この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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81話

 打ち上げ花火に気を取られたその一瞬に、彼女はステージ上に顕現していた。

 聖鎧と花嫁の二人がいるステージ中央、その前に立っている優し気な笑みを浮かべる少女。

 ミスコンからの結婚式のデモンストレーションという温まっていた会場の空気を、たった一息の呑んでしまった清らかなる存在感。

 

『……えっ。……へっ? あ、あれ……こんな演出は打ち合わせには……』

 

 司会者が掠れた声で戸惑う胸中を絞り出す。

 舞台袖でスタンバイしていたエリス教の支部長のプリーストまで呆然と少女を見つめて、そこを動けない。畏れ多くて立ち入れないのだ。

 今やこのミスコンにして結婚式のデモンストレーションのために設えたステージは、一種の聖域と化したと言っても過言ではない。

 混乱するのが落ち着くまでじっと待ち、静かに微笑むその少女。

 ――そう。

 顔も服装も何もかもが、この世界の人間なら誰もが知る知名度を誇る、女神エリスの絵姿に完璧なまでに瓜二つの美少女。時に感謝祭で人間に混じることもあると噂立つ幸運の女神エリス様が、この舞台に降り立った。

 

「飛び入りで舞台に参加してしまい、申し訳ありません」

 

『いいいいいいええええ! とんでも! とんっでもございませんっエリス様! ここ、この度は、我々のサプライズにご参加いただき、ありがとうございますっ!』

 

 まず謝罪を述べる。両手を組み、すっと頭を下げるエリス様。

 名乗るまでもなく、誰もがその正体はなんとなく気づいている。まさかという思いを拭いきれてはいない感じだけれど、水を打ったように静まり返っていた会場が、止まっていた時が動き出したように、ただしあまり騒がしくない程度にざわめき出す。

 

(おいおい……こんなアドリブをぶっ込んでくるとは……! というか、どうやって引っ張ってきたんだ!? 先輩とされる水の女神アクア様の伝手を使ってか? いやそれにしても――とにかく、予想だにしてなかったぞこんな展開っ!)

 

 当然、神主で、直面に目の当たりにしているとんぬらはあまりの衝撃に畏まることも忘れてしまっている。

 ゆんゆんも紅魔族の優秀な魔力感知が覚えたその神聖なる魔力の波動から、只ならぬ女神級、超常の存在であると悟っているだろう。

 そして、エリス様は見ているもの全てが思わず感嘆の溜息を吐くような、そんな笑みを浮かべて言った。

 

「今年のとても盛り上がっているこの感謝祭、見てるだけでなく是非交ざりたくなった私はこのお二人のお祝いをさせていただきたくなり、思わず来ちゃいました」

 

 その瞬間、会場が轟く歓声に揺れた。

 熱狂的な叫びをあげて、ひたすらエリス様と連呼する者。

 恍惚とした表情で、呆然とエリスを見上げる者。

 手を合わせて深く祈りを捧げる者。

 舞台袖にスタンバイしていたエリス教の支部長に至っては、嗚咽し、跪いて涙を溢れさせている。

 そして、エリス様は、微動だにすらせず念話も沈黙している聖鎧『アイギス』に優しく微笑みを向けて、あっさりと懐柔してしまう。

 

「聖鎧『アイギス』、彼を出してください」

 

《イエスマイロード》

 

 ミスコンでアイギスを誘き出し、結婚式のデモンストレーションを装ってとんぬらを解放させる。これが上手い具合にイベントに組み込んで行う作戦の概要である。

 

《おら、出ろ。釈放の時間だ》

『俺は罪人か?』

《いいから出ろ! 俺、ご主人様見つけちゃったよ! だからお前邪魔。エリス様をお出迎えするためにも鎧内クリーニングをしなくちゃ! だいたい俺様を振り切る馬鹿力野郎なんて入れちまったら壊れちまうのがわかったからな。怪我も治ったんだしとっとと出ろ》

 

 なんて調子のいい聖鎧だ。この世に存在するとは思えない美少女のお願いにあっさりと折れる。

 輝く聖鎧より放たれた光が会場を満たして――白い噴煙が焚かれる。

 夏の暑さを和らげてくれる、雪精の涼やかなる煙幕。視界が覆われている間に、とんぬらは顔隠しの覆面を取っ払った。神器回収の際に捕まったので来ていた服装はそのままだったけれど、怪盗の衣装は純白のタキシードスーツ。新郎の衣装として通せる。

 

 そうして、邪魔者(とんぬら)を追い出した聖鎧は女神様の前に従者の如く傅いて……ようやく、ボッチな花嫁(ゆんゆん)の前に役者が出揃う。

 誰しもこの独壇場な幸運の女神様に夢中になる最中、仮面の奥の瞳は花嫁だけを映す。

 

「本番は十五歳(おとな)になってからと言ったのに……――まったく目の離せない婚約者(パートナー)だ。そして、心配をかけてすまなかったなゆんゆん」

 

「とんぬらぁ……」

 

「綺麗だよ本当に。今日は本番じゃないにしても、ますます先が楽しみになった」

 

 これが予行演習(デモンストレーション)なのが惜しいくらいに。……というか、女神様にご出演するだけでなく見届け人まで勤めていただいて不満など漏らすのは贅沢過ぎて罰が当たるだろう。

 見つめ合う両人に微笑ましくクスリとする女神様は、にこやかに祝辞を述べる。

 

「あなた達の出会いに感謝を、あなた達の未来に祝福を、互いの手を取り合い、絆を深め、末永い人生を共に歩んでください」

 

 まさに神託、本物の女神であるエリス様の言葉が、胸に染み込んでくる。

 とんぬらはもちろん、ゆんゆんも、そしてこの会場に集まった皆の胸にもきっと響いているだろう。

 そして――

 

「これは、サービスです。――『セイクリッド・バインド』」

 

 イタズラを仕掛けるみたいな表情で片目を瞑り、ピンと立てた人差し指をとんぬらとゆんゆん、寄り添う二人の間に向けると、

 

「あ……」

「これは……」

 

 とんぬらとゆんゆんの小指に赤い、この紅魔族の色のように糸が結ばれる。

 もちろん、最初からこんなものを巻き付けていたわけではない

 これは、『盗賊』の拘束スキルの応用で二人を赤い糸でくっつける縁結びのおまじない。幸運の女神様が“先輩”として茶目っ気をみせたのである。

 

「とんぬら君、ゆんゆんさん、二人の想いはその紅い糸のように結ばれていますから、これからもしっかりと頑張ってください」

 

「エリス様……ありがとうございます!」

「はい……一生涯をかけて、彼女を幸せにすることを誓います」

 

 小指に結ばれた赤い糸は、女神様がもたらしてくれたものだからなのか神聖な気配を覚える。そして、それは空気に溶け込むように消えていくが、目に見えなくなっただけで確かな繋がりを感じることができた。

 わっと歓声があがり、おめでとうと賛辞を投げかける言葉や拍手が飛び交う、そんな中で、少女は瞳を潤ませて、

 

「ねぇ、ちょっとだけ……フライングしちゃお?」

「女神様の前で大胆だな。……でも、今日はお祭りだからな」

 

 そして、その紅い糸に引き寄せられるかのように、この若い花嫁と花婿は顔を近づき、ひとつに…………なろうとした間際、悲鳴が上がった。

 

 

「――怪獣だ! デカいモンスターがこの街に向かってきてるぞー!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――ヒキガエルが温める卵からこの世に誕生する鳥竜の話がある。

 

 まず、それはごく普通のニワトリの卵だった。何の変哲もない。特別な血統を引いているわけでもない。

 最低でも億はくだらないドラゴンの卵だと偽って、売りつける原価百エリス程度の卵。

 

 でも、それは水の女神の手に渡り、孵化するまでにその女神だけでなく、最強の魔法使い集団の紅魔族やノーライフキングのリッチーから地獄の公爵にまで魔力を篭めながら温めてもらった。

 時にはマジックアイテム屋の店主の紹介で、胎教にいいかもしれないジャイアントトードの豊潤な体脂を使ったローションを黒魔術チックに塗り込んだりもした。

 

 そのおかげで、産まれてきた雛は、生まれながらにして膨大な魔力を秘めていた。

 存在感だけで雑魚モンスターが近寄って来なくなるくらいの魔力量を保有するひよこ。

 でも、ひよこだ。

 どれだけ魔力があっても、体はひよこなのだから、宝の持ち腐れ。猫に小判、豚に真珠、ひよこに魔力である。

 

 しかし、もしもその体が魔力を扱えるものに出来上がったとすれば?

 

 たった数滴で、ところてんスライムをも歌って踊れるだけ、強い体と自我を与えたその血。

 それも孵化するまで特に篭められて染み込んでいた水の女神の魔力と相性が良いのか、親和性が高く、ひよこの身体に、その膨大な魔力の分だけ成長(膨張)できるだけの柔軟な強靭な下地が得られた。

 “いくら注ぎ込んでも割れない水風船”になったようなものである。

 

 また、水の女神の『早く大きくなあれ』という願いを囁かれてひよこ(改)は、それだけに留まらず、もっともっと貪欲に魔力を求めるように。

 ドラゴンの血の効果か、ひよこながら力を使うだけの知恵を持つようになっており、また卵の中で温められていた時に与えられた魔力のうちのひとつ――“リッチーの性質”を、『冒険者』よろしく何でも取り入れる無地なひよこは学習している。

 またまた魔力を貰い、親だと勘違いした地獄の公爵に、“脱皮”という技能を目前で実演された。これもひよこは学習している。

 結果、それらのスキルの欠片が合わさって、やがてひとつの特性が発現する。

 抜け落ちた羽より触れている対象から魔力体力を徴収する、『フェザードレイン』という、『ドレインタッチ』の変異版である。

 ドラゴン族なれば、『クーロンズヒュドラ』のように地脈のエネルギーを食い散らかすものもいるのだ。

 

 そうして、今日。

 アクシズ教団の起死回生の秘策……“ネズミ講”でばら撒かれた“羽”を起点に『フェザードレイン』で、数多の人間から魔力を吸い上げてきて一定段階を達し……ついに、肉体が“ドラゴン族の帝王”に相応しいモノへと成長する。

 

 教会を突き破ったその威容。

 雄々しいトサカ、竜の翼、蛇の尾、中途半端ながら竜化を果たした、黄色い羽毛を持つ大怪鳥。もはやひよこ(改二)などとは呼べまい。

 

 これら度重なる偶然によって、キングスフォード・ゼルトマンは、無毒性だが魔力を際限なく吸収する、竜になった鳥……コカトリスっぽい成長を果たしたのであった。

 

 ちなみにネズミ算で加速的に広まっていく羽を起点としている『フェザードレイン』は常時行われているため、現在進行形でゼル帝は身体を大きくしている。

 

 そして、ドラゴン族には、同じ主人(おや)の下で、犬のように必ず戦って互いの格を決める、順位付けの習性がある。

 このハーフドラゴンにまで成り上がったひよこにもそのような意思が芽生えた。

 

 そう、これより、水の女神アクア――――ではなく、産まれた直後に視認し、親だと刷り込んだすべてを見通す悪魔バニルのお気に入りとされる“血を与えてくれた義兄弟”へ下剋上を挑みに行く。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――己の不幸属性とやらは、幸運の女神様の加護があってもどうにもならないものなのだろうか? とその時、唇が触れ合う寸前、傍目から見ればしたかもしれないと思えるくらいに近づいたところで、水を差されたとんぬらは真剣に悩んだ。

 

「デモンストレーションでこれでは、本番が不安になってくる……」

 

 街中に、祭りの賑わいをかき消すサイレンが鳴り響き、続けて切迫したアナウンス。

 

『緊急! 緊急! 全冒険者の皆さんは、直ちに武装し、戦闘態勢で街の郊外へ向かってくださいっっ! 新種の巨大なひよこの怪物が街に迫っていますっっ! 市民の方たちはただちに避難を――!』

 

 この街中央にある広場からでも、視認できた大きな大きなそれ。……なんかひよこっぽくって、どこか見覚えのある……。

 天を仰いで仮面を手で覆いながら深く嘆息した少年は――次の瞬間には顔つきが変わる。冒険者、この『アクセル』を代表するエースのものへと。

 

「――エリス様、この場をお任せします。アイギス、女神様をがっちりガードしろよ」

 

《おう、任せろ。エリス様の玉のお肌と純潔は、この聖鎧『アイギス』が死守するよ》

「こう、とんぬら君っ?」

 

 道具袋から鈴を取り出し、鳴らす。

 そのチリンチリンとした音を拾い、一陣の風のように駆けつける巨大な豹モンスター。ゲレゲレは騎乗しやすいように姿勢を低く伏せる。

 

「いくぞ、ゆんゆん!」

「うん」

 

 以心伝心。何も相談せずとも互いの意思は同じ。

 花婿なとんぬらが乗り、花嫁のゆんゆんの手を引いて後ろに。式が終わればハネムーンへ直行する車よろしく、初心者殺しの変異種に乗って、イベント会場を去る。

 女神エリスはその背中を見送り……

 

《大丈夫ですよエリス様。あいつは、この俺様の不敗神話を壊してくれたミラクルを起こしちまうような奴だ。そして、“冒険者”。前のご主人様のように勝ってきますよ》

 

「そうだね、アイギス……じゃあ、ここで私のすることは」

 

 エリスは舞台上から広場を見下ろす。

 

「落ち着け! すぐに冒険者たちが対応する! だから、住民たちは落ち着いて避難を!」

 

 領主補佐のダクネスが住民たちを抑えようとしてくれているけど、中々冷静にならない。それもそうだ。機動要塞『デストロイヤー』には及ばずとも、大物賞金首『クーロンズヒュドラ』に匹敵する巨大な怪鳥が街へ接近しているのである。爆裂魔法の轟音に鍛えられている『アクセル』住民でもこの危機的状況にはパニックになってしまうのも当然だ。

 

 でも、ここには絶対的な信頼感を持つ存在がおわす。

 

「――皆さん、落ち着いてください」

 

 騒音と熱狂に包まれていたにもかかわらず、全員の耳に届くその呼び声に、シンと会場内が静まり返る。

 

「ああ、エリス様!」

「幸運の女神様がここにおられる!」

「エリス様、どうか幸運のご加護を!」

 

 ステージ上へ集まる視線を一身に受けて、女神エリスはゆっくりと頷く。

 

「大丈夫。きっと彼らがこの街の危機から救ってくれます」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「今日は祭りの最終日。祭りの華と言えば、喧嘩――最後にドデカい花を飾ることになるとは今年の感謝祭は豪勢だ」

 

 疾駆するゲレゲレ、切迫する大怪鳥、街を抜け出して、その全容が見渡せるところまで接近した。

 おそらく街からの応援では一番に現場に辿り着けるだろう。

 とんぬらは、背中にしがみついてる彼女へ、謝る。

 

「……悪いな、ゆんゆん。綺麗に着飾ったのに最後に台無しになってしまって」

 

「ううん。とんぬらのせいじゃないわよ。それにとんぬらと付き合っててそう簡単に思い通りに事が進むなんて期待してないから」

 

 自身の不幸属性にとても理解を示してくれるパートナーである。泣けそうだ。

 

「それに昨日みたいに私が見てないところで勝手にしてないしね。それだけましよ」

 

「その言い方だと俺が少し目を離すとやらかす問題児のように聞こえるんだが」

 

「違うの?」

 

「正解でも大いに不服だ」

 

「ふふ……で、でも! 信頼してるから、誰よりも!」

 

 そして、目前まで接敵する。中天に昇った太陽を遮り大きな影を作る巨大なひよこ。その半端ながらドラゴンの特徴を備えた異様に、二人は息を呑んだ。

 大空の覇者たるグリフォンでさえ、これほどの巨体を誇りはすまい。際限なく成長を続ける偶然の産物。まさにいずれはドラゴンの帝王になりうるかもしれないと期待できる巨大怪鳥であった。

 今到着した郊外は幸いにして無人、祭りで人が街の方に集まってきているからだろう。でも、ここの最終防衛戦を突破されると、相当な被害が出るのは確実。

 で、近づいてみたら改めてよくわかったが、やはりこの怪鳥……

 

「ねぇ、とんぬら……これ、ゼル帝になんか似てないかしら?」

 

「ゆんゆんもそう思ったか。ああ、手のひらサイズにまで縮小して、ドラゴンなパーツを除いたらゼル帝だろうな」

 

 お互いひよこの性別を見分ける検定士の技能を有していないけれども、これが直感的に自分たちも見知ったひよこ、ゼル帝ではないかと察する。

 まさか、ただのひよこが、これほど怪獣サイズにデカくなるとは普通は思わない。しかし、とんぬら達が現場に駆け付けると、街から冒険者たちが駆け付けるよりも先に、ビックなひよこの前に集団が――青い髪の水の女神を筆頭するアクシズ教団が陣取っていた。

 

 

「――待って待って! ゼル帝を退治しないでーっ!」

 

 

 信者の皆とエサの野菜やらオモチャのエリス人形やらを掲げて、何やら必死に街に行かさないように巨大ひよこの誘導を試みていたが、討伐に派遣された冒険者の到来を察知したアクアが慌ててこちらに制動を呼びかける。

 

「アクア様、やはりこれは、ゼル帝なんですか?」

 

「そうよ。成長期だから、この一、二週間で手のひらサイズからここまで大きくなったの。すごいでしょ! やっぱりこの子にはドラゴン族の帝王になる資質があったのよ!」

 

 いやドラゴンでもここまで急成長はしない。

 しかもひよこは最初に見た時は本当にただのひよこだったはずだ。

 

(一体どこをどう間違ってドラゴラムったんだゼル帝!)

 

 いずれにしてもこれが手乗りひよこだったとわかってもやるべきことは変わらない。街に被害が及ぶ前に排除する。

 

「大丈夫」

 

 鉄扇と短杖を抜くも迷い捨て切れないとんぬらとゆんゆんに、アクアは胸に手を当てながら言う。

 そして、水の女神様は、武器も何も持たず、巨大なひよこの前で無防備に両腕を広げ、

 

「ゼル帝は私の眷属として魔王軍と戦うドラゴン族の帝王よ。今はちょっと寝起きで機嫌が悪いだけで、すぐに大人しくなるわ。ね、ゼル帝――」

 

 ゼル帝の巨大な嘴に、アクアは啄まれた。

 

『アクア様ーっ!?!?』

 

 これにはアクシズ教徒の皆さんもびっくりだ。もちろんとんぬらたちも。

 

「と、とととんぬら!? アクアさんが連れてかれちゃったよ! 前にゼル帝が庭で捕まえてたミミズのように!」

 

「あまり縁起でもないことを言うんじゃないゆんゆん。フラグが立ちそうだから」

 

 アクアが巨大な嘴に加えられて、悲鳴を上げている。もがき暴れているも、サイズが違う。出られない。どうにかパックンといただかれないようにするのが精一杯だ。

 竜化は、暴力を振るいたくなる破壊的な衝動に襲われる。雛で力をロクに制御できないゼル帝が、大人しくできるわけもなかった。

 

「こうしちゃいられない! みんなでアクア様を助けるのよ! さあ、あああれ……?? 力が抜け……」

 

 がっくんとアクシズ教徒たちがいきなり力尽きて倒れてしまう。

 とんぬらはそこでセシリーらの胸に仄かに光る羽より、魔力の流れがゼル帝へと吸い集めていくのを察知した。

 まさか、羽を起点に力が吸い取られているのか?

 

 アクシズ教徒から魔力体力を吸収して、更にもう一回りぐぐんと大きくなるゼル帝。

 

「とんぬら、早く対峙しないとまずいんじゃない?」

 

 ゆんゆんも勘付いたのだろう。ゼル帝がこのままいけば本当に『クーロンズヒュドラ』のように大物賞金首と化すその可能性に。

 でも今なら、まだ魔力を吸収しているだけで戦闘の仕方を学習していない未熟なひよこの今ならば、極大消滅魔法(メドローア)をこのデカい的などてっぱらにぶっ放せば、ゼル帝を退治できるだろう。

 しかし、

 

 

「ダメー! お願い! ゼル帝を殺さないでー!」

 

 

 啄まれて尚頼み込んでくるアクア。このままだと彼女も危ないというのに、この成長し過ぎたひよこの身を案じていた。

 

「とんぬら……」

 

 ゆんゆんもとんぬらを見る。情の移っていたゼル帝を倒すにはやっぱり彼女には気が引ける。とんぬらとしてもできれば退治しない方向で行きたいが、このまま巨大なひよこという街の安全を脅かす危険を放置しておくわけにはいかない。

 

「一分、考える時間をくれ」

 

 静かに、青く光り始めていく仮面の奥の双眸で、冷徹にゼル帝を見据えた。

 

 現時点、この巨大怪鳥の正体が、アクアの飼うペット・ゼル帝だと知るのはここにいる者たちだけ。

 問題になりそうな事実を隠蔽しておくためにも、今頃ギルドで集合している冒険者達が駆け付ける前にケリをつけたい。むろん無害化して。

 そのためには――

 

 としかし、弱肉強食のピラミッドの下位より上位へ一気に成り上がった雛は、こちらに悠長に考える時間を与えてはくれない。

 

「足癖の悪い弟分だな!」

 

 前肢から繰り出されたパワフルなキックが、とんぬらを襲う――衝突、轟音、大太鼓をどついたように空気が震え、騎乗していたゲレゲレごと体が宙を舞う。上手く身を捻って着地はするものの初心者殺しの変異種であるゲレゲレがたたらを踏むほど。

 とんぬらも防御に構えた鉄扇を持つ手が痺れた。

 飛ぶことはできないけれど逞しい脚、鋭く硬いスパイクのような爪で教会を蹴破り、半壊させたこの暴れん坊。

 

「しかもなんか俺が目を付けられてると見た!」

 

 続けざま蹴撃をお見舞いしようとするゼル帝に、敵意を向けてくる視線を察したとんぬらはゲレゲレから降りて応戦する。巨大怪鳥の爪は、広げた鉄扇に阻まれ、少年の仮面の寸前で押し留められていた。彼の両足が踏みしめている地面はいましがたの一撃で地盤沈下して凹む。

 

 驚くべきはその剛力か。爪をまともに受けて尚、砕かれることのない扇か。とんぬらの鉄扇は何秒、何分経とうともこれ以上仮面に近づくことはあるまい。しかし、落ち着いて考えたいところに強烈な攻撃を捌いていてはその余裕はない。

 

「『ニャルプンテ』――!」

 

 とんぬらが抑えている間に、魔力を練り込んだ短杖より四色の光をゼル帝に放つ。

 “相手を堕落させる”ことに一点に絞った安全版奇跡魔法。状態異常弱体特化の魔法を喰らった巨大な怪鳥は微睡み、脱力感を覚える。

 

「うおおおっ!」

 

 大喝一声――とんぬらが怪鳥の肢を弾き上げ、バランスが大きく崩れる。

 

「ゲレゲレ、『ウインドカーテン』!」

「がうっ!」

 

 そこへ、ゆんゆんより旋風の支援魔法を掛けられたゲレゲレが全身のバネを屈伸させて力を溜めてから、疾風突き。体躯でいかに勝ろうとも、片足立ちでフラフラ不安定なゼル帝。ぶちかましの衝撃に尻餅をついて倒れ、その衝撃に嘴の挟む力が緩んでアクアが解放される。それを見て、ゲレゲレに騎乗するゆんゆんが彼女の救出へ向かう。

 

「アクア様の『ブレッシング』をかけてもらいたいところだったが厳しいな……ここは賭けに出るか――!」

 

 そして、とんぬらは、鉄扇を振るいあげ、パスを繋いで使役下に置いている悪魔と精霊をここに召喚する。

 

「――来い、プオーン、わたぼう!」

 

 山羊顔の魔獣と綿胞子の化身。

 その小さなマスコットサイズ、今の巨大なゼル帝には石ころにも劣る。でも、必要なピースだ。ちびっこな悪魔と精霊にとんぬらは指示を出して、ヘロヘロなアクシズ教徒たちを見る。

 

 

「アクシズ教徒に”信仰”を問おう。体力魔力を奪われ、力は皆尽きたか? 崇める女神の危機に何もできないと歯を食いしばるか? いいや、そうではないだろうこの狂信者たちよ。今日は感謝祭で、捧げられる信仰心がその程度であるなら、そこで寝ていると良い。そうでないなら、立ち上がれ。そして、俺に信を預けてくれ。さすれば、汝らとその女神が望む奇跡を起こしてみせようではないか!」

 

 

 扇を振りかざし扇動する鼓舞。それに奮起しないアクシズ教徒はひとりたりともいなかった。

 

「――アクシズ教徒のプリースト、出来る者だけでいい。『フォルスファイア』を打ち上げてくれ! 人の目をいやでも惹きつける、卓越した荒らしの技術をもつアクシズ教団が協力してくれるならこの状況を打開できる!」

 

「ぬら様……! 反抗期で出て行ったけれど、そこまで私達のことを――はい、わかりました!」

 

「言っとくが褒めてるわけじゃないからな。とにかく全員散開しながら、いつものエリス教を相手するように挑発してくれ!」

 

 門外顧問の掛け声に、魔法を唱えるアクシズ教徒。

 

「「「「「『フォルスファイア』!」」」」」

 

 彼らの手に青白い炎が灯り、空高くに放つ。その火は、敵寄せの魔法。視認すれば術者を攻撃したい衝動にかられるという、とんぬらもこの問題児集団に拳骨を落としたいという感情に襲われるも飲み込んだ。

 

 そして、ゼル帝は四方八方から打ち上げられる青い灯に釣られる。獲物と定めた時にまた別のところから青い光が瞬き、それに注意が逸れたと思いきやまた別のところから。目を回すようにグルグルと回る。――さらに、郊外の森より迫る津波の如き何か。

 それは、夏季に大量発生する、先日の花火大会で生き残った虫モンスターの大群だ。夜中の篝火に誘き寄せられるはずだが、アクシズ教団の『フォルスファイア』が引き付けた。

 

「――よし、止めろ!」

 

 頃合いを見て攪乱をアクシズ教徒たちは魔法を止めるも、勢いづいた昆虫型モンスターたちは構わず殺到する。

 耳障りな羽音を立てて、アクシズ教徒……ではなく、大きな大きな(まと)をしたゼル帝に突撃を敢行。

 飛来してきたカブトムシは、子犬ほどの大きさだが、それでも十分な脅威。飛んでくるカブトムシの角は、ガラスに突き刺さることもある。衝突する間際、その小さな体に回転でもかけるが如く、角をねじって抉り込むように……!

 

 巨大怪鳥からすればそれは針でチクチク突いたようなものにすぎないだろうが、しかし、ひよこならば針で突かれた程度でもびっくりしてしまう。

 

 ビクッと跳ねて、昆虫モンスターから逃げるゼル帝。

 時に竜の翼と化した羽を振って払おうとするも、飛来するのはカブトムシだけではない。クワガタやカマキリ。他にも様々な昆虫型モンスターが飛来してくる。時に挑発効果の残るアクシズ教徒たちに向かうも、機動要塞に蹴散らされても平気だと称されるアクシズ教徒だ。タフ度ならどこにも負けない、頑固なしぶとさ。むしろ、虫程度でどうなるくらいの雑草魂だったらとんぬらは苦労していない。

 

 

 そうして、ゼル帝の意識をこちらから逸らしている間に、詠唱準備は完了した。

 

「――プオーン、昼夜逆転魔法を展開!」

「『ラナルータ』――!」

 

 プオーンの魔法で天蓋の景色が百八十度巡り、夜空に変わる。

 続けてその瞬く星々の下で、フワフワ浮かびながら踊るわたぼう。己が才能を伝授する『ヴァーサタイル・ジーニアス』の支援魔法をかけていた星降りの精霊は、そのスキルを行使する。

 

「――わたぼう、『星占い』だ!」

「わたっ――!」

 

 それは星の運行でもって、運命を定める『占い』スキル。

 プオーンによって逆転された星空を見上げたわたぼうが星座を描くようにその指先で星々の点と点を線で結び……星の力を利用した魔法陣が完成する。

 

「ゼル帝よ、お前に相応しいカードは決まった!」

 

 頭上より降り注ぐ星屑の光。

 それは、『星の護り』――“絶対的な強運をもたらす”支援効果を受けたとんぬらは、『銀のタロット』を扇状に広げながら真上にばら撒いて、閉じた『必殺の扇』を振るう。

 その青く光る瞳には、この状況を打開するための奇跡を起こす道しるべのように輝く軌跡が視えていた。

 

「物事の始まり、『魔術師(ザ・マジシャン)』」

 

 一枚目。

 杖、剣、杯、硬貨を手にする青年の絵柄。

 

「苦難の結実、『吊るされた男(ザ・ハングドマン)』」

 

 二枚目。

 逆さ吊されながらも前を見据える男の絵柄。

 

「転機を巡る車輪、『運命の輪(ホイール・オブ・フォーチェン)』!」

 

 三枚目。

 幸運の象徴たる車輪とそれを囲む天の使者たちの絵柄。

 

「『パルプンテ』――ッ!」

 

 三枚の札を装填した鉄扇を振るいかざし、虹色に煌く奇跡魔法の波動を、成長し過ぎてしまったゼル帝へと撃ち放った。

 

 

「遡れ! 『サンズ・オブ・タイム』!」

 

 

 それは、師匠キールを降した“時間を逆戻りにさせる『時の砂』の秘儀”を形にしたもの。

 怪獣クラスに肥大したその巨躯が、空気が抜ける風船のようにみるみる萎んでいき……やがて、元の手のひらサイズのひよこへと戻っていった。

 

 

「後は任せてちょうだい、『インフェルノ』ーッ!!」

 

 こうして、ゼル帝をただのひよこの時まで時間を巻き戻させた後、虫モンスターの討伐にゆんゆんが上位魔法で一掃して蹴散らして、冒険者の一団が到着するまでに解決することができた。

 

 そして、アクアの“ネズミ講”が露見した。

 ゼル帝がひよこサイズになり、大きな竜舎の建造の必要がなくなったとはいえ、アクシズ教団で稼いだ資金は、“ネズミ講”の被害者たちの返済金にあてられ文無しとなる。今のところはこの新しい詐欺に対して法整備が整っていなかったために、アクアに前科はつくことはなかった。

 

 巨大怪鳥と化したゼル帝の暴走に関してはアクシズ教団が口裏を合わせて、『街を襲おうとした怪鳥コカトリスは、アクシズ教団と協力してアクセルのエースが退治した』で通したのだが、結果としてそれは、『これが“イヤよイヤよも好きのうち”という教えなのですか。ピンチの時にやって来てくれた門外顧問ぬら様は、なんだかんだでアクシズ教団へと帰ってきてくれるツンデレなんですね!』という解釈に曲解されて教団内に広められた。どうあってもとんぬらはアクシズ教から逃れられぬようだ。

 

 それから、今回の騒動で唯一被害を出したアクシズ教団の教会は、アクシズ教団とエリス教団を争わせて祭りを盛り上げたことで商店街より謝礼金をたんまりと貰った(ダクネスにバレて説教された)カズマが、その罪滅ぼしとして補填して新築されることになる。

 この多額の寄付にセシリー支部長より感謝状が届けられ、カズマは名誉アクシズ教徒に認定されることとなった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――四日間にわたるエリス様アクア様感謝祭は、終わった。

 

 兄ちゃんが商店街で黒幕やったり、

 アクア様がタチの悪い詐欺をやったり、

 めぐみんが街中で爆裂魔法をぶっ放して警察に捕まったり、

 親しい知り合いが、犯罪者一歩手前?なことになってるが、これはもうとんぬらの関与するところではない。勘弁してほしい。

 子供を泣かせた悪徳貴族の蒐集家と闇の遊戯をし、

 戦場で勇者たちを庇って邪神の爆裂魔法を喰らい、

 スパイを浮き彫りにせんとダブルデートをしたり、

 盗もうとしていた聖鎧の中で一昼夜責め苦に遭い、

 義兄弟なひよこの暴走を露見してしまう前に止め……およそこの一週間の出来事を軽く振り返ってもアレなとんぬらは、もう限界だった。出来れば、この後夜祭も辞退して家で休みたいところだ。

 

 しかし、今日もまた伝説(と書いて黒歴史と読む)を作っちゃったとんぬらは、後夜祭から逃げることは許されない。

 特設会場に降臨した幸運の女神エリス様直々に、婚約の儀礼を行ったあの大事件。魔法に伝書鳩に早馬など、ありとあらゆる手段を用いて、近辺の街やエリス教の本部のある王都などに大々的に広められている。

 この駆け出し冒険者の街『アクセル』はめでたく今後女神が降臨したエリス教徒たちの聖地のような扱いになるようだ。おかげで魔王軍の刺客も潜り込み難い環境になるだろう。

 

 で、その渦中の人物、結婚式のデモンストレーションのモデルに選ばれた『アクセル』のエースは、女神様から直に加護を授けられた。噂では今回の感謝祭の貢献度も評価に含めて、名誉エリス教徒に認定しようかという動きがあるらしいと、この街のエリス教徒のセリスとマリスから教えてもらった。噂を聞き付けるであろうアクシズ教団の最高司祭の変態師匠から抗議が来そうだ。

 

 そんなわけだから祭りの無事を祝う後夜祭に、MVPなとんぬらが辞退することはあまりに空気が読めない行為で、そんな真似とんぬらの芸人根性からしてできないのである。

 

「もうめぐみん! バカな事ばっかりするけど一線は弁えているものだと思ってたのに、とうとう前科持ち……ゆいゆいさんやひょいざぶろーになんて言えばいいの……」

「ま、待ってください、ゆんゆん。今回私は頭を冷やせと留置場に勾留されていただけで、まだ前科はついていません! ですから、親に報告しないでください!」

 

 パートナーはついに警察にお世話になった同郷の問題児を叱りつけている。

 同じようにそのすぐ近くで領主補佐(ダクネス)が、パーティの問題児二人(カズマとアクア)に説教している。他にもバニルマネージャーとウィズ店長が、セナ検察官とルナ受付嬢がともに飲み食いしていたり、『宴会となればノーサイド』が教訓のアクシズ教は、エリス教徒とも酒を酌み交わしている。今回の感謝祭ではダメダメだったアクシズ教だが、『祭りの最中に迫る巨大怪鳥から身を呈して街を守護した』とのことで評価を上げていたりする。一応、事実なのだがひどいマッチポンプがあったものだと思ってしまう。

 

 そして、とんぬらはというと……。

 

「とんぬら、ほら飲んで飲んで! お酒美味しいよー!」

 

「先輩は酒の席になるとテンション高くなるんですね。あと、俺未成年ですから結構です」

 

 先輩(クリス)に絡まれていた。飲酒には付き合えないが、晩酌をしている。普段よりもヤンチャっぷりにたかが外れるクリス先輩は、その親友のダクネス曰くに“アルコールを与えると頭がア()パーになる”と言われている。

 

「なにをー、先輩が勧めるお酒が飲めないっていうのー?」

 

「まだ十四歳ですので。むしろ酔わせたら先輩が警察のお世話になりますよ。天下の大泥棒がそんなので捕まっちゃったら格好つかないでしょ」

 

「むぅむぅ」

 

「はいはい、お付き合いしますよー、あなたの後輩はカクテルのできる芸達者な後輩ですので」

 

 軽く窘めつつ、シェイカーを振り、混ぜ終わったカクテルをクリスの持つグラスにお酌する。

 これはご機嫌取りのためだけではなく、ガバガバ一気飲みをして、際限なく酒量が増えている先輩をコントロールするため。もう放っておくとアクア様並に空のボトルの山を作りそうなのだ。

 普段、結構周りに気を遣ったりする人だし、何かと溜め込んだりしているのだろうか。仕方がないから、腹の底が軽くなるほど吐き出すまで付き合おう。後輩として。

 

「お次の作品は、『ルラフィンの地酒』を使ったカクテルです。この『アクセル』を代表する酒屋のマイケルさんに教えてもらったオリジナルレシピのカクテル。ご賞味あれ」

 

「うわ、おいしー! 王城でも評判だったから興味あったけど、後輩君はカクテル作るの上手いねー! でも、こんなくらいでご機嫌取りしようったってそうはいかないからね!」

 

「? 俺、何か先輩にしました?」

 

「したよしたー! 忘れたとは言わせないよ! あたしの前でピンチになっちゃって! 後輩君のトラブルっぷりは先輩にも手が負えない!」

 

 ああ。聖鎧『アイギス』に誘拐されたことをよっぽど心配かけてしまったらしい。

 

「もう後輩君が自分からトラブルに突っ込んでいくんだからどうしようもないよね!」

 

「いやいや、先輩。俺はなるべく危険は回避していきたいと思って生きていますよ。そんな命知らずな真似は御免です」

 

「そういって、さっきは自分から誰よりも真っ先にステージを飛び出していったじゃん。それも私の前から」

 

「あれはこの街の冒険者ですから避難するわけにもいかないでしょう。折角エリス様が降臨された、それに自分にも記念すべき感謝祭を中断されないためにも早急に解決したかったですし」

 

「ふうん」

 

 そっぽを向いて、お酒をちびちびとする先輩。何だか不機嫌そう。

 

「後輩君って、普段あんなにエリス様がそっぽを向いてるから運がないー、とか文句言ってるのに、いざってときはあんまり神頼みしないんだよね」

 

「そんなことは……言ってるかもしれませんが、本気じゃないですよ。それに自分で何にもしないうちから気軽に神頼みなんてできませんから。それは神に対して無礼です」

 

 思いつく限りのことを全てやり切った、99%の努力をして、どうしようもない最後の1%の後押しの助力を乞う。人事を尽くして天命を待つのが、とんぬらの神主としてのスタンスである。

 

「昔に考えたことがあります。一日に、どれだけの人が、“神様助けて”っていうのだろうかと。先輩は何回くらいだと予想します?」

 

「そう、だね……うん、まあ、百万回くらいじゃない?」

 

「それよりずっと多いと俺は思ってます。途中で数えるのを止めたくなってしまうくらいに際限(キリ)がない」

 

 なにせ、魔王軍という明確な脅威にさらされる世の中だ。

 

「特に幸運の女神エリス様は大変でしょう」

 

「なんでそう思うんだい?」

 

「運なんて、不平等なものを任されているんですから。全員が平等に幸運になるなんて夢物語でしょう。人の身で神の視点を語るのは大変おこがましいとは思いますが、()()幸福を願う女神様は、()()のためにその幸運の力を使うようなことはそうそうできないでしょうね。誰かを幸運にするということは、他の誰かを不幸にするという事でもあるかもしれないんですから」

 

 とんぬらは持論を述べると、しんみりとグラスの中のお酒を揺らしながらクリス先輩は問う。

 

「……もし、君が幸運の神様だったら、どうする?」

 

「どうするとは?」

 

「救いたいと思った人がいても、助けてという声を聴いても、それを全部無視しないとダメ、幸運の神様は何にもしちゃいけないの?」

 

 お酒が入ってきているせいか、どこか普段の気軽さが鳴りを潜めた、その声。とんぬらは少し真剣に考える風に顎に手をやり、ひとつ頷いてから呆気からんと言った。

 

「そうですね。もし、俺がエリス様の立場に立ったと仮定して……救いたくても救えないというのは我慢できませんね。助けてって言われて、俺が助けたいって思ったらきっと助けますよその人」

 

「いいのそれ?」

 

「ただし神様の力には頼りません。神様でも、その力を使わなければ、神頼みしなければ、人間と同じでしょう。だから、神ではなく、人として助ければいいんです。それなら問題はないでしょう?」

 

 屁理屈と指摘されてもしょうがない意見だ。

 しかし、身近にいる自由奔放な水の女神様を見ているとそれもアリなんだろうと思える。

 

「まあ、今日初めて(まみ)えましたけど、エリス様はお淑やかそうで、なかなかヤンチャな性格をしていると思います。一目で直感的にピンときましたとも。ですから、とっくの昔に人の姿で人の世に紛れてるんじゃないんでしょうか」

 

「く、くく……っ」

 

 とんぬらのエリス様論に、クリス先輩は俯いて肩を揺らす。だいぶツボに入ったようで、ちらと見えた沈んだ雰囲気もどこへやらで、笑いを我慢するのも大変なようである。そんなおかしなことを言ったつもりはないのだが。

 

「あー、後輩君はやっぱり後輩君だね」

 

「なんですかそれ」

 

「理解力のある後輩君を持てて何より。で・も、エリス様のことをヤンチャ呼ばわりするなんて、ちょぉっと、生意気じゃないかなあ?」

 

 とクリス先輩にとんぬらは首を腕で抱きこまれヘッドロック、そのままうりうりと指で頬をつつかれる。良い匂いがするが、吐く息が酒臭い。だいぶ酔っていらっしゃる。

 

「いや、たぶんそれ、クリス先輩とエリス様の目の色と髪の色に似ていたからですよ。ですから、第一印象がそうなっても仕方ないんじゃないかと思われ」

「変わらないじゃん! 変わりませんよ! 結局、私のことをヤンチャだと思ってるよねそれ!」

「酔った先輩に絡まれる後輩の心境を思えば、納得してもらえると信じたいです」

「なにをー!」

 

 機嫌が直ったかと思えばお気に入りのおもちゃにされたように絡まれまくる。それでも、どういうわけか逆らい難い先輩である。されるがままに抱き着かれ、言われるがままにはいはいと晩酌に付き合う。

 この時点でとんぬらは徹夜になることを覚悟した。

 

「そういえばさ。『たかがくじではありません! 俺は本気です。ここに賭けているのはお金だけでなく、エリス様に対する神主としての矜持も懸けているんです!』って昨日言ったよね?」

 

「微妙に一言付け加えられている気がしなくもないですが、そうですね先輩」

 

「それで、賭金(エリス)は返したけど、“神主の矜持を懸けた”払いをまだ済ませてなかったね」

 

「あれは想いを“懸けた”、であって、勝負に“賭けた”んじゃ」

「だから、これはその分を含めた後輩君へのサービス――♪」

 

 酔った勢いのまま、抱き着いている先輩が、仮面の下の頬へ唇を寄せ――

 最初それが何なのか気づかなかったとんぬらであったが、バッと離れたクリスは、指摘される前にすぐ会場を離れる。『逃走』スキルでも使ったんじゃないかと思うくらい迅速に。……酒で火照っているせいか赤ら顔は見逃されることはなかったけれども。

 

 

 さて、思わずその“先輩からのサービス”をされた頬に手を当てたとんぬらは――背中にひやりとした悪寒が走った。

 

 ハッと振り向くと、そこには、さっきまでめぐみんを説教していたはずのゆんゆん。目元に髪がかかっていて瞳は見えないが、きっと目の色が赤くなっているだろうことはその陰から浮かび上がる炯々とした光から察せられる。

 

「ゆん、ゆん……?」

 

 酔いが回っていたわけではないが、一気に頭が醒めるとんぬら。

 

「ほら、ゆんゆん。昨日も言ったでしょう? とんぬらはこの通りガードが甘いんですから、私にばかり構っていてはいられませんよ」

 

 ゆんゆんの隣にめぐみん。この天災児、まさかゆんゆんの説教地獄から逃れたいためにこちらに注意を振ったのか……!

 

「では、二人の時間をごゆっくり……」

「ごゆっくりではない! おい、フェードアウトするなめぐみん!」

「とんぬら――」

 

 気分はダンジョン内で別の捜索隊(パーティ)からモンスターの大群を擦り付けられた冒険者である。

 

 エリス様……この俺の間の悪さって、本当にどうにもならないのでしょうか?

 

 そして、酔った先輩がいなくなったかと思えば、今度はパートナーが参上。とんぬらの隣に座ると、まだ半分ほど残っていた『ルラフィンの地酒』をガシッと掴んで、ラッパ飲みするゆんゆん。

 酔った彼女が相当アレなのはとっくに承知済みだが、とても声をかけられるような雰囲気ではない。

 そして、結構アルコール度数の高いお酒を一気飲みしたゆんゆんは、鬼火のように据わった目をとんぬらに向ける。

 蛇に睨まれた蛙のような心境であるも、とんぬらは己を奮い立たせて、震わせながらも口を開いて弁明。

 

「え、ええと……誤解されているが、ほら、きっと挨拶的なもので――」

「さっき、私の時はお預けだったのに……」

「ぅ……あれは、ご理解いただけている通りに間が悪かったというかなんというか」

「じゃあ、もう邪魔が入らない今ならできるよねとんぬら?」

「今って、この宴会会場に人が多いんじゃないか? ほら、皆の注目を集めちゃってるし」

「でも、舞台でしようとしたときよりはずっと少ないわ」

「確かにそうだろうが、ああいうのは、その場の勢い的なものがない人前では……」

「私は大丈夫よ!」

「こっちの心の準備はできてない。ゆんゆんだってお酒の力を借りてるからだろ」

「とんぬらは私とするのが、いや、なの?」

「いや、違う。それはないから」

「じゃあ、行動でちゃんと示して。わ、私の口を黙らせるくらいのことをしてくれないと納得してあげないんだから!」

「まったく、ワガママなコネコちゃんだな――!」

 

 ………

 ………

 ………

 

「にゃ、にゃぁん……」

「もう帰ろうかゆんゆん。明日には噂になってるだろうがもう俺は諦めた」

「と、とんぬりゃぁ……!」

「なんだ。呂律も戻ってないのに、まだ不満があるのか」

「け、結婚したんだから、次は……しょ、初夜よね?」

「今日のがデモンストレーションだって話が抜けてるんじゃないかゆんゆん」

「だから、予行練習で」

「予行も何もあるか! それ以上のフライングは反則退場だからな! もっと自分を大事にしろ!」

 

 と、羞恥心が大好物なマネージャーがご満悦するような展開(公開処刑)があって、とんぬらはゆんゆんを借りてきた猫のように大人しくさせることに成功した。

 が、

 

「もうイチャイチャはよろしいですか、とんぬらさん、ゆんゆんさん。このアクセル随一のバカップルなエース様に是非とも頼みたいことがあるんです」

 

 ルナ受付嬢(独身。彼女の前では結婚の話は厳禁)より、特別クエストをお願い(懇願ではない)された。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「きゃー! 海よ海! やっぱり海は良いわねー! だって全てが水だもの! 水の女神の名において、この私が一番乗りよ!」

 

 ――三日後。

 

「……どうして、こんなところに来てるんだっけ俺達?」

 

「地上に大量発生するのは雑魚だが、夏場の海のモンスターは強力なのが多いからな。修行の場にはもってこいなんだよ」

 

「……それで、どうしてとんぬらがいるんだ?」

 

「それは、街中で爆裂魔法をぶっ放したり、信仰者に新手の詐欺を働かせたり、ふたつの教団を争わせる黒幕だったり……そろそろベテランと呼んでも良いはずなのに問題ばかり起こすパーティを一度冒険者として鍛え直してやってほしいとギルドより辛くて苦しい研修の教官役を任されたからだ、兄ちゃん」

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 フェザードレイン:ダイの大冒険の竜騎将のひとりが使う技を参考。ドラゴンと兄弟も同然の付き合いをする鳥人族のように、羽で魔力や体力を吸い取る特技。

 作中では、竜化したゼル帝のオリジナルスキル。

 

 星占い:モンスターズに登場するパルプンテの特技版。わたぼうの『星降りの精霊』のスキルで使える特技のひとつ。一ターンのタメが必要で、ギャンブル性が強いが、その分効果は強力。効果は四つ。

 何も起こらない:スカ。

 星の怒り:味方全体のテンションが四段階上がる。

 星の護り:確率で判定される行動が必ず成功するスーパーラッキー状態になる。

 星の贈り物:攻撃力、守備力、素早さ、賢さのどれかが二段階上がる。

 作中では星占いなので、夜間限定という設定。昼はラナルータと合わせて使う。

 

 サンズ・オブ・タイム:ロトの紋章に登場するオリジナルの呪文。時の砂の魔法。術者および相手の年齢を自由に操ることができる。人間以外の物に対しても使用可能であり、ボロボロの古文書を新品同様に復元することも可能。

 作中では、パルプンテの時間巻き戻り効果の呪文詠唱として使わせてもらいました。




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