さあ、どうしよう。おそらくこの人、まだ僕を食べる意志が残っている。友人になりたいと言ったが、それは否定しなかった。そんな人と友人?何かの間違いだろう。それとも、友人の価値観が違うだけなのか。
友人云々は置いておいて、停滞したこの状況を解決する方法はある。今回ことに当たるにあたって、最終手段として考えていたものだ。敵対の意志があれば、無理だった。だが、今はこちらが優位であり、月山さんからも敵対心は感じない。それどころか、いい方向を突き破って変な思いを持たれている。
リスクはある。計り知れない。月山関係から広まれば、終わりだ。推測の域をでない、噂でもだ。だから、口止めは絶対だ。
「月山さん。さっきのこと、取り消してもいいですか?変えたいので…」
沈んでいた月山さんの眼が大きく見開かれ、僕が言ったのか、確かめるように松前さんに目を向ける。彼女が頷くのを確認した後、口の端から笑みが零れ、終いには喜色満面といった様子になる。…まだ、内容は何も言ってないのだが。
「もちろんだよっ‼」
…まあ、いいか。こんな反応されたら何となく。
「その前にまず、お願いがあります。今ここにいる四人以外には、一切他言しないでください。これが無理ならば……」
「しない‼…松前もいいね?」
「…習さまのお望みならば。しかし、何らかの危害があると判断すれば、その時は…」
「……そうですか」
即答って、逆に不安だ。
「おじゃまします」
今いるのは、月山さんが保有しているマンションの一室だ。定期的に掃除をしているのだろう。滅多に使用しないらしいが、室内はホコリっぽさもなく、清潔に保たれていた。それに、全ての部屋は見ていないが広さはありそうだ。…今僕が住んでいる所は三人では少々狭い。こんなところに住めたらなあと思うくらいには、羨ましくなった。
そんなことを考えていると、松前さんがコーヒーを淹れてくれていた。ありがたくいただく。立ち上る湯気が顔に当たっていくのが、心地いい。少し啜るだけで、冷え始めていた身体に染み渡っていく。……おいしい。
月山さんが言うには、彼女は大抵のことはこなせるらしい。自分のことのように誇らしげに話していたのが印象的だった。一息ついて、
「では、もう一度確認します。くれぐれも他言無用でお願いします。これは、絶対です」
再度の確認に、三人からそれぞれ返答があった。
堀さんは大丈夫だろう。これと言った根拠はないが、きっと。月山さんも今後のメリット、先ほどの態度からおそらく大丈夫だ。松前さんは……不安が残る。月山さんへの忠誠心を信用するしかない。それに、彼女が月山さんを裏切るとも思えない。漠然としているが、そう思える何かはある。だが、一応予想できることは、対処の方法を考えておくべきか。……本当、毎回のことだが、綱渡りっぽさが拭えないな…。
「僕は、普通のグールではありません」
実際に見た方が分かりやすいかと考え、眼を赫眼に変化させる。
「隻眼っ!⁉珍っ……おっと。…噂では聞き及んでいたが、まさか実在するとはね……」
言いかけたことが気になるが、今はスルーだ。先に進まないし。まあ、どう思われているかはわかった。
「身体のつくりも異なっていると思います。大きく違うのは……人間の食事ができます。人肉の摂取も、血液で代用できています」
そして、話した。月山さんと松前さんの二人を僕と同じような存在にできることを。
それを聞いて、グールの二人は言葉が出ない、僕が何を言っているのか理解できない、そんな顔になった。停止した空気の中、それを破ったのは掘さんだった。
「よかったね月山君。これでホントに美食家になれるよ」
掘さんは平常運転だ。そんな彼女を頼もしく感じる。
「…あ、ああ…。しかし、そんなことどうやって…」
若干、口が重たくなるが詳細を説明する。赫包付近から血を吸い、唾液を塗りつけることから始まり、その後のことまで。
松前さんが疑いの眼差しを向けてくる。
そして、月山さんは大きく眼を開き震え、放心している。少し、怖い。信じられないような……まるで今までの自分の人生…世界が壊されてしまったかのような反応だ。
「その口調から察すると、前例はあるのですね」
「……はい。実際に、四人分の前例があります。あ…五人かな。一人はグールとして強力すぎたため、もう一人も……例外になりますが。今は言えませんが、月山さんが知っている人もいます」
もっとも、全てつい最近のことだが。
「例外ってのは?」
掘さんに聞かれる。
「ああ、いや……効果がでなかったんです。だから僕の血を……」
あ、しまった。
おそるおそる月山さんを見たが、放心したままだ。よかった。聞かれていなかったようだ。
「…その、もうひとつ方法があるんです。でも、それは出来れば無しの方向で……」
少なくとも、身体にかかる負担は大きくなるはずだ。
「それで…月山さん。どうしますか」
勿論、頷いてもらわないと困るのだが。見ると、月山さんは、にやけていた。……なんで。目線の先を追って見たが、何も無い。再度、月山さんを見る。
「月山さん?」
「あ、あぁっ……金木君。どうか、お願いするよ」
順番は月山さんからだ。二つあるベッドの一つに横になっている。……背、高くていいな。足も長いし。改めて思った。くぅ……。
松前さんは監視をするように、横に立っている。月山さんの安全を考慮して、本当は自分が先がいいのだろうが……行為後は気を失ってしまう。そのため、自分を後にしたのだろう。何かあれば、対処できるように。僕を信用していないのはピリピリとした空気で感じている。だが、彼女の立場からすればこれは当然のことかもしれない。そのため別に、気にすることもなかった。
掘さんは、カメラを構えている。僕は写してほしくなかったが、月山さんは「ぜひ‼その瞬間を‼」ということだったので、僕の顔は写さない条件で掘さんは写真を撮ることになった。
「じゃあ、失礼します」
爪で皮膚を深く切り裂く。視界の端で松前さんがピクリと動いた。
「これは……もしや、僕が食べられることになるのかい?…どんな味だったか、是非とも後で教えてもらいたい」
「……」
無言で口をつけた。
ちゅーーーー。
……鳥肌が立つような声が聞こえてくる。何とかそれを意識の外へ追いやって、無心で吸い続けた。
吸い終わった。気づけば、結構な量を吸ってしまっていた。制止の声が掛からなければ、ちょっと危なかったかもしれない。
唾液も塗り終わり、今、月山さんは眠っている。意識が落ちる前に再度味を聞かれたので、おいしかったと伝えると、彼は満足そうな顔で気を失った。
「これで明日目覚めた時には、おそらく…」
松前さんに話しかける。彼女は月山さんを見つめたままだ。その目には心配の色が浮かんでいる。
「そう、なのですね。……あの、どうか観母さま…御当主様に今回の事を、お伝えすることは…」
彼女にとって、主人に内密にしておくことは心苦しいことなのだろう。それも、僕の指示があるまでの何時になるかも分からない期間ずっと、隠し事をすることになる。気持ちは分かるが、だがそれは。……それにしても、正直な人だと思う。勝手に伝える選択肢はないらしい。彼女が月山さんの言葉にそれだけ重きを置いているということか。
「…はい。今は、すみません」
「…わかりました。では、今回私に習さまと同様の事を行うのは……」
「それも、頷けません」
「…そうですか」
何となくだが、続く言葉はわかった。自分だけというのが、受け入れがたいのだろう。
だが、駄目だ。松前さんに拒否はさせない。こちらも心苦しさを感じるが、今後を考えると、彼女には罪悪感を持ってもらったほうが都合がいい。
「……あの、僕からも、もう一ついいですか」
「…なんでしょうか」
「月山さんにも後で言うつもりですが……これからは、人間を殺してほしくないんです」
これは、ただのエゴだ。だが、無暗に人間を害することを認めるわけにはいかない。
「私には、食糧調達の仕事もあるのですが…」
「できれば、やめてください。するとしても、自殺者などを……」
「…、わかりました」
無表情でじっと見つめてくる。その目には何の感情も映っていないように見える。だが、その目から、まるで全てを見透かされているようで、怖かった。
そうして、松前さんへの行為も終えた。彼女はその間、一言も発することもなく、ただされるがままだった。その彼女も月山さんと同様、今はもう眠っている。
「じゃあ、シャワーも浴びたし寝るね。金木君、松前先生を月山君のほうに移して」
「ああ、はい」
ベッドは二つだ。答えたはいいが、勝手にしてしまっていいのだろうか。
「はやく」
「…はい」
本当に眠たいのだろう。口調が強かった。
「あ、掘さん。一度コンビニに行って、何か朝食に食べられるものを買ってきます。その後は一度自宅に帰るので……」
「りょーかい。朝食もよろしくね」
コンビニから戻った頃には、もう掘さんは寝息を立てていた。それを見た瞬間、ドッと疲れが押し寄せてくる。明日は……いや、もう今日だったか。休みだし、ゆっくりしたいなあ。
寝坊した。
連絡を取ろうにも、連絡先を知らなかった。聞くのを忘れていた。もう起きているかもしれないし、急いだほうがいいだろう。作ってくれていたトーカちゃんには悪いが、朝食は後でとることにする。軽くランニングをしてくると伝えて家を出た。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
マンションに着くと、玄関のドアの前に張り紙がしてあった。朝食が足りなかったため、近くのファミリーレストランに行くとのむねが。字の感じから勝手に掘さんのものかなと判断した。
「いえ、たぶん連れが先に……」
すぐに見つかった。奥の席にいたのだろう、姿は確認できないが、聞こえてきた声でわかった。
「掘っ!⁉僕のだぞッ!‼」
「いいじゃん、一つくらい」
「こちらもおいしいですよ」
人間にしか見えない。まあ掘さんは元々そうだが。
全くの他人からすれば、兄弟にも見えるかもしれない。料理を取り合う弟、妹に宥める姉。そんなところだろうか。そんな、平和を感じる光景を想像して、ふと考えた。
掘さんの話、月山さんの様子から、彼にとって人間とは食糧でしかない。掘さんは例外なのだろう。それは今までも、そしてこれからも、そうであったはずだ。だが、人間の食事ができるようになった今、人肉を食べずに生きられるかもしれない今。彼の中の人間とはどうなるのだろう。
あの西尾さんでも、幼い頃は人肉を食べることを嫌がっていたという。月山さんはどうだったのだろう。西尾さんのように、考えたことがあるのだろうか。そして、西尾さんは人間が豚肉を食べるのと、そう変わらないことだと言われたことがあるらしいが、果たしてそうだろうか。
僕には、そう思うことはできない。だって、姿は同じだ。そんなこと無理だ。殺して、食べることなんてできそうもない。だが、あくまでこれは、人間の……人間だった僕の考えだ。月山さんや、西尾さんだけではない。真に、彼らの…グールの気持ちは、僕には分からない。理解することができない。結局のところ、僕は決定的なことを経験していないのだから。
でも、僕が変えてしまった人達が今後、何かしら苦悩することになったら。僕にも責任がある。その時は僕も一緒に悩みたいと思う。他に何もできなくても、それくらいはできる。……それくらいしかできない。
「お客様?」
「あ、すみません。いたので、大丈夫です」
……今は、いいか。ズンと重くなった足を動かして、周りと比べて明らかに賑やかなテーブルに向かった。
「あ、本当だ。おいしい」
「だから僕のだぞッ!」
「松前先生のだよ」