この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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88話

「作戦はコッソリ忍び入って敵陣を落とす」

 

 簡にして要を得た指令。それを任されたのが、やって来たばかりの自分たち(カズマパーティ)

 指揮官を任されているとんぬらは、つらつらと推薦する理由を挙げていく。

 

「まず、潜伏しているミツルギら遊撃隊の働きで、魔王軍の陣容は森付近を重点に警戒していて、その背後は手薄になっている。……『ヘルハーブ温泉』。浸かると脱力してしまう湯がある限り、そちらからは絶対に攻め入れない。そう思わせるように動いてもらいました」

 

 とんぬらの作戦指揮は、手品における演出のひとつである“サッカートリック”のようなもの。

 一度失敗したと見せかけてから最終的に成功させたり、もしくは偽情報を流布した後で同じ現象をその方法では解決できない方法で見せる。

 

「しかし、所詮は温泉、如何に『怠惰と暴虐を司る女神』の権能が施されていようと、アクア様のお力があれば攻略も容易い」

 

「え、私?」

 

 なるほど。アクアの浄化能力か。触れる(つかる)だけで温泉もただのお湯(みず)(高純度の聖水)に変えてしまう水の女神固有の(普段は役に立たない妙な)体質。合宿でもあわや海を真水に浄化しかけた事件があったが、これで『ヘルハーブ温泉』を克服しようという狙い。

 なんというか、プールの消毒する際に、塩素剤(アクア)を投げ込むような感じだろう。

 

「我々の誰もが踏み入れることの叶わなかった前人未踏の領域が、そのご威光で開けるのです。まさしくそれは勇者を導く女神に相応しき御業でありましょう」

 

「!! と、当然でしょう! なんてったって、水の女神アクア様なのだから!」

 

 流石は紅魔族というのか、アクシズ教(仮)というのか。アクアを乗せる言い回しが上手い。

 昔にちょっとは女神らしい働きしてみろと駄女神っぷりに文句を言ってやったことがあったが、ふふん、とどや顔でカズマ(こちら)に流し目を送ってくる。

 ……とんぬら、調子に乗るからあまりアクアをよいしょすんな。

 

「……で、私は何をすればいいのかしら?」

 

「簡単に言いますと、アクア様は温泉に入っていただければいいんです」

 

「何それすごく楽ちんな仕事じゃない! やるわ!」

 

 うん、なんて駄女神(アクア)にも分かり易い説明だ。

 お気楽に手を挙げて、とんぬらの作戦を支持するアクア。

 敵陣のすぐ傍でゆっくり温泉に浸かっていられる余裕があるならな。

 

「それで、がら空きの背後より兄ちゃん達は敵陣に潜入する。もちろん、警備の目が完全にゼロとは思わないが、兄ちゃんの『潜伏』スキルでの迷彩、それに『罠感知』や『敵感知』の索敵スキルで大概の危険は避けられる」

 

 確かに警戒が薄いのならば、見つかる危険性は少なくなるが……

 

「でもさ、悪魔の中には『潜伏』スキルの通用しないヤツもいんだろ?」

 

 アーネスのように気配に敏感な悪魔にはバレてしまう。

 

「兄ちゃんが懸念する通り、戦闘を避けられない事態になりうる可能性は捨てきれない。その時は、現場の判断に任せよう。兄ちゃんが新しく覚えた『テレポート』で避難するもよし、また『クルセイダー』のダクネスさんを盾にするのもよし」

 

「カズマ。いざというときは、私を遠慮なく囮にして言ってくれて構わん! いや、そうするべきだ!」

 

 敵陣のど真ん中で襲われるとか、ドM騎士によって垂涎のシチュエーション。鼻息荒げにダクネスもとんぬらの作戦を強く支持。

 ……こいつ、わざと魔王軍の監視に見つかったりとかしないか心配になってきた。

 

「現在、また……ではないな。今度こそ本物の偽者に攪乱されるのを警戒してか、相手幹部は陣から離れ難くなっている。それにゆんゆんが潜伏しているのも気にかかるのであろうな。思いきりな攻めができず、陣に篭っている。といっても、砦に潜んでいた内通者を追い出したから、状況は動くと見るが……いや、こちらから揺さぶりを掛けるつもりだ。兄ちゃんらには、その一翼を担ってもらいたい」

 

「とんぬら、そんな大仕事俺たちが本当に出来ると思うのか?」

 

「思わない、と言ったらやめるのかい、兄ちゃん。俺は“兄ちゃん達がやれる”って決めつけて作戦を立てている。それだけだ」

 

 冷静に戦局を読めるだけの頭脳を持っていながら、ひとたび決断を下せばそれを成す苛烈なまでの実行力。紅魔族の資質、またはアクシズ教の気質、いやその両方であろう。

 話に聞いた魔王軍に痛撃を与えた策略もまた、過激の一語で済むような生易しいものではなかった。とんぬらが指揮をとったそれは、下手をすればそのまま一気に砦を落とされていた可能性もあった。それを考えれば、このとんぬらの言葉は、むしろとんぬららしいとさえ言えるのかもしれない。

 

「今回の魔王軍は『怠惰と暴虐を司る女神』のさじ加減一つですべてが決まる。もし、『怠惰と暴虐を司る女神』さえいなくなれば、その眷属である悪魔達も現界が出来なくなる、または力が半減するだろうし、そして、説得できれば、彼女の一存で軍を退くだろう」

 

 言ってしまえば、斬首戦術が効果的である。そして、一撃必殺に相応しき魔法を習得している魔法使いが、パーティにいる。

 好きな魔法は爆裂魔法。趣味はもちろん爆裂魔法。そう、『アクセル』の街の爆裂魔法使い――!

 ちょむすけを抱くめぐみんへ、視線が集まる。

 

「ええ、我が爆裂魔法ですべての決着を付けてやりますとも! さすれば紅魔族随一の天才が誰なのか、誰の目でも明らかになるでしょうからね!」

 

 やや背を反らした胸に手を当てて、豪語するめぐみん。

 警戒網を突破さえすれば、神や悪魔をも屠る人類最強の攻撃手段で片が付く。

 ……ここ数日悩んでいたようだけど、これは吹っ切れたのか?

 自分よりも長い付き合いをしているであろう同郷のとんぬらは、対抗心剥き出しなめぐみんの紅目を見て……嘆息ひとつ。

 

「……めぐみん、やれるチャンスは一度だ。いいな?」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「見つけたぞおおお! あの紅魔族と神器持ちの連中だあああああ!」

「追え! 絶対に逃がすな!」

「ウォルバク様を狙う脅威を除くんだ!」

 

 知能の高そうな二足歩行型のモンスター達。森を巡回中、ついに潜んでいた敵の姿を捉えた。

 地形が変わる爆裂魔法は、魔物たちに有利な森を焼き払ってしまう恐れがあるため、捜索はもっぱら配下たちに任されている

 その魔王軍の精鋭たる、鬼やら悪魔やら色んな形の姿形の連中。その接近に勘付いた遊撃隊は、矛を交えることなく、背を向けて逃げ出した。

 当然、追いかける。

 あれには同士討ちにされたこともあるし、何より崇拝する女神の明確な脅威だ。爆裂魔法を封じた存在がいるせいで、こちらは思い切り攻められなくなっている。

 

 しかし、逆に言えば、奴らさえ始末できれば、再び爆裂魔法攻勢で殻にこもった防衛軍を追い詰められるのだ。

 

 反撃に出ないのはおそらくこの数日の潜伏で消耗しているのだろう。脅かす影に纏わりつかれてこちらの神経も削れたが、奴らも同じ、いや、それ以上。疲労困憊で攻め入れないのだ。

 

「チャンスだ! 奴らが砦に辿り着くまでに仕留めろ!」

 

 砦での防衛戦は分が悪い。だから、この魔物たちに有利な森をフィールドの戦闘で一気に殲滅する。

 これは、ギリギリの均衡だ。

 ここは、森の境目近い。木々の茂みを抜ければ砦から見える地帯になる。

 そこが人間たちのゴールラインに違いない。

 魔物たちは背を向けた遊撃隊を追って、森をひた走る。慣れた森を全力で駆けていく。

 

 追いつける――血気に逸りながら冷静に計算する狩人の思考が、そう、確信した。

 

 野生の白狼ですら、仕留められる機動。二足歩行生物の限界を超えながら森を行く魔物たち。

 

 

 不意に、覚えた。

 地面の震え。何か、巨大なものが動き出す気配。

 

「!」

 

 悪寒が実現する前に、撤退すべきか。などと、思案するもすでに遅い。その森は魔物の領域に非ず。

 

 

「そこはこちらの掌よ」

 

 

 波打つ大地。

 突き出る巨木のような五指、地盤を盛り上げる左掌、そして、積み重ねられた数多の煉瓦で構成され、魔物の爪牙すら弾く魔人の腕。

 それは森の木々すら障害とせず、ハエでも叩くように多くの魔物たちを叩き潰した。

 

「うわああああああっ!?」

「なんなんだこれは!?」

「逃げろ、逃げろおおおおおお!」

 

 突如、顕現した巨大な片腕に、魔物たちは反転。ここは撤退し、すぐにこの事を皆に伝えねば――

 

「釣った獲物を逃がすかよ!」

「これまで嵌められた鬱憤を晴らさせてもらうぞ!」

 

「下がるのはここまでだ! 僕たちも反転して逆襲だ」

 

 森の中に盗賊職の冒険者の『潜伏』スキルでもって潜んでいた伏兵が、魔物たちの逃げ道を塞ぐ。さらに偽りの退却で誘い込んだ遊撃隊もここで反転して、抜刀。

 包囲殲滅の陣に囚われそうになった魔物たちは、活路を求め、人のいない森の外へ脱する――

 しかし、そこで待ち構えていたのは自らの破滅であった。

 

 

「自らこちらの土俵に来てくれるとはな。――さあ、城砦、否、『暗黒の魔人』デンドロメイデン! 変形合体だ!」

 

 

 巨大な砦が、動く。

 外壁が勝手に蠢き出して砦が人型に変形。足はない上半身のみで、片腕。

 だが、デカい。あの魔王軍さえ敬遠した大物賞金首『デストロイヤー』が比較対象となり得るほどに。

 

「ただ補修工事をするだけでは芸がないからな。どうだ、魂消たであろう?」

 

 砦が化けた頭部、その上に立つ仮面の少年が、振り下ろした鉄扇の指揮に巨人が従う。

 機動要塞ではない、不動要塞。下半身までは出来上がっていない巨人は正しく一歩も動けぬが、天に掲げた右腕は魔物らの元まで十二分に届く。

 そして、伏兵、それと自由気ままに分離している魔人の右腕に退路は塞がれている。逃げ場はない。

 

「こんなバカげた話があるかあああああ――!!!」

 

 断末魔の音響さえも薙ぎ払う剛腕が、魔王軍を鎧袖一触で蹴散らす。

 魔法を滅多打ちして応戦した魔物もいたが、この巨大な存在に、どれほどの意味があるのか。元となる外壁は、爆裂魔法の一撃では崩せぬほど頑健なもの。咄嗟に唱えた詠唱なしの中級魔法程度では精々欠片しか傷つけられぬ。

 

「試運転はできなかったが、どうやらうまく動いてくれたか」

 

 血を与えた非生物に命を宿す『龍脈』スキル。

 『錬金術』スキルでもって、爆裂魔法を受けた損害を修復しながら改修を企て、砦を動く巨人の上半身として具現化させたのだ。多大な魔力を消耗し、今回持ってきていた魔力回復のアイテムをひとつを除いて一切合切使い果たしてしまったが、これで砦はただ守りの拠点というだけでなく、迎撃に出れる自衛機能を兼ね備え、より盤石なものとなった。

 ……といっても、流石に魔王軍本陣まで手は届かぬが。

 

「これでこの一時、敵の注目は前方(ここ)に集まる。陽動としては十分だろう」

 

 無事に帰還した遊撃隊もこの動く砦に収容した。これで、あとはあちらの出方次第――

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……あれは浄化作業をしているんですよね? 自然の露天風呂で寛いでるわけではないですよね?」

 

 その光景を遠巻きに眺めながら呟くめぐみん。

 『敵感知』と『千里眼』スキルを働かせ、周囲を警戒していたカズマもめぐみんと同じピントに合わせた。

 

「はぁ~……ちょっと硫黄臭いし、熱めだけど、いい湯加減で湧いてるわね。はふぅ、極楽極楽ぅ~」

 

 『ヘルハーブ温泉』……一度浸かれば、水流にも逆らえぬほど堕落してしまう魔の罠。であるのだが、(一応)水の女神は、ゆったり温泉気分を満喫していらっしゃる。勝敗を左右するとても重要な仕事を任されているとは思えぬが、これはこのアクアにしかできないことである。

 ……本当にこれが人類の敵までの道を切り開いてくれるものであるとは納得しかねるが。

 

「……おいカズマ、アクアのヤツ魔王軍の陣がすぐ前にあるのに昼寝を始めたぞ。大丈夫なのかアレは? というか前々から思ってはいたのだが、アクアは魔法を唱える素振りも見せず、何故触れただけで水を浄化したりできるのだ?」

「それは私も気になってましたね。芸のひとつかと思い、あまりツッコみませんでしたが」

 

「本人曰く、水の女神だからそうだよ」

 

 一応言うだけ言っておくが、案の定全く信じようとしない二人にフーンと聞き流される。

 そうしている間にも目の前では、水の女神はぷかぷかと風に流されている……流されないようにヒモでもつけておくべき立ったかと後悔。

 とんぬらが言うことに疑いはないのだが、アクアの緩み切ったその面を見るとこれは戦いの趨勢を決める仕事をしているのだろうかと不安になってくる。ただでさえそのシュールな絵面にこちらの緊張感は削がれてくるし、欠伸も禁じ得ない。

 

「というか、ちょっと浸かるだけでダメ人間にしてしまう温泉に入れてアクアは大丈夫なんですか?」

 

「アクアは元々駄女神(あれ)だから大して変わらん」

 

 そもそも入る前に大丈夫か訊いてみたら、『舐めないでちょうだいカズマ。私は毎日がお休みみたいなものなんだから、こんなマイナーな自称女神の力なんて全然効かないわよ』とアクアが豪語していた。まったくその通りだ。

 しかし、とんぬらがとにかくド派手に注意を引き付けるとは言っていたが、いつまでもまかせっきりとはいかないはずだ。慌てず慎重に行くが、手早くことは済ませた方が良いはず。

 

「あー……こういうことなら持参してきたお酒を持ってきたらよかったかしら。大自然の中で湯に浸かりながらキュッとやる一杯はきっと格別よねぇ」

 

 ……それにこれ以上だらけ切ったその姿を見ていると、湯に浸かっていないこちらにもダメっぷりが感染しそうなので、そろそろ声をかける。

 

「おーい、アクアー、そろそろ俺達も入っても問題ないかー?」

 

「んー……あともうちょっとだけ待ってもらえないかしらカズマ。あともうちょっとだけ」

 

「……お前、怠惰(むこう)権能(ちから)に堕ちてるんじゃないんだろうな? すっかり茹で上がって頭がパーになっちまってんのか?」

 

「はあーーっ!? ちょ、何言ってくれてるのカズマ! 確かに一応は神格があるみたいだけど、どこぞの馬の骨とも知れないマイナー神よ。それに対して、この私は、アクシズ教団が崇めるご神体にして水の女神! 格差なんてわかりきってるし、この温泉(みず)だってとっくに浄化し切ってるに決まってるじゃない!」

 

「そうか、お前が怠惰(パー)なのは元からだったよな」

 

 作戦行動が終わったら、この駄女神は折檻だ。ここに観光(レジャー)のつもりで来てるんじゃねーんだぞ!

 それでカズマは念のために、アクアが『ヘルハーブ温泉』に入っている間そこらに落ちてる枝や葉を使って簡単に作ってみた柄杓で硫黄臭漂う温泉を一杯掬うと、一番耐性値の高そうなダクネスにぶっかけた。

 

「あひゅい!? カ、カズマ、何だいきなり熱湯プレイか!」

 

「違う。ちゃんとアクアが温泉を浄化でき(はたらい)たのか確認だ」

 

「こ、この男、断りもなく仲間に毒味役をさせるとかどんだけ鬼畜なんですか……」

 

 別にいいだろ。単にダメ人間になるだけで、体に害のあるモノというわけじゃないんだし。

 

「で、ダクネス、なんか体が怠くなったり、気分が悪くなったりしたか? ちょっとでも浸かるとあまりの快楽に堕落してしまうって聞いてるんだけど」

 

「う、うむ、不意打ちで熱湯を掛けられたのはとても気持ちが良か……いや、わからん。もっとだ。念のために、もっと熱湯責めしてみたらどうだカズマ?」

 

「お前も元々頭が茹っていたよな」

 

「だから! この正真正銘女神として世界に認められた私が! ウォルバクなんて聞いたこともないマイナー神の力なんて綺麗に払拭したんだから異常なんて起こるはずがないじゃない!」

 

「おい、あんまり大声で叫ぶなアクア。お前、ここが魔王軍の陣地のすぐ近くだって頭から抜け落ちてんだろ」

 

 こいつらは、何でこういうときもいつも通りなんだ。ほこほこしてないで、もっと真剣に物事に取り組めよと文句を言いたい。

 

 

 こうして、アクアが無害化した第一の難関『ヘルハーブ温泉』を突破した。

 それから、『潜伏』スキルを働かせながら陣の裏手から潜入。余程、『ヘルハーブ温泉』に自信があったのか罠はほとんどなかったし、敵も片手で数えるくらいしかいなかった。

 ――そして、カズマの『千里眼』が、本陣と思しき場所に、噂に聞いた魔王軍の幹部を視界に捉えた。

 赤毛の短髪で猫科のような黄色い眼を持つ、巨乳でスタイルの良い美女。

 アクアと同じように人間と同じ姿形をしているが、SPのようにゴッつい悪魔どもに囲まれていることから察せられる通り、あれは防衛軍に爆炎の猛威を振るった魔王軍幹部であり、悪魔の軍勢を率いて人類を脅かす邪神なのだ。

 しかし、こちらは気づかれることなく爆裂魔法の射程に入ることができた。

 

「めぐみん、こっそり魔法唱えろ。先手必勝だ。俺も『テレポート』の準備をしておくから」

 

 気づかれる前に、やる。正々堂々に付き合って、危険を冒す真似はしない。

 アクアの支援魔法を受け、魔法耐性のある『鎧の魔剣』を装備したダクネスが控えているが、爆裂魔法の迎撃なんぞ食らいたくない。たとえ盾役が熱望しようともだ。

 

「……っ」

 

 だがしかし、めぐみんは寝言で唱えられるほど口ずさんできた爆裂魔法の詠唱を一向に始めようとしない。

 様子が、おかしい。ひょっとして、あれか、相手が人型だから躊躇っているのか? まあ気持ちはわからなくもない。俺だってあの綺麗なお姉さん相手に刀を振り下ろせる自信はないし。

 

「カズマ、ちょむすけをお願いします」

 

 普段は大人しい毛玉なのに、砦についてからというもの興奮し、自分らの後に付き纏っていてしょうがない。

 やたら落ち着きのないちょむすけを砦にお留守番させることはできず、仕方なく連れてきている。

 その、めぐみんが腕に抱いていたちょむすけを押し付けてきた。ああ、杖を構えて詠唱するのに邪魔だったのかと最初思ったカズマであったが、違った。

 

「皆さん、すいません。私、やっぱり――」

 

 そして、めぐみんはマントの内側に隠し持っていた“それ”を装着すると、『潜伏』スキルを発動していたカズマから離れて、姿を晒す。

 

 

「我が名はめぐみん! 爆裂魔法をこよなく愛する紅魔族随一の天才にして、『怠惰と暴虐を司る女神』を祀る猫耳神社の氏子なる者!」

 

 

 ちょむすけと同じ黒毛の猫耳バンドを付けて。

 

 

 ♢♢♢

 

 

『めぐみん。魔王軍の幹部であるウォルバク様と話をするのは難しいが、俺にひとつ考えがある』

 

 作戦会議の後、一旦、カズマたちと騎士団長に席を外して部屋を出て行ってもらってから、めぐみんは、とんぬらより“秘策”を授かっていた。

 それは簡潔に言うと、めぐみんを“怠惰と暴虐を司る女神ウォルバク(猫耳神社)の信者にする”というものだ。

 信者を大事にするのが女神の基本。混浴したときから察するにわりと付き合いの良い性格と見る。たとえ敵同士であっても、話しぐらいには付き合うんじゃないのか、というのがとんぬらの弁。

 未だ神主代行なれど猫耳神社の神職につく者として、望む人を信者にする儀くらいとんぬらにも行える。

 

『意味合いは違うが、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という……。問答無用で戦闘に突入する前に、もし、心に迷いが出たのなら、思い切って話をしてみるといい。――このちょむすけの毛を使った世界にたった一つの特注(オンリーワン)の『暴虐の猫耳バンド』をつけてな』

 

『なんて罰ゲームなんですか! あなたの猫耳フェチを教義に入れるのはおかしいですよ。明らかにこれ趣味が入ってますよね? もっとマシな信徒の証はないんですかあなたの神社は!』

 

『めぐみん、これは真剣な話だ。このウォルバク様も一目で信徒と分かる特注『暴虐の猫耳バンド』も念のために用意していたもので、私情は微量にしか入っていないと誓ってもいい』

 

『とんぬらがアクシズ教と気が合うのにも納得がいきますよ!』

 

『失礼なこと抜かすなめぐみん。それに恥じる必要はない。いずれ、紅魔族は皆、猫耳神社の信徒にするつもりだからな』

 

『くぅっ、私をそのヘンテコな野望の足掛かりにさせるつもりですか……これは、我が妹のこめっこが毒牙に掛る前に、ゆんゆんに次期族長として何としてでも変態神主を取り締まってもらいませんと……!』

 

 めぐみんはさんざん悩んだが、一生分の恥(黒歴史)を覚悟して、このちょむすけ(暴虐の半身)の毛を使った『猫耳バンド』(氏子の証)を装備した。髑髏の指輪とは違って呪われた装飾品でないのが幸いだ。

 こうすることで、お姉さんに幹部としてではなく女神としてまず対峙できるように図らったわけだが……

 

「え…………え?」

 

 この紋所が目に入らぬかとばかりに猫耳バンドをアピールして登場しためぐみんだが、上位悪魔ホーストらを従えるお姉さんは、パチパチと瞬きして、リアクションに困ったご様子。

 背後のカズマたちも呆けているのが、なんとなく空気から察する。

 

 滑り芸をするのはあなたの役目でしょうとんぬら! どうして、私にまで赤っ恥をかかせるのですか!

 ……よし、あとでゆんゆんにとんぬらの変態嗜好(フェチ)に付き合わされたとチクってやりましょう。

 

 この紅魔族随一の天才の次くらいに頭が良いと認めていたのに、やっぱり残念だあの男は。

 

「ああ、そう……そういうこと。本当に、猫耳神社(あそこ)は昔と変わっていないのね。ええ、信仰の形は人それぞれなのは理解しているのだけれど」

 

 けれど頭の回転が速いのか、それとも慣れていたのかすぐに瞳に理解の色が浮かび、フォローしてくれるお姉さん。

 それにワンテンポ遅れて、大悪魔ホーストが警戒心露にいきり立つも、お姉さんが片手を挙げて制してくれた。

 

「三つ子の魂百まで、と言うけど、あなたも……紅魔族は皆、変わらないのかしら? ……いいわ、その度胸に免じて認めましょう」

 

 とんぬらの思惑通り、話に付き合ってくれそうだ。

 ただし、その代償として、絶好の先手必勝の機会を潰してしまった。それがどれだけ勝手な振る舞いであるのは、めぐみんも理解している。ここに来るまでも悩んだ。

 けれど、“思うがままにやれ”――それが、めぐみんに説かれた“暴虐”なのだから。

 

「それで、わざわざ魔王軍の陣の真っ只中まで来て、『怠惰と暴虐を司る女神』であるこのウォルバクに何用かしら?」

 

 猫のような黄色い瞳を細めながら、威厳を湛えて問いかけられて、詰まりそうな胸に手を当てながら、めぐみんは上擦った声で、

 

「あの! 私のことを、覚えてますか? この“めぐみん”と言う名を聞いて、思い出したりしませんか?」

 

 頬を赤くし、瞳を紅く輝かせながら訊いた。

 とんぬらから、言われていた。ゆんゆんが思い切って訊ねくれたが、知らぬ存ぜぬ、と返されたと。

 でも、成長したけれども、自分の姿を見てくれれば思い出してくれるかもしれない……そんな、めぐみんが抱いていた淡い期待は、

 

 

「……いいえ、覚えてないわ」

 

 

 一言で、打ち砕かれた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「そう、ですか――」

 

 めぐみんが、呆然と固まってしまった。その瞳の色も、光が落ちている。戦意喪失、いや、これは思考の放棄。

 まずい、こんな状態じゃあ、とても爆裂魔法を唱えられるとは思えない。

 結局、敵陣の真っただ中で、先手必勝の機会をふいにして得られたのは何もない。というより、悪化したと言ってもいい事態に、カズマは焦った。

 ……だからといって、今にも泣きだしそうな顔で辛そうに俯くめぐみんを戦犯と責める気にはとてもなれなかった。

 

 そして、ウォルバクはそんなめぐみんから視線を切ると、こちらを見る。

 

「うおっ、ちょ、どうしたちょむすけ!? 急に暴れやがって!?」

 

 カズマが抱きかかえていたちょむすけが、そこから抜け出そうと暴れていた。

 この毛玉がなぜ暴れ出したのかはわからないが、今はそれどころじゃない。

 『テレポート』の詠唱を唱えるのに集中せねば……!

 ダクネス、アクア! しばらくの間時間稼ぎを――と指示を出す前に動いた。

 

「――ねぇ、ウチのめぐみんを泣かしてくれちゃってるけど、その態度は何なの。何様なの。『怠惰と暴虐を司る女神』って。物事は正確に伝えないと誇大広告で訴えられるわよ。ちゃんと“邪神”と名乗りなさいな」

 

 ひとっ風呂浴びて気が抜けていたアクアがこのシリアスな空気をぶち壊すいちゃもんを入れてきた。

 まさか初対面の相手にこんな暴言を吐かれるとは思わなかったのか、ウォルバクは少し唖然としてしまう。

 

「私は怠惰と暴虐なんていうあまり印象の良くない感情を司っているだけで、元はれっきとした女神なの。別に誇大広告なんてしてないわよ」

 

「嘘吐いた! ねぇカズマ、今この自称女神が嘘吐いたわ! この世界で正式に女神として認められてるのは、私とエリスのたった二人だけなのでした! 謝って! 勝手に女神を自称して、清く美しくも尊い女神の名を汚したことを、ちゃんと私に謝って!」

 

 常日頃から自称女神と呼ばれてきたアクアは、ここぞとばかりに騒ぎ立てる。これには最初は戸惑いを見せていたウォルバクも、キリキリと眉の角度を吊り上げた。

 

「ちょ、ちょっといきなりどういうこと? 私は確かにその昔、れっきとした女神だったわ。魔王軍に所属してからは、アクシズ教団とかいうおかしな連中に勝手に邪神認定されて以来、仕方なく邪神を名乗ったりもするけれど! だからといって、初対面のプリーストにそんなこと言われる筋合いはないからね!」

 

「アンタ今ウチの子たちをおかしな連中って言ったわね! この世界では知らない人なんていないアクシズ教団をバカにするだなんて、あなた本当に神の端くれなの? だいたいね、可愛い信者に誠実に対応できないのは女神失格よ。邪神認定されるのも当然だわ!」

 

 いつになく強気に攻め立てるアクアに、ウォルバクはプルプルと震えながらも、その文句には思うところがあったのか堪えた。

 それと、アクアがこうもお怒りな一因をそれとなく察する。

 性質はとにかくとして、アクアは一女神として、自らを崇めてくれる信者を大事にしていた。デッドリーポイズンスライムの毒に汚染される危機にも身を呈して、アクシズ教徒らを守ろうとしたのだ。女神の在り方としては、一家言あると認めても良いのかもしれない。

 

「ねぇ、めぐみん、傷は浅い方がいいわ。今からアクシズ教に改宗しない? めぐみんはアクシズ教徒と何かと縁があるし、強く押せばアクシズ教に入ってくれるかもって、うちのセシリーが言ってたんですけど。それに、あんなウォルバクなんてマイナー神のところは違ってみんなアットホームな宗教だから、猫耳も認めるわよ」

 

「いくら押されても入りませんよ! セシリーにはいつも迷惑ばかりかけられてますし、問題児集団のアクシズ教徒とは関わり合いになりたくありません。あとこの猫耳は私の趣味ではありませんから!」

 

 消沈していたところに勧誘するアクアであったが、めぐみんに断られる。

 

「こ、ここまで無礼なプリーストは初めてっ! 仮にもプリーストの端くれならば、他宗派の神とは言え相応の礼を尽くすものよ! それから、私のところだって猫耳には寛容だからね。猫耳の悪魔だっているのだし」

 

「ですから、猫耳は私の嗜好とは違います!」

 

「無礼ってどっちのことよ! ――いい、私の名はアクア。そう、アクシズ教団が崇める御神体にして水の女神! 聞いたこともないようなマイナー神如きが、この私に意見するだなんておこがましいわよ!」

 

「えっ!? ……あなた、神の名を騙ると罰が当たるわよ?」

「謝って! 騙りとか言ったことを謝って! じゃないと、あんたがトイレに入った際に、次の人が待ってるのに水が流れない罰を与えてやるから!」

「女神はトイレなんか行かないからそんな罰怖くないわ! こっちだってたまの休日に目覚めても、やる気が怒らず布団の中でゴロゴロし、せっかくの休みを無駄にする罰を与えてあげても良いのよ!」

「やれるものならやってみなさいよ! 私は毎日がお休みみたいなものなんだから、あんたの罰なんてこれっぽっちも怖くないわ!」

 

 ギャーギャーと言い争いが過熱していくこの神様たち。なんか間に挟まれためぐみんがかわいそうになってきた。

 どうしよう。何か向こうのゴツい悪魔達も戸惑ってるし、一応は神なんだからもっと尊くて偉大な風を装わなくていいのかこいつら?

 

「なあカズマ。もう『テレポート』で離脱した方がよくないか?」

 

「だな。これ以上アクアに好き勝手される前にトンズラしちまおう」

 

 カズマとダクネスがヒソヒソ囁き合っていると、ついに堪え切れなくなったアクアが空に向かって手をかざした。

 それに伴い辺りに霧が漂い始め、やがて寄り集まった霧が次々と水の玉へ変化――

 

 このバカ、ここが魔王軍の陣地のど真ん中だってこと忘れてないか!

 

 当然、ウォルバク、それに配下の上位悪魔どもも話し合いの場から一転して、それぞれ強力な魔法の詠唱を始める。まずい、アレ喰らったらひとたまりもないぞ!?

 

「どうやら本気で水の女神の力を思い知らせてやらないといけないようね! あんた邪神のくせに生意気よ! ウチの子たちみたいな明るく前向きで清く正しい自由な信者もいないくせに!」

「こ、こんなに頭が悪そうなのに、本当に水の女神だったって言うの? だけど、あなただって女神エリスに比べれば十分マイナー神のくせに!! それに魔王軍の中にはちゃんと私の信者がいるわ!!」

 

 ………。

 

 ガチで切れる五秒前。

 導火線が爆発する間際、カズマはむんずとアクアの首根っこ、そして、めぐみんの腕を取り、ダクネスに肩へ手をやられながら、呪文を唱えた。

 

「『セイクリッド・クリエイト「『テレポート(ウォーター)』ッッッ!!」」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 アクアが水の権能たる超魔法を完成させ、魔王軍に攻撃されるその狭間……そんな間一髪で砦の広間に逃げ帰ったカズマたち。ウォータースライダーのように大量の水と一緒に転移したおかげで、盛大にスプラッシュをあげてのご帰還で、おかげで広間は水浸しになった。カズマたちも強引な転移のせいで半ば溺れかけていて、アクアを除いて皆ガハゴホと咳き込んでいる。

 広間が浸水してるみたいになってるとか、キレてどんだけ大量の水を呼び寄せやがったんだ!

 しかし、カズマがアクアを叱りつけるよりも早く、

 

「――すいませんでした」

 

 まだ息が整っていないにもかかわらず、ずぶ濡れのままめぐみんが皆に謝る。

 

「あれほど、この砦でも、何度も威勢の良い事を言ったのに、結局魔法を撃てず、千載一遇の機会を逃すような真似までしてしまい、本当にすいません……」

 

 やはり、責任を感じているようだ。滅多に人に頭を下げたがらないめぐみんが今日はどれだけ謝っていることだろうか。それに攻撃的なめぐみんが躊躇うってことは絶対に何か因縁があるんだろう。

 

「お前、あのお姉さんと何かあんの?」

 

「……言えません」

 

 ……おっと、これってまさか地雷を踏み抜いてしまった?

 ヤバい。どうしよう、コイツまた泣きそうになってるんだけど。

 

 砦内は誘い出した魔王軍の追撃部隊に快勝して盛り上がっていただけあって、余計にこの空気は目立った。というか、アクアが洪水災害呪文キャンセルしないせいでド派手に登場をして文字通り水を差したのだ。段々とこちらに何事かと視線を向けてくる。

 そして、その人の群れを割って、登場するとんぬらとゆんゆん。やってくる二人を見て、めぐみんは逃げるように去った。

 ゆんゆんはそれに、あ、と声を漏らすも、とんぬらの方は視線で追う素振りも見せず、

 

「爆裂魔法の音が響いて来なかったが、どうだった兄ちゃん?」

 

「あー……まあ、めぐみんじゃなくて、アクアがやったというか。……なんか、悪い」

 

 頭を掻きながら言い難そうに答える。

 そんなこちらの些細な仕草な情報からも全体像を把握してしまう一を聞いて十を知る麒麟児は、苦い笑いを零す。

 

「兄ちゃんが謝るほどとはな。大体わかった。……そうか、戦えない、か」

 

 数日の時間をかけて整えた策でもってしても敵幹部を撃破できなかったのに、責める気はないようだ。それにカズマは少し安堵するが、事情を知っていそうなとんぬらに説明してもらいたくもある。

 

「ね、ねぇ、ちょ~っと、水で事故っちゃってるけど、だ、大丈夫よね?」

 

「ええ、これくらいで砦は陥落しませんが、掃除が大変なことになっちゃっていますね。それで、アクア様は怪我人の処置を任せてもいいですか。ご帰還直後でお疲れのところ申し訳ありませんが、是非、アクア様のお力で皆の怪我を癒してもらいたく。あちらのミツルギ……魔剣が目立つ坊ちゃんのところに負傷者が集められていますので」

 

「オッケー、いいわよ! 一仕事したからゆっくり腰を落ち着けたかったんだけど怪我人がいるんじゃ、ジッとなんてしてられないわ!」

 

「ありがとうございます。貢物に今の時期に旬な酒を贈らせてもらいますね」

 

「本当に! じゃ超特急で行ってくるわね!」

 

 広間水浸しの犯行が発覚する前に現場を離れたい、もしくはこのシリアスな空気に耐えられなくなったのかとっととアクアは行ってしまったが、

 

「――ゆんゆん、悪いがついてきてくれ。向こうが落ち着く前に行きたい」

 

「うん……とんぬら、でも、めぐみんは?」

 

「今の俺達が掛ける言葉はないな」

 

「なあ! めぐみんがどうしてああなったのか、やっぱりあの幹部のお姉さんとなんか因縁があるのか?」

 

「とんぬら、ゆんゆん。これはめぐみんの個人的な事情が絡んでいるんだろうが、私達もすでに巻き込まれているといってもいい。当人がいないのは後ろめたくもあるが、話を聞きたい」

 

 ダクネスとそう問い詰めると、眼前のとんぬらは困った表情を浮かべる。

 

「そうだな。詳しい話はめぐみんから話してもらうのが最もだが、こちらからも簡単に教えておくべきだな。……時間がないので手短にまとめるが、あの怠惰と暴虐を司る女神ウォルバク様は、めぐみんの命の恩人であり、そして、爆裂魔法を教えてもらった憧れの相手である。いずれ、己の爆裂魔法を見てもらうと夢に誓った、な」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 …………つまり、あのとんぬらの作戦は、めぐみんの手で、めぐみんの恩人を討てと、そう命じたのか。

 

「なあ、ダクネス」

 

「どうした、カズマ。浮かない顔をして?」

 

「やっぱ、とんぬらの作戦、まずかっただろ?」

 

 とんぬらと、ゆんゆんが広間を出て行ってほどなく。

 カズマが、やや言い難そうに、ダクネスに向かって口を開いた。

 

「確かに相手が邪神で魔王軍の幹部なら倒さなくちゃいけないんだろうし、爆裂魔法が有効な手段だってのは認めるんだが……けど、めぐみんに、ウォルバクを討たせるって言うのは、さすがに……」

 

 めぐみんの不調の理由を察することができた。老若男女問わず、それを倒せば高経験値を得られるのであれば、爆裂魔法をぶっ放す理由になる我がパーティの『アークウィザード』でも、命の恩人は躊躇する。それも憧れた相手。

 

「ウォルバクを討伐する作戦を任されためぐみんが、とんぬらに恨みを持つかもしれない、か?」

 

「そこまでは言わねぇよ……けどさ、わだかまりみたいのは残っちまうんじゃないか」

 

 要するにカズマは、この件が、今後、あの紅魔族組のしこりとなってしまうことを憂慮しているのである。

 今は別パーティとはいえ、あいつらは仲が良い。からかったり、呆れたり、キレたりとしながらも何だかんだで互いのことを信頼し合っているし全幅の信用を預けている。

 そのことは、海での研修合宿からの行動を見れば、カズマにもわかる。

 そんな仲に亀裂が走り、溝を作ってしまうような真似は、出来れば避けたいものだろう。

 そう考えるカズマは、それゆえに、今回のとんぬらの作戦指示に不安または不満を隠せなかったのである。

 

 当然、それはダクネスも同じである、とカズマは考えていたのだが、当のダクネスは、小さく頭を振って、カズマの言葉を否定したのである。

 

「カズマ、それは違うぞ。むしろ、あれ以外の作戦であったなら、その時こそ、めぐみんは、とんぬらに対してわだかまりを抱いてしまうだろう。たとえそれが、人類を魔王軍の魔の手から守るためであると理解してはいても、だ」

 

「なに? それはどういうことだよ?」

 

「今、カズマが言ったとおりだ。魔王軍の侵攻は何としてでも阻まなければならないし、そのためにはあの幹部を討つのが一番だ。ここにいる冒険者皆がそう思っているに違いない。爆裂魔法を操る幹部の脅威は、既に十分知れ渡っているのだからな」

 

 退かす、それか、倒さねばならない。

 めぐみんもまた、それを理解しているだろう。

 だからこそ、討たねばなるまい敵であるのなら、せめてめぐみんに恩人のトドメを刺させるような真似は避けるべきではないか――それがカズマの考えである。

 しかし、ダクネスはそれとは異なる考えを持っているようだった。

 

「仮にアクア、あるいはとんぬらがウォルバクを討ち取ってしまえば、めぐみんはそれを仕方のないことと考えはしても、恩人を討った者へのわだかまりは捨てきれないだろう」

 

 むしろ、その方が、今後、大きな亀裂を生じかねない危険を孕んでいる。

 人の心は、理屈のみで動くわけではない。たとえ、それが仕方ないことだとわかってはいても、恩人を討った者への反感を容易く消すことは出来ない。人一倍に情の深いめぐみんはそんな容易く消せるような者ではあるまい。

 

「だが、めぐみんが自らの手で決着を付けるのなら――誰も恨まずにいられる、そう考えたのではないのかな。そして、そのことをめぐみん自身でわかっていたからこそ、この砦までやってきたのだし、とんぬらもまた、この“砦に来た”というのが答えであると判断したからこそ、あのような作戦を任せた。私はそう思うよ」

 

 

 真面目に語ったダクネスに、カズマは目を瞑り、賛意を示すように頷いた。

 

「そうか……ダクネスの言うとおりか。俺がなんか浅はかだった、悪かったな」

 

「いや、カズマが謝ることではない。私もそう思うところはあるからな」

 

 小さく息を吐き、そう詫びたカズマに、ダクネスは手を振る。

 改めて、平和な前の世界とは違うのだと思い知らされた。

 恩人で憧れた相手が、討たねばならない魔王軍の幹部、なんて皮肉な運命だ。

 

「……そういや、とんぬらは何を急いでいたんだ?」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 動き出した砦からの攻勢によってまた魔王軍は大打撃を受けた。

 その殲滅の包囲網から命からがら突破した魔物たちが這う這うの体で魔王軍の陣まで逃げ帰ってきて……その中に混じっていた。

 

「我が名はとんぬら。いずれ神主となる冒険者にして、今は副業に義賊を手伝う怪盗もしている者」

 

 警戒していた偽者の侵入。

 パニックになっていた配下たちに確認作業に付き合わせる余裕はなかった。

 されど、それはたった()()()魔王軍に乗り込み、本陣につくとあっさりその姿を晒す『仮面の紅魔族』。

 右腕であるホーストらに威圧される緊迫した空気の中、とんぬらは、すっと背筋を伸ばし、両足の沓を合わせて、小さく顎を引いた。

 女神の尊顔を直視しないよう、視線はやや伏し目がちにする、畏まった態度。合わせた両手を掲げるようにし、『白波の装』の袖を垂らす。

 

「『怠惰と暴虐を司る女神』」

 

 と御前に座すウォルバクに呼び掛けた。

 

「忠告を述べに参りました。勝ち目の薄い戦を徒に犠牲を増やす前に終わりにし、ご退却を召されよ」

 

 なっ、と配下たちに動揺が走る。

 思い寄らぬ降伏の勧告。今日、彼は停戦の使者として赴いたのか。

 それを悟ったウォルバクは、すぅっと目を細める。

 

「理由を伺ってもいいかしら? まさか、あの女が理由だからじゃあないでしょうね……?」

 

 女神問答したアクアに嫌悪を露にするウォルバク。そこまでの事情を事前に察することはできなかったが、とんぬらもファーストコンタクトはあまりよろしくなかったらしいとは予想がついた。

 ……うん、気になっていたけどここゲリラ豪雨にでも見舞われたかのようにビッチョビッチョだし、地面がグチョグチョにぬかるんでる。しかもこれ、聖水仕様っぽいから悪魔族の皆さんは特に大変というか……それで、八つ当たりのように周囲から恨まれてるっぽいというか……いや、快く迎えられないのは当然のことだ。

 

「いいえ、違います、ウォルバク様」

 

「へぇ、じゃあ、何かしら?」

 

 魔王軍の幹部に、防衛軍の指揮官は、慇懃に話しかける。ウォルバクは鷹揚に応じているが、周りの配下たちは今にもとんぬらに襲い掛かりそうな勢いだ。

 “勝利宣言”を聞かされたのだから、それも仕方がない。が彼より感じるのは、泰然自若……ごく自然で、フラットな態度。個人的な感情を、見事に拝しているその様は、祭事に臨む神官のような、()から離れた姿に見える。つまりは、この者は主に敬意を払っており、また主が命を出さぬから一線踏み越えずに堪えている。

 という表面上、のどかにすら聞こえる両者の会話と裏腹に、周囲の空気は痛いほど張り詰めたまま。

 そんな中で、とんぬらは涼しい顔で続ける。

 

「すでにご承知でしょうが、森での戦闘は魔物らに分があり、砦での防衛は人間に有利だというのが、今回の戦局です。猪口才な内通者が除かれた今、元通りに戻った具合でありましょう」

 

 確認する意味を込めてのとんぬらの解説に、ウォルバクは異を唱えず先を促す。

 

「私達は砦がある限りこれ以上は侵攻できず、あなた達も森の中で陣取る私達に勝つことは難しい。ええ、わかっているわ。でも、いずれ爆裂魔法で邪魔な外壁が崩壊すればその状況も打破されるわよ」

 

「つまり、現状は、ウォルバク様の爆裂魔法でしか砦を攻める有用な手段を持ち合わせていないとお認めになられるのですね」

 

「なに。揚げ足を取ったつもりかしら? そちらも小細工を弄するようだけど、多勢に無勢なんじゃない」

 

「その多勢に無勢を覆す手立てがあるのならば変わりましょう。――こちらの陣営に、爆裂魔法を使える『アークウィザード』が加わりました」

 

 ぴくっ、とウォルバクが僅かに表情を動かす。

 

「潜伏しながら敵陣に爆裂魔法を撃ち込み、『テレポート』で撤退する一撃離脱戦法。単純にして強力ですが、それは魔王軍の専売特許ではありません。

 そして、このまま爆裂魔法の撃ち合いとなった場合、どちらに戦局が傾くか。ここで、観点に置くべきは、陣地の防衛力、言い換えると爆裂魔法に抗する対処策(てふだ)の比較になりましょう」

 

 とんぬらは首を巡らして魔王軍の陣容を見渡し、

 

「潜入ついでに軽く探らせていただきましたが、ただ森の中にあるだけの魔王軍の陣では、その地形さえ変える爆裂魔法で森ごと薙ぎ払われるのがオチでしょう。一方で、こちらには爆裂魔法に何発か耐えうると実績のある外壁がある。

 爆裂魔法は消耗が激しく一発撃ったらウォルバク様であろうとしばらく戦力外となります。そこへこちらから爆裂魔法をぶちかまされれば、このこちらとは違って外壁のない丸裸の陣では魔王軍は防ぎようがない」

 

 加えて防衛軍には爆裂魔法を封じる手段がある。

 爆裂魔法の撃ち合いとなれば、被害は甚大となれども、詰み筋は見えている。

 

「おい、これって。まずいんじゃあ……」

 

 魔王軍の誰か一人が思わず声を漏らす。

 最初はウォルバクによる連日の爆撃を目の当たりにして、勝利を確信していた魔王軍であったが、今度からその爆撃が自分たちにも撃ち込まれるようになったら?

 その想像だけで顔を蒼褪めさせるのに十分なインパクトがあった。

 

 ウォルバクも、とんぬらの描く戦局予想図を共有できるはずだ。

 

「――いいえ、できないわ」

 

 配下たちの不安を黙らすほど圧のある声で宣言する

 

「長年探し求めていた相棒を、今日、ついに見つけた」

 

 カズマたちと遭遇した際に、連れていたちょむすけに、ウォルバクも気づいていた。

 

「私は“怠惰”を司り、相棒は“暴虐”を司る。今再び私の下に『怠惰と暴虐を司る女神』としての神格をひとつにすれば、砦なんて一撃で陥落させてみせましょう」

 

「それは、『怠惰と暴虐を司る女神』の力が完全なものとなれば、の話です。この“暴虐”の半身はこちらの手の内にあり、また神主として封印する術もあります」

 

 紅魔族流の封印の儀式だ。封印を指揮していた神主一族の者として、とんぬらに“暴虐”の半身(ちょむすけ)を再封印することもできなくはない。

 

「もし、このまま軍を退かれるのであれば、ウォルバク様の半身を再封印することは致しません。存在も我が胸に納め、国へ報告することはありません」

 

「ふん。これまで私を策略に嵌めてきた人間の言葉をどうして信じられようか」

 

 交渉の場に手、礼儀正しく振舞っていたとんぬらに、痛烈な言葉を浴びせるウォルバク。女神はそのまま不安がる配下らへ、

 

「それに、爆裂魔法を使える術者の存在も怪しいのではなくて? あのような魔法を習得している奇特な人間なんてそういるはずがないでしょう?」

 

「おや? 側近であるホーストより話は聞いていないのですが。前回、残機を減らしたのは紅魔族の少女が放つ爆裂魔法であったと」

 

「へっ……! そんな危険なのとっくにウォルバク様に報告しているに決まってるだろ」

 

「ホースト!」

 

 配下の不安を取り除いてやろうとした女神の配慮は、右腕には伝わってくれなかったらしい。

 

「……俺はあれくらいで潰れたとは思ってはいません。“暴虐”の片割れが氏子と認可したその暴れん坊っぷりは必ずやウォルバク様に届きうる牙となりましょう。……ただ、それでも、戦いたくはないのです。このような破滅しか結末のない運命に流されるのをお互いに、望んでいるわけではないはずです」

 

 ようやく、とんぬらがゆっくりと顔を上げ、ウォルバクと視線を交える。

 

「どうすれば、我が言葉を信じ、この警告を……嘆願を聞き届けてくれましょうか」

 

 彼の双眸に何を見たのか、女神はすっと手を挙げ、虚空より杯を出す。

 

「これを飲み干して尚意志が堕ちぬのであれば、其方の弁、信じるに値するものと見ましょう」

 

 ふよふよととんぬらの前に送り浮かぶ杯。

 鼻につく強烈な腐卵臭からわかる。この満たす濁った液体は、『ヘルハーブ温泉』をより濃縮させた、“怠惰”の権能そのものだ。

 少しでも浸かれば、脱力し、堕落し、絶望する。飲泉に適したものでないのは明白。肉体を害す毒ではないが、精神を堕とす力が籠められている。

 

 服の内に入れて首掛けている金色のペンダントが胸元で小さく音を立てた。

 その音に精一杯の制止が篭められていると悟るも……しかし、とんぬらはウォルバクから差し出されたその杯を手に取った。

 

「我が師のひとりは、信奉する女神に出されたものはたとえ、デッドリーポイズンスライムであろうと飲み干すでしょう。――いずれ師を超える者として俺には避けては通れぬ!」

 

 そう言い切ったとんぬらは、ウォルバク、そしてその配下の魔物らに見張られる中、それをゆっくりと干していった。というか、飲泉が思ったよりも熱かったので、猫舌なとんぬらはゆっくりとしか干せなかったのだが、空になるまでその杯を落とす気はなく、

 

「コホッ……ケホッ……」

 

 中途でえずく。言いようのない悪寒と灼熱が胸奥から湧き上がって来た。感覚が堕落したように麻痺し、全身が震える。しかし、一気に煽って、とんぬらは飲み切った――

 

 

「ケフッ、ケフッ、ゴホッ……」

 

 咳き込みながら、膝を地面につきそうに震えるとんぬら。無気力状態、それ以上に堕落されたはずだが、消えることのない意志が感じ取れる。ぐっ、と顔を上げると、そのまま空の杯を見せつけるように突き付けながら、剛として言い放つ。

 

「女神ウォルバク、貴女様が科した“怠惰”の試練、やり切ったぞ! 我が停戦を求む言葉に疑いあるか!」

 

 仮面の奥のとんぬらの双眸は、それ自体が魔力を放つかの如く、爛々と青く輝いてウォルバクを見据えていた。今にも倒れてしまいそうな体と裏腹に、この意志は、挫けようとしない。折れない。すべてを見通す悪魔もあきれ果てる鋼の精神力。

 魔力ではない、それより尊い何かを、全身に漲らせるその力強い姿に、魔物たちは圧される。

 これを真っ向より受けて、

 

 

「……これで、お伽話の勇者サトウの末裔は終わった。これより、砦を攻める」

 

 

 ウォルバクは告げた。無情に、淡々と。

 

 

「その信念、一点の曇りなきものと認めましょう。けれど、私は、女神ではなく、邪神よ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「彼を捕らえなさい。……殺す必要はないわ。もう抵抗できる力はないのでしょうから」

 

 ウォルバクの指示に配下たちが動き出す。

 とんぬら、それに反応しようとするが、鈍い。身体が重くて、思考とズレているような感覚に戸惑う。

 

「俺様と張り合えるお前とはキッチリ決着を付けておきたかったんだがなあ」

 

 大悪魔ホーストが残念そうにぼやく。

 魔力が空の状態で、強敵である上位悪魔に対するは無理。ぶつかれば敗北は確定。硝子玉のような目が抗わんとするとんぬらを見つめるも、先の見えた展開にがっかりと気を落としたホーストは、とんぬらの首に提げた金色のペンダントが勝手に落ちたのに気づかず、反応が遅れた。

 

「いいや、捕まるわけにはいかん。――ゆんゆん、頼む」

 

 前回、櫛に化けさせて身に着けていたのと同様に、ペンダントに変身していたパートナー。

 ゆんゆんはふらつくとんぬらの身体を抱き支えながら、突然の登場で魔物たちが呆けている間に早口で詠唱を完成させる。

 

「『テレポート』ッッッ!」

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 暗黒の魔人:ドラクエⅧより登場するギガサイズなモンスター。命を持った暗黒魔城都市そのもの。瓦礫を人型に結合させていくも上半身しか形成できず、また右腕のみ。

 右腕と上半身がメイン(ようがんまじん(ひょうがまじん)の巨大版のようなもの)。左腕(巨大で宙に浮いてるマドハンド)は分離して別個体(サブ)扱いで、『暗黒の魔人』が開始ターンで魔造術発現なる特技でもって暗黒の魔造兵(ゴーレム)と一緒に召喚(創造)する。

 デンドロメイデンは、このすばOVAでめぐみんが口にした変形合体ロボの名前。




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