この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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48話

『この街の住人に、少しだけ恩恵を与えてあげたい』

 

 祭りにご満悦な水の女神アクアは、祭りが終わった後、そういって街の売りのひとつである湖の浄化に精を出した。魔王軍幹部の毒に汚染されたイメージを払拭させようとしたのだろう。

 カズマたちが止める間もなく、完全に頭の先まで湖に潜水。すかさず、『アクシズ教のプリーストならば、水の中で呼吸できる支援魔法が使えますよ?』と最高司祭のフォローが入った(実際にそんな潜水魔法はない)ので、騒ぎにはならなかったようだ。

 ただし、この湖の底には岩塩があって、湖の水は大量の塩分を含んでおり、生息している魚はすべてそれに適応している。つまり、成分の一切合切を綺麗にしてしまう浄化能力によって淡水に変えられてしまった湖の魚は全滅してしまった。それを周りは魚が大漁だと騒いでいたが、女神の保護者なカズマはこれが環境破壊だと察して、その弁償代にハンスの懸賞金を教会に押し付けると、民衆に気取られる前に急いでウィズに頼み、夜逃げするように帰還したそうだ。

 実際はそんなことは全然なくて、アクシズ教団が湖を崇拝する女神様の奇跡が起こった聖地指定にしようと働いているのだが、カズマたちは知らない。

 それで旅行疲れも満足に抜けていない帰宅直後の彼らの屋敷に向かったゆんゆんは、紅魔の里が襲撃されている話をしたが……

 

『我々は魔王も恐れる紅魔族ですよ? 里の皆がそう易々と、ただでやられるとは思えません。それに……。ここに族長の娘であるゆんゆんがいる以上、紅魔の里に何かあっても血が途絶えることだけはありません。なので、こう考えればいいのです。里の皆はいつまでも、私達の心の中に――』

 

『めぐみんの薄情者! どうしてそういつもいつも、ドライな考え方ができるのよ!』

 

 と錬金に時間がかかったり、喧嘩別れしてしまったりで予定よりも出立時間がかかってしまった。

 それに乗って行こうとしていた豹モンスター・ゲレゲレも一日で回復することはできなかったようで、今回の旅は留守番させることにした。これで移動力が大幅に下がったのだが、『アルカンレティア』を『テレポート』の登録先にしたウィズのおかげでショートカットすることができた。

 

 『アルカンレティア』の西を行けば悪名高い魔王領へと続いていて、その東に進めば紅魔族の里へと続く街道がある。

 しかし、残念なことに紅魔の里への乗り合い馬車はない。道中に生息する魔物が強力で、危険が大きいからだ。それと紅魔族は『テレポート』の魔法で街々を自由に行き来できるので、商隊がリスクを冒してまで向かう必要がない。

 

 水と温泉の街から紅魔の里まで、徒歩で二日ほど。

 一撃熊など駆け出し冒険者の街では高額賞金首に指定される凶暴なモンスターのいる危険な地域。

 であっても、とんぬらとゆんゆんは紅魔族の『アークウィザード』であり、数々の冒険を経験し、強敵と戦闘してきた二人は里を出た頃とは見違えるように成長しており、今では一撃熊程度ならば一対一でも倒せる。

 

 

「ゆんゆん、援護を頼む」

「うん、任せてとんぬら」

 

 街道上空に捉えたそれは、巨大な翼をはためかせ、鋭い嘴をもった猛禽類の頭を持った影。鷲の頭と四肢の胴体を持った大物の魔獣『グリフォン』だ。

 初めて見た大空の王者たるように羽ばたく『グリフォン』に思わず気圧され怯むゆんゆんであったが、すぐ力強い光が眼に灯る。

 そう、恐れることはない。

 『グリフォン』は強力な魔獣であるが、紅魔族はその空の王者を石化の呪いで像にして、里の名所のひとつにしてしまう色々とレベルの高い一族である。おかげで、本能的な危険察知が働いて、里の周辺には『グリフォン』は飛んでこない。

 それに、これまでの強敵との戦闘を思えば、恐れるに足らず。

 ゆんゆんの前には、誰よりも頼もしいパートナーの、空に飛び上がっていく背中がある。

 

「新ネタをとくとご覧じろ、『為虎添翼』!」

 

 振り払った扇子が、蝶の羽ばたきとなりて竜巻を喚んだかのよう。

 強風の奔流がとんぬらの身体に纏わりつき、浮かす。いや、飛ばした。

 

 『グリフォン』の体の構造上、重力に押さえつけられているこの世界で、航空力学的に空を飛べるのはおかしい。

 そう、『グリフォン』は翼ではなく、普通の物理法則を破れる、魔法の力でもってその巨体を飛ばしているのだ。

 

 翼のないとんぬらが空を飛ぶのもそれと同じ理屈。

 風の精霊の力に頼った飛行魔法だ。

 

『――ほう、あれは『春一番』ですか』

『え、『春一番』って、『冬将軍』と同じ高額賞金首の――きゃあっ!?』

『っ、てめ、調伏してやろうか!』

 

 『アルカンレティア』で最高司祭の影武者をしていた時に遭遇して、パートナーにイタズラをしてくれたので、調伏した(しめた)新しい精霊。

 今の季節、女性のスカートをめくる為だけに存在する、春を告げる精霊『春一番』。

 『冬将軍』と同じ基本無害なのだが、アクシズ教じみたタチの悪いスカート捲りの春風の精霊は、世の女性達より莫大な賞金をかけられている(一方で、世の男性達からは絶大な支持を集め、一部では神と崇められている)。

 そんな女性の傍を何度も駆け抜けていくだけの神風な精霊は、雪精並に弱いが逃げ足だけは速い。何せ風だ。また一部の信仰者たちから保護されてきたので、これまで倒されてこなかったのだが、運悪く相性の悪い雪精を使役する者の竜の鬚を撫でてしまった。

 『一体につき半日春を遅らせる』雪精の特性は、『春一番』の動きを鈍らせる。

 だが、ここで倒しても人々の思念を糧に具現化する精霊種であるため、また新たに生まれるだろう。

 それに、“変態師匠(ゼスタ)が”、アクシズ教団の男性信者全員より支持されるであろう『春一番』を倒してしまうのはおかしい。折角持ち直してきた支持率が下がりかねない。

 なので、最高司祭の影武者モードであった若き神主代行は、雪精の力を借りて抑えつけると『使い魔契約』を結んで、イタズラな春風を己の管理下に置いたのだ。そして、保護を代価として、その力を借り受ける。人間の姿を捨てたハンスから逃れるために崖から決死の大ジャンプをしたが、それを成功した陰には風の精霊の恩恵があった。

 

 『春一番』の飛行魔法で天を翔るとんぬら。

 けれど、同じ空中の機動力を得ても普段は地に足につく人間だ。生まれてから空を飛んでいた『グリフォン』と比較すれば、それが拙いのも当然の事。しかも『グリフォン』が空中戦で有利とされる上を取っている。

 まだ一直線にしか飛べないとんぬらに、空の王者は左に右にとS字に弧を描く滑らかな飛行でフェイントをかけながら強襲をしかける。

 でも、ここにいるのはとんぬらだけではない。

 

「『ジゴフラッシュ』!」

 

 鮮烈な光で満ちた床をせり上げるように天を埋める暴力的な光源が放たれた。

 ゆんゆんが振りかざした『光のタクト』より放たれた強力な閃光魔法。鷹の目の視界を真っ白に潰し、『グリフォン』は錯乱状態に陥ってしまう。急いで態勢を立て直すも、光の残像がこびりついたように視界が白く、仕留めようとした標的を見失った『グリフォン』は、逆に背中を取られ、

 

「『宵闇桜』!」

 

 扇より放たれたのは、雪の結晶が舞う凍てつく風ではなく、花吹雪のエフェクトのついた生温かな風。

 感度を熟知しているセクハラな春風が全身の敏感な部分にイタズラする、そのくすぐりの刑は、魔力耐性を無視した強制抱腹の宴会芸。

 一ターン行動不能にされ、飛行の自由を失った『グリフォン』は、リカバリー不能。ネジを巻くように錐揉み状態で墜落し、嘴から頭部が地面に捻じ込まれるように埋まる。目を回し、強い衝撃に頭が揺れて、とても動けない『グリフォン』へ奔る鋭き光――

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 一日目の行程は順調に進んで、出立の遅れを取り戻すことができた。この調子であれば明日には里につけるだろう。

 夜の帳が下り、これ以上の進行は危険と判断したとんぬらとゆんゆんは野宿の支度を整える。旅慣れしてきた二人は宿のベッドでなければ眠れないなんてことはなく、それに魔法使いだ。

 焚き火の明かりはモンスターが引き寄せるが、ゆんゆんの習得している光の屈折を捻じ曲げる透化魔法『ライト・オブ・リフレクション』がある。これを焚き火の周りに掛けることで、焚き火の半径数m外からは、そこは暗闇にしか見えない。

 それに今回の旅には休息中のゲレゲレに変わって、ぽんこつ兵のエリーがお供についている。ゲレゲレのように足が速いわけではないが力持ちで、返品する予定の大量の魔道具を運んでくれており、不眠不休で活動でき、暗視機能もついている魔導ゴーレムは寝ずの番をきっちりと務めあげてくれるだろう。

 

「でもエリーはガタがきてるからな……『賢王』が造った時代から随分と永い時を経ているからそれも当然なんだが」

 

 ガチャガチャとぽんこつ兵の体内機関を弄り回すとんぬら。

 この魔導ゴーレムを連れて行く際に機動要塞『デストロイヤー』に保管されていたエリーの設計書も一緒に取ってきており、古代文字(ニホンゴ)で書かれているものだったが勇者の子孫である神主代行のとんぬらは解読することができた。もうすでに紅魔族の高い知能で内容は暗記している。技師系のスキルや『鍛冶』スキルなどは持ってはいないが、簡単な応急修理くらいならば、とんぬらにもできる。紅魔族はこういう肉体改造やら機械工学とは不思議なことに相性がいいのだ。魔導技術大国『ノイズ』出身であったことが関係しているかもしれない。

 それに奇遇にも使われている半透明の導線が、とんぬらにも錬成できる『雨露の糸』であった。ショートして焼き切れそうな部分があれば交換して駆動部を繋ぎ合わせていく。

 

(兄ちゃんは、永久機関だとか、『賢王』が手掛けた動力構造を完全に理解できれば、『カデン』とかいう魔力に頼らない魔道具?ができるとか言っていたが……それには一度エリーをバラさなければならないだろう)

「そんなのは論外だがな。エリー、調子はどうだ。ちゃんと右腕は動くか?」

 

「ハイ、モンダイアリマセン、ますたー」

 

「よし、じゃあ、左腕も済ませよう」

 

 夕食を取った後、焚き火の前に敷いた寝袋の上で体育座りするゆんゆんは、ぽんこつ兵の具合を診ているとんぬらへ今日何度聞いたか数えるのも面倒なほど口にした愚痴を吐く

 

「もうっ! めぐみんったら、里が襲われているのに、あんなドライな態度を取ってきて……とんぬらっ!」

 

「はいはい」

 

 宿敵な少女のつれない対応を思い出して、燃え盛る組んだ薪を拾った枝で突き崩す相方に、作業に手を動かしながら適当な相槌を返す。本当にあの天邪鬼が来る気がないのかはさておいて、とんぬらはゆんゆんを宥めすかすよう落ち着いた声で、

 

「けどな、ゆんゆん。めぐみんがあまり里へ帰りたがらない理由もわからんでもないだろう」

 

「うん……そりゃあ、わかってるわよ。めぐみんは、学校生活時代は魔法学でも魔力量においても、女子クラスで常に一番の成績で……。里の人達もこぞって、天才だ天才だって期待してて……そんなめぐみんが、爆裂魔法しか使えない欠陥魔法使いだったなんて、知られたら……」

 

 ダンジョンでは威力が高すぎて崩落の恐れがあるから使えない。

 射程は一番長いけれど、威力が高すぎて接近されたらパーティも巻き込むせいで使えない。

 よほどの高レベルの魔法使いですら、一撃打てばまず二発目は使えない、非効率な魔力消費。

 唯一の長所の威力にしても、どう考えてもオーバーキル。

 そんな使いどころなんて滅多にないし誰も取らない、スキルポイントだけバカ食いするネタ魔法に、紅魔族随一の天才の肩書を名乗ることが許された首席がその人生のほぼ全てを捧げていると知れれば、里の反応は想像にし難くない。

 

「あいつは、里の皆がどれだけ自分に期待していたかわかっている。どれだけ自分が評価されているのか、めぐみん自身が一番理解しているだろう。その将来性を見込まれていたからこそ学費も免除されていたんだからな」

 

「うん……あまり言いたくないけど、めぐみんの家って、貧乏だから、免除してもらっていた学費を返せなんて言われることになったら……」

 

 だから、めぐみんが爆裂魔法使いだと知る、卒業認定した女子クラスの担任教師ぷっちんはそのことを胸の裡に収めてくれている。ぷっちんとしても卒業した後に中級魔法やら上級魔法やらを習得すると思っていたんだろうが、残念ながら彼の生徒は爆裂魔法以外を覚える気がない。

 

「……ねぇ、とんぬらは、ひょいざぶろーさんとの契約を切っちゃうつもりなの?」

 

 今現在、大変頭を悩ませる難題を訊かれて、とんぬらは息を吐く。作業していた手をいったん止めて、ゆんゆんの方へ振り返る。

 

「そうだな。あの家に訪れたときのこめっこから察するに食い扶持を満足に稼げない状況だった。それをさらに追い込むような真似はしたくないと俺も思っている」

 

 聞くところによると、ひょいざぶろーは魔道具の素材を自分で採りに行くことが多く、その妻のゆいゆいは夫の魔道具を販売しに出かけるので、学校時代は良く留守にする親代わりにめぐみんが姉として妹のこめっこの世話をよく焼いていた。

 今はめぐみんが卒業して旅立ったので、なるべく家にいるようにしているようだ。

 だからと言って、生活状況が改善されたとは思えないというのが、めぐみんの談である。

 

「だが、ウィズ店長の琴線を刺激するひょいざぶろーさんの作品はどれも癖が強いからな。例えば、結界発生魔法陣が封印された魔法の絨毯。これは絨毯を広げた瞬間から結界が発生するから、結界が邪魔して誰も絨毯の上に入ることはできない」

 

「つまり、結界が守るのは絨毯自身だけってこと……」

 

「これと同じように常時術者の周囲に強力な結界を張る腕輪がある。鎧を装備しない魔法使いにとって、革新的なアイテムなようで、結界を維持するために常時魔力を吸い続ける」

 

「それは……でもそれくらいの代償なら」

 

「その魔力消費は、ウィズ店長並の魔力を保有していなければ魔力切れで命が関わるほどだ。つまり爆裂魔法を打てるだけの魔力量がないと使えないし、使えてもまともな魔法を放てるだけの魔力は残らないだろう」

 

「ほ、他には? 他の魔道具はどんなのがあるのっ?」

 

 少しでもセールスポイントにできる美点を知りたい族長の娘は諦めずに話をせがむが、とんぬらは道具袋から四角い固形物を取り出して、

 

「そうだな。これは、食わせた相手の魔法抵抗力をしばらくの間、劇的に下げる罠餌だ。魔法抵抗力の高いスライムなどと言ったモンスターに食わせるのがうってつけだとウィズ店長は語っていたな」

 

「! それがあったら、あの時ももっと楽に戦えたかもしれないわよね!」

 

「ただし、これは副作用で食べた相手の防御力を劇的に上げてしまう。結果、これを食わせると、こちらの魔法を無効化したり弾いたりすることはなくなるが、代わりに大概の攻撃魔法が通用しなくなるほどの防御力を獲得する」

 

「意味ないわね。むしろ逆効果じゃないそれ……あ、それなら、この前、ウィズさんからオススメされたこのペンダントはどう?」

 

「間違ってもつけるなよ。『願いを叶えるチョーカー』と同じだからなそれ。装着者が危機に陥ると、盛大の自爆する魔道具だ。コンセプトは、『最後の時には、命を懸けて大切な人を守れるように……』だそうだ。ウィズ店長はロマンチックと称していたが、威力が強すぎて敵どころか背に庇う愛する人もまとめて吹っ飛ぶ」

 

「守れてないじゃない!? コンセプト失敗してるよね!?」

 

 他にも術者も麻痺したり、泥沼に溺れてしまうマジックポーション、それに能力を使うモンスターが存在しないような極めてマイナーな状態異常を治すポーションなど。

 まったく店長の商売センスや職人の製作センスがどうなっているのか疑いたくなる商品である。

 ウィズ魔道具店で扱っている商品に落ちがないはずがなく、その問題作の大半を占めているひょいさぶろー作の魔道具は、全てにデメリットがついている癖の強い代物だ。下手すれば自滅するほど。

 

「じゃあ、これは!」

 

 やけっぱちにゆんゆんが見つけたのは、小さなカップアイスみたいな形状の物。

 

「ああ、それはまだ早いが夏場に最適な『虫コロリン』だ」

 

「なんだか可愛らしい名前よね」

 

「だが名前とは裏腹に、効果は絶大だ。ネズミより小さな生物を対象に、この魔道具の周囲に強烈な死の呪いをかけるんだ。枕元に置いておけば煩わしい虫刺されや蚊の小うるさい羽音も気にせず眠りにつける」

 

「いいじゃない。ちょうど今みたいに野宿するにはうってつけよね……。……それで副作用はどんなのがあるの? もしかして低確率で人にも呪いが掛かっちゃうとか……」

 

「ここにあるのはデメリットがあるものだとようやく理解してきたらしいなゆんゆん。だが、これはネズミよりも大きな生物には何ら効果はない。死ぬのはネズミよりも小さな生物のみだ」

 

「え……それじゃあ、本当にオススメできる発明じゃ」

 

「けどな、バニルマネージャー曰く人体の中にある生きる上で重要な働きをする微生物やら抗体やらも死んでしまうから、間接的に人も永眠してしまうそうだ」

 

「一番ヤバいモノじゃないのよ!?」

 

 思わず投げ捨ててしまった『虫コロリン』を、とんぬらがキャッチして道具袋に戻す。

 

「授業で教わったと思うが、悪魔にとって、名前と契約はとても大切な物だ」

 

「うん、よほど気に入った相手じゃないと名前で呼ばないのよね」

 

「だからバニルマネージャーは、自分自身で商いを興さず、契約だの名前の署名等が必要な店主業をウィズ店長に任せているし、経営権を取り上げたりもしない。ただし、ひょいざぶろーさんは違う。職人としてウィズ店長は見込んでいるようだけど、バニルマネージャーが契約を結んだ相手ではない。だから、あのとき、俺が断ってもマネージャーは自分で利用価値がないと判断した個人雇用契約を破棄するだろう」

 

 バニルには叶えたい大望がある。

 そのためには、まずこの世で最も深く、そして最も広大な地下迷宮が必要。それには小さな国なら買えてしまうほどの金がなくてはならず、その金稼ぎの手段に世界一の魔道具店になる道を選んだ。それでその占い能力で、ウィズ魔法店のコネのある『アクセル』の大商人たちと既に懇意の仲となり、これからの商売の元手となる多額の出資を約束させている。

 なのにだ。

 いくら店長がオススメしても、まったく売れないのであれば、それは地雷商品と認めざるを得ない。そしてそんな魔道具を並べていてはいつまで経っても世界一の魔道具屋になどなれないのはウィズにも理解できるだろうし、バニルの大望を叶える契約相手として現状を看過することは許されないものだ。

 

「ここで、できるのは三つだ」

 

「三つ?」

 

 三本の指を立ててみせるとんぬらに、ゆんゆんは小首を傾げる。

 

「一つ目は、バニルマネージャーの依頼通りに個人雇用契約を切る。ひょいざぶろーさんも製作費のために切り詰めていても最低限の生活費だけは確保しているようだし、めぐみんも無駄遣いさせない程度の仕送りをしている」

 

「でも、それだとこめっこちゃんが満足の良く食事ができないんじゃないの?」

 

「そうだろうな。まあ、逞しく生きていくと思うぞ。貢がせる悪女な資質のある子だし」

 

 それに、おそらくは悪魔使いとしての才能もありそう。

 かつて邪神の片腕ホーストと短い間ながら過ごした時に聞かされた、紅魔の里で振り回された苦労話でこめっこの名前はよく出ていてそれも悪くない反応であった。ホースト曰く、将来は大物になると悪魔からのお墨付きだ。

 

「うん……」

 

 納得できるんだけど頷き難いといった感じの渋い反応を見せるゆんゆんに、とんぬらはひとつ指を折ってみせ、

 

「二つ目は、ひょいざぶろーさんにまともな魔道具を作ってもらう」

 

「そうよね! やっぱりそれが一番の解決策よ!」

 

「ただし、これは、どうしたら、めぐみんに上級魔法を覚えさせたらいいか以上の難題だろう。高い効能からひょいざぶろーさんは魔道具職人としての腕前は確かだと思うんだが……」

 

 あの娘にして、この親あり。

 たとえ他者に理解されなくても惚れこんだモノに追求する。そのあたりは奇跡魔法を究めんとするとんぬらも理解できるところであって、だからこそその説得が至難だと悟る。未だ完全に迷いが振り切れていないめぐみんとは違って、妻子に苦労させてでも己が道を行っているひょいざぶろーは本当の最後の最後まで信念を曲げることなどしないだろう。

 

「めぐみんに爆裂魔法以外の魔法を習得させる以上に難しいって、そんなの無理じゃない」

 

 ついに体育座りの膝に額を付けるほど俯いてしまうゆんゆんに、またひとつ指を折ってみせてから、

 

「それで、三つ目は……そうだな」

 

 ととんぬらは少し考え込んで、それから謎かけのように、

 

「どうして、『極楽ふぐ』が人気なんだと思うゆんゆん?」

 

「それは……ふぐの王様って呼ばれるくらい美味しいからじゃないの。食べたことがあるけど、すごく美味しかったわよ。でも、他のよりも格段に毒素が強い食材だって」

 

「そう、『これを食べて死ねるなら構わない』と美食家たちを唸らせるほどの絶品だからだ。それから、プリーストに頼れば解毒魔法で治療できると知られているのもあるだろうな……と、ここから先は里についてから相談しよう。実際に交渉してみないとわからないだろうし。あまり憶測で話を進ませるのはよくない」

 

 二人が里に赴くのは頑固職人を説得させるためだけではない。

 これ以上先が思いやられて旅の足取りまで重くなってしまう前に、とんぬらは話を切り替える。

 

「めぐみんの実家事情も心配だが、神主代行としては猫耳神社が気になる。まあ、今はあの子が見てくれているようだが」

「あの子?」

 

 (色んな意味で)パートナーのとんぬらから良からぬ発言を察知して、ゆんゆんが顔を上げる。

 

「ん? ああ、ゆんゆんは知らなかったのか。今、猫耳神社を管理してくれているのは、族長の姪っ子のねりねりだ」

 

「え、とんぬら、ねりねり知ってるの!?」

 

「知っているも何も、学校を卒業してから里を出るまでの半年の間に暇を見てはあの子の家庭教師をしていたから」

「私それ知らないんだけど。どうしてとんぬらがねりねりの家庭教師になったのよ!?」

 

「別に不思議ではないだろう。これでも俺は男子クラスの首席卒業者、それもめぐみんやゆんゆんよりも一日早く卒業しているわけだしな」

 

 邪神騒動で三人一緒の卒業式になったが、実際にはとんぬらは一日早く卒業していた、同学年で一番乗りの卒業者である。

 

「それで万年二位の次席ではなく首席卒業を目指すと意気込んでいてそのためにお兄さんに勉強を」

「待って! お兄さんって何? とんぬらってそんなにねりねりと親しいの?」

 

「それなりに慕ってくれてると思うぞ。神社の様子とかもこまめに報告して」

「文通までっ!?」

 

「……いったい何をそんなに過剰反応するんだ。後輩の面倒を見るのはOBとして当然の姿だと思うが」

 

 話の腰を折って悪いが、ゆんゆんの勘が騒ぐのである。

 

「それにゆんゆんの従妹の話だろうに」

 

「うん、そうなんだけど……そうなんだけどぉ……!」

 

 昔、『ゆんゆんの癖に生意気だ』と事あるごとに族長の直系であるゆんゆんを批難していたねりねり。

 その従妹がとんぬらを慕っている……?

 それも族長から神社=彼の家の管理を任されているということは、合鍵を持たされているということになる……!

 もしここにめぐみんがおり、ゆんゆんの心の声が聴こえていれば、既に同棲している身分で何を焦っているのですかと突っ込んだろうが、彼女はいない。

 

「……ねぇ、勉強以外は何もしてないのよね?」

 

「ああ。強いて言うなら、人生相談に乗ったくらいだ」

「どんな!」

 

 えらく食いつきの良いゆんゆんに、とんぬらは若干押されつつも、

 

「いや、それは守秘義務というのがあってだな。相談された内容を他人に勝手に話すのは」

「私には言えないようなことをしたの! パートナーの私には言えないようなことをっ!」

「めんどうくさいなもうゆんゆんは!」

 

 めぐみん来てくれーっ! と紅魔族テレパシーを飛ばすとんぬらだが、残念ながら圏外である。そもそもそんな念話機能を付ける改造はされていない。

 

「ほら、もう寝ろ。紅魔の里までまだあと一日歩かないといけないし、俺もエリーの点検をしたいんだ」

 

「…………とんぬらが終わるまで起きてる」

 

 ぶすっとする相方に、勝手にしろと諦めたとんぬらは大人しくジッとしていたエリーへと向き直る。

 休息の重要性は理解しているので寝袋に入るゆんゆんだが、寝る前に心配事が増えてしまったためになかなか寝付けなかった。

 

 そう、旅立つ直前にゆんゆんは言われたのだ。

 

 

『ネタ種族の娘よ。先日の謝礼として、見通す悪魔が忠告してやろう。……この竜の小僧の運勢はあまりに混沌としているので読み難いが、この旅路では特に女難の相が出ている。それに別離の相もある。貴様の行動次第では、他所の女に引っかかってしまうだろう。汝、別れたくなければ、彼奴から目を離さず、首輪をしっかりと繋ぎ置いておくべきだな』

 

 

 ♢♢♢

 

 

 昨晩は多少しつこく見張られたものの、見張りを請け負いながら万能介護ロボット・エリーの甲斐甲斐しいお世話のおかげで無事朝を迎えた。

 そして、紅魔の里までの道のりで最難関としている平原……男殺しであるオークの巣の近くまで辿り着く。

 

「……ゆんゆん、この旅が急ぐものだと理解はしているがここは遠回りでも迂回させてもらうぞ」

 

「わかってるわ、とんぬら。オークとは関わりたくないもの」

 

 『すごろく場』の一件でトラウマ持ちなとんぬらの案を了承するゆんゆん。

 このだだっ広い平原地帯を避け、街道を外れて遮蔽物の多い森の中を行く。念のためにゆんゆんが先頭に歩いて進んでいたが、ふと足を止める。

 

「……え、あそこに誰かいる?」

 

 ゆんゆんの言葉に、とんぬらもそちらを見やると、ちょうど開けた空間で、出っ張った岩の上に腰かけた緑髪の少女が、こちらに気付いたように手を振っていた。

 こんな『グリフォン』やら『ドラゴンゾンビ』やらが出現する危険地帯でひとり?

 よく見れば、その少女は右の足首に血の滲んだ包帯を巻いて、それをしきりに気にしてる様子で痛そうに顔を顰めている。

 負傷者か? いや、こいつは――!

 

 上目遣いでこちらを見つめるこの少女の形をしたものの正体に勘付いたとんぬらであったが、それよりも早くゆんゆんは傍に駆け寄ってしまった。

 

「ケガしてるじゃない。ねぇあなた、大丈夫? とんぬら、『ハッスルダンス』で回復してあげて!」

 

「ゆんゆん、そいつは怪我した少女に擬態しているモンスターだ」

 

「えっ」

 

 悲しそうな顔でこちらを見てくる擬態少女の視線を無視して、ゆんゆんに説く。

 冒険者ギルドでもらった里近辺の分布図を取り出すまでもなく、とんぬらは承知している。不幸な偶然によって、このモンスターの本性を知ってしまっているので、とんぬらはゆんゆんの肩を掴んで引き戻そうとするが、

 

「ねぇとんぬら、何だかもの凄く悲しそうな目でアナタを見ているわよ。本当に回復してあげなくてもいいの」

 

「必要ない。あの包帯も見せかけだ」

 

 やはりというかなんというかあっさり術中に嵌ってしまっている。

 

 『安楽少女』。

 この植物系モンスターは、物理的な危害を与えてくる事は無い。だが、通りかかる旅人に対して強烈な庇護欲を抱かせる行動を取り、その身の近くへと旅人を誘う。

 その庇護欲は強烈で、一人旅をしている者が一度でも情が移ってしまえば、止めてくれる者が居ない為、そのまま死ぬまで囚われる。

 一説には、人を騙せるほどの高い知能を有しているとも言われており、冒険者ギルドでは要駆除対象として指定されている。

 

「ほらとんぬら。何だか泣きそうよ! 本当にモンスターなの?」

 

「ああ、発見次第退治しろとギルドで呼びかけられるほどのモンスターだ」

 

 効果抜群にオロオロとする姿を見て、この娘は一人旅させれば簡単に詐欺にやられそうだなと心配になる。

 

 近寄れば安心した笑みを浮かべて、離れようとすれば泣き顔を浮かべて同情を誘ってくる。善良な旅人ほど、心情的に離れ難くなってしまう。

 

「と、とんぬら、あの子、あんな目尻に涙を溜めて泣き出しそうになってるのに、必死に堪えるような笑顔で、バイバイしてくるんだけど、ちょっと慰めてあげないと!」

 

「だめだ」

 

 昔の『一撃ウサギ(ラブリーラビット)』に媚びられて陥落したときの失態から学んでほしい。

 

 この『安楽少女』に一度囚われると、そのままそっと寄り添ってくるのではね除けるのは困難になる。そして、腹を空かしたところを見計らって、自らに生えている木の実を、痛そうにしながらももぎ取り、それを笑顔で差し出してくる。そう、非常に美味な、栄養価のない毒の実を、良心の呵責を起こさせるように痛がる演技をしながら渡してくる。おかげで食事することすらなくなり、餓死する旅人が後を絶たない。

 

「くっ……! たとえこの子がモンスターでも、怪我をしているのを放っておけないわ……!」

 

「だから、行くなゆんゆん。そいつはどこも怪我などしていない。『安楽少女』だ」

 

「でも、でも! こんな可哀そうな……それもたったひとりで寂しそうな場所にいるなんて……」

 

 かつて友達がいなくて、寂しがりで、人一倍周りに気を遣う、そして、マリモやサボテン植物も友人なゆんゆんには、まさに天敵であった。

 同情しているゆんゆんの説得は困難を極めると判断したとんぬらは、これ以上やられる前に相方を後ろに下がらせる。

 

 見かけは確かに普通の女の子のようだ。

 町娘のような服装をしているが、靴はなく裸足姿で、とんぬらが近づけば赤子のように庇護欲を誘う笑顔でニコニコしてくる。

 しかし、注視すればわかるだろう。腰かけている岩も擬態している体の一部なのだと。岩の後ろから枝のようなものが伸び、そこには小さな実が生っている。

 着ている服も、血が滲んだ包帯もそれらすべて人を惹きつけるための擬態なのだと。

 怪我をした可哀そうな少女を装うなど、タチが悪いにも程がある。

 冒険者ギルドが駆除を推進するのもよく理解できる。

 とんぬらは『安楽少女』の前に立つと、無表情で白黒の鉄扇『白虎の扇』を引き抜いた。

 

「ちょっととんぬら何する気なの! あなた、まさかこの子を退治する気なの!?」

 

 と、そんなとんぬらの気配を目敏く察知したゆんゆんは、前に飛び出すと『安楽少女』を庇うように抱きしめた。

 いやいやと首を振るゆんゆんだが、こいつは歴とした、それも類を見ない腹黒なモンスターだ。

 

「あのな。ゆんゆんも『安楽少女』くらい知ってるだろ」

 

「知ってるけど、学校でも習ったけど、でもこんな女の子の姿をしたモンスターを倒すなんて許されるはずがないじゃない。保護すべきよ。ねぇ、とんぬら。この子も仲間にしましょう。面倒も私がちゃんと見るし、とんぬらには迷惑をかけないから。……ね、いいでしょう……?」

 

 ゆんゆんが『安楽少女』の身体を抱きしめながら、訴えかける目でこちらを見上げてくる。

 まるで拾ってきた小猫を、保健所に連れて行かないでくれと親に訴えかける子供のように。

 だが、そんなのはとんぬらは御免被る。

 

「目を覚ませゆんゆん。そいつは怪我人のフリをしていたんだぞ。わかるだろ。こいつは相当狡猾な擬態モンスターだって言うのは。『一撃ウサギ』に騙された時を思い出せ」

 

 そう言いながらとんぬらは、無理やりにゆんゆんを『安楽少女』から引き剥がすと、そこで、ギュッと彼女のローブを摘ままれた。

 

「……コロス……ノ……?」

 

 子供のように舌ったらずな、聞き取りにくい小さな声。それを発したのは、ゆんゆんのローブを握る『安楽少女』。

 目に涙を浮かべ、フルフル震えながら、もう一度、

 

「……コロス……ノ……?」

 

 とんぬらだって人の心がないわけでもない。

 こちらも心が抉られる思いがするが、本性を知っている冒険者としては義務感の方が強い。そんな辛い表情が表に出てしまったのか、それを見た『安楽少女』は儚げに微笑み、

 

「クルシソウ……。ゴメンネ、ワタシガ、イキテル、カラダネ……」

 

 目に涙を浮かべ、

 

「ワタシハ、モンスター、ダカラ……。イキテイルト、メイワク、カケルカラ……ウマレテハジメテ、コウシテニンゲント、アウコトガデキタケド……」

 

 それから精一杯な笑みを作り、

 

「サイショデ、サイゴニアエタノガ、アナタデヨカッタ。……モシ、ウマレカワレルノナラ……。ツギハ、モンスタージャナイト、イイナァ……」

 

 最後は観念するかのように両手を胸の前で組み、そのままそっと目を閉じた。

 ……それにとんぬらは、ニヤリと笑う。

 襤褸を出したな。

 お涙頂戴な名演技であったが、役に酔い過ぎては一流とは呼べない。

 あの一流の詐欺師のように嘘は一切つかず、人を騙すこの上位版の『安楽王女』であればこのようなお粗末な失態はしないであろうに。

 

「……なあ、ゆんゆん。まだこいつを倒すことには納得がいかないか?」

 

「っ! とんぬらもわかってくれたの?」

 

「ああ、色々とわかった。それで、ひとつ確かめたいことがあるから、しばらくゆんゆんはこの場を外してくれないか?」

 

 『安楽少女』に見事に懐柔されてしまった相方。この様子ではいざ倒すとなったら妨害しかねない。これでは冒険者としては不安が残る。酷な真似であり、あまり気が進まないが、ここはひとつ現実を知ってもらおう。

 

「……私に倒すところを見られたくないからじゃないわよね?」

 

「約束する。あちらから何もしない限り、こっちも荒事はしない。その証明にこれを預ける」

 

 

 杖であり得物である鉄扇をとんぬらが渡すと、ゆんゆんも納得してその場を後に。

 それからとんぬらはぽんこつロボットにゆんゆんの護衛をするよう指示を出して、人払いを済ませた。

 とんぬらは茂みの奥へ離れていくゆんゆんとエリーを見送りながら、頼もしい笑みで語る。

 

「俺はあんたの上位種の『安楽王女』とも会ったことがあってな。()()()教えてもらったんだよ。見かけには寄らないってことを特にな」

 

「………」

 

 わずかに硬直した『安楽少女』。心なしか顔も蒼褪めているように見える。

 

「ワタシヲ……コロスノ……?」

 

「もういいよ。お前らが普通に喋れるのを知ってるから」

 

 『安楽少女』は、人の顔色を窺い最適な演技をする知能派だ。けれど、世の中には、人の顔色など無視して意のままに従わせる最強の自然体な魔性の妹がいるのだ。

 天衣無縫の魅了を突っぱねられたとんぬらに、同情を乞う真似など通用しない。

 

「………」

 

「だんまりか。まあ、いいけど」

 

 『安楽少女』は、何もしない。

 そう、何もしないでいいのだ。何かされればすぐに悲鳴を上げればいい。そうすれば、ゆんゆんが止めに来る。後は被害者の真似をすれば人間関係は破綻するだろう。二人組の冒険者には対立は致命的な問題となりうる。

 ――そんなのはこちらも百も承知である。

 完全な待ちの態勢を取るモンスターに、とんぬらは羽織を脱いだ。そして、自らの装備を『安楽少女』に着せて結び付ける。

 

 何をする気だ、この冒険者……?

 

 薄着をしている(ように見える)安楽少女に紳士的な振る舞いをした……はずがない。

 まさか、これは呪いの装備? いいや、違う。このモンスターのレベルの高い地帯でも第一線で戦えるほどの高品質な防具だ。

 そして、この『空のトーガ』は、風を良く受ける特性がある。

 

 

「『春一番』、こいつの馬脚を見せろ」

 

 

 パンッと手を叩く。

 少年の合図とともに、周りの大気が渦となった。

 女の子のスカートの中を捲れ上がらせることだけは誰にも負けないであろう神風の精霊によって、擬態モンスターの体が浮かび上がる。

 装備された『空のトーガ』が風を受けて膨らんで、『安楽少女』の体を上へ上へと持ち上げる。

 たちまち岩に擬態した下半身が掘り返され、地中深くから土砂が噴き上がる。

 それも優しく丁寧に。傷つけることはしないと定評な『春一番』である。無理に強引に引っこ抜くのではなく、するりと吊り上げる。

 

「!?!?!?」

 

 まるで気球のように宙を浮き、一本釣りされて漂う『安楽少女』の、人の脚に擬態されていない根っこの部分には、釣餌のように人の頭蓋骨が絡まり引っかかっていた。

 

「うわべとは違って、悪趣味なおみ足をしているな。それに思ってる以上に大食いらしい。さっきは初めて人間に会ったと言っていたが、これは一体なんだ?」

 

 岩に擬態している『安楽少女』を浮遊させてどかしてみれば…………その下に、桜の木の下の如く、白骨死体が埋まっていた。

 それも一人二人の量ではなく、十は超える無数の頭蓋があった。とんぬらの予想通り、けれど、とんぬらの予想以上に多くの獲物を食っていたようだこのモンスターは。

 

「高いのが怖いなら悲鳴を上げても構わないぞ」

 

「この……っ!」

 

 生まれて初めて人間に会ったと言質を取った『安楽少女』の足元には動かぬ証拠が眠っていた。

 ゆんゆんはチョロいぼっちな娘だが、高い知能を有する紅魔族だ。いくら同情していてもこの有様を目撃すれば理解するだろう。感情面の問題から受け入れるのは時間がかかりそうであるが、最終的に納得する。

 この馬脚(ねっこ)を晒したまま悲鳴を上げれば、状況はより不利な方へ傾くしかない。

 

「お前が呼ばないなら、俺が呼んでやろう。――おーい、ゆん」

「はぁい! ご指名をインターセプトさせてもらったジャミですよろしく!」

 

 そのときだった。

 とんぬらに投げ網が降りかかったのは。

 

 

「なにっ!?」

 

 “釣餌の”『安楽少女』を追い詰めたところで、これまで木々の陰で身を潜めていた者たちが動く。

 巨体ながら多種多様な配合の中に『隠密トカゲ』の遺伝子を取り込んでいるそれらは『盗賊』の『敵感知』すらすり抜けるだけの能力があった。

 沸き立つ気配を察するとんぬらだが、最初の奇襲でやられた投擲網に囚われて思うように動けない。

 

「残念だったな人間。ひとりになった時点でお前は詰んでたんだよ」

 

 ケタケタと勝利宣言する安楽少女。

 これは迂闊であった。魔物は『安楽少女』だけではなかったのだ。なのに、ゆんゆんに武器を預けてしまった丸腰のとんぬらは、魔力を篭めつつ、道具袋を漁り……

 

(なんだこの怖気の走る感覚は!? 俺の不幸センサーがこれまでにないほど警報を鳴らしているぞ!?)

 

 道具袋を漁るが、目ぼしいものはない

 昨晩の返品チェックの際に、放り込んでいた魔道具があったが、どれも癖が強い自爆モノだ。

 

「『パルプンテ』――ッ!!」

 

 ……パルプンテ!

 …………パルプンテ!

 ………………パルプンテ!

 

 魔法の威力と制御力を増幅強化させる扇子(つえ)無しで一か八かの奇跡魔法を行使。

 しかし、何も起こらない。呪文の詠唱が山彦となって虚しく反響する。一ターンを無駄にした。

 

(くっ、だが、巨竜変化(ドラゴラム)は杖無しでやるには暴走しかねん! リスクが高い!)

 

 宴会芸スキルもほとんどが扇子を基点にして行われるもの。なくてもそれなりに動けるとんぬらであるが、果たして藪の中から出てくるのは……活きの良い男性冒険者を地の果てまで追ってくる、逃亡至難な醜悪なモンスターたちであった。

 

 

「さあ、一名様ご案内! 男前な僕ちゃん。あたしたちの集落に招待してあげる」

 

 

 ダメだ、男殺しの魔王(オーク)からは逃げられない……っ!

 オークの伏兵らを視認したとんぬらは迷いを捨てて道具袋から取り出した小さな黒いキューブを口の中に入れ、同時に取り出していた“それ”を付けると『アストロン』を唱えた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――とんぬらっ! 今のは一体……えっ、なにこれ?」

 

 騒ぎを聞きつけすぐさま戻ってきたゆんゆん。

 けれど、男を拉致するオークたちの手際の方が迅速であって、到着したときには、とんぬらはおらず、『安楽少女』しかいない。

 さっきとは違い、場は土を掘り返されて荒れており、どういうわけかとんぬらの『空のトーガ』を着ている『安楽少女』は、目元に手をやりながら、グスグスと泣いていた。

 

 この『安楽少女』は、余計な邪魔は入ってこないよう二人組の片割れの女子冒険者のゆんゆんの足止めをするよう、共犯者のオークィーンに指示を出されたのである。

 面倒な役割であったが、成功すれば後でダシの抜け殻となった人間の肉体が頂けることになっており、またこれは獲物を食らえるチャンスだ。

 あの用心深い男子冒険者ではなく、チョロくてこちらに同情し切っていた女子冒険者ならば落とせる自信が『安楽少女』にあった。

 

「ねぇ、とんぬらがどこに行ったか知らないかしら?」

 

「ゥ……ゥゥッ……」

 

 泣き真似をする『安楽少女』に、心配しながらも訊ねるゆんゆん。それに首を横に振りながら嗚咽を大きくさせて、目から涙を零してみせる。

 

「アノヒト……オネエチャンガイナクナッタラ、キュウニランボウシテ……コワカッタ」

 

「え……?」

 

「マホウデ、ワタシヲオソッテ……スゴクイタカッタ」

 

「魔法で……?」

 

 自分でつけた腕の傷を、あたかも攻撃されたように、痛そうに摩る。

 

 ここで何が起こったかは知らない。

 暴かれた白骨死体もすぐに埋め直した。

 あるのは、暴力を振るわれた哀れな被害者がひとり。

 いくらでも黒を白に変えることができる。

 

 

「ワタシ……ヤッパリ、イキタイヨオネエチャン」

 

 

 怖い目に遭ってついに本心を自覚した……そんな演技設定で訴える『安楽少女』

 これには、この警戒心の薄いチョロい娘は深く同情し、こちらを慰めようと傍に寄り添ってくれる………………と計算していたが、来ない。

 むしろ、最初に遭遇したときよりも距離を置いている。

 

「……ねぇ、とんぬらは、どこに行ったの?」

 

 一線を引いた立ち位置で、先と同じ問いを繰り返す。

 

「ワ、ワカラナイ……オネエチャンガチカヅクケハイニ、ニゲタンダトオモウ」

 

 ガクブルと震えながら訴える。

 仲間に裏切られてショックで、反応が鈍くなっているのだろうが、このチョロい娘ならば、もうそろそろ釣れるはずで……

 

「……ねぇ、とんぬらは、どこに行ったの?」

 

 三度目の問いかけに、『安楽少女』は内心で舌打ちする。

 頭の回転がトロい。これだからお花畑な女子は。いい加減にこっちの筋書き通りに動いてもらわないと……

 

「オネエチャン、ヒトリハコワイ――」

 

 言葉を切って、固まるモンスター。泣き真似で俯いていた顔を不自然でない程度にあげて、ゆんゆんの表情を窺って、硬直した。

 

 赤い瞳。

 それは燃え盛る炎のように激しく輝いているのではなく、水底に沈んでいるような暗い光。

 芒っとした眼光は、演技に入っていた『安楽少女』が、一瞬忘我にさせてしまうほど、畏怖があった。

 

「とんぬらはね、私を置いて勝手に先へ行ったりはしないわ。それに、私との約束を破ったりはしないの」

 

 ゆんゆんは、『安楽少女』の事は知らない。だから、その虚偽に簡単に騙される。

 けれど、ゆんゆんはとんぬらのことを良く知っている。だから、彼に関しての噓偽りは絶対に許しはしない。

 『何が起こったかわからない』で済ませておけばよかったものを、下手に同情を誘おうと彼を暴漢役に仕立て上げようとウソをついてしまったのが運の尽きであった。

 

「オ、オネエチャン……?」

 

「それから、とんぬらの魔法。……さっきの詠唱はこっちまで反響してきたからよくわかるわ。あれが外れ(スカ)だってのは……だから、痛い思いなんて、するはずがないの」

 

 あかん。

 あれは、あかん。逆らったら、洒落じゃ済まない。

 

 

「とんぬらは、どこ」

 

 

 ゆんゆんに杖を突きつけられた『安楽少女』はその矛先を変えようと、素直に共犯者を売った。

 オークの集落へ攫われました、と。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 オークの集落にご招待された。

 

「あの尻! あの腰! あの顔! 全てが好みよ! 早くガチガチを解いて、オークィーン!」

 

 これほどに熱烈な歓迎を受けたのは初めてなので、緊張でガチガチとしてしまう。

 

「はふーっ、はふーっ、はふーっ、はふーっ!」

 

 360度すべて包囲されている。逃げ場などない。

 

「オークィーンっ! あたしにもちゃんと回してよっ!」

 

 神に問う。怠惰と暴虐の猫神様、水の女神アクア様、幸運の女神エリス様、それに傀儡と復讐の女神レジーナ様、俺はこれほどの目に遭うほど大罪を犯してしまったのでしょうか?

 

「わかってるわ、皆、今日から三日三晩はお祭りね! これほどの上物はそうそうお目に掛れないんだから! しかも、若い! きっと百匹切りしてくれるはずだわ!」

 

 目の前には、とんぬらを捕らえた桃色のオーク。

 この集落にいるオーク全てを満足にさせるなど、三クリックで回さないととても無理だ。

 

「やるわ! 絶対に孕んで見せるっ!」

「はあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあ……!」

「子供が産まれたら、名前は決めさせてあげるわ! だから! だからオークィーンの次は私を指名して!」

 

 これほどの数のオークをお目に掛かれたのは初めてだ。

 それも様々な種族の遺伝子が交じり合った結果なのか、実に色々な特徴を備えている。  肉球があるものやフワフワの毛皮を持ったもの。豚耳だけではなく、犬耳に、それから猫耳……これほど嬉しくない猫耳があったなんて……もうしばらく猫耳を見れなくなりそうだ。

 先ほどから鋼で悪魔ホーストでも重いというほどの重量があるというのに抱きかかえられるとか、他種族の遺伝子を取り込んだオークの女王は半端ない。

 集落には他にも何体か共犯者と思しき『安楽少女』の個体がおり、冒険者の拘束役と子種を出し切った抜け殻の処理を引き受けている。

 とんぬらにも『嫐』の字の通りに、二体の『安楽少女』に挟まれて左右から枝に絡み縛られている。

 

「うふふふふふふっ、いくらでも我慢比べしても離さないわよ、満足するまで絶対に離さないから! あなたはジャミと、集落で一生一緒に過ごすの。子供は百匹は欲しいわ!」

 

 無事に帰れたら、ゆんゆんに謝ろう。

 オークと同じみたいだなんて、あまりにひどすぎる。ああ、彼女の顔が見たい。すごく見たい。美少女の整った顔を見て、心の平穏を保ちたい。

 

「初めてが怖いのはわかる。でも安心して。ジャミはオークィーン、オーク族の中でも一番美人で床上手とされているの。だから誰でも初めてを頂いているのよ。さあ……、これを見て……。どう? その気になってきたでしょう? ……ねぇ、ジャミのこれを見てちょうだいよ」

 

 オークィーンはそう言いながら服を脱ぎ、上半身を露にした。

 

「ほら、こんなに沢山あるおっぱいを独り占めしていいのよ! それにあなたの子を沢山産んでも困らないでしょ!」

 

 子沢山な哺乳類は、乳が沢山あり、豚は標準で七対。このオークィーンは多めで九対。

 それに包まれる、というか飲み込まれる状況、鋼でなければ確実に吐いていた。なんて視界の暴力だ。何でも多ければいいものだというのは違うとよくわかった。

 

 そうして、オークィーンの熱烈な百裂舐めに、鉄化魔法は解かれる。

 

 全身じゅぶじゅぶに『安楽少女』の媚薬漬けにされ、魔法すらも唱えられない。体も『安楽少女』の枝が絡み付いており、それを破るほどの腕力もない。無抵抗なまま嬲られる、この上ない危機的状況。

 ………………もういいだろう。

 

 鉄化が解かれて、何故か肌色はまだ甲虫の殻のように艶やかな黒色のままだが、感触が金属質な硬いものでなくなった。

 

「さあ、子供を、作りましょう!」

 

 辛抱堪らんとオークィーンは下半身に手を掛ける。

 こうなればもう『知識の帽子』でいくら賢さを上げようが意味がない。オークの本能のままに相手を嬲る。それしか頭にないのだから。

 

 だから、上半身の異変に気付くのが遅れた。

 

「な、に? ちょっと待て、オークィーン。何かがピコンピコンとカラータイマーが点滅してんぞ……!?」

 

 『安楽少女』が只ならぬ悪寒に焦り声を上げる。

 だが、オークィーンの耳には届かない。お預けがやっと解かれたのだから、共犯者の声など届きはしない。

 

 『アストロン』は身につけているものも含めて、鉄にしてしまう。

 だから、それを発動させるには解かなければならず、とんぬらは限界ギリギリまで耐え忍んだ。

 究極的に追い詰められなければ、このロマンチックな魔道具は働いてくれないのだから。

 

「炎の精霊よ……与えよ、力を」

 

 オークに食われるくらいならば自決の道を選ぶ覚悟で、捕まる間際に付けた、ネックレス型の魔道具。

 このコンセプトは、『最後の時には、命を懸けて大切な人を守れるように……』。

 そして、正式名称は、『メガンテの首輪』。

 

「……我に全生命の力を……!」

 

 とんぬらを死んでも離さないと誓った『オークィーン』、そして、触手を絡み付かせた『安楽少女』。周囲を取り囲む他の『オーク』たちすべてを巻き込む爆発が集落に轟いた。

 

 

「『メガンテ』――ッ!!」

 

 

 後にとんぬらはこの魔道具を紹介する際、『ひとつだけ忠告する。死ぬほど痛いぞ』と体験者としての感想を添えた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 包囲した魔物たちを砕け散らした爆発。

 当然自爆したとんぬらは大量に出血した上で瞳孔は開き、瀕死の重傷。というより、よく原形を保っている。

 それは捕まる前にとんぬらが自ら飲み込んだ魔法抵抗力を下げる罠餌、そのドラゴンの対魔力すらゼロにする強力な効果の副作用で、防御力が劇的に上昇しているおかげであった。

 

 ただし、この自爆で集落にいるオークの全てを倒したわけではない。

 至近にいたオークィーンと安楽少女は確定死。ただ、取り巻きで囲んでいた最前列のオークを除けば、他は重傷を負っているものの息があった。

 

 そして、女王(うえ)が捨て身の斬首戦術で死のうとも、オークは変わらず、強いオスの種を欲する。同族の死など悼まない。むしろ、集落にこれだけ壊滅的な破壊をもたらした相手に魅了されてしまっている。

 

 何としてでも、その子種はもらおう!

 

「豚穴にいらずんば子種を得ずっ! もう私の膣は彼の物で予約済みよっ!」

 

 オークたちの想いはただひとつ。

 瀕死なとんぬらであるが、それだけに早く子種を絞り取らないと……!

 

「ぶ、ぶひゅぅ……! あんたって、本当に最高の男ね。ここまでされたのは初めて! ……こうなったら何としてでもあんたの子を産むわ!!」

 

 と捕まえた他の生贄(オス)と交尾していたオークたちまでもとんぬらの元へ集まっていく。

 このままだと途中で果てて息絶えようが構わず貪りつきそうな勢いで――――そんなオークの血走った目よりも真っ赤な瞳をした少女がゆらりと杖を引き抜いていた。

 

 

「ねぇ……とんぬらに何をしようとしているの?」

 

 

 エリーのセンサーを頼りに、急いで駆け付けたゆんゆん。

 罠にかかり男殺しのオークの集落に囚われたとんぬら。そのとんぬらが、瀕死の重傷を負って倒れており、その子種を貪ろうとオークが迫る。

 これを見て、果たしてどう思うのか?

 

「何って、そりゃナニよ。言わ」

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 応じたオークに光の線が走り、細切れの肉ブロックに。

 只ならぬ気配に、オークたちの狂乱も醒める。そして、そこでやっとこの少女が紅魔族だと理解し――しかし、遅かったか。

 

「そうよ……『すごろく場』でとんぬらを襲って……そのせいで、この前、私もオークだなんて……――許さない、絶対に許さない! もうご近所のよしみだとか、その一線を越えたわ! 目につくオークは皆駆逐してやる!」

 

 ……そして、この数あるオークの集落を吸収合併し、一大勢力となったオークィーンが治める集落で、凄まじい閃光が幾条も乱舞し、天を、地を灼いていった。

 断続的の轟音が響き、一瞬にして薙ぎ払われるオークの巣の家屋。

 そこでようやくオークたちは阿鼻叫喚と逃げ惑うが、強烈な閃光魔法に目を眩まされて、混乱して満足に動けない。瓦礫と化した家屋を中心として竜巻が巻き起こり、大火の津波が背を向け逃げようとするオークを次々と消し炭にしていったかと思うと、次いで放射状に闇を凝縮したような漆黒の雷撃が迸り、見渡す限りの風景を焦土に変えた。

 

 ありったけのマナタイト結晶を使い、全力の上級魔法を連発して、焼け野原となった集落とは他の集落も引っ越しせざるを得ないほどのオーク族に壊滅的なダメージを与えた紅魔族の次期族長。

 こうして、絶滅危惧種となったオークは、『紅魔族に手を出してはならない』と遺伝子に刻み込むほど強く戒められるようになる。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 元々は下級悪魔にすらなれなかった盗賊系の鬼族。

 それが数多のヴァンパイアやエルフ、そして、人間の女の中でも特に美しい存在を男だった体型と顔も変わるほど取り込んで、完全な美を手に入れ、魔王軍の幹部にまでなった。

 八大幹部の中には人間からリッチーになった者もいるが、自身こそが最も成り上がってきた者だろうと自負している。

 

 だから、魔王軍が警戒するあの憎き紅魔族に今は良い様にやられていようが、また新たな力を得ればいいだけのこと。

 

「ふふ、ひとりでいたのが運の尽きね」

 

 またひとり、人間の、それも紅魔族の女性を取り込んだ。

 それは暇だからとしばらく山籠りの修行を行い、魔王軍の襲撃を知らずにいた里一番の美女であり、自身の琴線を大いに刺激するだけの美があった。

 そして、強かった。

 自身だけではやられていたかもしれないほど、これまで相手にしてきた紅魔族の中では特に強い個体であった。

 

 魔導技術大国『ノイズ』で造られ、紅魔の里近辺の森を守護する魔導ゴーレム。この森の奥にある廃棄施設に残された亡国の遺産は、赤い瞳以外を敵対認識しているため、紅魔族の者が力を使うのを見れば撤退する。里の人間には有名な森の守り神であった魔導ゴーレムを、たとえそれが兵器であろうと一体化になれる己の細胞と混ぜ合わせた魔改造小型『冬牛夏草』を寄生させることでそれを“赤い瞳を敵対認識する”ように書き換えた。強化モンスター開発局局長として“破壊のコトバ”を植え付けてやるくらいはできる。

 そうして、魔導ゴーレムが守護神だと油断していたところを襲われ、その不意を突いて一気に吸収したのだ

 そして――

 

 

 山のように巨大な何かが、里を破壊する光景。

 

 

 取り込んだ時に頭に過ったそれが、すぐ予言の力だと理解した。

 どうやらこの女性は紅魔族の『アークウィザード』でありながら、有能な占い師であったようで、今、水面下で探っている作戦の成功を確信する。

 里の中にある紅魔族が『世界を滅ぼしかねない兵器』を封印しているという地下格納庫には、強力な魔導兵器が眠っており、伝え聞くにその特性は『アークウィザード』の天敵になりうるもの。

 そして、その地下格納庫の裏、霊峰『ドラゴンズビーク』にある『魔神の丘』には、紅魔族の最終兵器とも呼ばれた神主一族、その初代神主の勇者が使役した巨大悪魔の封魔の壺が眠っていると言われている。

 その世界を荒らし回り、あの機動要塞『デストロイヤー』にも立ち向かったとも言われる巨大悪魔の名は、『ブオーン』――

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――あれ? あそこにいるのは……」

 

 遠く轟く爆発音に雷鳴を聞いて仲間たちと駆け付けてみれば、大荷物を背負い込んだ魔導ゴーレムを引き連れる少年を背負った少女。それが里を旅立った紅魔族の若者たちだと気付いた。黒いローブを纏い、その下に黒一色のつなぎを着た青年は、指先のない手袋を嵌めた手を振って、

 

「おーい! ゆんゆんにとんぬら君。なんでこんなところに……うおっ、大丈夫か!? どうしてとんぬら君がこんな大怪我をして。一体何があったんだ?」

 

「お、お久しぶりですぶっころりーさん。とんぬらが、オークの集落に捕まっちゃって、『クリエイト・ウォーター』!」

 

 バシャッと頭上から背負ってるゆんゆんごととんぬらの全身に水をぶっかけられる。

 

 見つけたときにはズタボロでHPが1しかないような瀕死の重体であったとんぬら。

 でも、彼には水浴びすれば自然治癒力が高まる体質があった。

 だからゆんゆんは、こうして一定時間ごとに救命行為で水を被らせている。

 

 ただし、それを知らない者が傍から見れば、死体に鞭を打つような水責めをしてるようにしか見えない。

 その食い違いを正そうにも、ドン引きされていることにすら気付ける余裕のない今のゆんゆんには無理な話で、誤解のまま話は進む。

 

「ちょ、ちょっと何を……え、オークにとんぬら君が!? そりゃ、大変な目に遭ったね。何があったかは訊かないけど、彼も大変だったんだし、あまり責めないであげて」

 

「私のせいなんですっ! 私が最初からとんぬらのことを信じていれば、あの時目を離すようなことはなかったのに……! 『クリエイト・ウォーター』!」

 

 わけがわからない。

 靴屋の息子にして魔王軍遊撃部隊の隊長ぶっころりーは、族長の娘の奇行の理解を諦め、今の切迫した状況への対処を急ぐ。

 オークは下手に撃退してしまえば、地の果てまで追ってくるモンスターだ。

 

「わかった。君たちは早く里へ行くと良い。僕たちは殿でオークを足止めするから」

 

「その必要はありません。とんぬらにしつこく寄ってくるメス豚は一匹残らず駆除しましたから、『クリエイト・ウォーター』」

 

 平然と報告するゆんゆんの瞳はぐるぐると回っている。

 サイコってる。これはあまり藪をつつかない方が良い。ぶっころりーとその仲間たちは、何も言わずこくこくと頷き合った。

 

「それで、他に囚われてた人達がまだ集落に残ってて、『クリエイト・ウォーター』、彼らの救助をお任せしていいですか?」

 

「あ、ああ、わかった、ゆんゆん。……だから君が背負ってる要救助者(とんぬら)をこれ以上責めないであげてほしい」

 

 若干、年下の女の子に押され気味であったが、それでも水責めされるのを放っておけなかったぶっころりーは、意を決して注意する。も、こてんと首を傾げられ、

 

「責めるって何ですか? 『クリエイト・ウォーター』」

 

「……いや、何でもないよ」

 

 『私のとんぬらに染み付いたメス豚の臭いを洗い落としてるんです。邪魔しないでください』……なんて、ぶっころりーたちはゆんゆんが口にしてないのにそんな病んでる台詞を連想してしまい、今度こそ口を噤んだ。

 

「早く里に行かないと……あ、でも、お父さんから紅魔の里がピンチだと聞いてるんですけど……『クリエイト・ウォーター』」

 

「ピンチ? 族長が?」

 

 今度はぶっころりーが首を傾げる。

 とりあえず、とんぬらにはちゃんとした治療を受けさせないと……このままだとゆんゆんに丘の上で溺死されかねないと判断したぶっころりーは迅速に魔法の詠唱を開始した。

 

「とにかく族長の元へ急ぐと良い。里まではまだ少し距離があるけど、『テレポート』ならすぐにつく」

 

 突然、視界がグニャリと曲がり、立ち眩みと共に辺りの景色が一変する。

 それは、もう一年以上と見ていない、のどかという言葉が似合いそうな小さな集落。

 魔王軍と戦争中だと手紙には書かれていたけれど、旅立ちの時と変わらずに平穏そのもの。立ち並ぶ店は普通に商いをしており、道端には談笑する人たちがいる。

 私、帰ってきたんだ……

 そんな無事な懐かしき里の様子に、目が潤みかけるゆんゆんであったが、こんな場合じゃないと目元を袖口で拭うと、ずぶ濡れでぐったりをしているとんぬらを背負い直す。

 

「ありがとうございます、ぶっころりーさん。『クリエイト・ウォーター』。それじゃ、私は急ぎますから、お礼はまた後程」

 

「うん、帰還の挨拶は後日にした方が良さそうだね。こっちに気にせず早く家に行くといい。俺も早くみんなに報せないと」

 

 送ってくれたぶっころりーに会釈するとゆんゆんは、里の中央にある自宅の族長宅へと駆けていった。

 

 

『大変だ大変だ! 族長のとこのゆんゆんが、ヤンデレになって帰ってきた! 神主のとこのとんぬら君にちょっかいをかけるとオークでも屠殺するから気を付けろ!』

 

 『紅魔族の頭のアブない方の娘』という駆け出し冒険者の街で流行っている不名誉な呼び名が故郷でも駆けていった。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 メガンテ:ドラクエⅡより使われるようになった自己犠牲呪文。消費魔力は1ポイント。ただし、HPが最大の三分の一以下にならないと唱えられない。発動すれば使用者が即死(ただし『命の石』があれば瀕死)になる代わりに、敵全体を即死もしくは瀕死にさせる。

 設定としては身体ではなく生命力を爆発させる。神々が人間に善なる心を与えるために使ったという神話もある。

 呪文詠唱は『炎の精霊よ! 与えよ、力を! 我に全生命の力を!』

 ちなみにドラクエシリーズで最初に使えるようになったプレイキャラは、サマルトリアの王子(とんぬら)である。

 作中では、首輪になっているが、ドラクエシリーズにあるのは、『メガンテの腕輪』。

 

 ブオーン:ドラクエⅤ。シリーズ屈指の巨大モンスター。大富豪の先祖が魔法の壺を使って封印した伝説の魔神。伝説の大泥棒が不用意に封印を解いてしまい食われた。三つ目と蝙蝠の翼を持つ巨大なヤギでサイズは特撮怪獣並。

 ちなみにその封魔の壺のデザインはデブ猫っぽい感じ。




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