REBORN DIARIO 作:とうこ
GWに突入した。
沢田綱吉らはこの期間、マフィアのリゾート地に旅行に行って不在である。この期間は紫乃の標的観察も実質は休戦中である。
他方で紫乃は、GW初日から休暇の人々で賑わう水族館に来ていた。朝10時から現地で待ち合わせをしていたが、案の定既にカップルやら親子連れでいっぱいである。
紫乃をここへ誘った人物はまだ来ていないようだ、仕方なくその辺で待つことにした。
紫乃の他にも待ち合わせをする人達はちらほらといる。時計の文字盤を気にしながらごった返す人波の中に待ち人の姿を探す。
「伊波!」
水族館方面へと流れていく人の群れを見ていると、ようやくそいつが来たようだ。
紫乃は「遅い」と白々しい目で、待ち合わせに遅れてきた山本武を睨んだ。
今日は山本武と二人きりで水族館デートだ。
あれからも何度しつこい誘いを受け、その度に完全無視してきた紫乃だが、ある日「中間テストで満点を取ったら考えてやる」なんて余計なことを言ってしまったのだ。
それから部活以外では教科書をノートに取る山本武の姿を教室で度々見かけた。
あの山本武が勉強に勤しむ姿にクラスでもそれは騒がれたものだが、紫乃は何も関わっていないという風にとりあえず素知らぬフリをした。どうせ最初だけだろうと。廊下で獄寺隼人に質問しているところも見た。最初は山本武を鬱陶しそうに退けていたが、なんだかんだ親身になって教えてやっていた。
そして中間テストで、赤点組の常連だった山本武は全教科平均点越えを達成し、中でも数学で満点を獲得した。
安易だった。この男はやればできる男だったのを今頃になって思い出していた。
山本武と赤点常連組の沢田綱吉はこの時とても悲惨な様子であった。無理もない。自身には家庭教師がついておりながら友人の山本武に先を越されたのだ。裏切られたような悲しみと同時にこれから彼のもとに待つ家庭教師の地獄のスパルタ教育にその身を凍らせているだろう。既に瀕死の状態だった。頑張れ主人公。
「へへっ、実を言うと楽しみすぎて昨日はあんま眠れなかったんだぜ」
「小学生の言い訳か」
話は戻り、低い腰で遅刻を詫びている山本武に紫乃も呆れたように言い返した。山本武の方は相変わらず紫乃のつっけんどんな態度にも臆せず豪快に笑い飛ばしてみせる。
「まあ……遅刻のミスは今日一日挽回してみせっから、とりあえず行こうぜ!」
切り替えの早い山本武に流され、二人は水族館の玄関を潜った。
中学生二人分のチケットを購入し、無事に館内に入るが、そこにも数多の来館客の人々でごった返している。
入館口付近を見回しながら、山本武が隣でポツリと言った。
「にしてもやっぱ混んでるのなー」
「三連休だからな。どこもそうだろう」
「俺はまあ平気だけど、伊波は人が多いとこ大丈夫か?」
好きか嫌いかと聞かれたら得意ではない。そもそもこんなところに誘ってきておいてその質問もどうかと思うが。
紫乃を振り返り、だんまりな紫乃に向かって朗らかに彼が言ってのける。
「しんどかったらいつでも言ってくれよな」
彼の笑顔を見て、紫乃は不意にまたこの胸を痛める。
館内にある時計を見て、山本武が声を上げた。
「やべっ、もうすぐイルカショー始まる時間だな。行こうぜ、伊波」
山本武に咄嗟に手を握られ、紫乃は返事をする間もなく彼に連れられて会場まで駆け出していく。
繋がれている手を見つめる紫乃は、振りほどくべきか迷った。
紫乃は、彼の隣にいていいのか。紫乃より山本武の隣を歩きたい女子はたくさんいる。こんな自分が、彼の隣にいることを赦されるのだろうか――――。
イルカショーが開演する数分前に、二人は観覧席に着いた。
「なんとか間に合ったな」
「……詳しいんだな」
「子供の頃から遊びに来てるところだしな」
ここまで迷わず紫乃を連れてきた山本武に言うと、そんな返事が返ってきた。
彼は、昔誰と来たのだろうか。そんなことを彼に聞くのは野暮な質問だと知っている。
「伊波もこういうとこよく来るか?」
「まあ」
紫乃が言い淀んでいると、向こうからもそんな質問が返ってくる。紫乃は適当に相槌をした。
その場は山本武と適当な会話で間を持たせ、イルカショーが始まった。二匹のイルカのパフォーマンスで会場を盛り上げる。会場の盛り上がりも過熱し、紫乃がふと隣を盗み見ると山本武も食いついてショーに魅入っている。何度も同じものを見ているはずなのに、純粋に楽しんでいる様子は紫乃にも微笑ましい。
すると、イルカが飛んだ時に盛大に跳ねた水飛沫が、紫乃達がいる観覧席にまでかかる。
不意打ちのそれを浴びた紫乃は、点々と降りかかる水滴の感触におもむろに顔を伏せる。
「冷た……」
「眼鏡、平気か?」
隣で同じく水飛沫を浴びて少し髪が濡れている山本武が、そう紫乃に尋ねる。眼鏡のレンズに水滴が滴り視界が悪そうだった。咄嗟に服の袖で水滴を拭う彼女にそう声をかけるが、山本武はふと思い出した。
「そーいやそれ、伊達っつってたよな」
「何」
ひょいと紫乃の顔から眼鏡を外し、視界が開けた彼女にこんな提案をしてみる。
「今日くらいナシでいいんじゃねえか? 俺と二人なら怖くねえだろ?」
「っ……」
障害物のない彼女の表情の変化を、こうして間近で見られて、山本武はご機嫌であった。
「つーか、ない方が可愛いのな」
そんな歯の浮くような台詞を会話の中でさらりと口にしてしまうほどには浮かれていた。普通の女子ならイチコロである。
紫乃の表情がコロコロと変化するので、こんな彼女を今まで見たことがない山本武は面白れえなんて彼女に知られないところで思いながら、結局その提案を彼女に押し通した。
「面白かったのな」
イルカショーの会場から出てきた山本武が、そんな簡潔な感想を紫乃に言う。しかし、そう思っているのは山本武だけである。この天然タラシが。
紫乃が山本武のあまりにまっすぐで単純すぎる言葉に振り回されていることも知らず、この男は次に見つけた鯉の餌やりに興味を示している。
「向こうで鯉にやる餌売ってあるぜ。俺買ってくっから伊波はここで待っててくれ」
そう言って紫乃を残して山本武は餌を買いに行った。
彼が戻るまでしばらくは手持ち無沙汰になった紫乃は、仕方なく他の人々が撒く餌を食べている鯉のいる池を眺めていた。
少し経って戻ってきた山本武は、彼女が彼を待つ池の前で、不意に思い詰めたような横顔をしていたことに気づく。
目を逸らしたところで、彼女の心が何かに思い詰められているのを、今の自分には何もしてやれることがない。彼女を不意にそんな顔にさせるのが、やるせない。
しばらくどう声をかけるか立ち止まった。
「……冷たい」
「ん、差し入れ。喉渇いてね?」
後ろからそっと彼女に近づき、自販機で買ったジュースの缶を渡した。彼女は何もないようにそれを受け取った。
「ありがとう……」
「ハハッ、今日の伊波はやけに素直なのな」
こうして誤魔化してしまうしかない。言葉に詰まる彼女を見る度に、山本武は自身のやるせなさに苛立ちと寂しさを募らせた。
「コーラ……」
「苦手だったか?」
「いや、あまり飲み慣れていなくて……」
一口飲んで渋い顔をする彼女に、もしかして苦手なのかと尋ねた。彼女はやんわり否定したが、うっかりしていた。彼女の好みを聞いておけばよかったが、逆に彼女に気を遣わせる結果になってしまった。
やってしまった、なんて思ってる頃には、彼女は二口目を口にした。
「美味しいよ」
自分にそう気を遣ってらしくもない愛想笑いを浮かべる彼女に、自身も精一杯の満面の笑顔で返した。どうしたら彼女の不安を取り除いてあげられるのかわからない。ただこうしてそばで彼女を見守ることしか。
鯉にボチボチ餌をやり、二人は人で混雑している水族館の館内をとりあえず歩いた。
無計画でお互い適当に歩いてみるも、紫乃は常に山本武から数歩下がり視線は俯いている。心ここに在らずという感じで、終始ぼんやりとしている。
せっかく彼女と水族館まで来たのに、これじゃつまらない。山本武は動く。
「伊波」
混雑する人の中で、戸惑う彼女の手を握る。
繋がれている手を見つめて彼女の方はぎこちなく、どこか遠慮がちにしている。彼女の手が離れていかないように、彼は力を込める。
「いいんだぜ、ゆっくりで、伊波と一緒なら俺はどこだって楽しいんだぜ」
繋がれている手と、山本武の顔を交互に見つめる不器用な彼女が、その時はとてもか弱い小動物を見守るかのようで、彼女が珍しく戸惑う様が、微笑ましくて愛おしい。ずっとこんな風に見ていたいな、なんて彼女には言えないだろう。
しかし、山本武の思うところも実際紫乃には見えていた。わかりやすい男なのだ。いつもまっすぐで、そのまっすぐな気持ちで紫乃を見てくれる。
「……勘違いするな、バカ。君に態々付き合ってやっているんだ。君が楽しんでくれればそれでいいんだ」
「それは無理だぜ。伊波も一緒に楽しんでくれねえと、伊波も今日は一緒にバカやろうぜ!」
彼はあくまで、紫乃と一緒がいいと言う。
そうやってまっすぐに言ってもらえるものだから、紫乃もほんの少しだけ素直になれたのかもしれない。
それから少しずつ距離を縮めようとしながら、山本武と二人で色んな魚を見た。見たことのある魚、名前を知らない魚、カラフルな模様をした魚、まるで海藻のような海生物、大きな水槽に飼われた魚……。
水槽の中で優雅に泳いでいる鮫はとても迫力があった。シロイルカがあんなに大きいものとは知らなかった。
彼女の表情にいつしか笑顔が灯り始めたのを、山本武は温かい気持ちで見守り続けた。
「おっ! このシャチのぬいぐるみ、伊波に似てね? 愛想わりー感じがよ」
「……こっちのマンボウは君に似てとてもマヌケヅラだな」
「言ってくれんじゃん」
水族館を一周し、お土産ブースでの何気ない会話。
この頃には少し砕けた会話もするようになった。お互いの距離を縮められたようで、隣で自然体に振る舞う彼女がそばにいるこの瞬間を噛みしめた。
広いブースでは、海にちなんだ様々な品が物販されていた。その一角で、紫乃達は戯れていた。棚に並べられていたぬいぐるみでしょうもない意地の張り合いをして笑い合う。
「バスターズ!」
するといきなり子供が撃った水鉄砲が、紫乃の顔面を直撃した。
もろにその水を被った紫乃は案の定頭から水滴を垂らしていた。すぐに子供の保護者が駆けつけ謝るが、紫乃は特に咎めることもしなかった。
親子連れが去り、それでも山本武は心配で隣で俯く紫乃に声をかけた。
「大丈夫かよ……」
「ああ、平気だよ。今日は濡れてばかりだな」
呆れたように、ずぶ濡れの顔のまま、こみ上げてくる笑いを噛みしめている。
解放されたような彼女の素の笑顔を見て、山本武も意外に思いながら、一緒に笑い飛ばした。ずっとこんな彼女を見たかったんだと思った。
風邪を引いてしまうので、すぐにタオルを買ってきて彼女の頭を拭いてやった。体育会系のノリでグシャグシャに掻き回される頭にキレていたこの時の彼女の反応がむしろ面白可笑しくて、彼女に弁慶の泣き所を蹴られるまで続けた。
それは確かに目尻に涙が滲むほど痛かったが、そんな痛みも彼女の抵抗も可愛げがあり紫乃から目が離せなかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。館内放送で閉館のアナウンスが流れ続ける。
そのアナウンスに誘導され出口が混雑し始める頃に、二人も水族館を後にしようとした。
「山本」
薄暗くなる館内の、大きな水槽の前で紫乃が立ち止まる。
そう呼ばれた彼は彼女を振り返る。少し後ろで立ち止まっている紫乃を、どうしたのかと見守った。
「今日は、ありがとう……。本当のところ、こんな場所に来るのは初めてだったんだ。イルカショーを観るのも、コーラの味も、バカみたいにずぶ濡れになってはしゃぐのも、君と初めての経験だった。楽しかったよ」
彼女の告白に、今まで試行錯誤してきた努力がようやく実を結び始めているような気がした。心の底から彼女の言葉を噛みしめて喜んだ。
「そりゃあよかったぜ。俺が伊波の初めてを一番乗りできたんだ。もっと二人で色んなところに行こうぜ。今度は動物園や、もうすぐ夏だしプールもいいよな」
白い歯を見せて浮かれている山本武は、早速次のプランを紫乃に提案する。
しかし、紫乃の方はあまり乗り気ではないようだ。
閉館が近づいており辺りを疎らに人が通り過ぎていくが、そんな周囲の目は見えていない。
「……俺もさ、伊波がどっか行っちまうんじゃねえかって気がして、焦ってたんだ。なんでかわかんねえけど、そんな気がして、必死に繋ぎとめようとしてたんだ。また二人で来ようぜ、伊波」
言ってしまえば、本当に彼女が今すぐここから離れてしまうんじゃないかと、不安だった。その胸の不安の先がどう向かっていくかわからなくて、なかなか口にはできなかった。
また、二人で、そんな口約束でも今彼女を繋ぎとめられるなら、約束をしよう。
「ああ、また……」
彼女は目を見てそう頷いてくれた。
その約束を果たせる日は、どれくらい先になるだろうか。
これが、甘酸っぱい青春の味だったのを、大人になった彼はいつか思い返す。甘酸っぱく、あと数センチ彼女に届かなかった、想い出の味を――……。