この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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56話

「とんぬら、夕飯の用意ができたわ。今日は炊き込みご飯よ!」

 

 もうそんな時間か……しかし。

 とんぬらは手元に目をやる。

 大鍋の錬金釜で、作成しているのは、チーズ。カズマたちの屋敷から帰宅してとんぬらは、魔道具店で売る特製のチーズ作りに入っていた。明日の午後を空ける予定だからいっそう気合を入れて、チーズ工場となっている。

 この職人芸とまで鍛えられた魔力操作をできるのはとんぬらだけだ。そして、繊細な魔力操作をこなすには錬金釜から手を放すことはできない。

 

「すまない。今手が離せないんだ。……ゆんゆんは先に」

 

「わかったわ」

 

 食べていてくれ、ととんぬらが言おうとする前に、お盆を持ったゆんゆんが工房に入る。

 それから作業に没頭しているとんぬらの隣に、ズイッと身を寄せてつくとお椀を手に取り、箸を持つ。

 ニコニコとすぐ横で、お箸でご飯を取るゆんゆんの様子に、戸惑うとんぬら。

 手元の作業は続行したまま、顔をそちらに向ける。

 

「……ゆんゆん?」

 

「とんぬらは手を放せないんでしょ? だから、私が手の代わりをやってあげるわよ」

 

 ズズイ、と任せて頂戴と言わんばかりにやる気十分な相方にこれは断るのもできないなと悟るとんぬら。ここは大人しく口を開けて、餌付けされることにする。

 

(紅魔の里から帰ってから本当に積極的になったというか、吹っ切れているようなゆんゆん……)

 

 パク……といただく。

 学校時代はめぐみんに平日はほぼ毎日昼食を作ってきただけあって、料理はうまいゆんゆん。

 

「どうかな?」

 

「……ああ、おいしいよすごく」

 

 やや照れつつも返答すれば、ゆんゆんは嬉しそうにはにかむ。

 それから続けて、

 

「おかずはカエルの照り焼き。ウィズさんのオススメの定食屋のを頑張って真似てみたんだけど、どう?」

 

「うん。普通は淡白であっさりしているカエル肉が、とてもジューシーな仕上がりになってるな。これはご飯も進むな」

 

「ふふっ。ちゃんとお野菜も食べないとダメだからね。はい、キャベツのお漬物。うまく出来上がってると思うんだけど……」

 

「ああ、うまいぞ。ちゃんと漬けこまれている。流石だな、ゆんゆん」

 

「そう! それじゃあ、次はあさりのミソスープを」

 

 ――汁物!?

 流石に箸で摘まみ取れないものは無理があるだろう。どうするつもりだ?

 

「……ゆんゆん、その俺は生憎と猫舌でな」

 

 ミソスープは後で頂くよ、と言うよりも早く、またゆんゆんが自信満々に目を輝かせて、

 

「ちゃんととんぬらが熱いのが苦手なのは知ってるわよ。だから、私が一旦口に含んで」

 

 ……ん?

 

「適温になったところを召し上がってもらうの。どう? 名案でしょ」

 

 んんん?

 今、重大な過程が飛んでいなかったか?

 

「ゆ、ゆんゆん? それは、つまり」

「大丈夫よとんぬら。私は猫舌じゃないから任せてちょうだい」

 

 スルーされた。

 

「ふー、ふー……ズズ……あと、ちょっと冷ましてから」

 

「おい待て。ゆんゆん、そのやり方はちょっと、というかかなりおかしい」

 

「大丈夫、私頑張るから! とんぬらのために!」

 

「いいから話を聞けゆんゆんッ!」

 

 テンションが上がっているせいなのかもしれないが、ゆんゆんは自分が何を言っているのか理解していないのだろうか。

 

「え、っと、何がおかしいの?」

 

「つまりだな。そんなことをしたら……口移しになるぞ?」

 

「え……? あ……――」

 

 気づき、かぁっと顔が赤くなるゆんゆん。

 

「ごめんなさい! 変なこと言って、私なんか浮かれてみたいで……」

 

「いや、落ち着いてくれたようで何よりだ」

 

「うぅ……そうよね、本当に何をしようとしてたのかしら私。口移しなんて……き、気持ち悪いわよね!」

 

 なんだか自嘲して沈みかけているので、とんぬらはやれやれと苦笑し、

 

「まさか。むしろ、是非お願いしたいところだよ」

 

 なんて、冗談を口に――

 

「え?」

 

 したのは、まずかった。

 満更でもない調子で、ゆんゆんはもじもじとし始めて、

 

「あの……とんぬら、その――……それはどういうことなの……」

 

 これはすぐに方向修正を入れねばマズいと判断。

 

「あー……これは、だな。一般論だ。ゆんゆんのような可愛いこの口移しを喜ばない男はないという意味で言ったのであってな。実際にやってほしいわけじゃ」

 

「可愛い……の? 私が……」

 

 俯きながら恥ずかしげに、小さな声で自信なさげに呟く。

 え? まさか、ゆんゆんは自覚がないのか……? これほどにチョロい娘だったとは……段々と心配になってきたとんぬらは自信を付けさせるように言う。

 

「ああ、ゆんゆんは可愛いぞ。俺が言うんだから間違いない」

 

「ふぁ………」

 

 シュウゥウゥ……と顔を手で覆い隠すゆんゆんの頭から煙のようなものが噴いている。

 どんどん状況が悪化している気がするのは、果たして思い過ぎなのだろうか?

 

「とんぬらは……どうなの?」

 

「え?」

 

 クルクルと指先に巻いて髪の毛を弄りながら訊いてくるゆんゆんに、何だかこれはマズい気がするととんぬら。

 

「その……一般論じゃなくて、とんぬらは、どうなの?」

 

「そ、そう……だな」

 

 そんなことは婚約までしたパートナーにいちいち聞かないでほしい、と言いたいところだが、一呼吸、嘆息してから、

 

「嬉しくない……と言えば、まあ、ウソになるだろうな」

 

「!?」

 

「だが、俺達はまだ14、未成年だから、お互い清く」

 

 言いながら、一旦作業の手を止めて振り向くと、

 

「………」

 

 あ、なんか覚悟を決めちゃってる感のある赤ら顔でミソスープの椀を持ってる。

 

「いずれ紅魔族の長となり、とんぬらの婚約者なる者ゆんゆん! 口移しをさせてもらうわ!」

 

「はあッ!?」

 

 名乗り上げて、宣言するゆんゆんにとんぬらは慌てて制止をかける。

 

「ちょ、ちょっと待ってほしい。確かに嬉しいとは言った。けどな」

 

「私……とんぬらに、可愛いとか、言われたの初めてだから、その……すごく嬉しくて」

 

 火が点いて、一気に燃え上がっちゃってるご様子。

 あー……そういえば、そういうセリフは本人を前に口にしたことはなかったな。うん神主的に、告白も『パルプンテ』に変換されてしまう仕様だし、大概が遠回しになってしまうというか。

 

「とんぬら……最近は忙しくてお疲れのようだし……それに……それに、えっと……」

 

「ゆんゆん、無理はするな。ゆんゆんが無理をすることは俺も望んじゃいないからな」

 

「無理なんてしてないわ。とんぬらのためなら、無理な事なんて私にはないもの」

 

 あ、これダメっぽい。

 

「とにかく、とんぬらに喜んでほしいの! だから!」

 

 グイッとお椀を煽って、一気飲み。

 ぷくぷくと頬をリスのように膨らませて、こちらを真っ赤に光る目で真っ直ぐ見つめる。

 まずい。

 なんか俺追い詰められてるぞ!?

 

 ここにマネージャーがいないで良かった。いや、とっくにこんな展開はお隣からお見通しか。

 ――そうじゃない。そんなことはどうでもいい。対岸の火事を高笑いしてご馳走にする悪魔の事よりもすぐ目前に迫るピンチ?である。

 

(おいプオーン! お目付け役なプチ魔獣! どうして来ないんだ!? まさか、マネージャーに捕まってるのか!?)

 

「んん~~~っ!」

 

 あれこれと考えて行動の遅れたとんぬらを捕まえるゆんゆん。

 もはや距離感やら一線やらを無視した彼女に、グイッと強引に姿勢を押し倒される。

 今や高レベルの冒険者となって、魔法使いながら力の強い彼女だが、それでもそれ以上のレベルで前衛職並みに力の強いとんぬらを抑え込んで見せるとは、乙女的な火事場の馬鹿力でも働いているのだろうか。

 

(いや、普通はこういうの男女逆なんじゃないかと思うんだが!?)

 

 迫る焔色の接吻。

 とんぬらの思考も絶賛混乱中であったが、とにかく彼女がアクセル踏みっぱなしのようだから、こちらは精一杯ブレーキを頑張ろう。

 

「落ち着こうゆんゆん! その気持ちは嬉しい。すごく嬉しいんだが、そういうのは大人になるまで大事に取っておかないか?」

 

「んん! んっんんんぅーーっ!」

 

「ああもう、ファーストキスは済ませてるもんな。わかってる。今更あれはノーカンだと俺も言わん。だが、そんなミソスープを呑ませるついでみたいにするのはどうかと思わないか?」

 

「ん?」

 

「おい、目的と趣旨を忘れてなかったか! というか、もう作業中断してるから自分でミソスープは飲めるよな」

 

「んんんん! んんんんんんっ! んぅんっ!!」

 

「今更もう後に引けないって、あのな。とりあえず、今口の中に含んでいるのは飲んでから、ちゃんと話し合」

「んんんんーーーっ!!」

「へ」

 

 アツアツのスープを口一杯に、それにグルグル目になるほどの緊張で鼻呼吸も止めてしまっていた少女は、目も顔も真っ赤な頭からオーバーヒートでショートしたかのように蒸気を噴いていて――これ以上は我慢の現界であった。

 

 ………

 ………

 ………

 

「……俺も悪かった。食事時なんだから、ゆんゆんに甘えず自分でちゃんと食事をとるべきだった」

 

「うぅ、ごめんなさい。私とんぬらの顔に吐い」

「だから、気にするな。俺もゆんゆんの状態をちゃんと把握してなかったのが悪い」

 

「でも、私、こんな」

「ったく、うるさい口だな。こうやって塞いでやらないとダメなのか?」

「ふぇ――」

 

 と、味噌汁で顔を洗って冷静になったとんぬらと、躾けた結果聞き分けが良くなったゆんゆんはこの後、普通に(気恥ずかしくて黙々と)食事をとることになる。

 そして、これ以降、しばらくミソスープは控えるようになった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ……そんな昨日の、『アクセル』でのことを思い出して、とんぬらは思う。

 

(やっぱり、人生って『パルプンテ』だ)

 

 王城での生活。

 その一日目は、この城と王族について知ることに費やした。ようはここで暮らしていく上で必要なことを覚えるための研修である。

 

『話は聞いております。短い期間ですが、よろしくお願いしますとんぬら殿』

 

 案内をしてくれたのは、執事服にきっちりと身を包んだ白髪白鬚のステレオタイプな老執事ハイデル。

 宮廷道化師などという例を見ない新たな役職に召し抱えられたとんぬらは、騎士団として扱うべきか、魔法使いとして扱うべきか、はたまた客人として丁重にもてなすべきかと悩まされたものであったが、結局は、お世話係の使用人たちと同じ役職としてみられることになった。

 とんぬらとしてもこの辺りが臨時の身としてはちょうどいい塩梅ではないかと思う。

 それから、城の構造やここでの決まり事(ルール)を把握しつつ、警備や侍女等のお城の者たちと顔合わせの挨拶をして、その度に事情を話せば、『どうかアイリス様の事をよろしくお願いします』と皆、口を揃えて頭を下げてきた。

 王城のこと以外に、第一王女が慕われていることが知れた。そして、籠の鳥であることが不憫だと思われているのも。

 その無聊を慰めるために雇われたのが、宮廷道化師とんぬらである。

 

(……しかし、こうなったのは明らかにあの時、黒星を付けてしまったからだよな)

 

 『次会った時はその仮面を剥いでみせます!』などと言われた第一王女からの『勝ち逃げは許さない』である。

 これは単純に、芸を魅せて楽しませるだけとはいかないだろう。

 そして、怪盗カンダタキッドのことがバレている。これは、まずい。証拠がない単なる憶測(カン)で、いくらでも言い逃れできるにしても、彼女は王族。『彼が、怪盗です』と言えば、御用となる。逃げられても指名手配される。

 だから、こうして王城に連れてこられてしまった現状は、相当大ピンチなはずなのだが、不思議ととんぬらは焦っていなかった。それを言うのも確認を取っていないので勘となるのだが、あの第一王女はどうにも自分の正体をバラす気はなさそうなのだ。それはこうして王城に転移されたが、目を離して王城内限定に自由が与えられていることから察する。

 おそらくは、怪盗なんて英雄と同じ面白そうな人材を手元に置いておきたいという考えかと推測。また、苦い黒星を付けてくれた相手にリベンジするチャンスを得るためか……

 兎にも角にも、あの第一王女を満足させなければならないのだ。

 

「では、こちらが今日からのとんぬら殿のお部屋となります」

 

「どうもありがとうございます、ハイデル殿」

 

 最後に辿り着いたのは、一人部屋だが、使用人の部屋。まあ、妥当なところだろう。

 部屋に入り、中の様子を窺っていると、老執事のハイデルが一拍ほどの噛み締めるだけの為を入れてから口を開いた。

 

「……我々使用人の手すら煩わせぬよう気を遣っていたアイリス様が臨時とはいえ自ら雇いなさったのは、とんぬら殿が初めてです」

 

「そうですか」

 

「この城には、アイリス様と身分が釣り合い、しかも年が近い遊び相手がおりません。国王陛下も第一王子ジャティス様も今は魔王軍との最前線となる街へ遠征に行っております」

 

「ええ、それは案内されていたので察しております」

 

「とんぬら殿がここへ無理やりに連れて来られたことはレイン様から話を聞いております。ですがそのことを承知して、私からもどうか頼みます。アイリス様のささやかな願いを叶えてくれませんか?」

 

 ……うん、まあ、自分を雇ったのは、契約で縛って逃げられないようにする意図もあったのだろうが。

 元より受けた以上は、その仕事に全力を尽くす所存である。

 

「我が名はとんぬら。願いを叶えるよう尽力を尽くす神主であり、アイリス様の臨時専属の

宮廷道化師なる者。翼を広げることも遠慮する籠の鳥に、羽ばたき方を教えてみせましょう」

 

 

 で、その翌日。

 駆け出し冒険者の街から帰還した王女御一行は、また新たな戦利品をひとり捕まえてきていた。

 

「「「お帰りなさいませアイリス様!」」」

 

 『ベルゼルグ』国の首都の中心にある城の大広間。

 到着を待ち構えていた大勢の侍女に混じって、とんぬらが雇い主の顔を拝みに行くと、そこにどういうわけか見知った顔がある。そして、きっとあれは一日前のとんぬらの顔だろう。

 

「兄ちゃん……?」

 

 唐突に拉致られ、未だにパニックに陥っているサトウカズマがそこにいた。

 白スーツのクレアは二言三言、老執事ハイデルと交わすと報告しに第一王女アイリスのお側を離れる。

 そして、残った黒ドレスのレインを通訳としてアイリスから王城招待の挨拶を受けていたカズマは、とんぬらを見つけて、ハッと手を上げる。

 

「おーい! とんぬら! どうしてお前がここに……って、もしかして俺と同じで誘拐されたのかー?」

 

「違います。サトウカズマ様は客人としてお招きしたのです。……とんぬら殿はその宮廷道化師として雇用しております。なので誘拐ではありません」

 

「でしたら、もう少し準備できる余裕くらい欲しかったんですがね。着の身着のまま送られたこちらの身になってもらいたいです」

 

 皮肉気に会話に混じれば、『テレポート』の実行犯であり常識人なレインは申し訳なさそうに眉尻を下げる。すると、王女様はレインにボソボソと耳打ちしようとし――とんぬらがそれを制するよう手のひらを向ける。

 

「王女よ、ご自分の言葉で話されたらどうだ? 下々の民と話すのであれば側近の仲介するのは必要な様式美であろうが、(わたくし)めは今この一時はあなたの宮廷道化師である。その配下に対し、一々胡乱な手間を取る必要はないと思われるが如何に?」

 

「とんぬら殿……!?」

 

 王女の行為を諫める発言にレインは息を呑み、それは客人のカズマもギョッととんぬらを見る。

 ここにクレアがいれば立場を弁えないかと剣を抜いたかもしれない。

 

「私は、そちらのレイン殿に雇われてはおらぬので、彼女の口から出た言葉には従いはしませんよ」

 

「………」

 

 けれど、アイリスはこの初めての意見にその碧眼を瞬きさせてから、こくんと頷き、小さな口を開いた。

 

「あなたをレインに『テレポート』で送らせたのは、あの場を去れば何かと理由を付けて私から逃げるのではないかと思ったからです」

 

 良い勘をしている。

 

「それに何より、私から白星を奪ったあなたを勝ち逃げさせることは許せません」

 

「然様でしたか。私めはそのような不遜な行いをするつもりも、したつもりもございませぬが。それで宮廷道化師とは何をなさればいいのかな? 残念なことに芸事に使う小道具を皆置いてきてしまっているので簡単なものしかできませんが、歓迎の『花鳥風月』を披露いたしましょうか?」

 

「いいえ、芸事はいいです。とりあえず、一緒についてきなさい」

 

「御意に」

 

「それと、言葉遣いも自然なもので構いません。ただし、私に一切の遠慮をすることを禁じします」

 

「それは、姫さんに俺は何を言っても構わないということですか?」

 

「私は気にしませんが、あまり匙加減を間違えるとクレアが怒りますよ」

 

「了解いたしました。護衛隊長殿に斬られない程度に気を付けましょう」

 

 テンポよく会話が進み、それをぽかんと見る二人。

 なので、とんぬらから、

 

「それで、兄ちゃんは何でここにいるんだ? ダクネスさんから今日は姫さんとの会食があるとは聞いていたんだが」

 

「あ、ああ。正直に言って俺も何が何だか。冒険話なんて今日話したので大体終わってるし。俺にはもう、王女様の気に入る冒険話はほとんどないぞ」

 

 だから、帰していただけませんかね、とカズマ。

 けれど、この客人(拉致)へ通訳を介した王女様の返答は……

 

「『あなたを連れてきてしまったのは、私を叩いたララティーナへの、軽い仕返しを兼ねてのイタズラと……それと、あなた方とララティーナの様子がとても楽しそうで羨ましかったもので……。突然、こんなワガママを言ってごめんなさい。少しだけ。ほんの数日で良いので、私とも遊んでもらえませんか?』とのことです」

 

 ……ちょっと可愛いじゃないか、とカズマの口から洩れるボヤキをとんぬらの耳は拾う。

 つまり、兄ちゃんも自分の境遇と似ていて、王女の遊び相手として連れて来られたのか。

 にしては、待遇が違いませんかね、と言いたくなるもそこは呑み込んでおいた。

 

「わかりました。では、ダクネス……。ララティーナの話でもしましょうか。レインさん、仲間が心配するんで、しばらくこちらに泊まるってことを説明してほしいんですが」

 

 カズマが遊び相手役を了承して、レインは畏まりましたと言い残して部屋を立ち去ろうとする、その時だった。

 王女様も、宮廷魔導士に宮廷道化師も、カズマを除くその場にいた三人が、動きを止める。

 ……?

 カズマが不思議に思っていると、唐突に夜の静寂にけたたましい鐘の音が鳴り響いた。

 その鐘の音に、初めての出来事であるもとんぬらは事態を察する。

 

 

『魔王軍襲撃警報、魔王軍襲撃警報! 騎士団はすぐさま出撃。冒険者の皆様は、街の治安維持のため、街の中へのモンスター侵入を警戒してください。高レベルの冒険者の皆様は、ご協力をお願いします』

 

 

 緊急クエストを報せる時のようなアナウンスと同じように夜の街に大きな声が響き渡る。

 それにレインは険しい顔をして、アイリスは少しだけ寂しげに儚く笑う。カズマも悟る。

 ああ、そういやこの世界は、魔王とやらのせいで色々とヤバいんだったなあ……

 

「……ごめんなさい」

 

 沈んだ声が耳朶を打つ。誰かと思えば、それはアイリスの声。

 

「勝手に連れて来てしまって……。魔王軍との最前線ではないとはいえ、ここもたまに襲撃がある、危険がないとは言えない場所ですから……。今すぐには無理ですが、日が昇ったら、レインに街まで送らせます」

 

 小さな拳をキュッと握り締め、俯いたまま呟く。

 ささやかな願いも我慢しなければならない少女がそこにいた。

 

 

「いったい何を考え直す必要があるのか姫さん。ここに第一王女の宮廷道化師にして、魔王軍も恐れる紅魔族随一の異才がいるんだぞ」

 

 

 とんぬらの言葉にハッと顔を上げたアイリスは、

 ちょっとだけ期待に満ちた目をとんぬらに向けた。

 

「幹部がいないんじゃ、兄ちゃんが出るまでもない。ゆっくりと茶でも飲みながら話の続きを聞かせてもらうと良い」

 

「おう、王女様の相手は任してくれよ」

 

 持ち上げていえば、カズマも力強く頷く。

 正直、結構小心者だから帰りたくなってきているのが本音であるも、この正統派美少女の無邪気な笑顔を守るくらいはやってやろうではないか。

 

「では、夜間に約束(アポ)なしでやってくる騒々しい無礼者には、我が一芸を披露して来よう」

 

 

 そうして、アイリスに背を向けて、レインと共に戦場へと駆けだしたとんぬらに、騎士団の近衛兵を率いるクレアが合流。

 

「レイン! それに……」

 

「どうもクレア殿。この度の防衛線、宮廷道化師も参加させてもらいますよ」

 

 余裕綽々とした態度を見せるとんぬらに、並走するクレアは鬱陶しそうに眉根を寄せ、

 

「悪いが、芸人に出る幕などない。王都の防衛線は危険だ。上級職か、レベル30以上の冒険者でないものに参加は認められない。街の警備でもしていると良い……」

 

「ならば、問題はないでしょう。実は(わたくし)、種も仕掛けもあるマジックが得意ですが、種も仕掛けもない魔法も大得意でして。この通り」

 

 とんぬらは指に挟んだ自身の冒険者カードをクレアとレインの前に見せる。

 偽造不可のステータス表記を二人は見て、はああああっ!? と瞠目した。

 

「魔法使い職の上級職である『アークウィザード』で、レベルも40を超え……40の後半をいっているだと!? この若さで一体どれだけの強敵と渡り合ってきたのだ!」

「他の数値もおかしいですよ! 知力と魔力が私よりも上で……他の筋力、敏捷性、生命力、器用値も凄い値……運だけは平均以下ですけど、紅魔族ってここまで……!」

 

 理解してもらえたようなので、とんぬらは冒険者カードを仕舞う。

 

「き、貴様、いや、あなたは、芸人…じゃなくて、『アクセル』を拠点としている冒険者ではない、のですか?」

 

 駆け出し冒険者の街『アクセル』にいる冒険者は、レベル20も超えれば、街を出てもっと実入りの良いモンスターが生息する地域へ拠点を移す、というのが冒険者ギルドを含め世間的な見解だろう。

 

「『アクセル』には、わりとレベル30以上の冒険者がいますよ。中には40を超えているものもいる」

 

 侮ることなかれ。

 これはとんぬらとしてもそれは不思議な事だが、初心者用で経験値の低い、高レベル冒険者にとってレベル上げ効率の悪い、駆け出し冒険者の街には、この王都にも劣らない実力者が居ついている。

 その彼らは皆、この街が好きだからいるそうなのだが……実際のところはある店の常連さんだったりする。

 

「これほどの人材が、駆け出し冒険者の街に埋もれていたなんて……」

 

「それで、防衛戦には出ず、街で大人しくしておいたほうがよろしいか?」

 

「い、いえ! 是非とも参加していただきたい!」

 

 と大貴族からのお墨付きをいただいたので、ここは存分に力を振るわせてもらおう。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「クレア様、その者は……?」

「構わない。彼は凄まじい力を秘めている腕利きの冒険者だ」

 

 通常、集団訓練を受けていない冒険者は、騎士団とは別行動を取らされる。

 けれど、とんぬらは王国軍のクレアらが率いる部隊に組み込まれていた。おそらくは、その実力の一端を間近で拝みたいのだろう。

 

(ご期待に沿えるとしよう)

 

 今後のためにも、城内での発言力を高めるには、実力を認めさせるのが一番だろう。

 そして、王都前の戦場に出ると、闇夜の向こうから浮かび上がる影。一つではない。二つ、四つと倍々に数を増やしながら隊を組んでいく歪な人影。月明かりが差し込み、それらの色と圧が露わとなる。

 

「ククククク! 魔王軍に逆らう愚かな人間どもよ。今宵が貴様らの滅びの日だと知るがいい!」

 

 何千と群れを成し、王都を攻め入るのは、中位のアンデッドモンスターであるグール。

 そして、それを率いるのが、

 

「この最強のアンデッドにして至高の存在であるヴァンパイア・ヴォルフガンクローによってな!」

 

 ヴァンパイア。

 

 それは人の生き血を啜り、魅了の魔眼を持つ夜の貴族。

 デュラハンと同じくアンデッドとなり、生前を凌駕する肉体と特殊能力を手に入れたモンスターだ。

 リッチーのように強い魔法抵抗力を持っており、生半可な魔法は通用せず、また強い生命力を持っている。

 

 これは、思った以上の大物が出てきたか……

 

「たった一度の降伏勧告だ。下賤な人間たちよ、素直に血を吸われるのであれば、ヴァンパイアにしていずれ新たな魔王軍幹部となる私の配下にしてやろう。もっとも清い身体でなければ、グールと化すがな!」

 

 数多のグールが組んだ櫓の上に王座に腰を下ろし、揃った騎士団の防衛線戦を睥睨している貴族服にマントを羽織った男。

 金髪に赤い瞳……もしもここにめぐみんがいれば、『紅魔族と目の色が被っていて気に食わない』なんて喧嘩を売るようなことを言うだろう。

 そんなヴァンパイアが、開戦前の口上を高らかに謳う。

 

「クレア殿、レイン殿、俺が前に出ます。騎士団の方をいったん下がらせてもらえませんか?」

 

「それは危険です、とんぬら殿! 相手は、ヴァンパイア。リッチーに並ぶとされるモンスターですよ!」

 

「ヴァンパイアの魔眼に部隊が魅了されるのは厄介です。――そして、最強のアンデッドは、リッチーだ」

 

 鉄扇を取り出すとんぬらは、不敵に笑い、断言する。

 

「それより、巻き込まれると危ないので、鉄扇を掲げたらもっと離れるよう注意しておいてください」

 

 

 とんぬらが前に出る。それに伴い、クレアが指揮して、騎士団が道を空けてくれる。

 横一線に展開されたグールの軍団の前に座すヴァンパイア。

 そのヴァンパイアから十mほど離れた場所にとんぬらがひとり対峙した。

 騎士団の他に各々自由な行動が許されている冒険者たちもいたが、場の空気を読んで興味津々で成り行きを見守っていた。

 その視線を集める中で、ゆっくりと腰を折って一礼をして……!

 

「我が名はとんぬら。期間限定ながら、アイリス第一王女の宮廷道化師なる者……!」

 

「……とんぬらとは何だ。私をバカにしているのか?」

 

「違う」

 

 名乗りを受けたヴァンパイアに突っ込まれるが、とんぬらはそれを鼻で笑い返す。

 

「ふん。名乗り上げても、俺が紅魔族の者だとわからぬとは、勉強不足だな。幹部を目指すにしてはお粗末ではないか」

 

「なに。紅魔族だと。なるほど、なるほど。そのふざけた名前は、別に私をコケにしたわけでないのだな」

 

「両親から頂いた勇者なる名をコケにするとはいい度胸であるな。まあ、仮にもリッチーと同格などと言われているヴァンパイアなだけあって、自信はあるのか」

 

 ヴァンパイアは眉間に皺を寄せ、整った面貌を不快気に歪ませる。

 

「リッチーなど我々ヴァンパイアには及ばないにしても、そこそこの力を持つ、醜い骸骨姿のアンデッドに過ぎん。魔法で手軽に人間を辞めた成り上がりアンデッドと高貴なる不死の王たるヴァンパイアを同列になど並べてくれるな人間」

 

 リッチーとヴァンパイアは仲が悪くて有名だ。

 この元貴族のヴァンパイアから言わせれば、リッチーとは研究を永遠に続けたい思想で不死化する気持ちの悪い引き籠りだ。

 逆にもしここにバイト先のウィズ店長がいれば、『ナルシストの多いヴァンパイアがリッチーを醜い骸骨呼ばわりするとか失礼ですね! それに、そこそこの力を持つとかなんですか! ヴァンパイアなんて弱点塗れの半端者じゃないですか! その点リッチーは魔導を究めて自分の力で不死になったんです! そっちなんてヴァンパイアの真祖からのおこぼれにあやかった腰巾着アンデッドのクセに!』とムキになって反論したことだろう。

 そして、リッチーを師に持つとんぬらとしても聞き流せないセリフだ。

 

「自らを高貴なる存在だと言い張り、人に害をなす意識高い系のナルシストもやしっ子は言うことが違うな」

 

「脆弱な人間どもが生意気なことを。もはや容赦はせん。我が幻術を食らうが良い」

 

 とんぬらへ焦点を合わせたヴァンパイアの双眸が怪しく光る!

 目を合わせただけで相手を魅了して、支配下に置くヴァンパイアの魔眼。

 だが、それと真っ向から視線を受けたとんぬらは、屹然と真紅の眼光を睨み返して、その支配をはねのける。

 

「なっ!? 何故、貴様、私の魅了の魔眼が効かないのだ!」

 

「この程度で俺を魅了するだと? ミソスープで顔を洗って出直してくると良い」

 

 ドラゴンの特性を有するとんぬらは元より状態異常の耐性値が高い。

 魅了する催淫に関しては、この前の里帰りで、どっぷりとオーク特製の薬液を漬けこまれて、なお正気を保ち続けていたほど。あの恐怖体験から、とんぬらは魅了に対する耐性値が特に高くなっている。

 オークの百裂舐めから生還したとんぬらに、ヴァンパイアの一睨みで靡くなど失笑してしまう。とある少女には一目惚れであるも。

 

「まだ口上途中で不意打ちとは流石ヴァンパイアだ。――まあ、本当の不死の王リッチーならば、あの程度の攻撃は通用しないがな」

 

「貴様……!」

 

「では、こちらも降伏勧告をしてやろう。人間を襲わないし、血も吸わない。トマトが主食の菜食主義のヴァンパイアになるのなら生かしてもいいぞ」

 

「ふざけるな! 我々の糧に過ぎん人間が! 調子に乗るな!」

 

 『こいつは、ウィズ店長と話しをさせたら喧嘩になりそうだな』と思いつつ、この人に害なすアンデッドモンスターが召喚するグールの大軍に対抗して、とんぬらも召喚する。

 

「――来い、プオーン」

 

 会話の最中に密やかに足先で地面に描いていた魔方陣。そこに出現するのはこの前契約したばかりの魔獣――

 

「何じゃいきなり喚び出しおって、主よ。ワシは、明日の準備で忙しいんじゃぞ」

 

「店の手伝いをすれば、あんたの経験値稼ぎに付き合ってやると話しただろう。それを叶えてやろうと思ってな」

 

 とんぬらの足元に現れたのは、子供くらいの大きさの魔獣。鼻水を垂らし、つぶらな瞳をした山羊顔のそれに、ヴァンパイアは指を差して大笑いをした。

 

「フハハハ! フハハハハハッ! なんだそのちっこいのは! これほど愚かなまぬけ顔は初めて見るぞ! 魔獣なのかそれでも。そんなそこらのモンスターにでもあっさりと食われそうなちんちくりんに、長年かけて揃えてきた我が精鋭のグール軍団が敵うわけなかろう! 身の程を知れい!」

 

「ほほう……ボウフラ並の害虫風情がよう言ってくれる。よかろう、主。奴らをワシの経験値の糧にしよう」

 

 虎の尾を踏みまくったヴァンパイアのおかげで、テンションを上げた使い魔にとんぬらは杖代わりの鉄扇を掲げ――本来の姿に変身させる。

 

 

「この一時、我が使い魔を真の姿に戻そう――『モシャサス・ブオーン』ッ!!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 月夜に翳りが出てきたかと思えば、それは首都に聳える王城と肩を並べるほど巨大な魔獣の影だった。

 

「な――――」

 

 ヴァンパイアは絶句する。王国軍の騎士たちも唖然と言葉をなくす。

 視界に収まり切れないほどの巨体。全容を見るのに数秒の時間を要してしまう大魔獣は、地を震わす咆哮をあげながら、空の月と掴み取らんとするかのように両腕を頭上に伸ばし、

 

 

「『ラナルータ』――ッ!!」

 

 

 それは、『コール・オブ・サンダー』など気象操作系の最上位である昼夜逆転魔法。

 この一瞬で、この一時、夜であったはずの王都一帯に眩い太陽が天蓋に現れ、月が沈んだ。

 突然降り注ぐ燦々とした日差しは、視界不良な夜襲の暗闇を暴いて、中位アンデッド・グールを大きく弱体化させる。

 アンデッドモンスターは基本的に、日光に弱い。それは、メジャーなアンデッドモンスター、ヴァンパイアにしても同じこと。グロウキメラ・シルビアも語っていた通り、ヴァンパイアは日中では活動できない種族だ。

 

「ひあああああああー!」

 

 全身を火傷して、悲鳴を上げるヴァンパイア。

 櫓から落ちて地面をゴロゴロと転げ回るヴァンパイアであったが、それどころではない。

 

「ぶおおおおおお――――ッ!!!!!!」

 

 雄たけびを上げる大魔獣。

 鎧袖一触。文字通り、グールの大軍を蹴散らすブオーンの蹄が、ヴァンパイアにまで迫っているのだ。アレに轢かれれば、屍体のグールでなくともミンチとなろう。

 魔眼で阻止しようにも、視界に収まりきらない偉容など止められるものか。

 

「グール共! 肉壁となって時間を稼げ!」

 

 逃げる。

 下僕を殿にヴァンパイアは背を向けて逃げる。

 怪獣の動きは緩慢だ。それでも日中のグールよりは素早いが、ヴァンパイアよりはとろい。

 だが、その一歩が大きい。

 ゴォ! と頭上で大気が不自然に渦巻く。

 日に肌が爛れながらも走るヴァンパイア、その真上を何か巨大なものが跨いだ。

 そう。

 

 ずんっっっ!!!!!! と大地を揺さぶるのはあまりにも大きな蹄。

 

 しかし。

 それでも、巨大な魔獣の狙いはやはり甘い。足元にいるはずのヴァンパイアを踏みつぶせないでいるのは、そのでっぷりと膨らんだ腹が足元を見づらくしているからだ。偶然に頼る形になったが、この怪獣は足元こそが死角である。陽光を遮ってくれるその巨体を巧く隠れ蓑にするのだ。

 そして、ヴァンパイアは凌ぎ切った!

 

「はぁ……はぁ……! 我が軍勢の、半数以上が壊滅したが……どうやら貴様はそこまでのようだなあっ!」

 

 何度地面が跳ねたのかはわからないが、そう長い時間ではなかった。

 活動時間が三分までの光の巨人のように、短時間の変身であったのだろう。

 ヴァンパイアの前には、最初の時の、ちんちくりんな魔獣の姿。今ならば倒せる。この時点で四割を超える損害を出している以上、指揮官であれば撤退すべきなのだろうが、手塩にかけた軍勢を壊滅させられておいて、このまますごすごと逃げ帰るなど、元貴族であるヴァンパイアにはできなかった。

 ここで、魔獣を始末しておく。

 

「許さぬぞ。貴様は我が『ドレインタッチ』で根こそぎ吸い尽してやる!」

「頭上注意じゃぞ」

 

 ブオーン、改めプオーンは注意する。

 ふざけるな。今、この上にあるのは忌々しい太陽。見上げて直視すれば目が焼ける。それを出現させている術者である魔獣を始末せねば、ヴァンパイアの肉体は本来の性能を発揮できない。

 でも、ここは目が焼けようが注意に従っておくべきだった。

 王国軍の騎士たちは見た。

 眩しい太陽の陽光から落ちてくる黒点。それは、天に瞬く綺羅星。

 いいや、正しくは隕石ではない。

 

 

「『アストロン』」

 

 

 魔法反射鉄甲の超重量の像。

 言うまでもなく巨大な魔獣の頭頂部に乗っていたとんぬらが、その変身が解けると同時に、今度は自らを鉄塊に変化させて落下してきているのである。

 その王城と肩を並べる巨体のてっぺんから。

 

 そして、断末魔もなく。

 ヴァンパイアの頭上へ仮面の鉄像は垂直落下する。落着がもたらした位置・運動エネルギーは、逃げ惑い弱ったアンデッドを消滅させるにあまりある。巨大な怪獣が踏みつけるよりも一点に集中させた衝撃力は、大きなクレーターの墓標を作った。

 

 魔王軍の夜襲部隊は、巨大な魔獣によって半壊し、宮廷道化師に指揮官を討ち取られた。後に残るグールも日中で活動が鈍っており、後続に控えていた王国軍と冒険者たちによって一体残さず討ち取られた。

 こうして、第一王女の宮廷道化師は初陣を大勝で飾ったのであった。

 

 

───ゆんゆんの日記。

 

 

 〇月△日。晴天。

 

 今日は、紅魔の里に行きました。

 お店の仕事で、人手が必要だからめぐみんに手伝いをお願いしました。仕事帰りに鍛冶屋に指輪の加工をお願いして、それからちぇけらさんの店を覗きに行きました。

 『とんぬらは、そんな趣味に目覚めたんですか』とついてきてくれためぐみんが、若干冷めた目で言ってたけど、これは私が勝手にやってることと言ったら呆れられた。なによもう! お母さんもマンネリを防ぐためにも新たな刺激は積極的に取り入れていく必要があると言っていたんだから。

 

 とんぬらとは、ダクネスさんの依頼で別れ離れだったけど、偶にはこう言うのもいいわよね? 小道具を覗いていたそけっとさんからも『会えない時間に育むものもある。だから、バカなことをしちゃダメよ』と言われたし。

 最後にお買い物途中のお母さんにバッタリ会って、白毛和牛のお肉をもらった。これで、とんぬらにうんと精を付けてもらって、励みなさいってお母さんが私に言う。何を頑張るのよって訊いたら、■■■■――(ここから先は塗り潰されて読めない)。

 

 

 とんぬら、帰ってこなかった。

 お夕飯のすき焼きを作って、家で待ってたんだけど、夜遅くにダクネスさんのところの使用人のハーゲンさんが来て、とんぬらは第一王女に気に入られて、宮廷道化師として王城に召し仕えられたと事後報告されました。

 なにそれ?

 

 

 〇月□日。晴れ時々曇り。

 

 昨日、とんぬらが、王族に拉致、ううん、スカウトされた。

 お忍びで『アクセル』に来た第一王女のお相手で屋敷を離れられないダクネスさんに代わって、ハーゲンさんから全部話を聞いた。

 今日の会食に招かれたのは、カズマさん、アクアさん、ダクネスさん、それにめぐみんなのに、どうしてとんぬらを? とんぬらの芸が凄いのはわかっているけど、それでもこちらの予定を無視していきなり攫うのは傍若無人じゃない?

 今日は新装開店の日で、とんぬらも客引きのパフォーマンスをするはずだったのに。これにはウィズさんも困ってたし、バニルさんも怒ってた。紅魔族じゃないけど目を真っ赤にして『帰ったら、ドタキャン坊主には呪いをかけてやろうか』と物騒なことを言っていた。私がとんぬらの分も働きますから呪いは取りやめるようにお願いした。おかげで、しばらくお店にかかりきりになるけど。

 

 

 〇月◇日。曇天。

 

 カズマさんも攫われてしまった。

 昨日、第一王女と会食をしためぐみんが、お店に来てその日のことを話してくれた。紅魔族流の派手な登場をダクネスさんに邪魔されたり、アクアさんが砂で描いた似顔絵を披露したり、そして、カズマさんの話す冒険譚に身の上話が大層気に入られた。大袈裟に話を盛っているのではないかなどと疑われたけど、最後は信じてもらえたようだ。

 それで気に入られたカズマさんが、第一王女に誘拐された。とんぬらのように――(筆圧強めに文字が濃い)。

 めぐみんも憤慨してた。傍目では憎まれ口を叩いてるみたいだったけど、その不安げに曇る顔色からカズマさんが王城で厄介事に巻き込まれてないかと心配している。ダクネスさんもお店に来てくれて、とんぬらのことを改めて謝罪してくれた。明々後日には帰ってくるはずだ、とも教えてくれて、自分の事も大変なのに私を気遣ってくれて申し訳なくなる。

 それから、アクアさんがとんぬらの代わりに客引きのパフォーマンスをしてくれたけど、芸に客を集めすぎて店に来なくなったとバニルさんが苦情を言って、また喧嘩になりかけた。おかげで、働く仕事も増えた。プオーンもいつの間にかいなくなってたし、ウィズさんと目の回るような忙しさで、ついとんぬらがいてくれたらって思ってしまう。

 

 ううん! ダメダメ! とんぬらがいない間、私が頑張らないと!

 

 

 〇月☆日。曇りのち雨。

 

 今日もお店が大変だった。

 新商品の売れ行きが好調で、すっごく繁盛している。天気も良くないのに全然客足は衰えない。貧…あまり売れてないときからウィズさんの店で働いていたので、店の中がお客さんでいっぱいなのはとても嬉しいし、それと同じくらい驚いている。きっととんぬらもこれを見たら、目を丸くしたことだろう。明後日、とんぬらが帰ってきたときの反応がちょっと楽しみになった。

 ただ、元々の売れ筋商品だったチーズ類がなくなりそう。日持ちもするからとんぬらは作り置きをたくさん作っていたけど、在庫ももうほとんどない。きっと明日で完売しちゃう。

 

 それから、あるえから手紙が来ていた。あの『紅魔族天空物語』の続きである。なによもう! 『ラブラブ・ドラゴンロード』って! これ本当に出版しようものなら、絶対に! 絶対にあるえを許さないわ! 今度、あるえの家に言ってとっちめてやる! それから、『濡れ場の参考にしたいから二人の情事を教えてくれないか?』って! そんなのまだやってないわよ! この前、とんぬらから■■してくれたけど……そうね、妄想なら…………

 

 

 〇月▲日。雨。

 

 赤ちゃんが欲しい。

 

 

 〇月〇日。晴天。

 

 昨日はよく眠れた。寂しくてとんぬらのベッドで寝たら、久しぶりにとんぬらを感じられた気がした。少しシーツを汚しちゃったけど。

 そして、今日はとんぬらが帰ってくる日。あれから五日経ったから、今日で宮廷道化師は終わりのはず。いつごろ帰ってくるかわからないけど、早く来ないかな。

 

 今日もお店は大変。チーズも完売してお客さんに残念がられた。ふふっ。

 ただ、ウィズさんの様子が少し変だった。『私は何も聞いてません。お隣から洩れてた声なんて全然聞いてませんから!』とよくわからないことを言ってた。バニルさんも『なに、耳年増店長の事は気にするな寂しんぼ娘。夜に盛ったネコの鳴き声にあてられただけだ』とニヤニヤと笑われた。何の事だろう。昨日の夜の事はあまり覚えてない。寝落ちしたんだと思う。もしかして、ゲレゲレが発情期なのかな? うん、まだ早いと思うけどいつかゲレゲレの相手を探してあげないといけないわよね。それから『竜の坊主に相応しい罰ゲームは決まったな。フハハハハハ!』と私を見ながら、バニルさんは高笑いをしていた。嫌な予感がする。

 でも、何があろうときっと大丈夫。だって、今日とんぬらが帰ってくるから!

 

 

 〇月■日。晴天。

 

 とんぬら、帰ってこない。

 

 

 〇月▼日。とんぬら。

 

 とんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬらとんぬら…………

 

 

 〇月●日。晴天。

 

 今日、朝にめぐみんが家に来た。何でも一週間経っても帰ってこないカズマさんを迎えに(引き取りに)王城へ出向くらしい。それで、私も一緒に行かないかと誘いに来た。

 でも、私ととんぬらは今日も一緒にお店で働かないとならない。用事があって付き合えそうにないわととんぬらと相談して断ったら、めぐみんが『そこにとんぬらはいませんよゆんゆん』と震える目でこっちを見ていたけど、何を言ってるのよめぐみん。とんぬらは、私の隣にいるじゃない。めぐみん、薄らと目元にクマが見えて、あまり眠れてなさそう。きっと、すごく心配したんだろう。でも、それで私のすぐそばにいるとんぬらにも気づけないくらい朦朧としているなんて、自分の体調管理はしっかりとしないとダメじゃない。

 そう注意したら、『これ以上悪化する前に何としてでも連れて帰らないと大変ですね』とめぐみんが深刻そうに頷く。それから、今日のバイトは休んでゆっくり寝るようにと優しい顔で促された。

 まったく、めぐみん。心配してくれるのは嬉しいけど、自分のことも大切にしなさいよね。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 ラナルータ:昼夜を逆転させる魔法。下位に天候を逆転させ雷雲を呼び込む『ラナリオン』があり、『ラナルータ』はラナ系の最高位に位置する魔法という設定。

 プオーンが覚える呪文のひとつでもある。




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