この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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84話

 どこかの教会に居付いたゴーストを成仏させに行ったプリーストが、そのゴーストの宣教に逆に改宗してしまう。

 

 それでクエストからギルドへ帰還したその女性プリーストは、偶々目についた、当時まだようやく十歳を超えたばかりのギルドに登録している中でも最年少の少年冒険者にさっそく布教を行う。

 そのころから運ステータスが残念な子と噂が広まっていて、やたら不幸な目に遭うし、この前も初心者用のダンジョンで長い間閉じ込められたそうだ。そんな多くの不満を抱え込んでいることだろう子供に、そこを優しく同情しながら説けば、あっさり入信する……。

 まあ、最初のひとりは景気づけに絶対に成功しそうな相手を選んだのだ。

 

 しかし、チョロいガキと思われていたその少年は、知力ステータスが大人顔負けで高く、人格形成が早熟な紅魔族、そして、この駆け出し冒険者の街に来る前に水と温泉の街で、当時次期最高司祭の師という荒波に揉まれ……すでにかなりしっかりとしていた。

 マイナーな女神を布教せんと使命心に燃えていた女性プリーストは最初の一人目でその出鼻を挫かれることになる。

 

「何、ですって……、お前の家は、あの『復讐と傀儡を司る女神』たるレジーナ様を祀っているのっ?」

 

「うん。女神レジーナ様は家で封印の管理している」

 

「封印しているだって!?」

 

 なんてこった。その力をもっと世に広めるべき御方が、封印されていただなんて……。これでは改宗しようにもその恩恵に与ることはできないではないか!

 

「封印というか他所にあった封印を強引に里まで引っ越しさせたというのが正解だな」

 

 後にその女神の引っ越し先(ふういん)は里一番の天才の魔法によって解放(破壊)されることになる。

 

「観光名所にして箔をつけようと里の皆で協力してやったそうだ」

 

 なんて奴だ。いや、なんて里だ。アクシズ教徒にオークと並ぶ、魔王軍すらも敬遠する、この世界で関わりたくない頭のおかしい連中のトップスリーのうちの一角に挙げられる紅魔族だ。

 

「神を独占……封印するなどそんな大それた行いが許されるとでも思ってるの!?」

 

「確かに面白半分でやっているのは認めよう。紅魔族は怖いもの知らずだからな。だが、ちゃんと半分は真剣な理由だ。女神レジーナ様は、その性質からして特に負の信仰を集めやすい。『名もなき女神』などとしか里のものに周知しないでいるのも、澱んだ想念を積もらせないためだ」

 

 布教してきたこちらに、逆に熱心に勧誘してきたことに対する礼儀として、このガキは真剣にその秘匿している情報まで明かして自論を語る。

 

「女神レジーナ様が司る力は、復讐と傀儡。“もしそんな女神がいるのなら、酷いことをされた相手に同じ目を遭わせてくれるかもしれない”なんていうとんでもない願いを聞かされる女神かもしれない。

 でも、これは逆に言えば、それは表立って逆らう事は控えねばならないような弱き者たちの怒りや憎悪を受け止めてくれるとも言える。そのような負の感情を彼の女神は信仰(かて)としてくれている。逆に、もしも女神レジーナ様がいなければ、その想いはどこに行く? それは、暴走し気に入らない相手へ、直接的な報復という形でぶつけられていたかもしれない。そして、報復はまた新たな報復の芽を生むだろう。

 だが女神レジーナ様がいるからこそ、報復したい気持ちを腹のうちに抱えて忍んでくれる、この被害の連鎖を止めてくれる。それだけではない。その存在だけで抑止力にもなる。それはまさしく人の世に安寧をもたらしてくれる女神だと言えるであろうな」

 

 聞けば聞くほど腹立たしい。

 的外れな戯言を聴かされているのではない。先日ゴーストから説法を解かれただけのこちらよりも女神のことを理解しようと深く考えており、かつ彼なりに真摯に向き合っている。

 最初の勧誘に熱心に説いたのが己の浅はかさを曝け出された(しかも相手はだいぶ年下のガキ)ようで恥ずかしくもなるが、何よりも不満なのは、その信仰の方向性が違うことだ。

 

「悪魔は人の欲望を餌にし、神様は人の信仰を糧とする。歴代の神主が継いでいるプロジェクトのひとつに、昔に里へ再封印した『復讐と傀儡の女神』のデトックスがある。幸い、『復讐と傀儡を司る女神』の性質は里の流儀に寄り添うし、里は貴族などのドロドロとした支配階級制度とは縁遠い環境だからな。このまま時間をかけてこれまで蓄積してきたケガレの澱を落としていってもらいたい。数年封印し続ければ、その性質も毒気が抜けて落ち着いてくれるだろうな」

 

 なんてことをしようとしているのだ!

 神を変質させようなどと、許せることないではない。ありのままを受け入れられてこそ信者である。

 しかも、聞けば、奴ら神主というのは祀る神は一柱だけではない、そして、荒御魂とかいう人に害なす邪神となれば、時に殺してみせる……女性プリーストにとってみれば、なんて冒涜的な存在だ。

 許しておけるものではない。

 

 小僧との宗教談義の後、すぐに駆け出し冒険者の街を飛び出した。

 けれど、すぐにその女神レジーナ様が封印されている場所へは馳せ参じることはできない。理由はなんとも歯がゆいものだが、己の実力不足。ようやく駆け出し冒険者の街から出られるだけのレベルの女性プリースト、それも信仰を変えて神聖魔法の力の多くを失った彼女に、高レベルモンスターが跋扈する紅魔の里のある地方へ行くには大変危険な行為だ。

 あまりに危険地帯であるため乗合の馬車も出ておらず、里出身の紅魔族の知り合いがいれば『テレポート』でもって里へ送ってもらうのが最も安全で手っ取り早いのだが、神を弄ぶ輩に借りを作りたくないためその手段は断じて取らなかった。

 結果、何年も紅魔の里に最寄りな街『アルカンレティア』という魔境で過ごさなければならなかったが……おかげで、当時破壊工作に潜入していた……に会え、ひとつの伝手ができた。

 

 そうして、天は――邪神レジーナ様はこの誰よりも敬虔な信者を見捨てたりしなかった。

 

 男殺しのオークの縄張りがあるため高レベル冒険者たちも近づくのを避けているその紅魔の里へ行こうとするパーティを見つけた。

 それは変わった名前をしたミツ……なんとかという強力な神器を持った勇者候補で、最初はそのパーティに一時加入しようとしたのだが、取り巻きのメス猿二匹に邪魔された。仕方なく、そいつらの後をつけて上手いこと戦闘を回避しながら、苦節数年の時を経てようやく、紅魔の里へ……『傀儡と復讐を司る女神』の封印の祠のある紅魔の里へやってこれたのだ。

 

 しかも、その時は何やら里の方でもトラブルが発生しており、悪魔が大量に出現して混乱した状況。火事場泥棒するには絶好のチャンス!

 

 

『『エクスプロージョン』――――ッッッッ!!』

 

 

 やっと封印の祠に辿り着いたところで、悪魔の群れを一掃した爆炎に、その封印の祠も巻き込まれてしまった。

 私も吹き飛ばされてしばらく気を失っていたものの……しかし、これで封印はその祠ごと破られたようで、神にもダメージを与える爆裂魔法の衝撃の影響でか、解放された女神レジーナ様はどうにも記憶喪失っぽい感じにボケていらしたが、確かに目の前の降臨をなされたのだ。

 

 そして、私は、『傀儡と復讐を司る邪神』のたったひとりの正しい信者になることができた。

 それから……

 

 ………

 ………

 ………

 

 魔王城にピクニック気分で攻めてくる人類最強の魔法使い集団・紅魔族、あることないこと魔王様を貶めるような風評を流したりする人類災厄な狂信者集団・アクシズ教……人類侵略とかそういうのを抜きにしてとにかく“ウザったい”この障害ども。

 このふざけたやつらは、まったくもってふざけていることに実力だけはあるのだから厄介。魔王軍幹部ハンスやシルビアが拠点である『アルカンレティア』や紅魔の里を攻め滅ぼそうとしたが、その悉くが返り討ちにあって逆に倒されてしまった。

 

 そして、その両方に、アクシズ教で紅魔族という魔王軍にとって最悪な掛け合わせの『仮面の紅魔族』が関わっている。

 あの同じ所属でも関わりたくないすべてを見通す悪魔と同じ地獄の公爵級の最上位悪魔をも屠ったという情報も入り、今やそいつは『氷の魔女』よりも高額の値がつけられた魔王軍の賞金首になっている。

 そいつが拠点にしている『アクセル』へと諜報部の方で工作員を派遣したが……状況はあまり芳しくないようで、しかしながら“まだ敵の手に落ちていない”インキュバスはどうにか嵌めようと策を練っているようだ。対象は勘が鋭い相手なので、不用意に援軍を派遣せぬようとも定期連絡で注意されたりもした。

 ――そんな『仮面の紅魔族』に、魔王軍も対抗策を打ち出した。

 

 

「敵襲敵襲ー!!」

 

 砦の見張り役が警鐘を鳴らす。

 手筈通りに異教の邪神が爆裂魔法を、この砦の命とも言える外壁に放った。国王軍が多額の費用を投資して頑丈に造られたはずの防壁は、ここ連日爆裂魔法をぶち込まれて今や崩壊寸前にまで陥っている。

 

「これ以上砦を好き勝手にさせるな! 今日こそ魔王軍幹部を討ち取れー!」

 

 勇ましく剣を掲げる勇者候補たち。

 連日強烈熾烈な爆炎を拠点にぶつけられるたびに慌てふためいていた冒険者と王国兵たちだったが、今日は違う。

 王国軍や王都のランキング上位に名を列ねる高レベル冒険者達が、乾坤一擲と打って出た。守りが手薄になるが、敵首魁を狙う、肉を切らせて骨を断つ作戦――だが、そんな一か八かの策も、“内通者(わたし)”によって筒抜け。

 爆裂魔法を撃ち放った直後で消耗しているところを討ち取る好機と見た彼らだが、今日これから打って出てくるのは事前にわかっていたので、異教の邪神は上位悪魔を筆頭とする魔王軍の精鋭に守りを固められている。そして、厄介な神器を持った勇者候補が出払った砦では、勇者候補のパーティでもない後方支援を担当とするプリースト職は当然待機である。

 

 そんなエサにした邪神に釣り上げられがら空きにした防衛軍の拠点で、“人類の裏切り者”は、その影から主従の契約を結んでいる“最凶の使い魔”を召喚させる。

 

「さあ、私の掌の上で踊り狂いな」

 

 紅魔族に拠点を壊滅されたりと翻弄された不死身の騎士。

 アクシズ教に破壊工作を引っ掻き回された突然変異の毒。

 この特に被害者な二体の魔王軍幹部を、科学班を仕切っていた幹部シルビアの残したレポートを参照し、我が邪神の秘術でもって合成蘇生させた使い魔、名付けて“アヴェンジャー”――

 『勇者(チート)殺し』とも恐れられるほどに、勇者候補どもを絶望の底に叩き落としたその力を見せてやれ!

 

 

 ♢♢♢

 

 

 女神というのは生まれながらにして完成された存在である。

 属性が二分されて神格がどうやら半減しているせいか、これまでご尊顔を拝した水のアクア様や幸運のエリス様など女神たちと比較すれば畏れ多い神々しさというのは弱くは感じるのだけれども、それでもとんぬらには十分衝撃的。温泉にどっぷりとつかる浴槽内で寛ぐ、そのありのままの姿が晒される。豊満だけれどサキュバスのような蠱惑さを覚える事さえ不敬と思う芸術品の如き肢体、燃えるような赤髪にネコ科動物のような瞳孔が黄金比で収まっているような美貌。そして、野性味がありながらゆったりと泰然とした印象を同居させるその雰囲気は、否が応でも人並み以上に神気に敏感なとんぬらに緊張感を強いる。

 そんな心鎮めるために深呼吸をひとつ入れたところを見計らって、彼女から声をかけてきた。

 

「……あら? 誰かと思えばあなただったのね」

 

 柔らかな笑みを浮かべる赤髪のお姉さん。

 『アルカンレティア』でローブを纏ってその身を隠していたが、あの時あった彼女で間違いなく。

 そして、その声は、この最近に聴いた“爆裂魔法の詠唱(エクスプロージョン)”の波長と同質のものであるも、とんぬらはあえてそこはすっとぼけることにした。

 

「お久しぶりですねお姉さん。……『アルカンレティア』以来、でしょうか」

 

「……ええ、お久しぶりね。もう一度会えるとは思っていなかったわ」

 

「そうですか。俺は再会の予感はしていましたよ」

 

「ふふっ。……そうね、実は私も再びこういう機会が巡ってくると期待していたのかも」

 

 言いながら赤髪のお姉さんは温泉から少し出て浴槽の淵に腰かける。

 もったりと煙る湯気と、その抱えるタオルで局所を隠されているが、危ういほどに露出が多い。こうして肌を晒しているのが、こちらへの信用度の値とするような意思表示にとんぬらは思えて、無意識に強張った肩を軽く回して揉み解した。

 それからこちらも返礼とばかりに、相手に背を向けて、体を洗う。その間、彼女の猫のような黄色い瞳はじっと背に注がれる。

 ざっぱん! と最後に勢いよく冷水を頭から被って、心身清め面前に立っても失礼のないように禊ぐ。

 綺麗さっぱりとすっきりしたところで、再び温泉に視線を戻すも、わずかに逡巡するとんぬら。

 

「温泉、入らないの?」

 

「……、そうですね、せっかくですから入らせてもらいます。失礼します」

 

 格上の存在に対する礼儀か、一温泉へのマナーかを秤にかけるところは多々あったけれど、あまり気を遣い過ぎるのも彼女の望みではあるまいという判断に重きが傾き、呼びかけを断らずこの混浴の湯に浸かる。

 

「……ここ、怪我の治りも良くなるそうよ」

 

「そうなんですか。では、じっくり浸らせてもらいます」

 

 先程、体を洗っているときに感じた、探っている視線は、こちらの怪我の具合が気になっていたのか。

 それもその声音が演技しているものでなければ、純粋に心配していたような響きである。実際、あの時の爆裂魔法も直撃はさせずに外してくれたようだから。

 

「お姉さんも、ここへは湯治に来たのですか?」

 

「そうねぇ。私は、日々頑張っている自分へのご褒美に、大好きな温泉をってところかしらね? もっと用心すべきだと部下たちが口うるさいけど、一仕事は終えたようなものだから文句は言わせないわ」

 

「それは部下たちも心配するでしょうとも。この辺りは山賊なんて珍しい集団が潜んでいるくらい治安の悪い場所ですから。おひとりで行動されては、彼らも気が気ではないでしょう」

 

「そうだったわね。ここは魔王軍との激戦区ですもの。――あなたも、そこに参戦するつもりなのかしら?」

 

 空気が、変わる。

 

「そうですね。王都からの要請で援軍に加わりますよ。この前の防衛線の時と同じです」

 

「はあ」

 

 深いため息が湯気に混じる。

 

「できれば、また会いたくはなかったのだけれど……ねぇ、今からでも王都に引き返さない? その方が賢明よ」

 

「でしょうね。随分と過酷な戦況だと耳にしています。何でも魔王軍幹部の女神が猛威を振るっているようですね」

 

「魔王軍はあなたのことを高く評価している……だからこそ、ここから先に踏み込まれると容赦はできなくなるわよ。言葉を交わして、片割れの世話までしてくれる私の信者と戦いたくないんだけれど、こっちも立場上そうはいかないのよね」

 

 そして、赤髪のお姉さん――怠惰と暴虐を司る女神ウォルバクは、言う。

 

 

「『怠惰と暴虐の女神』を信仰する神社の神主にして、勇者サトウの末裔よ。もし、私の味方になれば、世界の半分をあなたに与えましょう」

 

 

 ………

 ………

 ………

 

 それから五分後。

 

 ――多人数で襲い掛かっても俯瞰する魔眼に隙はなく、圧倒的な剣技にアンデッドの無尽蔵の体力と強力な魔法抵抗力を持ち、どんな強敵が相手でも一定期間の後には死の宣告で呪い殺すことができる、デュラハンのベルディア(騎士ぶったむっつりスケベ)。

 ――人の身に化ける能力を備え、強い魔法抵抗力と触れただけで即死する猛毒を持ち、圧倒的な巨体ですべてを呑み込み食らい尽す、デッドリーポイズンスライムのハンス(アクシズ教の被害者)。

 ――その身に次々とモンスターを取り込み、様々な特性や能力を自らのものにしていった、無尽蔵に進化していくグロウキメラのシルビア(両刀のカマ野郎)。

 ――世界の最終戦争レベルの災厄とも称される、存在自体が反則である地獄の公爵、全てを見通す悪魔のバニル(敵味方無差別な愉快犯)。

 ――卓越した上級魔法、果ては爆裂魔法すらをも操り、通常の武器では傷もつけられない肉体と状態異常に精気吸収など様々な特殊能力を有するノーライフキング。師匠を上回る実力者であろう、リッチーのウィズ(お人好しだけど呪われた商才センスの持ち主)。

 

 その個人個人の性格嗜好はさておき、幹部クラスの能力や強さは単独で都市を滅ぼせても不可能ではないほど凄まじいものであり、どれも一片の油断ならない相手だ。

 

(……そんな瞬きすることなど許されない魔王軍幹部と思しき相手を目の前にして、腰にタオル一枚のほとんど無装備(はだか)で、目隠しまでする冒険者はたぶん自分だけではないだろうか?)

 

 胸の裡で五秒数えて、冷静になってとんぬらは状況を顧みたが、やっぱりこれはおかしい。

 不幸属性を抱えているも好き好んで自分を追い込むような物好きではないはずだ。そんなに命知らずな度胸を通り越した自殺願望があったとは自分でも思わなかった。でも、クリティカルな閃光魔法で目を潰されるよりはマシである。

 

『たとえお姉さんが相手だろうととんぬらを奪おうとする泥棒猫なら……私、戦います!』

 

『お願い話を聞いて!?』

 

 ……修羅場になっておいてなんだが、ここが風呂場で良かった。杖持ってない。

 

「その、大丈夫……?」

 

「お気になさらず」

 

 女神様の言葉を尽くした説得の甲斐あって、シャー! と毛を逆立たせて警戒する猫のような状態から一先ず落ち着いてくれたのだが……

 個人の感想を省いて端的に今の状況を述べると、とんぬらは目元をゆんゆんにタオルで覆い隠されて、そんな様子をウォルバクが何とも言えない表情で見ている。以上。

 相手にまで気を遣われるというこのシチュエーション。滑稽さを通り越して、心配されてしまうくらい今の格好は涙ぐましくなるものだろう。

 

「それで……彼がいるってことは、やっぱりあなたもいるのね?」

 

「当然ですお姉さん! とんぬらは、私のパートナーです。健やかなるときも、病めるときも、おはようからおやすみまでお風呂に入るときだってずっと一緒ですっ!」

 

「そ、そう、お幸せにね。随分と仲が良かったけれど、もうこんな関係になっていたのね……」

 

「ええっ。とんぬらになら、こんなことだってできちゃいますからっ!」

 

 お姉さんの目の前だろうと構わず、素早くとんぬらの脇に回ったゆんゆんは、両手でとんぬらの腕を抱くといつの間にお色気スキルを習得したのかぱふぱふすりすりと攻撃してくる。視界が塞がれ他の感覚が敏感になっているとんぬらとしてはもはや暴力に等しい柔らかな感触。

 お姉さんが涙目になりながらも必死に説明して誤解は解けて、こうして目隠しもしているはずなのだが、頑固としてウォルバクととんぬらの間に割って入るゆんゆん。もう何といえばいいのか。

 とりあえず、この空気を持ち直さんととんぬらは口を開いた。

 

「ゆんゆん……今はわりと真剣な場面なんだ」

 

「私だって真剣なのとんぬら! 絶対に負けられない戦いがここにあるわ! ……それで、こうやって……確か予習した本では、……をスポンジのように泡立たせて、ご奉仕……よいしょっ」

 

「ゆんゆん? ゆんゆーん? 何をしようとしている? というか、一体そういうのをどこから勉強しているんだ? あれか、最近の恋愛小説にはそんなことまで書いてあるのか!?」

 

「とんぬら、じっとしてて。……手を使わないでするのは初めてで、難しいの。……暴れられると上手に洗えないから……えいっ」

 

 張り切り過ぎて周りが見えなくなるほど暴走気味なパートナー。淡々と冷めた眼差しをくれる女神様。もはや微笑ましそうにさえしてくれない。前のめりに全力姿勢な彼女に体を洗ってもらいながら、お姉さんから冷え冷えな視線を貰うというこの状況は、カオスとしか言いようがない。

 

「本当に、その……若気の至りと言いますか、でも、普段からこんな真似はさせていませんから! いえ、こうやって一生懸命に尽くしてくれるのが嬉しくないかと訊かれれば大変嬉しいですけど……くっ! 俺は何をこんなところで白状しているんだ!? 訳が分からんぞ!」

 

「よかったわね。ここにいるのが暴虐の半身だったら暴れてたわよ。ええ、間違いなく」

 

 今、怠惰なお姉さんの目の前には、目隠しをした少年にそのぷにぷにとした魅惑な膨らみの谷間で腕を挟み、彼の半身に遠慮なくしがみつく少女。それもまるでネコが自分の所有物(モノ)だと主張するための匂い付け(マーキング)をするように、自らの肢体を上下に擦りつけているという……そんなアブノーマルっぽい領域に踏み込みかけているバカップルが映っている。

 

「目隠しまではもう妥協して良しとするけど、そうべったり抱き着かれてはしまるものもしまらないので、ちょっと後ろに下がって欲しい」

「だめよっ。とんぬらにお姉さんの相手はさせられないわ!」

「まったく何を心配しているんだ。俺がそうホイホイ誘いに乗る浮気野郎とでも思っているのか? 正直に言ってみろ」

「だって、お姉さん……綺麗で私よりもスタイル良くて……それに猫っぽいしだから……その、奪われないように……私のことで頭いっぱいになってもらわないと……!」

「バカだな。余計な心配だ。確かに敬っていたりはするけれど、俺がこの胸いっぱいに可愛がりたいコネコちゃんはゆんゆんだけだぜ」

「とんぬらぁ」

「ははは、可愛い奴め」

 

 目隠しのまま抱き着いている彼女の腕から首筋をなぞるように指を這わせて、顎クイ。からの、数多の猫を陥落させてきたゴッドフィンガーで攻守逆転。顎裏をくすぐりつつその耳元を蕩けさすように囁いてみせれば、一気にふやけたように腕を拘束する力は弱まる。何だかんだでこのパートナーの操縦法は心得ている。

 

「(こんなよくわからんセリフで丸め込まれるのも)ゆんゆんだけさ。だから、ここは俺に任せて、いい子に待っててくれるかいコネコちゃん?」

「ご、ごろにゃーん……♪」

 

 甘えた声で鳴きながら前から後にポジションを下がってくれたゆんゆん。

 ホッと一息。精神的なものを削りながらも説得に成功させた里一番のプレイボーイにして神主代行の少年は、

 

「何かどっちもどっちねあなた達……ねぇ、私この空間から出てもいいかしら? もう胸がいっぱいというか胃もたれしそうだから」

 

「待ってくださいお願いですから」

 

 すぐに九十度に腰を折って頭を下げた。

 ネコっぽい黄色い瞳が段々と白けたものになっていく。目隠ししていてもこの視線の感じからして、シチュー事件のめぐみんと同じ真顔だきっと。

 

「もう話をする気分じゃないし、それに今なら心置きなく爆裂魔法が放てそうな気がするわ」

「いやいや。だからってこんな別れ方はないですよウォルバク様。大体、こんな状況に陥ったのは、そちらの責任でしょう」

「わ、私のせいなの?」

「温泉好きなのはわかってますけど、もっと時と場所を考えましょうよ。いくら女神様でもこれは減点です」

「私だって、温泉入っているときにこうなるとは思ってなかったわよ!」

「それでもシチュエーションを考えるべきだったんです。こちらはもう流す対応だったのに、風呂場であんな話を切り出したのはウォルバク様です。それとも貴女様は信者や配下と重要な対談するときはお風呂場でやるのが怠惰と暴虐の女神流なんですか?」

「そんなのしないわよ! プライベートと仕事はきっちりわけるわよ私」

「でしたら、これはやはりウォルバク様にも少なからずの責任があるという事ですよね。だったら、ちゃんとやるべきことを全うする義務はあると思います」

「ぎ、義務!?」

「そうです義務です。このままではしこりが残ります。だから、最後まで話を終えてから去りましょう。その方がお互いに良いはずです」

「目の前でいちゃつかれて、それでどうして私が言い包められているの??」

 

 そんな復元不可能なレベルにまでシリアスがギャグに呑まれていきそうで、“これはいかん”と危機感を抱いたとんぬらはこの状態のまま強引に、我武者羅な勢いでもって、ゆんゆん介入で中断した会話のやり直しをすることをウォルバクに強く求めた。

 

「世界半分とは大きく出ましたね。しかし、これまで敵対していた人間に魔王軍の中に居場所はあるのですか?」

 

「ねぇ、本気でやるつもりなの続き?」

 

「世界半分とは大きく出ましたね。しかし、これまで敵対していた人間に魔王軍の中に居場所はあるのですか?」

 

「……人間でも能力があれば魔王軍に入れるし、幹部にだってなることができるわ。魔王軍は実力主義なのよ」

 

 同じ質問を繰り返す強制対応に折れた邪神は項垂れつつも応えてくれた。

 元高額賞金首『氷の魔女』であったウィズはなんちゃってとはいえ魔王軍の幹部である。幹部をまとめる首魁の魔王は、敵だったものを迎え入れるだけの懐の広さを持っているのだろう。

 

「だから、こちらに有利な功績を持ってきてくれるなら、私が口添えすれば受けいれられるわ。……そうね、色々と思うところはあるでしょうけど、ホーストからもうひとりの私のことは聞いている」

 

 一度は邪神の暴虐の半身を巡って争った上位悪魔ホーストが、女神ウォルバクの下に再召喚されている。ならば、その時の情報は彼女に報告されている。

 

「黒猫……暴虐の半身、のことですね」

 

「そう。私と一緒に解放されたとき、よほど鬱憤が溜まってたのか、あまりに手が付けられなくて、それでしばらくの間眠っていてもらったんだけど……それがまさか、また封印が解かれ、相棒はあなた達に連れられてたとはね」

 

「猫神神社の管理不足だと言われてもしょうがないですね。現神主が里を留守にしているとはいえ、まさか学校にも通っていない年端のいかない悪戯娘に封印が解かれるとは思っていなかったもので」

 

「でも、これでわかったでしょう? 私の半身を引き渡してくれるのならそれは十分、魔王軍の功績になるの。これまでの幹部討伐がチャラになっても余りあるほどの、ね」

 

 なるほど。

 別れていた分身体が結合し、元の完全体に戻った『怠惰と暴虐を司る女神』はより強力な力を振るえるようになるだろう。それも怠惰だけでも爆裂魔法で人類を脅かすほどの脅威で魔王軍幹部だ、そこに暴虐なんてより攻撃的なイメージのある片割れ(前にゼル帝(ひよこ)に負けてたけど)が加わればどれだけ力が跳ね上がるのか。想像するだけで恐ろしい。

 

「ウォルバク様は、暴虐を司る片割れであるちょむすけが欲しいと?」

 

「ええ。私は暴虐を司る片……割……れ……の?」

 

「どうしましたウォルバク様?」

 

「ねぇ、今私の半身のことをなんて呼んだの?」

 

「ちょむすけです。最初はこの黒猫は女の子(メスだ)から名前を改めるようにと注意したんですが、頑固として聞き入れてもらえず。まあ、ご在知の通りでしょうが、紅魔族の命名センスは世間と外れていますから」

 

 ピキン、と固まってしまうウォルバクに、ライバルの失態に責任を感じてしまったのか、紅魔族の族長の娘が励ますように……追い打ちをかける。

 

「でも、今ではちょむすけって名前もわりかし悪くないんじゃないかなって愛着も湧いてきてます」

 

「どういうことなの!?」

 

 流石に聞き流せない内容のようだ。それもそのはず。野性になった己の半身にヘンテコな名前が付けられているのだ。お姉さんな女神様でも冷静ではいられない。

 

「ちょっとこれ……あなた達が連れている黒猫が、実はホーストの誤情報とかだったりしないのかしら? 結構うっかり癖のある配下だから……」

 

「同じ貴女様の配下であるアーネスも“偉大なる我が主”と言ってましたし、その可能性は低いんじゃないかと。それにアーネスは確か、“すっかりご自分のことをちょむすけだと思い込んでいる”と嘆いてましたね」

 

「どういうことなの!? ねぇ、本当にどういうことなの!? 私の半身にいったい何があったの!?」

 

 わけがわからないと叫ぶウォルバク。心中お察しするとんぬらだったが、そこでひとつ素朴な疑問をふと口にする。

 

「こうなると……あなた様がひとつに戻った時、どうお呼びすればいいのでしょうか? 怠惰と暴虐を司る女神・ウォルバク? それとも怠惰と暴虐を司る神獣・ちょむすけ?」

 

「前者で! 断然、前者でお願いするわ!」

 

 おお、めぐみん。邪神は汝のネーミングセンスをお気に召さないようだ。

 

「だから、早く半身を引き渡してちょうだい! ちょっと相棒の目を覚まさせるから!」

 

 女神様は、ちょっと泣きが入るくらい必死なご様子。

 ――しかし、神主の少年は、その目元を覆う布を解いて、真っ直ぐに、怠惰と暴虐の……邪神を見つめてから、顔を伏せる。

 

 

「申し訳ありません、ウォルバク様。俺は、前に子供たちにこの暗黒の世紀を終わらせてみせると言ってしまったんです。こればかりは、怠惰を働くわけにはいきません」

 

 

 それは小さな約束だったが、神性に頭を垂れながらも、曲げない芯を彼の中に作る。

 取り乱していたウォルバクも、表情から色を消して、厳かな声で問う。

 

女神(わたし)の言葉を背くということかしら?」

 

「はい。魔王軍へ勧誘したのが貴女様なりの慈悲だと理解していますが、それでも譲れないものがあります」

 

「そのために、女神(わたし)と敵対すると?」

 

「必要とあらば、“神すら斬る”……それが神主としてのお役目です」

 

 そこで、ふっと仮面の下の口元が笑みを零す。

 

「されど、私は未だ代行の身。未熟な私には“露払い”が精々。貴女様に相対するにもっと相応しい者がきっと後から来るでしょう」

 

「なに?」

 

「それに、我々は貴女様の半身のお世話をしていましたが、使役しているのは我々ではありません」

 

 失礼ですがこちらに依頼するのはお門違いです、と指摘する。

 そして、言外にその暴虐の半身(ちょむすけ)を使い魔にする者こそが、女神と対峙する者であると意味を含ませる。

 

 

「あ、あの! さっき暴走した相棒を倒した話をしてましたけど、その時に、小さな女の子がいませんでしたか!? きっと昔からひねくれてて、大人ぶっていたんだと思いますけど……魔獣から助けてもらった爆裂魔法に夢中になって……その爆裂魔法を恩人から教えてもらった、めぐみんっていう子なんですけど……」

 

 

 とんぬらの背後に控えて、ようやく頭が冷えてくれたゆんゆんが、声を上げて問いかけた。

 ゆんゆんのことだから自分のことではないけれど、きっと自分のこと以上に気になっていたんだろう。

 

 だが、ウォルバクは、困ったように微笑を浮かべ、一言。

 

「覚えてないわ」

 

 そのとき。

 宿泊施設を囲う頑丈な壁が、巨漢の大悪魔の剛拳で砕かれた。

 

 

「ご無事ですか! ウォルバク様アアアアア!」

 

 

 そのままこの風呂場の壁まで突き進んでやって来たのは、月光を照り返す光沢のある漆黒の巨体を持つ上位悪魔。

 角と牙、蝙蝠の羽、そのどれもから禍々しい魔力を漂わせるその悪魔は、ホースト。邪神の右腕で、一度目は斃し、二度目はどてっぱらに風穴を開ける大ダメージを与えた。

 その悪魔は、主の前にある、覚えのある強力な魔力の波動――すなわち、強敵と認めた相手にすぐに気づき、

 

「とんぬらっ!? まさか、てめ、湯治中のウォルバク様を狙って! だが、この俺が来たからには」

「お止め、ホースト」

 

 一触即発だったその空気を、ウォルバクの一喝が掃う。

 

「この子たちと会ったのは偶然よ。せっかくの温泉宿を早とちりなんかで壊して……これじゃもうここには行けないじゃない。また、新しい湯治先を見つけないと……」

 

「へい、すいやせん! ウォルバク様、俺ぁてっきり……」

 

 美女と野獣。その野獣の如き大悪魔は、美女な邪神にぺこぺこと腰が低く……それからじろりととんぬらを見る。

 

「どうしますか、ウォルバク様。今の丸裸のコイツらなら俺でもやれますが……」

 

「ほう。言ってくれるなホースト。見た目(ガワ)はうまく装っているみたいだが、まだ本調子とはいかないんだろう? ――仮初の肉体、魔力のほつれが見えるぞ」

 

「へっ! いちいち細けぇことをつついてくる野郎だ。――いいぜ、ここで本調子かどうか試しても」

 

 と、そこで、どこからか取り出したマントを羽織り、ウォルバクは参上した配下の上位悪魔の肩に乗る。

 

「だからやめなさいホースト。これ以上、私を働かせないでくれるかしら?」

 

「はっ! 了解しやした」

 

 お風呂場を破壊されたことにだいぶご立腹らしい。険のある声で二度の注意をすれば、流石のホーストも引き下がる。

 ……こうして、上位悪魔(ホースト)を従えているのを見ると、やはりお姉さんは魔王軍幹部の邪神なのだという実感が強まる。現実感が乖離するような抵抗感を覚えるが、受け入れなければならない。

 

相手(オレ)のことより自分(テメェ)のことを心配しろってんだ。どうせ今更戦線に復帰しようたって、砦は壊滅しているだろうぜ」

 

「何?」

 

「へっ! 敵が魔族だけと思ってるとはおめでたいヤツらだ。足元をすくわれてからじゃ遅いぜ人間ごはっ!?」

「ホースト、あなたは本当にお喋りね。それとも見知った相手にはつい親切を働いてしまうのかしら?」

 

 ノックするような軽い感じの裏拳で、ホーストの凶悪な面相の横面を叩いて黙らせるウォルバク。

 

「……まあ、私も他(悪魔)のことは言えないけど。いいわ、我が信者への最後の慈悲として、一日だけ引き返す猶予を与えます。砦に向かい、そこで、その献身は報われることなく徒労に終わることを知りなさい」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 不穏なことを言い捨てて、ウォルバクとホーストは去った。

 それを見送ったゆんゆんが、不安そうに呟く。

 

「ねぇ、とんぬら。砦が壊滅しているっていっていたけど、本当なのかしら?」

 

「……さあな。実際に見てみないとわからないが」

 

 風呂に入っている理由を訊ねた時、ウォルバクは“一仕事終えた”と言っていた。つまりは、“砦に陣取る防衛軍を攻略した”という意味合いが含まれていたのかもしれない。

 

「相手の幹部は爆裂魔法を使う。その威力は俺達も良く知るところだ。――だが、爆裂魔法の破壊力だけで攻略できるほど防衛軍の砦は脆くはないはず」

 

 過去に、めぐみんが魔王軍幹部ベルディアの滞在する古城に一日として欠かさず、日課の爆裂魔法を放っていたことがあったが、それはつまり古城は爆裂魔法一発だけでは壊滅し切れなかったという事だ。

 爆裂魔法にも限度はある。

 その古城はベルディアの魔力で強化・修復がなされていたのだろう。それと同じように神器を持った勇者候補を含む防衛軍が拠点に敷く、王国が多額の出資をして築いた砦も爆裂魔法一発で壊滅してしまうようなものではない。

 

(他にも気になることを言っていたが……)

 

 溜息ひとつ。

 

「これは思っていたよりも大変な“露払い”を任されたっぽいな」

 

 この先を見通せない昏い夜闇のように先行き不安になるも、仮面の奥の双眸は前を見据えていた。

 

「ゆんゆん、これから仮眠休憩したあと危険を承知で砦へ急行するが……構わないか?」

 

「さっきも言ったじゃない? 健やかなるときも、病めるときも、どこまでだってとんぬらについていくわ」

 

 結婚式(仮)を経てからすっかりその気なパートナーに、とんぬらは呆れたような嬉しいような笑みで、険しくした目つきを柔らかくする。

 

「それで、とんぬら。めぐみんの事、覚えてないって言ってたけど……」

 

「さてな。しかし、ひとつ策を思いついたぞ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 早朝。

 夜目の効くゲレゲレに乗ってとんぬらとゆんゆんは、強行軍で砦へ向かい、ちょうど日が明けた頃に目的地へ辿り着いた。

 

「とんぬら、あれ……」

 

「ああ、間違いない」

 

 王城と変わらない大きさの砦。

 魔王軍との最前線を維持する砦なだけあって、おそらくは千人は収容できそうな広さで、そこにあるだけで周囲を圧倒するほどの存在感を醸し出している。

 が、砦の命ともいえる頑丈そうな外壁、最初はその威容に圧巻させられるも、周り込んである一面が視界に入るとまた息を呑む。砦の一部に凄まじい破壊痕があった。何度も強烈な攻撃に晒されて崩壊寸前に陥っているこの原因は、間違いなく爆裂魔法によるものだろう。

 

 と入口に面した砦前に到着し、それを目撃した見張りが外壁の上からこちらに誰何を投げかける。

 

「そこの冒険者。ここは魔王軍を食い止めるための砦だ。一体この地に何用で参った?」

 

「王国より要請を受け救援に来た冒険者だ。上級職の『アークウィザード』にして、宮廷道化師として一躍名を馳せた者! 後ろにいるのは、俺のパートナーで、同じく上級職の『アークウィザード』だ」

 

「おお、そうだ、その仮面! 魔王軍との第一線で活躍をしたあの宮廷道化師の! 少しそこでお待ちくだされ!」

 

 砦の跳ね橋が降りると門扉が開いて、中から数人の騎士が現れた。

 

「申し訳ありませんが、身分確認にどうかご協力を。魔王軍幹部がこの周辺に潜伏している可能性がありますので。身元を証明できるものを拝見させていただいても構いませんか?」

 

「冒険者カードでいいですか?」

 

 初心者殺しの変異種のゲレゲレに騎士たちはビビるも、とんぬらが駄賃のおやつを上げながら毛並みを撫でて、その無害性をアピールしておく。その間に、ゆんゆんが自分の冒険者カードを差し出して、それを受け取った騎士が固まった。

 

「ゆんゆんさん、ですか」

 

「は、はい……それは本名で、ゆんゆんと申します……」

 

「はい、そうですか。失礼いたしました。そして、そちらがとんぬら殿、ですか」

 

「そうだ。個性的な名前は覚えやすいだろう」

 

「い、いえいえ、とんぬら殿の功績は我々一般兵も知るところ。……この状況の厳しい最中、駆け付けてくれたお二人は天の助けと」

「――おおっ! とんぬら殿にゆんゆん殿ではないですか! これは頼もしい応援です!」

 

 と身分確認を終えたところで、砦内から駆けつけてきた男……以前の王都防衛戦で行動を共にした騎士団長が現れた。

 

「団長殿、早速で悪いが、状況を教えてくれないか? どうやら戦況はあまり良くないようだが」

 

 自ら案内を買って出る団長の後をついていきながら、砦内の様子を窺えば、冒険者や兵士たちは、皆ピリピリした雰囲気を纏い余裕がない。中には先行きに絶望し、飲んだくれているものまでいる。

 この荒れているムードにゆんゆんは少し怖そうにとんぬらの背にピタリと寄りそう。

 

「はい……。実はもう自爆ボタンを押し、砦を破却する案も出ております」

 

「なんと! 砦の外壁に多大な破壊痕を目撃しましたが、それほどに大きなダメージだったのですか?」

 

「外壁のダメージも大きいですが、問題は内部の方で……。実は、この砦内にある井戸が毒に汚染されてしまったんです」

 

 収容する大勢の人間を支える飲み水をやられた。

 すでに汚染された毒水を飲んで体調不良を起こす冒険者や兵士たちが多い。それも高レベルのプリーストが治療しようにも浄化できないほどの劇毒。とても戦闘可能な状態ではなく、すぐにでも王都へ帰還させ治療を受けさせるのが望ましい。

 

「では、ここは拠点を捨てて立て直しをしたほうが……」

 

「それが、そうも言ってはいられないんです。砦内には撤退を望まない者も多い。彼らは皆、昨夜の襲撃者に『死の宣告』をかけられた」

 

「『死の宣告』だと……!?」

 

 話を詳しく聞くに、砦の外壁へ爆裂魔法をぶち込んだ邪神をすぐさま討とうと砦内の実力者たちが砦から出陣したその直後、砦内に突如、その襲撃者が出現した。それはまずは砦の生活を支える井戸を汚染し、それに多数の冒険者や騎士たちが倒そうと迫るも襲撃者は彼らの攻撃を悉く躱してカウンターで斬り捨てて、去り際に集まって来た全員に『死の宣告』をかけていった。

 呪いをかけた襲撃者は『死の宣告』にパニックになっている間に姿を消したそうだ。

 

「プリーストにも祓えない呪いを解くには、『死の宣告』をかけた術者を一週間内に呪いを解かせるか、術者を倒さなければ、解呪はできません。呪いをかけられた者たちからすれば、ここで撤退して余計な時間をかけるわけにはいかない」

 

 おかげで、今、砦内は撤退するか、強襲するかで意見が割れて、バラバラ。とてもまとまりがない状況に陥っている。

 ベテラン冒険者(ウィズ)も語っていたが、集団(パーティ)は連携を取ってこそ実力以上のものが発揮できる。しかし、現状では互いの生存をかけて反対の方向に意見を主張するものだから逆に足を引っ張る結果にしかならない。

 

(毒と呪い……この二つで極限状態の対立状況を作った……これは思った以上に厄介だ。そして、もしこれを意図して作り出したものがいるなら、その狙いはこれで終わりなのか――)

 

 その時、とんぬら達の耳に砦奥の広間より多くが騒めいている気配を覚える。

 それに、何故だか自室へ案内途中のとんぬらの足が止まりそうになった。

 何か。

 とてつもなく禍々しい、絶対に呑みこまれてはいけない、そんな目に見えない瘴気の壁のようなものを感じる。

 

『はっ、離してクレメア! 私やっぱり……』

『ここで出て行ったら逆に迷惑になるのがわからないのフィオ! あれだけの数だもん、騒ぎを諫めるなんて誰だって無理、私達が行ったところで焼け石に水よ!!』

『で、でも! でもキョウヤが!!』

 

 そんな聞き覚えのある声までした。

 

「この声って、クレメアさんとフィオさん……?」

 

 思わず呟くゆんゆん。思った通りにこの言い合う少女達は知り合いのようだ。そして、その『ランサー』と『アーチャー』の女性冒険者から連想されるのは、彼女たちを取り巻きにしていた坊ちゃんな勇者候補。

 そこまで考えが至ったところで、とんぬらの頭の中で得体のしれない警鐘が鳴り響いた。

 とんぬらは粘つくような何かを必死に振り解くように、案内に前を行く騎士団長の背中に訊ねた。

 

「それで、邪神を討伐戦飛び出した精鋭部隊の連中は無事だったんですか?」

 

「ええ。まあ……不幸中の幸いにして彼らは砦内の混乱を免れました。邪神の討伐こそ果たせませんでしたが……」

 

 歯切れ悪そうに答える騎士団長。その答えにとんぬらは自身の目で確かめると決めた。ちらりと傍らのゆんゆんへ目配せすれば、彼女もその意を理解し、こくんと頷く。

 広間の方へ寄り道すると、不吉な瘴気の密度が上がった。心臓へ妙な圧迫を加える騒めきの正体は人の声だった。もっと厳密には、いくつもいくつも重なり合って響くそれは、ある一つの方向性を持ちつつも、しかし明確な音声としては聞き取れない。冒険者ギルドのスピーカーから緊急事態の警報が発令されても、山彦の反響を繰り返すうちに言葉として聴き取れなくなってしまうのに似ているかもしれない。

 具体的な内容はわからないのに、良からぬ事態が迫っていると灼熱の負の感情だけは突き刺すように伝わってくる。それらを生み出している人だかりのようなものも見えてきた。城なら玉座の置かれている広間の奥には、演説台のような舞台が配置されている。その中心で何が起きているのか、例の人混みが邪魔で遠目にはわからない。

 

『……な! 独……を……!! 徹……な裁……(くだ)……だ!!』

『お……せいで……毒を盛ら……思っ……るんだ、こ……な召使い……ゃね……だぞ!!』

『みん……苦し……いる中、国王様が……退陣したのを良い事に……仕切り……やがって!!』

『勇者だとか……いい気になり……呪いをどうするんだ……!』

 

 最初、意味は分からなかった。

 だけど怒れる群衆に近づいていくにつれて、それは何かを責め立てる声だというのがわかった。

 

「とんぬら殿、ゆんゆん殿、先に部屋に」

 

 と騎士団長が広間から下がらせようと声をかけた直後だった。

 人だかりの頭と頭の間から、“それ”は見えた。

 

 冒険者だけでなく騎士兵までも交じる集団に取り囲まれた演説台の上に立たされていたのは、魔剣使いの『ソードマスター』ミツルギキョウヤ。

 

「何が勇者だ! お前の発案した特攻のせいで皆おしまいだ!!」

「砦をどうするんだよ! 俺達の毒や呪いをどうするんだよ!!」

「もう爆裂魔法どころじゃねーぞ。これ全部アンタの失敗のせいだからな!!」

「せめて神器持ちの野郎が砦内にいればこんな被害は大きくならなかったはずなのに!!」

 

 ゾッと。

 手足の先からゾワゾワとした震えが走り、それを背筋の一番太いところを縦に貫いていくイメージをとんぬらは覚えた。

 爆裂魔法に加えて、毒と呪いの三つの脅威。だけどそのいずれかに被害を被った連中は打開策を考えはせず、最悪の一致団結をした。……一か八かの大勝負に負けた責任者にこのどうしようもない不満をぶつけるのだ。

 槍玉に挙げられているのは……邪神を討伐せんと外へ飛び出し、砦の守りを放棄した勇者候補の連中、その筆頭にして作戦考案者であるミツルギだ。

 ミツルギも責を感じているようで、何も言わず罵倒を浴びせられるこの状況に甘んじている。しかしその態度が気に入らなかったのか、人混みの中からゴミが投げられた。とんぬらの動体視力がその下手人を捉える。

 

「チッ……。幹部のひとりも倒せねーで、何が魔剣の勇者だ。聞けば、駆け出し冒険者の街には、最弱職のくせして幹部を倒している『冒険者』がいるっていうのによお!」

 

(あれは……)

 

 今ゴミ投げてミツルギを批難したのは見覚えのある大男の冒険者。その脇には彼を筆頭とした四人組のパーティ。

 大剣使いのレックス、長槍使いのソフィ、戦斧使いのテリー……それから、最後尾の女性が目についた。他の三人とは違って喚いたりしていないみたいだがこの状況の最中にも落ち着いた大人の雰囲気を醸し出す、特徴ある泣き黒子の綺麗な女性だ。

 ダスティネス家のお嬢様ほどでないにしても、肉付きの言い、男好きのする体。黒い髪を肩口で切り揃え、聖職者らしからぬ異性の情欲を誘う色気ある瞳をしている。

 ゆったりとした白い神官服みたいなローブを纏い、腰にはメイスを下げている格好からプリーストと予想する。

 察するにどうやら全員が前衛職の脳筋パーティに待望の後衛職のプリーストが参入したようだが……何か見覚えがあるような……

 

「……(にこっ)」

 

 一瞬、目が合った……気がした。しかしすぐ彼女は大柄なレックスの影に隠れてしまう。

 して、レックスが投じた一石がきっかけとなり、他の群衆もこぞってゴミを舞台上のミツルギへ投げる。

 

「とんぬら、これ、止めないと……!」

 

 ゆんゆんが切羽詰まった声を上げる。言われずともこの場の雰囲気が収まるどころかエスカレートしているのは理解している。とんぬらはすぐ王国より責任者を任されているであろう団長に、

 

「おい、騎士団長。これは、暴動だ。魔王軍と争っている状況でこんなことをしている場合ではないのではないか?」

 

「しかし、ミツルギ殿も彼らの不満はもっともだと。ここで騎士団長(わたし)まで巻き込まれては大変だと事前に断られてしまい……」

 

「あの坊ちゃんめ。こんな時まで良い子ぶりやがって。自分ひとりが矢面に立てばいいとか考えている時点で甘ちゃんだ。これ以上収拾をつけられなくしてどうする。やられっぱなしでは助長するだけだぞ」

 

 このままではミツルギだけに留まらず、他の神器持ちの勇者候補連中、だけでなく、最悪、彼らのパーティにもこの怒りの矛先は向けられることになるかもしれない。

 

(今ここに絶対的なカリスマを持ったリーダーがいない。国王様も第一王子ジャティス様も王都へ避難されている)

 

 だから、荒くれ者な冒険者連中をまとめるに王都の冒険者ランキング第三位と実力がひとつ飛び抜けている魔剣使いの勇者を顔役にあてがった。実力を優先し、リーダーに最も必要な指揮能力は考慮に入れていなかったんだろう。

 

 だったら、こいつらを黙らせるのは簡単だ。

 お望み通り、“魔王軍幹部を屠った実績を持ち、王族からも能力を買われている有名人”に、代役を変更すればいい。

 

「月は出てないが猫神様へ、我に七難八苦を与えたまえとかでも祈っておこうか」

 

 『悟りの書』に記された格言のひとつを口ずさみながら広間に踏み込もうとするとんぬら……その袖を捕まえ、引き止めるゆんゆん。

 唇を噛みしめながらも彼女の目は、真剣だった。

 

「……ねぇ、勝算はあるの?」

 

「あるにはあるが、100%とは言えないな。賭けになるだろう」

 

「だったら、ダメ。絶対大丈夫って言えないと私は反対」

 

 彼女も紅魔族。それも天才に次ぐ次席。高い知力を備え、冷静に状況を計算できるだけの頭を持っている。

 

「俺を信用できないかゆんゆん」

 

「その言い方ずるい。信頼してるわよ誰よりも。でも、これは誰にだってできることじゃないでしょ。……せめて、とんぬら自身の安全を保障ができないと納得いかない」

 

「これはまた随分と厳しい注文だ。自分自身の安全を保障なんて、そう簡単に舌先に乗せられる呪文じゃない」

 

「じゃあ、大人しくしてましょう。ミツルギさんが大変だけど、皆も冷静になってくれるはずだから……」

 

「生憎と、俺はこの状況をそこまで楽観視していない」

 

 このパートナーに向かって、言う。

 真っ直ぐに、見つめ返して。

 

「じゃあ、逆に聞くが、ここで傍観する俺を、ゆんゆんは好きだと胸を張って言えるのか?」

 

「……うぅ~~。もうっ、大好きよバカ!」

 

 降参というように、袖を取った手を放したゆんゆんを置いて、飛び出したとんぬらは舞台上まで一気に駆け上がって、ミツルギの前に立つ。

 壁となるように立ちはだかった仮面の少年は手にした鉄扇で、飛んできたゴミを打ち払って――名乗りを上げた。

 

 

「我が名はとんぬら! 第一王女に拝命された宮廷道化師にして、数多の魔王軍幹部を屠りし者! 

 ――まずは手始めに、あんたらに奇跡を見せてやる」




誤字報告してくだった方、ありがとうございます!

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