食事をしている掘さん達に一声だけ掛けて、一度家に帰ることにした。一緒にどうかと誘われたが、トーカちゃん作の朝食をまだ食べていない。後でまた合う約束をして、自宅に向かった。
待っていたのは、ジャムがのったトーストにシーザーサラダ。湯気が立ち上る、温かそうなコンソメスープとホットミルク。カフェメニューにありそうな、休日を感じさせる、心がホッとする朝食だった。じいーんと少しばかり感動している中、対面にはトーカちゃんが座っていた。肘をついて、両手に顎を乗せる形で、じぃーとこちらを見ている。
「おいしいよ。作ってくれてありがとう」
「…そうですか?まあ、朝だしこんなものかなーと。もう昼寄りですけどね」
僕の顔に視線を向けたまま、彼女はぼんやりと返事をする。
「やっぱりごめんね。一人だけ遅くなっちゃって」
「それ、さっきも聞きましたよ」
そう言った彼女は、不機嫌そうに眉間にシワを寄せて、机にぐでーと身を預けた。顔は伏せているため、どんな顔をしているのかはわからない。
「…夜、どこか行ってました?」
「え?いや……うん。ちょっと眠れなくて」
昨夜のことが気づかれたのか。いや、家を出る時確認した。誰も起きていなかったはずだ。
「……首の後ろから、人間の女の匂い」
「え」
何か今、ボソッと変なこと言わなかったか。勿論、そんな心当たりは……あ。
月山さんのマンションに行く時に、掘さん背負っていたことを思い出した。あの時、月山さんの服は血だらけだった。傷は治っても、服に染み込んだ血まではどうしようもなかった。そのため、移動は僕と松前さんがそれぞれ背負う形で(月山さんも消耗していたため)建物の上を飛び回ったのだった。匂いはその時のかもしれない。
「そーいうところいくんですね」
一見どうでもよさそうに言っているが、若干だが声にトゲを感じる。というか待って。トーカちゃんたぶん勘違いしているよ。
一気にシーンとなったため、周りに視線を巡らすと、リョーコさんとヒナミちゃんが聞き耳を立てていることがわかった。ヒナミちゃんは勉強中、リョーコさんは裁縫をしているようだが、チラチラとこちらを見ている。
でも、どうしよう。本当のことも言いづらいし…。かといって、勘違いさせたままにしても、きっと今後の僕の立場が悪化する。
「いや、その…飲みいって、その時におぶったから…」
何を言っているのだろう。自分でもよくわからない言葉が口から出た。言い訳みたいにも聞こえる。だが、嘘は言っていないような…。掘さんを背負って血を飲みに行った。一応嘘ではない。
「どうして隠すんですか。……や、別にいいけど」
いや、仮に僕がそういう場所に行っていたとしても隠すのは普通のことではないだろうか。少なくとも年頃の女の子に言うことではないと思う。まあ、僕には行く勇気もないのだけれど。それに、まだ未成年だし。…そういえば、僕ももうあと少しで二十歳か。前世では……いや、今はそれどころではなかった。
…あってほしくないことだが、月山さん達の行動次第では、良くない状況になる可能性もある。それに、トーカちゃんはそのうちに知ることだろう。月山さんと接点あるみたいだし。
そうして、昨夜からの出来事を話した。
「月山にその使用人に、人間。私からしたら考えられないですね」
トーカちゃんが呆れるように言った。少し怒っている気もする。だが、そうかもしれない。もう少し僕に余裕があったのならば、こんな行動はとらなかっただろう。
「お姉ちゃん。月山さん?には会ったことあるの?」
「あーうん。前にちょっとね。あんていくには滅多に来ないけど。見た目は……花でもくわえてそうなナルシストよ。見たら近寄らないようにね、ヒナミ。リョーコさんも」
「わかった。花だね。…ちょっと見てみたいかも」
確かに、薔薇でも似合いそうな人だが…ナルシストなのか、月山さん。まあ、あんな容姿だ。そうだとしてもおかしくないのかもしれない。
「あの」
「何?」
トーカちゃんが真剣な様子で話しかけてきたため、思わず、居住まいを正した。彼女は薄く開いた唇から言葉を続ける。
「できれば…ですけど、これからは、私には隠さずに話して下さい」
「え」
「話して何ができるのかとかじゃなくて、話すだけでもいいと思うんです。それで心配させたくないって思っているのならそれは違います。……だって、バレバレ。顔に出てる」
トーカちゃんは、クスッと悪戯っぽく小さく笑った。
「顔?」
両手で顔を挟んで軽く揉んでみる。だが、よくわからない。
「…うーん雰囲気かも?こう…ドヨーンとしたのが」
「何だそれ……」
やはりよくわからないが、トーカちゃんにはわかる何かがあるのだろう。だが、彼女がそう言ってくれても話せないこともある。それは、これから先もあるかもしれない。
それでも、僕が欲しかった言葉はきっとこれだったんだと思った。その言葉を聞いた時、胸からストンと何かが落ちて、フワッと軽くなったから。
前世の、隣に立って支えてくれる仲間達はいない。まあ、何百年も生きている人などそういるはずもないか……なんて。しかしここにも、寄り添ってくれる人達がいる。そう、それで十分だ。今はそれだけで、心が救われる思いだった。
「やはりまずは、世界三大珍味から…」
「普通のからにしなよ。ほら、これとか。数箱限定の林檎だって。値段すごいけど」
「ふぅむ。それもいいね……」
再び、月山さんのマンションに来ていた。トーカちゃんの同行は断った。月山さんと仲悪いらしいし、険悪な雰囲気にしたくなかったから、気持ちだけ受け取った。
四人(人間の掘さんを抜けば三人)で今後について話し合った。
最終的に月山さん達には、最低でもひと月は、このマンションで生活してもらうことにした。月山家の人との接触を控えるためにだ。
今の月山さんが自宅に戻れば、何かボロを出してしまうと思う。。松前さんにしても、匂いが変化していたら何かしら疑問を持たれることも考えられる。
松前さんが当主に話してしまう事態は避けたい。これは、気持ち程度にしかならないが。彼女がその気になれば、意味はないだろう。今は、月山さんの言った言葉を守って、その気はないように見える。だがいざ顔を合わせた時、顔を合わせるたびに使用人としての矜持が錯綜から、他には人間の食事をしている罪悪感から話してしまうかもしれない。そう思慮深くなるくらいには信用していない。
これにはもう一つ対策をした。松前さんは常に月山さんと共に生活すること。そして月山さんにも、もし誰かに知られることがあれば、もしくは僕が松前さんを疑わしく感じれば、こちらもそれなりの対応をすると言った。ここまで言えば、松前さんも動けないはずだと考えた。
半ば脅すような形になったが、月山さんに気にした様子はなかった。条件は飲むと自信を持って言ったし、そもそも彼の言葉を、松前さんが破ることはないらしい。そう彼は、当然のように言った。
すんなりと通って、少し拍子抜けしてしまった。自分で言っておいてあれだが、常に一緒にいる条件は厳しいのではないかと思った。その辺りも聞いてみたが、問題ないそうだ。大学についても、どうにかするとのこと。
ここの滞在期間については意見があったが、(始めは三ヶ月と提示した)それ以外は特に反論されなかった。期間が短縮になった理由は月山家当主が寂しがるから。なんだそれは。だが、それがかなり重要なことで、それ以上だと人を寄越してくるかもしれないらしい。クリスマスに帰れればなんとかなるが、最低、毎日電話することは必要になるそうだ。
ひと月の間、外食は控えてもらうことにした。どこに他のグールの目があるかわからないからだ。社会に溶け込むために、グールも食事をとる振りをするが、月山さんは目立つ。
「そんな……」
「ほら月山くん。ネットで取り寄せできるよ」
という感じの会話があった。落ち込んだ月山さんを立ち直らせたのは掘さんだった。それからずっと二人でパソコンの画面に夢中だ。掘さんが椅子に座って後ろから月山さんが覗きこむ形で見ている。興味を持ったものから注文しているようだが、保存は大丈夫なのだろうか。冷蔵庫にはそんなに入らないと思うんだけど。でも、二人共凄く楽しそうだな…目がキラキラと輝いている。それにしても、二人の距離間が随分近いと思うのは僕だけだろうか。
松前さんといえば、タブレットで電子書籍を読み込んでいた。料理本みたいだ。これまで深くは手を出していなかったらしく(当たり前だが)、随分気合いを入れて読み込んでいる。知的な容貌に眼鏡がよく似合っていると思う。垂れてきた髪を耳に掛ける仕草に思わず目が行く。しかし今、月山さん達世界の珍味が載っているサイトを見ているのだが、調理は大丈夫なのだろうか……。
僕もパソコン組に混ざりたいが、何となく入りづらい。もう帰ろうかな…。疎外感を感じて、自然とスマートフォンに手が行く。
「あ、西尾さんからだ」
少し前に着信が入っていた。続けて受信したメールには、味覚が元に戻ってしまったと書いてあった。……ついに、この時がきてしまった。
効力のある期間は“唾液”より長いようだ。摂取した“肉”の量でも変わるのかもしれないから、確定することはできないが、やはり多くの僕の細胞を取り込んだせいだろう。
何にせよ、僕の細胞を取り込んだ後は気を失ってしまう。芳村さんは例外として、トーカちゃんの、二回目の時は数時間で目覚めることになった。かと言って、西尾さんもそれに当て嵌まるかはわからない。…うん、やはり夜のほうがいいかな。夜に西尾さんの家に行くことを打ち込む。そして、特に用のなくなったスマートフォンを鞄にしまった。
いつのまにか、松前さんもパソコン組に参加していた。掘さんと月山さんが注文した食材のメモをとっているようだ。もう、完全に蚊帳の外だな僕。……帰ろう。先程のトーカちゃんのこともあって、何だか無性に自宅が恋しくなってきた。
次は捜査官sideもあります。