この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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45話

 エリス教に魔王軍幹部が潜入しているかもしれない。

 その可能性が浮上したゆんゆんは急ぎ、エリス教教会へ駆けこんだ。そこにはハンス退治に参戦しようと支度をしていた信者たちが揃っていて、この街に居る大半のエリス教徒が集まっていた。

 

「そんなに慌ててどうしたんですゆんゆん?」

 

 それから、エリス教信徒の聖騎士であるダクネスがいる、アクアを除くカズマパーティがいた。

 

「めぐみん、それにダクネスさん、カズマさんも……。あれ、アクアさんは?」

 

「あいつなら、アクシズ教の方へ行ったよ。誘われたけど、めぐみんはもうあんな魔境に行きたくないって、俺もまともなプリーストのいる教会の方がいるから断った。そしたら『なんで側にいる私の方ではなく、後輩のエリスのところに行きたがるのよ! この背信者め!』って掴み掛かられたけどな」

 

 とにかくその事情は分かった。

 初めてひとりで知らないところに入るので緊張していたけど、彼らがいるなら心強い。それで、ゆんゆんは失礼を承知で教会にいたエリス教徒に習得したばかりの初級水魔法『クリエイト・ウォーター』をぶっかけた。

 これは、連絡役としてゆんゆんの代わりに宿に残っていてもらっているウィズからもらった『人間に擬態したスライムでも、強い水流をぶつけられると形が崩れる』との助言を早速実践したのだ。

 結果として、誰もおかしな変化はなく、すぐ平謝りとすることになったが、拾ったエリス教のお守りを見せて事情を話せばすぐに理解してもらえた。

 そして、アクシズ教から美人神官と呼ばれていた女性信者が、

 

「ねぇ、それ、司祭位でなければもらえないものじゃないかしら……?」

 

 その発言は、波紋を呼んだ。彼女の手に渡ったお守りは、エリス教徒らの手に代わる代わる渡っていき、最終的にダクネスの元に回ってきたが、鑑定した信者の誰もが信じ難い、苦汁を噛む顔を浮かべていた。

 この『アルカンレティア』で司祭位の『アークプリースト』は、ひとり。それも自分らの最高責任者だ。

 きっと何かの間違いなんじゃないかと信じたいのだろう。中にはこちらを不審な目で見てくるものまでいる。アクシズ教徒と共に行動するところを見られていたのも印象に加味されて、タチの悪いイタズラではないかと声も上がった。

 

「この子があなた達を騙そうとしているですって? これだけの物証がありながら、何を言いますか! そもそもボッチだったゆんゆんは他人にウソが付けるほど対人スキルが熟達してませんよ!」

 

 もう少しマシな言い方がなかったのだろうかと思わないでもないが、誰よりも早く弁護したのはめぐみん。売られた喧嘩は必ず買う紅魔族は、すぐに荒ぶる感情が表に出るからわかりやすい。一目で危険信号だとわかる。そんな目を赤くして一喝するめぐみんに気圧されて、疑惑の声は止んだ。

 

「このアミュレットの持ち主と思しき司祭は今どこにいるんだ?」

 

 静まり返ったところを見計らって、エリス教徒であり、ゆんゆんとも親しいダクネスが仲介に入って、戸惑っている美人神官に訊ねる。

 すると返ってきたのは、源泉を交渉の場に、今のアクシズ教の最高司祭――つまりは、影武者(とんぬら)と一対一の面談に行ったというゆんゆんの顔を一気に蒼褪めさせる言葉であった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 アクシズ教団の本部である大教会。その裏手にある『アルカンレティア』の財源の生命線である源泉が湧き出す山。

 現在、教団員と騎士団でこの街で最も厳重に管理されるこの場所は、魔王軍の幹部であろうとそう易々と侵入できないだろう。

 まだところどころ雪が残る険しい山道を、お供を連れずひとり、生い茂る草木をかき分けゼスタ――とんぬらは、指定された源泉前へと向かう。

 

 約束した正午まで、自由人な師を捜索したが結局、見つからず、エリス教の最高責任者との交渉の場にはとんぬらが赴くこととなった。

 まあ、別にそれは良い。会議で行くと決めたのはとんぬらなのだから、それまで引き継がせる気はなかった。師に頼らずとも、屁理屈をこねる師と口論して自然鍛えられた弁舌を駆使すれば、司祭を納得させエリス教の協力を取り付けるもできるはずだ。

 それで門番が言うにはもうエリス教の司祭は入っていったそうだが、どうにも足取りが重い。

 

(まったく、嫌なところを交渉の場に選んでくれたものだ)

 

 とんぬらは、幼いころ、この山で死んだのだ。

 温泉と水の都での修行の一環として、源泉の管理掃除を任されていた。だから、そこまでの道のりに迷うことはないが、軽くトラウマを患っている道のりである。今では昔話な失敗談なので気にすることもないと思うのだが、今日はやけに頭からついて離れないのだ。

 これは誤算である。

 とんぬらはやや俯いて、源泉へと続く巨大な六本のパイプに沿って山道を歩く。

 

(にしても、あんな不健康な肥満体でよくこんな険しい山道を行こうとしたな。出遅れたようだが、それでも追いつけないということは、向こうも休憩を挟まず登っているんだろうし)

 

 うぐっ……と今日何度となくこみ上げるものを呑み込む。

 容体は、まだ完治はしていない。ひょっとしたら今の顔は具合悪そうに青くなっているかもしれないが、それは交渉に立ち会うものとしてはよろしくない。気を入れて、ふらつく身体に喝を入れる。

 

(そうだな。交渉が終わったら、少し休ませてもらおうか)

 

 

 そして。

 辿り着いた先にいたのは、エリス教の最高責任者、ルスカ司祭。

 それと先日の劇に参加した、女の子。

 

「ゼスタ様ぁ、ごめんなさい……」

 

 涙声で謝る幼女は、紐で縛られて、こんこんとお湯が湧き出している源泉の前に立たされている。ルスカが少し押せば、そのまま煮え滾る秘湯の中に落ちるだろう。そうなれば全身火傷、最悪、死にかねない。

 

「……一体、これはどういうことですルスカ司祭?」

 

 努めて冷静であろうとするも饒舌な演技もできず、端的に詰問するこちらに、ルスカはおどけたように軽口を叩く。

 

「何、私に盾突いてくれた小生意気なガキに説教をね。いくら子供とはいえ、アクシズ教徒はアクシズ教徒。ここで源泉に落ちてもおふざけが過ぎたと言えば皆それを信じるでしょう」

 

「子供はこんな危険な場所で遊びには来ませんよ」

 

「普通ではやらないようなことばかりするのが、アクシズ教の特権でしょうが」

 

「そういうあなたはまったく聖職者らしくないことをするのですね。失望しましたよ、本当に」

 

「構わんとも。俺はルスカなどではないからな」

 

 そう言って、湯立つ源泉の上に、手を突き出して、まるで熱に溶けたかのようにその指先が型崩れる。つぅっと指から雫となった体液が秘湯に落ちて、落ちた湯面の半径50cmほどが一気に黒く濁った。

 

「なっ……!」

 

「ここを汚染するのは中々骨が折れそうだな。だが、ここに俺の毒を撒き散らせば、この魔境じみた街も終わりだ」

 

 しかし、とルスカはゼスタへ向ける目を細め、

 

「このガキが言うよう、どうやら貴様は俺の毒すら浄化してしまえるらしい。それは、困る。俺が忌々しい教団を潰すために行った計画が台無しとなってしまう。だから、その懸念を潰しておかなければな」

 

「貴様は……!」

 

 真相に至ったのを表情で悟った、ルスカの皮を被った魔王軍幹部は凶悪な笑みを浮かべ、

 

「そう、俺はハンス! 魔王軍幹部、ハンス!」

 

 エリス教の司祭が、高らかに魔王軍幹部を名乗る。

 確定だ。どうやらこれは想定の超える最悪のケースだ。

 

「こんな雑魚を人質にするのは性に合わんが、貴様は随分と口が達者なようだからな。手っ取り早く仕事を済ませたいがための交渉材料として用意させてもらった」

 

「長い寿命を気にする貴様でも、時間を気にすることがあったとは。これは驚いた」

 

「事情が変わった。俺としても身内とやり合うような事態は避けたいところだからな。で」

 

 ハンスは、震える幼女の頭の上に手を置く。

 

「さっき毒を落とした源泉に落とすか、それとも貴様が身代わりになるか。どちらを選ぶ」

 

「……っ!」

 

「これから源泉を汚染しなくちゃならないんでな。とっとと選べ最高司祭!」

 

 その二択に、とんぬらは腕を降ろし、武器を持たぬまま、源泉の淵に立つ。

 

 ああ、そうだ。

 こんな時、あのふざけた師ならばこうするだろう。

 

「源泉に身を投じれば、その幼子は助けるのですね?」

 

「そうかそうか。腐っても聖職者か。少しは見直したぞ」

 

「私は見下げ果てましたがね」

 

「ゼスタ様! だめぇ!」

 

 泣き叫ぶ少女。ハンスに押さえられているが、それでも必死に呼び止める。それにとんぬらは師らしく笑って、

 

「心配はいりませんよ。ちょっくら潜水してくるだけですから」

 

 そう軽い感じで、頭から煮え立つ黒ずんだ源泉に飛び込んだ。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ゼスタ様ああああっ!!」

 

 頭を押さえつけていた手を放すと幼女は転ぶように駆けつけ最高司祭の落ちた源泉を覗き込む。

 

 終わった。

 グツグツと泡立つ湯面に飛び込んだのだ。それでまず全身火傷は確実であろうし、一滴とはいえ毒を垂らし込んだ中に身を投じれば病魔に侵される。人間はまず助からない。『アークプリースト』であろうと、身体は人間だ。

 これで、アクシズ教団も終わりだ。あの最高司祭さえいなければ、教団の士気も低下し、破壊工作を阻むものもなくなる。

 

「最高司祭は交渉の場でふざけて源泉に飛び込んだ。そういうことにしよう。それを信じない輩が出てくるだろうが所詮はマイナー宗教の戯言として処理してしまえば……いや、目撃者がいるか」

 

 絶望の淵に立たされた幼子を見る。

 こちらの視線に気づかず、泣きじゃくりながら最高司祭の名前を呼び続けている。五月蠅い。そうだな、放置しておくのは問題か。

 だったら、本能のままに食ってしまえばいい。

 

「司祭生活は気が抜けなくて、ひとりもいただけなかったからな。おかげで随分と腹が減ってる」

 

 どうせここで放しても街に辿り着けず死ぬだろう。この険しい山には初心者殺しなど凶暴なモンスターが生息している。子供一人放置すれば、すぐにそいつらのエサになるだろう。それならもったいない真似をすることもない。いっそここで司祭と同じ所へ送ってやるのが慈悲というものだ。

 とハンスの中でこの行為への様々な言い訳が肉付けされていき、約定と掛けた天秤を徐々に傾けさせていく。

 

「ちと食い応えがない人間のガキだが、奴らが押し売りしてくる石鹸洗剤よりは美味いだろう」

 

 悪魔とは違って横紙破りとなろうが気にしない。スライムなのだ。悪食の本能がままに食いたいと思ったものを食いたいと思った時に食う。

 

「ああ、そうだ。よく考えてみれば、今の俺は『氷の魔女』を恐れる必要などない」

 

「え……」

 

 幼女がやっとこちらの食指が蠢いていることに気付く。

 だが、助けなど来ない。現れた最高司祭は、自身のせいで源泉に飛び込んでしまったのだから。

 

「あんなふざけたマイナー宗教に入ったことを呪いながら逝け」

 

 腕の原型が崩れ、ドロドロと液状化した黒鉄色のスライムの触手が、幼女の体を丸呑みせんと一気に伸長して――――熱湯に弾かれた。

 

 

「『花鳥風月』!」

 

 

 源泉から突然、噴き上がった激流がハンスの伸ばした腕を押し上げ、そして、ザブンと淵に上体を乗り出した神官が驚いた顔の幼女の襟首を掴んで、投げた。

 

「ゲレゲレ!」

 

 およそ人間とは思えぬ怪力でもって、放物線を描いた幼女の体は源泉近くの森から飛び出した豹モンスターに巧くキャッチされる。いざというときの念のために控えさせていたゲレゲレ。それでアイコンタクトから主人の意を察した飼い魔物は、確保した幼女の身柄を咥えたまま、踵を返して素早く山を駆け下りていく。

 

 一体どうなってやがる……!?

 

 あんな少量だが毒素が混じった熱湯地獄にやられて、生還。それもこちらに逆襲して、人質まで救出する。おかしい。たとえ煮え湯毒風呂でなくとも人間が息継ぎもしないであんなに潜っていられるのか。

 不可解がハンスを襲う。しかし、それも狂信的な信仰心を持っているアクシズ教ならばやりうるなどと思ってしまえる。

 何にしてもだ。この魔王軍の脅威となりうる最高司祭は始末すべき標的であるのは確かだ。

 ハンスはやや持っていかれた主導権を奪い返さんと自らを鼓舞するよう声高に吼えた。

 

 

「前回と同じ轍は踏まんぞ! 魔王様からの加護を受けたこのメタルボディ! 今や俺の魔法防御力は上級魔法であろうと通用しない!」

 

 

 その台詞に、ああ、ととんぬらは納得した。

 

「そうか……これが運命だったのか」

 

 そうだ。そけっと師匠の推測通り、とんぬらの予知夢は、とんぬら自身を基点として視ていた。だから、あの時映った光景は、師の危機などではなく、とんぬらの危機であった。

 とんだ早とちりに振り回されてしまった。あの甘々生活に現在を振り回されぬよう自制してきたというのに。

 くそっ! こんな時に身体が重いとは!

 ついてない。火事場の馬鹿力で幼女だけは奪還したが、後が続かなかった。全然平気ではない。機を窺い長時間潜水してたことも、全身火傷の熱湯を我慢していたことも、そして内と外で苛まれる猛毒に耐え忍ぶのも、とんぬらにここで反撃するという気力を奪っていた。高熱を患ってるかのように意識が朦朧とし、津波のように迫るメタルデッドリーポイズンスライムの変異種の手を呆然と眺めたまま――一度目の死の走馬灯が過ぎり、

 

「ぬわーーーーっっ!!」

 

 

 寸前、差し込まれる光の壁。

 

 

「『リフレクト』!」

「ッ!?」

 

 二度目の捕食を防がれ、その下手人へ向けた血走らせた目をギョッと見開くハンス。

 標的を守り、その前に立ちはだかったのは、同じ顔。双子かと言われても納得してしまうほどの同調率だ。

 

「今度は、間に合いましたな……」

 

 零れたようにそう言って、ニヤッと口角を上げるその太々しい顔に、とんぬらはようやっとその変身を解いて悪態を吐く。

 

「大遅刻だ。どこをほっつき歩いていた変態師匠」

 

「少々道草を食ってたんです。ええ、この最近のデブ神官がどうにも変でしてね。ルスカ君、エリス教ですが私と同時期になったプリーストでして」

 

 なるほど、あれが怪しいと勘付いて裏付け調査をしていたのか。

 だったら、言伝でもなんでも事前にそう教えておけ! 組織の長のクセにこいつが一番ホウレンソウができてないぞ!

 

「そしたら、ところてんスライムを禁制指定にした彼が、スライムに食われていたとはね。驚きましたよ。この世に、悪魔とアンデッドと負けず劣らず臭いスライムがいたことも含めて」

 

「言ってくれるじゃねぇか。だが、こっちも貴様らほどふざけたプリーストは見たことがないぞアクシズ教!」

 

 ハンスが弾かれた腕を再び振るって、光の壁にぶつける。

 ガラスが割られるような音が響き、教団一の『アークプリースト』の結界が罅割れるが、ゼスタも右手を向けて、更に数重の壁を造り上げる。

 

「ほれほれ、ピンチなんですから休んでいる暇はありませんよ。早く立ってください。まったくこの私のように常に万全で健やかであることを見習わないのですか馬鹿弟子よ」

 

「こうなってるのも変態師匠が塩漬けしたのが山積みとなっていたからなんだが。最高司祭としての仕事を溜め込み過ぎだろ!」

 

「はっは、叫ぶほど元気があるようならまだいけますね。特別に最強の癒し魔法をかけてあげましょう。――『セイクリッド・ハイネスヒール』!」

 

 火傷に猛毒と絶不調だった身体が左手より放たれる光を浴びた途端、吐き気が収まっていく。

 片手で結界を維持しながら、もう片手でとんぬらに最上級の回復魔法をかける。自分以上の高レベルの『アークプリースト』はいないと豪語するだけのことはあり、同時発動できるほど神聖魔法が熟達していた。

 

 されど、相手は、一体でひとつの街を滅ぼせる魔王軍の幹部だ。

 

「師弟で言い争いができるとは余裕だな!」

 

「あなたこそ、ぶつけてくる黒くてツヤツヤとしたものは凄いですね。さっきから私のお腹にズンズンと響いてきますよ。ですが、このゼスタ、そう簡単には逝きはしませんぞ!」

 

「本っ当にふざけた野郎だなテメェはよぉ! 魔王様の加護を受けたこのメタルボディを侮辱するとはぶっ殺してやるっ!」

 

「余計な挑発するなこのセクハラ変態師匠めが! 怒りでペースが上がっただろうが!」

 

 対魔力のメタルボディをぶつけられて、魔力で紡がれる結界に特攻ダメージが入っているのか。破壊されるたびに結界を張り直していくが、それでもゼスタよりもハンスの方が優勢。このままではとんぬらが完治するよりも早く黒鉄の毒手がこちらに伸びるだろう。

 

 どうする?

 

 ゆんゆんがいなくては『メドローア』が使えない。あの上級魔法の通じない対魔力を確実に破れる手段はない。一か八か『パルプンテ』にかける。

 ――いや、それも無理か。今の魔力がうまく練れない状態ではとても繊細な魔力制御を必要とする奇跡魔法を行使することはできない。

 

 ならば『エクスプロージョン』の使えるめぐみんがいるカズマパーティが援軍として来てくれる。

 ――いや、それは高望か。おそらく今頃、ギルドが主導するハンス捜索の街中ローラー作戦に駆り出されているだろう。

 

「俺と少しは張り合えるとは中々骨がある人間だったじゃねぇか。しかしこれで終わりだ! 所詮は悪足掻きだったようだなアクシズ教!」

 

 現実は非情であったか。

 

「変態師匠、もう動ける程度には回復した。だから、こっちはもういい!」

 

 こうなったら暴走覚悟で奇跡魔法を行使するしかない。だが、その前に師を巻き込まぬよう遠くに避難させねば――

 

 

「動ける程度では困りますね。馬鹿弟子にはアレを倒してもらいませんと」

 

 

 くるっと師がこちらに振り向いた。

 ハンスの攻撃を防ぐ結界を維持していた手を、未だ膝をついているとんぬらの頭の上に乗せる。

 

「やればできる。ですが、あなたは、半分はアクシズ教徒ではない半端者なんですから、世間が悪いなどという言い訳は許しません」

 

「おい、何を――」

 

「我が意に沿わず、己が道を行くと言うのなら、せめて師を超えていけこの馬鹿弟子と言っているんですよ」

 

 これまでのふざけた言葉ではなく、こちらに挑むような100%真っ直ぐな言葉。余りの驚きでとんぬらの頭が真っ白になりかけるも、意識は離さなかった。

 

「一度限りの伝授です。私には届かない、夢見た理想を預けましょう。――『ヴァーサタイル・ジ――――』!』

 

 そして、最後は身を呈したゼスタは結界を突き破ったハンスの腕に呑まれた。

 

「『―――――・――――スペル』!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「まずは、ひとりだ」

 

 成人男性を丸呑みして、右半身が大きく膨れ上がって形が悪くなってしまったが、左半身は人型のままのハンスは満足げな笑みを浮かべた。

 

「何をしたかは知らんが、プリーストだろうが魔法使いだろうが、俺には敵わん」

 

 そう、一度己を負かした『氷の魔女』が相手であろうとこのメタルボディの敵ではない。誰を恐れることもないのだ。非戦闘職のプリーストを喰らったことが彼女に露見してしまう前に片を付けると焦ってしまったが、そのような必要もなかった。

 早くこの魔境を終わらせるのが望みであるが。ああ、そうだ。たとえ雑魚でも耳元でぶんぶん小蝿が飛び回っていてはうざくて、嫌悪感に叩き落としてしまうように。恐れるに足らずでも障害は潰すべきものだ。

 口元を獰猛に歪ませて、左半身もドロドロに融けていく。無敵の悪食であるハンスは、残る弟子を喰らわんと身体をより膨れ上がらせる。

 だが―――その思い上がった膨張はすぐに止まる。

 

 

「『パルプンテ』」

 

 

 冬が、訪れた。

 そう、この絶体絶命の最中、少年は『冬将軍』を到来させる奇跡を起こす。

 

「ッッッッッ!!!???」

 

 魔王軍幹部たる己よりも、そして、あの畏怖が拭えずにいた『氷の魔女』よりも、格上の超級の存在感。この自然の厳格さ、極寒の拒絶を象徴とする精霊の王は、ただあるだけで己が相応しい領域に塗り替える。雪解けの春の季節を逆流してしまったかのように、環境が雪景色に激変する。煮え滾っていた源泉までも凍り付いてしまい、毒を混入することは叶わなくなる。いや、それよりも、ピキリ、と乾いた亀裂の音がした。ハンスの内側から。

 何だ!?

 何が起きている!?

 

 ハンスは、間違えた。

 ここまで追い詰めてしまう前に、まず真っ先に弟子の方を仕留めるべきだった。こんな竜の逆鱗に触れてしまうような真似は大悪魔でも御免被ると、全てを見通す元同僚は嗤うだろう。

 

「何をボケっとしている、ド三流役者」

 

 静かで、怖気が走るほど冷たい声音。

 その少年は手に鉄扇、それに頭に手を置いた師より託された『水のアミュレット』を握る。最高司祭に渡される水の女神のお守りより滴る水が光る。そして、太刀を抜かぬまま背後で仁王立ちしていた『冬将軍』は、霧散。冷気の渦となりて、術者たる少年の手に収束される。

 

「俺とあんたとの格の違いってやつを見せてやる」

 

 鞘から引き抜くかのように冷気の渦から引き抜いた鉄扇には、寒々しいほど神々しい氷の刀身があった。

 

「何をふざけたことを――っ?」

 

 金縛りに遭ったかの如く、動かない肉体。

 凍っていた。黒鉄の金属色の体表面が白く曇り、亀裂が入っている。

 

「なっ、なあ!? どっ、どういうっ、どうなってるんだ、俺がっ、動けねぇぇぇぇ!?」

 

 行動不能というより、絶対の加護で守られているはずが覆されている不条理に混乱するハンスに、弟子はその師を取り込んだ右半身へ誘導するよう視線をやる。

 それはハンスの、もうひとつの失態。

 

「あんな、煮ても焼いても食えん変態師匠を食うからそうなる」

 

 『セイクリッド・ブレイクスペル』と寸前に呟いたのをとんぬらは聞き逃さなかった。ハンスに食われて、内側からの解呪魔法。過去に爆裂魔法にすら耐え抜くであろう機動要塞の魔力障壁を打ち消した女神級の解呪魔法ではないにしても、最高位の神聖魔法を、体内でやられた。見た目は黒鉄色のままだが、魔王の加護は打ち消されている。

 魔法に対する絶対的な耐性がなくなっているのだ。

 

「だから、とっとと吐き出せ」

 

 神器に匹敵する太刀を構えて繰り出すのは、『アークプリースト』ながら神聖魔法の最高位の浄化の力を放つ体技。

 凍てつく波動を引く太刀筋が描くは、十字架。

 

 

「『グランドクロス』――ッッ!!!」

 

 

 不浄な毒の根源たる流動した金属塊を、四分割に断つ。

 ゼスタを取り込んだ右半身が切り離され、およそ体の七割を氷漬けにされたハンス。でも倒されない。右腕両足が斬り飛ばされて、ほぼ胴体のみとなって尚、スライムのハンスは健在であった。

 

 しかし、これで十分だ。

 

「この俺が……! たかが人間ごときに……!?」

 

 

 氾濫する激流を堰で抑え込むのが無理ならば、迎え入れる掘りを作る治水の策。

 

 

「じゃあな、クソ野郎――『花鳥風月』!」

 

 とんぬらが懐より取り出した物をハンスの後ろへ投げる。

 極めて高度な空間圧縮魔法がかけられているそれは、携帯トイレ。噴水となるくらい排水機構の勢いの強かった携帯トイレを逆流仕様にとんぬらが改造したスライム封印アイテム。携帯トイレのトラウマ持ちのゆんゆんにはとても言えない秘策である。

 そして、『水のアミュレット』により増幅された聖水の激流が鉄扇より放たれ、勢いに押し出されたハンスはトイレへ入れられ、自動作動する罠が発動。

 

「ぐおおおおっ!?!?」

 

 力の入れ所が間違っている女店長がおすすめするトイレの吸引力は左腕ひとつで抗えるものではなく、メタルデッドリーポイズンスライムの流動体は、便器の中で吸い込まれていった。

 

「消失マジック、『シュレーディンガーの猫』」

 

 そして、ハンスを流した逆流トイレは、携帯できるこけしサイズに戻った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ハンスに取り込まれた瞬間、ゼスタのあまりに平然とした表情に、とんぬらは反応すらできなかった。

 すぐに腕を引いてやれる余地があったのかもしれない。けれどそれを封殺する決意が、師の目には満ちていたのだ。

 

「ふざけるなっ! いっつも勝ち逃げするように格好つけやがって……!」

 

 迅速にハンスより奪還したが、虫食いされたように至る部位が穴だらけで欠損した身体。想像を絶する苦痛、言葉にしようのない喪失感に苛まれているはずだ。

 しかし、なんて安らかに目を閉じている。顔が爛れていて判別できようもないはずなのに、にんまりと微笑んでいるのがわかるのだ。

 

「後継者を作るまでは生涯現役を貫くんだろうが!」

 

 この上なく、人の尊厳に満ちていたその姿に悪寒が駆け抜ける。

 

 考えろ……

 考えろ考えろ考えろ思考を止めるな!

 

「……ああ、そうだ。一言だって『諦めろ』などと言われたことはない!!!」

 

 やればできる。

 そして、周りを理由にすることは許されない。

 助けが来なくても、すべては己の中に揃っているのだから。

 

「ああ、前座(ハンス)は片付いた。これからが、変態師匠に逆転する番だ」

 

 ひとつの命を守るために戦う事、その命を繋ぎ止めるための努力の尊さを、あの時のこの師の姿から理解している。

 殴り合うだけが戦いではない。

 他人から奪うだけが勝利ではない。

 そして、その可能性がないならば、あの紅魔族随一の天才はどんな屁理屈を言ってきた?

 

「魔法使いに使えないなら、作ってやる」

 

 ないならば、作る。それが、紅魔族のやり方だ。

 プリーストでなければできないなどという垣根を超える――――ッ!!

 

「ふぅ……」

 

 俯いて、とんぬらは噛みしめる。

 深く、深く。

 不可能だという弱音を噛み潰すよう。そして、再び顔を上げた彼の眼には、宿る青き光に揺らぎは存在しない。

 

「幸運の女神、水の女神、それに未だ見ぬ猫の女神よ。俺は乞う」

 

 詠唱であるかのようにこの世界に対しての宣戦布告じみた宣誓を紡ぎ始める。

 特別に目を引く言動など必要なかった。

 瞳を閉じ、ただ頭の中にまとまったものを形にしていく作業。

 

「不幸で肝心なところで滑り、不器用なことしかできない馬鹿者、それでも人類最高の聖職者に保証された才能を持つ者として、ここに奇跡を起こすことを許せ!」

 

 ざわっと白い光球、雪精がこの場に舞い上がる。

 そして、始まる。

 常人には不可能な呼吸を行い、喉だけでなく体内全体で音という振動を大きく振るわせ、口から発せられるその特殊過ぎる、神懸った音声に、神の息吹が籠る。

 それが周りの雪精も合唱するよう響く、その光景は、『精霊の歌』と称するものであったか。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおゥゥゥゥゥゥゥゥあああああああああああああああああああああァァァァァァ!!!!!!」

 

 原始的な舞踏曲にも似た、荒々しくも荘厳な声色がこの白い空間を満たすように反響。

 一心不乱に寸分の誤差もなく高度な精神的活動を行うこれは、紛れもなく祈りであった。あの己が命を救った姿を目指し、そして、近づかんと、アドリブでアレンジを加えていきながら新しい独自魔法を形作っていく。

 

「はァァァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 死の淵に遭ったその骸に、色が戻っていく。

 魔法使いが、プリーストに、それも高レベルのプリーストでなければ成し得ない蘇生魔法を成功させようとしている。

 それも即興でだ。

 なるほど、こんな離れ業を行使する人材は、逃すにはデカい魚であろう。

 

「――――――!!!!!!」

 

 突き抜けた才能が花開き、職種の壁を超えた彼はついに声ならぬ声で歌い続けて。

 そして。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 肺活量の限界を超える声帯の酷使に、貧血気味となるとんぬら。

 ふらつく頭を支えながら、しっかりと成果を見る。復元された師の肉体。穏やかに上下する胸元からは確かな生命が息づいているのが覚える。

 無事、成功した。

 ゼスタは、生き返ったのだ。

 

「ふぅ……どうだ、変態師匠」

 

 そうして、師へと勝ち誇った笑いを零して……ピキリ、と。

 

 その音が、気のせいであることを願いながら、そちらを見やると、携帯式トイレに罅が入っていた。限界を超えた内圧に耐えきれなくなった魔道具は亀裂は大きくなっていき――

 

 

「……断食していたとかほざいてたが、もっとダイエットした方が良いんじゃないかコイツ」

 

 人の姿を捨てたハンス。

 メタルデッドリーポイズンスライムの変異種の本来の姿は、まさしくドラゴンサイズ。羽もなければ、関節もない軟体を超えた流体生物は、何故だか口と思しきところに牙だけはあり、理性を捨て本能のままに暴れるモンスターは山と街を震撼させる雄叫びを上げる。

 こっちはもうそんなのに今更怯みはしないが、最初は交渉のつもりで入った山でボス戦まさかの延長二ラウンド目に突入して、いい加減に気持ちが切れそうだ。

 この時、師たるアクシズ教の最高司祭を見て、影武者を務めあげた弟子はこんな感じで自分の気持ちを鼓舞する。

 

「どんだけアクシズ教団に病んだかは知らんが、サボり魔師匠をぶん殴るのはこの俺だっ!」

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 水のアミュレット:ドラクエⅦの重要な装飾品。四精霊の一柱で、主人公とも関わり深い水の精霊の加護を受けたお守り。小説版では、主人公限定装備の『水竜の剣』を、最強武器の『オチェアーノ(大海)の剣』に昇華させた。

 作中では、アクシズ教団の最高位の教徒にのみ付けるのを許されたお守り。

 

 精霊の歌:ドラクエのスーパースターの特技。一ターン溜めてから、パーティ全員に蘇生をかける。


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