REBORN DIARIO 作:とうこ
長い沈黙が続いた。猛威を振るった彼の牙の前に、紫乃は微動だにせず返事を焦らす。目と鼻の先で雲雀恭弥の艶めかしい微笑が見下ろしている。
ここで応じれば、ここまで耐えてきたものが何の意味もなさなくなる。傍観に徹していたからこそ成り立った標準通りの世界の秩序が崩され、そしていづれは崩壊するやもしれない。彼の誘いを断るなら、紫乃の身体が雲雀恭弥の牙の手入れにされるそれだけだ。
ならば、答えは決まっていた。
「好きに咬み殺せばいい」
応接室の片隅で、紫乃はその答えを出した。
雲雀恭弥の反応は、驚きとも落胆とも汲み取れるものだった。
「ふうん。本気で言ってるのそれ?」
「……私にはこれくらいしかできないからな」
そんなことを言ってみた。この男にわかるはずもない。暴力でねじ伏せるだけは解決しない。たとえ間違えた後でも引き返せない。少しの手違いでも、大きな可能性を秘めた君達の命を落としてしまう。
この身体で清算できることなら、紫乃は、喜んでしよう。
「……そう。思っていたよりずっと扱いにくい。でもしばらくは退屈しのぎになるかな」
雲雀恭弥のその言葉は意外だった。紫乃は逸らしていた目線を上にあげる。
雲雀恭弥という人間を、掴みきれていなかった。一度狙った獲物を易々と手放す男ではないのだ。
嫌だ、とがむしゃらに抵抗をしても無駄だろう。こんな状況では、逃げられるはずもなかった。
その男の牙は、既に紫乃の喉元を捉えていたのだ。放課後に紫乃と接触してきた時から。いつかの廊下ですれ違ったあの頃から。牙を潜め、タイミングをずっと待っていたのだ。
彼にはわかるはずもない。間違えても、引き返せない。紫乃が受け入れた苦しみなんか。
逃げ場もない、そんなタイミングに、応接室の扉が外から開けられた。
「へ〜、こんないい部屋があるとはねー」
視界にまず飛び込んだのは、クラスメイトの山本武だった。
応接室の壁際の一角で、迫られる紫乃と彼女に迫る雲雀恭弥を見つけると、一変して緊迫した顔つきを見せた。
「伊波……ッ!?」
「っ……」
この状況が理解できないような声を上げた。
紫乃でさえ想定外の連続に、頭の容量が追いついていないのだ。思わず下を向くしかなかった。
「君、誰? 今取り込み中なんだけど」
雲雀恭弥が、山本武に話しかける。
壁際に一人の女子生徒を追い込んでいるというのに、その態度はあっけらかんとしている。
こいつは……と山本武は噂で聞いた覚えがあった。
風紀委員長でありながら、不良の頂点に君臨する……ヒバリこと雲雀恭弥……!
今朝から顔色が悪そうにしていたが、まさかこのことだったのか。
山本武はつい先程の、教室を離れる彼女の姿が過ぎる。直感的に紫乃が危険にさらされていると思った。
すると後方に待機していた獄寺隼人が、応接室に入ってきた。
「なんだあいつ?」
その口元には蒸した煙草を咥えている。
その匂いと鋭い視覚で認知した物に、雲雀恭弥がピクリと反応する。
「待て、獄寺……」
「風紀委員長の前では、煙草消してくれる?」
最悪な展開だ。
紫乃は傍らで細々と小さく震えていた。
「消せ」
この後の展開を想像するだけで膝が震えた。
自分がこの場にいてはいけない。逃げなければ。紫乃は直感的に思った。雲雀恭弥の興味が彼らに逸れているうちに――……。