この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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43話

 綺麗な水源に恵まれているからか街のすぐ傍には深い森が広がっている。

 この奥には秘湯の湧く険しい山が聳え、そこより水が流れ込んでできあがった湖畔のそばに建つ一軒の建物が、源泉の管理人の自宅である。

 老人ひとりが住む、街から少し離れた閑静な場所であるからか、いくら息を潜め足音を殺そうとも来訪した異物の気配は完全に消すことはできず、

 

 ――カラン! と鐘の音が鳴る。

 

「?」

 

 見れば、足が細く目に見えない蜘蛛の糸のようなものに引っかかっていて、その先に繋がっていたベルを鳴らしてしまっていた。

 

「『花鳥風月・猫飯』」

 

 瞬間、足元の地面がいきなり沈下して、泥濘に足が埋まる。

 罠か――!

 

「ゆんゆん、ポイント2-Eにかかった!」

 

「『ライトニング・ストライク』!」

 

 位置座標を報せる暗号を取り決めてあったのか、指示が飛んで間髪入れずに稲妻が飛来する。が、それは片手で払われ、あっさりと霧散した。

 

「え、上級雷撃魔法が……!?」

 

 渾身の魔法が通じず、動揺を禁じ得ない少女。

 襲撃者は、魔法を放った方角から目安をつけたのか、そちらへ迫ろうとして、少年が吼える。

 

「やらせるか! ――炎会芸『火車』」

 

 炎を噴き出して滑空する投擲物が二つ。それは森の木々の隙間を抜けながら標的を囲うように弧を描いて挟む撃つ。それも相手には弾かれたが、通じないことを見越して動いていた少年は狙撃矢の如く鋭い一条の水弾が追撃。

 

「『花鳥風月・猫火鉢』!」

 

 ブーメランに数枚重ねて貼り付かせていた聖水に反応する起爆札が炸裂。

 炸裂魔法ほどの威力のあるこの攻撃に、しかし、相手は無傷であった。

 

「ちっ……!」

 

 今の焔を飛び散らす攻撃と爆発が、森に飛び火。木々が燃え盛り、煌々と夜闇が照らされる。それで正体が晒されることを厭ったのか、闇に紛れる黒鉄色の人影はそこで撤退を選んだ。

 

「ゲレゲレ、追うな!」

 

 少年とんぬらは、追跡をせんと前に飛び出した豹モンスターを制止する。それから、家の警護を任せていた相方のゆんゆんへ確認する。

 

「ゆんゆん、管理人は?」

 

「おじいさんは無事よ。こちらには来てないわ」

 

「そうか。よかった。でも、まだ狙われる可能性はあるからやはり教団でしばらく匿わせてもらおう」

 

 紅魔族随一の占い師そけっとは、『『アルカンレティア』の街に、やがて危機が訪れる。温泉に異変が見られた時は、湯の管理者に注意を払え。その者こそが、魔王の手の者』と予言したことがあった。

 それが今回の件に関わっているのだとすれば、秘湯の管理者であるおじいさんが魔王と繋がっているのか、または変身能力を持つスライムが成り変わろうとして襲われるかととんぬらとゆんゆんは先読みして、行動を起こしていた。管理人のおじいさんが魔王軍と関わりないことを確かめると、それから襲撃を予測し網を張った。

 結果として、襲撃者は逃してしまったが、予知のアドバンテージのおかげで管理人のおじいさんを助けることができた。

 

「しかし、上級魔法攻撃が通用しないとは……ん?」

 

 水芸で森の消火していたとんぬらは、標的が罠にかかった地点にきらりと光るものを見つけた。

 それは、クリスという花と同色の紫紺の四角いアクセサリ。

 

「これは、確か……」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 不可欠な水資源を求めて海川の側に人が集まり、街が栄えていくよう、水と文明は密接に関わっていることは歴史に証明されている。

 故に人間は無尽蔵でありながら時と場所に制約を受ける水を制御する術、治水という技術を研鑽してきた。この手腕如何で領地を監督する為政者の評価が決まるとも言ってもいい。

 

 その治水の観点で言えば、勢いの強すぎる洪水じみた激流は堰で止めたりするには無理がある。であれば、水を阻む障害(かべ)を積むのではなく、掘る。溜池を作って受け皿にしたり、水の流れを誘導する水路でもって被害のない方向へ送り出したりして全体の水量を調節する。それで渇いている大地へ流せばそれは恵みの水となるであろう。

 

 つまりは、アクシズ教団という強烈すぎる水の女神の信奉者は、抑えつけようなどと考えてはダメである。無理だから。だったら、こちらで場を用意してやらせた方が管理できる。

 

「いずれは神社を運営する者として、縁日屋台を仕切る術は勉強しているからな」

 

 真面目なエリス教にはできない、お祭り教団なアクシズ教だから盛り上げにはちょうどいい人材だ。バカだから、バカ騒ぎできる。

 彼らの活躍のおかげでここ数日で、『アルカンレティア』も景気が良くなってきた。

 

「将来、やろうかと考えている神事の予行練習としては、良い機会だ。教団全員が芸事に通じているエンターテイナーだから少し教えればすぐにできたしな。念のために『ヴァーサタイル・エンターテイナー』の支援を施したし、順調だ」

 

 鉦と太鼓と笛と笙で奏でる軽快なリズムは祭囃子。

 ワッショイワッショイ!! と元気よく数人がかりで担いでいるのは、『氷彫刻』スキルで造られたミニチュア版の教会模型を乗せた『神輿』というもの。

 それが複数台、そして、この水と温泉の街の至る所を長蛇の列を作りながら巡っている。

 

「祭りの理由は適当でいいさ。氷を使っているから、もうすぐ雪解けを祝しての春祭りということにしている。一番早く祭の熱気で『神輿』の氷像が溶けた組に春が訪れる、ってな」

 

 『神輿』の上には、シスターが扇子を手に『花鳥風月』の水芸を披露している。『悟りの書』に書かれた水をばら撒く祭りの再現だ。その観客らにも水飛沫がかかる派手で、周りも取り込んでしまうこの一体感は、道行く人を自然に笑顔にさせ、家の窓から覗いていた人たちも水浴びしたいとせがみに家の外へ出ていく。

 

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損、ってな。『悟りの書』に書かれた『アマノイワト』の通り、人間すぐ傍でバカ騒ぎをやられたらどうしても気になるし、陽気は感染しちまうものだ」

 

 他にも教団が運営する喫茶店では、初代神主の勇者がレシピ考案したという料理のYAKISOBAに、森で取ったタコを使ったTAKOYAKI、旬の春キャベツを混ぜ込んだOKONOMIYAKIから、『錬金術』スキルで作製した『悟りの書』に書かれた秘伝のタレ『ソース』や『マヨネーズ』の香しい食欲をそそる濃厚な匂いが人を誘い、

 縁日屋台では、雪精より生み出される氷を使ったかき氷が売られて、どこも繁盛している。

 

「それに祭りで布教活動に気が回らないくらい体力を使わせてやれば、アクシズ教徒も無害になる。うん、アクシズ教徒は、宴会の席では喧嘩しないんだ。エリス教であろうと酒を酌み交わせるノーサイド精神を持っている」

 

 『神輿』で人目を引きながらあちこち練り歩かれては、破壊工作で暗躍している魔王軍もやり辛いであろう。そしてこのバカ騒ぎは暗くなっていた街の雰囲気を盛り上げる。加えて問題児たちも疲れれば大人しくなる。

 一石三鳥、いや浄化作業も入れて一石四鳥を狙った“最高司祭”の献策は大成功を収めていた。

 これには思わず感嘆の息が漏れてしまうというもの。

 

「はぁ~……すごいね、とんぬら」

 

「どうだ、惚れ直したか?」

 

「うん」

 

「っ、……ストレートだな。いや、冗談のつもりだったんだが。後、今の俺…私は、とんぬらではなく、ゼスタ司祭だ」

 

 いずれは里の長となる者として、彼の立ち振る舞いや人の使い方というのは勉強になる。

 そんな未成年の少女からの熱視線を受けて、気恥ずかしそうにこほんと咳払いをする白髪交じりのおじさん……に化けている少年。

 

「とはいえ、こんなに祭り騒ぎを延々と続けることができない。経理のトリスタンさんからももって5日だと言われている。収入も入っているが薄利多売、炊き出しをやってるようなものだ。それ以上は今後の教団の運営に支障をきたしてしまう。それにあまり長々とやっては飽きられてしまうからな。だから、その間に、温泉街を浄化し、原因を特定しなければならない……できれば、明後日辺りには終わらせたい」

 

「……じゃあ、まだ“あれ”を続けるの?」

 

「それくらいしかできないからな。飢饉に内乱財政難政治腐敗などあらゆる問題を殴って解決、『ヤマタノウナギ』を討伐して土用丑の日を作った伝説の貴族『ポチョムキン男爵』のようにとはいかないようだし」

 

 その彼の顔は、あまりよくないように見えた。

 きっとこれは彼の行っている浄化作業のせいだろう。

 

「ああ、そんな心配な顔をするな。無理なら無理だと言うさ。これで一定の効果を上げてるわけだし……不本意だが順調に変態師匠の株も上がっている。それにこうやって釣りをしていれば、おそらく向こうからコンタクトを――っと何用ですかな」

 

 と賑やかな祭りをよそに、わざわざ人気の少ない裏通りを通って問題の温泉宿を回っていた秘書を連れる最高司祭は気配を察して、言葉遣いを変える。

 現れたのは、おそらく旅の魔法使いだろうか。そして、体を隠す野暮ったいローブに包まれながらも、ボディラインがわかってしまうほど見事なスタイルをしている。

 

「久しぶりね、というほどでもないのだけど、私のこと覚えているかしら?」

 

 

 言いながら、深く被っていたローブを僅かに外した彼女は、赤毛のショートカットに猫科を思わせる黄色い特徴的な瞳を露わにした。

 とんぬらは、大きく目を見開いた。不躾ながらガン見してしまっている。

 そう、それはまさに神主として思い描いた理想的な女神像で……

 

「……その、混浴の時でもそうだけど、あまり見つめられるのはちょっと……」

 

 とんぬら……?

 ボソッと半歩斜め後ろの少女から自分にしか聞こえないほどの小声で名前を呼ばれて、正気に戻った。

 その一言には、『混浴ってどういうこと?』といった意味合いが言外に込められているのがわかってしまう。口よりも先に手が出るタイプではないにしても、口ほどにものをいうその目は、頭の警報を鳴らすに十分に足るものだ。できれば、すぐに弁明をしたいのだが、今は女性の前でそれもできない。

 とんぬら(ゼスタ)は、背に冷や汗を掻きながらも、好々爺然とした笑みを浮かべ、

 

「これは、失礼。ですが、三秒ルールで、これくらいはセーフでしょう?」

 

「いや、意味が解らないのだけど」

 

「人の心を奪うほど女神の美貌とは罪作りなものだということですよ」

 

 さらりと口にした発言に女性は目を瞠る。

 

 マイナー宗教とはいえ、勘付くとは流石は最高司祭。

 私の天罰を撥ねのけるだけのことはあると。

 

 ビクッッッ!!! ととんぬらの背筋が伸びる。

 

 だから、ゆんゆん、今の俺は最高司祭だ!

 このお姉さんと混浴したのは俺ではなく、変態師匠の方であってだな!?

 

 さっきまで半歩斜め後ろに離れていたゆんゆんだが、今は肩と肩が触れ合うくらいに接近しており、背後の重圧が増している。さらに、シュルリ、と手首に巻き付く、尻尾のアクセサリ。

 

(っ!? え、感情に反応するように作ったが、そこまで器用な機能性はつけてない……!? うおっ、絞め付ける力が強い! 脈が止まるぞ!?)

 

 そんな危機が迫るとんぬらを救ったのは、目の前の女性であった。

 

「あら? あなた、もしかして一緒の馬車に乗っていた……」

 

 近づいたことでフードの内の童顔が垣間見えた彼女は、思わずといった調子で問いかけた。それにゆんゆんもまたハッとして、

 

「は、はい! 私の事、覚えててくれたんですかお姉さん!」

 

「ええ、ゆんゆん、だったわよね? ……一応聞くけど、あなたのそれもあだ名じゃないのよね?」

 

「本名です! あの……。あの時、私の背中を押してくれた事、ずっと忘れてません! あの日の日記にちゃんと書いて、たまに読み返したりもしてます!」

 

「そ、そうなの。そこまで重く捉えなくても良かったんだけど、喜んでくれて何よりよ?」

 

 と、反応に困りながらも人が好いのか、こんなことまで訪ねてきた。

 

「それで、彼とは仲直りができたのかしら?」

 

「はい、この通り……」

 

 ひしっと抱き着く。

 とんぬらの――今はゼスタの腕に。

 

「え゛……」

 

 言葉で説明するよりも明確な態度でもってゆんゆんは現状を表現したが、現状ではそれは誤解の方向にしか転ばなかった。どうやらゆんゆんは有頂天のあまりきちんと今の彼の姿が頭から抜け落ちてしまっているようで気づいていない。

 なので、女性の引き攣った笑みの意味を正しく理解したのは、とんぬらだけであった。

 

「これこれ。いくら条例で私から近づくのは禁止されているというのに、こんなに近づいてしまったら、チューしてしまいますぞ」

 

 やんわりと師を演じながら距離を取るよう嗜めるとんぬらであったが、

 

「も、もう! お姉さんの前で何を言ってるのよ!」

 

 恋は盲目。どうやら変化していても彼女の目のフィルターには変わらぬ自分の姿が映し出されているのだろうか。

 満更でもない調子で顔を赤くする少女のテレデレに、フードの女性からの目が怖いものになってくる。

 

(……そういえば、やけに“パートナー”って強調していたけど……つまり、普通じゃカップルとは呼べない関係……まさか、最高司祭と不倫の愛人関係を結んでいたってことなのかしら!? え、私、ちょっととんでもない方向に後押ししちゃったの!?)

 

 ついには責任を感じて頭を抱える女性。

 その心情を推し量ることはできないが、とんでもなく誤解が発展していそうな気配をとんぬらは覚えた。

 そして、女性は恐る恐るゆんゆんに確認する。

 

「え、っと……この前あなたが言ったお相手ってこの人なの……?」

 

 どうか外れてほしいと願う女性であるが、

 

「はい、この前パートナーになったんです。色々な意味で……!」

 

 残念ながらその願いが少女には届かなかった。

 

「それで、責任を取って、子供を……」

 

 そこで恥ずかしさが限界に達して言葉を切る。

 これでは、ゆんゆんが、ではなく、こちらが認知して責任を取るようだと思われても無理はなく。お姉さんは比較的常識的な感性をお持ちなようで、

 

「待って! あなた、今何歳なの?」

 

「えと、もうすぐ、明々後日で、14歳になります」

 

「つまりまだ13歳……いくら何でも手を出すのが早すぎるんじゃないかしら」

 

「でも! 結婚は、14歳からできます!」

 

「いや、そういう問題じゃなくてね」

 

 まずい。

 女性の目が洒落にならんくらいになってる。

 

「ゆんゆんさん……」

 

「え? ちょっと何でそんな呆れた目で見るの?」

 

「それは自分の胸に手を当てて考えてごらん」

 

「…………もっと大きい方があなたは良いの?」

 

「今のあなたに足りないのは頭です。もう喋らなくていい」

 

 一度状況を見直させて事態の収拾を図ろうとしたが、更に泥沼になった。

 

「ええ、なんで!? あなたがお姉さんのことを見て、そんなことを言うからてっきり……」

 

「いい加減に黙らないと本気で口を塞いじまうからな」

 

 この最近、そちらの話題になると思考能力が蕩けてしまうゆんゆんを下がらせてから、一度深呼吸で気を落ち着けさせ、今や凍えるほど冷徹な眼差しを向けるようになったお姉さんと相対する。

 

「いくらアクシズ教が欲望のままに生きているような連中でも、これはもう責任はちゃんととるつもりなのよね?」

 

「責任、とは?」

 

「勝手ながら男の怠慢というのは許せないのよ。これはもう天罰じゃなくて爆裂魔法をぶちかましたくなってきたわね」

 

 なんか物騒なことを言って、全身より魔力を解放し始める。その量と密度は、それが冗談ではないと裏付けるほどのモノ。これまでの戦闘経験からの基準で言えば、キール師匠クラス。とんぬらの中では最大級の警戒レベルである。

 

「ちょっと待ってください」

 

「何かしら? ちゃんと私の前で責任を取ると誓いなさい。そうすれば、半殺しで済ませてあげる」

 

「あなたはとても誤解している」

 

「誤解? つまり、彼女との関係はお遊びだということ?」

 

「違う。責任は取るつもりだし、将来も見据えている。だから……『解除』」

 

 お姉さんにこちらの言葉を届けさせるにはもうこれしかないと――とんぬらはゼスタの変身を解いた。

 元の姿、白黒の仮面をつけた、ゆんゆんと同年代の、少年に戻る。

 

「こういうことです」

 

「え……?」

 

 目を丸くする女性。唖然と驚いて、警戒が解かれている今のうちに、とんぬらは主張する。

 

「俺は、変態師匠…アクシズ教の最高司祭ではありません。失礼ながら色々と事情があって、魔法で化けていたんです」

 

「あー……そういうこと……あー……あー……なんか、ごめんなさい」

 

「いえ、こちらも彼女が紛らわしいことをしたんで、勘違いされても仕方ありません」

 

 納得するように頷く女性。

 誤解していたことを恥ずかしがるよう頬を赤くする彼女に、とんぬらは首を振る。

 

「改めまして、我が名はとんぬら! 猫耳神社の神主代行にして、今は最高司祭の影武者なるもの!」

 

 しっかりと紅魔族流の挨拶をしてから、折り目正しく腰を追って一礼する。

 

「ゆんゆん……俺の彼女が以前お世話になったようで、俺からもお礼を言わせてください。ありがとうございます」

 

「いえ、別に礼を言われるほど大したことしてないから……それで、あなた、影武者って言ってたけど、アクシズ教なの?」

 

「全っ然! 違います! 紹介した通り、俺は猫耳神社の神主代行です。ダメな大人の尻拭いでこうなっているだけで、断じてアクシズ教ではありません! むしろ、いずれは打倒すべきものと目標に掲げています」

 

「そうなの……あー……なんか、ごめんなさい」

 

 グッと拳を作って力強く主張するとんぬらであったが、また気まずそうに謝られた。

 そして、額に手を当ててブツブツと、

 

「(そういえば、猫耳神社って、再封印されたときに、習合だとかいって私をご神体として祀るだとか言ってた紅魔族の……つまり、この子って、私の信者なの……うん、そこはかとなく私を崇拝する気を感じるし、嘘はついてない。……となると、やり辛いわね。……ハンスから、『最高司祭が惰眠を貪るどころか前よりも勤勉になってやがるぞ』って文句を言われたから見に来たんだけど……これって、私が天罰をかけたから、私の信者()にしわ寄せが来てるってことでしょ? あー……納得したんだけど、これは……)」

 

 内心、自縄自縛と追い詰められていく女性に、とんぬらは拝むように手を合わせて、

 

「それで、このことは出来れば、秘密にしてもらえないでしょうか?」

 

 ……やがて、考えるのが面倒臭くなったのか、ひとつ溜息を吐くと、女性は頷き、

 

「そうね。私はここで何も見なかった。そういうことにしましょ」

 

「ありがとうございます!」

 

「いいのよ別に」

 

 女性はフードを被り直して、独り言のように、

 

「でも、最高司祭の影武者なんて、事情は訊かないけど、危ないんじゃないかしら? この街に魔王軍の幹部がいるそうよ」

 

「承知しています。でも。あの人は俺の命の恩人でもありますので。とっととその借りを返済しておきたいんですよ」

 

 口にはしないが、止めた方が良い、と忠告する女性に、とんぬらは苦笑交じりに応える。それを言われた女性はとんぬらと同じように苦笑を零して、

 

「働き過ぎは良くないから、程々にね」

 

 労わるようにそう告げて、女性は去った。

 最後までその名を教えることもなく。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 浄化魔法『ビュリフィケーション』

 それは、プリーストに使える魔法であって、『アークウィザード』にはできない手段だ。

 だから、浄化魔法が使えない彼が取ったのは、単純明快でかつ彼にしかできない浄化方法であった。

 

『『全てを吸い込む』のスキル熟練度が上がってきてな。ある程度、取捨選択できるようになった』

 

 温泉内に混入された毒素を吸い出す、というもの。

 以前、デッドリーポイズンスライムの変異種ハンスの毒を摂取してできあがった耐性。それに液体であれば浄化作用が微弱ながら働く体質。そして、ゆんゆんが『竜言語魔法』の『状態異常耐性増加』をかけることで底上げされた、強力な毒を取り込んでも抑え込めるだけの耐性。

 とんぬらは、『錬金術』スキルの分解でもって、温泉成分ではない異物を分別し、『全てを吸い込む』を行使することで毒を除去するという手法でもって、いくつもの温泉宿を浄化していた。

 同時にそれは彼の体が、ハンスの強力な毒に侵されるという事だ。

 

(止めたいんだけど……でも、実際にこれでうまく行ってるから……)

 

 今日、見回る分の温泉宿を浄化して、教会へと戻ったゆんゆん。

 とんぬらはこの教会自慢の温泉……以前、めぐみんが爆裂魔法で大拡張した街一番の温泉で今日の疲れを取っている。アクシズ教団の財源の元になっているだけ効能も素晴らしく、また彼とは“水が合う”そうだ。ゆんゆんの目でもわかるほど、風呂上がりの彼は調子が良さそうである。

 ここの入浴剤を土産に買っていこうか……と考えていた時、

 

「今日もお疲れ様です、ゆんゆんさん」

 

「トリスタンさんもお疲れ様です」

 

 声をかけていた女性にゆんゆんは挨拶を返す。アクシズ教団の経理担当で、影武者のことを知るトリスタン。共犯者な彼女が必要経費を捻出してくれるからこそ、祭りは実行できている。……とはいえ、

 

「いえいえ、あなた方の働きに比べれば私のする裏方など微々たるものですよ。祭りも好調ですし、これならもう一日分の余裕ができそうですね」

 

「その……どうして、トリスタンさんはここまで協力してくれるんですか?」

 

「はい? 協力とは? むしろこちらがしてもらってる立場だと思いますが」

 

「とんぬらの策……成功しているとはいえ、お金がかかります。普通だったら、経理のトリスタンさんは反対してもおかしくないのに、あなたは最初から全面賛成だったから」

 

 ゆんゆんが引っかかるのはそこである。いくら人気のあるとんぬらとはいえ、部外者(と当人は思っている)に教団の命運を左右するような事態まで懸けられてしまうものなのかと。

 

「ええ、諸手を挙げて賛成しますとも。アクシズ教は、今を楽しく生きることをモットーにしてますから、宵越しの銭など持たなくても結構です」

 

「それは、経理担当の人の言葉ではないと思うんだけど……」

 

「それに、ゼスタ様から言われています。『もし私に何かあって、直弟子が駆け付けた場合、ぬら様を全力で支援するよう』にと」

 

「え……」

 

「ゼスタ様はよく自慢していましたから。ぬら様は私の理想に届きうる逸材だと」

 

 いくら資質が優秀でもプリーストではないとんぬらのことを、そんなに目をかけられていたなんて、予想外であった。

 この前滞在したときは会おうとしても会わず、また別れ際まで憎まれ口を叩いたり、祝福魔法を省いたりしていたのに……

 

「さて、ぬら様のお背中を流そうか迷っているゆんゆんさん」

 

「べ、べべ別にそんなこと、考えてませんから!」

 

「そんなゆんゆんさんに朗報です。紅魔族には人に見られたら、ものすごく恥ずかしいマークがついているそうですね。ゼスタ様から聞いたのですが、昔、ぬら様を洗礼したとき、そのようなものが……」

 

 ゴクリ、と唾を呑み込むゆんゆん。

 トリスタンへ前のめりになるお年頃な少女へ、にっこりと笑って、

 

「ここから先はぬら様ファンクラブ会員にのみ公開されるマル秘情報です。知りたければこちらの入信書にお名前をご記入ください」

 

 自らの『No.2・トリスタン』の会員証を見せながら、差し出された用紙。受け取ったゆんゆんはそのまま懊悩し、ペン先を用紙につけるところまでいったが、そこで風呂を上がったとんぬらに見つかり、バカな真似はするんじゃないと小一時間説教された。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 先日、めぐみんとダクネスにせっつかれて久々に受けたクエスト。

 このコボルト討伐で、パーティの水の駄女神が、コボルトの巣穴に大量の水を流し込んでくれた。『ほら、みんなも子供のころアリの巣穴に水を流し込んで全滅させたことってないかしら?』と呑気なことをほざいていたがおかげで、蜂の巣をつついたように大量のコボルトが巣穴から出てきて、こちらに襲い掛かってきた。

 指定された討伐数は、10体で十分だったのに、それの軽く倍以上いる。相手にしていられるかと逃げたのだが、囲まれてしまい、それで撤退を諦め、新たな相棒『ちゅんちゅん丸』を抜刀して交戦。こちらが時間稼ぎして、めぐみんの爆裂魔法で一掃してもらう――そんな作戦だったのだが、クエスト前のめぐみんとダクネスとのいざこざで、『ドレインタッチ』で魔力を奪ってしまったせいか、めぐみんが全身全霊で詠唱しなければならない爆裂魔法が不発。結果、コボルトに袋叩きにされて…………死んでしまった。

 

 その後、ダクネスの奮戦で危機を脱して、アクアが蘇生魔法をかけてくれたが、この世界で初めての死亡。まあ、そのおかげでエリス様という優しく可愛く常識のある真のメインヒロインと出会えたんだが、今後、危ない橋は渡らないと心に決めた。

 

 で、その次の日に元の世界での知的財産権で、月々100万エリス以上の収入が得られるようになった。

 前々から知り合いのウィズの魔道具店で、日本で売られていた商品を並べさせてもらおうかと考えていて、それで案を出した『こたつ』やら『くーらー』が、商談相手のバニルに思いの外高評価であったらしく、3億エリスで買い取ると申し出てきたのだ。

 

 これで大金が入ってくるようになったので、もう働く必要はない。クエストを受ける必要もないのだから、レベル上げもしなくていい。装備を整えて作戦も立てて挑んだのに死んでしまったのだ。もうモンスター討伐なんてやる冒険者稼業はせず、この高い幸運値と元の世界の知識が活かせる商いで食っていく。魔王退治も、稼いだ大金で凄腕の冒険者を雇い、最後の最後、美味しいところだけを頂けばいい。

 

 そのマネーパワーに頼った楽ちんな魔王攻略にアクアは賛成し、ダクネスもこの日に日にダメになっていく姿に勝手な想像を始め悦に浸っている。反対したのは、ロマンを求めるネタ魔法の使い手のめぐみんであった。

 けれど、めぐみんも先日のコボルトで殺された際の傷が癒えていないと告げれば、戦線復帰するために療養する必要性がわかってくれるだろうと……思ったのだが、

 

『……わかりました。カズマの傷を癒しに、水と温泉の都『アルカンレティア』へ湯治に参りましょう』

 

 てなわけで、温泉に行くことになった。

 

 強敵との連戦で精神的にも疲れているわけだし、借金もなくなったのだからたまに贅沢するのも悪くない。

 温泉である。

 何といっても温泉である……!

 アクアも水の女神だからか、水と温泉の都『アルカンレティア』に行くことは大賛成で、箱入り娘であったダクネスも街の外に旅行すること自体を楽しみにしているようだ。

 それで商談の方は一時交渉中断することになってしまうが、まだ生産ラインが整うまでの下準備段階でこちらがやることはさほどなく、むしろバニルからお邪魔な店主ウィズを一緒に旅行に連れて行ってほしいと頼まれた。アンデッドを毛嫌いするアクアがいるが、意外に着やせするタイプで実は大の風呂好きなウィズを連れて行かないのはもったいない! いや、かわいそうだ。

 

 それで旅の道中、硬いモノに目がない『走り鷹鳶』やらアクアの神気に誘き寄せられたゾンビとの戦闘はあったものの、無事に『アルカンレティア』に到着し……

 

 

「ワッショイワッショイ!!」

 

 澄んだ湖、壮観な山、街を流れる水路……と欧州でありそうな景観は美しい水の都。

 そこで目にしたのは、無駄に高いクオリティで精巧な氷の、和の代表な神輿を担いで騒ぐ人たち……

 

 あれ……? ここって異世界なんだよな?

 

 和洋がコラボレーションしてるこの異世界の水の都に目を揉むカズマ。

 そこかしこより匂ってくる芳しいものは、懐かしきソースで、屋台にお好み焼きやらタコ焼き、そして、ソース焼きソバが売られている。どれも美味そうだ。

 

「これはいったい……??」

 

 カズマの隣で、何度も瞬きして目を擦っているのは企画人のめぐみん。

 

「おい、めぐみん。お前、前に『アルカンレティア』に行ったことがあるって言ってたよな?」

 

「え、ええ……ですが、このようなお祭り騒ぎは初めて見るものでして……」

 

 どうやらめぐみんにも予想し得ない事態らしい。

 そして、おそらく騒いでいるのは、全員がアクシズ教徒だと思われる。と神輿の列に並んでいた内の一人がこちらを見つけ、

 

「ようこそいらっしゃいました『アルカンレティア』へ! ただ今、雪解けを祝して、記念祭をやっています! 雪解け、そう! 凍っていた氷が水となって流れだす、つまりは水の女神アクア様の復活祭でもあるのです! このめでたい時期に入信すれば、期間限定の特典が盛り沢山でして! なんとポイントも十倍に!」

 

 もっともらしいことを言っているが、期間限定だとかポイント十倍だとか耳障りの良い文句のせいで一気に胡散臭くなった。

 

「すいません、ウチにはもうアクシズ教のプリーストがいるもので、今日は観光に来ているので、また……」

 

「そうでしたか! おお、なんて美しく輝かしい水色の髪! その、アクア様みたいな羽衣良くお似合いで!」

 

 当然でしょ! と満更でもない表情を浮かべるアクア。容姿を称えられてご機嫌であるが、ちゃんと『実は私は女神なのでした』などと名乗らないよう言い聞かせてある。例の如くニセモノ扱いされ、袋叩きされては堪ったものではない。

 そして、同士に別れを告げて、再び勧誘してきた信者は神輿の列に戻っていくのを見届けて、ほっと一息を吐いたところで、この歓迎に増長したアクアが、驚愕の一言を口にした。

 

「さっすが、水と温泉の街、そして何よりアクシズ教団の総本山『アルカンレティア』! 水の女神としてテンション上がるわ! この祭りを企画した最高責任者は褒めてあげる!」

 

「!?」

 

 変わり者が多いと評判のアクシズ教団。そんな連中の総本山だと!?

 よりにもよってアクアを崇める宗教団体だったとは……どうりでアクアがめぐみんの誘いに手のひら返して乗り気になったわけだ。

 もう散歩に連れて行ったらこちらのリードを引っ張る犬のように落ち着かないアクアは早速、団体行動から外れて、

 

「じゃあ、皆は宿に向かってて頂戴! 私は、アクシズ教の『アークプリースト』として、教団本部に遊びに行ってチヤホヤされてくるわ!」

 

 そんな不安になるようなことを言い残して走り出して行ってしまった。

 

「……カズマ。私は何だかアクアが心配なので、一緒について行きます。私とアクアの荷物、宿に置いといて頂けませんか?」

 

 放っておいたら厄介事を持ち込んできそうなアクアを心配して、めぐみんがその後を追っていく。

 めぐみんにアクアのお守りを任せて、ゾンビ撃退の浄化魔法の巻き添えを喰らって弱ってるウィズを背負い、ダクネスと宿へ向かう。マッチポンプなようで申し訳ないが、馬車隊からお礼として宿泊券をもらっており、この街で最も大きな宿に泊まれる。

 そこまでの道中、屋台の香ばしいソースの匂いにつられて買ってみようかと、ふらっと寄ろうとしたその時だった。

 

 

「――このバカ騒ぎをやめろ!」

 

 

 恰幅の良い禿頭の神官服に身を包んだ男が、派手な水撒きで濡れる路面を避けながら神輿の前に立ち、行進を阻む。

 

「期間限定とかポイント十倍だとか耳障りの良い言葉で誤魔化すのもやめろ! ふざけるな! 今この街で何が起こっているのか貴様らもわかってるだろう!」

 

 弾劾する神官の着る法衣の意匠に目敏く気付いたダクネスが、

 

「お守りを下げていないが……あれは、エリス教徒か」

 

「なに」

 

 アクシズ教の総本山だが、マイナー宗教とは違い国教指定のエリス教である、『アルカンレティア』にも支部があるのだろう。あの生と死の境で出会った本物の女神様の事を思い出せばそれも当然と思える。

 

「『アルカンレティア』は、魔王軍に侵攻されている! 温泉に毒を混入され、一刻も早く立ち退かなけらばならない! なのに、貴様らはどうしてその避難活動を邪魔するようなことばかりするんだ!」

 

 魔王軍だと……!?

 観光地に湯治しに来たというのに、温泉街でこんなイベントに遭遇するなんて最悪だ。

 見れば、周りの他の観光客らも祭りを楽しんでいた雰囲気から一転して、不安で近くの人と互いに顔を見合わせているよう。

 ――そこへ、場違いなほど明るい笑い声がこの場に響いた。

 

 

「ハッハッハ、祭にいったい誰が水を差してくれたのかと思えば、これはこれは、エリス教のデブ神父もといルスカ司祭ではないですか」

 

 

 他の信者とは一目で格が違うとわかる、青を基調とした豪奢な法衣に身を包んだ白髪のプリースト。

 

「ゼスタ最高司祭、アクシズ教の最高責任者であるあなたが、このバカどもを抑えないから我々の避難が予定よりも遅れてしまっている。これは由々しき事態ですぞ」

 

 その小憎たらしい笑みに、軽く表情筋を痙攣させるエリス教の神父。どうやら新たに現れた人物は、魔王軍にすら敬遠されるマイナー集団の長であるようだ。

 

「いやはや、そちらは大変苦労なされてるようでいい気味、失礼。同情いたしますな。私も元気の良い信者を抑えるには一苦労なのですよ。しかし、このアクア様復活祭は前々から予定されていたことでして」

 

「なっ!? こんな恒例行事など聞いたことがないぞ!」

 

「でしょうとも。今年から行われる初めての試みなのですから」

 

「こんな思い付きのバカ騒ぎのせいでこっちは迷惑を被っている! 今すぐに廃止しなさい」

 

「悲しいことを仰いますな。水の女神アクア様と幸運の女神エリス様は、先輩後輩の間柄であるというのだから、我々、属する宗派は異なれど女神様たちを信奉する者として、持ちつ持たれつ、困ったときはお互い様といこうではないですか」

 

「こっちがいつも苦労している! 貴様らアクシズ教のふざけた行いのせいでな!」

 

「おやおや、我々は一切おふざけなどしておりません。皆、真面目に戦っております。――怠慢なのはどちらかといえば、エリス教ではないのですか?」

 

 のらりくらりとエリス教の神父の言葉をやり過ごしていたアクシズ教の最高司祭が、攻勢に転じた。弱い、ジャブのような一発を……声のトーンを落として、ゆっくりと、イヤミたっぷりと篭めて。

 

「我らアクシズ教の信仰の自由を認めず、魔王軍の侵攻の自由を許す。アクシズ教もエリス教も『魔王しばくべし』、『悪魔滅ぶべし』においては足並みを揃えているものだとばかり思っていたのですが、これは私の勘違いでしたのかな?」

 

 エリス教の神官の目の色が変わる。感情の勢いのままに弾劾していたそれまでから、ギアを入れ替えたように見えた。

 ひとつ息を吸って、慎重に言葉を紡ぐ。

 

「……ええ、もちろん。エリス教にとって魔王軍は敵ですよ」

 

「では何故、こんな尻尾を巻いて逃げるような真似を? 徹底抗戦しようとは思わないのですか?」

 

「いざとなればことを構えるつもりではいますよ。ですが、我々は人命こそを最優先に考えて動いているのです」

 

「ほぅ、あなた方も一応、魔王軍と戦う気はあるわけですね」

 

「被害を最小限にするという方向性でね。ええ、あなた方アクシズ教にとってここは総本山なのですから立ち退かず頑固に居座ろうとするのでしょうが、我々は先を見据えて動いているのです。厳しいでしょうが、大を救う為なら小を切り捨てる犠牲もやむを得まいでしょう。……魔王軍の脅威とはそれほどに強大なものなのです」

 

 同情を誘うように、エリス教の神官は肩を竦めて沈痛な面持ちを作ってみせる。

 

「まあ、アクシズ教は所詮マイナーでキチガイな宗派なのですから、なくなっても世間は困りますまい」

 

 これが、宗教闘争というのか。

 双方のトップが睨み合い、舌鋒鋭く言の刃を振るうその様は、殺陣を見るように引き込まれるものがあった。

 その立ち合いのような緊張感の中、へらへらと笑うアクシズ教の神官が、変化球を投げ込んできた。

 

「“猫の手も借りたい”!」

 

「――っ!?」

 

 突然大きな声を出したことで、エリス教の神官が一瞬厳格な表情を崩し、不可解……そんな、戸惑いの色を浮かべさせた。

 

「……急になんです? 何か企んでおいでかな」

 

「ん~? 何のことですかなぁ……」

 

 エリス信者の司祭の質問を軽く聞き流し、アクシズ教の最高司祭はゆっくりと振り返って背後へと視線を向ける。

 そこには祭りを中断されているアクシズ教徒の行列があり。

 そして、“最高司祭の合図”を聞きつけた彼らは行動を起こす。

 聴衆(カズマたち)らの前で、作戦名“猫の手も借りたい”が開演――

 

 

「ああ! どうしよう私たちの街が魔王軍の汚い破壊工作のせいで、温泉に入ることができなくなってしまうなんて! 私、一日五回は入らないと調子がおかしくなるのに!」

 

 

 相当な温泉好きだな。でも、それが混浴であれば良し。

 大通りの真ん中で、急に嘆いた若い女性に、またひとりそこそこかわいい女の子が寄り添う。

 

 

「ええ、私も一日五回は温泉に入らないと気が乗らないわ! だから、戦いましょう! このアクア様のお膝元、『アルカンレティア』以外の温泉じゃもう満足できなくなってる身体なのだから!」

 

「そうよね! ここは絶対に守らないといけないわ! でも、そのためには私達だけの力でできるかしら……」

 

 

 ここの温泉は何か中毒性でもあるのだろうか? 話が本当なら軽度の依存症を患っていると思われる。

 で、不安げに顔を曇らす彼女たちの前に、今度はごつい強面の男が出てきた。

 

 

「へっへっ、まだ逃げ出さないとは、流石は綺麗で素晴らしいアクシズ教徒だ。だが、魔王軍には敵うまい! それでもこいつらが殿となれば、安全に逃げられるだろう! 暗黒神エリスの加護を受けた俺様はなんて幸運なんだ!」

 

 

 ………。

 うんまあ、安全に避難できるというのはカズマとしては全面的に支持したいんだが、あの完璧女神なエリス様には心苦しいのではないだろうか。

 

「何て風評被害なんだ! 私はエリス信者だが、そんな敵に背を向けるような真似はしないぞ。むしろ率先して殿を務めあげ、最後まで責め苦を味わって」

 

「ダクネスも黙っておけ」

 

 こんな聖騎士をもって、エリス様も苦笑いではないだろうか。

 

 

「しっかし、俺様だけ逃げてしまっては格好がつかないな。よし、ここは街の人間を連れて行こう。避難させるという名目ならメンツが保てる。さあ、来い!」

 

「きゃああ! いきなり何するの! さては暗黒神エリスの信者ね!」

 

「そうだ! 暗黒神エリスの加護で貴様らを守ってやろう。ぐへへ」

 

「やめなさい! 彼女をどこに連れて行くつもりなの! 暗がりにでも連れ込んでよからぬことを企んでいるんでしょう!」

 

「そ、そんな真似はしないぞ! 俺様は手厚く守護してやろうとしてやっただけだ」

 

「彼女の意思など無視して強引に迫っておいて、何をそんなことを。彼女はもうアクア様から授けられるアレな超パワーで守られているわ! その力に恐れをなして、魔王軍も近づいては来れないでしょう!」

 

 

 仲間の『クルセイダー』を黙らせている間も、寸劇は続く。

 これが茶番なのは理解してるんだが、芸達者になれると評判なアクシズ教の加護を受けているからか、やたら演技が上手い。台詞はアホ丸出しで自己アピールが露骨過ぎるが、全員が棒読みではなく感情こめて語りかけ、訴えかけるよう身振り手振り大袈裟に動いている。教団ではなく劇団としてやっていけるのではないだろうか。

 

 

「くぅ、なんてパワーだ、アクシズ教徒! しかし、魔王軍には敵うまい! 温泉も浄化し切れないほど毒に汚染されているんだ! そうだろ!」

 

 

 そこで出てきたのは、頭にターバンを巻いた細身の男。

 

 

「ええ、温泉の質が突然悪くなってしまい。そしたら、暗黒神エリスの信者からここは魔王軍の破壊工作にやられた。浄化するにも数ヶ月の期間は要するので、宿を諦め土地を捨てた方が良いと言われて」

 

「あれっ? あれあれ? おっかしいなー! さっき温泉に入って来たけどすっごく快適だったわよ! ほら見てこの肌艶! 調子に悪くなるなんてことは全然なかったし。私が入ったところではまだ破壊工作されてなかったのかしら? それとも、アクシズ教の素晴らしい加護のおかげかしらねー!」

 

 

 悲しみにくれる温泉宿の店主役の後ろからひょいっと顔を出すツインテールの女の子。

 続けて、てててっと周囲の人混みから飛び出してきた10歳くらいの女の子。少女はエリス教徒役の大男の元まで駆けつけると、

 

 

「うん、そうだよお姉ちゃん! 私たちの大事な温泉を、アクシズ教の最高司祭で、この街一番の『アークプリースト』のゼスタ様が浄化してくれたの!」

 

「な、なにぃぃ!?」

 

 

 大袈裟に尻もちまでついてみせて吃驚仰天してみせるエリス教徒役であったが、それに本物のエリス教の神官は、大きな溜息を吐いてみせた。

 

「何の冗談かは知りませんが、そのような虚言まで吐かれてはこちらも付き合い切れない」

 

「いいや、その話は本当だ」

 

 離れようとするエリス教の神官の行く手を阻むのは、本物の温泉宿の店主。

 野次馬の中にいたのだろう、その後ろには他にも複数人の男たちがずらりと並んでいる。

 

「最初は、これだけの量の温泉を浄化できるわけがないと思っていたんだが、アクシズ教の最高司祭は綺麗さっぱり毒を除いちまった」

 

 うんうん、と後ろの男たちも頷いて、同意を示す。

 アクシズ教徒ではない、この本物が、このいかにも胡散臭い芝居の場に雁首揃えて登場し、エリス教の神官の表情が微かに強張る、確かに焦るだろう。

 

 そして、傾きかけたこの場を一気に決定づける最後の登場人物が現れる。

 

「え、あれって、ゆんゆんじゃねーか! あの子も『アルカンレティア』に……いや一体何をするつもりだ……!」

 

 パーティの『アークウィザード』の同郷で、カズマたちとも親交のある少女。

 その紅魔族の特徴である赤目を光らせながら、聴衆の注目を集める中で、ビシッとポーズを決め、名乗りを上げる。

 

 

「我が名はゆんゆん! 『アークウィザード』にして、上級魔法を操る者!」

 

 

 そして、彼女は高々と途中が千切れた一枚の手紙を掲げる。

 

 

「やがて里の長になる紅魔族族長の娘として……! 紅魔族随一の占い師の予言を、『アルカンレティア』の皆さんに公開するわ!」

 

 

 おおっ!? と騒めく観衆たち。

 アクシズ教と同じく魔王軍も恐れる紅魔族の評判は有名で、そしてその占い師の腕前はほぼ百発百中であるというのは知ってるものは知っている。

 

 

「『アクシズ教の総本山『アルカンレティア』に、魔王の手の者が復讐しに訪れる。そして、この危機を救うカギを握るのは最高司祭』――」

 

 

 巫女が託宣を告げるかのように言い切った。

 その占いにどよめきはさらに大きくなり、アクシズ教の最高司祭に注がれる視線が期待の色を帯びたものになっていく。

 

 傍で見ていて、今日初めてこの街に来たが、この場の雰囲気で神官が何を思っているのか大体察する。――ハメられた、と。

 あんな過剰な教団アピールをするアクシズ信者の作り上げた舞台に、いきなりリアルな声を持ち込まれたら、それは際立つだろう。それも拡大解釈はあれど一応はここまでノンフィクションの筋書きでやっているのだから性質が悪い。

 神官はいきなり場に現れて国教の権威で黙らそうとしたが、向こうはそれを待ち望んでいたかのような対応。つまり、まんまと釣られたのである。

 

「ひとつ訊ねてもよろしいでしょうか。あなた方はここの温泉街を離れたとすれば、今後はいったいどう今後の生計を立てるおつもりですかな?」

 

「そんなの、いくらエリス教の炊き出しがあるからってそれで家族全員分食っていけるはずがないだろ! 新しい街で新しい宿を起こすなんて大変だ。貯金もあるがそれも尽きちまったら、冒険者にでもなるしかないだろうさ」

 

 宿屋の店主だけではなく、周りの聴衆も同じように賛同する。

 この魔王軍が猛威を振るうご時世だ。どこの街に避難しようとも生活は大変だろう。特にこの温泉と水の都はそれまで魔王軍の脅威に晒されていなかった、安全が確立されていた場所であったのだから。

 

「では、ここにいる『アルカンレティア』の住民全てにお尋ねする!」

 

 アクシズ教の最高司祭は両手を広げ、声を張り上げ、この場にいる全員に問いかける。

 

「家財の大半を捨てて逃げた先で待っているであろう灰色の未来に不安のない者はいるか!? 我らが故郷『アルカンレティア』を捨てることが正しい判断だと言える者はいるか!?」

 

 返事は…………ない。

 

「お分かりになられたか、ルスカ司祭」

 

 水を打ったような静寂の中、最高司祭はただ一人――エリス教の神官の為だけに声を出す。

 

「かの駆け出し冒険者の街は、魔王軍幹部ベルディアの侵略にも、機動要塞『デストロイヤー』の進撃にも住民一丸となって立ち向かい、それを打破したと聞いたことがありませんか? 自分たちの街は自分たちで守る。それもできないと見切りをつけ一戦も交えないまま、魔王軍の名だけで恐れをなして逃げてしまえば、この先どこもかしこも魔王軍の脅威が蔓延るこのご時世で安住の地とやらに辿り着くことができましょうか」

 

「…………いや、それは……」

 

 エリス教の神官は、言葉に詰まった。無言という選択をしたのではなく、純粋に言葉が詰まった反応であった。

 

「“猫の手も借りたい”! そう、『アクセル』は、最弱職な『冒険者』であっても戦いに出向いた! 彼と同じよう我々も、弱く反撃の牙を持たない存在ではないのだ! 我々も一致団結すれば、勝機はきっとある!」

 

 張り上げた声で、空気が震えた。

 水に波紋が生まれるように、空気の振動が強い思いを伝えていく。

 沈黙ではなく、静寂……この静けさは待っている。指導者の一言一句を、彼の口から説かれる導きの福音を。

 

「そうだ! 我々は鳴き方も忘れた弱者ではないのだ! 拳を振り上げろ! 今、胸の中に疼く炎を、声の限り吐き出せ!」

 

 取り巻く観衆がピリピリとした雰囲気に荒立つ。

 沸々と表に出てくる激しい感情に突き動かされて、これまで抑圧されていた不満が、エネルギーへと変換され外へと向かおうとしている。

 

「さあ、思うがままに、叫ぶのです!」

 

『ぅぅうううううおおおおおおおおおおおおおっ!』

 

 地響きのような唸りがこの大通りを震わせる。

 眩暈がしそうなほど濃密な感情の渦がその場に発生する。

 

「今は逃げる時ではありません。アクシズ教エリス教が一丸となって戦うときです。あなた方の言うように破壊工作の汚染に全く対抗する術がないわけでもない。まだ我々には希望はあるのですから」

 

「いい加減にしろ! 希望などと耳に心地のいい言葉で民衆を扇動しようとしているつもりだろうが、そんなものに惑わされるな!」

 

 うねる熱気を切り裂くように、エリス教の神官が声を張り上げる。相当頭に来ているようだ。額に鉛筆くらいの太い血管が浮かび上がっている。

 

「群れたところで何も変わらない! その気になれば、人間なんて――」

 

 その時、エリス教の神官の目線がこちらと合った。瞬間、口を開けたまま固まってしまう。

 何だろうか? カズマはあの司祭と知り合いではないし、まだグロッキーして背負われているウィズはわからないが……ああ、そういえば、ダクネスがエリス教だった。

 

「なあ、ダクネス。あのエリス教の神父、お前の知り合いなのか?」

 

「いいや、初めて見るが」

 

 ダクネスに首を横に振られる。それから、すぐ硬直状態を解いた司祭は、焦ったかのように早口で、

 

「とにかく、エリス教は協力せんからな! 私がそんなのは絶対に許さん!」

 

 と言って、逃げるようにその場を辞退した。

 

 

 それから、祭りは再開する。

 この論争は言うまでもなく、あのアクシズ教の最高司祭の勝ちだ。魔王軍も敬遠するあの水の女神の信者のまとめ役なのだから、やはり大物なのだろう。

 ……で、

 

「あわわわわわわ……!?」

 

 その隣にいるゆんゆんが、さっきのエリス教の司祭のようにこっちを見て、遠目からでもわかるくらいに動転している。まさか旅行先に知り合いがいるとは思ってなかったに違いない。

 恥ずかしい思いをして、紅魔族アピールした常識人な少女に、ひとつ黒歴史ができてしまった。これは、フォローを入れるためにも挨拶しに行った方が良いだろう。

 

(厄介事に巻き込まれそうな予感がするんだが……)

 

 湯治に来たはずなのに……とカズマは思いっきり嘆息した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ここは、やはり魔境です。早く帰りたい。一刻も早くここから出たい。でも、ひとりで帰るのは危険……

 めぐみんに身に何があったのかは割愛するが、教会に向かったアクアを追いかけるその道中だけでポケットというポケットに大量の入信書がねじ込まれていている状況が、遭遇した事態を物語ってくれるだろう。

 そんなわけでめぐみんは、祭りで出払っている懺悔室の代役を快く引き受けることとなったアクアから付かず離れず、共に懺悔室に入っていた。プリーストでもない人間がいたらまずい気もするが、こっちはひとりでいるのが不安で心細い。訊けば構わないというのだし、アクアが飽きるか、カズマたちが迎えに来るまではここに避難させてもらおう。

 ……と、隅で蹲っていたら、懺悔室のドアが叩かれた。

 どうぞ、とアクアが促せば、ドアがガチャリと開かれ、続けて誰かが入る音。

 

「ようこそ迷える子羊よ……。さあ、あなたの罪を打ち明けなさい。神はそれを聞き、きっと赦しを与えてくれるでしょう」

 

「ああ……どうか、どうか聞いてください! 自分は長くアクア様を崇めてきたアクシズ教徒です」

 

 んん? なんだか聞き覚えのあるような声……

 

「私にはひとり手塩にかけて育てた直弟子がいるのですが、彼はどうしても私の跡を継ぎたがらない……! いえ、彼にはすでに引き継ぐべきお役目があるのは理解しているのですが、それでも彼ならば我が理想を実現できるかもしれぬと期待しております……しかし、一度、死なせてしまった私にはあまり強く、嫌がる彼を引き込むことはできない! ああ……、どうか、どうか一アクシズ教徒として怠惰な自分をお赦しを……!」

 

 ちょっと仕切りを開けて確かめてみたい衝動に駆られるも、それはマナー違反だ。

 それでアクアは、酷く真面目な顔で一切茶化すことのない、優し気な声音で、

 

「安心なさい、神は全てを赦します。汝、毎日がお休みであっても、そこに信仰心を失わない限り、敬虔な信徒であると神は肯定しましょう」

 

「おお……。おおおお……」

 

 懺悔しに来たその人は、感動した様子で声を震わせており、ひょっとすると感涙しているかもしれない。

 

「汝、敬虔なる信徒よ。弟子を導くための聖なる呪文を授けます。『イヤよイヤよも好きのうち』。今後方針に迷いそうになったら、これを唱えなさい。そうすればきっと弟子を正しい方向へ導けることでしょう」

 

「『イヤよイヤよも好きのうち』……。何だか迷いが振り払われました! 素晴らしい呪文をありがとうございます、感謝します!」

 

 懺悔していた者が、礼を言って立ち去っていく。

 めぐみんは何故かライバルの少年が、将来大変な目に遭いそうな予感がした。




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