この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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75話

「こちらの写真に載っているのは、『安眠枕』です。地獄の帝王もぐっすり眠らせると紅魔族の魔道具職人が『スリープ』の魔法を掛けて手がけた品です。

 その隣の写真に映っているのが『大きなメダル』。アクシズ教団の『小さなメダル』のビッグサイズです。大き過ぎて造ってしまった試作品で数はそうない希少品。盾としても使えますし、門前に飾れば魔除けにもなりましょう」

 

「ふむ……では、こちらにある食器は?」

 

「お目が高い。王宮御用達の『銀のティーセット』です。第一王女アイリス様もご愛顧されているとか。

 ちなみに、次のページに載せられた写真の品は、『こわもてかかし』。そんじょそこらのモンスターは退散してしまう品ですので、農家の皆さんにはとても気に入られるでしょう。

 それと、その下にあるのは、『秘湯の花』。これは、温泉街ドリスにて、万病に効くという幻の湯の花。温泉成分がたっぷり入った天然入浴剤です。肉体労働に励む方も、この入浴剤を混ぜた湯船につかれば日頃の疲れが一発で取れる事でしょう。

 そして、こちらは『チゾットのコンパス』。職人が一つ一つ丁寧に作る正確なコンパス。非常に人気が高く、予約は一年待ち。でもこれさえあれば、洞窟の中で迷った時でも安心、方位を示してくれます。冒険者の方にきっと役立てるでしょう」

 

「私は貴族なのだが」

 

「格式高い本場のオークションではなくあくまでお祭りですので、身分を問わず街の皆が満足いただけるよう幅広く品を取り揃えています。

 アンダイン様のお目に叶う品となると……こちらの『砂漠のバラ』なんて、いかがでしょう?」

 

「ほお。これは観賞用にいいかもしれんな」

 

「砂漠に見られる、花の形をした結晶。これは、砂漠の砂が風で吹き付けられて固まり、美しい花のようになったもの。かつて水があった砂漠において砂に含まれるミネラル成分が凝固し、バラのような形に結晶化した、自然現象がもたらす神秘の産物。とても繊細な品なので扱いを丁寧に保管できる方の手に渡るのが望ましいと思っております」

 

「私ならば問題はない。私はただ集めたのを宝物庫に放り込んだままなどしない。使用人らに毎日徹底して管理させているからな」

 

「他にも、『ボトルシップ』。瓶の中に、その瓶の口径よりはるかに大きい船の模型が入っている工芸品」

 

「これは私も持っているぞ。この写真に載っている物よりもずっと大きなのをな」

 

「それでは、こちらの『ルラフィンの地酒』なんていかがです? 『これを飲んでいるとき以外の人生はオマケに思える』ということから、『人生のオマケ』という名がついた、知る人ぞ知る一品。これを作るルラフィンの住人は冒険者に『恐ろしく不味くて忘れられた酒』と語るのですが、実際は非常に美味で貴重であることから、住民が付いたウソなのです。これはなかなか表には出回らない品でしょう」

 

「ふうむ……これは私も初耳だ」

 

「それから、我が『アクセル』で営む魔道具店の名物店主が探し当てたこの名産品、『パオームのインク』。象モンスターの牙をくりぬき、その中に特殊なインクを詰めて長期熟成させた、未来永劫決して色褪せない魔力の篭ったインク。……なので、間違って書いた文字を修正するのに大変苦労しますが。

 これに合わせて、『妖精の羽ペン』。軽やかな書き味で、字を書くのにも絵を描くのにも最適……

 とまだありますが、これらがオークションで出す品でございます」

 

 これまでかき集めてきた、オークションに出展予定の品を紹介するカタログ本を『今日はここまで』と閉じるとんぬら。千夜一夜物語の如く続きを気にさせる幕引き(しめ)である。

 この応接間のテーブルの対面に座す屋敷の主人へ視線を切ることなく前を向いたまま、隣にいる相方のゆんゆんへとカタログ本を滑らして渡す。

 

「エリス様感謝祭で行うこのオークションに、“この『アクセル』随一のコレクターと名高い”アンダイン様にもご参加いただければ、イベントの格が上がり盛り上がるであろう、と思っております」

 

「うむ。確かに王都でも私ほど目の肥えた人間はそういないであろうな」

 

「そうでしょうとも。ええ、風の噂で耳にしたことがありますが、アンダイン卿は、かの神器を家宝にされていらっしゃるとか」

 

「ふふん。確かにこの街でエースである君らでもあっと驚くような品を有しているぞ。装備すれば無敵になる代物をな」

 

 絶妙に琴線をくすぐってくるとんぬらの文句に、貴族の男は機嫌よく口髭を指で撫でる。

 

 蒐集癖があり、珍しい品を集めていくのが、コレクター。

 そして、コレクターというのは、集めるだけでなく、人にも見せたがる。自分はこれほどすごいものを持っているのだと見せびらかしたい。

 

 要するに、レア物を手に入れる達成感だけでなく、他人が持っていないレア物を持っている、優越感にも浸りたいものなのだ。

 しかし、自慢したいのは“物の価値がわかる”コレクターの同士であるのが望ましく思うのがコレクターである。

 一度目の顔合わせ。秘蔵の品を拝ませるにはまだまだ勿体ぶりたいところであるも、存在を仄めかすように口を滑らすアンダイン。

 

「エリス教も()()()品を集めているようだ。いや、あそこは清貧といい、寄贈された品はすぐに売りに出してしまうと聞いていたからね。まったく物の価値というのがわからん輩だと思っていたよ」

 

(むっ……)

 

 その見下す発言に、隣に寄り添うゆんゆんが不快気になるのが、一瞬息の詰まった雰囲気からわかる。とんぬらはアンダインが自分から注意を逸らさせぬよう速やかに営業スマイルを浮かべて、

 

「これも我々のオークション品を募る呼びかけに応えてくれた多くの出資者が協力してくれたおかげです。なにせ、今年のエリス様感謝祭には、アクシズ教が参加してきますので」

 

「なに? あのアクシズ教がか?」

 

 流石は天下に轟く(悪)名高きアクシズ教。貴族様も口髭を撫でるのをやめて顔をしかめる。

 

「それはご愁傷様だ。あんなのに絡まれるのは哀れでならんよ」

 

「エリス教は国教といえども、アクシズ教は魔王軍すら敬遠する極めてインパクトの強い集団です。何をしてくるかはわからない。特にエリス教をライバル視している。……なので、大変厚かましいのは重々承知しておりますが、アンダイン卿にも出展いただけたならきっとその一品はオークションのメインを張れるでしょう、と助力を乞いに来たのです」

 

 寄付してもらえないか、と自慢のコレクションを拝見させる……アンダイン側からすれば、これは自慢するのに良い機会である。

 

「ふむ、庶民にも手が出せるような品は生憎持ち合わせておらんのでなあ」

 

「そうでしたか。それは」

「わたわた」

 

 ととんぬらがアンダインを相手にしている間、お隣のゆんゆんの腰の上には先日、テイムしたばかりの綿毛の精霊が抱っこされている。ちょっと目を離す隙に部屋をしっちゃかめっちゃかにしてくれて、“待て”も十秒以上我慢できない。そんなわんぱく自由奔放な悪戯っ子は留守番もさせられない。ので、こうして、躾けるまでは常に傍にいさせることにしたのである。ゆんゆんからすれば、こんな小さくてもふもふとしたかわいらしいものに四六時中触れ合えるのは歓迎である。とんぬらとしても、これでまだ少し燻っていた『子供が欲しいアピール』が治まってくれるので助かっている。

 

「(こら、だめっ。わたぼう!)」

 

 とはいえ、このような交渉の場に連れてくるのはまずかったか。

 ゆんゆんにわたぼうを任せ、とんぬらがひとりで屋敷へ行くことも最初に考えた。でも、二人で『アクセル』を代表するエース。要するに一緒(セット)であるほうが見栄えが良いのである。とんぬらがひとりで交渉に赴けば、プライドの高い貴族様は片手間で相手されているように感じるだろう。蒐集家の感性からしても、二個で一セットな品を片割れしか手に入れられないのは、しこりが残ってしまうように収まりが悪いし、気分も悪い。完璧主義であれば『こんなのとても人様に自慢できるような状態ではない』というコレクターもいるだろう。

 

 そこまで考慮した結果、とんぬらはゆんゆん、わたぼうを連れて、アンダインとの顔合わせに望んだ。口八丁を駆使して、名目上として今回のエリス様感謝祭のマスコットである“クリスの花畑の精霊”という触れ込みで紹介しておいたけれども……

 

「わたー」

「(わたぼう、大人しくしてってば!)」

 

 小声で叱りつけるという器用な真似をするゆんゆんが抱きしめるも、遊びたい盛りの子供のようにあまりジッとしていられないわたぼうは腕の中でじたばた。

 

 これは、叱責覚悟で顔色を窺うとんぬらが見たのは、意外にも興味深そうに目を細めるアンダイン……ただし、それは先のカタログ本を見せた時とよく似ている目の色。

 

「とんぬら殿、そちらの生物は何でしょうか?」

 

「わたぼう、と名付けました。ケセランパサランに類するものかと推理していますが、おそらくは新種の精霊であるかと」

 

「新種! ほうほう、確かにこれは私も見たことがない」

 

 これは意外にも好印象だ。しかし、とんぬらは嫌な予感がした。

 

「そういえば……君は、あの初心者殺しの変異種も飼い慣らしているようだね」

 

「はい。ゲレゲレはとても賢く、また従順です。勝手に人間を襲う真似はしません」

 

「ふむふむ、人に懐く初心者殺し、か……では、こういう交換条件はどうであろう?」

 

 にんまりと笑い、アンダインは尊大に言い放つ。

 

「そちらの新種の精霊と変異種のモンスターを譲ってくれるのならば、私からも何点かオークションに寄付してやろうではないか」

 

「なに?」

 

「実は貴族の間では、強く、また希少なモンスターを手元に置くのはひとつのステータスなのだよ。そうだな、宮廷道化師が使役したというのもプレミアとして評価し、一千万エリスの値打ちのする宝石を出してやろう」

 

 どうだ? 大盤振る舞いしてやったぞ、と口髭を撫でるアンダイン。

 つまり、この貴族は、とんぬらの仲間モンスターをコレクションにしたいのだろう。

 普通では手に入らないモンスター……そう、物扱いにしているのだ。

 

「あなたのような人にうちの子は絶対わた…………もがっ!?」

 

 カッと目を紅くしたゆんゆん。意外に頭に血の昇り易く、特に身内の為ならば魔法もぶっ放しかねない紅魔族の次期長の口を反射的に塞ぐとんぬら。

 

「ん~! もごもご! もごもごもがもご!」

 

 えぇい、喋るな。掌を柔らかい感触が行ったり来たりして気持ちいいだろうが! というか、今なんかチロッと湿った感触がくすぐったんだけど、まさか舐めたりしてないだろうな!?

 とんぬらはゆんゆんに顔を近づけ、耳元で囁く。

 

「((交渉は)全部俺に任せるという話だったろうゆんゆん)」

「んん~ん……」

 

 口を手で押さえられたゆんゆんは大きな瞳をうるうるとさせ、頬と耳も真っ赤に染めつつもジッととんぬらを見つめていて……やがて、こくんと頷いてくれたのを見て、手を放す。

 相手は、一応は、貴族様だというのに、感情的になり易いから矢面に立つ交渉役は控えてもらっている。――とはいえ、とんぬらも、ゆんゆんと答えは同じだ。

 

「それは、できません」

 

「は?」

 

 アンダインが固まり、理解できないものを見るような目でこちらを見ている。

 

「私が集めた貴重なコレクションがいらないと申すか?」

 

「価値観の相違というやつでしょう、アンダイン卿。仕方がありません。あなたからオークション品を募るのはやめておいた方が賢明のようです」

 

 アンダインの声が、急に冷たいものに変わる。相当イラついているようだ。この圧迫もまた、貴族なりの交渉の手口なのだろう。

 あからさまに怒っておけば、次回の交渉の際に自分が優位に立てる。無礼を働いてしまった相手と交渉するためには、もっと下手に出るしかないのだから。多少の無理難題も聞かざるをおえなくなる。

 アンダインは次回を見据えて交渉を有利に運ぼうとしている。

 

 けれど、とんぬらには通用しない。

 何故ならば、次の交渉などないのだから。

 

 とんぬらは、寄付してもらえる……なんて、微塵も期待していなかった。

 コレクターが慈善でコレクションを手放すなど期待する方がおかしい。またアンダインが集めた方法は非合法なものであるとすでに聞き及んでいる。何かと理由をつけてボランティアを断るに違いない。今回の訪問はあくまでも“探りを入れる”のが目的だ。ここで、アンダインが目当てとなる家宝――神器を見せてくれればそれで十二分、存在を仄めかしてくれるだけでも裏付けとして十分の成果だ。そう、すでにこの屋敷に立ち入った時点で、地形探査呪文『フローミ』にて、隠し部屋の位置まで把握しているのだから。

 

「ゲレゲレもわたぼうも私にとって大事な仲間で、家族です。パーティを売る冒険者はいないよう、たとえ億を積まれたってこいつらを渡す気は一切ありません」

 

 口調こそ丁寧だが、拒絶の意をしっかりと篭められた言霊。不愉快気に眉間に皺寄せるアンダイン。

 これ以上の交渉はない。そう態度で示すとんぬらは席を立ち、ゆんゆんもそれに続く。

 

「……そうか、残念だ。非常にね」

 

 その背中を、アンダインは椅子から立ち上がることなく、険しく睨むだけで引き止めはしない。

 来るもの拒まず去るもの追わず…………なんて、甘くはないはずだ。

 不幸に敏感な己の直感が警報を鳴らしている。何かを仕掛けてくるかもしれない。『これは用心せねば』とゆんゆんの腕を引きながらとんぬらは肝に銘じた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 強きモンスターしか活動の出来ない過酷な冬場とは違って、夏場は弱いモンスターが活発になるシーズンだ。

 そんな大量発生したモンスター討伐のクエストが連日冒険者ギルドに貼り出される。森に大発生する昆虫系モンスター、その中でも大型セミはおよそ一月もの間、夜中でも喧しく鳴き喚くので安眠妨害の苦情が多く、早急に退治が求められる。

 森以外の場所でもモンスターは大発生しており、冒険者ギルドは様々な支援物資を無償で提供するキャンペーンを展開したり、討伐報酬を上乗せしたりして冒険者たちのやる気を上げている。

 

 とんぬらとゆんゆんも、ここ数日は朝からモンスター討伐に出掛けると、昼からは魔道具店のバイトをしながら祭りの準備を手伝う。忙しい毎日だ。

 今日も山に巣を作ったレッサーワイバーンを、プオーンを『モシャサス』でもって巨大化させた1/4スケールブオーンが、空飛ぶ亜竜に蠅叩きを決めて、墜落したところをゆんゆんの上級魔法で一掃。今日もまた大活躍をして、ギルドに帰還した『アクセル』のエースは……同じように森で大量発生したセミ討伐に狩り出されていたカズマに声を掛けられ、ゆんゆんと別れてひとり酒場の奥のカウンター席へと連れ込まれた。

 

「……何の用だ、兄ちゃん。今日はこの後にバイトは入っていないけれど、予定があるから手短にな」

 

「まあまあ、とんぬら。すんませーん、こいつに冷えたクリムゾンビアをひとつ!」

 

 やや強引だがしょうがない。クリムゾンビア一杯分は付き合おうか。

 とんぬらは席に着くと、隅の方の卓にフードを目深に被ったのがひとり。その彼女からは人ならぬ匂いを覚えて、ピクンと片眉だけ僅かに上げる。

 

「兄ちゃん、困るぞ。俺は敬遠させているんじゃないのか」

 

「すみません。私がカズマ様に無理を言ってお願いをしたんです」

 

 フードの奥に垣間見えた顔は、見た目幼い少女。しかし、薫る妖艶な気配は、悪魔。それも色香で男を惑わすサキュバスだ。

 この駆け出し冒険者の街で飲食業を営むロリサキュバスが、カズマを仲介に、とんぬらひとりを呼びつけたのだろう。とんぬらに近寄るサキュバスなんてパートナーが見かけたら大変である。

 

「わかっている。でも、これは、この街の全男性冒険者にとって重大な、オアシスの存亡に関わる問題なんだ」

 

「わりと今、手いっぱいの状況だからあまり厄介事を抱え込みたくないんだが」

 

「頼む! これはとんぬらにしか頼めない事なんだ!」

 

 真剣に頼み込んでくるカズマ。

 ……多分、事情を聞いたら引き返せないと思われる展開と見たが……嘆息ひとつ。気づくのが遅れたが、このカウンターのバーテンダーは男性で、店内の席は男性冒険者で埋められている。ウェイトレスも、この書き入れ時のランチタイムに不自然に見かけない。

 ロリサキュバスだけの紅一点で、ほぼ黒一色。そんな詰めかけたサキュバスのファンたちに包囲されている状況下で、サキュバスを泣かすようなことをすれば、どうなるか。考えるだけでめんどうくさい。

 

「……はぁ。わかった。話を聞くだけ聞こうか」

 

「ありがとうございます!」

 

 バーテンダーから出されたクリムゾンビアをとんぬらがやややけっぱちに煽ると、ロリサキュバスは話し始める。

 

「お話します。私達の経営する店がとある団体に追い込まれてしまいました」

 

「とある団体……?」

 

「はい。その団体は女性のみで構成された恐るべき組織……『女性の婚期を守る会』です!」

 

「はあ?」

 

 予想だにしない回答に、思わず首を捻ってしまうとんぬら。

 

「『女性の婚期を守る会』、ねぇ。それがあんたらの店とどう関わってきたんだ?」

 

 ロリサキュバスは説明する。

 異様に男女の交際率が低いこの『アクセル』。それは、サキュバスの商いで男性の性的欲求が発散されているからである。そのせいで、女性にがっつかれることがなくなり、恋人もできずに結婚適齢期を過ぎても独り身が多い。

 言われてみると、確かに周囲の冒険者に既婚者や恋人がいるのはほとんどいない。おかげで、自分たちが目立っている。

 して、独り身の不安が溜まった女性達で結成されたのが、『女性の婚期を守る会』である。

 

「そんな組織が、この『アクセル』に存在していたとは、俺も初耳だな」

 

「うちのお店が男性冒険者にしか広まっていないのと同じで、あちらも婚期が近い、もしくは過ぎてしまった独身女性のみが知る秘密結社らしいです」

 

 これはまた……。

 この駆け出し冒険者の街は、水と温泉の街と比べれば魔境としては格段に落ちるものの、侮れない街である。同郷の天才児な問題児が馴染めていることから察せるように、故郷・紅魔の里に近いレベルで変わり者が多い環境だと思われる。

 

「その『女性の婚期を守る会』が、うちの店が怪しいとの情報を掴み、店の周りを変装した関係者が常時うろつくようになったんです」

 

「ご愁傷様だな」

 

「はい。ですが、お店では皆さんにアンケートを書いてもらうだけで、日頃は喫茶店を装っています。怪しいものは何もありませんので今までは誤魔化してこられたのですが……『女性の婚期を守る会』の会長が、女性の検察官で、彼女が指揮を執って店に査察しにやって来たんです」

 

 これはサキュバスにとっては、厄介な相手である。

 サキュバスは女性が相手でもチャームで支配することは可能であるも、『女性の婚期を守る会』の会長が急に態度を変えるのは怪しまれるし、聞くところによると『女性の婚期を守る会』には、プリーストもいるので異常が見られればすぐに解呪されるであろう。

 トップの懐柔はほぼ不可能。そして、相手の検察官は尋問に使うウソを看破する魔道具でもって捜査に乗り出したという。

 

「……でも、その話し振りから聞くと、ピンチは免れたのではないのか?」

 

「カズマさんやダストさん、常連様のおかげで営業停止に追い込まれるのは脱することができました。……とりあえずは、ですけど」

 

 『女性の婚期を守る会』は警察の中にも会員がいるようだけれど、同じようにサキュバスのドリームサービスを愛好する男性が警察にいる。彼らが抜き打ち捜査の事を報せてくれたおかげで、事前に対策を立てることができた。常連客らはこの周囲には秘密厳守としているサキュバスのお店を、『男性の悩み事を聞いてくれて、女性目線でのアドバイスをくれて、占ってくれる良心的なお店』という設定で客と店員が協力する、劇団的な対応で誤魔化すことにした。

 優しく可愛い店員さんたちに悩みを聞いてもらい癒されるから、この街の男性冒険者は女性に対して貪欲にはならないのだと。決して裏で怪しげな風俗営業はしていないのだと。

 

 男性冒険者たちはそれもう必死にサキュバスを庇い、時には自らを女性に欲情しない同性愛者などと偽ったりして……でも、会員の中には冒険者の手口を良く知る受付嬢も交じっていたようで、企みを看破。最終的には店員の正体がサキュバスであるとバレてしまったという。

 

「それでどうしたんだ?」

 

「私達は、『女性の婚期を守る会』の説得を試みました。男性冒険者とサキュバスは共存共栄の関係で、実際、男性による犯罪は他の街と比べて少ないなど利点を述べて、見逃してもらえないかと」

 

 冒険者の多い街は普通、犯罪率も高い。魔物とやり合う稼業なのだから、荒くれ者が多いのは当然だろう。

 けれど、サキュバスの店でいい具合に精気を抜いてくれるおかげで、欲望が減衰し、穏やかになる。その影響は検察官など警察関係者には特に実感できるもののはずだ。

 

 『女性の婚期を守る会』の会長はそれでもなかなか折れたりはしない。犯罪率が下がるのは良い事だが、同じように女性の既婚率もますます下がっているのもまた事実である。といちゃもんをつけてきたのだ。

 

「なかなか折れてはもらえず……私達はひとつ取り引きを持ち掛けたんです」

 

「なるほど。欲望を刺激する甘い誘惑……悪魔らしいやり方だな」

 

 サキュバス達は、『女性の婚期を守る会』の会長へ言った。

 

 もし、見逃していただけるなら……好みの男性の夢に毎日、『女性の婚期を守る会』の会員の皆様方を出現させて、惚れさせることも可能ですが? と……。

 

 この誘い文句が思いの外、効果覿面で、『女性の婚期を守る会』は矛先を収めてくれた。サキュバスの手を借りたいほどに、結婚願望が強かったのだ。

 こうして、サキュバスのドリームサービスは、恋愛相談もとい婚活システムみたいなのを新たに始める。……けれど、彼女たちにひとつ、無茶な注文が入っていた。

 

「それはどんな無理難題だったんだ?」

 

「はい、そこでとんぬら様に、お願いがあるんです」

 

 ここまで、サキュバスのドリームサービスのお世話になったことがないとんぬらには他人事。なのだが、彼の不幸体質というのはまったく関係のないところから舞い込んでくるという、とばっちりなところもあるのだった。

 

「実は、『女性の婚期を守る会』の会長……セナ検察官より、『ヌラー様に私との夢を見せてほしい』と注文をされたんです」

 

 ……ああ、なるほど。

 深くとんぬらは溜息を吐いてから、カズマを責めるように見つめ、

 

「兄ちゃん、それは“架空の人物”だって、セナさんに教えてやらなかったのか?」

 

「いやでもな。そう言っても納得してもらえないだろうし」

 

「だったら、相手がいるって言えばよかっただろ」

 

「『女性の婚期を守る会』の会長なんだぞ。そんなの教えたら、やけっぱちになってサキュバスの店をやっぱり立ち退きされることになるかもしれない」

 

 その場に、“謎の弁護請負人と知人である”ことになっているカズマも居合わせていたこともあって、コンタクトが取れないとは言いづらく、また悪魔にとって契約事とは全力を尽くして果たすべきものだという意識が徹底されている。

 これ以上溜息を零さぬよう天を仰ぎ、仮面に手をかけ掌で顔を覆う。もう頼みごとの内容はわかったけれど、とんぬらはあえて訊ねた。

 

「つまり、結論は何だ?」

 

「とんぬら様に私達のサービスを利用してほしいんです」

「それで、できれば、セナに脈ありっぽいとまではいかなくていいけど、微妙に意識してるくらいの反応をみせてほしい。サキュバスの夢の影響があるのを仄めかす感じに」

 

「兄ちゃんはさらっと結構神経を使う要求をしてくるな」

 

「ほら、とんぬらは頭がいいしできる奴だし。紅魔族随一のプレイボーイってよくめぐみんにも言われてんだろ?」

 

「風評被害だ。やればできるのだとしても、俺はそんな不誠実な真似をやりたいとは思わん」

 

 二人の意見をまとめると『サキュバスではないが独身女性に接待をしろ』ということ。王都で営業されているというホストみたいだ。

 

「……事前警告として教えておくが、うちの寝室にはすべてを見通す覗き魔の隣人対策にアクア様から魔除けの結界を張ってもらっているし、強引に押し入ろうとすれば、サキュバスはまず間違いなく残機を減らされることになるぞ」

 

 加えて空を飛ぶダブルベッドで毎晩一緒に寝ているパートナーは、サキュバスに恐れられるデビルスレイヤーである。

 

「それは、わかっています。ですから、他のお客様と同じように別の宿屋に泊まっていただければ……もちろん、料金は頂きません。宿代も私達の方で出させていただきます。ですから!」

 

「結構だ。俺はサキュバスの世話になったことはないし、なるつもりもない」

 

 一気に煽り飲み干したジョッキを置いて、とんぬらは席を立つ。

 

「求められて夢を見させるのは、良いんじゃないか。“ヌラー様”の偶像を使っても俺は文句を言わない。所詮は夢幻(ゆめまぼろし)だからな。でも、同意も得ていない夢を見せるのは勘弁してほしい。これは当人の魅力どうとか以前の問題で」

 

「なあ、とんぬら。そりゃ良い気分がしないのはわかるけど、夢を見るだけなんだし、実際に浮気をするわけじゃない。俺達だってこんなことを吹聴する真似は絶対にしないから。ここは折れて、サキュバスの頼みを引き受けてやってはくれないか?」

 

「それは無理な相談だ。俺はこの事に関しては折れる気どころか、曲げる気もない。誰に何と言われようともな。そもそもサキュバスの尻拭いに付き合ってやる義理もない」

 

 カズマの目を真っ向から見て、とんぬらは真っ直ぐな言葉をぶつける。

 

「『アクセル』で、こうもあっさりサキュバスの嘆願を断る男性冒険者はとんぬらくらいだぞ」

 

「変態師匠からは、サキュバスを見逃す宗教関係者は馬鹿弟子くらいだと言われている。エリス教徒でも見かけたらダッシュで殴り掛かるのもいるし、それと比べればだいぶ寛容な対応をしているぞ俺」

 

 場の雰囲気を悪くしてしまったかもしれないけれども、それでも譲れない一線がある。街の冒険者の半分の嘆願を断ることになろうとも、国ひとつを敵に回した大魔導士の弟子として。それに、『私以外は見ないように』と精一杯のお願いを受けた以上は、たとえ夢でも他の女にうつつを抜かすような真似は彼女に対して不義理だと考えている。

 

「兄ちゃん……夢に耽溺する必要はなかったから別に構わないが、それでも俺を省いておいて、困ったら頼りにしてくる。これはいくらなんでも勝手が過ぎるのではないか? サキュバスは互いに利益のある商いであるからこそ人間と共存共栄ができているものと認められた。なのに、そちらの都合だけで、サービスを望まぬ相手に一方的な押し売りをしては、本末転倒であろう」

 

 俯いてしまうロリサキュバスに、とんぬらはさらに続けて言う。

 

「バニルマネージャーもこう言うだろうな。『白紙の小切手を迂闊にやって、出来もしない契約をされてしまった悪魔が悪い』と」

 

 この文句にロリサキュバスはぐうの音も出せず、これ以上引き止める手も伸ばせない。

 

「正直に言えばいい。『力及ばずその契約は果たせませんでした』と。悪魔族にとっては不名誉なことであろうが、人間社会に生きる上ではそれが最も誠実な対応だ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――説得、失敗してしまった。

 

 卑怯なくらいアウェーな場に誘い込んで、同情を誘いやすいようロリサキュバスを抜擢しての泣き落としまで使って交渉を試みたが、きっぱりと断られた。実力行使に出ようとも、とんぬらは街のエース。それに日頃世話になっている。

 他にもこの街の冒険者は、クエストで危機を陥った時に通りかかった(巻き込まれ体質の)エースに助けてもらったりしているので、恩義がある者が多い。リア充爆発しろと思うことは多々あるが、若いながら漢であると認めている。警察が立ち入ったサキュバスの店で同性愛(ホモ)疑惑の濡れ衣を被ってみせた街随一のチンピラ・ダストでも、『ドラゴンの逆鱗に触れるのだけは勘弁』と今回の集団圧迫説得作戦の出席を辞退するほど。前領主がいなくなり鬼畜度が街随一とすべてを見通す悪魔から称されたカズマもとんぬらにあまり無理強いをするのは遠慮したかった。

 結論を言ってみると、こうして集まって酒場を一時占領してはいるものの、強くは出づらい相手なのだ。機動要塞『デストロイヤー』を前にして一致団結した時ほどのテンションはない。

 

 けど、サキュバスのドリームサービスがなくなってしまうのはすごく困る。

 『女性の婚期を守る会』の会長の機嫌を損ねてしまうわけにはいかないのだ。

 かといって、この件にとんぬらを頼ることはできない。

 

「……はい、そうですよね。いない者に夢を見させることなんてできません。できない契約をしてしまった私達が悪いんです」

 

 消沈するロリサキュバス。店は惜しいが、命の方が大事だ。

 

「……いや、待てよ」

 

 ふと、今の言葉にひとつ閃いた。

 

 そうだ。

 存在しない“架空の人物”であるなら……ちょっと顔を借りるくらい構わないだろう。とんぬらも偶像を好きに扱っても構わないと言ってたし。

 そう、カズマは先日貰ったあの杖があれば、とんぬらを頼るまでもなく、サキュバスを悲しませないで済む。変化して、ちょろっと『これまで君の魅力に気づかなかったとは、なんて俺の目は曇っていたんだ』とか言えば、『女性の婚期を守る会』の会長も“夢を見させる”という契約を果たしたのだと思ってくれる。そうすれば、サキュバスの店を撤去させようなんて考えないはずだ。

 

「おい、まだ諦める必要はないぞ」

 

 酒場に集まっている同志たち、そして、ロリサキュバスへサトウカズマは力強く言った。

 

 

「俺が、ヌラーになる!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

(……ああは言ったが、放っておくわけにはいかないよなー……フォローを入れるべきだろうか……)

 

 今はとにかくやるべきことをやってから、と結論付けて、とんぬらは切り替えた。

 今日、とんぬらが向かうのは、『アクセル』の街の外れにある小さな孤児院。

 そこは、エリス教会の人間が食事を持ってきたり、裕福な街の人達が、余った身の回りの品々を持ち寄ったりする、そんな場所。祭りの準備で忙しいエリス教のプリーストに代わって、子供たちの面倒を見にやってきたとんぬらは……辿り着いて早々、只ならぬ物々しい雰囲気を覚えた。

 

「とんぬらおにーちゃん!」

 

 ちょうど視界に建物全体が入った時、目前で孤児院のドアが開いて飛び出した子供が、とんぬらを見て泣きそうな声で叫んだ。

 半泣きしてる年下の子の様子は、一目で普通ではない事を悟らせる。

 

「どうしたんだ?」

 

「あの、あのね……あの……こ、怖いおじさんが来て、シスターもいなくて、それで助けを呼びに……っ!」

 

 話しぶりは要領を得ないが、大まかなことは察しが付く。とにかく急ごう。その前に――

 そっと……力強く子供の小さな体を抱き寄せる。

 

「安心しろ。ここからはこの『アクセル』随一のトラブルバスターに任せておけ」

 

「ぅ……ぅぇぇぇえんっ!」

 

 とんぬらに抱かれ、子供は声を上げて泣き出した。緊張の糸が切れたのだろう。

 小さい手で、ぎゅ~って子供にしがみつかれたままとんぬらが孤児院へと入る。

 

 

「んん~? 誰だ、テメェは?」

 

 スキンヘッドの強面の中年男性が、孤児院の談話室でふんぞり返って座っている。

 

「私の……せいで……」

「シルフィーナちゃんのせいじゃないわよ。だから、ね。そんなに責めちゃ……あっ、とんぬら!」

 

 その差し向かいの席には顔面蒼白のシルフィーナをゆんゆんがあわあわとしながらも落ち着かせようとしている。

 そして、談話室中央に設置されるテーブルの上には、割れた鏡が置かれている。

 

「ゆんゆん、子供たちを連れて、部屋の外に出てくれ」

 

「で、でも……」

 

「いいから。シルフィーナ、あまり無理をしない。ダクネスさんに心配されてしまうよ」

 

「……うん」

 

 ゆんゆんが、シルフィーナを宥め部屋から出す。

 それから、とんぬらはこの部屋で展開されている何とも分かり易い構図に頭痛を覚えたように仮面の下の眉間をやや顰めさせた。

 

「我が名はとんぬら。今この孤児院の関係者です。あまりこの場に居合わせるのは子供たちによろしくないと判断し、選手交代させてもらいました。早速ですが、大人のあなたに説明をしていただけるとありがたいのですが」

 

 入れ替わり席に着いたとんぬらが、男と相対する。

 

「いいだろう。順を追って話すとだな。俺は行商人で、先日購入していただけた商品を、この街の貴族の屋敷へ届けに行く途中だった。で、ここらで小休止して、馬車の馬を休ませていたんだが、そしたらさっきのガキが、荷台に入ろうとしたんだ。それで俺が一喝したら、びっくりして馬を驚かせて馬車を揺らしやがった。それで念のために箱詰めしていた商品を確認してみたら、この通り、割れてしまった」

 

「なんだと……?」

 

「もう商品は全額前払いしてもらっているんだ。ここは何としてでも損失分をきっちり賠償してもらわないと困るなあ」

 

 ニタニタと笑う行商人の男に、とんぬらは押し殺した声で訊ねる。

 

「それで……その賠償額はおいくらですか?」

 

「この鏡は、ある王家に伝わりし、『魔法の鏡』と言ってなあ。最低でも、億はくだらない品だ」

 

 やられた……!

 突然街にやって来た行商人が孤児院前で馬車を停め、それがちょうど孤児院を監督する大人たちがいない時間帯で――そして、叱られた子供が吃驚。その動揺に連鎖して馬まで暴れて馬車を激しく揺らし、確認すれば大事な商品が壊れていた……仕組まれている気がしてならない。

 そう、これは――

 

「……商品を取引した相手はどなたですか?」

 

「アンダイン様だ」

 

 十中八九、アンダインの狡猾な罠だ。

 クリス先輩より強引な手口で欲した物品を手に入れてきた蒐集家の貴族と話に聞いていた。つまりこれは、交渉を断った自分への報復じみたもので、それに子供たちを巻き込んでしまった……ならば、責任を取らねばなるまい。

 

「……わかりました。俺が、責任を取りましょう」

 

「そうか! そりゃあ助かる。この『アクセル』のエース様なら、アンダイン様にも納得していただけるだろう」

 

 なんて白々しいセリフだ。第一声で『お前誰だ』と訊いておいて、舌の根も乾かぬうちにこれか。言質を取ったらあっさり馬脚を現す。とんだ茶番だ。それにこの鏡……

 とんぬらは溜息をもらさずにはいられなかった。

 あの手の輩が、そう簡単に引き下がるわけがない。そんなことは重々承知していたはずなのに、それを放置していた。その結果が、これだ。

 

「一億エリス、アンダイン卿に支払えばいいんですね?」

 

「それはどうだろうなあ? アンダイン様は、お金ではなく、同じ一億エリスもの価値のある物品の方を望まれるはずだ」

 

 図々しくも物々交換を要求してくるか。アクシズ教よりも性質が悪い。

 

「わかりました。では、明後日まで、そちらが被った損失分の代償に、一億エリス以上の値打ちのする品をアンダイン卿に届けに行きます」

 

「うむ。アンダイン様に、そうお伝えしておこう」

 

「――待ってください!」

 

 順調に交渉が終わり、行商人が満足げに頷いたそのとき、バンッと談話室の扉が開かれた。

 現れたのは、先程、部屋から出したはずのシルフィーナ。どうしても様子が気になって聞き耳を立てていたシルフィーナはゆんゆんの制止を振り切って、行商人の前に出てきた。

 

「とんぬら様の責任ではありません。私のせいで商品を割ってしまったのなら、私がその負担を支払います! そうするべきです!」

 

「孤児院のガキが一億エリスを用意できるはずがねぇだろ。引っ込んでな」

 

「私は――」

 

 折角、言質を取ったのに事を荒立てようとするのに腹を立てたか、堪忍袋の短い行商人は子供相手に睨みつけて、シッシっと手を払う。でも、大の大人の威圧的な眼差しに怯まず、シルフィーナはさらに言い募ろうとした――のを遮るように、ガツンと、鈍い音がしてテーブルが大きく揺れる。

 

「おっと、すみません。足をぶつけてしまった」

 

 シルフィーナの口を塞ごうと立ち上がろうとして、とんぬらは“うっかり”テーブルに膝を強打してしまった。テーブルの上から鏡の欠片がいくつか落下して音を鳴らす。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「問題ない、シルフィーナ。だから、ここは俺に任せておけ」

 

「ですが……!」

「シルフィーナちゃん、ここはとんぬらに任せて」

 

 事故ってとんぬらが悪目立ちしたところで、ゆんゆんがまたシルフィーナを抱きかかえ、少し強引に部屋から連れ出してくれた。去り際に、ゆんゆんからチラリと目配せを送られ、わずかに首肯を返す。

 それからとんぬらはぶつけた箇所(ひざ)を気にする素振りもおくびにも出さずに、テーブルの下へ散らばる鏡の欠片を拾い集める。

 

「おいおい。割れた鏡を、これ以上壊す気か? 弁償してくれんなら構わないけどよ、落ち着きがねぇなエース様」

 

「なあ、この鏡。捨てるんなら貰ってもいいか?」

 

「どうぞ、廃品回収してくれるんなら構わねぇさ。こうなったらもう使い道はないからな」

 

 足元にしゃがみ込むとんぬらを見下しながら、吐き捨てるように嘲る行商人。

 せっせととんぬらは鏡の欠片を商品の箱へ回収しながら、注意する。

 

「……しかし、あんたも迂闊だな」

 

「なに?」

 

「さっきの子、金髪碧眼の見た目で勘付かなかったのか。彼女は、『アクセル』の領主を務める大貴族の親族だぞ」

 

「なあっ!? まさかダスティネス家の子供がこんな孤児院に!?」

 

 思わぬ相手に無礼を働いてしまった。

 さあっと顔を蒼褪めさせた行商人はそそくさと談話室を出て行った。きっちり捨てセリフを残して。

 

「では、明後日までに必ず、アンダイン様に一億エリス以上の価値のあるものを持っていくんだぞ!」

 

「一々繰り返さなくても心配はご無用だ。俺は記憶力が良い方だからな」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 それからエリス教のプリースト・セリスら大人が駆け付けて落ち着いたところで、シルフィーナら孤児院の子供たちから改めて事情を聞いた。

 何でも最初、子供たちはオークションに寄付する品を届けに来た馬車かと思ったそうだ。それもそうだろう。このちょっと先を行けば休憩できる広場があるのにこんな道端で孤児院前に停車すれば、子供たちの興味を引くし、そう勘違いしてしまうのも無理はない。

 そして、シルフィーナが馬車に近づいたところで、行商人が大声で叱りつけ、馬が暴れ、馬車の荷物が破損した。

 

 と、大まかには同じであるが、無論、子供たちは商品を盗み出そうとは考えていないし、馬車の中に入ろうとしたわけでもない。ただ様子見しに来ただけ。

 しかし。

 “子供たちが馬車に近づき”、

 “突然馬が暴れて”、

 “大事な商品が割れてしまった”。

 というのは、事実である。この三つに関連性があるかは別として。

 

(……とりあえず、あとで魔道具店(おとなり)に寄るか。買いたいものもあるし、確か、ちょうどバイト先で新たに入荷した商品の中に壺など割れ物を修繕する魔道具があったはず……)

 

 魔道具店のバイトで培ってきた鑑定眼で見たところ、この『魔法の鏡』は本物の魔道具だ。魔力は失われて役立たずになり果てているようだが、その魔力を取り戻せれば王城の宝物庫に保管されているような国宝級だと言っても差し支えはない。“証拠物件”とは別として、壊れたままにしておくのは忍びない。

 

「ごめんなさい……っ! ごめんなさいっ!」

「セリスさん、シルフィーナちゃんたちは悪くありません!」

 

 孤児院の子供たちに囲まれるシルフィーナが、今にも決壊しそうなほど瞳に涙を溜めている。その背をポンポンと叩き、優しい声音で『大丈夫』を繰り返してから、この孤児院の管理を任されるセリスへ、ゆんゆんは訴える。その発言に同意するよう彼女も深く頷く。

 

「わかりました。教会の方でお金を集めます」

 

「それはダメですよ、セリスさん。そのお金は今度の感謝祭のために寄付されたもの。私的なことに使っていいお金ではないでしょう? それに向こうは物々交換をお望みのようですしね」

 

「だからって、あなた方に負担させるわけには……」

 

「いえ、これはどうやら自分を狙ってきたものだと思いますので。むしろ、巻き込んでしまった申し訳なく思っています」

 

 とんぬらは、商品箱の中から鏡の欠片をひとつ摘まみ取り、セリスの前に置く。

 

「割れた鏡の断面に、(にかわ)が付着しています。元々、割れた不良品を一度修復した、偽装工作の痕でしょうね」

 

「何ですって……」

 

「馬も、『コラッ!』と叱りつける声を合図に暴れるよう躾ける……いや、そうするよう調教したのなら、孤児院前に停車した馬車は、行商人の仕掛けた誘いの罠。何も知らずに近づいた子供たちに無実の罪を着せるための」

 

 人に躾けられた馬が、子供が驚いただけで馬車を大きく揺さぶるほど驚くものか? また馬が暴れて馬車を揺らしただけで都合よく鏡が割れてくれる保証はないのだ。馬は“一芸”を仕込まれ、鏡は行商人が見栄えよく壊していた、もしくは元々壊れていたのを壊れてないように見せかけていた、と考える方が自然だろう。

 あとは“子供たちが近づき、馬が暴れ、鏡が壊れた”という状況を演出し、さも重大な事だと大騒ぎを繰り広げれば……子供たちは“とんでもないことをしてしまった”と思い込むだろう。

 

「ですが、問題はそんなところではありません。この程度の証拠では貴族様が相手では力不足でしょうし、推理も確証があるものでもありません。たとえ被った損失が一億エリスではなく百エリスであろうとも、俺は“一億エリスの値打ちのするものをアンダイン卿に払う”と言いました。これで裁判になった時、あのウソ探知の魔道具をやられたら払わなければ取り決めを破ったと追及され、不利な展開に追い込んでくるでしょう」

 

「そんな……っ」

 

 もっとも、言質を取るまでは嫌がらせを続けてきただろうが。

 こうなってしまった以上はウソを吐かぬよう、こちらも“一億エリスの値打ちのするものをアンダイン卿に支払った”という事実を作らなくてはならない。

 

「とにかく、言えることはひとつだ」

 

 重たい空気が漂う中、とんぬらは泣きじゃくる子供たちを見る。

 全員が一様に瞳に涙を溜めていて、顔を覆って泣き出している子供もいる。鼻水を啜り、しゃくりあげ、嗚咽を漏らす子供もいる。

 そんな彼女たちの前に立って、ひとつ嘆息してとんぬらは腰に手を当てる。

 

 

「良かった」

 

 

 え……? と戸惑うシルフィーナらへ、噛みしめるように言う。

 

「シルフィーナ達が無事で良かったよ。近寄って突然馬が暴れたんなら、下手すれば巻き込まれていたかもしれないんだからな。そしたら大怪我を負っていた」

 

 ()()な事態に見舞われないでよかった。とんぬらは心からそう思う。だから、とんぬらからすればこれは最悪ではないと言える。

 よって、馬鹿なことをして厄介事を増やしてくれたな! ――なんて罵詈雑言などとんぬらの口から出るはずがなかった。これまでの解説は今後のために現実をしっかりと見せておくためにしただけで、批難するためのものではない。

 

「任せておけ。紅魔族には売られたら必ず買うものがある」

 

 不敵に右の口端の口角を上げた笑みを見せると、子供達の中で一番ひどいシルフィーナのぐしゃぐしゃに泣き濡れた顔の額に、軽く凸ピンして、

 

 

「喧嘩だ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 物を取りに一旦屋敷に急いで帰ってから、もう一度酒場へ……今度は変身してやってきた。

 

 ボサボサの白髪と紅く発光するバイザーが入った仮面で半分を覆われた顔。また顎には短い髭を生やしている。

 日に焼けた肌に、大柄な体躯。……どんな人間でも黙らせる圧倒的な威圧感と貫禄は足りてないかもしれないが、ハードボイルドでギザな、“格好良すぎる変人”ヌラーに化けるのをサトウカズマは成功した。

 

(よしっ。魔力を吸われてる感じはするが、これなら30分は余裕だな)

 

 変化魔法『モシャス』を仕込んだ『変化の杖』。

 これで見かけだけは化けることができる。緑のシャツにベストを着込んで、白ネクタイを締めれば変装は完璧だ。

 

「カズマさん……本当に、大丈夫なんでしょうか?」

 

「おう、大丈夫だ。いけるいける」

 

 同じ卓についたフードを目深に被っているロリサキュバスが不安そうに尋ねてきたので、少し決め顔を意識して、

 

「くっ……! おれにまかせておきな、こねこちゃん」

 

「う、うん……すこし棒読みなのが気になりますね……」

 

 遠慮がちに批評してくれたロリサキュバス。

 ま、まあ、大根役者だろうが、入念な打ち合わせをして、他の男性冒険者たちにフォローを頼めもう。不足していると思われる薫り立つ男の色気については、ロリサキュバスに陰ながら異性を誘惑するチャームの付加魔法とかでサポートしてもらう。

 装備必須の『変化の杖』に関してもお洒落なステッキという風にすれば、不自然さはないはず。大丈夫だ、いける……!

 

 

「……一体、何をしているのですかあなたは?」

 

 

 背中越しに聞こえてきた声に振り返ると、仁王立ちするめぐみんがいた。

 セミ討伐クエストを終えて、昼から別行動していたはずだったが。

 

(おっと、これはバレたら面倒になる)

 

 ロリサキュバスがそそくさとテーブルを立ち、場を離れるも、めぐみんは一度それをちらと見ただけで、すぐにヌラー´ことカズマに不審な目を注いでいる。さりげなく『変化の杖』をめぐみんの視界に入らぬよう身体で隠す。めぐみんとダクネスはこの誕生日プレゼントの魔道具にあまりよろしくない感情を抱いていた。見つかれば、杖を取り上げられるか、こちらの企みを邪魔してくるだろう。

 

「なに、ちょっとしたティーブレイクさめぐみん」

 

 とにかく、ヌラー´――同郷のとんぬらであるとめぐみんに思わせるアピールをと、空きになったグラスに用意しておいた黒い粉末を投入。

 初級魔法によるコーヒーブレンドは自分にもできる。それをキメてる感じにやればいい。

 

「……弱者は運命に流され、強者はそれを飲み干す。くっ……! 今日も俺の運命はニガ――()ひゅっ!?」

 

 しまった。ここはアイスコーヒーにしておくべきだった!

 冬はとにかく、こんな真夏日にホットコーヒーは飲めたもんじゃない……!

 

「………」

 

 演技に熱が入り過ぎてしまったこちらに、ツッコまないが思い切り頬を引き攣らせているめぐみん。

 この表情は明らかに今の失敗を訝しんでいる。普段のクエストではほとんど役に立たないが、知力ステータスが極めて高い洞察力は侮れるものじゃない。

 くっ……! これは、一秒でも早くめぐみんから離れねば……!

 

 

「ちょっとなんでよおおおおお!? なんで私が怒られないといけないのっ!」

 

 

 ギルドに喧しくきゃんきゃん騒ぎながら入ってきたのは、すごく聞き覚えのある声。アクアだ。

 冒険者に関する苦情を処理する受付のお姉さんの胸ぐらを掴み、何やらいちゃもんをつけている。

 

「だってだって、エリスのとこがオークションやるそうじゃない! だったら、私達はそれよりもずっとすごいのを揃えようって頑張ったの! お祭りを盛り上げようとしただけなの!」

 

「ですから、突然家まで押し入ってきたアクシズ教徒が無理やりに物品押収をしてくると住民から苦情が殺到していて……」

 

「押収じゃなくて寄付を募ってるのよ! 勘違いしないで! 私達は誠心誠意お願いしてるだけ」

 

「何か寄越すまで家の前でアクシズ教徒が集団で声を上げているのは流石にちょっと脅迫行為と思われても仕方がないかと……」

 

 以前訪れた魔境、アクシズ教徒の総本山がある『アルカンレティア』では、詐欺まがいで無理やりすぎる勧誘行為が横行していたが、この『アクセル』ではそうはいかないようだ。当然だ。

 

「アクアは、まったく……」

 

 よし! アクアが騒いでくれたおかげで、めぐみんの注意がこちらから逸れた。

 それに変装もしているしちょうどいい。いつも保護者役で苦労させられているから、ここは他人の振りをさせてもらおう。

 音もなく席を立ち、何食わぬ顔で冒険者ギルドを出る――まで、あと三歩のところだった。

 

 

「冒険者、アクア! 自分は今日、街の治安を乱す強盗行為の容疑が掛けられている貴様を補導しにきた! 自分と共に署まで同行してもら……ヌラー様!?」

 

 

 扉を勢いよく開け放ち飛び込んできたのは、目つきの鋭い女性検察官セナだった。

 固まるヌラー´(カズマ)。仕事モードできびきびしている国家検察官セナも、バッタリと遭遇したドッキリに驚き固まる。

 三秒くらい両者見つめ合ったまま、その場を動けない。まったく心の準備が済んでいなかったヌラー´()は、仮面の下で冷や汗がだらだらと滲んでいる。

 

「あーっ!」

 

 でギルドの出入り口の前で停止状態になればそれは目立つ。ギルド受付嬢ルナに文句を言っていたアクアも気づいた。

 

「エリスのとこにネトられたけど、やっぱりあなたはアクシズ教に必要な人材よ! もう反抗期なんてやめちゃって、お願い助けてー!」

 

 が、アクアは……全然変装には気づかなさそうだな。アクアもヌラーの正体を知ってはいるが、めぐみんとは違って残念な知力ステータスをしている。

 しかし、このヌラー´、そういえば設定上、アクシズ教の門外顧問とかいうポジションだった。変装しようが、駄女神の監督役のポジションは変わらないのか。

 

「あー……その、俺は……」

「ゼル帝も全然食事に口をつけなくなって……これはきっと義兄弟の反抗期にショックを受けたんだと思うわ!」

 

 だから、そうひよこと同然の扱いをするから反旗を翻されたんだお前は……そう突っ込んでやりたい。

 そして、この状況はとてもよろしくない。

 ギルド受付嬢ルナがこちらを問題児(アクア)の幉を取ってくれる保護者の到来にその大きな胸を撫で下ろして安堵している。

 まったくもって冗談ではないが、しかし、ここにはめぐみんに『女性の婚期を守る会』の会長であるセナまでいる以上、下手に正体をばらすような真似もできない。

 そして、この状況を脱する上手いアドリブが思いつかず……

 

 

「……わ、わかった。おれにまかせておきな!」

 

 

 こうして、半ば強制的にアクシズ教の手伝い(もとい監督)をさせられることとなった。

 

 まさか、ヌラー(とんぬら)´の変身は、運ステータスにまで変化が及んでしまうものだったのか? と後にカズマは思った。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 ドラクエⅤに登場するコレクション:安眠枕・大きなメダル・銀のティーセット・こわもてかかし・秘湯の花・チゾットのコンパス・砂漠のバラ・ボトルシップ・ルラフィンの地酒・パオームのインク・妖精の羽ペン。

 

 魔法の鏡:ドラクエⅧの重要アイテム。王家に伝わる宝。闇の結界を祓う力があると言われている。ただし、敵に魔力を失わされたため、普通の鏡と変わらず、役立たずである。

 『ジゴフラッシュ』の光を鏡に宿らせると、魔力を取り戻し、本来の『太陽の鏡』に戻る。




誤字報告してくださった方、ありがとうございます。

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