス』ッ!!」

 

 閉じ束ねた鉄扇の先より抜けば玉散る氷の刃、だけに留まらず、鉄扇を握る右手に凍り付く純白の籠手まで成形される。

 雪精の補助を受ける宴会芸スキル『氷彫刻(アイスメイク)』。そして、師から伝授された変化魔法。

 対象物に化けるのではなく、自己暗示でもって“己が思い描く最強像”になる究極変身魔法。未完成であるが、それは確かに『冬将軍』の片腕を再現している。

 

「『光刃付加』!」

 

 そして、パートナーからの支援魔法。太刀に掛けられた光は、術者の魔力次第で万物を切り裂く『ライト・オブ・セイバー』。

 

 

「魔法と芸能の融合! これが、『アルテマソード』ッッッ!」

 

 

 聖水で築いた氷の檻で動きを封じて、神懸った斬撃を放つ。硝子が割れるような音がダンジョンに劈き、百花を散らすかの如く氷の檻は爆散。

 『冬将軍』の神技模倣に生じた過負荷にたった一振りで籠手が砕け、光を纏う氷の刀身が折れた。『皮膚強度増加』してなお右腕も軽度の凍傷を負っている。だが、その斬光奔り抜けるひと振りは最上位悪魔の身体を袈裟懸けに両断した。

 幻惑から立ち直ったゆんゆんは小さくガッツポーズを取る。

 バニルは自らの身体を驚愕の表情で見て、

 

「我輩にも見抜けぬ馬鹿げた魔法なんぞを中核に据え、自爆芸から繋げて、デザインされた戦術にまで完成させるとは……見事だ、冒険者よ……」

 

 そう言って、口元にどこか安らかな笑みさえ浮かべながらその身体を崩れさせ――て、地面からにょきにょきと新たな身体を生やした。

 

 

「――その歳にしては、な」

 

 

 驚愕に目を見開く二人。ゆんゆんは悲鳴を上げるも、とんぬらは張り詰めた雰囲気を崩さず、バニルを睨む。

 

「肝心のトドメが未完成で、公爵級の悪魔なんぞ倒せるはずがなかろう。フハハハッ、最後にズッコケるとはやはり、貴様は滑り芸人よな! おおっと、汝ら二人の悪感情、大変美味である!」

 

 ……まだ、試していない戦術はある。しかし、バニルの余裕を見て、自ずと悟る。

 今の自分たちの力では、最上位悪魔には到底及ばないことを冷静に理解した。知力が高い弊害か、ドラゴンの力でもってガムシャラに攻め立てても、予定調和のようにあっけなく完封されてしまうのが、わかってしまった。

 

「これでわかったようだな。そうだ、我輩は、本気になれば貴様らなど容易く葬り去ることができる。だが我輩は、汝ら人間を殺す気はない。何せ、いつ誰が至高の悪感情を生み出してくれるかはわからぬからな。そう、我輩以外の公爵級であれば命の保証はなかったぞ」

 

 足元が崩れゆく錯覚を覚える。

 

「視えるぞ。このまま師の敵討ちなんぞくだらんことに執着すれば、坊主は一年以内に破綻する」

 

 バニルの予言に、とんぬらは目の前が真っ暗に閉ざされかけたとき、

 

 

「一年後が視える、ですって……全てを見通す悪魔だからって何様のつもりよ! そんなの私だって、相手のことを想えば、五年先のことだって()()()()()()()()()()!」

 

 

 ゆんゆんは力強く言い切った。普段は奥手のクセに、親しい相手が馬鹿にされるとムキになるというこのパートナーにとんぬらは思わず、でも笑みを混じらせて呻いた。

 

「その啖呵、恥ずかしくないのか……」

 

「は、恥ずかしくないわよ。だって、めぐみんが体育の授業で気怠そうにしてるのを見て今日はサボるなって思ったら本当に理由をでっちあげて保健室に行っちゃうし、とんぬらが奇跡魔法を使って急に私の視線を気にしだしたらスカだって判るからね――今更なに恥ずかしがってるのよ――

 論理的に……ゆ、有意? な検証でしょ!」

 

 ゆんゆんはあくまで言い張る。悪魔のご満悦な様子から察するまでもなく、羞恥を匂わせて。けれど、彼女はどれだけ勝ち目が薄くても全力で励ますくらい落ち込みかけたとんぬらを、英雄(ヒーロー)と同一視するくらい信じているのだ。とんぬらが、予言されたくらいで尻尾を巻いて逃げを決め込むことなど絶対に認められない。

 

「フハハハハハハ! 我輩の予言を上回るだと? 大言壮語も甚だしいわ! 夢見がちな娘が視ているのは、ぼっちを拗らせた弊害、つまりは妄想というの」

 

「――ああ、俺も五年先が視えたぞ」

 

 バニルの文句を遮り、とんぬらは不敵に笑む。

 

「全てを見通す悪魔バニル、あんたを()()()()()()、倒すことで証明してやる。思いやる心は時間を超えるということをな!」

 

「小僧、その目……!」

 

 紅魔族でありながら、その瞳が青々と光り出す。

 悪魔には眩し過ぎる眼光に全てを見透かしてみせる目を細めるバニルへ、スイッチの入ったとんぬらは、挑発じみた宣告する。

 

「これからの展開を先読みしてもいいぞ。だが、予言してやる。予知できたとしてもあんたは絶対に避けられない」

 

 そういって、とんぬらは下がる。ゆんゆんのところまで後逸すると、

 

「合わせろ、ゆんゆん!」

 

 それ以上、何の説明もなく。

 あの悪魔よりも先に察してみせろと亭主関白な物言いに、少女は目を赤々と光らせて少年の鉄扇の上に銀色のワンドを重ねる。

 

 

 当然ながら、バニルはその予備動作で気づいていた。全てを見通す悪魔の目は、このダンジョン最奥にて行われた過去も把握している。

 そして、二人が発動させようとしている魔法が、師のリッチー・キールに打ち勝った極大消滅魔法であることもすべて見通していた。

 確かに、稀代の大魔導士が発明した、あの爆裂魔法にも負けない凄まじい破壊力はバニルも滅ぼしうるものだ。

 けれど、タメがあるし、貫通性はあるものの爆裂魔法よりも範囲の狭いので、そこまで情報がわかれば、わざわざ予言などしなくても避けられるが、バニルは、その起死回生の一手に対し、未来視の力を行使する。それは、ここで敗北する展開を覆すのが可能なのか、関心があったからだ。

 やたら女神の加護が強すぎるせいで、行動が先読みしにくいが、とんぬらの作戦は、ゆんゆんも混乱させてしまうほどのアドリブだった。

 その上で、自分との連携でバニルを倒す。それならバニルには具体的な行動が読めず隙ができるはずだ。という。

 無謀だ。無軌道だ。無茶苦茶だ。

 しかしだ。それを受けたゆんゆんの精神には『全力でとんぬらに尽くす。そうすれば絶対に一矢報いてくれる』という岩のような確信が居座っていた。先の渾身の一撃が失敗したというのに、その点にかけては、彼女の心には一点の曇りはない。

 だからバニルは、その不可解を受けて立つ気になった。

 とんぬらの思考も、ゆんゆんの思考も、読み切ってみせよう。

 全てを見通す悪魔バニルは、この混沌の底まで見透かさんと目を凝らした。

 

 

「我が名はとんぬら! 紅魔族随一の勇者にして――族長から珠玉の一人娘を娶る者っ!」

 

 

 ――全てを見通す悪魔バニルは、出だしで思い切り吹いた。

 だが、石破天驚の名乗り上げは、ひとりだけではなかった。

 

 

「我が名はゆんゆん! いずれ紅魔族の長を継ぎ――紅魔族随一の勇者のお嫁さんになる者っ!」

 

 

 ――全てを見通す悪魔バニルは、続く展開に腹を抱えて言葉も出ない。

 あの頑固に我慢強い少年がまさか一線を踏み切って大胆な告白をしてくることなど、バニルには予想外で、当然、ゆんゆんも同じであった。だけど、即興で合わせてみせた。

 

「魔王軍幹部、バニル! 我らの超奥義を食らうがいい……!」

 

「お、おおお、おおおおっ!!」

 

 決壊したダムの如く怒涛に押し寄せる、やけっぱちになったとんぬらからの悪感情もこれまでのランキングの上位に食い込むほど素晴らしい物であったが、それよりも紅魔族流の名乗り上げすらも恥ずかしがるゆんゆん。一度は卒業に告白しようとして大失敗した経験が蘇ってきているのか、名乗り返しから溢れる陶酔してしまうほど美味な悪感情。爆発的な歓喜の感情に負けないほど弾ける、この香ばしい羞恥の感情にバニルは恍惚としてしまう。

 

『ふたりの、この手が闇を裂いて光り輝く!!』

 

 練習も何もしていないのに息がぴったりに、前回以上に洗練された動きで、ダンサブルに合体魔法を練り上げていく。

 

「幸せ掴めと!!」

「轟き叫ぶ!!」

 

 ダメだ。

 う、動けない……!

 面白い! 面白すぎる……!!

 

 相乗効果で青天井に高まっていく極上の羞恥。この悪感情は、とてもバニル好みで、思わずこのまま滅ぼされても良いとすら思えてくる。この身に迫る危機、極大消滅魔法の波動などとても気にならない。

 

「ラァァァブ!!」「ラブゥッ!!」

 

 確かに。

 お株を奪われたようで少々癪であるが、認めよう。

 これは、わかっていても避けられない。

 至高の羞恥、飽きることのない初々しい悪感情の発露、それが止めどなく溢れ出て、どれだけ腹が膨れ上がっても押し寄せてくるのだ。

 

「こんなの、もう、全身全霊でいただくしかないではないか!」

 

 忘我の域に達するほどの絶頂、笑死するほど抱腹絶倒する中で、バニルは降参するように叫んだ。

 

 

『メドォォォオォォォォォア――――!!!!』

 

 

 そして、仮面の悪魔の身体が、二人の『アークウィザード』から放たれた一条の光線に呑み込まれた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 魔王軍幹部にして、公爵級の最上位悪魔バニルは、欠片も残さず消滅した。

 元々この地の利は一方通行でほとんど逃げ場のない状況で、とても動けるような状態ではなかった。とんぬらの策とも呼べない暴走が上手く嵌ってくれたおかげで。

 とはいえ、向こうは攻撃を制限し、反撃しなかったからこそ起死回生の一手は放てた。もしこれが人間に容赦しない悪魔であったならこうはいかなかっただろう。

 ハンデがありながら薄氷の上での勝利に、とんぬらはひとつ心に決めた。

 

 まだ止まるのは早い。

 お師匠様がいなくなってしまい、何を目標とすべきか見失っていたが、たった今できた。

 里帰りしたら、猫耳神社に定住をするという案のひとつは撤回だ。まだまだ自分は外の世界で冒険がしたい。

 ……その前に、

 

「ゆんゆん、今日のことは忘れよう」

 

「……うん、こんなの日記にだって書けないわよ」

 

 きっと生涯、忘れたくても忘れられない黒歴史ができてしまったが、それでも金輪際、話題に出さないよう二人は誓いを立てた。

 そこで、

 

「凄い轟音が聴こえてきたが、もう全部終わってたりするのか?」

 

 分断された冒険者たち……ではなく、遅ればせながら現場へ急行してきたカズマパーティ。カズマとダクネスが駆け付けた。

 

「兄ちゃん……」

 

 終わった後だが現れた救援に、とんぬらは笑みを零しそうになり、それがすぐ苦笑に変わる。

 カズマの手に持っている掃除道具を見て、思惑を悟ったのである。

 

 バニルも立ち入れていなかったダンジョン最奥のボス部屋、そこに描かれたアクア様の魔法陣を消そうと慌てて駆け付けたのだろう。

 あれがあるとまた余計な疑いがかけられないからと。

 それで『キールのダンジョン』に急いだカズマ一行は、外で待機していたセナたちと合流し、ダンジョンから撤退してきた冒険者たちから情報をもらった。そして、爆裂魔法しか使えないめぐみんに、自爆人形をいやがるアクアを置いて、ダクネスとふたりでダンジョンに入り、

 あらゆる防御力が突き抜けている頑丈な『クルセイダー』が、除雪車の如く当たってくる仮面人形を蹴散らしながら、報告されたトラップをスルーして、このダンジョン最奥まで辿り着いた。

 

「二人でダンジョンマスターを倒したのか?」

 

 ダクネスが問いかける。

 自爆攻撃もへっちゃらで、攻撃を避けようともせず当たってくるのでバサバサと斬りまくってと大活躍であったダクネスは、やや残念そうであった。けれど、このボスモンスターとは遭遇しない方が良かっただろう。

 

「ああ、やったと思うぞ」

 

「おお、すげぇな。見た感じ、ボロボロにもなってないし、瞬殺だったのか?」

 

「いや……精神的にボロボロだ」

 

 燃え尽きたように白くなったように見えるとんぬらに、先程から挨拶もせず貝のようにしゃがみ込んでいるゆんゆん。その二人を見て、カズマは頬を引き攣らせる。何があったかは知らないが、とりあえずご愁傷様と労っておく。

 

「それで、兄ちゃん達はどうしてきたんだ?」

 

「それはもちろん強大なボスモンスターに挑む二人の救援に! そして、力及ばず組み伏せられ、私を置いて逃げろと」

「もちろんっ! とんぬらとゆんゆんを助けに来たに決まってるだろ!」

 

 ダクネスが思いのたけを熱弁しようとしたが、カズマが割って入って綺麗に収める。

 とんぬらはその必死な様に、頬を掻いて、

 

「ほう、剣ではなく掃除道具を片手にダンジョン最奥に踏み込んでくるとは頼もしいな兄ちゃん。それで、ボス部屋に描かれた魔法陣は戦闘の余波で消し飛んでしまったんだが、アクア様に謝っておいてくれないか?」

 

「お、おう……なんか、ごめん」

 

 色々とお見通しなとんぬらに、気まずそうに目を逸らすカズマ。

 

「いや、別にいいさ。兄ちゃん達の事情は知ってるつもりだ」

 

「とんぬらたちを心配したのは本当だぞ。めぐみんなんて役立たずなのはわかってんのにダンジョンに自分も入ろうとしてたくらいだしな。……アクアのヤツは人形が生理的に受け付けないだとかでだだ捏ねて来なかったが。とにかく! 心配して駆けつけたのは本当だからな!」

 

「それもちゃんとわかってるよ」

 

 前回のリッチー戦も含めて、戦闘痕の凄まじいこのダンジョン最奥を念のためにダクネスが検分しようと奥へ踏み込み……

 

「まあ、保身のためでもあったのは認める。俺達にとってもあそこの魔法陣が残ってると困るんだよ」

 

「なにゆえこの魔法陣が汝に不利益を? どれどれ、ちょっと汝の過去を拝見して……」

 

 ギョッととんぬら、そして、ゆんゆんが反応。

 ダクネスの声音であったために反応が遅れたが、さりげなく割り込んできたこの口調は、まさか……!

 

「おいおいダクネス、落ちてる仮面なんかつけてんじゃねぇよ。散歩したら残飯を漁る犬か。一応、貴族様だろお前。しかも変なキャラまで作りやがって……」

 

 白黒ツートンカラーの仮面を装着したダクネスにカズマは呆れた声を出し、とんぬらとゆんゆんはわなわなと体を震わせ、顔を蒼褪めさせる。

 

 

「……………………フハハッ」

 

 

 バニルの仮面をつけたダクネスが、否、バニルが、乾いた笑い声をあげた。

 その異様な気配に、カズマも気づいたのか、ダクネスに近づこうとした足を止める。

 

「フハハハッ、フハハハハハハ! フハハハハハハハハハハハ! 何ということだ、何てことはない、貴様らの仲間のプリーストが、この迷惑な魔法陣を作ってくれおったのか! 大悪魔たる我輩ですら立ち入れぬ魔法陣を作るとは、そのプリーストはもしや……!」

 

 仮面の目が赤く輝く。

 まさに魔族といった、死兆星の如き不吉な眼光。

 

「ほう……。見える、見えるぞ! 地上だな! このダンジョン入口で、魔法陣を作ったプリーストが退屈そうに茶を飲んで寛いでいる姿が見えるわ!」

 

「……ダクネス? ……お、おい、ダクネス! いきなりどうした……」

 

 この異様な雰囲気に、ヤバい展開だと悟ったカズマが恐る恐る声をかける。

 

「おおっと。新しい客に挨拶が遅れてしまった。我輩は、魔王軍幹部にして地獄の公爵を務める大悪魔、そして、緊急離脱させた()()()()()のバニルである!」

 

 極大消滅魔法が放たれた瞬間、仮面が本体であるバニルはあの瞬間、仮面を外し、地面に埋めていた。

 

「貴様の仲間の『クルセイダー』、その頑強な肉体を借り受けさせてもらったぞ! なあに、ちょっとの間だけだ。『人間は殺さぬ』が鉄則の我輩だ。ああ、人間は殺さぬとも。……“人間”はな! あんな迷惑な魔法陣など作り追って、一発キツイの食らわしてくれるわ!」

 

 そこで、クルッととんぬらとゆんゆんの方へ仮面の顔を向ける。

 

「もしや討ち取ったとでも思ったか? 残念、何のダメージもありませんでした! それから、厄介な結界を消し飛ばして感謝する! フハハハハハハ! フハハハハハハハハハハハッ! おおっと、汝ら二人の悪感情。大変美味である!」

 

 師の墓荒しだとか、仇の情報だとかそういうの一切抜きにしても、消滅魔法を直撃させてやりたい!

 いや、そんなことよりも、存在自体が反則じみているとかも、どうでもいい。まずい。倒し切れなかったということは、つまり……

 

 そして、状況を悟ったカズマが、声を張り上げる。

 

「とんぬら、ゆんゆん! ボスモンスターは倒したんじゃなかったのか!?」

 

「うむ。倒し切れなかったが、我輩をあと一歩のところまで追い詰めたのは確かであるな。あそこまでピンチだったのは我輩の友人以来だ。そして、あんな戦法を取ってきた冒険者は初めてであった」

 

 称賛するよう拍手を送ってくるバニル(ダクネス)。しかし、これが単純に健闘した相手を褒め称えるだけのものでないことは、散々弄られた二人にはわかる。

 

「フハハハ! そこの姑息そうな男には話が分からんだろうからな。よし、ここはひとつ、我輩がこの伝説的な一戦を()()してやろうではないか!」

 

「ちょ、やめ」

 

 止めようとするが、それより早く、ささっと土人形、タキシードに身を包んだ大柄な体躯の基本ボディを作って相手役を用意するバニル。

 ひとり蚊帳の外なカズマには事態が把握できないが、ゆんゆん、それにあの鉄心とんぬらがガタガタに震えてる様から、これがとんでもないことだと察する。でも、どうすることもできない。

 

 そして、バニル(ダクネス)は相手役の土人形に向かい合って…………公開処刑が始まった。

 

「『我が名はとんぬら! 紅魔族随一の勇者にして――族長から珠玉の一人娘を娶る者っ!』」

 

「『我が名はゆんゆん! いずれ紅魔族の長を継ぎ――紅魔族随一の勇者のお嫁さんになる者っ!』」

 

「『魔王軍幹部、バニル! 我らの超奥義を食らうがいい……!』」

 

『『ふたりの、この手が闇を裂いて光り輝く!!』』

 

「『幸せ掴めと!!』」

「『轟き叫ぶ!!』」

 

「『ラァァァブ!!』」「『ラブゥッ!!』」

 

 

『『メドォォォオォォォォォア――――!!!!』』

 

 

 ………

 ………

 ………

 

「ああ……なんたる美味な感情……」

 

 演じ切ったバニルは、相手役の土人形を崩し、ポーズを決めたまま、しばし陶酔する。

 あの一瞬、本気で滅ぼされても構わないと思ったが、すぐ近くにカズマたちが近づいていることに気付き、『これはギャラリーがいる方がより美味な悪感情が頂けるのではないか?』と考え直して……今に至る。

 そして、思った通りに至上の甘露を頂くことができた。もうこの美味(あじ)は、筆舌に尽くし難く、長広舌のバニルでもしばらく感動に浸って口を開くことはできなかった。

 

「―――」

 

 わざわざ相手役の人形を作っての熱演に、とんぬらとゆんゆんは精神を守るため、意識のブレーカーを落とした。石のように固まった。

 もしかすると今日のことは忘れてしまうかもしれない。

 

「あー、その、なんだ……頑張ったよ、お前ら」

 

 カズマもここで『精神がボロボロ』という言葉の意味を理解し、何があったのか大まかに把握したのだが、これ以上、二人にかける言葉が見つからなかった。言葉もない、とはまさにこの状況を指すのだろう。

 そして、今回の相手がどれだけ厄介なのかもまたよくわかった。

 

「しかし、本体の仮面は間一髪で離脱できたわけだが、(これはヒドい。演技でやらされる私でも赤面ものだ)。そして、仮面ならではの必殺技とでもいうべきか、誰一人として傷つけることなく、悪感情だけを頂けるという、我輩のとっておきでもって、(ああ、どうしよう、私の身体が乗っ取られてしまった!)どうだ、この娘に攻撃できるものなら(一向に構わん! 遠慮なく攻撃してくれ! さあ早く! こういうのは絶好のシチュエーションだっっ!!)」

 

 ……様子がおかしい。

 まさか悪感情の余韻に酔っているのか? いや、違う。

 

「バカな、何だこの(麗しい)娘は! ……こ、こらっ、ちょこちょこと余計な口を挟んで遊ぶな! しかしどういうことだ、一体どんな頑強な精神をしているのだこやつは……(まるで『クルセイダー』の鑑のような奴だな!)……ええいっ、やかましいわ!」

 

 頼りになるふたりが卒倒し、ひとりは身体を乗っ取られたのだが、どうにもピンチの実感が薄い。

 

「我が支配力に耐えるとは、貴様、なかなかどうして大した娘よ! (い、いやあ……)だが、我が支配に耐えれば耐えるほど、やがてその身に抗い難い激痛が走ることになる! (な、なんだと!?)フハハハハハハ! さあ、一体どこまで耐えられるか見物であるな! ……なんだこれは。悪感情どころか、我輩にとってはあまり好ましくない……喜びの感情が……?

 (私はっ……! こんな痛みなんかに負けたりしないっ……!)その意気や良し! だが、これ以上の我慢は汝の精神の崩壊を招き……! ……貴様、ひょっとしてこの状況を楽しんではいないか?」

 

 ……なんて、傍から見たらひとり芝居な茶番の間、意識が落ちていたとんぬらが覚醒する。

 

「とんぬら、無事か?」

 

「うっ……大丈夫だ、兄ちゃん。ゆんゆんは流石に目覚めてないが……それで、これは一体どういう状況なんだ?」

 

「あまりわかりたくないし、できれば関わりたくないんだが……魔王軍の幹部(バニル)が身体を乗っ取って、変態騎士(ダクネス)がそれに抵抗していると言ったところだな」

 

 とんぬらが未だ眠ってるゆんゆんを介抱し、カズマは内面世界で葛藤を続ける二人に近づくと、大剣がつきつけられた。

 

「それ以上近づくな小僧(カズマ、構わん! 私は置いて先に行け!)そうそう貴様の思い通りには(……ああっ、これを一度言ってみたかったのだ……!)貴様が憎からず思っているこの娘を、傷つけたくはあるまい? (!?)このまま娘が我が力に耐え続ければ(カ、カズマ、この自称見通す悪魔が、今気になることを言ったのだが)さあ、それを止めたくば貴様からもこの娘の説得を(気持ちは嬉しい。嬉しいのだが、身分の違いもあれば、同じパーティという現状ではそういった)やかましわああああ――――――っ!!」

 

「喧しいのはお前らだよ! 頼むから、しゃべるときはどっちかひとりにしてくれ、何言ってんのかサッパリわからん!」

 

「くっ……! この身体は失敗だったようだ(おい、人の身体に失敗だとか失礼ではないのか!)ええい喧しい、我輩はもう出ていくから、貴様はしゃべるな!」

 

 ――そこで、カズマはふと思う。

 バニルは先ほど仮面を外して危機一髪から免れたと言っていた。それに、こうして何かと邪魔が入るダクネスの身体はどうも思うようにはいかないらしい。

 どうせ、止めることが無理ならば、このまま不自由なダクネスの体の中に閉じ込めたまま、地上に持って帰り、アクアたちに何とかしてもらった方が得策ではないかと。

 そう、アクアに会いたいというのなら、会わせてやろう。

 

 カズマは仮面を外そうとするバニル(ダクネス)に近寄ると、セナが冒険者各組に配布していた強力な封印の札を仮面の上にペタリと貼った。

 

「どうした小僧。……? 何だ? 触れぬ。……おい貴様、何だこの札は。触ろうとすると指が弾かれるのだが。(うむ、目の前でヒラヒラして鬱陶しいぞ)」

 

「兄ちゃん、それってまさか……」

 

 必死に札を剝がそうとするが、封印の札は貼り付けられている対象には干渉できない仕様である。

 

「セナにもらった封印の札だよ。よし、ダクネス。その状態で地上に行くぞ。中にバニルを詰めたまま、アクアたちの下に運んでくれ。そこでアクアに中身を浄化してもらう!」

 

「(ちょっ!?)」

 

 事態は見通す悪魔にも予想つかぬほど、ますます混迷を極めることとなった。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 激辛チーズ:ドラクエⅧの道具。相棒のネズミ(竜爺)に食べさせると、激しい炎を吐き出す。錬成レシピは、辛口チーズ+ヌーク草。

 材料が安価で、売値が変動することもないため安定した金稼ぎにも利用されたりする。

 

 エボルシャス:ドラクエモンスターズ+に登場する呪文。変化魔法モシャスの究極系で、『己が思い描く最強の姿』に変身できる。

 これで、主人公の相棒スライムは歴代シリーズの勇者になり、試合を大逆転。その威力はマダンテすら上回るとされるが、使用後はHP1MP0になる諸刃の技。

 物語の中では、人間になったモンスター・ホイミンと思しき霊界の番人から伝授される。

 名前の由来はおそらく、モシャスに『進化』を意味する『Evolution』を組み合わせたもの。

 とんぬらの最強のイメージは、冬将軍。

 

 アルテマソード:ドラクエシリーズの究極剣法のひとつ。敵を闘気の檻に封じ込んで、そのまま真上から叩き切る技。防御力無視の貫通性ダメージを与える。

 作中では、氷漬けにして一刀両断する冬将軍の剣技。


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