この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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61話

 偽賊アーネスを退治して翌朝。

 昨夜の報告のために、城の最奥にある謁見の間へ通された。

 玉座には遠征中の国王の代理として第一王女のアイリスが座しており、その隣に侍る護衛騎士のクレアより辛辣な言葉が投げられた。

 

『なるほど。あれだけ自信が有り気だったカズマ殿は敵に捕まり人質とされ、足を引っ張ったのですか』

 

 反論しようのない言葉に黙っていると、それを見ていた貴族たちが騒めき出す。

 ヒソヒソと交わされる会話の中身は、思ったより大したことないだのと言った声が多い。

 このどことなく小バカにする雰囲気を感じ取り、後ろにいためぐみんの空気が変わった。それを察して慌ててめぐみんが何かする前にダクネスが制止して、アイリスが王座から立ち上がった。

 

『その……。何にしてもご苦労様でした! あなたは悪魔討伐の第一発見者で、その発見がきっかけとなって撃退に成功したのです。何者にも責められるいわれはありません!』

 

 顔を赤くして拳を握り、精一杯に訴える。

 それにクレアも苦々しい顔をしながらも、厳正な態度を崩しはせず、結局、これ以上の城の滞在を認められることはなかった。

 

 そして、謁見の間から城を出る間に、最初は歓迎してくれたはずのメイドや執事らの態度も余所余所しいものになっていた。

 どうやら彼らにも自分の失態は伝わっているようで、大したことないヤツだと完全にバレてしまった。

 

『まあ何だ、今回の事は気にするな。お前はよくやった。アイリス様のおっしゃる通り、悪魔を滅する一助になったのも事実だからな。だが、もう帰ろう? 街に帰ったら、しばらくは働けとは言わん。バニルのヤツから大金を得るのだろう? 少しゆっくりするが良いさ』

 

『カズマ、もう気が済んだでしょう? 『アクセル』の街に帰りましょう。別にこの城じゃなくても、『アクセル』の屋敷でゴロゴロすればいいじゃないですか』

 

 ダクネスとめぐみんもそう言ってこちらを慰めてくる。

 ……別にこの城でニート生活を送ることにそこまで固執しているわけではない。

 ただ、12歳の子供のクセに、ワガママを言わず、じっと我慢するアイリスが。あのだだっ広い城で寂しげにしているアイリスが、なんとなく気になっただけなのだ。

 ……でも、身分も違い認められるだけの実力もない大した接点もない自分が、これ以上王都に残っていても、あの子のために何かしてやれるのだろうか。

 残念なことに、今の自分には打つ手は思い浮かばず……そして、ちゃんとしたのが傍にいる。

 

『とんぬら殿、遠征軍が戻るまで、ご滞在を! あなたのその武勇は是非、陛下にもご紹介したく!』

 

『偽賊も倒したことですし、俺もそろそろ『アクセル』へ帰還したいんですが。店が、というか、ウィズ店長が心配ですので』

 

 去り際にクレアに引き止められたとんぬらの様子は、視界に入れることもできず、ただただ自分の力のなさを実感させられる。

 だから、もう帰ろう…………と決めたのだが、相変わらず空気の読まない自称女神様が、

 

『ねぇカズマ、帰るなら明日にしない? どうせならお土産買いたいの。王都には良いお酒がたくさんあるのよ。ねぇ、どうせ暇なんでしょ? 一緒に買い物に付き合ってよ』

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……先輩、これは一体どういう事なんですか?」

 

「いや、これは私にもどうなっているのかわからないよ。ちゃんとアルダープの不正は暴いて、隠し部屋も後輩君の探知魔法の通りにあった」

 

「なのに、アルダープの不正の証拠は発見できず、関与も否定された。……普通ありえませんよこんなこと」

 

「うん。これはおかしい。異常だよ。もしかして、まだアルダープには温存していたものがあったのかな」

 

「おそらくは……アーネス以外の悪魔を使役していたのかもしれません。それも上位悪魔以上の……そうでもないと考えられない。これは、『地獄の公爵シリーズ』を読み直さないといけないようですね」

 

「後輩君、無茶はダメだよ。地獄の公爵なんて女神でもないと相手にならないんだから」

 

「わかっていますよ。……それで、王都にあるもうひとつの神器というのは見つかったんですか? 現在王都には二つの神器が流れているようだとは前に聞かされましたけど」

 

「うーん。それがね、後輩君と一緒に怪しい貴族の屋敷は片っ端から盗みに入ったけどさ。『宝感知』が反応するのは、アルダープの屋敷と、王城にしか凄いお宝の気配がしないんだよね、宮廷道化師な後輩君」

 

「なるほど……。つまりは、俺に探りを入れろと?」

 

「そういうこと。盗みに行くのとは別として様子見をしておいてほしいんだ。どこに神器があるのか当てをつけておいてほしい」

 

「体を入れ替える神器……ですか。使いようによっては最悪なそれが、王城に。貴族に買い取られたはずなのに、これは……」

 

「良からぬことっていうのは確かだね」

 

「わかりました。都合よく、王城の滞在は許されていますし、探してみますよ。ですが、流石に二人で王城に喧嘩を売るのは大変ですよ。屋敷とは訳が違います」

 

「そうだね。……実は前々からひとり当てをつけているのがいるんだけど。後輩君が下調べをしている間に誘ってみるよ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――チェックメイトだ、姫さん」

 

 黒優勢の盤上。追い詰められた白の王は、逃げ場もなく詰んでいる。しばらくは、うんうんと唸っているアイリスであったが、しばらくすると負けを認めたように顎を引いて項垂れる。

 

「…………参り、ました」

 

「俺の勝ちだ。これで記念すべき二十連勝だな」

 

「むむぅ! もう一度! もう一度勝負です!」

 

「残念ながら却下する。心ここにあらずで本調子ではない姫さんを相手にしても連勝記録が積み重なるだけだ」

 

「うっ……」

 

 図星を突かれ、すぐに顔に出る第一王女。ゆんゆんと対局して腕を上げているのは打ち筋からわかるも、集中できていないようでは意味がない。

 やはりというか、お別れとなってしまったのが原因だろう。とんぬらも、手柄を取らせるようフォローに回るつもりだったのだが、アクシデントでそれをする余裕もなかった。

 

「二つ駒を落とせば、勝ち目は出てくると思うが?」

 

「そんなのはダメです! 対等の勝負であなたに勝ちたいんです!」

 

 やれやれ、と肩を竦める。そこで、お茶の支度をしたゆんゆんがこの最上階のテラス席に現れた。もうそのメイド姿にもだいぶ目が慣れてきた。……これは早く帰らないと日常生活に支障をきたすかもしれない。

 

「とんぬら、レインさんから教わったハーブティーなんだけど、どう?」

 

「ん……美味い。でも、まだ精進する余地があるな。レイン殿には及ばないな」

 

「はい、レインの方が美味しいと思います。ごめんなさい」

 

「そんな謝らないでアイリスちゃん! 私も正直に言ってもらえた方が頑張れるし!」

 

「あ、それでしたら、お兄様から、美味しくなる裏技を教えてもらったことがあります!」

 

 ややしょぼんとするゆんゆんを、アイリスが励まし、こちらには内緒話をするよう耳打ちで策を授ける。随分と仲良くなったみたいだ。

 うんうん、と微笑ましく見守りながら頷くととんぬらは空になったカップにおかわりを所望するように前に出す。

 すると、作戦会議を終えたゆんゆんが、何故か、瞳を赤くしていた。

 

「お、おい、どうしたゆんゆん。目が赤くなってるぞ?」

 

「大丈夫……ちょっと精神統一をさせて」

 

「なあ、お茶を淹れるだけなのにそんな集中するようなことがあるのか?」

 

「いいから、あなたはゆんゆんさんの邪魔をしちゃダメです。ゆんゆんさんはあなたのために頑張ってるんですから」

 

「いいか、姫さん。ゆんゆんは、頑張り過ぎると空回りをしちゃう娘なんだ」

 

 戸惑うとんぬらを、人差し指をピンと立てたアイリスがやや年上ぶったお澄まし顔で注意する。

 一体何を吹き込んだ? なんか伝言ゲームで伝わっている兄ちゃんの秘訣とかすごく恐ろしいんだが。

 して、最初と同じようにハーブティーのおかわりを注いだゆんゆんは、顔を赤くしながらも、ポーズを取り、

 

「お、おいしくなーれ! おいしくなーれ! 萌え萌えきゅーんっ!」

 

 カップの上で、指で♡を作り、ぱちんとウィンクまで決めてくれたゆんゆんに、とんぬらはしばし硬直。

 両者見つめ合う、甘い桃色な雰囲気などない、真っ赤かな羞恥色、そんなどこか気まずさのある空気の中、とんぬらは体の奥からこみ上げてくる何かに、がはっごほっ、と咳をしてから、胸に手をやり動揺を抑えつつ、

 

「い、今のは一体何なんだ?」

 

「美味しくなるおまじないです。お兄様から教えてもらったんです。メイドとはこうやるものだとお付きにさせていたメアリーさんにも指導していたそうで」

 

「生憎だが、そんな話、俺はとんと聞き覚えがないぞ」

 

 いや、しかし。ロクでもない知識を吹き込んだのもそうだが、それをいくら友誼を育んだ相手だとは言え鵜呑みにして実践してしまうゆんゆんにも問題があるような。あの魔力酔いで、里の皆が見てる中ではっちゃけてしまったことがあったが、まさかあれから彼女の常識のブレーキが壊れかけてないだろうか?

 

「隠し味に愛情を入れてみました!」

 

「隠れてない。思いっきり目の前でやられたからな!」

 

 どんなに恥ずかしがろうとも、とんぬらの為ならばと成果を主張するゆんゆんに、これどうしたものだろうかと頭を抱えたくなる。ちょうど鎮静効果のあるハーブティーがあるが、今これに口をつけたら胸焼けするくらいに激甘になっていそう。

 

「ほら! ゆんゆんさんが頑張ったんですから、あなたもちゃんと飲んでください!」

 

 アイリスは特別、ゆんゆんを玩具にしているとかそういう気はなく、純粋に友人の為を想って助言したのだろう。

 今度、余計なお世話だという言葉を教えておこうか。

 ……とはいえ、パートナーの努力をここで水泡と帰すつもりもない。

 とんぬらは、カップを持つと、グイッと一気に煽る。

 

「んぐ…………ん、美味しかったぞ、ゆんゆん」

 

「……さっき、よりも?」

 

 いや、味わう余裕もないくらいに一気飲みだったので。けれど、そんなのは飲む前から答えが決まっている。

 

「ああ、とても、気持ちが入ってたな」

 

「そ、そう……わかったわ」

 

「待て、何がわかった」

 

「大丈夫よ、私頑張るから!」

 

「無理して頑張らなくていいからな。それで喜ぶのはウチのマネージャーくらいだから!」

 

 今、とんぬらはすっごく喜びそうな美味しい悪感情(ごはん)を出している自信がある。

 そこで、純粋にこのやりとりに疑問に思っている様子の箱入り王女がきょとんと首を傾げ、

 

「いったい何を恥ずかしがっているんですか?」

 

「姫さん、こういうのは普通凄く恥ずかしいんだ。とても素面じゃできないくらいに」

 

「そんなのは私もわかってますよ」

 

「わかっててあんたやらせたのか!?」

 

「ですけど、あなたとゆんゆんさんは婚約者なのでしょう?」

 

 はい?

 そんなことはとんぬらも紹介した際に一言も、婚約者のこの字も口にしていない。そんな最近、決まったばかりの新情報を何故、アイリスが知っている。

 とんぬらは、すぐ情報の出所の最有力の容疑者ゆんゆんに目をやり、

 

「ゆんゆん、姫さんにどんなこと話した? 冒険譚がオススメだと俺は言ったつもりだが?」

 

「でも、ものの本には女子会は恋バナが良いって書いてあったわ!」

 

「わかったわかった。……それでどんなことを話しちゃったのか参考までに訊いても良い?」

 

「はい、あなたたちはもう式を挙げていて、こ、子作りにも励んでいるとか……!」

 

「よし、ゆんゆん! ちょっと話をしようか!」

 

 席を立ったとんぬらが、強引にゆんゆんを引っ張り、廊下に出てから壁ドンで押さえ込む。

 

「ゆんゆん? 本当にどんなことを話したのか、俺に話してくれるな? さっきの姫さんの発言は冗談ではなく?」

 

「う……うん」

 

「ちょっと待て。それおかしい。確かにそんなようなイベントがあったのは俺も記憶しているが、それは全部未遂で終わっているはずだ」

 

「こうだったらいいなーって……少し、話を盛っちゃった」

 

「なるほどなるほど。……初めてできた年下の女友達にお姉さんぶって経験豊富だとか見栄を張っちゃったのか?」

 

「う、うん」

 

「アホか」

 

「あうっ」

 

 こつんと拳骨を落とす。

 旋毛を両手で押さえてしゃがみこむゆんゆんに、とんうらは滔々と説く。

 

「あのな、ゆんゆん。まず常識的に、俺達の歳の事を考えようか?」

 

「十四ね。もう法律上結婚してても問題ないはずよ」

 

「それは婚約しているし百歩譲って認めるとしよう。でもな、未成年が子作りしちゃっているのは世間一般的におかしいと思うんだ。そして、それを年下の娘に話しちゃうのはアウトだ、おバカ」

 

「あうあうあう~っ」

 

 落とした拳骨をそのまま旋毛のところでぐりぐり~っと。

 この最近のゆんゆんの勢いを考えると、噓が真になりかねないので、ちょっとここは躾けて、緩んでいる頭のネジを締め直しておく必要があるだろう。

 

「で、でもねとんぬら! アイリスちゃんと条件付けで十二歳からでも成人とするよう法律を変えようかって話し合ったことがあって」

 

「わかった。姫さんにも説教してやる必要があるようだ」

 

 この後、一般常識についてめちゃくちゃ授業(説教)した。

 

 

 ――十分後。

 

 

 話が終わり、とんぬらはそれまでずっと気にかけていたことを訊ねる。

 

「……それで、姫さん。今日はまたすごい魔道具を身につけているな。感じられる魔力の量が、そこらのものとは格段に違う。そのネックレスはひょっとして腰に携えている宝剣と同じ神器級の魔道具なのか?」

 

 アイリスが身につけているネックレス。昨日までは何もなかった胸元に、他の装飾品と趣の違う、シンプルなデザインのネックレスが掛かっている。

 

「これですか? これは、今朝、クレアが預かり持ってきてくれたもので、私の本当のお兄様に献上されたネックレスらしいのですが……。現在遠征中のお兄様に代わり、王族を代表して私が預かっているのです」

 

 指摘して気づいたゆんゆんも、マジマジと目を輝かせてそのネックレスを観察する。

 

「紅魔の里製のものとは違うわね。それで、その魔道具はどんな力があるのかしら? 並々ならない魔力だから、相当強力な力を秘めていそうなんだけど……」

 

「うむ、めぐみんなら、世界を滅ぼしかねない強烈なのをお望みしそうではあるな」

 

「いえ、それが……。実は、この魔道具の使い方はまだ解明されていないのです。定められたキーワードを唱えれば、魔道具の力が発動するのではないかと言われていますが……。一応それらしい文字が掘ってあるのですが、城の学者が調べてみても、中々解読できないらしく……」

 

 アイリスは、身につけてたネックレスを、そのまま裏返してこちらに見せる。

 そこには確かに文字が刻まれていて……

 

(ん? これ、書かれているのは古代文字(ニホンゴ)か。『お前の物は俺の物。俺の物はお前の物。お前になーれ!』……って、何だこのアホな呪文は)

 

 古代文字にも通じる神主代行は読解してその適当過ぎるキーワードに呆れる。

 とそこで、ゆんゆんが声を上げる。

 

「ねぇ、ここに書かれてる文字って、とんぬらの神社に伝わっている古代文字じゃない?」

 

「そうなのですか。じゃあ、あなたはこれを解明することができるんですね!」

 

 期待の眼差しを向けられて、とんぬらもできないとは言えなくなる。

 

「ああ、……うん、読めたぞ」

 

「どんなことが書かれているのですか? 教えてください! 私、気になります!」

 

 興味津々な王女様に、とんぬらは手を差しだす。

 

「じゃあ、少し貸してくれ。試すから」

 

「え……」

 

 その提案に乗り気だったアイリスは、意外にも躊躇した反応を見せた。

 

「その、先ほども言いましたが、コレは元々、第一王子ジャティスお兄様へ贈られた献上品なので、あまり勝手に人に渡すようなことは……いえ、あなたの事はちゃんと信用してますけど」

 

 ……なるほど、これは警備が固そうだ。

 

「安心しろ。ちょっと実験が終われば返す。約束しよう」

 

「……約束、ですよ?」

 

「ああ。約束だ。それに、一応、使い方を知っておくのは良いことだろう?」

 

 納得させたところで、アイリスはネックレスを首から外し、とんぬらの掌に載せてくれた。

 それをとんぬらは、少し悩んだ後、ゆんゆんに頼む。

 

「ゆんゆん、少し体を貸してもらってもいいか?」

 

「? その魔道具の効果を試すのよね? いいわよ」

 

「まだ効果が確定しているとは言えないが、やる前に誓っておこう。――俺は絶対にゆんゆんの体を弄ったりはしない」

 

「ねぇ、どんな効果なの? ちょっと不安になってきたんだけど」

 

「前代未聞の事態に見舞われるだろうが、多分、問題はないはずだ。というか、こういうのはゆんゆん以外に試せそうにない」

 

 アイリス、王族相手には特にできそうにない。

 

「私、だけ……。わかったわ! やってちょうだい! そうよ、私、とんぬらになら、好きにしても……」

 

「よし、じゃあいくぞ」

 

 もじもじとしながらも宣誓するチョロいパートナーに、神器のネックレスを付けると、とんぬらはキーワードを唱えた。

 

 

「『お前の物は俺の物。俺の物はお前の物。お前になーれ』!」

 

 

 すると、ゆんゆんの首にかけたネックレスが光り始めた。

 

「え……え、と。今のは、ぷ、プロポーズ?」

 

「違う。キーワードだ。ほら、魔道具も反応しているだろう?」

 

「本当です! 魔道具が、発動しています……!」

 

 事前に予告してあったとはいえ、ゆんゆんにそれにアイリスは驚き、そして、ネックレスの中央で段々と強い輝きを放つ宝石が目を眩むほどの閃光で視界を瞬かせると……!

 

 

「……あれっ? 何も起こりませんね」

 

 アイリスがそう思うのも無理はない。

 第三者の彼女の目からでは何が起こっているのかわからないだろう。

 ただ今のとんぬらの視界には、“真正面にとんぬらが映っている”。鏡が置かれているわけでもない。『え、あれ? どうなってるの?』となにもこちらは動いていないのにおろおろと勝手に動く自分自身の姿。その反応に、やはり向こうにはゆんゆんが入っているのだと理解する。

 この異常事態を理解し得ないアイリスのために、とんぬらが成功した実験の成果を語る。

 

「いいか、驚かずに聞いてくれよ、姫さん」

 

「は、はい。え、姫さん、ってあなたはゆんゆんさんじゃ……」

 

「ああ、俺はゆんゆんではない。とんぬらだ。魔道具の効果で中身だけが入れ替わっている。そうだろう、ゆんゆん?」

 

 訊ねれば、まだ混乱の最中にあったゆんゆんも、紅魔族の高い知能で現状を把握する。荒唐無稽な事態であるも、現実に起こっているのであればそう理解するしかない。

 こくん、と慎重に頷き、

 

「う、うん……。今、私がとんぬらになっているわね……」

 

 

 一時、場が沈黙する。

 

 

「えええ!? 本当に入れ替わっているのですか!? 私をからかって演技しているとかではなく!」

 

「ああ、そうだ。何なら、そっちの今は俺になってるゆんゆんにゆんゆんにしか知りえない情報を質問してみると良い」

 

「そこまで言われたら信じますけど……。何だかあなた、やけに落ち着いていませんか?」

 

「発動のキーワードからどうなるかは予想できていたし、女装にも慣れている。一回、姫さんの影武者をやったことがあるだろう? ……それに、目の前でパニくっている自分の姿を見ると否が応でも冷静になる」

 

 言って、視線をやる。

 そこにはいったんは落ち着いたものの、再び動転して、太股、腰、胸、腕、肩、頭とやたらめったに自分の身体を自分の手で触って確認するとんぬらの姿が。それから慌てて席を立つと、部屋にある鏡の前に立ち、その映る全身を見る。頭のてっぺんから爪先までじっくりと検分し、わなわなと震え始める。

 

「わ、私、とんぬらになっているわ……!」

 

「いや、わかってる。さっき自分で言ってたろゆんゆん」

 

「私が、とんぬらに……ど、どどどどうしよう! これじゃ、とんぬらの子供をどうやって作ればいいの!?」

 

「おい!? まず気にするところがそんなバカなことなのかゆんゆん!?」

 

 婚約者の心配事にとんぬらも突っ込む。そして、そんなおまぬけなやりとりに、アイリスも入れ替わっていることに確信が言ったようで、こくこくと頷く。

 

「とんぬらは困らないの? 今、とんぬらが私になっているのよね?」

 

「ああ、そうだ。困っているぞ。こっちもなるべく意識しないように困っている。正直言って、ゆんゆん、スカートが短くないか? それに胸元もこんな大胆に開いていて……。ファッションだとは理解しているが、あまり無防備な装いで人前を出歩くのは俺としては心配になるんだが」

 

 身体つきはやはり男性には魅力的というか、エロい。あまり自分が可愛いだとかそういう意識が低いから余計にとんぬらは心配である。

 

「あわ、あわわわ、わわわわわわ!?!?」

 

「いや、わかってる。わかってるから! 最初に誓った通り、けして不埒な真似はせん。絶対に指一本と触ったりしないから」

 

「そ、それは……。少し寂しいような気がするんだけど、別にとんぬらなら、ちょっとくらい……いいわよ」

 

「めんどうくさいなもうゆんゆんは。我慢している時点で察しろよ。とにかく、ゆんゆんも俺の身体で変なことはしてくれるなよ」

 

「し、……しないわよ!」

 

「なんか一瞬、間が空いたのが気になるが。それで、何か不具合はないか? どこかが痛いとか、気分が悪いとか?」

 

「それは特にないけど。……しいて言うなら……男の人、とんぬらの身体って、大きくて力強いのね。何か、自信がついてきたかも」

 

「うん、そうか。それで俺の顔であまり女言葉はやめてくれないか? それとあまり鏡の前で変なポーズとか決め顔をしないでくれ、ゆんゆん」

 

 落ち着いたところで、もう一度、入れ替わりのキーワードを唱えてみたが、ネックレスが光るだけで効果は発揮しない。

 

「もう一度入れ替わることはできない、か。入れ替わりを解除するキーワードはないようだし。しかし体を入れ替えられるとは、これまたすごい代物だな。これほど強力な魔道具は前代未聞だぞ」

 

 解説するとんぬらに、そこでアイリスが神妙な顔をしながら、

 

「どうするんですか……? あなた方は、その身体が入れ替わっていますけど、このまま元に戻れないとなったら……」

 

 心配してくれる王女に手を向ける。それからオロオロとするゆんゆんにも言い聞かすよう、落ち着いた声音で、

 

「いや、その心配はしなくていい。神器とは選ばれた人間でなければその効力を最大限に発揮できない。制限がかかるモノなんだ。これも入れ替わる効果は発動したが、時間が経てば元に戻るはずだろう。それがどのくらいかかるかは判断できないが、ずっとこのままということはない」

 

 そう、先輩からの情報が正しいのであれば、この他者と身体を入れ替えることができる神器は、ずっと体を入れ替えられるものではなく、入れ替えられているのに制限時間がつくというもの。

 ――ただし、その交換した相手が死ななければ、の条件付きで。

 

(まさか、アイリスに……いや、ジャティス第一王子に贈られているとは……)

 

 欲望渦巻く策謀に気付き、そして判明した今回の難易度に遠い目になってしまう。

 このひどく頭を悩ませてくれる七面倒極まる難問に、とんぬらは考え込んでみた。

 

 

 そんなゆんゆん(とんぬら)の様子を窺っていたアイリスが異変に気付く。

 姿勢を固め、目から少し焦点が失われる。それはよく、判断を迫られ、何かを決める時など、集中して考えているときに見る仕草や表情で、今は人相が変わっていても、その瞳は仮面の奥に秘めていたものと同じだった(ゲームの対局中では一度も見たことがないのが少し悔しい)。

 『どうしたんですか? 何か考え事ですか?』とアイリスは訊ねようとして、肩に手を置かれる。見れば、とんぬら(ゆんゆん)がふるふると首を横に振る。『邪魔しちゃダメ』と言うかのように。

 自分よりも長く、そして濃い時間を過ごしてきた彼女にも当然のことのようにアイリスの気づいた異変は察知しているようだ。

 そう、前に話に聞けば、彼は冒険者のクエストとは別に、神主という聖職者のように人の悩みを聞き、それを解決に導くよう尽力しているそうだ。それでその時よく考え込むのだがまとまるまで彼女は邪魔をしないように口出しを控えているという。

 とんぬら(ゆんゆん)は、こちらの口が閉じたのを見ると、そっと音を立てずに茶器を扱い、茶の支度をする。

 そんな陰ながらの気遣いを悟ることなく、考え事に没頭するゆんゆん(とんぬら)を、アイリスはじっと見つめ続けて……

 

 

 確かこのネックレスをアイリスに届けたのは、クレアだが、彼女もそれは預かってきたのを届けただけである。

 だとすると、一体誰が……と犯人を思案して、真っ先に思い当たったのがあの男。

 

『ダスティネス様に相応しいお相手は、第一王子ジャティス様しかおらぬ』

 

 アルダープ。ダスティネス・フォード・ララティーナに幼少から執着しておきながら、晩餐会であの手のひらを返した不自然極まりない発言をしていたが、まさかそれは自分自身が第一王子に成り変わり、ダクネスを娶るための布石だとすれば。

 ありうるが……だが、この推測が的中していても、また逃れられてしまうオチは予想ができた。

 一応、身体が戻った後にでもこの神器の出所について調べてみる気ではいるものの、無駄足を踏むことになるだろう。一夜で悪魔との繋がりや不正の全てを“なかったことにしてしまえた”ような相手である。辿りつけた先にあるたったひとつの真実さえ歪ませてしまうものの原因を掴むまでは、糾弾するのは避けた方が良いだろう。

 

(帰ったら、すべてを見通す悪魔(バニルマネージャー)に話を聞いてみるとして……できれば、このまま神器を取り上げたいところだが、これは献上品ということになっている。危険だと注意しようにも、ただ体が変わるだけの効果では、聞き入れてもらえないだろう。かといってそれの最悪な使用法も人に広めたくない。何かさせる前に盗むのが手っ取り早いか……)

 

 まったく狙っていた獲物が思わぬところで現れたものである。

 

(しかし、このネックレスは基本姫さんが身につけて預かっているもの。……確かその鞘も神器で、呪いや状態異常から所有者を守護すると言うが……『スティール』まで防げるとしたら……ちょっとこれは無理難題になるんじゃないんでしょうか、先輩)

 

 と一息嘆息したところで、俯いていた顔を上げる。

 すると、アイリスがこちらを見ていた。ゆんゆん(とんぬら)は耳の上あたりを掻いて、そこでとんぬら(ゆんゆん)が割って入るよう声をかけてきた。

 

「とんぬら、お茶飲む?」

 

「ああ、頂こう」

 

 先程とは給仕の役割が見かけ上は逆となっているも、差し出されたカップを持ち上げ、その香りを楽しむよう嗅ぐ仕草をしてから口に含む。

 と、アイリスが息を詰めたような表情、先よりも迫った感でこちらを見ている。じいっ、と。ぱっちりと大きい目で。人を見るのが得意だと言っていた第一王女にこうも視察されては落ち着かない。

 まさか、近々、ここに盗みにいると画策しているのが気取られたか?

 

「どうした、姫さん」

 

「……その、私が気になるというから、あなたが魔道具を試してこんな目に遭ってしまい」

 

 しどろもどろに、おそらくは本心とは違う事、でも気に病んでいることを口にするアイリスに苦笑を溢し、

 

「そんなことは気にしなくていい。紅魔族というのは元来、実験好きなのが遺伝子に根付いているものでな。姫さんに乞われなくても試したいとは思っていたよ。そうだろ、ゆんゆん」

 

「うん、そうよ。最初はちょっと驚いちゃったけど、全然気にしなくていいわよ。……こうして、とんぬらの身体になって色々と分かったことがあるし……」

 

「ん? 今、ゆんゆん、なんて言った?」

 

「と、とにかく、友達なんだから! そんな遠慮は無用よ!」

 

「ゆんゆんさん……」

 

 誤魔化すようにだが、そう言い切ったとんぬら(ゆんゆん)に、少しは成長してきているんだなとゆんゆん(とんぬら)はホロリと目頭が熱くなり、

 

「そうだな。友達なんだから、そう気に病むんじゃ」

「え、あなたは友達ではありませんよ」

 

 とんぬら(ゆんゆん)に続こうとゆんゆん(とんぬら)が口を開こうとして、アイリスに即否定された。笑顔で。

 あれ? 結構遊んだりしてたんだが……と固まるこちらへ、第一王女は言う。

 

「あなたは、ライバルです」

 

「あー……」

 

 お兄様や女友達などとはまた別の区切りに入れられているよう。

 ちらっと紅魔族随一の天才をライバル視していためんどうくさいパートナーを見やれば、うんうんとその発言に理解を示しているようである。おかしいと思うのは自分だけなのだろうか。

 

「とにかくだ。気にするな。むしろ、姫さんが何も知らずにこのネックレスを所有していることの方が不安ではあったしな。こうして実演しておいて良かったと思う」

 

「はい、ありがとうございます。……でも、なんかライバルに助けられたみたいで、ちょっと」

 

 対抗心というか妙なこだわりまで持ち始めていて……これはひょっとして、ゆんゆんとの交流でめんどうくさいのが移ったのか?

 

「ライバルというのは時に助けるものだ。敵に塩を送るという文句もあるんだ。そうだろ、ゆんゆん」

 

「ええ、そうよ。私もめぐみんがカエルとかにやられてるのを助けたりするけど、それはライバルだから。私以外にやられたら、こっちの立場がないから仕方なく助けるのよ」

 

「なるほど、そういうものなのですね。わかりました、ゆんゆんさん」

 

 ……あまり仲を深めさせない方が良かったかもしれない。と若干後悔するとんぬらである。

 普通にいい子なのはわかっているが……

 

「でも、借りっぱなしなのは性に合いません。何か困ったことはありませんか?」

 

「そんなのないよ別に。このまま効果が切れるまで何事もなく過ごせれば……」

 

 なんて、フラグを立ててしまったのがいけなかったのか。

 とんぬらの不幸とは、体が入れ替わろうとも変わらずに発動していくものであったと後に彼は悟った。

 

 

 ――ぶるっと唐突に、体が震えた。今、ゆんゆんが入っているとんぬらの身体が。

 

 

 視界の端で急に蒼褪めた雰囲気、仮面をつけていてもなんとなくわかるパートナーの顔色(けはい)に、ゆんゆん(とんぬら)は声をかける。

 

「どうした、ゆんゆん?」

 

「ぅっ……と、とんぬら、その……」

 

「なんだ? 何かあったんだろ? 遠慮せずに言ってくれ」

 

「そうですよ。私たち、友達じゃないですか」

 

 とゆんゆん(とんぬら)とアイリスの二人に促されたとんぬら(ゆんゆん)は、一分ほど唸って悩み悶えたものの、切羽詰まっている状況に追い詰められた彼女は白状する。

 

 

「ト……トイレ! どうしたらいい!?」

 

 

 内股でもじもじとしながら吐かれた現状。

 しまった。その問題を見落としていたか。とんぬらは己のうっかりに頭を抱えそうになる横で、アイリスは片頬に手を当てて、

 

「まあ。それは大変ですね。こちらはお気になさらず、トイレはここを出て廊下の突き当りに」

「いや、そういう事じゃないからな姫さん」

 

 問題は、現在、体が入れ替わっていることである。

 解体すべき爆弾を目前としたような慎重さで、おそるおそる確認する。

 

「……本当か?」

 

「ほら! さっきお茶飲んでたじゃない!」

 

「うん、わかった。……それで、我慢できそうか?」

 

「ま……まだ、できると思うけど、どのくらいで効果が切れそうなの?」

 

「それはちょっと俺にもわからん。頑張れ、ゆんゆん」

 

「ダメ。やっぱりダメ! もう、なんか……きているわ!」

 

 前回、致してしまった彼女にはもう感覚がわかるのだろう。

 鬼気迫るとんぬら(ゆんゆん)だったが、それでもゆんゆん(とんぬら)は必死に、

 

「諦めるな! 俺の身体ならもっと頑張れるはずだ!」

 

「お、お城の中で漏らしても良いの?」

 

「………」

 

 それは、ダメだ。

 一躍有名になっていている宮廷道化師がそんな粗相をすれば、王国中に語り継がれるレベルでの黒歴史になる。

 

「だから、とんぬら……。その、私が、してもいい?」

 

「ま、待て! わかった。俺が、やる」

 

 ここに決断を下す。

 もうマネージャーな悪魔がいれば、笑い死にしそうな事態に見舞われている。『まさか、これお漏らしの呪いをかけたりとかしていないよな?』と疑いたくなるくらいに二度目の遭遇だが、ゆんゆん(とんぬら)は冷静だった。

 大丈夫、できる。

 きっと、できるはずだ。

 そう、自分に言い聞かせてから、

 

「姫さん……手を貸してくれ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 掃除の行き届いている清潔な個室。

 室内に手洗い場も備えていて、二人が入っても十分な広さのトイレ、その便器の前に仮面の少年とメイドの少女が並んで立っていた。

 

「いいか、ゆんゆん。そこに立っているだけでいい。何があっても、けして目を開けるな」

 

「わ、わかったわ。それで、私に手伝えることは……」

 

「ない。むしろ何もしないでくれ。俺が全部やるから」

 

 仮面の上に布をぎゅっと巻き付けて目隠ししているとんぬら()に、しゃがみ込んだゆんゆん()が、背後から腰に抱き着くように腕を回し、ベルトを外す。

 ……傍から見たら、ものすんごい状況だというのは理解している。けれど、互いの心の安寧を守るためには、ゆんゆん()がとんぬら()の補助をするしかないのだ。

 

「あう……やっぱり私が」

 

「やらなくていい。こっちは気にするんじゃない」

 

「その、されるのは、恥ずかしい」

 

「恥ずかしがるな。今、脱がされているのは俺の身体だ」

 

「脱がされているのは、私なのよ!?」

 

「明鏡止水だゆんゆん」

 

 ズボンを下し、男性下着に手を掛ける。……その手は手袋をしているが自分のではなく、彼女のもの。洗面台の鏡に映っているが、“この密室空間で自分(とんぬら)の下の世話を、彼女(ゆんゆん)にさせている状態”なのがよくわかる。

 

 落ち着け……

 頭がおかしくなりそうだが、変な気持ちになるんじゃない。冷静にやるべきことをやるんだ。

 

 自分の下着をずり下げて、二人羽織りの要領で見ずに位置的にそこにあるだろうと当てをつけて手を伸ばし……手に取った。

 

「ひゃんっ」

 

「変な声を出すなゆんゆん!」

 

「だ、だって……!」

 

「っ、そこがデリケートなのは俺もわかってるから。とっとと終わらすぞ!」

 

 思い切って、今は自分のではない自分の一物を握り、便器へ照準を合わせる。

 

「よし、いいぞ。出してくれ」

 

「う、うん」

 

 …………だが、出ない。

 

「どうした。もう我慢しなくていいぞ、力を抜いて」

 

 言葉が、止まる。

 気づく。

 手袋越しに覚える感触が、徐々に硬く、大きく、膨張していくような……

 

「……おい、まさか、興奮しているのか?」

 

「~~ッ! ~~ッ!!」

 

 ボソッと吐いたゆんゆん()の呟きに、とんぬら()が首をぶんぶん横に振って否定するが、身体は正直だ。そして、それが自分の身体なのだから、もうイヤになる。

 そんな上級者でなければ達観できないような異常事態に悪戦苦闘する室内だが、外から近づく人の気配。

 

『あら? アイリス様、ここで何をされているのですか?』

 

 聞き覚えのあるその声は、王城勤めのメイド・メアリーである。ひょっとしたら、このトイレを清掃しに来たのかもしれない。

 

『メアリー、その……今、お城でかくれんぼしてて……』

 

『まあ、そうなのですか。ふふっ』

 

 そこで一旦、トイレ中の二人は息を殺し、外の様子を窺えば、微笑まし気なメアリーの声。きっと、王女様が子供らしく遊ばれていることが嬉しいのだろう。申し訳ない。

 

『それで、トイレ(ここ)に隠れようかと悩んでて……』

 

『そうでしたか。わかりました。ではここは後回しにして、用がお済になったころにまた参ります』

 

『ごめんなさい、メアリー』

 

 本当に申し訳ございません。トイレ清掃はこちらでやります。

 いや、メイドに謝罪する以上に、アイリスに見張り役を頼んでいることが問題だろう。

 アイリスも身体交換の件で責任を覚えていたのでこの人払いを受けてくれたが、これがバレれば、まったく第一王女に何をさせているんだと苦情が舞い込むに違いない。しかし、あの時頼れるのがアイリスしかいなかったのだ。

 

(ど、どうなっているんでしょうか……っ! 先程は訂正されましたが、お二人はそういう関係なのでは……っ!? 今もまさかお楽しみの真っ最中で……っ!?)

 

 で罪悪感に駆られている二人であるも、実際のところ見張っている王女様はこちらの扉に耳をつけて大変興味深そうに聞き耳を立てている。この頼み事を二つ返事で引き受けてくれたアイリスは、お兄様(カズマ)の影響でとても耳聡くなっているようである。音声限定で想像を膨らませていらっしゃる。

 

 そして、人の気配は去ったが、外の事が気になり、小声で、

 

「(ゆんゆん、その、出そうか?)」

 

「(……ハアッ! だ、ダメ……! どうしようとんぬら……っ!)」

 

 先の緊張で、というかこの状況で尿意が引っ込んでしまったのだろう。

 とんぬら()の焦り声に、しかしゆんゆん()にはこれ以上何もできないのだ。

 

「(頑張れゆんゆん、俺の身体を救えるのはお前しかいない!)」

 

「(わかってるわ、それはわかってるんだけど……!)」

 

 必死な声にゆんゆん()は頭を冷やした。ここでこちらが恥ずかしがったら、とんぬら()はそれ以上に恥ずかしい思いをしてしまう。それにこれ以上急かしても、焦ってばかりだ。

 

「(……わかったわかった。ゆんゆん、自分のタイミングでしてくれ)」

 

「(とんぬら……?)」

 

「(ゆんゆんが、俺のために頑張ってくれているのはわかっているんだ。なら、俺もそれまでゆんゆんを支えて待っているさ)」

 

「(……うん)」

 

 ……なんか良い話っぽくまとまってきそうであるが、こんな状況では台無しだとかは考えないでおく。気にしたら終わりだ。

 

「(なに、いつものことだろう? 俺達は、その、パートナー、だからな。これくらいの面倒はどうってことはない。実験を頼めたのも、ゆんゆんになら俺の全部を預けられると信頼していたからだしな)」

 

「(うん、うん……私も、とんぬらのこと信じてるから)」

 

 しかし、状況は待ってくれない。

 

 残念なことに不幸少年と薄幸少女のペアが揃っていて、普通に良い話でめでたく無事着しない方が多い。大抵は忘れた方が良い話に不時着させる。

 信頼を確かめ合い、気持ち落ち着いてきた……その最悪なタイミング(仮面の悪魔にとっては最高のタイミング)。

 

 立ち眩みにあったかのように、ふっと意識が遠くなっ――――て、とんぬらの視界は真っ黒になっていた。

 

「え?」

 

 思わず声が漏れた。

 目は開けているのに、視界が真っ暗である。何も見えない。まるできつく目隠しされているようで……そして、下半身に覚える感覚。

 

「!?!?!?!?」

 

 それから、背後で動揺する気配。

 紅魔族の優秀な頭脳は、それで事態を悟る。否が応でも悟ってしまった。

 ――これは……戻った、のか?

 とんぬら(とんぬら)は、目隠しの布を解きながら天井を仰ぐ。上を向いていないと、目から熱いものがホロリと零れてしまいそうで。

 

「と、とととととととんぬらのとんぬらが私の手に!?!?」

 

 しかし、下を向いて現実を直視しないと大惨事になる。いや、もう既になっていた。

 

 ああ、そうだ。

 もう里で一回見られてるんだ。恥ずかしい紋章(バーコード)も、男の大事な局部も……だから、今更、ゆんゆん(ゆんゆん)に握られて、がっつりと凝視されようが、恥ずかしがることなんて……ははは……あはははははは……――貝になりたい。

 

 そして、こちらの予想を裏切ることに最初は動揺していたゆんゆんは、深呼吸すると落ち着いていた。キャーと甲高い悲鳴を上げることもなく、やや興奮しているものの冷静である。これにはとんぬらも助かるのだが、

 

「だ、大丈夫よとんぬら。落ち着いたわ。私に任せて」

 

 ゆんゆんは言った。

 空回るくらいに張り切って。

 

「パートナーなんだから。前にとんぬらにお世話してもらったこともあるし、とんぬらのとんぬらを手に取るくらい全然余裕よ。ウソじゃないわ。なんなら、ここで排泄の補助を完璧にしてみせて証明してみせるから!」

 

 必死に励まそうとしているのはわかるのだが……何で、この状況でこの娘は声が弾んでいるのだろうか?

 お尻にふんすふんすと荒い彼女の鼻息が当たる。

 ここでキャーと悲鳴を上げるとそろそろ深刻なヒロイン属性が確定しそうなので我慢した。

 とんぬらは努めて冷静に、この積極的な少女に、

 

「ゆんゆん、アウト」

 

 元に戻ったのだから自分でやる。というわけで、ゆんゆんに退場を促すのであった。

 

 

 ――十分後。

 

 

「おや、とんぬら殿。如何なされ」

「レイン殿、前に話してくださった記憶を消去するポーションを頂きたい! 至急、忘れたい記憶ができた!」

 

「お、お待ちください。事情は知りませんが、あのポーションは、非人道的な理由があって禁忌とされるものです! 運が悪いと副作用でバカになるもので……その、ハッキリと申し上げて、とんぬら殿が服用すれば確実に頭が残念なことになるので非常にお勧めしませ」

「構わない! ちょうど、バカになりたいと思っていたところだ!」

 

「とんぬら殿!? 落ち着いてくださいとんぬら殿!?」

 

 宮廷道化師がご乱心で騒ぎを起こしたが、そこで鬱憤晴らしにちょうどいいタイミングで警報が鳴り響いた。


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