この素晴らしい願い事に奇跡を! 作:赤福餅
「何か失敗してもすぐに上目遣いで“あなたがいないとダメなの”アピールで一発! 男というのは守ってあげたいタイプの女に弱い! ちょっと甘えれば、多少のミスくらい帳消し!」
「いきなり何をふざけたことを朗読しているんですかゆんゆん」
「あとはおっぱいが切り札。さしずめ、神から女子のみに与えられた男を黙らせる最強武器! この両方の合わせ技ができるようになれば、相手はイチコロ! 意中の彼がいるならその腕に引っ付いたり、じゃれて背中からくっついたり、何かにつけておっぱいを押し付ける! そう、
反応がない。よほどその王都から取り寄せたとかいう女性専門の指南書を読み込んでいるようだこの講師役。
「読んだことを鵜呑みにしそうだとか、この娘は本当に紅魔族かと疑いたくなるくらいにチョロいですね。しかも――!」
「ひゃっ!? めぐみん!!? い、いきなり何をするのよ……っ!」
めぐみんが習得した夏の浜辺限定の新魔法――という体で、熱砂かけ。
お色気スキルを開拓していたゆんゆんもこれには跳び上がって、やっと意識をめぐみんに向けた。
「この程度の魔法が避けられないなんて、ゆんゆんも講習を受けた方が良いんじゃないんですか」
「魔法じゃないじゃない。普通に砂をかけただけでしょ! これ……」
「で、おっぱいが最強武器だとか。私に喧嘩を売ってるとしか思えません」
「そ、そんなつもりじゃ……つい、読んでることが口に出ちゃったと言うか……あ、めぐみんもちょっと大きくなってるんじゃない?」
「は? 何ですか、それ。嫌味ですか。見るたびに増量する貧富の差を意識させようとしてるんですか!」
「ちょ、ちょっとおっぱいを叩かないでよ!」
憎たらしいその最強武器とやらにおうふくビンタをかましてやる。たゆんたゆんとよく弾むので一打ごとに叩く力はつい強くなってしまう。
「まったく。一体何を食べたらこんな体に育つのやら……それとも、とんぬらに揉んでもらったりしてるんですか?」
「しないわよ! とんぬらはそんな……っ!」
「じゃあ自分で揉んでるんですか?」
「し、ししししないわよ! 別にとんぬらにされてる想像とかしてだなんて……」
「したんですね。けしからんのは体だけでなく頭もですか」
ただ今、海での講習中。
ひたすら魔石に魔力を篭めている作業するめぐみんには、監視兼講師役(認めてないけど)として、ゆんゆんがついている。
最初はこの三歩進んで二歩下がる進捗状況にもめげずに、根気よく教えようとしたり手本を見せたりしたけれど、紅魔族随一の天才のプライド的にゆんゆんに教えてもらうことを拒む。そして昨日、三日で終わらせてる予定から大きく遅れている状況から苛立って“気が散りますから付き纏わないでください!”と突き放して……今に至る。ひとり暇潰しの道具として本を持ってくるようだが、こうして傍から離れようとせず、居座り続けている。普段は人に気遣いし過ぎて、ちょっと言われれば距離を取ってしまうというのに、この頑固者は……
「はあ……。そんなに手持無沙汰なら、今や漁師になってるとんぬらの手伝いでもしてきたらどうですか? こっちは元からひとりでも十分ですしね」
「持ち場を離れるなんてダメよめぐみん。暴発したときのためにちゃんとついてないと。それにとんぬらはひとりでも大丈夫って言ってたし」
「にしては、とんぬらを意識しているようですけど。海から上がってくるたびについつい見てるじゃないですか」
「だ、だって、かっこいいから! どうしても目で追っちゃってもしょうがないというか……――あ、ほら!」
ゆんゆんが反応した先から、ちょうど海から『養殖』用のモンスターを狩ってきた仮面の同級生が浜辺に上がって来た。
学校時代からの成長期の時間を、そこのバレバレなチラ見をしている娘の次に過ごしているこちらからすればあまり実感が薄いが、確かに少年から成長したあの男は今や青年と呼べるくらいに、大人っぽくはなっている。
厚い胸板と筋肉質なのに均整がとれた腕脚と魔法使いなのにやたら逞しいその肉体をしている。そして、仮面の奥のキリリとした眼差し。このまま成長すれば、精悍な漢と呼べるような将来像が想像できる。
……バカップル補正フィルターが入っていても、こうも夢中になるのはおかしくはない。一応、里では随一の
「『逃走』スキル持ちの俺に鈍足クルセイダーが追い付けるわけがねーだろ! ほら、もっと気合を入れて追いかけろダクネス」
「くぅ! 必死に追い回しても、こうも差が縮まらず、ニンジンをぶら下げられたウマのような扱い……。確かに悔しいのだが、こう……。こんなウマ扱いも悪くないと思えてきた私はおかしいだろうか……」
お得意の逃げ足を存分に発揮しているこちらは、いつまで経っても二枚目というか三枚目? ……でも、まあ、いいのだ。カズマに格好良いところがあることをちゃんと知っているから。
「はふぅ、とんぬら、かっこいぃ~……っと、ダメダメ! ちゃんとめぐみんのサポートに集中しないと!」
「いえ、結構です。こちらも休憩するつもりでしたから」
とにかく、このままでは雑念が入って集中できそうにないので、作業は中断。
吃驚してゆんゆんが落とした本を拾い上げためぐみんは、ぱんぱんと軽く砂を払って、先のページを開いてみせる。
「ふうん。私、身長的にいつも上目遣いですが……とんぬらは特に何も変わりませんよ? 何と言っても課題のノルマもちっともまけてくれません」
「めぐみんの場合は、普段から上目遣いだから新鮮味がないんじゃ……ううん、めぐみんは例外……特別なんじゃない」
「あれ、なんか今相手するのが面倒だって顔しませんでしたか?」
「と、とにかく! 今の流行はロールキャベツ系なのよめぐみん!」
「何ですか、今晩の献立でも考えてたんですか?」
「違うわよめぐみん。私も上手く説明できないけど……ほら、ここ読んでみて」
言われずとも、この娘が、すごいド阿呆なのはよくわかっている。
『普段は控えめで三歩下がって影踏まず、その身を大事にが基本――
しかし! 夜になれば一肌脱いであなただけにガンガン攻めます!』
横から指差した、ページ中央に記載されていた見出し。
促したゆんゆんは、感心したようにほうっと息を吐き、
「なるほど、ギャップがあった方が男の人のウケがいいってことね……普段は大人しいのに急に変わるっていう方が、確かにインパクトはあるのかも」
ようするに、普段は大人しくて二人きりになると急に変わる、とか……前を閉じてるパーカーにパレオとガードの固い水着姿で、頭がチーズのように蕩けたチョロボッチの前に鏡がないのが残念だ。
「でも、淫らってどういう感じなのがいいのかしら……?」
悩める未成年の乙女。
本からまた彼の方に視線を合わせると……息切れしているダクネスに肩を貸して介抱していた。
「大丈夫ですかダクネスさん? 誰かに追ってもらった方が『逃走』スキル補正でペースは早まるんですけど、素のままで走るのは大変でしょう。アクア様に支援魔法でも……」
「問題ない。カズマをとっちめるまでは延々と走り続ける所存だ。……それより今回は触手系のモンスターは獲れなかったのか?」
熟れた豊満な年上女性の肉体に、さして気にする素振りもなく、普通に会話をしている。
が、楽しそうに、また触れ合うくらいに至近なのをお気に召さない少女がここに一人。
(そりゃあダクネスさんが大変なのは見てわかるけど……でも、そんなベタベタする必要はないんじゃないのとんぬら~?」
途中、思ってる不満が口に出てしまうゆんゆんは、すぐにそれに気づいてぶんぶん首を横に振る。
「――って、ダメダメ。ちょっとやそっとじゃ嫉妬しないようにするって決めたんじゃない。……でも、気になる! だってこの前もクリスさんからあんなこと……!」
どうにか自分の魅力で繋ぎ止めない。そのために勉強している。
しかし、アレは検察官のセナをフッたのを見ればわかるように鉄壁の身持ちの固さをしているし、この無自覚娘自身に対してはとっくに無血開城しているのに気づいていないのか?
「届いて! 私の想い!! はあああっ!」
ととんぬららの方へゆんゆん、手を向けて強く念じる。
傍目から見ると呪っているようにしか見えないこの残念具合に、めぐみんは仕方なく口を開いた。
「そういえば、カズマがよくダクネスはエロいと言っていましたね」
「そうなのめぐみん」
やっぱり……とゆんゆん。
そんな杞憂な不安を抱く彼女に、貴重な男性意見を与えためぐみんは肩を竦めて、適当な感じで、こう示唆した。
「ですから、そのダクネスを参考にすればいいんじゃないんですか?」
「え?」
きょとんとするゆんゆんにめぐみんは理由を説明した。
ダクネスは世間知らずなところが多く、ボッチ癖と同じように残念な
ダクネスに男を誘う術を持ち合わせているかどうかと訊かれれば首を傾げざるを得ないが、傍目からでも学べるところもあるだろう。他人のフリ見て我がフリ直せとも言うだろうし……
めぐみんに促され、ゆんゆんは再び駆け出したダクネスを目で追い始める。
「待てえええ! カズマー!」
『ははー、待て待てー!』
「捕まえられるもんなら捕まえてみな!」
『おほほー、捕まえて御覧なさーい!』
カズマを追いかけ浜辺を走るダクネス……そのシチュエーションは、参考書(恋愛小説)に書かれていた憧れのものに重なって見えた。
追うものと追われるものので、男女の配役が逆だけど、そんなことは些細な事だ。それくらい余裕で脳内補正できる範疇である。
そうして……ゆんゆんがダクネスの行動を学習したその成果はその日の終わりに現れた。
「とんぬら、ぶっ殺してあげる! ――『ライト・オブ・セイバー』!」
「いきなりなんなんだゆんゆん!?」
今日も今日とて魚河岸のように、冷凍された『養殖』用の海モンスターを浜辺に大量に並べたとんぬら。
今日も疲れたさあ宿へ帰ろうかというところで、ビシッと目と目が合ったゆんゆんに、殺害予告を突き付けられた。
「おい待て! 理由を! 頼むから理由を説明してくれ! この状況はまるで意味が解らんぞ!」
「とんぬらは、ロールキャベツ、好き?」
「うん、まあ好きだぞ。キャベツ料理の中でも特に好きな一品だ」
「じゃ、じゃあ……! こ、こんな(淫らな)真似をするのはとんぬらだけなんだから!」
「どういうわけなんだ!?」
まるごとそのままダクネスの真似である。
“大貴族のご令嬢であるダクネスさんと同じことをすればきっと間違いはないはず……!”と、今日勉強した内容と混在してこうなっている。めぐみん、この娘が朱に交われば真っ赤になってしまう残念なことを失念していた。
「(あ、あれ……反応が芳しくないような、失敗? え、と、ええと、そう――)とんぬらがいないとダメなの私!」
「ああ、もう何かちょっとでもゆんゆんから目を離せないといま改めて実感してるよ」
「(これって……アピール成功? うん、成功よね! じゃあこのまま今日勉強した通りに――)とんぬら、ガンガンいくわよ!」
「うん、わかった。これすれ違いが発生してる。もっとお互いを理解するための話し合いの機会を作るべきだな」
この日、大漁旗を掲げるほど海モンスターを狩ってきた紅魔族随一のプレイボーイは、その日一番の強敵と刃傷沙汰を演じることになった。
………
………
………
「とんぬらはいつかゆんゆんに刺されそうな気がします」
「止めてくれそういうの。本気で心配になってくるから」
バカップルの
めぐみんもあれは予想外だったと素直に首肯を返し、思い込みのアレなパートナーにどうしたものかとより一層疲れた感じに肩を落とすとんぬら。
で、
「――それで、今日の成果はどうだめぐみん」
「………」
宿に帰ったところで、無言でずいっと魔力充填済みの『吸魔石』を詰めた袋を出す。
今日も一日魔力制御の訓練をしたが、課題達成には程遠い量だ。それを指摘されずとも自ずと悟るのだが、講師まとめ役の少年はこれといった反応は見せない。何か腹が立つようなものを覚えためぐみんはそっぽを向き、
「何か文句があるなら遠慮しないでとっとと言ってくれませんか。午後で盛り返せたとはいえ、……差し引きでは昨日の三日目と変わりません。自分ならこんな課題は一日でできるとか、気が弛んでる反省しろもっと真面目に訓練しろとか言うことがあるでしょう?」
「別に。この講習に来ている人の中でもっとも真剣なのは、めぐみんだろ?」
さらりと言ってのけるとんぬらは、片目を瞑りながら、
「それとも、指輪の呪いがそんなに重症か?」
「いや、それは構いませんけど……――いえ、やっぱり構います。爆裂魔法を撃たないと調子が悪くなるので外してください」
「却下だ。そしたら魔力制御の訓練どころじゃなくなるだろうが。何にしても本気の人間にわざわざ“サボるな”なんて注意する必要ないだろ。昨日も言ったが、この調子で励めばいいさ」
不足な結果を見ても疑いもしない。
この男は、まったく……
前に怪我が治ったら、戦線に復帰するとか言っていた。が、海での水着姿を窺う限り、感謝祭三日目に見た時は包帯が巻かれていた体も完治している。リハビリ代わりとばかりに元気に手強い海モンスターを狩っているのだから体調は万全のはずだ。
そして、わざわざこんな講習に付き合うまでもない。国の一大事ならばそちらを優先しても角は立たないだろうに。
何故かここにいる。
……いや、ここまでされて天秤が傾いた理由に勘付けないほど愚鈍ではない。だからこそ、これ以上借りを作りたくなかったのだが、もはやここまで来たら踏み倒すつもりで利用してやる気になってきた。
「それで、カズマにあれこれやっているようですが、私には何かないんですか? 少しは講師役としてそれらしいことを教えたらどうなんです?」
「紅魔族随一の暫定天才には、ゆんゆんがついているんじゃないのか」
「ふん。ゆんゆんに教えてもらいたくはありません。それと暫定は余計です」
ジッとしたから覗き込むように睨みつけてやれば、面倒くさそうに溜息を吐かれた。
この……っ! と噛みつきたくなる気持ちを抑えて見つめ続けると、とんぬらはふと空を見上げ、
「……なら、ひとつ説こうか」
仮面の奥の目つきが変わる。緩んでいた雰囲気は引き締められ、張り詰めたような緊迫感を醸し出し始めた。
「“怠惰”と“暴虐”はあまりイメージの良くない単語であるが、発展には必要不可欠なものだと俺は思う」
一言で雰囲気を一変させたとんぬらに、めぐみんも口を挟まず清聴の構えをとる。
「“怠惰”でありたいのなら、少しでも楽ができるように考える。すなわち創意工夫をする意思が芽生える。そうだな、兄ちゃんが考案した『ライター』は、火打石で火を点ける手間を省ける便利なアイテムだが、見方によっては“だらけるために”作られたとも言えよう。“怠惰”の欲求は結果的に、皆の労力を減らし、暮らしを豊かにしていく。
“暴虐”とは、思うがままに力を振るう行為だ。すなわち、罰せられるほどの過剰な自我。現状に甘んじて己を封殺することなく、固定概念すら壊す勢いで自己主張する。これは他人を退けてでも上を目指すものにはなくてはならないだろうな。ゆんゆんのように他者に気遣うあまりに自己主張を委縮し過ぎてしまっては、むしろ逆に孤立してしまうだろう。己の口で己を語れなくては、誰も己の声にすら気付いてはくれないのだから」
目を瞑想するかのように閉じて語る。
「“怠惰”と“暴虐”……これに反対を意味する美徳は、“勤勉”と“節制”か。一生懸命に働く勤勉な人は尊敬されるだろうし、迷惑を掛けないように弁えることも人付き合いには大事だ。
しかし、そのどちらも我慢を強いるものだろう。周りに配慮するあまり生来の本性を押し隠し、苦労や苦痛に耐え忍ぶ。そんな生き方はあまりにも窮屈だろうな。
今の爆裂魔法を我慢されているめぐみんのように」
「それをさせているとんぬらがそういいますか」
「あえて我慢させることでそのありがたみがよくわかることもあるということだ」
“怠惰”と“暴虐”、このどちらも過ぎれば害悪になる。しかし、毒も薄まれば薬となるように、生きるには適度に必要なものだ――
「……とまあ、ご注文通りにそれっぽく適当に語ってみたが、どうだ?」
「は? ……って、結局、具体的なアドバイスしていませんねとんぬら!」
「くっ……! 今頃気づいたのか? ま、汝、早く課題を終わらせたいのなら、“怠惰”であれ、ってとこだ。楽をするのは人に頼ることから始める事だ。身近の寂しがり屋な世話焼き娘に頼るのが吉。口下手であろうが教え方は上手だと思うぞ。それに、詠唱が恥ずかしいからと高速で詠唱を完了させる『早詠み』がいつしか得意になっている」
「紅魔族にあるまじきですね。そんな格好良いところを省こうだなんて」
「ま、それと根を詰めすぎずに適度に抜いてやるんだなー」
厳かにふざけたことを言うこの神主代行は、これで話をおしまいにしてしまい、それから去る前にひとつ、
「ああ、そうだ、ちょむすけを一晩貸してくれないか? そろそろ毛が生え変わる頃だろう? 海の潮風に乱れてるし、ついでに手入れをしておく」
♢♢♢
封印から解放された女神を探す流浪の旅の合間に、冒険者カードを製作し、親から初めての誕生日にもらったプレゼントは短刀だった。
――奇跡がなんたるかを知ってこい。
そういって、誕生日の次の日に、無人島に置き去りにされた。
短刀一本で一ヶ月間のサバイバル生活が始まった瞬間である。
千尋の谷に落とされるかの如く、孤島に放置される我が子に慮ったのか、『魔法使いは常に格好良く冷静たれ』と里流に助言を説かれた。要するには、『思考を停止するな。呆けて間抜け面を晒すんじゃない。どんな時でも周囲に気を配り、己がどう見られているか意識しろ。いついかなる時も油断なく人目に格好良く映ることこそ、基本にして究極と知るが良い』……常在戦場の心構えなのである
身体や足を休ませても、目を動かす、頭を使う。戦いに臨んでは、常に動き、常に見、常に考えよ。必ず機先を制し、主導権を握るべし。相手に一秒たりとも場の空気をもっていかせぬ気概で挑め。人事を尽くさぬ者に天は手を差し伸べず、奇跡には届かないのだ。
こうして、まだ齢一桁の最初の冒険が始まるのだが、ついでにこれは経験値稼ぎも兼ねており、無人島に生息するモンスター、中でも強力なのは粗方行動不能にして、『養殖』兼食料にできるように処置はしてあった。
ただし、粗方、である。中には元気いっぱいに襲い掛かるモンスターもいたし、その時は夏場だから昆虫系のモンスターがそこかしこにいたし、一度は
少年にあるのは、親からもらったのはナイフ一本。そして、常時思考を回転させている頭脳。
少年は薬草になりそうな野草を、傷を負ったモンスターが如何なる野草を選択する行動から推理して見極めたり等、積極的に自然から知識を学習する。時には落ちた木枝をナイフでちょちょいと加工し釣竿を自作して太公望の真似事なんてこともやり自給自足に精を出す。とにかく生きることに必死に、親が迎えに来る一ヶ月間、子供はひとり島で考え続けた。
後に話を聞いた里長が頬を引き攣るくらいの、紅魔族随一スパルタな英才教育を施されたとんぬらは、それなりに世の辛酸をなめている。
それらの経験からは、幸運というものがそこらに転がっているものではないということを理解していた。また逆に苦難は求めないでも通り雨のように降りかかってくるものだということも。特に人よりも不幸属性の強い己の場合、集中豪雨の如くに。
人生に苦難はつきもの。
それで何もしないでいたら、それはただ運が悪いとか、日ごろの行いが悪いとか、とにかくマイナスな方向に受け止めがちになる。
ならば、自ら求めるくらいの気持ちがいいのではないだろうか。そう、シャワーとするかのように雨に自ら打たれに行く気持ちで。
自ら求めたものなら、どんな苦難、災いも正面からしっかりと受け止められるだろう。しかも、それを凌いだ末に願掛けでもしておけば、願い事もかなって万々歳。
どうせ避けられないものならば、自ら望むことでその苦難を前向きに受け止めよう。そう決意するとんぬらの足取りは不思議と軽いものだった。
この決意が、広間の混雑とした状況ひいてはを怯ませた?のかどうか。
名乗り上げと同時に、ピタリと場は静まりかえった。
「我が名はとんぬら! 第一王女に拝命された宮廷道化師にして、数多の魔王軍幹部を屠りし者!」
仮面の少年の声は、特に荒げるほど大きいわけでも、高いわけでもない。
しかし、その声は飛び交う怒号騒音を貫いて、砦の広間の隅々まで響き渡る。さながら天より神の啓示を受けた祭主のよう。
「――まずは手始めに、あんたらに奇跡を見せてやる」
とんぬらの宣言に、冒険者たちは互いの顔を見合わせた。
その彼らに代わって応えたのは、囂々たる批難を一身に浴びていた戦犯者な勇者候補のミツルギだった。
「とんぬら、どうし」
「役者としては三流の坊ちゃんは邪魔だから下がっていろ――『春一番』!」
ただし何か言う前に、扇の一振りで起こす神風に広間入り口まで吹っ飛ばされた。芭蕉扇の如く、春風の精霊に舞い上げられたミツルギの身体はふわりと天地さかさまに宙を飛び、そのまま広間の冒険者達に見上げられながら、ご退場した。
パンッ、と鉄扇を懐にしまった手を叩き、皆の注意をこちらに戻すとんぬら。
「ただし、対価としてこの度の戦の指揮権を預けさせてもらう。不服があれば申し立てみるがいい。丁重にお相手してやる」
仮面の奥の両眼に、一瞬だが眩めくような知略の光が躍ったように見えた。
と、とんぬら……!?
この防衛戦に選出されるほどのベテラン冒険者たちからすれば若輩者のパートナーが突如乱入して生意気な口をきいている。それを見て、ゆんゆんは蒼褪めるも、“あえて傲岸不遜に振舞うことで、ここに集まっている者たちの為人を見定めようとしているのかもしれない”とその意図を察する。
加えて、異議がなければそのまま指揮官就任を承諾したと既成事実を作製しようと企てていそう。
普段は真面目で評判のいい好青年であっても、今考えたような策略程度は平然と仕掛けてくるような、ある種の苛烈な気概を持ち合わせている。そのくらいの積極性がないと海千山千の貴族を嵌めたりなどできない。
外観は人でも、内実はドラゴンのそれ、まさしく人身の竜である。
実際、ゆんゆんの思う通り見定めに登壇したとんぬらは集まっている冒険者たちを睥睨しながら、顔に出さないように嘆息した。
ここにいる連中はこんな愚行をするだけの元気はあるのに、どれもこれも怒り以上に疲れ切った表情。無傷なものはほとんどおらず、心はバラバラ、結束とは程遠く、やる方のない、怒りの捌け口を何でもいいので近くに求めている顔だ。勝利を達成する意欲すら見えない。これでは紅魔族随一の美人な占い師たる師匠でなくても必敗は予知できる。
「さあ、どうした? 声がないが、それはこの場にいる全員が俺に賛同したとみてもよろしいか?」
途端に、聞くに堪えない猛烈なヤジと怒声、罵声が飛び交った。『魔剣使いの次は道化師か』、『引っ込め青二才!』、『調子に乗った年下のガキの作戦など付き合えない』そんな声が聴こえる。
その時、ひときわ大きな声で『おいみんな!』と叫ぶ人間が現れた。
冒険者の中でも一際雄偉な体格をした大剣使い――レックスだ。見ればほとんど傷がなく、呪いや毒の影響もなさそう。おそらく、邪神との戦線にも、砦内部で襲撃者との乱闘も避けてきたのか、偶然に巡り会わなかったのか、どちらにしてもロクに戦ってこなかったと思われる。
彼は顔を真っ赤にして口角泡飛ばして囃し立てていた。
「こんな奴に従うことなんかねぇ。幹部を倒したとか話には聞いているが、所詮は駆け出し冒険者の街を出てないようなヒヨッコだ。王都の激戦区から逃げて、ぬるま湯に浸かってる野郎の指揮なんか聞けるはずがないよなぁみんな!」
レックスが
そして、場を味方につけた勢いで舞台に上がる。
学校でも背の順では後方だったとんぬらは未成年ながら長身の部類に入るだろうが、この大剣使いはそのとんぬらよりも頭一つ以上背が高い。並んで立てばその差は明らか。また長身を支える手足はこれも逞しく、手足の太さは細身のとんぬらに比べて倍どころか三倍くらいあるかもしれない。
「そうか。……なら、そう思うのならば、俺を倒し、井の中の蛙であると力量を見誤ったこの傲慢を正してみてはくれないか」
その声は決して大きくはない。むしろ小さいとすらいえた。
しかし、そこに込められた清冽な覇気は、レックスほどのベテラン冒険者から言葉を奪うほどに深く、重い。
一切怯みもせず挑発気に言い切ったとんぬらは、両の足で壇上を踏みしめ、腕を組む。
仁王立ちする様は、何故か実際の身長では低いはずなのに、大剣使いの冒険者を見降ろしているように、錯覚してしまう。
「冒険者は口舌の徒ではない。示すべきものは、野次の巧さではなく、その腕っぷしを以ってするのがもっともだ」
「……いいだろう。調子に乗っている道化師風情に身の程を弁えさせてやる――ッ!」
そんな比較される視線を察したのか、挑発に乗って気持ち昂るままにレックスは己が代名詞たる得物を抜いた。一応、刃ではなく峰に返しているも、重量感のある大剣の一撃を貰えば大怪我を負うことになるだろう。
名前と赤く変わる目の色から正体を推理できる紅魔族は、冒険者の界隈では“喧嘩を売ってはならない”というのが常識である。なにせ全員が生まれながら上級職『アークウィザード』になれる最強魔法使い血族だ。
しかし、同じ舞台上で、この間合い。魔法の詠唱を唱えるよりもこちらの一刀の方が速い。そうレックスは判断した。
そして、やる前にやる。決闘を受領し、間髪入れずに剣を抜いた。向こうにも懐に鉄扇、腰に太刀を佩いているもそんな抜く暇など与えてやる気はない。荒くれ者の対決に、よーいドン! で始まる礼儀作法など無用で、肝要なのは勝ったか負けたか。不意打ちだろうとやられた方が間抜けなのである。
速攻でもって、レックスは小癪な小僧を叩き潰さんと大剣を振り下ろす。そのまま立ち尽くしていれば、とんぬらはあたかもスイカのように頭蓋が砕けるだろう。寸止めしても勢いに圧され腰抜かすに違いない。いいや――
(そうだ。もしも、
レックスの光のない目に灼熱した勝利の確信が浮かびあがり、大剣が大気すら両断する勢いで振り下ろされた。
とんぬらは凍りついたように動かない。観衆から悲鳴にも似た声があがった。
尻餅をつく、もしくは頭が割れ砕ける様を、その場にいた冒険者たちは幻視した。
誰よりもレックス自身が、己の勝利を確信する…………が、その確信は二秒ともたなかった。
レックスの耳に声が飛び込んできたからである。
「――よほど力が自慢のようだな、大剣使い」
その声は、幻聴と呼ぶにはあまりに明晰で、力感に満ちていた。
武威に圧倒されているはずの眼前の相手を見るレックスの目は、張り裂けんばかりに見開かれていた。
「き、さ……」
「だが、俺も力には自信はある。この前、喋って踊れる鎧からバカ力野郎と喚き散らされる程度には」
これまで数百のモンスターをあるいは切り裂き、あるいは叩き潰してきた愛用の剣の先端を――
「ぬ、ぐ、俺を、おさえるだとッ!?」
とんぬらは掴み取っていた。
レックスが全力をもって振り下ろした大剣の、その先端。もっとも重く、もっとも勢いがついたその箇所を、両の掌で、左右から挟みこんでいたのである。
剛力を誇る大剣使いが、怒号と共に力をこめても、大剣は微動だにしなかった。
力を振り絞るためにレックスの顔は赤をこえて土気色に変じ、唸り声さえあげて力を込め続ける。
――だが、それでもなお、とんぬらの力を上回ることはかなわなかった。
そんな大剣使いの姿を見た冒険者たちからもれたのは、驚愕を通り越した畏怖の声であった。
あの剣の勢いが冗談や演技の類でない、自分達でも受け止めるには容易ならないことくらいベテラン冒険者たちにはわかる。
だからこそ、息を呑むの忘れて見入る。
魔法で対処したのならば納得できるも、力に力でもって圧す眼前の光景には不条理さえ覚えてしまう。
「この新参者の力量を知らしめるのはこれで十分だろう。伊達に魔王軍幹部を撃破してきているわけではない」
と、不意にこれまでレックスを縛り付けていた戒めがなくなった。とんぬらが両の手を大剣から離したのである。
「な……ッ!」
今や全体重を乗せていたレックスは、この咄嗟の動きに対応しきれない。
剣はそのまま宙を断ち切りながらとんぬらの傍らを滑り落ちていく。そのまま剣を壇上に叩きつけていれば、致命的な隙になってしまうだろう。
だが、ここでレックスは剛力に任せて、振り下ろした大剣を中途で止めるという離れ業を演じてみせる。
その判断はけして間違っていなかった……が、すでに遅きに失したことをレックスは知る。
とんぬらは大剣から手を放すと同時に、その地面を踏みしめていた右足を振り上げていた。
『『雷鳴豪断脚』――!』
いつぞやと重なる光景。
王城で義賊を捕えようとしたとき、どてっぱらに叩き込まれたあの蹴撃を思い出した。
………
………
………
先の魔剣使いと同じく、より荒っぽく、大剣使いの巨漢が宙を舞い、舞台上から蹴り落とされた。
「――他に、俺を上から落とそうとする者はいるか?」
紅々と光らせながらゆっくり広間を見渡す瞳に、冒険者たちがどよめきと共に後退。嘲笑を漏らしていた声が止む。
「いないのなら、俺があんたらを仕切る。この逆境からの劇的な勝利へと導くことに尽くすと約束しよう」
それは今日戦線に復帰し、状況を把握したばかりの人間が口にするには明らかに過ぎた言葉だった。いかに第一王女に認められた宮廷道化師とはいえ、王国から正式に貴族位を授かっているわけでもないのだから、ビッグマウスは慎むべきだろう。
だが、何故だかとんぬらが口にすると、そんな言葉さえ説得力をともなって響く。それはたぶん、とんぬらの中でどうすれば望む結果に辿りつけるのか、そこへと至る道筋がはっきりと見えているからなのだろう。内に宿る確固たる自信が、その言葉に明晰な力を与えている。
――実際にこの半日後、毒に侵され、呪いを掛けられた者たちは皆改善し、砦の井戸水も汚染が除かれることになる。
♢♢♢
とりあえず、“皆に納得してもらう程度の信頼と実績を築くことに成功”して、内憂外患の状況を少しは立て直すと、砦の城壁の上にやってきたとんぬら。適当に資材にでも腰かけながら魔王軍の陣のある方角に視線を向けている。
視界に映るのは砦から数km先にある近場の森であるが、そこに魔王軍の連中が陣を張って居座っている。
遠目でざっと見ただけでも大軍勢と分かるそれの進軍を阻むには、頑強な壁や罠でもなければ無理だろう。つまりは、邪神の爆裂魔法が外壁を破ったその日こそ砦は陥落してしまう。
地理的にこの砦は王都を守護するために落とされてはならない防衛戦と呼ぶべき要地なのだ。ここを突破されると首都での戦闘になり、人民にも被害が及ぶ。
「ふむ。爆裂魔法の射程距離から推測するにおおよそあの辺りか」
コンパスで正確に等距離を計るように指をすぅっと動かす。イメージするのは遠距離で海上より迫る幽霊船を沈めためぐみんの爆裂魔法、その時の距離感だ。
「集めた情報から、幹部の邪神は爆裂魔法を放つ際は常にお供を連れずに一人で来る……ただし、前回は例外としてお供が潜んでいた、か」
ミツルギ曰くにまるで待ち構えていたかのように伏兵が出現したのだとか。
そして、爆裂魔法を放った後は、『テレポート』で撤退する一撃離脱戦法。おかげで一度も直に刃を交えることができていないのだという。
『砦の近くの森では、魔王軍の精鋭部隊が陣を張って待ち構えていてね。おそらくはそこに逃げ帰り、魔力を蓄えてまたやってくるのさ。相手は数だけは多い上に、森はモンスターたちのフィールドだ。外壁もない砦の外で、しかも相手の得意な地形で戦いを挑めばこっちが負ける。かといってこのまま砦に篭り続けても、外壁が完全に破壊されれば、待ち構えている精鋭たちが満を持して襲い掛かってくるだろうね』
邪神ウォルバクか、大悪魔ホースト率いる精鋭……そのどちらかが欠けなければ攻略はできないと、幾度となく積み重ねてきた失敗が証明している。
「しかし……里を出奔するきっかけともなった女神様が今になって見つかり、魔王に与して降さねばならないとはな」
里を出た当時のことを思い出してほろ苦く笑う。我が事ながらとても似合わない顔だと思うが、他に選択できる表情もなかった。
天を仰げば、雲ひとつない空が彼方まで広がり、深い青の色が目に染みこんでくるようだった。
その空を見上げながら、とんぬらはゆっくりと息を吐き出し、胸の内で仕舞われた幼少期の記憶に蓋をする。今は今のことに専念すべしと切り替える。
「……一応、爆裂魔法への対抗策は用意してあるんだが……問題はそれだけではないという事か」
真実を捻じ曲げる地獄の公爵を嵌めてみせたが、はてさて、今回の怠惰と暴虐を司る女神はどうか。
前回とは違って半減している神格で力は劣るとはいえ、あんな脳なしの赤ん坊ではない。爆裂魔法の一撃離脱戦法なんて着実に侵略する慎重策を取っていることから、人間を舐めているわけでもないだろう。
「いっそ温泉好きなウォルバク様だから、
「うん、ダメだと思うわとんぬら」
戯言にも律儀に応じてくれるパートナー。気配のした方へ振り返れば、この城壁の見張り台にゆんゆんが来ていた。
「ご苦労様、ゆんゆん」
「う、うん」
「ん? どうした?」
「もしかしたら余計な事しちゃったかも……」
不安げな表情を浮かべるゆんゆんは、さっきまで、この爆裂魔法の破壊痕が凄まじい壁補修に貢献していたはずだ。
およそ一年前、かつて墓参りの際に師匠キールのダンジョンの激しい戦闘痕の修復のために紅魔族流の工事術を習得しているゆんゆん。
里が壊滅しようと三日で復興するその技術は、建材をゴーレム化して、自ら積ませていくという魔法に頼った普通ではできない高速建築。
時たま、上から下の作業してる様子を窺っていたが、むさい男衆の中で目立っていた美少女なパートナーが、煙たがれているという事はなく、むしろ雰囲気からして感謝されていたはずである。
ただ、いつまで経っても引っ込み思案なぼっち癖が抜け切らないゆんゆんであるから、あまり会話できずそれを気に病んでしまっているんだろう。実際は魔法の作業の集中の邪魔をしないようにと話しかけられなかっただけであったが。
「できるところまで手伝ったんだけど、作業中、誰にも話しかけられなかった……ねぇ、これって、私がへまをしたからなのかなとんぬら」
はあ、と重く深い溜息を吐くゆんゆんを見て、これはどう指摘したものかと思い悩むとんぬら。できれば自分で気づいて欲しいと思うのは贅沢か。
「ゆんゆんは、精一杯やったのはちゃんと伝わっているはずだ。間違っても、責めたりはしないだろうさ。気にすることはない。それでも気になるようなら、魔法使いらしい働きで挽回すればいいだけのことだ」
その自分の言葉に、こくりとうなずくゆんゆん。ふたつに束ねられたおさげが揺れ、白いうなじがチラと視界の端に映った。
「うん。汚名返上してみせるわ。お姉さんには、私も世話になったことがあるけれど、たとえどんな事情があったとしても、魔王軍の幹部と慣れ合うわけにはいかないもの……とんぬら? どうしたの?」
「こほん、いや、なんでもない、なんでもないぞ」
「そ、そう?」
不思議そうなゆんゆんの視線を避け、とんぬらは慌てて視線を前方に捉え直す。
防衛にはあんまり関わりないことなのだが、この砦は軍事拠点であり、昨日の温泉宿ではない。当然、湯を張って体の汚れを落とす、などという贅沢な真似はできず、初級魔法を覚えてるものは自力でシャワーを浴びるか、もしくは水に濡らした布で体を拭うくらいのことしかできないはずなのだが、何でゆんゆんは髪も肌もこんなに艶があって綺麗なんだろうか。さっきまで直接ではなく魔法による作業であったとはいえ土埃舞う現場にて土木工事に手を貸していたというのにだ。
これはゆんゆんに限らず、他の女性冒険者も同様だ。時には野宿も辞さない冒険者稼業の日々にあって、こういう彼女たちのある種の“変わらなさ”はとんぬらにとって七不思議のひとつである。
と、緊張感がない、と責められても仕方ないことをつらつらと考えてしまったけれども、とにかく、おかげで完全にとはいかないが、ゆんゆんの頑張りに八割ほど外壁は持ち直せたはずだ。
ただし、これは魔力を消費するのであまり実用的とは言えない。あくまで初日の挨拶代わりの有能性アピールのためである。人間、第一印象は結構重要なのだ(当人は失敗したと気落ちしてしまっているようだが)。
とんぬらもとんぬらで、水と温泉の町の水源が汚染されたときと同じ手段(『錬金術』スキルで異物の毒素濃度を選り分け、『全てを吸い込む』で除去)で、砦内の井戸水の浄化をしていた。
で、成果は出たけれど、その分だけ消耗もした。
魔力回復のためのアイテムを常備しているとはいえ、お互いに魔力を戦闘以外のことでかなり消耗してしまっている。
けれど、今日は、襲撃はないようだ。
どうやら宣告通り、一日の猶予をくれるらしい。こうして見張っていたが、ビリビリと大気を震わす爆裂魔法の兆候は覚えなかった。
「って、私のことよりもとんぬら!」
やっぱりお説教タイムがあったのか。
「もっと穏便にまとめられなかったの? あんな強引な方法で納得させようとして、めぐみんよりも荒っぽいじゃないのよ」
「冒険者は多少荒っぽい方が、ウケはいいもんだ」
「とんぬらッ」
こころもち厳しい顔を向けてくるゆんゆん。その瞳は赤く憤然としていて、不満ありありなのが火を見るよりも明らか。なのだが、その上目遣いは迫力不足というか、性に合っていないというか、そう、こっぱずかしくなる感じ。
……であってもひたと真摯な眼差しで見つめて訴えようとしてくるゆんゆんの顔から、とんぬらは目を伏せたり逸らしたりするような真似はできないのである。
「王都に被害が及ばぬよう、ここの戦線は何としてでも死守しなければならない。背水の陣の覚悟でもって臨むべきだというのに、あそこにいた連中はどうにもその意識が薄いようだから腹が立った。あんなことに労力を割くくらいなら壁の補修でも何でもすればいいというのに」
足を引っ張っている場合ではない。有り余った力を振る方向をはき違えている現状から、
足並みを揃わせなければ、最善を尽くしているとは言えない。
とはいえ、必要とあらば暴力に頼る手札を安易に切れてしまう冷めた思考を、自分であまり好ましくは思っていない。
「わかっている。俺だって好き好んで荒事をしたりはしない。こういうのは舐められたらおしまいだから、あそこで売られた喧嘩は余さず買うつもりだっただけ。ほら、最初が肝心だというだろ」
「じゃあもうあんな真似しない?」
「しない。そんな無駄なことを自分から求める余裕はないしな」
「ならいいけど。とんぬらってば、ひょいざぶろーさんとの交渉の時みたいに、人に恨まれそうなことでも躊躇なくやるし」
「心配するな。そのあとにちゃんとフォローしただろ」
「したけど、そのフォローの仕方も強引じゃない」
怒りが呆れに代わるゆんゆん。
“奇跡を見せる”という宣言通りのことをしたが、それにも文句があるようだ。
『パルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテパルプンテ……』
そう、奇跡魔法の時間逆転効果でもって、呪いや毒などの状態異常を負った者たちを、健全なところまで巻き戻したのである。
ただしそれを引き当てるのに『パルプンテ』を何度も連発した。意地でもくじの大当たりを引くまでやめられなくなる感じになり、保有魔力量の3/4ほど使い切ってしまった。
もちろん、
おかげで集められた人たちはひたすら白紙のついた棒をバッサバッサして祈祷っぽいことをしている以外のことはなにも起こったのかわからず(ハズレが連チャンしていることなど露知らず)、ひたすら待たされたのだが結局、治った、また解けたのだから文句はなく、“おお! これが紅魔族の秘伝の儀式なのか!”と皆感心していた。加えて、だいぶ魔力を消耗した様子からも、“こんなにも懸命に……自分たちのために……”と好感触。
これも何度も奇跡成就を失敗して、せっかく威厳ある強者オーラを見せつけた第一印象を台無しにしないためである。
そんな、この飴と鞭もしくはチンピラが捨て猫を拾う的な落としてから上げるパフォーマンス、それに元々この前の防衛線戦で爆裂魔法から庇ってもらった者たちなど支持者がおり、また神器持ちの勇者候補らからもミツルギから何か言われたのか皆好意的で文句はなく受け入れてもらえた。
こうして、とんぬらは新参者ながら防衛戦の指揮官をするに問題ないだけの支持を得たのだ。
「別に失敗しても成功すれば結果は変わらないのに……とんぬらって、見栄っ張りよね」
「奇跡魔法を滑り芸などと呼ばせないためだ。伝道者たる神主の沽券として俺の無様で奇跡魔法が貶められてしまうのは許せん」
基盤を得たとんぬらは、今度は期待を裏切らぬように指揮しなければならない。成功しても楽になることはないとはなんてめんどうなものを請け負ってしまった。
しかし、これも
ふと視線を感じた。
見れば、ゆんゆんが未だにじっとこちらを見つめている。はて、まだ何か文句(心配)があるのだろうかと思ったが、その視線はとんぬらを案じるというよりも、何か不思議なものを見るような色合いを帯びていた。
「どうした? 何か気になることでもあるのか?」
気になって問いかけると、ゆんゆんははっと我に返ったように目をぱちくりとさせて慌てて、
「あ、う、うん、ごめんなさい、なんでもないわッ」
「いや何でもないという事はないだろその反応で」
「あぅ、そのね、なんというか、今、すごく、か――」
何か言いかけ、けふんけふんと咳払い。
何と言って良いものかと考え込んでしまったゆんゆんを、とんぬらは当惑したように見つめるばかり。
首を捻っていると、ゆんゆんは何故だか頬を赤くしながら、再度、口を開いた。
「とんぬらは、これ以上格好つけない方がいいわ。その、十分……いいから」
「はあ?」
なんだろうか? これはあまり見栄張りし過ぎて逆に格好悪く見えているというパートナーからの助言だろうか。
そんなみっともないほど過度にキめたつもりはなかったが、そういうのならば自重しようか。
「よくわからんが、気を付けよう」
「うん、そうしてちょうだいっ」
ゆんゆんに力いっぱいに頷かれて、やや気落ちしたところで、突然声を掛けられた。
「あの……。あなたが、とんぬら様ですか……?」
近寄る気配にミツルギかと思えば、彼のものではない高音質な声。
ゆんゆんと逆方向へ視線を向ければそこにいたのは、広間で目についた女性プリースト。
首を巡らし反応すると、彼女は優雅にとんぬらに一礼し、
「お噂はかねがね……。貴方様のご高名は伺っております。わたくしはセレナと申します。……本日は、わたくし共のパーティがご迷惑をおかけして申し訳ありません」
なんて、年下相手に至極丁寧に謝罪をする。
人見知りなゆんゆんは、初対面の人物の登場に、とんぬらの背に隠れて『誰なのとんぬら?』と小声で耳元に訊ねる。
「ああ、あんたはレックスのところのパーティにいた……。この前、王城では見かけなかったが、新しく入ったのか?」
「はい。ですが、正式な加入というのではなく、今回の防衛戦に限っての臨時、あくまで補充要員みたいなものです」
「そうか。いや、こちらこそすまなかったな。あんたのところの大将を蹴っ飛ばしてしまって……」
「いいえ、あれはこちらの方に責があります。それに冒険者なのですから、あれくらいのことで謝罪はいりませんよ。怪我もわたくしが治しましたし」
セレナと名乗った女性は、全面的にこちらに非があると認める。正式な加入ではないと言っていたけれど、やけにあっさりとしているというか、情が薄いように感じる。
それと怪我を治すというワードから察するに、やはりプリーストなのだろう。……しかし、どうにもこれまで見てきたのと毛並みが異なるような、違和感を覚えるとんぬら。
それで、こんなパーティのリーダーが働いた無礼を謝りにわざわざ危険を覚悟してこの外壁上に来たわけではないのだろう。現在、見張り台はいつ爆裂魔法が飛んでくるかわからないので大変不評なスポットである。
「とんぬら様。あんなわたくしでも手の施しのないような者たちを治してみせた貴方様の奇跡には感服いたしました。……それで、差し出がましいですが、その“秘伝の儀式”とやらを教えてもらえないでしょうか?」
曰く、セレナと名乗った女性は、毒や『死の宣告』に何もできず力不足を痛感したそうだ。
なるほど理由は納得のいくものがある。
けれど、あれは人類最高の(人格云々は棚上げして)腕前を持つ『アークプリースト』である(変態)師匠でも難しい症状だった。きっとこのまま王都へ避難させても毒や呪いの治療は無理だったろう。女神の力か女神級の奇跡を成就させる魔法に頼る方法しか思いつかない、普通なら匙を遠投するレベルだ。とんぬらがしたのは厳密には治療ではないし、反則みたいなものだ。
「興味を持ってくれた事には嬉しいが、教えられるものではない。悪いが」
「そこを何とかとんぬら様! わたくしを貴方様の弟子、いえ、従者のひとりとしてお側に置いていただくわけには参りませんか? この私は、貴方様の足を引っ張るようなことは決して致しませんとも」
ひしっと手を取ってくるセレナ。
「聞けば、貴方様は二人だけのパーティのようですね。わたくし、プリーストとしてそこそこ自信があります。数多の幹部や賞金首を打ち倒し、若くして名を馳せた偉大なる大魔導士。貴方様はきっと、魔王に対抗するべく神より使命を受けた勇者なのではないかと……わたくしもその一助になりたいのです」
さらにもう片手で挟んで、組んだ両手で祈るようなポーズで目を閉じながら訴えるも、さしてとんぬらは心動かされることなく、
「結構です。後衛職だけで組むより、そちらの前衛職を支える方がプリーストのやり甲斐はあると思いますよ」
『アークウィザード』のタッグというだけでも異色。それに回復やら蘇生までもとんぬらひとりでやれてしまう(ついでに前衛も)万能な賢者タイプである。ゆんゆんも『竜言語魔法』の支援ができる。プリーストはいないのに、プリーストの活躍する余地があんまりないのだ。だったら、全員が戦士職の大剣使いレックスのパーティにいる方がよっぽど良い。
それに能力云々の問題以前に先ほどの喧嘩もあるし、ここで貴重なプリースト職を引き抜いてしまったら、あちらのレックスたちの面目はつぶれるだろうし、余計な恨みを買う。
と丁重にお断りをするのだが、セレナはそれでも笑みを絶やさず、また手を放さず、
「とんぬら様。わたくしはきっとお役に立てますよ?」
「でしたらその力は自分のパーティで発揮すべきでしょう」
「私はとんぬら様のために力を振るいたいのです」
しつこい。これにはとんぬらもやや苛立つように語気を強める。
いっそ強引に手を振り払おうかとも思ったが、そこで背中をくいくいと引く陰に隠れるパートナー。まだ隠れているも耳元で、
(ねぇ……せっかくなんだし、一度くらいは良いんじゃない、お試しで。ほら、こんなにも懸命にアピールしてるんだし……それに、ちゃんとしたプリーストの人がいてくれるのは心強いし……)
人付き合いを求めてしまうボッチの性。優しいというのか、チョロいというのか。
だが、とんぬらはその意見には頷けない。
どうにも勘が騒めく。今向けられているその笑顔すらも、芸道を修める者の嗅覚が反応する。そう、演技臭く、とんぬらの鼻腔を擽ってくるような違和感。
これまでの対人経験からしてあっさりと詐欺に嵌りそうな、実際、『安楽少女』やら一撃ウサギに簡単に騙されるゆんゆんとは対照的に、幼少期をアクシズ教徒の総本山という魔境で過ごしたとんぬらは警戒心が強い方だと自負している。特にちょっと言い寄られただけで陥落しそうな娘をパートナーにしてからは、殊更に“俺がしっかりしなくては”と意識が強くなっている。
まだ他所のパーティに所属し、お試し期間中であるのにこうも売り込んでくる行為は礼を失しているものではないだろうか。言ってしまえば、これではレックスたちへの筋が通らない。
それに、やはりどうにも信用できないというか……。
「失礼ですが、どこかで会ったことがありませんか?」
と思った時には、素直にそんなことを口走っていた。“セレナ”という名前は聞いたことがないのだが……しかしながらこの女性に対峙すると既視感を覚える。昔にこんな風にしつこく勧誘された気がする。
「あら? もしかして、わたくしを口説いていらっしゃるので?」
なんて冗談めかしてくすくすと返される。大人のお姉さんが年下のイタズラ小僧を、笑みを湛えたまま相手にするような、そんな余裕のある対応。
――とんぬらは、一気に余裕をなくす。
「ねぇ」
背筋に戦慄が走る。なんというか、先程、仮にレックスに大剣を峰ではなく刃を向けて叩きつけても、ここまでにはなるまい、と言えてしまいそうな、物凄い圧迫感だ。それもたった一言で。
頼りなく握っていた手が、ギュゥッと脇腹抓る。元々運動神経も良かった彼女は魔法使いながら高レベルになって(はたまた乙女の怒りプラスアルファな支援効果が発揮されているのか)万力入らずの握力だととんぬらは評価する。それがそれで痛いが、それだけで表情筋を引き攣らせたわけではない。ちらと目だけ動かした視界の端に、底光りする瞳……そして、『ダレなのとんぬら?』と。さっきとニュアンスは違う問いかけに、とんぬら冷や汗を滲ませつつ、フルフル首を横に
早く誤解を解かねば、めぐみんが予言したことが実現しそうだ――!
「いやっ、そのだな、駆け出し冒険者の街にいたことがありませんか?」
「? はい。冒険者の端くれとして、駆け出しのころは『アクセル』にお世話になりましたわ。ええ、ちょうど四年前ほどに駆け出しの街を卒業しました」
しみじみと語ってくれるセレナに、とんぬらはぽんと手を叩く。
「じゃあ、どこかで見かけたかもしれない。そのころには俺も『アクセル』にいましたから」
「え……」
初めてにこやかな表情が固まる。
「えー、っと……紅魔族というのは、十二歳で学校という養成所に通わされ、上級魔法を習得するまでは里から出さないと話を聞いたことがあるのですが」
「詳しいんですね」
「個人的な興味があっていろいろと調べましたから。……それで、噂の仮面……がトレードマークな宮廷道化師なる者は、まだ
「ええ、もうすぐ十五歳になります」
だったら、話がおかしい。十二歳になってから通わされる学校を卒業するまで外へは出れないのが掟を敷いている里出身のもので、もうすぐ十五歳の少年冒険者が、四年前に『アクセル』ですれ違うはずがない。推理の筋道は通っている。なるほどこれはヤンチャなナンパだと思われる余地はあるかもしれない。が、何事にも例外は付きもの。
とんぬらは、ひしひしと襲ってくるビハインドプレッシャーを宥めるためにも誤解を訂正する。
「でも実は、俺、特例として学校に通わされる前から里の外へ出て、魔法を習得していたんですよ。四年前では普通に『アクセル』で冒険者をやっていました」
「(仮面付けてるけどまさかコイツ……!) ――そ、そうでしたか。でしたら偶然、どこかですれ違ったかもしれませんね」
「いや、どうにも記憶が引っかかるというか。これは、ただ見かけたというだけでは……」
「ふふ、わたくし達、そんな昔から出会っていただなんて、運命めいたものを感じてしまいます。――では、そろそろお時間ですので、失礼しますね」
と、不自然なくらいに会話を切って、あっさりと足早に去るセレナ。
そして、そんなことを気にする余裕もないとんぬら。
「ふうん……そうなんだ、神社で私のときよりも前に会ってたの、運命感じちゃってたの、とんぬら?」
実にイイカンジの笑顔で問いかけてくるゆんゆん。
くっ……! 顔は笑ってるけど、目が笑ってないぞ……!
「いやな、ゆんゆん。別に知り合いというわけではない。あの頃に親しく付き合いをしていたのは、ウィズ店長くらいで……それに、そんなに先着順にこだわるならむしろゆんゆんの方が、可能性があるはず。俺も親に連れられ旅立つ前は、紅魔の里にいたんだから、ゆんゆんと出会っていてもおかしくはない。エリス感謝祭とかもうちの神社が取り仕切っていて、俺も手伝いをしていたからな」
「私、学校に通う前は、ほとんど家にいて外に出たことはあんまりなかったから……その、紅魔族の名乗り上げが恥ずかしくて……挨拶もできなくて相手に気まずい思いをさせるわけにはいかないし、人が多い祭りの時期では特に気合を入れて引き籠っていたわね」
箱入り娘でぼっちな少女は自嘲するように乾いた笑みを作る。居た堪れなくなってきた。
「と、とにかく、とんぬらは、やっぱり格好悪いところも晒すべきよ!」
「何でだ?」
「私の気が休まらないの!」
紅魔族の教えに反するような無茶な注文を、里の次期族長に強いられる。
――とまあ、そんなことがあり、以来、ゆんゆんはご機嫌斜めとなってしまう。一体何が悪いのかと思い悩むとんぬらは、『晴天の日もあれば、雨天の日もあるのが女子というもの。今は雨霰であってもいずれ晴れ間が見える時はきっと来る』と自分で自分に言い聞かせる。一先ず時間を置くべしとも判断したのもあるが、事態は個人的な事ばかりにかまけている場合ではない。怠惰と暴虐を司る女神のサボり癖が働いてくれるのは一日までなのだから。
状況を打開するための作戦会議。
砦の広間に集まった者たちへ指揮官は言った。
――砦を出て少数精鋭で魔王軍に強襲を仕掛ける。
前に失敗したミツルギキョウヤと同じようなことを。