この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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連続投稿です。


7章
65話


 心から納得できる展開なんて、人生にそう何度もあるわけではない。

 

(怪盗がバレたとはとても思えない。恨みを買う理由は到底思いつかない……わけでもない。魔王軍幹部ベルディアや上位悪魔ホーストの討伐に、『アクセル』の領主が大金を使って腕利きの傭兵や冒険者を雇い集めたそうだが、どちらも果たせなかった。大手柄を挙げる前に、『アクセル』の駆け出し達が……というか、俺が倒してしまったからだ。そのことに大金を無駄にされた領主は『アクセル』のエースに逆恨みしているという噂を聞いたことがあったな……――だからって、ここまでやられるとは思わんかったぞ)

 

 出る杭は打たれるもの。

 馬車に運ばれるこの身。左右を騎士で固められ、正面にも騎士がこちらを監視している。両腕には、魔法の掛けられた手錠。さらに胴体には20mmのミスリル製ワイヤー。どちらも魔獣用。杖である鉄扇も武具の何もかもを取り上げられていて、あるのはこの外れぬ仮面のみという始末。

 まるで、護送される罪人のよう……というか、実際、そうなのだ。

 

 王都で起こったという襲撃事件、その犯人……それが、今のとんぬらだ。

 

 サトウカズマと同じ国家転覆罪なのだが、裁判はなかった。

 『“人ならぬ魔獣”に、裁判を掛ける必要はなし』という流れである。

  “まるで前回、結局、無罪になったのを反省したかのように”、領主の主導でこちらの弁明も介入の余地もなく、トントン拍子で事が進み……そして、これから行われるのはけして死刑ではない。

 

 図書館で読んだある物語では、ヘラクレスという英雄は、罪を禊ぐために難行に挑んだという。

 

 ようはそれと同じで、犯した罪を償うために、苦難の道を行けと。

 王女様から聞かせてもらったことがあったが、『『ベルゼルグ』の要求を受け入れてもらえるのであれば、この国において、最も大きな被害を与え、最も強大なモンスターを倒します』という怪物退治の外交手段で成り上がった、この国独自の罪人が信頼を勝ち得るための珍しい風習……だというが。

 しかしだ。

 果たして、全く身に覚えのない罪をどう償えばいいのか。

 

 そして、馬車が止まる。

 護送してきた騎士に、背中を押され、渋々ながら馬車を出た。

 降りたのは、とある湖。

 ご丁寧に説明されたから、ここがどこだかわかる。『アクセル』の街から半日ほど南下すると見えてくる小さな山。その山の麓にある、“夏でも凍り付いている”、永久凍結な湖。

 そして、相手をすることになるのは、二十億の高額賞金首モンスター。

 普段は深い眠りについているが、それは体内に魔力を蓄積するため。その期間は十年で、前回眠りについたのは、およそ十年前の話。

 つまりは、ちょうど良くお目覚めの時間なのである。

 このモンスターは、騎士団が大軍を持って取り囲み、暴れさせることで魔力を消耗させ、魔力切れになったモンスターを眠りにつかせるという対処でこれまで行ってきた。つまり、眠らせることはできても、トドメを刺すことはできず、国が根本的な解決ができないほどの怪物だ。

 それが眠る湖の前に立たされたとんぬらはやっと両手の手錠が外され、身体の拘束も解かれる。

 護送した騎士らもすぐに下がるだろう。戦うのはあくまで己ひとり。領主が駆け出しの街『アクセル』の冒険者ギルドに、『これは王都に混沌をもたらした大罪を償うためのものであって、ひとりで成さねばならない』との通達が入り、一切の介入を禁じている。この御布令を破れば同じく罪人となる。国家転覆罪は犯行を行った主犯以外にも適用される場合があるのだ。

 そして、本来、怪物退治を請け負うはずの王国軍は、王城からお宝を盗み出した『銀髪盗賊団』(構成員は三人。銀髪、仮面、覆面)、一人当たり魔王軍幹部に次ぐ二億エリスの賞金がかけられた盗っ人捕縛に駆り出されているようで、こちらに人員を割く余裕はないようだ。これは自業自得。

 ……いっそこのまま、逃げてしまうのが賢い選択だが、どの道、ここで怪物を倒さなければ死ぬ。

 今、首にはあの『願いを叶えるチョーカー』と同じ仕組みで、罪人に付けられるような枷が嵌め込まれており、『怪物を倒さなければ外れず、今日いっぱいで完全に首が絞まる』という鬼畜度がグレードアップした魔道具を装備しているからである。

 この死ぬ気強制グッズのおかげで怪物の方が今日中に目覚めてくれないととんぬらは過酷な水中戦を挑まなければならなかったが、そんな心配はこの森を歩けば高確率でモンスター遭遇イベントを発生させる不幸属性にはいらなかった。

 

 ――凄まじい魔力を湖の底から感じる……!

 

 ここに送り届けた騎士たちが何も言わずに撤退した直後、底まで凍り付いた湖に激震が走った。

 湖面が罅割れ、何か、途轍もなく巨大な存在が外に出てくる。

 

 

「――ッ! ――ッッッッ!」

 

 

 両手で耳を塞がなければならなくなるほどの咆哮を上げるその怪物は屋敷どころか、お城に匹敵するサイズな巨体を持つ、黄金竜の如き全身金色の八頭竜。

 

「こりゃあ……世界が、俺を殺しに来てるとしか思えない展開だよな」

 

 クローンズヒュドラの変異種『グランドラゴーン』。

 この怪物にひとりで挑めという人生最大の無茶ぶり。実質、これは死刑と何ら変わりがなかった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 王都では色々あった。

 他の冒険者たちと共に魔王軍による襲撃を防いだり、

 王都を騒がせる偽の義賊に扮した女悪魔を退治したり、

 迫りくる国家の危機を、誰にも知られることなくそっと解決してみたり。

 そして何より、アイリスという可愛い妹が出来たり……

 

 そんな波乱万丈な日々を送った王都より帰って来て次の日。

 駆け出しの街ののんびりとした心地良い空気に、しばらくは屋敷でゴロゴロしようと心に決めたその時、

 

「アクア様! アクア様はいらっしゃいますか!!」

 

 必死さを感じる声と共に、ドアをノックされる。

 

「その声はとんぬらか? どうしたんだよ、厄介事か? もうな、魔王軍の幹部でも魔剣の勇者でも、何でも来いって話だよ――って、うおっ!?」

 

 王城で無双して自信をつけたカズマがドアを開けると、瞳を真っ赤にしたとんぬらが。

 爛々と血走っているように紅い眼光に、ややビビる。

 一体何があったのか、とんぬらは挨拶をする余裕もなく首を伸ばして屋敷の中を覗き、アクアの姿を探している。

 

「どうしたのですかとんぬら? アクアに用があるようですが、屋敷(ここ)にはいませんよ?」

 

「なんだと!?」

 

 カズマの後ろから顔を出しためぐみんが、同郷の少年にそう告げると、真っ赤な瞳がより強い光を放った。

 

「ああ、アクアなら『アルカンレティア』へ行ってる。もう馬車に乗ってるんじゃないか?」

 

「はあっ!? それ、本当か兄ちゃん!?」

 

 アクアはいない。王都から帰ってきたらポストに入っていた手紙、何でも『小さなメダル(カズマがこれまで集めてきたのを、カズマが王都から帰ってこない間に勝手に拝借)』の応募懸賞で物凄いのが当たった(という体で地上に降りた女神を慰労する信者の策)から、アクシズ教団の本部がある『アルカンレティア』へ、ちょうどさっき出かけたところだ。

 ひとりで行かせるのは大いに不安だが、あんな常識が通じない魔境にそう何度も足を運びたくないし、街の名物のひとつである湖を浄化して環境改変してしまった(むしろ信者としては新たな聖地として感謝しているのを知らない)のでしばらく行きたくない。

 そんなわけで、今回はアクアだけの一人旅。王都から帰ってきたばかりだし、偶には駄女神に振り回されない日々を送りたい。しばらくクエストに行くつもりもないし別に構わないだろうと送り出した。

 

「たぶん一週間くらい帰ってこないと思うぞ」

 

「そんな……」

 

 _| ̄|○……と玄関でとんぬらは四つん這いになって項垂れる。

 その只ならぬ様子に、ダクネスが心配げに玄関に集まってきた。

 

「本当にどうした、とんぬら。アクアはいないが私達で良ければ話を聞くぞ」

 

「………」

 

 言い難そうに視線を逸らすとんぬら。

 どうやら相当な厄介事を抱え込んでいるようだが、今のカズマは、もう何も怖くない、こんな展開にも慣れっこである。

 どんな難題でもかかってこいだ。

 そんな余裕たっぷりな態度を見せるこちらに、逡巡したもののとんぬらは右片側だけ空いている玄関扉の、閉まっている左肩側を押して……

 

「この通り……ゆんゆんが……」

 

 そこに立っていたゆんゆんのお腹は大きく膨らんでいた。

 そう、まん丸と。まるで“出来ちゃった”みたいに。

 これには三人、皆ぽかんと口を開けてしまう

 カズマたちの視線を集めた彼女は、照れ照れと顔を赤らせながらも、疑惑を一押しする文句を言い放った。

 

 

「私……! 私……!! 妊娠しちゃいましたっ!」

 

 

 時間が、止まった。かのような衝撃がカズマたちを襲う。

 

「え…………と、おめでとう、でいいのか?」

 

「ありがとうございますっ!」

 

 三人の中で最も早く我に返ったのは、カズマ。

 めぐみんのようにライバルに後れを取ったわけでも、ダクネスのように結婚適齢期を迎えて未だに相手がいないことにやや焦りを覚えているわけでもない、ショックが一番小さい男のカズマはゆんゆんへ賛辞の言葉を贈ると、とんぬらの肩をポンと叩いて

 

「やっちまった以上は仕方がない……頑張って、責任とれよとんぬら」

 

「違うから! 違うからな兄ちゃん!」

 

 もっと早く避妊具を作って渡してやるべきだったかと思わなくもないが、致してしまったのなら責任を取るべきだろう。

 十四はこの世界でも未成年であるが、婚約もしているし、世間的に認められなくもないのか?

 

「大変だろうが俺達も応援するよ。それで、アクアに祝福を貰いに来たのか? 新しい命の誕生だ。きっとあいつも真面目に言祝いでくれるはずだ。でもアクシズ教に入信させられるかもしれないから注意する必要があるぞ」

 

「いやいや、常識的に考えて昨日の今日でこんなお腹が膨らむはずがないだろ! この妊娠状態を消してほしくて頼みに来たんだよ!」

 

 そのとんぬらの口から飛び出したとは思えないクズ発言に、ダクネスが反応した。

 

「とんぬら……一エリス教徒としても、ひとりの女性としても、今のは聞き流せるようなものではない。すぐに訂正し、謝罪するんだ。ゆんゆんと、そのお腹の子に!」

 

「はい!?」

 

 この世界の宗教おいても、中絶させるというのは大罪なのだろう。

 エリス教の女騎士に険しい目で射抜かれたとんぬらは、わたわたと手と頭を一緒に振りながら、

 

「違います。違いますよ、ダクネスさん! 俺は何にもしてませんから!」

 

 何? こんなにもとんぬらが否定するとなると、まさか……!

 

「ゆんゆんのお腹の子はとんぬらのじゃないのか――」

 

 ぽろっとカズマの口からこぼれた言葉に、ゆんゆんがギンッと目を真っ赤にして、

 

「何を言うんですかカズマさん! 私はとんぬら以外となんてしません! 絶対に! 絶対に、です! だから、お腹の子はとんぬらの子です!! そんな怖気が走るようなことを言わないでください!!」

 

「お、おおっ、すまん。悪かった……!」

 

 ひょっとしたら殺気も乗せられていたかもしれないと思うほど鋭い眼光を浴びせられ、身震いしながらカズマは引き下がる。

 それから、コホンとひとつ咳払いをしてから、大人の忠告を送る。

 

「とんぬら、ちゃんと認知しろ」

 

「だから、兄ちゃん! ゆんゆんがこうなったのは俺のせいなんだが、俺は何もしていないんだって!」

 

 この期に及んでまだ否定するとんぬらは、あまりらしくない。彼はカズマも認める漢であるはずなのだが……

 

「……とんぬら」

 

 そして、ついに。

 一番最後に再起動したパーティ最大火力の『アークウィザード』が、焔を瞳の中に閉じ込めたかのように紅い眼光を滾らせて杖を突きつける。

 

「ゆんゆんは、簡単に男の甘言に騙されそうなチョロい娘ですが、尻軽なビッチではありません。むしろ、重い娘です。……お腹の子供を認めないようなら、爆裂魔法であなたを消し飛ばしますよ」

 

「めぐみんっ!?」

 

 本気で洒落にならん。

 そんな頭に血が上っている女性陣を他所に、カズマは首を傾げていた。

 とんぬらは街の荒くれ者のように甲斐性がないクズ野郎だとは思えないし、惚れた女に会うためならば王国軍と喧嘩も辞さないような漢だ。ならば、そうする理由があるのだろう。

 そして、その答えがとんぬらの口から出てきた。

 

 

「想像妊娠だ! 言い方があれでややこしくしてくれたけど、想像妊娠っ! バニルマネージャーのクソ愉快な呪いなんだよこれは!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 悪魔。

 神々に敵対する邪悪なるもの。人間の悪感情を糧として存在し、基本的に上位であるほど高い知能を有し、会話もできる。

 身体的に男女の特徴がある者もいるが、厳密に性別はないし、寿命もない。食事さえできれば永遠に生きられ、滅ぼされようが『残機』があれば復活できる。また満月の夜になると荒ぶる習性を持っている。

 そんな悪魔族だが、文化として契約を絶対視しており、故に、気に入った相手でもなければそう簡単には契約を結ばせない。経営も契約上名義が必要な店長職を、商売センスマイナスな協力者に任せるほどに、慎重だ。

 要は、信義に厳しいのだ。

 一度契約を結べば、悪魔からはけして裏切らない。だが裏切りに対しては裏切りに報いる。契約は絶対であるも結局は自分本位に生きる悪魔族を相手に反故して対価を支払わない真似をすればそれはどうなるか、想像するだけで恐ろしい。

 そして、その思考はとても人間の理解が及ぶところではない。

 

 

 事件前の早朝。

 王都から帰り久々に彼に存分に振るえるゆんゆんが気合を入れて支度した朝食を頂いて、向かうのはお隣。

 

 事情があって、半月程バイトを休んだ。それも新装開店セールで猫の手も借りたい急がしい時期に。

 とんぬらは心咎めながらも、開店前の魔道具店の戸に手をかけて、

 

「おはようございます! 勝手な都合で半月も出れずに申し訳ありませんでした!」

 

 入ってすぐ、大きな声で謝意を言葉に出す。

 腰を折って深く下げた頭を上げると、店の奥から足音が近づいてきて……

 

「あ……、とんぬら君……お久しぶりです……」

 

 現れたのは、見るからにやつれたこの店の店長ウィズ。

 ちょっと強い風が吹けば倒れそうなくらいにふらついている。

 

「だ、大丈夫ですかウィズさん!?」

 

「その声は、ゆんゆんさんですか?」

 

 その姿に血相を変えてゆんゆんが駆け付け、けれど、朦朧としているウィズの目に力なく。このまま昇天してしまいそうである。

 

「心なしか透けて見えますし、ちゃんと休んだりしているんですか?」

 

「ふふふっ、頑張ります。……私、今日も一日中、頑張っちゃいますよー……」

 

 頑張りますロボになっており、まともに質疑応答できそうになさそうだ。

 これが、師匠と同じ、いやそれ以上の力を持つであろうリッチーだとは思えない。これは余程、酷使されているな。連日徹夜続きだと思われるが、まさかまた一週間ぶっ続けで働かせたのかあのマネージャー。

 

「ゆんゆん、ウィズ店長を頼む。バニルマネージャーへの挨拶は俺がするから」

 

「うん、わかったわとんぬら」

 

 相方を看護につけてしっかりと休ませ、王都土産のメロンでも食べてもらい元気になってもらおう。そうでもないとこの店主をとても人前に出せそうにない。

 して、あの悪魔(あくま)でマネージャーととんぬらは一対一で相対することになったわけだが、仕方がない。戦いに行くわけではないのだから、命の保証はされているはず……ただし、メンタル的にキツい会話になるとは思われるが。

 

 

「フハハハハハ! よく来たな、竜の小僧よ!」

 

 店の奥の部屋。そこで待ち構えていたようにテーブルに座していたのは、仮面の大男バニルだ。ウィズ店長とは違って、こちらはとても元気そうである。魔性の色を含んだ真紅の双眸がビカビカと光っている。

 

「あんたは相変わらずだよな、バニルマネージャー」

 

「いやいや、この最近は満足の良く食事がとれなくてな。我輩はとても腹が空いている。過労店主も、急に泣き出したり笑い出したりするばかりで、我輩好みの羞恥の悪感情は出さなくなってしまったからな」

 

「だったら、休ませてやれよ。いくら人よりも無茶が出来るからといっても、店長なんだからもっと労わりましょうよ!」

 

「ふむ。それで、店を半月も休んで成果はあったのかサボり魔小僧」

 

 机に両肘を立てて寄り掛かり、両手を口元に持っていくバニルの問いかけに、とんぬらは契約書類の入った封筒を机の上に滑らせる。

 

「ああ、許可を取ってきたよ。兄ちゃんが考案したものだと説明したら、姫さんにだいぶ気に入ってもらえて、当店の新商品を是非お取り寄せしたいとのことだ」

 

「うむうむ! セールスマンとしても優秀なバイトを持てて何よりだ。これで我輩の夢のダンジョン建設に大きく近づくだろう!」

 

「あんたの夢に協力して良いのか今も判断に迷うが、実質無害なら何も言うまい」

 

「さて」

 

 バニルが対面の席に着くようとんぬらに手を出して勧める。

 

「王都での報告を聞こうではないか」

 

「成果は全部その書類に書いてあるぞ」

 

「違う。我輩が聞きたいのは、ビジネスの話ではない。竜の小僧よ、王都で悪魔と遭遇したようだな?」

 

「ああ……それが、どうかしたのか?」

 

「少々気になることがあってな。運勢が混沌としていて、小僧自身のレベルも高いからな。我輩でも見通し辛いのだ。だから、小僧の口から聞きたい」

 

 少し訝しむよう眉を寄せるとんぬら。

 何故、それが気になるのか。同じ悪魔族とはいえ、この地獄の公爵級の最上位悪魔が格下の上位悪魔に興味を持つとは思えない。『アクセル』に住み着いてすぐの時期から、この街で飲食店を経営するサキュバスが頻繁に挨拶に来るようになったが、その地獄において領民である淫魔らの対応はとんぬらから見ても適当である。

 全てを見通す悪魔でも気になるようなことがあったのか?

 これは話を聞く必要があるかもしれない、と慎重に席に着いたとんぬらに、バニルは――手で隠した口元を悪魔らしくニヤリと歪めて、

 

「……では、今からいくつかの質問をする。中には答え難いものもあるだろうが、正直に答えるのだぞ」

 

「ああ、わかった」

 

「よろしい。汝に問おう。――婚約者の娘と身体を交換した時に、トラブルが発生したようだが、その時のことを我輩に詳細に報告してくれたまえ」

 

 ――とんぬら、席を立つ。

 真面目に付き合おうとしたこっちがバカだった。

 しかし、ピンポイントで話題を振ってきた悪魔はこの“馳走”を逃す気はない。

 

「待て、特殊プレイ上級者小僧よ、これは上司として訊いているのである。仕事を無断欠席した以上はその報告は義務ではないか?」

 

「これは、パワハラで訴えたら勝てると思うぞ。それから俺は真っ当な性癖だ。不名誉な枕詞を乗せるな!」

 

「ならば、仕方あるまい。この件は娘の方に訊くとしようか」

 

「っ……! おいそれは反則だろう!」

 

「最初に言ったであろう? 我輩はこの一週間、満足のいく食事がとれなくて腹が空いていると」

 

 さあ、どちらにする? と選ばすバニルはやはり悪魔だった。

 

「わか、った……! 俺が話すから、ゆんゆんには聞くんじゃないぞ、いいなっ?」

 

「よかろう。我輩を満足できれば、な」

 

 ゆんゆんが辱めを受けるのならば……! と苦渋の決断の末、とんぬらはぽつぽつと語りだす。

 

「その……入れ替えたときに、俺の身体に入ったゆんゆんが、トイレに行きたくなって……」

 

「ほうほう、それで? 目隠し補助小僧はどうしたのだ?」

 

「あんたもう答え知っているよな!」

 

「だから、我輩は小僧の口から聞きたいのだ。貧乏店主並みに小僧の運勢は見通し辛くて、精々、断片しか視えない。まあ、それでも大まかに察することはできるが、話を聞いた方が手っ取り早い。それにその方がご飯を美味しくいただける」

 

「やっぱり悪感情(ごはん)がお望みか!」

 

「ほれほれ、続きを話せ。早くしないと娘が介護店主の世話を終えてこっちに来るぞ」

 

「あんた、まさかこの状況のためにウィズ店長をこき使ったわけではないよな?」

 

 何にしても、この面談から退くことはできない。

 この羞恥責め大好物な悪魔を満足させるまでは。

 ならば、被害を最小限にするためには、とんぬらが話すしかない。

 

「それで……ゆんゆんに目隠しして、俺が自分の身体の補助をすることにした。ただ、思うように上手くいかず手間取って」

 

「途中経過を省くな。我輩は詳細に話すようにと言ったぞ」

 

 こ、こいつ……!

 

「その……慣れない環境で、緊張してしまったんだと思う」

 

「興奮したのではないのか?」

 

「緊張して! 固くなった!」

 

「二重の意味でな」

 

「余計な茶々を入れないでもらおうか! 今は俺の説明している最中だぞ!」

 

 もうこれはセクハラで訴えられると思う。

 とんぬら、一刻も早く終わらせたいとここからはやけっぱちになってきて……

 

「それで! トイレが出来なくなったから、しばらく待つことにした! でも、それに時間を食ってしまい、元に戻った!」

 

「それはどんな状況なのだ。ここの部分は我輩とても詳しく説明してほしい」

 

「目隠しをした俺に、メイドなゆんゆんが俺の…一物を握っている状況でだ!」

 

「よし! それで? 娘はどうした? 悲鳴を上げたのか? 介護を続けたのか?」

 

「それは……悲鳴を上げなかったし、手伝おうとしてくれたが、断った。体が戻ったんだから、その必要がないからな。以上だ。これで満足したかっ?」

 

「おおぉ……特上の羞恥の篭った悪感情、大変美味である! その場で立ち会えず新鮮な悪感情を頂けなかったのは至極残念であるも、日を置いて熟成されたこの悪感情はまた何とも味わい深い! これは、娘の方からも訊いてみたい!」

 

「俺にここまで話しをさせておいて、そんな横紙破りしやがったら、その仮面をぶち割るからな」

 

 落ちそうな頬っぺたを支えるよう両手を本体である仮面に添え、恍惚に身震いするバニル。一週間ぶりの食事に満足なのは見て明らかだ。

 

「フハハハハ! フハハハハハハッ! ――……しかし、やはり小僧は危ういな」

 

 唐突に哄笑を途切れさせて、ぽつりと意味深な呟きを漏らす。

 とんぬらがそれに反応するよりも早く、バニルは指を突き付け、

 

「では、出張前に話をつけたように、サボり魔小僧には罰ゲームを受けてもらおう」

 

「はあ!? 今のが罰則じゃないのか?」

 

「何を言う。これは、報告だ」

 

「その報告が罰ゲームじみているものだと思うんだが? こっちはもう精神的に限界だぞ」

 

「そうか。では、小僧にしてやるのは避けてやるとしよう」

 

 何をする気だ?

 この一昨日がちょうど満月の夜であったためか、非常に荒ぶっているバニルに、警戒して身構えるとんぬらだが、そこへ部屋の扉が開いて、

 

「ウィズさん、寝かしてきたわよ――」

 

 と何も知らずに、入ってきたのはゆんゆん。その無防備な彼女を見て、バニルの双眸は血の色に輝き、

 

 

「さあ、お待ちかねの罰ゲームだ竜の小僧! 『カースド・ダークネス』!」

 

 

 とんぬらが庇うよりも早くに、一瞬で足元から噴き出した黒い光にゆんゆんが呑まれる。

 

「きゃああああ……!」

「ゆんゆん……!」

 

 驚き尻餅をつきそうになるゆんゆんを、駆け付けたとんぬらが抱き抱えた。特に重傷を負った様子はなく、転ぶ前に支えたので怪我もしていない。

 

「……あれっ? 何とも……ない……? ――――っ!?!?」

 

 しかし、明らかな異常が起こっていた。

 

「おい、バニル! これはどういうことだ! 今の聞いたこともない魔法は何なんだ?」

 

「悪魔の禁呪だ竜の小僧。闇の力を使用して、対象に望んだ呪いをかける魔法だ。なに害はない。一週間もすれば元に戻る。そして、その状態は娘の未来を先取りして見せてやったというところだ」

 

 それは、ゆんゆんのお腹が風船のように大きく膨らんでいく。

 苦しくなりゆんゆんがベルトを外すも、上着のボタンが弾けた。とんぬらは慌ててマント代わりに羽織っているトーガを掛けて前を隠すも、ぽっこりと押し上げられて下腹部のラインが出ている。まるで臨月のように。

 

「おい、これって……まるで……」

 

 とんぬらが言いかけて呑み込んだ言葉を、ゆんゆんは期待するようにやや上擦った声で呟きを漏らす。

 

「私の望み……じゃあ、これって妊娠……!」

 

「うむ。我輩が視た未来を見かけだけだが再現した。つまりは想像妊娠であるが、これが二十歳になる頃の状態だ。ただし汝の努力次第で早まる可能性はあると言っておこう。予知には誤差はつきものであるからな。おっと喜びが混じっているがなかなかの羞恥の悪感情。ご馳走様だ。色んな意味で」

 

 これでペナルティは終わりだ。と言うバニルに背を向け、魔道具店を飛び出した。

 呪いであるのならば、呪い破りで元に戻るはず。地獄の公爵が掛けた呪いだとしても、女神様ならば――

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……というわけで、ゆんゆんがバニルマネージャーに想像妊娠な呪いをかけられた」

 

 玄関から広間に通されたとんぬらはソファに腰かけて、事情を説明した。隣に寄り添うゆんゆんは、時折説明に注釈を入れていたが、終始そっと慈しむように大きくなったお腹を撫でている。

 

「うふふっ……」

 

 大きく主張するお腹は、ひとりの少女に母性に目覚めさせたようでどこかゆんゆんを大人っぽくさせていた。

 が、この臨月に妊婦のようなお腹は張りぼてなのである。ただし、全てを見通す悪魔が、将来の姿だと保証する未来予想図でもある。

 

「『人を殺さぬ』を信条にしているから、危険性はないとは思う。でも、ゆんゆんが疑似的ながら身重であるし、何が起こるかわからない。だから、アクア様に呪いを解いてもらおうと思ってきたんだが」

 

「そういうことか。災難だったな、二人とも」

 

 これからもあの魔道具店に行くときは全てを見通す悪魔に対抗できる水の女神をお供にしようとカズマは肝に銘じた。

 そうして、説明を受けて事情を把握したダクネスも目に理解の色が浮かぶ。

 

「だったら、街の教会に行ってみないか? アクアはいないが、プリーストがいるはずだ」

 

「おふざけでも、地獄の公爵が掛けた呪いです。とてもアクア様以外では無理でしょう」

 

 実力的には魔王よりも強いであろうバニル。

 その呪いであるのだから、人間の中では最も腕の立つ『アークプリースト』と思われる最高司祭の変態師匠でも破れないだろう。

 暗礁に乗り上げて、大きく溜息を吐くとんぬらに、ゆんゆんが少し明るい声で、

 

「でも、これって、一週間くらいで治るんでしょう? なら、問題ないんじゃない」

 

「いや、一週間も普通に生活できないって大変だろ、ゆんゆん」

 

「大丈夫! 最初は動き難かったけど、もう慣れてきたから! ほら、ジャンプだって」

 

「おいおバカ! あまり動こうとするな! ちょっと転んだだけでも大怪我しかねないんだぞ」

 

「ご、ごめんねとんぬら。そうよね、安静にしておかないと……」

 

 ……そんな基本後向きな少女がやけに前向きになっている、そして、注意されて嬉しげな表情を見て、めぐみんは目を細め、

 

「ようするに、ゆんゆんは、デブになったということでしょう?」

 

「え……?」

 

「だってそうでしょう? 子供がいないのに膨らんでいるのでは肥満と変わりません」

 

「冗談でも許さない! いいわ、言って良いことと悪いことがあるってわからせてあげる! 表に出なさい魔法勝負で決着を付けてあげるわ! ――うぷっ!?」

 

 ズバリと指摘するめぐみんに、ゆんゆんが目を紅く輝かせて腰からワンドを抜き放つ。も、立ち上がってすぐにゆんゆんはえづきかけて、ワンドを落として手を口元に。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 ダクネスが寄ろうとしたがその前にとんぬらが手で制し、ゆんゆんをソファに腰下ろさせてから背中を摩る。

 

「めぐみん、あまりゆんゆんを刺激しないでくれ。お腹の子はいないようだが、それ以外は忠実に再現しているようだからな」

 

「また厄介な……ですが、あまり甘やかすのはゆんゆんの為にもならないと思いますよ」

 

「わかってる。でも、現状手の打ちようがなければ、無理をさせるわけにもいかないだろ」

 

 そうして、落ち着いたところで、とんぬらはゆんゆんの背に腕を回し脇に手を入れてしっかりと身体を支え起こすと、屋敷前に呼びつけてあった馬車へ乗せて帰っていった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……ゆんゆん、俺はできれば家で休んでいてほしいんだが」

「大丈夫よ。本当に問題ないから。とんぬらだけ働いて私が何もしないのって何か悪いし……」

「ったく……じゃあ、裏にいてくれ。絶対に表に出るんじゃないぞ。今のゆんゆんを客に見られるとあらぬ誤解を受けそうだからな」

「うん、わかった。とんぬらの迷惑にならないようにする」

 

 カズマパーティの屋敷から戻ったとんぬらは、今日の予定通りに魔道具店で働くことにした。せっかく休ませたウィズ店長を起こすわけにもいかないし、これまでの遅れを取り戻さなければならない。

 そういうわけで、新装開店効果で増えてきた客足を捌いては、落ち着いたところで裏に入りせっせと帳簿を付けているゆんゆんの様子を見がてら、在庫の切れているチーズ作りと休む暇もなく働き続け……

 夕方になったころ、とんぬらが今日はこれ以上何事もなく終わるな、と思ったその時に彼女たちが来た。

 

「ここ、こんにちは!」

「ひゅん……! ゆ、ゆんゆんさんは、いらっしゃいますか?」

 

 もうすぐ閉店間近の魔道具店に入ってきたのは、里の特産品などを運ぶ、見覚えのある二人の紅魔族の少女たちだった。

 

「あんたらは……ふにふらとどどんこか。女子クラスの」

 

「あ、とんぬら。あなたもここで働いてたのね」

 

 ツインテールの娘で、紅魔族随一の本屋の娘にして、ブラコンであるふにふら。とこれと言って特徴が思い浮かばないポニーテイルの娘がどどんこ。

 常に一緒にいるので二人セットで扱われている。とんぬらの記憶としても印象が薄い二人だが、それは学生時代に悪目立ちした問題児のせいであるのも大きい。

 で一見気の強そうな二人であるが女子クラスであまり男慣れしていないせいか、同郷のとんぬらを前にしてもあがっているようで、こちらから会話を切り出す。

 

「里の外で会うのは珍しい……。ああ、発注していた商品を届けに来てくれたのか、わざわざありがとな」

 

「そ、そうよ! 上級魔法を覚えて卒業した私達に早速仕事を頼まれたの」

「ええ、配達なんて面倒だけど族長から頼まれて仕方なく。別に顔を見に来たとか全然ないからね」

 

 どうだとばかりに胸を張るふにふらとどどんこ。

 はじめてのおつかいみたいなノリだなー、と思ったがとんぬらは口にしない。

 こうやって、里の外へ出すことで社会経験をさせているのだろう。でも、そうさせるということは大人の庇護下にある里の外に出ても問題ないと見られているわけだ。

 

「そうか。クラスは違うが卒業おめでとう。二人もこれで一人前の紅魔族となったわけだな」

 

 心からの賛辞に、緊張が解けてきたのか。店の中を見回しながら、視線を合わせまいとふらつかせながらも、ここへ来た本題にさりげなく探りを入れる。

 

「――そ、そういえば。とんぬらに訊きたいことがあるんだけど」

 

「なんだ」

 

「ゆんゆんと婚約したって本当なの? あるえの新聞を見たけど……。その誇張とかじゃなくて? ……それも、この街で二人暮らししているとか手紙に書かれてたけど、本当に?」

「う、うん。ゆんゆんが私達よりも先を越すなんて、族長が大袈裟に言ってると思うの。ねぇ、本当のところを言いなさいよ。誰にも言わないでおいてあげるから」

 

 ああ、なるほど。

 二人の焦燥を見て悟ったとんぬらは、呆れた吐息をひとつこぼして――ここは正直に継げておく。

 

「ああ、本当だぞ。族長の試練も果たしたし、十五に成人したら籍を入れようかと考えている」

 

「は、ははっ! まま、まああの子もやるのね。うん、とんぬらも割と変わり者だし! ま、私には前世で、生まれ変わったら次も一緒になろうって誓い合った相手がいるしね!」

「私にも運命の相手がいるわ! 最も深いダンジョンのそこに封印されているイケメンな設定で……じゃなくて、そうだから、うん。魔法を覚えたわけだし、早く彼を助けに行かないと!」

 

 顔を引き攣らせながら、見栄を張る二人が痛々しくて見ていられなくなってきた。今、ここに所用でマネージャーが出かけていて良かった。いたら、もう『アクセル』に来られないほど弄り倒されただろう。

 

「そそ、それでめぐみんの方はどうなの? 以前紅魔の里で彼氏を紹介されたけど、後々よく考えてみたらおかしいのよね」

「そうそう、一番色恋沙汰で無縁そうなめぐみんがあんな風に惚気話をするなんてありえないもの。一緒にお風呂に入っただの布団でもぞもぞしただの言ってたけど、どうせ事故みたいなものなんでしょ?」

 

 それは、とんぬらにも初耳である。

 元々、そのような会話をするような仲でもないが、お相手の方は予想ができる。

 

「兄ちゃんの事か……そうだな、恋人かどうか置いておいて、良い関係じゃないのか。それに事故であっても、そのようなことがあったのは事実であるわけだし」

 

 ゆんゆんからの又聞きであるも、めぐみんが欠陥のある爆裂魔法使いをパーティに入れてくれたことに感謝していて、里での一件でさらに仲が深まったようにも見える。

 

「へ、へー、そうなんだ……。その男のスペックって、どうなの?」

「『アクセル』で、冒険者をやってるって聞いたことはあるけど」

 

「そうだな……」

 

 あまり知り合いの悪評は口にしたくはない。かといってウソを言うつもりもない。ので、とんぬらは差しさわりのない部分をありのままに話した。

 

「そうだな。この最近の情報では――第一王女にお兄様と慕われているな」

 

「はあ!? いくらなんでもそれはウソでしょ! ねえウソよね?」

 

「いや、本当だ。こんなことでウソをついてもしょうがないだろ」

 

「じゃ、じゃあ、めぐみんが玉の輿に……お妃様になるの……!?」

 

 いや、それが違う。

 『お兄様』と姫様から呼ばれているが血縁上王家と何の縁もない。あくまで愛称だ。

 まるでこの世の終わりでも悟ったかのような、青い顔をした二人にとんぬらはすぐに誤解を解いてやろうとしたのだが。

 そこで、店の奥から……

 

「ねぇ、とんぬら。名前を呼ばれた気がするんだけど、私に何か――あ、ふにふらさん! どどんこさん!」

 

 長話をしていたのを気になったゆんゆんが表に出てきた。

 友人に笑いかけるゆんゆんに、ふにふらとどどんこも笑みで迎えようとして……顔から下に視線が下りた途端に、固まった。

 手に持っていた届け物を落として。

 その大きく膨らんだお腹を凝視して。

 

「婚約って……まさか、できちゃった婚……!」

「あのゆんゆんが、もうこんなに遠くに……!」

 

 これはまずい。

 里からの使者である二人をこのまま帰すのはマズいと判断したとんぬらは慌てて叫んだ。

 

「おい! このことは族長ら里には内緒にしてくれ!」

 

「周回遅れにされてるなんて!」

「思ってないからあああああ!」

 

 嘆願したが、引き止める間もなく、泣きながら逃げた二人。

 

「え、え……? いきなり、どうしたの……?」

 

(あー……あの調子だとショックを呑み込むのに時間がかかるだろうし、今日明日のうちに里の人に話したりはしないと思うが……噂になったら広まるのは早いだろうし、そしたら族長が……)

 

 想像妊娠に対する警戒意識の薄いゆんゆんは事態についていけずきょとんとしているが、とんぬらは早急に、あの二人が里に吹聴するよりも早く、呪いを解かねばと決意を改めるのであった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ふにふらとどどんこが届けてくれたものは魔道具店で扱う商品が大半だったが、中には個人的に送られてきたものもあった。

 

「ほう……これは、中々の業物と見た」

 

 思わず感嘆の声を漏らす。

 細長い木箱に詰められていたのは、漆黒の鞘に、十字の鍔、抜けば反りのある刀身をした一振りの長剣……太刀だ。

 綺麗な刃紋があり、一目でその鋭さがわかる。

 『退魔の太刀』、男子クラスをとんぬらの次に卒業した紅魔族随一の鍛冶屋の息子もょもとの手掛けた作品だ。

 とんぬらの学生時代の親友は、里に訪れていたサトウカズマが『養殖』の合間にモンスターのトドメを刺すのに使っていた『ちゅんちゅん丸』に興味を持って、日本刀の製法を聞き出しており、カズマのうろ覚え程度の説明を、一を聞いて十を知る紅魔族の知能で“焼き入れ”の技法を把握したらしい。

 紅魔族の鍛冶製錬は、『アークウィザード』が魔力をふんだんに使い、街の鍛冶屋では無理なほどの超高熱の炉で行われるので、より上質に仕上がる。

 また木箱に同封されていた手紙を読むと、魔王軍幹部シルビアが持ち込んだ魔族秘伝の『結界殺し』の技術を取り入れているようだ。王城でもクリス先輩が強力な結界をあっさり破ったのを見たが、それを武器化しているとなると……これは、迂闊に鞘から抜けない。

 で、これまでで一番の出来で、タダでやるから、これで伝説級のモンスターなんかをぶった斬って、箔をつけてほしいとのこと。

 

「もょもとめ……なんて注文を付けてくれる」

 

 しかし、一応、神主として刀剣の心得はあるとんぬらだが、冒険者カードに表記される職業ステータスは、魔法使い。そけっと師匠は木刀を武器にしていたし、その辺りのこだわりはないけれども、ここ最近、魔法使い?になってきているとんぬらとしてはこの?マークを取っ払いたいところであるというのに。

 

「よし、この太刀の名は、『杓子』だ」

 

 名札に魔力を込めて銘を入れると、お次の長方形の箱を見る。

 ふたを開ければ、暗緑色の衣類。広げれば、それは紅魔族のマントに似ていて、竜の咢を模したフード付きのケープだ。

 これの贈り主は、紅魔族随一の服屋ちぇけら。

 

「ああ、この前の実験に協力する代わりに、その試作品を届ける話だったが、もう出来上がったのか」

 

 とんぬらが里に居た頃に、竜化した際の鎧装甲のような鱗や殻、羽膜を修復可能な範囲で問題ない程度に提供した素材を使った紅魔族のマントだそうで、命名は『ドラゴンローブ』。

 『ドラゴンロード』に是非にと手紙に書かれている。身軽で丈夫で耐性のある防具は打たれ弱い魔法使いにはありがたいところだ。

 他にも個人雇用契約を結んでいる魔道具職人ひょいざぶろーから、試作品の魔道具が届いたりしているが、これは娘めぐみんへのものだろう。

 贈り物を改め終わったとんぬらは、寝室へと向かう。

 ダブルベッドに寝かしつけられているのは、想像妊娠中のゆんゆんである。

 みかんを手にする彼女に、とんぬらは容態を窺う。

 

「どうだゆんゆん? 食べられそうか?」

 

「うん、みかんならいけそう」

 

 この想像妊娠の呪いは無駄に再現度が高いようで、いわゆる、“つわり”というのまで来た。

 白米もパンもダメだし、魚に肉もダメ。ケーキとか濃い甘さのもダメ。

 色々試行錯誤した結果、みかんなど甘酸っぱい果物みたいな、本当に軽い食べ物なら何とか喉を通るらしかった。

 

「……ごめんね、とんぬら」

 

 ベッドの脇の椅子に腰を下ろし、みかんの皮を剥き始めたとんぬらは、その唐突な、けれど心当たりのあるゆんゆんの謝罪に目だけを向ける。

 

「なぜ、謝る」

 

「だって、迷惑をかけてるし……」

 

「迷惑をかけているのはこちらの方だ。俺に巻き込まれて、ゆんゆんは呪いをかけられたようなものだからな」

 

「ううん。違うの。……私、この状態、ちょっといいかな、って思ってるから」

 

 それは、めぐみんも危うんでいたこと。

 病気を治すには病人の意思が何よりも大事である。そして、病も気からというように呪いもまた同じ。呪いをかけられているゆんゆんにその気がなければ、それを解くのは難しい。

 賢いゆんゆんは自分がこの仮初の状況を望んでいるふしがあることがわかっているだろうし、このままではいけないことも理解している。

 でも、現状に甘んじている。

 それで、自分を責めているゆんゆんだが、とんぬらは責めることはない。

 

「仕方がない。これは、望んでいるものを形にしたものだ。それを無視するなどそう簡単にできるはずがないだろう? まあ、多少頭がお花畑になっているとは思うが」

 

「でも……、――それじゃあ、とんぬらは、どうなの?」

 

「どうとは?」

 

「とんぬらは、想像妊娠(のろい)を、治したいと思ってるんでしょ」

 

「ああ」

 

「じゃあ、…………とんぬらは、望んでいないの?」

 

 初夜も迎えていないというのに、マタニティブルーになるとは、気が早すぎるにもほどがあると思うが……これは呪いの再現度だけではないだろう。

 これはきっと、自身とは違い想像妊娠を治そうとする自分に不安を覚えている……と、

 

「バカだなあ。そんなの一々不安がるとは杞憂もいいところだぞ」

 

「な、何よ。私は真剣に悩んでいるのに」

 

「わかったわかった。もう察しろとは言わん。……ゆんゆん、俺は望んでいる。ゆんゆんと幸せに生き、家族になることを願っている。だから、必ずこのウソ偽りではなく、本当に叶えてみせることで、この想いにウソ偽りがないことを証明してやる」

 

 一言一言を噛みしめるように、想いを紡ぎ、そして、最後は、

 

 

「俺は、世界の誰よりもゆんゆんのことをあ、い

 

 

 

 ――――、パルプンテだ」

 

 

 言い切っ、た……?

 

「どういう、ことなの? とんぬら、今のパルプンテって……」

 

 意味を理解しようして、やっぱり言語変換できないゆんゆんが戸惑いながら訊いてくるも、とんぬらは、こほん、とひとつ咳払いをして、

 

「……すまん。察しろ」

 

「えええっ!?」

 

 前言撤回する。

 けして舌を噛んだわけではない。ただ、自分で自分でもこれは男らしくないと思うものの、この五文字を口にしようとするとどうしても羞恥のブレーカーが落ちて、自動変換されてしまう。今のとんぬらはとってもバニルの美味しい悪感情(ごはん)製造機になっている。突撃隣の晩ご飯しかねないほどに大爆笑でご満悦である。

 ただし、それに納得のいかない彼女は当然のように両腕をぶんぶんと振って、

 

「ちょっととんぬら、ちゃんと言ってよ! 何を言おうとしたのかすっごく気になるじゃない!」

 

「……十五だ。大人になったら、言うから。待ってくれ頼むゆんゆん」

 

「~~~っ! もうっ! わかったわよ! 十五になったら聞くから……絶対に答えてね?」

 

「ああ、約束する」

 

 ……ただ、これまでの付き合いから、告げられなかったけれども、伝わったのだろう。この先取りしたマタニティブルーは解消されたようで、不安な色は表情からなくなっていた。

 

「とりあえず、変なことは気にせず、この折角の苦難を楽しんでおこうか。……将来の予行練習になるしな」

 

「じゃあ、……もうちょっと、甘えさせても、いい?」

 

 雛鳥みたいに唇を突き出してくるゆんゆんに、とんぬらは剥いたみかんを一口入れた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「バニルさんは、やりすぎです」

 

 それはバイトが戻って久しく自由な時間を得たウィズから魔道具という名のガラクタが揃ったカタログを取り上げたときの事。

 

「何がやり過ぎなのだ?」

 

「もっと相手に優しくできないんですか! とんぬら君の罰ゲームだからってゆんゆんさんに、あんな呪いをかけるなんて……! 二人ともとっても真面目でいい子なのに、厳しいと思います! それに私の自由時間ももっと増やすべきだと思います……!」

 

 とカタログを取り返しながら訴える。

 

「何を、戯言を……。厳しくなければ罰にはならんだろう? 赤字を生み出す才能に恵まれしポンコツ店主はどう矯正しようがガラクタの蒐集癖が治らんようだがな! 汝の働けば働くほど赤字を生むその呪いの方がよっぽど忌まわしいわ!」

 

 と取られたカタログを更に奪う。

 

「バニルさんの悪魔!」

 

「うむ、我輩は悪魔であるぞ」

 

 ぷくーと頬っぺたを膨らませて拗ねるウィズからは、あの氷の魔女時代の面影がさっぱりない。

 自然体で人を惹きつけるカリスマ性溢れる、地獄の公爵である己と互角に近い勝負を繰り広げた稀代の魔法使いであったのに……そう、仲間のために人間であることを止めた。

 

 ――これは、あの竜の小僧にもある性質だ。

 あれが“形振り構わず魔法により進化した結果、己と同じ公爵級である最上位悪魔をも滅ぼし、そして己も竜となって滅んだ未来”を視たが……

 あれは、マズい。

 優秀で利用価値の高く、何より美味しい悪感情を頂ける人材とは長い付き合いでありたい。

 なので、子供を宿す未来を体験させて、娘と将来を約束させる――捨て身がちな悪癖を正す荒療治をしてやったのだ。

 これから行われる“計画”の下準備として――

 

「さあ、働けぽんこつ店主よ。汝にガラクタを漁らせる時間など与えんぞ!」

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 グランドラゴーン:ドラクエⅢに出てくる隠しダンジョン『氷の洞窟』の最深部に鎮座するボスモンスター。ヒドラ系統の中で最も難敵。かつてある冒険者が戦いを挑んだ伝説のドラゴンという逸話がある。

 原作では賞金額十億のクーロンズヒュドラが、変異種となって倍の二十億のグランドラゴーンに。とんぬらのハードラックで難易度が上がりました。

 

 退魔の太刀:ドラクエⅧに出てくる武器。悪魔特攻の最強クラスの剣。ドラクエ世界には珍しい和風の刀である。

 作中では、『結界殺し』の特性に、カズマから伝え聞いた日本刀の製法を取り入れた紅魔族随一の鍛冶屋の息子が打った。

 命名・杓子(『猫も杓子も《禰子(ねこ)も釈氏も》』)

 

 ドラゴンローブ:ドラクエに出てくる防具。一目見ただけで圧倒されるほどの強い魔力を放っている。

 シリーズを通して、最高守備力と圧倒的な耐性を持っており、打たれ弱い魔法使いにとって最強装備候補。

 作中では、実験及び素材提供に協力した紅魔族随一の服屋の作品。デザインはローブというより、フード付きのケープ。




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