この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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5章
47話


 勇者とは、地上最高の暗殺者である。

 モンスターを統御して人里を襲う魔族は大抵、見た目や生活様式が人間と大差ない。そして、少数で強大な組織を壊滅させるには斬首戦術が適している。

 故に、必要とあらば家屋に忍び入り主に無断で壺や樽を破壊して現地調達を行い、拠点にある宝箱を接収するだけの心構えを持ち、

 そして、魔族の居城や入り組んだ陣内に潜入し、敵首魁の強攻暗殺を執行できる有能な人材こそが勇者なのだと『悟りの書』に記されている。

 猫のように足音を殺し、爪を隠し、そして、仕留める時は、一度で決める。

 また、勇者は暗殺者(アサシン)であると同時に諜報員(スパイ)であり、教会の神官や国王や村長などその土地をまとめる長に『冒険の書』というこれまで得た敵の内部情報などを暗号化した文章を残していく。

 英雄でありながら暗部、それが勇者なのだ。

 

 

『『九年間の『獅子の子落とし』を終え、とんぬらを隠し芸『虎の巻』を習得した者として印可した。成人の際に神社跡継ぎとして正式に継ぎ、それまでは代行という(てい)でよろしく頼む』と族長へ父からの言伝です』

 

 それは、九年ぶりに生まれ故郷に帰還し、族長と初めての面談をしたときのやりとり。

 

『そうか。入学前に神主一族の芸能を免許皆伝にまでもっていかせるとは、私の友で君の親は、どうやら紅魔族随一のスパルタのようだ』

 

 幼少より里を出て親元を離れた友人の元に預けられて自活の術を学び、たったひとりでダンジョンを探索させて潜入に慣れさせる。そして、暗殺に適した派手な上級魔法に頼らない“隠し芸”という裏技な戦闘技能を身につけさせた。

 神主……勇者の血を引く家系の子はおよそ里の学校では学べないような体験を外の世界でしてきている。

 彼はその歴代の中でも突出した才に比例した過酷さを味わっただろう。

 

 ――邪神の封印が解かれた。

 

 この未解決事件を発端として、この子の人生は一気に難易度が上がった。

 本来の予定ならば、近場の温泉と水の都『アルカンレティア』でホームステイな修行を終えた後に里へ帰すはずだった。

 しかし、神主一族が管理する邪神の封印が何者かに解かれてしまい、その半身がいなくなってしまったせいで、神主一家はいなくなった邪神の半身を追わなくてはいけなくなった。そこで、報せを受けた神主は急遽、学校を卒業してからこなすはずだった修行を前倒しすることを決めた。そう、子連れ行脚で邪神捜索をしながら、一人息子を後継として鍛え上げることにしたのだ。そう歴代の神主たちが上級魔法なり中級魔法なりを覚えてから望む修練を彼は学校卒業する前にやってきて、成年する前に業を修めた歴代最年少の跡継ぎになったのだ。

 いくら資質があると話には聞いていても、詰め込み過ぎである。

 族長も跡継ぎであるはずの娘を箱入りに育でてしまったせいか、未だに里の流儀に馴染めず孤立しているので、子育てにとやかく言える資格はないのかもしれないが。

 

『それで、君ひとりを里に送り帰させて、彼はどうしたんだい?』

 

『これを』

 

 彼はそういって持たされた『冒険の書』をこちらに渡す。

 

 《ゆうて いみや おうきむ

  こうほ らいゆ うじとり

  ゆまあ きらぺ ぺぺぺぺ

  ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ ぺぺ》

 

『………』

 

 ……『ニホンゴ』という古代文字を用いたこの暗号文は、族長でも解読至難だが、跡継ぎの彼が翻訳してくれた。

 

『“ツヨクテニューゲーム”……と。子供(おれ)という重荷を下ろし、神主の後釜ができたので、父と母は本格的に『巫祝(みはふり)』、『梓巫女』……“勇者”のお役目に入るとのこと』

 

 『賢王』に生み出された対魔王種族、それが紅魔族。

 この周囲が高レベルモンスターの巣窟である環境下に里を作ったのは、魔王軍の動向を見張るため。魔王城の監視と牽制するためだ。しかし、ただそこにいるだけでは出し抜かれることがありうる。そこで首輪となって、鈴を鳴らしたり首を絞めたりする役目をこなすのが、次代に引き継ぎ神主を退いた『巫祝』や『梓巫女』である。

 

『お役目に入るのが早過ぎじゃないか?』

 

『どうやら、邪神の半身が魔王軍についた可能性が高いそうで、正式な引継ぎをする余裕がないそうです』

 

『いやいや。自分たちの子供が自立した大人になるまで見届けるのは親の義務だよ。それをとんぬら君が学校を卒業する前から単身赴任に先走ってしまうのは、その義務を放棄している』

 

『族長、俺は、父の仕事がこの里にとって大事な役割であることを承知しています』

 

 やれやれ。

 なまじ紅魔族は高い知性を持っているので早熟な子が多いが、寂しいと泣かず、理解した態度を取られてはこれ以上の文句は控えさせられるというもの。目を見るに、相当な場数を踏んできているようだ。そうでもなくば、獰猛な一撃熊から娘を庇うことなどできはしないだろう。

 

『それで、学校はどうするんだい? ひとりで神社を切り盛りするのは大変だろう? もうすでに魔法は習得しているわけだし、卒業認定の資格を与えられるけど』

 

 その問いかけに、彼はちらりと気を失ってソファに寝かされている娘を見てから、

 

『それは…………できることなら、学校に通わせてほしいです』

 

『わかった。じゃあ、神社以外の収入で生活費が賄えるよう、私の方から働き口を斡旋しよう。学業と両立することになるだろうけど、大丈夫かい?』

 

『問題ありません。ありがとうございます』

 

 まったく、しっかりとした子である。この齢で里近辺のモンスターを撃退してみせるのだから相当優秀だろう。

 代々と受け継ぐ奇跡魔法が外ればかりで苦労した歴代の神主は実技を磨いており、彼の父である紅魔族随一の神主は、学生時代で実技の授業では常に一番だった。だが、魔法はスカばかり。けれどこれは、まともに扱えている彼の息子の方が例外的なのだ。

 学生時代、身に余る魔力の制御ができなくて苦労して、現在も奇天烈な魔道具職人で貧困に喘いでいるひょいざぶろーのところの娘は、我が娘を差し置いて首席だと言う。

 半ば育児放棄をした方が、子供というのは大成するものなのだろうか。次期族長としての心構えを説いたのだが、娘のゆんゆんは挨拶もまともにできないでいる。能力素質自体は優等生なのに、これでは将来、里をまとめられるのか心配だ。

 

『頭を下げなくてもいい、族長として当然のことをやっているに過ぎないんだからね。それにとんぬら君は娘の恩人でもあるんだ。何か困ったことがあれば遠慮なく私に言うと良い』

 

『はい』

 

『あー、それで頼れと言っておいてなんだが、ひとつ君に頼みたいことがある』

 

『何でしょうか、族長?』

 

『娘をよろしくしてやってくれないか。男女違うクラスに別けられるが同学年だ。とんぬら君が大変なのはわかっているんだが、ゆんゆんはどうにも学校では孤立しているようでね。このままでは次期族長としては不安がある。だから、同じ学生の君に助けてやってほしいんだよ。何だったら、謝礼も出そう』

 

『それは不要です、族長。俺はもう娘さんから奉納金は頂いています』

 

 手を向け、彼はゆんゆんを見やって、

 

『――我は、サトウを襲名した神主代行。父より継ぎし、この勇者の名に懸けて、彼女を立派な族長にしてみせましょう』

 

 

 ♢♢♢

 

 

『里の占い師が、魔王軍の襲撃による、里の壊滅という絶望の未来を見た日。

 その占い師は、同時に希望の光を見ることになる。

 紅魔族のたったふたりの生き残りであるとんぬらとゆんゆんは、魔王を討たんと天空の名を冠する伝説の武具を探す世界を巡る冒険に出る。

 『アクセル』の街近くの、とんぬらの師が築いた洞窟の奥に隠された、剣を見つけ出し。

 『盾の一族』と称された大貴族の娘との婚約を巡る騒動で、気に入られた娘の父より盾を譲り受け。

 『ベルセルク』王都の王女より、王城の宝物庫で厳重に保管される、兜を盗み出す。

 そうして数々の試練を乗り越えて結ばれた二人は、東奔西走と旅の途中にも愛を育み、最後の鎧を探さんと手掛かりを求めて生まれ故郷たる紅魔の里に寄った時、最後の生き残りである彼らはなんと子を儲けていたことが判明する。それも双子。

 滅んだとはいえ、故郷で次世代の子らを出産できたことに喜びを覚える彼らであったが、しかし、そこで気を抜いてしまったのが命取りであった。

 魔王軍の幹部に、出産直後で弱っていたゆんゆんが攫われ、とんぬらは彼女を助けに、罠が仕掛けられているとわかっている相手の拠点に挑む。死闘の末、ゆんゆんの眠れる族長の血統によって、どうにか魔王軍幹部を打倒したとんぬらであったが、魔王軍の幹部が死に際にかけた呪いに、二人は石にされてしまう。

 そうして、幹部の手下によって別れ離れとされる二人であるが、まだ希望は残されていた。

 それは里に残されたとんぬらとゆんゆんの双子の兄妹。彼らはやがて二人の集めた伝説の武具を纏い、攫われた両親を探す旅に出る。

 そう、彼らこそがこの暗黒の世紀を終わらせる勇者であった……』

 

 

 ……手紙と一緒に同封された同級生の小説をとんぬらは思い出す。あれはひょっとして、一部は予言の書であったりするのだろうか。

 配役は逆だが、こうしてまた攫われて、囚われの身になってしまったのだから。

 そろそろヒロイン属性がつかないか心配である。

 

(不幸だ。こんな状況に二度も遭うなんて……)

 

「ふふ、何て美味しそうなのかしら。早くいただきたいわぁ」

 

 体だけでなく頭も桃色なピンクの悪魔がいた。

 人身豚面が、すぐ目の前に。

 

(ぅおおお! 顔! 顔が近い! 近い近い近い!!)

 

 首を180度曲げてでも背けたい光景が眼前に迫っている。

 しかし、動けない。とんぬらは我が身を守るために、この身を鋼としているのだから。

 そして、近いのではなく、近づいている。

 

 べろりん、と。

 見た目より遥かに大きな口から分厚い舌が飛び出した。

 

 一発だった。

 準備運動するようチロチロと蠢かすエア動作を繰り出された直後、えらく水っぽい音と共に下半身から上半身、そして、顔まで唾液混じりのそれをたっぷりと塗りたくられた。

 

「ぶひゅー、ぶひゅーぶふぅ……! じゅるっ、ずるるるるるる! ああ! 舐めるだけでメスの直感が疼くわ! このオスの子種はピカイチだって! ジャミ、頑張っちゃう! じゅるるぅ!!」

 

 お気に入りのアイスキャンデーを舐めとるように、何度も上下往復する、口からはみ出た特大のねっちょり舌。

 この身は鋼。物理的なダメージはない。しかし、精神的なものまでは防げない。

 

(…………………………………………………)

 

 身体だけでなく、心も硬直したとんぬら。あまりのショックに彼岸まで飛んだ。けれど、防衛装置が働いて、『アストロン』の維持だけは無意識にも手放さなかった。これで全身を雁字搦めに拘束された状態で、そして、この『オーク』の巣に囚われた状況で、元に戻れば、自害する間も与えられずに食われるだろう。

 加えて……

 

「ほら! 口移しで素直になるお薬を念入りに塗りたくってあげるわ! これまでいくつものガチガチに硬くなった一物を私のフェラテクで絶頂させてきたのよ!」

 

 舐め回す舌に滴るのは、口に含んだ薬液。

 

 『安楽少女』の実は、非情に美味であり腹も膨れるが、栄養価はゼロで、依存性がある。神経に異常をきたす成分も含まれており、多く摂取すれば、空腹や眠気、痛みなど体への危険信号が遮断されてしまう。

 そう、危険信号だけで、快楽は感じさせるものなのだ。

 この阿鼻叫喚な集落に攫われた同じ境遇の男たちは、『安楽少女』の実を絞った果汁で作られる薬液が肌に触れただけで発狂しており、たとえ相手がブサイクなオークでも襲い掛かっている。ズバリ、頭がオークになってしまう媚薬な麻酔のようだ。

 これに今、とんぬらは全身漬け込むようにじゅぶじゅぶに塗りたくられている。

 

 もし、『アストロン』を解いてしまえば……いや、この身を鋼にしていてもオークはどうにかしてしまいかねないから怖い。この百裂舐めは鉄壁の防御力でさえ0にしてしまいそうだ。

 

「おい、早くヤッちまえよ。こっちは出し尽くして、不能になっちまった肉体(エサ)を頂きたいんだ」

 

 ここには、『オーク』の他にも、見た目は身体の至る箇所に包帯を巻いた痛々しい少女の『安楽少女』もいる。

 年中発情している『オーク』であるが、それは種の本能で強いオスの種に貪欲なのだ。だから、この種もない植物モンスターは獲物とはなりえない。

 ――だから、組める。

 

 最悪だ……まさか『オーク』と『安楽少女』が手を結んでいたとは……!

 

 一度捕まえれば、何が何でも獲物は手放さない『オーク』。だが、男性冒険者に見つかれば即逃げられてしまう。

 男性冒険者が見つければつい庇護したく近寄ってしまう『安楽少女』。だが、植物モンスターであるから、人間を力ずくで抑え込めるだけの力はない。

 

 『安楽少女』に釣られ、ホイホイ誘蛾灯の如く寄ってきた男性冒険者を、『オーク』が襲い掛かる。

 そして、まず『オーク』が冒険者に跨り子種を一滴残さずいただき、精根出し尽くしてもはや動けなくなった搾りかすの廃人に今度は『安楽少女』が跨って、根を張り養分とする。

 まさしく利害が一致したwinwinな共生関係である。

 

「待ちなさいよ。これほど物凄く強い生存本能を持ったオスはそうそうお目に掛れない! それも全然若いし、きっと長持ちするわね! じっくりねっとりと開発して、私色に染め上げないともったいないじゃない」

 

 とこの美人局スタイルな狩りを考案したのは、とんぬらをつかんで離さないこのオークの女王『オークィーン』だ。

 哀れな勇者候補との混血であるこの桃色の悪魔の頭には、親から奪った神器『知識の帽子』が王冠代わりに被せられていた。

 各種族の優秀な遺伝子を取り込んだ強靭な肉体だけでなく、紅魔族に匹敵するほど高い知能をもった『オークィーン』は、この縄張りのオークたちをまとめ上げる女王として君臨している。魔王軍の幹部などよりも恐ろしい存在だ。

 

(ああ、こんなことになるなら、あのときゆんゆんと……)

 

「今、他のメスを思い浮かべたわね」

 

 ドクン、と心臓が畏縮した。

 

「だめよぉ。ジャミのことだけしか考えられないようにならないと!」

 

 ぬっちょりと唾液粘つく舌が、薬液をたっぷりと啜り上げて、鋼のとんぬらにディープな口づけが交わされる。

 

「じゅるるるるるーっっっ!! ――あら?」

 

 そのあまりの衝撃に、ついに純潔を守っていた『アストロン』が解けてしまった。

 恐るべきは、『オークィーン』の情念の破壊力。すでにとんぬらのライフは0に近い。

 

「――ぁっ、うぐぅあ……ッッッ!!!???」

 

 鉄壁の守りが、剝がされた。

 これまで全身に塗りたくられながらもシャットアウトされていた媚薬の芳香が、暴力的なまでに鼻腔を満たす。

 脳髄に染み渡るほど、視界がどんどん赤く染まっていく。

 痛みはない。むしろ、感覚が消えているのが恐ろしい。

 がくんっ!! と脳みそ全体に拘束魔法をかけられ引っ張られるように、とんぬらの身体は自身の意思を無視して前へ倒れ、それを抱き締める『オークィーン』。その汗と薬液でぬちょぬちょな肥えた胸で仮面の顔を受け止めるような形で。

 その悍ましい感触よりも、その砂糖と練乳と蜂蜜を溶かして混ぜ合わせたような甘い匂いが感覚を蹂躙してきており、前後不覚なとんぬらはもはや抵抗する気力すら見失っている。舌を噛んで自害したくても呂律がまともに働かない。そのあと一押しで陥落しそうな様子にニンマリと舌なめずりする『オークィーン』。

 

「さあ、子供を、作りましょうっ!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「子供を、作りましょう、とんぬらっ!」

 

 あの誕生日サプライズに火が点いてしまった彼女は、段階を一段飛ばしで初夜を迎える気なのか。とんぬらは、そこで冷静にゆんゆんを説くべきであったろうが、硬直。展開がいきなり過ぎて脳が追い付けないのもあったが、それだけではない。部屋の明かりに照らされる彼女の裸に、不覚にもしばし見惚れてしまったからだ。恥ずかしがり屋で、隣ではなく斜め半歩後ろにいるのが癖になっているゆんゆん。だから彼女は、周りと比べると控えめで、だけど性格に反してスタイルはわがままボディをしている。初めて隠すものなどない肢体を見たとんぬらは、ああ綺麗だな、と素直に思った。白く細い嫋やかな手足も、豊かに成長している胸も、抱きしめたくなるくらい滑らかな腰も、リボンを解いて少し大人びて見える童顔も、そのすごく恥ずかしがっている表情もまた、魅力的だと思う。女だと意識する他ない。とんぬらが一目惚れしたゆんゆんは、本当に美少女なのだ。

 

 ごくり……と喉が鳴る。

 これに何も感じない男はいるのか。いやいない。少なくともこの全身から“いぢめて”と言わんばかりの娘に、とんぬらは嗜虐的な情欲の炎が燃え盛るのをはっきりと自覚している。頂けるのであれば、本能のままにむしゃぶりついてやりたい。心をいくら律しようとも、こみ上げてくる性欲を抑え込めるほどとんぬらは枯れてなどいないのだ。

 

(ま、まずい! このままだと……!)

 

 自然と息が荒くなっているとんぬら。

 その徐々に表に出てくるとんぬらの様子にゆんゆんは気づいている。今の彼は瀬戸際で耐えている緊迫とした状態なのだ。呼吸が荒く、身体は震えが禁じ得ない。そして、何よりも目が真っ赤に光っている。紅魔族は興奮すると目が赤く光ってしまう身体的特徴を持っているのでわかりやすいのだ。それに……あまり直視するのははしたなく思うが、下半身のドラゴンが恐ろしく猛っている。『こ、こんなに大きいの!?』とはちきれんばかりに中身が屹立していることをうかがわせるとんぬらのズボンを思わず凝視してしまう。知識はあるが、あれほどの剛直をゆんゆんは受け止められるだろうかと心配になる。けれど、同時に女としての喜びも覚えている。彼の一物が元気に脈動しているのはそれだけゆんゆんの身体に興奮してくれているからだと。自分に自信が持ててきたゆんゆんは、これからの婚前交渉で肉体が結ばれる覚悟を完了しようとしていた。

 

(落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け――!!)

 

 一方で、とんぬら。

 奇跡魔法の使い手として、突然の事態にもアドリブ対応ができるよう鍛えられてきた少年は、混乱から立ち直るのも早かった。何事にも一旦冷静になるクセが染みついているのだ。

 

(やはり、これはいくらなんでもおかしい)

 

 そして、気づく。

 ゆんゆんの顔に、どこか切羽詰まった焦りの色が浮かんでいることに。それがとんぬらを、一線超える前に踏み止めてくれた。

 

(ふぅ……どうにか内なるドラゴンに勝てた。これで猫耳を付けられていたら、間違いなく一線を越えてしまっていたな)

 

 大事であるからこそ一時の勢い任せで彼女を襲いたくはない。あと一押しで本能の波が堰を決壊しかねなかった薄氷の勝利。

 とんぬらはこのわずかな理性の糸が切れる前にこれ以上目に毒なものを視界に収めぬよう手の平を被せて覆い隠し、

 

「ゆんゆん、服を着てくれ」

 

「だ、だめ! とんぬらと子作りしないと世界が! 魔王が……っ!!」

 

 右手で顔を押さえながらなるべく落ち着いた声でお願いするが、ゆんゆんは頑なにそう言い張る。

 世界だとか魔王だとかよくわからないが、厄介だ。

 普段は大人しい娘なのだが、追い詰められたら爆裂娘でも御し得ないほどの爆発力をみせることがあるのだ。

 だが、それでもこの長い付き合いでめんどうくさい頑固娘の操縦法くらいは心得ている。

 

「……俺は、自分で脱がせていく方が興奮するタイプなんだ」

 

「そ、そうなの……?」

 

「ああ、そういうものだ。男というのは、誰しも相手を屈服させたい欲求を持ち合わせていてな。どんなにそれが美味しそうな馳走に見えても、ポンと目の前に置かれては、やる気が半減してしまう。ほら、例えば、誕生日ケーキで蝋燭に火を消したりするときのあの達成感が味わえないとなったら、ゆんゆんはがっかりしないか?」

 

「うん、がっかりしちゃうわね」

 

「そう、美味そうなケーキを頂くにしてもそれまでの過程を省かれたらこちらはがっかりしてしまうものなんだ。それで、今のゆんゆんは祝う前に蠟燭の火を消された誕生日ケーキと言ってもいい」

 

 一体とんぬら自身でも何をしゃべっているのか理解できない主張であったが、ゆんゆんから頷く気配を覚えた。

 

「なるほど……中々奥深いわ。ごめんなさい、私、何もわかってなかったみたい」

 

「いいや、理解してもらえて何よりだ。それで、悪いが服を着直してくれないか」

 

「うん、わかったわ。それがお望みなら私……でも、とんぬら」

 

「なんだ、ゆんゆん」

 

「その、……今でも、とんぬら、辛そうよ……スッゴイことになってるけど……」

 

「―――」

 

 言葉で誤魔化そうにも身体が正直だった。

 もじもじとしながらもゆんゆんに指摘され、とんぬらは天を仰ぐ。どうにか意識を逸らさんと頭をさらに働かせて……そして、躊躇いがちに、

 

「それはそれとして、あとひとつ……これは、あまり言いたくないんだが」

 

「な、なに?」

 

「あまり女の子からぐいぐいと迫られるのは……そのだな。――いや、やっぱりこれを言うのは止そう。あまりに失礼過ぎる」

 

「言って! すごく怖いけど、そこで切られると気になるから! 教えてよとんぬら!」

 

 とんぬらは、雷撃を撃たれることを覚悟して、口を開いた。

 

 

「…………いきなり子作りをせがんでくるのは、まるで『オーク』みたいだな、って」

 

「―――」

 

 

 乙女心に今の一言は会心の一撃であった。ゆんゆんの目から光が消えた。

 とんぬらも自分で言ってびっくりするくらい萎えた。双方にすごい効き目だ。

 

「いや、これはゆんゆんの魅力がどうとかいうんじゃなくて、本当に、純粋に行動だけを見て考えたら、相似している点が」

「――わかったわっ! すぐに服を着るわっ! 反省するからっ! だから避けないでとんぬらぁ!」

 

 他者(オーク)の振り見て我が振り直せ。

 要求を呑んでくれたゆんゆんは、視界を閉ざしているので布の擦れる音で察するしかないが、服を着てくれているようだ。

 

 ただし、だからといって、こちらは事に及ぶとは一言も言っていなかったりする。

 

「さあ、とんぬら! これでどうっ?」

 

「…………うん、よし」

 

 恐る恐る指の隙間から垣間見て、白く眩しい肌色面積が大幅に減っていることを確かめてから、仮面から手を放す。

 少し残念な気もあるが、今はこれでよかったんだと自分に言い聞かせる。

 

「じゃあ、……どうぞ」

 

 やりやすいよう少し万歳気味に腕を広げ、受け身のポーズを取るゆんゆん。

 素直に服を着たところで、やや着崩れていて危うい感があるも、まともに見られるようになったゆんゆんに、とんぬらはそっと腕を回し、しっかりと抱きしめる。暴走させぬように、身体を押さえてから、

 

「じゃあ、話をしようか」

 

 

 ♢♢♢

 

 

『だ、騙したわねとんぬら!?』

 

 最初は緊張したりして頭がパンクしていたゆんゆんであったが、そのままじっと何もしなければ訝しがる。すぐにこちらに事に及ぶ気がないことを理解すれば喚いたりしたが、か弱い魔法使いの少女が暴れたところでハーフドラゴンなとんぬらが拘束を解けるはずもない。そして、数多の猫に待てを躾けられるとんぬらの宥めすかす卓越した手管で髪を梳いて頭を撫で顎裏を擽り、気持ちいいポイントを弄り回して、ややトロンと表情をふやけさせてしまったがどうにか落ち着けさせた。

 

「とんぬら、紅魔の里が……、紅魔の里がなくなっちゃう!」

 

 二人身を寄せてソファに座る。自身の心音を聴かせるように左胸にゆんゆんの頭を預けさせるように抱きながら、ポンポンと撫でる。

 

「そうか……里がなくなるとは穏やかではないな」

 

 テーブルに出された手紙。どうやらとんぬらがお隣の魔道具店に帰還の挨拶しに行っていた間にゆんゆんがポストから回収して、その内容を見たようだ。

 

 

『この手紙が届くころには、きっと私はこの世にいないだろう。

 我々の力を恐れた魔王軍が、とうとう本格的な侵攻に乗り出したようだ。

 すでに里の近くには、巨大な軍事基地が建設された。

 それだけではない。

 多数の配下たちと共に、魔法に強い抵抗を持つ魔法軍の幹部まで送られてきた。

 ふふ……。魔王め、よほど我々が恐ろしいとみえる。

 軍事基地の破壊もままならない現在、我らに採れる手段は限られている。

 

 そう、紅魔族族長として。

 この身を捨ててでも、魔王軍の幹部と刺し違える事。

 

 愛する娘よ。お前が彼と共に里を離れてくれていて良かった。

 せめて二人の式を一目でも拝みたかったが、お前たちさえ残っていれば、紅魔族の血は絶えない。

 族長の座はお前に任せた。とんぬら君も、是非、娘のことを支えてやってほしい。

 そして……この世でたったふたりの紅魔族として、決してその血を絶やさぬように……』

 

 

 一通り読んでから、とんぬらは眉間を指で押さえる。

 

「……これは、族長からの手紙か」

 

 『この手紙が届く頃には、きっと私はこの世にいないだろう』なんて不吉な前置きから始まるこの文章は、確かにゆんゆんが取り乱すのも無理はない。

 内容を訳すれば、紅魔族の里近辺に、魔王軍幹部が現れ、多数の配下たちと共に軍事基地を建設した。しかも、派遣された幹部は魔法に滅法強い。

 現在、相手の拠点を潰すこともできない状況を打開せんと、紅魔族の誇りにかけて魔王軍幹部と刺し違えてみせるとの族長は覚悟を決めているようだ。

 ただ……

 

「『この世でたったふたりの紅魔族として』、って、この街にはもうひとり紅魔族がいるんだが」

 

 めぐみんが読めば激昂ものだろう。

 それで、ゆんゆんに促され、彼女が子作りに発展したという二枚目を読んでみれば……

 

「ねぇ、とんぬら、これって、そけっとさんの占いなのよね……」

 

「……うん、まあ、ツッコミたい点は多々あるんだが、ゆんゆん」

 

 悲壮感漂わせる腕の中の少女にこれを告げるのは心苦しいところだ。

 

「まず、これは族長の手紙ではないぞ」

 

「え……?」

 

「違和感はぱっと見で三つある」

 

 三本の指を立ててみせ、聞き易いようにゆっくりと解説を始める。

 

「筆跡に文章のクセも違うし、俺のことを『とんぬら君』と『とんぬら』って一枚目と二枚目が異なっている」

 

「言われてみれば……」

 

「それで、最後にここだ」

 

 二本を折って、最後の一本だけ立っている人差し指で、手紙の文末を示す。

 

「『『紅魔族天空物語』著者:あるえ』と書いてある。二枚目の裏にも……『追伸 郵便代が高いので族長に頼んで同封させてもらいました。続きができたらまた送ります』と書かれているな……」

「ああああああああああああーっ!!」

 

 ゆんゆんはとんぬらの身体から離れてテーブルの手紙に飛びつくと、クシャッと丸めてゴミ箱へ放り投げた。

 

「わあああああっ、あんまりよっ! あるえのばかああああああ!!」

 

 再びとんぬらの胸を借りて泣き叫ぶゆんゆん。とりあえず理解してもらえたようなので、とんぬらはほっと一息。

 それでしばらくの間、パートナーを発散させてから、

 

「ただ、一枚目は本物の族長の手紙だ。紅魔族は、昔から魔王軍に警戒されていたから、いつ攻め込まれても不思議ではない。ついに本腰を入れて里の攻略に乗り出したんだろう」

 

 わんわん泣き崩れていたゆんゆんはその指摘にハッと顔を上げた。

 

「そ、そうだわ。泣いてる場合じゃない! ねぇとんぬら、どうしよう!? 里が襲われてるのは本当だと思う! 私たちはどうすればいい!? やっぱり子作りして」

 

「だから、その産めよ増やせよは気が早すぎるぞゆんゆん! 族長として血を絶やさないようにする心がけは立派だが、そう言うのは大人になってからだ!」

 

 またそっちに傾きかけたゆんゆんにすぐに方向修正を入れる。

 

「紅魔族は魔王も恐れる部族だぞ? 族長たちがそう簡単にやられるわけがない。とはいえ、魔王軍に襲われているのはこちらも無視できない。準備が出来次第すぐ応援に行こう」

 

「今からすぐ紅魔の里に向かった方が良いんじゃないかしら」

 

「いや、魔王軍が拠点を作っているんだ。きっと今の里周辺は、いつも以上に危険な道になっているだろう。万全の状態で臨みたい。ゲレゲレも今から走らせるわけには行かないし、せめて明日だ」

 

 焦るパートナーを、冷静に諭す。それでもありありと表情に焦燥が浮かんでいるゆんゆんに、さらにもう一言付け加える。

 

「あと、めぐみんにも伝えておかないとな。いくら手紙では省かれていたとはいえ、あいつも紅魔族だ。それに、あのシスコンに報せなかったら後が酷そうだ」

 

「うん、そうよね……めぐみんは明日、『アクセル』に帰ってくるのよね」

 

「ああ、このまま強行軍で行ってもすれ違いになるだろうな」

 

「わかったわ。……今日は、休むことにしましょう」

 

 納得してもらえたところで、とんぬらも一息を吐く。

 

 

 そうして、夕食を食べて腹を満たし、風呂に入って体をさっぱりとしたところで早めに床に就く……そこで、おずおずと遠慮がちに、

 

「ねぇ、今日は一緒に寝てもいい?」

 

「? 一緒の部屋で寝ているだろう」

 

「その、今日はとんぬらと同じベッドで……」

 

 やはり里が心配で、不安なようだ。

 このままゆんゆんが寝付けないのはパートナーとしても問題だ。

 ……それに、先程、『オーク』と同じなどと失礼極まりない暴言を吐いてしまったわけだし。これを断れば、ますます追い詰めてしまいそうで、あの発言を申し訳なく思っているとんぬらには首を縦に振る選択肢以外はなかった。

 

「いいぞ、ゆんゆん。前にこっちも抱き枕にしたことがあったからな。背中で良ければ貸そう」

 

「ありがとう、とんぬら。……それで、もし、辛かったら、言ってね?」

 

 最後の発言は聞かなかったことにして、押し付けられる背中の感触にむくりと鎌首もたげる内なるドラゴンと第二ラウンドが始まった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「おや! 何だこの新婚初夜明けのような空気は!」

 

「しょ、しょしょしょ初夜!?」

 

 翌朝、お隣の魔道具店に入ったら怪しげな仮面を被ったマネージャーに出迎えられ、ゆんゆんの頭が茹って蒸気を噴いた。

 

「初体験は大成功。でもハッスルし過ぎて、複雑な心境と言ったところか竜の小僧?」

 

「全然違うぞ、全てを見通すマネージャー」

 

「そうであったな。ありのままの姿でアプローチしたらオーク同然と呼ばれたネタ種族の箱入り娘よ。今度は猫耳を付けて迫れば陥落するぞと助言してやろう」

 

「お、オーク同然……っ!」

 

 ショックを受けて呻いたゆんゆん。けれど、しっかりとメモ帳に助言を書いているところが健気である。

 有給をもらって旅行に出かけてから、また長期留守にしようとしている。いくら事情があろうとも自分たちが非常勤(バイト)でも店側に迷惑をかけており、そのための謝罪をとやって来たのだが……

 

「ウィズ店長は、もう帰って来てるんです?」

 

「うむ。ガス欠店長ならば店の奥に引っ込んでいる。どうやら倉の奥を漁っているようだが手が離せないようだから用件ならば我輩に言うと良い」

 

 どうやらもう帰ってきているらしい。

 正直、相手をするなら人をからかわないウィズ店長の方が良かったが、贅沢を言える立場でもない。

 

「申し訳ありません。事情があってまたしばらく『アクセル』を離れることになりました。なので」

 

「ああ、里帰りをするのだったな。これはちょうどいい!」

 

 全てを見通す悪魔だ、話が早い。

 紅魔の里が魔王軍の襲撃に遭われているのは承知してるみたいだが……

 

「ちょうどいい、とは? 俺達は里帰りするので、しばらく店の手伝いはできないと言いに来たんですが」

 

「紅魔の里に向かう汝らに頼みたい仕事があるのだ」

 

 一体なんだ……?

 紅魔の里の一級品の魔道具を仕入れてくれとでも言うのだろうか。

 

「いいや、その逆だ」

 

 あっさり心をお見通すバニルが、一枚の契約書をとんぬらに差し出す。

 

「残念店長が事故商品ばかり製造するガラクタ職人と結んでしまった個人雇用契約を切って、その魔道具も返品してしまいたいと思っていたところなのだ。――それを竜の坊主に交渉してきてほしい」

 

 書類に記載された名前は、店長のウィズに……ひょいざぶろー。

 

「とんぬら、ひょいざぶろーさんって……めぐみんのお父さんだよね?」

 

 バニルから逃れるよう背中に身を隠しながら覗き見たゆんゆんが、おずおずと訊ねた。

 とんぬらは彼女の囁きに頷き返し、

 

「ああ。この店の赤字の原因の半分以上は、ひょいざぶろー作の魔道具だ」

 

「それって大丈夫なの?」

 

 明確に口にしなくてもゆんゆんの不安は理解できる。

 以前、めぐみんに訊ねたことがあるのだ。

 この店で売っているから少しは実家の生活も楽になってるんじゃないか。こめっこも満足の良く食事がとれてるんじゃないか、と。

 それに、実はパーティで山分けされた報酬金を実家へ仕送りしているめぐみんが微妙に申し訳なさそうな表情で、

 

『大金を稼げても、実家の生活水準はあまり変わらないでしょう。きっと、父は生活費をギリギリに切り詰めてでも魔道具製作に注ぎ込んでしまうでしょうし』

 

 このウィズ魔道具店で売れても、その売上金で新しい魔道具を製造するのに使ってしまうため、生活が楽になることはない。わりとろくでもない父親である。

 それで地雷商品を売ってもそれを元手に新たな地雷商品が生まれるこの悪循環で、こちらから手を切ってしまえば、どうなってしまうのかは想像にし難くはない。

 

(ひょいざぶろーさんのセンスに惚れこむのは、ウィズ店長しかいないだろうから。ここでの契約が切れたら、あの一家は路頭に迷いそうだ……)

「これ、ウィズ店長には了承取ってあるんですか」

 

「あ奴に店の経営は一切任せん方向でなければ我輩の夢は届きそうにない。アドバイザーの小僧の商品原案を実現できる魔道具職人を雇うのに猫の手も借りたいほど苦労しているのに、こんな無駄な道楽には付き合ってなどいられん」

 

 悪魔は、契約を守る。だからこそ、契約を結ぶ相手はそれ相応の者を選んでいる。

 これは店の経営を携わる者としては、カットしたい出費であるのはとんぬらもよく理解できる。当然、世界一の魔道具店を目指すこの大悪魔にはこんな無駄な道楽に付き合う感性もなければ義理もない。

 そこで、とんぬらと、里の族長の娘であるゆんゆんといううってつけな人材に交渉させようと言ったところなのだろう。

 

「昨日返品すべしと強く推したこの携帯トイレもこのガラクタ職人の作品だ。百害あって一利なしな魔道具を置いていたのでは店の信用がガタ落ちになるであろう」

 

 あー……と悪魔でマネージャーの主張に頷いてしまうとんぬら。

 せめて一利くらいはあると弁護したいが、それを言ってもしょうがない。

 

「……わかった」

 

「とんぬら」

 

 何か言いたそうにするゆんゆんをとんぬらは手で制す。

 店の経営状況は理解しているとはいえいずれ長となる者としては、里の人間の死活問題を追い詰めるのを後押しする真似はしたくないのだろう。

 だが、これまでの赤字経営を見るに、残念ながらこの現状を放置していても事態が改善する兆しはないのだ。

 

「バニルマネージャーが満足するような交渉をして来ればいいんですね?」

 

「ああ。店の利益になるのであれば如何様な手段を取っても構わないぞ」

 

 挑むように確認するとんぬらを、試すように応じるバニル。

 なんだかお見通しされているみたいだが、了承は取れたので、あとはこちらの交渉次第だ。

 

 

「おはようございます、とんぬら君、ゆんゆんさん」

 

 と、店の今後を占うバイトとマネージャーの話し合いが終わったところで、店長のウィズが奥から出てきた。

 旅行先のゴタゴタに成仏しかかったり、徹夜で山森を彷徨ったりしていつにも増して青白い顔色のウィズは、こちらに儚げな微笑をくれた。

 その様子に心配したゆんゆんが、とんぬらの後ろから前に出て、

 

「ウィズさん、体調は大丈夫ですか? めぐみんたちは『アルカンレティア』からウィズさんの『テレポート』で『アクセル』に帰ると言っていましたけど、それでめぐみんから何か無茶をされたんじゃ」

 

「いえ。そんなことはありませんよ。旅行は楽しかったですし、温泉もすごく気に入りました。『テレポート』の登録先にもしちゃいましたよ。ちょっとくたびれているのも倉庫で掘り出し物してたら生き埋めになっちゃってただけで」

 

「フハハハハ、ガラクタの山に埋もれるとはポンコツ店長にお似合いの格好であったな!」

 

「え、まさか今まで知ってて放置してたんですか!?」

 

 せめて教えてくれれば……と責めるようにバニルを睨むゆんゆんを、ウィズが宥める。

 

「大丈夫ですゆんゆんさん。それくらい全然へっちゃらですから。あんな奥に仕舞い込んでしまった私に自業自得ですし……それでお二人はこんな朝早くにどうされたんですか?」

 

「実は……」

 

 訪ねてきたウィズに、ゆんゆんは紅魔の里の事情を話し、またしばらく暇をもらうことを説明した。

 

「……なるほど、紅魔の里に魔王軍が……」

 

「はい。これから紅魔の里に向かおうかと思います。その、里には、友達も、いますし……」

 

「なんでそこで自信なさげになるんだゆんゆん」

 

「だ、だって、しばらく顔合わせてないからもう顔を忘れられているかもしれないじゃない」

 

「我が里の次期族長は、いつになったら自信をつけてくれるんだか」

 

 呆れた感じに吐息を零され、むぅ、と頬を膨らませるゆんゆん。

 そして、ウィズは目を瞑り、ひとつ頷くと、

 

「予感はしていましたが、これは急いでよかったです」

 

 そう言って、つい先ほど倉庫の奥から発掘してきたそれをゆんゆんへと差し出す。

 

「ゆんゆんさん、これをもらっていってくれませんか。きっとあなたの助けになると思います」

 

「え……これって、杖?」

 

「店で扱っている魔道具とは違うようだが……」

 

 ウィズが持っていたのは、魔法使いの杖だ。初めて見るそれに首を傾げる二人に、バニルが懐かしいものを見るように目を細めて、

 

「ほう。これは、武闘派魔法狂時代だった貴様の得物ではないか」

 

「はい、『光の杖』と言います。今の私には装備できない……もう不要なものですから。あ、でも性能はすごく良いんですよ! 手入れはしてなかったんですけど、今でも使えるはずですし。それでゆんゆんさんにと思いまして」

 

「ええっ!? そんな高価なもの受け取れませんよっ!」

 

 そんな高名な冒険者だった頃のウィズの装備であるのだから、それに相応しい杖であるだろう。現役を退いても、爆裂魔法を扱えたりなど自分よりも格上な凄腕の魔法使いであるのは、ゆんゆんはよく理解しているつもりだ。

 

「今まで、満足にお給金を支払えなかったですし。その代りと言っては何ですが、遠慮なんてしなくていいですよ。他の冒険者の時の装備もパーティの人達にあげちゃってますし……私には、これくらいしかできませんから」

 

「でも……」

 

「いいんじゃないか。もらえるのならもらっても。ちょうどゆんゆんもそろそろ杖を替え時だったろう」

 

 躊躇いがちなゆんゆんの背中を押すようとんぬらが言う。

 現在、彼女が装備しているのは、卒業祝いにもらった銀色のワンド。

 中級魔法しか扱えなかったころよりも成長して、今では上級魔法から『竜言語魔法』にオリジナルの魔法まで開発するほどの熟達した『アークウィザード』になったゆんゆんには、今の駆け出し冒険者のワンドを主武器(メインアーム)に引っ張るのはそろそろ限界である。とんぬらの言う通り、替え時だ。それはゆんゆん自身もわかっているだろうし、そのゆんゆんを弟子のように魔法使いとして指導したウィズも把握している。だからこのような提案したのだろう。

 

「私じゃなくて、とんぬらはどうなの?」

 

「俺は自前の武器は自分で強化している。ついこの前に『冬将軍』からもらった氷の結晶を使って錬成したばっかりだ。うむ、今は『白虎の扇』と名付けている」

 

 こちらに話しを向けようとするゆんゆんに、とんぬらは黒から白と黒のストライプに変わった扇を広げてみせる。ついでに言うと着ている和装も、『水の羽衣』は『白波の装』に、『風の肩掛け(マント)』は、『空の羽織(トーガ)』へと新調されている。『シルクのヴェール』の職人技の縫製術を物真似芸である程度盗んだとんぬらがその技術を取り入れた錬成を行ったのだ。

 

「新しい杖……けど、私には……」

 

 銀色のワンドを見つめるゆんゆんの横顔に、とんぬらは片目を瞑り、思案する。

 どうやらウィズに高価なものをもらって申し訳ない気持ちだけでなく、これまで学校を卒業してから冒険を共にしてきた愛用の杖を大事にしたいんだろう。

 

「だったら、ゆんゆん。素材にして合成をしてみるか?」

 

「え……?」

 

「ウィズ店長の『光の杖』を『錬金術』スキルで素材に分解して、それをゆんゆんのスティックに錬成強化する。そうすれば、ウィズ店長の杖は力になるし、ゆんゆんのスティックも生き続けるだろ。両手杖よりも片手杖の方がゆんゆんには扱いやすいだろうしな……愛用の杖をばらしてしまうのはウィズ店長には申し訳ないのだが」

 

「いいえ。構いませんよ、とんぬら君。持つのであれば、やはり私のではなくゆんゆんさんの杖であるのが望ましいと思います」

 

 快くそう言ってくれる先達者に感謝して、とんぬらはウィズより渡された『光の杖』を受け取る。そして、ゆんゆんに視線を向ける。

 

「これはあくまで俺の意見であって、使うことになるのはゆんゆんだ。だから、ゆんゆんがしたいようにすると良いと思うぞ。そのスティックもまだ手入れをすれば使えるだろうし」

 

「うん……。――そうね、じゃあ、お願いする」

 

 小声ながらきっぱりと選択すると、ゆんゆんは腰に携えていた銀色のワンドを手に取る。

 紅魔族の里を離れ、初めての厳しい旅路、そしてこの新天地での冒険者稼業で今に至るまでともに戦い続けてきた武器を、ゆんゆんは両手で強く握り締め、誰にも聞こえない声で短く囁きかけてから、それをとんぬらに差し出す。

 

「ああ、必ずこの仕事を成功させてやるさ」

 

 丁寧な仕草でパートナーの相棒を受け取る。新品のころの水晶のような輝きは薄れたものの、しっとりと深い艶を纏うようになった杖先の魔力石を検分するととんぬらは頷いて、

 

「じゃあ、俺は工房に篭らせてもらう。『錬金術』スキルも熟達してきたし、一時間程度で出来上がると思うが、作業が延長するかもしれん。だから、ゆんゆんにはその間に、旅支度とめぐみんに報告しに行ってくれないか」

 

「わかったわ、とんぬら。こっちは私に任せてちょうだい」

 

「兄ちゃん達にもよろしく言っておいてくれ」

 

 そうして、予定した一時間を大幅に超えて、三時間も掛かってしまったが、ゆんゆんの杖は新しく『光のタクト』へと生まれ変わった。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 オークィーン:ドラクエⅩに出るオーク系最上位種。ピンク色のオークの女王。名前の由来は、『オーク+クィーン』とも、『大食いオークだから、オオグイーン』とも言われている。

 

 知識の帽子:ドラクエⅦのサブイベントに出てくる装備。装備すれば腐った死体でも世界ランキング賢さ部門で一位になってしまう。このサブイベントをクリアするまでは賢さステータス999にカンストしてもランキングトップにはなれないという、チートアイテム。ただし、実際に装備すると賢さ+30しか上がらない。装着者によって、上昇幅が異なると思われる。

 

 光の杖:ドラクエⅨから出てくる杖。『ドレインタッチ』のように、攻撃すればMPを吸収できるマホトラ属性を持ったトップクラスの性能を持った武器。これを元に錬金強化していくと、『光の杖』→『輝きの杖』→『オーロラの杖』(『閃光の杖』)と杖系の最強武器になる。

 ちなみに『輝きの杖』は、ダイの大冒険において、勇者パーティの魔法使いが大魔導士の師匠より譲り受けた愛用のものと同じ名前。長さは50cmほどだが、魔力を篭めると折り畳み傘のように80cmまで伸びる。

 モンスターバトルロードVでは、スキャンすれば相手を確実に幻惑させる上にちょっとだが守備力無視したダメージを与える『ジゴフラッシュ』や『ひかりのつるぎ』という攻撃技が使えたりする。

 また、ドラクエⅩには両手杖『光の杖』の片手杖版と思われる『光のタクト』がある。

 

 白虎の扇:ドラクエⅨに出てくる扇。『猫の扇』の錬金強化版で、氷属性がある。

 

 白波の装:ドラクエⅧの防具。水の羽衣の錬成強化版。雷系以外のほぼ全属性に耐性がある。白波とは歌舞伎由来の言葉で、『盗賊』を意味する。聖職者でありながら“女の子の心を盗む”プレイボーイの専用装備。

 ちなみにこのレシピを考案したのは、異世界を夢見た暗黒神の狂信者である。

 

 空のトーガ:ドラクエⅨに出てくる防具。炎と氷属性のダメージをカットし、更に眠り、麻痺、毒系の状態異常耐性を上昇させる特殊効果が備わっている。『光の杖』同様トップクラスの性能を持った防具であり、これを元に錬金強化していくと、『空のトーガ』→『天のトーガ』→『蒼天のトーガ』(『大空のトーガ』)と衣類系の最強防具になる。ただし、雷系には弱い。

 ちなみにトーガとは一枚の幅広の布を体に巻き付けるようにして纏う衣類。古代ローマ・ギリシャ人などが絵画や彫刻等で身につけているような、片方の肩が出ている衣装。このすば世界でも、『アルカンレティア』の住人が着ていた。




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