この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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49話

 極楽ふぐのような魔道具。

 つまりそれは、毒抜きの術を心得た熟練した料理人なる冒険者が捌けば(扱えば)絶品に化けるということ。

 例に挙げると、術者を溺れさせてしまうほど泥沼魔法を強化するマジックポーション。

 周囲一帯の敵の足を止める魔法を拡大できる点において効力は凄まじいものだが、その使用者も泥沼にはまってしまう。ならば、その術者が地を離れて浮遊していたのならばどうだろうか?

 飛行できれば泥沼に囚われることなく術者は自由に移動でき、足を止めた敵を一方的に打ち倒すことができるだろう。

 また魔法抵抗力を下げる代わりに防御力を劇的に上げてしまう罠餌も、その副作用を主点にしてみれば、状態異常耐性には弱体化するもののほぼ無敵になれる魔道具ともいえる。そう、初心者殺しのような状態異常の魔法を使わないが単純に強敵なモンスターを相手にするときはうってつけだ。それにこの罠餌を事前に摂取していれば、あの自爆魔道具のダメージにも命からがら助かることができるというのは身をもって実証済みである。

 

 

 ――トントン。

 

 ドアをノックされる音に、意識が浮上する。すぐ自分が眼を閉じていることに気付いた。瞼が重い。眉に水滴を感じる。

 意志の力を総動員して目を開ける。不思議な事だが、目を開けて真っ先に感じたのは、光ではなく匂いだった。何かハーブのような、爽やかで少し甘い匂いだ。

 次に感じるのは、全身に染み入る潤いある感触。浸潤するこの液体はとても粘性があり、快感的なものがある。

 それからようやく、目が光を捉えた。だが、入手した視界の情報はとんぬらをさらに困惑させてしまうものであった。

 

「……知らなくもない天井、だが……」

 

 まだ節々がズキッと尾を引く痛みはあるものの、寝たきりで養生しなければならないほどでもない。湯気の溶ける室内に目を凝らすと、やはりこの水捌けの良いタイル張りの空間は、寝室ではなく、浴室だということに気付く。

 再びドアをノックする音。続いて声。

 

「とんぬら、起きてる?」

 

 控えめなその声で誰だかわかり、ああゆんゆんか、と欠伸に手を当てようとして、ぬるりと液体が垂れたのでやめた。

 そう、とんぬらは、今、ベッドではなく、バスタブの中で眠っており、そして、浴槽の中には、スライムで満たされていた。

 スライムは繊維質だけを溶かす魔改造グリーンスライムやら魔王軍幹部のようなデッドリーポイズンスライムがいるが、中には品種改良された医療用スライムというのがある。おそらくその医療用スライムを入れたバスタブの中に、重傷を負ったとんぬらは放り込まれたのだろう。紅魔族はこういう改造戦士が傷を癒すのに使いそうなメディカルマシーンが好きだ。とはいえ、この通り医療用スライムを湯水のように扱える家は限られるだろう。

 となるとやはり、ここは族長の家なのだ。

 眠気の残る頭を覚醒させながら、スライムに沈んでいる下を見て、ちゃんと水着用のトランクスを履いているのを確認してから、『今起きた。入っても構わないぞ』と返事をする。どうにもオークに囚われてから記憶があやふやだが思い出さなくてもいいものだ。きっと自爆戦法が成功したのだ。そういうことにしよう。死んだ方がマシな目に遭いかけて、死ぬほど痛い思いをしたが、こうして医療スライム槽に休めば全快である。

 扉を開けて入ってきたゆんゆんは、起きたとんぬらの顔を見るとほっとした笑みに顔を緩めると耳に優しく響く声で挨拶。

 

「おはよう、とんぬら」

 

「ああ、おはようだ、ゆんゆん。といっても、今の時間帯はわからないんだが」

 

「うん、もう夕方ね。それで、ここどこだかわかる?」

 

「わかるよ。ゆんゆんの家だろ。……無事についたんだな」

 

 ちょっとこれが夢じゃないかと頬を抓るとんぬら。

 痛い。よかった。オークの集落から逃れることができたのだ。

 

「ありがとう、ゆんゆん。お前が助けてくれたんだろ」

 

「そんなお礼なんて! 私がわがまま言うから、捕まっちゃったんだし……本当に、ごめんなさい」

 

「それでも、ありがとうだ、ゆんゆん」

 

「もう……とんぬらは甘いわよ」

 

 言われても不安がる彼女を叱りつける気などとんぬらにはさらさらない。けれど、このままだとしこりが残りそうなので、

 

「それじゃあ、お仕置きをひとつ受けてもらおうか。ゆんゆんは、反省している様だけど、これで擬態に引っかかるのは二度目だ。駆け出し冒険者時代に『一撃ウサギ』に引っかかったのは仕方ないにしても、もういっぱしの冒険者になって、それも俺の再三の注意にもなかなか納得してくれないのはわりとショックだった」

 

「うぅ……ごめんなさい」

 

「そう何度も謝ることはない。『安楽少女』はベテランの冒険者でも騙されるモンスターだ。俺も偶然、あれの本性を知れてなかったら今も勘違いしていただろうしな」

 

「とんぬらも、引っかかったことがあるの?」

 

「ああ。あれはまだ里に帰る前の武者修行時代のころだ……」

 

 しみじみと目を瞑り語りだす。

 心優しきリッチーに出会い、モンスターに対する絶対的な敵対心というのが薄れていたとんぬらは、安楽少女の上位版『安楽王女』に遭遇して、まんまと騙された。

 毒である実はもらわないように注意を払っていたが、すっかり信じ込んだとんぬらは、『安楽王女』が聖人のようなモンスターであると冒険者ギルドに報告しようとした。で帰る際に、その日は雪が降っており、とんぬらは寒そうな(と言っても見た目だけ)『安楽王女』に自分が装備していた防寒着、それから猫耳をつけさせた。すごく遠慮された(嫌がられた)が、絵本で読んだ『傘地蔵』よろしく、親切と善意の押し売りで押し切った。結果、紅魔族の黒いローブやら猫耳バンドやらその他諸々のアクセサリを着せられた『安楽王女』は中二病的なファッションにコーディネートされた。これでは訪れた人間の最期を看取る聖女ではなく、人間を黒魔術の供物に捧げそうな魔女であったが、

 

『むしろこれなら人が寄ってこなくなるから良い、『安楽王女』も人を犠牲にしてしまうのを悲しんでいたし、敬遠される見た目をされた方がお互いに好都合ではないか』

 

 そう自分の仕事ぶりに満足したとんぬらは意気揚々と街へ帰還して、途中、忘れ物をしたので『安楽王女』の元へ戻ると……着せた衣服を乱暴に引き裂いて、猫耳バンドをへし折る『安楽王女』の姿が……

 

『まだ育ってないガキだったから見逃してやったのに……こんなことなら食っちまったほうが良かったな』

 

 それは空を飛べると信じてピョンピョン跳ねてる子供を地面にすっ転ばして、青天させたところに現実を直視させる所業であった。

 

「……その後に色々とあったが、そのおかげで、俺は人型のモンスターでも容赦なく倒せる心を取り戻した」

 

「とんぬら……」

 

 ゆんゆんが幼少期から変わらぬ不幸ぶりなとんぬらを気の毒そうな視線で見やってから、袖をまくるとタオルを差し出す。

 

「それじゃあ、風呂を出ましょ。いろいろと話したいことがあるし……ね? それで、手貸そうか」

 

「ああ、助かる。寝起きだからかまだふらついててな」

 

 起きてすぐの覚束ない、ヌルヌルとしたスライムまみれで、浴室を歩くのは転ぶ危険が高い。タオルで両腕を拭いてから、介護補助にゆんゆんの手を借りて、バスタブから出る。

 それから体に付着した医療用スライムを水で洗い流してもらいながら、ふと、とんぬらは気になることを質問した。

 

「ひとつゆんゆんに訊ねたいことがある」

 

「なにかしら?」

 

「俺を着替えさせてくれたのは、族長なんだよな?」

 

「………」

 

 黙るゆんゆん。

 お湯をかけてくれていた手が止まり、顔を逸らす。けれど、瞳が赤く光っているのでとても分かりやすい。

 

「……まさか、ゆんゆんが」

「救命行為! 救命行為だから!」

 

 必死に声を上げるゆんゆんに、とんぬらは天井を仰ぐ。

 ……まあ、仕方がない。

 

「そうだな、救命行為だ。ゆんゆんは正しい行為をした……それで、見たのか?」

「見てないわっ! 私は何にも見てないからっ!」

 

 力一杯に否定するゆんゆん。ならば、なぜ、先からチラチラととんぬらの下腹部辺りを見ているのだろうか。

 

「……そうか、それじゃあ、お尻にある紅魔族の刺青は見てないのか」

 

「え、とんぬらのは下腹部でしょ」

 

「ああ、そうだった。前と後ろを間違えてしまったなー……で?」

「ごめんなさいっ! つい出来心で……」

 

 いくら頭が茹っていたとはいえ簡単に誘導尋問に引っかかるとはちょろくて心配になる娘である。

 紅魔族にとってとても恥ずかしい刺青とそれからとんぬらの刺青の位置からして自然、男のものも視界に入るわけで、

 

「でも、立派だったから! ずっと昔に見たお父さんのよりもとんぬらのはすごく大」

「言わなくていい! そんな感想は求めてないから言うな!」

 

 落ち着け――目の奥が熱くなっているけど――落ち着くんだ。

 『オークに捕まるよりはずっとまし』と言い聞かせながらも、心の整理を付けるためにも、少し一人になりたい気分だった。

 俯き罪悪感を滲ませるゆんゆんに、とんぬらは着地点を示そうとする。

 

「はぁ……余計なことを聞いた。もう気にしないからゆんゆんも」

 

 『できるだけ早く忘れてくれ』ととんぬらは言葉を続けようとしたのだが、それよりも早く紅の視線を上向け、桃色の唇と赤い舌と共に動かす。

 

「わっ、わかったわ……私も、見せればいいのね?」

 

「は」

 

 ゆんゆんはとんぬらを支えていた手を放すと、自らのスカートの裾を手に取り、羞恥心で震える手でゆっくりとたくし上げる。

 すらりと伸びた生々しい白い足。膝から太股にかけて桜色に染まった領域が広がっていく。こわごわとした顔で、赤らんだ顔で、熱情に潤んだ顔で自らの――

 

「おい待て。いったい何をする気だ、ゆんゆん」

 

 がとんぬらの説得が一体どう曲解されたのか理解不能な『パルプンテ』であるも、そんな要求は一切していない。

 間一髪で鉄心の理性がドラゴンな本能を上回り、きわどい瀬戸際で、その手を掴んで止めるとんぬら。

 

「とんぬらだけが見られたんじゃ不公平よね! だから私も! 私も脱いで見せればそれでお相子になるでしょっ!」

 

「いやいいから! そんな真似しなくていいからな! もっと淑女として自分の身を大切にだな!」

 

「大丈夫! 私、とんぬらになら大丈夫だから!」

 

「何が大丈夫だふざけるな!? こっちが大丈夫じゃないんだよこのおバカ!」

 

「離してとんぬら! 私は平気――きゃっ!?」

 

 とんぬらの制止を振り払おうと暴れるゆんゆんは、とんぬらの身体や髪から床に落ちていたヌルヌルのスライム液で盛大に足を滑らせた。抑えていたとんぬらも巻き込むよう、前にすっ転ぶ形で。

 

「――ああもうっ」

 

 自分の胸に飛び込んでくる短い悲鳴に、とんぬらは咄嗟に反応していた。宙で体を抱き寄せて、どうにか床に激突する前に彼女の下へ自分の体を入れることに成功。己をクッションに変え、ゆんゆんが受ける転倒の衝撃を軽減。ゆんゆんをホールドしているせいで両手が塞がった状態だったが、背中と腕や肩で辛うじて受け身を取った。

 それでも転倒の衝撃で鈍い痛みを得てしまい、顔を顰めながら起き上がろうとして。

 ずるっと手が滑る。

 

 そうだった、今のとんぬらはまだヌルヌルのスライム液塗れだ。

 自力で立ち上がるのは難しいと判断して、まずはゆんゆんに上からどいてもらおうと、

 

「………」

 

 密着状態にとんぬらの腕の中で身動きもせずに呆然としているゆんゆん。

 

 以前にもめぐみんとの寝技勝負に破れカエルの粘液塗れとなったゆんゆんに抱き着かれそうになったことがあったが。

 今回とんぬらはトランクス以外何も着ていない。上半身は裸の状態だ。そんな状態で抱擁を行えば、ゆんゆんが処理落ちするのは火を見るよりも明らかで。

 とんぬらとしてもいっぱいいっぱいだ。いけないとわかっていながらも、視線を落とすとゆんゆんの育っている胸がとんぬらの腹辺りに密着し、その極上の柔らかさを証明するかのように、いやらしい形に押し潰されていた。視覚的にも感触的にも抜群の破壊力で。

 

「ゆ、ゆんゆん、起きてくれっ……いや、別に我慢できなくなるというわけではないぞ。俺はちゃんと、疚しい気持ちは鉄の金庫に上手に締まっておけるからな……緊急事態は、落ち着いて素早く静かに……とにかくどいて欲しい!」

 

「あ、う、うん――あんっ!?」

 

 とんぬらの切羽詰まってる声に反応して、覆いかぶさっている格好のゆんゆんが起きようとする。けれど、彼女もまた今のでスライム液塗れとなり、ずるっと滑る。なかなか立てず、むにゅんむにゅんとバウンドするように何度も弾力ある体を押し付けてしまい、それで湿った粘液の音を立てながら体と体で磨ってすべすべ柔肌の泡立ちが良くなる。足掻けば足掻くほど深みに嵌るアリジゴクのよう、滑るたびにヌメヌメになるゆんゆん。やがて身を起こすこともできなくなり、心臓の鼓動に耳を当てるようとんぬらの胸板に上気した右頬をつけた状態で体重を預けるようになる。その艶めかしさを覚えるほど熱っぽい吐息が荒げに首元を撫でて……

 

「はぁ……はぁ……とんぬらの身体って……やっぱり固いね……えへへぇ……」

 

「ゆんゆん!? あまり上でモゾモゾとしてくれるな! 俺の金庫は頑丈だがそれでも限度があるし、それに早く起きないと! この状態が見つかったら……!」

 

 ――と、慌てて駆け付ける足音。

 

「大丈夫? 今、凄い物音がしたけど…………」

 

 この誤解しか生まれなさそうなシチュエーションでやってきたのは、黒髪の女性。

 上半身裸のとんぬらと、衣服がはだけているゆんゆんがヌメヌメになりながら抱き合っている光景に、カッと瞳が赤くなる。

 

「え、っとですね……これはその……」

 

「はぁ……ごめんなさい……ふぅ……私、頑張るから……はぁ……とんぬらは、じっとしてて……ふぅ……」

 

「いい! 頑張らなくていいから! ゆんゆんが、じっとしててくれ! この状態じゃ説明がつくものもつかなくなるから!」

 

「んぅ……大丈夫よ、任せて……ちゃんと……とんぬらを……たたせてみせるからっ!」

 

 乱入者、母親の登場に気付いていないほど夢中なゆんゆんは、息を切らしながら全身を上下に擦りつける。懸命に立とうと頑張っているのはとんぬらもわかるのだが、この状況を見た人間がどう思うかは想像にし難くないもので。

 

「ごめんなさい、邪魔しちゃったみたいね。一時間くらいしたら出直すから、ごゆっくり」

 

「誤解です!」

 

 そして、必死の説明で事情を理解してもらえたゆんゆんの母の手を借りて、ヌルヌル塗れからやっと解放された。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「いただきます」

 

 大きな黒檀のテーブルに並べられた食事に手を合わせて、今日の夕食の時間が始まった。昼食を抜かしたのでとてもお腹が空いているので、その分、大盛りに。

 どれも美味しい食事ばかりで、いつもじっくりと味を噛み締めながら頂く。

 

「あれ? スープの味付け変わったか?」

 

「あ、わかった? いつもと使ってる材料は同じなんだけど、少し調理法を変えてみたの」

 

「おいしい」

 

「こっちの方が好み?」

 

「ああ、好きだな」

 

 元々美味しい食事。飽きが来ないよう、更にそれを美味しくする努力も怠らない。

 メニュー自体は普通でも、きっとこれは贅沢な食事なんだろう、と常々思っている。だからこそ、毎日感謝しながら食べることができていた。

 

 で。

 

「ふふ、本当に家の娘と大変仲が良いのね」

 

 向かいの斜め前の席には上品そうな、さっき風呂場に駆け付けた女性が両手で頬杖を突き、歯を見せて笑う。のほほんとしているその姿は、年頃の娘を持つ母親ではなく、年頃の少女のようであった。目元はゆんゆんと似ており、血の繋がりを感じさせるのだが、外見からはまったく実年齢を感じさせない女性だ。ゆんゆんと並んで台所に立っているときは熟練の母親に見えるし、こうして食卓を囲んでいるときは少し年上のお姉さんくらいに見える。

 その隣、とんぬらと相対する前の席に座っている中年男性は快活に笑っている。

 

「はっはっは、色々と話は聞いているよ、とても家の娘がお世話になっているようだね」

 

「いえ、こちらこそゆんゆんにはよく助けられております」

 

 里の現状などとんぬらは訊ねたかったが、まずはこちらから話すべきことを話す。年上にも親しくなれば砕けた態度(とある最高司祭にはぞんざいな態度)で接するとんぬらも、流石に里の長である族長には礼儀を守る。水臭い、などと言われることもあるが、けじめのようなもの。学業に取り組めるよう色々と取り計らってくれたこの族長を、とんぬらは尊敬していた。

 朝食を口に運びながら、とんぬらは里を出てからの冒険者としての活動を説明。『アルカンレティア』に『アクセル』での出来事、機動要塞『デストロイヤー』の防衛戦、上位悪魔や不死王リッチー、そして、魔王軍の幹部デュラハンのベルディアにすべてを見通す悪魔のバニル、デッドリーポイズンスライムの変異種ハンスと二度にわたる戦いの顛末などを簡単に話した。密告屋(めぐみん)からの報告等で知られているとはいえ、とんぬらは紅魔の里の人間。族長への報告は、義務のようなものだろう。もちろん、情けない失敗談も包み隠さずに明かす。族長夫妻は、『ふーん』とか『へえ』と相槌を打ちつつ、興味深そうに話を聞いていた。

 それであらかた馳走を平らげたところで報告も終わりつつあり、隣でとんぬらの心情を察してそれまで口出しを控えてくれていたゆんゆんが代わりに口を開く。

 

「お父さん、手紙の事、きちんととんぬらにも説明して」

 

「ん? 近況報告の手紙のことかい」

 

「そうよ、『この手紙が届く頃には、きっと私はこの世にいないだろう』なんて最初に書いてあって、私達をすっごく心配させたんだから」

 

 娘からの憤りに心外そうに片目を閉じ、族長はお茶を飲んだ。とんぬらも喋って乾いた喉を潤そうとお茶を口に含んでいると、ゆんゆんがせっせと皮を剥いてから、ミカンを渡してくれた。そのくらい自分でもできるのだがやけに甲斐甲斐しくなっているな……と思いながらも、とんぬらは礼を言って受け取る。丁寧に白い筋ひとつも残っていない房をひとつ口に放り、甘酸っぱい果実を味わいつつ族長の言葉を待った。

 

「いやあ、手紙を書いている間に乗ってきてしまってな。紅魔族の血が、どうしても普通の手紙を書かせてくれなくてね。まあ、紅魔族の時候の挨拶だよ。学校でも習っただろ? ……ああ、ゆんゆんととんぬら君は、成績優秀で卒業が早かったからなぁ」

 

「……。魔王軍の軍事基地を破壊することもできない状況というのは……」

 

「ああ、あれか? 連中は、随分立派な基地を作ってなあ。破壊するか、このまま新しい観光名所として残すかどうかで、皆の意見が割れているんだよ」

 

「ねぇとんぬら、お父さんを一発ぶん殴ってもいいわよ」

 

「ゆんゆん!?」

 

 愕然とする族長、憮然とするゆんゆんをまあまあと宥めつつ、とんぬらは話を促す。

 

「それで、魔王軍の軍事施設が建設されたということは当然、幹部が来ているはずですよね」

 

「ああ、手紙の通り、魔法に強いのが派遣されているよ。確かシルビアと言ったかな? 巨大な改造モンスターを引き連れてやって来たが、里の者に、連れてきたモンスターを一瞬でズタズタにされて半泣きで逃げ帰っていったよ。マメに来る人だから、多分明日も来るんじゃないか?」

 

 天気の話でもするかのように、そんなことをサラッと言う。

 やはりというかなんというか、自分たちの故郷は心配するだけ無駄であった。何せ里を囲む防壁もないような集落であるというのに、里の中にモンスターが現れることはそうそうないのだ。モンスターも馬鹿ではなく、生存本能で里に近づくことを忌避している。それほど紅魔の里は修羅の巣窟である。

 無事なのは安堵したが、心配して損した気分になる。

 

「それでだ、私はまだ肝心なことを聞いていないんだがね」

 

 顎に手をやり、鼻元の鬚を撫でながら族長が言う。

 

「はい、何でしょうか、族長」

 

 緊張して身構える子供たちを見据え、

 

「もう済ませたのかい?」

 

「何をですか?」

 

「せっかく二人暮らしをしているんだ。ゆんゆんとは、もう済ませたのかい?」

 

 とんぬらの隣で、ゆんゆんが激しく噎せていた。お茶が気管に入ったらしい。とんぬらが手で背中を摩ると、ゆんゆんはそれに礼を言ってから、父に猛抗議。

 

「お、お父さん! いきなり何を破廉恥なこと言うの!」

 

「破廉恥ってなあ、ゆんゆん、子作りの事だぞ」

 

「不潔! 下品! 信じられない!」

 

「ふむ、この様子じゃまた致してないのか?」

 

「族長、俺は娘さんに一線を超えるような真似はしていません」

 

「おや、そうなのかい」

 

 とテーブルの下に手を伸ばす族長。どこかで見た流れだ。そして、案の定、族長は何やら用紙の束をテーブルの上に置いて、

 

 『救命行為と称して人前で憚らずディープな口づけをした』

 『一緒のお風呂に入り、命を助けたお礼に背中を洗う』

 『上級魔法を覚えた祝いに指輪をプレゼントする』

 『喧嘩もすることがあるがすぐに仲直り。サキュバスも裸足で逃げだすバカップル』

 『二人暮らしで生活し、今では寝室も共にしている』

 『山小屋で、一晩中抱き合って眠った』

 『『ラブラブ・メドローア』なる大悪魔お墨付きの合体魔法を使う』

 『ゆんゆんはとんぬらの苦いものに病みつき』

 

「……と、めぐみんからの報告では子供ができても驚きはしないくらいに親密なようじゃないか。さっきも風呂場でとても仲良く洗いっこをしていたと母さんから聞いたよ」

 

 ……承知はしていたけど、あの紅魔族随一の天才は本当に報告していたようだ。どんな内容を書いたのか気になるが否定はできない。何せ隣の相方が、声も出せないくらいに目と顔を真っ赤にフリーズしているのだから。

 

「そうですね……否定はしません。ですが、娘さんの身は清らかなままです。さっきのも事故です。15、成年になるまで俺は決して不埒な真似を働くつもりはないと誓わせてもらいます」

 

「そ、そう……」

 

 なんでそこであからさまにがっかりした顔をするんだゆんゆん。

 さっきから態度に出過ぎだろう。彼女と一緒に交渉の場に赴くのはよろしくないのかもしれない。

 

「……ふむ、それはつまり、成年と認められれば手を出すという風に聞こえるね」

 

「そう捉えてもらっても結構です。俺は、娘さんと……いえ、ゆんゆんと付き合っています」

 

「付き合う……? つまりそれは……男女の関係だと?」

 

「はい、できることなら、ゆんゆんとこれから先も、一緒にいたい……そう思っています」

 

「ゆんゆんは、いずれ里の長となるものだ。……その意味はわかっているのか?」

 

「百も承知。――娘さんを、ください」

 

 居住まいを正して、頭を下げる。

 本当にこの場面で出せる言葉はこの定型句しかない。

 紅魔族の流儀だとか気障な言い回しだとかそんな装飾が思いつかない、我ながらシンプルだが所信表明にはこれ以上ない文句。

 

「私も……お願いします。とんぬらと一緒に……なりたいです」

 

「私が許すと思っているのか?」

 

「う……それでも、とんぬらです。彼以外のパートナー……伴侶は、考えられません」

 

 キッとゆんゆんが族長を睨みつける。

 

「ゆんゆん……?」

 

 族長が目を丸くする。それだけゆんゆんの言葉は意外なものだったのだろう。

 

「とんぬらは、私の事をわかって……私と一緒になってくれることを約束してくれました。いえ……誓ってくれました」

 

「誓って……?」

 

 訝しげな顔をする族長に、ゆんゆんが常に大事に持ち歩いている誕生日にプレゼントした『シルクのヴェール』を見せる。

 真っ赤になって恥ずかしがりながらもその宝物を突き付ける彼女。

 可愛いな……とこんな時でもちょっぴりのろける自分が少し笑えてくる。

 

「くくっ、いい年でままごととは笑わせてくれる」

 

「ままごとのつもりで渡したつもりはありません、本気です」

 

「なるほど、度胸はあるようだ」

 

 面白そうに口角を上げる族長。

 断固反対というわけではなく、紅魔族的にこの一世一代のシチュエーションに興が乗ってきたよう。そして、族長は如何にもそれっぽく厳かな表情を作ってから、

 

「ゆんゆんの……次期族長の相手として相応しいかどうか、私に見せてもらおう」

 

「それはこちらからも、望むところです。俺も……あなた方にも認めてもらいたいですから」

 

 真っ直ぐに族長を見れば、向こうは見つめ返してくる。

 挑発的な瞳に返すのは己の意思。

 火花が散った……というわけでもないだろうが。

 

「……ふふ、いっぱしの口を言ってくれる。そうでなくては困る。よろしい。では、とんぬら君には『試練』を受けてもらうか!」

 

 『試練』

 何やら仰々しい物言いだが、紅魔族的にはカッコいい響きで一度は言ってみたいセリフに入る。して、それを乗り越えれば認めてもらえるというのであれば、道は明確に見えてくる。

 

「わかりました、受けて立ちます」

 

 しっかりと頷き、もう一度頭を下げたのだった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 翌朝。

 怪我人ということもあって、族長宅に泊めてもらったその朝食の席で、族長が箱を出してきた。

 

『じゃあ、この箱の中から四枚くじを引いてくれ。それが四天王だ』

 

 試練は、シンプルに里全員の肩書き持ち(タイトルホルダー)の中からくじ引きで選ばれた紅魔族四天王に、力を示すというものだ。

 ……事前に準備が必要なので、最初から族長がその気だったのが伺える。こんな戦時中であっても欠かせない紅魔族の流儀、族長ノリノリである。

 それで抽選の結果、白羽の矢が立った紅魔族四天王たちの肩書きというのが……

 

「『紅魔族随一の発明家』、『紅魔族随一の文豪』、『紅魔族随一の美人』、そして、『紅魔族随一の天才』、か……」

 

 紅魔族の名乗り上げは当人たちの自由意思に任され、ある程度なら誇張が入っても構わない。とにかく個性的で、それが誰なのかわかればいい。

 それで先日の自爆(メガンテ)で、ボロボロになった『白波の装』を紅魔族随一の服屋にしてファッションリーダーのちぇけらに仕立ての直しをお願いして預けてから、とんぬらたちは、ぽんこつ兵エリーを連れて、里の外れへと向かう。

 里に居ない者はしょうがないが、すでに四天王役の要請通達が送られてきているものもいるだろう。そして、偶然なことにそのひとりと思しき紅魔族に、別件でこちらも用があったりする。

 

 こぢんまりとした木造の平屋。

 失礼であるが紅魔族随一の貧乏という肩書の方が似合いそうなこの家は、以前にも訪れたことがある。

 気を重そうにするゆんゆんを横目に、とんぬらが玄関のドアを軽くノックする。

 やがて、家の中からドタドタと駆けてくる音が聴こえてきた。

 玄関のドアがそっと開けられ……中から、めぐみんをスケールダウンさせたような年下の女の子が顔を出した。

 

「久しぶりだな、こめっこ。元気にしていたか?」

 

 屈んで目の高さを合わせるとんぬら。

 すると、人形のようなとの表情がしっくりくるその少女は、驚いたように目を見開いていき、

 

「おとうさーん! この前、姉ちゃんの手紙で注意するようにってあったオレオレ何とかの人が来たー!」

 

「相変わらずのようで何よりだ! ちょっと神主のお兄ちゃんと話をしようか!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「よし、できた。再会の印としてこれをやろう。作品名は我が好敵手であった、上位悪魔ホースト風船だ」

 

「おおー! すごい!! ホーストにそっくりだね、神主の兄ちゃん!!」

 

「へっ! 芸とは客を飽きさせぬよう常に新境地を目指すものだぜ」

 

 鼻の下に指を置き、照れ笑う悪魔のポーズ。そんな彼を呆れ苦笑するゆんゆん。

 

「なんかもうとんぬら芸人としてもやっていけそうよね」

 

 新商品のひとつ、タールプラントとスライムの消化液で出来上がったビニールゴムの風船。それを膨らませたり捻じ曲げたりして器用に形作って、巨大な悪魔のバルーンアートを完成させる。

 新ネタで魔性の妹を喜ばせていると……。

 

「お待たせして済まない。作業に手が離せなくてね」

 

「いえ、こちらこそ急な訪問を迎えてくださってありがとうございます」

 

 奥の工房より居間へ現れた中年男性。一見すると、黒髪の普通のおじさんが、この家の主ひょいざぶろー。学生帽にマント、カズマが見れば、数世代昔の番長をしていそうなバンカラなファッションをした自称紅魔族随一の発明家は、頬が痩せこけているも鋭い目つきには力が篭っており、静かな威圧感を秘めている。

 待っている間に遊び相手をしていたこめっこにホースト風船を渡すと居住まい正して正座し、道具袋に入れていた土産を取り出した。

 それは『天使のチーズ』という、チーズ作り(錬金術)スキルの腕を上げたとんぬらが手掛けた『癒しのチーズ』をより味と効能を高めた一品。控えめな甘さで上品なデザートとしてもいただける。ややお値段は高いもプレミアムな商品として早速人気が出ている。『アクセル』の話題の菓子ランキングでも見事に一位を取った。今度、王族への献上品として送られるだとか。

 

「どうぞこれを。つまらない物ですが……」

 

 と、とんぬらが促し、ゆんゆんが差し出したホールのチーズケーキの箱を、ひょいざぶろーは目を大きくして受け取る。思った以上の好反応で、

 

「おお、これは美味しそうだ。今夜の酒のつまみにしてもらおう」

 

 いやそれは甘菓子で、つまみには向いていないと思うのだが。

 ツッコミを入れたいがその辺りは受け取ったものの自由であるし、口出しは控えていたとんぬらとゆんゆんだったが、そこでこめっこが嬉々とした声を上げる。

 

「食べ物!? ねえそれ、固い食べ物!? いつも食べてる、薄めたシャバシャバのおかゆとかじゃなくて、ちゃんとお腹に溜まる物!?」

 

 とんぬらが促すまでもなく、ゆんゆんが道具袋に入れてあった保存食類の全てを出し、それを無言で広げると、

 

「凄く、つまらない物ですが……」

 

 これからの交渉がとてもやり辛くなったとんぬらであった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 『対魔王軍遊撃部隊(レッドアイ・デッドスレイヤー)』。

 それは魔王軍に対抗して紅魔の里で有志を募り、結成された自警団。その実態は職につかないニートな若者たちが暇を持て余して作った組織だが、今は里に攻め入ってくる魔王軍を蹴散らして、ちゃんとした活動をしている。

 そして、この自警団を作った隊長であるぶっころりーには、ひとつ個人的な日課があった……

 

(やっと里に帰ってきた。修行好きなのはわかってるけど、魔王軍が侵攻してきたことも知らないで修行に明け暮れてたなんてもう心配したんだよ。でも、ひとつのことに夢中になっちゃうそけっとはすごく可愛いよね本当。奔放なところも素敵だし、自由過ぎるってところもさ、ほら俺なんかも自由を謳歌するニートだからね、その辺の相性もばっちりだと思うよね。だから、俺が護ってあげないとね。しっかりと。遠慮はいらないよ僕とそけっととの仲だからね。四六時中見守るくらいどうってことないよ。全然苦にならないさ。うん、少しの異常も見逃したりしないよ。修行帰りだからかちょっと日焼けしてるのも健康的で、あれ? 右の耳だけピアスを付けてるけどどうしたんだろ? ……もしかしてこれは誰かに左の耳にピアスを付けてもらってペアルックを望んでいるのかな! 左の耳だけにピアスを付けるのが運命の人とか! よし、早速――)

 

 ……かつて、一度バレたために以前よりも距離を取るようになったがそれでも止めてない。

 おそらく里の誰よりも熟達しているであろう光の屈折魔法で身を隠し、気配を悟られぬよう息を殺す。もうこのスニーキングミッションには慣れたもので今では『潜伏』スキルもないのに同等の気配遮断を発揮するようになった。そんなひっそりと家の中まで紅魔族随一の美人を見守るぶっころりーの監視警護(ストーカー)は、血走った目で対象の体の隅々までチェックを……

 

(いつも魅力的なそけっとだけど、風呂上りは最高だよね! 髪とか肌が濡れててすごくグッとくるんだよね、ほら今日はいつもと感じが違うけど、あの綺麗な黒髪が日焼けしたほっぺたとかうなじに張り付いているのは、もう反則だよね、反則だよそけっとは、俺がムラムラ来るのもしょうがないよね、責任とってほしいよね本当に。しかも今日はいつもよりも露出が多めっていうか、顔だけでなく服も密着していて体のラインもすごく出てるし、下半身までスタイルが浮き出てるからもっこりと……………………)

 

 パチパチと瞬きして、目元を良く揉むぶっころりー。

 きっと里を襲ってくる魔王軍を撃退してたからいつもよりも疲れているのだろう。そうに違いない。

 

(う、うん。そうだ、きっと、修行したからね。そけっとも成長したんだ。すごいよねそけっと。これまで見落としていたのが不思議なくらい……そう、あんなすごく存在を誇示する……俺のよりも畏怖も迫力も決定的に違う大きな一物があったなんて……………………)

 

 ぶっころりーは顎が外れたかのように口を開いたまま固まった。

 そして抑えきれない動揺を気取ったのか監視対象がこちらを見る。真っ向に相対するように体が向けられる。そう、混乱に陥り、目玉が今にもぐるんと裏返りそうだった視界に、その全容が映り、

 

「   」

 

 ぶっころりーの脳が止まった。

 自警団の隊長だったニートは、引き籠りのニートになった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「今、視線を感じたんだけど……気のせいだったかしら?」

 

 首を傾げつつも、里へ潜入する前に部下より渡された一通の魔王城からの伝達情報を読む。

 

「『仮面の紅魔族』、か……あのハンスが死に際に残した警告なら注意しないといけないわよね」

 

 魔王軍を目の敵にする紅魔族を滅ぼすために派遣された。

 だが、直接ぶつかり合うのは不利。想定以上に強いのだ。だから、こうしてひとりの紅魔族に変装して忍び入り、この里の中にあるという兵器、そして、魔獣を探すことにした。部下たちは単独で行くには危険だと反対されたがもうこれしかない。

 

「この機会、必ずものにしてみせるわ!」


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